第八章 中篇:ソル・エト・フマニタス ★挿絵あり
第八章 中篇:ソル・エト・フマニタス
1
5月6日。ゴールデンウィーク最終日。
陽皐秀樹は玄関で決意を胸に靴を履いている最中にあった。時間としてはすでに五時を過ぎた頃の話である。玄関先で靴を履く、秀樹の姿を見ながら、エプロンに身を包んだ鮮やかなピンクブロンドを持つ綺麗な少女が不思議そうに声を発した。
「兄さん、こんな時間からどちらへ?」
兄さん、と自分を呼ぶ少女に対して秀樹は答える。
「ああ、ちっと用があってさ。メシは向こうで済ませてくるから悪いんだけど、今日は俺の分はいいや」
「そうなんですか。可愛い妹一人残してですか、わかりましたよ兄さん」
「笑顔すっげぇ可愛いんだけど絶対怒ってらっしゃいますよね、すいません!?」
「いえいえ、そんな。一人で食べるご飯のつまらなさとか決して理解を求めているわけではありませんから、安心して豪華な外食に勤しんできてください」
「やっぱり凄い怒ってるよな!?」
そんなツッコミ気質の兄に嘆息を浮かべた後に、
「少しだけですよ。と言うかそういう事があるのでしたら、もう少し早くに言っておいてくれた方が良かったのですが……。まあ、ご飯作る前でしたから構いませんが」
「おお、そっか。ああ、今度はちゃんと事前に伝えておくぜ、すまなんだ」
「はいはい。それにしても鍵森先輩さんたちという方々とですか?」
大方、そんなところだろうと少女は想像しながら問い掛ける。
兄の高校生活を訊いているが、鍵森や弦巻と言った友人の名前がよく飛び出している事からその辺りと一緒にご飯を考えているのだろうと推測した。
しかし、そんな妹を前にフッと額に指先を当てて妙にキザなポーズで秀樹は返答する。
「甘いな――ストロベリーより甘いぜ優佳」
「それは本当に甘そうですね。……と言うかそのポーズ何ですか?」
「俺ももう高校生だぜ? 男仲間とつるんで飯を食うだけの男じゃないのさ」
「え……」
ポカンとした表情を浮かべる秀樹の妹――陽皐優佳を前にピッと前髪を払いながら、秀樹は妙にイケメンな声で宣言した。
「今日はデート――本日の俺は女子とディナーと洒落込むわけよ! という事で兄の奮闘を期待して待っているといいぜ、優佳! んじゃな!」
その言葉を最後に秀樹は玄関の扉を開け放つと何故か一回転その場で回った後に外へと姿を消すのであった。
そんなよくわからない意味不明な行動を茫然と見送りながら。
陽皐優佳は背を向けながらポツリと呟いた。
「兄さんが……私以外の女とディナー……」
何故だかその言葉には背筋が凍る様な寒気がこもっていた。
3
秀樹が待ち合わせの駅前まで、あと少しと言う頃。
(いやぁ、まさか俺が休日に女子とお出かけとはな。それも美少女と)
秀樹は見事に浮かれていた。
生憎と彼が一緒に出掛けた事のある女性と言うのは何名かいるが、みな恋愛とは全く関係ない相手ばかりであった。同い年で言えば優佳がそうだが、彼女は妹である。
そういうわけで同学年にして美少女の明日香羽叶とのデートはことさら楽しみであった。
(まあ、相手にデートの意識あるかどうか知らねぇけど! 形的には似たようなもんだし盛り上がるのも悪くないんじゃね? 的なさ!)
あの誘われ方なのでデートかどうかは甚だ怪しいが!
それでも、秀樹はデートに近いと思い込む事としたのであった。実際はただの買い物の付き合いだが妹の手前ちょっと見栄を張ってみたりなんかしてしまった兄である。
(悪いなクラスメイトの男ども諸君――俺も弦巻に続いていい想いしてきちまってくるぜ!)
相手に意識が無いまでも今日頑張れば好感度が上がっちゃったりなんかするんではないだろうか! という意識の元、下心をちょっとだけ秘めつつ、秀樹はデートの待ち合わせ場所へと足を運んでいくのであった。
そうして歩く事更に数分。
目的の場所に辿り着いた少年は待ち合わせの、有名芸術家が仕上げたと言う太陽と月に星が交錯する近代芸術作品の置物がある場所へと視線を向けた。
電話で場所指定などを考えた時にわかりやすい場所と言う事で羽叶と調整したのだ。
(しかし、アイツ機械音痴そうに見えてとんでもない機械熟練者だったよなぁ……)
返答のメールなど僅か五秒で来た。その速度の速さに何度驚いた事か。
(まあ、今はそんな事は置いといて……アイツどこだ?)
秀樹は視線を巡らせる。
正直なところさっと見れば見つかると思っていたのだ。独特な雰囲気を放つ少女だし、イメージ的には多分ぽけーっと立っているか座っているかだと思えたので見つけるのはそう難しくない――そう、思っていた秀樹がある場所で眉をひそめた。
「あん……? もしかして、あそこか?」
秀樹はそう不審そうに声を洩らしながら気になったその場所へと足を進めていくのであった。
明日香羽叶はぽけっとしてた。
橙色の鮮やかな服装に身を包み、浮世離れした美貌を誇る少女はただただ突っ立ってほにゃんとしている。その姿に行き交う雑踏で男性は目を時折チラチラ向かせて、女性は羨望と可愛いと言う発言で感想を発する中で――少し変わった事案に接していた。
「チャオ、シニョリーナ! ねぇねぇ、お願いするよ、シニョリーナ。すこーしだーけ、お話する時間くださいませーヨ!」
目の前で先程から身振り手振り大仰なスーツ姿の金髪男性が語りかけてくるが気にしない。
何故ならば羽叶が約束があるのは本日一人だけなので正直な話、何故自分にこんなに語りかけてくるのかちんぷんかんぷんでぽけっとしている秀樹であった。
「シニョリーナ、名前はなんていうんだーい? ヘイ、ヘイ!」
「……」
ぽけーっとしながら奇矯な人物だなー、と思う羽叶である。
何時まで語りかけてくるのかよくわからないが、とりあえず秀樹が来るまで適当に受け流しておけばきっと平気だろうと思い現状維持である。
そんな二人の光景を行き交う人々は「アレなにかしら?」、「あの人何か見覚えあるんだけど」、「あの女の子ちょー可愛くない?」と好奇の視線を浮かべながら歩き去っていく。
「シニョリーナ、立ちっぱなしは疲れないかい? そこのカフェでお茶でもどーう?」
「疲れたら、座るから、平気」
「いや、スカート汚れちゃうから座るのは止めたらどーう……?」
「汚れても、洗えば、だいじょーぶ、だよ?」
「何と言うアグレッシブ精神……!」
基本衣服がどうとかは問題無しの羽叶であった。
だから図書館でも床に堂々とぺたんと座っているのである。最も、芳城ヶ彩の大図書館は相当清潔にはされているが……。
「ともかくおじちゃんとお話ししようよシニョリーナ! 大事なお話があるんだ!」
「大事な、お話?」
そこでぴくりと表情を動かす。
大事なお話――と言う語句は彼女にとって父親関係でよく訊く単語なのでつい反応を示してしまった形になる。
「そう! おじさんと一緒に来ればもれなくシニョリーナは大変お財布が潤ったりするという意味でも人気爆発と言う意味でも――」
「いや、何に勧誘してんすか、おっさん」
ポン、とそのおじさんの肩を掴む秀樹。
その時、秀樹は思わず表情を一瞬驚きに染めたが、すぐに平静に戻って、
「そう言う勧誘はもっと夜に行いません? っつーか未成年誘うのはダメっしょ」
と少し威圧感を込めて告げる。
そんな秀樹を見て羽叶が無表情ながらも何処か嬉しそうに、
「ひでき、きた」
と、声を零す。
可愛い反応だな! と、若干興奮しつつ秀樹が無駄にイケメンスマイルで。
「フ、来たぜお前の愛する秀樹君がな!」
と、調子に乗ってみた。
「……?」
「いや、すまん。そこはその反応以外じゃないと秀樹君照れちゃうから止めような」
きょとんと首を傾げられて秀樹は辛そうに顔を両手で覆った。
せめて顔を赤くして怒るなりなんなりしてくれた方がまだ良かったし、ふざけた事言うな的な態度を求めたのだが、不思議そうに首を傾げられただけで秀樹に若干のダメージであった。
そんな秀樹を怪訝そうに見ながらもスーツの男は途端顔を明るくして、
「オウ、シニョーレ! シニョーレはシニョリーナのコレかい? コレなのかぁい?」
と、小指を立てながら鼻息荒く迫ってくる。
秀樹としてみれば若干予測外の行動であった。とりあえず何だろうかこの恋愛事にやかましく突っ込んで興奮してくる親父みたいな反応はと思っていると彼の服の袖がくいくいと引っ張られた。見れば羽叶が何か聞きたそうにしているではないか。
「どした?」
「ひでき、これって、なーに?」
「……」
さてやはりというべきか。
羽叶は意味をご存じ無かったらしい。とするとここでふざけて『よく分かったなおっさん。そうさ――この俺こそ明日香のコレさぁ!』と言うのは気が引ける。
「別にそう言う間柄じゃないっすよ」
「オウ、そーなのかい? In bocca al lupo――まあ、落ち込むない、シニョーレ」
「何で俺アンタに励まされてんだろうな?」
ぽんぽんと肩を叩く男に怒気を放ちつつ、
「ともかくコレでもソレでもねーけど、コイツに関わるのはこれ以上は止めておいてやってくれねーか? 迷惑してんだろ?」
「迷惑だって? 気にもされてない感じしかしなかったよ、おろろーん!」
「泣くなよ! いや、確かに気にもしてなさそうだなーとは思ったけど!」
「うん、気に、してなかった」
「明日香も正直に言うのは止めるんだ!」
ともかく、と秀樹は語気を強めて、
「アンタもさ。こんな堂々と援交持ちかけるとか止めておけって。皆見てるんだぜ?」
「援助交際? ノ、生憎と私がシニョリーナに持ちかけたのはそんな不埒なものではあーりませんことなのヨ☆」
「……そうなのか?」
不審そうに柳眉をしかめる秀樹に対してコホンと咳払いし、男は名刺を取り出した。
「自分、某会社のシャチョサンであり、アイドル勧誘を熟すスーパーエリートなわけですよ」
「社長の発音の時点で怪しいんだがな! って言うか、アイドル……!?」
驚愕しながら男の顔を見た後に羽叶を見る。
ぽけっとしていた。
「……いや、向かないと思うぞコイツ」
「磨けば光るって言葉を舐めちゃノよ、シニョーレ!」
サムズアップで白い歯を輝かせながら言う男の顔面を無性に殴りたい気持ちに駆られた。
「っと、しかし生憎ながら時間かーね。悪いねシニョリーナ! おじさんここまでだよ! でも、まあ興味があればそこの電話番号にパピポっとっしておくれーナ!」
腕時計を一瞥して少し申し訳なさそうな表情を浮かべると二人に「チャオ!」と告げてから軽やかなスキップで去っていってしまった。
無駄にキレのあるスキップだったのに感心しつつ、
「なんだあの胡散臭い男は……」
と、想いながら秀樹は名刺を確認する。
そこには『ハピネス代表取締役社長 ドナテルロ=ピアッツァ・デラ・プリマヴェーラ』と言う恐らくはイタリア人と思しき名前と、
「ヤベェ……」
「ひでき、どうした、の?」
「いや……」
秀樹は記載された名前を見ながら「すげぇ聞き覚えある……」と声を発する。
「そう、なの?」
「ああ。プリマヴェーラ社長って言えば、アイドル事務所ハピネスの社長だぜ? テレビにだって多くのアイドルを輩出している敏腕で、そう言えば勧誘には自分自らも出向いたりするって訊いた事があるなぁ!?」
ヤバイ人に啖呵切ってしまったかもしれない。
秀樹は汗をかきながら渋面を浮かべた。
「いや、俺の事はいいや。考えてもわかんねーし、あの人案外気にしてなかった感もあるし」
「そう、なの?」
「そういう事と思っておきたい」
おかないと怖いとは口が裂けても言えなかった。
「と言うかお前に申し訳ない事しちまったかな? この会社に誘われるってのかなりのもんだぜ? 業界大手だし……、アイドルへの道を閉ざしちまったんじゃ……」
「別に、興味ない、よ?」
首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。
確かに――尋常では無く興味無さそうだと思えた。
そもそもアイドルが似合うタイプではない。
「敏腕社長……コイツは無理っすよ、うん」
「?」
不思議そうにきょとんとする羽叶を前に秀樹は嘆息を浮かべた。
「いや、なんでもねぇ。それよか行こうぜ、明日香」
「あ、うんー……♪」
羽叶は表情を僅かに綻ばせた。
無表情気味な少女だが感情表現は意外とあるよな、と秀樹は嬉しく思った。
2
「それで? まずは本屋行くんでいいのか?」
羽叶と綺麗な商店街の街並みを歩きながら、秀樹はおもむろにそう問い掛けた。
目的が本の購入なので、まずはそこかな、と考えた問い掛けであったが、羽叶は少し黙った後にふるふる首を振る。
「ニール。本屋は、後に、したい」
「へぇ、そうなのか?」
内心『ニール』って何だと思いつつもおそらくは『いいえ』のニュアンスなのだと考える事とした秀樹である。
「トー、本は、重いから」
「ふむ、まあ確かに……」
「けどご飯の約束もしてるからそれまでは後回し、で構わない」
「そりゃありがたいけど――いいのか、早く読まなくて?」
「読みたいけれど、急ぐわけでも、ない」
無表情のままそう言葉を羅列する。
「まあ、それもそうか」
そもそも早く読みたいのであればもっと早い時間指定になっているはずかと考える。
それこそ午前八時や十時の時間になっていただろう。
「けど、後でもいいなら密林とかで買うのでいいんじゃねぇか?」
密林。
ネットで注文出来る宅配サービス大手だ。秀樹も利用するが相当に迅速な企業なだけあって早ければ今日中、明日までの時間に届く程に。
「ニール。本は、自分で、買いに、いきたい」
「なるほどなあ」
こだわりの様なものなのだろう。
「書店は、本が、たくさんで、楽しいん、だよー……♪」
「本当に本が好きなんだな、明日香は」
「トー♪ おとー、さんが、小説、書いてたり、するから」
「へー。親父さん、小説家なん?」
「トー♪」
なるほど、その影響なのかと秀樹は納得した。
父親が小説家だからおそらくは幼少期から本の世界に没頭する形になってきたのだろう。だから羽叶は読書愛好家になっている――といったところだろうか。
「まあ、本を後に回すのはわかった。けどさ? それならそれまでどうするよ? 時間的にメシにもまだ若干早いぜ?」
「えとね」
羽叶はそう言われると少し指先をもじもじと可愛らしい仕草を始めた。
なんだこの可愛い仕草と秀樹は思いながら言葉を待つと、
「色々なお店、見て、回ったり、したい」
「お、そうなん?」
「トー。私、そういうの、あまり、させて、もらえなくて」
「家の人厳しいん?」
「どうなの、かな?」
小首を傾げて悩む羽叶。
だが父親への反応を見る限り家族仲は左程悪くは無さそうに思えた。
(いやけど、小説家って事は部屋に篭っててあんまり一緒に出掛けた事が無い、とかなんかね?)
色々憶測は出来るが流石に判別は難しい。
だがまあ、とりあえず。
「うし! そういう事ならわかったぜ。ともかく店を色々廻りたいって事だよな」
「そう」
「ならお任せだって。俺は店の事に関しちゃある程度なら情報通よ。面白そうな店を色々案内してやるよ」
「本当?」
「おうとも」
自信満々にそう胸を叩くと羽叶は嬉しそうに微笑を浮かべた。
同時に耳元の羊の角みたいな髪型がぴょこんぴょこんと弾んだ様に見えたが秀樹は気のせいだろうと目を擦った後に「んじゃ行くか!」と告げて羽叶の前を歩きだした。
ところで羽叶が「うー」と不満そうな声を零す。
「……どしたん?」
「ひでき、はやい」
頬を膨らませて不満そうにしている。確かに羽叶の歩行速度はそこまで早いわけではない。それに比較的小柄な事も相まって平均身長よりも上な秀樹と歩幅の差が大きかった様だ。
「悪い悪い。調整するからさ」
「ん。後、掴まって、いーい?」
「掴まる?」
「うん」
そう言いながら羽叶はにぎっと秀樹の右腕を握った。
握手ではない。手首付近だ。
(なんだこの妙な手つなぎ)
とはいえ、握られるのは悪くは無い。内心『うへへ』となりながらも、秀樹は「じゃ、放さない様にしっかり掴まっておくんだぞ?」と語りかけるとコクンと言う返事が返ってきた。
「うし、じゃあ――行くか」
そうこうして陽皐秀樹と明日香羽叶のデートは幕を開けたのであった。
5
結論から言って羽叶は異様な程に色々なものに興味を惹かれていた。
異様な程にと言っても何か見かけるたびに『あれ、なに?』と尋ねて興味津々と言う子供の様なものではなく、秀樹に尋ねかけてくるわけではない。どちらかと言えば「ひでき、あそこ、入ってみたい」と手をひいてくるのだ。
どうやら読書愛好家だけあって店舗の知識等は得ているらしい。
ただし最先端の流行には疎い様だ。
そうして羽叶につれられる形で秀樹は様々な店に足を運んだ。
飲食店から、洋服店、ゲームセンターに至るまで様々であったが、流石に飲食店にご飯前に入るのはアレなので制止したり、洋服店では完全女性専用に入りかけて停止を促したり、ゲームセンターでは不良達が丁度抗争を始めようとしていたので即座に引き返したり等様々な形となっていた。
「ひでき、ゲーム、してみた、かった……」
「お前ね。アレ見てなかったのかよ、喧嘩勃発中みたいだったぞ? しかも『栩ヶ窪に荒網代浦、端山の三人の仇討じゃあ!』って血気盛んだったじゃねぇか。巻き添え喰らったら本当ただじゃすまねーっての」
「……どこのだれ、なの?」
「俺が知るかよ。まあ、仲間とかじゃねぇの?」
しかし物騒な光景であった、としみじみ思う。
ゲームセンターに不良は確かに似合う光景だが店内で喧嘩しそうになるとはご近所も色々大変だと思う秀樹である。
「こうなりゃ癒しを求めて――あそこに入るぞ、明日香」
「あそこ? どこ?」
羽叶がきょとんとしながら視線を向けた。
そして羽叶は秀樹の指差す看板を凝視すると店名を淡々と読み上げる。
「ペットショップ『ロゼ・ピエール』……?」
入店後程無くして。
「ふわぁ……♪」
羽叶は水槽を泳ぐ魚を見ながらキラキラと瞳を輝かせていた。水中を揺蕩う綺麗な色彩の魚を見ながら目を輝かせる――それは実に和やかな光景だ。
秀樹も思わず綻んだことであろう。
規模が水族館を思わせる水槽でなければ。
「デカ過ぎじゃないっすかねぇ!」
前に先輩に『すげぇ、ペットショップ見つけたから今度行ってみろよ!』とメール寄越された事があったので試しに足を運んでみれば想像以上に店内の規模がデカくて思わずツッコミを放つ秀樹である。天井を通して泳ぐ魚の群れはどこかの水族館を思わせるし、中央で戯れる動物たちの敷地も相当大きい。
「ははは、インパクトのあるペットショップを狙ったら大変な事になってしまってね」
そう微笑を浮かべながら気さくな対応を熟すのは実にイケメンな20代半ばと思しきお兄さんであった。鮮やかな黄緑色の頭髪をポニーテールに結った中性的ながらも服装で男性らしさを醸し出すお兄さんである。
「まあ、好きに見て行ってください。関心のある子がいれば説明も致しますし、飼いたい子がいれば世話の方法もお教えしますので」
「はい、ありがとうございます」
秀樹が軽く感謝すると「いえいえ」と手を振って店の奥へと姿を消す。
「しかし、なんつー規模のペットショップだよ」
ペットショップアトラクションとでも銘打つべきではないだろうか。
「ひでき、ひでき」
「ん、どーした明日香?」
「この子、かわいー、ね」
無表情ながらもほわぁっと喜色が発散されている羽叶が胸に抱く生物を見て「む?」と小首を捻る。ふわふわとした子犬だが、犬種が見覚えがないタイプで微かに小首を傾げるが何処かに見覚えがあった気もする秀樹である。
「みふー、って、あった」
「みふー♪」
みふーがふわふわな手を動かして愛らしい鳴き声を発する。
「何か聞いた感じのネーミングだな……犬か?」
「きっと」
「明日香って犬好きなん?」
「どっちかって、言うと、キマイラの、方が、好き」
「神話の動物過ぎやしないかねぇ!? この犬っぽいので満足しとけ!」
「しょぼん。けど、わかった」
「みふー♪」
羽叶がコクリと頷く中でみふーは愛らしい声で鳴く。
「確かに可愛いな」
「みふ、みふふー♪」
「撫でると、ふわふわ、なんだよー」
触り心地を確かめてみれば恐ろしい程にふわふわである。
思わず欲しくなった秀樹だが如何せん、こういう犬種は高いのが相場だ。
「気持ちはわかるが置いてきた方がいいって。絶対高いしさ」
「そう? ちょっぴり、残念」
羽叶はでも仕方ないね、と言う様子で眉をひそめると「ゴメン、ね」と頭を撫でながら元いた場所へと足を運ぶ。その際にみふーが『またねー♪』とばかりに元気よく手を振ってばいばいしていた。
「なんだあの賢さは……」
そもそも犬だったのだろうか、と秀樹は不思議に思う。
その後も何故か飼育されているライオン、象、キリン、シマウマ、マンボウ、サメ等の様々な動物の登場に叫び声を上げる秀樹と、興味を惹かれてぽけっとしながら寄っていく羽叶を必死で制止をかけたりして騒がしさに満ちた鑑賞を続ける二人であった。
3
ペットショップ『ロゼ・ピエール』を後にした羽叶が次に興味を示したのはポップコーンの店だった。店と言うよりも厳密には屋台形式の様で、クリアケースの中で少量のコーンが弾けると大量の白いポップコーンに変わる様子に羽叶は興味津々と言った様子で注目しはじめた。
「ポップコーンも初めてなのか?」
「うん」
「なら面白いだろうな」
子供の頃ポップコーンの作り方を見た時は羽叶同様に興味津々だったのを思い出す。
そんな二人の様子に店主のサングラスにアロハシャツと言うハワイアンな服装をした男性が喰い付いた。
「お兄ちゃん達デート? ならポップコーン買ってくべきだぜい。見てみ、この多種多様なフレーバーの数々をよ!」
「デート、違う。買い物」
「がふっ」
さりげないサクッとした否定に傷つきながらも、
「確かに味たくさんあんだな」
「だぜい?」
見てみな、と店主は告げた。
「口にした瞬間にねちょっとした独特の食感とあまーい味が楽しめそうな当店にしかない新作フレーバー『水あめ納豆コンデンスミルク味』だぜい!」
「納豆が全てを蹂躙してるよなそれ絶対!?」
「こっちは健康志向に『ミネラルウォーター味』ぜい!」
「それ何か味はあるんだろうな!?」
「更にこれは七味をたっぷり効かせた上にうどん汁に浸せた事でまさしくうどんそのままと言える『七味唐辛子 in UDON味』!」
「ポップコーンふにゃふにゃで喰いたくねぇし!」
「更に更に『青汁ゴーヤシュールストレミングMIX味』! ただし作ってないぜい!」
「作って無いのメニューに入れるなや! っていうか絶対匂いで苦情来た結果だろうそれ!」
「なーんのことだぜーい? ああ、それとコレもおすすめ『スピリタス味』!」
「お前、絶対にポップコーンに酒ぶっかけただけだろ! 喰えねぇよ、度数96なんざ!」
「最後は定番の『ソルト』ぜい!」
「最後に凄まじい安心感を感じたわ!」
「さあ、どれをご購入か決まったかぜい?」
「一連の流れで買う気が起きるとでも!?」
「ひでき、これ食べたい」
「明日香さん、起きちゃったの!?」
そう言う羽叶が指差す先には『キャラメルミント味』と言う文字の他に実に美味しそうなフレーバーが多種明記されていた。
「普通のを紹介せいや!」
「際物を紹介してこそ商売人だぜい、兄ちゃん☆」
サングラスの下でウインク発しただろう屋台の青年店主に甚だ殴りたい意識が湧く秀樹であったが羽叶の要望通りに『キャラメルミント味』を購入し、
「また来るんだぜーい、ごっひいっきっに~♪」
「いつかまた気が向いたらな!」
と、手を振るふざけた店主へ背を向け怒号を放ちつつ歩き出す秀樹であった。
その後の行動もまたある種一貫性に富んだ形であてもなく、羽叶が興味を示した場所で問題が無いところをぶらぶらとする形を取る。軽く洋服店を訪れたり呉服屋を気まぐれに覗いてみたり街中に店を構える場所の気安く購入出来る肉まんやから揚げなどに目移りし、買い食い等を楽しそうに二人していった。
そうしてしばらく街中を散策した後。
秀樹はお腹を擦りながら喜色の篭った声を発する。
「あー、喰いまくったぜー」
「ひでき、よく、食べたね」
羽叶がほぉ、よ感心する様な声を上げる。
秀樹はからから笑いながら頷いた。
「まな。元々喰うのは好きなんよ」
「そう、なんだ?」
「おうよ。メシ喰う時ってさ。やっぱ幸福に感じるものなんよ」
「ひでき、楽しそうに、食べてた、よね」
「ああ。学食とかでも色々喰うしさ。満腹牧師――ああ、クラスメイトの一人で雪洞って奴がいるんだけどソイツなんか喰う事ばっかなんだぜ? ただ、料理が美味いのなんのって感じでなー」
「満腹牧師……不思議な、綽名、だね」
「牧師さんみたいに気性が穏やかな奴だからな。たまな休みとかに料理して振る舞ったりするんだぜ? 面白い奴なんだな、これが」
「ひできの、友達?」
「ああ、大事なクラスメイトで友達さ」
普段から騒がしい事この上ない学友たちを思い浮かべながら秀樹は笑顔を浮かべる。
中には約二名、痴漢騒動絡みでよくも蹴っ飛ばしてくれたな、と思う輩もいるが、そいつらも含めて何だかんだ面白い奴らばかりだと思う秀樹である。
「そういうの、いいな」
羽叶はそんな彼の横顔を見ながら困った様に微笑を浮かべた。
「そうか?」
秀樹は問い掛けると羽叶は苦笑を浮かべながら頷いた。
「私、そういうの、いない、から」
「おおー……」
秀樹は気まずげに声を発した。
確かに図書館によく篭っているこの少女が友達が多いイメージと言うのは左程湧かない。クラスメイトの千疋の話から言ってもふっと消えているらしい。
「休み時間とかに話すりゃーいいじゃねぇか?」
「なに、話せば、いいのか、よく、わかんない」
しょんぼり気味に羽叶が呟く。
無表情ながら柳眉が垂れているので困っている様子は丸わかりだった。
「話題ねぇ……ニュースとか、新聞とか時事ネタとか……まあ、その辺に面白い店があったよーみたいのでいいんだけどな……」
「そっかぁ……」
むむ、と唸る羽叶。
(まあ、言われてどうこうって早い話でもねぇのかな、こういうのは)
内心苦笑を浮かべる。
確かにこの少女は――人見知りと言う程の印象は無い。なにせ初対面の自分にも普通に会話が出来ていたのだから。おそらくは会話のネタやらタイミング――そう言うのが不得手なのではないかと秀樹は考える。
「なら部活とかどうよ?」
「部活?」
「おう。芳城ヶ彩って部活すげー多いじゃんか? 明日香にも合う部活とかって絶対あると思うんだよな。そりゃ、野球部とかはイメージわかねぇけどさ」
「野球部、目指せ、甲子園」
「そー、その野球部な。……アレ、けど野球部って話に訊く限り、何か四つくらいあるって訊くけど大会とかどうなってんだ……?」
「野球部は、学院内で、トーナメントの、勝ちあがりで、出場部活、決めてる、らしーよ?」
「あの学院本当に覇権争い熾烈だな」
運動部そんな事になってるのか、と秀樹は思わず肩を落とした。
「まあ、いいや。野球部は関係ねぇし。それよか文芸部とかどうなんだ?」
「文芸部?」
「明日香、本とか好きならありかなーって思ってさ」
「うーん」
羽叶は目を瞑って思案する様に唸った。
しばらくして目を開くと無表情なままでふるふると首を振った。
「ニール」
「文芸部は合わないって感じか?」
「読書は出来るけど、執筆とかは、やったこと、ない……」
「ああ、そっかー。けどまあ、今度試しで行ってみればどうだ? 案外やってみたら合うって事もあるかもしんないぜ?」
「ん。……そうしてみる」
羽叶は小さく頷いた。
「それで、ひできは、どこの、部活?」
「俺?」
「トー」
「俺かー。俺は実は超マイナーな部活なんよ」
「ノミ研究会?」
「マイナーでそのアンサーが返って来た事に驚きを禁じ得ないぜ。確かにマイナー過ぎて誰が入ってるのかって次元だけどな!」
「科学部、とか」
「有り得そうだな、すごく。科学部だけはガチで守備範囲広いって訊くしなー」
何でも科学に携わる天才が大勢いるらしい科学部は洒落にならない規模を誇ると訊く。
その上中には芳城ヶ彩の設備が凄すぎて他の研究室に移りたくないあまり、留年を繰り返す猛者もいると訊いている程だ。
「それで、ひできは、どこなの?」
「ああ、俺はその――トレジャー部って言うかさ」
「トレジャー部?」
羽叶がきょとんと言葉をオウム返しする。
秀樹は「そそ」と軽く答えた。
「まあ、活動内容は『学院内部を探検し、また色々な事に取り組む』っつーかなり適当な様な幅広い様なそんな部活なんだけどな」
「トレジャー部……」
「う。へ、変な部活だなーとか思ったりしてるか?」
確かに新興の部活なので知名度も致命的かもしれないが、面子が秀樹にとっては友達であるので変に思われるのは若干嫌だった。
「ニール」
しかし羽叶は首を振る。
「そうじゃなくて、何か、聞き覚え……見覚え? ある、ような」
「え、マジで?」
「トー」
「へぇ?」
秀樹は不思議そうに目を見開いた。
(――もしや、恭介先輩の奴、明日香のとこにも勧誘に行ってたりすんのかね?)
ありえる。
あの神出鬼没の先輩であれば、『図書館の妖精』など知ったなら接触を図らないわけもないだろう。だとすれば勧誘に行ったはいいが、読書中で相手にされなかったなど、可能性は無下には出来ない。
「でも、トレジャー部、楽しそう、だね」
「ん? おお、楽しいっちゃ楽しいな。まあ、身内ばっかなのもあんだけどさ」
「そう、なの?」
「おお。四人しかいねーもん、今」
「最低人数……?」
「ああ、創立がようやく出来るって感じだな。部長の『ヴァルト』に副部長の『プロフェッサー』、それに『ホトトギス』とこの俺『サンライト』って感じで」
「……秀樹の本名、サンライト?」
そう言われるとハッとしてあたふたとする秀樹。
「いや、違うんだな、これが。なんつーか部長の趣味で部員にコードネームがついたりしちまってさ。感化されてきてんな俺も……」
普通に名前で言えば良かった、と若干恥ずかしくなる秀樹である。
羽叶はくすくす笑いながら「でも、かっこいー、よ」とフォローを入れてくれた。
「たのしそーな、活動だね」
「まあなー。まあ、ほとんど何もやっちゃねぇけどさ。もうそろそろ本腰入れて活動始めようぜって話にはなってんだ」
「へー」
「あ、何なら明日香も見にきてみるか? 一応女子の先輩いるらしいぜ」
「そうなんだ?」
「おお、『プロフェッサー』言われてる人がな。先輩が『奴は秘密設定だから顕れ難いがな』とか言ってはいたが……」
「そっかー」
羽叶はふーんと無表情ながらも少し感心はあるのか「今度、見に行く、ね」と返答した。
「おう。さて、ここからが本題だが明日香さんや」
「なーに、ひでき?」
小首を傾げる羽叶対して秀樹はコホンと咳払いして答える。
「……晩飯……どないします?」
「……」
羽叶も思わず眉をしかめた。
なるほど時刻は確かに七時を過ぎている。夕餉と言う意味ではベストタイミングというものだろう。だが問題は何を食べるかと言う話だった。
自慢ではないが――二人そろって買い食いを、たくさんしてしまった。
無論、腹に入らないというわけはない。
しかし食べ過ぎは良くないと言う言葉はよく耳にする話だ。
「軽食? サンドイッチ、とか?」
羽叶はパッと思いついたものを口にする。
「サンドイッチなー……、出来れば肉らしいのが喰いたいかな。明日香は何か食いたいもんあるか?」
「私も、出来れば、お肉系、かな」
「おお、そなん? へー、結構小食系とかかと思った」
「意外?」
「おう、意外意外」
「お肉、おいしーんだ、よ」
ぐっと小さく拳を握りながら無表情ながら力説している。
どうやら食事に関して一応の関心は強く持っている様だ。
「じゃあ肉系で軽食と……おお、そうだ!」
「何か、浮かんだ、の?」
「いや一番に浮かぶべきだったわ、失念失念」
「どこ?」
美味しいところがいいのだろう羽叶の瞳の輝きが普段より若干増している気がする秀樹だ。
そうして彼は「確かな」と前置きして。
「丁度もう少し先に行った所に見えてくるはず……」
その言葉に従い二人少しばかり歩いた先で秀樹が「お、あった!」と声を上げた。
羽叶はその声と指の先へ視線を巡らせてみると、そこに見えたものを見て顔を輝かせる。無論無表情だが瞳の輝きが違う。秀樹は「お、おお、どうした?」と声をかける。
そんな二人の視線の先にある店は丸いパン生地の間にレタスやトマト、それに特徴的なハンバーグが挟まれている見た者の心をウキウキさせる食べ物――ハンバーガーの立て看板が置かれてあった。緑に赤、茶色とハンバーガーを意識した様な装飾にシックなブラックの色彩が目立つその店の名前は『フローライト』。
近隣では有名なハンバーガー店である。
4
店内へ入るとそこは活気に溢れている場所であった。
そして香ばしい肉の香りや揚げ立てポテトの匂いが鼻孔をくすぐる。白を基調とした店内は清潔感に溢れており、座席は落ち着いた黒のテーブル席がずらりと並んでいた。一店舗ながら広めの店内はお客に溢れており、なんとも壮観である。
そしてそんな光景を見ながら羽叶は興味深そうに辺りを見渡していた。
「ここが、ハンバーガー店……」
そんな彼女の様子を見ながら秀樹はもしや、と考えて問い掛ける。
「ひょっとして――ハンバーガー店初めてか?」
「ハンバーガー、も、初めて」
「マジか」
秀樹は驚嘆する。
まさか若者世代でハンバーガーを食した事のない者がいるとはと言う驚きだ。
「ひょっとして、明日香ってかなりお嬢様とか……?」
「お嬢様……? か、どうかは、よく、わからない」
「家とかどんなサイズ? この店の何倍くらいよ?」
「うんと……」
羽叶はぽそりと呟くときょろきょろ辺りを見渡した後に呟いた。
「多分、六倍、くらい」
「うん、お嬢様だな」
うんうんと秀樹は頷く。
この『フローライト』は店としてはかなり大きい方だ。その店をもって六倍と言う数値が返ってきた以上は間違いなく豪邸。とすればお嬢様だろう。芳城ヶ彩の生徒は大抵、お金持ちの家柄や一般家庭よりも少々上だったりなケースが多いのだから当然と言えば当然だ。
「けどハンバーガー食べた事がねぇとはなー……美味いのに」
「ファーストフードは、体に、あんまり、よくないって、言われてるから」
「なるほど、健康志向だな」
秀樹は肩をすくめて苦笑する。
「だから、食べた事なくて」
「なるほどな」
うんうんと頷く秀樹に羽叶は少し間を置いた後にハンバーガーの写真をじーっと注視しながらぽそりと小さく声を零す。
「……一度、食べてみたいなーって、思ったりは、した」
「まあ、体にいい食事とは言えないかもしんないけどさ。喰いたいものが喰えないってのも体に良くないと俺は言い切るぜ」
秀樹がそう言うと「ん」と嬉しそうな声を上げる羽叶。
「おとーさんたちには、ないしょ」
「おう、秘密な」
ニシシ、と悪戯少年の表情を浮かべる秀樹に対して羽叶はくすくす笑いながら「トー」と嬉しそうに頷く。
「それと一応ここのはそんなジャンクフードって感じは無いから安心しとけ」
「そーなの?」
「まあ、実物を見ればわかるな。早速注文だ!」
秀樹にそう言われて羽叶は彼の後とひよこの様に親鳥についていく如く歩いていく。
そうしてカウンターの前までくると店員と思しき若いイケメンの青年が「いらっしゃいませー♪ ご注文お決まりでしたらお伺い致します」と声を発した。
「おう、成瀬。注文頼むわ」
「かしこまりましたー♪」
「あれ、何か凄い接客体勢だな今日は」
「そう、なの?」
「普段なら空いてる時間は雑談してくれるからな」
店員と気軽に談笑する秀樹に対して不思議そうにしながら羽叶が問いをはっすると、秀樹はブイサインでそう返答した。対する『成瀬』と言うネームプレートをつけた店員は嘆息を浮かべながら、
「空いていると一概に言えない時間な上にお連れさんがいるからだからだよ、陽皐」
「おお、なるほど」
流石だ、と秀樹は声を零す。
「しかし、これはまた――珍しいな」
そんな秀樹を余所に成瀬はちらりと視線を秀樹の連れである羽叶に向けて刹那、目を細めて驚いた様に目を見開いた。
「ふふ、どーよ、イケメン。俺だって女連れになったりするんだぜ?」
「女連れ?」
「決めているところ悪いが、お連れさんきょとんとしてるぜー?」
くすりと微笑ましげな微笑を浮かべて返されてしまい「くっ」と悔しそうな声を発する秀樹である。
「あーそうだよ、ただの荷物持ちだよ悪いか!」
「悪かねーよ、偉いじゃねーか」
「お前邪気無く返してくるからホント厄介だわ」
まぁいいや、と頭を一掻きした後に「オーダー頼むな」。
「あいよ、了解。ほら、ご注文どうぞ」
「何か最新作とかあるか?」
「店長が、お砂糖と、スパイスと、可愛いものいっぱいで作ろうとしたが、ケミカルなんとかという薬品が無くて断念したばっかだからな。特には無いかな」
「店長何を可愛い女の子作ろうとしてんの?」
それもパワーパフな女の子達になりそうな気配に秀樹驚愕である。
しかし最新作は無いと言う事なので、
「んじゃ、順当に『ギガフローライトバーガーDX』にドリンクはMサイズでコケ・コーラな。ポテトはLで」
「オーケー。ギガフロDXにコケ・コーラMサイズ、ポテトLと」
「ほれ、明日香は何喰う?」
「えっと……」
羽叶は少しあせあせした様子でメニューを見ながら、
「ギガフローライトバーガーDX……?」
と、小さく声を発した。
店員の成瀬が苦笑を零す。
「お客様、陽皐が注文したものは止めて於いた方がよろしいですよ」
「そう、なの?」
「ええ、コレは基本――大食感が挑む奴ですから」
「……」
羽叶がジト目で睨んできた。
軽食と言ったのは何処の誰だ、と言っているかの様であった。秀樹はサムズアップしながら『男女の軽食は規模が違うぜ!』と返しておく。羽叶が肩を落とした。
「それ、じゃ……どーしよ……」
初来店という事もあり勝手がわからないらしい。
秀樹はメニューを見ながら「そーだなー」と声を零して。
「初めてならやっぱチーズバーガー……いや、ここはフローライトバーガーが一番かね?」
「当店のハンバーガーで、と言う意味でも、初めてハンバーガーを食べると言う意味でもおすすめはそこになるかな。一番ハンバーガーの王道だし」
「じゃあ、それで」
「かしこまりました、フローライト一つ、と。ご一緒に飲み物やポテトは如何でしょうか?」
「飲み物は、アイスティー、Mサイズ。ポテト……美味しい?」
「当店はポテトも最高のものをカラリと香ばしく揚げており、とても美味しいですよ」
「じゃあ、Sサイズで」
「はい、ポテトSサイズと」
そうして成瀬は手馴れた手つきで注文を確認していき、会計金額を出したので秀樹が二人分を支払った。その際に羽叶が自分が払うと約束通りに言い出したが「じゃあ、この後どっかのカフェ寄りたいから、そこで頼むよ」と交渉したところ「ん」と納得した表情を浮かべる。
初めてのハンバーガーなのだ。
なんとなくおごってやりたい気持ちに駆られた秀樹であった。
「それと、明日香。あそこの席座っててくれるか?」
「?」
「いや、席取っておかないとだからさ」
「トー、わかった」
羽叶は頷くと席へ向かって歩いて行った。
「なんとも素直な良い子そうだな」
そこでカウンターでニヤニヤと笑みを浮かべながら成瀬が声を発した。
「だろ? 何て言うか小動物的な感じの奴なんだ」
「確かにそんな感じだな。しかし珍しい――本当に珍しいな」
「珍しがり過ぎだろ! 俺どんだけ女にモテないと思われてんの!?」
「いや、陽皐は女にモテるだろう?」
「そこできょとんと返す辺りが憎らしいな……!」
「はっはっは、そりゃ悪かったな」
からからと楽しそうに笑って返す成瀬。
人柄も相まって中々余裕な態度が崩れない店員だと秀樹は思う。性格以外にも日本人離れした容姿に爽快な風の様な天然と思しき銀髪も相まって、『フローライト』では女性人気の激しい店員なのである。
(事実、厨房では女性店員がちらちら見てるし、隣の女の子も何か見惚れてるしさ!)
なんともイケメンな店員――それが成瀬であった。
基本イケメンなど敵視する秀樹だが、こうも好青年では憎むのも男らしくないと感じてしまうくらい爽やかないい奴なので秀樹としても不愛想に接するのは好ましくない。
「けどまあ、お褒めの言葉にさせてもらうぜ。あんがとよ」
「ああ、どういたしまして」
「でもお前に言われてもしっくりこないぜイケメン」
「イケメンと言われりゃ照れるけどな」
「照れるな。女にモテモテなお前に言われると自信が溢れるんだか、喪失するんだかわかんねーから複雑なんだぜ?」
「難儀な事言うなあ」
からからと面白げに笑う成瀬。
店の奥から「なになに成瀬君のコイバナ? マジで?」、「好きなタイプとか言うかな」と言う小声が聞えてくる。おそらく成瀬にも聞こえているはずだが、彼はくしゃりと苦笑を浮かべるだけで何かを言う気配はない。
何時か女性問題で難儀するのではないか、と秀樹は心配になる気分だ。
「お前、本命絞らないと刺されたりすんじゃね?」
「余計な心配してんなって」
臆する気配も無く、平気平気と零す成瀬。実に肝っ玉が据わっている。何に対しても動じないこのどっしりとした腰の落とし方も彼の特徴だ。
そうこう談笑を交えている間に時間は過ぎて注文の品が完成した様で、成瀬がトレーに品を綺麗に配置し始める。
「まあ、ともかくとして――さて、お待たせしました」
「お、来た来た」
秀樹は成瀬がトレーに乗せた美味しそうな匂いのするハンバーガーを見て嬉しげに頬を緩ませた。そうして確認の為にメニューが読み上げられて最後に「御間違いないですか?」と言う質問に答えると秀樹はトレーを両手で持ち上げる。
「ごゆっくりどうぞ」
その言葉を背中に秀樹は羽叶の元へと足を運んだ。
ソファーではちょこんと着席している羽叶が静かに待っていた。
「まったか?」
「少しだけ」
「わり。フローライト、注文受けてからポテト揚げるからな」
「そう、なんだ?」
「おう、揚げ立て以外は出さないし冷凍一切無しだぜ。まあ、食ってみろよ」
そう言われて羽叶はジッと揚げ立てのポテトを注視した後におもむろに一つ摘まみあげて口へと運ぶ。そうしてぱくりと食べた後に突如、特徴的な羊の角の如き頭髪部位がぴよんぴよんと弾み出した。
そして、本人もテーブルの上で目を瞑りながら左右に軽くリズムに乗る様に体を揺らした後に目を見開いてグッとサムズアップを放つ。
「お、おお」
秀樹は軽く仰け反りながらも『美味しかった!』と言うニュアンスは伝わったので頷いて返す事とする。
「ポテト、おいしー、ねっ」
「そ、そうだろ、だろだろ? ここのポテトマジで美味いからな!」
「うん。家でも、添え物で、出たりしたけど、それより、美味しい」
「マジか」
「だよ」
「すげぇな。流石、揚げ物に関してはプロフェッショナルが雇われていると言うフローライトだな……!」
ポテト一つ揚げるのも店長がこだわったと言う噂を思い出して思わず秀樹は頷いた。
「ま、だが、一番はやっぱりハンバーガーだぜ! 喰ってみろって!」
「うん」
羽叶は頷いた後にちらりと視線を秀樹へ向けた。
「ん?」
「ひでき、店員さん言ってた、けど……おおきいねー」
思わず出た感心の声である。それほど秀樹の前にあるハンバーガーは――デカかった。
通常のハンバーガーの七つ分に相当すると言うのだから当然だ。
「食べれる、の?」
「これくらいはな。男の子の胃袋舐めんなよ?」
「胃は、流石に、不味そう、だから、いい」
「リアルで舐めるなよって意味じゃないからな!?」
ふるふる首を振って蒼褪めた表情を浮かべる羽叶に秀樹は即座に弁明する。
すると「じょう、だん」と返されたのでがくっと肩を落とすと、くすくすとした笑い声が返ってきた。何処か可愛いので許すとしよう。
そしていざ羽叶に『ま、食べてみ?』と、でも促そうとした時であった。
「なーなー。フロラだけどここでいーか、じーちゃん?」
「くわっはっは、気にせんでも構わねぇってのに律儀な嬢ちゃんだなぁ」
「お年寄りは大切にだからな!」
「そうか、そうか。そいつぁ気高い心意気ってもんじゃねぇか」
途端、店内に和気藹々とした声が響く。
大きな声では無いが秀樹の耳にまで聞こえたのは一重に席がカウンター、入り口に一番近い場所である為だ。――それはいい。問題はその声がどこぞで訊いた事があるものであった為に思わず振り向いて確認した事だ。
「ひでき、どーした、の?」
「いや、何か聞き覚えが――って、やっぱアイツか!」
「アイツ?」
羽叶が不思議そうな声を上げる中でどうやら向こう側も秀樹の声に気付いたのだろう。
目が合ったその少女は「おお」と目を見開いくと手を振ってやってきた。
「おー、陽皐じゃんか!」
訓子府うるき。
鍵森恭介の主である少女が快活な笑みを浮かべてやってきたのだ。
意外な人物と意外な場所で遭遇したものである。
「よう、訓子府おひさ」
「おひさって程かね?」
「とりあえずチラリとは何度か逢ったけどな」
「まあ、学院ちげーし、そんなもんだろ」
ニシシ、とうるきは楽しそうに笑う。
「けどきょーすけから話は聞いてるぜ。あんがとな、うちの執事とよくしてくれて」
「別にこっちの方が面倒見られてるっての。けど、ハンバーガー店で逢うとは思わなかったなー。しかも、そっち、別で知らない人いるし。誰、従者さん?」
秀樹の視界に映る人物は合計四人。
うち一人は当然ながらうるきだ。
だが他三人は見覚えが無かったと言えるだろう。メイド服姿の鮮やかな青髪の美少女に、黒髪だが毛先にかけて白に変わって行く不思議な頭髪をした黒目の美少女――しかも黒のロングコートを羽織っていると言う点が時期外れと言えるだろう。最後の一人に至ってはスーツ姿の老人であった。
「とりあえずメイドはうちのメイドで跡永賀カナン。後の二人は何か成り行きで連れてきちまった感じかな!」
「成り行きかい!」
相変わらず何処か破天荒さが滲み出る少女であった。
ロングコートの少女は何とも言えず苦笑を浮かべていたが、店員である成瀬の元へ出向いたので注文やら状況の説明やらそんなところだろうと秀樹は見越した。
「とりあえずここの席空いてるし座っとこかな。カナン、オーダー任せてへーきか?」
「ええ、お安い御用のことよ。何がよろしくて?」
「任せる! けど、楽しいチョイスな!」
「また不可思議な注文をされたこと。そちらの御老公は如何致されますか?」
「俺も頼んでいいのかい? 悪いな、お嬢ちゃん」
「お詫びですので、お気になさらずに」
「そうかい、そうかい。じゃあ、まあそうだな――とりあえずホットコーヒーに適当にバーガー類を頼まぁな」
「承りました」
ふわりと優雅な笑顔を浮かべるとカナンはカウンターの方へ足を運ぶ。
カウンターでロングコートの少女と会話していた成瀬が注文と判断して少女からカナンへと視線を移した。何故だか、少女の顔がいやに真っ赤だが、成瀬の事である。大方、乙女のウィークポイントでも突いたのだろうと秀樹は判断して嫉妬を込めた視線を一発放っておく。なにやらメニュー表でガードされた。隙のない男である。
「で。何がどうなってる感じなわけだ? そっちのじいさんは関係ない感じなわけか?」
「初対面ってやつだな、まさしく」
齢七〇はいっているであろう老人は扇子をパッと広げながらそう答えた。
「実はさっき近くのカフェ……カフェって言うのかね、あそこ?」
「一応、カフェの分野じゃねぇか?」
「じゃあ、カフェだな。カフェでこのじーちゃんにドリンク零しちゃったんだよ」
「え、マジか」
「ほら、服濡れてるだろ?」
うるきが指差してみれば確かに何故気付かなかったのかというくらいスーツのみぞおち付近やらズボンの太もも付近に沁みが浮かんでいた。
「くわっはっは、フローラルにグレープだぜ坊主」
「グレープジュースか」
「炭酸だったぜ!」
「有名炭酸飲料かい、ぶっかけたの!」
それは大変だ。主に糖類の意味合いで。
「で、このままじゃいけねーって事でどっか近場の店に避難する事にしたんだよ。夜中だしもう冷え込んでくるからさ」
「それでここに?」
「おう、鶴瀬――一緒にいたロングコート着てる女の子な。あの子がここの店員に知り合いがいて店も理解あるいい店だからって事で今お邪魔したってかんじかね」
「なるほどな、大体理解した」
けどよ、と呟いて。
「さっき成り行きって言ってたよな? じゃあ、鶴瀬ちゃんの方はどういう経緯でお前の付き添いになってるわけだよ?」
「平たく言えば、ペットショップのショーウィンドウにいた猫見かけてほわーって見てたら隣で同じくほにゃーって見てたのが鶴瀬で『猫可愛いですよねー……♪』って意気投合した結果、出会った記念にどっかでカフェしようぜって事になって」
「店に行った後にミスってじいさんにかけてしまった、と」
「そういう事だな!」
「理解が早くて有能な坊主だな!」
(声揃えて言ってんじゃねーよ!)
パチパチパチと拍手が二人から送られる。
一息嘆息を浮かべた後に椅子の背もたれに深く腰掛けながら秀樹はぽつりと呟いた。
「……けど、見た感じ、じいさんの方は怒ってる感じあんましないっすね」
「うん、そなのか?」
「そりゃ、そだろ訓子府。このじいさんさっきから笑顔しか浮かべてねーし。怒ってる様な様子が全くねーぜ?」
「そりゃいけねーな、じーちゃん。迷惑を被ったらちゃんと怒らなきゃダメだぜ?」
「面白いお嬢ちゃんよ直談判かい!」
扇子で仰ぎながら豪快に笑みを放つ。
(このじいさん、太っ腹なんかねぇ)
秀樹はじいさんの様子を見ながらそんな事を思う次第だ。
「でも、何でそんなに怒らないんすか?」
「小僧、炭酸ぶっかけられたくらいで怒るなんざ肝っ玉が小せぇたぁ思わねぇか?」
「怒る人はそれで怒りそうっすけどね」
「ま、そうだな。あるいは親の形見なんつー大層な服を汚しゃあ俺だって怒らぁな」
そこでパン、と扇子を閉めて、
「だが本日の俺の装いは適当に決めたスーツ一丁。相手は年端もいかぬ少女。謝意は示してくれた素直な振る舞いとくりゃあ――齢七〇なんつージジィが怒気巻き散らかして叫ぶなんざ全くもって粋じゃねぇ――そういうことよ」
「おお……! じーちゃん格好いいな!」
「くわっはっは、そうだろ、そうだろ!」
再び扇子を広げて仰ぎながら豪快に笑い始める。
また随分と明朗快活なじいさんだな、と秀樹は感心した。相手の誠意をキチンと受け止めての対応は何とも快い在り方ではないかと感嘆を浮かべる心地である。
と、そこで不意に別の声が上がる。
「お待たせのことよ」
「お待たせしました」
カナンと鶴瀬と言う少女である。カナンが「持たせてしまい、申し訳ないことよ」と柳眉を潜めて苦笑交じりに継げており、鶴瀬が「いえ、気にしないでください」と応答している事から持ってくるのを手伝ってくれたと言う事なのだろう。
「おお、きたぜ!」
うるきが目を輝かせヨダレを垂らしながら叫んだ。
「わざわざすまねぇな、嬢ちゃんたち」
申し訳なさそうに眉を軽くしかめながら「あんがとよ」と老公が肩をすくめる。
「いえ、迷惑をかけてしまったのはこちらのこと。気にせずに」
「そうかい? ハハ、あんがとうな」
扇子で額を抑えながら微笑を浮かべて老公は小さく頭を下げた。
「マッキーもはやく喰おーぜ!」
「……あの、そのマッキーって私の事なんでしょうか……?」
対して鶴瀬はうるきのつけたであろう『マッキー』と言う綽名に見事な困惑を浮かべながら苦笑を浮かべている様子である。
「また不思議な綽名をつけたな」
「えー、マッキー、よくね?」
「鶴瀬的にはどうなん?」
「身近に変わった綽名をつける友人がいますから特には」
「中々ユニークな対人関係っぽいな」
そんな事を言いながらカナンと鶴瀬は席へついた。
「さて、それじゃあいただくとするかね」
老公はホットティーを軽く持ちながらそう周囲に促した。
「――さっきから停止しているお嬢ちゃんにさっさと食わしてやりてぇしな」
だが、その一言に秀樹はぴくりと反応を示した。
さっきから停止しているお嬢ちゃん――そう言えば、と思いながら真正面に向き直る。
「……」
そこには手元にハンバーガーを持ったままきょとんと停止中の羽叶がいた。
「明日香!? 喰ってても良かったんだぞ?」
「けど、ひでき、一緒に、いただきます、してない」
「律儀な!」
「それと、食べ方、わからない」
「そう言えば初めてっつってたもんな!」
すまん! と、手を合わせて謝罪した後に秀樹はおもむろに自分のハンバーガーを取り上げた。その際にうるきが「うわ、なんだそれ、デケー」と言う関心の声を上げていたが今は取り合う暇はない。
「結論は一つ。かぶりつく! 以上だ!」
「かぶりつく」
「そう、ばくっとな!」
「ぱくっと」
神妙な顔で重々しく何かの決意を決めた様に頷く羽叶。
そうしてじーっと凝視した後に「てやっ」と言う掛け声と共にかぶりついた。
その瞬間に独特の髪型がしゅぴーんと天を衝いた!
全員が『なにごと!?』と言う表情を浮かべるが、羽叶はリズムよく左右に軽く揺れた後に目を見開いてグッとサムズアップを秀樹めがけて放つ。秀樹は「お、おう!」と二回目なので少し予測していた様で見事な返答を返して見せた。
「……え、今のなんぞ?」
「考えるな訓子府。感じるんだ」
「ふぃーりんぐってやつか」
「そう、フィーリングってやつだな」
「くわっはっは、面白れぇ反応の嬢ちゃんだな」
老公は快活に笑みを放った後に秀樹にちょいと視線を向けて、
「で、その子は小僧の彼女かなんかかい?」
「え、そう見えますかね?」
「違うよ?」
問い掛けに秀樹が調子に乗って答えようとしたところ真正面の少女は一も無く二も無く、見事に叩き斬る答えを放った為に秀樹が「げろっぱ」と言う妙な呻き声を発した。
「あら、そうであったの。まあ、彼女とは思わなかったけれど」
カナンが意外そうな表情浮かべながら全く意外に思ってなかった旨を伝えて、
「まあ、陽皐が一ヶ月くらいで恋人作れるとかは思わなかったしな」
と、うるきがとても失礼な事を述べて、
「いや、小僧の絶賛片思いに違ぇねぇ。根掘り葉掘り訊いてやんな」
元凶が肩を震わせながら扇子で顔を隠しつつそう告げた。
「皆さん、容赦ないですねー……」
唯一、鶴瀬だけ「あはは」と乾いた笑いと共にフォローしてくれた。
「んで、実際はどんな関係なん? ぷっちゃけ、あたし的には陽皐が女連れだったーってのには相当カルチャーショックだっただけに気になるけどよ」
「訓子府、お前って基本が俺に失礼じゃないかね?」
秀樹はこめかみに怒りマークを浮かべながらも肩を一度落とした後に語りだした。
「単純に言えばまあ――買い物に付き合ってくれってやつだよ」
「へぇ、意外に普通じゃねーか」
「その割には買い物した形跡はなさげに見えるけれどね?」
「跡永賀正解。まあ、買い物自体はこれからかね」
「ほうほう」
「今は買い物までにコイツ――明日香っつーんんだけどさ」
「明日香?」
カナンがふと反応を示した。
「そそ、明日香羽叶な名前。入った事ない店とかが多いらしくてさ。だからこうして色々散策してるって感じだな」
「なるほど、ソイツはいい。しっかり案内してやるといい、陽皐の小僧。男の好感度ってのはそう言う所で存外上がるもんだぜ?」
「だといいっすけどね」
秀樹は思わず肩をすくめる。
なにせ、
「ただコイツにそう言うのが通じるんかどうかすっげぇ謎で――」
そう言いながら再び真正面に視線を向けると、
もふもふもふもふ。
そこには小さな口を懸命に動かしてハンバーガーを食べる羽叶の姿があった。異様にもふもふと食べている――そんな印象が随分強い。無表情ながら食べる姿は何処か可愛く、また周囲の視線が集まっている事に関してきょとんとした表情を浮かべていた。
そんな少女に抱く感想は一つだ。
『なにこれかわええ』
妙に見ていると和む。
「うおおー……かわええな、コレ……」
「?」
小首を傾げながらもふもふ。
思わずほけっとデレデレになる秀樹である。生憎と現時点特別な感情などは持ち合わせていない秀樹であるが、相手が美少女と言うだけで思春期高校生としては十分過ぎる役得だ。
そんな秀樹を見ながらカナンは、
「サルがいることよ。インモラルなサルが」
と、嘲笑する様に愉悦の笑みを浮かべていたり、
「言ってやるな、お嬢ちゃん。男心くすぐるっつー奴よ。庇護欲かき立てるって奴だろ」
微笑ましそうにニヤニヤとした笑みを浮かべる老公に、
「なんだこのデレデレ顔。陽皐の奴デレッデレじゃねーか」
うわぁ、と声を発しながらうるきが腕組みしつつ呆れた様な表情を浮かべて、
「けど、仕方ないですよ。明日香さん可愛らしいですし……♪」
と秀樹の様子に苦笑を浮かべながらも鶴瀬が和んだ表情を浮かべていた。
そうしてしばらくもふもふとハンバーガーを食べる羽叶に周囲がしばし和んだところで秀樹はジュースをすすりながら「さて、次はどうすっかなー」と声を零す。
「陽皐はこの後も明日香っちと行動する感じなわけか」
「ま、そだな」
「レディーのエスコートってあっちゃ邪魔するのは野暮ってもんだからな」
扇を仰ぎながら老公が何度か頷きつつそう呟いた。
「変な事しないようにしとけよ?」
「しねぇっすよ! ……と言うか、訓子府達ってそもそも何でこの辺りにいたわけなんだ? なんかこう、目的でもあったわけか?」
「何でそう思うんだ?」
うるきが不思議そうに問い掛けた。
「まあ、単純にこの時間にここらへんうろついてるのが不思議っつーか……、そもそも恭介先輩が傍にいねぇのも不思議だし」
そう答えるとうるきは肩をすくめながら「当たりだな」と答えた。
「いやまあ、実のとこきょーすけ探してんだあたしとカナンは」
「……は?」
それはまたどういう事か? 秀樹は思わず唖然とする。
「いや、言ったまんまだよ。昨日最後の連絡頼りに音信不通――とまでは行かないけど『~~なう』とか『良い店発見!』とか『chant』で逐一呟かれてはいるんだけどな」
Chant。詠唱、鳥の囀りを意味する語句だが、ここで使われるのは別の意義がある。
インターネットの交流サービス。140字の語句で遠く離れた知人と『つぶやき』で交流可能なサービスだ。誰でも無料で登録出来て動作も簡単な為に世界規模で使用されており、フォロー、フォロワーと言ったワードで交友関係を表現されている。
恭介は所在不明中、それでつぶやいている様子だ。
「相変わらず余裕だな恭介先輩……」
そこは完全に音信不通にするべき場面ではないだろうかと思う秀樹でもあった。
安心なのは安心だが何とも言えぬ安心感である。
「ただ事情とかは訊いてねーんで暇だし探しに行くかーみたいな感じでこの辺りを散策してたら可愛い猫がいてなー」
「可愛かったですよねー……♪」
「マッキーはもっと傍で見なくて良かったん?」
「私はその……動物には好かれ難い、ようで……」
しょぼーんと鶴瀬が肩を落とした。
動物好きそうなのに可哀そうだな、と若干思った秀樹である。
「まあ、つまるところ、先輩さがしってわけか」
「まーな。つっても、迷惑かけちまったから、じーちゃんにお詫びしてからだけどな!」
「くわっはっは、別に俺はもう十分だぜ? 後は精々クリーニング代とかだろうが、それもそこまでいる話でもねぇしな」
「じーちゃん、酷い! あたしの好意は無碍かー! うわーん!」
「うるきちを泣かせるのはよくなきことよ、御老公?」
「おいおい、八方ふさがりってかい? 参ったねぇ。ほいほい、わかったから色々お礼返し頼んでいーかい、お嬢ちゃん」
「おう、任せろ!」
「コイツはとんだ役者だぜい」
ピシッと額を扇子で叩いて豪快に笑みを浮かべる老公。態度一つ一つ何とも余裕に溢れた振る舞いで思わず感心させられてしまうものだ。
「けど、あんま引き止めはしないでおけよな訓子府」
「え、なんでだ?」
「なんでってその人にも用とかあるだろうしさ」
「あ……」
うるきは顔を悲しそうにしながら老公に視線を寄越した。
「じーちゃん、用があるのか?」
「ん、一応な」
「そっか。じゃあ長くはダメだな……」
「くわっはっは、まあ深夜とかに入りさえしなきゃあ問題ねーぜい。一番大切な用はとっくに済ませ終えたところなんでな。ぶっちゃけジジィ、暇なのよ」
「おお……!」
「いいんすか?」
秀樹がうるきを慮っての発言ではないかと眉をひそめた。
「いーのよ。用が済んでるってのも嘘じゃあねぇしな。残る用はまあ――追々決めるさ」
ワハハ、と笑みを浮かべて老公はそう述べる。
「そっかー……。さて、となると俺達は何処へ向かうかね、明日香?」
「ん、ひできに、任せる」
「だよな。さーどうすっか……つうか、そうだそうだ。カフェ行くんだったな」
「トー。そうだった」
羽叶がこくこく頷いた。
ハンバーガーの美味しさでしばし記憶を飛ばしていた様で今思い出したと言う様子が見て取れた。そうして秀樹は少し考える。
「しかしカフェって言うと五万とあるよな。どこにすっか?」
「んー……」
悩む二人に提案を出したのは鶴瀬であった。
「でしたら、私達が寄った店がいいかもしれません。『アロアロ』と言うお店なんですが、メニューも豊富で良かったですよー……♪」
ほわほわとした笑顔で告げられる。
うるきも賛成の様子で声を上げた。
「おう、あそこはいいぜ! 甘さが何か爽やかな感じでしつこくねーんだ!」
「そうね。さーたんがデザート分野で競い合いしそうなくらいに美味であったことよ」
「へぇ、そうなのか」
さーたんって誰、と思いながらも秀樹は感心した様子で相槌を打つ。
「そうだな。俺もあそこぁおすすめしとくぜ? 美味かった――何より店主が女だがえらい別嬪さんだったしよ。ぼん・きゅっ・ぼんじゃねぇぜ? ぼぉおおおおんっ・きゅっ・ぼぉんってもんだ」
「なん、だと……!」
「ひでき、どーしたの?」
ガタ、と椅子から立ち上がり興奮した様子の秀樹に羽叶は不思議そうに小首を傾げた。
うるきとカナンから『これだから男は』と言う様な視線が向けられたがそんな事は気にしない秀樹である。別嬪な女店主――これはもう行くしかあるまい、と!
5
そうして秀樹と羽叶は一路、アロアロを目指して歩いていた。
ここから左程遠くないらしく美味しいという事もあり、更には美人店主と言う情報も相まって秀樹の心はウキウキである。羽叶が何かきょとんとしながら見つめているのが若干冷や汗ものだがそこは男の子。仕方ない話である。
ハンバーガー店『フローライト』ではあの後、うるきとカナンは老公と共にお礼返しと恭介探しの意味から別れて、鶴瀬に関しては『諸事情で少し残ります』と言う事で店内に残り別れの挨拶を交わす形となった。おそらくは先に言っていた知り合いの事だろうと予測する秀樹である。
さて、四人と別れて再び羽叶と二人となって少し歩いた先で秀樹はうるき達が言っていたであろうクール・スイーツ店『アロアロ』と思しき店舗に辿り着いた。
店の外観を見ると羽叶は「わぁ……たのし、そー♪」と歓喜の声を上げる。
「ホントだな。移動販売車にハワイみたいなコテージだし……!」
そして夜中という事で鮮やかなライトでライトアップされている光景がなんとも幻想的であった。ツリー型ライトの様で樹の装飾品が街灯の役割を果たしている様だ。そして辺りもすっかり暗闇に染まった頃だと言うのに人が中々に賑わっている。
「予想以上に美味そうだな」
「トー」
羽叶がこくこく頷く。
カフェという事で精々食後のコーヒー的な軽めの気分であったが、ここまで多種多様なデザートを見ては黙ってはいられない。
「しゃあねぇ、今日は腹八分目越えてやっかな」
「ひでき、うれしそー、だね」
「まあ、こんなの見ればワクワクするしさ――よし、行ってみるか」
「トー♪」
羽叶の手を引いて『アロアロ』へと足を運ぶ。
数十名の列だけあって少し待ちそうだな、と思いながら秀樹は羽叶に「何頼む?」と問い掛けを発した。羽叶は「うーん」と何度目かの黙考を始める。
見ればバリエーション豊かとは本当の様でいくつものメニューが並んでいるではないか。
これは色々楽しめそうだ――と、想いながら奇抜な品がないかを探す秀樹であった。
「ん」
そこでコクンと頷く羽叶の姿に「決まったん?」と問い掛ける。
「ティラミスに、する」
「ティラミスってのもあんのか。お、マジだ」
クレープメニューを見ながら秀樹が「へー」と声を上げた。
「けど、クレープでいいん? アイスとかもあっけど」
「ん、クレープがいい」
「そっか。じゃあ俺も明日香に習ってクレープにしとくかね」
「どれに、したの?」
「フ、ズバリ――アレだ!」
高らかに声を上げて指差す先――それを見て羽叶はしばし沈黙した後に、
「ひでき、欲張り」
「何とでも言うがいいさ」
羽叶は『チョコアイス生クリーム』と書かれたチョコ生クレープにチョコアイスがトッピングされた商品を見てそんな声を上げた。アイスも一緒なのが欲張りと言う意味なのだろう。
「ティラミスに、そんな性能は、ない」
「ティラミス風アイスとかもあるけどな」
「気分は、クレープ」
「じゃあ仕方ない。アイスはまた今度な」
「……うん」
仕方なさそうに頷く羽叶。
この分だとまた来そうだな、と思う秀樹である。
そうして思いのほか作業が早いのか順番はすぐに回って来ていよいよ秀樹達の番が回ってくる。羽叶の分も秀樹が注文しようという事で前に出た秀樹であったが、そんな彼に衝撃が押し寄せる。
――美人だ。
初見は感想はまさしくそれだった。透明感と言うのか驚く程真っ白とした女性で、仄かに水色が影となっており、なんとも清楚清廉とした女性であった。黄色のエプロンにワイシャツ、ジーンズと言うラフな出で立ちだが何とも色香溢れる女性であり、思春期男子である秀樹としては当然ながら美人で興奮するというものである。
その上、
(でけぇ……! なんだこの迫力は……っ!)
薄い生地のワイシャツを内側から大きく盛り上げる大きな胸に思わずゴクリと唾を呑み込んだ。これは性質が悪い。秀樹の様な思春期男子にとっては目に毒過ぎた。
「おまたせしましたね、御注文どうぞ♪」
六花輝く笑顔でそう言われてハッと気づく秀樹はいそいそと注文を始めた。
食べたいとしているクレープの他に折角カフェに訪れたい気持ちだったのもあり、羽叶と自分の飲み物を購入しておくことも忘れない。そうして手際よく女主人はクレープを作っていき少しして秀樹達へ綺麗な微笑を浮かべて手渡してきた。
「はい、おまちどうさまです♪」
「ありがとうございますッ!」
そんなクレープをそれはもう神速の手さばきで受け取る秀樹である。
「はい、そちらの御嬢さんも」
「トー、ありがと」
羽叶もよいしょ、と受け取った。ハンバーガーの時もそうであったが小さな手である為に相対的にクレープが大きく見えるものだ。
そして二人お姉さんにお礼を言いながら席へ向かう過程で羽叶がジト目で呟いた。
「ひでき……、何かデレデレ、してる」
「仕方ないだろう! あんな美人のお姉さん男の憬れだわ!」
そうなのだ。
あんなに美人なお姉さんとあっては男として興奮せざるを得ない。容姿端麗スタイル抜群とかどこの化け物なのか――世のモデルが裸足で逃げるレベルである。世のモデルを直に見たことなど無い秀樹だがそう思った程だ。
「そーなの、かな?」
「そういうもんさ、男ってのはな」
「ふーん?」
「見てろ、どうせ俺の後の男も俺と似た感じになってるだろうから」
「ホント? ……あ、ナンパされてる」
「マジで!?」
思わず振り返る。
羽叶が――この恋愛事の機微に聡いのかどうかも危ぶまれる不思議少女の見解が正しいのかと言う観点でも後ろを振り返った。見れば確かに爽やかなイケメンが台の上に肘をついて妙にイケメンな姿勢で口説き文句だろうか、そんな言葉を吐いている気配があった。
「すげぇ、やっぱモテるんだな」
人が結構いる中でああしてナンパをされる事自体秀樹にはない経験だ。
「そして更にすげえ、気付いてない」
呆れと共に呟いた。
女主人は頭の上に疑問符を浮かべながら小首を傾げていた。そして店のおすすめメニューと思しきものを一生懸命宣伝していた。男がガクリと肩を落としながら注文する。不憫だ。
そんな光景に苦笑を零しながら「さ、食おうぜ」と席に着くと同時に羽叶に告げる。
「トー♪」
コクコクと頷く彼女と共に「いただきます、と」声を合わせて一口。
途端に溢れるチョコの甘さにひんやりとしたアイスクリームの味わいに秀樹は、
「おお、美味ぇ!」
と、嬉しげな声を上げた。
アイスクリームをペースト状に広げたのか一口目からアイスの味が来るというのも嬉しいものである。なによりも生クリームの驚くほどの清涼感が口当たりをよくしていた。
「おいしー……♪」
もふもふもふ。
両手で掴みながら口いっぱいに頬張る姿。
羽叶も同様にほわほわな雰囲気が漂っていた。
「こりゃ訓子府達の言う様に大当たりだな」
来て正解の味に満足する秀樹達だ。
「しかし、明日香。この後どうするかね?」
「?」
「いや、時間もそろそろ遅いしさ。本屋に受け取りに行く方がいいんじゃねーかなーって」
「そっかー……」
そう呟きながら羽叶はふと空を見上げた。
夜八時と言う事もあって、夕焼けを過ぎてうっすらとした青の様な紫の様な黒の様な闇色が空を覆っており、周囲の店からは昼間は気にしない電気の灯りが如実に見えてくる時間帯である。そんな光景を見ながら、羽叶は秀樹の方へ視線を戻した。
「……何か行きたいとこあんのか?」
「……ん」
羽叶は少し迷った後に、
「平気?」
と不安そうな声を発した。
時間が遅いだけに時間を取らせて大丈夫なのだろうか、という思惑が読み取れる。そんな彼女に向けて秀樹はニッと笑みを浮かべた。
「気にすんなよ。そんなもん、今更だって」
「そう?」
「そうそう」
「じゃあ……お願いしても、いーい?」
「なんくるないさーってな」
そう言うと羽叶は嬉しそうに数回頷いた後に、
「それじゃあ、本屋さんで、受け取った、後に、行きたい」
「よし、決まりだな。行こうぜ」
こくこく頷く羽叶。
そうして二人はクレープをゆっくりと味わいつつ食べ終えた後に女主人に軽く挨拶を終えた後に店の外へ。元来た道を戻る形で歩いて行く。羽叶が予約を済ませた本屋が丁度帰り道にある形なのだ。
そして立ち寄った店の名前は『玉虫書店』とあった。
生憎と本屋は駅前や学院の学区に存在するものを使っていた秀樹であった為に初めてみる書店だったが存外広々とした奥行きもある店内であった。清潔感もあって好ましく、本の香りが何処となく心地よく、お客さんの数もそこそこ――中々繁盛しているのではないだろうか。
扉を閉める際にカランコロン、とベルが鳴って実に風流だ。
「いらっしゃいな――って、おお、ハカナちゃんじゃんか。遅かったね」
店に入るとレジカウンターから声が上がった。
見ればテーブルの上で頬杖をつきながらこちらに視線を寄越す綺麗な女性の姿があった。羽叶はその声の主へ視線を向けながら無表情ながら嬉しそうなオーラを零しつつ駆け寄ってく。
「鳥海さん、こんばんは」
「おー、こんばんは」
ひらひらと女性は手を振って挨拶する。何とも爽やかな笑顔の女性だ。
年齢はそれほど秀樹達と離れていない。おおよそ大学生くらいだが――これまた綺麗な人だなと秀樹は感激すら覚えた。亜麻色の綺麗な頭髪をポニーテールに結い、前髪を髪留めで止めている小顔の美人。玉虫書店と書かれたエプロンを着用しているが服の上からでもスタイルが良い事が見てとれる。
女性は羽叶と「どしたー、今日遅かったじゃん」と、談笑しながら秀樹の方へ視線を向けると驚いた様子で目を見開いた。
「こりゃおねーさん、驚いた。ハカナちゃんが男の子と一緒とは」
「ん、ひでき」
ピシ、と指差して羽叶が言う。
「ひできかー。じゃあヒデだね。よろしく、ヒデ君」
そして女性は綽名で呼称してきた。
「一気に距離縮まってきたっすね!」
「美人のおねーさんにそう言われるのは嫌かい?」
「くそう、自分で美人とか言ってるけど間違ってないし嫌じゃないのが悔しい!」
「素直でよろしい♪」
実際、美人のお姉さんに愛称で呼ばれて嬉しくないわけがない秀樹である。
「しかし、驚いたね。なに、ハカナちゃん、彼氏出来たん?」
「彼氏、じゃない」
「ありゃ、ヒデ君が吐血した。って事は友達かい?」
「友達……? 友達?」
「いや、そこで首を傾げられても……まあ、多分友達なんじゃないっすかね?」
今日一日不思議なデート関係を結んだがおそらく友人関係だろう。
「友達だった」
「そっかー、友達だったかー」
頭をなでなでしながら女性はそっかそっかと連呼する。
なんだこの締まらない友達関係達成は、と秀樹は思った。
「しかし、って事はアレかい? 今日はその子と遊んでて遅れたとか?」
「うん、そー」
「へー、いいじゃんいいじゃん。本屋のおねーさんが言うのもなんだけど読書ばっかってのもアレだからね。友達と出かけるのも体験しとかないとね」
「ん、楽しかった」
「おー、そっかそっか♪」
ぽんぽんと軽く羽叶の頭を撫でる。
「ま、ともかくここに寄ったって事は予約した本、受け取りに来たって事でいいんだね?」
「ん、そう」
「オッケー。ただ一応聞くけどこの後も何処かへ足を運ぶつもりあるのかい?」
「一応、ある」
「そっか。じゃあハカナちゃん、本は家に送った方がいいんじゃない? 荷物として増えちゃうと思うよ?」
「え、本って一冊じゃないんすか?」
「五冊」
「多いな」
五冊。サイズにもよるがそこそこ荷物になる。
特に羽叶は目に見えて体力無さそうだし非力そうだ。
「平気」
「そう? ほいほいほいっ」
女性は一冊羽叶に持たせると続けざまに二冊手の上に乗せた。
羽叶が重みに負けてズシャア! と、仰向けに突っ伏した。
「……」
どうしていいかわからず無言になる秀樹である。
羽叶がむくっと素知らぬ顔で顔を上げ、秀樹を見つめる。そっと視線を逸らした。
「よし、三冊は家へ送っておいてあげるよ」
結果、女性が下した結論は二冊だけ持たせると言うものであった。羽叶はしょんぼり気味に首肯する。そしてとぼとぼと新刊コーナーへ歩いて行った。軽く見ていく様だ。
そして残された秀樹は呟く。
「アイツ、非力なんすね……」
「非力だねー。重い本は確実に持てないし」
「マジですか?」
「うん、なんせ読みたい本をたくさん持とうとして前にドサドサ床に落とした事があったからね。その後何食わぬ顔で本に囲まれながら読書していた時は本の妖精かこの子はって印象になってたけど」
(大図書館で本に囲まれてた理由そんなのなんかい!)
一番初めであった当初確かにそんな光景を見た覚えが克明にあったが、まさか本が重くて持ち切れず床にへたり込む結果になっていただけとは想像もしていなかった。
「けど、安心したなー。あの子が本以外と友達になってて」
「俺っすか?」
「そそ、ヒデ君だったよね」
「あ、はい」
「私は鳥海洗娜。『玉虫書店』オーナーだよ」
「え、店主なんですか?」
この若さで店主とは驚きであった。
「おう、19歳の大学生だよ」
「へー、大学生なんですか」
「そ。で、君はハカナちゃんと一緒って事は芳城ヶ彩かい? シラヅキ?」
「ええ、シラヅキの一年っす」
「そっか、クラスメイト? 同学年?」
「同学年ですね。クラスは違うんで」
「ふんふん、なるほどねー」
洗娜は数回頷いた後に。
「どういう経緯でハカナと知り合ったかは――まあ、図書館辺りかなあの子の事だし、そこはいいんだ。あの子と仲良くやってくれると嬉しいかなって話で」
「仲良くですか?」
「まね。あの子、人見知り激しいわけじゃないけど独特の間の子だろ?」
「ですね。凄いマイペースって言うか」
「そそ。だから友達出来るか心配でねー」
「それは確かに」
「やっぱし? まあ、よかったよ君みたいな良さそうな友人が出来たっぽくて」
「そうっすかね?」
「うん。いいツッコミが出来そうだ」
「そこ!?」
「だってあの子、ぽけぽけなんだもん」
「否定出来ない要素が!?」
確かに見事なボケとツッコミになりかけている様な――と、そこまで考えて苦悶する秀樹である。そんな彼の様子を楽しげに笑いながら、
「ま、ともかくあの子と楽しくやってくれれば嬉しいかな」
「それ言えば鳥海さんも相当、仲好さげでしたけど」
「それは否定しない。けど同年代の子って子が一番いいもんだよ」
そこまで言うと輸送の手続きとレジに来たお客さんの対応の為に洗娜はカウンターへと戻って行った。その際にカウンターに乗った二冊の本を手早く梱包すると秀樹に手渡す。
「これ、ハカナちゃんのね」
秀樹はそれを受け取ると羽叶の元へ足を運んだ。
肝心の羽叶はじーっと一冊の本に目を注いでいた。邪魔するのも悪いかな、と思いつつも意識を向けてもらわないのも困るので肩を軽く叩く。
「ひでき」
「ほら、これ予約したうちの二冊だって」
「ん、ありがとー……♪」
羽叶はそれを手に取ると嬉しそうな空気を発散した。ぽわぽわだ。
「何見てたんだ?」
「本」
「そりゃわかるけど――『夜空の契り』か」
秀樹は一瞥して納得した。
本にそこまで入れ込んでいない秀樹でも新聞やニュースで知っている程の小説家である童謡坂陽動の著作だ。新刊で出ると言うのはこれの事だったのだろう。棚には一冊も残っておらず『品切れです』と言う紙が一枚張り付けられていた。
「売り切れてるぜ?」
「平気」
「ああ、なるほどな」
予約した本の一冊なのだろう。
「けど、何でじっと見てたん?」
「ん。その、ね」
「おう?」
「ひできに、お願いしたいの、これなんだ」
「……童謡坂先生に逢いたいとかなら無理難題なんで止めてくれるかね?」
「それは、自分で、出来るから、いい」
「かつてなく大きく出やがったこの子」
「そうじゃ、なくて、ね」
羽叶は『夜空の契り』――その表紙、星の瞬く夜空のイラストを見ながら呟いた。
――綺麗な星空が見たい、と。
6
美しい夜空を見たい。
そんな少女の嘆願を叶える為に陽皐秀樹は歩いてゆく。
さて、綺麗な星空を見る為にはどうすればいいのか。
簡単に言って街中と言うのはダメだ。星空が綺麗に見える前提条件は大気が穢れていない状態を指す。それは空気中に排出される塵や埃と言うものが影響し見え辛くしているからだ。深夜に星がきれいに見えるのは、それの排出が少なめになっているからであり、田舎だと星が綺麗に見えると言うのも都心部と比べてそういったものを輩出するものが少ない事が大きな要因と言えるだろう。
だが今の時間から流石に田舎に行くには無理がある。
ならば有名な横浜ランドマークタワーや、マリンタワーの展望台を使えばと言う案も浮かぶのだが生憎とそこまで向かうには時間がかかる上に営業時間に間に合うかどうかという問題も存在した。
そこで陽皐秀樹はある方法を取った。
それが――此処である。
「……」
羽叶はきょとんとした後に呟いた。
「どうして……、学校?」
芳城ヶ彩共同高等学院。
その第三学区『山岳地帯』である。
「明日香は知らなかったみたいだな」
フフ、と勝者の様な余裕の笑みを浮かべて秀樹が述べた。
「図書館だけじゃなく他にも意識を配るべきだぜ」
「ん。善処、する、けど」
「説明しよう。実はこの第三学区の山岳地帯の頂上には――展望台があるのだ!」
「そう、なの?」
「おう、そうらしい。単純に登山とかが普通に思われがちだが、実際は第三学区広大だって事で色々施設も整えてるそうだぜ。学院内のデートスポットにも使われるのはそう言うところの恩恵もあるらしい」
「そう、なんだ?」
「でな? この山岳地帯、頂上まで行くと展望台が完備されてるらしくて、芳城ヶ彩の科学部が携わった事もあって周辺の空気が清涼に保たれていて、星空が綺麗に見えるらしいんだ」
「ひでき、詳しい、ね……!」
羽叶が感心した様子で目を輝かせた。
どやっと不敵な笑みを浮かべて返す秀樹である。
(当然だぜ――だって恋人が出来たケースを備えてデートスポットとか色々調べたもんな! 展望台でキスとかロマンチックうぇへへへへ、とばかりに!)
声には出さずにそんな内心の秀樹である。
さて、それはそれとして今から山岳地帯を登っていく余裕はあまりない。体力に自信のある秀樹だが図書館にこもってばかりの少女が山岳をやれさっさと登山できるわけもないし、そもそも登山を舐めるわけにはいかない。
学院の山岳地帯とはいえ山は山だ。
そして結構高さも兼ね備えているわけであって歩いていく事は難しい。そこで秀樹達はあるものを活用する。麓付近にあるロープウェイだ。受け付けの人として学院スタッフが夜勤として在沖しており生徒手帳を見せるとはやくに通してくれた。ただし夜遅いので気を付ける様にと言う発言と『押すな!』と書かれたスイッチを渡された。何かあった時押せばスタッフのところに情報が来るらしいが、それならばこんな押したくなる形にしないでほしかった秀樹である。そうしてロープウェイで次第に遠ざかっていく学院の光景を、遠くに見える夜の街並みを見ながらしばらくして二人は目的地へと到着した。
「うっわ、すげぇ」
秀樹は到着して間もなく感動の声を上げた。
「トー……!」
羽叶もコクコクと頷きながら目を輝かせている。
そこにはドーム状の大きな施設があった。円筒形の巨大なスコープの様なものも突出しており、何処かの宮殿の様な造形ですらあるそれが第三学区の展望台である。展望台と言う事もあって夜中でもスタッフの在沖は多く、秀樹達が出向くと快く歓迎してくれた。
巨大スコープを使うか、と言う案に対して羽叶が首を振った。
どうやら純粋に星空を見たい様だ。
ならばと訪れた場所は展望台のバルコニー。
手すり付近に掴まりながら羽叶は思わず歓喜の声を零す。
「星空、きれー……!」
「だな。初めて来たけど……すげぇ、良く見えるんだなここ」
辺り一面満天の星空とはこう言ったものを言うのだろうか。
都心部とは思えない程の煌びやかな星空が上を見上げれば地平線の彼方まで果てしなく伸びている。キラキラと明滅する無数の星明りの美しさは尋常では無く二人の心を色彩で満たそうとしてくる程だ。
「明日香はさ」
「なーに?」
「夜空――とか、好きなん?」
羽叶は小さく頷いた後に、
「好きだよ、夜空」
ふわりとした笑みを浮かべた。
「何か理由あるん?」
「大した、ほどじゃない、けど」
「折角なら教えてくれね?」
「いい、よ」
微笑を浮かべながら羽叶は星々を見ながら語る。
「多分――隠れてた、光景が、見えてくる、から」
「隠れてた光景かぁ……」
「トー。星空は、いつも、夜にしか、顕れない。隠されていた、ものが、見えてくる――そんな感じがして、なんだか、神秘的、かなーって、思う」
「なるほどなあ」
確かに星空は意識しなければあまりご対面にならない。
夜なんかは家の中だったり、街灯りだったりで、ふと見上げない限りは見ない光景だ。
「ひできは、夜空、好き?」
「どうだろ。まあ、普通かな」
「そっか」
「けど、この光景見てたら好きになりそうかな」
「なら、良かった」
「ああ。ただ俺は太陽が好きだからってのもあるのかな」
「おひさま?」
「そうそう」
秀樹は笑いながら頷いて返す。
「昼間ずっと輝いててさ――太陽ってのは見ようとしても眩しくて見えないじゃん? 隠されてるわけでもないのに、見ようと思うと見れなくなっちまう。なんだか月とは別の意味で神秘的っつーの? いや、神々しいって感じなんかね?」
「おひさま、まばゆい、もんね」
「だろ? 見れるとしても一瞬で後は『目が、目がー!』みたいになっちまうもん」
「そう言う面白いのが、好き?」
「なのかもな――けど、それだけじゃないかな」
「そう、なの?」
「ああ」
秀樹はしかと頷いた。
「太陽に見守られてるって思うとなんだか力が湧いてくる――そんな気が昔からするんだ。なによりお天道様の見てる中で悪さは出来ねー、とかそういう感じ?」
「ひできは、いー人、だもんね」
「よせやい、照れるぜ」
「いー人、だよ?」
「あはは、そりゃどうもな」
二回念を押す様に言ってくる羽叶に肩をすくめながら礼を言う。
実際太陽が好きな理由は果たしてなんだろうかと思うものだ。ずっと見えているのに見ようと思えば眩し過ぎて見ていられないと言うある種の特殊性か。いや、そういうのとは違うなんとなく好きというものなのかもしれない。
ただ、やはり太陽は好きだ――それだけは断言できる。
「で?」
秀樹はそこまで思ったところで夜空を見上げる少女に問い掛けた。
「なんでまた星空見たかったんだ明日香は?」
どうして夜空が、星空が見たかったのか。
秀樹はそこが気にかかった。
唐突にまたどうして、と。
羽叶は少し間を置いた後に、とても不思議な言葉を発した。
「――飛べそうな気がしたから」
天を仰ぐ少女の言葉に秀樹は驚いた表情で呟く。
「飛べそうな気がしたから?」
「トー」
こくりと頷く。
それはまた――不思議過ぎる感想だった。
電波と思われなけない突飛な言葉だ。秀樹だって、そんな思考が過らないでもないが、明日香羽叶と言う少女を今日数時間一緒にいて、何となく交流を交わした今はその感情よりも彼女の告げる独特な発言にどこか心を弾ませていた。
どうしてそんな奇異な言葉を発するのか――それを知りたくて。
「ひできと、今日、一緒にいて、またなんとなく――飛べそうな気がしたから」
「俺と一緒にいて?」
「トー」
バルコニーの手すりに掴まりながら羽叶は再び頷いた。
「私ね。時々、思う事が、あるんだ。空を――飛べそうだって思う、時が」
「そりゃまた突飛な話だな?」
「うん。でも、不意に、妙に、そう考える時が、あって、その時には、こうして、夜空を、見上げたくなるの。そうすると――夜の雲海の果てにも、蒼穹の彼方へも舞える――そんな儚い期待感を、感じる――時がある」
そして、と呟いて、
「だから私は――『翼』を取り戻したいって、そう思うの」
不思議な発言だった。
なにせ羽叶は――『欲しい』ではなく『取り戻したい』と、言ったのだから。
それではまるで――、
「明日香……」
「……変な、話、だよね?」
羽叶は秀樹の方へ振り向いて困った様な苦笑を浮かべた。
自分でも何を言っているのか――そんな感情がどこかにあるかの様に。
「昔、誰かに、同じ話を、したらね。夢見がち、だって、笑われた」
柳眉を潜めて仕方ない、と言う様に苦笑する。
「ひできも、変な話って、思うよね?」
その声には賛同を促すと同時に――否定してほしい、そんな感情が篭っている様に秀樹には感じられた。だから秀樹は率直に答える。
「変な話だな、うん」
うんうんと頷いて秀樹が答えると「トー」とどこか悲しげな声で呟いて。
「……だよね」
と、無表情ながら仕方ない、と言った雰囲気を浮かべる。
そんな少女の背中へ向けて秀樹は、
「けど悪くは無い」
「……トー?」
不思議そうに首を傾げる羽叶。
「悪くはないだろ、だって。お前がそう実感してるんだしさ」
「でも」
「でも、じゃねーよ」
ツンと軽く彼女の額を指でつついて、
「いいじゃんか、夢見がち。夢すら見れず、人の夢を笑う奴らなんか気にすんなよ。そんな言葉で傷つくくらいならこの夜空の下で叫んじまえ。『バカヤロー!』ってさ」
「ばか、やろー?」
「そうそう。だってさ、それって訊く感じずっと昔からの想いなんだろ?」
「うん。物心、ついたころ、くらいから、なんとなく、だけど」
「じゃあ多分源泉みたいなもんなんだろうな――『翼』が欲しいっていうお前の心象風景に近いんだと俺は思う。だったらさ――周囲の目なんかあんま気にすることはないんよ」
「そう、なの、かな?」
「ああ。人から言わせれば子供がパイロットになりたい、とか言う事と同じに思うかもしんないけどそれは夢に近い目標なんよ、今までずっと抱いてきたんなら」
「夢に近い、目標……」
「なら夢へ至る道を模索しないなんてもったいないじゃねぇか。確かに『翼』が欲しいなんていう絵空事みたいな話かもしんない。空想に耽る戯言と受け取られるのかもしんない。けど、周囲が何か言ったからって探さずに終わるのはつまんないじゃねぇか」
「けど……」
「いいから、試しに探してみるのもいいんじゃねぇか? だって俺達まだ高校生なんだからさ。今追う夢は確かに後になって叶わない夢物語かもしれない。多くの時間を無為に過ごす事になんのかもしれない。けどよ――まだまだガキなんよ、俺達。夢だって――追ってみる時間はまだたくさんある」
そしてなによりも、と秀樹は間を置いて。
「無為と笑われても頑張った時間は――大人になっても決して無価値にはならないんよ」
「無価値には……ならない?」
「ああ、俺の親父が言ってた言葉。俺が感銘を受けた言葉だ」
瞼を閉じれば父親の声と共に脳内で再生される程に。
――秀樹、将来的に見れば時間を無為に過ごす事になってもな。目的の為に生きた時間は決して無価値になんかならないぞ。
綺麗事と言われればおしまいかもしれない。
けれど好きな言葉であった。
どんな事物にもちゃんと意義があって。無駄に過ごしてしまった時間を嘆く事は当然あるだろうとしても、全部が無為な事は無い。全てのもとに価値はある。そういうポジティブな考え方が大好きだから秀樹は彼女にそう告げた。
「じゃあ」
そこで羽叶が口を開く。
「『翼』……探して、みたい」
けど、と呟いて。
「どう探せば、いいんだ、ろ?」
初めて探そうと心から意識した為か。羽叶は迷った様な表情を浮かべる。
秀樹も明確な方法はまるで浮かばない。漠然として曖昧なのだ。しかし、
「探し方は流石にわからんな」
「だよ、ね」
「けど――探そうと行動する事に意味はあって価値は生まれると俺は思う」
「う、ん……!」
「だからさ。もしよかったら俺も手伝うぜ?」
「……え……?」
いい、の? と、か細く羽叶が声を発した。
秀樹は頷いて返す。
「焚き付けたの俺だしな。それにお前と一緒にそのわけのわからない漠然とし過ぎた『翼』探ししてみるの――何か楽しそうだなって思ってさ」
「……」
「あ、楽しそうとかそういう理由ダメか?」
失言だったかな、と思わず頭をかく。
けれど羽叶は首を振った。
そして次の瞬間にはふわりとした笑みを浮かべた。
「ううん。私も、ひできと、一緒に、翼探し――楽しそう」
「お、おお、そうか」
思わず気恥ずかしくなって頬を掻く。
そんな秀樹にくすりとした笑いを零しながら、
「じゃあ――お願い、して、いーい?」
「……おう」
「私と一緒――『翼』、探して、ください」
嘆願する言葉。真摯に小さく頭を下げて羽叶は告げた。
その言葉に秀樹は小さく微笑を浮かべた後に、
「任せとけ。方法は全くわからんがな!」
「自信、満々、おかしい」
くすくすと秀樹の発言がおかしそうに彼女は笑い、そして――、
「けど、ありが、とー。すごく、うれしい」
少女は笑んだ。
バルコニーで月光を背に、キラキラとした輝く笑顔を浮かべた。思わず――思わず見惚れてしまう程に可愛らしい笑顔で、その笑顔に心から惹きつけられてしまう。
同時に秀樹は一瞬、目を疑った。
羽叶の背中に――何かが燦然とした輝きを解き放ったからだ。
それは渦巻きの様な複雑な紋章。しかしただの紋章とも思えない――何故ならそれは今まさに飛ぶかの如くに広がり光を放つ幻想的な――『翼』の様に見えたのだから。
さながら複雑な紋様を描いて翼を模ったような代物。同時にどこか歪さを滲ませた代物であり漠然として曖昧、陽炎の如く何か欠損しているかの様な儚さ――しかし、その儚さが無尽蔵に輝きを放つ芸術品の様なきらめきを放っている。壊れてもなお美しい――そんな感想を抱かせる程に、その『何か』は夜空に輝きを発していた。
思わず目を擦る。
「ひでき?」
羽叶が不思議そうに小首を傾げた。
その声にハッとした再び視線を向けるが、そこには羽叶の姿だけ――『翼』なんてものはまったく見えていない。
秀樹は「あ、ああ、いや、なんでもない」と声を発する。
「ひでき」
「ん、どした?」
「そろそろ遅いから、帰ろ?」
時計を見ればもう十時を回っていた。
確かに遅いな――そんな事を思いながらも、今見た光景が絵空事の幻想には到底思えない鮮烈なもので秀樹は考え込みそうになったが。
「ひでき」
「なんだ?」
「ほんとに、ありがと、ね」
笑顔を綻ばせる少女を前にして――ま、今はいいか、と思わず微笑を浮かべてしまう。
そしてそんな少年と少女の姿を夜の夕闇は温かく包み込み、夜空の星々は二人の約束を見守っていた。何よりも――、秀樹は今日と言う日の事を決して忘れない。
こうして二人は『翼』を探そう、と言う約束を結び、今日と言う一日を終えようとするのであった。
なんとも漠然とした目的ではないか。
実に曖昧とした道しるべではないか。
翼を探す等と言う意味不明にも等しい願い。おおよそ人が夢見るには、奇天烈な話だ。翼が欲しくて、空が飛びたくて、飛行機を作ってみたい、そんな願いとはまるで違う。
己が全身で空へ羽ばたく。
夢見がちな絵空事にして空想の発言としか思えない願い。
だがしかし二人は約束を交わしたのだ。
それを探そうと。
そして、その言葉が陽皐秀樹と明日香羽叶の二人を結ぶ言の葉で。
二人にこれから先、舞い降りる数多の出来事を織り成す言霊の始まりである事を二人は、この時知るよしなんて当然ない。無くて構わない。知らなくて当然の約束事。
それが二人の願い。己が翼で羽ばたき、空へ至る為の物語の幕開けだ。
第八章 中篇:ソル・エト・フマニタス




