終わりは突然に
通勤、通学時間を過ぎ、すっかり人通りの少なくなった歩道。整然と並んだ桜の木がうっすらとピンクに色づき、春の訪れを感じさせる中、彼女──山吹あやめは、入試会場に向け悠然と、といえば聞こえはいいが、つまるところダラダラと歩いていた。
ただでさえ重かった彼女の足取りが、交差点を前にしてピタリと止まる。
(高校どっちだっけ? 右? 左? それとも直進?)
辺りを見回してみたり、歩きまわってみたりと、暫く挙動不審に動き回る彼女だったが、こんな時間帯では誰も歩いていないし、標識も見当たらない。いよいよどうしようかと悩み始めたあやめは、不意に視界の隅を何かが横切ったのを感じ、視線を動かした。そして次の瞬間、目を輝かせると一目散に左の道を選んで走りだした。
迷いの無い足取りだったが、彼女はなにも会場への道順の手掛かりを見つけたわけでは無い。何せあやめの本来の目的地は逆方向なのだから。彼女が見つけたのは、猫だ。山吹あやめという人物は近所にも名が知れる無類の動物好き。犬が通れば撫でまわし、猫を見れば追いかけるのが彼女にとっての常識なのだ。
持ち前の運動神経で、彼女はすぐにその猫に追いつき捕まえると自身の顔の高さまで持ち上げた。
「おぉ、田村さんちの子じゃん」
そのまま猫と戯れ始めたあやめの目には最早猫しか映っていない。数分後にようやく自分の本来の目的を思い出したが、完全に遅刻。後の祭りだ。
(まぁどうせ滑り止めの高校だし、多少遅れてもいいか。最悪本命の学校落ちても楓兄の手伝いすればいいし)
どこまでも図太い神経である。だが確かに両親のいない今、花屋は高校を卒業した兄楓人が切り盛りしているため、いざとなれば雇ってはくれるだろう。それで生活の足しになるほど稼げるかどうかは怪しいところだが。
更に数分後、名残惜しそうだがようやく猫と別れ、高校へと向かおうとする。が、如何せん道が分からない。そのため一瞬迷う素振りを見せるも、いつか着くだろうという楽観的思考のもと、そのまま直進を決め込んだ。
暫く気の向くままに歩を進めていくと道が開け車道に出た。この町は少々田舎の部類に入るため、それほど大きな車道ではないが、それに対し交通量は少なくない。カーブで車が見えにくいのもあり、最近は交通事故も多発しているという。
(そういえば小さい頃は道路を渡る度にお母さんに注意されてたっけ……。交通ルール無視しまくってたからなぁ)
信号待ちをしながらぼんやりと幼き日に想いを馳せていたあやめは、またもや自分の視界を横切る存在に目を見張った。黒色が道路へ躍り出る。
「え、ちょっ、猫!?」
あやめは黒猫の姿を認識すると同時に、車が行き交う中へと飛び出していった。必死に手を伸ばす。慌てて前に出した自分の足に躓きながらも、やっとのことで猫の傷だらけの身体を抱き上げた。
(よし、このまますぐ歩道に……っ!?)
刹那、鈍い音と共に彼女の身体が宙を舞う。一瞬の静寂の後、現場は騒然とし始める。短い叫び声、救急車を呼ぶ声、必死に呼びかける声、声、声────
その場は一気に様々な音で溢れ返った。そしてその空間から隔絶したように静かに横たわる少女がひとり。
(うるさい、何をそんなに騒いでんの?…………あぁ、撥ねられたのか。駄目だなぁ、私。交通ルールもろくに守れないとか、昔からなんにも変わって無い。楓兄ごめんね。私まで楓兄を置いて行くなんて。ごめんなさい……)
周りの喧騒はもう彼女には届かない。薄れゆく意識の中、あやめは腕の中に確かな温もりを感じた。