第八章 前篇:日がくれ。休日の激動
第八章 前篇:日がくれ。休日の激動
1
迎洋園家邸宅。
そのうちの一部屋。従僕、弦巻日向の自室として用意された一室の前に、一人の美少女が佇んでいた。艶やかなゴールドブロンドを豊かに腰元まで伸ばした鮮やかな真紅の瞳を持つ美少女――迎洋園テティス。この邸宅の主である迎洋園家御令嬢だ。
そんな彼女がどうして自室ではなく、廊下に佇んでいるのか。
その理由は、
「……流石に緊張しますわね」
小さく吐息を発した後にテティスはぽつりと呟く。見れば汗ばんだ手の平をしており、どこかぎこちない佇まいを見れば彼女の緊張感が如実に見て取れる様だ。
「ですが、ここで一歩を刻まなければ女のプライド崩壊ですもの」
グッと勇ましく拳を握りしめる。
脳裏には芳城ヶ彩の真白月に在籍する日向とクラスメイトであると言う新橋家の御息女である新橋エリカの姿が思い浮かぶ。茶髪と言えば単純だが、あの日の光に輝く茶髪はブロンドに近い様な明るい色彩だし、瞳の色も温かみが灯った美しい色合いだった。顔立ちは綺麗に整っていたし、スタイルも抜群と言う間違いなく美少女と断言出来る女性である。
そんなエリカに日向が懸想をしているのかもしれない。
これはいけない。優雅にティータイムしているヒマなどない様な切羽詰まった事案であるとテティスは狼狽する羽目となった。
「……あの彼がまさかあんな懐いた子犬みたいに新橋さんに尻尾ふりふりするみたいになるとは本当に恐ろしい方ですわ」
ですが、負けませんわ、と少女は呟く。
ただ指をくわえて何もせず敗北するなどあろうはずもない。自分は迎洋園家の息女にして、彼と過去に知り合った間柄なのだから。例え彼にとって覚えておくほどでない事だったのかもしれないが、それでもテティスにとっては忘れがたき記憶である。
その瞬間に少女は心奪われたのだから――、
(いざ行きますわ! まずは親交紡いで親密至るそれだけですもの!)
手には紙袋。日向が興味を惹きそうなもの――美味しい食べ物等をお茶菓子にし、気軽な会話に勤しむとする。それがテティスの策略だ。日向は昨今までかなり食事に不自由していた反動からか美味しい食べ物に対しては可愛らしい反応を示している。
これならばいける!
その想いの元に迎洋園テティスはいざ彼がいる部屋への扉を開け放った。
すでに専属従者である睡蓮は怒涛の決意を浮かべながら『行ってきます、テティス様』と行った後である。検討を願ったのは言うまでもない。従者が向かった以上は、主が勲を見せずして何とするのか。
扉をオープンしたテティスは告げた。
「ひーなたっ☆ 美味しいもの持ってきましたわよっ♪ 一緒に食べませんかしら☆ ……今なら特別に『あーん』のサービスだってしてあげちゃいますわよ……?」
きっと普段の迎洋園テティスもとい外出時の彼女を知る人間が今の彼女を見たのならば鳥肌をぞぞぞっと浮かべて若干引いただろう。しかし此処に日向がいたのなら、この場合はこんな反応を見せられても小首を傾げて『美味しいものですかっ!』と笑顔を浮かべるのは想像に難くない。
そう――いたなら。
「…………」
シーン。と、静寂が部屋を支配する。
いない。
部屋中のどこにもいない。
これはどういう事なのか。
「どこに――?」
「何やってんだ洋園嬢」
「ぴぁぁっ!?」
そんな彼女の疑惑に反応を示したのは一人の従者――親不孝通り批自棄であった。
「お、親不孝通り!? どうしてここに!?」
「別に大した理由じゃねーぜ。部屋の前でカチンコチンになってる御令嬢見かけたから様子見しつつ、事の次第を面白可笑しく見張ってただけだ」
「面白可笑しく見守っていないでほしいですわ!?」
「ハッ、まあいいじゃねーか。見られたのは幸運にも私だけだぜ?」
「一番見られたくない相手ですけれどね従者の中では!」
「ひでぇ言い草でワロス。まあ、それはそれとしてだ。洋園嬢――目的はまあ、予測付くが」
そう言いながらチラリと彼女の持つ紙袋を一瞥し、
「生憎とユミクロはここ数日帰ってきてねーぜ」
「え? そうなんですの?」
「屋敷でも見かけなかっただろ?」
「ううん、そう言われても困りますわね。ここ数日は私も仕事漬けで、今日家に帰ってきたばかりですもの。まあチマチマ帰ったりしましたが、その時は日向いませんでしたし。てっきり出かけてるタイミングなのかとばかり……」
「いんやー、数日ほぼ帰ってねーんだな、これが」
ケラケラケラ、と可笑しそうに両手を広げて爆笑の元にそう告げる。
いや笑いごとではないだろう。
「それは大変ではないですかっ! いったいどうして……、今日は火曜ですし、三日は帰っていない事になりますわよ? 誘拐……あるいは変な輩に絡まれたか」
「誘拐……は無下にできねー可能性だな、おい」
批自棄は確かに、と頬を掻く。
下手な話、そこらの女の子よりも女の子的な面貌をしており、華奢な身体をしているので服装次第では容易く子女に見られるだろう。男だとバレても、逆にそれで興奮する変態もいる御時勢否定出来ない上に、素直な性格なのでほいほいついていかないか心配の種もある。無いと信じたいが。
「屋敷の仕事にも帰ってきませんの?」
「あー、ユミクロの奴は屋敷の仕事は連休中休んでるからな」
「ああ、そんな……!」
「まあ、一回だけ戻ってきたけど、その時は入れ違いになったし、すぐに出て行っちまったみたいなんだよな。あのバカめ。主当てにメモの一通でも置いてけって感じだが――まあ、メールは一応受けてるし、あの分なら自発的に行動しているみてーだし、いーかなって」
「何か凄く放任主義ですわね!」
「ケラケラ、男の子だぜ? 頑張り所はテメーで決めてこそってもんだしよ。私がとやかく言う場面とそうじゃねー場面もあるもんさ」
ニヤァ、と凄絶な笑みを浮かべて批自棄はそう零す。
相変わらず度胸が凄いと言うか、甲斐甲斐しくやっている様で実は豪胆に放任主義にしていたりと測り所の難しいメイドであるとテティスは思う始末だ。
「ですが、親不孝通り? それでもしも日向が何か大変な事に巻き込まれていたりしたら……」
「その時はそうだな。さくっと駆け付けて、救難でもすっさ」
「簡単に言いますわねぇ……」
「それをするだけの能力はあるからな」
本当に偽りなく言うメイドである、とテティスは嘆息を浮かべた。
自分もスペックの高さでは誇れる女だが、批自棄の場合は何と言うか、計測場所が違うのである。スペックがオーバーと言う事では無く裏道からやってくる様な異常さを持っているのが実に驚きだ。
と、そんな事を考えていたテティスだったがふと気づく。
「あら……そうすると日向とお茶で寛ぐ籠絡計画は……」
「無駄足なんじゃね?」
「そんなバカな事が許されまして!?」
そして膝から崩れ落ちるテティス。紙袋から高級そうなお茶菓子が顔を覗かせて『まあ元気出しなよ、テティスちゃん』とばかりに現れるが、テティスはそんな事で元気づくわけもなく非情な現実に打ちのめされたのであった。
2
その日、弓削日比家の邸宅は深夜は何時もより長く感じられていた。
「――で、結論として勝ち目はあんのかよ」
そう零す少年の目は泣きはらした後だった。それはもう恥も外聞も気にしない様な醜態を晒し続ける有様による泣き言発露しながらの言動の帰結である。有体に言ってしまえば、したくないから駄々をこね続けたが、最終的に諦めた事による諦観の言葉だ。
明らかな程に恐怖に憔悴した様子を見せていた少年の言葉。
勝ち目等と言う単語が日常で出るのは、そこまで奇異な事では無い。明日の試合や、コンクールの金賞狙いの者達も似たような言葉を浮かべるだろう。しかし、彼らは違う。彼らが想う勝率の意味は、その相手は苛刻な関門なれど、部門違いであり、日常とはかけ離れた出来事に関するものであった。
天魔と言う化外を相手にする事。それが彼らの目的として存在しているのだから。
彼の友人足る少年も嘆息を交えて問い掛けた。
「実際、そこどうなんだい理枝ちゃん? 勝ち目ナンパーくらい?」
その言葉が欲する回答に関しては彼――休屋連の友人である弓削日比朧もまた同感である。勝率次第で彼らとしても躁鬱の判断は起こせるものだし、確証さえあれば踏ん張る気概も湧きおこると言うもの。苦境であるならば、また鬱屈しつつも気張れる要因と成り得るもの。
かくして朧としては大方の想定をつけつつも、訊いておきたい要因であった。
そんな二人と相対する少女、鷹架理枝は「そうでしょうね……」と腕組みして、僅かに思案を走らせた後、小さく声を零す。
「25パーセント……辺りかしら」
「四分の一とか、ふざけてんのかよ?」
理枝の弾き出した答えに連が明確な焦燥と怒りを滲ませて喰ってかかった。
彼としては自分の一命がかかっている――二十四時間以内に殺害者へ一矢報いなくては存命出来ないと言う、特殊な制約を帯びている彼からしてみれば、勝率の薄さは死に直結していると言って過言では無いのだ。
だから理枝の告げた数値は連にとって恐怖に近い。死にたくない。怖い。そんな感情は湧き上がって目の前にいる少女の肩を掴んで罵詈雑言を吐き出しても仕方ないと精神が訴えかけてくる様に『ふざけんな!』と詰めかかりかけた連だったが、
「ヘーイ、れんきゅ落ち着けって☆」
「ぐぼぁっ」
途端に首の後ろをぎゅっと指先で抓られて連の喉元から変な声が飛び出る。
「お、おぼろテメェな! 急にあんだよ痛ぇよ!」
「いやあ、何か口論になりそうだったからついめんどくさいなとめてーなーって☆」
「実力行使すんなよ!」
痛ぇ……! と、連は首の後ろを擦りながら涙交じりに呻く。
そして朧が理枝に味方した姿勢に関して愚痴る様に批判を浮かべた。
「朧、テメェな。四分の一の勝率で俺死ぬかもな状況なんだぞ? ならふざけんなってなるに決まってんじゃねぇかよ!」
「れんきゅこそ無茶言うなって。俺としてみりゃあ、勝率がむしろ高くね盛ってねって訝しむくらいなんだぜ?」
そう言いながら理枝に対して朧は目配せする。
理枝は僅かに表情を顰めると不服そうに柳眉をひそめて、
「盛ってなどいませんのよ、弓削日比? アタシは戦力を計算して算出しましたもの」
「うん、だろなーって思った」
「あ? どういう事だよ?」
「ん。まあ、現状を再確認すると実感湧くんだけどな。連から感じてみて、どうだ? あの学校の化け物相手に勝てると思えたか?」
朧の問い掛けに対して連は苦虫をかみつぶした様な表情をすぐさま浮かべてしまう。
胸の奥からは嘔吐感が込み上げて、今すぐにでも吐き出したい衝動に駆られる程だ。なにせ連はあの化け物に殺されている。それを言い出せば、その心的外傷は当然とも言えるものだった。今でこそ理枝の発言した様々な妄言のごとき内容の整合性から、脳内は混乱しているおかげもあってトラウマと呼べるものは薄くなっているが、それでも、死の恐怖は這いずる様に連の心を蝕んでいる。
あの体を貫いた剛腕。
風の刃を容易く弾く屈強な肉体。
朧をして相手どれない人外魔境の住民足る力。
おおよそ人が敵うとは思えない化け物。
それらから言える事は一つ。
「……勝てるわけねぇだろ、あんなの」
意気消沈した様に連は蒼褪めた表情で事実を口にした。
あれだけの圧倒的な力に曝されて、自分達は撤退がやっとであった実態を目の当たりにすれば勝ち目などあるわけがないと思えてしまう程で。
故に朧が言った事が理解出来てしまう。
四分の一など、まだ可能性が高い。盛ったとしか思えない数値であると思えてしまうのは当たり前の事であった。
――諦めろ。
そんな言葉が内心を埋め尽くそうとばかりに大量に浮かび上がってこようとしてくる。
しかしそんな連の肩をぽんと叩いて朧は告げた。
「だが、理枝ちゃんは言った。四分の一の勝率があるってね」
「おぼろ……」
「そう言えるって事はさ――何かしら手法があるってのは間違いないと俺は思う」
だろ? と視線で朧は理枝に訴えかける。
理枝は小さく首肯した。
「ええ。仮にも、私の所属するアークスティアはただの組織ではないもの。ある程度、天魔に対しての対抗策も講じられると言うものよ」
「ある程度って、おい」
連が不安そうな表情を浮かべたのに対して理枝は肩を軽くすくめる。
「ある程度、なのよ。深く精通していると豪語出来る程ではないわ。一般知識程度の基準ならば大丈夫なのだけれどね――それに他にも私達の様な行動を起こしている組織はいくつかあり、そちらの方が上手、と言うのも否定しきれないの」
「へえ、アークスティアだけじゃないんだね、天魔と戦う組織ってのは?」
「考えてみればむしろ普通だと思わないかしら? 一つの事業に対して会社一社だけって事はないでしょ? 私達が天使にコンタクトを持たれた様に類似の組織はいくつかあるの」
確かに、一つの組織だけを作るよりも数あった方が状況に適応出来るだろうと朧は理解を示した。実際、一つの組織だけで世界全土を保護すると言うのは重労働過ぎるだろう。
「けど、それなら他の組織に援護要請とかってないわけ?」
「要請は出来るけれど、下手に要請してしまうと、アークスティアの価値が落ちるもの。大人が一人で仕事を熟せなければ技量無しと判断されて仕事を回されなくなるのと同じよ」
「んだよ、人の命がかかってんだぞ、見栄張ってる場合かよ!」
「それを指摘されるのは甘んじて受け止めるけれど、本人のその発言には何というか、ええーって感じがするわね……」
理枝は肯定を示しつつも、連から溢れ出る自分本位な姿勢に何とも言えず口をどもらせる。命がかかっているのだから当人としては当然の反応と言ってしかるべきなのだが、なんとも台詞の価値が地に落ちている様に感じられてしまった。
「だけど安心はしてほしいわね、こちらとしては。なにせ、こちらも相手の所在が掴めているのであれば、収集をかけられるのだもの」
「収拾って……つまり仲間達って事かい理枝ちゃん?」
「ええ、そうよ。アークスティアに在籍している私の仲間達――日本に先遣隊として派遣されている面々がいるわ。彼らの力を合わせつつ、奴の弱点を突く。それで勝つのよ」
「弱点? 弱点なんかあんのかよ?」
あれだけの怪物に弱点があるのか。
連は不思議そうに尋ねかけると逆に理枝は不敵に返答した。
「逆に問い掛けたいわね。神話や伝説にも怪物は五万と出てくるけど、必ず弱点が存在するでしょう? そして相手は天魔――悪魔と言う知名度を持つ彼らには弱点となる要素が極めて有名じゃないの。例えばエクソシストの詠唱とか、悪魔封じの呪文とかね」
「あ……!」
確かに、と連はハッとした後に頷いた。
(言われてみればその通りじゃんか。世の中には悪魔祓いなんて呼ばれる職業とかあるし、神父が悪魔を退魔する映画とかあるわけだから……それに世界的に見ても悪魔を退けるってされる伝承はすっげぇ多いらしいし……!)
一縷の光が見えた様だ。
絶対に死んでしまう。そんな恐怖だらけだった思考がクリアに晴れ渡る様に、連に生へ縋りつく為の活路を見出させてくれた。
「って事は理枝ちゃん。つまり対応策はあるって理解でいいんだよね?」
「ええ。その理解でよくてよ。術式に使用する為の文言もバッチリ頭に入れているから詠唱も問題ないわ。ただ……」
「ただ?」
神妙な表情を浮かべる理枝に対して朧は真剣な顔で先を促した。
「――問題点が一つ。時間よ」
「時間って言うと?」
「簡潔に言うとね。この術式、詠唱が長いのよ。それでいて知名度も高い。天魔達も熟知しているくらいにね。だから詠唱が聞えた瞬間に対応として邪魔をしてくる可能性はすごく大きいのよ。だからその時間稼ぎが重要になってくるわけ」
「なるほど。強い呪文にゃ長い詠唱がかかるって言う王道だなくそ」
連は苛立たしげに呟いた。
(ったく、もっとこう時間短縮とか出来ないのかよ……!)
ゲームのバトルでは比較的問題無いが、現実に詠唱などやっていては時間がかかり過ぎて隙が大きいと言うのが相場だ。連としては時間短縮出来ないものなのかと愚痴りたくなる気分であると言えよう。
「理枝ちゃーん。一応尋ねるけど、それが効かなかったとかあったらどうすりゃいいわけ?」
「そうね。とりあえず前提の話、その術式は確実に天魔には絶大な効力を及ぼすわ。なのに効かなかったとあれば、それは相手が何らかの対応策を敷いていると言う事。それを打破して打ち込むのが王道ね」
「マジかよ……他に何か勝機とかねぇわけ?」
「相当な実力者であれば、私が使う術式以外にもやりようはあるけれど、現段階私には難しい話ね。宝剣リベルテは……悔しいけれど、通じ辛い。もう一振りはあくまで蘇生だし、他の術式は切り札であるその術式よりも効力が高いとまでは望めない」
「つかえねぇなぁ……」
「不満ばっかり言わないでもらえて?」
連の渋面に対して理枝はむっとしてしまう。
力不足は確かにあるが、そこまで言われる程の醜態は晒していない……はずだ。
(まあ――切り札以外に一つ可能性はあるけれど)
それは出来ない。
と、言うか、する度胸が理枝には無い。
海外で育った理枝だが、その事に関しては観念が強い。故に理枝はそう言った経験がない為にその術式には及び腰にならざるを得なかった。
(ま、そもそも相手がいないしね)
どこか安心する様に理枝はしきりに内心うんうんと頷いた。
そんな様子に連と朧は不思議そうにしている事に気付くと「別に何でもなくてよ」と咳払いを一つして理枝は内心の動揺をそっと鎮める。
「ともかく、大まかにはそう言った形と思ってほしいわね。要点は、対天魔術式を切り札として用いる。他のメンバーを集めてその術式発動までの時間稼ぎに徹する。休屋は隙を見て、天魔に一矢報いる――そう言う具合よ」
「わかった。了解だよ理枝ちゃん」
「俺もわかったけどさ……。せめて何か武器くれよ武器」
と言ってポンとくれるわけはないと理解しつつも、連はダメ元で告げてみた。無防備で行くのは腰が引ける為だ。だが以外にも理枝はさらっと頷いて返す。
「仕方ないわね。後で武器屋を紹介するわ」
「武器屋!? 武器屋あんの!?」
「ええ。近隣にね。剣とか銃とか、効果のある指輪とか色々あるわ」
武器屋があると言う事実に驚く二人。
しかも近隣ときたものだ。横浜市内にそんな場所が存在したのだろうか?
そう思う連だったがそこで不意に一つの事が連想され途端に蒼褪めた表情へと切り替わった。朧が「どした?」と声を発する中で連はおずおず挙手をする。
「な、なあ、そう言えばなんだけどよ」
「何よ休屋」
急に不安そうになった連を訝しみながら理枝は尋ねかける。
すると連はか細い声で、
「あのさ……今頃何だけど、一ついいか?」
「?」
「俺が……あの、俺が飲んだ指輪あるじゃんか。アレって飲んで平気なん?」
「あ」
そう言われて理枝がぽんと思い出す。
装具『楚歌の指輪』。敵を誘致する囮の指輪である。連がそれを誤って飲み込んでしまったと言う事をすっかり忘却していた。
「呑み込んで何か被害とかねぇんだよな!?」
「うーん」
理枝は思わず頭を悩ませた。
「多分、平気とは思うわ。……確か囮で牛に指輪を飲ませてってのは訊いた事があるけれど、それだって力を込めていた場合の話だもの。電池みたいなものよ、その場合。何も込めずに飲んだだけならば健康被害とかは無いとは思う」
「お、おおおおお、そっかぁ……良かったぁ……!」
「けど出てくるかどうかが不安ね」
「え」
ピシッと固まった連に対して理枝は「仕方ないでしょ」と諭す様な声で、
「指輪を食べてその後、ちゃんと出てくるかどうかは不安と言うか……」
「あ、ああああああああ、そうかぁ……! あんなもんを俺、排泄するとか俺の尻がピンチ過ぎる絶対かてぇし!」
「貴方ね……もう少しオブラートに包めなくて?」
「そうだぜ、れんきゅー。女子の前で排泄うんぬんは控えようぜ」
「お、おう。それは素直にすまなかった。――でも、あのサイズのをとか、マジで怖いんだけどなあ……」
自分の尻の心配をする連を二人は放置する事にした。
会話を続けても綺麗な会話は望みようがないためだ。連が「痛くねぇといいなぁ」と連呼する傍で朧は理枝へ向き終えると静かに声を発した。
「なあ理枝ちゃん。俺も最後にいくつか訊いてみてもいいかい?」
理枝は「質問?」と簡素に返答を返す。
「ああ。一応最後に確認しときたいんだけどさ。――天魔は倒さなくちゃいけない存在って事は間違いないのかい?」
「朧? 何言ってんだ?」
不思議そうな表情を浮かべる連に対して朧は小さく頭を振って、
「いやまあ、俺が出くわした奴は結構色々やらかしてるだろうから、お返しはしたいって思うわけなんだよ。ただ一概に天魔で一括りするのも気が萎えてさ」
「おかしな事言ってんなよ。あんな化け物殺しとくべきだろ?」
自分をいとも容易く殺せた暴威。
あんな存在がいると言うだけで恐ろしくて適わない話だ。あの牛型以外にもそんなのが多種多様に存在するとしたら恐怖で胸が張り裂けそうになる。
「いや、まあその辺は最終手段だろ? 天魔だからって悪い奴ばっかって暴論があるわけでもないしさ。正直な話な、れんきゅー。俺は怖いんだよ」
「怖いって……」
普段陽気な朧がここまで真剣な表情で『怖い』と言う単語を洩らした事に関して連は驚きながらも、小さく尋ねかけた。どういうっとだよ、と。
それに対する朧の言葉は――連に一つの事実を突きつける。
「天魔を打倒するって事は殺す殺さないの話になるかもしれないわけだろ? 言葉を喋れて思考もはっきりしている――人を殺す様な話に近いだろ? 動物を殺すでもない。植物を殺すでもない。明確な理知ある存在をさ」
「あ」
「まあ、動物植物をそれで殺してもいいのか、なんて討論はごたつきそうだから横に置いておいてほしいんだけどな。生命、肉やら野菜やら喰ってんだし」
だがやはり覚悟はいる、と朧は言葉を締めくくる。
そんな彼の言葉を訊いた連は思わず鼻白む。
確かにその通りだ。牛型の化け物だが、確かに会話だって通じていた。通じていた以上に下手すれば自分より余程知性があるかもしれない存在だ。そんな生物を殺す為に攻撃する――それには手を汚すと言う覚悟が入り込んでくる。生き物を殺すと言う事実が朧は怖いと語っている問い言う事だ。
そしてそれは連にだって難しい。幼少期に、蟻を踏みつけて遊んでしまったと言う記憶がある。植物を踏みつけても特に気にしなかった記憶もある。反面、通りかかった犬に足がぶつかりそうになって申し訳ないと思った感情もあれば、道端で死に絶えた鳥の死骸を見て気持ち悪いとも可哀そうとも抱いた印象がある。
だが今回の存在は人に近しい怪物だ。
朧の言う通り、動植物を蔑ろにすると言うつもりはないが、それでも、あそこまで会話が可能な存在をたかが動物と言い切る事は出来ない。人に近しい思考を持つ動物でもなく、悪魔と言う超越の種族。人など容易く屠る化け物。ならば敵討ちと攻撃をするのは連としていいが、それで死なれるのも心苦しい。
それを朧に関与させることもどこか申し訳なさを抱く。
どうしたら――、と連が頭を抱えそうになった折に、
「あの……何だか勘違いさせている様で申し訳なかったのですけれど、天魔は死んだりしなくてよ?」
『え?』
「いえ、理由は不明なのですが、彼らは寿命でしか死なない様な存在でして……致命傷を負わせても、月日こそ、そこそこ必要としますが、体を修復するので……」
『……』
朧と連が無言になる。
理枝は今何と言ったのか? その事をしばし沈黙と共に思考した末に朧はおずおずと確認を取るべく挙手をした。
「え~っと、理枝ちゃん? それってつまり、その……天魔って死なないわけ?」
「ええ」
「倒せないって事?」
「倒せないのではなく、死なないだけよ」
キッパリと断言する理枝。朧は「……こういう事かな」と自分なりに答えへ行きついた様だが連はさっぱりだ。
「な、なんだよそれ。どういうわけだ? 倒せるけど死なないって……」
「そのままの意味よ。倒す事は出来る。けど殺す事が出来ないってこと」
「え、ええー……」
ニュアンス的に物凄くわかりづらい。
そんな連に対して朧は「多分だけど……」と口を開いた。
「負傷して入院するみたいなもんじゃねーかな? ダメージは受けるし動けなくなるけれど死んではいないし再起は可能って感じで」
「そんな感じでしてよ。彼らはそれこそ全身の肉体失っても時間が立てば再起を果たせると言う存在なのよ。肉体よりも精神体に近しいとも考えられているわね」
「マジかよ。何か尚更勝ち目無くなってきた感があるんだが……」
「そう感じるのも無理は無いわ。けどまあ、倒し続けるしかないのよ。……元々人間界で大事を起こすなんて最近までは鳴りを潜めていたわけだからね……」
どうやら、そこは難しい問題の様だ。
自分たちの様な一般人よりも専門的な方面。とすれば深く立ち入るのは足手まといにならざる得ない話題だろうし、口を挟む領域ではない。
「わかった。何にせよありがたいよ。相手を死なせちまうのだけは心苦しかったから、そこが払拭されるんだったらマジカル要素は何でもいいさ」
「……そう感じて貰えるなら僥倖ね」
仄かに微笑を口元に浮かべながら理枝は小さく頷く。
「ああ、それともう一つ質問なんだけどさ、理枝ちゃん」
「なんでしょう?」
「天魔って基本的な目的は何を以て行動してるのか、教えてほしいんだ」
「と言うと?」
「いや、話を訊く限り、人間界へ出てきたのは結構いるらしいじゃないか。そんなに出てきた以上は目的があるはず。そして牛型の奴もそうだった。だけど、アイツは人をたまに襲っていたけど、快楽殺人みたいに殺人だけが目的じゃないから、今ああやって学校にまで出向いてきたってわけだから……それを考えれば目的は確実にあるわけじゃないか」
「それですか」
理枝が難しそうな表情で唸る。
「簡潔に返答するならば『わからない』と言うのが大きいわね」
「なら、わかる範囲で推察でも構わない」
「……そうね」
理枝は顎に手を当てて思考をしながら、
「まず、天魔が人間界へ進出している話の大本を辿ると、魔界での勢力争いが一旦であると言う話のようね。穏健派と強硬派に旅行派、更に郵便派と友好派に興味本位派……」
「強硬派の後がほのぼのしまくってんじゃねぇか! 旅行に来たり、郵便配達に来たり、友情育みに来たり、興味本位でやってきたり完全に海外旅行じゃねぇか!」
がっくし、と連が肩を落としながら絶叫する。
シリアスさが台無しになったかの様な情報だった。と言うか天魔への印象がどんどんややこしくなっていく連の心境である。
「ま、まあ。要するにアレかな? 勢力争い激しくてバラバラに行動が起こってるっていう感じみたいな?」
「そうね。そう言った感じでしてよ」
「ただ、そう言った行動が起きる理由が不明と?」
「ええ。ただ魔界には陳腐な表現だけれど、『魔王』と言う称号を持つ頂点が存在するそうよ。だからおそらくは魔王の座を巡って何か起きているのではないか……、と言う状況らしいわね」
又聞きだけれどね、と最後に付け足して。
それを訊き終えて朧はなるほど、と相槌を打った。確かにそれならば後継者争いで派閥が湧かれていざこざが起きたりもするだろう。
(だけど、それで人間界に来る理由が不透明だな。……そっか、そこが理枝ちゃんの言う『わからない』の要因ってわけか……)
ややこしいな、と朧は感じながら再度尋ねかける。
「ちなみに天魔進出で何かこう……異常事態とかは起きたりしてるの?」
「ええ。そこは当然ね。あれだけの存在が現れているんですもの。と言うか、そこは弓削日比の経験通りよ。あの特殊な結界に食われるとかね。それに世界各地でも何かしら異常な事態と言うのは引き起こされている様だし……」
「そうなのか……」
「ただ天魔が関与しているかどうかは不明ね」
「不明? けど、絶対そいつらのせいだろ。あんな怪物なんだし……」
連が怯え交じりにそう零す。
あれだけの怪物であり化け物だ。連のあずかり知らぬところで、そういった幾何学的な事件を及ぼしていたとしても何らおかしいとことはない、と連は考えて鳥肌をさする。
「……ま、可能性は否定しきれないわね」
理枝はそんな連の様子を一瞥して、
「ただ、偏見は持ち過ぎてはよくなくてよ? あらぬ疑いで見抜くべき場所を見逃す、なんてのは良くある話でしょう?」
「そうは言ってもよ……」
渋る連に対して「ま、仕方ないか」と理枝は肩をすくめる。
「ともかく、弓削日比。休屋も。訊きたいことは以上かしら」
「ん。俺はもう無いかな」
「俺は山ほどあるけど、もういい。もう色々訊きたくねぇ」
さっぱりした朧と内心抱えながらのどんよりした連。対照的なさまに僅かに苦笑を零す理枝だったが「なら、話はここまでにしましょうか。もう遅いものね」と柔和に告げる。
と、そこで部屋の扉がトントンと叩かれた。
「ん? 誰かな? 入っていいっすよ」
妃奈――ではないだろう。叩き方が違う。何より叩く際に必ず「にいさん」と言うのだから別の人物と考えながら朧は促した。
「失礼します、弓削日比君。――お嬢様」
「あら、川蝉」
現れたのは玲瓏な印象の美女、川蝉だった。中々の美人であり、川蝉を目にした瞬間に連と朧が「ほほ~」と言う感動の声を上げる。一応車の中で見たのだが暗い事もあって良く見えなかった。しかしそれでも美女だとはわかっていたが、明るい場所で見ても十分な美女であり野郎の心を湧き立たせる。だが、理枝が二人をギラッと睨んだ。さっと視線を逸らす二人。
「全く。男性は美人に弱くてね、ホント」
「滅相もございません」
「謙遜しても貴女は美人よ、川蝉」
「心得ております」
「ならよし」
下手に謙遜するより余程潔い姿勢なので理枝はうんうんと頷いた。
「で、何かあるのかしら?」
「ええ。実は先程、到着しましたのでお知らせをと」
「到着ってもしかして……援軍とかっすか!」
連が喜色に満ちた表情を発する。
川蝉は微笑をたたえながら「ええ」と頷いて返した。
「何名ほどかしら?」
「都合六名は間に合うそうで」
「六名――大分足りないけれど致し方ないわね」
「た、足りないのか?」
理枝の言葉に一転して怯えた様子を見せる連に対して理枝は小さく首肯する。
「天魔と本気で相対するとすれば足りなくてよ。専門のそれこそ実力者であれば、一対一で素晴らしい戦いを見せられるけれど、生憎と今いる面々では数量押しがやっとだからね」
「物量って事か……」
質より量を揃えた、と言う理枝の言に朧は僅かに難しそうな顔をする。
「とはいえ、雑魚と謗られる方々ではないわ。一般人よりも確実に芸達者で、強いのは保障するもの」
理枝は胸を張ってそう告げる。
アークスティアに所属する以上は全員、一般人程度の強さではありえない。天魔を撃退できるための強さを備えた戦士達なのだから。
「さて。話しはここまでにしましょう」
「終わり……か。なんかすげぇ濃密な話だったな……」
「れんきゅーが殺されて助かるかどうかの話でもあるしな」
「ホントだぜ」
肩を落として連はそう零す。
全くもって激動の夜であった。殺され蘇生し余命幾何。何でそんな三拍子みたいなのが取り揃わなくてはならないのだと嘆きたい気持ちでいっぱいだ。
「とりあえずアレかな。理枝ちゃんは話してくれてあんがとね」
「別に。最低限の責務だもの」
「お堅いなあ」
「貴方が軽すぎるだけでしてよ?」
軽口を叩きあう二人。
そんな二人を見ながら連は一抹の気まずさを覚えて頭を軽く掻いた。
そして小さく声を零す。
「あ、あのよ……鷹架」
「何かしら?」
「その……悪かったな」
「へ?」
連の突如零した言葉に理枝がぽかんと口を開く。
「いや、だからその悪かったなって。テンパっててってのは言い訳にならねぇけど、それでも何か迷惑ばっかかけてるし、罵倒みたいなのもやっちまったと思うから……その、本当世話になってんのにすまねぇって思って。許してくれなんて都合のいい事は言わねぇけど、やっぱ謝らないとって思ったからさ……その」
うつむきがちにちらちら様子を窺いながらであれど、明確な謝罪の意思に理枝はしばし目をぱちぱちさせる。しかし次の瞬間には綻んで、
「構わないわよ。死んでどうにかならない方がおかしいもの。そうして最後に謝りがあっただけで驚いてるくらいだし」
「わりぃ……」
思わず手で顔を覆いたくなる醜態を晒したのは自覚が芽生えてきた。しかし反面またやらかしそうになる気がするから情けない。だけれど休屋連は一般人なのだ。あんな場面に出くわせば相応に狂乱に陥るし、後に謝罪を述べる気持ちも存在した。
その様子に仕方ないわね、と言う様に肩をすくめた後に理枝は「さ」と手を軽くパンと打ち鳴らした後にこう告げた。
「朝を迎える前に寝床につきましょうか。緊迫する気持ちは察するけれど、怯えているだけでは勝ち目は来なくてよ」
理枝は毅然とした声音でそう零しながらぐっと宝剣リベルテを握る手に力を込める。
「全ては次の夜に決するだけってもんよ。だから今は準備を整え気概を胸に立ち向かうだけ。全力を尽くしてね」
その理枝の言葉を最後に休屋連に襲い掛かった悪鬼の夜は明けていく。
全ては次の宵へと持ちこされながら。
3
早朝。爽やかな朝の空気がシンと森閑に包まれ、清涼な微風がそよりと舞う時間。
赤い屋根をした白い三階建ての邸宅から美しく何処か凛とながらも綺麗な声色を響かせて一人の少女が、その家の扉を開けて姿を現した。
「それじゃ、行ってきまーす」
「ええ、行ってらっしゃいエリちゃん」
相変わらずの優しい声色に見送られながら、少女――新橋エリカはブロンドにも劣らぬ綺麗な茶髪をふわりとなびかせながら、その健康的な体躯を規則的に動かし、軽やかな足取りで走り始めたところであった。
早朝ランニング。
いわゆる新橋エリカの日課と言うやつである。日頃から努力を続ける少女にとってのごく当たり前の行動であり日常的な風景。ラフな服装で朝の風を体に浴び、足音を心地よく響かせる事は何とも言えぬ気持ち良さがそこにはあった。
アスファルトの地面を蹴って軽やかに走ってゆく。
見慣れた近隣の家を見ながら少女は走る。最早見慣れた光景だ。
(で、ここは相変わらず無人なのよね)
四つ隣の大きな邸宅は相も変わらず無人の屋敷で誰かが棲んでる気配は無い。完全な無人屋敷と化している様は見慣れながらも、どこか気にする。近隣と比べ、そこそこ大きな邸宅と言う事もあるだろう。
そんな他愛ない事を頭の隅に置いて、再び少女は駆けてゆく。
朝の風景と言うのは普段と同じで、どこか違う。駆け抜けていく情景は変わり映えなんて、そうそうするわけもないのに、朝と言うだけで、その静けさから別世界の様な印象を抱いたりもしてなんとも奥深く、そして面白い。
普段活気にあふれた場所も朝と成れば人通りの少ない貸切地帯の様なものだ。
(まあ、今の時期はそこそこ張り詰めてるんだけどね)
内心小さくエリカは零す。
そう呟くのには理由があった。
公園へ通じる曲がり角を曲がった先で目に入った青い服装の女性、婦警を視認してエリカは軽く「御苦労さまです」と声を発すると微笑を浮かべながら姿勢の正しい礼を返してくれたりしている。
しかし本来ここでそんな人に出会うのは無かった。
その理由は明快な事で簡潔に言えば『最近は物騒だ』と言う事が大きいだろう。
テレビのニュースで度々何やら厄介そうな事件が取りざたされている事の証明と言わんばかりに道路上の所々に監視の警察官がいたりする。そのおかげだろうか、最近は嫌に視線を感じたりもしている。
「ホント、大変よね……」
最近目ぼしいのは脱走犯辺りだろうか。そのほかにも色々耳にするが、本当に大変な時世があったりするものだと思う。
朝からそんな事を気に掛けるのは何とも憂鬱になる。しかし警察の頑張りに感謝も示しつつ新橋エリカは思考を切り替えて朝の世界を楽しんで走ってゆく。今日の景色を満喫するべく足取り軽やかに走ってゆく。
地平線の果てに顔を表し始めた暁光の赤い眩しさを心より、綺麗よね、と実感しながら。
そんな少女へ無粋の極み。
汚れ切った眼差しで顔を喜悦に歪める男がいた。
――素晴らしい。溌溂とした活気に満ちた表情と瑞々しく健康的な体躯。実にそそる!
エリカに毒々しくも熱い視線を注ぐ、その囚人、性犯罪者、強姦魔――マクシミリアーノ=ムンジュイックは唇を舌で濡らしながら愉悦と狂気に満ちた表情を浮かべていたのである。場所は公園が見通せ、新橋エリカの家が視界に入る近くの高台に生えた樹木の中であった。そこから驚異的な視力と双眼鏡越しに男は舌なめずりをする。
早朝ランニングを行う健康的な美脚を晒すエリカの活力あふれる様は何とも美しい。朝の仄かに輝く日差しに白い肌を照らされながら活気溢れる足取りで走る少女の若々しさは眩く映える。瑞々しく若い肢体は極上の獲物であった。
「今までのどの女よりも馳走に相応しいと言えるでございましょう」
囚人の脳髄は次の晩餐で満ちていた。
新橋エリカを凌辱し尽くすこと。先の被害者らと同様に尊厳を踏み躙ること。マクシミリアーノと言う男の脳裏に過るのは一重にその一念であった。妄執的なまでに、狂った思考はとめどなく溢れて『さああの女を思う存分喰らえ、食め』とばかりに噴出する。
女性になる前の少女と言う段階。
その段階にいながらも、大人びて綺麗な容姿を誇る新橋エリカは実に対象とされるに相応しかった。故に男の狂気はむくむくと膨らんで行く。
今すぐ喰らおう。さあ喰らおう。
そんな欲望が語りかけるが今はダメだと男の危険信号が制止を呼び掛ける。理由は単純明快、早朝とはいえ、周囲には人が多く、また警備の警察官が常に近隣を徘徊している為であった。マクシミリアーノに今出来るのはこうして少し離れた場所から彼女の日常を目にすることだけである。
そしてその観察で穴を見抜く。
如何な事態でも確実に隙はあるものだ。そこを突けば、確実に自分は朝食として素晴らしい美少女を食い散らかせる。その為にマクシミリアーノは少女を喰らうべく、獲物を狙うハンターのごとく身を潜めている。
「最近はつまみ食いも難しくなってきましたからなあ」
愚痴る様にそう、零す。
(原因はまず間違いなく予測ついてはいるのでございますが如何せん、感触がどうにもあやふやなのが困りものと言うところでごぜぇましょうか)
警備体制が強化されたと言うのも当然あるが二度三度目についた女性を犯そうとするのだが、事前にご破算、警察が周囲を近づく事もあり、現在は空腹なのだ。理由はわかっている。自分がこうして暴虐を尽くすのだから、そう言った可能性が交錯しているのは至極当然だろう。
だからこそあの茶髪の少女は逃さない。
あれだけの美少女は滅多にいない。彼女が至福の味わいとなるだろうは想像に難くない。
「ああ、楽しみにしていてくださいませレディ。このマクシミリアーノが必ずや、貴女の隅から隅まで余すところなく食い潰し、食い散らかして差し上げると言うものでございましょう」
その呟きと共に、マクシミリアーノは愉悦の笑みを浮かべて静かにその場を去ってゆく。
長らく観察を続けた事により見つけた一点――そこを突くべく、少女を確実に味わい尽くす為に男は涎を服の裾で拭いながら静かに消えていった。
少女に気を取られている隙間、警察に気を向けている合間。
僅かに生まれている微妙な空間を手探り、ひっそり、こっそり、とことこと、彼の後を静かに潜みながら追尾する影があった。日本人離れした青色と言う特殊な頭髪、少女と形容して過言無い面貌、男子としては華奢な体躯をワイシャツとズボンに包んだ、五月と言う時期にロングコートを羽織る形でたなびかせる一人の少年――弦巻日向がそこにはいた。
迎洋園家に姿を現さずにいた日向が何故此処にいるのか。
その理由が前方をひそやかに駆け抜ける男の存在にある。
あの日、人生最大の幸福な感情に包まれた、エリカとのお出かけの日に、エリカがぶつかってしまった相手の男性。あの時、日向は嫌な違和感を抱いていた。デート中はエリカの存在に心全部奪われていた事で頭の隅に追いやっていた存在だが、デート終了後に気がかりになり町中を散策して発見したのである。
その後の調べで彼が脱走中の受刑者であり、連続強姦殺人鬼である事を知った日向の心境は想像がつくだろう。
危険だ、と。
何よりもしかしたらエリカも狙われているのではないか、と思う様になるのに時間はかからなかった。事実こうして追跡している事で彼の目的がエリカなのは明白となっていた。しかし問題なのは、このマクシミリアーノと言う男が厄介極まりない存在であったと言う事にもある。
それは彼の強さだ。
追跡中にも警官隊と衝突した場面を見たが、日向は危機感抱かせる内容であった。
銃弾を避けるわ、人を素手で容易く屠るわ、俊敏だわ、と超人じみた運動能力の高さに絶句せざるを得なかった。
そんな彼が行動を起こしながら考える様になったのは如何に彼を拿捕するかだが、これが難しいのは一目瞭然。頭を悩ませる事案である。
だが少年は諦めるわけにはいかなかった。
ここから先に被害者の女性を増やさないため。
そして――エリカをそんな悲惨な憂き目に合わせたくないし、何より――。
「うん、ファイトです僕」
自己を鼓舞する様に小さく呟く。
とにかく今出来る事は彼の追跡――そして妨害。出来る事をやるだけ。日向は前を行く男の後を物静かに追いかけてゆく。――そして、こけた。
「へぶっ」
「?」
その声にマクシミリアーノが振り返る。日向は即座に横転してさっと近くの店の立札の影に身を潜めた。そして咄嗟に彼は無我夢中の偽装工作に転じた。
「わんわんっ」
「ああ、イヌでございましたか」
なんだ、とマクシミリアーノは穏やかな笑みを浮かべながら去っていった。
「あう……あぶにゃかった……。けど、いたい……」
あうー、と痛そうな声で鳴く日向。基本、彼はドジもついた少年である為にコケたりする事は日常茶飯事である。エリカの『見てないと危なっかしい奴』と言う評価は得てして正しいと言えた。
「でも良かった。バレなかったみたいです」
バレたらアウトだったかもしれないと思うと肝が冷える。
同時にどうして自分はこうコケやすいんだろう、と考えてちょっと恥ずかしくなった。だが、ここで羞恥に苛まされているヒマはない。やる事はたくさんあるのだから頑張らなくてはエリカに顔向けできないのだ。
そんな時にコートのポケットからコン、と小さな金属製の物質が転がった。
銃弾である。
ポケットから何てものを落とす少年だろうか。
「いけないです、見つかったら警察に怒られちゃう……!」
慌ただしくさっと隠す。見つかる以前に普通に連行される代物なのは言うまでもない。
とはいえ温和で素直な少年が無駄にそんなものを持っているわけではない。
獅子のエンブレムが施された一発の銃弾。
カリガライン武器会社製品。確か批自棄曰く、アイルランドに存在するカリガライン家と言う名家が経営している武器会社だったな、と言う事を日向はぽつりと思い出した。銃弾として使用したところかなり良かったので愛用している場所だ。人へ向けるわけではなく、実弾はもしもの場面にあると良い、ましゅまろ弾では器物損壊と言うのは余程柔らかくないと使えない為のお守りみたいなものである。
そのカリガライン社製銃弾に描かれた獅子のエンブレムを一瞥し日向は力強く頷いた。
「うん。僕も頑張ろう。ライオンみたいに、雄々しくあるんだ」
そう零した日向は店の看板に描かれたライオンのキャラクターのイラストを見ながら、その後しばらく『がおーっ! がおーっ!』とライオン目指して咆哮の練習を始めたのであった。
4
昼。昼食を終えた休屋連は街中を歩いていた。
夜中の騒動もあって、体力的に疲労困憊だったのか、寝て起きてみれば十二時過ぎであり、朧の妹である妃奈にご飯を御馳走になった程だ。妃奈の作る料理はどれも美味しく美少女の手料理と言う事もあって実に興奮した限りである。
(これで好きな男がいなけりゃアタックもしたんだけどな)
如何せん、弓削日比妃奈が誰を意中の男性と定めているのかは連とて知っていた。
戦っても勝ち目のない相手を好きになっている少女に適当なアタックをしたところで勝ち目がないのは目に見えているし、気まずくなる事必至だろう。何より可愛いな、止まりなのもあってする気もないし、何より正直度胸も無い。
(どっかにチョロインいねーのかなー、くそ)
なんて、都合のいい事を考えながら連は街中を歩いていた。
昨晩外出した後に実家に戻らなかった事も踏まえて、一度家へ戻って話を済ませてきたばかりであるが、そのまま再び外出する運びとなったのには理由がある。
「こら、休屋。姿勢が悪くてよ」
それは隣を歩く美少女――鷹架理枝の存在が大きく起因する。並列して歩く理枝の姿にドギマギしながらも、侮られてはならないと普通を装う。
「うぇ。別に歩き方なんて適当でいいだろ?」
「ノン。姿勢よく歩く事は大切な事よ」
「へーい」
「あと、足並みを女性に合わせた方がよろしくてよ? アタシ結構早足だし……貴方、女性にモテないんじゃない?」
「余計なお世話だよ!」
美少女と二人で行動している。
連の人生としてはトップクラスに素晴らしい出来事だ。異性と一緒に街を歩くなんて経験した事のない連にとってはビッグニュースである。例え、先程から小言がうるさくても、そのスタンスは変わらない。
見て欲しい限りだ、世の男達を。連が歩き理枝が横を歩む度に振り返る男性の姿がちらほら見受けられる。連とて同様だ。ちらちら理枝を一瞥している。
(なんかやべぇな、美少女。世界が新鮮だわ。すげぇ、俺一生分の運気使ってね?)
ドキドキしてくる心臓をぎゅっと抑える。
朧のおかげで美少女と近距離で会話する場面は増えたが、それでも朧の介在無しの二人きりと言う事態は凄く大きい。運気を使い潰していないか不安な程だ。
しかし、どうして連が現在彼女と行動を共にしているのかと言えば理由があった。
それは武器を入手する事。
昨晩に話した武器屋がある場所へ赴くと言う事でついてきたのだが、辺り一面どこぞの商店街と言う風景で連は困惑してしまう。本当にこんな場所に武器屋等あるのだろうか?
なお肝心の朧はと言うと蚊帳の外気味になっていた妃奈のご機嫌取りも踏まえて彼女と家で二人きりのんびりしている。それはそれで恨めしく羨ましくなる気分の連である。
だが、見てほしい。この現状。
さながら美少女を連れ歩いて嫉妬を買う彼氏の様に――、
「アレ……隣が彼氏かね?」、「いやあ無いだろ。冴えないとかパッとしないとかでもなく、何かいても別に……ってなるし」、「顔立ちも何か普通っていうか……崩れてるし」、「小間使いじゃね?」、「あー、そうだ。小間使いだきっと」、「美少女に使って貰えるとか羨ましいなおい!」、「やっぱ美少女と関わってるってだけで殺意湧くな何だか」。
手下と思われていた。
(なんでだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! もっとこう彼氏か的なやり取りしてくれよ! 小間使いになってんなよ! つーか酷い事ばっか言うなし! なんかもう中傷じゃんか! そんで最後に嫌な理由で殺意湧くなし!)
と内心絶叫しつつも、連もまた立場が逆ならそう言う感想を抱いていたのは言うまでもない。感性もズバリ一般人なのだ。
「貴方さっきから何を一喜一憂していまして?」
「へ? べ、別になんでもねぇよ! そうだ歩いてて迷子になったりしたら大変だろうし手でも繋ぐか?」
「何言ってまして? 道順知っているのアタシの方でしょうに」
「……」
そうだった、と連は消沈する。道筋を知っているのは彼女の方であり自分は連れられている方なのであった。小間使いの気分になってくる。
「……あれ」
と、そこで小間使い――と言うわけではないが従者と言う事で一つ気付いた。
「そういや、川蝉さんは? あの人どこだよ?」
この商店街に入るまでは車を走らせてきたのである。しかし商店街を車では迷惑と言う事もあってそこからは歩きと言う形になったのが現状だ。その際、川蝉もいたはずだが気付けばいなくなっていた事に今更気付く。
「川蝉なら護衛任務に就いているわよ」
「え、いねぇけど」
「いましてよ。姿が見えないだけで。多分、ビルの上とかにいるかなーと」
「何でそんなとこいんだよ……」
「いえ、だってあの人ビルの壁面を普通に跳躍で昇れるプロですし」
「川蝉さん何者なわけ!?」
傍仕えとして理枝の傍にいる様だが、スペックが常人離れしている事実に連は愕然となる。確かに理枝に仕えていると言う時点で一般人では無いだろうが、それにしたってスペックが異様に高いと連には感じられた。
そうして二人はその後も他愛ない会話を続けながら未知を歩いてゆき、そうこうしている間に二人が辿り着いたのは、街中にある一つの寂れたスポーツ用品店であった。看板には『一楽斎』と言う店名が記されている。
しかしどう見ても唯の寂れた店の佇まい。それに連は茫然としてしまう。
「……え?」
「どうしまして?」
「いや……え?」
連が店を間違えていないか、と言わんばかりの視線を浴びせるが理枝はきょとんとしたままであった。事実、彼女はそのままの様子で「突っ立っていないで、入りましてよ」と零すと店へと足を進めていく。
よくわからないながらも突っ立っていても仕方がないので連も渋々後に続いた。
どう見ても何の変哲もない店構え。中に並ぶ商品も遜色なく普通のスポーツ用品が陳列されている限りだ。こんな場所で何が買えると言うのか。連は疑心暗鬼になりながらも店の奥へと進んで行く。
すると見えて来たのは一人の男であった。
だが、それは辛うじて男と識別出来る程度でしかない人物だった。
「いらっしゃりせあにかんかん」
気だるげに、そして何処か雅なイントネーションの発音、京言葉にも似た何処か可笑しな発声で、そう零したのは一人の男性。骨格から言って男性なのは間違いない。ただ問題なのは覆面で顔を隠しており、穴と呼べる部分がゼロであった事だ。よくもまあ、はっきりとした言葉が聞えてくるものだと感動したくなるくらいだ。
「御店主。数日ぶりでしてね」
「あいさい、確かに。で、今日は何のようかねさらく?」
「武器を」
「武器。はてはてさてさておかしいな。お嬢ちゃんは武器と呼べるものは満載だった様に思えるけれど、その上その上入用なのかいさい?」
「ええ。ただし私では無く――彼がね」
「あ、ど、どうも」
連が恭しく頭を下げる。
店主はちらりと一瞥した後に。
「こりゃまたどうしたお嬢ちゃん。見れば、そちらの童は一般人みたいじゃないか。かなり場違いな空気があるもんぜ? 此処へ連れてくるほどかいさい?」
「……事情があって、入用なのよ」
「大方察するそいやに……巻き添えかるばくに?」
「はぁ……似たようなもんですわ。ただし巻き添えではなく純然に被害者と言う方が正しいわね」
「理解理解。何やらややこしやな状況そうそうだにめしき」
嘆息交じりにくくくくく、と言う微笑が零れてくるが、理枝は「返す言葉はないわね」と甘んじて受け止めている様子であった。
(しかし何なのかねこの店主……変わり者っつーか、言葉遣いも何か妙だし)
敷いて発音の性質を言うならば京言葉の様に感じるが、付け加えなくても蛇足交じりな言葉遣いと言うか方言とも違う言葉遣いに何とも言えぬ違和感を感じながら連は内心そう零した。
「ま、よかよか。そちとらの事情に土足でどうたら無粋へっぽう。なんたるさ、関わる事でも無き事されしき。戯言は打ち止めにしておくべさらん。武器だったな、よかよか、たんと見て行けばよきに次第な事はじり」
「ありがとう。それじゃお願い」
「承ったり。くるりんぱっ」
店主のふざけた様な言葉が響いた瞬間に連は「は?」と間抜けな声を零す。
それは一瞬の出来事だった。僅か一瞬。知覚も難しい速度で光景が一変したのだ。先程まで唯の普通の店、店内だったはずが瞬時に変遷。気付けば、そこには無数の武器が立ち並ぶ驚愕の世界が入り乱れていた。
刀剣類、斧、槍、銃火器――その他様々多種多様。
連の生きてきた人生の中では見た事も無い武器の数々がずらりと並んでいたのであった。
「は? ――は?」
その様に休屋連は唖然とする。何が起こったのかと瞑目する。
そんな彼の様子が面白かったのか店主が僅かに笑いを零す。
「くくく。ざれん驚き有様よなよな」
「え、えっとまあそりゃあ――お、驚くに決まってんだろ! いきなり全部変わったんだぞ!?」
「愉快痛快めしめし」
「言葉が特徴的過ぎてわかりづれぇけどバカにされてるのはわかったぞ今!」
「その人はいつもそんな感じよ。それよりも武器でしょう? さっさと選びましょうか」
「お、おお。そ、そうだよな!」
「とくごゆるり」
理枝に促される形で連は意気揚々と足を運ぶ。
そこにあったのは見た事のない、だが漫画などで見覚えのある数多の武器。男子として心惹かれる事この上ない光景だ。
怪物退治なんて誇大妄想、一般人の自分に出来る領分ではない――そう言う想いが今ここに微かに雲を晴らしていくようだった。勝ち目がある。勝機が見えたと啓蒙する。
連はおもむろに店内を見渡した。
いたるところにある武装の数々。そのどれもが主を待ち望む忠節の臣下の如き佇まいで宿主を待ち侘びている。ならば答えなくてはならないだろう。お前の待ち望んだ主はここに来たぞ、と高らかに叫ばなくては忠節に報いられない恥晒しだ。
連は目を鋭く澄まして、その手は一振りの剣に向かった。
煌びやかな装飾の施された紅蓮の剣。それをいざ手に持って、
「う、うわ、うわわわっ!」
落とした。
「ちょっと!? 危なくてよ!?」
「ととと。これはいかんなき」
理枝が叫ぶ傍らで店主がさっと手を振った。すると刀剣は空中で安定し、一呼吸置いて元の配置へと戻ってゆく。その様子を見て安堵の息を吐いた後に理枝が小さく零す。
「どうしたの? 何か呪いでも帯びてたわけ?」
「そいそい。安心されるば、お客人。当店が飾っている武器は至極、逸脱したものではないよ。裏側に飾ったものは格別めしたりど」
「そんな危なっかしいものは出さなくてよくてよ?」
「委細承知」
「で。どうしたわけ?」
理枝の問い掛けに連は一拍置いた後に、
「い、いやその」
「ええ」
「重くて……」
「……」
そう、告げた。途端に理枝が無言になる。
そして無言のままにリベルテを顕現させると、連の肩にトンと触れさせ、ついで体のところどころをトントンと軽く触れていく。
「お、おい。なんだよ……?」
「……」
「おーい?」
連が不可思議そうな表情を浮かべる余所で理枝は肩を震わせて、
「貴方、運動経験どれくらいなわけ?」
「へ? ま、まあ……………………とりたてて普通だけど」
「武術に通じた経験は?」
「んなもん、ねぇよ。かったるいじゃん」
そこまで連が断言したところで理枝は爆発した。
「Are you an idiot !?」
「うわあっ!?」
突然響いた絶叫に連がびっくり仰天する。
「な、何だよ急に!」
「シャラップ! 話にならなくて怒ってんのよ!」
「はあ?」
「お客人。今のは『貴方はバカなの?』と言う意味の言葉になるしき」
「マジで!? おい、お前、急に失礼だろ!」
「黙りなさい。話しにならないわ……それでよく、武器欲しいとか言ったもんね」
「へ?」
「何か根底からおかしいのだけれど、どうして貴方は武器を求めたわけ?」
「そりゃあ在った方がいいだろうし」
「確かに無いよりある方がいいのは確かよ。けどね。それは一定の段階へ突入した場合にのみ語り得る事でしょう?」
ポカンとする連に対して理枝は諭すようにこう語り始めた。
「武器って言うのは扱う者の技量次第よ。剣に然り、銃に然り。ただ持って振ればいいってだけなわけはなくてよ。そもそも土台として筋力がいるのは当然でしょう? 鉄の塊を自在に扱える膂力は必須だもの。私だって、このリベルテは多少恩恵を与えて軽く存在しているけれども修練は必要であったし、風の刃の太刀筋も練習がいた。日本で言えば剣道辺りかしらね――剣の経験がない人がいきなり剣を得て強くなれる? コンビニ強盗がナイフ持って強さを誇示する愚かしさと似たようなものよ、そんなのは。貴方は筋力が無い。武芸の鍛練もない。それじゃあとてもじゃないけど、武器何て危なっかしくて持ち歩かせられなくてよ?」
「な……!」
その言葉に連は真っ赤になって憤慨する――だけれど、正論である事は理解出来てしまった為に言い返す事が出来ずに口ごもってしまう。
確かに何の経験もなしに武器を得ても無為な事だとここにきて頭が働いたのだった。
「てっきりある程度土台があるから、そう言っていたものと思っていたわ」
「う、うるせえ! ファンタジー絡むんだし、そんな事考えちゃっても仕方ねぇだろ!」
「まあ、確かに風雲系統で重量が無いと言う剣は存在するけど、貴方だと何だか、振っている最中に剣が自分を切りそうで怖いし」
「わ、わあったよ! 使わないよ!」
け、けどよ、と連は弱弱しく零しながら、
「ならどうすりゃいいんだよ? 武器無しで立ち向かうなんて俺には無茶だぞ? 素手であんな化け物に挑みたくねぇよ。何かねぇわけ?」
「……一番簡単なのはナイフだけれど」
そう言われて店にある軽量型のナイフを手渡される連。
その刀身を見て一言。
「あ、あのさこれ…………包丁みたいで、こえぇんだけど」
「貴方、剣を意気揚々と持ったメンタルどこいったわけで?」
ジト目で理枝が睨む。
そうは言うが剣のファンタジーな外観は見た目、何故か不思議と持っても平気そうなのだが、ナイフの様なサイズになると包丁に近くなってきて幾分怖い。下手に身近なせいか生々しさみたいなのを変に意識してしまい、手が触れたら痛そうとか情けない心境になって触れる手が縮こまる。
しかし仕方ないと連はナイフの柄を握り緊めた。グリップの感触が手に伝わる。
「うぁ……。な、なんかこぇぇよ刃物って。こ、これはいいや……」
「ビビり過ぎじゃなくて?」
「う、うっせぇ! だ、だって、刺したら血が出るんだぞ!」
「なら刃物全般ダメではなくて?」
「じ、じゃあ銃だ! 銃くれ!」
「こちらになりそん」
店主がぽいっと拳銃を一丁手元へ寄越してくれた。
「ど、どぇぇぇぇぇぇ……? え、うそ、銃ってこんなずっしりくんの?」
「鉄だもの」
「ちなみ言えば、照準を定める筋力が無かずるば、扱うには無理がしめさに」
「な、なんなんだよもう」
連はがっくり来ながら銃を諦めた。
手に持った重さから腕がぶるぶるするし、引き金が意外と固くて指が痛い。そう言えば反動で照準が難しいとか聞いた記憶を思い出しながら悲嘆にくれる。
「なんかねぇのかよ……」
「そうは言ってもねぇ……」
「お客人の筋力と、技巧が一般人のそればさらんかるに、現段階はほいさい難しきかと言うのがこちらの考え至れるに」
要するに基礎がなっていない。
そう断言された連は思わずがっくり来てしまう。てっきりファンタジーならば、そこのところもどうにか出来るかと期待したのだが、難しいようだ。ラノベでは使った事のない武器を易々と使っていたりするのに……と、無情な現実を嘆く。
「ま。そんなお客人にも選別の一つ無きも悪かろうさりて」
「え?」
「こちらでも買ってゆくといい」
そう言うと店主は再び「くるりんぱっ」と流暢な言葉を発して店内を元の姿へ戻す。そして傍にある筒の中から一つの棒切れを取り出した。
「そ、それは――!」
きらりと輝く銀色の光沢。シャープなシルエットはそれでいてどこか力強い印象を抱かせる甲子園球児の頼れる相棒。
「バット一本、二千円。これで手を打つとよされりき」
「そうしておくわ」
「貧弱武装過ぎるだろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
バット一本を理枝は財布を開いて購入し、店主は「まいどおおきに」と言う言葉で出迎えてくれた。そして、そんな光景を見守りながら、休屋連の絶叫が虚しく響くのだった。
第八章 前篇:日がくれ。休日の激動




