白の間
「うぅ……ん?」
白、白、白────。目を覚ましたあやめの視界に飛び込んで来たのは、どこまでも続く白。見渡す限り白の空間。
(え? 何ここ? 私生きてんの? え? それとも天国的な? 死後の世界的な何か?)
完全に意識を取り戻した彼女の頭は疑問符で埋め尽くされる。それもそのはず。彼女は確かに車に撥ねられ、死んだ。だが、今こうして思考を巡らせ、身体を動かすことが可能になっている。傷もなければ痛みもない。いつもどおりなのだ。そしてそんな彼女を取り巻くのは異質な空間。
不意に、戸惑うあやめの耳に澄んだ声が届く。
「目が覚めたみたいだね」
「っ!?」
自分の他にも人がいたことに驚きつつ、声のした方へ目を向ける。そこには────
「……レン?」
今朝の夢に出てきた青年の姿があった。裾の長い黒い上衣と、白いパンツに身を包んだ、どこか漢服を思わせるような出で立ちの青年。普通、日本ではあまり見ないようなその服装に目を奪われるものだが、あやめの目は別の場所へ釘づけになった。黒い髪、黒い瞳。
(懐かしい……気がする)
あやめにはこの白い空間に映えるその黒色が、何故だかとても懐かしく、愛おしく感じられたのだ。
(楓兄と同じ色だから……?)
疑問は残るが思い出せないものは仕方が無い。おそらくそうだろうと自己完結させて疑問を打ち消す。するとあやめと同様にその青年も驚きの表情を浮かべていた。
「……へ? なんで、俺の名前……?」
お互いに疑問符を飛ばしあう。そこで戸惑いがちにあやめが口を開き、レンの問いに答える。
「えっと、夢に出てきたから……?」
「ゆ、夢??」
しかしアバウトすぎる説明のおかげで、彼の疑問符は増加するばかり。その様子に気づいたあやめは説明を付け足した。
「そう、夢。皆争って、傷ついて、泣いてた。そこであなたを見た。あなたも泣いてた。ディオーネって人も、皆みんな悲しんでいた」
思い出すように、ゆっくりゆっくり言葉を紡ぐ。一瞬レンの顔が強張り苦しげな表情に変わるも、すぐにもとの表情に戻ると、眉を顰めて不審そうに問いかけた。
「何故そんな夢を見た? アイリスを知っているのか?」
「さぁ? アイリスなんて初めて夢に出てきたな。天国って本当にあったんだね」
この空間に慣れてきたのか、あやめは幾分落ち着いた様子でレンの問いに答える。だがこの時点でまだ一つも謎は解決していない。寧ろ深まっていくばかりである。そんなとき、レンが驚いたように声を上げた。
「キャッツアイ!?」
「……はぁ?」
あやめの気の抜けた声。だがレンは構わず続ける。その口調には若干の怒りも感じられたが、それよりも純粋な驚きの方が勝っているようだ。
「何故人間がそれを持っている!?」
彼が指差す先にはひとつのネックレス。蜂蜜色の小さな宝石が付いたシンプルなものだ。
「これはお母さんの形見だけど……え、何?」
レンの気迫に若干引きながらも正直に答える。突然の大声にあやめがびくびくと次の言葉を待っていると、暫くして幾分落ち着きを取り戻したレンもどこからか一つの宝石を取り出し、目を閉じると静かに語り始めた。
その話はあまりにも壮大で、全てを聞き終えたあやめは溜息を零すと他人事のように呟いた。
「……めんどくさ」