第九章 幕問:万雷火煙 ★挿絵あり
第九章 幕問:万雷火煙
1
――酷く馬鹿げた現実味の湧かない光景だと思う。
陽皐秀樹は眼前の光景に対してそう零す。
(こりゃ何の冗談なのかね……)
遠い眼差しを浮かべながら、視界に広がる光景は彼のツッコミ中枢を物凄く刺激する反面、関わらないでこのまま帰路につくのもありかな、なんて思うわけだが――、
「ワッツ! ホワイ! だぁー、もう何がどうなってんだよ!」
だがやはりツッコマずにはいられない! 彼のツッコミ中枢が目の前の光景に対して『さあ突っ込めよ! さあさあさあ! 心の限りに突っ込もうぜ!』と猛り叫ぶ!
秀樹がそうまでなる理由とは――、
「――テメェが原因かッ」
「何の事かは知らんな」
彼の眼前。
そこには二人の男がいた。
片方は金髪碧眼の秀樹と同年代と思しき風貌の赤い外套を纏った少年。纏う外套のせいか少々浮世離れした印象が拭い切れず、彼自身からも一般人とは何処か異なる空気が感じられた。
それだけでも十分なのだが、もう片方は更に問題だ。
なにせその外観はヒーローを思わせる風貌であったからだ。
白を基調とした外観に黄金のラインが入った何とも高級感の溢れる外装。姿だけで言えば特撮ヒーローのそれを思わせる男だ。
(わからねぇ)
フッと自嘲気味に零す言葉にそれ以上のものがあるだろうか?
目の前の光景もとい、二人の人物の存在に頭を悩ませる他にない。何で彼らは剣呑な空気を纏っているのか。何で彼等は特徴的な格好なのか。諸々理由が掴めない。
「【ヴェネルディ】だあ? それ名前か? それに何だその格好――ふざけてんのか?」
「フン。赤ローブで格好つけている中二病が何を言うのか、笑止千万!」
「ほおう。【赤き鷹】の制服を嘲笑うたあ、ふてぇ野郎だな、許せねえ!」
「許せないのはこちらも同じ! 青春を謳歌できなかった八つ当たりをカップルにする非道を私は断じて看過しないぞ!」
「何を言っているのかさっぱりわからねぇが、何かムカつくぞ! これだからジャパニーズってやつは文化がわからねぇんだ!」
苛立たしげに歯噛みする西洋人と思しき少年。
芝居がかった口調で少年の心をグサグサ突き刺す特撮ヒーロー。
(ああ……何がなんだかわからねぇ……)
「ひでき、だいじょーぶ?」
「ダメかもしれねぇかな」
隣の羽叶に対してシニカルな笑みがふっと零れる。
いや本当にわからないのだ。何がどうしてこうなっているのか、誰か説明してほしい。というか彼らは本当に誰なのだろうか? イギリス人っぽい少年も、まんまヒーローな男性も初見であり見覚えなどあるわけがない。
「とにかくだ、この変人ヤロー! さっさと結界を解け!」
「結界? 何の事を言っているかサッパリだな!」
「サッパリだあ? こんだけの結界を張っておいて、よく言いやがる――ああ、もういい、どっちでもいい。この面子じゃお前が一番怪しいからな――悪いが、気絶の一つでもしてくれや! 間違ってたんなら後で謝りの一つでもしてやらぁ!」
そうして少年は右手を前に突き出した。
その指先は親指と中指をくっつけた特徴的なサインをしており秀樹は「なんだ?」と不思議そうに首を傾げる中で――、その現象は発生した。
「――【弾丸】」
パチン、と。指が軽快な音を奏でた。
その音に呼応する様にバヂイ! と言うけたたましい音が躍動し――前方へ、ヴェネルディ目掛けて一直線に青白く輝く閃光が駆け抜け、ヴェネルディの身体に直撃する。すると車にはねられでもしたかの様にその身体が唐突に後方へ弾け飛んだ。
声も発さず装甲姿の男は整備された学院の歩道に背中からガシャンと音を立てて仰向けに倒れふして、動きを停止してしまった。
(な――)
秀樹が驚愕する中で少年はニッと口角を吊り上げる。
「どうだ? 微弱っつっても電気だぜ? 効いたろ」
(……は? で、電気って……)
電気、だと言うのか。
今、彼が放ったものは。そんな秀樹の姿に気分を良くしたのか自信満々に、誇る様に、そして威張る様に、少年は髪の毛を掻き上げた。
「その通りだぜ。俺は電気を弾丸の様に放つ能力【電指利き】――それが【赤き鷹】、№10【一弾指】パルメザン=モンテギューの……力だ!」
(なんだ……すげぇ、ツッコミどころ満載だぞコイツ!)
力だ、とか自信満々な部分、とか。
そもそも【赤き鷹】って何だろ、とか。
№10ってお前それ凄い事なのかな、とか。
二つ名みたいの名乗ったぞ、とか。
彼の言う異能【電指利き】も含めて――言動がツッコミ所満載過ぎる。
そしてなにより、
「指ぱっちんで発電する能力、だと……!?」
――なんだそのよくわからない能力は!
普通に発電出来ないのだろうか、という素朴な疑問がわき起こる。
そんな事を考えているとパルメザンが怒号を発した。
「テメェ……何が指ぱっちんだ! フィンガースナップだよ!」
「え、いや、指ぱっちんだろ?」
「フィンガースナップッ! 指ぱっちんなんてダサい言い方すんなや!」
「いやまあ、確かにそうなんだろうけどさ……」
だが指ぱっちんである。
海外では確かにフィンガースナップだが、秀樹としては指ぱっちんの方が定着しているので思わずそう呟いてしまう。と言うより、何をそんなに気にしてんのかね? と不思議そうに眉を潜めていると、
「テメェ、俺をバカにしてんな? イカしたフィンガースナップを侮辱すると後悔すっぜ」
「いや馬鹿には――って、おいおいおい待て待て待て! 指パッチンの手をこっちに向けるんじゃねぇよ! 明日香、離れてろ! あぶねぇ!」
「ひでき、へいき?」
「平気かは怪しいけど、明日香が喰らうのもヤベェ。だから距離置いてろ!」
そう言うと渋々と明日香は秀樹から離れた位置へ距離を空ける。
「――へえ、女の前で格好つけるじゃねぇか。嫌いだぜ、そういうの」
「嫌いじゃねぇぜじゃねぇのかよ……」
「黙れ。そう言う格好いい事をするから女の好感度が上がるんだ!」
「逆にお前はモテ無さそうだな……」
「なんだと!?」
「あーはいはい。悪かったよ。とにかく、明日香にはソレ使うなよ」
怒気を発するパルメザン。
いや本当に何と言うか短気で参るな……、と秀樹は苦笑を零す。おかしな話だ、先程受けて分かる通りにアレは痛い。だが、だからこそ羽叶をあの単細胞の相手させるわけにもいかないだろう。静電気ですら痛いのだ。ヴェネルディを弾いた一撃を少女に浴びせるのは少々手酷い。叶うなら眼前の少年を組み伏したいが、それにしては特殊な力を持ち過ぎている。
なるべく一瞬で意識が遠ざかるといいんだが……。そして明日香がアレを喰らわない事を願いながら「チッ、気ぃ失ってろクソが!」と罵声と共にその指先が光を迸らせる。
秀樹は括目して、その電撃を待ち受けた――。
「やれやれ。そう言う勇ましい事は受けても大丈夫なヒーローの役割だぜ、青年」
バチン! と、電撃が弾ける様な音がした。
そして同時に秀樹の眼前に煌めく純白の装甲が躍り出ているのを理解する。
眼を開いて驚いていた秀樹だが不意にフッと微笑を浮かべて、
「なんだ、寝てたんじゃねーんすかヒーローさんよ?」
「ヒーローは年中無休だぜ? 寝る暇なんかないのさ!」
「そりゃあご苦労様。労いましょうか?」
「結構! 労いよりも歓声を受けるのがモットーだからね!」
サムズアップを輝かせるヴェネルディ。
そんな彼の姿にパルメザンが歯噛みした。
「お前……俺の【弾丸】を受けて……!」
「生憎とあの程度の電力では何ともないといったところだな」
フフ、と不敵な笑みを――マスクの中で浮かべているのだろう。ヴェネルディの余裕を帯びた様子にパルメザンはチッと舌打ちを零す。
「舐めんじゃねえ――」
苛立った様に腕をヴェネルディへとつきつけた。
まるで銃を構える様に――指がパチンと気味の良い音を鳴らす。左右の手で都合六回の音が響くと六条の閃光が宙を駆け抜ける。だが――、
「……」
そのどれもが。分厚い純白の装甲の表面を走る程度に留まっていた。
「ぐ……!」
苦渋を滲ませるパルメザンに対してヴェネルディは小さく告げる。
「舐めるな、か。それを言うならこちらは萎えるな、と返してやろうか賊よ」
純白のシャープなマスク。その黒いラインに瞳と思しき光がギュピンと輝く。
そしてヴェネルディの籠手の様な左腕から声が聞えた。
「『awaken』」
伴い、紅色の光が煌びやかに籠手が文字を刻み、流暢な女性の声が響く。
刻まれた文字がヴェネルディと言う謎の男の体躯に確かな力を灯してゆくかの様で――ヴェネルディの双眸は勇ましい色を放っていた。
「貴様程度では私の正義を打ち破れない。その事を示してみせる!」
「言ってやがれ。紅蓮の猟人。青き雷が極東のパチモンヒーローなんざに後れを取るかよ!」
躍動する白い英雄と牙を剥く赤い猟人。
陽皐秀樹の眼前で。
見知らぬ二人の素知らぬ激闘が加速を遂げようと動き出す。
まず動いたのは、パルメザンだ。
中指、人差し指、親指の三つを触れ合わせたフィンガースナップの下準備。そこから間髪入れずに気味の良い音がぱちんと木霊し、手の形が銃を模したもので停止する。
するとその指先からは電気の塊が鋭く射出された。
その一撃を――ヴェネルディは左へ半歩動く事で回避する。
「ハッ、今度は避けたみたいだが――そう何発も避けられるかァ!?」
相次いで彼の左手がパチンパチンと音を鳴らせれば電撃がヴェネルディ目掛けて、何発も飛来する。しかし、その弾丸は彼の身体に当たる事なく直進していってしまうのだった。
「当たらねぇだぁ……!?」
「当たるものか。その【弾丸】と言う技――精々、速度は普通の拳銃と変わらないか、それより遅いくらいだろう? 電気の弾と訊いて少し訝しみもしたが、性質は普通の弾丸と変わらない。しいてあげれば麻痺させる事なのだろうが――我が鎧を前には無意味だッ」
その宣言通りに回避一辺倒であった彼はおもむろに立ち止まり、その手を翳した。
着弾する電撃――しかし、その一撃は今度はさしたる効力も見せられず、バヂィと言う音を鳴らしただけで形を失っていった。
「全身鎧着てるだけあって、ありゃ分が悪いな」
秀樹が端的にそう呟く。そうなの? と、いう羽叶の言葉にああと首肯する。
「見た所、あの鎧、関節部分とかも隙間ねぇしさ。電気が通る部分が無いんだよ多分。だからいくら撃っても、ジリ貧だ。火力が足りてないんだ」
秀樹の見解は正しかった。
パルメザンと言う少年が放つ【弾丸】。その出力はそれほど高くない。一発実際に喰らっている秀樹だからこそわかる。あの出力は何発か浴びれば脅威だが、あんなパワードスーツを纏った男を相手取るには相性が悪すぎる。
「……しかし改めて考えてみても」
そこまで考えたところで秀樹は頭が痛そうにヴェネルディに目をやった。
「……ガチでヒーローなんて存在したのかよ」
純白のボディを輝かせるヒーロー・ヴェネルディ。
日常で見かける事があるとすればコスプレ会場か、後楽園遊園地くらいではないだろうか? 日常からかけ離れたその精悍な姿は秀樹の眼には好奇に映らざるを得ない。しかし、同時に、何か言い知れぬ感動を抱いているのもまた彼の真実だった。
「――くそっ! くそ! くそがっ!」
パチン、パッチンと指鳴りの音が断続的に響き渡る。
伴い、虚空を貫くのは煌めく稲光であった。仄かに青白い光を発する閃光が一閃、また一閃と闇に光を生み出しては、純白の装甲を前に散華してゆく光景がそこにはあった。
「無駄な労力は止めておけ」
「ぐぅ……!」。
「お前の攻撃は俺には通じん。諦めて、先の暴力を謝罪するんだ」
言葉通りの光景がそこにはある。
一切の電撃を通さぬ屈強な装甲。電気の迸りも入り込む余地のないパワードスーツを前にしてしまえばパルメザンの能力は通じようがまるでない。だが、それにしたって違和感は拭えないのだ。
「くそ……いくらなんでもおかしい!」
歯噛みする様に少年は叫んだ。
「テメェのそれオーバーテクノロジー過ぎんだろうが! パワードスーツは数あれど、どの世界だってテメェのそれみたく完成し過ぎてるわけがねぇ!」
パルメザンの発言はもっともだった。
秀樹も遠巻きにそれは感じている。
(確か、最新鋭のアメリカ、パワードスーツでさえもっとこう……まだ改良の余地がありますって段階なのに、あの【ヴェネルディ】って奴のは……マジで、なんつーんだろうな。本当、特撮ものとかアメコミヒーローが着用する奴みたいに完成形って感じがする……!)
無論、そこから先の進歩の余地も大いに残しているのだろうが。
バッテリー。駆動率。装甲強度。全てがオーバースペックに想えて他ならない。
そんな疑問にヴェネルディは厳かに答えた。
「悪いが機密事項だ。だが一つ言っておくのだとすれば」
瞳をフォン――と、輝かせて彼は告げる。
「先駆者は偉大、と言ったところか」
「なに……っ、わけのっ、わかんねぇっ、事をぉ……!」
ギリリ、と一層歯噛みを強くしたパルメザンはその双掌に力を込める。握られた両手から放てられるは彼の持つ必殺の銃撃。
「【双銃撃】!」
パチパチン! と、一拍遅れて二度の指鳴りが響いた。
先程までの片手打ちとは違う。二丁拳銃。両手から放出された電気の弾丸がヴェネルディ目掛けて襲い来る。しかし、そもそもは効力のない攻撃が一度に二つへ増えた程度。
「無意味な事だ!」
その選択は前進だった。
恐れる事などない。小粒にも威力の無い一撃を回避するのも億劫だ。ヴェネルディは進撃し、片手間程度に、彼の装甲は放たれた【双銃撃】を弾き飛ばす。
「く――そがぁっ!」
「まずはその口の粗暴さを直したらどうだ?」
諌める様に言葉を吐きながらヒーローは左腕を翳した。
すると、彼の左腕が淡く光り立ち、籠手からはバレルの様なものが出現し、更に青白い光の文字が躍った。
「【エーデルワイス】。ヒーハー! 『riberation flamma』」
ヴェネルディのハイテンションな掛け声に連動し、機械的な音声が流暢な声で起動する。
「な――!?」
少年は眼を見開いた。
それも仕方がないだろう。
視界一杯に満ちた火焔を目にすれば当然の反応だ。なんと、ヴェネルディの左腕からは膨大な炎が発生したのだから。恐ろしくなってパルメザンは後方へ退避し、
「……っ。テメェなんの冗談だ」
次いで、舌打ちを零した。
「威嚇だ」
その言葉に応答する様にヴェネルディは呟いた。
パルメザンの怒り。それは炎が自分の三歩手前までで制止した事にある。つまり、当てるつもりのない攻撃であったと言う事実。それがパルメザンの自尊心を傷つけた。
「ふっざけんんじゃ――ねぇっ!」
顔を真っ赤にさせたパルメザンの双腕から相次いで電撃が放たれる。
怒りのボルテージが上がった為か、両手より放たれる弾丸は矢鱈多い。フィンガースナップの音がけたたましく夜の街路に響き続けた。
パチパチパチパチパチパチパチ――、と聞き慣れた音が連発する。
しかし、
「何度も言わせるな。無駄なんだ」
「ぐ、うう……!」
ギリ、と歯噛みしフィンガースナップを続けるもヴェネルディの歩みは止まらない。
「【弾丸】! 【弾丸!】 【弾丸】ォオオ!」
「止せ。それ以上しても、お前の指が疲れるだけだぞ」
「【散弾銃】!」
握り緊めた手を一挙に開き、四発の小さい電撃を解き放つ。小指でまで指ぱっちんが出来るとは器用な奴だな、と秀樹は驚き半分呆れ半分の心境で見ていた。
そうして、ジィン、と擦れる様な音が鳴るも、
「て、めぇぇ……!」
ヒーローは無傷で眼前に立っていた。
距離を詰められ、自身の力が通じずにいるパルメザンに対して小首を振って、
「何をもって、お前がここであのような暴挙に及んだのかは知らない。だが、ここまでだ。大人しくすれば手荒な真似はしないとヒーローの名に懸けて誓おう」
「ぐ……!」
「なに。話しを聞くだけだ。だから、」
だが。
「やかましい」
パルメザンは、
「俺の」
反骨心を明確に露わとした。
「邪魔を、するんじゃねぇぞヒーロー気取りの風情野郎がっ!」
瞬間、ヴェネルディは顎に強烈な痛みを感じ、天を仰ぐ形となっていた。
「ぐ、ふ――っ!?」
ジリバリ、と言う電気の音が自らの耳元に響いてくる。間違いない。顎に一撃貰ったのだ。しかしおかしい。【弾丸】、【双拳銃】の両方共に自らにダメージを負わせるには至らなかったというのに、その一撃には明確な痛みを感じていた。
更には、腹部にとん、と小さな感触を感じる。
パルメザンの右手が軽く添えられていたのだ。
「【電指利き】――【砲弾】」
その一言と共にヴェネルディの体躯が後ろへ大きく吹き飛ばされる。先程とは打って変わって威力のある一撃。ヴェネルディは短く呻きながらも、大地を足で掴んで砂埃を巻き上げながら体勢を維持しようと足に力をこめ、左手で地面を掴んだ。
「話を聞くのはこっちの領分なんだよパチモン野郎! こうなりゃあ、候補者三名、全員一回気絶くらいはしといてもらうぜ!」
「よせ!」
制止の声を無視し、パルメザンは観客になっていた秀樹と羽叶目掛けて指を鳴らした。
「させっかあっ!」
「んな!?」
その一撃が羽叶の身体を襲おうとしたところで秀樹が――秀樹のバックが庇う。バチンと光が弾けてバックを焦がすが、出力の弱さ故か焦げた程度で被害は済んだ。
「無事か、明日香っ」
「うん?」
「マイペース!」
危なかったと言う認識が微妙なのか平然と頷く羽叶に秀樹は肩を落とす。
「ありがと、ひでき。かっこ、よかった」
「お、おう。そ、そうか」
しかしその一言で心がほんのり温かくなった。何だかんだ素直な羽叶は心を和ませる。
「俺の前でイチャコラかくたあいい度胸だチクショウ! 人が恋路で苦労してんのによお!」
「だからお前の恋路なんぞ知らんっつの!」
むきゃー、と激怒するパルメザンが連発で電気を放つ。それに対して俊敏にバックで封殺してゆく秀樹だがやるたびに喰らうバックは僅かな時間で火の手を上げ始めた。
「そこまでにしておけ」
ほぼ同時に秀樹へ連撃を浴びせるパルメザンの後方にヴェネルディが姿を現した。
瞳を力強く輝かせるとその右拳を振り下ろす。
「何故、人の幸せを素直に喜ばないのだ!」
その一撃を後方へ跳躍し回避しながら、
「フ、見ていてムカつくからだ。そんだけだよバカ野郎!」
「狭量が過ぎるぞ貴様!」
「ハ、美少女とヒートかます奴なんざ、ちょいとは痛い目遭うといいのさ! ブァーカ!」
「性根からひねくれているな……!」
その一言が皮切りだったのか、ヴェネルディは重い声を唸らせた。
そしてぐっと、その両拳を握りしめる。
「仕置きの一つ二つは覚悟しろ。子女を狙った貴様の男らしさに欠ける振る舞い――粛清の一つも必要だろう」
次の瞬間、握り緊められた拳が黄金の光を明滅させ輝き始めた。
「喰らうがいい! 我が正義の必殺技!」
「なに……!」
その言葉にパルメザンが渋面を浮かべ、秀樹が「必殺技、だと!?」と瞳を輝かせ、羽叶も同様に興味津々といった表情を浮かべる中で――ヒーローは己が必滅の一撃を解き放つ。
「うぉおおおお猛ろ我が正義の一撃――【金的】!」
どずむっ。
そんな音と共に、ヴェネルディの装甲に覆われた固い拳が、パルメザンの社会の窓を下から盛大に突き上げた。社会の窓を拳が盛大に減り込んでいる。
正義の拳で相手の急所を的確に穿つ。それがヒーロー・ヴェネルディの必殺技【金的】だ!
「――かひょ――」
パルメザンの口から掠れた様な切ない声が零れた。
「……おおう……」
秀樹がその光景を注視しながら蒼褪めた表情を浮かべる。
「?」
羽叶だけが事態を理解していないのか小首を傾げていた。思っていた必殺技のインパクトとは違っていた様だ。――それは秀樹にもパルメザンにも言えた事だが。
「……」
パルメザンが口をぱくぱくさせて、何事か呟いていた。
(えーっと……「なにふざけたことしてくれやがんだおまえじぶんがなにしたのかわかってんのかこんなのゆるされることじゃねぇんだぞ」か……)
ご愁傷様だ、と思いながら読唇を終えた秀樹は静かに手を合わせた。
羽叶も見習って真似をする。
しかし。
「完膚無きまでに終わらせる! うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ひょま――!?」
ハイテンションになっているヴェネルディは読唇をしていなかった様で、全身から闘気を漲らせ、そこから続けざまに流れる様な拳の雨を披露した。
「【金的】ゥッ! 更におまけの【金的】だァ! そしてトドメの――【金的】を喰らええっ!」
――ひでぇ。
さっきまでチンピラな働きをしまくっていた好感度マイナス方面のパルメザンに対しても同情心を抱く様な光景がそこにはあった。
全力の攻撃。
全て金的狙いの必殺技。
三発の拳が全て、パルメザンの社会の窓目掛けて渾身の一撃を見舞っていた。一発、一発全てに慈悲の無い本気の一撃だ。これはひどい。
そしてその結果がもたらす光景は容易に想像ついたのであった。
「かひゅう」
空気を吐き出す様な声と共に崩れ落ちるパルメザンの姿があった。
股間を抑え口から涎を流して、全身を小刻みにぴくぴくする姿はなんとも気持ち悪い。声を発する余裕すらなく蹲り、時折びくんと激しく震えている。
「――これでもう暴れる事は出来ないだろう」
キランと瞳を輝かせヒーローは一仕事終えて汗をぬぐう仕草を見せていた。
「そ、そっすね……おつかれっしたー……」
「うむ。声援ありがとう!」
サムズアップで答えるヴェネルディ。秀樹としては必殺技がガチで必殺技なもので若干引いていた。だが彼は同時に世界一格好いい金的を見た気分でもあった。
「さて。後は、彼の処遇だな」
「……どうするんすか?」
処遇。流石にヒーローを自称するのだし、拷問まがいな事は無いと思いながらも、目の前にいるのはどこぞの誰とも知らぬパワードスーツの男。若干の猜疑心を隠しながら、秀樹はおもむろに問い掛けた。
「ふむ……そこは何とも言えんが……。しかしやはり情報にあった男とはコイツか? 確かに赤いローブを身に着けているが……なに? ああ、ああ。ふむ……」
「ん?」
急に黙り込み、相槌を打つだけになったヴェネルディに首を傾げる。
しかしその挙動に見覚えがあった。そう、電話をかける時にそっくりなのだ。もしかしたらどこかと通信でも取ってるのかね? と、秀樹は考えた。
「なるほど、了解だ」
「あの……」
「ああ、すまない。こちらの話だ。とりあえず彼はこちらで連行しておくよ。どうにも違法入国の疑いがある様だからな」
「違法入国!?」
「うむ。何でも海を泳いできたらしい」
「すげぇなおい!」
海を泳いできたと言う本当か嘘かわからない――本当の可能性が高いが、そんなバカな真似をしてまで日本に来たと言う少年に驚いていた。
(そこまでするって事は……本当に何か目的あんだろうな?)
それほどの労力をもってまで何をしたかったのかは謎だ。
しかし四発の【金的】を受けて立ち上がれなくなった以上は、今日の騒動はこれまでで、終わりを迎えるはずだ。そう考えながら羽叶の方へ視線を向けて。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
唐突に。そんな絶叫が聞えなければ。
「――む?」、「何だ?」、「……?」
三者三様に、その叫びを耳にした者達が声の轟いた方へと視線を投げ掛けた。秀樹と羽叶は眉を潜めながら訝しむ様に後方へと振り返る。。
声の意味を不審に思う秀樹だったが、その疑心はこちらへと走る来る少年の姿を識別した事で更に不審に思う様になっていた。
何故なら、それは、
「…………祝島ぁ?」
祝島仁寿。
この間、学院での覗き騒動で散々迷惑をかけてくれたクラスメイトだったのだから。
顔に恐怖を張り付かせ、涙交じりに全力疾走する仁寿は秀樹の顔を見つけると、盛大に駆け寄ってきて彼の身体に抱き着いてきた。
「ひっさわぁああああああああああああああああああああああああああ!」
「何だ、何だよ、気持ち悪ぃ! 急に抱き着いてくんな!」
「陽皐! たずげ! たずげでぐでぇ! ぼぐをだずべでぶべぇ!」
「何がだよ!?」
「あ、あで! あでだよ!」
「は……?」
唐突に。挙動不審で来た仁寿の様子に眉をひそめつつも、秀樹は仕方なく彼が走ってきた方向へ視線を見やり――、
「…………………………は」
次の瞬間には膠着していた。
なにせ――、その光景を見て驚くなと言う方が無理なのだ。
ずぞぞ。ずり、ぞぞぞ。ずりゅりゅ。不気味な粘着質な音を響かせながら、こちらへ次第に寄ってくる這いずるものたち。人の形をしていない、生物と呼ぼうにも、あからさまに固体から外れた何か。強いてあげるならばアメーバに近い様な不可思議なヘドロの如き体躯を持つ者達がこちらへとにじり寄ってくる光景は不気味としか言いようがない。
「てけ・りりり」
一匹の声に呼応する様に同じ様な鳴き声が輪唱する。てけ・りりり、と幾度も。
(なんだ――こいつら?)
秀樹が信じられないものを見る様な目で闇の中を凝視する。
そして目、と思しき光と目があった瞬間に、
「……あ?」
何か。違和感を抱く。
どこかで――見た様な、そんな既知感が胸を過った。だが出会った覚えは皆無。
自らに芽生えた不思議な感覚に唾を呑み込みながらも、秀樹は声を張り上げた。
「祝島。テメェ、何を連れてきたんだよ!」
「じ、じらない! 勝手に現れただけなんだ! 僕は悪くない!」
「本当の事言ってみろ! アレだろ? 女子に格好つけようとして廃墟のお化けが出るとか言われる心霊スポットに興味半分で入って、その場所の幽霊怒らせるとかしたんだろ!?」
「……! そ、そそそそんな事してない! これは違う!」
「なんだそのかつてしちゃった感がある発言!」
「すまないが」
狼狽する仁寿に対してお前なあ、と呆れ交じりに彼を問い詰める秀樹だったが、そこで介入したヴェネルディの声に反応し顔を向ける。
「口論する事は無い。アレの正体は判明っている」
「……え?」
はっきりとした声でそう告ぐヴェネルディ。
あの禍々しく蠢く軟体状の存在が何であるのか彼は知っていると言う事なのか。ぐにゃぐにうにょーんと伸び縮みしながら、こちらに向けて徐々に狭まってくる不可思議な存在。生物なのか何なのかも判然としない。
秀樹が警戒を露わとしながら行動を見守っている最中、不意にかすれ気味な声が。
誰かが立ち上がる様な物音が響いた。
「おい、おい……マジか。こいつら……【想獣】、じゃねぇな。【ショゴス】の連中じゃねぇかよ……」
立ち上がったのはパルメザン。
「お前……」
「なんだ? 俺が、あの程度でくたばるとでも思ってたか……?」
「割と」
「俺も、だ……」
金的の恐怖を思い出しているのか存外素直に認めた。
アレだけ金的を叩き込まれたとなると、彼も思うところがあるのだろう。
「ナイスタフネスだな、モンテギュー、だったか?」
「うっせ、ぇよ。誰の、せいだ」
「そう言うな。私の【金的】から復活する速度は大したものだぞ?」
「へ。伊達に、毎日、打っては、ねぇさ……」
「お前どんな生活送ってんだよ」
毎日金的が起きる生活とか嫌すぎる。その上、鍛えられないのだからおそらく同じ痛みを軽減することなく喰らい続けてきたのだろう。それはひどい。
「しかし驚いたな」
「なんだ、よ」
「貴様――【ショゴス】を知っているのか?」
その言葉にパルメザンは無言。しかし小さく頷いた。
「詳細は――」
「わからん」
「そうか」
互いに短くそう言葉を交わす。
「ならば、数匹は任せたぞ。お前も戦わざる得ないだろうからな」
「チ、しゃあ、ねぇか」
どういう事だ? と、秀樹が不思議に思うも、それの答えを訊く暇はない。
次の瞬間には状況が動いたからだ。静観をしていた【ショゴス】と銘打たれた存在が、それぞれ個別の動きを見せながら襲い掛かってきた。「てけ・りりり」そんな声を発しながら、【ショゴス】たちは体を自在に大きく広げながらぐばぁっと迫りくる。
仁寿が悲鳴を上げて秀樹にしがみついた。
「させん!」
しかし、そんな不可思議な生物たちに蹂躙されるだけでは決してない。
何故ならば、この場には二人の超人がいるのだ。
パワードスーツを纏うヒーロー・ヴェネルディ。
電気を弾丸として打ち出す力を持ったパルメザン。
両名が即座に行動を起こし、【ショゴス】に向けて攻撃を叩き込んだ。軟体の身体に対してヴェネルディが「【金的】!」を叩き込んでその身体を弾き飛ばし、パルメザンが「【弾丸】、【弾丸】、【双銃撃】!」と数発を発射する。
奇妙な怪物に対して肉薄する二人の超人。
そんな光景を見守りながらいよいよもって秀樹は頭を押さえていた。
「こりゃすげえ。現実更新だぜ」
どうなってんだ、と嘆息を零す。
「すごい、ね」
「ホントにな」
「よく、わかんない」
「まったくだ」
「落ち着き過ぎだろうバカなのかお前ら!」
羽叶と秀樹のぽけっとした遣り取りに鼻水を垂らしながら仁寿が訴えた。
「そう言われてもな……今日一日で何かすげぇもの三つ見た気がしてよ」
「知らないよ! そ、それより僕らちゃんと助かるんだよな……?」
不安そうな仁寿の声。
そんな彼の声にヴェネルディが勇ましく声を上げた。
「当然だ! 君達無辜成る一般人を護るのが【セイヴァーズ】のヒーローの役割だからな!」
「おい、なんだその組織名初めて聞いたぞ」
ついツッコミを入れるもヴェネルディは「ヒーハー!」と叫んでいて訊いていない。
片側のパルメザンも「弾けろショゴスどもがぁ!」と電撃を放ちまくっているし、なにより話をふる間柄でもなかった。
「とりあえず殲滅はあいつらに任せて、自分の身を護るかね。明日香、俺の傍離れるなよ?」
「どう、して?」
「ここでまさかの疑問形!? 危ないからだよ、な?」
「わかった」
相変わらずマイペースだな、と秀樹は苦笑を零し、
「なあなあ陽皐。僕は? 僕は?」
「お前は自分でなんとかしとけ」
「ひどい! クラスメイトだぞ!」
「うっせぇ、男だろ!」
ぶー垂れる仁寿を一喝する。仁寿はぐぬぬ、と歯噛し、
「なんだよもうお前まで宮王丸みたいな言葉吐きやがって……!」
「宮王丸ってのが誰だか知らんが、自分の身は自分で守れや。第一、お前だって木刀とか持ってなかったか?」
思い出すのは仁寿が持っていた謎の木刀。刀身が燃えると言う不思議木刀だ。仁寿もそれを思い出したのかハッとする。
「あ……そ、そうだな! よし――【柳煤竹】!」
バッと手を翳す仁寿。
何もおこらない。
「おい、陽皐! 速く持ってきてくれよ!」
「知らんわあ! ガチでしらねぇよぉ!? なんで俺がお前の木刀の所在知ってる前提で話すんだよ皆目見当つかんわ!」
「くそ……薄の奴どこだよ、もう! つかえないなあ!」
「薄?」、「はく?」
(時々意味のわからない――いや、結構な頻度で意味が解らない事を言い出すよな、こいつ)
やはり守った方がいいんだろうか?
そう案じてしまう程に見ていて何というか面倒臭い仁寿だった。こう世話したくないのに世話する羽目になるみたいな嫌な感覚がある。有体に言えばめんどうくさかった。
「はぁ……しゃあない。安全第一だ。祝島も俺の傍によっとけ」
「……え。な、なんだよ急に。気持ち悪い事言い出すなよ……」
「お前本気で一回ガチの殴り合いする気あるか? いい加減キレそうなんだが」
前回の覗き事件で散々やられた気持ちがむくむくと湧き上がる。
助けろと言ったり、いざ助けてやろうとすればこの言い様はどうなのだ。
「じょ、冗談だよ。それより本当にちゃんと守れよ?」
「へいへい」
「よし、ならいいぞ」
「やっぱお前そこらへんの奴に掴まってしまえ」
「酷い!」
「へいへい。酷くて結構。男なら自分の身は自分で守れなんだっつーの」
「バカ言え、僕は祝島家の次男だぞ! 誰か僕を護れ!」
「すげぇ、こんなしょうもない発言堂々と出せるとは……!」
「なんだとぅ!?」
秀樹に馬鹿にされたと感じたのか憤慨する仁寿だったが、怒りの矛先を向けた秀樹が「あ」と口を大きく開いたもので、
「なんだ急に。間抜け面が更に間抜け面になってるぞ陽皐」
仁寿はこれみよがしに嘲笑を浮かべるも羽叶がふるふると首を振る。
「違う」
「ん?」
「後ろ」
「…………へ?」
「祝島呆けてんな後ろだ後ろ!」
思考が追い付いた秀樹が叫ぶ。
仁寿がさっと足元をみた。そこには自分の影だけが立っているはずだ――と、見た後に急速に後悔する。自分の影から、ゆらゆらと複数の触手が伸びる様な影を見てしまえば如何に仁寿おいえども気付かざるを得ない。
「ひぃえー!?」
「のっ! ばっかやろ!」
「だずべでだればあ!」
「わあってるよやかましい大人しくしてろ!」
触手で手繰り寄せられる仁寿の身体を寸前で掴む。
が、どこから湧いてくるのか相手の力は凄まじくこのままでは仁寿の身体が左右に分断してしまいそうだ。秀樹的にはそんなショッキングな光景を生み出すわけにはいかない。
「無事か! よし、無事だ!」
そんな中で危機を察したヴェネルディの手刀が触手を切断し仁寿を解放した。
「さんきゅー、ヴェネルディ!」
「当然の事だ!」
だが今のは本当に危なかった。
虚をつかれたと言っていい。
「――なら」
明日香だって安全じゃない、と言う思考がかすめ秀樹は羽叶の方へ視線を素早く向けた。
「……?」
と、小首を傾げる羽叶の背後で。
ごばっと闇が覆いかぶさろうとしていた。
「しまった後ろにも!?」
秀樹が一拍遅れて切迫の表情を浮かべる。
羽叶を後方から襲い掛かろうとした一匹の【ショゴス】。彼らがどんな影響を及ぼすのかわからない――が、ヴェネルディとパルメザンの行動から危険性があるというのは間違いない。秀樹は身を挺してでも羽叶を庇おうと動くが、
「てけりー!」、「てっけ・りりー!」、「テケテケ・リィ!」
そこで。信じ難い光景が起こった。
襲おうとした【ショゴス】の一体を味方であるはずの【ショゴス】三匹が急に行動を翻して殴り飛ばしたのである。殴り飛ばされた【ショゴス】は「てけりふっ」と呻き声を発した後に三匹の【ショゴス】により「テーケ・リリテケ!」、「てけ・りりりー!」、「てっけー・てけてっけー!」とフルボッコにされ始めた。
――なんだこれ!?
何が起きた、と秀樹が大量の疑問符に苛まされた。渦中の羽叶も不思議そうにその光景を見つめており、仁寿も茫然としている。
その行動は二人にも意外だった様で、
「【ショゴス】が【ショゴス】を……? 何だ……誰か洗脳系の能力者でもどっかにいるってのか……?」
「なんだ今のは……? おい本部」
各々が不思議そうにしている。
そんな仲で仁寿は、
「あ、あれ……? な、なんだもしかしてコイツらそんな怖くなかったり……?」
と、羽叶を庇う様な行動をみせた【ショゴス】を見た為か、秀樹から離れると顔を赤くさせてずんずん近づいてゆく。
「お、おい祝島?」
「ふ、ふん。さっきまでのは演技だ陽皐! こんな奴らに怯えるわけがないだろ!」
「いや、お前何を――」
「おいお前達! よくもさっきは驚かせてくれたな!」
と、叫んで【ショゴス】の一匹を思いっ切り足で踏んづけた。
「ば――っ!」
誰かが切迫した様な声を上げる。
同時に。
ジュッ。
と、言う嫌な音が響いた。
仁寿のズボンと靴が溶けている。
「え」
一拍遅れ、その事態に気付いた仁寿は「うわぁああああああああああああああああああ!?」と金切声をあげながら血相を変えた。そうしている間にも衣類は溶けて肌に痛みが差し始めたところで「めんどくせぇなおい!」と叫びながら、仁寿の身体をパルメザンが引っ張って後方へ弾き飛ばす。ついでフィンガースナップを連続で轟かせた。
「なんだよ、こいつら……溶かすってのか……!?」
その能力はモンスターで言うところの【スライム】を連想させた。
体を溶かす。純粋に危険だ。
「ちっくしょ! 火力が出せねぇ……! せめて、下半身が、ズキズキしてさえなけりゃあ【砲弾】使うのによ……!」
そして戦力の一人も地味に窮地の様だ。
それは仁寿にも言える。溶解すると言う存在に足を突っ込んだ仁寿が何か副作用など苛まされないか、後遺症がないかなどの事も緊急案件であった。
切迫し、じりじりと次第に事態が追い詰められ始める中で。
ヒーローは動いた。
「下がっていろ」
「何ィ……?」
訝しげな表情を浮かべるパルメザンを余所に、ヴェネルディは毅然とした覇気を発しながら皆を庇う様に前へと躍り出た。秀樹が、明日香が、仁寿が、パルメザンが――四名の守るべきものを背中に紫色の押し寄せる軍勢【ショゴス】と相対する。
「ここから先は私の領分だ――見ているがいい」
そう呟くとヴェネルティは腕を持ち上げた。すると腕を保護する籠手の部分が煌びやかに黄金の光を放出し始める。
「なんだあ……!?」
眩く輝きを放つヴェネルディの姿に秀樹は思わず驚嘆を示す。
変化はそこからであった。
途端、ヴェネルディの籠手は形状を変える。筒状、ドーム状に近かったデザインの籠手に付属した獣の爪を思わせる装飾が鋭く肥大化を始めたのだ。伴い、籠手が収束し、スマートな外観にチェンジする。
そして顕現したのは四本の爪であった。
しかし爪と一概に言うわけにもいかないだろう。その姿は籠手に爪をつけたと言う代物とはッ違い、四方から伸びた様な爪である。秀樹はその形状に心当たりがあった。
(なんだっけな……ああいうの……確か仏教ので見覚えあんだけど……)
そう。
確か、アレは、アレの名前は。
秀樹の思考が回答へと辿り着く。仏教の神足る帝釈天が雷を操る為の法具として使用したと言われている悪竜殺しの神器があった。
眼前のヒーローを名乗る男、ヴェネルディが全身を躍動させ、輝く双眸を殊更煌めかせ、その名を叫ぶ。
「【金剛杵形態】! ヒィ――――ハァァァァ――――ッ!」
ヴェネルディの咆哮が大気を震撼した。
高らかなその叫びに呼応する様にヴェネルディの全身が光を帯びる。先程まで純白のボディであった彼の装甲が迸る光により金色の輝きを零し始めたではないか。その姿はまさしく金色。純白を覆い尽くす程の金色の戦士が宵闇を打ち払うかの様に輝きを発している。
「テケ・リリリリ――!」
そんなヴェネルディを前に【ショゴス】達は僅かに気圧される――だが、次の瞬間にはファイティングポーズの様なものを取りながらズォッ! と、勢いよく覆いかぶさるかの様にヴェネルディ目掛けて躍動した。
「無駄だッ!」
瞳を金色に輝かせ、ヴェネルディは左腕を振り上げる。
「【金的】!」
軟体の生命体にめり込む程の痛烈な一撃を叩き込む。
「テケ、リリ……!」
呻くような一体の【ショゴス】の声を耳にしながら、ヴェネルディは休む暇なくその金色に輝く双腕を打ち震わせた。雄叫びが鳴り響き、打撲音が断続的に響き渡る。
「すげぇ……」
その光景に絶句する。結局【金的】なのにも絶句はしたが、それにしても凄まじい。
まるで雷の化身。純白の装甲は今は見るも荘厳な黄金に彩られ、全身から噴き出る金色のオーラが駆動一つ一つに合わせて炎の様に揺らめいていた。跳躍すれば、金色光が流星のごとく突き抜け、振るう拳は金色の星屑を思わせる爆散の一撃。輝く双眸によって見据えた敵対者を次から次へと屠る無双の働きがそこにはあった。
まるでアメコミの映画を見ている様な現実離れした光景。
どうして、何故、こんな存在がいるのだろうかと問い掛けたくてたまらない程に鮮烈で凄絶な姿をヒーローはありありと見せつけている。振るう拳は正義の象徴、煌めく金色は闇を払う輝きのようであった。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! ヒィイイイイイイイイイイイイイハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
獲物へと拳を叩き込み、蹴りを見舞う。
速度は一向に衰えず、むしろ増してゆくような高揚感。その姿に何一つの不安を抱く必要はないとばかりの力が人々の恐怖を打ち滅ぼしてゆく。
そうして時が経過する。気付けば、周囲に【ショゴス】の姿はいなくなっていた。
「撤退した、のか?」
何時の間に、と小さく呟く。
だがあの突如として現れた不可思議な存在が消えた事に関しては安堵感を抱かざるを得ない。そう思う反面で何故だろう、秀樹は何か寂寥感を抱いてもいた。
秀樹のその様子には気付かず黄金光を散らし通常形態となったヴェネルディが応える。
「その様だ。まあ、【ショゴス】は長時間、特定の獲物に張り付き続けるわけではないからな。そのぶん、今頃他の誰かを襲っているかもしれん。早く移動した方がいいか」
「お人好しだな。ま、好きにしな」
「ああ、そうしよう」
そう言いながらヴェネルディは右手をパルメザンへと差し出した。
「協力感謝しよう。君のおかげで戦いは早くに決着した」
その台詞に一瞬きょとんとしたパルメザンだったがすぐに小馬鹿にした様な表情でぺしっとその腕を振り払う。
「ハ、バカ言ってんな。大概テメェがもってただろうがよ」
「それでもだ。それに、彼を助けてくれたしな」
言いながら仁寿をチラリと一瞥する。
確かに咄嗟に動いて仁寿を助けてくれたのだ。完全な悪い奴ではないんだろうな、と言う意識が秀樹にも芽生えている。
「はん」
「だからまあ……そのお礼だ。君の事は見逃そう。早々に立ち去るのであれば追及はしない。ああだが違法入国に関しては適切な処置を取った方がいい」
「余計なお世話だよ」
パルメザンは鬱陶しそうに手を振って、
「――何より何を見逃す前提で話してやはる」
「なに?」
「上から言ってるんじゃねぇぜ。この【一弾指】のパルメザンに対してよ……! テメェとの決着はまだついてやしねえ!」
「……やるというのか?」
「当然だ。何時の間にか、結界は消えこそすれ疑いは晴れちゃねぇんだからよ!」
疑いは。
そう言うパルメザンの発言が気になって仕方がない。いったい彼は何を疑っているというのか秀樹には皆目見当つかなかった。それはヴェネルディも同じだ。
「仕方のない暴れ馬だ。ならばいいだろう。再び貴様に【金的】を叩き込むまで!」
「言ってやがれ! ……ただその一貫した狙い止めてくれねぇか!?」
「バカめ! 戦闘とは常に相手の弱点をつくもの! 最も、適した弱点部位を突かないと言う選択肢があるものか! 数多の悪と戦うのならば尚の事!」
どうやら金的を打つことがヴェネルディのバトルスタイルの様だ。あれはひどい。
「チ。なら俺も本気だ。見せてやるぜ。【銃弾】を超えたフィンガースナップ【砲弾】。桁違いに向上した威力でテメェを倒す」
「何時でもこい!」
「おおよぉ!」
互いの覇気が再びをもって、ぶつかり合う。
電撃を指先に凝縮したパルメザンが構えをとり、ヴェネルディが拳を輝かせた。まさしく丁度、その時の事であった。
「あいよ。そこまでって事で一つ、手を打っちゃくれねぇかな、お二人さんよ」
その声は突然に響いた。
先程まで、どこにも存在しなかったであろう突然の仲裁。あまりにも、前触れなく放たれた声にヴェネルディは驚きを隠せない。それはそうだろう。なにせ、その声は、あろう事かパルメザンとヴェネルディの二人の開ける距離の丁度中央で発生したのだから。
すると不意に熱気が溢れた。
おかしい程の熱量。夜風吹く今の気温は涼やかだと言うのに、発生した熱さはあまりにも異質な現象であったと言える。そして、その原因と思しきものこそが形を露わとした。
「夜、遅くにガキどもが出歩くもんじゃあねぇぜい?」
それは焔であった。
メラメラと、浮遊する巨大な炎がそこにはあった。まるで人の形を取ろうとしているような炎が爛々と燃えながら、宙を浮かんでいる。その光景を傍目に見ている秀樹思わず驚きを隠せずにいた。なんだあれ、と好奇心がうずいている。
「……誰だ貴方は? と言うかなんだ?」
緊張した声でヴェネルディが問い掛ける。
「なんだだれだなんてぇ大仰な問い掛けされる程のもんじゃあねぇぜヒーローさんよ。俺はそうだなまあ……事細かに言うのもかたっくるしいな。一言で言えば、ここで若気の至り街道を突き進んでる小僧っ子の保護者みてぇなもんか」
「なに?」
訝しむ様な視線を送られたパルメザンだったが、彼は彼で驚いている――もとい、不満を抱いている様で不貞腐れた様な様子を浮かべている。
「……何の用だよラジェ爺。つーか何でここにいやがる!」
「何の用たぁひでぇ言い草だな、おい。一応、ピンチに現れてやってるんだぜ? お前さんも勝てる要素がここまでねぇ戦いを自分から煽るんじゃねぇ」
「俺はピンチなんかじゃねえ!」
「どこをどう見ても勝てる要素がねぇだろうがい。これだからチーズボーイは」
「その呼び方止めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
絶叫するパルメザンを余所に「とにかく、だ」と前置きし、
「退けい、パルメザン。お前さんの独断専行はここまでってやつだ」
「何言ってんだ! 俺はまだリーダーの目的を――」
「ああ、安心しろい。そりゃあ俺がやっといた」
「何時の間に俺の仕事を!?」
「ばぁたれ、俺の仕事でぇ元々が。海を泳ぐよか、ちゃんとした経緯辿った方が早くつくのが当たりめぇだろうがよ。参ったもんだなあこの小僧めは。アレか? カプレーティの嬢ちゃんにいいとこでも見せようと――」
「ぬあああああああ! 黙れラジェ爺!」
何か空気があからさまに変わってきた事を秀樹は実感する。
先程までのギスギスした空気が消えて、あるのはどこか微笑ましさするある空気だ。喋り方からして炎の人物は年配の男性なのだろう。若手を盛大に掌で弄繰り回す様な、そんな想像が浮かんでくる。
そうして、喰ってかかってくるパルメザンをあしらいながら、その老人と思しき男性はヴェネルディの方へ視線をやった。ヴェネルディはこくりと頷いて返す。
「どうやら連れ戻しにきた人物、と言ったところか」
「おお、その通りよ。なんだかわるいねえ、緊迫した雰囲気ぶっ壊しちまってよ」
「悪いと言うなら俺の通話越しの相手に言ってくれるか? 先程から君達を見逃す事に関して不貞腐れた発言が目立つものでね」
「おお、そうかい。そいつぁ悪いな。だがまあ女の小言はありがたく受け取るのが男ってもんだぜい? おめぇさん、まだ相当に若いな」
「先人の意見として聞き入れておこう」
「おうよ、ありがたく頂戴してくれや。さて」
行くぞモンテギューの坊主、と老人は炎の腕を彼の頭にぽんと置いてそう零した。パルメザンが「燃えないけど熱い!」と悲鳴を洩らすも、訊く気は無いようだ。
「撤退すると言うのならこちらも了承した。これ以上、関わる事はしないでおこう」
「そいつぁ吉報だ。あんがとよ、ヒーロー。……つーわけだ、帰るとするぜいパルメザン」
「……チ、わぁーったよ」
不服を浮かべながらも力関係があるのかパルメザンは渋々了承する。
「だが、そこのヒーロー野郎。お前は覚えてろよ!」
「正義の名に於いて、何時でも受けて立とう」
「それって正義関係あるん?」
むしろボクシングチャンピオンとかの方が合うのではなかろうか、と秀樹は思った。
「――ああ、ただ一つだけ訊けるならば訊いておきたい」
「おお、なんだ? 話せる事なら、かるーく話はするぜヒーロー」
「貴方の名前を訊いていないからな。教えてくれるか?」
「それでいいのかい?」
「名前は知っておくことに意味がある」
「クク、イかすじゃねぇか。――ラジェンドラってもんだ。家名は悪いが伏せさせてもらうぜい? そいじゃあ、あばよ」
その言葉を最後にラジェンドラと名乗った老人は火の玉となってその場を去ってゆく。
後方でポカンとするパルメザンに「なにしてやがんでぇ! 走れ、走るんだモンテギューの小僧っ子ぉ!」っと叫びながら「走るのかよ! もっとこう炎でバシュっと消えるとか格好いいこと出来ないのかよ!」、「お前さんがいるからな!」、「リアルな事言いやがって! ヒートじゃねぇなあもう!」二人は夜の闇へと消えていくのだった。
「行ったか」
そしてヒーローは静かに声を零す。
「……よかったんすか見逃して?」
「構わない。警察ではないからな。まあ、上司が先程からうるさいが、そこは怒られてくることとするさ。――さて、私もそろそろ去ろう。人目については大変だ」
「行っちゃう、の?」
「ああ。他に仕事は盛りだくさんだからね」
「そんな盛りだくさんなのかよ!?」
あるのあんな出来事他に、と不審に思った秀樹だったが次の瞬間には肩を掴まれて、
「……少年。このご時世、事件なんて大した事ないと舐めていると……酷いぜ……」
と、やけに重苦しい声で告げられた。思わず「そ、そっすか……」と引き気味に頷いてしまう。コクリ、と頷き返したヴェネルディは「ではさらば少年少女!」と敬礼すると、
「今日の事は他言無用に頼むぜ、ベイビィ!」
「わか、った」
「ああ。まあ言って誰が信じるって話だけどさ」
「ねぇ、それより僕の足なんともないよね?」
あ、とその言葉で仁寿の事を思い出す秀樹。
ヴェネルディは笑いながら「心配しなくていい。溶けたのは服だけだからね」と答えると、
「っと、迎えが来たようだ」
「迎え?」
「ほら、あそこだ。黒い大きな影が見えるだろう? アレは私の仲間――にしては、何だかシルエットが、はてアレは……」
そう、言葉を告げた次の瞬間に。
ヴェネルディの全身が白い糸に覆われてぐるぐる巻きにされた。
「え」
「え?」
ぽかんとする空気。
そしてびゅんっとヒーローの身体が一本釣りされた。
「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!? なんだこりゃあああああああああああああああああああああああ!?」
「ヴ、ヴェネルディ――――!?」
何が何だかわからない。隣で羽叶が「おー」とポカンとしている。
ただ言える事はヴェネルディが不測の事態に陥っていると言う事だ。包帯ぐるぐる巻きの様子でフィッシングされたヴェネルディは、八本の足を閃かせた謎の物体にその身体をもっていかれてしまい、そのまま姿が遠ざかっていくのだった。
『……、』
思わず無言となる秀樹と羽叶、それに仁寿。
少しして、秀樹はコホンと咳払いして。
「帰ろうぜ、明日香」
と爽やかな笑みを浮かべて促した。
「……え、でも、今の」
「夜もすっかり遅くなっちまったしさ。早く帰らないと家の人が心配しちまう」
「それは、そうだ、けど。あの、今の……」
「夜道は危険だって証明されてるし、女の子一人で帰らせるわけにはいかないからよ。送ってくぜ明日香」
「……ひでき、面倒臭がって、ない?」
「割とな! あれを追っかけたらまた厄介事な気がすげぇするしな! なんかもう疲れたよ帰って寝ようぜ!? 俺としてはこんな怒涛の思い出よか、明日香とデートした記憶さえあればいいよもう!」
「それも、そうだね」
くすりと可笑しそうに苦笑を浮かべながら羽叶は歩き出した秀樹の跡を追いかける。
と、そこで不意に秀樹の服の裾を掴むとくいくいっと引っ張った。
「……ん? どした?」
「最後に、言い忘れて、た」
「へ?」
「今日は、付き合ってくれ、て、ありが、と」
ほにゃっと綻ぶ羽叶の笑顔。
それを見届けて秀樹は「あいよ。また何時でも誘ってくれや」と快活な笑みを浮かべる。
そうしてゴールデンウィーク最後の夜。
秀樹と羽叶のデートは幕を下ろすのだった。
「……な、なあ。ひさわー。ひさわー。僕、足にダメージが……。それに片方、靴が無いんだ。このままじゃ帰れないよ……。負ぶってやられるからさ、僕を家に……。は、はくー。薄もどこだよー……。うぉーい……」
後方で地面に座り込んで傷をアピールしている少年を見事なまでに忘却して。
2
それは爆ぜる炎と猛る雷の如き闘争であった。
不知火九十九。宝戒寺長徳。少年と僧侶。
抱く想いは妖狐である少女を護りたいと言う想いと、妖怪全てを消炭にせんと錫杖を握り緊める憤怒の想い。決して交わる事無く、触れ合う度に苛烈に犇めきあう信念が衝突を繰り返す都度に、なおも燃え上がる様は圧巻と言えよう。
屈強な体躯の青年、九十九の拳は規格外だった。
高校一年生にしてすでに完成された程に頑強な肉体から繰り出される一挙手一投足の速度と威力は同世代と比べてもずば抜けたものだ。その威力は、先程一撃を錫杖で防いだ長徳をもってして防護よりも回避に専念すべきと感じざるを得ない程に凄絶の一言。
(く、信じられん……! この年齢で培われる肉体を遥かに超えているぞ……!)
風を突き破る拳の音の凄まじさたるや。
ただの少年の相手をしていると言う感覚はすでにない。あるのは、プロボクサーすらも越えた規格外の体躯を持つ男の拳と言う感覚だ。純粋な肉体の力ですでに、その力量は尋常では無い領域にあるとすら言えた。
「おらっ! そっ! でああっ!」
頭上。わき腹。鳩尾。
続けざまに繰り出される攻撃を熟練された眼力を以てして長徳は回避に徹する。
(まずは、動きのパターンを、と思ったが……これはいかんな)
速力と威力を審議しながら、僧侶はおもむろに舌打ちしてしまう。
何故ならば、眼前で拳を繰り出す少年の攻撃はとことん荒かったからだ。
攻撃の型などまるでなっていない。
武術に通じる要素がどこにもない。
我流と言う形に嵌ってすらいない。
強いて言えば、本能のおもむくままに拳を振るっているだけ。
獣と同じ、無造作にして乱雑極まりない、駆け引きもへったくれもない純粋暴力。飲んだくれの暴力亭主と同じ様なただの出鱈目な暴力なのだ。
(だと言うのに――それがここまで桁が違うか……!)
だからこそ長徳は眉間を潜めていた。
何一つも、流麗さのない洗練を一切してこなかったであろう攻撃の数々。
だが、それがどういうわけか異様な程に強過ぎるのだ。
一撃当たれば致命的なまでの威力が拳一発に備わっている。
速度もまた鋭く、早く一切の予断が許されない。ただの暴威でしかない。
されど、ただの暴威であるからこそ長徳の眼に映るものは化け物じみていた。
「末恐ろしい奴だ……!」
長期戦は不利と悟る。
このまま回避し続けてスタミナ切れと言う策も考えていた長徳だったが、その策は捨て去る事を決意した。
なにせ目の前の少年、九十九。
(スタミナ切れする光景がまるで浮かばん!)
疲労困憊で隙をみせる気配が微塵も感じられない。
むしろ、先に自分が疲労でへたれる可能性すら感じてしまうのだ。ならば、自分に出来る事は一気呵成に攻勢に転じる事。
(少年は素手――ならば、この攻撃を以て、貴様の気勢を削ぐとしようか)
たかだか素手の少年相手。
なるほど、その資質の高さは認めよう。だが如何せん、この舞台はそんな純粋暴力だけで勝てる様な場面ではないのだから。
法力僧にして破壊僧――宝戒寺は自らの錫杖閃かせた。
「錫杖【砥粉】――オン・バザラ・ヤキシャ・ウン――」
「真言か!?」
高速で紡がれた馴染みのない独特の言葉。真言。
それを訊いた瞬間に距離を取った場所で佐伯勇魚が声を発した。
「気を付けてください、不知火君! 金剛夜叉明王の真言です!」
「金剛夜叉明王……!」
仏典に於ける雷の神。遍く不浄を喰らい尽くし浄化するとされる障害を貫く清浄の力。善を護り、悪を打ち滅ぼす力の神の真言だ。
ならば、その力の性質は【雷電】。
その力の矛先は【不浄なるもの】。
そして、その力の形質は、
「法術――【糸鋸粉微塵切り】」
黄金の錫杖に新たな輝きが迸る。
錫杖の先端から手元へかけて、雷撃が激しい駆動音を奏でて、ギャリギャリと唸っていた。回転する様に電撃が巡っているその姿はまるでチェーンソーの様であり――、文字通り、今、この武器はチェンソーそのものだ。
ギャオン、と振り抜いた一撃が地面を擦れば、抉れた様なギザギザの斬撃が残る。
「どうだ」
長徳は静かに告げた。
「これに臆したならば、妖狐を置いてそこの娘と共に去れ」
最後宣告。
この一撃を喰らいたくないのであれば目の前から消えろ、と僧侶は告げていた。
勇魚はごくりとつばを飲み込む。確かに、あの威力。雷撃が駆動する事で起きている、あの斬撃は一度喰らえば治癒が困難な痛々しい傷痕を皮膚に残すだろう。九十九は素手。生身だ。生身でチェーンソーを持った相手に戦いを挑むなど無謀が過ぎる。
(見ててわかる……あの武器は、凄い力が詰まってる……!)
錫杖に雷撃を灯して、チェーンソーとする。
何と言う凶悪な発想だろうか。確実に妖怪に致命傷を与える為に生み出されたと言える様な破壊力を秘めた法術の結晶だ。単純火力だけではなく、雷撃であると言う以上は確実に感電効果も期待できる。
(多分、あれがあの人のとっておき……!)
妖魔滅相。
その言葉を体現するものが、目の前のあの刃と言う事だ。
あんなものを勇魚は防ぎ切れるかはわからない。
それならば。
生身である九十九は――、
「不知火君……!」
「心配すんな」
「……え?」
零れた言葉に、九十九が背中をむけたまま簡素に答える。
「負けねぇよ。アイツの信念がどんだけ激しくたって――強くたって、俺は負けない」
「……ほう。それは引かないと言う意思表示か?」
「当然」
「刃物相手でも阿呆だ。チェーンソー相手ではド阿呆だぞ?」
「ハッ」
九十九はせせら笑う。
そして、次に見せた表情は――爛々と瞳を輝かせた獰猛な哄笑であった。いっそ悪辣ですらある暴威の覇気を纏わせながら高く、高く、哄笑する。
「チェーンソーが何だってんだ僧侶さんよ。俺が。九十九の名前を冠する、この俺が! 幾千万だろうと刃物相手に臆するものかよ、馬鹿馬鹿しい!」
ぞくり、と。
背筋が震えた。
「なん、……!」
普通では無い。明らかに、おかしい。これだけの凶器を前に、ただの一度も怯んだ表情を浮かべず、むしろ愉しそうな程に愉悦を零す。そんな姿勢が通常の少年のそれであるはずがない。僅かな程にも怯えない。そんな姿勢があっていいわけがない。
同時に、長徳の身体が機敏に反応を示した。
いつもの様に。彼が手強い妖怪を相手取る時の様に。彼の身体は錫杖【砥粉】を握り緊めて臨戦態勢へと転化する。
(自然とこうなるとはな!)
驚きをもって彼は評した。
自分が、自分の身体が防衛本能の様に稼動したと言う事は即ち――、この少年の秘めたる力の異常性に反応したと言う事なのだから。
(ならば最早、たかだか少年などとは侮らん)
相手取るは屈強な強者。
高い身体能力に優れた少年を前にしているわけでもない。猛る戦士を相手取る心地でなくては自分が後れを取る場面と言う事だ。
「――本気でやり合う前に一ついいか?」
「なんだ」
「訊かせてくれや――お前らはどうしてそこまで妖怪を敵視する。どうして、あんな害のないちっこい子ぎつねまでも根絶やしにしようとするんだ。その上、お前らは神を拿捕しようとしてるんだってな? どうかしてるとしか言えないぞ」
「どうか、している、か」
長徳は掠れる様な声で「どうかしなくてはならんのだ」とポツリと呟き、
「我等が大願、妖魔滅相。ただの一匹も残さずだ。これのどこに悪徳がある? 古来より、妖魔は人間の敵。陰陽道に於いても陰陽師の仇敵だ。我等、僧侶もまた妖怪を払ってきた。このスタンスのどこに何を挟む余地がある?」
「ふざけんなよ、ありまくりだ! 妖怪ってのは悪い奴ばっかじゃねぇだろうが! いい奴に無害な奴も山ほどいる! 人と同じだ! わざわざ全員殺す必要性がどこにあるんだって話をしてんだよ!」
「いい奴、悪い奴、笑わせるなよ若造が! ならば奴らは何だ! いい奴であれ、無害な奴であれ、その身には人知の及ばぬ武器がある! 無垢な赤子にすら人を殺せる爪牙がある! 人間は獲物を取らねば、害は少ない――だが彼奴等は、獲物を初めから持っているのだ! それだけで人に危機及ぼす害悪と何故わからぬ!」
「使えない刃物持った奴が、使わないと決めているんだよ!」
「無害と被害は一緒くたにになど出来ん! 悪意無く撒き散らすものもおろうがッ!」
「極論だッ!」
「暴論なのは承知の上だ!」
そこで九十九はぐっとその拳を握りしめた。
「ふざけんなよ――お前の言葉に確かに得心いく箇所はあったぜ! だが、行き過ぎだ、生き急ぎ過ぎてんだよお前らは! 真ん中へ戻りやがれバカ野郎! そのまま行けば、下劣畜生をお前らの詰った存在へ、お前ら自身が成り果てるぞ! テメェ自身が悪鬼になるぞ!」
憎しみの連鎖。
そんなものが確実に起きる思想。実際、すでに火種がある。子ぎつねの中に、それが宿ってしまってもおかしくない現実が。そしてそれが連鎖しようとする可能性が。
しかし、そんな九十九の危機感に対して長徳は形相を歪めて断言した。
「とうに歯を食い縛ってでも、覚悟なんぞ決めておるわぁっ!」
雷撃が周囲を迸る。
「妖怪、化外、魑魅魍魎――そんな人の手に収まらぬ害悪相手に! 人の心のままで立ち向かえ続けると思うのか! 眼には眼を! 悪鬼には悪鬼と成り果て! 下劣畜生にその身を落としてもなお!」
「――ッ」
瞬時に歩幅を詰め、長徳は錫杖を振り被る。
「叶えねばならぬ大願があるッ!」
凄まじい爆音と共に光が迸った。
眼前を閃いた雷撃の一閃を九十九は紙一重で回避すると、錫杖が触れた地面が爆散し小石が体のあちこちに飛礫となって飛び交った。
「妖魔、滅相」
長徳は怨念じみた声で再度呟きを放つ。
「我が身などいくらでも腐るがいいわ! 朽ちず腐る。この身が、妖怪のなき世界への礎になるのであれば本望でしかない! 穢れの無い明日が欲しい! 未来に、妖怪どもがいなければそれでよし! 後先など顧みぬッ!」
続けざまに閃く横薙ぎの一閃。
雷鳴が迸り、黄金の一撃が九十九の身体を切裂いた。
「不知火君ッ!!!!」
「つくもーっ!!」
少女二人の絶叫が響き渡る。
その中で、不知火九十九は、
「大仰に厄介な覚悟決め込みやがって」
「な……っ」
厳しい表情で、長徳の面貌を見据えていた。
対する長徳の表情が驚愕に彩られる。何故ならば、彼は雷撃を纏った錫杖で彼を攻撃しているのだから当然だ。稼動する雷撃はチェーンソーと似た様な代物。その一撃をもってすれば人体に甚大な損傷を及ぼす事は間違いないというのに――、
「だがテメェの筋道は確かに見たぜ。だからこっからは――俺が血潮を滾らせる番だな」
無傷。だった。
その少年の体躯に傷らしい傷など些かにも見受けられない。
(――ありえんッ!)
長徳のとっておき。【糸鋸粉微塵切り】は彼の最強技だ。
それがまさか、薄皮一枚も切裂けないなど有り得るはずがない。妖魔の固い外殻でないのだ、人体が防ぎ切れるわけがない。
人体、が。
まさか、と長徳が零したのと同時に彼の眼前で。
この世で最も忌み嫌う力が、急速に膨れ上がった。
その力を知る勇魚は「……あ」と小さな声を洩らす。
傍付くものに恐怖を知らしめる様などこかどんよりとした陰湿な感触。恐ろしさと不気味さを兼ね備える曇天の如き気配。これを知らぬものは僧侶としては三流だ。
その力の性質は、陰と謳われた。
かの陰陽師達が対抗し。
御仏に仕える門徒らは畏怖を示した。
その力は――妖力。
それを持つものは――、
「小僧、貴様は……妖怪かァッ!!」
妖怪と、呼ばれている。
「大当たりだ」
低い声が鈍重に唸った。
「だがバカな! 僧侶足る私にも一切、妖力は感じられなかったぞ!?」
長徳は信じられない様な目つきで九十九を見ていた。
そんな彼の意見は賛同者が二名いた。一人は勇魚、もう一名は静流である。彼女達も信じられない様な心地であった。何故ならば、勇魚にも妖力は感知出来ず、同じ妖怪である静流さえも気付けなかった。
本来であればもっと、感知できるはずのものなのに――。
「もしか、して」
勇魚は不意に呟いた。そして手の中にある勾玉のネックレスに視線を落とした。
(これが……妖力封印具か、何かなのでは……!)
古びた勾玉のネックレス。太古の日本より存在する装飾品。胎児を模したとも、動物の爪牙を模したとも、はたまた魂の形を模したとも言われる装身具。わざわざ九十九がこれを持っていた事実。そしてこれを戦闘前に外した実態は――、
「一つだけ」
普段よりも重々しく、重複した様な声音で九十九は呟いた。
「一つだけ、教えておいてやる」
「なん、だと……?」
「俺が今回、静流を護ろうって決めたのはアイツが何も悪い事をしてねぇからだ。もしも何かやらかしたんなら俺だって怒るさ。守ると決めたのは同じ妖怪だからじゃねえ。アイツが守られるべき立場にいたからだ」
「……っ!」
「もしも今回の一件で妖怪が悪だったんなら、俺だって激怒してらあ。よくあるじゃねぇか。テレビで流れる犯罪者のニュース。んで、その事件に対して憤る。――人も妖怪も同じなんだよ思考回路なんざ。それをわからないわけじゃねぇんだろうが聖僧院ッ!」
九十九は憤りそのままに吼えあがった。
その叫びに、その嘆きに。
宝戒寺長徳は錫杖を握り緊めながら必死の形相で声を荒げた。
「当然だッ!」
肯定する。長徳は肯定した。それが示すところは九十九の発言を理解している故の叫び。
しかし、二人には決定的な隔たりがある。故に、その差が、
「だが、そんなものは――考慮に値せんわァ!」
長徳の雄叫びと雷撃鎖鋸の絶叫とに移り変わるのだった。
迫る凶刃と、襲い来る僧侶の信念。
それらを前にして、九十九は小さく吐息を零して、
「そうか」
その右拳に膨大な力を握り込めて、
「なら――」
鬼の形相で振り抜いた。
「そんな理屈も思考も丸ごと全部砕き壊してやらあぁああああああああああああああッ!」
膨れ上がる妖魔の力。
腕を包む灼熱の炎を思わせる九十九の覇気。その腕を化外の腕へと変質させ、九十九の口からは雄々しい牙が、闇に耽る右の瞳は火のように爛々と燃え上がり、その額からは彼の怒気を現すかの様に角が鋭く天をつく。
それら全てが混然一体となって右の拳に力を乗せた。
「ぬ、ぐ、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
鬼気迫る表情を互いが見せた。
怒髪に燃ゆる九十九の拳が。
己が信念を翳す僧侶の表情に。
互い、切迫した空気が膨張し、あらん限りに暴走するかの様に二人の周囲を包み込み、両雄の激突と共に、雄叫びと共に――力は炸裂する。
そして、袈裟姿の僧侶の体躯が宙を舞った。
数秒の遅れに伴い、どさっと言う音が鳴れば、残るはシンとした静寂のみ。
「……やった?」
静流のか細い声がポツリと響く。
その言葉を皮切りに「つくも! つくも! すごいな!」とはしゃぐ声が響き「不知火君……!」ともう一人の少女は感極まった様に声を上げて、九十九の元へ駆け寄ろうとして、
彼が今なお真剣な表情で見据えている事に二人は気付く。
鬼気迫る気迫を見せながら、揺らぐことなく佇んでいる。
何故か? その理由は明確であった。
ゆらり、と。宝戒寺長徳が立ち上がる気配があったからに他ならない。
「……すげぇな」
前方より感じる気迫に――否、気概に九十九は心から称賛を零す。
「今の一撃。強化してようが、人間が喰らえば一発KOくらいには威力込めておいたってのに立ち上がれるわけか」
「……」
長徳は微かに唇を震わせ、言葉を紡ぐ。
「――当然だ。貴様の様な、貴様の如き化外を前に膝を屈するものか。心を折るものか。命欲しさに死んだふりで済ますものか」
腕は小刻みに震えている。
恐怖ではないだろう。武者震いでもない。純粋に蓄積されたダメージが長徳の体力を蝕んでいたのは目に見えて明らかだ。折れた錫杖を掴む腕に力と呼べるものは篭っていない。
(だからどうしたッ!)
故に歯を食い縛った。唇から血が滲み出る程に、舌が味わうのは血の味だ。
(だがそれでいい。血の味が感じられている間はずっとマシだ。味わいたくないのはこんな味とはものが違うのだから――)
苦汁を味わう事に比べれば何を嘆く暇があるだろう。
妖魔滅相。長徳が抱く理念は永久にその一念だ。
「必殺技はへし折ってやったけどよ……。心ってのは本当にへし折れないもんだぜ、クソ」
錫杖を構えて血反吐を零す長徳の姿を視界に、九十九は唸った。
「退く気はねぇのか? その身体で俺の一撃をもう一発喰らえばよ……確実に、再起不能になるってなもんだぜ?」
「無いな。そして案ずるな。再起等とは他者が決めるものではない。己自身が決める事だ。ここで貴様からどれほどの負傷を負わされようとも、私は再び立ち上がるさ。妖魔を殺す。その為ならば意識の無い殺戮兵器と化そうとも構いはしない」
「……ったく、やるせねぇぜ。その過激なまでの行動力を、妖魔を殺す以外に向けられないのかよテメェって奴は」
「不可能だな。そんな目利きをしている暇は私には――無い」
そう呟きを零す長徳の表情は苦渋に満ちていた。
無念。残念。後悔を示す様な感情が随所に滲み出ている――そして、何よりも憤りが、憤慨が彼の面貌に浮かび出ていた。
九十九は告げる。
「そうか。ならもう言葉は使わねえ。有体だが俺なりに――拳で語るぜ」
長徳は応える。
「上等だ。言葉で止めて貰いたいとは小粒にも思わない――暴威で止めろ」
そして、力が膨れ上がった。
まず加速したのは長徳だ。全身から法力を最大限に開放している。おおよそ、彼が内包する法力全て――文字通りの今出来るだけの全身全霊を長徳は放出する。輝かしい僧侶の法力は邪気を払い除ける破魔の力として、彼の獲物――折れた錫杖に雷鳴となって光を灯す。
呼応する鬼気迫る力があった。
輝かしい法力とは対極的に禍々しいと形容できそうな程に赤黒い、血と闇を混じり合わせた様な力が長徳の眼前で炸裂する。九十九の瞳が気迫と共に爛々とした赤い光を発して、その全身を黒が漂う。
まさに対極。まさしく対。
双方共に相手を怨敵とばかりに睨み合う。
出力は尋常では無い。勇魚は二人の醸し出す法力、そして九十九の力が零す余波を受けながらそう分析していた。力の奔流が空気を震わせ、砂埃を舞い上げている。傍の木々がざわざわと竜巻が近づく前触れに怯える様に揺れていた。
(ぶつかれば、ぶつかりあえば……ただでは済まないですよね)
力の余波で自分達の身体が吹き飛ばされる未来は想像に難くない。負傷した静流を背中に勇魚は言霊を唱える。結界の言霊。そうしなければ――どれだけの破壊の力が振り撒かれるか。
そうして勇魚と静流を守護する様に神々しい光が二人の前面を楕円に包み込む。
それが合図となる。
長徳が左足を前へ力強く踏み出す。九十九が答える様に拳を握りしめた。
「行くぞ、化外がぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「来いや、バカ野郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
瞬間、二つの力が激突する。
神の裁き。迸る轟雷。雷鳴が折れた錫杖から流出し、さながら神罰の槍の如く九十九目掛けて激しい鳥の囀りを響き渡らせながら命へと迫りくる。
燃え盛る大炎。宵闇の邪気。その気高い雷鳴を、千に及ぶかの様な鳥たちの囀りを煩わしい喧しいとばかりに灼熱とした咆哮が光を受け止めた。
九十九の形相が刹那、微かに歪む――が、それは刹那でしかなかった。
重く、重く、重く――拳に突き刺さる信念の一撃を九十九は超越せんが為に気迫を発する。何故かと言えば単純だ。子供でもわかる理屈に違いない。
少女を護る。
ここでこの男の信念を通してしまえば後には見知った少女の屍が一つ。
認めるものか。認められるものか。
自分の無力で、既知足る少女が幼くして瞑目するなど誰が甘受出来るものか。例え、この矛先にどれほどの信念が宿っていようとも――、その信念を、九十九は信頼を受けた拳で粉砕しなくてはならないのだから――!
「猛れ、筋肉ぅぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
炎の穂先の如き拳撃が、突き進む。
光が砕ける。轟雷の錫杖が、まるで心半ばに死に絶える様な、痛恨の叫びを零し絶命の囀りが次々と零れだしゆく。しかし、止まらぬ。拳は容赦なく、悲鳴を上げさせた。雷鳴を終わらせるべく握り緊めた手が命脈を握り潰してゆく。
そして、時は訪れた。
九十九の拳が厳かなまでに長徳の腹部に叩き込まれる。骨を幾本も壊す様な一撃が腹からのめり込み、その全身を浸蝕してゆく。僧侶の呻き声、そして血反吐が零れ――、男の体躯は少年の拳により後方へ勢いよく、すっ飛んでいく。拳の威力そのままに、僧侶の体躯は後方の大木の一本に叩きつけられ、口から空気を激しく吐き出すと、大樹にもたれかかるようにズルズルと地面に座り込む様に崩れ伏すのだった。
二発目の九十九の拳。
その身体の全てを屈させるには十分すぎる破壊力によって帳を降ろしたのだった。
静謐な時間が戻ってくる。
本来――夜の境内は祭でもない限りは、静寂に包まれているものだ。だからこそ現在の鵠沼稲荷神社を包み込むシンとした空気と、虫の鳴き声、鳥の囀りこそが本来の、普段通りの姿である。その静けさの中で、佐伯勇魚は九十九の傍へと静かに近づいた。
「……おう」
少し困ったみたいに九十九が反応する。
きっと妖怪であった事を黙っていた事が気まずいのでしょうね、と思うと可笑しくなって勇魚はふわりと微笑を浮かべていた。――妖怪であったとして、勇魚は九十九への評価を変える事は無い。
何よりも、彼は自分の嘆願を最後までやり遂げてくれたのだから。
あの日、突然に現れた自分達を救ってくれて。
しなくてもいいのに、その後の面倒までみてくれた優しさを。
戦わなくてもいいのに、盾となって少女らを護った頼もしさを。
佐伯勇魚は心より感謝している。
だからこそ、言葉に迷う様な少年へ言祝ぎを投げ掛けねばならないのだ。
深い深い、笑みを湛えながら。
「ありがとうございました不知火君。それと……お疲れ様でした」
勇魚は何よりもまず、そう投げ掛ける。
すると九十九は一瞬、虚をつかれた様な表情を浮かべたが、
「おう! あんがとな!」
そんな勇魚に対してニッと九十九は破顔したのだった。
普段とは違う片側に明確な妖怪の印象を残した姿。腕と右顔面が異質に変化――否、本来の形へ変化している様である。
「つくも……妖怪だったんだな」
「まな。黙ってて悪かったけどよ」
「しかも、それは……鬼、ですよね?」
「おお。ま、メジャーだろ?」
「それはそうなんですが……」
確かに鬼の妖怪はメジャー過ぎる程にメジャーだ。
しかし勇魚は内心驚いていた。見た所、九十九の妖怪の力は僅かに解放された程度ではないだろうか? 右顔面に右腕と言う部位の少なさがそれを物語っている。だと言うのに傍にいるだけで感じるこの圧迫感。これは並みの鬼の妖気ではな。
(不知火君は――相当に強い鬼なのでは)
勇魚がそんな事を考えていると、九十九が手を差し出して。
「え?」
「いや、勾玉。アレ返してくれっか?」
「え……あ、ああ、そうでしたね!」
はたと気づいた様子で勇魚は九十九に預かっていたものを返す。九十九は「あんがとよ」と零すと、おもむろにそれを首にかけた。すると、溢れ出ていた妖気が終息し、その姿は普段のそれへと変化してゆく。
(やっぱりこれで普段は封じてたんですね)
推察は当たっていた様だ。
そんな事を考えていると静流と九十九が唐突に目を見開いて勇魚を凝視していた。
「――え?」
気付いた時、勇魚は唐突に壁に接している事に気付く。薄い壁に覆われている様な違和感。いや違和感などではない。これは尼である勇魚ならばすぐ気付けることである。
結界だ。
間違いなく。これは結界である。しかし自分は張っていない。自分の術では無い。ならばこれは誰の――と頭が思考を働かせるまでもなく、答えなんて一つしかない。
「――さあ、大人しくしておけ」
視界のすぐ近くに、佇む僧侶がいた。
満身創痍。袈裟も破れ、すでに立っているのも不思議な程の負傷。いや、それどころではない、殴られた痕跡だけではない、火傷、銃創、抉られた様な傷痕が彼の、長徳の服の下には見受けられていた。
(この体で戦っていたって事なの……!?)
始めから満身創痍。その状態で尚も静流を殺さんとした男の執念が恐ろしく感じられる。
それほどの執念を持った男が――今なお何をしようと言うのか。九十九と静流が、勇魚が人質とされた事で動けず固唾を飲んで見守る中で、それでも九十九は声を発した。
「テメェ……なにをする気だ、宝戒寺……ッ」
「か、かは……っ。なにを、だと? 何を……はなから一貫しておるわ。妖魔、滅尽……その為ならば何でもする、さ……!」
「ふざけんな! 人質なんざ下衆の極みだぜ!?」
「は、ははは! 下衆か! そうだな、その通りだ」
どこか可笑しそうに長徳は嘲るような笑みを発して――しかし、次の瞬間に双眸に宿した光は何処までも信念に溢れる男の眼光だった。
「だが下衆にも下衆の意地がある! 下賤に下ったからには、最後まで足掻かねばならぬ矜持があるのだ! 死んでなおも恨むがよいさ! 貴様等妖怪――貴様等の命、二つとも是が非でも奪わせてもらうぞ! 特に小僧、貴様ほどの妖気を持つものはなあ!」
「くぬやろ……!」
こめかみをぴきぴきとさせて九十九が怒りを堪える様にぐぬぬと唸る。
同時に彼のやろうとしている事が目に見えたのだ。
「さあ小物らしく最後を飾ろうぞ! お前達の命丸ごと、道連れと行こうかあ!?」
その言葉を最後に。
長徳は勇魚を結界ごと後方へ蹴り飛ばし、自らん法力を暴走、膨張させ静流と九十九に攻めかかる――そう、これは、
(自爆、だ……!)
勇魚が二人の名前を叫びながら弾き飛ばされる中で。
一人の法力僧がその力を炸裂させる。
その瞬間、上空から紺碧の光が一条降り注いだ。
「――は」
長徳の驚愕に満ちた声に遅れ、上空から突如飛来した物質のパワーの余波が周囲へ四散すると木々を押し倒す様な暴風が一瞬、吹き荒れる。勇魚が短く「きゃあっ!?」と言う悲鳴を上げ、吹き飛ばされない様に身を堪え、九十九は静流の頭を掴み、風の影響を受けない様に「つくもあとでおぼえてろー!? あだだだ……!」守り抜いた。
そして数秒の時が穏やかな風の流れと共に流れゆくと、皆が一様に静かに、この風を起こした犯人とよぶべき存在へ意識を向ける。
そこには二人の人物がいた。
一人は宝戒寺長徳。
そして、もう一人は、
「……何故……」
困惑した様な長徳の声が響く。
それは少女。
見目麗しい一人の少女が上空から上下さかさまの姿勢で長徳の額に右手を触れさせながら佇んでいたのである。
(な――誰だコイツ?)
九十九が突然の乱入者に訝しむ。
ついで、目の前の美少女に何か違和感を抱いてしまった。
(なんつーか……人間の癖に、いやに人って感じがしねぇ……)
そこにいるのに、何故だか置物の様に感じる感触。それが何とも胸をざわつかせる。そんな中で長徳が彼女を視認して、驚いた様に声を零す。
「……青蓮院殿。何故……」
青蓮院。それが彼女の名字なのだろうか。
長徳の問いに答える様に青蓮院は嘆息を零した。
「何故、ではない。宝戒寺。【聖僧院・二十一律師】である貴重な戦力の貴方が、ここで命を散らす程の事は無いの」
端的にそう告げる。
死んでまで自分達に一矢報いる必要はない。そう言っているのだ。
「ですが……!」
「宝戒寺」
食い下がらんとする長徳に対して、青蓮院と言う少女はただ一言。
「【逆行燈】が行動を起こしているの」
「……なんですと?」
途端に、長徳の眦が吊り上る。
同時に九十九もまた双眸を難しそうに歪めていた。その名前を訊いた勇魚も同様に難しそうな顔を浮かべ、静流だけが「どこかで聞いた様な……?」と、小首を傾げている。
「あの連中が……」
「ええ。まず間違いなく【掃き溜めの主】が――そうでなくとも【蓬頭垢面】と言った者達が跋扈しているのは拙いわ」
「あやつらめ……面倒な時に……!」
「奴らが明確に動いているとなれば、【聖僧院】は放っておくべきではない。言いたい事はわかるわね?」
「……この場を撤退せよ、と言う事ですな」
「その通り」
「私は道六神派閥なのですが?」
「派閥関係を重視し過ぎる程に意固地でもないでしょう、貴方は?」
そう言われると長徳は嘆息を浮かべた後に、さっと九十九達を見やった。
「……眼前には敵が二名。おるのですがな」
「放っておきなさい。神起こしも重要な任務だけれど、悪逆を図る妖怪を放っておいては本筋に逆らうも等しいわ」
「はぁ。ぐうの音も出ませぬな」
すると長徳は完全に闘争心を潜ませ、錫杖をしゃんと鳴らして地面をついた。その様子に満足したのか青蓮院は頷くと、ジッと視線を九十九と静流へ向ける。
「――いるのは妖狐。それにこの妖気は鬼……ね。名前は?」
「不知火。不知火九十九だ」
「焔魔堂町静流って言うんだぞ!」
威嚇する様な自己紹介をする静流をよそに九十九は腕組みして憮然と言い放った。
その言葉を訊いた瞬間に青蓮院はふう、と溜息を一つ零す。
「尚の事だめね。矛は構えてはならないわ宝戒寺」
「は?」
「不知火家とは事を起こすな。この地域の聖僧院、破壊僧の鉄則よ」
「なんと……。我が地区にいたあ奴と似た立場のものであったかあの小僧」
「ええ。貴方のとこは……ああ、彼女だったわね確か。その彼女と似た形で、最近になってこの区画へ訪れた宝戒寺はわからなかったでしょうけれど、アレは【特一級】の不知火家の者よ」
「すなわち?」
「ええ。手出し無用。今は、ね。一応、彼の家とは現時点で矛を交えてはならない。遺憾ながら聖僧院と不知火の双方で結ばれている条約よ」
その言葉に驚いたのは勇魚と静流だ。
どういう事だ、とばかりに視線を向けてくる。
「あー……」
九十九はぽりぽり頭を掻きながら、
「いや、思い出したの少し前なんだぜ本当? うちは聖僧院とは事を構えないって具合なんでこうして戦う形になったの自体が物珍しくてよ」
はっはっは、と気まずそうに破顔する九十九。
それならば家の名前を使ってくれれば戦いは避けられたのではないか、と勇魚は一瞬思ったが居候同然に保護されている自分達が家名を使うのは厚顔無恥だと気付いて言葉を喉の奥へと呑み込んだ。しかし普段鈍い割にこういう時は聡いのか九十九が注釈を入れてくる。
「ああ、けど勘違いするなよ? あくまで不知火だけ、だ。静流を護ろうとすると、戦うのは避けられなかったから――まあ、結果は変わんなかったかなって感じだ」
「そうでしたか……」
ではどちらにせよ事態は避けられなかったと言う事だ。
ただ驚くべきは、九十九の家柄が、そうした権力を持っていること。それは勇魚としてはまず驚きであった。しかし、
「不知火の鬼よ」
「……おお。なんだ?」
勇魚のそうした思考も、青蓮院の冷たい声に凍結する事となった。
「今は手出し厳禁だが、お前達も妖怪に違いは無い。いずれ、滅する。その事を覚えておくように」
「ふへー。やっぱおたくらはかなーり手厳しいなあ」
九十九はがっはっはと爆笑を零し、
「いいぜ。相手取る時がきたなら相手取る。不知火は力の鬼だ。バトルしてーってんなら負けは恥であり死。家名にかけて相手になるぜ」
「それはよい返事ね。戦う相手として、妖怪と言えど、そうまで言ってくれる方が清々しいというものよ。私は青蓮院歔欷。覚えておきなさい」
「おう、青蓮院か。覚えておくぜ」
その言葉を最後に、九十九と歔欷。二人は僅かな間、互いに闘気と殺気の視線を絡め合わせた後に背中を向いて歩きだす。不知火家と言う妖怪の名家に対する宣戦布告。
それが何時になるかはわからない。
しかしその光景を見ていた勇魚は僅かに胸を痛めていた。
本来ならば関わらずにすんだかもしれない、いずれは関わっていたかもしれないにせよ、これほど早期に相対する事は無かったかもしれない不知火と聖僧院。九十九と彼らの前へ引き出したのは佐伯勇魚だ。
助けを求め、それに答えてもらい、見事助け出された。少なくとも今は。
だが、それが少年を争いの渦中に導き出してしまった事に関して、勇魚は僅かに懺悔の念を抱きながら、歔欷と長徳、二人の後ろ姿を見終わった後に、
「……不知火君」
自分達の間をすり抜けて歩いてゆく少年へ声をかけた。
少年は宵闇の中で、無垢な笑顔を浮かべると、
「なーに、しけたツラしてやがんだよ。帰ろうぜ。夜の散歩はここまでだ」
そんな不安を毛ほども感じさせない様な快活な笑みで笑っていた。
騒乱あれど、夜は静かに静謐に更けてゆく。
すっかり静けさを取り戻した地で、少年少女は一先ずの安心を得て、やわらいだ表情を浮かべながら帰路につくのだった。
第九章 幕問:万雷火煙




