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フォーマルハウト  作者: 乃良利久良利
第一章  
1/13

出発のとき

 ――――緑溢れる、美しき安らぎの場所、”アイリス”

 それは、人々が天国と呼び、安息の地として信じ、崇めてきた場所

 しかし平穏は脆く、儚く崩れ去る――――



「ディオーネ様、お逃げ下さい!!」


 悲鳴、雄叫び、破壊音、様々な音が満ちる中、一人の青年が声を張り上げる。

 かつての緑は消え失せ、赤に染まった天空の楽園。空が曇り、泉が荒れ、草木が枯れ果てたそこでは天使と悪魔の凄絶な戦いが繰り広げられていた。ある者は剣を手に取り、ある者は魔法を行使し、争う。倒れゆく人々。枯れゆく草花。消えゆく、命。ディオーネと呼ばれた女性は切なげに顔を歪めると、静かに、だがはっきりと告げた。


「私はこの地を統べる者。民と共に戦うのもまた、主の務めです」


「っ……嫌だ……お願いだから……生きて……」


 雑踏の中、絞り出すように悲痛の声を上げる青年。反してディオーネはこの戦場にひどく不釣り合いで、それでいて至極美しい幸せそうな笑みを浮かべる。

 

「ありがとう、レン。でもごめんなさい。これは私の我が儘。この国を、民を見捨てたくはない」


 ディオーネは母親が幼子を宥める様な慈愛に満ちた優しい口調で続ける。

 

「大丈夫、私は死なない。誰も、死なせない。護り抜いて見せるわ。レン、あなたにはあなたの護るべきものがあるでしょう。これを安全な所へ……」


 ディオーネは小さな石を差し出した。蜂蜜色の小さな石。レンの、護るべきもの。


「これは命令よ。行きなさい」


 静かに言い放つ。その顔に先ほどのような笑みはない。凛とした主の顔。だがレンは動こうとしない。音が近づいてくる。


「行きなさい!!」


 強く、確かに言い放つ。彼の頬を一筋の雫が伝う。レンは駆けた。小さな石を手に、ボロボロの身体を引きずって。振り返った彼の目に映るは戦場へと駆けていく主の姿と、風に靡く美しい紫の髪。


──────────────────────────────────────―――――


「っていう夢をみたんだけど、(ふう)兄どう思う?」


「バカだと思う」


 時は平成、日本のとある花屋。二人の男女が朝食を摂りながら話している。黒髪、黒目のいかにも日本人といった風貌の青年に対し、少女の方は茶髪にブラウンの瞳である。一見あまり兄妹には見えないが、整った顔立ちに浮かぶ眠そうな表情、気だるげな動作を見ればなるほど血の繋がりがあるようにも見える。


「バカって言った方がバカなんだよ、馬鹿兄貴。でも妙にリアルな夢だったんだよね………あ、ちょっと醤油取って」


 二人は話しながらもしっかりと食べ進める。ちなみに今日の朝食は卵かけご飯。この兄妹、二人して朝に弱いため、朝食を作る時間も気力もなかったのだ。

 

「たかが夢だろ。気にすんなってめんどくさい」


 楓兄こと楓人(ふうと)はうんざりといった表情で返答する。正直妹の夢の話など、心底興味が無いのだから仕方がない。だが冷たくあしらわれた妹の方は不満げな、釈然としない表情。

 

「ふーー、ほうはへほふぁー」


「ちゃんと飲み込んでから喋りなさい。もしくは黙れ」


 兄の注意を受け、暫くご飯を飲み込むことに専念する少女。そのため沈黙がその場を支配しようとするが、程なくして楓人が何気なくカレンダーと時計に目をやり、不思議そうな表情で問いかける。


「あれ? あやめ、お前今日高校入試だろ? 時間大丈夫なわけ?」


「ん? ……あ」


 あやめは暫くきょとんとしていたが、忘れていたとばかりに声を上げた。そして呆れきっている兄を尻目に残り時間を計算してみる。入試開始まであと五分。入試会場まで徒歩一〇分。どうやら急いでも遅刻は免れないようだ。だが、あやめはかなりの楽観主義者。得意の楽天的思考を発揮する。


「まぁ、急げば間に合うかもしれないよね」


 言葉とは裏腹に彼女の動作に急いでいる様子は無い。なるようになるというのが彼女の信条だ。鞄に筆記用具やら腕時計やらを適当に押し込み、最後に母の形見のネックレスを付けて、ようやく準備を終えると楓人に一言声を掛ける。


「行ってきまーす」

「おう、行ってらっしゃい」


 これが、兄と交わす最後の会話になるとも知らずに。


 必然と偶然、それらが相対するとき勝るのはどちらなのか。

 運命の歯車は今、静かに狂い始める──

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