表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Cinquième mission 「夕映えの誓い」
65/69

第五章 ハートフル・ランチタイム(3)

第五章 ハートフル・ランチタイム(3)


        1


「んんー! ありがとね、助かっちゃったよ佐良土お兄ちゃん! 尻堀町お兄ちゃんもね!」

 快晴天下。青空の下で、いっぱいに背伸びをし一人の女教師が花咲く笑みを浮かべていた。

 教師の名前は花屋敷はんなり。芳城ヶ彩の教職員の一人である。生徒らからは親しみを込めて下の名前ではんなり先生と呼ばれている。女性としては平均より少し高い身長に、バランスの取れたプロポーションをもち、つややかな黒髪に薄い水色の瞳と、おしゃれなフレームの眼鏡をかけている。それだけみれば大和撫子を連想するような容姿なだけに、言動がアクセントかかりすぎだとの生徒の評価が下されている教師――それが、花屋敷だ。

「…………ま。いつもの事だ」

「たははー、それ言われちゃうと先生二の句もないやー。いやほんと、佐良土お兄ちゃんには手伝ってもらいまくりだもんねー」

「…………仕方ないさ。先生は非力だからな」

「もちょっとオブラートに言ってほしいよ佐良土お兄ちゃん……。先生これでも筋トレ頑張ってたりもするんだぜ?」

「…………腕立て最高記録」

「……………………三回」

「…………雑魚め」

「ざ、雑魚はないかな!? 先生だぞー? 教職なんだぜ? もちっと尊崇ってのをだねー」

「…………急がないと次の授業間に合わなくなるぞ先生」

「ふごぁっ! た、確かに時間詰まってる!」

 あわわ、と慌てる花屋敷を微笑ましい気持ちで影郎は見つめていた。

 抱く雰囲気は優しくやわらかたおやかだが、いざ言動を始めれば空回り。女性にしても小柄な体躯から、どこか一生懸命さのようなものを滲ませる。それが花屋敷先生の印象だ。

「や、やべぇぜってやつだね! 佐良土お兄ちゃん、どうしよ!」

「…………俺は生徒ですので、教師のタイムスケジュールは如何ともし難いですな」

「ガビーン!」

 リアルにガビーンなど口にする人初めて見た影郎たちである。

「相変わらず花屋敷先生は変わってるよな」

 そんな影郎の隣でなにやらどうでもいい些末事は声を発した。

「俺、未だに慣れてないよ、お兄ちゃん呼び」

「…………精進が足りんな」

「精進って問題なのか? 佐良土君は……もう慣れたんだね。慣れちゃったんだね。慣れてしまったんだね」

「…………なぜ三度言った」

 意味はわかるが、と内心口にはするが。

 どうでもいい些末事改め――野分の言う事は佐良土もわかっている。彼が言っているのは要するに、男子生徒をお兄ちゃん呼びしている、という事だ。

 これに対しては当初大きく話題になった。

 なにせ年上女教師が男子生徒をお兄ちゃん呼びである。困惑しないわけがない。だからこそ生徒の一人はこう返した。

『せ、先生。その、お兄ちゃんって違和感あるんで、出来たら普通に……』

 それに対する花屋敷の返答がこうだった。

『……どうして? どうしてですか? ねぇねぇねぇ? どうしてお兄ちゃんって呼ぶことがいけないのかな? お兄ちゃんはお兄ちゃんなのに。可笑しいこと言うんですね。お兄ちゃんってば、また私の事からかって。しょーのないお兄ちゃんですね。ね? ね? ね? お兄ちゃんが私にお兄ちゃんって呼ばせてくれなくなることなんてあるわけないんですから、お兄ちゃんは本当にわけのわからない事を言って困らせるんですから。ふふふ。ふふふふふふふ』

 あ、ヤベェ。これ地雷だ。

 生徒皆、瞬時にそれを悟ったという。理由は不明だが、お兄ちゃんと呼ばせないと何が起きるかわからない。そこからの危機回避は凄まじかったと言えよう。

 すなわち、たくさんのお兄ちゃんの誕生だ!

 思い返しても意味がわからない。

 だが、とにもかくにも結論は下された。触らぬ何かに何もなしと言うように。男子たちはお兄ちゃん呼びを甘受したのである。幸いにも、お兄ちゃん呼びで陥落した生徒も数名いたため、今となっては花屋敷先生のチャームポイントみたいな括りで終わっている程だ。

「…………環境適応能力は馬鹿に出来ないな」

 今では大抵の生徒がお兄ちゃん呼びに対応している始末。

 とはいえ、お兄ちゃんと呼ばれたからどうという事もなく、単に呼称されるだけで何かが起きるという事もなし。その為、単に生徒がお兄ちゃん付で呼ばれている程度である。

 その点以外で言えば生徒にとって身近な教師として人気のある教師と言えるだろう。

 そんな花屋敷先生は「んしょ」と、一つ掛け声をして、静かに歩き出す。

「それじゃあまたね、佐良土お兄ちゃん、尻堀町お兄ちゃん。二人も授業に遅刻しちゃダメよ?」

 にこやかな笑みを深めると、花屋敷先生は静かにその場を去っていった。

 そんな背中を「…………ああ、また何時でも言ってください」と何処か優しい表情で見送る影郎に対して野分は幾何かの羨ましさを募らせてしまう。

「……なんていうか、佐良土君は花屋敷先生に甘いよな」

「…………そうか?」

「そうだろ。顔が優しいんだよなあ」

「…………馬鹿言うな。いいからさっさと俺らもシラヅキ戻るぞ」

 不服そうな野分の顔を気持ち悪そうに引きつつ、影郎は反論し、歩みを進めだす。

 しかし、とてもそうは思えない。あの顔は絶対に親愛が含まれている顔だ、と野分は感じ取る。直感的にわかるのだ。

(もしかして、影郎君もハンナリストなのかなぁ)

 ハンナリスト。花屋敷はんなりという女教師にハートを撃ち抜かれた一部の男子生徒の事である。なんでもお兄ちゃん呼びがたまらない、とのことらしい。

 ならばもしやお兄ちゃん呼びに弱い? 野分はもしかして、と声に出す。

「佐良土おにぶべっ」

 割とシャレにならない威力の拳が顔面に突き刺さった。

「ばなぁ……ざらどぎゅ、こべ、ばなおべたかぼ」

 だばだば、と溢れ落ちる鼻血を抑えながら野分は被害を訴えるが、

「…………二度とそれで俺を呼ぼうとしてみろ。今度は殺す」

「ばい」

 たぶん出会ってから一度も感じた事のない本気の憎悪に野分は口を閉ざす。

 残念ながら自分が言うと死体が一つ出来上がるだけ、と実感して金輪際野分が佐良土をそう呼称する事は無くなる。もう言うまい、そう誓いながら鼻にティッシュを詰める野分である。

「はー、後で保健室行かなきゃ」

「…………ああ、そうしろ」

「佐良土君、付き添ってくれない?」

「…………保健室くらい一人でいけ」

「へーい」

 どうやら付き添いは無しのようだ。野分自身適当に零した発言故にさして食い下がらず言葉をひっこめた。そうして、先を歩く影郎の腰つきやら尻のライン、筋肉の良さに荒い息を吐きながらついていくと、急に影郎が足を止めた。

 当然、野分は止まり切れず、軽く影郎の肩にぶつかってしまう。

「あたっ。どうしたんだよ、佐良土君急に立ち止まって――」

「…………静かに」

「へ?」

 ぽかんとする野分――だったが、影郎の声に含まれる怜悧な声色を認識し、思わず口を噤み、影郎の注視する物陰の先へと視線を向けていた。

 すると、向けた視線の先――そこには既視感のある光景が広がっていた。

「……あれって、こないだの」

「…………」

 平坦かつ無言な様子の影郎に比べ、野分は――言ってはなんだが、辟易とした感情と、見過ごせないという道徳的な感情の二つを織り交ぜていた。平たく言えば関わり合いは避けたい――が、それは人としてどうなのか、とも考えながら、二人はその様子を注視する。

「あ、あんたら……い、今更なんだってのよ……ッ」

 道路のそば、壁際で三人の少女が一人の少女を囲っている。

 少し擦れた様な特徴的な声には聞き覚えがある。なにより、少女の容姿に見覚えもあった。うねった黒髪に陰鬱そうな雰囲気。周囲全てを敵のように睨んでいる女の子――間違いなく、それはこの間の女生徒であった。

「べつに~、たまたま見かけたから声かけてやっただけっしょ」

「そうそう。感謝しときなよ、地味子。あんたみたいなのを構ってあげてんだから、さ」

「だよねだよね。モブ子に話しかけてあげてる私ら女神かっての」

 キャハハ、と少女三人の高い嘲笑が木霊する。

 これはまた意地悪そうな空気だ、と野分は思わずそう感じてしまう。だが、おそらくはその通りに前に出会ったあの少女は絡まれているのだろう。それも、前の時のグループとは別のグループに。

「わ、私は、あんたらなんか、に、こ、声なんて……!」

「あんたら?」

「ひっ」

「地味子―、あんたらとかさー……何時からそんな生意気な口きくようになっちゃったわけ? そーこーはー……貴方様方とか、う・や・ま・え・よ」

「そーだよねそーだよね。ってかさ、あたしらと離れて寂しくしてないかなーって思ったから声かけてやってんのに、なにその態度? モブ子のくせして」

 高圧的にそう語りかけられた少女は呻きのような声を発しながら頭を抱え、身を縮めだす。

 見ていて気のよい光景ではなかった。

「もしかして夕凪さんに目をかけられたからって調子乗っちゃったわけ? ばっかじゃね? あの夕凪さんがあんたみたいな底辺女子相手になんかさ――」

 ぐちぐちと紡がれる雑言の数々。

 心苦しい、と思わずにはいられない。

「……佐良土君。どうする?」

 だが、正直、野分はあの少女にいい印象を抱いていない。

 助けた相手に対してのあの狼藉を許せる気はしなかった。――自分は。だが、言われた張本人である影郎がどう動くのか。それ次第だろう。

 かくして影郎は、

「…………面倒くさいな」

「じゃ、じゃあ見なかった事に――」

「――しない。後で気分悪くなるだろ」

「なら仲裁入るの?」

「…………ないな。ああいう奴らだと口論になりそうで、面倒くさい」

「じゃあどうするんだよ!?」

「…………なんてことない。手はいくらでもある」

「佐良土君? けどどうやって――」

 そう零すと影郎はまず普通の音量で、しかしはっきり聞き取れる確かな声を発す。

「…………それで椋梨先生。この荷物は大図書館まで運べばいいんですよね?」

 次いで、喉を軽く突いて――、

「『ああ、そうだ。よろしく頼むぞ佐良土。しかし悪いな、委員長でもないのに手伝わせちまって。ま、ジュースでも奢るから勘弁な』」

「――」

 おおっ、と野分が口の中で感嘆を漏らした。

 それは確か聞き覚えある声で、影郎の担任教師の声であったはずだ。それを本人としか思えぬ声真似を披露した影郎に驚きを覚える野分である。影郎はその後も駄弁るような会話をつらつらと語りだしていくではないか。

 そうしてその影響は即座に現れた。

 女生徒の一人が「ゲッ」と面倒そうに顔をしかめる。

「やっば、先公じゃん。それも椋梨先生だし」

「見られるとやばくね? いこいこ」

「しゃーねぇな」

 忌々し気に女生徒たちは、しかして焦りを滲ませ撤退を開始する。去り際に「いい? 先生にも、あの人らにもチクったら容赦しねーから」と何か釘を刺したのだろう――そう言い残して三人は少女を残して去っていった。

 それを見終わって、野分は拳を握りしめる。

「やったすげぇよ佐良土君! 声真似効き過ぎ!」

「…………何よりだ」

「けどなんで椋梨先生? 花屋敷先生の声真似は流石に無理だったとか?」

「…………出来なくもないが、椋梨先生の方が効果的だ」

「なんでさ?」

「…………椋梨先生はな。女子人気が高いんだよ。だから、女生徒は結構狙ってたりする。イケメンだし楽しい先生だからな。評価を下げたくない心理というやつだ。それと花屋敷先生にしなかった理由は――あのひと、頼りないからなぁ……」

「あ、ああー……」

 失礼と思いつつ野分は納得してしまった。

 確かにむしろ丸め込まれそうな気すらする。仮に花屋敷先生がいると匂わせても効力があるかと問われれば怪しいかもしれない。

「…………ま、今はそれよかアイツだな」

 そう言うと、影郎は壁際から姿を見せる。

 そんな影郎に野分も続いた。すると少女はハッと気づいた様子で――唐突に顔を伏せたのである。その様子に怖かったのだろう、と野分は憐憫を抱いた。

「もう大丈夫だよ」

 野分は、なるだけ優しい声を発しながら少女の前で躍り出る。すると、女生徒は静かに顔を上げて――ギロ、と睨み付ける様な無遠慮な眼差しを発していた。

(うわぁお……)

 平たく言えば怒気の眼差しというやつだ。

 これは余計な事をしやがって。頼んでないのに。そんな目つきだ。

 なんとなく、もしかすると、とわかってはいたが、やはりこの反応か、と野分は少しげんなりする。影郎は性格上、感謝を望んでとかはないだろうが、だからといって忌々し気な視線を向けられて心地いいわけもない。

 こうした事から個人的に野分は、この少女にいい印象を抱けない。

(なんで構うかなあ、影郎君も)

 ふぅ、と内心で溜息づく。こんな刺々しい態度しかみせない相手なんて野分だったら絶対に助けたりしない。そこで助けの手を伸ばすあたりを影郎に対して尊敬を抱くが、同時になぜと疑問を呈さないわけでもないのだ。

 と、そんな風に考えていると、眼前の少女が苛立ち交じりの声を発した。

「なんで助けたのよ」

「…………前と同じ。目についた。それだけだ」

「なによそれ。いい人ぶりたいわけ? 自分たちいいやつーって感慨に浸りたいわけ? 偽善じゃん、気持ち悪いッ」

 吐き捨てる様にそう断じる少女。

 物言いの失礼さに野分は前回の如く、こめかみを引きつらせる。

「あのさお前ね。いくらなんでもその罵詈雑言は失礼じゃないか?」

「ふん、知らないわよ……いい人ぶりたい奴に感謝の言葉なんてありませーん」

 相当捻じれている。感謝はともかくとして、どういう形であれ、助けてもらってこの態度はあんまりだろう、と野分は内心憤慨してしまう。

 ちらり、と影郎を見やり、もう関わるのやめたら? と、アイコンタクトを図るが、佐良土はアイコンタクトに応じる気配はなく「……お人よしなのはいいとこだけどさ」と野分はため息交じりに納得し、影郎のアイコンタクトを野分としたくないという意思は読み取られなかったらしい。

「…………一応釈明しておくが、いい人ぶりたいわけではない。ああいう場面をみて後で後悔したくないだけ――前と同じなだけだ」

「前と同じなだけ?」

 はっ、と嘲るような嘲笑が少女の口元から浮かんだ。

 そうして次の瞬間には表情を歪ませ、おおよそ人に見せられないような醜悪さを滲ませながら今までの声よりも甲高く、ヒステリックな怒号を放つ。

「そういってその実、笑ってたんでしょ? 嘲笑ってたんだよねぇ? ――何も出来ないでぐじぐじぐじぐじしてる私を醜い醜いブスだブスだと笑ってたんだろうがっ? ああ!?」

 あまりの形相に思わず野分は鼻白む。

 少女がどう追いつめられているのかは知らない。だが、善意で助けた相手にすらも噛みつく見境なしの狂乱ぶりを見てはどういった言葉をかければいいのか、まるでわからない。そう感じるほど、少女の表情は鬼気迫っている様であった。

 しかし。

 そんな少女相手に佐良土影郎は臆面なく――本当に、臆した気配なく、ただ冷淡に言葉を返した。

「…………笑っていない。そこは反論しておこうか」

「はん、嘘ね。そんな事いって私にかかわる度に私が無様だなーって楽しんでる。楽しみたいそんだけだろ偽善者。そうこう言って――」

「…………お前がどんな被害妄想に駆られようと勝手だが――」

「あ?」

 忌々しそうに口角を下げた少女に対して影郎は告ぐ。

「…………俺を身勝手に、どうでもいい些末事にかかわって楽しむ酔狂ものに思われるのは、心外だ」

「――」

 それは、影郎の本音にして、少女に対しては酷な真実であった。

 影郎は告げている。

 どうでもいい事に関わって笑いの種にする性分ではない、と。少女のいじめ問題など、笑いの種以前に関心がないのだと断じている。

 元より、その通り。

 影郎は後腐れのある気持ちになりたくない。自分本位で行動した。少女がなんであれ困ってそうだから関わった、それだけである。

 故に野分が思うように、そこに善意はなく、また悪意もない。

 だから罵倒されていようと影郎は行為を非難されど、淡々としたままなのだ。ただ唯一、助けた行為から人格を貶される事に不満を抱いた程度のこと――ただ、それだけである。

 少女は思わず言葉に詰まった。

 どうでもいい。そう言われてしまった。

「……なによそれ。感謝なんか必要なしってことかよ」

「…………はなから言ってる」

「……なんなのよアンタさぁ、むかつくイラつく」

 がりがり、と頭皮を掻き毟り少女は言い知れぬ不快さを滲ませた。

 何なのだろうか、なにに苛立つ癪に障る。少女は理由がわからない。眼前の少年は助けても礼などいらぬと物申す。対する己は感謝してほしい偽善者に感謝などしないと言っている。

 ならばいいではないか。それでいいではないか。

 何も起きぬ。何一つ起こらぬ。そおういう話で終いのはずだ。

 なのに、何かが癇に障る――そこで、ああそうか、と理由を悟った。

「…………どうかしたか?」

「……たの……り方が……うざい」

「…………?」

 影郎は途切れ途切れの発言に少し眉を顰める。生憎と唇の動きも、わずかな声も拾えなかった。どうやら心の中で反芻したような口から出ていない声のようだ。――が、特に気にする理由もないと興味を失せる。

 そんな風に結論づけると、ほぼ同時に目の前の少女がくるりと背を向けた。

「じゃあね。そういう理由なら今度は見かけても通り過ぎていいから。つか絶対に関わり合いになるんじゃないし。今度なんか言ってくるなら容赦しないから」

 明確な拒絶。あまりのも鉄壁の拒否の姿勢に野分は思わず鼻白む。

 助けてもらっただろうに何て言い草――とすら思えない。ここまで人を毛嫌いする姿勢を見せられては、むしろ罪悪感すら湧いてくる程だ。

 そうして、少女は速足に去ってゆく。そうして彼女の背中が見えなくなった頃合いになり、傍の影郎へ言葉を発した。

「……さて、それで佐良土君はどうするんだ? 結局、放っておくのかい?」

 もしかして関わるのだろうか、という問いかけに影郎はふるふると首を振って返す。否定ではなく、諦めが感じられる動作だった。

「…………当然だ。関わるなと二度も念押しされた相手に関わるほどにお人よしじゃない」

「とか言って関わり合いになりそうなんだよなあ」

「…………ワッキーなら全力で関わらないんだがな」

「それはダメだよ!」

「…………初めに言っておいただろう。目についたから関わった。目のつかない時は関わる気もおきない。それが俺だ」

「佐良土君……俺の発言、スルーしてるよね?」

「…………わかりやすく言おうか? 俺はあいつの現状を最終的にどうにかしてやろうなんざ微塵も思っていないという事だ」

「それって……」

 つまり、影郎はこう言っている。

 解決に尽力する気は微塵もないのだと。

 いじめの現場を助けた。目についたから。――そのあとは知らない。その場限り関わって、その後どうなろうが、自分のあずかり知らぬところでは、どうとする気もないという事だったのである。

「…………せめて、もう少し感謝の念でもあれば、違っただろうけどな」

 さしもの影郎もそこから先は関与したくない。

 礼を欲するわけではない、と重ねて言おう。だが、礼も失する相手に対して良好な印象を抱けるわけもない。助けるか、と思えども――助けたい、とは思えない。

 人でなし、と誰かに言われようがそれが、かの少女に対する影郎の審判だった。

「…………流石に助けるたびに不満な態度を取られてはな」

「……けど、また場面に遭遇したら助けに入るんだろ佐良土君は?」

「…………」

 答えは返ってこない。

 しかし影郎はきっと、また見かける場面があれば助けに入るのだろう。

 だが、それだけ。

 だから彼女の現状をどうこうなどと微塵も思わない。最悪なパターンとして、いじめを苦に自殺しようとも、いじめっ子たちへ反撃しようとも、和解しようとも、どんな結果が生まれようが、あずかり知らぬ事でしかない。

 必要以上に関わり合いになる気など毛頭ないのだから――、

「…………さ、戻るぞワッキー。授業に遅れたらいかんからな」

 佐良土影郎は普段通り、平静で歩みを進める。

 願わくば金輪際、物部の言う通りに関わり合いにならない未来を望みながら。

 そう――関わり合いにならざるえない未来さえ来なければ。


        2


 件の少女は走っていた。

 モブ子、地味子と蔑まれ、男子たちの偽善行為に反吐を吐きながら。

 手を握りしめ、歯を食いしばり、目じりを吊り上げ、憎悪のままに。

 周囲に誰もいないにも関わらず、脳内に幾度となく木霊する罵倒と嘲笑。それらを「うるさい! うるさい!」と弾き飛ばしながら、一心不乱に駆け走る。それが逃げなのか、はたまた怒り故の暴走なのか。本人さえもわかりえない。

「あぐっ」

 やがて、千美子は何もないところで足を絡ませ、地べたに転んだ。

 なんのことはない。運動能力なぞさしてあるわけもない少女からしてみれば、当たり前の用に運動音痴で転んだだけ。その自覚が殊更怒りを滲ませ、少女の口は怨嗟を吐いた。

「ちき、しょう」

 言葉と共に手に力が込められた。生い茂る雑草が『あの、痛、痛いんで放して……ぷぎゃーっ』とばかりに地面から引っこ抜かれて乱雑に放り捨てられる。

「ちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょうッ!」

 息も荒く、目を血走らせ、憎悪に塗れた形相で。

「誰も彼も。どいつもこいつも。私の事馬鹿にしてんだ、笑ってんだ、ふざけんな」

 顔だちが悪い。声が薄汚い。性格が根暗。体型も骨と皮のがりがり体型。皆に散々言われた通り自覚はしている、悪かったなブスで、と少女は憤怒に染まりゆく。

 どろどろと。

 くぐもり、掠れ、ひび割れた声で瞋恚する。

 そこにあるのは負の感情に他ならない。

 自分を貶める輩に対する激憤だ。

「ふざけんじゃねぇ、クソがぁあああああああああああああああああああああああ!!!!」

 轟く様に罵声を放つ。

 思いの猛りをそのままに、囲まれた木々の真ん中で絶叫した。

 どうしてこうも貶められる。なぜここまで虐げられる。変わると思った刹那すらも自分を裏切り陵辱しようというのだろうか。許せない、許さない、許せるか。誰も彼も敵であり、誰も彼も味方はいない。それが己が世界なのだと妄執する。

 故、少女の激憤、憎悪は日々の如く垂れ流されてゆく。

 誰にも聞かれる事無く、陰鬱に。

 いつもの通りに、何が変わるわけでもなく汚泥のような嘆きを内に溜め込み続けるだけの時間を刻々と過ごしゆくだけなのだ。

 しかして、その日少女にとって幸いしたのか災いしたのか。

 その罵声を聞き届ける人影が一つあった。

 少女に気取られぬ事無く、幽鬼の様に佇む何者かが一人。

 幸いしたのか、災いしたのか。

 憤怒に猛る少女の声を、聞き届ける。その人影は口角をさも愉快、と言わんばかりに吊り上げていた――。


        3


 芳城ヶ彩を囲む形で存在する六校のうちの一つ。一般的な普通の高校。芳城ヶ彩という超規模の富豪が集う高校と比べれば、どこにでもあるような凡庸な高校――それが西洋高校という場所である。その校内の教室の一角。二年生のクラスのうちの一つにて、一人の男子生徒が、四時限目終了に伴い、窓辺からのぞく青空を見ながら穏やかな空気と一緒に口を開いた。

「平和って素晴らしいよな。そう思わないかクサカ?」

「え。どしたのれんきゅー君。悟り開いた?」

 隣にいる中性的な容姿をした男子生徒、茶畑(ちゃばた)草刈(くさか)が、心配そうな目で見ている。失礼極まりない視線だとばかりに彼――休屋(やすみや)(れん)は訂正を柔和に挟む。

「違うぜ、クサカ。悟るとか悟らないとかじゃない。平和は素晴らしいんだ。悟る必要すらない当然の事実なんだ……」

「なんかの宗教加入したりしてる?」

「いや、危ない奴になってねぇから。普通に平和っていいよなって感じてるだけだ!」

「でも急にそんな発言出たら普通、どうしたの君ってなるよ? ホントどうしたのさ戦地帰りの兵士さんじゃあるまいし」

「色々あんのさ。前まで高校生活なんて普通だなぁって思ってたけど、普通のありがたみって大きいんだなって思ってな……」

「なんだよ急に。そんな普通じゃない事を体験した後みたいなセリフ言っちゃって」

 あはは、とおかしそうに草刈がコロコロとした笑みを零す。

 ま、察せってのは無理があるよな、と連は内心苦笑し肩を竦める。当然の反応だろう。急にそんな普通が一番みたいな発言を拾ったところで、反応はこれが当然だ。

 草刈は知る由もない事だが――この西洋高校ですら、普通じゃない化け物が闊歩し、普通じゃない戦地となった。

 そこで連は戦いの巻き添えになって死んだのだ。

 死んだのだ。そう、死んだのだ。死んだのである。死んだ事くらいだろうか?

(いや、囮頑張ったよ俺。一般人ながらに踏ん張ったよ。気張ったさ)

 連想したところ、脳裏に浮かぶのが死にまくった記憶ばかりであったのは最早ご愛嬌の域にすら達している。たかが凡人、配役は怪獣出現により倒壊した瓦礫に潰されるキャストが精々なスペックをもつ連としてはそれはもう掛け値なしに頑張ったのである。

 ともあれ、簡潔に纏めれば、連は唐突に非日常の戦いの巻き添えを食らい、生き延びたはしたものの厄介な火種を抱えることになったという辺りである。

「れんきゅー君? ……今度は急に世界の終わりみたいに呆けてどうしたの?」

 魂を口から吐き出す想いの連だ。

 吐き出したくもなる事情がある。火種があるのだ。草刈には知る由もないが。

 さて、その事情を事細かに追走しては、気が滅入るというものだ。連としては思い返すにも億劫なトラウマ級の出来事であるのも事実。根本的に語れば、その出来事の大本は一人の少女を思考に絡めなければならないだろう。

 ふへぇ……、と気怠い吐息を吐きながら、連は前方へ視線を向けた。

 そこには一人の少女がいた。

 彼女の名前は鷹架(たかほこ)理枝(りえ)

 母が英国人、日本人の父を持つハーフでありお嬢様と思しき風格と気品を秘める美少女だ。

 新しくクラスメイトとなり、もう一週間が経過し、クラスに馴染み始めている光景だ。転校生でお嬢様という事もあって馴染むのに時間を要するものかと思っていれば、存外理枝がクラスに馴染むまでに時間はそれほどかからなかった。

 クラスに安曇野瑠依や弓削日比朧がいたのが幸いした――もとい朧の被害者になったのが幸いしたのか災いしたのか。朧のテンションに巻き添えをくい、突っ込みを入れる事初日で十数回。気づけば普通に馴染み始めていた。

(そう考えると朧の問答無用さ加減、毎度半端ねぇな……)

 当初は美少女帰国子女が来た、という事で学校中そこそこの騒ぎと化したのを覚えている。そりゃあ連だって、関係者でなければ野次馬の一匹になっていた事は否定するまでもない。あれだけの美少女だ、見れば惚れるというものである。

 ただし、朧との関係性が囁かれる様になってからは、朧へ嫉妬が向けられたり、理枝の容赦ないツッコミに蒼褪める男子もいたりしたわけだが、それもまた日常の風景として染まりつつあるというもの。

 だが、連はそこに違和感――否、異物感を感じずにいられないでいた。

 今までの日常に組み込んできた鷹架理枝という存在に。

 快く思わないというわけではない。連とてそこまで屑になりたくはないのだから。故に今抱くこの感情はもっと別種のそれであるという事だけ理解している。

 しているからこそ――と、瑠依や朧たちと会話を弾ませる理枝に視線を注いでいると、横からひょいと草刈の声が発せられた。

「れんきゅー君ってなんだか鷹架さんの事、よく見てるけど……もしかして好きなの?」

「ぶっ!」

 盛大に噴いた。そしてお前なぁ、とあきれた様子で草刈を一瞥する。

「ちげーよ。好きとかじゃねぇ。そういうんじゃねぇんだ」

「そうなんだ? でも、よく視線が行ってるみたいだからさ」

「……他人にそういう指摘されるとアレだな。あんま見ないようにしねぇと」

 だがその通りなのだろう。

 理枝と関わり合いになるのを避けるという事は、理枝をこの上なく意識しているという事に繋がっている。無自覚に目線を送っている、と言われてしまえば首肯せざるをえない。

「……もしかして、苦手意識があるのれんきゅー君」

 さも意外、と草刈が目を見張っていた。

 なにせ連が美少女に苦手意識を持つなど珍しいと感じるからだ。普通は大抵デレデレかチラ見――どちらにせよ、好意的な視線を向けるのだから。

 それに対して、連は軽く頬をかき、悩む。

 どういえばいいやら、流石にパッとは思い浮かばない。しかし強いて言うのであれば、

「……あいつは普通じゃねぇからな」

 言って、なんだか酷い言葉のように自覚してしまうが、連の見解はそれが近かった。

 事実、自分から見て理枝は普通ではない。

 そう告げられた草刈は「なるほどね」とさして戸惑いを抱く様子もなく淡々と答える。

「うーん、確かに鷹架さんすごいお嬢様って感じの人だもんね。れんきゅー君も気後れとかしちゃうんだね」

「ああ、まあ……そんな感じ」

「高嶺の花ってやつなのかな?」

「まあ、な」

 連はおもむろに言葉を濁す。

 普通じゃない。文字通り、そのままの意味なのだが、草刈を納得させる情報提供は出来ないと自覚しているだけに言葉に詰まっていた。

「あいつ何で普通の高校通ってんだろうな。金ありそうだし、芳城ヶ彩の方が似合いそうなんだけどな」

「それ言ったらうちの学校にも先輩でお嬢様がいるじゃないか」

「そりゃそうだけど、あの人、学園長の娘だしな」

「なんだよ、れんきゅー君は普通にこだわりすぎだよ? それ言ったら、朧君なんて学校に来させられなくなっちゃうじゃないか」

「う。言われてみりゃそうだな」

 確かに、と納得する。

 そもうちの高校は普通だが、普通の枠組みを超えた面々も存外いるのだ。それを考えると連が普通を越えた学園に入学してしまったのではないかとすら思えるくらいだ。

「でも確かに普通の学校が一番かもしれないね」

「お、なんだかんだ言って草刈も賛成か?」

「一応ね。昔訊いた事件があるから殊更そう思うよ」

「事件? んじゃそりゃ?」

「たぶん、れんきゅー君も耳にした事あると思うよ? まあ、僕の通ってた小学校の近くにある別の小学校での事件なんだけどさ。今、思い出してもすっごい酷いって思える事件なんだ。ううん、異常っていう方が正しいのかな」

「へー、どんなんだ?」

 温和な草刈が真剣な表情で話すほどだ。

 連は相当酷い一件だったのだろう、と予測つけながら、興味半分で先を促した。草刈はそんな連に対して小さく一度頷き、口を開いた。

「校長、教頭、教職員――全員、指導力不足で再教育。教職員ほぼ全員入れ替えが起こったっていう教育界でも一大事件って言われてるほどの大不祥事だよ」

「ほぼ全員入れ替え……?」

 思いの外、突飛な内容に連は思わず口を開いたまま固まってしまう。

 だが、しかし、その大袈裟な内容には何か頭に引っかかるものがあった。そう昔、連が幼いころ――小学生のころ。確か他校の一学年下で、

「あっ、アレか! テレビでニュースが流れてたやつ!」

「そうそう」

「あの頃はニュースよかアニメに夢中だったからな……けど、少しだけ覚えてるな。親父とかがすげぇ憤慨してた記憶がある」

「僕も子供のころはよくわかんないままだったけど、その後になってから近くの清十(せいじゅう)小学校で起きた事って事でなんだか他人事に思えなくてさ……時々記事をネットで閲覧とかしてるんだ」

「そうだったのか。どんな感じだったっけ、具体的には」

「そうだね――」

 そこから先。

 草刈が話した内容は本当に悲惨極まるものだった。

 今から七年程前の、近隣の小学校で起きた一件――【清十小全校ぐるみいじめ事件】と呼称されている。

 テレビ、紙面を大きく飾った教育界の大不祥事。平たく言えばいじめ問題だが、その規模がいじめ問題として、あまりにも大き過ぎた事がニュースで取り上げられた。

 被害者は一人。

 自殺や飛び降りにより重体、とかそういう事はなかった。死亡したという悲報はなく、被害者は無事。しかし最悪の仮定として、いじめ自殺があったとしても、この事件はあまりにも禍根が深くなりすぎた一件と言われている。

 なにせ加害者は全職員及び全校生徒であったからだ。

 その実態は第三者委員会調査の元、判断が下された。即ち――、学校側による集団いじめであると発覚、断言されることとなる。

 しかし当然、その第三者委員会の判決はあまりにも頭を悩ませた。

 規模がおかしい、と。

 かの学校の小学生全員がいじめに加担し、教職員までも手を出した。そんな全員が一人の生徒を迫害するような事態が発生しうるものなのか、と紙面を読む誰しもがそう思う。

 その凶悪極まる凄惨な集団暴力の根幹こそが――、

「集団洗脳教育――、この事件で全校生徒が加害者だけど、ある種被害者であるって当時の新聞には書かれていたよ」

「洗脳教育……マジかよ、ぶっ飛び過ぎじゃね?」

「僕も、そう思うけど事実だったそうだよ」

 学校全てに迫害を受けた被害者。

 そのクラス担任だった教師、旱泥(ひどろ)容疑者により起きた事件こそが、それなのだと草刈は語る。

「その、担任の旱泥って教師がね。とにかく倫理観を歪ませたんだってさ」

「だからってそこまでなるかのかよ……?」

「僕だって未だに信じられないけど、事実みたいだからね……。担任は、その被害者の生徒がとにかく苛烈に虐げられる場を作り上げちゃったんだってさ。だから被害者の子は、それから小学校生活を、ずっと学校中から迫害され続けて、学校の生徒たちも、いじめられるあいつが悪いって意識を植え付けられて……」

「教師は何してたんだよ。校長とか最悪じゃねぇか、止めろよ」

「なんか担任の権力が強かったみたいだよ? 教師排出の名門だったとかで……」

「うわー、最悪じゃん……」

「まあ、家柄的に教育界に影響与えれた旱泥家も、それで権威失墜して教育界から一族全部が叩き出されたって、高校入る少し前に、ある人から訊けたんだけどね」

「そうなのか? よく聞けたなそんなこと」

「ちょっとね。詳しい人に訊ける機会があったからさ」

 だからだよ、と草刈はそういって肩を竦めた。

「連帯責任か……厳しいっちゃ厳しいけど、しょうがねぇのかね」

「うん、擁護するのも難しいくらい酷い事件だったわけだし……。結局、最終的には教育委員会がいじめの全容を把握して教職員全員を再教育――もとい、教育権剥奪と、いじめの首謀者である旱泥は刑務所送りになったんだってさ」

「そっか……」

「ただ禍根として残ったのが、倫理観が歪められた全校生徒と、過度な迫害を体験した被害者の子のアフターケア……って、感じが書かれてあったかな、当時の新聞には」

「教えが酷かったってのもあんだろうけど、俺は全校生徒嫌いだな、なんか。いじめたんはいじめたんだからさ」

「まあ、それは確かにね」

「しっかし、よくそのいじめられた奴も頑張れたよな……。いじめてくる相手が全部とか、俺だと自殺しちまいそうだわ……」

「僕もだよ。頑張れる自信ないかな……」

 草刈も言葉に力はなかった。

 当然だ。学校全てが敵など、異常事態としか言えない。影で陰湿に、というよりいじめが起きても見過ごされ加担される小学校時代など最低最悪極まりないだろう。

「それって、絶対いじめられてたやつ、すれるよな」

「……うん。人間不信になるよ僕だってさ」

 思わず二人揃ってしんみりしてしまう。

 すでに過去に起きた事だし、関わり合いのない二人としても、テレビでひどい事件を知った時に感じる担任事ながらもなやるせなさ。義憤というべきものが浮かぶものだ。

「……うちの高校にもいじめとか普通に存在すんのかね、俺が知らねぇだけで」

「いじめが普通にあるかもって仮定自体が嫌だけどね」

 そりゃそうだ、と連も苦笑して返す。

 本来、そんなものない方がいいのだから。

「――と、いつまでもんな暗い話しててもしょうがねぇな。クサカ、昼飯どうすっよ? 朧誘って学食でいいか?」

「うん、かまわないよ。それじゃ朧君呼ばないと」

 陰鬱な話題を続けても自分たちには過去を漁る事しか出来ない。どうにかしようとも思わない。思えないくらい根が深いから。しかし他所でそういう事件もあったと例に出してしまえば、やはり普通な学校生活というのは大切なものだ、と連は思う。

 それから思考を終えると、昼飯へと思考を切り替える。

 さて今日は何を食おう――、そう考えながら友人足る朧を呼ぼうと立ち上がると、

「おーい、れんきゅー! 理枝ちゃんらと購買にメシ買いに行くけど、一緒に行かねーかー?」

 逆にお誘いに声がかかった。

 それも個人的に遠慮したい名前つきで。内心一瞬うぐっとするが、それを顔に出せば自分が悪いという罪悪感に駆られるよりほかにない。即興で作り笑顔を浮かべると、隣の草刈を軽く指で指示して、

「ははは、わりー朧。今日はパス。草刈と一緒に学食でメシ食うわー!」

 と、大きな声で返答する。

 その言葉に朧は一瞬、一瞬だけふっとどこか真剣みを帯びた表情を浮かべたが、本当に一瞬だけのこと。次にはいつもの能天気な顔に変わって、

「男同士の友情親睦会ってか? ずりーぞ、れんきゅー! 俺も混ぜろ~☆」

「うっせ、ハーレムリア充の方が俄然ずりぃわ! 嫌味か!」

「ははは、そりゃ確かに百理あるな! そっかー! りょーかーいっ」

 んじゃ行こうぜ、と軽く周囲の女子たち――瑠依、雅、理枝といった我がクラスの三大美少女たちを促すと、朧は教室を去ってゆく。後には男子クラスメイトらの「ぐぎぎ……!」、「ゆげひびぃ、ゆげひびぃ」、「なんであいつばっかり……!」、「オデ、ユゲヒビ、ダオズ」、「弓削日比殿なんて羨ましくないんだぞい、自分にはティアラちゃんがいるんだぞぉい!」、「ああ、画面の中の嫁ね」、「ちきしょう、ハーレムなのか。ハーレムなのかぁーい!」、「学校の美少女が……、貴重な美少女が弓削日比ばっかにぃ……!」と断末魔を合唱していた。

 南無。と、軽く手を合わせる草刈である。なぜ、草刈か。

 連は当然のごとく、断末魔に混じっていたから。朧が去った後に、負けた気持ちが一瞬にして爆発した結果が呪詛である。友達? 親友?

 そんなもの、ハーレムリア充への減軽処分に、さして力となりえるわけもない。傍で「くそぉ、毎度毎度だけどやっぱ朧の女性環境うらやまけしからんだろぉ……!」と床を叩く連を見ながら草刈はまあそれはどうでもいい、と切って捨てる。

 いつもの事だからツッコミ入れる意義もない。

 ただし、問題点は別にある。

「……れんきゅー君」

 はぁ、と小さなため息が聞こえて連は冷や汗をかく。

 草刈はジト目で睥睨し、

「鷹架さん、本当に避けてるよね? 何があったか知らないけどさ……」

 理由はどうあれ、明確に避けている、というのは眉根を顰める程度には映る。非難がましく出来るほど事情を知るわけではないが、朧がああして理枝と接している以上は、連との間に嫌煙な確執があるとも思いづらい。

 ならば、これは連の一方的な苦手意識か何かなのだろうか、と草刈は思いはする。

「……わり。口裏合わせにつかっちまって」

 そう情けなく零す連。

 その様子に草刈は嘆息しつつも、過度に踏み込む事ではなさそうだ、と直感して穏やかな表情を浮かべて優しく返した。何か二人の間に何かあるかもしれない。けれど自分が割って入るまで悪化しているわけではない。そう感じ取って、これ以上何かをいう事はしないでおこう。

「ま、いいよ。僕も流石にあんなに綺麗な女子ばっかと一緒にお昼ご飯とか、まだすごい緊張しちゃうしさ」

「そっか。助かる」

「ん。じゃあ、ご飯食べにいこっか」

 二パッと微笑む草刈と一緒に、そうして連は学食へと足を運んだのだった。


        4


 時刻は昼休み後半。

 ふぅ、と休屋連は昼食を済ませて、草刈と別れると、何気なしに足をぶらつかせていた。

 どこへ、という目的はない。意味ない散歩のようなものだ。

 ただ強いて挙げるのであれば、これは逃避と呼べるものということか。

「避けるっての悪いってのは自覚してんだけどなあ……」

 理由も話さず、一方的に距離を置くことはどうにも罪悪感が募るものである。

 しかし、連は鷹架とどう接するべきかわからずにいた。

 むろん、鷹架が悪いという事はない。かといって自分が悪いわけでもない、と思う。ようするに誰が悪いとかはないのだろう。

 だが、ここで理枝と関わり合いになるのは危険と思えてしまう感情があった。

 それがあまりに自分勝手なのは判然としているのだが――、

「おや、ここに人がいるとは珍しいね」

 と、不意に響いてきた声音に連は軽く驚きを覚えた。まさかこんなところで声をかけられるとは、と考えていただけに、声の主の反応通りに珍しい――と、感じてしまう。

 そのうえ、振り向いた先の相手が相手なだけに、殊更だ。

 連は一拍の隙間を置いた後にぽそりと彼の肩書を呟く。

「……呰部(あざえ)副会長?」

「ヘイロー、大当たりだよ、休屋君」

 その言葉に軽い驚きを覚えつつも、連は無言を保った。

 こちらへと穏やかな足取りで近寄ってきたのは、この西洋高校の副会長だったからに他ならない。柔和な顔立ちで糸目が特徴的な端正な面立ちをした青年だ。副会長であり顔立ちも悪くない事から女生徒の人気もそこそこの生徒会の一員である。

 個人的面識はないが学校の有名人だし、生徒会長と関わりがある友人を持つ連は、間接的に顔を覚えていると言っていいだろう。

 それが生徒会副会長である呰部(あざえ)という学生だ。

「……副会長がなんでここに?」

 正直、連は戸惑った。

 というより躊躇っている。どう言葉を吐けばいいのか吟味の仕様も釈然としない。なにせ連は呰部副会長と面識と呼べるものは、ほぼ無いからだ。ゆえにどう会話をつなげるべきか、失礼ないように話すかを内心若干焦りつつ熟考する。

 そんな連の態度を気にしなくていいよ、とばかりに軽い態度で返しながら、彼は口を開き、

「それはこちらのセリフでもあるんだけどね。まあ、俺がここに来た理由は、単純明快さ。この場所が思い入れの深い場所の一つだから――それだけだよ」

 そう零す呰部の眼差しはどこか感慨深げに――この場所から視認できる今は遠き幻想の彼方を見つめていた。今はまだ誰も泳がぬ、その場所を。まるで夢見るような温かい眼差しで。しかして夏が来れば光輝に満ちるその夢の場所――プールを。

「あんたどこ見ながら何言ってんの!?」

 正直に吐露しよう。

 連の中の副会長への礼節は刹那にして吹っ飛んだ、と。しかし呰部はやたら真剣な、女子が見たら赤面しそうなほど格好良い表情で連を見据えてこう紡ぐ。

「休屋君。プールが見えるポジション。男である俺。その俺がプールを覗き見したい――そう思うのは、さ。不純なことだろうか?」

「いやあ、不純以外のなにものでもないかと思うっすよ!?」

「またまた。君も黄昏てるふりして、覗きにきてたんだろ? 隠すなよ、このこのっ」

 肘でぐいぐいとついてくる呰部に心外だとばかり弁明する。

「今知ったわ! あんたの行動で今初めて知ったよプール!」

「言い訳にもならない言い訳を申しております、と」

「やめい、その言い方! やってないっすよ!」

「やってないやつは皆そう言う」

「泥沼論争になるからやめてその発言!」

「大丈夫。俺らは共犯さ。誰かに言ったりしねぇよブラザー」

「誰がブラザーだよ!」

「おいおい、素直になれよ。プールがある高校なんてすばらしいだろ? なのになぜこの学校には水泳の授業が無いんだ!」

「急に激怒!? 水泳部専用プールだからってだけっすよね!?」

「そしてさも真っ当な意見を述べている休屋君! 君は、俺の意見に反対なのか! プールではしゃぐ女子高生を見たいと思わないのか!」

「そ、そんな事――」

「自分に正直になれよ。今、ここには俺と君。男二人だけだ」

「――見たいに決まってるじゃねぇか言わせんな恥ずかしい」

「休屋君……!」

「副会長……!」

 ガシッと男二人は固い握手を交わしていた。

 そう、連がプールで泳ぐ女子高生を見たいと豪語する副会長を否定する道理はない。なにせ、自分も見たいのだから。同族、類は友を呼ぶである。そしてなにより、連は握手するこの副会長もまた――しょうもない男である、と実感するのだった。

 そして二人、水も入っておらぬ伽藍の園に目を向けながら心からの声を漏らす。

「「女子の水着姿見たいなぁ……」」

 二人の男の声が如実に重なり合った。やたら切実な響きなのがもの悲しくも阿呆らしい。

 ふ、と呰部が微笑を零し口を開く。

「休屋君。君は――どんな水着が好きだい?」

「チュアンピサマイっす」

「名称で言ってくるとか君も好きだね」

 感じ入った様な呰部の声に連は重々しく頷き返した。

 連は女子の水着は花柄が一番好きだと断言できる。形はビキニだというのに、花をふんだんに持ったあの装飾が清楚さを演出する。完璧だ。

「副会長は?」

「紐」

「正直っすね」

「嫌悪するかい?」

「まさか」

 俺も大好きっす紐、と青空を仰ぎながら連は付き物が落ちたような笑みを深めた。

 清楚さも好きだが、もう露出がやばすぎる水着をなぜ嫌いになれようか。むしろ大好きだ。

 要約すると、

「……水着って、素晴らしいよな休屋君」

「……ああ」

「……女子が着てはしゃいでると最高だよな」

「……ああ……っ」

 感極まった声で嗚咽を漏らす。

「俺も、きっといつか、女子の水着見たいっす……っ」

「叶う時がきっとくる。信じようぜ。人生はまだまだ長いんだ」

 男二人。いつか女子の水着を拝む。

 そう願いながら真昼間から人気のない場所で静かにたたずむのであった。傍目には何をしているんだお前らは、と言われてもしょうがない光景である。

 それはともかくとして。

 連は何時までも水着を思ってても意味もない、と思考をふっと切り替える。そうして、先に抱いた疑問を副会長へぶつけていた。

「ところで今更なんすけど、副会長」

「ん? なんだい?」

「一番初めの時になんか珍しいって言ってたっすけど、アレどういう意味なんすか?」

「お? ああ、それはね。ここもう大分人が寄り付かなくなってるからいるのに驚いてね」

「……そうなんすか? 俺、一人になりたくてふらって来ただけなんすけど」

「みたいだね。度胸あるなあ、と思ったよ。鉢合わせの可能性もあったのにーって」

「鉢合わせ?」

 その連の表情で得心がいったのか呰部は小さく首を横に振る。

「ああ、休屋君は知らないんだね」

「なにがっすか?」

 不思議そうに瞼をしばたかせると、呰部はにやっと笑む。

「ここ。元、不良の溜まり場」

「……どぅええ……っ」

 思わず変な声が漏れた。そして連は顔を蒼褪めさせる。不良の溜まり場――知らず連はそんな場所で黄昏ていたということか。すると呰部が来ずに時間が経てば下手すれば、不良と絡む事態になっていたという可能性もなくはないのでは――。

 すると、青い顔した連を見ながら、呰部はくつくつと笑っていた。その反応に連はむっとして、まさか、という思いにとらわれる。

「……冗談っすか?」

「いやいや。冗談は言ってないさ。今言ったろ、元、だって」

「って事は?」

「今はいないのさ。不良連中も卒業したしね。今ここを知っている不良は――いるにはいるけど、誰彼構わずつっかかる奴じゃないしね」

「そうなんすか……?」

「ああ」

 そう零しながら副会長は、ひらひらと軽めに手を振りながら首肯する。

「ドキッとするじゃないっすか。びくったっすよ」

「ははは、悪ぃ悪ぃ」

「うわー、謝罪の気皆無だこの人。不良って訊いて、例の不良かと驚いたってのに」

 連がそう呟くと、呰部は一瞬きょとんとした様子だったがすぐに思い至った様で口を開いた。

「例の? ああ……【銀鬼(ぎんおに)】かい?」

「あ、副会長も知ってるんすね」

「そりゃま副会長だからね。問題の報告くらいは耳にしてるさ」

「有名っすもんね」

「ただまあ関連性はあるよ。今年の不良がここ寄り付かなくなったのは、その当人から男ならこそこそすんなって言われたせいらしいからね」

「へー……」

 それは初耳だった。

 だがなんとなく納得する。男らしい不良。番長気質みたいなのがあるのかもしれない、と。

 不良のマサキ。別名【銀鬼のマサキ】等と物々しい異名を冠する神奈川県内で有名な不良の頭である。そして――、普通な高校である西洋高校に在籍している普通でない一般生徒、否、不良が件の人物だ。

 不良グループとして名高い【死塵牙破魔】というグループがあるらしいが、そのトップが【銀鬼】の異名で語られるマサキという人物、と連は訊いている。

「学校入学してから聞いた時はびっくりましたよ。なんつーやばそうなのいるんだって」

「まあ半分都市伝説みたいに扱われてるけどね。学校きてないし」

「……って事は本当にうちの学校いるんすか」

「いるよそりゃ。芳城みたくデカい高校じゃないんだし、見つけにくいわけじゃないだろ?」

「う、確かに……」

 比較対象が県内有数というか、トップクラスに敷地面積が広大な芳城と比べても仕方がないが、西洋高校程度の規模ならばある程度探せば行き当たりそうなのもわかる。

「ま、好奇心ですると『【銀鬼】さんを嗅ぎ回ってるやつがいる』って話題になりそうだから、しないようにね」

「しないっすよ、リアルで怖いっす!」

「はは、恐れられてるなあ」

「副会長は怖くないんすか。不良?」

「あいにくと、不良程度で恐れるほど俺はなよっちくないからね」

「おお……!」

「やばくなれば会長で一ころさ!」

「会長頼みかよ」

 だがまあ確かに、と連は首肯する。

 連の知る生徒会長――錦紗理奈は武芸も嗜む超人だ。正直、なぜ芳城に通っていないのかという類の女子高生である。

「うちの会長、武芸絡むとおっかないくらいだしなー」

「あー、わかります。剣道の時に、拝見したことあるんすけどやばかったす。なんかオーラみたいなの出すし。なんだっけ? 相生なんとか……」

「相生天咒流、ね」

「そう、それ! なにあの漫画再現みたいな剣技って思ったっすから!」

「俺、会長に訊いたんだけど名家で鼎家ってのあるらしいんだよね、剣術の。会長はそこの分家筋らしくて、それで体得してるんだってさ」

「ますます漫画みてぇな……」

「ま、いいじゃんか。不良程度ならばったばったって薙ぎ払えるしさ」

「生徒同士の喧嘩も拙い気がしますけどね。……にしても、平気なんすか?」

「ん? なにが?」

「いや、あの話少し戻しますけど、、不良たちが、たむろ出来る様な場所からプールが覗けるってなんか言っちゃあれっすけど、問題ありそうなんすけど……保護者からとか」

「ああ、それは大丈夫」

 連の疑問に呰部は即答する。

「覗けるって言ったって見りゃわかるだろうけど、遠目だからね。双眼鏡でもありゃ別だけど、学校にんなの持ってくりゃ没収、使用方法調査判明の流れで停学まったなしだろうし。ま、こんだけ距離があれば、近くで見学してるのより見辛いのが実情だし、他の場所にも視界に入る場所はあるわけだから。というか構造上、必ず抜け道は出来ちまうもんさ」

「……それは確かに」

 呟きながら連は納得していた。

 確かに、仮に水着女子を見たいというのならここからよりも、塀の高さこそあるが柵で遮られた外から見学する方が見やすいだろう。呰部の言う通り、ここからは距離が空きすぎているのも事実だし、近場だろうと遠目だろうと双方、そこまで水着女子を拝めるわけでもない。

「ま、昔はそれでも『俺は女子の水着を拝むんだー!』って騒いでバカして、教師のお縄についた不良がわんさかいたらしいけどね」

 あはははは、と爆笑する副会長相手に「そりゃまそうだろうなあ」と連はなんとなしに思う。遠目であれ同級生が水着で泳いでいるのだ。男心に見たい、と思わないわけでもない。

「休屋君も覗くときはやりすぎないよう注意するんだぜ?」

「…………覗きなんてしねっすよ」

「ははは、間が開いてる」

 自分でも歯切れが悪いのはわかっている。

 だが仕方ないではないか。覗きたいか、覗きたくないかなど問答にすらならない。休屋連は男なのだ。――だから覗きたい気持ちがあるにはある決まっている! 具体的にはチャンスさえ巡ってくれば煩悩に駆られて覗いてしまうだろうくらいには、休屋連の忍耐は惰弱だ!

 現実には、やれる能力が皆無なため、なんの行動も起こせないだけで。脳内で妄想を膨らませる程度が関の山というものだ。

 ともかく。

 連として、この話題にこれ以上触れていても先輩にからかわれるだけだ、と思考を切り替えることとした。幸いにして話題は浮かんできた。

 話題というよりかは、小さな疑問というものだが。

「それにしても意外でした」

「ん、なにがかな?」

「いや、その呰部先輩が俺みたいな一般生徒知ってるってのが」

 そう零すと呰部はにこりと微笑んでみせる。

「生徒会副会長だからね。全校生徒の名前くらい完全網羅してみせるさ」

「へぇ――」

「まあ、嘘だけど。覚えてるわけないけど」

「にこやかな顔でこの人さっきから性格悪い!」

 甘いマスクでさっきからふざけっぱなしである。顔の表情一つ変えずに、流れるような言動であり、別の意味で感心してしまいそうになる。

「いや、訂正すると、かわいい女の子と綺麗な女教師の名前くらいしか覚えてないんだ。恥ずかしい話だけどね。……ま、この学校に綺麗な女教師なんていないんだけどさ……はぁ、おばさんばっかで嫌になるよね?」

「本当に恥ずかしい話で俺はなんでしょうかね!? 爆笑すればいいんすかね!?」

「だから正直、休屋君ってどんな奴だっけって今、記憶を掘り返してるんだよね」

「今してる最中だった!?」

「それで全く欠片も浮かばなくて、結構普通に悩んでた」

「記憶にいなくて当然なんだろうけどやるせねぇな俺!」

「だが、明晰な記憶力でようやく今思い出したとこだよ。アレだよね、プロのボディーガードの父親を国外の事件の影響で父親の跡を継いで例の事件を解決しようって躍起になってるんだっけ?」

「どこの引き出しから呼び寄せたその設定! 俺はごく普通の男子高校生っすからね!?」

「いやあ、すごいよね。休屋君がごく普通の、とかいうと本当にそう思えるや」

「なんだろう肯定されたのに嬉しくないこの感覚!」

「無個性じゃないけど、なんていうかモブだよなあってなるから不思議さ」

「俺はあんたの優しい表情から飛び出る毒舌が不可思議さあ!」

「そうそう思い出した思い出した。体力も頭も足りなくて、顔も下の中くらいでふつーって感じる男子。それが休屋連なんだよなぁ……」

「その通りだけど! 自己認識でもその通りなんだけど! 腹立つぅーっ!」

「ちなみにさっきの質問に戻るけど、休屋君の事を知っているのは、アレだよ。弓削日比君の近くにいるから、なんか目についちゃった感じで知ってたってだけ」

「付属品扱いは流石に傷つくんでやめてください!」

「付属品扱いなんて心外だな。アレだよ。テレビでコメントを求められてる人が移ってる場面で、カメラが向いてるのをいいことに少しでも映りたがろうとするポジの人みたいな――」

「ちょろちょろしてる人かよ俺! そこはせめて意図せず移り込んだ注目を浴びる人みたいな扱いがよかったよ!」

「――奴を通りすがりにカメラに若干興味取られるけど、映るのもなあって思ってチラ見程度で素通りしてく通行人みたいな感じだよな休屋君て」

「それですらなかった驚愕の事実! 否定出来ない自分もむなしくてたまんねぇ! 個性ねぇにもほどがあるなあ俺って!」

「え? 休屋君、君そんなに……個性、あると思ってたの?」

「その言い方やめて!? なんか傷つくからやめて!」

「まあ、休屋君の個性なんてツッコミポジってくらいだけど、あるにはある、か」

「しみじみと唯のツッコミ役って言われるの切ねぇな思いの外!」

「まあ、背後でがやがやしてるだけの方が似合ってるもんね、休屋君」

「遂にはガチのモブキャラっすね!」

「でも結局、ただの通行人みたいな容姿してるから、それも過大評価、かな」

「どんだけ俺をいじめれば気が済むんだこの人!」

 ちきしょう! と、気づけば連はコンクリの地面に拳を打ち付けていた。

 軽く小指を擦りむいてしまい「ほら絆創膏。ダメだぜ、ざらざらしたとこ殴っちゃ」と可哀そうなものを見る目で見られる始末。泣きたくなる連だった。

 そんな連を見下ろしながら、呰部はどこか真剣みを感じさせる声を零す。

「――だからまあ、別の意味で君は興味深いともいえるけどね」

「……へ?」

 不意にトーンの変わった様子の呰部が発した言葉に連は気勢を削がれ瞑目する。

 急になんだ、と疑問を浮かべていると、

「弓削日比君――おおよそ全部持ってるリア充ってやつの傍に君はいる。それがなんとも興味深く俺には感じられてね」

「は? なんだそれどういう――」

 連の疑問の声。それを遮る形で呰部は問うた。

「気分を悪くさせる質問かもしれないけど、休屋君的にはどうなんだい?」

「どうって……なにがっすか?」

「弓削日比君みたいに主人公気質な友人の傍にいる気分ってのは」

「……どういう意味っすか」

 連の声が少し強張る。何が言いたいんだ、と疑問が呰部を語りかけた。

 否、想像はついている。ついているが故にその声は固く、そして憤慨に彩られ始める。

 対して呰部は柔和な笑みを浮かべたまま、

「平たく言って、休屋君って端役も端役に感じるんだけど、劣等感とかあるん?」

「今の緊迫した空気の中でよくもまあそこまで軽く問いかけられたっすねぇ!」

「だって休屋君、声強張るんだもん。怒んないでよ、やだなー」

「そりゃあ今の質問不躾っすからねぇ! 怒っちゃねーけど、イラッときたわ!」

「はは、そりゃソーリー」

「謝罪の念感じられねぇ!」

「一応、思ってはいるよ? あんまいい質問じゃないなーってさ。けど、気になったもんでついね。――ただまあ、今の君の反応見る分には君を怒らせるには十分らしい」

「そりゃそうっすよ」

 連は不貞腐れた様子で首肯する。

「そりゃあ俺は自分でも自覚してる通り、朧に全部劣ってて、朧は俺が欲しいもん全部持ってる相手だけど――やる意味もないつまんない意地はる気はないっすからね。――そして、なによりあいつは友達なんすから」

「……なるほど」

 うんうん、と副会長はしきりに頷き、

「でも嫉妬一つ覚えないなんてこたぁないだろ?」

「……うぐ」

「あるみたいだね」

 そんな呰部に連は観念した様子で語り始めた。

 当然だ。連は普通の高校生でしかない。だから挫折を覚え、諦めに似た感情を覚えることも必然なれば――、友達に嫉妬の一つを覚えるくらいもまた当然でしかないのだから。

「……ま、正直なところで言えば劣等感とか感じるのも億劫な次元っすよ」

「っていうと?」

「単純な話で言えば違い過ぎて感じにくいんすよ。あいつは勉強も運動も出来て容姿もイケメンでモテモテなのに、対して俺は平凡で、平均点な容姿で勉強も運動も普通ですし」

「容姿が……平均点……? 休屋君、失礼だけど君、平均ってほど高い顔立ちじゃあ……」

「本当に失礼っすね! いいじゃねぇかよちょっとくらい驕ったって! 平均くらいあるよな俺の顔って思ったっていいじゃねぇかよぉ!」

「ごめん。本当に失礼なんだけど、平均点って言われると無理があって……なんていうか、ザ・モブって次元だからさ。顔に個性がないというか……。ほら漫画とかだと主人公って普通の顔立ちアピールしてるけど十分イケメンってなるのに対して休屋君の顔立ちって主人公の背景にいる男子学生の一人って感じで……もっというと整ってないってか崩れてるっていうか。鼻だって大き目で目も小さい方だし、輪郭もさ――」

「いいよ具体的に述べなくて! 俺のメンタル削りにくんなよ!」

 言いながら連は慟哭していた。

 ここまで個性を否定される自分の個性のなさに膝を屈した事への悔恨である。

「本当にごめんな。話脱線させて。さ、続けて」

「謝ってほしいのはそこじゃない。そこじゃないんだ……!」

 払拭しきれぬ悲しみを覚えながらも連は言葉をつづける事とした。

 後で副会長殴りたい、という衝動を覚えながら。

「こほん。まあ、とにかく朧が凄すぎるってのが幸いしたんすかね。正直、俺はあいつに劣等感は覚えてないっすね。まあ、モテモテなのに対して嫉妬くらいはあるっすよ、膨大に。可愛い幼馴染と妹抱えてほかにもヒロイン候補多数ってなんじゃそりゃってなってるからなあくそっ!」

「あー、男のロマン叶えてるもんな、あのくそ野郎は。嫉妬はいけないぜ、でも」

「ナチュラルにくそ野郎呼ばわりした人に言われても……。ともかく、俺が抱いてるのはモテへの嫉妬くらいっすかねーそこが大半。っていうか全部。――後は全部、めんどくせぇっす」

「めんどくさい?」

 こくりと連は首肯する。

「なんつうか、抱えるものが多すぎる気がするんだよな、朧は」

 軽く頬を指で掻きながら連は複雑な表情を浮かべた。

「運動も勉強も出来るから人気なのはわかる。ただそのスペックでお人よしっすから、結構色々な事件に首突っ込んで――突っ込まなくても事件が向こうからやってくる感じがするんすよ。まあアイツ解決しちまうんすけどね。けど、俺から見りゃそんなの人生で数回でいいのに」

「彼の場合は一週間で何件もある、とかかい?」

「――ええ」

 それを連は主人公体質だと思う。

 事件を呼び寄せてしまう話題を生む性質というべきなのか。連個人は比較的スリルを求める心はあるが、それは言ってしまえば妄想で有名になった自分を想像するという自己陶酔。簡潔に言えば自分が凄いという夢を一時見たいという程度の願望だ。

 実際に事件に直面したいと思うわけではない。

「なんせ、仮に俺が事件に巻き込まれたりとかしたら、俺解決出来るうんぬん以前に被害者になってるだけだと思うんすよね」

 連は自覚している。

 自分は本当の意味で全く凄くない唯の一般人だと。なにか事件に巻き込まれれば怪我一つで動けなくなるお荷物だと理解している。

 何よりそんなハプニングに巻き込まれるのが怖くてたまらないのだ。

 朧のように事件を解決できる胆力を持つわけではなく、事件で負傷し倒れる一般人だ。

 そんな彼にとって、事件とは極力避けるべき案件である。

 だから朧のように主人公になりたいという思いを一抹、夢想のように持っていても――、それ以上に、主人公になるのは嫌だって気持ちが遥かに強いのだ。

 笑うっきゃねぇな、と連は苦笑する。

 傍で弓削日比朧を見てきた連だからこその終着点。

「主人公気質なんてめんどいだけだって、気づかされました」

「なるほど。負け犬らしい答えだね」

「ようし、そろそろ殴っていいすね、副会長! 言われても仕方がねーなーって思ってても、いざ言われると腹立つんすからね!」

「はっはー、言っているがいいさ! 要するに完璧超人に敵わないから諦めましたなアンサーだったからね! そりゃ嘲笑うさ!」

「副会長予想以上にいい性格してんなくそう!」

「大丈夫。地に足ついた答えってやつなのは理解ってるから」

「副会長、誰かに人をイラつかせる天才だって言われません?」

 ただ、と呰部は口角を釣り上げて首肯を示した。

「――納得はするぜ。少年は荒波に揉まれるのよりも、さざ波程度の人生がいいって気づかされたわけか」

 ――その通りなのだ、と連は思う。

 荒波にもまれるよりも、さざ波に揺られる程度の人生がいい。

 弓削日比朧を見てきた連にとっての答えがそこに行きついている。如何に刺激が欲しいとか、非日常に、漫画のような展開に心躍らせ、熱望するも――それはさながらテレビの向こう側だけであってほしい。そう感じるのが連なのだ。

 やばい出来事に直面したいという妄想を捗らせども、内心的にはそれに恐怖する。

 故に空想だけで満足してしまう。起伏は欲しい。だけれど、凹凸であってほしくはない。さざ波程度を好む。

「――ま、小心者って笑ってくれていいっすよ」

「ちょー受けるんですけど」

「草生やすレベルの笑い方むかつくなあ」

 ぷーくすくす。まさしくそんな笑い方を実践する男のなんとむかつく顔の事か。

「けれどまあ、得心がいったよ。休屋君は荒波に出会いたいとは思わないってことがね」

「ま、そういう感じっす。手に余りますんで」

 笑わば笑え、とばかりに気だるげに手をぱたぱたと小さく振ってそう告げる。

 手に余る。そのままの意味で連には荷が重い事ばかりなのだ。すると、呰部は壁に背中を預けながら柔和な様子で返答した。

「それでいいと俺も思うよ。誰だって好き好んで父親が失業、とか膨大な遺産相続発生で親戚連中とバトル、とか家が火事で済む場所失う、とか。そういうの休屋君いやだろ?」

「いやどころか、一発ケーオーじゃねっすか。家ないとか三日持ちませんっての。家も無事、家族も無事、何も起きない。何事も起こらず歳をとる。それが俺の理想」

「そうだね。理想の形はそれぞれだ。当人にとって順風満帆にいけば、最高。それが人生さ」

「順風満帆――、か」

 果たして自分はどうなのだろうか?

 満足があるかはわからない。だが不満じみたものはないと思う。順風満帆――字面通りだと、先の会話の荒波、さざ波がいやに似合う気がした。

 荒波で波乱の航海となるか、さざ波で穏やかな航海となるか。

 そんな想像が脳裏を過る。

「副会長は……」

「ん?」

「副会長は、どうっすか? 順風満帆なんすか?」

「俺かい?」

 そうだな、と青空を静かに仰ぎ見ながら、

「難しい質問だけど――、そこそこかな。副会長なんて学校でやれてるわけだしな。あとは彼女さえいれば最高なんだが」

「意外ですね。いるのかと思ってたっす」

「あいにく、ハードルが高くてね」

「生徒会長なんか気になったりしないんすか?」

「むしろ、君のご友人にご執心なとこの相談相手さ」

 ははっと可笑しそうに手のひらを振って返す。

「そりゃあ大変っすね。頑張ってください」

「休屋君こっちこない? 会長の恋路応援してくれると助かるんだけど」

「お断りします。俺、安曇野とかにも世話になってるんで肩入れすると後が怖いっすから」

「そうだね。それに休屋君程度の肩入れじゃ意味ないか。ごめんね、無理言って」

「侮ってるんか? 侮ってるんすか副会長? 確かに俺がお世辞吐いて立てたところで聞いちゃくれねぇ気はすげぇするけど言葉と本心を選ぼうな!」

 隣で自らの非力に内心泣きまくる連の言葉を呰部は笑って受け流す。

「そういう休屋君はどうだい? 好きな女の子の一人くらいいるだろ? 男子なんだし」

 さらりと問われた疑問の言霊。

 連は一瞬間を置くと、軽く頭をかいて返答する。

「あー……、いないんすよね」

「え、なにその似合わない反応。普通を生きてるくせに、急にそんな主人公要素みたいなもの出してなんなの鈍感設定ないのに何ができるとでも? 自分斜に構えてればモテが始まるとかでも思ってるの? 現実の女子がそんな面倒くさいものに食いつくとでも?」

「あんたの主人公像を見直せ! そしていないことでそこまで反応すんなや! 更にその後の罵倒を謝罪せいや!」

「おう、ごめんごめん。まさか、よもや、休屋君に好きな女子がいなかったとはね……」

「一応返しますけど、ちゃんと彼女は欲しいって思ってんすよ? けど、今のとこ俺が心惹かれる女子には出会ってねぇっていうべきっすかね……ふっ」

「ああ、なんだ。片思いで終わってるだけか。ヘタレ」

「うるせぇやい! 読み取るんじゃねぇよ! ヘタレいうな!」

 だばーっと涙が滂沱した。

 そう。連は普通の男子高校生だ。ゆえに、十数年の人生でだれか気になる女子がいなかったわけがない。ただそれが片思いで終わり、見向きもされず潰え、意識もされず視界にも入れず、気づけば相手は恋人を作っていたりした――それだけである。

「やれやれヘタ連だったとはね」

「繋げんな! その言葉と俺の名前を繋げんな!」

「じゃあ訊くけど、好きな子に告白したりした経験は?」

「うっ」

「そもそもアプローチした覚えは?」

「ぐぐっ」

「相手が名前を憶えていてくれたりとかは――」

「げふぅごぼぇっ」

 連の膝が崩れた。

 そんな連に「やれやれ」と呰部は仕方ないなと言わんばかりに首を振る。

「言っておくけど、休屋君。恋愛で何もしないは何も起きないに通ずるんだぜ?」

「そ、そんなこたぁ無いでしょ? 高校生にもなりゃ彼女の一人くらい――」

「そう。例えば高校生になれば彼女の一人くらい自然と出来る――そう思ってる奴は一生できないと俺は思ってるからね」

「みるおんぱらぽっ」

 連は瞬時に吐血するかのような精神的衝撃を受けた。

「そりゃあ美人なら別だけどね。けど基本、告白もしない奴は実らないってのが相場だよ?」

「く、一切否定できねえ……!」

「誰かを好きになって、デレデレとあの子可愛いよなーとか言ってる奴や興味ないふりして実は気にかかってて何かの弾みに関わり合いに、なんて受け身の姿勢の奴が恋路を歩めるなんて思わない方がいいよ? 起こっても、その後何もしなけりゃ何も起きるわけないし。何時だって彼氏彼女になれてる連中は肉食に、好きだ好きです伝え合った連中なんだから」

「ほんと、その通りっすよねぇ……」

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 連も言い返せぬほどに正論である。しかしこのままでは男として話にならぬ。連はぐっと足を踏ん張ってきりっと佇み、彼方を仰ぎ見ながら、厳かに口を開いた。

「俺だって彼女にしたいと思える相手がいりゃ頑張れるんだけどな……毎日を、さ」

「そういうやつに限って彼女とか出来ないから悩みものだね。本番で頑張れるわけないし」

「誰かひとり、大切な女の子に出会えれば、それで十分なんす」

「まあ、人生長いし死ぬまでには、休屋君のラックでも出会えるだろうけど。休屋君と付き合うかは別問題だよね」

「……真摯に、誠実に、俺はその子を愛そうって思うんだ」

「問題は相手が休屋君に惚れ難いだろうって事かな。顔で惹かれないだろうし、性格も面白味がないわけじゃないけど、別にそれでなにってなるし。一緒にいて安心できるタイプの相手かっていうと、むしろ一緒にいるのにあんまり存在が気にならなそうっていうかさ。ああ、存在感がないってひどい事言ってるわけじゃないよ? ただ、いるのはわかってるけど別段関わろうと思わない魅力が感じられない相手ってだけで」

「俺の魅力の無さをつらつら語ってくれないでくれないっすかねぇ! 所詮初対面に近い間柄なはずなんすけどねぇ! そこまで乏しまされる覚えねぇぞごらぁ!」

「え? ただの事実……第一印象もそうだし、話しててそう感じるなーっていうか」

「うわーん、もうこの人いやだぁー!」

 おいおいと泣きだす連。女々しいとわかっていてもやるせない。

 何が悲しくて自分はほぼ初対面に近い副会長に散々な評価を下されているのだろうか。

 流石に悪いと思ったのか、呰部も申し訳なさそうに謝罪を述べた。

「すまないね、休屋君。いくら事実とはいえ、事実を列挙しすぎたよ。事実だけじゃもの悲しすぎるもんな。からかいがいもそんな無いしさ」

「俺はあんたの毒舌っぷりを申し訳ないと顧みてほしいんすけどね!」

「っと、そろそろ時間か。すまないね、休屋君。悪いけど仕事があるんで俺この辺で去らせてもらうわ。じゃあね。プール覗きもほどほどに」

「覗き疑惑一切晴れてねぇし! 顧みてくれる気配もねぇ!」

「大丈夫。共犯者の秘密を軽々しく喋ったりしないさ、安心しなブラザー(キラーン)」

「サムズアップうぜぇ! もういいよツッコミもめんどくせぇ! さっさと仕事いけ!」

「休屋君にまで仕事しろ仕事しろだなんて……俺の安住の地はどこにあるんだろうな」

「生徒会でもそんな感じか!」

 そうして副会長、呰部は見るものに疲労感を感じさせるそぶりを見せつつ、嘘くさいオーラを振りまきながら扉の向こうへと消え去っていくのであった。

 なんだったんだ、あの人……。と、連はどっと疲れを感じて溜息づく。

「話したことは無かったけど、かなり容赦ねぇー……」

 ふへへ、と自分の恥部を暴かれまくった気分に浸る連である。

「今度会ったら腹にパンチかましてやりてぇし……」

 いいよな? 一発くらい許される次元で暴言吐かれたしな、と連がそう自問自答していると、

 ガコン、と再び踊場へ通じる扉が開け放たれた。

 すぐさまビクゥッと蒼褪める。なんか戻ってきた? むしろ聞かれた? そんな恐怖が足の方からぞうっと頭頂まで一気に上り詰める中で聞こえた声は――、

「休屋? ここにいまして?」

 話したくないと言えば話したくない。

 どんな風に顔を合わせてればいいのか悩ましい相手。

 鷹架理枝の顔であった。


        5


 踊場にて男女が二人きり。

 さながら恋人同士の語らいのような光景だ。二人の距離が他人同士のそれでなければ。もっと言えば片方の男はびくびくと距離を取り、片方の女はぴしっと佇みながら呆れたようなジト目を浮かべていなければ。

 二人の間に弾む会話はない。

 とはいえ、これは気まずい。空気が重い。沈黙が辛い。静寂が痛い。

(ああもうなんなんだよ!)

 なぜ来たよ、と連は内心頭を抱える。見ればひとりの様子だ。朧たちがいるようには見られない。――まあ朧ならば、気配を消している説も浮上するが、そこまで穿ってみてもしょうがない。とりあえず、と連は口火を切ることにした。

「……なぁ」

 一拍、間をおいて、

「何しにきたんだ……?」

 これ以外に言葉が見つからない。

連を探す理由諸々、鷹架理枝が何をしに来たのか不明瞭だ。探しに来たのは間違いないのだろう、でなければこんな人気の少ない場所に顔を出すわけがない。

 その連の問いかけに理枝は端的に言葉を返した。

「話を、しようかと思いまして」

「ひぃぃ」

「……ふぅ」

 理枝はこめかみをひきつらせながら、

「なぜ、これだけで怯えまして?」

「だっておま、この流れって巻き込まれていく典型じゃねぇか! ここで話を聞くと、俺はもれなく渦中に引き込まれるんだって! 漫画とかアニメじゃそうなんだよ!」

「あら、いい教育素材になりましたものね。その通りでしてよ、悪しからず」

「否定する気微塵もないのかよ……」

 若干気落ちした様子で項垂れる連を一瞥し理枝は深々と嘆息を浮かべた。

「貴方の事なかれ主義のようなものは、まあそんな悪くは思いませんでしてよ。ただ見るたびに『うわぁ……言ってる事はわかるけどヘタレでしてよ……』と、思うくらいです」

「うっせぇ! ヘタレ発言なのはわかってっけどうっせぇ!」

「先の学食に誘う弓削日比の言葉にも、アタシが一緒だったから参加しなかったのでしょう? 大方、親睦を深めて先の一件のようなものに巻き込まれる予感が怖かったというところですかしら?」

「は、わりぃかよ。別にいいだろ。っていうか、朧ハーレムの渦中にいると男心に敗北感ぱねぇんだよ察せそんくらい」

「それで一人寂しくこんな人気のない場所で黄昏ていたと? あちゃあ……」

「おい、止めてよ……そんな可哀そうなもの見る目で見なくたっていいじゃんかさ……」

「ごめんなさい。それで一人寂しく……」

「やめろい! その憐みの眼差しやめろーい!」

「淑女としてお詫びしなくてはいけませんね。真に――」

「抉るな。俺の傷口を抉らないで」

第一、一人ではない、と連は小さく不満を抱いた。

 副会長と入れ違いになっただろうに。

 しかししょうがないか、と連は思考を翻した。副会長と自分の関係性など希薄なものだろうし理恵からしてみれば話していたのかどうかも不明瞭な事だろう。ともすれば連が一人で寂しく黄昏ていた――という切ない想像に至るのも甚だ遺憾ながら致し方ない事か。

 そこまで至って、自嘲をくべると、連は諦めた笑みをこぼす。

「……んでよ、要件さっさと話せよ。昼休みは有限だぜ」

 その言葉に少し驚いた様子で理枝は目を見開くと、かすかに微笑を浮かべた。

「あら、意外。もう少しごねるかと」

「ごねてぇよ。出来るならごねぇてさ。けど、探しにまで来られちゃ逃げ場ねぇだろ。」

「諦めていますのね?」

「時間割かせるのも、悪いだろうし」

 連は仕方なしにそう告げる。

 どうせ、今後も必要事項を話そうと理枝は会話を求めるのだろう。それは手間だ。

 なにより、逃避する身の上としては恥ずかしいことこの上ない。一応、連も男なのだ。腹くらい決める時も必要というやつだろう。

「では、話すとしましょう」

「おう」

 まあ一つだけ、ここ事に至って男子的な問題もあるが。

 それを暴露するのは、殊更に恥ずかしいので、連はあぐら座りでどうにか誤魔化す。理枝が気づいたら多分死にたくなるだろうから、冷静沈着にことを成そうとそう決める。

「こうして腰を落ち着かせて会話をするのも、少しぶりですわね休屋」

「……そ、そだな」

「それというのも、貴方があたしと関わり合いになるのを散々避けるそぶりをみせていたからに他なりませんけれど、ね」

「……悪かったな」

「……言い方が意地悪でしたね。貴方が避ける理由もわかりますもの。大方、あんな出来事に巻き込んだ奴と関わり合いになりたくない、といったところでしょうに」

「……そ、そういうのも少しゃあるけどよ」

「……休屋」

「……あんだよ」

 つっけんどんに返す連。そんな連に――、理枝は思い止まらず、不思議そうな声を苛立ち交じりに発した。

「貴方、先ほどからそわそわそわそわ、なんでして!? 会話一つで挙動不審ってなんですのよ、いったい!?」

「るっせぇな! 色々あんだよ男の子にゃさあ!」

 連は必死になって絶叫する。

 まあ考えてみてほしい。彼女いない歴が長い男子が人気のない場所で美少女と二人きり。そう、明快な理由であった。連は理枝と二人きりという状況に、シャイなハートを炸裂させていたのである。別に理枝が好きというわけではない。

 ただ、女子と上手く話せない思春期男子と化していただけであった。

「なんですの、それ?」

 ただしそれが理枝に通じているかといえば否である。むしろ伝わるな。

 故に心底わからぬ呆れた様子を浮かべ理枝がジト目をみせる。

 くそう! と、連は内心涙した。なぜか無性に情けなさと敗北感がこみ上げてくる。あんな出来事の巻き添えくったのもあり、理枝に若干苦手意識もある連だったが、いざこうなれば男の心が木霊している始末。

「空しい生き物だぜ……男ってやつはさぁ」

「……なんで急に黄昏ているんでして、貴方……」

「うっせ。いいからさ。はよ、要件言え要件!」

「そうですわね。その通りです」

 小さく頷き返すと、理枝は神妙な顔で小さく頭を下げて、

「まずは重ねて謝罪を。貴方を事件に巻き添えさせたこと。申し訳ありませんでしたわ」

「――」

 少女は詫びた。その光景に連は「ああいい。いいって」と言葉を繰り返す。

「律儀過ぎんだよ、何度謝んだよもういいよ」

「けれど巻き添えにして、貴方に問題を残したまま――それは謝罪すべき事象ですのよ」

 問題を。その言葉は事実だ。

 連には先の一件で抱えてしまった問題がある。おおよそ、どれほどの問題なのか皆目見当がつかないが、それでも常識を逸脱してしまったのは間違いないのだろう。

「そして仮にも、そうなってしまった以上は、知識というものを与える事が必要です。本日の要件というのは、まさしくそれでしてよ」

「マジかよ……。そっちで解決策勝手に進めて解決に至るとかして開放してくれよ……」

「そうしたいところですが、彼の天魔の発言を思えば、貴方を放置というのは少しばかり楽観的としか言えませんもの」

「……」

「貴方がいない間に、弓削日比と話し合ったことですが――、貴方にも事情をいくらか説明しておくべき、と考えましたのよ」

「……」

「耳を塞いで現実逃避している辺りが実に休屋らしいですわね……」

「当たり前だ! 俺は初志貫徹してるだけだっての! そういうフリを訊くともれなく巻き込まれてくんだから、訊きたくねぇよ!」

 連が泣きそうな顔で絶叫するのを聞きながら、理枝は小さく頭を振った。

「休屋。残念だけれど、貴方はすでに巻き添えでしてよ」

「鷹架。お前、敵のいう戯言を信じるのかよ……!」

「そのセリフ。もっと格好いい場面で訊きたかったですわね……」

 対象が逃避なので、なんともやるせない気分になる理枝である。

「敵の発言にせよ、一考の余地ある発言でしてよ。貴方も聞いたでしょうが?」

「そりゃ、そうなんだけどさ……」

 言われて連は目に見えて落ち込んだ。

 脳裏には刻み込まれた不可思議の記憶。天魔と称された巨躯の怪物。ヴァイスハイト=ナガズ=オクゼンフルト。そう、名乗る牛の天魔が語った危機孕む言伝。

「貴方は多くの天魔に狙われる危険性がある。嘘か誠か知らないけど――、妄言と伏すには危険性が高すぎるのでしてよ。対策なし、というのはあまりに頭足らずですわ」

 言葉に詰まる。

 その通り、その通りなのだ。連とて頭では理解している。だが、考えてどうなる――否、考えるだけで恐ろしいというものだ。信憑性はないにせよ、

「んなこと言われたってさ。たかだか一般人の俺が急に大勢の天魔の標的とか――笑い話じゃねぇかよ、真実味ねぇよ!」

「気持ちは察しますが……」

「第一なんでそうなんだか、俺にゃわけわかんねぇよ……!」

 ぬがが、と連は呻く。

 一般人の思考として理枝も気持ちがわからないわけがない。

 ある日急に天魔とかいう化け物連中の標的の的☆ ――笑い話にもなるまい。なにがどうしてそうなった。追われる身の上などシャレにもならない。ただの一般人がそうなる事など本来はありえない。

 ともすれば、要因は一つ限り。

「その答えは推測ですが……貴方が食べた指輪、ではないかと」

「指輪……?」

 そういわれて浮かぶものは一つしかない。

「【楚歌の指輪(オプファー・リング)】……!」

「ええ」

 理枝は端的に頷き返す。

「ひょっとすれば私の【必滅覆す回天の剣(ブリーズ・キュラティフ)】が、副作用でも犯したのかと考え本部と連絡を取りましたが、生憎そんな効力自体ありませんでした。そしてあの日の出来事で数ある事例の中、イレギュラーと呼べるのが――」

「【楚歌の指輪】ってわけだな?」

「ええ。そもそも校舎に転がっていたというだけで不審でしてよ」

「そりゃ確かに」

 あの日、校舎に転がっていた【楚歌の指輪】。

 そも、学校に指輪が転がるというのも珍しいが、それが特殊な道具であれば必然的に違和感は上昇していく。偶然はあり得ない。

「あの指輪は外部から、何者かが落としたのは間違いないのでしょう。そしてそれはおそらく、あの天魔が語っていた、追っていた何者か」

「誰なんだよ?」

「わかりませんね。素性を探る手掛かりありませんもの。ただ、おそらくはあの指輪を求めての事かと思いましてよ」

「まあ何度も蘇生するなんて効力、不死身だし欲しがる奴もいるだろな」

 とはいえ言ってていいものではない。

 死にまくった連としては願い下げだ。なにせ痛みも死の記憶も残っているのだから。思い描いた不死身の肉体と比べると正直きつすぎる。

「ですが、かといって【楚歌の指輪】にも、そんな蘇生効果はありませんから……」

「じゃ、どうなってんだよ。振り出しじゃねぇか」

「ええ。ただあの指輪に何か効果が付与されている、という可能性もありますから、近いうちに鑑定士によって指輪を確認するほうがいいでしょう」

「鑑定士なんかいんの?」

「当然でしてよ。その道具の効力、真贋の見極め。そういうものを生業とする人達がいるのも当たり前の話です」

 その言葉に連はそっかと想像して納得する。

 ようするに絵画の鑑定家みたいなものか。あるいは古物商――ないし、類似の類だろう。警察の鑑定ともいえるか。なんにせよ、言われた通りにその真贋と効力を調査する鑑定技師が存在しているということか。

 そして、その鑑定家により自らの内包してしまった【楚歌の指輪】が判明出来る。

 まだ少し先になるのだろうが――、一安心という気分だ。

「けど疑問だな……。よく考えりゃ、天魔に【指輪】いんのか?」

「……休屋も気づきましたか」

「ああ。鷹架曰く、天魔って精神的に不滅なんだろ? 時間かけりゃ肉体も復活するっつーし、それ考えると不死身効果とか必要なんかね、と」

「そうなのですよね……」

 理枝もそこが不可思議であるらしい。

「ですがまあ、復活時間にも長期が必要だったりするものです。先の戦闘での、貴方の再生速度を思えば、何もできずにいる精神体よりかは、こと戦闘を考慮すれば欲する輩は多いともいえるでしょう」

「あ、なるほど」

 確かに肉体再生の速度は尋常ではない。

 戦闘に限って言えば、あの復活は結構チートだ、と内心呟く。自分が得てしまったから死なないだけの連よりかは、天魔が得れば相当に厄介――、

「……あれ、それ考えると相当やべーんじゃ……」

「……そう、ですわね……」

 サーっと揃って蒼褪める。

 殺しても死なない天魔。普通に考えて厄介すぎる。確実に周囲と差をつけられそうなくらいには。そう、考えれば、なるほど天魔も欲するだろう最強の指輪だ。

 そう考えているとガッと肩をつかまれた。

 見れば眼前で素晴らしく美しい笑顔の理枝がいる。

「休屋」

「……へい」

「絶対にそれ天魔に奪われてはなりませんよ?」

「……ういっす」

 拒否出来るわけもなく、念押しを受諾する。

 連とて無下に出来る理屈もない。相手の手に渡れば、どんな形であれ人間側に不利が生じる要素は無尽蔵なのだ。

「ただ、出来る限りだぞ? 恥ずかしい事言うけどな。俺にゃなんの力もねぇし。鷹架みたく戦闘に通じてるわけじゃねぇ。朧みたく、お前から力を付与されたわけでもねぇんだ。絶対渡すなってのは無理だと思っておけよな」

「……そう、ね」

 理枝は弱弱しく頷き返す。

「一般人である貴方にそこまで強要するのは非道というものでしょう。承りましてよ。出来る限りの努力で構いません。後は――私たちが、どれだけ貴方を保護できるか、だけでしてよ」

 だが、その後の言葉には力強さがありありと籠っていた。

 守り通す――そんな思念が連へと伝ってくるほどに。

(こういう部分がまぶしい奴だよなあ)

 連は思わず嫉妬を覚えそうになる。弱者を守る。その観点において、鷹架理枝は無理強いをよしとしない。キチンと領分を弁え、自己責任を線引きしてくれている。それが、連にはありがたかった。

 良心的な面で言えば協力してやりたい――だが、力がない。

 逆の心根で言えば関わりたくない――割に合わないから。

 二律背反の思惑が内部で渦巻くことが、どうにも心苦しかった。

「せめて、俺もアレ、なんだっけ? 【宿楽譜】ってのありゃな。なあ、鷹架。俺にもアレ付与できねぇのかよ?」

「……【宿楽譜】は原則一人にしか恩恵を与えられませんもの」

 そういって理枝はどこか居心地悪そうに顔を逸らす。

 なんでだろ、と思いながらも一人だけ――理枝の契約者となった朧にしか下賜できないという事がわかっている。言うだけ無駄なのは前に問いかけてわかっていた。再三言っても仕方ない事だと理解しているが、微妙に自分も欲しいという気持ちは消えないものだ。

 ただし、流石に連も契約方式が接吻である事実を知らないのだから、そういった思考になるのも仕方のない話だった。

「なにかねぇのかな、俺にも使える武器みてぇの」

「貴方、筋力がないんですもの。まずは体を鍛えなさいな」

「正論なのはわかるけどよぉ……」

 連は気まずそうに顔をしかめる。

 体力がなく、武芸に習いがあるわけでもない。そのため、自分が武器を使う事も何もできないのだと前に武器屋で理枝より諭されている――が、連は未だ体を鍛える事はしていなかった。

「鍛えようって思いはするんだけどさ。なんていうか気づけば、『あ、こんな時間か』ってテレビ見てて気づくっつーかよ……」

「ようするにだらけているだけじゃないの……」

 理枝は頭が痛そうにこめかみを抑えて嘆きを発した。

 そう、連は普通なのだ。だから普通にだらけ切った毎日を送る事も普通な話。頑張ろうとしても頑張れなかったりするダメ人間でもあるのだから。

 しかして生真面目な理枝からすれば、印象は快くない。

 そのため、視線は厳しい――否、すごく白け切った眼差しだった。連はこれは拙い、と察して二度咳払いした後に、話題転換を心に決めた。

「ま、まあさ、それはそれってことで、それよか一つ聞いていいかよ?」

「なにかしら?」

「魔界ってどんなとこなんだ? んで、何がどうなってるわけだよ?」

 自分にしては自ら関わり合いとなる発言なのを自覚している。

 好奇心は猫をも殺す。そんなこと連とてわかっている。わかっているが――、自分が追い込まれている可能性は最早否定しきれない。となれば、知っておくべきことは知っておくべきなのだろう。保険という意味でも。

「そうね……。話すには、私も知識が少ないので話せる事はあまり無いのですが」

「お前って実は末端なん?」

「アタシの年齢で知りうることなど、たかが知れるということなだけでしてよ。というか、詳しいのは私母、アークスティアのド――リーダーであるリザ=ピジョンフォージなのです」

 連は一瞬だけ、何か違和感のようなものに「ん?」と顔を顰めるも、

「って、あれ? ピジョンフォージ? 鷹架じゃねぇの?」

「ええ。向こうではピジョンフォージ。こちらでは父性である鷹架を使っているというだけですのよ」

「ああ、そういやハーフなんだもんな」

「そういうこと」

「んで、そのアークスティアの会社の……社長令嬢、だと……!?」

「そこ今食いつくんですのね……」

「そりゃあそだろ! お嬢様とか芳城ヶ彩の世界じゃんか、なんで西洋(ウチ)いんだよ!」

「色々事情があるのよそこは。というか本題に移ってよくて?」

「あ、すまん。確かにそだよな」

 簡素に謝罪をすると理枝は、ふぅと小さく吐息を吐き、おもむろに口を開いた。

「まず、魔界というと休屋はどんなイメージが湧くかしら?」

「イメージ? まあ、あれかな……。暗くて全体的に黒い印象でこう怪物みたいなのが跋扈してるっていうか……」

「ファンタジーまんまですのね」

「あ、やっぱ違うのか?」

 その問いかけに理枝は一言「ええ」と頷く。

「流石に今のご時世そんなさまでは時代遅れというものでしょう? 大地が黒ずんでいて、木々も赤や黒といった色合いが多いというのはありますが、基本太陽も上りますし町中には自販機やら電気街に高層ビルみたいな現代的なものは、たくさんあるそうです」

「うおお、現代に染まってんな魔界」

「ちなみに天界も色合いが白寄りな事以外は似たようなもんだそうよ」

「天界もはっちゃけてんのな」

「とはいえ、ギリシャとかそういう古代の街並みも色濃いようでしてよ。単純に言えば、世界遺産がたくさんある景観とでも思えと私は母に言われましたもの」

「なるほどなあ」

 理枝の話した内容に連は頭を痛めず理解を示す。

 確かに人間界がこうも発展しているのだ。天界、魔界が同じように発展していない道理がない。むしろ、技術的には遥かに上なのではなかろうか。

「――で、そんな魔界で今のご時世何が起きてんだよマジで?」

 おぼろげながらも、魔界の光景はわかった。

 ならば、そんな現代なみに反映している社会で何が起きているのか、だ。現代文明まで発達しても戦争は絶えないのだろうか。

 理枝は連の質問に対して一拍の間を置いてから、答えることとした。

「現在、魔界は荒れている、という話です」

「荒れてる?」

 こくり、と理枝は神妙な顔で頷き返す。

「人間界と比べ、天界と魔界には明確に統治者が存在するのよ」

「……天界でいうと、神様ってやつか?」

「ええ。つまり魔界でいうならば――」

「魔神……!」

「残念。魔王ですのよ」

「そこは対比してねぇんかい!」

「そりゃ魔界に神様なんておりませんもの」

 だから魔神なんていなくてよ、と、肩を竦める理枝。

「まあいいや。んで、その魔王が魔界の統治者って話なんだな?」

「その通りでしてよ。そして現統治者こそサタンという天魔になるの」

「サタン、て……すげぇ有名な名前じゃね?」

「聖書などで耳にした覚えもあるでしょうし、サブカルチャーでもよく使用される名称でしょうからね。――その名のとおり、サタンの名は高名。曰く初代魔王の名前であったらしく、それゆえ後世に語り継がれ、サタンの恩恵という形で名づけられるケースが多かったようですのよ」

「そういうのあるんか?」

「あるもなにも、名前は大抵そういうものでしょう? 特に海外では、アーサー王のアーサー。カール大帝のシャルルなんかみたいに、偉大な人物の名前をつける事例がそんじょそこらにあるでしょうに?」

 言われて確かに、と連は納得し自分の馬鹿さ加減を若干嘆いた。

 言われればその通り。偉大な人物の名前を継ぐ形の名前は世の中たくさんあるのだ。

「全くその通りだったぜ。んでまあ、そのサタンってのが親玉なんか? あの天魔が言ってたけど、国を乗っ取るとかなんとかの……」

「断言はできませんが、魔王サタンの思惑ではないかとアタシは考えるわね」

「根拠は?」

「魔王サタンは穏健派――母から訊いたぶんには、サタンという天魔はかなり温和な性格で治世も穏やかなものらしいのでしてよ」

「へぇ、優しい魔王様ってことか?」

「おそらくね。だからアタシの見立てだと……、魔王サタンを快く思わない勢力が、この間のヴァイスハイトの関係だと睨んでいましてよ」

「快く思わないってなんだよ? 平和が一番だろ?」

「それは人間の感性だからよ、休屋」

 理枝は小さく肩を竦める。

「実のところ、天魔は結構闘争本能や競争本能、野心というものが強いのよ。人間に比べて爪や牙が発達しているせいもあって、動物的本能が高い面がありましてよ。当然、知性の高い天魔もいますが、総じて他者より高みへ、強い相手を下したいという向上心が強いそうです」

「マジか……、なにその頑張り屋ども」

「まあ、自堕落な天魔も大勢いるわけですけれどね。それを差し引いても、天魔というのはどこか戦いを――もとい勝利を、一番を好む気質のようなものがあるそうだから」

「つまり、話から推察すると……、アレか? 平和な世界より荒れ狂った世界の方が性分ってやつが大勢いるってこと……?」

「早い話がその通りでしてよ。魔界は弱肉強食の性質が強いようで、弱者も保護する現魔王の治世に反抗する輩が割と多いということですのよ」

「億劫そうな世界だなぁ……」

 連には生きにくい世界のようだ。

 実情は誤差くらいあるのだろうが、それでも力を示すことに意味があるということなのだろう。当然、一般市民――普通に生きているだけの天魔はただの市民なのだろうが、他に力を誇示せんとする天魔が大勢いると考えれば、

「魔界は覇権争いで大荒れの模様って、わけね……」

「理解が早くて助かりましてよ」

「そりゃどうも。けど、大丈夫なのかよ? 穏健派魔王サタンって天魔はさ。それ、強い奴に狙われまくってるってことじゃねぇの?」

「そこはおそらく大丈夫だと思いましてよ?」

「なんでだよ?」

 疑問を呈す連に対して理枝は当然のように言葉を発した。

「現魔王サタンは全天魔の中で最強ですから――そうそう、敗北はないのでしょう」

 その一言に連は思わず絶句する。

「……穏健派じゃねぇのかよ、その天魔」

「あら。穏健派イコール弱いはなくてよ、休屋」

「だからって天魔最強って、おいおい」

「魔王と名乗る天魔が弱いわけがないでしょう? まあ、そもそも穏健派にせよ武力ないしの穏健なぞお花畑の脳をした綺麗ごと好きの無知蒙昧に過ぎませんわ。その点で言えば、武力を持った政治家たる魔王サタンは完璧超人というやつかしら」

「半端ねぇんだな、その魔王様……」

 だがその通りなのだろう、と連は理解する。

 少し考えてみれば、日本だって国防の観点から自衛隊が存在するのだから当然か。如何に穏健派を着飾ろうと、時に不条理で被害が起きれば、その際に防衛する為の手立ては不可欠。ともすれば魔王サタンが最強を冠するのも防衛という意味で必定なのだろう。

「その点で言うと俺なんか防衛力皆無なんだよな、やべぇ」

 朧も体術やら習得していて自己防衛くらいは朝飯前で、目の前の理枝に至ってはオーバースペックだ。かといって今から運動を、というのも早々出来る気がしない連である。

 理枝は仕方なさそうに溜息を吐いた。

「できる分にはしてほしいけれど、別に貴方はそのままでも構わなくてよ? 力なきものを影ながら守るために、私のアークスティアやそういった組織は存在しているのですから」

「なにこの男前発言」

「茶化さないでくださいまし。そも、力を持たない一般人など五万といるのですから」

 ともかく、と脱線の気配を感じた理枝はコホンと一度咳払いし、

「現魔王のサタンはおりますが、彼が座に座すまでに血が流れずにいたわけもない、ということす。魔王候補との鍔迫り合い。手に入れた座を狙う天魔……」

「どろどろ、だな……権力の奪い合いってことか……」

「魔王サタンから魔王の座を奪おうとした天魔は当然数多くいましてよ。例えば、すでに故人ですが奪われた座を奪い返さんと挑み尽きた【満月の如きもの】、【不毛なるもの】と恐れられ暴虐の限りを尽くした天魔ラーヴァナ=ランカー。命全てを自己の殻に閉塞せんと暗躍した【酒酔い梟】ストラトス=ラ・シュエット。俗に魔王候補、と謳われた天魔と聞き及びましてよ」

「魔王候補……また、物騒な」

「そんな指折りの天魔の中でも、人間界で大惨事を起こした天魔が一疋(いちぎ)いましたのよ。名をアマラリック=イル・デュ・ディアブル。【蟲毒の魔王(ベルゼビュート)】の尊名を持った天魔でしてよ」

「【蟲毒の魔王】……」

 御大層な名前だ、というのが連のその瞬間の感想であった。

 魔王、というのがとんでもないのは分かるが、やはり如何せん現実味を感じられないでいる、というのが正直なところか。そんな連の思惑を読んだのか、理枝はぽつりとこう零す。

「休屋は知っているかしら? 十年前、ロンドン市街で起きた大惨事」

「ロンドン市街……十年前って…………お前まさか十年前に起きたっていう【ロンドン市街大爆発テロ事件】の事言ってんのか!?」

「ええ。ロンドンの町中であろうことか、爆発物が起爆し、数百名が犠牲になったという悪夢の事件。一大マフィア組織が絡んでいたとされて、一斉検挙された……とニュースで耳にしたこともありそうですわね?」

「当たり前だろ未曽有の大惨事って有名なやつだし! 十年前だから、そりゃ今じゃ番組で過去の大事件取り上げるくらいでしか映んねぇけど……。やべぇやべぇって家族の間じゃ今も話のネタになってるくらいだし! ……いや待てよ? え、じゃ、なにそれ、アレなのか!? あの事件ってマフィア関係なくて天魔が真犯人!?」

 十年前のロンドンといえば連もよく知る事件だっただけあって即座に行き着いた。

 なにせ、この事件だけは、休屋連にとって他所で起きた大事件という括りではなかったのだから。当時の映像をテレビ越しに見ていた自分と、あわただしさを増す両親の姿が今もおぼろげだとしても脳裏に焼き付いている。

 ごくり、とつばを飲み込み連は理枝の発言を促す。

「……いいえ、そういうわけではないわね。実際はアマラリックがマフィア組織を立ち上げてロンドンで大虐殺を起こしたというのが正しくてよ」

「マジかよ……」

 今度こそ連は本気で絶句した。

 天魔――自分の学校に絡んできた時はなんでこんな小さな場所に、と思いもした。しかし理枝の話通りなら、すでに天魔は人間界で大惨事を起こしていたのだ。そして未然に防ぎこそしているが、ヴァイスハイトとて極大術式で連たちの住む町を一斉に霧のロンドンと同じ環境に汚染しようとしていたのだから。

(笑えねぇ……ガチで天魔のやってること、ヤバ過ぎだろっ!)

 確実に人類への打撃を起こす事件ばかりだ。

 連が知りうる天魔はヴァイスハイト。あの天魔だけだ。しかしおおよそ一般人では勝ち目ない相手と思えた猛者であった。理枝のような、特殊な力を所持する者たちでなければ、太刀打ち出来ないと思うような強力な存在――天魔。

「性質の悪い冗談であれよ、くそ……!」

 そんな連中が人間界で暗躍している。蠢いている。

 なにより――自分は、そんな化け物どもに狙われるようになるのかもしれないという恐怖。

「なんでこんなことになんだよ、俺なんかしたかよくそっ!」

「休屋……気持ちはわかりますが」

「わかるわけねぇだろ!? あれ以来、トイレで腹下して何度も何度も大便して、確認してっけど指輪が混じってる気配なんて皆無なんだぜ!? なんで出てこねぇんだよ……」

「気持ちはわかるんだけど、ちょっと内容を弁えて頂けまして?」

「あ、すいませんでした、はいマジで……」

 ゴゴゴ……、という文字が背後に浮かびそうな程、素晴らしい笑みを深める理枝に対して連は即座に失言を謝罪する。女子の前で大便発言は流石にエチケット違反というものだろう。

 そんな連を睨んでいた理枝であったが、少しして嘆息を浮かべる。

「デリカシーにかける男なことよ……」

「はい、わりと普通にすみませんした……」

 大便とトイレはないよなぁ……、と汗をかく。

 けど割と真剣なんだ、と伝えるわけにもいくまい。取り込んだ指輪が排出されないかな、と幾度も思っていたからゆえ、出た言葉なのだが。

(……けどやっぱり、無理だよなぁ)

 うむ、擁護要素が皆無である、と連は諦め、冷や汗だらだらで侮蔑の視線を送り続ける理枝の思考をどうにか変えんと食いつくべき話題に食いつくこととした。正直、例の事件の事ともなれば連は多少なり興味関心が湧いていたからだ。

「……なあ鷹架」

「なにかしら?」

「その、【蟲毒の魔王】ってのは――結局どうなったん? テレビじゃ、マフィアの主要幹部は全員逮捕されたって訊いてたけどよ。その分じゃ、警察でどうにか出来たのかって不思議になってくんだけど……」

 天魔の力の一端は身をもって知っている。

 あれは最早軍隊が出てくるべき戦力だ。警察でどうにか出来る次元にない。思い出した光景に身震いしながらも、訊きたい、と意識が前のめりになっていた。

「……まあ顛末に関してはアタシも詳しいわけではなくてよ? ただ言っておきますが、警察というのも馬鹿に出来ませんもの」

「へ?」

「ですから、警察を小馬鹿にしてると馬鹿見ましてよ? 各国、警察内部には特殊能力秘めた特務警官とか結構おりますもの。当然、日本にもね」

 さも当然とばかり語る理枝。

 しかし、その情報は連としては――一般人として素っ頓狂な程にビッグニュースだった。

「はあああああああああああああああ!? いやいやいや、さらっとすげぇ事言ってんだけど!? マジで!? いんの!?」

「おおマジでしてよ」

「うそぉ」

「おおマジ」

 嘆息交じりに念を押す理枝の言葉に連は流石に思考が追い付かなかった。

 急に警察には超能力チームがいるよ! と、言われたところではいそうですか、と頷けるわけもない。そんな連に対して理枝は「ま、信じる信じないは貴方次第でしてよ」と零す。

「ま、警察はいいわね。本題を話しましょうか。【蟲毒の魔王】がどうなったか――それについては簡単というものでしてよ。【蟲毒】は滅んだ。それだけのことです」

「やべぇ、警官の話題が頭から離れねぇ……。けどそうなのか。滅んだってことは、そのヴァイスハイトの野郎みたいに――」

「そう、体が滅びた、という事でしてよ」

 そうか、と連はごくりと唾を飲み込む。

「……あんな大事件起こした天魔が存命とか。復活したらとか、シャレにならねぇじゃん……」

「……ええ。その通りに。ですから現在でも復活に備えて戦力の育成は欠かしておりませんものね」

 そうなのか、と漠然と頷いた。

 爆発事件に関してはテレビで被害地を見ている。倒壊した建造物の瓦礫。テレビで見ただけでも凄惨な光景だったのだから。

 そうして何よりも――、


『連。なーに泣いてやがる。俺ぁ無事だぞ。生きてんだ。死人見たみてぇに涙流してどうした』


 思い出す――思い出す。ひとかけらも薄れぬ己が記憶。

 血と傷と煤に塗れた一人の青年が寝台に横たわるあの姿を。巻き添え食らった一般人の。この世のどこででも起きている事件の犠牲者の姿というものを。

「……休屋?」

 訝し気に理枝が口を開いた。

 連は顔を俯かせていて、その表情は読み取れない。そこにあるのはどんな感情なのか理枝からはわからなかった。凄惨な事件を悲しんでいるのか、嘆いているのか。

 しかし珍しい、と理枝は思う。

(……休屋なら、こういう事件を訊けば「ひどい事件だったよな」で悲しんで、それで済ます程度かと思っていましたけれど)

 良くも悪くも連の感性は一般人だと理枝はわかっている。

 それゆえ、何か凄惨な事件が起きたとしても、

(実際に被害に会わないと、その辛さは測りかねる。それが一般人のありようというもの)

 まさか自分が。

 ここいらでこんなに大きな被害が出るとは思わなかった。

 何かしら大事件、大災害が起きた折、テレビで見る被害者と被災者は口を揃えてこう零す。それが悪いという事はない。危機意識に欠けるという意味でもない。

 純粋に、体験しなければわからぬという話なだけ。

 刃物に刺された痛みの程を想像で補える事は無い。実際に刺されねばその痛みの質は想像にて補えない。食物を食す折、未知の食べ物の味を想像で済ます事が不可能で、実際に食さねば触感も味もわからぬが道理のように。

 不条理は音もなく這いよるというだけだ。

 今の連であれば、テレビで事件を見た、というのであれば、先ほど理枝が想像した通りの反応程度にとどまったはずなのだ。

 それはつまり――、

「こぇぇな……」

「休屋?」

 話を聞き終えて、休屋連は自らの手を注視しながらこう思う。

(やっぱ、話なんか聞かなけりゃよかった――……)

 何か対策みたいなのが、心構えのようなものが出来るかと一縷の希望を抱いた結果がこれである。結果は、恐怖心を煽るだけに終わった。天魔が如何に強大か。それを殊更知ってしまっただけではないか。

 自分には力もなく、頭も利口なほうではない。

 単純明快、一般人に他ならない。

(ただ、死なないだけ――それだけじゃなんもかわらねぇじゃんか……!)

 この前のヴァイスハイトとの一戦ですでに死を何度も体験した。痛いなんて思いはなく、怖いなんて感慨もなく、ただ必死だった。必死の結果、死んで生きてを繰り返していただけだった。要するになにかわからないがやばかった――無我夢中の結果、今こうして生きてるだけでしかないのだ。

 天魔に狙われている。

 ともすればアレなのか。あの恐怖を幾度も味わう未来が差し迫っているとでもいうのか。

 それは――嫌だ。怖い。恐ろしい。馬鹿じゃないのか。

 気づけば手が震えだしていた。感慨なき恐怖が意味もなく迫るこの言い知れぬ恐怖は果たしてどうなるのか。未来が想像出来ぬ恐怖が休屋連の体躯を襲う。

「どうせいってんだよ、はは、は……」

 思わず笑いすら零れてくる。何が起きようというのか、それがわからず不明瞭に恐怖が過る。ああ、なんと耐えがたいものか。自分に何をどうしろというのか。

 思わず運命か、間の悪い偶然、はたまた神様か。そんな存在を恨みそうになった瞬間に。

 震える手を、静かに理枝が握りしめていてくれた。

「鷹架……」

「相当怯えていましてよ、男だというのに」

「男差別かよ……」

「……口減りませんのね」

 呆れた様な声が返ってくる。けれど男だから怯えちゃいけないとかないと思うんだ。思ってて情けなくなる連である。けれど、思惑と裏腹に恐怖はぬぐえぬものだった。

「……安心していただけて」

 ぽつり、と理枝が小さいがはっきりとした声を紡ぐ。

「アークスティアが、私が。貴方を苦境に追い込んだ責任を果たしましょう。巻き込んでしまった非はあたしにあります。ですから、貴方の身を最期まで守りぬくと約束しましょう」

「……ジェンダー間違えてる奴がいらぁ」

「失礼ですね」

 キッパリ守ると発言する鷹架理枝のなんと勇ましい事か。

 女々しさ募る自分とは大違いだ、と連は自嘲してしまう。

「つーか、お前すげぇな鷹架」

「何がでして?」

「いやさ。俺、結構お前に罵詈雑言言ってていい印象あると思ってねんだわ」

「ええ、あたしも貴方にいい印象とか抱いてないからね。むしろすごくうざい」

「だ、だよなー……」

 ジト目で断言され連も苦笑いを浮かべる。

 そりゃあそうだ。混乱の渦中だったとはいえ、散々口汚く罵ったのである。本人が錯乱状態の連を仕方ないと断じてくれていても、だからといって感情的に快いわけもない。

「――だから、そんな俺を助けてくれるってのが意外でさ。見捨てたりしねぇのかよ」

「敵対する輩ならばそうしましょう。ですけれど、被害者を置き去りにするなど、アークスティアの尊厳を貶めますもの。そこに在籍する私の誇りもね」

 沈黙する連に向けて、理枝は優しく言葉をつづけた。

「例え、どれほど疎まれようとも、助けるべき瞬間に手を伸ばす。振り払われた手を無理にでも握りしめる。それが救助の鉄則というものでしてよ」

「……凡人にゃまぶしすぎるんですけど……」

「あら、舐めていますのね。――凡人だろうと大差ありましょうか? この理念は誰にも通じる理念だとあたしは考えていますもの」

 理想論だ。

 人は誰彼助けられるほど優秀ではない。そんなものは、目の前でこう告げる少女と友人である朧くらいなのではなかろうか、と連は苦笑を浮かべてしまう。

 ああ、だというに――何だろうか。この安心感と呼ぶべきものは。

 頼りにしていい。そう思わせるこの雰囲気は。

 そして最後に理枝ははにかむ様な笑顔を浮かべて、言葉を紡いだ。

「――第一、初めて出会った時に言ったはずでしてよ? 神に代わってでも、アタシが手を伸ばしてあげようじゃない、と」

「――」

 その一言で。連は心が随分、軽くなった。――刹那、そう理解する。

 目を見開いて、驚嘆を示す連に何を勘違いしたのか、理枝は少し慌てだした。

「ま、まあ、少し格好つけすぎたかも、とは考えておりましてよ? アタシも神に代わってとかは言い過ぎかな、とか思う節はあるのですし……!」

 言葉が大仰に過ぎた事を恥じらっているのだろう。

 そんな様子の理枝をなんだコイツ、と連は苦笑し返す。

「……お前すげぇ上にいい奴とかマジかよ」

「……なんだか褒められているのか皮肉られているのかわかりかねましてよ」

「褒めてるよ。すげぇ褒めてる」

「……なんだかえらく素朴オーラ発してて別人かと思えましてよ」

「別人じゃねぇよっ!」

「アタシの知る休屋はもう少し、なんのオーラもないはずなのです。今の貴方は少し雰囲気が違う気がして……なんというか気色悪くてよ」

「言いざまはひでぇなおい! あとオーラなくて悪かったな!」

 そこからは問答の押収になりそうだった。

 どうにも、鷹架の罵倒は反論せねば沽券に関わる、とばかりに連が返事を返せば、どこかからかうような言葉がぽこぽこと湯水の如く湧いてくる。

 そんないつ終わるかもわからぬ言い合いの最中、不意に聞きなれた声が届いた。

「おーい、れんきゅー。理枝ちゃーん」

「朧?」

「弓削日比――それに、安曇野さんたちも」

 声の方へ、連と理枝が同時に振り替えれば、そこには見知った顔が並んでこちらを見上げていた。一番前に立つ朧が快活な笑みを浮かべながら軽く手を振っている。

「探したぜー。理枝ちゃんもれんきゅも、どっか行っちまってるもんだからさ」

「探したといいますが、席を立つ前に休屋に話があると言いましたよね弓削日比?」

「そうですね。それで兄さん、『なになに愛の告白ひゅーっ』と冷やかしたもんんですから、さっきまで気絶してたわけですし」

「ふっ、理枝ちゃんをあまり怒らせると怖いから気を付けような姫奈?」

「私は怒らせたりしませんので」

「そうですね。妹さんはこうも良識的なのに、兄ときたら……」

「手ひどい評価だなあ。んで、理枝ちゃん告白は上手くいったん?」

「言ってるそばから地雷を踏み抜くとは良い度胸でしてよ弓削日比」

 ぴきぴきとこめかみに青筋が立っている。

 相変わらず、朧は理枝の地雷原を爆発させつつ回避しまくっているようで連は深々と溜息づく始末だ。しかし、それにしてもどうやって朧もここにいるものなのか。鷹架は術式で探し当てたといっていたはずだが。

「つーか、よく俺と鷹架探せたな朧も。俺ここ初めてなのにさ」

「あ、そうなん? 二人ともどこだーって適当に歩いてただけだからな……」

「ここで俺とお前の人探しの圧倒的な運気を知らされた気分だぜ……!」

「というか、そもそもどうして私を探しに? 清里さんはどちらへ?」

「雅ちゃんは教室戻ったよ。で、俺らが捜しにきたのは理由あって……ほれ、理枝ちゃん。食堂で話してたろ?」

「話してた……ああ、芳城ヶ彩の話題でしたっけ?」

「はい、そうですよ鷹架さん」

「確か、他校の事に興味はあまりない、と返しておいたはずですけれど……」

「まあ、私も同意見なんだけどね。芳城ヶ彩だけは違うから、鷹架さんにも話しておこうかな~って思って。ね、つきりゅ君?」

「そそ。だから誘っとこうかなーって思ってさ」

 そういって朧は二カッと笑う。

 そんな朧の言葉に得心言った様子で「ああ」と連が小さく相槌を打つと、興奮した様子で朧をびしっと指さし叫ぶと、朧もまたガッツポーズで返答した。

「アレか。【大体育祭】!」

「その通りだぜ、れんきゅー!」

「【大体育祭】? ようは体育祭ということですか?」

 理枝は疑問を浮かべながら、姫奈と瑠依の方へ視線を寄越せば、可憐な少女二人はそろって首肯する。

「そーなんだよ、鷹架さん。6月24日にね。なんと、芳城では【大体育祭】ってビッグイベントがあるんだ~」

「ですから鷹架さんを誘って見学にいきませんか、という話になったんです」

「はぁ……。ですけれど、それ楽しいのですか? それとも、中学時代の学友の応援とかでもあって?」

 理枝は今一ピンとこなかった。

 他校の体育祭を見学する――まあ、おかしなことではないだろうが、わざわざ行くほどだろうかと首を傾げる節もあるのだ。これが文化祭ならまだわかるのだが、体育祭を見学に行くともなると、挙げられる可能性は精々、中学時代の友人の応援程度といったところだろう。

 しかし、そんな理枝の前で朧がちっちっと指を振った。

「甘いね理枝ちゃん。芳城の【大体育祭】を舐めちゃあいけないぜ」

 そんな朧の言葉に周囲は賛同なのかうんうんと頷き返す。どういうことだとばかりに理枝は視線を注ぐと、朧はこう切り出した。

「あそこはね。理枝ちゃんもそれくらい知ってるだろうけど、大金持ちたちの学院だ。すると自然、集う一般の来賓も半端ないものになるんだよ。家同士の繋がりやら、普段縁のない大金持ちのご子息とか、美男美女が多い故の周辺の高校生の一目見てみたいって意識とかさ」

「それと俺も最近知ったんだけど、体育科の生徒の実力を見る場面って側面も大きいらしいぜ? だからスポーツ関連企業とかがスカウト目的で現れたりよ」

「それはまた……凄いことね」

「しかも、影響力は周囲にまで及んだからな」

「どういう意味です休屋?」

「いや、芳城ヶ彩の【大体育祭】って平日にやるんだけどよ。それを見たいって意識が高まりすぎて、ウチ含めて周辺高校、三日間休日にまでなってるんだわ」

「影響甚大ですのね!?」

 朧と連の発言内容に目を見開いて驚きを示す。

 理枝としても、そこまで訊けば凄さを理解出来る話だ。名家による一族同士の繋がりに、スポーツ特待生による舞台、企業も入るとなれば広告収入もあるため、テレビ局も入るだろうか。そしてなにより周辺の一般客が見てみたい、という意識で来るのも頷ける。その為に周囲の学校を三日間休暇に追い込むのも余程の事だ。

「それもあるんだけど……屋台がすごいんだよねぇ~……」

「レストランなんかもコスパが壊れてますしね……」

 そして隣では姫奈と瑠依が揃って恍惚とした煌きの表情を発していた。

 どうやら食べ物関連も期待があるらしい。

 そしてそんな話題に、理枝はぴくりと強い反応を示した。

「なるほど……。確かに気になってきましてよ……!」

「食い物でつられるんで、いいんかお前」

「うぐ……っ」

 連の一言に理枝が詰まった。

 確かに食べ物につられるなど動物のごとき振る舞いだ。品にかける、と理枝は思考を切り替えて、

「毎度、高級食材使ってるのにやっすいんですよねぇ……」

「面白い料理とかもあって華やかだしねぇ~……」

「ここまで行きたそうにしている友人をおざなりには出来ませんね。アタシもご一緒いたしましてよ」

(つられやがった)

 呆れた視線を向ける連だが「女子って美味しいもんとか目がないもんだからな」と肩をたたく朧の言葉にそうなのかと小さく頷き返す。

 そして視線を戻せば、そこでは美少女三人が華やかに言葉を交わす光景がある。

 普通に目の保養だ、と感じるくらいだ。理枝がどんなものがあるのか、と問いかければ少女ら二人は前の折に食べた品々を語れば、段々と理枝の瞳が輝きを増していく。

(――けど、ま。楽しそうだしいいか)

 話してて理枝の環境が相当大変なのだと実感した。

 ならば、この一瞬。他校の行事に関心を抱き盛り上がる。それくらい何ら問題ない普通な事なのだろうから。

 そう穏やかに思う連の肩をぽんと友人が叩いた。

「なんだよ、れんきゅー。だいぶ、肩の力抜けたみたいじゃんか」

「うっせ。なんの話だよ」

「はは、そうだな。なんの話だろうな」

 快活に笑む朧に対して連も同じように快活に笑って返す。

 さっきまで抱いていた胸中の不安感――未だ残れど、前よりも随分軽く感じる。それが何故なのかなど、わからぬっほどに愚鈍ではない。

 どこか晴れ晴れとした気持ちで顔を上げれば、見渡す限りの青空が晴れ渡る。

 今から先が楽しみだ。連はそう考えながら――、


 ――リーン、ゴーン、ガーン、ゴーン~♪


『…………え』

 と、昼休み終了の鐘の音を訊いた。

 当然のように、一同全力で教室まで大いに慌てながら駆けだすのであった。


第五章 ハートフル・ランチタイム(3)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ