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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Quatrième mission 「ヒーローと休暇」
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第九章 後篇:聖契約と横槍命

第九章 後篇:聖契約と横槍命


        1


 西洋高等学校。

 なんら変哲ない一般の学校に過ぎない場所。しかして、今宵の校舎内は普段とはまるで比べるべくもない程に珍妙奇天烈摩訶不思議と言った模様を演舞し続けていた。剣を持った少女が縦横無尽に疾走し、風の斬撃を幾度も解き放ちながら、口は歌を奏でる様に動き続けている。そんな少女を庇う様に、守護するように一人の少年、弓削日比朧は、少女鷹架理枝の邪魔をさせんが為に己が体技、己が駆け引き全てをもって天魔の拳が繰り出されるタイミングを遅らせ、k軌道を阻害し続けている。

 先程に、戦力である半出来賄炉を失った二人は双方、決め手を欠いていた。

 互いに翻弄できる程の速度と体技を持てど、天魔の屈強な体躯を貫く術がただの一つしか持ち合わせない。その術も不可思議な事に二度に渡って防がれている。しかし少年少女は、そこに何らかの絡繰りがあると思考を留めず熟考を繰り広げながら、

「弓削日比!」

 鷹架理枝は空を跳躍し、天魔の頭上を飛び交いながら、その力を彼へと指差した。

「あいよ! 頼むぜ、理枝ちゃん!」

「三発目――【祓魔十字(エクソルツィスムス・クロイツ)】ッ!」

 瞬間、十字型の光線が解き放たれる。三度目の正直となれば心から歓喜するだろう聖十字の体現した御業。天魔を撃退する神の光だ。

 輝かしき十字架の裁き。絶好の好機。無理な体勢ながらも放たれた術式は、その無理な体勢も相まって空を劈き、至近距離からヴァイスハイトに目掛け切迫する。この三発目が直撃すれば、確実にヴァイスハイトの身体は重傷を帯びるはずだ。

「しゃらくさいッ!」

 だが、

「ぬぇいほうっ!」

『な――』

 その期待は、淡く弾き消される事となった。

 直撃した『祓魔十字』に対して白煙を撒き散らしたかと思えば、バヂンとけたたましい音を響かせて光線が左へと逸れ、後者の壁面に直撃し霧散してしまう。

「今、何がっ」

「ドッキリサプラーイズ!」

 ぼふんっと白煙から巨腕が飛び出た。その拳がズォッと伸びて空を舞う最中にある、理枝目掛けて迫りくる。

「理枝ちゃん――――!」

「ッ!」

 大声で絶叫する朧。渋面を浮かべ、痛烈な一撃を覚悟する理枝。

 朧は、即断した。

(ダメ、だ。祓魔十字にしか可能性が無いのに理枝ちゃんを失うわけには――)

 故、その俊足を持って。

 弓削日比朧はぶわりと彼女の元へ馳せ参じようとして、

「――後は気張ってくれぇな、坊主。おいちゃんはリタイアなんだよねーぇ。多少は可能性を残せたかもしれないぃーしねぇ、むぬふっ」

 いやらしい、そんな不格好な笑顔を零しながら。

 半出来賄炉が朧の肩を後方へ押し退けながら、理枝の元へと眼光を鋭く光らせながら跳躍した光景が朧に目に映った。

 続き、目に入り込んだのは。

 腕を引っ張られ、朧の元へと放り投げられた理枝の姿と。

 彼女の代わりに体を強打され、窓を突き破り外へと吹き飛ぶ半出来の姿だった。

(嘘、だろ……!)

 そして外に響くまるで大きな荷物が転がる様な豪快な音。

 どさり、等と言う生易しいものではなく盛大に転げまわる様な複数回の音。

 半出来が今度こそやられた。そう実感するのは決して間違いでは無い。

「しくじり、ましてよ」

 力なく声を零す理枝の姿が朧の腕の中にあった。

 咄嗟に抱き抱えた鷹架理枝の身体。彼女が無事で良かったと感じる気持ちは事実だ。なにせあの一撃で理枝が負傷すれば勝ち目が消え去るに等しい。しかし、一方で朧よりも遥かにパワーに優れていた半出来を失ってしまった事はかなり痛い。

 それも全ての手が封殺されていると言う中での話だ。

 事態は切迫している。

(どうしたらいい! どうすりゃいい!?)

 三発目。【祓魔十字】の三発目。これをヴァイスハイトは退けた。無傷で。

 それが示すところは術式が通じていないと言う可能性。だが、その割には二発目は通じていた様で彼の身体には傷痕が残っている。効いた場面と、効かなかった場面があると言う事だ。

(なんだ……? 一発目と三発目は効いてなかった。なら何で二発目だけ効き目があったんだ? 二発目だけ、どうしてアイツの身体には――)

 と、そこまで考えて朧は一つの違和感に思い当たる。

(一発目……爆発でかなりの威力があって、アイツがどんな感じに喰らったのか判断は出来ずにいた。二発目……半出来さんが同時に攻撃を仕掛けたタイミングだったから、出力は弱めでアイツが煙に塗れてて……効き目があった。三発目……、白煙を散らしたと思えば、あいつの身体にダメージは無かった……)

「まさか……」

 朧は一つの可能性に行き当たる。

 だが、それが可能性だとすると。

(そうだ。もしや半出来さんが最後に言っていたのは……。あの時、わざわざ突貫したりしたことは……)

 ただ【祓魔十字】を打つだけでは検証に足りない。

 その要素を増やすべく行動を取っていたとするならば、

「そうだよ。なら回避に移る理由は無い……ああ、つまり、そう言う事だったのかッ!」

「ゆ、弓削日比……どうかしたの?」

「理枝ちゃん。仕掛けが、わかったかも、しれない」

「! 本当に?」

 希望を見た、と言わんばかりの理枝の表情。しかし、朧の顔色は優れない。それはそうだ。

「ああ、けど。手詰まりみたいさ……」

「え……?」

 何故なら、

「気付くのが、遅すぎた……!」

 致命的な事態がある。

「戦力が無いんだ。俺の技巧である【蚊】は、一撃必殺の代物じゃない。火力が無い。その火力のぶんを半出来さんが補ってくれていたんだ。だけど、あの人はもう……」

 相手を圧倒するだけの力が無いのだ。

 更にそれだけではない。

「今の状態で、また【祓魔十字】の詠唱時間を稼げるとは思えない……。その上、【祓魔十字】だけじゃ足りないんだ……!」

「それって……」

「ボーイ・アンド・ガール。万策尽きたって感じかい?」

「……っ!」

 ギリ、と歯を軋ませる。

「……よく抗ったと思うぜ? こちとら天魔相手によくもまあ食い下がったさ。【祓魔十字】三発も打ち込んだり、不思議な体術で立ち向かったり――そりゃあもう踏ん張ったさ」

 だからもう、とヴァイスハイトは表情を厳しくして拳を振り上げる。

「これで終いとしようや。二人仲良く――リタイアってやつさ」

 くそ。そんな言葉が喉の奥から零れた。

 腕の中の理枝だけでも逃すべきか。しかし、おそらく天魔が本気になれば逃げる事は叶わないだろう。ならば、抗うべきか。しかしジリ貧の結末が目に見えている。

 火力が足りず、戦力も無い。

 この状況をひっぺがえす様な奇策も無い。

 最後に朧に出来るのは。

 自らの一命を奪う拳を最後まで見届ける抗いだけしかなかった。

「グッドラック。ブレイバーズ」

 そして巨腕は振り下ろされる。

 少年と少女、二人の命に幕を下ろすべく、その心に絶望の禍根を残しながら、


「こっち見やがれ牛野郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 だからきっと。

 その声は。聞こえてくる可能性などごくわずかでしかなかったその声は。

 震えながらも放たれたその声は。

 弓削日比朧が踏ん張った時間に対しての報酬だったのだろう。

「あれ、は……」

 理枝が驚愕を表情に浮かび上がらせた。

「お呼びかぁーいっ?」

 ヴァイスハイトがノリ良く笑顔で、声の咆哮へ顔を振り向けた。

 そして朧は。

「……ハ」

 バカくさ、と小さく笑んで。

「おせーぞ、れんきゅーっ!!」

 友人への罵倒を声高らかに咆哮したのだ。

 どこからか聞こえてきた友人目掛けてあらん限りにそう叫んだ。

「うっっせぇーなーっ!」

 涙と鼻水に塗れたであろう怯えた様な声が返ってくる。

「しゃーねぇだろ! 怖かったっつーか怖いんだよ今も! 逃げたって仕方ないだろがっ! 来るのが遅れたってしょうがねぇじゃんかーっ!」

「知るかそんなの! つーか、地味に良いタイミングで来てんじゃねぇって話だよれんきゅーのへっぴり腰さんよー!」

「言ってろバーカッ!」

「どっちがだブァカ!」

 朧は連の叫びを耳に心地よいと感じながら理枝を腕に抱えたまま後方へ走り、天魔との距離を空ける。そして問い掛ける様にこう叫んだ。

「れんきゅー!」

「何だー!」

「何で戻ってきたんだよ!? お前、出来る事無いのに戻ってくるタマじゃねぇじゃんか!」

「流石はダチだな、わかってんじゃねぇか!」

「逃げて良かったんだよ、走り去って構わなかったんだぜ!」

「逃げたかったさ! 去りたかったに決まってんだろ!」

「なら何で逃げ無かったよ! お前、ここで逃げたってそれが普通なんだぜ! むしろ留まる方が一つぶっ飛んでるってもんだろ!」

「俺だってそう思ってる!」

 そうだ。

 休屋連はそういう普通な奴だ。強大な敵が現れれば我先にと逃げ出す奴だ。なにか力を手に入れたとしても怯えて戦わないか、はたまた力に溺れて堕ちてゆく。そんな普通の人間だ。

 しかし、だからこそ――普通の人間であるからこそ。

「でもな!」

 連はそこで一層、語気を強めた。

「俺はさ! 別に物語の主人公みたく格好よくなりたくてここに戻ってきたわけじゃねーんだ。俺はさ、ただの自尊心の為に戻ってきてんだよ。俺はさ、普通でだっていいんだよ! 化け物が来たら逃げる一般市民のモブキャストで順風満帆さ! レーザー撃つ戦闘機に乗る隊員にも、変身する光の戦士にもなれなくたっていいんだよ! 普通で、普通がいいんだ!」

 普通でいい。

 普通で構わないのだ。

 普通な毎日を普通に過ごす。それでたまに普通より驚きに満ちた出来事に心躍るとかそんな日々を過ごせればそれでいいのだ。そう言う少年が休屋連なのだ。ファンタジーに憧れる。だけれど、それ以上に休屋連は。

「わかってんだよ……くそうっ!」

 窓枠を叩いて連は叫ぶ。

「ここで! ここでお前ら見捨てて逃げるってのはさあ! 普通の奴がやる事じゃないんだよ! 逃げるのは普通だけど! お前らを見捨てたら普通じゃなくなるんだ!」

 そう。

 怪物が来たら逃げ惑う一般市民は悪くない被害者だ。

 しかし。

「ここで、お前ら、見捨て、て、逃げ、たら……!」

 少年は堪える感情を吐き出す様に夜空に叫ぶ。


「――普通以下の最低野郎だろうがッッ!」


 だから休屋連は戻ってこれた。一度は逃げ出しかけたけれど、この場所へと。

 普通で構わないと思う少年が、その事に気付いたから。友達を見捨てて逃げ延びる奴なんて普通以下の存在に成り下がるのだと思い至ったから。

 あの時、川蝉は言った。

 ――一般市民が戦わず逃げる事はなんら悪い事ではありません。

 けれど、彼女はこうも告げた。

 ――ですが、脅威として迫りくる者に対して立ち向かうのもまた、勇者などではなく英雄でもなく一般市民の皆さんでしょう?

 俺達も戦おう。

 そんな言葉を発して決起する市民の姿を映した映画が脳裏に浮かぶ。

 それがきっと今の休屋連の在り方だ。

「ワンダフル……!!」

 その行動に心が打ち震えたのは天魔であった。両手を掲げて実に誇らしげにヴァイスハイトは声を震わせた。

「弱者の勇気、しかと見届けた! このヴァイスハイトが見届けた! 何一つも出来ず、何一つも無しえぬだろう場に己が心意気一つ持って馳せ参じた小さな勇気を今ぞ見たり!」

 獰猛な程に歓喜を宿した瞳を連へ向ける。

「たとえ、真向いの校舎と言う離れた場所とはいえ、その気概を心から買おう! 他の誰もが蛮勇と叫ぼうともだ! 素晴らしい! ワンダホーだ! さあ、ならばなにをする? 待つぞ! お前が打つ次の一手が何であれ、待つぞ少年、さあさあさああ!」

 頬を緩ませ吼える天魔に怖気づきながらも、連はひっと悲鳴を零しつつ、しかし「あ、ああ、や、やってやらあ見せてやるよ!」と声を発する。

 その姿に朧が叫んだ。

「止めろれんきゅー! 何かやったらコイツお前を敵とみなすぞ! さっきまでのいてもいなくてもどうでもいい存在認識から外れちまう!」

「そうよ、休屋! 何をしようとしているのかわかりませんが、止めなさい!」

 そんな二人の言葉に連はゴクリと唾を呑み込み、

「悪いな二人とも」

 自らの胸に手を当てて。

「んなもんここに来ちまった時点でとっくに問題外だよ」

 ニヤリと涙を滲ませ、鼻水をすすりながら、それでも自暴自棄に笑みを浮かべた。

「よくわからんが――なんかやるぞ、おらあ! 鷹架ぉ! 悪いが、あの剣頼む!」

 理枝の「はえ?」と言う疑問符に答えぬまま。

 連の声に呼応する様に。

 ――あいよ、そんじゃあ『発動』だ。

 誰かの声は強気に響いた。

「おうよぉ!」

 連が腕を振りかぶると同時に。

 瞬間。

 ヴァイスハイトの意識が突然に『奪われた』。



 意識が消滅してゆく。

 憤怒が彷彿となる。

 喉元が絶叫をあげた。

 何もかもがわからなくなる感覚。しかし一つだけわかってしまう感触。

 嗚呼――何故、貴様がそこにいる。



「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「おわぷっ」

「な、何――急にっ!?」

 轟音と聞き間違える程の雄叫びが響き、牛の天魔が校舎の壁を突き破り、その巨躯を外へと踊り出させた。そして巨大な翼をはばたかせると勢いよく連目掛けて突進した。再び響いた爆砕音と弾け飛ぶ瓦礫の数々。空気を震撼させる程の衝撃と突風に思わず朧は顔を腕で覆った。

 理枝も同様だ。しかし彼女は同時にあるものを投擲した。

 何が起きたのかまるでわからなかったが、連が何かしたのは事実。そして彼が事前に告げた言葉を思い出し、即座に鞘から剣を引き抜いた。

「癒しなさい【必滅覆す回天の剣】!」

 流星の如く投擲された剣が合間を飛び越え、真向いの校舎へ飛来する。

「理枝ちゃんナイスアシスト!」

「ええ!」

 朧の言葉に理枝が頷く。

 眼の良い二人は刹那見たのだ。暴風で視界が遮られる中であったが、確かに瞳が捉えた。

「今、れんきゅー殴ったよな」

「ええ。カウンターみたいな形だけれど」

 突進するヴァイスハイトに対して連は拳を向けていたのだ。あの勢いの敵に拳を振り抜く。それは確実に一矢報いる結末と言えるだろう。

「……で。その後、れんきゅー潰れたよな?」

「……ええ。肉塊が血飛沫上げて飛び散る場面を微かに見れましてよ」

 ただ当然、連は死んだのだ。

 そりゃあそうである。突進してくる車に拳を放っても、確かに一矢報いるが、死は免れないと言う事は必然だ。

(……要するに自爆覚悟の突貫なんだよなあ)

 それしか道が無かったのは事実だが、いざ直面すると何ともやるせなかった。

 恐らくは可能性として最もそれが該当していたのだろう。言葉通りに『一矢報いる』と言う戦い方。確かにそれならば休屋連でもこなせるだろう――しかし、それはこうして今の様にそれを繰り返す事になるのだ。

 死んで蘇生して、また死んで蘇生する。その繰り返し。

 どこかで歯止めをかけなくてはならない。

 そしてそれは連だけでは成し遂げられないかもしれない。

 ただし、それとは別に一つの疑問が朧にはあった。

「にしても、れんきゅーはどうやって……オクゼンフルトを挑発したんだ?」

 まるで長年の宿敵を見たかの様に怒りを撒き散らし突撃したヴァイスハイトの姿は朧の眼にも異様に映った。先程までの天魔の様子とはまるで違う。

「もしかしたら、ですが」

 理枝はその疑問に答えの可能性を提示した。

「覚えていましてよね? 彼が呑み込んだ、【楚歌の指輪(オプファー・リング)】の効力を」

「ああ、もちろん。挑発効果があるっていう――あ、それでか」

 つまるところ、呑み込んだ指輪の力を発動した。と言う事なのだろうか?

「……いや、でも、呑み込んだものを使役する器用さがれんきゅーにあるとは思えない」

「また妙な判断下しましてね! ……けれど、実際そうなのよね。呑み込んだものを使用するってそこそこ難しい……第一、『力』に関して習ってもいない休屋がいきなり力を使えるのも、おかしいし何より……」

「何より?」

「力が強過ぎましてよ」

 神妙な表情で理枝は断じた。

 発動はまだしも、効力が強過ぎるのだと。

「従来の【楚歌の指輪】は相手に対象への腹立たしさを与える代物であり――あんな脇目もふらず、他に意識を向けさせもしない程の強力な効力を発揮する事はなかったと思うのよ」

「そう、なのか」

 確かに。確かに、あの怒り様は尋常では無い。

 仇敵を前にしたかの様に溢れ出す憤怒の奔流は見ていてこっちがその場から逃げ出したくなる程の狂乱ぶりである。

(連の適性みたいのが高かった? ……いやないな)

 連は本当に一般人だ。そんな適正がずば抜けて高い、みたいなステータスを誇る様な特別な人種ではない。友人としてそこは本当にわかっている。下に見るでも上に見るでもなく順当に、客観的に。

 ならば、何故? そう、考えもするが、摩訶不思議な道具の正体に見当もつかない。

 そうすると可能性としては、むしろ。

(誰かが手を貸した……ってのもあるよな)

 連が一人で来る度胸もそうだが、それでもやはり連は何も策なしに突っ込める程に勇気を持っているわけではない。なにかしら秘策が欲しいと感じるはずだ。

「って、考えてる時間も惜しいな。これは後回しだ」

「ええ。急いで休屋の元へ向かいましょう。また彼、死にかねませんし」

「それもあんだけど……それと別に理枝ちゃん。二つ頼みごとがあるんだ」

「頼みごと?」

「ああ」

 朧は重々しく頷く。

 そうして朧は一つ目の頼みごとを伝える。すると、理枝は「なるほど、それならば。私はどこへ向かえばいいわけね」と感心した様な声を上げて頷いた。

「それでもう一つとは?」

 促す理枝の言葉に数拍置いた後、朧は切り出した。

「俺に、何か火力として使える様な術式を与える事は出来ないかな?」

「火力? 確かに、弓削日比は火力不足と言う部分がありましたが……」

「お願いだ。このままもう一度【祓魔十字】を放っても結果は見えているんだよ。だけど、俺に、あるいは連に火力があれば、事態は変わると思うんだ。【祓魔十字】以外の火力が必要なんだ理枝ちゃん」

「【祓魔十字】以外の火力……? それはどういう……いえ」

 そこまで呟いて理枝は何かに思い当たった様だ。

 聡明な彼女なら気付くだろう。そんな彼女に朧は懇願した。

 自分に力を与えてくれ、と。

(このままじゃジリ貧だ。れんきゅーが命がけで稼いでる今の時間で、どうにかしなくちゃいけないんだ!)

 理枝の双肩を掴みながら朧は真摯に訴えた。

 それこそが鍵なのだと。だが当然の様に理枝は難しい顔で答える。

「……生憎と【リベルテ】は私以外のものへ貸し出す事は禁じられていましてよ。他に術式もありますが、それは貴方に付与できる程の技量は私にはない」

「くっ……、やっぱ無理っぽいかあ……」

 理枝の超常技能はやはり本人の資質によるもの。

 朧の資質はあくまで体術だ。いきなりそんな跳び抜けて不可解な領域に入り込む事は危険性が伴う。朧も理枝も、だ。

「……ですけれど」

 そこで理枝が困った様に口を開いた。

「一応――一つだけ、あります、のよね……」

「――え?」

 闇の中に光を見たとばかりに表情を明るくさせる朧。

 反面、闇の中で辱しめを受けたとばかりに顔を赤面させる理枝。

「これならば貴方に適合した力を付与する事が可能でしてよ」

「それじゃあ……それを頼むよ理枝ちゃん! 後生だから!」

「ですが」

 理枝は涙目で語気を荒くした。

「これを使い、オクゼンフルトを倒した暁には、弓削日比を私の手で殺さなくては……!」

「何で!? なんで、俺、万事解決した後に殺害されるのかな!?」

 混乱し困惑する朧。

 そんな朧に対して躊躇しがちに理枝は切り出した。

 逆転の可能性。理枝が秘めていたその御業。その正体を――、


        2


 襲い来るものは正気を失くした暴れ牛であった。

「ゴアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「どわっひぇっ!」

 一方、その頃の休屋連は迫りくる拳撃を前にしながら命からがらの回避行動に専念を余儀なくされていた。先程、理枝が放った剣の恩恵により命を再び宿された体躯は、またしても天魔の脅威に晒されているのだった。

 怒りのままに振り抜かれる拳の雨。到底、素人が逃げられる代物ではない。振り被ったと思えば殴り飛ばされているなんて次元の拳を連はそれでも必死に回避を続けていられた。そこには生物の生存本能が隠れているのだろう。

 人間、全てのステータスを逃走に割り振れば、多少は持続するものだ。

 多少は。

「ごぼぉえぶぴっ」

 拳の一発を回避したと安堵した連が頭上から振り下ろされた拳に圧砕された。頭頂から血飛沫へと変貌した連の体躯が周囲に飛散し、おどろおどろしい光景を三度、生む事となる。

 しかし、

 ――ずりょぞっ

 と、気味の悪い音を立てて、飛び散ったはずの肉塊と血液が別の場所で再び集束し、連の身体を構築する。まるで水の様に。分離してもまた戻せば一カ所に戻る様に。再生と言うよりも切り離し可能な代物の様に。

「う、うぼぇぇぇ……き、気分悪……っ」

(【必滅覆す回天の剣】ってもっと良い感じに回復しねぇのかよ……!)

 とはいえ、連は体が元通りになる感触で気分を悪くしているのではない。

 連続的に死んでいる事に気分を害されているのだ。

 すでに二回。昨晩を合わせて三回。連の身体は絶命しているのだ。

「ぐらっしゃあっ!」

 そして起き掛けの連を襲った四度目の死。

 だが、先程と同じ様に蘇生する連。

「ぐ、ぐぞ……! 頭がおかしくなりそうだ……!」

 ――おいおい、黄泉がえり野郎。言ってる暇があるなら逃げろー。じゃねぇとまた死を体感する事になるぞってあーらら……。

 天井に叩きつけられ肉塊の付着物になった連が五度目の死を乗り越えて再生する。

「俺、もう何度死んだ!?」

 ――まだ五回目。

「人生経験すげぇなくそう!」

 ――言ってる暇があるなら逃げなーねい。

「わぁってる!」

 叫んで連は天魔を後に駆け出し、教室の扉に手を掛けたところで後頭部を爆砕され、教室の扉がド派手に吹き飛ぶ。バタン、と倒れた首から下を親の仇を見る目の天魔がその左足でゴミを踏む様に踏みつけた。バシャッ、と水の飛散する音が響く。

 なので再生。

「げぼっ……! ああ、くそ気分悪い!」

 自分が連続的に死んでいる。その事実をフラッシュバックしながらも、これ以上は死にたくないとばかりに連は駆けだした。その背後から天魔が手刀を振りかざし、頭頂から左右に一刀両断する。右と左の身体が互いに「「あ?」」と重なった声を洩らすと同時に絶命した。

 その身体がうねうねと結合しまた駆け出す。

「なんだよ、くそ、なんなんだよ死にすぎだろ怖ぇ……!」

 ――そりゃまあ、素人が逃げたところでプロなら何度だって殺せるからなあ。

 七度目の死亡。重ねるごとに自分の常識が崩壊しそうになる恐怖のリプレイ。

 問題なのは、リプレイされているのではなく、どれも別々の死と言う実体だった。そしてそれが起こるのは当然ながら、休屋連の身体性能が全てである。これが弓削日比朧であったならば一度か二度、あるいは死にさえしないが、連の様な一般人ならば、それも運動を欠かす様な身の上ならば連続する死亡は当然の帰結であった。

「けど、これ――ガチでなんつーか煽り過ぎじゃねぇのぶげっ」

 頭が吹き飛んで後方四メートル先へ別個のものとして転がった。八度目の死に至った連を気にしない様に、脳に響く声は告げた。

 ――はっはっは、言っただろ? お前が出来るのなんて客の眼を惹き集める舞台俳優くらいだってな。

 そう。此処へ来る前に、声の主は言ったのだ。時刻は少し前へ遡る。


        3


「舞台俳優? どういう事だよ?」

 ――言ったままの意味だぜ踏ん張り野郎。お前に与える贈物――それは、客の視線を釘づけにする程の存在感だよ。

「なんだそりゃ?」

 訝しむ連に対して声は簡素に答えを告げた。

 ――まあ、ぶっちゃけて言えば囮役になれ的な?

「は――はあ!?」

 ――おいおい、そんな驚く事かい? むしろそれ以外にお前みたいな凡夫が出来る様な事が現段階であると思うわけか?

「え。あ、や、それ、は……」

 無い。連も自覚してしまう事だ。

 確かに自分の力量であの怪物に挑もうとは思わない。思えない。出来る事と言えば、確かに相手の注意をひきつける囮役くらいだろう。

「……それしか、ねぇか……」

 ――ねぇな。

「け、けど、それ……大丈夫、なんだよな? 死んだり、しねぇよな……?」

 ――むしろ、死なない可能性があると本気で思えるか?

「ぐっ……!」

 囮役。その実態を見ればむしろ危険が伴う役柄だ。

 自慢では無いが、連の足の速さは一般基準。運動性能は普通か普通以下だ。とりたてて誇れる様な事も無い。鉄棒で逆上がりは出来るが、それ以上は辛かった様に。

 ――だがまあ、一つ希望を進言してやるぜ。

「きぼう……?」

 ――ああ。それとお前さん、まず相手をひきつける前に、あの嬢ちゃんに対して剣を投げて貰う当に叫んでおけ。んで、引きつける際にはカウンターで一発殴れ。

「ええ、それはつまり……」

 僅かに黙考する。

 そうしてから「なるほど」と得心が行った様子で連は頷いた。

 つまりは事前に回復策を取っておき、その後自分の余命を延命させると言う方策になるわけなのだ。連はそこまで考えて僅かに顔をしかめた。

「……一回は確実に死ぬのかあ」

 ――まあ、そうなるわな。だが延命は出来るぜ?

「……わかってるよ。けどそれ相手がこっちの挑発に乗るか次第だぜ?」

 ――可能さ。

 連の不安に対して声は力強く断言した。

 ――お前の腹の中に混じっちまった【指輪】がそれを可能にするからな。


        4


(――それが【楚歌の指輪】の効力……!)

 そこまで考えたところで連の頭部が巨大な手に鷲掴みされた。

 更に余った腕が連の足をひっつかみ、頭部と足。双方がベクトルの異なる力で引っ張り合いにされる。連の身体からミチミチ、と言う嫌な音が響いた。やばい、と思う暇もなく彼は痛みで絶叫する。

「うぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 裂けちゃう! ざげじゃうのぉ! 股からざげじゃうからあ!? いでぇいでぇいでぇいでぇおぼえろろろろろろろろろろやめでおねが……ぶべっ!?」

 そして二つに分断された体躯が無造作に左右の壁にべちゃっと張り付いた。

「げぼぉ……げぼぼ……」

 だが回帰する。死ぬ前へと幾度となく。

 心が、折れそうだった。

(何度死んでも蘇るって……想ってたよりよっぽどきっつぶぴっ)

 足を止め思考を挟もうものなら怒髪の天魔が憎悪を込めた瞳で殺害を試みる。

 それでも連の身体は回復し、彼に逃走を進言し続けていた。

 しかし、

(やり始めてはみたけどさあ……! 何時まで、続けれぶぁ……!?)

 考えるたび。口を開くたびに。なぶり殺しの様な未来が持続する。

 死んでいるはずなのに生き返る。その輪廻が頭をおかしくしそうになりながらも、連は縋る希望を夢見て意識を取り留めていた。

「でも……やべぇよぉ」

(こんなん何時まで、続けてたら――)


「――そこまでだ」


 そんな連に。

 福音の如く、既知の友人の勇ましい声音は響き渡った。――血飛沫撒き散らして五体バラバラに弾き跳びながら。ベシャ。ぶちゃ。ごとごと。と、何とも怖気立つ音を鳴らしながら連の体躯が遅れて床に四度ほど音を立てる。しかしすぐに蘇生して起き上がると、ふざけんなとばかりに声を荒げていた。

「いや、止まれよ! また一回死んだぞ!?」

 ――あ、悪い。発動停止間に合わなかった。

 朧の声でピタリと場が停止するわけにはいかなかった様だ。

 激怒する天魔の拳は第三者の介入で止まらない程に激昂していると言う事か。そう考えれば連は自らの体内にある指輪の出力に呆れさえ出てくる程だ。

「れんきゅー……。お前、無事なのか?」

「ああ、まあな。……気分は最悪だけど」

「そうか」

 複雑そうにしながら朧は小さく眉をひそめるも、次の瞬間には穏やかな微笑を浮かべていた。

「けど助かった。格好良かったぜ親友」

「マジか」

 自分では格好悪かったと思える醜態をさらしまくっただけに、朧の告げる言葉が嬉しくて涙が出そうとすら思う連であった。

「けどなんかゾンビみたいだな」

「うるせえよ! 思ってても言うんじゃねぇ!」

 ショッキングな光景を生み出した事は否定しようもないが、きっと傍目には再生能力を持ったゾンビに見えていただろう事はかなりショックであった。

 そんな二人を尻目に――前方の天魔は静かに頭を振っていた。

「オウ、シット――なんと頭痛の感じる気分だ。鬱憤を蓄えさせられた気分がする」

「意識、戻ったみたいだな」

 連の言葉を静かに首肯するヴァイスハイトは、普段の陽気さを消してどこか憎々しげに双眸の色を深めてさえいた。

「その言葉。その力。――どうやら、貴様が盛大に関与している様だな。少年の勇気は本物だったが、やりようが下衆いぞラマト・ガン」

 怒りか。はたまた、呆れか。どちらにせよ筆舌し難い気持ちを抱いている様だった。

(けど、ラマト・ガンって何なんだ……?)

 朧は出てきたワードにものの名前なのか人名なのかに漠然とするも、すぐに頭を振った。妙な事に意識を取られている暇はない。今、やるべきは――、

「れんきゅー。よく時間稼いでくれた。お前は下がってていいぞ」

「マジで? いいの? 俺もうお役御免? 危なくない? いいんだな!?」

「ああ」

 本気で嬉しそうな様子に苦笑を零しながらも朧は頷く。

(れんきゅーは頑張った。だから後は――)

 朧はすっと右手を翳した。

「……朧?」

 連の不思議そうな声を背に、朧の意識は深く沈み込んでゆく。

 頭の中に浮かび上がり消えてゆく様々な紋様。螺旋に渦巻く何かの景色。高く低く繰り返し脈動する己の中の何か。己の在り方。様々な色彩が広がる世界の中で数種の色だけが朧の意識を取り囲み、彼を巡る様に波打つ感覚――、

(俺の、番だッ!)

 その刹那。

 誰かの声が、聞えた。

 玲瓏な美しき福音の声音をもって、誰かが告げた。


 ――さあ、旋律を奏でなさい


 膨れ上がる鼓動があった。

 自らの中の何かが勇ましく爆ぜた感触を得た。

 輝かしく華々しく光り咲き満ちる想いがあった。

「【開演(オーヴェルトゥーラ)】――」

 その時、少年の瞳に旋律は灯る。

 同時に脳裏を過るのは、彼女との契りを結ぶ場面だった。


        5


「――契約?」

「ええ。契約術式【聖契約(テスタメント)】」

 連が幾度の死亡を乗り越えてなお死んでいく最中。

 朧と理枝はある会話をしていた。

「ええと……その【聖契約】ってのはなんなわけ?」

「そうね……有体に、契約型の術式の最高峰と言うべきなのかしら……?」

 うーん、と理枝は小さく唸りながら、そう零す。

 力を求める朧に対して理枝が提示した提示案。その行き着いた先が【聖契約】と言う契約術式と言うものだったのだ。

「一応、尋ねるけどそれを使えば強くなれる――のか?」

「一概にそうとは言いにくいけれど……まあ、大雑把に言えば強化される事は間違いなくてよ。ただその強化がどう言ったものになるかは個々人の資質によるものなの」

「つまり、俺に見合った形で形成されるって事か……」

「ええ。だからどういった強化を遂げるかはわからなくてよ」

「そっか。けど、理枝ちゃん。こういうのがあるってんなら先に言っておいてくれた方がありがたかったかな。これがあれば、事前に強化出来たし、他の誰かを契約して強化するって手法もあったんじゃないの――って疑問は多分、楽観的なんだろうね?」

「流石、弓削日比ね。その通りでしてよ」

 フッと影の差したほくそ笑みを浮かべる理枝に思わず汗を垂らす朧。

 そんな強力な術式だ。そして【契約】などと大それた名前がつく以上は、朧とて想像がつくと言うものである。

 代償が重い。あるいは何らかの思想観念が鎖となっている――と言うところだろう、と。

 理枝がこの際の際まで口にしなかったのはそれが原因なのだろう。矢鱈と使える様な気軽な術式ではない。おそらくはかなり制約の高い術式だ。

 口を閉ざして、朧は理枝の発言を待つ。そうして数秒、閉口していた理枝はおもむろに口を開くとこう語り始めた。

「――【聖契約】。そもそもは、神や天使と言った人間の上位存在足る高位存在が、自らの庇護下にいる者達へ心からくべる寵愛の賜物が、この術式の原典と言う話になるわけね」

「寵愛の……賜物?」

「そう。神が、天使が、愛した者達へ自らの力を持って恩寵を下す絶技。力を分け与える事で対象へ【宿楽譜(パルティトゥーラ)】と呼ばれる力を発現させる事が可能なの。これにより人は、生命は、高みの力を得て、その者の良き理解者へと進化を遂げてゆく。そう言った高位存在と契約を交えさせたもの――それを【協奏者(コンチェルター)】と呼び現すそうよ」

「……なんか、凄そうだな」

「実際、現在も天使達も使役している術式だそうだもの。ただ、問題なのは……」

「問題なのは?」

 きょとんとする朧。

 そんな朧の姿を煩わしげに睨みつける理枝だったが、やがてぐっと何かを堪える様に息を吐き出して――、


「こ、この契約が婚約みたいなニュアンスを含めているところ、よ……!」


 そう、真っ赤な顔の少女はまくしたてる様に紡ぎ出した。

 数秒遅れて、朧は、

「え? ………………………………………………………………………………え?」

 まず、ぽかんとした。

 そしてやっと叫び声を放つ。

「ええ!? は!? こ、婚約!?」

「ええ、そう!」

 理枝は若干自棄気味に告げる。

「言いましたでしょう? 【聖契約】は神や天使が、庇護下の者へ与える同列の証。その起源には【愛する者と添い遂げたい】と言う意識――、つまりは恋愛が根底に根差しているの。そういった起源があるから、この契約を結んでいるものは認識上、婚約者――あるいは恋人。少なくとも友人以上の関係性を築いているものと識別されるのよ!」

「うわあ、それを逢って数日の俺にヤろうとか言い出す理枝ちゃんマジ大胆」

「ぬっ殺すわよ弓削日比!?」

 なるほど、と剣の柄で頭部を殴打されながら朧は理解した。

(そりゃあ言えないわけだよなあ……)

 ほぼ婚約同意義の契約。あるいは恋人関係を発展させる為のエンゲージ。

 そう言った恋愛要素を多量に盛り込んだ術式がこれなのだろう。道理で、理枝がこの術式の使用を控えていたわけだ。――周囲に天使などいないが、それでももしそういった存在がいたらそう言う認識をされるわけである。確かに気安く使える代物ではない。

「ああもうとにかくね! この契約は【一名限定】な上に【片方が死ぬまで永続】に加えて【意識のシンクロ】も稀に起こるケースがあるって言う凄い強い制約が存在しているのよ……! わかる? したら最後、本気で最後なんでしてよ!?」

「はっはっは、理枝ちゃん大変だねー俺もだけど」

「笑ってる場合でないわ!」

 複数名と重複契約も出来ない。

(なるほど、こいつは確かに婚約にも同義だな)

 また随分と責任重大な代物が切り札で出てきたものである。

 だが――しかし、これ以外に三人に手が無いのだとすれば。

「わかった。なら俺、辛いけど、理枝ちゃんに全部晒すよ……うっうっ。ゴメン、親父、俺は守ってきた貞操奪われちゃうんだ……」

「うざくてよ! 泣きたい気分なのこっちなのに男の側がめそめそしないでもらえて!?」

 そうなのだ。泣きたいのはきっと理枝自身だろう。

 こんな局面だからとはいえ、理枝は自らにとって重要な意味を含む力を執行しようとしているのだ。その胸中にどれほどの想いが渦巻いているのか朧には想像する事も出来ない。

 だから朧は胸に手を当てて、毅然とした態度で告げる。彼女が気負わずに済む様に、

「安心してくれ、理枝ちゃん。心はいらない。身体だけの関係で満足だから。理枝ちゃんの心はいらないよ! これっぽっちも! 体の関係だけで俺は満足さ!」

「何かしらね、その、その通りなんだけど言われると無性に腹立たしくなる最低の台詞!」

 ふざける朧だったが、理枝が「それ以上ふざけていると斬り捨てましてよ」と言う氷点下の笑顔に「はい」と真顔で応答すると、理枝はとにかくそこに立っている様に促した。

「……で、契約って何すりゃいいの?」

「貴方は何もしなくていいわ。するのは私だから」

「理枝ちゃんたら破廉「抜刀」あ、ごめんなさいふざけません。本当すいません」

 キンと鳴った鍔鳴りの音に謝罪をくべる。

 そんな朧に嘆息を浮かべながらも理枝は静かに息を潜めた。

 と、そこで朧がふと眉を潜める。

「……あれ? 待てよ。この契約ってさっき言ってた通りだと、人は使えないんじゃ……」

「ええ。当然、使えなくてよ。これは天使と言った上位種族だけの秘術だからね」

 そんな朧の様子を尻目に理枝は淡々と頷きながら、周囲に音楽記号で模られたかの様な魔法陣を描き始めていた。――いや、描き始めていると言うよりは、彼女から零れる光が散布し、魔法陣を構築しているのだった。

 美しく輝かしく、そして何より荘厳な光の波紋が幾度も明滅し、光を増幅させてゆく。

「けど、安心なさい」

 その中で理枝は告げた。

「私は――半分、そうだから」

 半分。その言葉を最後に、理枝から人を超越するかの様な眩い光が膨れ上がった。

 その背中には清浄なまでの真白い翼がぶわりと波打つ。

 神の光の恩恵に彩られた様な鮮やかな純白の翼。羽の一枚、一枚が煌めいているかの様に皓々とした光を発散している。美しい光だ。麗しい輝きだ。これが天使の――半天使の少女なのだという事を朧の脳は否応なく自覚させられる。

「【祝詞(タランギレ)――】」

 少女は、清らかなる調べを奏でる。

 そっと少女の右手が少年の左胸に触れた。

「【想いよ交錯し調和せよ(エクス・コンコルディア)】」

 鼓動があった。幾度も脈打つ感覚。

 光の波が何度も何度もドクンドクンと心音の様に揺れ動く。溢れんばかりの光が二人を囲み解け合い、浸透してゆく様な柔らかな温かさ。

 伴い、少女の左手が優しく少年の右頬を包み込む。

「【恋人よ幸福世界へ至れ(フェーリキタース)】――」

 光は一点に目掛け集束し、

「――【聖契約(テスタメント)】ッ!」

 理枝の艶やかな唇が、朧の唇をそっと塞ぐ。

 そして光が、想いを乗せて音を奏でた。


        6


 休屋連の瞳に映る景色は変わらない。

 壊れた校舎があり、恐ろしき天魔がいる。

 だが、一つだけ目に見えて変貌を遂げた者がいた。連の友人――弓削日比朧。

 その彼の姿が――先程までとは別物になっていたのだ。

 友人が声を上げた瞬間に出現した、何か楽譜の様なものが一気に朧の周囲を包み込み、そして彼を今の姿へと変幻させた。


「【開演】――【ツベート・スカファンドラ】」


 そこに佇む友人の姿を見て連は思わずぽかんと口を開いていた。

 白をベースとした潔白の衣装。所々に黄色、赤紫、青緑がアクセントになった衣服をまとっているからだ。しかし、一番問題なのはその衣装の特異性だろう。

 一見すればそれはロングコートの様に思えた。

 しかし頭頂からのシルエット、間違いなく。

「宇宙服?」

 強いて具体例を掲げるならば、それはシャープになった宇宙服と言うべきか。日常用に洗練された宇宙服と言うべきなのか。

 だが何にせよ特異な衣服であると言う事は間違いのない事実だった。

「朧、それって……」

「ああ。俺の、新たな力だぜれんきゅー!」

「主人公体質過ぎるわ!」

 少し見ない間に何を人間止めている感があるのだろうかこの友人は。

 いやだがしかし。

 それ以上に連には気にかかるものがあった。

 それは――この音楽だ。

 先程の、朧が力を発現した辺りから周囲に何か【歌】と思しきものが流れ始めているのである。勇ましく雄々しくあるようにリズミカルな旋律が周囲を奏でている。誰かが歌っているわけでもないのに、どこからか――いや、おそらくはきっと――朧自身から。

「なんなんだ……これ」

 茫然とする連。朧の内から流れ出す様な勇壮な曲調。

 勇気を駆り立てる様な躍動感ある歌が溢れてくる。

「その姿」

 ぽつりとヴァイスハイトが口を開いた。

「――【聖契約】の【宿楽譜】か」

「知ってんだな」

「無論。我等、天魔の【魔契約(マレフィキウム)】の対、【聖契約(テスタメント)】を知らぬわけがナッシング」

 ただまあ驚いた、と天魔は零す。

「契約者の想像はつくが、よもやそれをするとはねー。なに、婚約でも結んだんユー?」

 ぷぷぷ、と含み笑いを零すヴァイスハイトに対して「いや、理枝ちゃんがどうしてもって言って無理矢理……!」と咽び泣きをみせる朧。何故だか、謎な会話に理由がわからないが連はそこはかとなく、ここにいない少女に対して悪寒を感じていた。

「けど、ま」

 朧は静かに真剣な声を発露する。

「これは俺達の覚悟みたいなもんにでも捉えなよ。お前を倒す為の、さ」

「ふむ。流石に倒す為にそこまでしてくる度胸は買うさユー。些か、値が張り過ぎてる気はしているけどねーん彼女!」

「おかげでこの後に殴り殺されそうな身の上さ」

「捨て鉢。背水の陣ってやつになるわけだ」

 くつくつと可笑しげに笑みを零すヴァイスハイト。まったくだよ、と朧は肩をすくめる。

「だからまあ――強いぜ、今の俺は」

「だろうな。女の怒りを喰らわない様に必死で頑張らないとってとこかい?」

「そうそう。そんな感じ」

「くく、そうか」

「でもそれ以上に」

「うん?」

「ここまでしてくれた相手の想いに応えるのが男気ってもんだからさ」

「なるほど、それは強いに違いない」

 その会話を最後に二人の姿が前へ押し出される。

 互いに前へ。拳を締めて。

「まずは手始めだ、どうにかしてみせろよボーイ!」

 ヴァイスハイトが右拳を振り被る。

 猛る巨人の猛追。誰しもを一撃で瀕死にまで追い込む純粋物理。肉体の差、そもそもの能力値の差異による完全なるパワー押し。しかし、それだけの力量差があるのもまた事実。そして今までの朧であれば、これを真正面から受ける事など愚の骨頂。

 だが今は、違う。

「【ツベート・スカファンドラ】――配色を【銀】へ!」

 言葉が吐き出されると同時に変化が起きた。

 先程までの白を基調とした衣服が、銀色へ、メタリックカラーへと変わったのだ。

「らぁっ!」

 ガン! と鈍い音が響く。

「ワオ、すごくかたーい!」

 ヴァイスハイトがびっくりした様子で声を上げた。

「だからワンモアぁあああっ!」

 なのでもう一発の拳を振り下ろすヴァイスハイト。ドゴン、と重々しい衝撃が響くと同時に朧の呻く声が微かに零れる。口の端から血が滲んだ。

「んとに――すげぇな、あんたは」

 まさか即座に第二撃を放ってくるとは、と朧は少し驚きながらカッと表情に覇気を灯す。

「配色は【黄】――喰らえっ!」

 途端にヴァイスハイトの身体に衝撃が駆け走った。

 全身を嬲る様に震撼する痺れるような感覚。

「ぬふぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 これは覚えがある。――電気だ。

 電撃。間違いない。

(先程まで銀色の服だったのが今度は黄色で、電気……!)

 全身に迸る衝撃を振り払う様に拳を横へ凪いだヴァイスハイトは頭を抑えながら、小さく後方へ退いた。そのチャンスを弓削日比朧は逃がすわけにはいかない。

「配色を【紫】へ!」

 そして次の瞬間には、

「――ごっ、ぶぼあっ……!?」

 どずん、と廊下に膝をついて鳩尾と股間を抑える天魔の姿があった。

 その光景に傍観していた連は「え? 何があったんだ?」と驚きの声を洩らす。

 そして肝心の朧はと言えば、【紫】と言っていたにも関わらず、その配色は【銀】へと変化しているではないか。

「やっと、少しは効いたみたいだな」

「ふ、ふふ……。流石に鳩尾と股間を殴ったんだか蹴られれば当然に……オウフ」

 痛そうに身を屈めるヴァイスハイト。――どうやら、朧が急所二点を突いたらしい。問答無用の股間攻撃までこなすとは容赦ねぇな、と連は想いつつも戦力差を感じる以上は当然の判断だったのだろう。

 そんな中でヴァイスハイトは口の端を面白げに吊り上げた。

「しかし、中々ファンタスティックな能力を手に入れたみたいだなユー」

「――ああ、そうだな。俺自身、どんなもんなのか、とは思っていたけれど」

 自らの手を握り、開いてを数度繰り返しながら朧は呟く。

「結構よさげな能力が手に入ったって実感しているさ」

「確かに」

 天魔は首肯する。

「【聖契約】の最大の恩恵【宿楽譜】。対象者それぞれに紡ぎ出された心の旋律。自らの心を躍動させる為の超克の権能。それが天使、神と言った者達と形成される【聖契約】の特性だ」

 その双眸が朧を見据えながら、

「それはどう言った形でなるかは個人の資質次第ってやつさー。武器、防具、乗り物、生物――形は様々に存在している。――そう言う意味でユーのそれは中々面白い。少しやりあっただけで大体の性質はわかるが、多種多様な能力に変化するって代物の様だな」

「……」

 流石に見切られるのが早いな、と朧は内心零す。

(そうだ。頭の中に流れ込んでくる【ツベート・スカファンドラ】の性質は、文字通り配色を変える事で様々な能力を顕正させるっつー、バラエティに富んだスペックだ)

 故に、わかりやすい。

 色が変われば力が変わると言う能力値。使用者にも敵対者にも容易く見抜けるだろう能力の特徴だろう。

「面白い――面白いが、当たりであると同時にユーにとっちゃ外れだったりしねーのかい?」

「なんでだよ?」

「なんでもなにも――」

 ヴァイスハイトはゆるゆると首を振る。

「そう言った汎用性の高すぎる力は得てして代償が存在しているものさ。それだけ性能が変かするとなれば大抵の事はこなせるが頂点に辿り着けない――器用貧乏の可能性を否定しきれないんじゃないのかい?」

「――」

 その言葉に連が思わず目を見開いた。

 器用貧乏。朧ほどの少年がそう言われるのは少なからず衝撃を得ていた。そんな事は無い。あいつは凄い奴なのだ、と連は思わず拳を握りしめていた。

「どうかな」

 対して朧は小さく呟く。

「もしかしたらそうなのかもしんない。この【ツベート・スカファンドラ】もまた火力に駆ける可能性はある。そもそも器用貧乏って言われれば――、俺はそれを否定出来ない」

 脳裏を過っていた。

 思い出したくない過去が。けれど思い出したい情景が。

 これはそう言う事なのかもしれない、と朧は拳を握りしめながら。

 けれど双眸に強い色を灯していた。

「だけどな、オクゼンフルト」

「うん?」

「俺の予測が正しければ、今ある火力だけでお前は倒せる」

「ほう、そのハートは?」

「もしこの能力が心の旋律ならば」

 理枝に契約を願い出た時の、力が欲しいと言う想いをもしも【宿楽譜】はくみ取っているのならば。

「俺はお前に負けない力を手に入れているって信じている」

「盲信か?」

「ああ。けど信じられないよりマシだろ?」

 朧の言葉を天魔は厳かに受け止めて、

「その通りだな。その気概でかかってこい。自らの力を過信ではなく、信じ抜く。それこそ出来て一人前だ。私なんかじゃ、俺なんかでも、そんな言葉を吐いているうちには半人前だ。自らに宿った力を信じて、敵の前に立つ。格好いい所を見せてみろユー。先程の」

 そこで天魔は朧の後方で足を震わせながらも見守る連を一瞥する。

「――誰より価値が無いのを理解しながら、それでも根性振り絞った友人の様にな」

「――当たり前だ! ここまでくりゃあもうやけっぱちでも度胸が据わるさ。それに忘れているかもしれないけどさ」

「む?」

 訝しむ様子の天魔に対して、少年は口角を吊り上げた。

「今日、お前を相手取りにきたのは――俺一人じゃあないだろう?」

 その言葉とほぼ同時に。

 ヴァイスハイトの背後には数名の人影があった。

「あの人達って……!」

 連が目を見開いて、その人物たちを直視する。

「いやあ、僕らが意識失ってる間に何だか色々あったみたいだね」

「フ、なんとも勇敢な事でござそうろう」

「はわわ……気を失っていたのが恥ずかしいです~……!」

「その分の面子、取り戻さないと威厳ないわね」

 荷負、西小物座町、雛子、若咲内――共に天魔撃退に来ていた四名が意識を取り戻し、そこに佇んでいたのだ。そこまで確認したところで連が不思議そうに零す。

「……あれ? 雑魚田さんは?」

「ごめん、気絶したままさ!」

(あの人、初登場の時から、一切役に立ってねぇ!)

 そんな光景を見据えながら、

「――ハ」

 天魔は笑った。

「雑魚が何名、束になってかかってきたところで無駄な事だ――と、言うべきなんだろうが楽しい限りって奴だにゃーん。折れて、ないか。それでいい」

 しかし、とヴァイスハイトは一拍置いて、

「再び立ち上がり、それでどうする? 言っちゃ悪いが、立ち上がろうとも、すぐさま打倒出来るだけのパゥワーがあるんだぜい?」

「フ、わかっているとも」

 荷負が前髪を払いつつ、不敵に笑みを浮かべた。

「だから僕らがすべきことは一つさ。弓削日比君!」

「はい?」

「僕らは何をすべきだい!」

「そっすね。まあ一言で言えば――」

 時間稼ぎ。そう朧は告げた。

「なるほど、わかりやすい。ではみな、そうするとしよう」

「だな。意識を失っている間に何があったか判断がつかない。とすれば、やるべき事は知っているものの指令に従う――行くぞ、お前達! とにかくコイツの邪魔をするんだ!」

 そう言ったと同時に所持している機関銃を天魔の足元目掛け撃ちまくる。

 西小物座町の攻撃を引き金として雛子が武器を構えると同時に人格豹変し、荒々しい佇まいの元に噛みつく様な攻撃をみせる。縦続きに仲間達が各々の攻撃を見舞ってゆく。相手を一歩も動かさないようにするための攻撃の嵐。その中で朧も力を振るい続けた。

「ちょこざいな事をしてくれるぜい! まったく!」

 ヴァイスハイトも軽口を叩きながら、そのじつ余裕と言うわけではない。

 何故ならば、この場には彼にとって危険視すべき存在――朧がいる。

(ただの一般人と【協奏者(コンチェルター)】とじゃ認識違いだからにゃあ。天使力を含んでいるぶん、お互いに攻撃の影響補正がきちまうってなもんさー)

 対存在。その力の恩恵を得ている以上は軽く見る事は出来ない。

 しかし、それよりなにより気にかかるのは、

「さっきの子――君の契約者はホウェアー?」

「理枝ちゃんかい? 理枝ちゃんならお花を摘みにいったのさ!」

「オウフ、そりゃあ一大事だね!」

 嘯きながら戦う両者。

 天魔が不審に思わざるを得ない状況。それは理枝がいないこと。先程までいた少女が今はいないというのはおかしい。必ずどこかにいるはずだ。まさか本当にトイレに行っているとは思わないが、それにしたって撤退したわけはない。

 傷を帯びているわけでもなし、何よりも――、

(切り札は彼女だ。その彼女がどこかに逃げるわけがない)

 かと言って遠隔で攻撃するにも限度がある。特に【祓魔十字】に至っては、その道理が濃く適用されている以上は近場にいなくてはならないはずだ。

(ならば近くにいるか?)

 ふむ、と頷いてヴァイスハイトは掌に力を凝縮させた。

「! みな、気を付けろ! 何か、くるぞ!」

 警戒した荷負の声を無視し、ヴァイスハイトは片方の拳で凌ぎながら、その口からは重厚な調べを紡ぎ始めていた。姿を晦ましているならばそのままで構わない。炙り出してしまえる程に攻撃してしまえばいい。

「【御旗と共に(イネーヴ・)聖霊達よ光臨されたし(エチーナス・スティーリプス)天の星々より(テ・エティメ・)御使い達は燦然と(スティレオ・シークル・)顕現され給え(エアウト・ムイーダー)】」

 聞き慣れぬ言葉。聴き慣れぬ調べ。

「何だ……?」

 訝しむ朧を余所に「拙い!」と西小物座町が前へ躍り出て機関銃を乱射した。

 しかしヴァイスハイトは難なくそれを躱すと西小物座町の機関銃の銃身に拳を押し付け、思い切り押し込めば銃身がぐしゃりとひしゃげ、使用者本人を盛大に殴り飛ばす。雛子の舌打ちと激憤が後方より聞こえる中で、朧は天魔の声に緊張を高めていた。

「【啓蒙せよ闇夜の崇拝者(イーネヴ・シルベネト・テ・エテコン)深淵よ溢れ死を満たせ(イーネヴ・スナドヌーニ・メトローム)御使い(イーネヴ・)達は闇を侵し貫かん(マヴロヴェール・エトコン)】」

「くそ、間に合わないか! 防御に徹するんだ――!」

 荷負の叫びとほぼ同時。

「【闇夜の矢、(エアーベネト・アチレフ・)放てよ二十六条(エノイザレーベル・イトニギヴ・エクセス)】」

 闇の中で尚も煌めく闇が閃いた。

 まるで極小の流星の様に周囲を縦横無尽に弧を描く様に解き放たれる二十六条の闇の矢は周囲を射貫き、壁に天井に荷負たちの身体に風穴を開け放ってゆく。絶叫が、悲鳴が、苦しみに喘ぐ声がつぶさに響いた。

「……今、のは」

 その中ですぐさまに踏ん張り立ち上がれたのは朧と、

「ぐ、ぶぇ。うぼろおぇ……」

 休屋連の二名であった。

 楽譜【ツベート・スカファンドラ】の所有者である朧は【銀】形態による防御力をもって矢の威力を軽減し、連は二回ほど連続で死亡した事で吐き気を催しながらも、立ち上がっていたのである。そんな二人に負けじと立ち上がる姿――荷負もまた体の所々に血を流しながらも復帰し、その口を静かに開いた。

「術式だよ。ただし天界に伝わる――ね」

「荷負さん無理は……。けど、天界……?」

 天界。天使達が住まう場所。

 そこに存在する術式と言う事か、と朧は認識した。

 まるで魔法だ。おとぎ話やファンタジーで見る超常現象の様な出来事を前にして、朧は思わず苦笑いを零していた。【錬金】と言った、物質を変化させる技巧も持ち合わせていたと言うのにまさか、こんな隠し玉まで持っているとは厄介極まりない。

「素手で戦ってくれてる辺りが情けなのかね……」

 ヴァイスハイトはもっぱら徒手空拳で戦っていた。もしも【錬金】や【術式】を執行されればそれだけでもっと自分達は不利になっていた事だろう。

「……ふむ」

 その中でヴァイスハイトはきょろきょろと周囲を探っていた。

「どうやら近場にはいないようだな」

 いると踏んでいただけに意外であった。しかしそれならば何をする気なのだ、と訝しむ様に眉をひそめる。自分を下す為に存在する手法はおそらく【祓魔十字】頼りだろう。しかし、それには神の御言葉を自らに聴かせる必要があると言うのに、いない。

「まあいいか。ここにいないものに意識を割いて、眼前で立ち向かう者達を見ずにいることほど失礼もないだろう」

 ちらりと見やれば負傷して倒れ伏す敵対者たち。

 うち三名が立っている。連だけが服がみるも無残と言うレベルだが、無傷だ。

「よく戦った。――が、そろそろ幕切れとしようか」

「バカ言えよ。まだ開演したばかりだってのにさ」

 心から鼓動する旋律。周囲に響くメロディーを胸に朧は拳を握り、天魔を見据える。

 負けるわけになど――いかない。

「弓削日比君! 僕が、隙をどうにか作る! そこをつけ!」

 鉤爪付きの籠手を鳴らして、荷負が駆けた。荷負の言葉に朧は即座に「お願いします!」と力強く頷き再度、抗うべく疾駆する。

 その場面で、

「みな、大丈夫か! 加勢にきやしたぜ――!」

 天魔の後方より現れた人影が一つ。雑魚田の姿がそこにはあった。

「リベンジだ天魔――!」

 そして雑魚田が高々と刀を掲げながら天魔目掛けて突撃する。

 カキン、と刀身が天井付近の凹凸部分に接触し、雑魚田の手から刀が弾かれて宙をくるくると舞い――その柄が荷負の「ごべぷっ」後頭部に直撃した。

 バランスを崩した雑魚田もまた、後方へよろけ、そのまま後頭部から床に直撃し、意識を再び手放すのであった。

『……』

 そんな光景を見ながらその場にいた朧と連は思う。

(こいつ味方の戦力減らすだけ減らしやがった――!?)

(しかも自分は自滅するだけだとぉおおおおおおお!?)

 雑魚田使えねえ。朧と連が大人に対して失望してしまった瞬間であった。

「しかし、これは洒落にならないくらいヤバくないだろうか!」

 だがそんな失望感より連は不安が肥大化していくのを感じ取っていた。

 仲間達は先程の術式で殲滅。その上で生き残っていた荷負もまた、不慮の事故により離脱する羽目になったという状況。戦力が朧と連の二人だけ――そして連は戦力にもならない。朧もまた強い力を手に入れたが、どこまでやれるのか詳細は漠然としている。

(色で変化するって事は能力的に未知数だと俺は思うけど……)

 逆に力が多すぎると言うのが連は不安だった。

 よく読むライトノベルに於いてはそう言った能力は器用貧乏が多い。多種多様であるゆえに一芸特化がないのだ。

(やれんのか、朧――?)

 そんな心配する視線を朧へと投げ掛ける。

 すると、朧は――小さく笑んだ。ヘルメットの中でうすらぼんやりとしているが、それでも口元が動いた様に見えたのだ。その事に連は不思議に感じるも、同時に力強い信頼を感じた。どうにか出来ると言う希望を。

 そして、そんな希望は――頭上より降り注いだ。

「――これちゃんと聞こえるのでしょうか?」

 文字通り、頭の上から降ってきた声。理解が追い付かず一瞬だけ連は唖然とした。急に湧いて出てきた理枝の声に驚きを禁じ得ない。

「あーあーあー。――うん、響いているみたいね。大丈夫そう」

「たか――ほこ?」

「これは……!」

 連とヴァイスハイトが驚く中で、どこからか響く理枝の声は朧へと向けられた。

「弓削日比」

「着いたみたいだな」

「合わせなさい」

「了解だ」

 二人の声が、会話にならずともわかりあう会話として紡がれる。


「【――無窮の天辺に(グロリア・イン)於いては御神に栄光を(エクシェルシス・デオ)】」


 突如として反響する――その声音。

 学校中に響く少女の調べ。どこからともなく――いや、違う。

 スピーカーから流れ出していたのだ。

「【地に住まいし(エト・トゥ・テラ・パクス)善人達に平穏あれ(オミニブス・ボネ・ヴォルンターディス)】」

 紡がれてゆくその言葉。いや、詠唱にヴァイスハイトは愕然とする。なにせ、それはすでに三度に渡って詠唱されてきた言葉なのだ。

「なんと、この声は……!?」

「ああ。理枝ちゃん曰く術式ってのは【相手の耳に詠唱が届いている】って言う前提条件があるんだってな!」

 だから詠唱は難しいのだと理枝は告げていた。

 無論、強化等と言った自らへの術式は問題無いが、相手への確実な攻撃術式に於いては、その詠唱が相手の耳へ届いていると言う条件があるそうだ。より正確には、自らの言葉が届く範囲に対象がいる必要性があると彼女は言った。

 それがあるからこそ、鷹架理枝は常に攻撃の危険性がある距離から詠唱を施さなくてはならなかったのだ。

 ならば。

 届けばいいと言うのならば――増幅させてしまえばいい。

「【我等主を褒め讃え(ラウダムス・テ・ベネディチムス・テ)礼拝し崇拝する(アドラムス・テ・グロリフィカムス・テ)】」

「鷹架、あいつ放送室行ってんのかよ!?」

 奏でられる声は、学校ならばどこでも完備している場所――放送室から発せられている。

 四発目。むざむざ天魔がそれを許すかどうかの保証はない。

 ならばわからない位置から攻撃できる条件を形成すればいい。

 その為に、朧は理枝に告げたのだ。

 ――放送室へ行ってくれ、と。

 だから朧と理枝は別行動となって天魔に立ち向かう形となった。契約後、理枝が姿を現さなかったのは、放送室へ向けて駆け出していたからである。

「フ。懲りないな、ボーイ・アンド・ガール!」

 弱点と言うべき調べを耳にしながらも、ニヤリと不敵に笑みを零すヴァイスハイト。

 その反応は当然だろう。なにせすでに三発放って、芳しくない成果となっているのだから、天魔の反応は当然のものだ。遠距離で放てたとしても、先程と同じ末期を辿るのは目に見えている話であった。

 しかし。

 弓削日比朧は同じように不遜に笑って、言葉を返す。

「確かに、【祓魔十字】のだけじゃ効かないみたいだもんな」

「……ホワット?」

「だが、それはおかしいんじゃないか? 【祓魔十字】って技は、退魔の象徴的技らしいからさ。ともすれば全くの無傷ってのは納得がいかない。そう考えれば、お前は確実に【祓魔十字】に対しての対抗策を持っているってわけだ」

 無言になるヴァイスハイト目掛けて朧は踏み締める足に更なる力を加えた。

 楽譜【ツベート・スカファンドラ】より【紫】を抽出する。付加される技能は【時間加速】。この刹那に、朧の身体は僅かなれど、確実に通常の時間軸より先へ加速した。識別出来ぬ速さで相手の懐へと滑り込む。

「――ぬっ!?」

 時の加速が終わった事で、眼に映る光景の差にヴァイスハイトは驚愕を露わとした。

 そんな天魔の腹部目掛けて朧は拳を振り上げた。

「カラーリング【赤】!」

 拳に伴い、空気を歪ませる灼熱の焔が起こる。ジュッ、と肉の焼き焦げる音がすると同時にヴァイスハイトは苦悶の表情を滲ませた。ただの人間の拳ではない。

 これは【天使の力】による攻撃なのだから、天魔に通じやすくて当然だ。

「んで、その対抗策ってのは――トリックに関してはわからんかったけど――、お前はあの白煙を放出している間は【祓魔十字】の一撃を無力化出来るって事だろう!」

 続く二撃、三撃を流れる様に叩き込む。

「唯一、効いた二発目の【祓魔十字】――アレがヒントを与えてくれた!」

 燃える炎を撒き散らしながら少年は吼える。

「あの時、お前が負った負傷は――【祓魔十字】によるものじゃなかったんだろうな! アレは半出来さんが与えた一撃だった!」

「ぬ、ぐうううう……! 燃えるぞヒート! 震えるぞハート! ばれてるぞピーンチ!」

 猛る勢いで絶え間なく、朧は力を振り絞る。

 衣服は【赤】から【黒】や【茶色】へ変色し、多様な性質を発揮しながら果敢に天魔の体躯を苛み始めていた。

「気付くべきだったのに、気付けなかった――それは通常攻撃が有効打になりえないお前のタフさを知っていたからだ! なのに、あの時は効いた――そりゃあつまりは、白煙を噴出している時間は、むしろ普通の攻撃でさえ効き目がある程に弱体化してるって事なんだろ!?」

「……ほう……!」

 二発目の時には、半出来と理枝の二人が攻撃していた。

 一発目と三発目は理枝が【祓魔十字】のみを放っていた。つまりは【祓魔十字】と【普通の攻撃】で選別していたと言う事になるのだ。唯一、二人が攻撃した場面では回避しようがなくあえて弱い攻撃の方を喰らったのだとすれば――、

「だから俺は――渾身でいくとするさ……!」

 織り交ぜた力の色は【赤・黒・オレンジ・黄色・青色】――それらを混ざり切らぬ形で織り交ぜたマーブル・カラー。

 そして鳴り響く声は遂に、その調べへと到達した。

「【主は聖者にして、(クォニアム・トゥ・ソルス・サンクトゥス・)主は救済の王なり(ソゥ・ソルス・トゥ・ソルス・ドミヌゥス)】」

 天魔の元へと【詠唱】と【火力】が切迫する。

 ヴァイスハイトの額に嫌な汗が滲んだ。

「これは意外と大ピーンチ……! ぐぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおお……!!」

 色を混ぜ合いながら拳で応戦する朧は――雄々しく叫んだ。

「理枝ちゃん! 狙い撃てよ……! 俺達はここだ!」



 自らに付与された【天使力】と、ヴァイスハイト自身の【天魔力】を理枝は知覚する。

「【主のみいと高し(トゥ・ソルス・アルティスィムス)聖霊の総軍を以て、(クム・ザンクト・スピーリトゥ・)天主の栄冠の元へ(イン・グローリア・デイ・パトリス)――アーメン】」

 そして。

 放送室に佇む、半天使の少女はその左手を感じ取る契約者、その敵対者の元へと遠距離より解き放つ。

(これで最後。これをもって決める。この四撃目で!)

 朧の考察を信じて、少女は十字架に全てを託す。

「【祓魔十字(エクソルツィスムス・クロイツ)】――――ッ!」



 同時。

 弓削日比朧の拳が、灼熱に猛った。

「【ツベート・スカファンドラ】――爆ぜろマーブル・カラー!」

 厳密に色とは言えぬ変化色。赤と黒を基調とした、さながら爆炎を思わせるカラーリングが盛大に朧の右の拳から炸裂した。

「く――ぬぅ、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……! ぐおるぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」

 迸る炎熱の奔流がヴァイスハイトの全身を襲い掛かる。滾る、炎禍は赤黒い色の中に鮮やかなオレンジや完全燃焼した青の炎をちりばめながら、天魔の身体を呑み込んでゆく。

 そんな炎の光の中にヴァイスハイトは別種の光を見た。

 全てを破壊する炎の輝きと異なる皓々とした聖なる煌めき――十字光。

「あ。これ詰んだわ」

 天から突き刺さる様に、聖なる十字架の輝きがヴァイスハイトを穿ったのだった――。


        7


「いやふー、負けたでー!」

 横に倒れ伏す天魔は爽やかな笑顔を浮かべていた。

 大の字に床に寝そべりながら「ふへー」と一息つくようにのんびりと。ヴァイスハイトと言う天魔は清々しい程に憎らしい呑気さをみせていた。

「……最後までそんなノリかよ」

「ボーイ、最後まで明るく笑って逝こうとするのが男気なんだぜ?」

「うへーい……」

 連に対して軽口を叩きながら横たわるヴァイスハイト。

 最後。その言葉通りにヴァイスハイトはもう終わりだった。

 足元から彼の身体は光へと還元されている。一度の死去が訪れているのだ。そんな天魔の姿を近づいてくる少女は確認し、小さく呟く。

「片付いたようでしてね」

「……理枝ちゃん」

「ええ、死なないわ。天魔は基本、不滅でしてよ。例え一度殺されても、霊的存在として時間をかければ復活するわ。回復速度は個々人によるけれどね」

「そっか」

 安堵した様に朧は息を吐き出した。

 流石に、殺すまでは連も朧もしたくはない。一時的に撃退すると言う形は、今の二人にとってはありがたいものだった。悪の魔王が何度も蘇るとなれば話は別だが、朧はヴァイスハイトに対してそこまでの嫌悪感は抱いていないのだから。

「けど結局、コイツなんで【祓魔十字】っての効かなかったんだろな?」

 そんな折に連が不思議そうに呟きながらヴァイスハイトを一瞥した。

「さて……話す気がありまして、オクゼンフルト?」

「にゃいねー」

「では、殴ってしまいなさいな、休屋」

「殴ってでも情報を叩きだせと!? 俺に!?」

 そんな連に対して理枝は苦笑する。

「いえいえ。それは冗談ですが、貴方は殴っておかないといけなくてよ? 剣の効力が持続出来なくなるもの」

「あ、そっか」

 連がポンと手を叩く。

「いやん、無体な仕打ちとかマジ勘弁」

「うっせ。一発だけだ。恨むなよ? てやぁ! ――いづぁ……っ!? 手が、手がぁ……」

『……』

 拳を抱えて蹲る連。血が滲んでいた。

 どんだけ弱いんだお前、と言う皆の視線が注がれる中で、仕方ないと言ったふうで川蝉が連の応急処置に入る。連の拳にむしろダメージを与える程の頑強さを持った天魔は気まずそうに頬をかいていた。

 理枝もコホンと咳払いして、

「――で、どうですのオクゼンフルト? 貴方の【祓魔十字】回避を教える気になりまして?」

「え。嘘でしょ。今ので脅迫出来る要素あるの?」

 殴った側が「いってぇ……すりむけた」と手を抱えているのを見てぶふー、と含み笑いを零すヴァイスハイトだったが理枝の射殺さんばかりの視線にやれやれと首を振る。

「もしかして、天魔が【祓魔十字】を避ける力を開発したとか考えているかもしれにゃーが、生憎とノンプログレムだぜガール? 今回のこれは、一応は俺限定。――まあ、俺と同じ方法がとれる奴はいるだろうけど、技術とかじゃあ、ない」

「体質と言う事?」

「体質。そだね、あながち間違っちゃない」

「それは気になりましてよ。敗者は勝者に膝を屈しなさいな。だから、そこらへんに関して口を開いて頂けまして、オクゼン――」

 その時、ヴァイスハイトの脚絆から何やら軽快な音楽が響いた。

「あ、待ってテレフォーン」

 マイペースに着信があったのか電話を取り出すヴァイスハイトは「この局面で……! この天魔、弓削日比と同じ感じがしましてよ……!」、「ええ!?」そんな声を無視して、電話に出る。

「はい、もしもしこちらオクゼンフルトさんですよ」

「私だ」

「おや、隊長殿」

 その一言に周囲がざわっとする。

 当然だ。天魔――少なくとも今回実行を移している面々のリーダー格。その存在が電話の向こうに存在すると言うのだから、理枝たちは必然、緊張感を漂わせた。

「……そっちの戦況はどうなった?」

 声がなにやら固いな、と違和感を感じながらもヴァイスハイトは朗らかに返答する。

「いやあ、ルーザーっすわー」

「……負けた、か」

 盛大な溜息が耳に届いてくる。きっと肩を落として落胆しているに違いないだろう。

 ただ違和感を覚えるのは怒気が聞えて来ないと言う事だ。

「ごめちょりん」

「……構わん。私には何も言えんからな」

「そりゃまたどういう?」

「……撤退は出来そうか?」

「無理すなあ。【祓魔十字】喰らっちまったんで、一先ずは隠居って感じだにゃーす」

 くつくつと笑い声を零しながら答える。

「だからまあ、殲滅術式に関しては残念ながらミーにはノーンって感じっすわー。なので、後始末は隊長か、他の面子に任せるわい」

 そんなヴァイスハイトだったが、次いで出たサーソーの言葉に思わず鼻白んだ。

「悪いが無理だ」

「はえ?」

「生憎と――私を含めて、全員が撤退を余儀なくされている。故に計画は失敗だ」

「は……はい? そりゃまたどういう……」

 愕然とするヴァイスハイト。そのやり取りを近場で聴いている理枝たちも同様だ。

 何故ならば彼女たちは他の場所で行動を起こしていない。もしかしたら、【アークスティア】の他面子が撃退に成功しているのかもしれないが、天魔相手にそこまでの事が可能だったのだろうか、と朧は不思議に思ってしまう。

「いやいや。下級天魔なら、まだしも……ウチらみたいな天魔がそう簡単にはやられるはずがないでしょう?」

「私も同意見だがな」

 考えてもみろ、とサーソーは語った。

「ことこの神奈川県内にどれだけの勢力が跋扈していると思っているのだと言う事になるようだ。お前と同列の天魔達も敗れ去ったのだよ。普通以上の輩によってな。誰よりも先にマサトランが何者かと激突し還元。スウォンジーも茶髪の執事らしき青年と激突、敗北を喫した。コスタルデアとシーギリヤに至っては目も当てられん。互いに相手が強いと見越して私に一報だけ入れて所在を晦ませた始末。最後にキルプエもまた敵の手により陥落――そうして、今はその相手が私の元で撤退勧告を促している、と言う事態なのだよ」

「そう言う事になるな」

 電話越しに確かに響く何者かの遠い声。不思議な声で男性にも女性にも聞こえ、若者にも老人にも思えた。これは声を偽装しているな、とすぐにわかる。

 これはなんとも、とヴァイスハイトは愕然とする。

(サーソー隊長殿が戦わずして、撤退の姿勢を見せているって時点で……一緒にいる相手は相当の手練れって事のようだねえファンタスティック!)

 総合的に言ってしまえば見事なまでに詰んでいた。

 なるほど、これは最早笑い話の次元である。自分が敗れても、他の面々でどうとでもなると踏んでいたが、どうやら自分が戦っている最中に事態はとことん敗績を刻んでいた様だ。

「参りましたなあ隊長殿」

「まったくだ。ここまで無様になるとは笑いも出て来ん」

「同感です」

 苦笑を浮かべざるを得ない。

 圧倒的優位に立っているであろう種族、天魔がこうも見事に退けられるとは。

「……しかし確信は得た」

「む? 何か言ったか、オクゼンフルト。小さくて聞き取れん」

「いえ、些末事ってやつっすよ、隊長」

「そうか、ならばいいが。――私はこの後すぐに魔界へ一時帰京する。お前は」

「敗れたんで、何か月後かには魔界にいますわ」

「了解だ。お前の帰京が滞りなく済む事を願っているぞ。――おい、これでいいのだろう? さあそのシュールストレミングの缶を端へどけろ!」

 その言葉を最後に通話が途絶えた。

 最後に何か物凄く微妙な脅迫ネタが飛び出した事に「ふー……」と眉間に人差し指をつけながらヴァイスハイトは溜息を零していた。

「……オクゼンフルト」

「……はいはい?」

「目的は――失敗したようでしてね」

「そーなるねえ。こりゃ完全にこっちの敗北だわ」

 その言葉と共にヴァイスハイトは困った様に空を仰ぎ見た。完敗だ。

「オクゼンフルト」

「……何かなガール?」

「貴方に一つ尋ねたい事がありましてよ」

「と言うと?」

「何故――殲滅術式で、公害を撒き散らす代物を使おうとしたのです?」

「ははは」

 その言葉にヴァイスハイトは哄笑を発した。

「そんなに不思議がる必要があるかなガール? 純粋な破壊と、恒久的被害。これのどちらがより人民を虐げるかは言うまでもないだろう。破壊は一瞬だが、慢性的被害であれば、それは長く持続する。そしてそれは日本国内に於いて交渉条件となる」

「交渉条件――国に何か要求するつもりでして?」

「国を乗っ取る」

「な――」

 その言葉に連が愕然としてしまう。

 国取り。今の御時勢にそんな言葉を訊くとはつゆほども思わなかった。戯言にこそ思うが、しかし天魔と言った存在ならば可能なのではないか、という恐怖で連は全身から血の気が引いてゆくのを感じていた。

「ないでしょう」

 しかし理枝は嘆息を浮かべる。

「人間界を侵攻すると言う事はまあ、可能性としてゼロではない。けれど――貴方方がそんな国取りまで起こそうものならば、黙っていない勢力も多い。――天界もね。そんな事をするにはあまりにも危険性が高すぎましてよ?」

「ふふん、男の覇道はいつだってロマンスアドベンチャーなんだぜガール?」

 不敵に爆笑するヴァイスハイト。そんな天魔の様子にやがて訊き出す事が出来ないとみてとったのか理枝は盛大に溜息を吐いて頭を振った。

「まあいいです。どちらにせよ、時間も無さそうですし――校舎の方も修繕しないといけませんからね」

 校舎の方。その言葉に朧と連もフッと明後日の視線で母校を見つめた。

 壊れている。少なくとも階層の一つどころか、所々が確実に破損しているだろう。朧が不安そうに汗を垂らすも「……直せるのかな、理枝ちゃん?」、「大丈夫。ちゃんと修繕できますから安堵してよろしくてよ」その言葉にほっと胸を撫で下ろした。

「よくある学校に忍び込んだ不良の仕業って事にしとけばいーじゃんかー」

「天魔。貴方の起こした被害、絶対に不良ですみませんからね?」

 こんな規模の破壊を不良で済ませられるわけがない、とばかりに肩をすくめる。

「いや、どうだろ? 有名な不良の鴉沢と鴨志田が戦ったとするなら……」

「弓削日比? そんな突飛な情報は欲しくありませんでしてよ!?」

「ですがお嬢様。それで言えば」

「川蝉。言いたいことは察しますが言わないで……!」

 双眸を涙を潤ませつつキッと睨む。川蝉は「かしこまりました」と恭しく頭を下げていた。連にはとんとわからないが、何やら凄そうだとだけ思った。

(つーか朧の言う不良何者だよ……)

 日本も日本で凄いな、と言う感想しか出てこない。

 だがまあ連には関わりない世界だ。今回の一件が特例だっただけで、今後こうした事例に踏み入れるわけでもない。

 しかしそんな連に、

「ああ、それとそこのボーイ」

 悪魔は囁いた。

「え? 俺?」

「そう、君だ。特徴と呼べるものが何一つないからぞんびーって呼ぶけど」

「いらねぇよそんな綽名!」

「君に一つだけ、告げておくことがあるんだよねー」

「……は?」

 あからさまに不審げな表情を浮かべる連に苦笑を零しつつも、ヴァイスハイトは端的にこう告げた。

「ぞんびー。君の立場は明白だ。巻き込まれた、巻き添えくっただけ。ただの今回限りの被害者。それがぞんびーなんだよ」

「いや、その綽名定着させんなや」

「だが、生憎と君は巻き込まれた被害者では無くなってしまっているのに、気付いているだろうかな?」

「……は?」

「どういう事ですオクゼンフルト? それはもしや……遠目で見ていて気にかかってはいましたが、ぞんびーが何度も蘇生した事と関わりが……?」

「え? なに鷹架何を言って、」

「れんきゅーぞんびに何か起きたっていうのか?」

「いや、お前らも定着してんなや」

 連が呆れた様に肩を落とす。

 しかし、天魔の言葉は聞き逃せるものではなかった。連がただの被害者では済まなくなっていると言う旨の発言。どういうことなのだろうか。

「俺は今回限りだろ? 目的も達して……俺、死なずにすむんだろ?」

「ええ。間違いなく」

「お前達も俺に何か目的なんかないだろうしさ。天魔と関わる事ってねぇぞ俺?」

 だから平気だ。思い当たる節が一つもないのだから。

 しかしゆるゆるとヴァイスハイトは首を振った。

「いやあ、それがさ? 殲滅術式も目的だったけど、こっちはその他にも色々目的抱えててね? その一つが今回関わってるんだが……まあ、ラマト・ガンって言う奴がむかーしいたわけでソイツの痕跡辿ってきたわけで……」

「はあ? そいつの名前も全く知らないぜ?」

「ははは、だろうな」

 天魔はそうだろうそうだろうと首を縦に振る。

「だがこう聞けば、わかるだろ。ボーイ、君なんかいデットエンドした?」

「……覚えてねぇよ。思い出したくもねぇ……けど、十回くらい、かな?」

「はい!?」

 その発言に理枝が素っ頓狂な声を上げた。

「お、おお、どした鷹架?」

「休屋! あなた――あなた、そんなに死んでいたの!?」

「訊いた事ねぇ問い掛け止めろよ! けど、まあそうだな……だから助かったぜ、お前のあの剣には。死ぬ度に生き帰れたし――」

 だがそこから先の言葉は喉の奥から出てこなかった。

 なにせ目の前の理枝の表情。蒼褪めた様な表情に怯えを抱いてしまったからだ。

「たか、ほこ……?」

「……」

「な、なんだどうしたんだ理枝ちゃん? なんか問題でも……」

「……大有りよ、弓削日比」

 連の双肩を掴みながら、理枝は信じられないと言った様子で、こう告げた。


「【必滅覆す回天の剣】は死ぬ度に一回上書きがいるの。私が使ったのは二回だけ。休屋が連続で生き返るなんて原理は――ありえない」


「……は?」

 何を言っているのか連には理解出来なかった。

 それはつまり宝剣にそんな万能効果は無く。

 その言い方ではまるで、

「バカを言うな理枝ちゃん。それじゃ連が自分で生き返り続けたみたいに――」

「イエス。ザッツライ」

 挟まれた天魔の声。皆が一様にヴァイスハイトを注視した。

 休屋連が、死から蘇ると言う事を、その仕組みを知る様子を見せる天魔に対して意識を注ぐ。何を語る。何を語ってほしいのか。そんな空気の中でヴァイスハイトは口を開き、

「君はもう立派に関係者だ。――ぶっちゃけ、今後もたくさん狙われると思うから気を付けるんだよ何故なら、君には――あ、時間だ。グッバイ、チャオ☆」

 時間が来たのか、光となって天魔は消えていった。

「待てぇえええええええええええええええええええええええええええ!! 意味深な台詞だけ残して無責任に去ってくんじゃねぇよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 天魔の残した迷惑な置き土産(ゆいごん)

 それの意味するところが果たして何であるか――休屋連が知る道理はない。しかし、彼の言葉が真実だと考えるのであれば、

「……うっそだろぉ」

 休屋連の日常は間違いなく、ギアを上げる羽目になってしまったと言う事だ。

 日常の更に奥深くへ加速してゆけと言わんばかりに。



第九章 後篇:聖契約と横槍命

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