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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Cinquième mission 「夕映えの誓い」
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第二章 Good aide

第二章 Good aide


        1


 五月二十一日。

 快晴冴え渡る心地よい青空の下で、同級生たちの活気溢れる声がそこかしこから木霊している。屋外に設置された芳城ヶ彩のテニス競技場は広大な敷地面積に合わせてかなりの数のコートが建造されており、一度に十数のグループが試合、練習に励むことが可能だ。

 今は水曜三時限目、合同体育の時間であり、生徒たちは手にラケットを握り、コートを飛び交う羽を追いかけてラリーを続けている。テニスと言うのは、実に躍動的なスポーツだ。まあスポーツは大概がそうなんだけどさ。

 そんな中で俺の友人である同級生もまた俊敏な動きでラケットを動かし汗を流している。彼も普段の通りに平静としながらも、どこか沸き立つような気持ちを感じているのか楽しそうに俺の目には映っていた。

「なんというかもう爽やかとしか言いようがないや」

 頬杖をつきつつ、俺は軽く微笑を零す。

 この光景を前にしてしまえば、そういう他にないだろう。なんたって、汗を流してスポーツに励む様はまさしく青春って感じなのだから。

「いいな、こういう光景」

 その清々しさは青春の理想形みたいで俺の心を浮き立たせる。

 もうこれは筋肉を鍛えるしかないねってくらいにさ!

「なに、に・や・け・て・んだよ――ワッキー!」

「うわっと」

 そこで不意に俺の肩をとんと誰かが小突いた。

 同じ1-F所属のクラスメイトである奥山(おくやま)君だ。快活そうな顔立ちに跳ねたくせ毛が特徴の元気な男子生徒で外見の明るさ同様に性格も明るいので面白いって事で人気があるらしい。

「なんだよ急に奥山君? 何か用かな?」

「ふふん。なんだ澄ました態度とっちまってワッキー君や。別に隠さなくたっていいんだぜお前だって健全な男子生徒――そう、健全な普通の男子生徒のはずなんだからな!」

 なんで大事な事みたいに念を押して言うのだろうか?

 確かにその通り、普通の男子生徒なのだけれど……ううむ、奥山君の言っている意味がよくわからないぞ? そんな事を考えながら奥山君を見ていると「そうそう。ようやくお前のこういうのに興味を持つようになったわけだな。俺ぁ安心したぜワッキー」と肩をバンバン叩いてくる。

 意外と力あるんだよね奥山君。そしてああ……今日も彼の腕の筋肉……しっかりと生み出されたラインは美しいなあ……。

 そんな風に彼の腕と滴る汗の輝きを見つめていると「ひっ」と急に青ざめた表情で奥山君が俺から距離を取った。どうしたのかな?

「奥山君、どうかしたか?」

「い、いや、なんでもねぇ……ちょい蚊がついちまっただけさ」

「そうなのか? けど五月半ばなのに蚊なんて珍しいや」

「は、はは。そうだなー」

 汗を滲ませて奥山君が困った様に微笑んでいた。

 汗……ああ、汗があんなに出てる……。筋肉に伝う汗の美しさはもう芸術だね! それで奥山君はなんで猛烈に青い顔をしているんだろう? ひょっとして後ろに蜂かなにかでもいるんだろうか? 俺は背後を振り返る。しかし特に何かがあるようには思えなかった。

「何か……いたのか?」

「そうだな……言いしれぬ恐怖がいるんだ」

「はあ……?」

 俺は思わず小首を傾げた。しかし奥山君は「お前にゃわかんねぇべさ」と不思議なイントネーションと共に言葉を濁す。と、思ったらぐっと拳を握って食らいつく様に、僕に尋ねかけてきた。心なしかそうであってくれと願うような食いつきぷりだ。

「で、だ! お前は、何見てにやにやしてたんだよワッキー!」

「にやにやなんて別に……そんな事はしてないぜ奥山君」

「してたって! しててほしいんだ! 隠さなくてもいい、恥ずかしがるな。どうせ、あれだろ? テニスウェアを着てスポーツに励む女生徒の華やかさに興奮でもしてたんだろ? な? すけこましめ!」

「酷い風評被害だな奥山君⁉ 俺はそんな事はしてないよ!」

「なに言ってんだよ嘘だろおい? だって、テニスウェア着てる女子がテニスだぜ? ひらめくスカート、弾む胸! そこに視線をこっそり注がずしてなんとするんだよ!」

 最低だね奥山君!

「まったく失礼だよ奥山君。そういう目で女生徒を見ちゃダメだよ」

「倫理的にわかってはいるぜ? けど、やっぱ目がいくんだよ、こういうの。わかんねーかなー?」

「わからないよ。それよりもっと逞しく鍛えられた上腕二頭筋とかちらりと除くムキッとしった大胸筋のラインとかがあるだろう?」

 僕がさも当然とありきたりの言葉を述べると奥山君がひきつった顔で数歩下がった。

「奥山君?」

「い、いや、なんでもない。そ、そうか……ワッキーはそういうのが気になるんだな。あ、あれか。鍛えられた筋肉に憧れるよなー的な男のロマンっていうか」

「え? いや純粋に指を這わせてみたいと思うだけだよ」

「俺の前に二度と現れないでください」

「奥山君⁉」

 ぶるぶるガタガタと身を震わせる奥山君に僕は驚愕してどうしたのと問いかける。肩に手を置いて抱き締める事で安心させてしようとするけれど「や、やめろぉ! 俺に触れるなあ!」と錯乱する奥山君は「お、俺、女生徒のコートに見物にいってくる!」と叫んで駆け出していってしまった。

 さっきの発言から言ってデレーッとした顔で物見するんだろうな……。確かにテニスウェアの女生徒は可愛いけれど、それにしたって不躾な視線はどうなんだろう?

「あんまり失礼のないようにするんだぜ奥山くーん」

 と、一応の保険をかけておこう。うん、これで大丈夫だきっと。彼も分別は弁えているわけだし問題ごとなんかは起こさないって、そこは信頼している。

「…………なぜ奥山。あいつは逃げる様に走っていったんだ?」

 そう僕が一息ついた時、聞きなれた声が後ろから響いてきた。

 静かで、トーンの下げられた様な独特の声音。それは僕の愛すべき友人の声だった。もっとも近しいと個人的に、そんな理想を抱いてしまっている愛すべき友人の声に僕は思わず頬を赤く染めて彼の方へと振り向いて笑顔を浮かべる。

佐良土(さらど)君! ごきげんようだな!」

「…………おう」

 佐良土君は相変わらず少し身を引かせながら頷いてくれた。

 相変わらず、恥ずかしがりやなとこがあるよなあ彼も。顔を少し近づけただけなのに、後方へそらしてしまう彼の面と向かっては少し気恥ずかしい部分がどこか可愛くないだろうか。困った様に汗を流しているけれど緊張でもしてるのかな? しなくてもいいのになあ。

 紹介しようか。

 彼の名前は佐良土影郎(かげろう)君。1-D所属の同級生なんだ。

 どことなく冷静な雰囲気と淡々として崩さない平静な態度。そういうところが個人的にすごく格好いいと感じている。惚れちゃいそうだよね。普段はこう静かだけど、実はけっこうスペックが高くて容姿がそこそこいいのはもちろん、スポーツにもたけているんだ。

 そんな彼に俺は尊敬を抱き、あこがれを覚えている。

 どうして、憧れているのかと言うと、それは後々語っていくとして……。

 影郎君。彼にあこがれを覚える俺の名前は尻堀町(しりぼりちょう)野分(のわき)。みんなからは通称『ワッキー』って愛称で呼ばれている。顔立ちはまあ平均よりも少し下だけど自慢できるものはちゃんと持っているよ。

 世に細マッチョと言われるこの肉体さ!

 腕を少し曲げれば大きく隆起する力瘤。割れたおなか。このぺちんと音がなる体は俺の生涯の誇りと言っていいんじゃないだろうか。

「…………それでワッキー。奥山になにをしたんだ?」

 と、いけないいけない。大事な友人を忘れちゃいけないよね。まあ影郎君の事は四六時中忘れた事なんてないんだけどさ。トイレでもお風呂でも憧れ三昧だよ。

「いやあ、別に何もしてないよ? とくには」

「…………間違ってどこか触ったとかは?」

「肩を抱き寄せたくらいだよ! 間違って何かしてなんかないからね?」

 そういうと影郎君は「…………奥山」と悲し気に零していた。

 うー、うーん。

 どうしたんだろうか? まったく理由が見えてこないや……!

「それはそうと佐良土君。今日も凄かったね。見てたよテニス!」

「…………ん。ああ、そうか。大した事は無いが」

「そんなことないさ! 素晴らしかったよお尻の筋肉の付き方とか! ジャージ越しだけど佐良土君のお尻の筋肉の強さが、下半身の良さがわかるからね!」

「…………貴様、どこを見ている……! その目をつぶしてやろうか……!」

「こわいよぉ⁉」

 目を瞑すとかそんな褒めたからって照れなくてもいいのに! 目つぶしは怖いよ!

 それに実際、佐良土君の筋肉のつきかたはある種理想的だと言い切れるんだけどなあ……。

 しかし影郎君は「…………次に尻を見ていたら潰す」と怖い事を言ってくる。

 まあいいけどさ……くすん。

「それにしても……凄いね佐良土君は」

「…………何がだ?」

 あれ何だか警戒気味だ。

 不思議だな。けどまあ普通に感想を述べておこう。

「汗。ちっともかいてないみたいだからさ」

「…………パッと見なだけだ」

 そう言うと影郎君は軽く前髪を手で掻き上げた。するとそこにはじんわりと滲む水滴が浮かんでいるのが見て取れる。ああ、輝かしい。普段、スポーツしても汗をあまり見せない影郎君の汗と言うだけで希少価値が半端じゃないと皆思うに違いない光景だ。最高じゃないかこれ。

「佐良土君でも疲れるんだ」

「…………そりゃテニスは激しい動きのスポーツだからな」

「佐良土君が、激しい動き、か」

 ぶるっと影郎君が体を震わせた。なんだろう、急に何かひやっとでもしたのかな? 別に寒気は感じないんだけれど……。

「急にどうしたんだ佐良土君?」

「…………悪寒を感じてな」

「じゃあ俺とくっついてよっか。おしくらまんじゅうみたいに」

「…………結構だ」

「あったかいよ?」

「…………生暖かくて気持ち悪くなりそうだからいい」

 影郎君……その言葉は俺もちょっと傷ついちゃうよ……。

 絶対に暖かくなる自信があるのに……! 見てよこの筋肉。筋肉があるってだけで体温は保温されるんだよ影郎君! ほら、タッチミー!

 心でそう叫ぶも不思議と影郎君は更に距離を開いてしまった。しょぼん。

「そこ寒くない?」

「…………日が当たってるからな。むしろぽかぽかだよ」

「俺の筋肉の方がぽかぽかだと思うんだけどなあ」

「…………お前はむしろ頭の中が春の陽気に当てられていないか不安だ」

「どういう事?」

 よくわからない事を言う時があるよね影郎君。

 不思議そうに尋ねても「…………」無言の影郎君はまるで口に出したくないみたいに、きゅっと口を閉じている。なんだよ気になるじゃないか、何を言おうとしていたんだよ影郎君教えてくれてもいいじゃんか。

「佐良土君ってば」

「…………黙れ。黙って練習風景でも見ていろ」

「なんか急に冷たい! まあいいけどさ、クラスメイトの頑張る姿も貴重だし」

 練習風景を見守る影郎君につられる形で俺も視線を球を打ち返すラケットの音がする方へと向ける事とする。

 広大なテニスコートの中では三クラスの生徒たちが一様に練習に励んでいた。

 模擬試合をして真剣な表情、楽しそうな雰囲気を生み出す人たち。壁当てをしながら、そこで地道ながらも感じられる面白さに心弾ませる姿。一休みとばかりに休憩スペースに寝ころび、座って談笑を零す木漏れ日の様な暖かさ溢れる光景。

 どれをとっても実に眩しい光景ばかりだった。当然、のんびりだらける姿もちらほらあったけどそこはご愛敬ってやつじゃないだろうか。

 ああ、やっぱりいいなこういう光景。

 改めて感じられる青春ってばかりの風景。

 俺はそのことに、この空間に一緒にいられる事への心地よさを感じながらちらりと三人分ほどスペースを開けている影郎君の方へ視線を密かに寄せた。

 なにしてるのかなー、と少し気になっちゃうんだよな。

 すると影郎君はどこか複雑そうな表情を浮かべていた。

 この顔は……見たことがある顔だ。時々影郎君が浮かべる表情だ。パッと見ではわかりづらいっていうか、ほとんどわからない変化の違い。

 けど影郎君を四六時中見ている俺にはわかる。

 明らかに影郎君の目元と頬の筋肉が三パーセントほど緊張していることがね。……正直、こういう顔は本当に貴重であり不可解だ。どうしてこんな表情を浮かべているのか。その内面が俺には、わからないのが本当に悔しくてたまらない。

 友達なのに、何をもってそんな顔をしているのか。俺はそのことがわかりたい思いで影郎君の視線の先にある青い髪色の人物へと目を向けようとしたところで――、

「…………みんなやはり頑張っているな、なんだかんだ」

「へ?」

 不意に発せられた声にバッと視線を彼へ戻した。

 急になんだろうか?

「どうかしたのかな佐良土君?」

「…………いや、見ていてやはり体育への取り組みが頑張っているなと感じたから」

 そう言われて周囲をざっと見渡してみる。……確かにそれはあるかもしれない。みんな結構頑張っているんだよね……!

「それはまあやっぱりアレが要因なんじゃないかな佐良土君」

「…………【大体育祭(スポーツ・フェスタ)】か」

「そう。もうすぐっちゃもうすぐだからね、【スポフェス】」

 この芳城ヶ彩共同学院でもうすぐ執り行われるであろう【大体育祭】。

 学院の大イベントである【大体育祭】の事を考えれば近場に迫ったその行事に向けて運動を頑張るというのは、そんなにおかしくない話だ。

「スポーツはすべてに通じるからね。そりゃ【スポフェス】でテニスは競技として出ないけど体力づくりや運動にはもってこいだからさ。そういうので頑張る姿があっても不思議はないよ」

「…………それは一理あるな。けど、怠け者がそんなに出ないところが、この学院らしいとこだと俺は考えている」

「それは俺も素晴らしい事だと思うな。普通なら『体育祭だるいよなー』とか出るとこだけど、この学院ではそれ少数意見だからね」

「…………そうなのか?」

 感心した表情を浮かべる影郎君。

 うん、そうなんだよ。俺はうんうんと頷いて返す。

「この学院ともなれば規模も尋常じゃないからね。文字通りお祭りって感じになるんだって。先輩から聞いた話だけど、期間中は出店とか出るし、観覧客も十数万人規模で押し寄せてのスポーツ大会だから否が応でも盛り上がるそうだよ」

「…………学校の体育祭とは思えない情報だな」

「だよね」

 俺は全くその通りだよ、と表情を綻ばせる。影郎君の言うように凄いよこの学院は。中学時代とは別物過ぎてテンション上がるよ!

「…………そういえば俺も奥山から聞かされた事が一つあったな」

「奥山君から?」

 なんだろ、と訝しむ俺を他所に影郎君は淡々とこう零した。

「…………『【大体育祭】ではとにかく目立ったもん勝ちなんだぜ佐良土! このスポフェスで目立つとやっぱ女子受けいいらしいからさー! なんでも昨年活躍した男子生徒とか告白が何度もあったとか言うくらいだし!』などなどまくしたてて興奮していたな」

「ふ、ふぅん。そ、そうなんだ」

 奥山君らしいな。確かにスポーツが出来る男は人気者になるってよく聞くしな。

 …………。

 ……影郎君も、アレかな?

 人気者になりたい願望とかあるのかな? こう、女子にキャーキャー言われたいとか思う気持ちがあるんだろうか? 影郎君、実は運動できる人だからな……。容姿も悪くないし。こう常に芯があるような佇まいだし、活躍したら人気とか出るんじゃないだろうか。

 そしたら女生徒に告白されるようにもなって、俺とも少し疎遠になったり……。

「…………ワッキー?」

「……」

「…………どうした?」

「……ぐすん」

「…………どうした⁉」

 くそ……! 俺も親友が疎遠なるとか想像したら悲しいよ、切ないぜ影郎君! 女子にモテて欲しくないなあ……。ああ、でも友人の幸せを願わないとか俺もダメだな……。

 すると影郎君が「…………お、おい、どうしたんだ不安になるだろ俺が」と気遣う様な声を投げかけてくれていた。優しいな影郎君は……俺の五臓六腑にやさしさが染み渡るよ。いいやもう、心臓をどきんときらめかせてくれるよ影郎君の優しさが。

 うん。もしも影郎君が【スポフェス】でモテだしても祝福してあげよう。それが友人というものだからね……!

 あ、でも、どうせなら思い出に……。

「佐良土君」

「…………お、おう、なんだ? 何かあるなら言ってみろ。聞くだけ聞いてやるぞ」

 やっさっしーッ!

 ありがとうさ影郎君! 君の温もりに俺は感謝感激だよ!

 だから俺はぐっと拳を握りしめて、力強い語気で影郎君にこう促した。俺の思い出作りみたいなところはあるけれど。きっと影郎君も賛同してくれるはずの提案さ!

「【大体育祭】で俺と一緒に二人三脚出よう佐良土君!」

「絶対嫌だ」

「佐良土くぅん⁉」

 間髪入れずに拒否された⁉ え、いつもの間はどうしたの? 普段入れる間も消え去るくらいに今の提案嫌だったの? 友情を、親睦を深める意味でも最高だと思ったのに……!

 何度かダメ押しで言うも影郎君はただひたすらに拒絶を示してしまう。

 二人三脚……。

 友情の深めあい……。

 二人の関係の進展……良い思い出……。

 俺の中で決定事項になりかけていたはずの夢が潰えた。影郎君……そんなに必死に拒否しなくてもいいじゃないか……! 何がそんなに嫌なのさ!

「最高だと思うんだけどな……! 互いに肩寄せ合って二人のゴールを目指すんだよ?」

「…………出るならせめて他の奴と出る」

「酷いや佐良土君! 俺の何がいけないの? いけないとこがあるなら直すから。俺の事、捨てないでよ佐良土君……!」

「…………止めろ近寄るな。お前との関係を誤解されたくないんだ……!」

「関係って……あんまりだよ佐良土君! 俺と友達に見られるのがそんなに嫌なの?」

「…………いやむしろただの友達に見られていたい」

「なら何も問題ないよね⁉ あ、でもただのってなんか悲しいな……。俺は、その……佐良土君とは特別な間柄でいたいっていうか……はは、ごめん、変な事言ったよね。忘れて。気持ち悪いよねこんな発言……」

「…………うん気持ち悪い」

「そこはそんなことないよって場面だったと思うんだ佐良土君!」

 うげー、と言わんばかりに青ざめた顔の影郎君に俺は思わず悲しみを叫んでいた。

 時々影郎君は言動が辛辣だよ!

 少しくらい優しい言葉を期待してもいいじゃないか……。

「佐良土君。佐良土君は……」

 親友に見られるのいやかな? そう尋ねかけようと勇気を振り絞る。

「よー、ワッキー! ここいたんだな!」

 ところがそこで新しい声が挟み込まれた。

 む、むう……今は影郎君と二人きり、親睦タイムだったんだけどな……。まあ何時までもこんな時間が続くわけもないか。いつまでも続いても俺は大歓迎だけどさ、影郎君好きだし。

 とにもかくにも声の主へと視線を向ける。するとそこにいたのは不知火君だった。

 不知火九十九。

 たぶん、学院切っての肉体派じゃないかと俺は見ている。180センチはある一年生と言うには高身長さだけではなく、際立っているのはその肉体だ。筋骨隆々。文字通りの体現者であり彼の筋肉にはすべてに於いて無駄がない。膨れ上がった筋肉はそのどれもが呼吸をし、息吹を奏でていた。ただ佇んでいるだけでも感じる筋肉の脈動。伝う汗が羨ましいとすら感じてしまう程に不知火君の筋肉はすべてに於いて完璧なんだ!

 素晴らしい。目の保養と言わずしてなんと言うべきか。いつ見ても不知火君、君の筋肉は、ほれぼれするよ!

「ふふ、今日も素敵筋肉だな、不知火君」

「当たり前だぜ。お前だってそこそこ筋肉だぜワッキー!」

 二人、強く握手する。なんて暖かい手なんだろうか。培われた天然筋肉の温かみがひしひしと伝わってああああああああ……この温もりを感じる為に人は生きているに違いない……!

「…………きもい」

 傍で影郎君が何か呟いた気がしたけど、今の俺はそんな事よりこの感激に身を浸しておきたくてたまらない。だって筋肉なんだよ?

 しかし至福の一時もすぐに去ってしまう。握手した手はすぐに離されて、不知火君の興味は影郎君の方へと移っていた。

「おー、佐良土! 見てたぜテニス! お前やっぱ実は運動得意だよな!」

「…………人並みより幾分か、程度だ」

「ははっ! 謙遜すんなって!」

 バンバン背中をたたいて豪快に笑う不知火君のなされるがままな影郎君は「…………おい不知火、叩き過ぎだぞ……⁉」と、やがて非難じみた視線を送ると「お、わりわり!」と簡素な謝罪が返ってきた。

 不知火君、パワーあるからねえ。あの力はとてもじゃないけど及ばないや。

「…………相変わらず馬鹿力め」

「へへっ、鍛えてあっからな」

「本当にすごいよね。不知火君の筋肉は」

 俺らが揃ってそう言うと「ふ、筋肉が照れるぜ」と腕組みしながら不敵な笑みを浮かべ始めていた。照れるだなんて謙遜な。俺にはわかるよ、不知火君。

 君の筋肉が――自信に漲り充溢する筋肉(オーラ)を放っている事がね。

 まったく、末恐ろしい筋肉だ。完成系でありながらいまだ進化を遂げているってんだから末恐ろしいとしか言いようがない。思わず俺は額の汗をぬぐっていた。きっと彼の筋肉はいずれ世界に通じる筋肉になる。その核心を俺は抱いていた。

「ワッキーの奴、何を神妙な顔してんだ?」

「…………知らん。だが気にしなくていい事だと思う」

 二人が何やら呟いているが、俺は脳内に想像してしまった尊い筋肉の輝きに思わず大舞台を夢見る少女の様な高揚感、夢を抱いた様な気分で恍惚としてしまい聞き逃してしまった。あれ二人ともなんでそんな顔つきでこっちを見ているんだろ?

 特に影郎君その表情なに? 呆れてる様な顔つきな気が……。

 気になりはしたけれど、不知火君は然程気にかかる事でもなかったようでいつも通りの様子で口を開いた。

「んで、そりゃともかくよ。何の話してたんだお前ら?」

「ああ、それ? 【大体育祭】だよ。佐良土君に二人三脚出ないかなーって」

「へー、二人三脚か。昨日も確かあいつらが昼飯の時に言ってたな……なんだっけ、よく覚えてねぇけど……ま、いっか。頑張れよ」

「ありがとう。頑張ろうね佐良土君!」

「絶対嫌だ」

 だから普段の間はどうしたの⁉ また即断だよ⁉

「なんだ佐良土は二人三脚出たくねーのかよ?」

「…………少なくともコイツとは出ない」

 そん、な……。

「酷いじゃないか佐良土君! 俺以外の男と出るなんて!」

「…………お前以外の男とだって出るものかあっ!」

 ぶち切れ気味に言われたけど佐良土君、俺だって怒っているんだよ? ここまで拒絶されると悲しくなっちゃうんだからな! それでこう、無理強いしてでも一緒に出たくなる欲求が沸々と湧いて出るんだ……! だから影郎君。合意のうちに決めようよ!

「あん? けどその言い方だと女子となら出んのか佐良土は?」

「…………相手次第だ」

「どこの女?」

「…………声が怖いよ」

 思わずドスが聞いた声が出てしまった事を反省しつつも、俺はちょっと不貞腐れていた。影郎君め。友人の俺とは出ないって言ったのに……!

 やがて影郎君は嘆息を零すと、

「…………そもそも二人三脚に出る気はあまりない。枠があるかも怪しいしな」

「え、そうなの?」

「と言うかそれ以前に、お前とはクラスが違うから無理だろ」

 …………。

 ……ああ⁉

 今気づいたのか、と言わんばかりの影郎君の視線に俺は思わず地団太を踏んでいた。そうだった……! クラスが違うから、影郎君とは二人三脚で出場資格がないんだった……!

「悔しいなあー……俺、ほんとに佐良土君と同じクラスが良かったよ」

「…………そうか。俺はお前と二つ隣りのクラスで本当によかったよ」

「え、そ、そう、かな?」

 二つ隣のクラス。身近で良かったという旨の彼の励ましに少なからずドキッとしてしまう。影郎君、君ってやつあ……どうしてそう嬉しい事を言ってくれるんだい?

「…………なんだろうニュアンスを取り違えられている気がする……!」

 同じクラスじゃないのは悲しいけれど。心は近い。そう言われた気分だよ影郎君。

「俺は佐良土君と友達で幸せ者だなあ」

「…………そりゃよかったな。俺は何時か縁切りしたいけど」

「照れたからって辛辣だな佐良土君てば」

「…………本心だ」

「またまたー♪」

 冗談ばっかり吐かないでよ影郎君。冗談、だよね……?

 冷や汗交じりの視線を向けるも顔をこちらに向けない影郎君の表情は窺い知れない。だ、大丈夫。今のは影郎君の辛辣ジョークなだけだから。そうに違いない。

「しかし二人三脚かあ。日向の奴なんかは出場するって意気込んでやがったな」

「…………みたいだな」

「お、知ってたのか佐良土?」

「…………様子を見てれば誰でもわかる」

「へー?」

 驚いた様に不知火君が感嘆を零す。

 日向……きっと影郎君のクラスメイトの弦巻日向君の事だろう。日本人離れした美少女然とした容姿を誇り、綺麗な青色の頭髪が印象的な美少女の様な男子生徒だったなと記憶している。あまりにも容姿が女の子みたいなのでどこかのクラスで『男でもいい!』なんて奴が現れたって聞いた記憶があるな。なんていうか【男の娘】カテゴリーに入れられてるらしい。

 まったくホモとか仕方ない奴がいたもんだよね。ゲイに価値はないよ本当。

 そもそも弦巻君なんかより魅力的な不知火君、そして影郎君と言う二人もいるんだから見る目がないとはこのことだよ!

「…………しかし弦巻は羨ましいな」

 そんな事を考えている最中、不意に影郎君がそう零した。

「なんだ急に?」

 不知火君の簡素な問いに影郎君は「いや」と前置きして、

「…………なんというか幸せそうだなと感じてな。あいつの場合、女子に対してああも熱烈アタックしている場面を見ると青春してるな、と感じてな」

「なんだよおじんくせぇぜ佐良土? お前だって青春真っ只中じゃんか」

「…………おじんくさいか。そうかもな」

 どことなくシニカルな自嘲的な笑みを漏らす影郎君。その切なそうな表情に思わず胸が締め付けられてしまう。どうして、そんな顔をするんだよ影郎君……!

「あ、アレか? 女子と絡みてぇって事か佐良土は?」

「…………同級生と絡んでもなあ」

「んだよ、同い年じゃダメなのか? 知らねぇけどアレだろ? ししゅんきの男子って奴は女子と絡むと面白かったりすんじゃねぇのか? 誰かが言ってたぜ? 俺はよくわからんかったけど」

「…………そりゃ不知火はな」

 そうだよねえ。不知火君、女性関係鈍いし。心の中で影郎君に賛同する。

 なにせ不知火君は本当、超がつくほど鈍いうえに女生徒に関心を示さないんだ。かくいう俺もそんな感じなんだけどね。見ず知らずの女生徒よりかは影郎君の方が気になるし、一緒にいて楽しいしさ!

 急に影郎君がぶるっと身を震わせた。風邪でも引いてないだろうね? さっきから時折青ざめるんだけど……そう思いながらそっと体温を測ろうと額を近づけぐはぁっ。

「……佐良土。今の目つぶしはやべぇって」

「…………すまん、身の危険を感じたんだ……!」

 目がーっ! 目がぁああああ!

 よもや眼球に影郎君の指を感じる羽目になろうとは! 嬉しくもあり辛くもありだよ! あ、やべ、これ視力とか落ちないよね……?

「…………しかし、不知火。お前、女に興味ない様な事を言っているが……確か、他のクラスの女生徒と親交持ってなかったか?」

「んあ? 女に興味ないってどういう意味だ? なんかよくわかんねぇな……女子に興味関心ねぇ奴とかいんのか、それ? 普通に生きてりゃ女卑みてぇのねぇと思うが……」

「…………そういう意味ではないんだが、わからない辺りがお前らしい」

「ほへー? まあ、わかんねぇしいっか。んで、さっきの話……んー、思う当たる感じじゃもしかして佐伯の事か?」

「…………ああ。1-Hに最近転入してきた佐伯勇魚と言葉を交わしている場面がよく目撃されたと耳にしているんだが」

「俺と佐伯が話してるだけでなんでんな話題に上がるんだよ?」

「…………『恋愛に興味ない風だった不知火が目覚めたぞー!』って言う一部がいてな」

「へー」

 凄く興味がなさそうに……っていうかたぶんわかってないなこの人! めちゃくちゃ、ぽけぽけぽかーんってしてるし!

 ただそんな態度も影郎君はいつもの事と捉えたのか話を続ける。

「…………まあかくいう俺も珍しいなと思ってるとこだ。別に恋愛絡みとまでは言わないが、わざわざ足を運ぶ女子の相手がいるってだけで話題にはなるもんだからな」

「そんなもんかね? それ言い出せば、俺は一応、柩の奴のとこにも足繁く通ってるんだけどな。それに一応新潟に――」

 納得いかない様子で不知火君は腕組みして眉をひそめていた。

 柩、と言うのは大地離柩さんの事だろう。大地離家の長女。青善雪男子校の理事長である彊理事の愛娘さんって事くらいは俺だって知っている。もっとも名前だけで、実際にどんな人なのかは全く知らないわけだけれど……。

「ま、簡単に説明すると佐伯って奴なんだが、こいつが今は不知火家が預かる感じになっててよ。んで俺と同い年なのに高校に通ってないってのはダメだろうって事らしいんで親父が自費で真白月に叩き込んだんだよな」

「へぇー……高校に通ってなかったの?」

「ああ。そこはちょい事情があるっぽいんで詳しく聞かないでほしいんだけどよ」

「わかったよ。けど偉いね不知火君のお父さん。まさか預かってる女の子の学費とか払うだなんて……」

 芳城ヶ彩の学費然り、そも高校の学費ってだけでかなりかかるのに太っ腹だな……まあ、不知火家って名家らしいからそれくらいポンと出せるんだろうけど。

 しかし不知火君はちょっと苦笑を零して、

「いんや、たぶん違うな。善意ってよか、面倒だからってだけだと思うぜ」

「…………と言うと?」

「親父頑固だし気難しいからよ。たぶん、年頃の女子が不知火家に平日ずっといるってのが耐えられないんだと思うわ。だから学校に叩き込んだんだろなーって考えてる」

 そういう事なんだ⁉

 つまり学校に面倒だから押し付けたって事なの? それだけ聞くと何だかアレだけど、まあ結果的な事を踏まえれば悪い事でもないし、いい事だよきっと! うん!

「…………という事は、件の佐伯との関係は」

「んー、まあアレだな。上手く学校に馴染めてるかどうかの確認、みてぇな」

「なるほど。そうだったんだぁ……」

「…………なんでそんなに安堵してるんだワッキーは」

 うん? 理由かい?

 まあ、大したことじゃないんだけどさ……。

「女っ気のない不知火君に想い人がって考えたら……少し動揺しちゃって」

「…………そうなのか? くそ、不知火よくもフラグを事前に折ったな……!」

「なんのこっちゃ」

 きょとんとする不知火君。そんな彼を影郎君は憎々し気に見抜いていた。なにをそんなに怒気を撒いているんだろう影郎君は? ぶつぶつと「…………それなら応援して、くっつけてしまえば俺への被害は……!」何事か零してるけど声が小さくてよく聞こえないや。

 仕方なしに俺は聞こえる様に、口元へ顔を近づけてのぐそっ!

「……佐良土。流石に目つぶし二連はやべーって」

「…………すまない。こいつの顔が近づくと無意識でつい……!」

 目ぐわぁー! 目ぐわぁああああ!

 俺は二度目になる目の痛みにもんどり打つ。時々本当に酷いよ影郎君! 視力が落ちたらどうしてくれるんだよほんと! っていうか痛い! 涙止まらないっ!

 けれど二度目。慣れってすごいや。痛みにも慣れてきたみたいで今度はもう少し早く痛みから逃れる事に成功して俺はどうにか立ち上がる。

「…………痛かったか?」

「痛いに決まってるじゃんか!」

「…………そうか。嫌ってくれると嬉しい」

「まさか。どれだけ痛みを伴おうと佐良土君を嫌うなんてありえないよ!」

「…………そうか」

 顔を俯かせる影郎君。照れたのかな? ま、まあ気恥ずかしいセリフ吐いちゃったもんね。影郎君の反応ももっともだ。俺も少しキザ過ぎたかな……本心だけど。

 あれ影郎君泣いてる? なんか涙零れた様な……まあ気のせいかな。

「でもそっか。不知火君の理由がわかってほんとホッとしたよ。あー驚いた」

「…………それさっきも言ってたが驚き過ぎじゃないのか?」

「仕方ないじゃないか。不知火君の事は同じ筋肉の虜だと思っていたからさ」

「…………言っている意味がよくわからないな」

 そう? 筋肉に魅了されたものって意味なんだけど……。

 そんな風に俺が考えていると不意に力強い声で「違う」と断じられた。

 声の主は当然――不知火君だった。

「不知火君?」

「ワッキー、テメェ勘違いしてるぜ」

「勘違い?」

「ああ。俺は筋肉の虜なんかじゃねえ」

「え……」

 その言葉に思わず驚かされてしまう。

 まさか不知火君の口から筋肉への否定がなされるだなんて衝撃と言わずしてなんて言おうか。しかしそんな俺の想像は次の言葉で見事なまでに一刀両断される。


「俺自身が筋肉なんだ」


 目から鱗が落ちる。

 その言葉はこういう時に為の言葉だと感じた瞬間だった。

「筋肉の虜になんざ甘んじてねえ。俺が、俺そのものが、一つの筋肉なんだ」

「一つの、筋肉……」

「ああ。魅了された者じゃない。俺自身が筋肉で、筋肉の筋肉の為の筋肉として生きる筋肉らしい筋肉だからこそ筋肉している――筋肉が俺なんだぜ」

「あ、あああ、ああああああ……!」

 なんて……なんて甘かったんだ俺は!

 筋肉に魅了された。その次元どまりだったなんて! 俺の目の前にはこうして筋肉に至った筋肉がいるというのに俺はそのことに一か月半も気づかずじまいだったんだ! ありえない! これほど輝かしい筋肉を目の前にしつづけながらそのことに気づけなかったなんて!

「嘆かなくていいぜワッキー。その認識こそが筋肉なんだからよ」

「筋肉……」

「ああ。筋肉だ」

「筋肉……だったんだな。俺たちは」

「そうだとも。筋肉らしくあればいい。ただそれだけでいいんだよ」

 涙が頬を伝う。なんて美しい真理なんだろうか!

 筋肉であればいい。名言だ。流石は天然筋肉だな不知火君!

「…………なんていうかもうお前たちの会話がついていきたくないな」

「何時かきっとわかるよ。佐良土君にも」

「…………いや、わかりたくないって言ったんだけど……聞いてなさそうだな」

 やっぱり不知火君は凄いなあ。

 筋肉として一歩も二歩も先に行っている。俺なんかまだまだだ。実際、俺の筋肉と不知火君の筋肉じゃものが違いすぎるからな――。

「お、空いたし順番だな」

「ん? なにがだろ不知火君」

 そこで不意に零した不知火君の言葉に俺は意味がわからず唐突でぽかんと返してしまう。

 不知火君はそんな俺に何言ってんだよとばかり、声を上げた。

「なにががじぇねぇよワッキー。次は俺らの番だぜ?」

「え?」

「え、じゃねーよ。なんで俺がここで駄弁ってたと思ってんだよ」

 大笑いしながら俺の肩をたたく不知火君。

 言っている意味がよくわからないな……と、考えながら不意に視線を向けてみると授業の試合形式の順番表が書かれているボードを不知火君が指さした。

 そこには俺と不知火君の苗字が書かれており間には『VS』と……。

 …………ほほう。

 ……マジか。

「ってことでよ」

 バン! と力強く肩が叩かれた。

「相手頼むぜワッキー!」

 キランと白い歯を輝かせて、最強の筋肉君が俺とのバトルをご所望だった。

 ぽちょんと垂れる冷や汗。

 それを皮切りに耳が雑音を拾い始める。

「お、不知火とワッキーが次なのか」、「野分のやつ平気かね? 不知火は完璧な筋肉だけどよ」、「ああ……あいつ、見せかけ筋肉な部分あるからな」、「筋肉はあるが運動神経はそこまででもないって言うな……」、「そういや昨日の対戦相手は不知火の剛速球に失禁してたからな……あれは不憫だった」。

 そして最後に俺と不知火君を見送りながら影郎君は、

「…………まあ逝ってこい。死体は足蹴にしてやる」

 と、友達とは思えない別れの言葉と共に見送っているのだった。

 影郎くぅん……。


        2


 結論。死にました。

 体育の授業を終えてテニスコート付近に建造された男子更衣室の中で俺は天井を見つめていた。蛍光灯が眩しいや。今の俺は疲労困憊だった。これっぽっちも動いた記憶はなかったのに全身に滲み出る虚脱感。これ凄いね。救いなのは、むせ返る様な筋肉の匂いで心が安らぐことくらいだろうか。筋肉、万歳。

 現在の俺は更衣室のベンチの上で仰向けに横たわっているところなんだ。

 ここまではクラスメイトが運んでくれたよ……。なんか腫物扱いされた感が空しかったけど運んでくれたから感謝してる。しょぼんだけどね。

「…………真っ白だな」

「佐良土君」

「…………まだ更衣室にいたのか」

「うん。あの後ずっと燃え尽きてたからね」

 ああ……なんだか風に吹かれれば消え去りそうなくらいだよ。

 不知火君は凄かった。俺の様なニセ筋とは違い、本物の筋肉とはああいうものを言うのだとばかりの猛烈な筋肉バスターっぷりを前に俺は臆する事しか出来なかったんだ。悔しいさ。けれどあれはもはや仕方ない領域にあると思う。ただのストレートスマッシュが砲弾の様に飛来しコートを抉る。インパクトなんてレベルじゃない。デストロイって言われたら信じるくらいの特大火力を前に笑うしか出来なかったんだから。

「凄いよやっぱさ……筋肉(不知火君)は」

「…………そうか。凄いのは俺もわかる。お前たちの感性は何一つわからないけれど」

 寂しいな。何時か、影郎君もわかる時がくれば、嬉しい。

 筋肉が何なのか。その命題の意味を理解しあえる時がくるのだろうか。

 願わくば……来て、欲しいな。

 その時になればきっと今以上に影郎君と親密になれる。そんな気がしたから。

「…………よくわからないが、その生暖かい視線嫌だな」

「ひどいなあ」

「…………だがまあ最後まで立っていたのは凄いと思うぞ」

 前の対戦相手は失禁で途中退場だったからな、と肩をすくめる影郎君。……情けない俺を気遣ってくれたのかな? 影郎君、優しいよな。

「出来れば一発くらい打ち返したかったけどね……不知火君の筋肉を前に、そうたやすくはいかないらしい。全く……同じ筋肉とは思えないよ」

「…………そこは同じ人間とはの語弊だと思いたいんだが」

「違うよ。筋肉だからね」

「…………そうか。突っ込むだけ無意味みたいだな」

 嘆息交じりに影郎君は肩をすくめた。仕方ない、か。こればっかりは同じ筋肉の者たちにしか分かり合えない領域だもんな。

「…………まあいい。着替えるから外へ出ろ」

「え、なんで?」

「…………お前がいる場所で着替えたくない」

「ははは、恥ずかしがり屋だなあ影郎君は。もう何度か一緒の場所で着替えたりしてるじゃないか。何を今さら言うのさ」

 俺がそう朗らかに零すと影郎君は「…………これが悪い前例があると後が困るというやつか……! 前例を作らない様に配慮するというのは本当に大切だな……!」と、よくわからない事をぶつくさ吐き捨てていた。

 どうしたのかね?

 気になりはするけれど、まあそれも今はいいか。なぜかと言えば俺の目は、思わずテニスウェアを脱いだ影郎君の身体の良さにくぎ付けになってしまったからなんだ。

 細身で平均的な身長。だけど意外なほどにしっかりと程よく筋肉がついている。

 マッチョと言う程ではないけれど、程よく乗った筋肉はなんとも男性としての色香を漂わせている様ですらある。おなかの辺りとかもう最高じゃないか。

 そんな風に影郎君の筋肉を称賛している俺だったがふと気づく。

 影郎君が不思議そうな顔を浮かべている事に対してだ。

「…………」

「? ……どうかしたの佐良土君?」

 思わずいぶかしんで見てしまう。影郎君は自分の制服を手に取りながら不思議そうな顔を浮かべていた。何がそんなに気になるんだろうか?

「…………いや、大したことじゃない。ただ何だか制服が温かいな、と思って」

「ふーん?」

 不思議に思いながら俺も軽く手で触れてみようとする。だが影郎君ときたら「…………お前が触らなくてもいい」とだけ言ってさっさと着用し始めてしまった。

 そんなに冷たくしないでよ影郎君……。

「…………非難の目を浴びせている暇があるならさっさと復活しろ。すぐ四限目になるぞ」

「うっ。それは確かに……」

 もっともすぎる影郎君の言葉に燃え尽きていた心をどうにか燃え上がらせなくちゃいけないと俺は仕方なく体を起こす。

 着替えてさっさと教室へ戻らないと……芳城ヶ彩はその広大な敷地面積の特性上から休み時間が比較的長く確保されているとはいえ、早く戻らないと授業が始まってしまう。

「…………次の授業に遅れたらいけないからな。俺はもう行くぞ」

「えー、待ってよ佐良土君。一緒に行こうよ」

「…………断る」

「ご無体だよ佐良土君!」

「…………知った事か。それより次の授業は何だったかな……」

 何気なくそう零す影郎君。その言葉に俺ははたとある事に気づく。

「……あ。1-D、次の授業、数学じゃなかった?」

「…………え」

 今度は影郎君が真っ白になる番だったからだ。


        3


 まだかまだかと待ち望んだ学校のチャイムが定時に鳴り響く。

 相変わらず大鐘楼を思わせる荘厳な音色だ。お昼時だけ、響き方が違う。そんな音色を背にしながら俺は自分の教室を出ると二つ隣であるDクラスへと足を運ぶ。

 そうして目的の教室へ訪れると、すぐさま俺は見知った席へと目を向ける。

 そこには案の定、真っ白になって机に倒れ伏す影郎君の姿があった。

 ああ……なんて予想通りの光景なんだ。

 俺は、その光景をどことなく可笑しく感じながら、朗らかな態度で影郎君に声をかける。

「大丈夫、佐良土君?」

「…………聞くな」

「ダメっぽいね」

「…………数学など何の役に立つ」

「なんか常套句だよね、それ」

「…………数学者になるわけでもないからな」

 もっともな理屈だね。俺自身、社会に出て数学がどんな場面で役立つのかよくわからないから結構共感出来るよ、それ。俺以外の大勢の生徒が一度は思う事なんだと思う。

「ただ必要なものらしいよ。前にネットで検索したら物事を能率的に処理したり、柔軟な思考を育むのに役立つって書いてあったからね」

「…………そんな事は百も承知だ」

「そうだったんだ。流石は佐良土君だね」

「…………だが、俺はそれでも数学が嫌いだ」

「うん、それはわかる」

 見ててわかるもんね。真っ白だもん。苦手分野なんだよね、影郎君にとって。

「ままま。そんな何時までも灰になってたらもったいないよ? ほら、お昼休みだ。学食行こうよ。そこで美味しいものでも食べて午後の授業も頑張ろうぜ」

「…………そうだな」

 昼ご飯という事で覇気を取り戻したのか、むくりと起き上がる影郎君。

 まあ数学の授業がこの時間帯に来るのはいつもの事だしね。慣れたもので普通に英気を取り戻した様子だよ。うんうん。やっぱり元気が一番さ。影郎君の肌にも艶が戻って、ああなんというか触りたい程に光り輝いてる様だ。実に肌を触れ合わせたくなるよね。

「…………その目を止めろ」

「え? なんのこと?」

「…………自覚がないのが怖くてたまらない」

 ええー? あんまりにも謎な影郎君の発言に思わず首をひねる。何のことを言ってたんだろうなほんとに……うーん、わからない。

「…………まあいい。それじゃ俺は学食へ行くからさよなら」

「え。俺も行くよ佐良土君」

「…………ワッキーは購買でいいだろ?」

「なにその決定事項⁉ 俺は、佐良土君と一緒に食べたいのに」

「…………黙れ。俺は孤独を愛する男なんだ」

 中二病⁉ 影郎君、中二病でも発症したの⁉

 そして影郎君はどれだけ押しても暖簾に腕押しのごとく「…………今日こそ一人で食うんだあ!」と駄々を捏ねている。仕方ないな影郎君ってば。お昼休みにぼっちになんかさせないよ! お昼は友達と一緒に食べてこそなんだ! 何より君がいなけりゃ俺は誰と食べればいいのさぼっちは嫌だよ!

 そんな風にお互い引かずにいたところでDクラスに一人の男性が足を運んできたのだった。

「おーい。新橋、弦巻。二人ともいるかー?」

 ガラリと扉を開けて姿を現したのはイケメン男性教師と人気な椋梨先生だ。

 先生の呼びかけに対してすぐにブロンドの様に綺麗な茶髪の新橋さん、それと、青空の様に青が印象的な弦巻君の両名が席を立つと先生の元へ駆け寄ってきた。

 二人は先生と会話を交えた後にお互いの友人と思しき女生徒二名、男子生徒一名とそれぞれ言葉を交わすと弦巻君の方がぴょこぴょこと新橋さんの元へ駆け寄る。

「エリカ、僕はだいじょーぶだし!」、「ん、行ける?」、「わうっ♪」、「そっ。じゃあ行くわよ。まあ早く済むと思うけどね」、「そんなに時間かからなそーだし。ところでエリカ、明日の事なんだけど……」、「はいはい。わかってるってば。……そんな心配そうにしてなくたってちゃんと行ってあげるわよ。だから平気。わかった?」、「わうー、エリカ大好きー♪」、「こ、こらっ! だから気軽に抱き着いてこないの! お仕事あるんだから、ほらさっさと行くわよ!」。

 そうして顔を赤くさせた新橋さんの後を弦巻君が子犬の様に嬉しそうに後を追いかけてゆく。

 周囲の評価で『子犬みたいに可愛い』というのを聞いていたど本当なんだな……!

「…………あの二人、もしかしてコレ?」

「…………小指を立ててコレとか古いな」

 ふ、古かったかな表現……。

「…………だがまあ、その関係にはまだ至ってないだろう。どちらかと言えば片思い。弦巻の方が新橋に対して熱い想いを寄せているのは間違いない。新橋の方がどう思っているかは判然とはいかないが」

「そうなんだ……」

「…………ああ。ただまあ男嫌いの新橋が兄以外では弦巻くらいだな。ああして異性と一緒にいるというのは。だからまあ憎からず想っているんじゃないか?」

 確かに俺も新橋さんの事をよく耳にしている。

 男性嫌いの新橋さん。より正確には異性が苦手なのだろうと聞いている。実際、異性相手にも毛嫌いというよりかは比較的友好的に対しているのだから壊滅的な男嫌いと言うと過大だが、それでも恋人を持った事はないそうだ。

 後は兄が完璧すぎること。

 兄にあたる新橋ユウマ君は俺からみても凄いと思う。容姿端麗で成績優秀、性格も抜群。明るく社交的というよりかは大人びた良さがある同級生だ。そんな兄を持ったためか、新橋さん本人もよく『ブラコン』と言うキーワードが浮上するくらい兄妹仲が良い。普通はもっと距離が開きそうなものだが、あの二人は凄く仲の良い兄妹というのも有名な話だ。

 だから影郎君の推察もそこまで外れてはいないんじゃないだろうか。

 兄以外の男と距離を置く新橋エリカが身近にいる事を許している弦巻君。彼は彼なりに新橋さんにとって特別なポジションにいるのではないか、と――。

 そこまで考えたところで俺は不意に気になった。

「……っていうか、あれ? そもそも二人は何で呼ばれてたんだ?」

「…………お前、それ今さらだなあ」

 呆れた様に景君がため息を吐いた。

 そ、そんなに呆れるような事だったかな……? 釈然としないんだけど……。

「…………釈然としてなさそうだが、事実だ。お前の方でも朝のホームルームに聞かなかったか? くじ引きの事とか」

「え? …………あっ」

 その言葉で俺も思い当たるものがあった。

 そういえば確かに今朝、先生からの言葉でクラス委員長に対してのものがあったという事に気づかされたからだ。確か、あれは――、

「…………【大体育祭】に於ける【軍】決めと【対戦組】決めのくじ引き。各クラスの委員長が昼休み招集されて引く様にって言っていなかったか?」

「ああ、思い出したよ……言ってた! 確かに言ってたね!」

 なんでも【番号】を決めるだとかなんだとか確かに言っていた覚えがある。

 芳城ヶ彩の体育祭は春、夏、秋、冬の四つの【軍】に割り当てられる。当然、その際の対抗相手も選出したりするわけなので割り振りは大事だ。

「……そっか。二人はそのために行ったんだね?」

「…………そういう事だ。戻ってくる頃にはどの【軍】になるかがわかるだろう」

「……出来れば佐良土君と同じ【軍】になると嬉しいけどね」

「…………大丈夫だ。敵同士でも仲良く競い合えるさ」

「佐良土君はそんなに俺と槍を交えて突き合いたいの⁉」

「…………言葉のチョイスが不穏なお前相手にはそうだなあ! くそがっ!」

 ひどい罵詈雑言⁉ ……くすん。俺は佐良土君といっしょがいいってだけなのに……。

「…………まあいい。敵同士だからってそんな問題があるわけではないしな」

「それはそうだけど……」

「…………第一、俺はそのあたりに拘りはないからな」

 そう言いながら影郎君は二人が去っていった方向を一瞥した後に、視線を弦巻君の座席へと向けていた。

 ……あの時もそうだったんだよね。

 あの時。テニスコートでも影郎君は弦巻君へ視線を寄こしていた。あの鮮やかな青は弦巻君に間違いはない。テニスの時といい、影郎君は……どこか弦巻君を注視しているように思えてならない。どうしてなんだろう。

 緊張に喉が渇くのを感じながらも気づけば俺は口に出していた。

「……佐良土君は弦巻君のことが気にかかる、のかな?」

「…………何のことだ?」

「いや、その……なんというか視線で追っている時があるなーって」

 そういうと影郎君はわずかに目を見開いて驚愕を露にした。

 ……こんな顔するなんて。

「もしかして弦巻君と友達になりたい、とかそういうのかなーなんて。あはは……」

「…………」

 俺はそれ以外思いつかず適当に発言してしまう。それが正解とは思えなかったが、それ以外に答えが浮かんだわけではなかったからだ。

 すると影郎君は僅かの間を置いた後に、

「…………大体そんな感じだ」

 と、そう、頷いて返してくれた。

「そう、なんだ」

 その言葉を聞いて思わず俺は喉を詰まらせていた。

 ……羨ましいな。俺の方が佐良土君の友達なのに……。

 弦巻君……君が、羨ましいよ。

 そんな浅ましい想いに思わず駆られてしまう。そんな俺の様子に気づかぬままに影郎君は俺から視線をそらしたまま言葉を続けていた。

「…………ああ。あいつの周りはなんというかにぎやかだからな。俺もその輪に加わりたいのかも、しれないな」

「そ、そっか。じゃあ、あれだね。今度思い切って、話しかけてみたりするといいんじゃないかな佐良土君から」

「…………ああ、そうしてみよう」

 仄かな微笑みを零してそう頷く影郎君。

「…………それじゃあ俺は学食へ行くよ。じゃあなワッキー」

「あ、待ってよ。だから俺も一緒に行くって!」

「…………来なくていいぞ?」

「ひどいなあ」

「…………いや本当に……」

 影郎君もいい奴だからね。きっと弦巻君の友人になれる、そう思うよ俺は。だから俺は影郎君の笑顔に答える形で、本当に想った事は口に出さなかった。これを言うのは、なんだか怖い、そんな気がしたから……胸が苦しくなるのを抑えて俺はその先を喉の奥へ封じ込めたんだ。

 そうしてせかせかと遠退く影郎君の後を追いかける。

 抱いてしまった雑念を振り払うかの様に――、

「……な、なあ。なんであそこ今、微妙な空気が流れてたん……?」、「止めろ口にするな。感染とかしたらどうするんだよ……!」、「くそう、イチャイチャを見るのはつらいが、ほもほもを見るのはすげぇきついな……!」、「救いなのは佐良土がノーマルって事だけだぜ……!」、「それ考えると佐良土のポジきついな……」、「ああ。戻ってきたら慰めてやろうぜ……」、「……それで感染したりしない?」、『お前、怖い事言うなよ!』。

 だから去った後の教室で起きた会話など知る由もなかったのだった。


        4


 何度訪れても素晴らしいと思う場所。

 その一つが、この学食だよね!

 芳城ヶ彩の学食は校内に何か所か設置されている。まあシラヅキの生徒の大半はこの第二食堂【ルポゼ】が一番リーズナブルで人気なんだけどな。実際、俺も他の場所へ赴いたこともあるけど他は高いんだよねー……。

 お昼休み。美味しいご飯は心を潤わせるというものだ。

 俺はテーブルに於かれた【ステーキ定食】と言うこの上なく豪華で美味そうな昼ご飯に涎を垂らしながら「いただきます!」と手を合わせる。

「…………ごちそうさまでした」

 同時に前で箸を割った段階のはずの影郎君が食事を終えようとしていた。

 そんな馬鹿な!

「待ってよ佐良土君! どこへ行くんだ!」

「…………ステーキの香りが届かない範囲」

「ひょっとしてステーキの匂いが羨ましくなっちゃった?」

「…………いや。だが蕎麦の匂いの邪魔だ。消えろ」

「ステーキをそんなに毛嫌いしないで!」

「…………ステーキは悪くない。注文した奴の人格が悪いんだ」

「まさかの人格批判はあんまりだよ佐良土君!」

 涙ながらに彼の足にしがみ付いて訴えると青ざめた顔で「…………放せ! 放してくれ!」と叫ぶけれど嫌だよ! 俺は必死に「大好きな友人同士、お互い堪能しようよ!」と声を発すると最終的にテーブルへ戻ってくれた。

 憔悴したかの様に咽び泣いているけれど、こっちだって泣きたいよ影郎君め!

「佐良土君のいけず」

「…………そのセリフ。女子からなら嬉しかった」

「ひどいなあ、もう。……まあいいけどさ。さ、ごはん食べようよ!」

「…………速攻で食べて消えてみせる」

「早食いはよくないよ?」

 本当にいけずだなあ。一緒にご飯食べるののどこがそんなにイヤなんだろう?

 影郎君が食事してる風景俺は結構好きなんだけどね。もきゅもきゅって食べる姿がどことなく微笑ましいし。見ててなごむんだよねえ。

「……うふっ」

「…………ッ」

 思わず微笑んでしまう。それくらいこの食事風景が和やかで仕方ないんだ。

 なぜか影郎君は大急ぎで胃に詰め込もうとしてるけど……早食いいけないのになあ。

「それにしても佐良土君。蕎麦だけで足りるの毎度ながら?」

「…………問題ない。俺は少食だからな」

「いっぱい食べないと育たないんじゃない?」

「…………そこの期待は然程していない」

 意外だ。身長が伸びなくていいなんて考えているだなんて。男子としては背が低いのはコンプレックスに入りそうなものだけれど影郎君はどうやら、そういう考えはないみたいだ。

 まあ平均身長だしね影郎君。

「…………背丈は一番低くないから気にもならない」

「なるほど」

 クラス内では問題にならないわけだね。

 ちなみにじゃあ誰が一番小さいのかを訪ねたところ「…………160よりかはあるが弦巻だな。そのうえ体形が女子的だからなおの事ちっこく見える」と答えてくれた。

 やっぱり小さかったんだ弦巻君。傍目でも、新橋さんより少しだけ大きいってくらいだったもんな……彼、本当に男子生徒なんだろうか。俺がそんな風になんとなく弦巻君の事を考えているところで箸を一旦止めた影郎君がちらりと俺の表情を伺うとおもむろに口を開いた。

「…………ところで丁度いいから尋ねたいんだが」

「なに? 佐良土君」

 急になんだろ?

「…………体育の時間話題に上がったが、ワッキー。お前は種目、どういうのに出るつもりなんだ?」

「へ? そんなこと聞きたいの?」

「…………ああ。参考にな。参考に。すごく参考にしたい」

 三連続で言われた。どれだけ参考にしたいのさ。

「そ、そっか。けどなんだか嬉しいな。佐良土君が俺の事をそんなに興味津々でいてくれたなんて……胸があったかくなっちゃうね」

「…………」

 あれおかしいな? 底冷えしたみたいに影郎君の顔色が悪い。

「佐良土君?」

「…………気にするな。それよりも早く吐け。出ないと俺が先に食ったものを胃から吐く」

「なんで⁉」

 びっくらこいて問い詰めるも影郎君は頑なとして語ろうとする気配がない。

 気になるよ影郎君。どうして吐き気を催したんだよ……俺に理由を教えてくれよ……! しかし意固地にも語る気配を見せない影郎君に対して俺も仕方なく引き下がる。教えてほしかったんだけど、仕方ないかあ……。

 そうして俺は意気消沈しながらも、大まかな構想を述べた。

「そうだねー……」

 言いながら俺は電子生徒手帳をひょいと取り出した。

 学院内部の様々な情報を取得可能なこの生徒手帳には当然、配信された体育祭の種目についても事細かに記載されている。ずらりと並んだ種目を選別しつつ、この前に見てよさそうかなと思った種目を影郎君に対して告げる。

「【玉入れ】とか【棒倒し】なんかメジャーでやりがいあるかなって思ってて楽しみかな!」

「…………他意は無いだろうな?」

 他意? どういう意味だろうか……わからないよ影郎君。【玉入れ】と【棒倒し】って言っただけなのに、今のどこに【大体育祭】以外の意義を見出したんだよ影郎君……!

「…………しかしそうか。【玉入れ】に【棒倒し】か……」

「うん。【棒倒し】なんか、聳え立つものに襲い掛かるってそそるよね。後は【大玉転がし】なんかやりたいな。玉を転がすのって好きだし」

「…………」

 あれ、影郎君が無言になった? どうしたんだろう……。

「どうかした佐良土君?」

「…………いや、なんでもない」

「そう? ならいいけどさ。あ、それで佐良土君は何の種目に出る予定なんだろ?」

「…………競争系だな。足にはそこそこ自信がある」

「佐良土君、脚速いもんね。そっか佐良土君はそういう感じなのかあ……じゃあその時は応援するよ! テンション上がる様に燃えるハートのデザインの旗を振って応援さ!」

「…………停学になってしまえ」

「ひどいよ⁉ え、旗を振っただけで俺に何が起きるの⁉」

 ガーン。ショックだよ影郎君……。旗が気にくわなかったのかな?

 でも応援するときに旗って盛り上がっていいと思うんだけどなー……ダメなのかな、旗。こっそり当日に持っていったら怒られちゃうかな?

「…………変な事を考えていないだろうな?」

 うっ。鋭いな相変わらず影郎君は……!

「そ、そんなことないとも! そ、それよりアレだよ佐良土君! 競争以外に楽しみな種目とかないの? 全部徒競走とかでもあるまいし」

「…………そうだな」

 俺の言葉に影郎君はかすかに逡巡する様子を見せた後に「…………やはりコレは外せないだろうな」と呟くと生徒手帳の画面をこちらへ見せてきた。そこに記載されているのは、

「ああ。【騎馬戦】かあ。確かにこれは王道だもんな」

「…………うむ」

 然り、と首肯する影郎君。

 騎馬戦。四人一組で織りなす体育祭の花形と言うべき種目。ことこれに関しては個人競技ではなく団体競技であり、必然的に影郎君も参加が決定されていると言える。俺だって同様でそのうちにクラスで誰と参加するかが決まる事だろう。

 ただ……。

「残念だなあ」

「…………なにがだ?」

 きょとんとする影郎君。そんな彼に対して俺は素直に胸中を明かす。

「いややっぱりさ。影郎君とは一緒のクラスが良かったなって思ってさ」

「…………お前が同じクラスだったら俺は殺人犯になっていただろうな」

「どゆこと?」

 何を言ってるんだろ、と思って尋ねるも「…………わからないならいい」とだけ返すばかり。殺人犯とか物騒な事を言うなあ影郎君てば。

「ともかく俺、同じクラスが良かったよ! そしたら影郎君の馬になって頑張ったのに!」

「…………お前を下にするなど恐れ多くてとても出来ない」

「へ? そんな騎馬戦なんだし気にしなくていいのに? 俺は影郎君に跨がれたって嬉しいとしか思わないんだからさ」

「…………誰か俺の馬を弓矢で射殺してくれないだろうか。馬を替えたい」

「ひどいなあ。影郎君を残して先に死んだりなんかしないよ!」

「…………助けて」

 なにがだろう? 天麩羅蕎麦に七味でも入れ過ぎたのかな? 辛いとかだろうか?

 そんな想像とは裏腹にずぞぞーっと何かを振り切るようなやけ食いをする影郎君。そんなに早く食べたら咽ちゃうよ?

「ああけど楽しみだなあ体育祭。俺は普段から筋肉鍛えてるからわくわくだよ!」

「…………そうだな。エセ筋肉とはいえ、少しは役立つだろ」

「エセなのは否定出来ないけど俺だって今度の体育祭は頑張るからね?」

「…………そうか。まあ鍛えているしな」

「うん! みなよこの大胸筋! 興奮でビクンビクンしてる……触ってもいいよ?」

 そう言って俺は自慢の胸板を制服をはだけさせて佐良土君の目に晒す。

 どうだい? 自分でもなかなかのものだと思うんだけど……!

「…………食事中に汚いものを見せないでいただけませんか」

「急に敬語⁉ 汚くないよ!」

「…………黙れ干しブドウ」

「ちょ! ほ、干しブドウは酷いよ!」

 乳首の事か! 俺の乳首の事をそんなひどく言わないで影郎君! 気にしてるんだ結構!

 訂正を求めて喚く俺を影郎君は煩わしそうに手でしっしっと払いのける仕草で返すあかり。ひどいよ影郎君、せめてフォローを加えてくれよ!

 そんな風にしていると蕎麦をすすりながら影郎君は電子生徒手帳を軽く一瞥してから、俺の方へ見せてきた。

「まあそんな風に鍛えているお前にはこれいいんじゃないか?」

「え? こ、これって……?」

 そこに記載されてある内容を見て俺は思わず汗をかいてしまう。

 それはきっとこの学院の【大体育祭】でもっとも過酷な種目の一つ――。

「【ミニトライアスロン】。きっと筋肉な奴らが多いぞ」

 …………。

 ……佐良土君。それ割とガチできついやつ……。


        3


 昼休み後半。

 食堂【ルポゼ】でランチを終えた俺たちは揃って学食を後にして昼休み残り時間を満喫すべくある場所へと足を向けていた。影郎君からは「…………ついてこなくていいのに」と言われたけれど「俺は影郎君と一緒にいるのが好きだから気にしないで」と笑顔でこたえたらうれし泣きだろうか、目元をぐっと袖で拭う影郎君の姿を見る事が出来た。ッ気恥ずかしいなもう。時々そういう姿を見せてしまう時があるから影郎君は照れ屋なんだよね。

 さて話は変わるけれど芳城ヶ彩大図書館。

 この場所は正直言って学校で最も巨大施設と言って過言じゃないんだ。第三学区全てが図書館施設に使われている通りにこの大図書館にはあらゆる蔵書が莫大な数貯蓄されているってわけなのさ。だからビブリオマニアには垂涎もの。読書に関心が無い人だって足を運ぶ有名な場所であり学外からも海外の本を求めて足を運ぶ学者なんかがちらほらいるくらいだ。

 さて、そんな場所へ足を運ぶ俺たちは、というとね……。

「でも俺は来るの少しぶりだなー。入学後に見学したりとか回数は少ないや」

「…………筋肉の民のお前が見ても頭が爆発するだけだろうからな」

「ははは。わかってるぅ、佐良土君。以心伝心だね」

「…………口が裂けても二度と以心伝心など言うな汚らわしい」

「あれ佐良土君がなんか冷たいぞ?」

 佐良土君、沸点ポイントがわかりづらいよ。あと汚らわしいはひどいよぅ……。

 俺は内心しょんぼりしながらも影郎君の後に続いてゆく。

 しかし、はあー……改めて見ても凄い景観だよね大図書館。見渡す限りの本の壁面。ずらりと並ぶ書物の群れは荘厳さすら感じる程だ。

「ねぇ、佐良土君」

「…………なんだ?」

「佐良土君は結構、大図書館に足運んでるの?」

「…………まあな。暇な時なんかにはよく来る。読書はいい」

「へぇ~……そうなんだ。勤勉だね」

「…………後は花屋敷先生の荷物運びに手伝う時とかがあるか」

「花屋敷先生と? ああ、何度か見覚えある様な……」

 花屋敷先生とは俺のクラスの授業を受け持つ教師の一人だ。影郎君の教室は受け持っていないそうだから関係があるのが意外だけどね。まあ小柄な女教師で男子生徒を『お兄ちゃん』としか呼ばないという一風変わった先生なんだよね。

 …………。

 ……あれ、待てよ?

 接点を持つには難しい花屋敷先生のお手伝いをわざわざ影郎君はしていたりしたのか……? それはまたどうして……。そう、俺は考える中で一つの可能性へ行きついてしまう。もしかしたら今後の影郎君にとって重要な事案かもしれないという驚愕に駆られて、

「佐良土君って……もしかして、花屋敷先生が……好き、なの?」

 ごくり。

 つばを飲み込む。同時に異様な程に喉がからからに乾くようだった。友人の恋愛関係。影郎君の好みの相手と言うものが、もしかしたら……という想いにそのまま口を開いてしまった。

 そんな俺の問いかけに対して影郎君は前を歩きながら、

「…………まさか。まったく好みじゃない上にありえない」

 と、淡々と零したのだった。

 本当だろうか。影郎君はこちらを向いてしゃべってくれない。だとしたらその表情には隠したい何かがあるのではないだろうか。俺は意を決して彼の肩を掴んでこちらへ振り向かせる。

 そして彼の目を見つめる様に顔をぐいっと近づけ、意を決して口を開いた。

「佐良土君! それ俺の目を見ながらでも言えぎゅわぁーっ!」

 瞬間、迸る眼球の痛み! ぶすって! ぶすっていった! 目からぶすって!

「……佐良土。お前、目つぶしはやばくねぇか?」

「…………すまない。醸し出したくない空気を発される気がしたんだ……!」

 目がー! めぇええええええがぁああああああああッ!

 大図書館と言う事で声に出せず悶絶する俺! 今日一日で何回、目を指摘されているんだろうか本当に! 視力が落ちそうで怖いよ影郎君!

「…………って、あれ? 陽皐、か?」

「おう。奇遇だな佐良土」

 そしてそんな俺を他所に影郎君は別の男と会話をしている様だった。

 そこは俺としようよ影郎君。話したいことがたくさんあるのに!

「…………こちらからしてみれば俺の方が意外だぞ、陽皐。ここで何してるんだ?」

「そうなん? つってもまあ、ここ広いからな。お互い逢わないってのもありえるか」

 可能性は高いらしいよね。

 年に行方不明者が出る大図書館は本当に街クラスの規模を誇る所為で、知人同士がバラバラに入ってもお互い気づかず出てくなんてのはザラにあるらしいよ。しかしああ、やっと目の痛みが消えてきた……涙が止まらないけど。

 回復した俺に気づいたのか彼――陽皐君は俺を一瞥すると「ふむ」と顎に手を添えて思案した後に気づいた様に口を開いた。

「んで、そっちのは確か……ああ、尻堀町、だっけか……」

「そうだよ。こうしてちゃんと自己紹介するのは初めてだよな、陽皐君とは。尻堀町野分っていうんで、よろしく!」

 そういって俺は陽皐君に右手を差し出した。友好の証、握手だ。

 だけれど残念な事に陽皐君は「おー、そうそうワッキーだったよなワッキー! んだよ、ワッキーと一緒だったのかよ佐良土!」と影郎君の方へ向き直ってしまい、俺の握手には気づかずじまいとなってしまった。

 あげた掌が寂しいよ陽皐君……。そう思いながらも仕方ないや。俺は静かに手を下げる事とする。「…………おい、握手してやれよ可哀そうだろう陽皐ぁ……!」、「うっせぇよ、ワッキーの情報を知るこちとらとしちゃあ警戒心マックスなんだよ、くにゃろう……!」。

「……ん? 二人して何を話してるんだよ?」

「いやなんでもないぜワッキー」

「…………陽皐が握手でもと」

「ああ、実は佐良土の奴が俺のワッキーとなれなれしくすんなって嫉妬してきたもんでさ」

「…………陽皐貴様……⁉」

 そ、そんな……! 影郎君がそんな事を……?

 だ、大丈夫なのかな影郎君? 男子の俺に対してそんな心境を抱くとか友好関係が少し過激になってやしないだろうか? 嬉しいけれど、少し心配だよ。……うん、今後は影郎君との距離を測る為にももっと影郎君に注意を割こう。いつも見てるから安心するんだぜ影郎君!

「…………後で覚えておけよ絶対に事態は更に混迷したからな……!」、「知るか俺を巻き込もうとしたしっぺ返しだっつのバーカ!」。

 …………。

 ……それにしても影郎君、陽皐君と仲良さそうだな。友達としては影郎君に友人いて嬉しい反面、ちょっぴり寂しいよ。なんというかああして罵り合いみたいの俺は影郎君と出来てないからななんだか……。

 その後も二人はいくつか罵倒を繰り返していた。なんで罵倒騒ぎになったのか理由がよくわからないけれど、それは最終的に大図書館の司書の一人がお説教をするまで続くのだった。

 そうして説教を終えた二人は若干しゅんとしながら、

「…………とっくみあいをしたい気持ちがあるが図書館だ。抑えておこう」

「……おう、そこは確かにな」

 お互い反省したのだろう。小声で話し合っていた。

 うんうん。図書館では静かにだよね!

 ……ここが図書館としては巨大すぎて静かにする意味があるのかってのは気にかかるけど、原則は静かにだもんね、うん。

「…………それで」

 ひと段落ついたところで影郎君は陽皐君へ向き直ると、おもむろに問いかけた。

「…………陽皐はここに何の用なんだ?」

「まあ、ちょいと用事があってよ。本ってよか人なんだがな」

「人っていうと……誰か図書室に来てるから探しに来たってこと?」

「そそそ。少し話したい奴がいるんだが、そいつがまたビブリオ・マニアでなー。本に埋もれちまいそうな奴なんだな、これが」

 はははっと楽しそうに話す陽皐君。

 なんていうか本当に楽し気だなあ。その相手と何があるんだろ?

「っと、ここで話し込んでても仕方ねぇか。お前らは大方、読書とかだろ? んじゃ俺はもう行くな! ここで探すとなると時間くっからなー」

 それだけ言って俺たちは互いにばいばいする。

 まあ影郎君は午後の授業でまた会うけどさ。

「誰を探してるのかわかんないけど見つかればいいね」

「…………広いからな。早めに見つけられれば越した事はない」

「だね。それで俺らはどうする? 何の本読むの?」

「…………それは秘密だ。まあデータベースで探すからすぐ見つかるだろうが」

「そっか。じゃあ俺は何を読もうかなー……」

 正直本は苦手なんだよなあ。

 でもここなら漫画とかあるかな?

「にしてもアレだね佐良土君」

「…………なんだ?」

 いや、と俺は軽く隙間を置いて、

「影郎君なんだかんだ友達いるよね。陽皐君もすごいいい奴っぽいし」

 その言葉に影郎君は一瞬だけふっとクールな微笑を浮かべる。

 やさしさを含んだ表情に俺は一瞬見惚れる様な気持ちになる中で、影郎君は穏やかな口調でこう零すのだった。

「――――ちと違うな。あいつらが気さくな連中のだけだよ」


        4


 影郎君と二人。大図書館から出た俺達は真白月へと向けて足を進ませていた。距離はそこそこあるけれど移動手段が豊富なので午後の授業に遅刻するといった事はないだろう。だけどだからといって急がないでいいわけもない。

「早く戻らないと佐良土君!」

「…………そこらで適当にタクシー拾うから先に帰ってていいぞ」

「ひどいよ! それなら俺も乗せてよ!」

「…………一人用だ」

 そんな無体な事を言いながらも影郎君は俺と一緒に歩いてくれている。冷たいところも多い彼だけれど本質的にはとても優しい。少なくとも俺は影郎君のそんな良さを知っているんだ。

「うふっ♪」

「…………ッ⁉」

 思わず笑みが漏れ出てしまうな。

 友人のそんないいところを知っているって思うと優越感が生まれるものだよね!

「――って、あれどうしたの佐良土君? そんなに早く歩いて」

「…………俺は前を歩いてゆく」

「え? う、うん。そうだね?」

「…………横道へ堕ちた奴に用は無いんだ……!」

「え、ええ? う、うん? だれのこと?」

 よくわからないや……。

 たまに本当によくわからない事を言うんだよねえ影郎君。

 と、そんな風に不思議がっていると不意に影郎君が歩く速度を緩め始めた。あれ? もしかしてなんだかんだ言いながらも歩調を合わせてくれたのかな?

「…………」

 そんな風に思っていた俺だけど影郎君の表情を見て違うと悟る。

 歩く速度を緩めながら影郎君の視線はある方向へと注がれていた。俺を見ないでいったいどこを見ているんだろう? 俺は影郎君の視線をそっと追う。

 するとそこには。


 一人の女生徒を数名の女生徒が詰問していると思しき光景が目に飛び込んできた。


 …………え。

 見たくない光景。けど見覚えのある見知った光景。しばしぽかんとしながらも思考はやがて追いついて俺に一つの答えを提示する。

 まさか――いじめの現場、か?

 数名で取り囲んでいる構図。人気のない場所でこんな事をしでかしている女生徒たちを目にして俺は思わずそこに思考が行きついてしまう。芳城ヶ彩が比較的そういった事が少ない学院、少なくともシラヅキに関しては温和そのものだった為に、この光景に少なからず衝撃を感じてしまった。

 見たところ、合計で四人の女生徒が地味めな癖が強いワカメみたいな髪の毛の一人の女生徒を取り囲んでいた。

 制服から判断するに美花赤の生徒なのは疑いようがない。

 どうしよう。どうするべきだろうか。俺は動揺してしまい、対応に決めあぐねてしまう。なんていうか空気が重いのだ。ピリピリしていると言ってもいい。あえて空気を読まない態度で入ってもおそらくは更に場を加熱させるだけ。

 見て見ぬふり。おそらくはそれが一番いいんじゃないかとすら考えてしまう。

 俺は……ダメだな。こういうとこがニセ筋なんだ俺は。

 図体ばかり筋肉にしてみせようとも、根っこが臆病者じゃないか! こういう時に不知火君だったら割って入るだろう。そこが天然筋肉とニセ筋肉の致命的な違いだ。

 正直に言って怖い。割って入る勇気が出ないんだ。

 憤怒した女生徒の怒号がこだまする場所へ踏み込む気概なんて俺は持っていない。

 俺は――ダメダメじゃないか。


「…………なあ、事情はわからんがそこまでにしてくれるか?」


 そこで。

 トン、と軽く紡がれた声にハッと意識を取り戻す。あまりにも冷静に紡がれた声音。俺の友人の影郎君の淡々とした声に俺は目を大きくして彼を直視していた。

 当然声をかけられた側も気づいた様で一斉に影郎君を振り向くと「なによアンタは」と苛立ち塗れの声が影郎君を射貫く。

 しかし影郎君はそんな事気にも留めず、普段通りにふるまった。

「…………シラヅキ。1-Dの佐良土だ」

「名前訊いてるんじゃないっつの! 誰がんな事を聞いたってのよ! ふざけてると怒るわよ? ……ミカアカ二年クラス・オルタンシアの夕凪(ゆうなぎ)

 自己紹介は返してくれるんですね⁉

 怒声こそ発したものの律儀に返答をくれた二年の先輩に対して少なからず驚きを覚える。にしてもこうして見ると驚くほど美人な先輩だなあ。金髪灰眼でスタイルとかも抜群だし。

「聞く限り一年生だな……忠告だボハァアアアア……関わっても得は無いぞ後輩……! ミカアカ二年クラス・カメリアの杭全(くまた)だァアアア……!」

 ……えっと、女性、だよな?

 筋骨隆々っていうかおおよそ女性らしい要素がゼロだけど……うん、女生徒だ。……怖ぇええええええええええええええええええええええええええええええ⁉ 何この人⁉ 全身から威圧感半端ないんだけど!

「そこまでにしておきなさい怯えさせても価値ないってんですよ杭全。君も関わったところで痛い目見るだけってんですよ佐良土君とやら。あ、自分はクラス・カメリア二年の小清水ってんです、よっしー」

「軽い事言ってんじゃねぇっつの! 夕凪姉さんに絡んだってのが問題でしょうが? おい、ぼーずテメー詫びする勇気はあんだろうなあ……?」

 ツッコミどころが……なんだかツッコミどころしかない……! くそう、流石は芳城ヶ彩だ生徒がみんな個性的過ぎるよ! お嬢様はお嬢様でも不良お嬢様だったな!

「…………考えている事は想像つくがお前も大概な個性だぞワッキー」

 隣では影郎君が呆れた視線を送ってきたけど緊迫感のあまり俺は気づくことが出来なかった。

 それほどにこの場を支配する空気は爆発寸前だったんだ……!

「で。そこの佐良土っつったけ?」

「…………ああ」

「どうしてつっかかってきたわけよ? 普通、こういうんは見て見ぬふりっしょ? 関わったら面倒っての理解できない頭のつくりなわけ? 馬鹿なん?」

 この先輩……!

 影郎君を馬鹿とは聞き捨てならないね! 影郎君はお利口さんな方なんだよ!

 こうして――普通なら見て見ぬふりな場面を見過ごさずに関わる勇気を持っている。

 俺はそのことを他の誰より知っているんだ!

 だよね、影郎君!

「…………馬鹿というか観点が違うな」

「は?」

 え? そうなの?

「…………別にあなたたちにいざこざがあったとしてこういう場が出来たこと自体を咎めはしないし、関わる権利は無いと思ってる」

「……」

「…………ただな」

 影郎君はそこで言葉を切って、真剣な瞳で夕凪さんというミカアカの先輩を見据えた。

「…………見てしまった以上は見過ごすふりは出来ないんだ。だって、そうしないと――後で気分が悪くなりそうだからな」

 その言葉にぴくりと微かに反応を見せる夕凪先輩。

 やがて「……ふうん」とつまらなそうに唸った後に、微かに何かを呟いた。あまりにも小さすぎるというか口の外へ零していないレベルの小声。だがやがて木々の隙間から見える青空を仰いだ後に、小さく肩を落とす。

「……ま、心情的に同感、か」

「夕凪姉さん、いいんですか?」

「……仕方ないっしょ。確かに歩いてた道でなんかこう、うわーって場面見かけて見て見ぬふりしたら後でうがーってなりそうなのは同感だしね。ここならいいかと踏んだんだけど……ちっ、もっと奥の方へ行くべきだったか」

「そこは夕凪姉さんが――」

「だー、シャラップやっかし! 口にすんなおたんこなす!」

 ぶんっと右腕を振るって取り巻きと思しき一人の言葉を遮る夕凪先輩。

 何を語ろうとしていたんだろうか……?

 そう不思議に思う俺の目の前では夕凪先輩が「帰る。掃け掃け」と手をぱっぱと振って取りやめを支持していた。取り巻き達は『えー』とぶつくさ文句を零しながらもその場から離れる事を決めたのか歩き出していく。肝心の夕凪先輩も「とりあえず今は帰る。けど話はまだ終わってねーんだから安心すんなよ物部(ものべ)」とだけ吐くと影郎君の方へ「じゃ」と簡素に手を振って去って行ってしまった。

「……なんというか拍子抜けだね」

 もっと取り込むかと思ったよ。

 空気とか重かったし、話が縺れ込むと感じていただけに、こうもあっさりひとまず終了してしまった状況に思わず目をぱちくりしてしまう。

「…………ああ。相手がいい人で助かった」

 いい人。

 確かに、もしかしたらそうなのかもしれない。何が彼女の琴線に響いたのかはよくわからないけれど、先ほどの影郎君の言葉で急に怒気を収めて撤収してくれたんだ。もしも彼女が理解を示さなければもっとややこしくならざるを得なかったわけで……。

「うん。こう暴力沙汰とかにならなくてよかったよね」

「…………まったくだ」

「だね。でも何もなくて本当によかったよ。君も大丈夫だった――」

 そう言いかけたとき。少女は遮る様に声を発していた。


「――なんで助けたんですか」


 その声は、怨嗟に満ちていた。

「……え?」

 俺は思わず唖然としてしまう。なぜ助けたのか? そう、尋ねたのか彼女は?

 まるで助けられたことを恥辱の様に捉えた表情に気圧されながら、同時に驚愕し、そして次第に眦を釣り上げていってしまう。

 確かに勝手に助けに入ったわけだけど……。

 それでお礼とか言われなくても別にまあってなるけどさ……。

「……その言い方はあんまりじゃないかな?」

 流石に、この発言は俺は許容出来なかった。

 助けてやったのにその言い草は何なのさってやつに似てきてしまうかもしれないけれど、いざ直面すると確かにこれは少しムカッとくる。平静を務める様に努力しながらも、俺は思わずきつい言葉遣いになってしまっていた。

「自尊心に浸りたいだけで助けた人たちにお礼なんていう気はありませんよ」

「な――」

「では」

 絶句する俺を他所に彼女は駆け出していってしまう。……ちょっと今のは看過できない。俺は苛立ちを募らせ「君さ! 待てよ!」と声を張り上げて追いかけようとするも、その時、がしっと右腕を掴まれてしまった。

「佐良土君⁉ なんで⁉」

 俺の問いかけに肩をすくめた影郎君がふるふると首を振る。

「…………今、助けたのは自己満足なのは否定しない。煩わしかったから止めに入っただけだからな。恩着せではないんだ」

「けどだからってアレは無いよ! 礼儀を欠いているんだから!」

「…………そこまで気にすることでもない。一度切りみたいなもんだろ、どうせ」

「それは……そうかもしれない、けどさ」

 確かにそうだ。

 相手はミカアカの生徒。なら、シラヅキの生徒が積極的に関与しようとしなければ、せいぜい登下校で視界に捉える程度だろう。でも……さっきのはあんまりだよ……。

「…………一応、相手の事情次第だ」

「事情……?」

「…………ああ。訊いたりとかあるだろう? いじめを擁護して悪化するって事例を」

「……!」

 その言葉に俺は思わず息を呑んでしまう。

 庇った事でいじめが加速する。そういう話は有名だ。庇われた事で相手の癇癪を買ってしまい、悪化する。先生に告げ口で先生が味方側に回った事で、なんかもよく聞く話だ。

 だとしたら……。

「あの子も……そうなるかもしれないってこと?」

「…………さてな」

「はぐらかさないでよ影郎君……」

「…………そうは言われてもわかるわけがない。これ以上悪化しない事だけを――いや、彼女たちで解決する事になる事を祈るだけだ」

 そう零して影郎君は「…………午後の授業に遅れるぞ。急ごう」と零して歩き始めてしまう。

 もっともな発言なのかもしれない。俺たちに出来る事は無事解決する事を祈るだけ。これ以上関わっても気苦労に終わるかもしれないし、予想外の苦労に苛むだけかもしれない。どちらにしても大変そうで、無駄に恨みを買うだけなのかもしれない。

 そうすると……割って入った事はむしろ悪い方向へ加速させるだけって可能性もあるんだ。

「……難儀だなあ」

 愚痴をこぼさずにはいられなかった。

 人助けでこんなに複雑になるっていうのはなんというか、きつい。お礼を求めるわけではないといいながら「ありがとう」の一言もない事に憤る自身の醜さに気づくのも何だか空しくなってしまう。ややこしいよ。

 でも一番は、

「佐良土君はアレで良かったの?」

 助けに入った張本人の彼がどう感じているかだ。

 俺は違う。俺は見ていただけ。足を竦ませていただけなんだ。助けに入ったのは影郎君。俺は傍観者で人の良い風にいただけの端役でしかなかった。物語を傍観する客席の場所にいるだけであり、憤慨を覚えただけのわき役だ。

 けど実際に関わった影郎君は、辛くなかったのだろうか。

 助けた側に詰られて……悲しくなかったのだろうか。

「…………いいさ。人助けで見返りがくることなんてたまに程度ってのが相場だろう」

「けど」

「…………それにそもそも、本当に自分のためだ。嫌な思いを後からしたくないから関わっただけでお礼とかは正直ほんとにどうでもいい。やかましかっただけだからな」

 だから帰るぞ。

 そう言って今度こそ影郎君は歩き始めてしまう。強いね、影郎君は。

 あの迷惑だとばかりの顔と声を見てしまいながらも、そうして冷静に努める影郎君を俺は親友として尊敬する。

 だけど、さ。

 四六時中、君を見ている俺だからこそ、わかってしまうんだ。

 あの日、君に助けられて、君に憧れたものとして。

 君の背中がほんのり寂しそうに目に映るのは決して気のせいなんかじゃない。それがわかってしまうからこそ――俺は友人として何かしてあげなくちゃ。そう信ずるんだ。

「佐良土君!」

 彼の名前を呼びながら俺は駆け足で影郎君へと走り寄る。

「…………なん――」

 ふっと振り向こうとする影郎君。

 そんな彼の右手を――俺は左手で優しく包んだ。

「…………なに、して、るん……だ?」

 あはは、びっくりした顔だね影郎君!

 影郎君は目を白黒……いや、ううん、なんだろ? ぐんにょり? なんかぐんにょりさせて俺と自分のつながっている手を見つめていた。そんな態度がなんだか気恥ずかしくて俺は思わず影郎君の顔を見れず顔を背けながら口を開く。

「いや、そのさ……手、つなぎたくなって」

「…………お前、何を、血迷ってるんだ? 放せ。放してくれ。頼むから、後生だから……」

 なんていうかいざやると気恥ずかしいんだなこれ。

 思わず赤面しちゃいそうになるよ。でも放さない。絶対に放さないよ影郎君!

「恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。誰も見てないから」

「…………誰かいないのか? 近くに誰かいないのか⁉ お願いだ誰か見てるやつがいてくれじゃないとコイツから逃げられない!」

 なにか影郎君が叫んでいるけれど俺はそこに意識を割く余裕はなかった。

 今出来るのは自分の意思を伝えること。それに思考を割かねば、とてもじゃないがこんな恥ずかしい真似を何時までも出来るはずがないんだ。

「突然変な事を言うようだけどね」

「…………何を言う気だ⁉ よせ、聞きたくない!」

「俺はさ――佐良土君がしょんぼりしてる様に見えたんだ。だから……」

 励ましてあげたくなった。

 あんな酷い言葉を吐かれてしまった影郎君を。俺なりの愛情で包んであげたかったんだ。

 こんな風に……仲良く手をつないで、温もりを感じさせてあげることくらいしか俺には出来ないけれど、それでも何かしてあげたかったんだ。

「へへっ、大好きだぜ佐良土君」

 ――親友として。

「…………ひぃいい……っ」

 気恥ずかしさのあまりか悲鳴のようなものをあげる影郎君。そんな嬉しがらないでよ、恥ずかしくなるじゃないか。面と向かって「大好き」なんて吐けないからさ……!

 俺は影郎君の手を引く形で彼と一緒に走り出す。照れを振り払う様に一直線だ!

「さ。一緒にシラヅキへ帰ろうぜ佐良土君!」

「…………放せ! このまま帰ったら俺に明日は無いんだ……!」

「大丈夫! 今の辛かった事なんて忘れさせて、俺が気持ちよくさせてあげるからね!」

「…………聞いてないなくそっ! 自分に浸りやがって!」

「……あ、そうだ影郎君。肩を抱き合って意気揚々と帰るってのもよくない?」

「止めろ気持ち悪い!」

 どすすっと鈍い音が眼球に迸った。

 もはや四度目の痛み。慣れたもので衝撃を理解すると同時に間髪入れず俺は痛みに悶える事となりうぎゃああああああああああああああああああ⁉

「さら、佐良土くぅん! 急に激しく元気になりすぎだよ!」

「知るかボケお前はそこで転がっていろ!」

「ひどいよお!」

 そんな俺の嘆きを後にまた普段の間を置かず、影郎君は「…………遅刻するなよー!」と、だけ告げて脱兎のごとく走り去っていってしまう。さっきまで神妙な感じだったのに、どうして急にそんなテンション高めなんだよ! ……はあ、もしかして俺の慰めいらなかったのかな? 取り越し苦労ってやつだったのかな……?

 なんにしても拒絶が強すぎるよ影郎君……。

 目からいろいろな理由の涙を落涙させ地べたに倒れ伏す俺。

 そうして今日と言う一日はいつも通りに騒がしさに溢れながら過ぎ去っていく。

【大体育祭】まで後一カ月と言う日の事だった。




第二章 Good aide

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