プロローグ 従僕
プロローグ 従僕
退屈な毎日。変わらない日常。平凡な日々。
そんな事をラノベの主人公の様に物語冒頭で呟いてみたかったですね……。そんな物悲しいのか何とも言えぬのかわからぬ事に悩みながら弦巻日向はそっと服の袖に腕を通した。今までお世話になっていた衣服とお別れを済ませて着込む衣服の質感に違和感を覚える。
自分の様な者が着るには豪華すぎるよ、と身の丈に合わない感想を抱く。
肌に決して不快感を味合わせない体躯に喜びを教える様な高級な質感。今までの人生で味わってきた服の質感のどれとも違う。Tシャツも自分の知る質感とは大きく異なっていた。バーゲンセールで購入したお値段五〇円の激安商品とは一線以上を画す。
「まさか、こんないい服を着る日が来るとは……」
信じられない心地で日向は呟いた。
履き心地の高級な質感のズボンも。上体を包むTシャツ、ワイシャツも全て。今まで着用してきたどの服装とも圧倒的に違いを感じざるを得なかった。今まで自分が着ていた服装が何だったのかと問い掛けたくなる。
「これが本当にちゃんとした服って奴なんですかね……」
誰に問い掛けるでもなく、そう呟く。
未だに自分がこんな服装に身を包んでいる理由がとんとわからない――そんな気持ちを体現する言葉であった事はまず紛れない事実であった。
「まるで違う質感、ですよね……」
思わず上着をふにふにと何度となく触りながら呟いた。
「昔に働いた『ドブネズミーランド』のマスコットの着ぐるみとも全然違う……」
「むしろ、その質感に似てたら業者、号泣であります」
何となく呟いた独り言に対して即座な返答が返ってきた事に対して弦巻はしばし「それもそうですねー」と返した後に「ん?」と首を傾げた後に「……うわわっ!? な、何でここにいるんですか、我那覇さん!?」と驚いた声で叫んだ。
そこにいるのは一人のメイド服を着た迎洋園家メイド、我那覇蹂凛であった。
鮮やかな金髪が実に眩しい美女である事に間違いはない。その破天荒な――文字通り破天荒な性格を除けば確実に。弦巻は失礼ながらもそんな感想を抱く女性であった。
彼女は日向が慌てた様子を気にする様子もなく、
「着替えなんてパパッと済ませられる様なものを何故、こうも時間がかかるか気になって様子見に来た次第であります」
「ああ、それは御足労を……」
「普通、着替え等と言うものは五分から一瞬もあれば出来るものでありましょう?」
「はい、ストップです! 前提からおかしくなりましたよね? 五分はまだしも一瞬とかどんな芸当なんですかって叫びたいんですけど?」
「屋敷の中で大声で叫ぶと『何事か』と思われて大騒ぎになるであります」
「冷静かつ客観的なご意見ありがとうございます」
「叫ぶなら『きゃあああああ!』を推奨するでありますが」
「どんな事件が起きました屋敷!? 殺人事件級の騒動が起きた時の声ですよね?」
「あるいは別の声もありますな」
「別の声と言うと?」
「私が衣服を引ん剥かれた様な姿で弦巻氏に対して涙目で叫べば」
「即座に僕の明日からのレッテルは『欲情してる変態』に早変わりでしょうね! そして冗談でも止めてくださいね!?」
「ですがキャラを立たせる為にあえて私が犠牲になるのも手ではないかと」
「そんな自己犠牲精神そこらのゴミ箱に捨ててしまってください!」
「いりませんか? 新しいポジショニング?」
「百歩譲ってもそのポジションだけは絶対に欲しくありませんよ!? キャラが立つでは済まずにキャラが絶つのが目に見えてますからね!?」
「折角、この屋敷に於いて個性を確立させてやるのでありますと提案したのに」
「とりあえず却下を下しても構いませんよね?」
「本当によろしいのですか? 丁寧な言葉使いの少年執事は存在済みですよ?」
「キャラ被りしてるからって僕の個性を否定しないでほしいんですが」
「しいて言うなら不幸程度の差であります」
「悲しい事実をどうも! 御心配ありがとうございます! ですけどキャラはすでに立ってる方だと思ってますから心配なさらないでください」
「……」
「うん、その目なんでしょうね。その『うわぁ……。この子、自分でキャラが立ってるとか言ってるであります……』的な視線は果たしてなんでしょうね?」
「とんだナルシストであります」
「唯の皮肉ですよ! さっき言ったのはこれ以上言われない為の皮肉に過ぎませんよ! 別に本気でキャラ立ってるとか思ってませんから!」
「これで容姿が普通とか自分で考えてたら世の男性陣の反感くらいまくりであります」
「何の話!?」
「ところで結論、本当に『欲情した変態キャラ』欲しくないでありますか?」
「諦めてっ! お願いですからその願いは諦めてくださいねっ!? って言うか何で屋敷に一人変態キャラを増やしたそうなんですか!?」
「ズバリ。色情狂が男性側にいないので新鮮味を持たせようかとの親切心であります」
「知っていますか? 親切心とお節介の境界線ってものをっ!」
「どこら辺りからでありましょうな?」
「とりあえず相手が不快に感じるところがあったらだと心得ましょうか!」
「嫌よ嫌よも好きのうちと言う言葉がありましてね」
「今の僕は変態キャラだけはゴメンです、の超絶抵抗キャラですけどね!」
「上司に逆らうとはいい度胸であります」
「誰か助けぇええええええええええええええええええ!! パワハラ働きそうな勢いのこのメイドさんを止めてぇええええええええええええええええええええええええ!!」
「ちなみに一つ言っておきますと」
「……なんですか?」
「変態化はまだしも女装化はお嬢様も許容の範囲と許しておいでです」
「はいストップ。待ちましょうか、今、何となく話が寸断された様に思いますので。何か唐突に突飛な話が飛び出て焦ってます僕も」
「変態がダメならば女装をすればいいじゃない」
「すいません、『パンがダメならお菓子を食べればいいじゃない』的なその発言は何なんですかね? って言うか変態うんぬんが唐突に女装うんぬんへ吹っ飛んだのは何故なんでしょうか!?」
「結論、私は弦巻氏に『屋敷にいない新個性』を求めているのであります」
「それが女装?」
「変態でも可ではないかと考えるであります」
「すいません、僕の中では男が女装して仕事してるって時点で結構、部類として変態のジャンルに入りそうな気がするんですけど」
「容姿が女性ですので似合うと思うであります」
「グサッと来ました! その発言にグサッと来ました!」
「胸打たれる程に共感を覚えたのであれば嬉しい限りでありますな」
「待って!? そっちの意味じゃないですよ!? 決して『僕、女性の格好の方が似合うんですか……!? だったら……』的に自分を結論付けたわけじゃないですからね?」
「ではすでに完了済みであったのでありますか」
「何でそうなるの!? 決して『僕、女装癖初めからあるんですよね~』的に共感したわけじゃないですからね!?」
「では女装はしないと?」
「しません」
「すると変態になる覚悟は万全の様でありますな。我那覇蹂凛、感服であります」
「そっちの意味でもないですからね!?」
「……女装も変態もしないと……?」
「何でそんな愕然とした表情されてるんでしょうね、僕」
「……新しい部下はとんだ無個性であります」
「何かどんな罵倒よりも酷い事を言われた!」
「女装もしない。変態にもならない。すさまじい我儘っぷり、唯我独尊でありますな」
「何で我儘キャラみたいに言われてるんだろうか!?」
「その上、自覚無しであります……」
「何か無自覚な我儘キャラみたいなレッテル張られそうになってるのは何故ですか!?」
「ともかくさっさと準備するであります」
「散々話題を振って置いて、ここで催促!?」
「お嬢様も待っているでありますからな」
「しかも話、訊いてくれない!」
「後五分で着替えられるでありましょうな?」
「我那覇さんが話題振って来なかったら残り二分で準備万端でしたけどね!」
「ところで」
その先の発言がまるで透き通る様に見える気がするが日向は会話を促す。
「……何ですか?」
「からかう分には中々の個性であります、弦巻氏」
「出てけぇっ!」
そんな日向の叫びを何食わぬ様子で受け流しながら『では準備が完了したらすぐに廊下に出てくるでありますよ』と一言残して部屋の大きな扉を開けると蹂凛はそっと扉を閉めながら部屋の外へと出て行った。
その後ろ姿を見送った後に日向は、
「個性って言われても……」
と、呟きながら僅かに項垂れた。そして自分には個性無いのかなと少し不安に感じながらも日向はその事を一度頭の隅へやり、そして感慨深げに小さく息を零した。
「……日本から戦地にやってきた数カ月そこら内戦に巻き込まれて……」
残された上着の袖に腕を通す。
白いワイシャツの首筋にひゅっと細く蒼い色をしたタイを通して蝶々結びに絞めてから大きな鏡の前にそっと佇みながら弦巻はこれ見よがしに大きな大きなため息をついた。
「やっぱり実感湧かないな……」
その服装はグレーを基調とした服装でボタン、袖のライン、一部分にあしらわれた綺麗な青のアクセント。しっかりと整えられたその服装は執事服。
名家『迎洋園』家の執事服だ。
正確には少し異なるのだが。日向は着用した自分の姿を鏡でまじまじと見つめた後に。
「似合わないやー……」
思わずそんな苦言を呈す。
さりとてこういった服装を着た覚えもない弦巻にとって服を着ていると言うよりは服に着られている感じがして。高級な衣類に貧相な自分は飲み込まれている気がしてならなかったのであった。
そしてこの服に袖を通す理由。
「……傭兵の次は……『従僕』とはなぁ……」
従僕。それが弦巻日向の新しい職業。
恐らくは蹂凛が、それに批自棄が待っているであろう廊下へ続く重い扉をゆったりとした速度で開け放ちながら――日向はつい先日の事を思い出していた。
プロローグ 従僕