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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Cinquième mission 「夕映えの誓い」
58/69

第三章 Sol omnibus lucet :後篇 ★挿絵あり

第三章 Sol omnibus lucet :後篇


        1


 弦巻が頭を撫でられた結果、急に号泣してしまったという事態から少し時間は経過して「うんうん」と、やっと現れた恭介(きょうすけ)先輩はしきりに頷いてみせていた。

「なるほど」

「理解出来たか、恭介先輩!」

「まったく展開がわからない」

「ですよねー」

 ふっと格好いい微笑を浮かべて堂々と『わかるわけねぇだろオーラ』を醸す恭介先輩に俺は脊髄反射のような感想を漏らす。そだよな。泣いた張本人すらわからないってんだから。

 しかし何時までも泣いていては流石に恥ずかしいのか先輩らの姿が出てくると弦巻は段々と落ち着きを取り戻した様で新橋の胸元から顔を離すと恭介先輩を一瞥し、そのあとに淡路島先輩を見て、少し驚いた様な声を零した。

「あ、なつかしー、ひめかだっ」

「久しぶりじゃないかい、ひな君?」

 弦巻のやけに親し気な呼称。それに対する淡路島(あわじしま)先輩の親しみを込めた呼び名に俺は内心驚きつつ、思わず恭介先輩へと視線を投げかけていた。先輩は「まあ聞いてな」とだけ返すので俺はどういう関係だろうか? と、思わず興味を強く向けた。

 まあ淡路島先輩がこのランチに来てくれたのもビックリなんだけどな俺としては。

 さて、淡路島先輩はどこか驚いた様な表情で、

「それにしても」

「わう?」

「まさか久しぶりの再会で女の子に抱き着いてるとは思わなかったよ、ひな君」

「エリカって言うの。世界で一番大好きな女の子なんだし!」

「ちょっ!?」

 予想以上に本音を満開の笑顔でぶちまける弦巻に隣で座る新橋は顔を真っ赤にして「なにを言ってんのよアンタは!」と怒鳴るも「わう?」と不思議そうに鈍感子犬は首を傾げているばかりだ。

「ふふ、そうなんだ。ひな君も好きな子が出来たんだね?」

「え、あ、う。い、いや、あのせ、先輩? コイツにそういうの聞かれると私が凄く恥ずかしくなるんだけど――」

「……」

「って、弦巻? アンタなんで無言なの? ……いや、その凄い真っ赤な顔でぽーっと見つめられても困るんだけど……だ、だから視線外しなさいってば! なんでそんな熱に浮かされたみたいな顔で見てくんのよなんか喋りなさいよ⁉」

 新橋がとにかく大変そうだ。

 弦巻に至ってはもう新橋しか見えてなさそうだし。明日香はそんな光景を「おー」と感心ぶかげに見つめており、淡路島先輩は「重症そうだね」とクスクス笑みを零していた。

 初対面からものっそい大騒ぎになっちまってんな。

 そんな場を仕切るべく、俺の隣に立っていた恭介先輩が一歩前に出ると、

「ま。色々話があるわけだが、そこらへんは後だ後!」

 恭介先輩はパンパンと拍手を叩くとニッと快活な笑みを浮かべた。

「まずは昼飯としゃれこもうぜ!」



 先輩の発言から数分後。

 俺達六人の前には大きなレジャーシートが敷かれており、そこにはずらりと和洋折衷の料理が大量に並べられていた。誰か知らない奴が見たら花見に思われそうな色彩豊かな料理のラインナップ。さながらハイキングを連想させるくらいだ。

 そんな光景を見て新橋が感嘆の声を上げる。

「わあ……凄い豪勢ですね」

「そう言って貰えるとありがたいな」

「淡路島先輩が作られたんですか?」

「うん、そうだよ。半分は鍵森君関係だけれどね」

「凄いですね先輩方」

「ありがと。けど、そんな堅苦しい呼び方しなくてもいいよ? 姫海(ひめか)とかで構わないさ」

「そうですか? えーと、それじゃあ……姫海先輩で。私の事もエリカとかでいいですよ?」

「うん、いいね。姫海先輩かあ……、ふふ、何だか嬉しい響きかな。じゃあぼくはエリカちゃんって呼ばせてもらってもいいかい?」

「はい、大丈夫です」

 にこやかな微笑みを浮かべる新橋に淡路島先輩も柔らかい表情で返す。

 そして次に俺の隣にいる明日香に視線を寄こすと、

「そっちの子も初めましてだよね。二年の淡路島姫海って言うんだ。よろしくね」

 と、気さくに手を伸ばした。

 明日香は一瞬びくりとしたが、やがておずおずと手を伸ばして握手を交わす。

「よろしく、お願い、します」

「うん、よろしく。名前を教えてもらってかまわないかい?」

「明日香、羽叶」

「明日香……もしかしてお父さんの名前は卓司(たくじ)とか?」

 そう問われると明日香はびっくりとした表情を浮かべて「父を、ご存じ、なんです、か?」と小首を傾げて問いかけた。

「うん。まあね。明日香先生とは面識があったものでね」

「意外」

「ははは、確かにその反応はわからなくもないよ」

 俺も意外だった。

 まさか淡路島先輩が明日香の親父さんをご存じだったとはな。世間は狭いというべきか。

 ……けど何なのかね? 明日香さんはさも意外そうな顔してっけど、そんなに淡路島先輩と父親が知人ってのが不思議なんだろうか? 淡路島先輩自身もなんだか同意してるみたいな感じが見て取れるし……まあ、よその家事だしわかんねぇや流石に。

 そんな俺の反応を他所に淡路島先輩は「じゃ、羽叶ちゃんって呼んでも?」、「トー」と、互いの呼称に関して会話を弾ませている様子だった。そうして呼び方が定まったところで淡路島先輩は新橋と明日香の二人を一瞥して、

「それで二人は友達とかそういう関係なのかい?」

「さっき、なったばかり」

「はい。実は初対面でつい今しがた顔合わせしたところなんですよね」

「へー、そっかそっか。じゃあ、ぼくら三人、見事に初対面ってやつだね」

 朗らかに笑みを浮かべた先輩はすっと新橋に、そして明日香へと手を差し伸べ握手を求めた。

「なら、これから親睦深めていけるって事で心躍るかな。よろしく、エリカちゃんも羽叶ちゃんも。一個年上だけど、気とかそんな使わなくて構わないよ。気安く気安くかな」

「はい、ありがとうございます姫海先輩」

 律儀に新橋がそう述べたとこで彼女の額をつんっと淡路島先輩の人差し指が柔らかく触れ、先輩は穏やかな表情で「まだ硬いなぁ」と可笑しそうに笑った。

「ございますはいらないよエリカちゃん」

「えと……ありがとう姫海先輩――って感じかしら?」

「うん。こっちこそありがとう」

「ひめか、ありがとう。よろしく」

「そして羽叶ちゃんはぐぐっとくるね」

 小首を傾げる明日香の頭を先輩が、からから笑いながら数度撫でた。

 ええ、そいつ存外ガガッとくるんすよね。遠慮がある時と無い時みたいな感じなんすよ明日香さんって女の子は、先輩。

「おい、淡路島。自己紹介が終わったんなら俺らの方も紹介させてもらっていいか?」

「あ、そうだね。じゃあ折角だし順々に紹介してこうか?」

「それがいいな」

 恭介先輩は一度頷くと「まずは俺からが筋だろうな」

「初めましてが二人いるから紹介させてくれ。2-G所属の鍵森(かぎもり)恭介だ。気軽に鍵森でも恭介先輩でも好きに呼称してくれて構わない。好きな事は面白可笑しい事の探索とか音楽鑑賞、映画鑑賞とかそんな感じだ。今日は、よくユーストレジャーズの集まりに参加してくれたな。心から嬉しく思うぜ、淡路島、新橋、明日香」

 先輩が言い終えると同時に軽く拍手が送られた。

「サンキュな。それじゃ今日は昼を用意しといたんで、どうぞ食ってくれ。腕によりをかけたから味は保証する」

 その言葉を皮切りに一同の口から「いただきます」という声が響き渡った。

「これひめかが、作った、の?」、「ああ。そうだよ。口に合うと嬉しいかな」、「ん、おい、し」、「ひめか料理上手だったんだ驚いたし」、「確かに美味しいわね。あ、こら弦巻。お肉ばっかじゃなくて野菜も食べなきゃダメよ?」、「わうー、わかったー……」、「ガンガン喰えよー。まあ残しても秀樹が処理するから安心していいけどな」、「先輩、流石に量が……」、「おーやっぱ美味いな。淡路島のメシは」、「あ。これ聞いてないパターンだ」。

 俺達は用意された昼餉に舌鼓を打ちつつ、自己紹介を重ねていく形となる。

 残る面子は意外に顔合わせが済んだ形となっていたので簡単な自己紹介の流れと相成った。新橋はスポーツとか運動が好き、とか明日香は読書を好んでいる、とか淡路島先輩は写真撮影や帽子を好んでいるとかそんな風に紹介が進んで時が流れてゆく。

「しかし、少し意外だな」

 自己紹介が終えられた辺りで恭介先輩が口を開いた。

「なにがだよ先輩?」

「いや、新橋だよ。よく来てくれたもんだと思ってさ」

「どういう意味ですか?」

 新橋が不思議そうに小首を傾げた。横の日向がそんな新橋の様子を見て頬を染めて、好意の面立ちを浮かべている――って、お前随所で陥落済みなのな弦巻……。

「いや、そのな。新橋は男が苦手って聞いてるもんだからよ。この集まりに来るにしたって、友人と一緒かと思っていたら弦巻と二人で来た様子だから意外に感じてな」

「ああ、そういうこと」

 新橋も得心がいった様子で頷いていた。

「私――っていうか、弦巻は確かにそういう話で持ってきたんだけどね」

「うん。……刑部さんも、クローリクさんも参加出来ないって言われちゃって」

「へー。そっか、用事あるん二人?」

「ええ。真美は実は音楽嗜んでて、その関係で放課後は時間割いてるのよ。初音の方はあの子、次の生徒会選挙に出たいって事で今の時期から色々動いてるのよね」

「なるほど、音楽なら時間は有限だし、生徒会を望むなら部活は難しくて当然だな」

 半分娯楽だからなうちの部、と恭介先輩はくつくつと笑いを零す。

「でも来てくれたんだね、エリカちゃんは」

「う。それは、その……コイツが」

 淡路島先輩が呟いた問いかけに対して新橋は困った様に顔を赤らめた。

 隣では弦巻が「?」と小首を傾げている。

 だがまあ想像はつくな。

「わかったアレだろ。新橋が来れなさそうとか思った弦巻が、すげぇしょぼんとでもして仕方なくって具合だな?」

「そんな簡単に推測しないでくれる陽皐?」

 こめかみに怒りマークを浮かべつつも図星なのか訂正はしない新橋。弦巻に本気で頼まれると弱そうだからな新橋も。やがて諦めたのか「まあ、実際そんな感じよ。弦巻ってば、すごい私に来てほしそうにするんだもん」と自棄っぱち気味に言葉を吐き出すと「そうなんだ」と微笑ましいものを見る様に淡路島先輩がクスクス笑っていた。

「ひな君、随分と新橋さんに迷惑かけてるみたいだし、気を付けるんだよ?」

「わう……それはその、否定出来ないし……」

「ホントよまったく」

「でもエリカにたくさん関わりたいの」

「し、知らないわよ馬鹿っ」

 相も変わらずつっけんどんな新橋だが、弦巻はそんな態度でも嬉しいのか新橋に子犬がじゃれつくみたいにすりすりと甘えてくる。新橋は「すりすりしないのっ」と顔を赤らめていた。

 そんな様子を見ながら、淡路島先輩が感心した様に声を零す。

「ふふ、昔も人懐っこい子だったけど、エリカちゃんに対しては別格みたいだね」

「……さっきから気になってたんだけど、姫海先輩は、その……コイツの事、知ってるの?」

「ひな君のこと? そうだね、そんななんでもってわけじゃないんだけどね、そこそこ顔なじみだったりはするんだ」

 言いながらどこか懐かしそうに眼を細め、親愛に満ちた表情で弦巻を見つめる先輩は小さく笑みを零しながらそっと弦巻の頭を撫でた。くすぐったそうに弦巻が顔を綻ばせる。

「まだちっちゃい頃。それこそ七歳くらいの時だったかな。ぼくはその頃には病気を患っていてね。病室で一人、暇を持て余すなんて常日頃だったんだ」

「病気……話し程度に聞いてはいましけど」

「ま、ぼくが病気あるのは有名だろうからね。結構当時は大変だったんだ。その前には男の子みたくどろんこ遊びが好きな女の子だったしね。いきなりなんにもできませんよなんて言われても滅入っちゃうもんさ」

 あはは、と困った様に苦笑を零していた。

「けど過ごしていけば否が応にも、自分の身体に思い知らされてくからね――気づけば自分が無理は出来ないなんて思い知らされるのに時間はかからなくて。すると窓の外見ながら時間を持て余すなんて自然な流れだったのかもしれないね」

 そんな頃だよ、と先輩は優しい表情で弦巻を見つめた。

「誰かを探して泣きじゃくってる迷子の男の子が病室に入ってきたのはね」

 そんな表情も、ふふふっと意地悪い笑みに即座に切り替わったが。

 対する弦巻は「わ、わうっ」と恥ずかしいのか顔を真っ赤に染めて新橋の胸元に一層強く顔を潜めてしまう。新橋が「だ、だから、アンタは照れ隠しの場所変えなさいよっ!」と真っ赤になって恥じらっているが「ヤー」と聞く耳もつ気配はなかった。

「なんだか、ひな君、本当にエリカちゃんに懐いてるね。なにしたんだい?」

「わ、私だってわかんないですよっ。気づいたらもうこんなで……。毎日、毎日、もう私の事ばっか、夢中に、なってる、し……」

 言いながら恥ずかしくなったのか「私の事はいいから話し進めてください」とか細い声の要求が聞こえたので「わかった。じゃ、続けるね」と可笑しそうにしながら、

「じゃあ続けるけど、ほんとにそんな感じだったんだよね。ひな君てば、その時、なにかで病院にいたんだけど、確か誰かを探して迷子になってた、と思うんだよね。けど見つからない道もわかんないで『○○○、どこ~……っ!』って、ぼくの病室に泣きじゃくって入ってきたもんだから、びっくりしたなあ」

「そこで弦巻と知り合ったわけか」

「そういうことさ、鍵森君。流石に病弱なぼくとはいえ、泣いてる年下の男の子の世話もやけないじゃきっついからね。どうしたんだい、って尋ねてそこから、ぼくが中学へ上がるまでは親交が続いていたんだ」

「そうだったんですか……」

 新橋が納得した様に声を零した。

「うん。正直、ひな君は面倒みる相手としてこれ以上なく、面倒がかかる子だったよ。毎日一回は転ぶ子だったし」

「それは、凄くわかるわね……」

「わう!?」

 ガーン、と弦巻がショックを受けるも「手のかかる奴なのは否定しようもないでしょうがっ」と新橋は頬を赤らめながら頑なに譲る気配を見せなかった。そりゃそうだ。現在進行形で新橋が面倒みてる感じだもんな。

「ふふ、ぼくとしては二人のは微笑ましいけどね」

「微笑ましい?」

 新橋の疑問に対して淡路島先輩はそこでふっと顔に影を差していた。先ほどまでの明るい表情と比べてなんとも複雑そうな表情で弦巻に向け、口を開く。

「うん……。その頃のひな君は、ちょっと環境が過酷……だったんじゃないかい? 君はがんとしてぼくには言わなかったけどね」

「う……、ひめか、気づいてたんだ……」

「そりゃあ気づかないわけがないさ。でも力になれなくてゴメンね、ひな君」

「んーん、平気だったし、気にしないで」

 当時はしょうがないし、と日向は苦笑を浮かべていた。

 だけれど、それが強がりであるというのは誰だってわかる。その原因が何であったかを突き詰める事は酷なのでしやしないが、それでも弦巻も色々あったんだな、という事は理解できた。

つまり当時の事を知る淡路島的には今の弦巻は見てて安心するって感じか?」

「そうだね。だからなんていうのかな。幸せそうにしてる――そんな、ひな君を見てぼくとしては凄く安心したんだ。だからさ、ありがとうエリカちゃん」

 にこっと優しい笑みで新橋に告げる淡路島先輩。

 気にかけていた弟分の様な男の子がちゃんと幸せそうにしていたから。そういう理由で先輩は新橋に感謝を抱いている様子だった。新橋はどう返答すべきか少し戸惑った様子だったが、

「ま、まあ、その、どういたしまして……?」

 と、疑問形で頭を下げていた。そんな新橋に「ふふ、そりゃ反応に困るよね」と先輩はちろりと舌を出してそんな事を零している。

「そ、そうですよ。私は、別にこいつの彼女とかじゃないですし――」

 すると弦巻が新橋の胸元にぽふっと抱き着いてむにむにと顔を動かしながら何かぽつりと零した様だった。なんだ? と訝しんでいると新橋が首から上へかけてカーッと顔を真っ赤に染めてゆくと、唐突に無言になり押し黙る。

「……」

 聞かなかったフリが実に大変そうだ。

 言った張本人は凄く小さな声で呟いたのだろうが、対象が抱き着いてる相手なもんだから、なんか恥ずかしくなるような事を新橋は聞いたんだろうな。なんて言ったのかわからないけど新橋の反応を見る限り相当、恥ずかしい事を耳にした様だ。

 同時に近場にいた淡路島先輩は果たして聞けていたのかどうなのか。

 くすくすと可笑しそうに笑みを零すばかりである。

「それにしたってやっぱり驚いたなあ」

「……弦巻の事?」

 真っ赤な顔で新橋がか細い声を零す。

「うん、そうだね」

 ふふっと零れる様な微笑を浮かべて淡路島先輩は新橋、そして彼女に大好きオーラを振りまいて抱き着いている弦巻を見据えて口を開いた。

「その子が、そんな風にとびっきり誰かに心許してるのは初めて見たんだ。誰かに抱き着いたりするのは好きな子なんだろうけど、エリカちゃんには対して本当ダントツだね」

「そ、そんなダントツで抱き着かれたって困るんですけど……!」

 新橋の赤くなった発言に「それはそうだろうね」と淡路島先輩が苦笑を零す。

「ひな君。好きだからってそんなに抱き着いちゃエリカちゃんに迷惑かかっちゃうかもしれないよ?」

「うー、それはわかってるけど……ヤー、エリカには容赦しないんだし!」

「いやいや、しなさいよ⁉ アンタ、私の事好きすぎんのよ馬鹿ッ!」

 もう新橋の頭は回っていないかもしれないってくらい、新橋自身がすげぇ発言をしていた。本人自覚ないみたいだが、言っている内容が相当に気恥ずかしいもんだぜ、おい。

「わう、だって好き。大好きなんだし。大好きじゃ表せないくらい大好きだし」

「だ、だからね? そんな大好きになりすぎちゃ私の心臓が持たないって言ってんのよっ。何事もアレよ、塩梅とか加減とか、そういうのあるでしょ?」

「でも、ボク、エリカに夢中になってたいし……」

「だから、アンタは、なんでそう私に対して好感度がおかしいのよ―――ッ!」

 ついにこらえきれなくなったのか新橋が絶叫する。

「……好かれてるねぇ、エリカちゃん。ぼく、正直本気でびっくりしてるんだけど」

「私だって何がなんだかもうわかりませんよ!」

 心底意外そうに零す淡路島先輩に対し、真っ赤な顔で身悶える新橋。

「けど可愛いんでしょ?」

 しかし、先輩が微笑まし気にそう呟くと新橋は「うっ」と言葉に詰まる。

 そうして胸元に抱き着く弦巻の頭を少しだけ撫でると、

「…………まあ、男の子なのに、可愛いなぁ、とは、思う、けど」

 ぽつぽつと、恥じらいながらも弦巻に対してそんな感想を述べていた。すると胸元に抱き着いている弦巻が一瞬きょとんとした顔を浮かべていたがすぐに嬉しそうに破顔して「わうー♪」と喜色満面に喉を震わせる。

「あーもぉ、今のでそんな喜ばないのっ」

 言いながらこつんと弦巻の頭を小突く新橋。自分の発言への照れ隠しなのだろう、その態度は酷く柔らかで本気で苦言を呈している様にはとても見えるものではなかった。

 温かみに溢れた、そんな所作だったのだ。

「しかし意外な関わり合いだよな。世間は狭いってやつか」

「確かに、そんな感じっすね」

 恭介先輩の言葉に俺も肩を竦めて賛同する。

 まさか淡路島先輩がそんなに弦巻とかかわりを持っていたとは思いもしなかった。

 というか、

「先輩は明日香に関してもなんか知ってるんすか?」

「羽叶ちゃんかい? いやあ、流石にぼくも、そんな誰とも関わり合いをってわけではないさ」

 あはは、と楽しそうに苦笑を浮かべてそう返す。

「けど、これから仲良くなりたいとは思うかな。羽叶ちゃんとも、エリカちゃんともね」

 淡路島先輩にそう言われると新橋と明日香はどこか気恥ずかし気だったが、嬉しそうに笑みを零していた。

「まあ、羽叶ちゃんのお父さんとは知り合いではあるんだ。だから年の近い娘がって事は訊いていたからね」

 なるほどな、と俺達は揃って得心した。

「それで羽叶ちゃんはやっぱり本が好きなんだね? お父さんの影響かな?」

「ん、どー、だろ。でも昔から本に囲まれてたし……」

「へー……明日香の家ってそんな本たくさんあるの?」

「うん」

 新橋の問いかけに明日香は即座に首肯した。普段緩慢な明日香さんが即座に首肯できる辺り、こりゃ相当な数がありそうだな……。

「ちなみにどんな本を読むのかな?」

「小説。文学。哲学書。専門書……雑食な、ほうだと、思う」

「へー、それはまた凄いね。ビブリオマニアなんだ。エリカちゃんは?」

「私はそうですね……、そこそこ読む方ではあるかな。勉強関連で読書って欠かせないし、小説だって読んだりするし……。まあ運動が一番好きなので、あくまでそこそこだけど」

「そっか。けど読むんだね」

 偉いねー、と淡路島先輩は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 その発言に恭介先輩もこくりと小さく頷く。

「そうだな。読書するってのは大事だからな。最近は活字離れなんて文言が出てきてるくらいだし、それ考えたら読書してる新橋と明日香はいいんじゃないか」

「新橋なんかは勉強もすげぇ出来るわけだもんな。俺はあくまで小説くれーかな。それもメジャーな奴とかが大半だし。映画化とかドラマ化するようなやつ」

「それでも読書としていいと思うよ。問題は――」

 そこで言葉を区切った淡路島先輩はにっこりと微笑みながら、

「わう……っ!」

 弦巻を見据えていた。

「ひな君。きみ、読書とかしてるかい?」

「え、えと……絵画の本、とかは」

「活字もちゃんと読まないとダメだよ、ひな君?」

 じとっとジト目で見抜かれた弦巻が委縮した様に「りょーかい」と小さく零す。そんな弦巻を一瞥して「弦巻はどっちかってと美術関連の写真集とかだもんね」と納得した様に微笑を零していた。

 それを聞くと先輩は「絵画? ひな君、そういうの好きなんだっけ?」と意外そうな声を零す。聞かれた弦巻は嬉しそうに口を開いた。

「うん。中学で絵にはまったんだし」

「へぇ、そうなんだ。ひな君が絵かあ。興味あるな。今度、見させてもらえるかい?」

「わかったし!」

 満開の笑みで頷く弦巻。

 すると先輩は「けどそっかー……」と感慨深げに瞼を閉じて、

「やっぱり数年近く会ってないと色々変わるもんだね。ひな君が絵に目覚めてたなんて知らなかったよ」

「ま、数年ぶりならな。なにより、ここにいる面々みんな初対面みたいなもんだ。お互い知らない事だってごまんとあるさ」

 恭介先輩がそう呟くと淡路島先輩もその通りだ、と首を頷かせた。

「あ、じゃあさ。エリカちゃん、羽叶ちゃん。女子三人で今日の放課後、どこか出かけてみないかい?」

「え?」、「どこ、か?」

 きょとんとする新橋と明日香に対して笑顔で「うん」と頷く淡路島先輩。

「話してて思ったけど、やっぱりこの一回だけじゃ足りないからね、お互いに。だから女子会みたくってのはどうだろう?」

 淡路島先輩が喜色の籠った提案を浮かべると恭介先輩が「おい、俺ら男衆は」と苦言を挟むも「君、放課後用事があるんだろう?」と切り返され「そうだった……」と天を仰ぐ。弦巻も「僕も今日はこの後、用事あるし」と零したので必然、俺も不参加だ。

 女子三人の集いに入る勇気あるわけないじゃないっすか。

「男子同士では親睦深めてそうだからね。ぼくたち女子も親睦深めておくのがいいんじゃないかって思う。幸い、この学院は色々とり揃っているからね。だから、十三学区でショッピングとしゃれこむのも親睦を深める意味で悪くないと思うんだけど、どうだい二人は? 放課後、何か予定あるかな?」

「特には、私はないですね。明日香は?」

「ない、よ」

「そっか。それじゃ、どうだろう?」

 淡路島先輩の優しい誘いに二人は少し考え込んだ様だが、やがて新橋は柔和な笑みを浮かべてハッキリとした声を発した。

「それじゃあ、その……折角のお誘いですから、行きます」

「私も、お出かけは。楽しみ、だから、行きたい」

 続く明日香の発言を聞き終えると「じゃ、決まりだね」と先輩は嬉し気に頷く。

「それじゃ学校が終わったらまずエリカちゃんのクラス寄って、次に羽叶ちゃんのクラスへ向かうから自分たちのクラスにいてもらえるかい?」

「わかりました」、「トー」。

 なんというか実に華やかなパーティが構成されている!

 淡路島先輩、新橋に明日香とか綺麗どころがまた揃ったなあ。その三人が揃ってショッピングとかかなり目立ちそうだし、華がある事だろう。傍目、すげぇ可憐だろう。

 問題は、明日香の女子力がどうかって話なんだが――、そこで不意に「不安だ」と恭介先輩が何故だかそんな発言を零していた。その発言は当然、淡路島先輩も聞いていた様で「なにがだい?」と不服そうな顔を浮かべ先輩を見据えている。

「おい、淡路島。お前が率先して平気なのか?」

「む、どういう意味だよ鍵森君」

「いや、お姉さん風を吹かせるのは悪くないんだが、お前そもそも箱入りむす――」

「舐めてもらっちゃ困るな鍵森君。人は日々成長するのさ」

 まるで先輩の言葉を遮る様に淡路島先輩は自分の胸に手を当てて強い言葉が告げていた。

 よくわからんが、先輩は何を不安視してんのかね? あの、美少女で有名、淡路島家で有名な淡路島姫海さんだぜ? そんな人が率先するショッピング――不安なんて欠片もないだろ。確かに女子力皆無みたいな明日香がお荷物になるかもしれんが、それでも女子力高いだろう新橋に淡路島先輩がいるんだ。

 オシャレにショッピングをこなせないはずがない。

「いいや、そもそも面子的にいざってケースを想定すると弱い」

「いざって言うと?」

「ナンパとかだよ。お前らどんだけ綺麗どころ女子だと思ってんだ」

『?』

 すげぇ三人共揃って小首傾げやがった。

 美少女しかいないって自覚を持とうぜ、うん。先輩は呆れた様に嘆息を浮かべて、

「ともかくだ。もしなんかあった時に対応できそうなのが新橋のみってのが大変そうだからな。お前らちょい他に面子入れるから、それで女子会としゃれこんでこいよ」

「女子会って言ったって鍵森君? ここには、ぼくら三人しかいないんだけれど」

 そんな淡路島先輩に対して「心配すんな」と頭を振る。

 手元に携帯電話を取り出すとどこかへと電話をかけて、

「この部活にはちゃんともう一人女生徒いるんだよ」

 ニッと強い笑みを浮かべ、そう零すのだった。


        2


 ユーストレジャーズ主催の昼時も済ませ、午後の授業も終了し放課後になると、俺は一人中庭で暇を持て余す事となっていた。傍に知人友人の姿は一つもない。

 なんで、そうなっているのかと言えば大した話じゃないんだが……。

「ま。そもそもにして何をするかって話だしな」

 ぼそりと小さく零す。

 そう。俺が最近、特に頑張ってみようと思う事は大まかには二つ。ユーストレジャーズの事と明日香の一件だ。部活に関しては部員集めと言う点では明日香を招いてみた。

 その結果として、明日香は本日放課後は新橋に淡路島先輩と言う頼れる二人と一緒に街中へぶらりと出かける事となった。ただ恭介先輩だけが『不安が強すぎる。もう一人、二人、知人を向かわせるから合流しとけ』と言う言葉と共に送っているが。

 そんなに不安なもんなのかね?

 明日香はまあアレとして……、新橋は結構みんなの中心だしオシャレな店とかにも詳しかったりするんじゃねぇのかな? 淡路島先輩だって頼れる女性の先輩ってイメージだったけど恭介先輩的に不安視する部分があるんだろうか?

 ま、俺が気にしても始まらないか。

 一応、恭介先輩が呼んだ助っ人もいるみたいだしな。

 んでもって、男性陣である弦巻と恭介先輩はと言えば、

「先輩は主を迎えに美花赤へ。弦巻は教育係のメイドさんに引っ張られてっちまったし」

 俺一人ってわけだな、と呟くと微妙に寂しくなってくる。

 先輩と弦巻は従者職だけど、俺は一般生徒だからな。こういう時に微妙に疎外感を覚えちまう。当然の事っちゃ当然の事で仕方ない事なんだけどさ。俺だって執事の仕事がありますよって言われてしたいかで言えばうーんって悩むわけだし。

 ちなみに『じゃあ俺はうるきちを拉致ってくるぜ』と相変わらずツッコミどころ満載なお迎え宣言と共に美花赤に向かった先輩に対して弦巻は大分違っていた。

『僕、主様から美花赤へ来るの禁じますって言われてるし……わう』

 と、しょげ気味に零していたのが気になる。それもあってやってきた教育係のえらい形相が不敵っつーか笑顔が禍々しいひじきさんってお方により『気落ちしてねーで、さっさと屋敷へ戻るぞYA。人一倍、家事がへたっくそなんだから練習せい。こないだも皿四枚割りやがってからに』と説教を受けつつ引きずられる様に二人は去っていった。

 弦巻、ドジっ子だもんなあ。正直、従僕の貫禄はまるでない。

 ともかく、そういった形で男性陣は仕事の為に下校。女性陣も四人くらいで女子会に行っているので俺の放課後の予定は当然ながら無味無臭だ。そしてなによりも。

「明日香さんいません。イコール、【翼】探しとかも今日はお休み、と」

 誰かに聞かれてたら首を傾げる事、間違いなしの発言だな、と俺は小さく苦笑する。

 正直、何度自分で呟いても不思議極まりねぇな。

【翼】。

 恐ろしく抽象的なものを俺は明日香に頼まれて探すのを手伝っている。本人曰く【翼】とは言うものの厳密にはどんな代物なのか判然としない。恐ろしく定義の不鮮明な代物。正直なところで言えばとっかかりが何一つもありゃしない。

【翼】とかいう名称自体も本人の言であり、別の名称であるのかもしれない、が。

「簡潔に言えば手がかり一つわかりゃしねぇってわけだしな」

 何をどう探しゃいいんだろ? いや、本当にわからないな。

 頼まれて以降、俺と明日香は、手探りながらも行動を起こしてみた。大図書館で蔵書を探してみたり、街中を散策してみたり、とな。

 けどまあ。

 当然ながら、それで見つかるなら世話ねぇわッ!

 始まって数日で気付く実態だった……。そりゃ探す代物が何なのかも、探し方も何もかもわからない状態で適当な事ばっかやってても見つかる道理はない。どこかで手がかりに当たれば奇跡みたいな話だ。

 という事で捜索が行き詰まるまで四日もいらなかった。

 無理に動いてもダメだという事は明日香も承知の上だったらしく、『もっと前に、気づくかなって、思ってた』と言われたぜ。ハハ、明日香さんや。わかってたならもっと早く指摘してほしかったかな。三日目とか骨折り損だったみたいじゃんか……!

 つーわけで現在の俺は見事に予定なしの暇人ってわけだ。

 そんな俺に話しかけてくる奴って言えば大抵は友人くらいなわけだが、朝に見かけた上杉が近場にいるでもなし、鎧潟とは基本そんなに行動を共にするわけでもない。

 だから本当に用事がないのだ。Hクラスに入り浸るのもアレだしな……。

「オー、こないだの兄ちゃんじゃねぇか。ここの生徒だったんだぜい?」

「んあ?」

 そんな時に呼びかける声があった。

 この声……聞き覚えが、微妙に、あった。微妙にだけど。

 しかし記憶には残りやすい声の主だっただけあって俺はまさかと思いながらも、声の主へと視線を振り向けた。そこにいたのは一人の男性だった。サングラスにアロハシャツと言う実にアロハな服装をしている一人の男。

「……この前のポップコーン屋台の店主じゃねぇか!」

「イエス!」

「……なにやってんの、こんなとこで?」

 俺は思わず訝しむ様に声を響かせてしまうが、流石にこりゃ無理だ。

 芳城ヶ彩の敷地内が広大だからってこないだのポップコーン屋台の店主に、ここで出会うとかは想定していなかった。

「ふふん、気になるんぜい? 気にかかるんぜい? 気にしちゃうんぜーい?」

「うぜぇ反応だなあ!」

「屋台の店主なんてうざがられる程度で丁度いいんぜい!」

「トルコアイスか!」

「トルコアイスなー。あれ、日本文化と中々マッチングしないって事で同業界隈じゃ諸々言われてるんだぜい。やっぱあれやね。渡す! と、見せかけて! を、何度も繰り返すと怒られるんぜい」

「リアルそうな話だな……けど、御託はともかく何でここにいんの? あれか? 生徒の保護者としてやってきました的な」

「生憎と俺ちゃん今は独り身よ。好みの女はいるんだけど、これがまーたツンツンでね。陥落までの道のり遠いわ、ヌヘヘヘヘ」

 その割に陽気な反応だけどな。……いや、これ空笑いか、もしかして?

 そっか……大人になっても恋愛って苦労すんだな。

「俺は学生のうちに恋人作ろ。頑張らねぇと」

「あれなんか俺ちゃん恋人いないイコール年齢に見られてる?」

「まさかテメェ……モテるのか……⁉」

「モテるも何も同棲中ぜーい!」

「馬鹿な! さっき好みの女はツンツンってのは何だったんだよ⁉ 二股かテメェ!?」

「見くびるんじゃねぇぜい少年」

 しかしそこでポップコーン屋台の男はサングラスをギラリと光らせドスの籠った声で、

「同棲してる相手がそれだが、一切手出しさせてくれないツンツンってだけぜい」

「お前それもう脈無いんじゃね?」

「ガッデム! シャラァーップぜーい!」

 滂沱の涙を零して鬼気迫る表情が俺の顔面に迫っていた! 暑苦しいわ!

「……くっ、これが生殺しってやつなんぜい? 女と同棲シチュで手も出さないなんてただのヘタレなんぜーい!」

「知らねぇよ。生殺しすら経験ないからな俺」

「DT?」

「流暢に酷い事を聞くな。つーか高校生なら普通だ!」

「ハハッ、それもそうんぜーい」

 俺は肩を落としつつ「ともかくここ学校なんだから、その手の話題は収めとけよ」と苦言を呈すと「こりゃ失礼したぜい」とおどけた調子ながらも話題を収めた様だった。

 そうしてから俺は結局、なんでポップコーン屋台の店主がここにいるのかを改めて尋ねてみる。すると店主はなんでもない事の様にさらりと語ってくれた。

「まあ、簡単に言うと商売関連だぜい」

「商売関連?」

「そっそ。ほれ、この学院そろそろ【大体育祭】開くぜい? その頃になると学内に屋台が並ぶんだ。だから俺ちゃんも一旗振るかねーって事で来た次第だぜい」

「ああ、そういう事だったのか」

 店主の言葉で納得する。そっか、体育祭に店として出店するわけか。

「……そういや先輩とか親父が言ってた様な」

「へー、お兄ちゃんの親父さんとかも芳城なん?」

「ああ、まあ、そうなんすよ。だからいくらかは事前に聞いててさ」

「そっかそっか」

 なるほどね、とカラカラと笑みを浮かべて店主は頷く。

「なら期待しておきな。俺ちゃんも毎年、見てるけど、この学院の【大体育祭】は他とは規模が違うんぜい。そのうえで、屋台もそこかしこ。まさしくお祭り状態ってやつだぜい」

「そうなんか……! 俄然、楽しみになってきたな……!」

 今からドキドキしてしまう。

 高校最初の体育祭が半端ない規模の【大体育祭】。盛り上がらない方がおかしい。気分が昂揚しないわけがない。俺は店主から一片程度の情報しか聞いていない――しかし、それでも楽しみが抑えきれなかった。

 店主はそんな俺の様子を見ながら「青春するこったぜい」二カッと笑みを湛える。

「じゃ。俺ちゃんも学校側に許可申請するんでここらへんでだぜい」

「ああ。すんなり通るといいな」

「ゴタゴタするのはめんどそーだからなあ。出店したら、一回くらい足を運んでくれりゃーおまけくらいはつけるんぜい?」

「マジか。んじゃ楽しみにしてますよ」

「期待して待ってるんぜーい」

 相変わらずの気の軽い声と共に店主は去っていった。

 俺はその後ろ姿を見届けた後に「屋台も出るんかあ」と、食事大好きな男の子としちゃあ楽しみが増えた気分で拳を握る。屋台巡りとか楽しそうだしな!

 しかしまあやっぱ【大体育祭】に向けて色々動きがあんだな。

 行事の折に出店される店の店主とかも来たりするわけで……、

「みんな、色々やってんだよな」

 そう考えると何となく寂しく感じられた。

 弦巻も恭介先輩も職務に赴いてて、明日香たちも親睦を深める意味で和気藹々としている中で、俺一人ぽつんと何もせず下校するのはなんとも物寂しい。

「俺もなんかするかな……つっても、なんかあるかな。こう、爽快感のあるやつでサッパリとしてぇから出来れば体を動かす奴とか……」

 考えたところでハッと気づく。

 そうだ、そうだよ。アレがあるんじゃないか?

 その事に思い至った俺は電子生徒手帳をパッと開く。そして検索機能を利用した結果、ある目的地が表示されたのを確認すると俺は思わず口角を釣り上げていた。



 ――という事で、プールに入りに来ました!

 脈絡ないって? なくていいんよ、んなもん。ノリと気まぐれ。ふと、思い浮かんだ選択肢に思うがままに飛びつく無鉄砲さ。その大胆さも時には大事って事をみんな知っておこうぜ。

 こう気晴らしにプールいけるとか最高じゃん?

「にしても」

 想定はしてたけどよ……やっぱデカいなあ。

 芳城ヶ彩に建造された遊泳施設が小規模なわけは当然ながらない。

 一般的な学校のプールの数倍規模に匹敵する敷地面積の特大施設であり、一見して市民プールかってくらいの造りの良さを感じさせる。風情を感じる樹木はもちろん、一部にはウォータースライダーを完備している辺りが最早、どこぞのレジャー施設ばりだ。

 しかし基本は学校の施設。

 この施設は遊びではなく練習に特化する様に作られており、基礎的には生徒の訓練に特化する様に泳ぐための簡素な造りが徹底されている。

 確かに水泳部が本気で訓練している横で他の生徒が騒がしくはしゃぐって構図はなんだか申し訳なくなると思うので俺としては得心のゆく形だ。

 とはいえまあ。

「……そっち方面のは第十学区にあるんすね」

 流石ぁ、と思わず零してしまう気分だ。

 だってこの学院だぜ?

 そういうありそうな施設が無いなんて事はまず考えられない。俺のそんな考え通りに電子生徒手帳でちょいと検索かけたらありやがりましたよ。第十学区。ゲーセンとか映画館に水族館がある娯楽施設群衆地帯な。そこにあったよ普通に!

「規模はしかも30万坪……この学院は何をしてぇんだ……!」

 年間結構人の出入りがあるらしい。もはやため息しか出てこねえ。

 この学院で出来ない事はほぼ無いってくらいに設備が充実してるからなあ。相変わらずの学院側の力に驚きつつ、俺は水着を借りるべくプールの受付へと足を運んでいくのだった。



「うっし、こんな具合かね」

 受付で学生証を提示した上で借り受けた男性用水着を着用した俺は水着のフィット具合を確認し、キラキラと陽光で煌めく水面を見ながら新鮮な感想を抱いていた。

 なにせ学校のプール使用はこれが初めてだ。

 芳城ヶ彩では体育の授業にプールとかは無いって話しだから、実質、自主的に使用しない生徒はプールを利用する事も無いらしい。後は体育祭の種目であるらしく、それの練習で訪れるような奴らとかになるそうだ。

 そんな生徒たちの為に、学院側は生徒手帳提示で施設の無償提供をしてくれるわけだ。

「まあ、そういう配慮の良さ以上に……最高かもしれね、ここ」

 競泳水着を着用した女子、女性が横を通り過ぎてゆく。

 くう……! 来てよかった……! なにこの光景、天国かなんかだろうか!

 そりゃまあ海で着ていくオシャレ水着とかじゃあない。でも競泳水着はそうした露出とは別で色香があると俺は思うんだ!

 あ、決して水着目当てとかで来たわけじゃないっす。純粋に泳ごうとかスポーツ魂で来たわけであって、当初からの目標の一つとかじゃないんす、信じてください。

 あ、今の人スタイル良くて美人だうひょひょー……!

 …………。

 ……仕方ないんだッ。男なんだッ。目も行くわッ。許してくれッ。

 と、まあいつまでもそんなよこしまな感情抱いてても仕方ないわな。なにはともあれ、プールでサッパリしたいって気持ちは嘘じゃないんだし、さくっと本懐を果たそう。

「うっし、何はともあれ泳ぐとするか!」

 俺はぐっぐっと体を伸ばして手足を軽くばたばた振った。そして視線は輝く水面へ一直線に注いでいく。準備完了!

 気晴らしに、いざ水面へジャンピング!

 俺は心地よい水しぶきを弾かんと勢い盛んにプールへ向かおうとした――、

「準備体操を舐めるなぁーっす!」

「ごふぅっ!?」

 時に、予想だにしない一発が腹部に見舞われた。

「げべふぁっは」

 口から空気が『さよならー』って、手を振って去ってゆく。

 そして俺の肺から空気をおさらばさせた張本人はすくっと立ち上がると、横たわる俺を見下ろしながら嘆息交じりの視線を投げかけてきていた。

「お兄さん、正気っすか? 危ないじゃないっすか!」

「突如タックルしてきた奴が言うセリフじゃないよな⁉」

「これは勢い余ったバタフライなだけっすよ!」

「バタフライ強ぇな!? ――いやいや、ないだろ!? 水面から陸地へ上がるバタフライなんて聞いた事がないぜフェーイ!?」

「フェーイってなんすか、その反応。馬鹿っぽいっすよ?」

「言われてアレだが反論材料ねぇな確かに!」

 呆れた目で見てくる相手に対して俺は顔を隠して羞恥を抑え込む。

 そうだよな。フェーイってなんだろうって話だよな。やべ、はずかちい。

 しかし、マジで予想してなかった。だって周囲に人とかいねぇし、誰かが走り寄ってくる空気とかもなかったんだ。なのに――なのに、まさか水面から人が飛び出してきて腹にタックルかましてくるとか思わんだろ!

 それもこんな美少女なんだから――、

 …………。

 ……うん。すっげぇ可愛い子だな。褐色の、小麦色っていうのか、健康的な肌色をしていてなんとも小悪魔っぽい印象っつーか猫っぽさのあるかわいらしい顔立ち。平均的な身長だが。スタイルもよく胸もそれなりにあって、なにより競泳水着って事で目を惹いてしまう――というか彼女は、

「お兄さん。どこマジマジ見てるっすか?」

「うぐ……あー、と……どこと言われれば胸とか、くびれとか、顔かな」

「正直っすねー」

 う、うっせぇな。誤魔化せない感じだったんだから仕方ないだろ! つい目が行っちまったのも事実だしさ! 水着なんだもんよお! 水着なんだもんよお!

 呆れた反応を返す少女。存外、こう嫌そうな反応が少ないので内心びっくりだ。

「……俺が言うのもなんなんだが、もっと嫌がるか、恥じらうもんじゃね?」

「ははは、面白い事を言うっすね、お兄さん。自分、水泳部っすよ? んなもん一々気にしてたら水泳なんかやってられねっすよ♪」

「お、おおお……恥じらいは忘れるスタンスか」

「いいえ、いったん横に置いとくスタンスっすよ」

 キランとサムズアップしつつ言う少女。

 こいつ……いい性格してやがる……!

「ま、お兄さんのやましい視線はこの際どうでもいいんすよ」

「う、そこはその……悪かったな? 男なもんで、ついというか……。水も滴るいい女的なものを見ていよっしゅあー! ってなったつーか」

「あっはっは、まーそんくらい喜ばれたんなら一周回ってありがとさんっす☆」

 けーど、と少女は軽く声を間延びさせて、

「さっきのは頂けねっす」

 と、真剣みを帯びた声でそう呟いた。

「……さっきのっていうと……」

 準備体操がってやつか? と、軽く問いかけると「ですです」と呆れた様にしきりに頷く。

「……一応やったぜ?」

「はー? アレで一応? ふざけろっすよ、お兄さん。あんなもん、準備体操なんて言わないっすよ。準備体操はもっと念入りに行うもんっす。あんな短時間で終えていいわけが、ない」

 やたら強い語気でそう述べる。

 これはアレだな……怒ってるっていうよりも……。

 俺の事を心配してくれている故の怒りって感じだ。悪気みたいのは一切なく、純粋にこっちの事を案じている人の態度だ。煽り口調なのが気になるが。

 けど、訴えかける視線は純粋そのもの。彼女が水泳部って事を考えれば、確実に俺の準備運動がダメダメだったのだろう。実際、早く入りたくてさささってやっちまったしな。

「あー……その、悪かった。なんていうか早く水に入りたくてさ」

 俺がそう零すと、彼女はぴくりと微かに眉を吊り上げた。

「気持ちはわかったっす。けーどーも、わかるけど、アレじゃダメっす。ダメダメなんすよ」

 念を押す様に返された言葉。

 諭す様な優しい、けれど強い口調だった。

「もし事故が起きた時とか、さっきので後悔する事になるんすよ。準備運動もっとしっかりやっておけばよかったーって」

「それは……」

 学校のプールだし、そんな事にはならないだろう。

 そう感じる反面。

 確かに彼女の言葉は理にかなっていた――と、理性的な感情はそれを肯定したのだった。もしもの時に大丈夫なのか。そう問われたら返す言葉もない。

「まあ、悪かった。ちゃんとするよ。これでいいんだろ?」

 俺は申し訳なさそうにそう零すと少女はパッと明るい笑みを発した。

「そうそう、そっすよ! それでいいんすよ! いやーお兄さん話がわかるっすね!」

「お、おお、そんなに喜ぶとは思わなかったからビックリだぜ。――にしても、俺の事、お兄さんっつーのは違和感ねぇのか?」

「はえ?」

「だってお前、俺と同学年だろ?」

「およ? 自分の事知ってるんすかね?」

 意外そうに眼をぱちくりする。お前な……。お前の外見的特徴も踏まえてだけどさ。お前は結構、学院じゃ有名人の部類なんだからそりゃ知ってるわ。

「ナハトシュハイムだろ? マイナ=ナハトシュハイム。水泳部のエースの一人って事でそりゃ有名なんだから知ってるに決まってるだろ!」

 俺がそう呆れた様に零すと彼女――ナハトシュハイムは「そっすかぁ?」と物凄く心外そうな表情で返してきた。喜ぶか照れるべきじゃねぇかなここは?

「いや、その反応違くね? 的な視線は想定済みっす。けど、自分としちゃ微妙なんすよね。水泳部のエースって言っても、他に凄い方々知ってるっすからね~。エースってのがピンとこねーんすよ」

「上には上がいるってやつか?」

「うんにゃ、分野違いってやつっす」

「なるほど。背泳ぎとクロールみてーな?」

「ザッツライっす!」

 二カッと明るい笑みで返すナハトシュハイム。そりゃ確かに分野違いだな。

「そういうわけでお兄さん。自分は水泳部のエースって身の上じゃないんすよ。おわかり?」

「それはわかった。けど、お前結局お兄さん呼びなのな?」

「あははは、これはもう癖みたいなもんっす。なんか男子とかお兄さんとか呼んじまうんすよねー自分でも不思議っすけど。ま、たまに『おにいたんって呼んで』、『お兄様で頼めないか』とか、わけのわかんね注文する奴とかいるっすけどね」

「お前、その注文絶対受けるなよ後々大変だからな」

「理解してるっすよ」

 肩を竦めてふにゃっと困った様な苦笑を漏らすマイナ。

「おう、絶対にそういうの甘受したら大変な事になるから気を付けろよな」

「あいあいさっす」

 言って敬礼のポーズをするマイナ。なんていうか本当にノリがよくて明るい奴だよな。

 とても朗らかで明るい女の子って印象だ。

 だが現実、こいつは実は凄い奴なのだという事を俺は知ってる。なんつたってコイツは芳城ヶ彩の一学年、そこの体育特進科クラスの一員――すなわち、運動推薦、スポーツ特待が認められている特待生だからだ。

 得意な泳法はバタフライ。

 その技量に関しては現時点でプロにも通用する次元と言われるくらいに、バタフライに関しては常人離れした泳ぎの記録を持つ高校生。そんな少女が有名でないわけがない。

「けど実際に会ってみると凄みとか感じないもんだな」

「あー、失礼な言い方っすねー。ま、自分も同意見っすけどね!」

 軽っ。もっとこうぷりぷり怒ってもいんだぜ今の発言?

「同意見でいいんかよ?」

「そりゃ自分高校生っすもん。んな持ち上げられたちやほやむず痒いだけっすよ?」

「なるほど、そりゃ確かにありそうだな」

「そっすそっす。昔、そういうのあったんすけどたまったもんじゃねーっすよー? マスコミがガンガン話しかけてくるのに笑顔でへーこらメンドクサイ限りっすもん」

「はは、正直に言うんだなナハトシュハイムは」

「あーそれそれ、それはいいっすよ。自分、家名は長いんでマイナで構わないんす」

「お、そうか? そろそろナハトって呼ぼうか悩んでたとこだからサンキュな」

「意外な短縮するっすね」

 何がツボだったのか、さも可笑し気にマイナは笑みを強くした。

「けど、名前がこれって事はマイナはドイツ人、なんだっけ確か?」

「ドイツとのハーフっすね」

 ドイツ人とのハーフ。この学院は比較的留学生も多い事からハーフも珍しくはない。しかしマイナみたいな可愛い女の子でハーフってなれば人気が出ないわけもなく、彼女は水泳部でも人気の一角となっているそうだ。

「それでお兄さんはなんつーんすか?」

「あ、そうだな。俺の自己紹介まだだった。陽皐秀樹な。よろしく」

「ああ。あの覗きの……」

 マイナが数歩下がった。

「引かないで!?」

 くそう! まだ尾びれ引いてんのかよこの話題! 冤罪確定してんのに、未だにこの手の反応残ってたのかよ! だよねー!

 と、思ってたら意地の悪い笑みでニシシと笑うマイナ。

 ……ほほう、やっこさんテメェ。

「ジョークっすよ。お兄さんが無罪っての知らないわけないじゃないっすかー☆」

「ようし、覚えてろよこんにゃろう」

「やーん、何する気っすか? 自分の着替えシーンとか覗く気なら今度こそお縄っすよー?」

「うぜぇ! そしてプールでそれを言うのは止めろ! あ、違います今のは冗談の流れなんでそんな危険視しなくて平気ですんで……はい、はい」

 道行く水着のお姉さんに釈明を入れる俺。あれ、千疋の時と同じ感覚が……。

「……お前ね」

 恨みの籠った視線を送るとマイナは「てへぺろっす」と舌を出して謝罪を返す。可愛いからって許すと思ったら大間違いだぞ許すけどさ! 許すけどさあ!

「くそぉおおおおおお……可愛いの馬鹿野郎……!」

「お兄さん面白いっすねー♪」

 けらけらと嘲笑われている……!

「ま、この話はそこらへんにして、お兄さん今日はどうしたんすか?」

「へ? どうしたっつーと……何がだ?」

「何がって程じゃないんすけど、初めて見かけるもんだから。だって自分いつもここに来てるっすけどお兄さんは初見っすもん。興味本位っすけど、どうしたのかなーって」

「ああ、それな。大した事じゃないんだ。単に急にサッパリ運動したくなってプールがいいかねーってなっただけでよ」

「なーる、そういうのっすかー」

 得心がいったのか手をポンと叩くマイナ。

 そうそう。なんか急にやりたくなったから来てみたってだけで深い理由じゃないんだ。

 ああ、でも折角だから……。

「なあ、マイナ。初対面でアレだが一ついいか?」

「なんすか?」

「時間あるんならせっかくだし、俺の泳ぎ見てもらったりしてもいいかね? お前、一流って聞いてるし、ならーって感じなんだが……」

 俺の不躾な提案。

 だが気の良い同級生のマイナは「おもしろそっすね。いいっすよー」と白い歯を見せて二つ返事を返してくれたのだった。



「うーん。中々どうしていい感じじゃないっすかー」

 開始して数分。マイナからの評価は存外いい感じだった。

 クロールをしていた俺は動きを止めてマイナの方へと近寄る。プールの縁に座り、脚をちゃぷちゃぷさせているマイナは俺の身体を睥睨しながら、

「肉の付き方がいいっすね。下半身が弱くもなく、上半身もちゃんと鍛えられてる。バランスがちゃんと取れてる証拠っす。クロールしてても変なズレとかは無い感じっす」

「おお、そうか! いやお前にそう言われると自信つくな!」

「後は最後までバランス維持出来るかっすかねー。後半になるとお腹が沈みかけた場面があるっすからね。そこを修正出来ればかなーりいい泳ぎ方になるっすよ」

「へー……そういうもんなんか」

「はいっす」

 こくりと頷くマイナ。

「けど、なんか残念っすよー。こう下手くそな泳ぎとか期待してたんすけどねー」

「ははは、ざまみろ」

「お兄さん、泳ぎ教えてとかいいながら、普通に泳げてるじゃないっすかー」

 何がしたかったんすか? と暗に尋ねてくるマイナに対して俺は泳ぎを止めると「まあ大した事じゃないさ。単純にプロレベルっつー、お前に見てもらえるのはいいかなーってだけだ」

「ははー、なーるー。けど、それならコーチに見て貰えばよかったすね」

「コーチか。そういやコーチいるんか部活だし」

「美人でバインバインっすよ」

「逢わせてください」

 気付けば俺は水中で土下座をしていた。

「死ぬわっ!」

「一人ノリツッコミとか何やってんすかお兄さん」

 し、仕方ないだろ! それ聞いたら気づいたら土下座してたんだよ! あれ、俺、実はものすごく情けない醜態をさらしたんでは……。

「ま、コーチ今日はお休みっすけどね」

「マイナてめぇ!」

「あと素敵な旦那さんいるっすしね」

「マイナてめぇええ!?」

 からかわれただけだったのか俺!

 そりゃそうだよわなあ! 美人でバインバインで学校講師ならモテにモテるだろうし、結婚済ませててもおかしくないわなあ!

「く、くそぉ……マイナに弄ばれたぁあああ……」

「いやー、お兄さんリアクション一級品っすね。マイナ検定4級あげるっす」

「なんの検定なんだか意味がわからねぇ! そして低いっ!」

 そんな俺の醜態がツボだったのかプールの縁で足をばたばたさせ、腹を抱えているマイナさん。どうしようこの同級生すげぇ殴りたい。

「くそぉ、後で覚えてやがれ……!」

「あははは、悪かったっすお兄さん。だからそんな怒らないでくださいっすよ」

 一応の謝罪を示すマイナ。後はそのにやけた口元さえ隠せれば完璧だったな。

「まあ、けどホント、コーチの件は置いておくっすが、泳ぎは教わるほどって事でもなさげっすよ。つーか、平均以上みたいっすね。どこで習ったんすか?」

「ハワイで親父に」

「お兄さん実は高校生探偵でもやってるんすか?」

「俺がそんなに頭脳明晰に見えるか?」

 言ったら「見えないっすねー☆」とさも可笑し気に笑うマイナさん。きみ、さっきから少し笑いすぎやないだろうか? 秀樹君、怒っちゃうぜくにゃろう!?

 でもまあ……。

「けどすげーなお前。クロールにも詳しいんか」

 俺は率直に感心を示していた。バタフライの選手と聞いていたが、泳ぎにきちんと精通しているようで俺からしてみりゃ立派にコーチだ。

「クロールは基本っすからね。というよりすべての泳ぎ方の基礎の把握は必要不可欠っす」

「プロ意識だな」

「まだ学生っすよ」

 あはは、とマイナは可笑しそうに微笑を零す。

「けど俺から見たらすげぇよ。だってお前、プロでも通じるレベルなんだろ?」

「んー、まあそう言われてはいるっすね」

「水泳ってかなりきついって聞くからさ。目標持ってやってるお前半端ないって思うわ」

 俺がそう言うとマイナは複雑そうに「そんなもんっすかねー」と小さく呟いた。

「そんな泳げるって事はお前、泳ぐのが大好きなんだろうな」

 こんだけ泳ぎが得意で、プロの世界の領域とまで言われるマイナ=ナハトシュハイム。

 ならきっと彼女は泳ぐことがたまらなく大好きでこの世界を進んでいるんだろう。俺はそういう気持ちになれるのすげぇなと朝の会話を思い起こしながら呟いていた。

 だから、

「――がうっすよ」

「え?」

 俯き加減だったマイナが静かに上げたその表情、

「違うっす。大間違いの不正解っすよ」

「マイナ……?」

「自分、泳ぐことが、好きなんて。ハ、バカげてるっすね……」

「は……? ――ッ!」

 隣に座るマイナの瞳が怨嗟に満ちている事に、俺は驚かざるを得なかったんだ。

 轟々と燃える瞳。しかしこれは情熱に満ちた目じゃない。むしろ憎しみに彩られた瞳だった。泳ぐって事に関してなんでそんな目をするんだってくらい彼女の瞳は激しい憤慨に溢れている。

「おい、マイナ――」

 俺は思わず彼女の名前を口に出していた。しかし彼女はすっと立ち上がると、先ほどの表情とは打って変わって明るい笑顔を浮かべて、

「あちゃー、変な事言ってすまなかったっす! 自分、泳ぎの練習あるんで、それじゃっす」

 と、何事もなかった様に歩き去っていってしまう。

 俺はその背中をただ茫然と見送るしか出来ずにいた。

 ――いや。

 今日初めて会った相手の零した、意味の読み取れない言葉に対して。

 俺なんぞが出来る事など一つもないのは至極当然の事だ。

 だけれど、俺はマイナの見せた瞳の理由がわからず、それをしこりの様に感じながら、しばしぽかんとプールの中を揺蕩うのだった。


        3


 それから数分後。

 プールから出た俺は制服に着替え終えると外に出て、校門の方へと足を運ぶ最中だった。いやしかしやっぱスポーツはいいな。泳ぐって素晴らしい。体が水で半端なくサッパリとした心地になってるんだから当初の目的は果たせたと言えるだろう。

 たとえ、一人の少女の動向に思考が行き詰まってるとしてもさ!

 …………。

 ……あれ、おかしいぞ。サッパリしにいったはずが悶々となって帰ってきやがった。

 俺はううんと表情を渋くさせる。いや、うん、なんというかさ。

 プールでサッパリのはずが、逆にプールで考えさせられたんだぜ? なんぞこれ。サッパリするはずが悪化したってなんなんだよもう。シャワー浴びてても全くサッパリしない。サッパリはどこへいったんだよ。俺をサッパリでゲシュタルト崩壊させてくれよ。

 考えるのは言うまでもなくマイナの事だ。

 だけどな……彼女があんな顔する理由を俺がわかるはずもない。俺はウダウダと悩みながら歩くしかなかったのだ。俺の発言が琴線みたいだったのはわかるんだが、かといって謝る場面とかじゃない感じに想えるし……。

 や、謝った方がいいんかね……難しいな。変な事を言った自覚は無かったんだが……けどやっぱり謝罪入れるべきなんかね?

 そんな事を考えて歩き進める俺。

 ああ、なんだかもうダメだな。考えても始まらねぇや。帰って休むか今日は。これ以上なんかハプニングとかあってもアレだろうし。

 そう、考え事しながら歩いていた所為だった。

「きゃっ」

 短い悲鳴と共に俺はとんっと曲がり角で人とぶつかってしまったのだ。

 丁度考え事に気を取られてたせいで格好悪くバランスを崩した俺は尻もちをついてしまう。相手もドサッと崩れる音がした。

「あててて……」

 腰をさすりながらも俺は相手の安否を気にして目を開く。女性の声だったから、俺よかどっちかってと相手の事が気になった。

 だが相手はなんてことはなかったのか、すぐに立ち上がると俺の元へ近寄り中腰の態勢ですっと手を俺へと伸ばしてくれていた。

 そして――、そこで気付く。

「ごめんなさい、ぶつかってしまって。平気でしたか?」

挿絵(By みてみん)

 その問いかけに俺は即座に「あ、なんてことないっすよ」と、返す事が出来なかった。理由を聞かれたらまず相手に軽く吹き出されてしまうかもしれないくらいに、アレな理由だったんだが、一言で言えば、その、まあ、なんだ、そういうことだ。

 ――見惚れちまった。

 純粋に、とても純粋に綺麗な女性だったからだ。

 まるで陽光を編んで紡ぎだされた様な美しい金髪にスミレを連想する艶やかな紫眼。柔和でどこか儚げな印象を抱く綺麗な顔立ちを誇り、服の上からでもわかるほど抜群のスタイルをした文字通りに美女って印象の大人びた、柔らかな空気の女性が俺の目の前に屈みこんで、そっと俺へと手を差し伸べている。

 外見は目を惹きつけられる程に華やかだが、醸し出す空気は柔さの至り。本人の優しい人柄がただの一目で伝わってくるかの様で、俺は阿呆みたいに口をぽかんと開けていた。

「えと、ひょっとしてどこかお怪我させてしまいましたか?」

 微かに不安げに長いまつ毛が震えた。いや、怪我は全くしてないっす。ただ、俺の心臓がばくんばくん言ってるだけで!

 おいおい待ってくれ。これ現実なのか⁉

 俺にもこんなファンタスティックな出会いがあるというのかよ! 弦巻や恭介先輩とかならいざしれず!

 これで思春期男子がどういう反応を取るか、と言えばわかるだろ? な?

「あ、はい……全然、平気っす……」

 違う! そうじゃねぇんだ! なにやってんの俺!? ここはもっとこう「ふ、心配なされなくても全然問題ありませんよレディ。ですがありがとうございます。あなたの麗しの手に触れられるとは何たる光栄なのでしょう。フフッ」とキラキラオーラ振りまきながらスクッと格好良く立ち上がる場面だろうが!

「良かった」

 そんな俺の心中察するわけもなく、女性は優しい花咲く笑みをふわりと零す。

「はいやー」

 なんか変な声、漏れたぁあああああああああああああああああああああああああ!

 うわぁあああああああああああああああああああああああああああああんっ!

 なんだこの女慣れ出来てねぇ反応! 全然平気じゃないっすじゃん! 初心か!

「それは僥倖でした。怪我でもさせていたらどうしようかと」

「お、男っすからね! 怪我なんざべらんめぇっすよ!」

 俺がそういうと一瞬きょとんとした風だったがすぐに表情を綻ばせて「あら、逞しい事ですね」と朗らかに笑った。

 うっひょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうっ!

 笑顔が眩しいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!

 思わず頭を抱える様に熱を上げる俺! なにこの素敵スマイル! ハンバーガー屋のスマイルなんぞよりよっぽど親愛籠っててむずむずすんだけど!

 そんな俺の胸中を知る由もなく女性はその手で俺の手を掴むと優しく力を込めてくれうひゃああああああ……やべぇ、なにこの手の感触、スベスベなんだけど……! 美人の手ってこんななのかよ……! 撫でてもいいよね? え、ダメ? あ、やっぱり駄目か。わかってた。

「それにしてもごめんなさい。前方不注意でした」

「いえいえ、気にしないでくださいって! 俺だって考え事してて余所見してたんで!」

「そういって頂けるとこちらもありがたい話です。人の気配には敏感なつもりだったんですけれどね……」

 肩をすくめて照れた様に笑う。その笑顔も美しくて見惚れてしまうくらいだ。

 待って男子高校生に、この最終兵器みたいな美女はやばいって。心臓バックバクなんで少し加減してもらっていっすかね?

「と、ともかくそんな気にしないでいいっすよ。つーかぶつかったお詫びしたいくらいっす!」

「そんなお詫びなんかしなくて構いませんよ?」

「いーえ、なんか言ってください! じゃねぇと気がすまないっすよ!」

 っていうかちょい関わりたいのが本音だった。もっとこの人と話とか友好とか持ちたいっつーか出来るなら関わり合いたいのが心境だ。

 ……ただまあ難しいかね。つーか困らせるだけかもしんね。

 そう思いかけるとやっぱ無いかなー、と俺が気落ちしかけたその時だった。

「あの……それでは、一つだけ構わないでしょうか……?」

 あった!?

 意外にもなんかあったらしい。むちゃくちゃ言ってみるもんだな⁉

 しかし女性の顔に浮かぶのがなんというか困った時の表情だったのを確認すると、俺は少し浮き立っていた心を静めて、話しに耳を傾ける。

「当然いいすよ。なんすか?」

「はい。実はここへ向かいたいんですが……」

 言いながら、学院のパンフレットを取り出す女性。

 そこに記載された目的地と思しき場所を確認した俺はニッと強い笑みを張り付けて軽く胸を叩く。力になれる。そう感じた時、気づけば俺は自信満々に頷いていた。

「任せてください。ルート知ってるんで」

 俺の言葉を受け止めると女性は「それは助かります」と花咲く笑顔を浮かべ、そうして俺は日の終わりに、まさかの美女を道案内というミッションをスタートさせるのだった。



「――へぇ、それじゃ急な呼び出しでこの学院に?」

 歩き始めて数分。ただ無為に案内してももったいないと、俺は意を決して、女性に話を振ってみたところ態度と変わらず柔和な様子で女性は俺と会話を弾ませてくれていた。

「はい、そうなんです。友人が早く来て、とばかりにせっつくものでして」

「そりゃまた何があったんでしょうね?」

「わかりません。ですが、いつも唐突な子ですので。周囲からは【シリアスブレイカー】なんて綽名されてしまっているくらいですから」

「どんな人っすかそりゃ」

「変わった子なんです」

 困った様に苦笑を浮かべるもどこか柔らかな印象の表情。彼女が呼び出した相手に悪印象を抱いていない証拠だろう。

 聞けば、この美人さん学内の人物から呼び出しを受けてやってきたという事らしい。だが、学院内部に詳しいわけではなく、尚且つ広いもんだから道に悩んでいた様だ。

 ここ、広大だからなあ。

「まあ、場所はわかりますんで俺に任せてくださいっすよぉ!」

 サムズアップで自信を誇張する俺。

 なに、半分テンションがおかしいのは自覚してっさ! 美人にいいとこ見せたいんだよ!

 そしてそんな俺を「はい、お任せしますね」と優しい笑みで頼ってくれる美人さん。なにこの人、マジ優しい。聖女かってくらい綺麗な微笑みでヤベェんよ!

「――そう言えば私、まだ名前言っていませんでした。ジャンヌ。ジャンヌ=ヌーヴェル・エグリーズと申します。よろしくお願いしますね」

「あ、こりゃご丁寧にどうもっす! へー、ジャンヌさんっすか! フランスの有名な聖女さんの名前ですよね! なんつーか、ピッタリな名前だと思いますよ綺麗で優しそうで!」

「そんな事を言われたら照れてしまいますよ」

 もう、と柳眉を下げて軽く恥じらう様に頬を赤らめるジャンヌさん。いやいや、んな事はないっす。もう雰囲気だけで十分、人柄みたいのが伝わってくるっつか優しい人ってオーラ半端ないんすから!

「自分は陽皐秀樹って言います。こちらこそよろしくお願いしゃす!」

「なんというかさっきから随分、反応がぴしっと律儀ですね?」

「思春期高校生男子が美人相手にしたら大抵こんなもんっす! 『うひょー』とか、なるのが普通なんで引かないでください!」

「ふふ、引いたりなんかしないから安心してください」

 何が可笑しかったのか。いや、俺が可笑しかったんだよな、わかる。わかるぶん、はずいけどジャンヌさんが優しい態度を崩さないでいてくれるもんだから嬉しさ尋常じゃねぇや。ジャンヌさんマジ聖女。

「ところで秀樹君は、こちらの学生さんなんですよね?」

「ひでき、くん」

「あ、ごめんなさい。いきなり名前は不躾だったでしょうか?」

 申し訳なさそうにするジャンヌさん。いえいえ、不躾だなんて滅相もない。

「むしろ呼び捨てか愛称でお願いしゃす!」

「それは更に不躾なのではないでしょうか⁉」

 そう言いながらも「秀樹……う、これは私の方が少し恥ずかしいですね……。じゃあヒデ君……? いえ、ではひさひで君とか……うーん……!」と熟考してくれているのかブツブツ呟いているジャンヌさん。なんだこのお方はマジで聖女か。考えてくれるとか優しすぎるだろ!

 ただ悩ませるのも申し訳なくなった俺は「冗談っす。秀樹君で感無量っす!」と頭を下げて心から感謝申し上げると「そ、そうですか。ならホッと一安心ですね」とふわっとした優しい空気を生んでくれた。

「はい。んで、さっきの質問ですけどそうっすね。シラヅキ――真白月っていう三校の一角が俺の学校です」

「やはりシラヅキでしたか。私の友人と制服が同じでしたので予想は出来ていたのですが」

「奇遇っすねー。けど、ジャンヌさんの友人はシラヅキなんですか。へー、誰だろ? この学院規模でかいからなー……」

「本当ですよ。参りました」

 楽しそうに参ったと零すジャンヌさん。

「困った人の顔とはちょい違いますね」

「あ、わかっちゃいますか?」

 そう言いながら、ちろっと舌を出して僅かに苦笑するジャンヌさん。そんな彼女に対して「そりゃバレますよ」とニシシと破顔して、俺は告ぐ。

「ええ。むしろどこか楽しそうっす」

「正解です、秀樹君。――実はちょっと楽しんでいたりしてしまっているんですよね」

「そりゃまたどういったご事情で?」

「うーん、なんと言いますか……、実は私、学校というものには色々憧れや思い入れを抱いておりまして。その上で、こんな大きな学院に、というのは結構ワクワクしてしまうものなんです」

 おかしいでしょうか? と尋ねるジャンヌさんの言葉を俺はおかしくないと肯定していた。

 なんせその気持ちは俺も賛同できるからだ。例えば高校見学で、この学院を訪れた時なんかが全く一緒の気持ちだったからに他ならない。

 この学校に通いたい。

 そんな気持ちを抱かせてくれたのが、この芳城ヶ彩だった様に。

 ジャンヌさんも、またそれに似たような心地を抱いているのだろう。果たしてどれだけ広大なのかと思わせるくらいデカい、この学院に対して――訪問者である彼女がドキドキするのは普通な事だと俺は思えた。

「秀樹君はいかがですか? この学院、楽しいですか?」

「ええ、もちろん。ダチもいい奴らが出来て順風満帆なんすよ、ありがたい事に」

「それは何よりの賜物ですね。良き出会いがあった様で何よりです」

「はいっす。けどまあ、そろそろ学校でも忙しくなるかなーってんで気合入れとかないと」

「そういえば確か、近いうちにこの学院では体育祭があるんでしたね」

「知ってるんすね?」

「有名ですから」

 それはそうだ。こんなバカでかい学院が主催する体育祭が有名じゃないわけがない。

「ひょっとしてジャンヌさんも来たりするんすかね?」

「ええ、一応。友人も参加するので、応援には行こうかと思ってます」

「うわぁ、そん時また会いてーっす」

「ふふ、ありがとう。そうですね、どこかで見かけたら気軽に声でもかけてください。体育祭では秀樹君の事も応援させてもらいますから」

 ジャンヌさんも来るのかー……!

 お客さんって形だけど、このお姉さんも来るんだとすりゃ頑張らないとな。恥ずかしいとこ見せないようにしときたいぜ。

「俄然、やる気出てきたな」

「そうなんですか?」

「そりゃ美人のお姉さんに応援されるんなら男子高校生やる気も出ますって!」

「だから照れるような事を言ってはダメですよ、もう?」

 あはは、とジャンヌさんは照れ笑いのような笑みでそう零す。

 なにこの人の反応メチャクチャ可愛いんだけど。

 その後も、ジャンヌさんっていう綺麗なお姉さんに対してデレデレすんのを隠せずに、それでも心地よい幸せな時間を俺は過ごさせてもらいながら、彼女の隣を歩いてゆくのだった。



 そうして案内する事、十数分。

 目的の場所へ赴いた俺はそっとジャンヌさんへ語り掛けた。

「ここです、ここ」

「ここは……」

 感嘆の声を零すジャンヌさん。俺は内心もっと距離があればな、と思いながら彼女に説明をすべく口を開く。

 歩き出して、ようやく到着した場所は駅だからだ。

 何故に、と一般人なら思うだろう。俺もそうだった。だがここは芳城ヶ彩だぜ? 敷地内に線路が走ってる事なんざ普通の事なんだよな……。

「凄いとは聞いていたのですが、こんなものまであるのですね」

「ええ。学区が広いですからね。通行手段にバスや電車ってのも当然っちゃ当然なんです」

 言いつつ、俺はジャンヌさんを目的地へ走る車両の元まで案内する。

「とりあえず俺も一緒に乗車するんで降りる駅まで案内するっすよ」

「え、それは流石に大丈夫ですか? そこまでお時間を取らせるわけにも……」

「いえ、そんな。ジャンヌさんと一緒に電車の旅がしたいだけっすから!」

「そ、そうなんですか?」

「イエス! ダメっすかねーやっぱり?」

「いえ。それでしたら電車の旅としゃれこむのも素敵かもしれませんね」

 優しいそんな言葉を発してくれるジャンヌさん。なにこの人聖女なんかな?

 俺は思わず「いやっほー」とガッツポーズを握ろうとする。

 だが、その時、俺の携帯から着信音が発せられた。

 普段ならそんな気にしない。しかし、この時に鳴った着信音は普段ならそうそう鳴る音ではない為に俺は思わず驚きに目を見開いていた。

「あら、携帯……出なくていいんですか?」

「いや、出ます。ただまあジャンヌさん見送った後に折り返しでかけるっすよ」

「そうでしたか」

「はい。ただ、そのさっき言っといてなんなんすけど電車に一緒には……」

「いえ、平気ですから安心してください。自分ひとりでも列車くらいは乗れますよ秀樹君」

「えー、でも一緒に乗りたかったっす」

「ふふ、またの機会ですね」

 だーくそ、ジャンヌさんを最後まで送りたかったなあ……!

 俺は「けど仕方ねぇか」と嘆息を浮かべつつも、駅に停車している車両の一つを指さした。

「ああ、これこれ。この車両に乗車すればつきますよ十三学区」

「この電車ですか」

 ジャンヌさんはパンっと手を一回叩いて得心の声を上げた。

「流石というべきか、こちらの電車も凝っているんですね」

「まあ学区内に電車があるって時点でぶっとんだ話しなんすけどね」

「それもそうですね」

 ふふ、と可笑しそうにジャンヌさんは笑った。

「出来れば最後まで送りたかったんすけどね」

「そこまで迷惑はかけられませんよ。ここまで送っていただいただけでありがたいです」

「くそう、俺もこの電話がかかってこなけりゃなあ」

「彼女さんとかでしょうか?」

「んな浮いたもんじゃないっすよ。ってか彼女いないですし」

 彼女だったら嬉しいが現実は全く違う。そしてこの問いかけにも虚しさを感じるぜ……。

「そうなんですか? 秀樹君なら彼女さんがいてもおかしくないと思いましたが」

「じゃあ、ジャンヌさんなってください。お願いしゃす!」

「え、……え!? わ、私ですか⁉ い、いえいえ、そんな急に言われましても困ってしまうといいますかね……コホン、落ち着け私、年長者年長者、……秀樹君ならもっと素敵な子が見つかりますよきっと」

「見つからなかったらお願いしゃす!」

「か、からかったら怒りますよ秀樹君っ」

 バレたか。いやま、からかってねぇんだけどな。半分くらいダメ元でやってみただけで、俺もそうなるとは思ってなかったし。俺は誤魔化すように「バレましたか」とウインクすると「大人をからかっちゃダメですよ」と、俺は頭をこんと小突かれた。なにこの人可愛い。

 俺の言動をからかいと認識したのか「驚いてしまいましたよ」と肩をすくめ、苦笑を浮かべたジャンヌさんだったが、ふっと優しい表情を浮かべて静かに俺の傍へと近寄ると、

「秀樹君」

「なんすか?」

 唐突に名前を呼ばれた俺は一瞬呆けていると不意に掌に優しい温もりを感じた。

 ジャンヌさんが俺の手を自分の手で包み込んでいたのだ。

「うぉ……っ」

 清廉にして純潔。

 俺の手を握るジャンヌさんは瞼を閉じて、まるで何かに祈りを捧げる様に暖かな輝きを放っていた。手から伝わる柔らかさと温かさ――思わず、それに息を呑んでしまう。

「今日は本当に道案内してくださり、ありがとうございました秀樹君」

「い、いやっすねー。そんなかしこまんなくてもベリベリオッケーっすよ⁉」

「ご謙遜なさらないでください。貴方の優しさに私は助けられたのですから」

 ふわりとにこやかな笑みを灯すジャンヌさん。

 美人がそんなガチの笑みを浮かべられると心臓に悪い。俺は顔が火照りそうになるのを必死でこらえようとするも頬に大きな熱を感じてしまっていた。

 そんな俺の様子に気付くでもなく、ジャンヌさんは俺に向けて輝く笑顔を浮かべる。

「主よ、今日この日の出会いに感謝を。この少年に光あらんことを」

「じ、ジャンヌさん?」

「ふふ、驚かせてしまいましたか? すみません、クセのようなもので」

 優しい表情を浮かべてジャンヌさんは静かに俺の手を放す。

 ああ、もっと握っててもらいたかったな……!

 けどこの人、心臓に悪い。こんな美女がこんな優しい行動をしまくるとか落ちるじゃないっすか。つうか、落ちますよ勘違いするよこんなん!

 俺は必死の忍耐で、自らを持ち直して、最後の力を振り絞り震える声で、電車を指さした。

「ほ、ほら早く乗らないと乗り遅れっすよ、ジャンヌさん!」

「はい。ここまでありがとうございました秀樹君」

「い、いえいえ、気にしないでください。っつーか、俺の方が役得っすよ。美人さんを案内出来るとかマジ感謝でした」

「またそんな事を言って。……でも、ありがとう」

 頬を軽く染めて照れ気味に笑顔を零すジャンヌさん。

 なにこの人、最終兵器聖女すぎんだろ。可愛くて美人とか最強かッ! 踊りそうになる心をどうにか抑えて俺は努めて冷静に笑顔を浮かべる。

「はい。んじゃお気をつけて」

「ええ。秀樹君もまたご縁がありました逢いましょうね。それでは」

 その言葉を最後にジャンヌさんはバスに乗車すると、車は動き出してその姿は次第に遠くなっていってしまう。最後に手を振るジャンヌさんの笑顔が見れただけで十分なご褒美だ。

 にしても本当に聖女みたいに優しくて綺麗な人だったよな……。

 いやマジであんな美女と関われたってだけで俺の人生に花が咲き誇った気分だぜ……!

 ゆえに。

 一緒にバスに乗車したかったのに、それを留めてくれやがったこの着信相手に不服をぶつけてやるとしようか。

 半分、これ以上は完全に俺のハートが持たないってのはあったが、それはそれこれはこれ。

 俺は着信履歴の一番上をタップすると、素早く耳に当てて無表情のまま口を開いていた。

「へい、もしもしダディ死んでくれ」

「息子がぐれやがった。思春期ってのは難しいな」

「理由はバットタイミングだぜファーザー」

「そりゃすまん。時差の所為だ」

「時差関係ねぇよ!」

 言いながら携帯電話を確認した俺は随分とまあ久々な名前が、液晶画面に映し出されているのを確認すると唐突になんだよ、と可笑しく思いながらも携帯をそっと耳にあてた。

 すると骨太な印象の声が「んじゃ改めて。よう、久しぶりだな秀樹」と声を発してくる。

 この声。んとに久々だっつの。一カ月は少なくとも聞いてないね。

「まったくだぜ。つか、唐突になんか用事でもあんのかよ、親父?」

 そう――電話の相手は俺の父親。陽皐秀景(ひでかげ)だったからだ。

 いや、本当、急になんなんこのおやっさん?

「親父さあ。こっちからは繋がらねぇのに、そっちからは繋がるんだからなあ、まったくよ。俺から通話して話せた試しがないぜ」

「優佳なら何時でも大歓迎だぞ?」

「息子おざなりか! 娘優先かい!」

「え。娘より大事な息子とかいるの?」

「思いの外ひでぇ発言を父親から頂きましたー」

「はははっ。まあそうむくれるな」

「いやまあいいよ。俺も親父の事なんて対して気にしてないから」

「お前それでも息子かっ!」

「親が親だからなあ!」

「嫌な切り返ししやがって。まあ、そうつれないこと言うなよ。ダディ泣いちゃうぜ?」

「パパ大好き高校男子とか嫌だろ?」

「それは確かに嫌だな。よし、もっとつれなくしていいぜ。吐き気しそうだ確かに」

「ダディ、そこはそんな事ないよって場面だろ!」

「いや、言われたら納得した。お前も大人になったらわかるさ」

「わかりたくねー」

 互いに笑い声が響き重なり合う。

 うん、こんなんでいいんよ俺と親父はな。お互い、バカみたいな事をふざけて言い合う。ああたまらなく温かい気持ちになる。やっぱ親父はかわんねぇなあ。

「で、結局なんなん連絡事かなんかか?」

「いや、そういうんじゃない。一つそういや伝える事があったなーと今気づいたが、それは後々でいいしな」

「じゃ、なに?」

「なに、じゃねぇよ。お前がどうしてるか確認の電話だっての」

「……」

「どした」

「いや、そんな保護者みたいな電話寄こすとは思わなくてな」

「お前の俺への評価はどうなってるんだ息子よ」

「破天荒」

「おいおい、百点満点じゃねぇか返す言葉がないな」

 そりゃ年がら年中諸外国冒険の旅してる親父だぜ?

 そんな男を破天荒以外にどう称せというんよ。

「で。結局どうよ学校」

「どうって言われるとそうだな……」

「好きな子とか出来たか?」

「それはまだだっての。……まあ、さっきストライクゾーンな美人お姉さんに出会ったんだけど、親父の電話来てたから別れちまったしさ」

「おお、それでバットタイミングか納得だ」

「ほんとだぜ、もっと話ししてみたかったよ」

「ははは、そりゃ悪いな。だがまあ、そういうのは縁次第だぜ秀樹」

「縁があっても、あんな美人じゃ俺なんか年下の男の子ポジだろうけどな」

 実際、脈は無いんだろうな……トホホ。同学年にもモテてないし。

「ま、男なら好いた相手が出来たならぶつかってみろ。棚から牡丹餅で恋人なんぞ出来ないのが普通な事だ。行動を起こさない奴はいつまでたっても独身だぜ?」

「うへぇ、肝に銘じておくわ」

「おう、高校で彼女くらい作っておけ。それが高校生活を華やかにする秘訣だ」

「親父も高校で母さんと出会ったんだっけ?」

「ああ。母さんのおかげで俺は素晴らしい人生を送れている。だから、お前も素晴らしい日々を共に送りたいと思えるような相手をみつけることだな」

 なんというか親父の言葉は心に響く。

 日々を緩慢と生きてってもいいんじゃないか、という怠けた心に風を呼んでくれる気がするんだ。親父の声には不思議と心を鼓舞する響きがあった。

「それと秀樹」

「ん?」

「友達とかは出来たのか?」

「ああ。そうなんだ。聞いてくれよ親父。すげぇ良い奴らと出会えたんだ」

「ほう。嬉しそうな声出すじゃないか。そうか、それはよかった」

「ああ、本当に、心からそう思える連中なんだ」

「そうか。ぜひ聞かせてくれ」

 お前が最高と言える連中を、と呟かれた親父の言葉に俺は電話越しで「ああ」と頷く。

「丁度今日暇してるし道すがらで話すから聞いてくれや。俺の青春ってやつをさ」

 俺は静かに、だけれどにぎやかに語りだしていた。

 親父たちから聞いていた芳城ヶ彩がどんな学校であるのかを。

 学院でどんな出会いがあったのかを。そして、どんな奴らと交友を結ぶ形となっていったのかを、気づけば自分の口が自然に言葉を紡ぎだす程につらつらと語ってしまっている。恭介先輩や弦巻という友人らと部活を立ち上げたことや、クラスメイトの連中がどんな奴らなのか。

 凄いところで言えば、新谷や調月先輩といった有名人と顔を合わせた事。

 そして最近は明日香っていう不可思議な少女と出会った事など、学院へ来て起きた出来事を心躍る気持ちで喋っていた。

 すると、相槌を打ったり関心を見せていた親父がどこか面白そうな声を発した。

「へぇ……。調月に明日香、か」

「親父? どうかしたのか?」

 どこか懐かしむ様な親父の声。なにか感慨深げなものを感じて問いを発したが、親父は「いいや、大したことじゃないさ」とだけ、返すので俺はそれ以上聞くこともないかと口を紡ぐ。

「にしても、安心したさ」

「なにが?」

「いんや。学校、ちゃんとやってるみたいじゃないか」

「……ああ、まあな」

「楽しいか?」

「もちろん。最高さ。いい連中とばっか出会えてる。この学校に来れてよかったよ」

「そうか」

 親父はその言葉を最後にどこか安心した様な雰囲気を電話越しに浮かべていた。

 そして、次にはそんな柔らかい雰囲気から、どこか鼓舞する様な強い印象の声を灯して俺の耳へとその言葉を投げかける。

「探してるか秀樹。お前の心が沸き立つものを」

「……それはまだわかんね。けど、ここにはそういうのたくさんある。そんな気がするのだけは確かな本物だと思ってるぜ親父」

「なら何よりだ、秀樹。楽しめよ――青春ってやつを」

「ああ。最後の最後まで駆け抜けていってやんよ」

 そんな言葉と同時に通話が終わる。

 親父の声が聞こえなくなった携帯を静かに下して、俺はそっと夕暮れ時の空を見上げていた。

 今日もこうやって一日が過ぎ去ってゆく。

 まだ先だって思ってもすぐに【大体育祭】の日時もやってくるのだろう。その早さを心より心行くまで楽しもう。俺は茜色の空を仰ぎ見ながらニッと口元に笑みを浮かべ、青春ってやつを邁進するため、頑張ろう――そう、思う。

 飛行機雲がたなびく夕暮れの空を背に、俺はそっと帰路へとついた。

 心はもう、明日への期待に満ち溢れている。


第三章 Sol omnibus lucet :後篇

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