白の間 2
キャッツアイ──それは強大な力を秘めたが故に地上から姿を消した二つの魔石。人間が持つには危険だと判断した神が一方を天上界”アイリス”に、一方を下界”リコリス”に封印した。天上界では人間のいうところの天使が、下界では悪魔が生活しており、それぞれの石は守り人によって宝玉として大事に保管されてきたが、遡ること2年程前、唐突に下界の宝玉が消失。それからというもの、悪魔と天使は互いに疑い合うようになり小さな争いは度々起こっていたが、此度の戦が2つの種族の確執を確固たるものにしてしまったという。
先ほどのレンの話を頭の中でまとめ終えたあやめは、ふぅ、と一息つくとレンに疑問を投げかける。
「で、なんで私がその宝玉を持ってんの?」
「え、いや、それはこっちの台詞なんだけど……」
あやめの発言でペースを乱されまくりのレンは、予想外の質問にまたも面食らい動揺する。レンとしては色々と問い質されると思っていたのだ。いきなり神だ魔石だと話しても信用するわけがない、と。だが彼女は平然と受け入れてきた。その旨をあやめに伝えると、彼女の返答は実にあっさりとしたものだった。
「受け入れるっていうかこれ以上話聞くの面倒だし、まぁそういうものなんだなと思って。この世界には私が知らないことなんて五万とあるんだから、それをあれこれ詮索して考えるのは面倒」
それでいいのか?と若干疑問に感じながらもなんとか納得し、考えを纏めるようにぶつぶつ呟き始めるレン。
「普通に考えると君の母親が盗んだっていうのが妥当なんだけど……。天上界にも下界にも生身の人間が行けるはずはないし……だとすると」
「ちょっと待った。私のお母さんはもう10年も前に死んでる。盗むなんて不可能だし、そもそもそんなことする人じゃない」
あやめは心外だ、とばかりに語気を強めてレンの意見に反論する。母親を盗人と思われたのが気に食わなかったのだろう。レンは申し訳なさそうな顔をしながらも否定の言葉を紡ぐ。
「その点は問題じゃないんだ。天上と地上じゃ時間の流れが違うからね。だからキャッツアイが無くなったのは、そうだな……地上では15年くらい前になるのかな」
「へぇ、じゃあ私がまだお腹の中にいた頃かな……って違うからね、お母さんはやってない。根拠はないけど!」
根拠はないと言っておきながらも胸を張って堂々と断言するあやめに対し、レンは脱力したように溜息をついて肩をすくめる。
「まぁそうだね。分からないことを考えても仕方がない。この問題は保留にしておくしかないか」
やっと一段落ついたところに今度はあやめが思い立ったように矢継ぎ早に疑問を口にする。
「そういえばここどこ? 私死んでないの? あの猫は? なんでレンがいるの? 結局私はなんでアイリスの夢を見たの?」
突然の大量の質問に暫く呆けていたレンは苦笑まじりに答える。
「今更な質問だね。まずここは選定の間。死者の魂の行き先を決める場所。まぁ輪廻の輪に行く者が大半だ。例外もいるけどそれはまた今度機会があったら話すよ」
先ほどの一件であやめに長々と説明しても無駄だと悟ったレンは、要点だけを的確に答えていく。
「そして君は死んだ。正確にいうと君の肉体がね。今は魂だけの状態ってこと。あの猫は君のおかげで助かったよ。だからこうしてお礼を言いに来た。俺がここにいるのはそのためだ。そしてアイリスの夢を見たのは多分キャッツアイの影響。対となる宝石同士が呼応した結果じゃないかと思う」
一気に答え切ったレンはぽかん、としているあやめを不思議そうに眺める。やっとのことで放心状態から立ち直ったあやめは拍子抜けしたように問いかける。
「え、飼い猫のためにこんな所までお礼言いに来たの?」
今度はレンの方が戸惑う番だった。
(自分が死んだってことは分かってるんだよな……? スルー? スルーなのか?)
とりあえず困ったように笑いながら説明を付け足す。
「いや、そうじゃなくて。あの猫は俺、です」
「…………はぁ? レンが猫? ってことは猫がレン?」
理解不能、といった表情のまま独り言のように呟くあやめ。レンはしっかりとその言葉を聞きとったようでちゃんと返答はするものの、その表情はどこか先ほどよりも憂いを帯びている。
「そういうこと。本当に感謝してる、それに――――」
彼は一度そこで躊躇うように口を噤んだが、次の瞬間思い切り頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
「ごめん……」
「…………うん?」
(もしかしてまた面倒事な感じ? 勘弁してよ、ほんと)
そんなあやめの心の声は誰に届くでもなく、ただただ真っ白な空間へと溶け込んでいった。