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短編集  作者: 雨宮万里
9/15

ある特別な冬の日に

『買い物リスト

・若鶏骨付もも肉 4本

・玉ねぎ

・コンソメ

・じゃがいも

・とけるチーズ

・レタス 半切

・プチトマト

・生ハム

肉は国産のものを買うこと』


 今日は十二月二十四日だ。部活帰りで制服姿の桂子は、惣菜コーナーに積み上げられた大量のフライドチキンを横目にカートを押しながらスーパーをうろつく。店内にはきらびやかなクリスマスソングが流れている。

「やっぱり冬は野菜が高いなあ」

 そう独りごちると、彼女の斜め下から涼しげな声が返ってきた。

「ハウスで作ると光熱費が掛かるからね。今年の夏はあまり気温も上がらなかったし」

 彼女はそちらには見向きもせずに「ふーん」と生返事を返す。

 そんな諸事情はどうだっていい。問題は、ただでも高い野菜がこの季節はさらに高くなることなのだ。大抵の人の興味は結果に向けられていて、わざわざ原因を調べ尽くしてまで薀蓄うんちくを語るのは彼ぐらいだ。

「それにしても、時期外れで美味しくないものに高いお金を出すなんて馬鹿らしいよ」

 ぶつぶつと毒づくのは、小さな紙切れを手にした少年だった。桂子は弟の塾の迎えのついでに近所のスーパーへの買い物を頼まれたのだ。彼女は弟にちらりと視線を落とした。背中の黒いランドセルは彼の小さな体には随分と重そうだ。

 小学三年生なのに既に中学入試レベルの知識が頭に入っている彼は、中学一年生とはいえ平凡な頭脳しか持ち合わせていない桂子にとっていささか理解しがたい存在だ。しかも、彼はその行き過ぎた才知のせいか、人生を悟ったような顔をして世間への批判を口にすることが往々にしてある。

「楓、そういうことは言わないでいいの」

「事実でしょ。あ、玉ねぎとじゃがいも」

 桂子の叱責も意に介さず、楓は野菜棚とメモを見ながらてきぱきと指示を出す。それに従い、桂子は玉ねぎ二個とじゃがいも一袋をカゴに放り込んだ。

「せっかくお母さんが気合入れて作るって言ってるんだから、お母さんの前ではそういうこと言わないでよ」

 楓はメモに視線を留めたまま、手をひらひらとさせて「わかってるって」と答えた。

 そのまま二人はしばらくカートを押しながら買い物を続けていたが、野菜コーナーを出る直前に楓がはたと立ち止まった。

「そういえば、メモには数が書いてないけど?」

「こういうのは大体わかるもんなの。玉ねぎなんかはよく使うし数ヶ月は持つから多めに買っておけばいいしね」

「……そうなんだ」

 さすがの楓も経験則に対しては何も言えないらしい。桂子は心の中でガッツポーズをして言葉を続ける。

「じゃがいもを放っておいたら駄目なのはさすがにわかるでしょ? 芽が出るからね」

「ああ、ソラニンか」

 彼がそう言った時点でしまったと思ったが、遅かった。楓は脳内から引っ張り出した知識を饒舌じょうぜつに語り始める。

「あれってね、神経毒みたいなものなんだよ。神経毒っていうのは、例えばサリン。人間の運動は神経細胞の刺激の伝達で成り立つんだけど、それに異常が起こったら人間の体が動かなくなるから――まあ、つまりは麻痺だよ。で、じゃがいもの芽に含まれているソラニンは、アセチルコリンエステラーゼっていう酵素の邪魔をして神経細胞が興奮したままになるから、筋肉に信号がちゃんと伝わらないなるんだよ」

「へ、へえ……」

 楓が言った内容は一割も理解できなかったが、とりあえず桂子は頷いた。ここでわからないと言うと、彼は身振り手振りを駆使して彼女に理解させようとする。そして、桂子がそれを全く理解できないことに気付いた瞬間、彼は脳内辞典を駆使して彼女を罵り、年長者としてのプライドを切り裂いてくれるというのがいつもの流れだった。桂子はその辺りはちゃんとわかっていた。

「なんだかどっと疲れた……」

 桂子は長い溜め息をついてカートに体重を掛けた。

「子守って大変ね。特にあんたみたいなのが相手だと」

 例えば、彼が普通の小学三年生ぐらい単純な思考回路をしていたなら、彼の行動に腹を立てながらも微笑ましく思うことができただろう。しかし、楓は疑問に思ったことへの追究と間違ったことへの追及を我慢できる性質ではなかった。だから、桂子は彼と口論するときには一瞬も気が抜けない。

「どうして? 僕はその辺の小学生みたいにすぐにお菓子コーナーに消えたりしないけど」

 彼が指差す先を見ると、Tシャツを着た少年たちがお菓子コーナーの前に座り込んでいた。楓は彼らに侮蔑の視線をやると彼女へと向き直った。

 肩までずり落ちた黒いランドセルの肩ベルトを握って背負い直し、桂子に挑むような視線を投げ掛ける。淡褐色の双眸は見る者を引き込むように澄んでいて、それ以外はあの少年たちとなんら変わりない。

 あくまでも、見た目に関して言うなら彼は十二分に小学生だった。


「これで全部?」

「うん」

 二人はメモの内容と照らし合せて、すべてカートに入っていることを確認すると、レジから伸びる五列のうち一番早く進みそうな列に並んだ。

 レジに並ぶときに見るべきは、待っている人のカートの量だ。特に夕方は主婦が多く、その大多数は買いだめに命を燃やしているので、二つのカゴをカートの上下に乗せている人なんかの後ろに並んでしまった日は泣く羽目になる。

 カウンターの向こう側には空を切り取った大きな窓が広がっている。日中とは違い、黄昏の空はみるみる空が移り変わっていく。稜線に闇を落としたように空が夜に染まっていくのを、レジが進む間ぼんやりと眺めるのが、買い物を頼まれたときの桂子の楽しみだった。

「こういうのってあざといよね」

 声の元へと目をやると、彼はレジ前に置かれた商品に釘付けになっていた。視線の先にあった商品を手に取り、『Magic Snow Man』というロゴと「12時間でモコモコ育つ!」という謳い文句を眺める。厚紙のような吸収素材でできた雪だるまの体がマジックウォーターとやらを吸うと、綿のようなものができるらしい。よくありがちな、化学を利用したおもちゃだ。

「へえ、おもしろそうじゃん」

「どこが? 所詮子供騙しなのに」

 恨めしげな感情が混じった声色で呟きながら、楓はパッケージを持ってまじまじと見つめる。

 そういえば楓はこういう子供向けの商品を欲しがったことが無かったなと桂子は思い出した。そういったものに興味を持つ子供を馬鹿にしているような態度はよく見せるのだけど。

「まあ、子供向けの商品ってそんなもんだし」

 それが置かれている棚は、ちょうど楓の目の高さほどに位置している。レジの前に並ぶ行き場のない子供たちは、興味の赴くままに彼らの術中に飛び込んでいくのだろう。

「見てよこの値段」

 パッケージに貼られた『\580』の文字に桂子はたじろいだ。ちなみにメークインは一袋五個で198円だ。

「う……」

 興味は引かれたが、おもしろ半分で買うにしては高い。桂子はパッケージを棚に戻した。彼女の様子にも気付かず、楓は手に持ったパッケージから目を離さない。

「ほんとあざとい。ありえない。なんでこんなの置いてんの」

 いつもより少ない語彙で商品を罵る楓は普段の彼より幼く感じられる。桂子は苦笑しつつ彼を宥めた。

「そこまで言わなくても……」

「いーや、許せない。こんなことされたら欲しくなるもん」

 桂子は無言で声の主を見つめる。楓は真面目くさった顔つきで雪だるまのイラストを睨み付けている。

「……え?」

 彼女は思考が止まった頭でそれだけを口にした。頭の中で彼の言葉を反芻する。

「えーと、あの、楓くん?」

「なに」

「散々文句言ってたのに、それ、欲しかったの?」

「悪い?」

 楓は拗ねた声を出した。

「こうやって計算して置いてるのが見え見えなのにまんまと引っ掛かる自分が嫌なの」

 不貞腐れた顔をした彼の怒りは、雪だるまの商品そのものに対してというより、それに釣られた自分の意志に対してらしい。桂子は自分の頬が緩んだのを感じた。腹の底からくつくつとおかしさが込み上がる。

 なんだ、こいつ。可愛いじゃないか。

 楓の貴重な姿が見られた分、甘やかしてやってもいいかもしれないなと思った桂子は、優しい声色と共に『Magic Snow Man』を指差した。

「欲しいならカゴに入れてもいいよ?」

「いらない」

 楓の即答に桂子はむっとして反論する。

「せっかくの人の善意を――」

「違う。そうじゃなくて」

 彼女の文句を小さな手と拙い言葉で遮り、楓は俯いた。

「お母さんが『お姉ちゃんにわがまま言ったらサンタさんが来ないよ』って言ってたから……」

 口から零れる微かな声が桂子の耳に届く。その切実な言い方に彼女は目を丸くした。

「サン……」

 サンタさんなんて信じてたっけ? 彼女は問い返そうとしたが、すぐにその言葉を飲み込んだ。瞬間的に浮かんだ驚きの表情は微笑の奥に押し込む。

 楓の普段の言動のせいで忘れていたが、彼は未だにサンタの存在を信じていたのだ。毎年十二月二十四日の夜は落ち着かない様子で床に就き、翌朝は枕元に置かれたプレゼントに夢中になっていた。それを思い出して、桂子は自分の胸に温かい感情が流れたのを感じた。

 大人のように振舞っていたかと思うと、突然子供のようなことを口にする。それは、彼がどこにでもいるような小学三年生ではなく、楓以外の何者でもないからだ。桂子は笑みを漏らして楓の手からパッケージを奪った。

「じゃあ、これは私からのクリスマスプレゼント」

 桂子はそう言ってカゴの中へと入れて、言い返す隙も与えずにレジへとカゴを通す。楓は口を開きかけたが、商品がスキャナに通されたのを見て黙り込んだ。


 日は住宅街の向こう側に沈みかけ、昼と夜が溶けるように混ざり合って漂う。十二月の寒風は露出した肌に突き刺さり身を震えさせる。

「はい」

 店を出ると、桂子はスーパーの袋から商品を取り出して楓に差し出した。彼はゆっくりとそれを受け取り、そのままスーパーの袋へ手を伸ばす。袋をもぎ取った彼は口ごもり、白い息と共に一言だけ呟いた。

「僕が持つ」

 凍てついた空気に心地のよい沈黙が落ちる。桂子は学生鞄から出した手袋をはめて、両手に息を吐きかけた。

 そのとき、道沿いに建てられた電信柱に青い光が灯った。電灯は二、三度瞬き、黒い影を地面に縫い付ける。朱と藍が混ざる空の下で、今にも消えそうな雪が電灯の光を受けて淡く光る。頬に落ちる冷たさに気付いた二人は、空を見上げると感嘆の声を漏らした。

「わ……綺麗」

「初雪かな」

 楓は立ち止まり、袋を持っていない右手を上げてその手のひらを空に向けた。そして雪の塊を受け、溶けた水と一緒にその手を握り込む。電灯の下で佇む彼に気付いた桂子も数歩先で足を止め、喜色を顔いっぱいに広げて振り返った。

「今日はホワイトクリスマスだね」

 彼女の言葉には何も返さず、楓はわざと大きな溜め息をついてみせる。

「勘違いされがちだけど、雪が積もってなかったらホワイトクリスマスじゃないんだよ」

「あ、そう……」

 肩透かしを食らった桂子は彼の言葉を流し、首をすくめた。

「ほんと、なんでこんなに可愛げが無いんだか」

「悪かったね」

 彼はふんと鼻を鳴らして悪態をつくと桂子を追い越す。前後に揺れるスーパーの袋を桂子がぼんやりと眺めていると、楓はくるりと振り向いて「お姉ちゃん」と呼び掛けた。

「早く帰るよ。材料が無いとお母さんご飯作れないんだから」

 早口で言い捨てると、楓は背中を向けてさっさと帰路を歩き出す。桂子は慌てて小走りでそれを追いかけた。

「そういえば、楓はサンタさんに何をお願いしたの?」

「秘密」

「えー、教えてよ」

「絶対言わない」

 細く長い二つの影は一定の距離を保ったまま伸びていく。灰色の薄い雲は穏やかな風に乗って流れ、その隙間から溢れた小さな星たちが閑静な住宅街を彩る。

 どこかで響く鈴の音が夜の始まりを告げようとしていた。

2013.12.24

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