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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Quatrième mission 「ヒーローと休暇」
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第七章 後編:ヘタレ死す!

第七章 後編:ヘタレ死す!


        1


 学内で連が怪物の強襲を受け始めるそのほぼ同時刻。

 学校の門前に一台の黒塗りの車が停車した。そして中から慌ただしく飛び出る一人の少年の姿があった。朧だ。そんな一目散に駆けだす背中に対して携帯電話を耳に当てながら理枝が怒号を発し止めにかかる。

「待ちなさい弓削日比! 今、他の組員に連絡取ってるから!」

「待たない! 待てない! 待てるわけあるか!」

 耳にした制止の声に答える暇もなく、朧は駆け出した。そして高く聳える学校の柵状の門を自宅の時と同じように一っ跳びで飛び越えて校内へと侵入する。

「だから身体能力高すぎでしょう!?」

 理枝が驚愕の声を上げて「やりますね、彼」と川蝉が称賛を送り、驫木が「最近の若い奴もやるもんだなぁ……」と驚いて目を見開いていた。

 しかし驚いてばかりもいられない。

「アタシが追います。川蝉、貴方はここに残って見張りをよろしく! 騒ぎが起きたら校務員が来る可能性は高いし、一般人が寄ってくる可能性も無下に出来ない」

「了解しました。お気をつけて」

 その言葉を合図に理枝は即座に走って学校の門を風を纏いながら跳躍し中へと侵入する。

「しかし、弓削日比も弓削日比で何なのよ……!」

 昨日会話した折には『友達でも男なら自分で頑張れ』みたいな発言をしていたと言うのに。

「アレは友達のピンチには真っ先に駆けつけるタイプじゃないの……!」

 蛮勇と呼べるものなのかは、わからない。

 だが朧は確実に行動を起こしている。大切な仲間達の為に。ならば理枝はそんな人物をむざむざ死地に一人で行かせるわけにはいかないと思えた。手には輝く宝剣の煌めき。戦う力は自分が持っている。使命は自身が帯びている。

 組織『アークスティア』のメンバーとして鷹架理枝は毅然とした光を双眸に込めながら七へと赴いていく。



 弓削日比朧は何時になく焦っていた。

 心は務めて冷静であろうとしているが、それでも焦りは消えそうにない。それを自覚し、その心境で今から向かって大丈夫なのか、と言う問いかけが脳髄に発せられるのを理解している。確かにこの焦った心境では幾分危ないかもしれない。

「だからってはいそうですね、で済ませていいわけないんだ……ッ!」

 友達のピンチだ。自分が適切に振る舞えるかどうかと言う問題以前に、自分はちゃんと人間らしく立ち向かえるかが今の関心事だ。

 何が出来るかはわからない。

 あんな化け物相手に自分がどこまで食い下がれるかはわからない。

 だけれど確実に巻き込まれる事態に陥ってしまったであろう親友を見殺しにする性分は弓削日比朧にはあり得ない事だ。

 間に合え、間に合え、と足が躍動する。

 スタミナの関係など今は無視してしまえばいい。とにかく生き延びている彼に出会うのが一番大切な事なのは否定するまでもない事だ。

 頭を稼働させる。連はどこにいる、と。

(場所は間違いなく俺らの教室だ! 三階! れんきゅーはそこにもの取りに行ったんだから、そこにいない方がおかしい。多分、鍵が閉じてて入れないだろうけど、職員室もそうだし、用務員さんに話して空けてもらう手間も連は渋るはずだ! なにより、夜の学校に長居して怯えない様な奴でもないし!)

 それで早く帰っていてくれれば万々歳だが、おそらくは楽観的思考だろう。

 時間帯的に鉢合わせする可能性が高い。

「ぜってぇ、生きてろよ、れんきゅー……!」

 走る。駆ける。ひたすらに。

 そうして教室のある階へと辿り着いた朧の耳に、つんざく様な叫びが響いたのだ。


「誰か助けろよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ちっきしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 聴き慣れた、友人の声だった。

 休屋連の必死の叫び。

 まだ生きている事を認識できる確かな咆哮がそこには響いていた。階段の踊り場から身を飛び出して廊下へと。そこで目撃した光景は一言で言えば阿鼻叫喚のそれだった。

 怪物に追い掛けられている少年の構図。

 なんと余裕のない光景だろう。

 走り過ぎたのかわき腹を抑えた少年が走ると言うよりも引き摺ると言う形で走っていた。面貌は見れたものではない。口からはヨダレをだらだら溢れさせて、目尻には必死さを伝える落涙が滝の様であり、鼻孔からは絶え間なく鼻水が噴出していた。

 怖い夢から必死に逃げる様な余裕の無さ。

 切羽詰まった少年の無様な醜態――しかし、生きるのに必死な友人の姿がそこには確かにあったのである。

 朧は叫んだ。

「レンキュー!」

 生きていた。まだ生きていた!

 歓喜を抱きながらも、朧は早く助け出そう。間に合え、と強い意思を秘めて走り出す。

 相対する連は「……え?」と間の抜けた様な様子で自分を見た。

 表情に喜色が灯ったのが見て取れる。自分が現れた事で安堵感を抱いたのかはわからない。だが確実な歓喜の色を灯して『幻じゃないよな』と、言う様に目尻を腕で拭って、再度確認すると安心感からか――走りが微かに緩まった。

「おびょりょ……!」

 ――ダメだ緩めるな!

 脳がアラームを発した。連が走りを緩めた事に対して警告する様に。

 同時に、見計らったかの様に牛の化け物が片腕を引き絞ったのが目に見える。連は気付いていない。相対している朧にしか見えていない光景だった。

 それが意味するところはつまり――、

「フレンドの前でベストフレンドと思しき少年をキール・ユー。げげげ――これはこれは何ともデスペレイションではあーりません、かッ!」

 ずぼんっ。大間抜けな程にそんな穴が出来た様な音が響いた。

 否、様な、では無かった。

 実際に空いている。抉られている――連の胸元が大きく、大きく。怪物の巨腕が穿った場所にはどう見ても致命傷としか言えない空洞が出来上がっていた。そして本来そこにあったはずのものは辺り一面に飛散し中に在った臓物を盛大にぶちまけていく。

 その結果として、連の瞳が焦点を合わせず上下左右にぶれはじめた。

「……え、いや、なんよ、これ……。笑えないって、なあ、こんな傷どこの病院なら診てもらえるもんなんだって、ハハハ、おい、ちょっと待てよ。しかも俺今まで胃がきりきりして仕方なかったってのになにこれ、どゆわけ、すっげぇ胃が痛くも何ともなくなったっていうかさ。え、いや、だからこれどういうわけなんだって、俺なんかした? 俺ってこういうよくわかんねー最後迎える様な極悪卑劣漢じゃないんだって、なあ神様……。神も仏もないとかそんな事思っちまうぞ、おい、ふざけんなって、なあああああああああああああああああああああ」

 なんと怖気の立つ光景だろう。

 少年が目を白黒させながら、狂った様に血反吐をぶちまけつつ喋る光景は狂気じみた光景としか言いようがない。自身の絶命が信じられない様に罵倒をひたすら吐いて笑い声を霧散させていく様の何たる痛々しさか。

 同時に周囲一帯に嫌な匂いが充満していく。

 脱糞と失禁の匂いだった。その上、連の口からは胃液の様な黄色い液体も溢れ始めている。酸っぱい匂いと二つの悪臭が混ざり合い、その匂いは死臭と化して空気へ流れ出てゆく。

「oh――シット、ボーイ、今わの際にエクスクレメントまでこなすとは何と言うコンプリート精神……」

 その匂いに加害者足る怪物も予想外と言った様子で眉をひそめていた。

 しかしその直後。どこか哀悼の意思さえ覗かせた様な声で小さくぽつりと零す。それが何であったか。あまりにも小さくて、怪物の口故に読唇術も使えず聞き分ける事は流石の朧にも難しかった。

 だが、しかし、言える事とすれば、

「ユー、グットなディスピアーだったぜ。グッドラック!」

 そんなふざけた言葉が、弓削日比朧の親友の最後を飾る言葉となってしまった現実だった。

「レン、キュー……」

 愕然とする。目の前の出来事が度台容認し切れず、愕然とした。

 眼前で体に大穴を開けられて血に沈む親友の姿にただただ茫然とした表情を浮かべている他にない程に。先程まで確かに生きていた。涙と嗚咽に塗れながらも足掻いていた。それが今や、血の香りと脱糞の醜悪な匂いに混ざった悪臭を放つ骸と化しただけである。

「げげげ、ユーの方も随分グレイトなディスピアを感じる――グットだ」

 グッとサムズアップする化け物の姿。

 その妙に明るい姿に気をそがれそうにも、現実味の無さを感じそうにもなるが、これは見間違いの無い現実なのだ。

 休屋連は死亡した。殺害された。

 こんなバカな事があるわけない。あってたまるか――、


「――なら神に代わってアタシがこの場に手を伸ばしてあげようじゃない」


 そんな悲嘆に暮れそうになる刹那、朧の鼓膜を叩いた凛とした声が一つ。

「ボサっとしてるのではないわよ弓削日比」

 そこで意識をハッとさせる凛とした少女の声が耳に届く。

 朧は視線をサッと後方へ向けた。朧が駆け上がってきた階段と同じ方向からだ。

 そこから歩いて来るのは自分とは遅れてやってきた少女――鷹架理枝。

 彼女は新緑の頭髪をなびかせ、その両手に二挺の剣を持って歩いてきた。片方は見覚えのある代物。だがもう片方は初めて目にする橙色の柄をした剣だった。そしてその両剣がこの場に現れた瞬間に、周囲の悪臭が拭い払われたかの匂いを潜めていったかの様である。

「理枝ちゃん……」

「ちゃん付けはするなと言うのに、もう」

 この局面でもちゃん付けする朧にげんなりした様子で文句を吐く。

 しかし廊下に崩れ伏す連の死体。そして辺り一面にぶちまけられた血の海と悪臭に柳眉を潜めながら、厳しい色を双眸に纏わせつつ朧の方へと歩き出していく。

「やっはろー、ガール! また逢ったね! さっきぶり!」

 相変わらずの能天気な明るさ。だけれど眼前の事実は人一人を殺害したと言うものに他ならない。その時点で理枝の頭は憤慨と共に冴えわたっていた。

「ええ。先程はよくもまあふざけた逃亡してくれたものね」

「逃げるのは悪くない。むざむざ逃がす方が悪いのさ!」

「本当ムカつく事を言ってくれるわね」

 けどまあいいわ、と理枝は怒気を堪えつつそう呟いた。

「貴方さっき言ったわね」

「ホワット?」

 何が? と言う様におどけて返す怪物に対して理枝は峻厳な面持ちで呟く。

「神様は助けの手なんて伸ばさないって」

 発された言葉に対して怪物は、僅かに沈黙を空けた。

 しかしその静けさを破った末に断固とした声で断言する。

「イエス。神は救いの手は決して伸ばし得ない」

「同意見よ。神様なんて早々お目にかかれるもんでもないしね」

 肩をすくめて理枝は言葉を紡ぐ。

「だからソイツは死ぬしかない」

「当然。事実ボーイの息はすでにナッシン」

「腹がそんだけ抉れてちゃあね」

 そう言いながら理枝は右手に握る艶やかな緑色の柄をした西洋風の刀剣を連へ向けた。

「ただ、殺害犯が貴方で――、目の前で神に絶望感じながら死ぬ様を見るのは後味悪いったらない話なのよ」

 だから、と理枝は呟いた。

「なら神に代わって私がこの場に手を伸ばしてあげようじゃない――って話よ」

 その言葉を最後に理枝は投擲した。

 右手に握るその剣を連目掛けて。

 朧が「ちょ!?」と、声を上げて怪物が訝しむ態度を見せる中で連の頭部にその剣は見事にガスッと突き刺さった。それと同時に理枝は呟く。

「癒して――必滅覆す回天の剣(ブリーズ・キュラティフ)

 すると理枝の呟きに呼応する様に剣が眩い橙色の輝きを放つ。

 その閃光に思わず怪物は目を覆った。ただでさえ暗闇で活動していただけに突如の光に目をやられそうになるのを凌ぐ。そんな中で輝く剣は恐るべき偉業を成し始めていた。

 光に包まれる連の体に変化を起こしていた。

 橙色の輝きはそよそよと彼の体を撫でる様に発光し、その傷痕をみるみるうちに癒していくのだ。傷など無かったかの様に大きく抉れた腹部が閉じていく。見るからに普通ではない尋常では無い光景だ。朧も思わず目を見張る。

 そして僅か数秒の間に連の傷が塞がれて、

「ん、うう……?」

 休屋連が瞼を開いた。

「れんきゅー!?」

 朧がとても信じられない様子で彼の名前を叫ぶ。

 同時に理枝が連の頭に刺さっている剣を即座に掴むと刺さったまま連の体を後方へ放り投げた。その勢いで剣がすっぽ抜ける。

 連は突如の事態に何が何だかわからず空を舞いながら「うおわひゃひゃ!?」と声を上げた。

 そんな連をすっと右腕を伸ばして服を掴み投げられた威力を殺しながら廊下へ衝撃緩和させながら朧がどすんと床へ下ろした。

「どわっ」

「れんきゅー、生きてるのか……?」

「生きてはいるわよ」

 理枝が連を助けた剣を鞘に納めながらそう呟いた。

「俺……生きてんのか?」

 連が自分の体を、腹部を見ながら信じ難い様な表情でごくりと唾を呑み込む。

 自分は確かに死んだはずなのだ。

 先程、腹を貫かれて。なのにこうして何事もないかの如く生きている。ありがたい事にエクスクレメントが起こしたはずの現象も消臭されている程だ。異物感が残されたままなのが悲しいがそれを気にしている余裕は今の連にはない。

「ジーザス」

 そこで怪物が怪訝そうな表情を浮かべた。

「有り得ない――命をそうも容易く回帰させる宝剣等……あるはずが……」

「あら、けどこうして此処にあるわよ?」

 トントン、と軽く剣を叩いて理枝が答えた。

「そしてこっちは――」

 チャキ、と左手の剣の切っ先を怪物へ向けた。

「なるほど。どうやらそちらもノーマルなソードではナッシングな様だな」

「当然」

「では厄介だな。そんなものを持っているとすれば――その効力が如何なものかわからんのであれば、下手に手を打つのは難しい」

「……なら退いてくれると面倒なくてありがたいんだけど?」

「それはノットだ」

 バキボキ、と拳から骨の鳴る音を零して怪物は拳を握り緊めた。

「何故かしら?」

「理由か――そうだな、折角見つけたと思えば結局おらずと言う苛立ちもあるが、グッドなディスピアを感じたと言うのに軽やかなジョイに変えられてムカついていると言うのも理由の一旦に加えるとして――最大の理由は」

 やはり誰か探していた。それが目的と言う事なのか。しかし、それを今考えている余裕はないだろう。理枝は気を引き締めて尋ねかける。

「……最大の理由は?」

「そりゃまあ」

 その声が背後から響いた事で理枝は一気に全身の汗腺が迸るかの様な感覚に見舞われた。何時だ、何時背後に回った。わからない。だがとにかく素早い。しかし焦るな。務めて冷静に対処せよ、と言う意識が理枝に活力を与え後方の怪物と相対する。

「――小娘の言うままになるのが癪に触るから、かにゃーん!」

「考えうる限りすっごい子供な理由ね!」

 ゴン! と、けたたましい衝撃が理枝のかざす剣の鞘に走った。

「げげげ、大事を起こす前の前座も本気で取り組まねばフィーバーならずというもの。そう。お祭り騒ぎを起こすには、事前準備が大事って事だぬっふぉーい!」

「大事? 貴方一体何を企んで――って、訊いてる暇もない、わねっ、この馬鹿力!」

 理枝は舌打ちをして、鞘を置き去りにその場から剣を引き抜くと同時に後退する。

「逃げなさい弓削日比! ソイツ連れて!」

「おう! 走れるかれんきゅ――って、いない!?」

 朧が先程までいたはずの連の姿が無い事に愕然とするが廊下を「ばやっ! ばやく、にげっ、逃げようおびょりょ! なにやってんの早くこっち! こっちだって! こっち! そんな化けもんに構ってないで、こっち! 助けろよ、お前強いんだから傍にいろって! な、な、なぁ? 死んじまうよばやく!」と涙声で逃げていた。しかも何度もこけそうになりつつ、地べたを這いずる様な逃走方法だ。嗚咽を撒き散らしながら逃げる様に優雅さは一切存在しない生きる為の逃走だった。

「連の奴……何時の間に逃げてんだ?」

 汗を一つ垂らし朧が苦笑を浮かべる。

 その問いに答えたのは意外にも対面的に見ていた怪物であった。

「一応俺がジーザス言った時には震えながらランナウェイしていたな」

 予想以上に早い。

 道理で連の速力であそこまで逃げられていたわけだ。スタートダッシュが早かった。

 そんな連の後ろ姿を見ながら理枝が溜息を浮かべる。

「……逃避が早過ぎるでしょ、それでも男なのアレ……?」

「いやまあ、自分殺した奴がまだいればランナウェイだろうにゃあ」

「殺した奴がのほほんと語る事じゃないでしょ」

 風切音を鳴らして再び剣を構える理枝が告げた。

「弓削日比、貴方もさっさと逃げなさい」

「ああ、けどお前は?」

「アタシはコイツ食い止めておく」

「……斃せたりは?」

「無理ね」

 硬い声で理枝が答えた。

「オーライ、無理すんなよ」

「そっちも幸運を祈るわ」

 ――と、そこまで呟いたところで理枝はあるものをポケットから取り出した。

 それは手鏡と思しきものであり、それを目にした瞬間に怪物はきょとんとした表情を浮かべた。剣で来るのではないのか――、そう考えた一瞬の思考を理枝は穿つ。

「咒具解放『暗雲抑圧(カラバサン)』」

「oh」

 怪物は思わず驚愕する。

 何故ならば理枝が用いたその術式は、唐突にして膨大であり盛大な質量の光を眩かせたかと思えば黒い煙を大量に吐き出したからだ。同時にパリン、と言う鏡の割れた音がする。もくもくと噴き出て体中を金縛りの様な束縛感に浸らせた。

 何故か?

 理由はこの黒煙にある。煙とは到底思えない代物だ。まとわりつく様に体中を束縛してくる。まず間違いなく唯の煙ではない。そもそも自分の様な存在を足止め出来ていると言う時点で相当な術式なのだろうと予測付く。

「くっ、風を起こしても揺らぎもしにゃーとは……! 『暗雲抑圧』と言う事はただの煙ではナッシングと言う事だろーなぁ」

 腕を振ってもまるでびくともせずただ漂う煙に嘆息を浮かべる。

「この術式、そこそこ値が張る代物だと思ったし、何より先程僅かに発した力の性質を鑑みると一般人――ではないわけだしな……何者だろーかの、あのガール……!」

 やれやれ、と首を左右に振る。

 そうして少しすると煙は薄まっていき、視界が晴れ渡り、束縛していた感覚が徐々に元の形へと戻りつつある中で周囲に視線を配ると、

「颯爽と逃げたか」

 周囲には人影一ついなかった。

 まんまと逃げられたか――そう、考えて終わらせるには怪物は味気なかった。なにせ目的のものとは出会えぬジレンマ、そして久々に面白そうな相手に遭遇した好奇心から、このまま逃がすのはなんともつまらないではないか。

「幸いにも、この術式の創り出す時間はごくわずか――そう、遠くじゃナッシングよな?」

 そう呟いて怪物は再び好奇を再燃させ追跡を開始する。



 怪物が追う中で、彼らは西洋高校新校舎二階の、ある一部屋の教室内部に隠れていた。

 何故教室の中に入れているかと言えば理枝が不思議な力で開錠した為だ。その後、彼女は縄の様な道具を教室に張り巡らせると何か詠唱の様なものを呟いた後に「一応、結界張っといたわ」となんなく告げるので頼りになるなー、と思う朧である。

 そんな朧とは対極的に教室の中では休屋連が頭を抱えて震えている。

「大丈夫か、れんきゅー?」

「……大丈夫な、わけ、ねぇだろっ」

 心配する朧に連は吐き出す様に告げた。

 大丈夫なわけがないのだ。自分を殺した化け物がいまだ存在する場所にこうして残っている事に関して大丈夫なわけがない。一刻も早く逃げ出してベットにダイヴしたいくらいなのだ。

「なあ、何がどうなってんだ? 何でウチの学校にあんな怪物が闊歩してんだよ? それに俺死んだよな? どうして生きてるんだ? それに何で朧があの日の朝の女と一緒に行動してるんだよ? もう何が何だかわけわかんねぇよ……!」

 わからない事尽くしの状況に連は呻く。

 そんな様を見ながら理枝が、

「ギャーギャー、やかましいわね。男ならもっと環境に適応しなさいな! 弓削日比なんかかなり早くに事態を呑み込んだわよ?」

「朧みたいな完璧バカと一般人の俺を一緒にすんなよ! コイツは例外!」

「完璧バカだなんて照れるなーれんきゅーってばさ、てへぺろ☆」

「てへぺろうぜぇ!」

「ガー! やかましいわね、緊迫感持ちなさいですよ!」

 綺麗な顔を怒気に染めて理枝は怒鳴る。

 なら、と連は前置きして、

「事態を説明してくれよ、事態をさ! 何がどーしてウチの高校にあんな化け物がいて何でお前は剣なんか持ってたり、朧が一緒だったりかをさ!」

「言っておくけど、今、アイツ粛々と追ってきてるから説明する暇ないわよ?」

「マジで!?」

「今は、いくつかの情報しか与えられないわね――質問に答えるのは」

「……答えるのは?」

 その先の言葉に嫌な予感を感じながら連は尋ねた。

 理枝はやはりにこりと笑って、

「生きて帰れたら、じゃない?」

「やっぱりかよぉぉ……。嫌だ嫌だ、助けて、助けて、助けて。誰か助けてくれよっ」

 ふざけんな、と叫ぶ連をなだめながら朧が問い掛ける。

「それで理枝ちゃん。俺は何かする事あるかな?」

「……いいの弓削日比?」

「生きて帰るなら少しくらい頑張らなくちゃだしね」

「貴方じゃアイツ相手はキツイなんてレベルじゃないわよ?」

「構わないさ。何でも言ってくれ」

 その言葉に理枝は深々と溜息を発した後に、

「貴方はホントに変わってるわね。普通もっと怖がらない?」

「いやぁ、怖いけど踏ん張ってるだけだよ☆」

「嘘くさいわねぇ……」

 理枝は呆れた表情を浮かべながら、

「とにかく大前提は逃げ延びる事になるかしらね」

 と、呟くと途端に真面目な表情へ切り替わる。

「現状、アイツが何をしようとしてここにいるのかは漠然としかわからないわね」

「俺を殺しにだろ?」

 連が怯えた表情で呟くと理枝は「バカね」と呟く。

「貴方みたいな一般人を殺すのにわざわざ深く関わる必要ないわよ。多分、殺すのはついでみたいなノリだと思うわよ?」

「ついで……」

 そんな理由で殺されたのか、と連は憤りを覚える。

 だがそれ以上に殺された恐怖が押し寄せてそれを水に流したくなってしまう気持ちがあふれ出す。情けないと言われても仕方ないが本当に恐ろしいのだ。

「目的は多分人探しだと思うな」

「そう思う理由は、弓削日比?」

「いや本人が誰かを探してる様な旨を言ってたからさ」

「同感ね。私もその通りだと思う。彼はその場面に偶然遭遇したから巻き添え喰っただけでしょうから――本当にしょうもない理由で鉢合わせしたわよねぇ、貴方」

「うっさいな! って言うか何で知ってんだよ!?」

「俺が話したからね」

「ふざけんな! なにハズイ事言ってんだよ!」

「でも話さないと助けにこれなかったぜ確実に?」

「察せよ! お前ら二人とも凄いんだろ? 特にそっちの女はさ! じゃあなんとかしろよ! してくれよ!」

「無茶言うわね……相当混乱してるみたいだけど。まあ、そこはいいわ。問題は、アタシ達が打つべき行動でしてよ。唯一つのね。それは、ともかくアイツの隙をついて逃げること。少なくとも一定時間だったり、郊外まで逃げ延びれば、アタシの仲間が駆け付けてくれると思うわ」

「そう言えば来る前に電話してたもんな」

「ええ」

 こくりと理枝は頷く。

 連は手を上げて、

「じゃあ、逃げればいいとしても、どうやって逃げ切るんだ?」

「……状況的には二手に別れるのが得策だけれど」

「俺、お前の事ずっと忘れない。ありがとう」

「貴方清々しい程、情けないわね」

 理枝がうへぇ、と呆れた声を発した。

 要するに『囮任せた』、と言う事である。この局面で男女の関係など理枝も問わないが、それでも女にここまで見事に囮を頼む男の姿勢に何も思わないわけでもなかった。

「まあ、一番囮として行動できるのは確かに私だろうけれど」

「けど、待ってくれ理枝ちゃん」

 そこで朧が手を上げて発言した。

「なにかしらね、弓削日比?」

「いや、それ出来るのか? 理枝ちゃんから見て相手の技量相当なわけだよな? 実際、俺一緒に行動してたけどかなり苦戦強いられていたみたいだし」

「ええ。おおよそ私が易々と勝てる相手では無かったわね」

「じゃあ理枝ちゃん危険じゃんか」

「まあ、そうなるけれど武装と言う意味では私が一番持っているでしょう?」

 そう言いながら腰の剣二挺を指差す。

「そうだぜ、朧。剣持ってんだぜコイツ?」

「いや、れんきゅー剣があるからでどうにかなる相手ってわけないかもしんないじゃんか。さっきみたいに煙吹き出す鏡がもう一つあればどうかわからんけど」

「……生憎とあの鏡は一つしかないわね。高価な代物らしくて」

「じゃあどうすんだよふざけんな――って、熱ッ」

 八方ふさがりの様な状況に苛立ちを募らせた連であったが不意に腰に熱を感じて呻く。

 朧が「傷痛むのか?」と呟くと理枝がそんな馬鹿な、と言う様子で連を見た。

「剣の治癒は効いてるはずだもの、そんな事は無いと思うけど」

「いや、なんか今熱くてさ――って、コレか?」

 そう言いながら連が取り出したもの――それは拾った指輪であった。

「指輪? れんきゅー、何で指輪持ってるん?」

「いや、何か教室前に落ちてた」

「拾ったわけね?」

「おう。休み明けに届けようかなって」

「なるほどな。けど、学校に指輪ねぇ」

 朧が不思議そうに連の持つ指輪を見ながら「ルビー、かね?」と疑問を発する。

「そもそもそれを熱く感じたってのがおかしな話ね……ちょっと見せて貰える?」

 そう言いながら連から指輪を受け取ると理枝は凝視する。

 そして少ししてハッと目を見開いた。


「――『楚歌の指輪(オプファー・リング)』……?」


 ポツリと呟かれた声に朧が反応する。

「知ってるもんなの、理枝ちゃん?」

「ええ、一応ね。形がちょっと違うけど――何でこんなものが学校にあるのかしらね?」

「……何か不思議なものなのか?」

 キラリと赤く輝く宝石を見ながら連は不思議そうな視線を向ける。

「ええ。『楚歌の指輪』って代物よ」

「なにそれ?」

「発動中、とにかく対象に指定した者の敵対心を煽るのよ。指定された対象はこの指輪をつけている相手が何故だか無性に腹立たしくなってとにかく地獄の果てまで追い続けようとまでさせる代物――まあ、咒具ね」

「挑発効果って事か」

「そういう事」

 そう言いながら連へ指輪を返す。

「けど、そういう事はこれ特殊なわけか……もしかして、アイツが探してる人物が落としたとかって無いかな?」

「有り得なくはないわね。『楚歌の指輪』はその効力から囮として使われるもの。ある程度力を籠めておけば数分間は放置しても持続するし」

「なるほどな! けどそれ、使えるんじゃないか?」

 朧が感心を示すと同時に一筋の可能性に行きついた。

 理枝も然り、と頷き返す。

「そうね。この指輪を使えば相手の意識を指輪に向けられるはず」

 つまりはこの指輪に『力』とやらを灯して放置しておけば、そちらに引き寄せる事が可能。囮としての役割を果たせるはずだと言う考えである。

「な、ならこれ使おうぜ! どうしたらいい――」

 連が興奮した様子で立ち上がり叫んだ時だ。

 突如、ズン! と、教室全体が巨大な振動に蝕まれた。地震の様な衝撃に三人はぐらっと体勢を崩してしまい、朧と理枝は見事に受け身や体勢を維持したが連だけは「どわっひぇ!?」と声を発しながら大きく転ぶ。

「つつ……今のは」

「多分、アイツが何かしたんだと――って、貴方本当に情けないわね」

 理枝が床に転ぶ連に愚痴を零す。

 連は立ち上がりながら、

「ごくっ。うぇっ。うるさいな、仕方ねーだろあんなの!」

 と、叫んだ。

 そんな連を「やかましいわねー」とジト目で睨みながら理枝は柳眉をしかめる。その視線は連の手元に注がれていた。

「……貴方、指輪どこよ?」

「へ?」

 言われてみてみれば確かに手に指輪が無かった。

「あれ、ホントだ。れんきゅー、指輪どしたん?」

「え、あれ、無い……落としたかな?」

「落としたなら指輪だもん音くらいするでしょ? 大きかったし」

「振動こそあったけど小物が落ちる音はしなかったぜ?」

「ねぇ?」

 よくあんな机がガタゴト揺れたり、床が揺れる中で音を聞き分けられる二人だな、と思う連である。対してそんな連の様子とは裏腹に理枝はうんうんと確かめ合う様に頷きながら――唐突に朧が何かを思い出した様に、顔を蒼褪めさせた。

「なあ、れんきゅー」

「何だ朧? いいから指輪探そうぜ?」

「いや、お前さ……立ち上がった時に何で『うぇっ』て言った?」

「え? 言ったか、そんな事? ――ああ、でも確かに何か喉元に変な感じしたんで呑み込んだん、だ、け、ども……」

 語末へ至るにかけて尻すぼみになる声。

 連は蒼褪めた表情でまさか、と呟いた。

「貴方、まさか……」

「れんきゅー、もしや……」

「ひょっとして俺……」

 飲んだか? と、三人の声が同時に発せられる。

 そして長い沈黙を経て、

「ほげぇええええええええええええええええええええ!?」

 連が凄く情けない悲鳴を上げた。

「どうする気よこのバカ!」

 理枝は憤慨し、朧は怪訝そうな表情を浮かべている。

「そもそもアレ食べて平気なもんなのかね……?」

「確か平気かどうかで言えば、健康的に問題はないはずだけれど……」

 うーん、と理枝は困った様に唸る。

「おぇっ、うぉぇーっ! げげごぼうぉえっ!」

 そんな二人が見守る中で連は必死に吐き出そうと試みていた。口の中に指を突っ込んでまで掻き出そうとしているが、のどに異物感がない時点で胃の中まで入ってしまっただろう事は明白だった。その様に理枝は眉をひそめながら嘆息を発した。

「何か見てて気持ちいい光景じゃないから諦めなさいよ、貴方」

「そんな事言うなよ! 指輪呑み込んだとかキツイんだよ気分的に!」

「気持ちはわかるけど、出てくるのを待った方が賢明じゃないかれんきゅー?」

「出てくるって確実に痛いじゃんか、やだよ!」

 あんなものが肛門を通過するとすれば余程痛そうな気がする連である。

「まあ、何にせよ吐き出す暇ないと思うわよ?」

「何でだよ!」

「なんでって、そりゃ――」

 理枝はそこで一度肩をすくめた、後に――即座に扉の方へ振り返り右手を翳した。

「こういう事だからかしらね!」

 途端にバゴン! と、教室の扉が粉砕される。破片が飛び散るかと思われたが意外な事に破片は消し炭の様に消滅してしまうのであった。何故、消滅したか――それは眼前の光景が答えであろう。そこには巨大な拳、そしてそれを防ぐ魔法陣の様な幾何学な紋様を浮かべる障壁と思しきものが形成されていた。

「見つかったのか!」

 朧が叫ぶ。

「そりゃ見つかるでしょうよ。あんだけ長々話してて見つからない方がおかしいもの」

「そんな悠長に構えてる場合かよ! け、結界張ったんだろ!? 何で見つかるんだよ!」

「結界張ってたってそりゃ見つかる時は見つかるし、破られる時は破られるわよ!」

「破られたのか!?」

「まだよ! 防壁発生してるでしょ!」

 連は怪物と理枝との境に浮かび上がる幾何学模様の魔法陣を視認する。確かにそれが凄まじい鍔迫り合いの様な音を発生させながら理枝を守護しているかの様であった。

「よし、頑張って防ぎきれよ!」

「わかってるわよ! けど長くはもたない!」

「使えないな、ホントこの女!」

「貴方に言われたくないわね木偶の坊!」

「罵倒しあってないで退避だ退避!」

 ぎゃーぎゃー、罵り合う連と理枝をよそに冷静な朧は連の腕を掴んで走り出そうとする。

 連は絶叫を上げた。

「何でだよ怖いよ守られてたいよ離れたくないよ、おぼろー」

「とことん情けないわね!」

「混乱してんのはわかるけど防壁壊れそうだし逃げるぜ、れんきゅー!」

「ええええ」

 そんな情けない声の連をぐっと引き寄せて退避すると同時に理枝の防壁に大きな亀裂が生じた。理枝は悔しげに舌打ちした後に大きく左へ跳躍する。それと同時に障壁が硝子の割れる音を発生させて砕け散った。

「こんの馬鹿力……!」

「ユーの障壁が脆いだけだにょー」

 相変わらず畏怖する外観にそぐわぬ適当な口調に思わずイラッとする。

 しかし冷静さを欠くわけにはいかない。理枝は剣を構えると、怪物と相対する。

「一応、結界張ってたんだけどね。よく気付けたわね」

「確かに予め見越していただけあって、高度な結界術式ではあったにょー。だが如何せん、術者足るユーがミーに及んでいないと言うだけの話さーい」

「……悔しいけれどその通りなんでしょうね……!」

「イエス。バット、気にする事はナッシング。なにせ、それだけ敵が厄介だったというだけの話でござーるからさ」

 怪物は拳を握ったり開いたりを繰り返しながら、

「外へ逃げた気配はしなかった。ならば結界だろうと踏んだ。気配を遮断し、認知を阻害すると言うダブル結界ともなれば上々の代物だろうが、タイムがロスタイムだったのだろうな? 拳で校舎全体に衝撃を与えただけで揺らいだぞ?」

「殴って地震まがいの起こすとかどんな筋肉馬鹿よ」

「げげげ、なに高位の天魔であれば大した事ではナッシング!」

 上腕二頭筋をムキッと盛り上げてアピールしながら怪物は自慢げに言った。

 対して理枝の後方で出方を窺っている連は訝しむ様に眉をひそめた。

(天魔? 天魔って何だ……?)

 訊き慣れない単語に思わず疑問を発する。

 しかし、それに対して考えている時間は無い。

「さて、鏡、結界を使ったとすれば後は何が残っているのか実にプレザント」

「生憎と残りはコレくらいかしらね」

 肩をすくめて理枝はそう呟き、

「切り裂け――疾風刃雷(ラファール・リベルテ)!」

 思いっきり腕を振ってその剣を振り抜いた。

 暗闇にひらりと白銀の光がひらめくと前方へ向けて勢いよく薄い刃状の物質が放射される。

 怪物は刹那目を見開いた後にそれを右へ動いて回避した。

 理枝はそれを逃がさず更に追撃する。斬撃が数度閃いた。途端、教室の壁面にザシュ! ズパン! と盛大な斬撃の痕跡が次々に発生する。

「今よ! 撤退!」

 そこで理枝は叫んだ。

 その声に「あらよっと!」と朧が連を担いで爆走した。理枝も剣を数回閃かせた後に即座に撤退を試みる。

「フー」

 そして斬撃を全て回避した怪物は愉しげに唸った。

「斬撃がフラーイング。王道だが故にエンジョイな武装だな」

 ならば、と怪物は呟いて。

「目には目を――剣には剣をキャッフゥー!」

 バン! と壁面に手をつくと「錬金(アルケミア)!」と高らかに叫ぶ。すると壁面に電光の様な音と光が迸ったかと思えばその手には巨大な大剣が握られていた。満足そうにそれを持つと怪物は「フィーバーターイム!」と叫びながら廊下へ繰り出す。

 恐怖に恐怖が足し算された光景を目視した連が涙を浮かべ絶叫した。

「おいおいおいおい! 鬼に金棒、牛に牛刀みたいになってんぞ!」

「れんきゅー、牛刀って唯の万能包丁だぜ?」

「え、マジで? もっとごついの想像してた」

「そんなくだらない会話してる場合ですか! 早く一階へ降りますよ!」

 後方へ度々斬撃を放ちながら理枝が叫ぶ。

 怪物はそんな斬撃を気にせず次々に弾いていた。その様に連が渋面を浮かべながら理枝を見て気まずそうに一言零す。

「なあ、その剣強いん?」

「斬撃飛ばせられるんだから強いに決まっているでしょう!?」

「だって、なんか相手に全く効いてないじゃんか!」

「相手が手強いのよ本当に!」

 理枝が憤慨する。

 確かに斬撃を飛ばせると言う特殊性能を発揮しており、敵から逸れた一撃は、もの見事に学校の校舎の壁面を貫通し盛大な残痕をつけている事から斬撃の出力は高いのだろう。しかし、相手が理枝の言う通り手強いのか、確たるダメージは中々与えられない様子であった。

「しかし状況的に拙いなー」

 朧が後方を一瞥した後に呟いた。

「だよな? 死んじまう!」

「ああ、このままだと成すすべなく殺されそうなのは間違いないや。理枝ちゃん、相手が手強すぎるって本当嫌だよねー」

「上級だとは考えてはいたけれど確かにそうね……」

「あと問題はれんきゅーの指輪か」

「あれさえあれば囮に使えたのに、どうして呑み込むのかしらねコイツは」

「仕方ないだろ! 故意じゃねぇし!」

「まあ、そこは生き延びた後でどうにかするとしてもだ」

 朧は神妙な顔で告げる。

「どう逃げる? 理枝ちゃんが牽制の攻撃しててもガンガン近づいてくるし、ジリ貧だ」

「そうだよ! やっぱ、お前囮になってくれないかマジで?」

「この局面でそれって男として情けないと思わないの? それに多分、アイツ三人共逃がさないわよ? 多分、貴方、弓削日比、アタシって順で始末にかかるわよ?」

「なるほど弱いもの狙いか。在り得るね☆」

「笑顔で納得してる場合かーっ!」

 連の絶叫が響く。

 しかし実際理枝が囮として行動しようとしても現在の状況では分散にしかならず、そうなれば相手は連と朧を先に狙って即座に仕留め、そして理枝との戦いを興じるだろう。よって理枝は二人の元を離れるわけにはもういかなくなっているのだ。

「手段として一つだけ提示出来るっちゃ出来るけど……」

「何だ!?」

「結構勇気いるわよ?」

「言ってみてって、理枝ちゃん。どのみち勇気はいる気がするしさ」

「嫌だって何すんだよ怖ぇよ、もうやだよぉ……」

「何で貴方たちそんな対照的なのかしらね」

 朧の余裕ぶりと、連の情けなさは果たして何なのだろうかと理枝は溜息づく。

「ま、一言で言えば――窓から飛ぶのよ」

「お前バカか!? ここ二階だぞ!?」

「いや、れんきゅー、二階ならいけるじゃん?」

「いけねぇよ! 二階の高さバカにすんなよ! 世の子供達だって二階から落ちて重傷とか良く訊く話じゃねぇかよ! 一階から行けばいいじゃねぇか!」

 わざわざ二階から降りる必要などない。

 ここは下の階へ降りてから逃げればいいだけだ。だが連のそんな思惑に対して理枝は首を振って後方を一瞥する――もう残り少ない距離まで近づかれていた。

「生憎――間に合いそうにないのよ」

「ああ、くそ! 飛び降りるなんて出来るかよ! 嫌だやだやだ、そんな怖い事するもんか!」

「飛び降りるのは俺だけどな、れんきゅー」

 苦笑を浮かべて朧はそう呟き――続けざまに言った。

「――飛ぶ。何かわからんが信じるぞ理枝ちゃん」

「本当肝が据わった奴よね貴方って」

 その言葉を交わした直後に理枝は刃を大きく振りかぶった。前方から――左方へかけて大きく振り抜き怪物に目掛けての斬撃、そして斜め後ろ目掛けて突きを放つ。その突きは朧達の横を飛来して、鋭く壁もろとも窓ガラスを破壊し、大きく抉り取った。

 それを確認すると朧は大きく空いた穴から身を乗り出す。

「バレたら停学かな!」

「待っ、朧、俺まだ心のふへっへひぇえええええええええええええええええええん!?」

 連の絶叫をすぐそばに朧の体は宙を舞った。

 続けざまに理枝も穴から外へと跳躍する。そのさまを見据えながら怪物は、

「考えが甘いんだにゃーん」

 と、呟いて穴の向こうにいる三人目掛けて大剣を振りかぶり、勢いよく投擲する。迫りくる剣に連が「うひぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」と言う絶叫を発し号泣する。

「ジャンピングは大きな隙だぜボーイ・アンド・ガール」

 その言葉通りであった。

 空中に舞っている状態の三人は後方からくる大剣を弾く力はない。連を抱える朧もちろんの話として理枝の斬撃でも弾けるかどうかはわからない速度。しかし理枝は微笑を浮かべながら小さく呟いた。

「――舐めないで。一回くらいなら防げなくはないのよッ」

 そして唐突に彼女の体から膨大な質量の光が発せられた。

 球体状に膨らむ光はそのままシールドの様な役割を果たして投擲された大剣の切っ先を受け止めると鉄の壁に跳ね返されたかの様な金属音を響かせながら剣を撥ね退ける。

 怪物は「オウ」と感心した様に呟く。

「ただの少女ではないと理解していたが――そういう事か」

 怪物が何かを呟いているが聞き届けているだけの暇はない。

 理枝は地面に着地すると同時に朧へ向けて「校門へ走って!」と叫ぶ。

「あいさっさ!」

「すげぇ、怖かったよぉ。こんなの二度としたくない。夜の学校怖いってマジで。もうやだ早くお家帰ろう? 風呂入りたい」

「情けなすぎるでしょ発言! 貴方担がれてるだけでしょうが!」

 連達は一目散に校門へと走り出す。

 怪物は「げげげ」とほくそ笑んでいたが、次第に興奮した様子に変わっていくと両腕を広げ高らかな笑い声を発した。

「実にエンジョーイッ! なんともな、冷静な行動だ。一名混乱しているとは言えど、ガール・アンド・ボーイの行動は実にグット! ここまで取り逃がせば、まあ諦めてしまうのもいい――と思うのだが、如何せん」

 怪物はぺたりと校舎に手を付けて、

「もう少し遊びたいので、許しておくんなましーってねーッ!」

 瞬間、電光が壁面を迸った。

 すると壁の穴が大きく広がり怪物が通れるほどのサイズに変貌する。怪物は跳躍し外へ出ると今度は外側から校舎に手をついて、

「世の建築士の方々に誠意を持って――フン!」

 再び迸る電光の衝撃。それは怪物が行動していた道筋まで伝って、その肉体で引き起こした損傷を次々に修復し終えると満足げに頷いて三人の後を翼を広げて追い掛ける。

「ウェーイト!」

 空を飛来する大型の異形の者。夕闇に照らし出される姿はなんとも恐ろしい。

 連は涙と鼻水を垂れ流しながら叫んだ。

「飛んできたー!」

「そりゃまあ大層ご立派な翼持ってたもんな!」

「どうすんだよ!?」

「大丈夫よ。丁度、来てくれたもの」

「来たって何が――」

 連が言葉を続けようとした時だ。

 ふっと上空を影が走った。素早く鋭い動きの影が。それは連の上を飛び越える形で建物の壁面などを足場に空を跳躍していく。

「ぬ?」

 怪物がふっと真横に現れた影を一瞥して柳眉をしかめた。

「蹴散らすとしやすぜ、天魔――!」

 渋い男性の声。怪物はそれが人であると識別したと同時に、

「ちぇすとぉっ!」

「ごっふぇっ!」

 にべもなく手を出してみた。腹部目掛けて剛腕の一撃を叩き込む。

 スーツ姿のサングラスをかけた顎鬚を生やした中年と思しき男性が錐揉み上に吹っ飛んで校舎の壁に激突し、コンクリートに強く減り込んだと思えば、その手に持っていた刀をぽろりと落として地面に金属の音が数度鳴り響いて――男は動かなくなった。

『……』

 三人はしばし沈黙した後に、

「さ、逃げるわよ」

「待て待て待て!」

 視線を逸らす理枝に向けて連が告げた。

「よえーよ! 弱すぎるだろ! なんか強そうなお助けキャラの匂いさせてたくせして一撃でリタイアってどういう事だよ期待外れ過ぎるだろ!」

「仕方ないわ。相手の方が各上だったってだけよ」

「同格の助っ人連れてこいよ本当!」

「うっさいわね文句言わないでよ。一番に来た助っ人が雑魚田(ざっこだ)だったとは意外だったわ」

「なにその負けフラグが初めから立ってそうな名字!?」

 そう言いながら連は思わず笑いたくなってしまった。

 絶望的だ――随分と絶望的ではないか。頼りにしていた援軍もあの様で、他の面子もどうやら間に合う気配はないらしい。とすればこの先に待ち受けるのは――死。

「朧、はやく、はやく、はやく、逃げろって! ばやくぅっ!!」

「わわ! わかったから暴れんなれんきゅー!」

「とにかく校門まで急ぐわよ、川蝉さんがいるし!」

「了解!」

(死にたくない、殺されたくない!)

 連は目を瞑りながら夢なら覚めてくれと切に願う。

 しかし雑魚田を倒した怪物は即座に翼を羽ばたかせて殺しにやってくるだろう。横をの理枝を見てその怪訝そうな表情にもっとどうにかしろよ、と無茶苦茶な事を吐きたい気持ちになりながらも連は迫り来る死を恐れていた。

 と、そこで不意に気付く。

 何故彼女は焦りではなく怪訝そうな表情を浮かべていたのかを。

 死への恐怖から背けていた視線を怪物へと向けた。

 すると怪物は意外な事に空中で停止したまま、連達では無く別の方向を注視していた。そちらに視線を背けるも何も見えない。物陰に何か隠れているのかもしれないが、あんなに高いところに視線が届くわけもない。

 そこで一瞬だけ怪物が視線を連達へ向けた。

 そして小さく呟く。

「フー、お遊戯はここまでの様だ。良かったな、ガール・アンド・ボーイ。本当に君達は悪運強いもんだにょーい」

 そう呟くと怪物は途端に翼を広げて右方目指して飛んで行ってしまった。

 その顛末に連は「はっひぇ?」と不思議そうな声を上げて理枝は「……去った?」と訝しむ様な声を上げた。しかし次の瞬間に顔を俯かせると、微かに双肩を震わせ、見れば拳を固く握りしめている様子が見受けられる。

朧はその事に気づきつつも「ふぅ」と息を吐き出すと、いやに能天気な声で、

「いや、なんかわからんが生き延びたな理枝ちゃん、れんきゅー!」

 脅威は一先ず去った――そう零すのだった。


        2


 夜中に起きた波乱の出来事。

 課題を取ってこれなかった。

 それはこの際構わない。

 異形の怪物に遭遇した。

 それは明らかに拙い事だ。

 だが何よりも――、自分は死を味わった。

 おおよそ味わえばそこで終わりのはずの真実を味わった――過去形で済んだ事が奇奇怪怪に脳裏を犇めかせて何とも怖気立つ次第だが、それを上回る形で脳髄に蔓延る混乱の感情のおかげか喚く事無く、ただ茫然と出来ていられるのは、ある種幸せかもしれない。

 生き延びた。否、生き延びたと言えるのだろうか?

「なんだよ……何だよ、何が起きたんだよ、俺……」

 ぐでんと安住の地に寝転ぶ連は、口から感情の篭って無い、ただ零しただけの言葉を吐きながら横たわっていた。

 あれだけ願った風呂にまで浸かった後だ。流石に体から例の匂いが放散しているので先に散々お湯で洗浄される憂き目にはあったし、着ていた衣類は全て捨てる羽目になり、今は朧の服を貸してもらっているわけだが。

 それにしたって、先程までの動乱はもうすっかり影を潜めている。あの後は理枝が用意していた車に乗車して逃走に成功。その際やはりと言うか座席の下に段ボールを敷かれたり、もとい座席以前に後ろのトランクに詰め込まれたりして防臭対策されたが、そこは最早どうでもいい。助手席の二人が何とも気まずげな表情していたが気にすまい。そんなこんなで現在は、友人である弓削日比の邸宅にお邪魔する形となっていた。正直、家に帰りたかったが、朧が零した『説明とかいるだろ? それに一人で平気かよ?』と言う言葉は正鵠を射ていた上に何故か一緒にいた少女である理枝が賛同を示した為、無下にも出来ず足を運ぶ形となった。

 そう。彼女がいるのだ。

 あの日、連が追突しかけた車に乗車する美少女が共にいた事は何とも驚嘆の事実である。

「もっとしゃんと出来ないのかしらね貴方と言う男は」

 丁度そう考えている頃を見計らったのではないか、というタイミングでを鷹架理枝は眼下に倒れ伏し脱力状態の連をジト目で見ながら呟いた。

「うるさいな。黙れよ。話しかけんな」

 そうは言うがあんやよくわからない出来事に絡まれた一般人の行動など大概こんなもの――現実逃避と言ったところだと言うのは、連自身よくわかっている。口にした怒気が篭った様な言葉も八つ当たりでしかないと理解している。しかし、誰かに不満を発露したい。そうでないとやっていけない感情が連にはあった。

 幸いにも理枝は理解があるのか、無言の沈黙を返すだけにとどまってくれていたが、微かに口を開いて、

「一応、簡易に言っておきましょうか」

「……んだよ?」

「私が、貴方を同伴させるべきと賛同した理由に関して」

「……嫌だ訊きたくない。話さなくていい、身の安全だけ保障しろよクソ」

「卑屈ねぇ……」

 連は苦笑いを浮かべた。

 現在、どうして連の自宅ではなく朧の家に連がわざわざ向かわせたかと言えば、未だ狙われている可能性を危惧してのことである。同時に、あんな事があれば精神面に確実に影響が生じて心配をされる可能性も高いからだ。特に問題なのが衣服であり、傷はとある方法で応急処置を施したが、服は血塗れだ。とてもではないが洗濯かごに入れられる代物ではないし、家に戻れば阿鼻叫喚の構図になるのは間違いない。

「卑屈にもなるっての。知らないんだよ、何なんだよ、わけわかんねぇんだよ。お前ら二人は事前知識ありきなんだろうけど俺は部外者なんだよ! こんな意味不明な事に接してどうしろってんだよ、知るかくそったれ!」

 連の怒号も最もだ。

 なにせ何もわからないままに、あれだけの体験をする形となったのだから、彼の心中の混乱ぶりは本人しかわからない程だろう。理枝は語気を強めない様に気を配り、勤めて冷静な声音で答えた。

「――わかっているわ。それを今から説明するんじゃない」

「いや、いい。話訊かなければ俺関わらない気がするし。話さなくていい。俺、部外者がいい。責任何て負いたくない関わりたくない!」

(結構、打算的に冷静ね……)

 思わず感心する程の一般人ぶりだった事に理枝は嘆息を浮かべる。

 確かに関わらずに済ませられるのであれば、そうするのだが……。

「残念ね。貴方にも関係ある出来事よ、すでに」

「でも話訊かなければまだ無関係でいられる気がする」

「現実逃避はそこまでになさいな。正直うざいから」

「ひでぇ!」

 理枝は「本当情けないわね」と頭を抑えていた。

 だが連としてみればこんな意味不明な出来事これ以上関わりたくないのだ。話さえ聞かなければ平穏な日々へ戻れそうと言う彼の思惑は当然のものでもあった。

「いやー、待った? ねぇ、待った二人とも? 朧さんの合流だよー」

 そこで間抜けな感じさえする能天気な声を上げて朧が部屋へ入ってくる。

 その背後で妹の妃奈が「兄さん! まだ話は終わってないですよ!」と、ぷんすかした様子で彼の襟元を引っ張っているが「あー、はいはい、後で説明するから妃奈は悪いんだけど自分の部屋に行っててくれるかな?」と飄々と振り切ろうとしていた。

「よくありません! 休屋先輩が急遽泊りに来たのはいいです」

 ですが、と呟きながら理枝を一瞥し、

「何がどうして前に朝、出会った方が一緒なんですか!?」

「それはね、妃奈。海よりも深く、山よりも高い事情があるんだよ」

「凄く誤魔化そうとしていますよね兄さん?」

「そろそろ寝ないと肌に悪くないか妹よ?」

「そこで急に私の肌の心配して眠らせようとしないでください!」

「まあまあ」

「まあまあ、じゃなくてですね――」

 なおも追窮しようとする妃奈の双肩にぽんと手を置くと朧は途端に真剣な声で言った。

「妃奈。ちょっと真面目な話があるんだ。だから頼む。今は外してくれ」

「兄さん……」

 妃奈はその声に困惑しながらも「むー」と唸ると、

「……ホントに後で説明くださいよ?」

「ああ、わかってるさ」

「ホントですからねっ」

 妃奈はそう確認する様に呟くと朧の部屋の扉を閉める。その後に朧は「あー、理解のある妹で助かったわ。妃奈ちゃんマジ天使」と額の汗を拭う。

「弓削日比」

「ん、なにかな理枝ちゃん?」

「わかってるとは思うけれどもあまり詳細を言うのは控えて欲しいわね」

「ん、了解さ。俺だって妃奈が深入りし過ぎない程度にしておくよ」

 言いながら床にトスン、と腰を下ろす。

 そうして三人が揃ったところで朧は理枝へ促した。

「んじゃ、理枝ちゃん。早速だけど頼むわ」

「……そうね。それじゃあいくつか説明させてもらおうかしら」

「まずは何が訊きたいよ、れんきゅー」

「嫌だ、何も聞きたくない、ぼくお家帰る」

「キャラ変わってるわよ貴方」

 本当に情けない、と理枝は腕組みしながら嘆息を浮かべる。連は頑なな態度で「何も聞かない、訊きたくない、訊いてたまるか、訊く気はないぞ」と、悪足掻きを続けていた。そんな様子に朧はからから笑いながらも、ふっと真剣な表情を浮かべる。

「逃げたいのはわかるけど、れんきゅー……関わっちまった以上はそうはいかないと言うのが現状だと思うぜ俺は。特に相手の正体くらいは知っておくべきだ」

「そうは言うけどよ……。無茶言うなよ、こういうパターンで関わったら大抵延々と巻き込まれてってすげぇ面倒臭い出来事に巻き込まれるパターンなんだぞ? 聴かなけりゃ大丈夫だ。そう、そのはずなんだ。だから話さなくていいよ。このまま安全だって言って家に帰してくれよい、それでいいだろ? なあ頼むよ……」

 切実な声音だった。徹頭徹尾関わりたくない。

 関わらないまま過ごして生きたい、そんな想いが溢れ出ている。朧と理枝とて同感だ。関わらせたくは無かった。だが危険が迫るかもしれない――そう言った際に予備知識だけでも与えておかなくてはならないのだ。もしもの時の為に。

 朧はそこまで思案して声に力を込めさせた。

「連。訊いてくれ」

「嫌だぁぁぁぁ」

「なー、わがまま言うなって。割と本気で言ってんだぜ俺?」

「割と本気なのがもっと嫌だ。何で普段みたいにお茶らけた雰囲気で話してくんねーんだよ。シリアスぶっこくなよ、いらねないんだよ、そんな展開。なあもう明日にしね?」

「れんきゅー、いい加減に諦めて……」

「嫌だ。諦めなければ願いは叶うんだ」

「れんきゅー。卑屈過ぎて言葉の価値が地べたに堕ちたよ、今?」

「じゃあさせるなよ。な? 話さなくてもどうにか出来たりするだろ? 俺の知らないところでさ? 頼むって……あぐぁっ!?」

 連がそこまで口にしたところで思いっきり足つぼに凄まじい激痛が走った。

「理枝ちゃん!?」

 朧が仰天する。

 見れば理枝が連の足の裏目掛けて剣の鞘を突き立てていたのだ。足つぼに凄まじい痛みが走る。普段運動など左程せずだらけている連にとっては厳しい痛みだった。

「な、なにすんだよ、テメェ! あいだだだだだだ……!」

「何するか? ガッデム、言わせないでもらえるかしらね?」

 瞬間的に連が「ひぃっ」と怯えた声を洩らす。何に、と言えば理枝の双眸にだ。凍てつく様な怒気を孕んだ眼差しが連を見定めていた。そんな蛇に睨まれた蛙の様になっている連に対して嘆息を零しつつ理枝は静かに口を開いた。

「トラウマものの事態に直面して、怖くて仕方がない――それは別にいいの。怖いって感情はどうしたって消えないものですからよ。だけど、友達が心配していて対策を講じようって言うのに無下にし続ける――男らしくないよりも尚の事いけないのではなくて? へっぴり腰は唾棄しないけれど、及び腰している事態ではないのよ? 後ろ姿ばかりを向けていたって、脅威に追いつかれたらそれでデットエンド、デスノヨ?」

 強い光が秘められた視線で見抜かれて連は萎縮しながら肩を落とす。

 わかっている――わかっているのだ。

 自分の今のスタンスがヘタレとしか言えない事に。だけれど、仕方ないではないか、あんな恐怖にどうやって向き合えと言うのか? 連には対抗策なんかわからないし、そもそも関わらなくてもいいのではないかという安堵感を得たかったのだ。

「ああああああ、もう最悪だぁぁぁぁ」

 嗚咽を零して頭をかきむしる連だったがやがて「――勝手に会話してろよ、もうさ」と投槍気味な言葉が発せられた。

 話していれば横で聞いている――と言う意味なのだろう。

 二人は胸を撫で下ろした後に、再び床に腰を下ろすと、

「じゃま、とりあえず理枝ちゃんから話を訊きだすとするかな」

「ええ」

 穏やかな空気を発露しながら、朧は何処か神妙な気配を潜めて問い掛けた。

「理枝ちゃん――スリーサイズは?」

「バストは82でウエストは――弓削日比ぃッ!」

 理枝は激怒の表情を浮かべて連の声真似で間に入った朧に剣の柄を何度も向ける。ゴン、ガン、と言う鈍い音が響いて「おうふ! あうふ! おとうふ!」と朧の悲鳴が数回木霊した。連は怖くて部屋の壁際で縮こまっている。

 やがてやり終えたのか、理枝は息を荒くしながら、怒号を発した。

「この局面で何を訊いてるんですか貴方は!」

「嫌だ、な、俺、は、場を、和ま、せよ、うと、ませた、質、問を、だね……」

「ダジャレ言ってる暇があるならちゃんと真剣に聞きなさいな!」

 真っ赤になっている理枝は容赦なく床に転がるボロ雑巾目掛けて数発、鞘の突きをお見舞いして「あっ、理枝ちゃん、そこ、そこ、いけないよ!」と悲鳴を上げるボロ雑巾を一様に無視していた。

(だ、ダメだこりゃ……!)

 場が完全に壊れた気配を実感し連は肩を落とした。

 全く普段イケメンだと言うのにどうして普段はこうなのか? そして何故そんなにモテるのか甚だ不思議ではあるが、同時に朧の良さも理解しているから口惜しく思う。

 だが、それ以上に、

(朧のやつ……そりゃスリーサイズ聞いたら怒られるだろ……、ああけどバスト訊けた。女子の口からバストサイズとか何か興奮すんなっ!)

 連とて男子だ。美少女のスリーサイズに興奮するお年頃である。

 対して理枝は女子だ。その手の様子には聡かった。

「貴方も突かれたい?」

「いえ、なんでもないです。すいません」

 首筋に突き付けられたひやりという感触に怯えながら連は頷く。

 だがひっこめられる気配が無い。涙目になりかけた連だったが咄嗟に口をついた言葉、もといこの状況から意識を逸らしたい一心の言葉が吐き出された。

「あ、ああ、とにかくさ! えと、だな。まず聞きたいのは、アイツ何だったんだって事なんだけど! 説明を求む!」

 説明を求む、と先程までの鬱屈加減から一転し、前向きになった事に関して理枝はこめかみに青筋を微かに立てつつも鞘を引っ込めて、仕方なさそうに「なんなのかしらね、男子って……。なにこの締まらないはじめ方」とやるせなさげに零しながらも語り出してくれた。

「……そうね。簡潔に言えば『魔族』と呼ばれる存在よ」

「『魔族』……?」

 怪訝そうな表情を浮かべる。

 魔族――と言うとアレか? ゲームや漫画と言ったサブカルチャーに於いて不動の人気、敵としてだったり味方としてだったりしつつも、作中では欠かす事が出来ない程にファンタジーに於いては絶大的な存在感を誇る、翼が生えていたり、角が生えていたり、爪が凄かったりする異形の怪物たち。悪魔とも称されるし、化け物とも呼ばれる存在。

 ――そんな奇天烈な奴らだってのか?

 いや、しかし、と記憶が呼び起こされる。出会ったあの牛の怪物の様な存在。あの風貌は確かに魔族と言って差し支えないものだった。だけれどしかし、そんなのが実在すると本気で言っているのだろうか? 連の思考は見事にこんがらがっていくようであった。

 理枝は連のその表情に「まあ当然の反応かしらね」と肩をすくめて、

「『魔族』とは言ったけど――正式には『天魔』と言う存在なのよ」

「その『天魔』だか『魔族』だかは一体なんなんだ?」

「貴方ファンタジーは好きな方かしら?」

「大好きかな。ゲームでも漫画でもさ」

「なら、わかりやすく解説するならば――悪魔に置き換えるのが手っ取り早いかしらね」

「悪魔!?」

 連は驚嘆する。

 よもやそんな単語が現実に出てきて、出会う等とは微塵も思っていなかった為だ。

「悪魔ってそんな」

「信じられない?」

「いや……けど、あの外見は確かに悪魔の範疇かもしれないし……」

 牛の角と顔を持ち鳥の翼を生やした巨漢の化け物。

 確かにそれは神話に出て来そうな悪魔の姿であった。

「けど、それなら悪魔って言えよ。天魔とか魔族とか分かりにくいじゃんか」

 ゲームをやれば分かる話だが、悪魔と魔族ではカテゴリが異なっている。『天魔』、『魔族』と言われるよりかは率直に『悪魔』と言ってほしかった連である。

「そう言うと思ってたわよ」

 対する理枝は見越していた様に、肩をすくめるとこう言った。

「けどね、実際にあの化け物連中の呼称は『天魔』や『魔族』が正しいのよ」

「何でだよ?」

「アレは『悪魔』ではないからよ」

「は? なんだそれ?」

 不思議そうに眉をひそめる連に対して、その疑問に答えたのは、どうやら復活を果たした様子の朧であった。理枝がどぎつい視線を向けているがへこたれていない辺りは流石である。

「れんきゅー、訊いた事ねぇかな? 悪魔ってのは元々、天使が堕天した存在であるっていう話をさ」

「へ? ……いや、何かゲームで言ってた様な気がしないでもないような……」

「まあ、弓削日比の言う通りよ」

 理枝は朧の言う通りと言う部分に刺々しさを込めながらも、小さく頷く。

「『天魔』は『魔族』と言い換えられるけれど『悪魔』とは呼ばれない。それは堕天使に対しての別の呼称であって、存在の根幹が『天使』ではない『天魔』は『悪魔』とは言えない全く別の存在なのよ。――故に『魔族』と称され、正式には『天魔』と言われているの」

「なんか小難しい話だな」

 っていうかさ、と連は前置いて、

「その話だと『天使』が実在するみたいな言い方なんだけど――」

「ええ、いるわよ」

「嘘!?」

「嘘じゃないわ。『天使』は実在すると『アークスティア』関係者で確認が取れているもの。ただまあ、おとぎ話みたいに崇高な存在ではないらしいけれどね」

「え、ええ……? そ、そうなん? 翼生えてるのに?」

「『翼が生えた多少特殊な人種』と言うのが遭遇した方々の意見らしいわ。『いやー話しやすかったですわ』とか何度か聞いたもの」

「ええ……」

 天魔は実に悪魔の如き存在らしかったが、どうやら天使は随分フランクな様だ。

 漫画などではかなり凄い存在で神話でもあれだけ凄い存在として語られているのにそれでいいのかと思うような身近さに思えてくる始末。

「っていうか、そもそも何なんだお前?」

「と言うと?」

「いや、まずそこから訊くべきだったよな」

 連は重々しく頷いて、自らの疑問点を口にする。

「どうして朧と行動してんのか。そんで何でお前は『天魔』やら『天使』だかに詳しいのか、それに『アークスティア』って何なんだって話だよ」

「そうね」

 理枝は一拍隙間を置いた後に。

「では一つずつ答えていきましょうか」

 と呟いた。

「まず一つ目に弓削日比と一緒に行動していた理由に関してだけど」

「うんうん」

「それは一言で言っちまえば俺も理枝ちゃんに助けられたからーって理由なんだよーん☆」

「え、朧もなのか?」

 この際ノリが軽いのはスルーする連である。

 理枝は「ええ」と頷くと事のあらましを連へ伝えた。瑠依との帰り道で例の牛の『天魔』に強襲された事。その折に駆けつけてくれた理枝の手で颯爽と助けられたこと。その後の一連の流れまで随所は省かれたがある程度細かに。連は驚愕しながらも納得のいった様子でしきりに頷いていた。。

「なるほど確かに朧ならそう言う行動も取るか……」

「思いのほか勇ましくて若干驚きだったのだけれどね。蛮勇と言うか」

 理枝が肩をすくめる気持ちはよくわかる。

 連であれば理枝に助けられた後は見送って、その事を忘れるだけだが生憎と朧は違う。その行動は基本として正義感に溢れたものだと知っている。だから見過ごせるわけもなく、理枝と共に主犯の怪物を追い掛けていたのだろう。

「けど瑠依ちゃんその後どうしたん?」

「瑠依なら心配ないよ。あの事は夢って事にしといたからね!」

「……弓削日比。私が言うのもアレですが何をしたのよ?」

「企業秘密かな☆」

 てへぺろ、と舌を出して側頭部を小突く朧。無性に殴りたくなる絵だった。

「んじゃ、それはいいとしても『アークスティア』ってのは何なんだ?」

「あ、それ俺も気になる理枝ちゃーん」

 はいはーい、と手を上げる朧に理枝は嘆息しながらも、

「『アークスティア』と言うのは私の所属する組織みたいなものかしらね」

「へー、何か格好いい名前の組織名だよね」

「ありがと。まあ、説明すると長くなるのと事情があって話せない部分は存在するけれど簡単に何をする組織なのかを言ってしまえば――天魔を払い除ける為の組織と言うところかしらね」

「天魔……あの怪物をか?」

「ええ。一般人には理解しえず、しかし一般人に害成す存在である魔族足る天魔達を退ける為の組織こそが我が『アークスティア』よ。私が天魔に詳しいのも、対天魔と言う側面を持つために組織に情報が多く存在するからというだけね」

「なるほど。そんな組織があるとは驚きだな、れんきゅー」

「俺はもう天魔とか天使とか言われてる時点で驚き過ぎてもうヤだよ」

 何がなんだかさっぱりわからないではないか。

 天魔だとか。天使だとか。

 つい数時間前までの平凡な日常からは考えられない情景に連は頭を抱えて苦悶する。連は朧ほど環境適応能力があるわけではない一般人なのだ。こんな驚天動地の出来事に関わっても困るとしか言えない。出来る事など何もないのだから早く家に帰って寝たいくらいだ。

「しかし、そういう事って事はさ理枝ちゃん」

「ところで貴方何時まで私をちゃん付けなのよ弓削日比……」

 ちゃん付けが気に食わないのか眉をひそめるも朧は気にせず言葉を続けた。

「理枝ちゃんがこの町へ訪れたのってあの怪物を倒す為なん?」

「倒すではなく退けるが正しいのだけれど――まあ、そういう事ね。最近の日本には魔族が多く集結していると言う情報が入っているから、私達みたいな組織も動いたわけで――」

「ちょっと待てよ!」

 連が焦った様子で叫んだ。

 その叫びに理枝は答えない。ただ沈黙で返すだけ。それが返って連に焦燥感を抱かせた。

「な、なあ――ま、魔族が集結ってどういう事だ!?」

 聞き逃していい事では無い。聞き逃せる内容足り得ない。魔族――天魔が集結を始めていると言う語句は洒落にならないのではないだろうか? あの化け物と類する輩が果たしてほれほどかはわからないが集まってきている。尋常では無い。

 そんな連の畏怖に対して理枝は冷淡な声で返答を返す。

「そのままよ? 昨今、日本――と言うか神奈川県付近を中心として魔族が頻繁に出没しているっていう情報があるのよ。まあ群馬も大概と聞き及ぶけれど……」

「なにそれ日本何が起きてんの!? 怖いんだけど!?」

 蒼褪めた表情で頭を抱えて「嘘だろ、やだよ、なぁ」と零す連に対して理枝は複雑そうな表情を浮かべながらもこう説明した。

「気持ちはわからないでもないわ。けれど、実際に魔族の出現度数が異常に多いのよ」

「何で日本でなんだよ、ヨーロッパとかだろ悪魔ってさ……」

「当然、西洋諸国でも魔族は見受けられているわよ? けれど最近になって出現規模が桁違いなのが日本なのよ」

「いったいなんでなんだよ!?」

「『アークスティア』ないし、組織の上層部だったり頭の冴える方々は、おそらくは魔界で何かがあったとみていると言うわね」

「魔界って、おいおい……」

 浮上した言葉に連は思わず嘲笑を浮かべた。恐怖が一転しておかしさを込み上げさせてくるではないか。『魔界』などと言う大それたワードの存在が到底信じられる規模のものでは無かった為だ。悪魔が徘徊し跋扈している世界がこの世に実在するなど普通の人生を歩んできた休屋連には度台信じ切れる様な内容では無かった。

 RPGじゃないのだ。連は事態に動転しながらも何を言っているのコイツ、と言う様に嘲笑する様な表情を浮かべている。理枝はムッとしながら、

「貴方ね。魔族が理解出来るなら魔界も理解しなさいな」

「いや、魔族ならまだしも魔界って……ないわー」

「なにその表情イラつくわね?」

「だって、急に世界規模だぜ? 地球の大半、人間がどうこうしてるのに、魔界なんて言葉が出てきてどこに土地があるんですかねー、鷹架さーん?」

「……それは私も行った事ないから良く知らないけれど異次元に近い形になっているとは父から聞いた覚えがあるわね」

「又聞きかよ」

「貴方逐一ムカッとくるわね本当」

 あからさまに信じていない様子に理枝は顔をしかめる。

 そうは言われても魔界なんてそんな広大そうな場所が何処にあるのだ。異次元とか言われてもファンタジー過ぎてついていかない連である。そうして朧に賛同を求める様に問い掛けた。

「だって、なあ?」

「れんきゅー、世の中には不思議な事がいっぱいあるんだぜ?」

 しかし朧は苦笑を浮かべながらそう返す。

 こんな摩訶不思議話訊いても平然と返すとは相変わらず妙に凄い奴だと思いながらも連は嘆息を浮かべた。なんでそうも平然と物事を受け入れられるのか甚だ不可解だ。連はもうおかしくなって仕方がない。信じてたまるか、信じたくないのだ。

 ――そうさ、ありえねぇよ。そんな怖い現実あってたまるか……!

 内面の小波を打ち消す様に頭を振って連はどうにか体裁取り繕う様な笑みを張り付けながらどうにかこうにか言葉を口に出した。

「ま、いいや。魔界があるって事にしといてやるよ」

「なにその上から目線」

「悪いね、理枝たん。コイツ頭が固いとこあるからさ。まあ、それ以外に混乱してもいるんだと思うけどね」

「そうね。ただ、悪いと思うのはむしろたん付けに至った貴方に思って欲しいのだけれど!」

 調子狂うわね、と理枝は溜息を吐いた後に、

「まあ、魔界があると言う前提で話すけれど、『アークスティア』が確認している限りでは魔界がここまで活動的になったのは十五年ぶりくらいになるそうよ」

「へー、ギリギリ俺達が生まれた頃くらいなんだ」

「みたいね。とはいえ、十五年前はちらほらと天魔が動いていただけで実際に過激に反応が見られたのはそれよりも前らしいけれど――っと、話が少し別方向へ逸れてしまうわね、ごめんんなさい」

 確かに今はそんな大げさな話よりかは身近な話の方が重要であった。

 大袈裟な事はRPG、ゲーム好きとしては好奇心そそられないでも無かったが、今はとにかく身近の恐怖の方が先の話題である。億劫極まりない、怖くて仕方がないから、正直それ続けて欲しい気持ちも多々あったが、理枝は軌道修正する様だ。

「まあ、そういうわけで魔界に何か起きて、それが原因で動きが活発化した為に私達みたいなのが動いている――と言う事になるわね」

「あの牛の怪物追っていたのはそういう事か……」

「そういう事ね。あの天魔が何を狙っているかまでは予測つかないけれど、アレはここにいる弓削日比だけではなく他の一般人にも手を出そうとした危険な存在――実際、貴方も窮地にあったわけだからね」

「窮地にあったって言うか……」

 そこで連はごくりと唾を呑み込んだ。

 そんな彼の脳裏には鮮明にあの出来事が焼き付いていた。鈍く鋭い激痛。腹から飛び出る剛腕。それに伴い噴出した自身の臓物。ひっきりなしに湧き出た糞尿と血飛沫が混じり合った歪な匂い。なにもかもが死を連想し得る程の恐怖の映像であった。

 ぶるり、と身体が震える。

「うひぃぃぃぃぃぃ、おっ、あっ、うぼぇー……」

 恐怖はそのまま悲鳴となって喉の奥から気味の悪い嘆きを吐露した。

 その様子を横目で一瞥し、辛そうな表情を浮かべる二人だったが、朧はふっと理枝に真剣な眼差しを向けると気付いた様子で理枝は向き直る。

「……なあ、理枝たん」

「なにかしら弓削日比?」

 神妙な顔で尋ねる朧に理枝はたん付けを止めてと言うわけにもいかず仕方なく返答する。

「君はさ。どうやってれんきゅーを助けたんだ?」

 その質問を投げ掛けると連は思わずビクリと体を跳ね上げた。

 そう、彼は確実に死んだ――死んでないとしても致命的だったはずだ。それを鷹架理枝と言う少女は救ってみせた。――異常だ。あの回復はあまりにも度を越したものであったと朧は認識している。他ならぬ連自身も同感だった。

 理枝は「私と言うよりもコレだけれどね」と二振りあった内の一振りを、鞘に納めたままの剣を床へ置いた。

 美しい装飾の剣だと二人とも思う。

「でもコレでどうやって……?」

 朧の疑問は当然だ。剣は武器。医療用具ではない。

 だが理枝は静謐な空気を纏わせながら驚愕の一言を発した。

「この剣の銘は『必滅覆す回天の剣』と言ってね。――能力は『刺した対象の傷を回復する』と言う、治癒の剣よ」

「……治癒の剣か。道理でれんきゅーを助けられたわけだ」

 即ち『癒しの剣』と言ったところだろうか? 何にせよその効力は凄まじい、と朧は判断する。刺す事で治癒を行うとは通常の剣ではまずないし、何より明らかに剣に相反する性質を秘めている事になる。そんな荒唐無稽も、実際にその様を目の当たりにした二人にはすんなりと信じる事が可能だった。

「すげえな。だって俺、目茶苦茶やばかったのに助かったとか治癒効果凄すぎるじゃんかどうなってんだよコレ……!」

 連が感激した様子で剣を見やる。

 自身の命を救った剣と言う事も相まって感謝の念は絶えない様だ。

「そんでお前これだけじゃなかったよな? もう一振りかっけぇ剣持ってたし!」

「……持ってたけど何でテンション上がってるの貴方?」

「バッカ、男ならマジもんの刀剣見れば誰だって興奮するもんなの!」

「……そうなの?」

 理枝はチラリと朧に本当にそうなのか、と言った視線を向けた。

「俺は理枝ちゃんの下着姿の方が興奮するかぼげすごぱるっち!」

 何か言っていたが、理枝は容赦なく剣の柄でみぞをついた。朧は苦悶の表情を浮かべながら床に蹲るが気にしない理枝である。

「おお、それそれ! それ格好いいな!」

「こっちは『リベルテ』と言う剣よ。まあ簡略的に言って『斬撃を飛ばす』と言う効果がある剣らしいわね」

「確かに飛んでた飛んでた!」

 朧に担がれていた連は必然後方を見ていたので理枝が剣を振って斬撃を飛ばす光景を良く見ていたのである。それもあって格好いい剣と言う認識なわけだ。

「まあどちらも私の家の家宝みたいなものよ」

「家宝にもなるよな。と言うか造った奴、只者じゃねぇだろ? 傷を癒したり、斬撃を飛ばしたりとか何者なんだって話だし」

「それは当然よ」

 理枝が小さく微笑を浮かべて告げる。

「だってコレこそが天使が鍛え上げた代物だもの」

「マジで!?」

「大マジよ」

 さり気無く存在の信憑性が増した天使に連は驚愕する。

 そう頷く理枝に対して痛みから復帰した朧が「なるほどねー!」と声を上げる。

「天使だから人間が作った刀とかとは次元が違う代物になってるわけか、納得納得!」

「そう言う感じかしらね。人間でも特殊な武器を作れない事も無いとは聞くけれども、作り上げられるのは一部の鍛冶師くらいになるそうよ」

「人間がさり気無く凄いな、おい」

 まさか特殊な武器を作れる人間鍛冶師もいるとは、とそっちが更に連としては驚きだ。

 そんな興奮の渦中であったが不意に朧は真剣そうな表情を浮かべながら言葉を発した。

「それで理枝ちゃんはその武器を持ってして、天魔達と戦うってわけか……」

「まあね。それが私の家の使命みたいなものだもの」

 使命。そんな言葉がさらりと飛び出た事に何とも現実味を抱けない連である。

「『必滅覆す回天の剣』に『リベルテ』――我が家には他にも伝来する術式や道具が存在するもの。天魔に対抗出来る御業があるからね」

「ふーん。使命ねぇ」

「なによ?」

「いや、なんでもねぇよ」

 そう言いながら連はしょうもねぇな、と思った。

 連ならば即座に逃げ出しそうな家柄だ。

 使命とかなんとかであんな化け物と戦う家系に生まれるとか同情が湧くと同時にものがあるから戦いに身を投じる様な行動なんてやってられない、と思いながらも口に出すと反感喰らいそうなので呟かないでおく連である。

「で、お前、それでアイツに勝てる気でいるのかよ?」

「勝つわよ。勝利を得る為に戦うに決まっているでしょう?」

「馬鹿かよ、お前」

 連がそう言うと理枝は「……なんですって?」と眉をひそめた。

「だって治癒の剣の方は攻撃出来ない感じなんだろ?」

「ええ。攻撃では無く治療の武器だからね」

「それで疾風刃雷の方は相手に見切られて撤退に使うくらいしか道が無かったじゃねぇか」

 そう連が言うと理枝はあからさまに眉をひそめたが――すぐに表情を元に戻して「だから?」と不服そうな声を零す。

「そんな状態であの化け物倒せるわけがねーだろ。どっちも通用しなかったじゃねぇか」

「……そうね、それは確かに」

 けれど、と呟いて、

「次は通じさせてみせるわよ」

 と、凛とした声と共に頷いてみせた。

 連は無理だろ、と内心呟く。特に理枝が言うのは負けフラグにしか聞えなかった。『次はわからないじゃない』と言う旨の発言に似通っていて通じる気配を感じられない。

(けどこういう場面で止めとけって言っても止まらないのが御約束なんだろうなぁ……)

 そう思いながらも一応尋ねてみる。

「通じなかったらどうすんだよ。むざむざ殺されんのかよ?」

「通じなかったらそれは確かにピンチでしょうね――けど、逃げるわけにも――いかないかも、しれないのよね……」

「は? それどういう意味だ?」

 連が訝しむ様に眉をひそめた。

 毅然とした態度が不意に頭を悩ませる様な素振りに変った事に怯えを見せる。

「実はな、れんきゅー。ちょい懸念があるんだよ」

「け、懸念って?」

「もしかしたらあの天魔がこの街で何か大事を起こすんじゃないかって言う可能性がかなり高いんだ」

「は? どういう事だよ?」

「弓削日比が訊いてたのよ」

「何を?」

 連にそう尋ねられると神妙な顔つきで朧は答えた。

「『もうすぐ派手にディスピアを蔓延させるからねーい。その前によりリアルでインスピレーションの湧く光景を直に感じたいところなのよー』って気楽な声でさ」

「どういう事だ、それ……?」

 連は背筋に悪寒覚えながらを問い掛けた。

 そんな連を一瞥して理枝は「おそらくは」と前置きして語りだした。

「今までの少人数を襲うのは前座。もうすぐに大人数を相手取る様な大事をやろうとしている、と言う旨ではないかと私は睨むわ」

「大人数……?」

「ええ。おそらくは広範囲の人間を死亡させる様な事をね」

「なんだよ、それ……」

 蒼褪めた表情で連は呟く。

 だって――現実味が湧かないではないか。

 多くの人の命が奪われるとかなんとか。まるで空想事の様な話ではないか。

「起こりっこないだろ、そんなん! アレか? 渋谷のど真ん中に現れて人を適当に殺して、大量殺人事件とか通り魔とかそんな話か? でも無理だろ、すぐに警察だって駆け付けるし! あんな化け物くりゃ誰だってすぐ逃げる!」

「警察が駆け付けたとしても相当手強いわよ天魔は」

「それなら平気だって! 朧の親父さんすげー強いし!」

 そこで唐突に発せられた内容に対して理枝は目をしばたかせた後に「弓削日比、貴方の父親、警察関係者なの?」と、尋ねかけた。

 朧は「まあね」と簡素に頷く。

「一応、警察の偉い人ってはなってるかな。けどその分、出動とかに影響あるからそう簡単には出張れないと思うぜ親父は」

「ああ、そっか。なんだよ、くそう……!」

 連は思わず頭を掻きむしる。そうであった。

 警察として地位が高ければ、そうそう下手な動きは起こせなくて当たり前ではないか。

「けど、大丈夫だよな? 暴れてもすぐに一般人は退避だってするだろうし、警察はすぐ駆けつけるだろうしさ!」

「確かにそれはそうでしょうね」

「なら大規模な被害とかはないよな?」

 そう確認する様に問い掛ける理枝に「それならそうね」と頷いた後に、


「けど相手は天魔。ならばその行いは『真夜中に大規模な殲滅術式を持ってして甚大な被害を及ぼす』と言う手法を取る方が可能性として高いわ」


「なっ……!」

 連は驚嘆した後に「なんだよ、それ……」と掠れる様な声で呟く。

 そんなのでは警察が動きようがない。よしんば警察に事前に言ったとしても『あーはいはいファンタジーですねー』とか言われてマトモに取り扱って貰えない可能性だって高い。

「それに警察最近大きな事件ばっかで人数割るのも大変みたいなんだよな」

「え。――ああ、くそ更に問題浮上かよ……!」

 そう言えばそうだったと思わず地団太を踏む。

 昨今、警察はどうにも異常事態と言える程に犯罪発生率がこと神奈川で多いらしく終始様々な案件で手を焼いていると言う事態がテレビでよく伝わっている。最近だってテレビで脱走した受刑者の話などでも盛り上がっていた程だ。

「それ、おそらくは何件か天魔も関与していると見ていいでしょうね」

「マジかよ……」

「不可思議な事件であれば尚更だと思うわよ?」

「どっちにせよ、警察を動かすのも中々手間取りそうって事になるよなー」

 朧がむむむ、と唸りながら腕を組む。

 どうすればいいと言うのか――連には到底何もわからなかった。しかし理枝はそこで活力の篭った声を上げる。

「――安心しなさい。だからアタシみたいなのが立ち上がるんだから」

 その声は何とも毅然として――頼り甲斐に満ちていた。

 先程のしょうもねぇ、と言っていた自分を少し恥じる気持ちを抱く連であった。公的機関に頼れないのならば自らが、と言う意思を持つ彼女を何で嘲笑ったのか思わず恥ずかしくなりそうになる。朧などは感激した様子で「理枝ぴょん……」と呟いていた。

「ねぇ、弓削日比、いい加減アタシはシリアスを壊す貴方を蹴っても許されると思うのよね?」

 案の定こめかみに怒りマークを浮かべる理枝である。

「警察も事態が動けば対応は間違いなくするでしょう。なら私達の役割は事態を最小限に抑え続けて、よしんば退けられるならば退けてみせる事になるわね」

「それはいいけど、天魔の所在わかってるのかよ?」

「おそらくは――あの学校でしょうね」

「何で俺達の学校が……!?」

「アイツは最後に誰かを探していた。そしてあの場所からその気配を探知したのだとすれば、あそこと関わり深い人物の可能性は高いわ。とすればあそこで何らかの事を起こせば対象が姿を見せる可能性もあると思わない?」

「……なるほど、誘き出しと目的執行の二重側面を持ってるわけか」

「ええ。そしてやるとすれば目立たない夜間――あそこは今夜だって人は私達だけだったんだもの。それを考えれば目立たなくていいでしょうね」

「つまり学校を拠点にしでかすって考えられるわけか」

 朧は小さく呟いた後に重要な事を問い掛けた。

「それで勝機はどれくらいありそうなんだい?」

「わからないわ。相手の実力自体未知数だもの」

「こっちの戦力は?」

「雑魚田は一緒に行けるけれど、他の面子はどこまで間に合うかわからないわね」

「……っていうか他の面々は何処で何してるわけ?」

 こっちがこんなに大変なのにどこで油を売っているのだろうか。

 連は憤慨する気持ちになる中で理枝は答えた。

「大概皆があっちこっちで下級魔族の殲滅してると思うわね。雑魚田もその最中近かったから駆け付けたわけだし」

 あっちもあっちで頑張っていたらしい。

 思わず謝罪したくなる連である。

「それとアタシの仲間はそこまで大見栄切って動けるわけでもないからなぁ……」

「え? 何でなん?」

「別に何でもいいでしょ。気にしないでよ」

 そこで理枝は気まずそうに視線を逸らす。

 連と朧は不思議そうにしながら思わず目を合わせた。理枝は「とにかく!」と大きく声を上げると、立ち上がって剣を腰に収めて凛とした声で告げた。

「アタシは明日の夜に再び学校へ向かうわ。何かさせるわけにはいかないからね」

 天魔何て言う強靭な存在を相手にここまで堂々としている。

 連は図らずも格好いいとさえ思ってしまった。

「……なら、俺も行くよ理枝ちゃん」

 そこで上がった声に理枝が目を見開くが――すぐに厳しい視線へと切り替わった

「……弓削日比。貴方何を言っているのかわかっているの?」

「もちのろんだよ、理枝きゅん」

「本当にわかってるの!? ――貴方ね、あの時から勇敢とさえ言えるくらいだけれど、これ以上は本当に洒落にならないわよ? 今度はガチで戦いに行くのだから――貴方がピンチになってもカバーできるとは限らないわ」

「ええ、そんな!?」

「そこは普通『俺の事は気にせず戦ってくれ』とか来るんだと思ってたわ」

「あはは、冗談冗談――理枝ちゃんの思った通りでいいさ。俺がピンチでも理枝ちゃんは自分の戦いをしてくれればいいし、足手まといなら斬り捨ててくれたって構わない」

「……貴方と言う人はもう」

 理枝は呆れた様に嘆息を浮かべた。

 その様子を見ながら連は思う。

(この分じゃ鷹架の奴も朧って奴の人種が理解出来てきたみたいだな)

 連としては到底考えられない人種が弓削日比朧なのだから。わざわざ首を突っ込まなくてもいいはずの今回の出来事にさえ首を突っ込む――それも命の危険が濃厚だと言うのにだ。連ではとてもじゃないがこんなセリフは吐けない。死の危険のある舞台なんてゴメン被るのだ。

「……本当についてくる気なの?」

「もちのろんさ!」

 髪を掻き揚げながら朧は言った。どこのキザ男だろうかと二人して呆れたりもする。

 しかし理枝は朧を数秒凝視した後に、

「わかったわ。ただついてくるって言うんだから――最低限役には立ってもらうわよ。その代り私も多少はフォローに回るから」

「理枝ちゃんやっさしー☆ 任せてよ!」

 拳を握り緊めてガッツポーズの朧である。

 そんな朧を床にあぐらをかいて座りながら嘆息を浮かべて連は言った。

「お前よくやるよな本当」

「まあな。理枝ちゃんには救われた恩義あるし、返さないとっしょ」

「そんなもの気にしなくていいんだけどね……」

 呆れた様に理枝は苦笑を浮かべた。

「ま。なんにせよ朧がそう言うんなら俺は応援するよ」

「れんきゅー……さんきゅーな」

「当たり前だろ?」

 朧の胸板に拳で軽く小突きながら連は引き締めた表情で告げる。


「必ず勝ってこいよ。じゃないと街の人達だってどうなっちまうんだかわからないし、俺だって怖くて仕方ねぇんだよ。死ぬの嫌だ。戦うのも嫌だ。お前らと一緒に行動するのも絶対嫌だ。ここでのんびりしてる、終わるまで。決着付けろよ二人とも! だから頼んだ!」


 白けた空気が理枝を包む。朧も冷や汗垂らしつつ苦笑いである。

 ここまで自分本位の発現をぷるぷる小刻みに震える拳と共に伝えられてはしょうがないと思いつつも、やはり言うしかなかった。

「あれ、れんきゅーお留守番する気満々?」

「当たり前だろうが! 俺とお前ら一緒のスペックに数えるなよ!」

 連は憤慨した。

 なにせ朧の様に身体能力に優れているわけでもなし、理枝の様に珍しい装備を持っているわけでもない。連はただの一般人だ。

「俺が関わったとしても足引っ張るだけだって!」

「それは間違いなさそうね」

「ほらな? 鷹架だってこう言ってるじゃん!」

「けど貴方自分で言いながら恥ずかしくないの……?」

 自ら『自分は使えないアピール』している事について理枝は汗を一筋垂らしながら困った様な表情を浮かべていた。しかしそんなもの知った事ではない。連は命が惜しいのだ。

 弓削日比朧の様な身体能力の高さを休屋連は持っていない。

 鷹架理枝の様な戦闘装備と技巧を休屋連は持っていない。

 徹頭徹尾一般人――連の立ち位置はそういったものだ。到底、ついていく理由といったものは微塵もない。

(二人は戦う力あんだから行けばいいけどさ。俺に何しろってんだよ?)

 動画撮影でもしろというのか。あるいは囮にでもするのか。

 いや囮は無いだろう。追われる理由は危険性があると言うだけでわざわざ追いかける程の理由は存在しないはずだ。

「まあ、確かにれんきゅーじゃ始まって数秒で死にそうなのは肯定するかな」

「ほらみろ。朧だってそう思ってんだしさ。俺を巻き込むなや」

「貴方とことん情けないわね」

 額を抑えて理枝が何やら呟いているが仕方ない話だ。

 事実、連としては二人の足手まといにもなりたくないし、そもそも関わり合いになりたくすらないのだ。ことなかれ。とにかくさっさと逃げ出したいのである。

「まあ、れんきゅーがもう一回アイツとやり合うってのはリスク高すぎるもんな」

「おう、頑張れよ親友。自宅で応援してるぜ」

「あいよ、サッカー観戦でもしてな」

 可笑しそうに朧は苦笑しながら連の拳とコツン、と互いの拳を合わせる。

 そして理枝の方へ視線を向けて、

「さ、明日の夜まで時間はまだある。作戦でも練ろうぜ理枝ちゃん」

 二人はいざ天魔に対しての有効な対策を練り始める――、


「……いえ、無駄に男らしい挨拶の後に悪いんだけど貴方も一緒に来るんだからね?」


 と、そこで理枝が連を指差しながら嘆息を浮かべつつそう言った。

 連は「ホワッツ?」と声を上げて、

「いやいや、さっき言ったじゃんか? 俺足手まといだってさ……!」

 あれだけ言って戦力にもならない男をどうしようと言うのか。

「それは確かにそうなんだけれどね」

 理枝は複雑そうな表情を浮かべながら、

「弓削日比はまだしも、貴方は必ず一緒に来なくてはならないのよ」

「は!? 何でだよ!?」

 連は驚愕する。いったいどうして一般人の自分が、と。

「もしかして連に秘められた内なる力が覚醒する的な?」

「マジか!」

 俺にそんな力が! と、連は目を輝かせる。

 天使の力と言うものに関わる理枝だ。そんな特殊な人物であれば、休屋連の中に特別な力を見出したと言う線は無下には出来ない――!

「いえ、それは全く感じていませんが」

「あれ!?」

 どうやらそういう展開ではないらしい。

 連が愕然とする横で朧は不思議そうに問いを発した。

「じゃあれんきゅーを連れていくのは何でなんだ?」

「それはね……まあ、話すともれなく騒がれそうで困るんだけれども」

 そう言いながら取り出したのは連を救った剣。『必滅覆す回天の剣』だ。

「その剣が何だっての?」

「簡潔に言ってしまえば、彼を治癒した剣の性質故に彼は今一度、あの天魔に立ち向かわないといけないのよ」

「は!? 何でだよ!?」

 連は信じ難い様子で理枝に詰め寄った。

 理枝は動じる事も無く淡々と答える。

「貴方は都合が良過ぎる剣だと思わないかしら? なにせ致命傷ですら治癒し命を助ける剣よ? 当然、その制約として『五分以内でないと効力が無い』、『対象の生命力の大小により通じる』と言うものはあるけれど、それでも強力過ぎる武装じゃない」

 つまりは『時間制限』付きと言うわけか。また、『生命力の大小』と言う言葉が出てきたのが気になるが、確かにそれらのデメリット――もとい制約があったとしても生命帰還能力は余りある力であると言えるだろうか。

 ――とすると、

「まさか……」

 ゴクン、と唾を呑み込んで。

「何かヤバイ反動でもあるのか……?」

「反動と言うのとは少し性質が違うけれど近いと認識してくれればいいわ」

 そう言うと理枝は神妙な面立ちでこう告げた。

「『必滅覆す回天の剣』には治癒持続時間があるのよ。――それは約二十四時間以内。それを越えてしまうと修復したはずの傷が再発し、傷が元へ戻る」

 わかるわね? と彼女は真剣な声で述べた。


「貴方の命は24時間以内に再び死を迎えるのよ」


 その言葉を、真実を訊いた時。

 休屋連は思わず膝から崩れ落ちた。

 口から乾いた笑いが零れ出る。

「は、はは……んだよ、それ」

 なんなのだ、それは。

 それは――ただの延命装置なだけではないか。

 それも確実にタイムリミットを持った延命なだけ。死が差し迫っているだけである。このままではまたあの傷が開いて死ぬだけ。何なのだそのあまりにもな現状は。あのまま死んでいても変わらないではないか。

 連はその優しいだけの非情さに憤り、憤慨を露わにする。

「なんだよそれッ!」

「まあま、落ち着こうぜれんきゅー☆」

「なにこの局面でふざけてやがんだぶん殴るぞ朧ォ!」

 普段ふざけていてもこういう局面でふざける奴等許せない。

 自分の生死がかかっているのだ。折角生き延びたと思ったら、延命治療の最中だったと言われてしまえば動転せずにいろ、と言うのが無理な話。いきなり『あなたは末期癌ですよ』と言われた心境である。

 苛立ちを込めて拳を振るうが朧は易々とその拳を受け止めて「落ち着けっつてんだ」と低い声で連に諭す様に告げた。

「朧……?」

「理枝ちゃん。先を続けてもらえるかな?」

「先って何だよ! 御先真っ暗ってか!?」

「本当、手がつけられませんね……」

 理枝が嘆息を浮かべる横で朧が諭すように肩をぽんぽん叩きながら、

「いやいや、れんきゅ、考えてもみ? わざわざ話さなくても変わらない事実をここで話したんだぜ? それも一緒についてくる様に言った後でさ。それって――」

 ――解決方法が何かしらあるって事だろ?

 朧は静かな声でそう呟いた。

 連は確かに、と思った。話し始めに自分に一緒に来る様にと告げていたのだ。という事はつまり何かしら打開の方法が存在すると言う可能性の示唆に他ならない。

 そう思いながら理枝へ視線を戻すと彼女は小さく頷いて首肯した。

「ええ、あるわよ」

「本当か!?」

「本当よ。――と言うか、それもこの剣の性質の一つなのだから」

「どういう事だ?」

「『必滅覆す回天の剣』の治癒時間は同時に完全回復達成までへのタイムリミットでもあるのよ」

「……なんだそれ?」

 不思議そうな連に対して理枝は確かな声で返答した。

「『24時間以内に傷を負わせた対象に反撃の意思を纏わせた直接触を図ること』――それが『必滅覆す回天の剣』が対象の傷を完全に治癒する為の絶対条件よ」

「えと、つまり、それって……?」

「簡略的に言えばね」

 と、前置いて理枝は告げた。


「あの天魔を一発殴ればいいのよ」

「出来るかぁ!」


 あの化け物をである。

 あの怪物を拳で殴れと。ただの一般人の連が立ち向かえと、そう言う話である。だが事実理枝の『必滅覆す回天の剣』の性質は傷を与えた対象へ報復を行わねば、傷が再発すると言う仕組みを兼ね備えており、それを達成しなければ連は再び死に絶えるのだ。

 それが特殊な治癒の剣である『必滅覆す回天の剣』が致命傷からすらも改善させる力の対価とも言うべき部分であった。

「情けない事言わないで一発くらいならガツンといきなさいな」

「無理言うなよ! 殴る前に死ぬか殴った後に死ぬかだろが!」

「その時はまた剣で治癒してあげるわよ?」

「死ぬの前提で殴りに行けと!?」

「なあ、理枝ちゃん。わざわざ殴らせる意味あんの?」

 朧が不思議そうに声を上げた。

 連もはたと気づく。

「そうだよ、そうそう! 朧とで倒した後に触れればいいだけだろ?」

「生憎と時間がかかり過ぎる可能性も考慮しているのよ。そうでなくても相手はおそらく夜中辺りじゃないと現れないでしょうね。そうすると丸一日が経過しかねない」

「そっか、そうするとタイムリミットって事か……」

「ええ、追い詰めたとしても相手が撤退する可能性もあるしね」

「なるほど、相手に逃げられたら終わりだもんな」

 朧はうんうんと頷くと連の肩にぽんと手を置いた。

「そういう事みたいだから諦めて一回死ぬ気で行こうぜれんきゅー」

「大丈夫、明日までに面子は揃えられるしね。安全性は高まるわ。仮に死んだっても、時間がこない間は何度だって生き返らせてあげるわよ」

「そんな理屈で死にたくねぇーっ!」

 こうして。

 自らの命を自らの拳で救うべく。

 休屋連は関わらなくていいはずの激闘に身を投じる羽目になるのであった。

 少年の絶命は目に見えて明らかだとしても――。





第七章 後編:ヘタレ死す!

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