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短編集  作者: 雨宮万里
3/15

彼とチョコと彼女の恋

「もう二月か。時が過ぎるのは早いな」

 カレンダーをめくった加奈は誰に言うでもなく呟いた。学級委員の仕事は意外に多く、教室の管理は細部まで行き届いている。カレンダーを次の月に変えるのも学級委員の務めだ。

「バレンタイン、美鈴は誰にあげるの?」

「……内緒」

「えー、ずるいよー」

 そんな会話が聞こえ、加奈はちらりとドアを見る。そこには森田と談笑する祐人の姿があった。

「お前って罪な奴だよな。毎年何個チョコをもらってんだ?」

「俺が欲しがってるわけじゃないし」

「その余裕が腹立つ!」

 地団駄を踏む森田をたしなめる祐人を眺め、加奈は溜め息を吐く。

 話したこともないのに、チョコレートなんて渡せるわけが無い。友チョコすら作らない自分は、この季節になると浮つく教室を客観的に眺めているだけなのだ。今年もそうして何事も無かったかのように三月を迎えるのだろう。

「そんなこと言ったって、くれるもんは仕方ないだろ」

 自意識過剰にしか聞こえない台詞も、彼の口からだと嫌味にならない。しかし、森田は眉をしかめた。

「そういうのって、お前の彼女からしたら嫌なんじゃないか?」

 突然核心に迫るような質問が耳に飛び込み、加奈は思わず祐人を凝視してしまう。彼に彼女がいるという噂は幾度なく耳にしたが、本人がそういう話をしているのは聞いたことが無い。

「いや、彼女いないから」

 さらりとした祐人の受け答えに、彼女はほっと胸を撫で下ろす。森田が「はあっ、嘘だろ!?」と喚いているのが聞こえたが、加奈がドアを見ることはなかった。


「……買っちゃった」

 学校帰りに買ったミルクチョコレートを机の上に広げて加奈は唸った。チョコレートを作る予定なんて無かったのに、あんなことを聞いてしまったせいで期待してしまったのだろうか。

 さて、何を作ろうかとパソコンを起動させる。最近はどんなお菓子のレシピもすぐに出てきて、画像を見ているだけで目移りしてしまう。

 『フォンダンショコラ』から『チョコクッキー』、『ココナッツサブレ』と早くも脱線した加奈だったが、その作業を一時停止させたのは部屋の外から聞こえた声だった。

「姉ちゃん、ちょっといい?」

 ドアを開けると、弟の誠哉がシャーペンを持って立ち尽くしている。

「悪いんだけどシャー芯ちょうだい。ちょうど切らしててさー」

「Bだけどいい?」

 シャーペンから芯を四、五本抜き、そのまま手渡した。質問に対する回答を聞くつもりは無い。その辺りは、長い付き合いの中で誠哉もわかっているようだ。

「……あ、これチョコじゃん。バレンタイン用?」

 彼は卓上のチョコレートに気付き、それを取り上げた。事実なので否定するわけにもいかず、加奈は曖昧にごまかした。

「うーん……まあ」

「今まで作ってなかったのに。男にでも作るんだ?」

 こんなときに限って妙に勘がいい。加奈は苦虫を噛み潰したい気持ちになった。

「友達に作ってってせがまれたの。友チョコってやつ」

 ……男にあげないとは言っていない。

 嘘を吐いたことがなんとなく後ろめたく、加奈は心の中で言い訳をした。彼女の返事に、誠哉は不満げな表情で

「なんだ、つまんねー」

「悪かったわね。――ああそうだ、今年は私からもチョコあげる。今まで寂しいバレンタインだったと思うから」

「――……」

 加奈の予想外の言葉に誠哉は絶句した。今までバレンタインはおろか、誕生日さえろくに祝われなかったというのに。皮肉混じりとはいえ、この変わり様は一体何なのだ。

 明日はそこの裏山が噴火するかもしれない。それとも、何か尋常でない毒でも食べたのか。そんな思考が顔に出たのか、加奈は複雑な表情を浮かべた。

「なによ、敬愛するお姉様からチョコレートが欲しかったんじゃないの?」

「姉ちゃんにチョコなんて、端から期待してなかったんだけど。……本当に彼氏でもできたとか?」

 恋をすれば人間変わるとはよく言ったものだ。彼の指摘もあながち間違いではない。加奈は笑って返事をした。

「さあね」


 学校では授業なんて上の空だった。チョコレートを溶かして混ぜて、型に入れて冷やす。頭の中でチョコレートを五百個ほど作った頃、ようやく下校時刻になった。

 鞄に荷物を入れていると教室のドアが開いた。向こう側に祐人の姿を認め、加奈は心の中で飛び上がる。

 また森田と帰るのかな。彼女がそう思っていると祐人は口を開いた。視線は森田とは見当違いの方向を向いている。

「おい美鈴、帰るぞ」

「うん。あ、待ってよ祐くん」

 美鈴は心持ち顔を赤らめると、祐人の後を走って出ていった。加奈はそれを唖然と眺める。

 彼女がいないって台詞は嘘だったの? お互い名前呼びでしたけど。

 そんなことを考えたのは加奈だけではなかったようだ。後ろの席にいた女の子たちが色めき立っている。

「えー、あの二人って付き合ってたの?」

「昨日、あの子から告白したんだって」

「だったら十四日に告白すればいいのに」

「東堂くんモテるから、抜け駆けしたんでしょ」

 加奈はのろのろと鞄を持ち、教室を出た。どうにもならない諦念の気持ちが彼女を打ちのめしていた。


 何を考えていたのかも覚えておらず、気が付いたら家に着いていた。ポストの上に留まっていた鳥が勢いよく飛び立つ。

 部屋に入った加奈は、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。机の上には十四日のための板チョコが積んである。

「……あーあ、つまんない」

 そう呟き、板チョコをパキンと折った。いびつな形になってしまったチョコを口に入れ、その口を尖らせる。

「フライングってルール違反でしょ」

 しかし、今更足掻いてもどうにもならないことはわかっていた。彼女にできることは、せいぜい心の中で二人を罵倒するぐらいだ。

 ぶつけどころの無い怒りを静めるために、銀紙を破りチョコレートにかじりつく。それはすぐに無くなってしまい、加奈は二枚目のチョコレートに手を伸ばした。

「これで太ったらあいつのせいなんだから」

 ぶつぶつと文句を言いながら加奈はチョコレートを口に入れる。甘党の祐人のために買ったミルクチョコレートは、胸やけがするほど甘い。そのことが無性に悲しくて、彼女は涙を堪えて目を瞑った。

 淡い恋心は胸の内に隠しておくことにする。いつか、チャンスが巡ってきたときに取り出すことができるように。

2011.02.13

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