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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Premier mission 「戦場大車輪」
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第二章 戦場に咲くは華々しい景色

第二章 戦場に咲くは華々しい景色


        1


 迎洋園(ゲイヨウエン)テティス。

 その名を耳にした瞬間に弦巻(ツルマキ)日向(ヒナタ)は凄い名前だなあ、とぽわんと漠然とした感想を抱く。テティス、と言う名前から察するに純粋な日本人ではないのだろう。いや、あえて外国の名前を用いるケースもあるだろうが先程、本人も自己紹介の折に『クォーター』という言葉を洩らしていた事から少なくとも四分の一、外国人の血が混じっていると考えるべきか。

 そうして見てみれば確かに日本人よりかは英国人寄りの顔立ちとプロポーションである。

 着用しているドレスも日本人では少し似合わない様な代物だが、英国の血だろうか彼女にはこれ以上なくしっくりと似合っていた。

 ただ日向としては少し困った服装だ。

 姫君の様な衣装ゆえか。テティスのドレスは胸元が大きく空いているし、背中も露出度が高い為に日向は正直目のやり場に困ってしまう。背中の方は長い髪で隠れるのだが、胸の主張が激しい服装の為に年頃の男子としては物凄く気恥ずかしい。

 実際、気付かれた様でじーっとジト目の視線が日向に突き刺さっているではないか。

 テティスはにっこりと微笑みながら優しい声で問い掛けてくる。

「ねぇ、貴方。今、どこを見ていたのかしら?」

 本当に優しさに満ちた声だ。なのに異様に怖い。

 鉄棒をぽんぽんと手の平で遊びながら頬に怒りマークが出現している。日向はとりあえず汗だくだくで思案する。結果口から飛び出したのは、

「……日本の明日、ですかね!」

 と、意味不明な事を出来る限り爽やかな表情で答えた。

 次の瞬間、日向の頭部にタンコブが出現した。

 呻き声すら間に合わない速度。

 殴打された事にすら気付けない始末だ。

 しかし痛みと言うのは唐突にやってくるケースとじわりと這い寄ってくるケースが大概。今回に至っては後者の様で頭部をかけてじんわりと痛みが広がってくるのを日向は涙目で頭を押さえながら痛いと小さく呟いた。

 いや、胸に視線が移っていた自分が悪いんだけども、と思い悩みながら何か悔しい気がする。やるせない。と言うか胸を指摘されるのが恥ずかしいなら何故そんな扇情的なドレスに身を包んでいるのだと疑問を投げ掛けたくなるのに……。

 そう考えながらテティスを見上げると彼女は彼女で視線を別の場所へ投げ掛けていた。どこだろうか。後方……斜め後ろの方へ向けている様子だが。不思議に考えているうちにテティスは唐突に口を開いた。

「……さて、お喋りはこの辺りで済ませて、そろそろこの場所から動いた方が良さそうです……わね」

「へ?」

 急に何なのだろうかと思いながら頭を思考の意味でも痛みの意義でも悩ませる日向であったが、そこで彼もテティスの意図に気付いた。

 聞こえてくるのだ。話し声が。それに加えて足音が複数。

「……誰か、近づいてきています、ね」

 表情にさっと緊張感と真剣さを走らせて日向が小声で呟くと小さく頷いての返答がくる。

 誰だろうか、と日向は疑問に感じる。敵である事に間違いはないだろう。ここは敵陣なのだから。助けが来るとしても自分に援軍はいない。彼女の仲間という可能性もあるが、低いだろう。実際、彼女は緊張感のある表情をしている。

 加えて自分を追ってきた五名……、機関銃で牽制した人たちとも違う。

 二人は声を抑えて会話した。

「足音は」

 耳元を軽く触れ、思案した様子で独り言の様に小さく言葉を紡ぐ。

「四人、ですね」

「ええ。なるべく足音を立てない様に静かに接近していますわね……」

 何故にここへ迷う事無く近づいているんだろうか、とも疑問に思った日向ではあるが、

「……」

 倒れている『定式知らず(イグノーセンス)』一名の姿を確認しながら。

「……」

 困ったなあ、とばかりに息を吐き出し吐き捨てて。

「まっ。バレますよね、あれだけ大声で騒いで戦ってたらっ」

 小声で叫ぶ。テティスは静かに、とばかりに口元に人差し指を当てながらも同意を示す。

「この男、大声で叫んでましたものね~……」

 自分の常識を盛大に叫んでいたのだ。ここで何かあったと訊きつけるのも当然だろう。

 自分達も若干、騒がしく振る舞ったはずだし……。けれど一番大声だったのは絶対にここで伸びているコイツだ、と思うと軽く二人はじーっと僅かな恨みがましい視線を送った後に、

「じゃあ、早速敵の姿が見えないうちにこの場所を離れましょう」

 日向は即座にこの場所から移動する事を提案する。

 此処に固まっていても敵が来るだけだ。このままでいるよりも別の場所へ動いておいた方がまだマシだろう。数は四人。どういった面々なのかも不明なのだから。テティスも同意の様でコクンと頷く。

「ですわね……」

「ああ、けれど、少し待ってくださるかしら?」

「どうかしたんですか?」

 日向は何だろう、と不思議に思っていると彼女は服の袖口からひらりと二枚の型紙を取り出した。人間らしき形をしている白い紙であった。

「こういう時の為に私の専属メイドがくださったお守りですわ♪」

 向日葵の様な笑みを浮かべてテティスは言った。


 鉄製で作られた迷路の様に行き交う通路。そこをズンズンと近づく四人組。

 この戦地に於いて抵抗する武装勢力の一般人を薙ぎ払う政府の駒。そんな者達の基地の一つであるここでは現在脱獄者を兵士達が足早に駆け廻っている。

 そんな中でも上司の側近であり権力の強い四人組が日向たちへ迫っていた。

 傭兵のルディロ=スラヴォンスキ=ブロド含めた数名の腕利き任せるだけでは実に味気ない――故に動く彼ら。前方二人、後方二人の隊列で歩く四人組。屈強な肉体の黒人一名、加えて白人二名。東洋人一名という部隊。その皆が着用しているジャケットを下から盛り上げてパンパンに膨張させている筋骨隆々な四人であった。

 生半可な者では怯えて逃げ出すのではないか、と思えるほどの強面の男達だ。

「HAHAHA! やはりまだまだ子供だな、チャマルティン!」

 白人の一人が楽しそうな口調で喋り始めた。

「まぁお金持ちのお嬢様ってんじゃ、こういう窮地でも気を抜いちまうもんだろうな。どうやら同じ脱獄者君と会話中のようだぜ?」

「そう言うなよ、レイリア。なんたって平和の国ジャパンから来た戦争も知らない少女なんだぜ? 現実味ってのを感じられてないのさ。または自分がこんな場所へ誘拐されるなんて微塵も思ってないんだろう」

「ムフフ。可愛らしいな日本人は」

黒人の男性が下卑た表情で呟く。

「おやおや、フッキングさん。日本人とはいえ、戦場の空気を知っている者も当然おるのですがな」

「ムフー。それは済まなかったね、ナンタイサン君」

 フッキングと呼ばれた黒人はナンタイサンと言う日本人の言葉を訊くと大仰に手をひらひらさせて謝罪の様な気持ちをアピールする。

 そんなフッキング氏を見ながらナンタイサンは。

「それに、ですよ」

チッ、チッ、と指を振る仕草を見せながら、

「自分の状況下がどの様なものか、例の戦場にいたと言う少年から伝え聞いているやもしれませんよ?」

「OH。彼、そう彼か……。日本人が戦地にいるとは前々から噂で聞いていたが……」

「戦場カメラマンならまだしも……戦地参加しているとは思わなかった、か、レイリア」

「HAッ! その通りだよチャマルティン」

 正解、と肩をすくめるレイリア。

 年端もいかない少年少女が戦場へ……。それは左程珍しい事ではない。珍しいのは日本人であったと言う事だ。平和な国家である日本人が戦場で、というのは中々に信じにくく、カメラマンか何かなのかと考えていたレイリアである。

「ぐふふ。それにしても、だ。……いったい何時から戦地にいたのかね、少年は?」

「それが、な……」

「……何か訳ありかい?」

 言葉を濁すチャマルティンに対して日本人の男が訝しげに問う。

 ああ、いや、と前置きを置き頭を二度掻いた後に嘆息交じりにこう述べた。

「元々はこちらの傭兵だったのだよ、少年は。抵抗戦力を殲滅する側、という奴さ」

「そうだったんですか……。それが相手側へ……ふっ、まぁ予測はつきますな」

「君の予測が正しいと考えるよナンタイサン。大方、一般市民に手を上げる現政権のやり方が気に食わなかったのだろうね」

 おかげで三ヶ月も交戦してしまったよ、と残念そうに呟く。

 三ヶ月。それが日向が此処へ来て戦場を生き抜き戦い続けた日数であった。より簡略化するならば実の父親に騙されて連れてこられて生存必死な日数であった。

 平和の国である日本に生まれながら戦場で生き抜いたその根性は褒めてあげるべきですね、とナンタイサンは何となしにそう思う。けれど、

「雇われた身の上でありながら、雇い主を裏切るその行い――同じ日本人である僕が戒めなければなりませんね」

「OH。やる気満々だな、ナンタイサン」

「ぐふふ。当然だろうレイリア」

 フッキングは口元のよだれをぐっと拭い取って鋭い獲物を睨む瞳へと、狩人のごとき瞳に染まる。

「さて、この通路を抜けたらいよいよ、我々の仕事開始というものだよ」

「だな。準備はいいか。フッキング。レイリア。ナンタイサン」

 チャマルティンの問い掛けに対して三名は即座に『おおっ!』と言わんばかりのガッツポーズを示して通路から飛び出し、右方向に見える慎重に気を配りつつ、武器を手に進んでゆく二名を視界に確認し、巨体の割に素早い動きで距離を一斉に詰めてゆく。

 その音に思わず少年と少女がハッと気づいた様に振り返る。

 その目に絶望が色濃く映った最中に四名は、さぁどう料理してやるか、と己の欲望を考えながら押し倒さんとした瞬間に……。

 彼女は笑った。

そして呟く。

『残念。外れですわ』と愉快そうに。

 口が「は?」とぽかんと開く。覆い被さるように襲った四名の表情が唖然となる。同時に、少年と少女の姿が突如ボゥっと炎に包まれる。そうして次の瞬間には二人の姿はどこにもなかった。二枚の人型の紙がひらりと宙を舞うだけの空しさが残る。

 ドザッという男達の雪崩込む音。

 その音が響く頃には、その場所には誰一人……脱獄者の姿は存在しなかった。レイリアが困惑した様子で叫ぶ。目の前の出来事がとても信じがたい事の様に叫ぶしかなかった。それほど目の前の出来事が信じられなかった為だ。

「WHAT!? 何が起きたんだ!? 今のはいったいなんだ!?」

「ぬはー! 彼らは何処へ消えた!? 何処だぁああああああああ!?」

「ナンタイサン! これが世に言う日本のブンシンノジュツ、と言うものなのか!?」

「い、いや、そんな馬鹿な……。分身の術なんて実在するのか……?」

 摩訶不思議な現象。世に言う『分身の術』と呼ばれるものと酷似した出来事。同胞から同郷の出身者であるナンタイサンへ向けて疑問が飛び交う。しかしこの出来事はナンタイサン自身信じられない様な……煙に撒かれた様な出来事だった。

 しかし〝定式知らず〟の存在があるくらいだし、とナンタイサンは頭を抱えて悩み始める。

「……いや、むしろ……」

 〝定式知らず〟の可能性も否定出来ないが、ナンタイサン氏が微かな時間、目に映った一枚の紙……あの光景を思い返す……。

「アレは分身と言うよりむしろ……」

 ナンタイサンは思考を巡らす。漫画みたいな話にしか思えないが、世の中には一定の存在が実在する。『分身の術』と近しい、別の方法を……。あるいは『定式』と言う名の産物を……。

 事実、上官アルグール=ハマー等、自分達の知る限り三人はいたはずだ。

 だが今回のは少し違う。日本生まれの自分にはわかった。もしもコレを空想ものと断じずに回答するのだとしたら……。


「――陰陽術?」

 ポカンと驚いた様子の日向の口から零れた言葉日向自身も信じられない様な感覚が詰まっていた。並走する形で疾走するテティスは「ええ」と頷く形で肯定する。

「アレは私のメイドがお守り代わりに、くれていた『人型』というものでして、髪の毛一本巻き付ける事で分身……いえ、身代わりを作る術式ですわ」

 術式『人型』とは本人に代わり災厄を引き受ける人形を作る術。

 迎洋園テティスの従者は彼女の危機に逃走を有利に行える様にすべく、この術式を彼女にお守り代わりとして渡していた。事実、今回に至っては、文字通り救われた形と言えるだろう。

 ただしこの術式には必要となるものがある。

「突然、髪の毛一本くださいって言われた時は何かと思いました……」

 髪の毛。

 呪術に於いて、人型の術式に於いて髪の毛を材料とし力を発揮する。その為にテティスは日向と自分自身の髪の毛一本を媒体に身代わりを顕現させた。とはいえ、当然ながら陰陽術に理解も精通もしていない日向にとっては何なのだろうかと驚きであった。

「急いでいましたしねー。何だと思ったんですの?」

「てっきり髪フェチなのかなーって」

「刺しますわよ?」

 ひゅっと風を振るって鉄棒の切っ先が日向を向いた。

「すいません、冗談です……!」

「全く誰が髪フェチですか……」

 と、呆れる様子のテティスだが、駄弁っていても仕方ないので会話を続ける様子で、

「ともかく、あの『人型』で追手をしばし誤魔化せたのではないかと考えます」

「確かに……」

 それが証拠の様に後方から追走の足音は一つも聞こえてこない。

「……誰も追ってきませんね」

「ええ。……昔、私自身これで騙された事もありますからね……あの子の姉に……」

「あの、何か遠い目をしていますけど大丈夫ですか……?」

 日向が何か死んだ魚の目になっているテティスに対して心配そうに声かけるも「一族の方方があの人だけは専属にしちゃいけない、と言っていた意味がよくわかりましたわ……ふふふ……」と呟いていて若干怖い。

 しかし、それを踏まえても日向は気になっていた。

「あの迎洋園さん……」

「……何ですのー?」

 相変わらず言葉に覇気というものが感じられないが日向は少し思案した後に、

「陰陽術師なんて従者さんがいる上に、さっきは『定式知らず』何ていう存在を知っていた様子ですし……貴女は何者なんですか……?」

 と、言う問いかけにテティスはまたもじとーっとジト目を送ってきた。

「……」

 だからそのジト目はいったい……、と不思議そうに小首を傾げる日向に対して少女はため息を吐き出した後に、

「……」

 何やら小さく呟いている。何ですか、と不思議そうに問い掛けると。

「てっきり知っているもの、と思っていただけですわ……」

「いえいえ。普通知りませんからね……?」

 事実知らない話だ。

 そんな不可思議な事を言われても日向は知らぬ存ぜぬとしか思えなかった話である。

「ですが戦地に行ったら〝定式知らず〟を知ってて当然、と言うのが世のモットーですわ」

 しかし彼女は至極当然と言った表情で告げた。いやいやいやと首を左右に振りたいものだ。だとしたら戦地は如何なる混沌ぶりになっているのだろうか。

「何時からそんなモットーが出来てるんですか!?」

「割と最近ですわねー」

「捏造じゃなかった!? でも僕全く知りませんけど!?」

「まぁ確かに……」

 んーと考える素振りを見せた後に一人納得する様に頷いた。

「……今回はあまり数が多くないと聞き覚えもありますわねー」

「いやいやいや。何時から世界にそんな異能者は増えてたんですか?」

「割と前からですわね」

「世界に何が起きてるってんでしょうかねっ!」

 と言われましてもとばかりに困った様に苦笑を洩らす少女に対して日向は全くもって信じられない表情を浮かべて頭を悩ませている。

「……ええ、そんなに異能者増えてるの……? ええー……?」

「増えているのですよ」

「さも当然の様に言われましても……」

 加えてもう少し話を訊きたそうな日向の様子を見て、

「少しあそこで休憩がてら話しましょう。走ってて幾分疲れてきましたわ」

 その提案に日向は小さく頷く。見たところ、兵士の姿もない。数分かそこら身を隠すには定石の場所であろうし、互いの情報を交換しておきたいところだ。

 室内の様子を瞬時に確認した後に二人はささっと侵入する。倉庫の一つの様で、ほとんど使われている気配が無い場所だった。若干薄暗いが身を隠す意味でも役立つ。そう考えながら壁際に揃って腰を下ろすと、テティスはおもむろに口を開いた。

「それじゃあ弦巻君。何から訊きたいのかしら?」

「じゃあ何でこんな場所にいるんでしょうか、迎洋園さんは?」

「……」

 無言になった。日向自身は敗北の末路として、敗者として連れてこられた結果、今ここへいるわけだが彼女は自分と比べて隙もなく力量も素晴らしいのに関わらずここへ……牢屋にいたことが気にかかる。もしかしたら自ら潜伏し何かを窺っているのではないかという推測からの問い掛けだったがテティスは無言の末に小さく明後日を見る目で呟いた。

「……秘密ですわ」

「……あの、何でしょうか、そのズーンと自虐的なオーラが漂う涙目の表情は……?」

 あはは……、と虚しい空元気の笑顔をする少女に対して日向が心配に想うも相手としてはアロハシャツにアフロ、鼻眼鏡の相手を見て気を抜いた隙に拉致られた等とは言えない。少女のプライドの問題で。テティスはしばし自分を叱咤した事となった。

「……とりあえずノーコメント、ですわ」

「そ、そうですか……」

 何やら触れられたくないらしい。そんなに非道な誘拐事件だったのか、と考えるとトラウマの可能性もある事件に関して尋ねた自分を日向は恥じながらも、訊きたいことを訪ねる。

「じゃあ別の事訊かせて欲しいんですけど……!」

「何についてかしら?」

「そうですねー……。陰陽術にも興味湧きますけど……」

 日向がそう口を開くと待ったとばかりに手の平をかざして、申し訳なさそうに苦笑を交えてテティスは答えた。

「生憎ですが、陰陽術は私詳しくないですわよ? それに血縁者しか、この陰陽術は使えない、と彼女にも訊いていますし」

「そうですか……」

 それは少し残念だった。知識が無いなりに少し訊いてみたかったのだが致し方ない。

「なら、やっぱり……」

 思考を巡らせる。と言っても巡らせる必要はあまりない。要は投げ掛けていいか否かだ。そして彼女の反応から言って尋ねても問題はないのだろうと思う。だからこそ問い掛けたい。常識を素知らぬ顔で済ませる定式について……。

「『定式知らず』に関して手短で構いませんから教えて欲しいですね……!」

「うーん……」

 テティスは少し考えた後に、

「……予め言っておきますが、これは別に隕石の影響、とか違法な科学技術によって――とかの話ではありませんわ」

 と、何らかの偶発的影響による産物ではないと明言する。

「そうなんですか?」

「そうです。大半の『定式知らず』は天然ものですわ。ウソ偽りない純粋な異能者になります。世の中の『定式』に当て嵌まらない力を発現できること。一種、超能力者で一種、特殊な病気もちの様にも見える超人です。世の中に結構、五万と存在していますわよ、彼ら?」

「五万と……?」

 俄かには信じ難い話に思えた。

「彼らは同じですから。卓越したピアニストに、他を凌駕した芸術家に、独特の感性を持った音楽家に、鍛え抜かれたスポーツマンに。一つを極めて常識の様に有名を帯びる方々とさして変わらぬ存在です」

 即ち『定式知らず』とは有名な、高名な、風に訊く様な天才、偉人を示す様に告げられた。

 逆にそれだけの存在であるならすでに世界中で有名になっていそうなのだが……。

「……良く問題になりませんね?」

「結構控えられている内容ですからねー。こういう戦地だと『定式』使えるぜ、ひゃっほぉおおおおおおいっ!』ってノリの方が多いと聞きますが」

「良く問題になりませんねぇ!?」

 本当に控えられているのかわからなくなってくる。

「何かしら宇宙からの未知の力が……、という事でもなく自然発生する『定式知らず』という存在は実に不思議で自然的ですわ。異端に感じる様だけれど……。ある種、自然の理に近いものがあります」

 価値観により決定づけられた当たり前、当然、常識。それに該当しない力の発現者。非常識にも定式破りな『定式知らず』の無法者。誰が言い出したか、世界の知らぬ所で異能者たちはそう言ったライセンスを取得し始めた。顕現理由こそ不明だが、世の中に於いて数多く存在する力の数々である。

「……ただまぁ……。発現理由に関しては通説がありますけれど、ね」

 何処となく複雑そうな表情で呟いたテティス。

 その表情を見る限り、これ以上は詳しく聞く必要もないのではないか、と日向は思った。実際、今後またそんな存在に出会う事自体あるかどうかもわからない。現在の戦地から日本へ帰ったら尚更なのではないだろうか……。そこまで考えて日向は事情も無いのにこれ以上深入りする意味はない、と話を終わらせる事を決定した。

「ともかく、ありがとうございます。おかげで色々知れましたし……」

 とすると、と呟いて。

「後は……、どうにかここから逃げ出す事を考えましょう」

「逃げ出す、ですか……」

 日向のその申し出に対してテティスが僅かに難色を見せた。決して逃げたくないわけではないだろう。なのに逃げるわけにはいかないとばかりの様子にと日向は不思議そうに小首を傾げた。対してテティスは髪の毛先を軽くいじりながら、小さくぽつりと呟いた。

「……いえ、その」

「何かあるんですか?」

「実は、なのですが……」

 実に参ったという様子でテティスは呟いた。

「……探して取り戻さないといけないものがありまして……」

「取り戻さないと……いけないもの?」

 それって……と、そこまで考えた瞬間に日向とテティスはバッと顔を上げた。

 何か聞こえたのだ。

 刹那、勘違いか気のせいかと考えるが違うと判断した。確かに聞こえる。足音だ。それも複数。先程よりも更に多い。テティスの様子を察して日向の緊迫感を増した。聴覚が的確に数を捉え始める。この部屋の位置から外の通路へ……。そこまで考えてまずい、と悟る。

 足音が別方向からも聴こえてくる為であった。

 ガンガンガン、と鉄の床板を走る音。

 右方向から四人。左方向から五人。前方から四人。合計一三人……あまりに数が多い。

 何と言うタイミングだろうか。逃げ場がない。どこからか来られても三方向あれば一つの道から逃走も可能だと考えていたのだが、よりにもよって全方向から同時に追手が来ている為に逃げ道はどれか一つを突破するしか無かったのだ。

「……これは流石に……まずい、ですわね……」

 テティスの口から焦りを含んだ言葉が飛び出る。冷静な彼女からしても状況的に拙い事を物語っており日向は内心に僅かな混乱を抱かざるを得なかった。

「なんとかしないと……!」

「私、舐めていたわけではありませんが」

「何の事ですか?」

「……いえ、日頃運気はいい方ですので最悪の事態、というものには中々ならないのですが……珍しく状況的に最悪の事態ですわね……。運頼り過ぎたかしら……」

 そう呟きながらも折れる気配はなく鉄棒を構えて戦おうとする姿勢を見せる少女を見ながら日向は内心で叫んでいた。

 その原因……否、元凶は確実に自分の存在だろう、と。

 弦巻日向は一言で言えば不幸者だ。最悪の事態を引き寄せる天才……否、天災だ。

 故に少女の運気を状況プラス自分で随分と弱めさせたのではないだろうか、と予測付く。実際にどうなのかわからない……だけれど可能性高い。今日まで生きてきた日向にはその事が悲しい程納得行っていた。

 ならばこそ、状況改善出来る術がいる。

 そこまで考えた瞬間に前方の道から四人組の屈強な男達がぬっと現れた。視線はしっかりと日向達を見据えている。流石は現地で衛士を務める者達なのだろう、その視力は侮り難い。男達の一人がここにいるぞとばかりに大声を張り上げる。そうしてその声に反応して他九名が一斉にこちらへ向かって続々と駆け付けた。

 状況の悪さ足るや。即座に日向は少女を背中に庇うように前へ出でる。

「貴方……!」

 か細く驚きの声が背中越しに響いた。そして声はグンッと強さを増して耳に届く。

「何をしているんです!? 邪魔ですわ!」

 テティスにしてみれば迫ってくるのだから臨戦態勢に入るのは当たり前なのだが、それを庇うようにされては邪魔に思える事だろう。それを理解しているが、状況はたぶん、自分の運気マイナスが原因だろうし、何よりも日向にはかつて自分に触れ合ってくれた恩人の言葉が脳裏を過っていた。

 ――女の子を守れるだけの格好いい男の子になるんだよ、日向君

 ぐっと拳を握り緊めた。

 例えここで敗北の色しか見えないとしても……日向は我儘と切り捨てられ役立たずの足手まといと揶揄されようとも盾に、彼女の役に立ちたかった。

 他ならぬ自分の奥の理念の為にも……。

 自分勝手ですねと嘲笑しながらも自分を曲げずにここに立つ。

「……女の子を守るのは男の役目ですしね。君ばかり戦わせるわけにいきませんよ」

 関わらなければ互いに行動こそしていただろうが。関わっている以上、女性を守らなければ男じゃあない。力の差が彼女と大きく隔たっているとしても、そこはアレだ。

「男の矜持みたいなもんですね!」

「格好つけてる場合ですか貴方は!?」

 信じられない様に憤慨する少女を背に日向は目算で戦っても勝ち目が無い事を理解して冷や汗流しながらも日向は、前に立ち続ける。別に過去の教えだけが理由なのではない。その思いには兵士達から守れなかった現地住民……三ヶ月を共に過ごした人々への謝罪と弔いの気持ちがあった。

 それに勝てなくともいい。

 彼女の道が途切れなければそれでいい。

「僕が道を切り開きます。そして隙が出来たら……独力突破、出来ると思います迎洋園さんならば」

「貴方……!」

 囮にでもなる気、と言いたげな批難と心配の込められた瞳に軽く微笑みで返す。

 そんな些細な遣り取りの間にも敵の兵士達はもうすぐそこまでに迫って来ていた。あの数では自分の銃器でも無理があるし、彼女を守りきれないかもしれない。

 彼女とて開いた道を突き進める保証は無い。

 卓越した技量の女性だとしても一三人を相手にどれほどやれるのかわからない。だけれど日向には彼女へ掛ける勝算が一つあった。

「それと、コレを」

 日向はこれから始まる銃撃戦、肉弾戦闘に備えてテティスの手に手早くそれを渡す。

 それは刀袋だった。袋に収まりきらない柄の装飾からテティスは目を見開きながら刀袋の紐を解いて中身を確認した。そこにある純白の剣をしっかりと見た瞬間に顔色が変わる。

「何で貴方がコレを……?」

「実は武器庫の場所で拾い物しましてね。迎洋園さんに対していくらか情報知ったので、その時に一応もってきておきました」

 鞘に納められた神々しい輝きを放つ剣を見つめながら、日向は彼女の顔に浮かぶ顔色に答えを知りながらもニッと微笑問い掛けた。

「それがあるなら……、どうにかなりそうですか?」

「ええ。生憎と剣術はある程度使えますし」

 不敵な笑みを浮かべて柄を右手で握り緊める。

「私には合わない剣でもありますが、あるのと無いでは大違いですし……、ねっ」

 十字架の剣を刀袋から少しずつ引き抜いてゆく。

 その神々しさ足るや……背中越しの少女が頼もしく感じてならない程だ。

 仮に戦場で果てたとしても、彼女の道くらいにはなれる事だろう。そこまで考えた時点で日向の心に闘争心が炎の様に轟ッと燃え上がった。まるで騎士がこれから名誉ある戦に高鳴る鼓動を胸に戦いを挑む瞬間のごとく……胸中の焔は心身を加熱させる。

 やれる。そんな強気の想いを胸に秘めながら。

 銃撃戦ではなく、近接戦闘……。合計一三名の兵士がいざ、襲いかからんとする。

 立ち向かうは二人の少年少女だけ、戦況は不利の一言。

 けれど怖さは熱い想いに押し留められて、

 と考えていた瞬間。

 ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!! と爆撃音が鳴り響いた。

「……へ?」

 何の音……とばかりに日向は呆ける。

 兵士達も何事か、という様子で動きを即座に止める。その最中、『ガラッ』という音がした。同時に凄 まじい岩石同士がぶつかり合う様な音が日向の後方からする。

 加えて、耳元に響く「……えっ、あっ、ええっ!?」という美しい声の響。後に思えば実に動揺の色、濃厚な声であったと首を縦に頷かせる事だろう。

 僅かな時間の出来事、咄嗟に振り返る日向の目に映るのは、ある景色が映り込んだ。

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!?」

 下へ、下へと……落ちてゆく迎洋園テティスの姿である。

 そして自分の後方の壁、床、といった部分が大幅に欠落……否、崩落した部屋の姿。下からヒュゥゥゥ……と寒々しい隙間風が流れ込む。その風の音の中に微かに聞こえる少女の悲鳴。

 そこまで理解して日向は叫んだ。

「……でぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


        2


 時刻を少し前に遡る。

 疾風迅雷の速度ながらも安全運転を心掛けるという技量の持ち主が運転する一台の大型車越えの巨大車両、迎洋園家の可変式特殊車両『運船(スカイワーカー)』は、その速度をグングンと緩めて、都会風景溢れる光景から瓦礫に溢れた場所を走り抜けてきた。

 今、そんな車両が何処にあるかと問われれば簡潔に応えよう。

 まさしく今、此処に、である。

 戦場から離れた場所に建設された基地の傍。当然ながら異国情緒溢れる怪物の様な巨大車両に対して兵士は即座に反応を示し、その光景を見ながら銃器を構えて威嚇する彼らの表情には動揺が走っている。

 なにせ、走ってくるその車体を見た時に上官から射撃命令が出されていた為に機関銃、ロケットミサイルと爆撃を行ったにも関わらず無傷で敵陣突破したその車に兵士達は怯えを隠せずにいたのも当然であったと言えようか。

 そんな迎洋園の特殊車両『運船』の扉がバンっと開かれると同時に車内から足が伸びて地面に降り立った。細く長い脚……二人の女性が姿を現す。

 兵士達、監視も含めて、その登場した二名を見て口々に言葉を紡いだ。女と言う事実に漠然とした驚きを示す声、どう見ても服装がメイドであるという実態に驚き萌えと叫ぶ者もいる。厳つい車両から出てきたのがメイド姿の女性という事でしばし呆然とした様子で見守った。一人は見るからに威圧感のある眼帯、その威圧さを象徴するような灼眼のごとき赤色の瞳に癖のある金髪のグラマラスな女性。

 もう一人は見た目にも幼く白色に水色が混ざり合った瞳の少女。同じくメイド服だ。頭に額烏帽子(ひたいえぼし)をつけており、目の下にはどよーんと隈があるが、何故か元気いっぱいにエイエイオーと小さな拳を振り上げている。

 だが一番気がかりなのは少女がふよふよと空中に浮いている事だった。

 現実に浮遊しているのだ。

「なんだこの特殊な面子は……?」

 兵士達が全員そう思っている最中……、金髪メイドの女性が動いた。

 ガコン、と肩に乗せた無骨なそれはバズーカ砲であった……。兵士達があまりに自然な流れでバズーカ砲を構えた女性に何が何だかわからず唖然とする。そんな兵士達を余所に金髪メイドの女性……、我那覇(がなは)蹂凛(じゅうりん)は、言葉と共に弾けた。

破DEATH(ハデス)!!」

 化け物が拳を握り力の限り殴るかの様な轟音と共に煙を上げて火を撒き散らし、その砲弾は曲線を描きながら着弾し、壊滅的な爆発と共に兵士達を薙ぎ倒した。迎洋園家製作の自衛武器『砲天牙撃(スカイジャックビーンスターク)』の名称を持つバズーカ砲。

 吹き飛ぶ兵士達を見て監視の兵士が連絡を取ろうとした瞬間にも即座に蹂凛は、

()()ーッ!」

 次弾装填。三発分をストックするこのバズーカ砲により砲撃し、兵士達を薙ぎ払う。ドゴォオオオン! ドゴォオオオオン! という爆撃音を撒き散らし壮快な笑顔でバズーカ砲を操る蹂凛。その姿に恐怖して兵士達は「もぴゃあああああああああ!?」「どぶらひぇるっぺぇえええええ!?」「のぶそこうぇーい!?」と奇声と共に吹き飛んでゆく。

 そんな光景を見ながら浮遊少女こと幽の倉沢(ゆうのくらさわ)玉喪(たまも)は、

「あっちゃ~。相変わらず獲物持つとジュリーは人格変わってるんじゃね? 的なレベルでキャラ変わるよねー、わ~い~」

 と、自分の首を絞めて青ざめ掛けた表情で玉喪は呟いた。

 何故、そんな事をしているかは本人にしかわからない話だが、ジュリーと言う綽名をつけられている相方の様な存在である蹂凛は「ハッ」と軽く自虐的な嘲笑を浮かべて、

「性格変更。理解要求でありますがね……。ただまぁ……何もかもぶっ壊したくなる衝動が抑えられないってだけのメイドさんでありますがねッ! 破DEATH!!」

 そう唸る様に叫ぶと同時に再び火を噴くバズーカ砲。

 その豪快で豪胆な戦闘方法をふわふわと浮遊しつつ、観察しながら玉喪は実に楽しそうに奇奇怪怪な笑みをぶら提げて、

「はははーわ~い~……。笑っちゃうぜ、メイドさんーわ~い~。破壊衝動高過ぎーわ~い~」

 死霊のごとき眼光のまま楽しそうにけらけらと笑う。

 そんな様を不気味に思うでもなく、ごくありふれた日常風景の些細な出来事のごとく表情を変える気配も見せず蹂凛はバズーカから火を噴かせながら応えた。

「そう言うお前も、自分の首絞めての発言と陽気な身振り手振りが特殊でありますがね。あっと弾切れだぜ、MERDE(くそったれ)

「へいへ~い、バズーカ砲で連射効くと思ってんなよ、うわ~い~」

 ふわ~っと空中をだらーっと揺蕩いながら

「ま。弾切れならわっちにお任せだよーわ~い~……」

 相変わらず首を締めながら青ざめた表情で告げる玉喪は、バズーカ砲『砲天牙撃』に手馴れた様子で砲弾を装填してゆく。どうやら玉喪の存在は蹂凛のサポーターの様な立場にあるものの様だ。

「さーて……」

 相方とも呼ぶべき少女の装填に頼りながら蹂凛は

「……土御門もさっさと動いているはずですし……」

 と、呟きながら今度は二門(にもん)のバズーカ砲を構える。その動きに基地内で外を見守る兵士達もぎょっとした様子になっているだろうを思い描きそれを痛快に感じ取りながら眼光をギラギラと煌めかせる。

「盛大に弾けて踊るでありますよ、糞兵士共(ソルジャーズ)よ」

 二門のバズーカ砲から轟音を鳴り響かせて基地本体目掛けて砲弾が放たれる。そしてその後戦場に耳がおかしくなりそうな程の爆音が空気中へ駆け走った。何度も、何度も、何度もである。先陣を切った二人の姿はまるでメイド服を着た悪魔に映り、また彼女らも容赦なく暴れ回る所存……それに尽きる。

 日本に於いて名家と名高き迎洋園家の令嬢奪還の反撃が盛大な始まりを迎えた日であった。

その結果。

 件の御令嬢が四階から一階目掛けて崩落するという形で、始まるという形で……。


       3


 三月二二日。時刻は深夜を過ぎて朝日が昇る数時間前に至る。

 現在、東ヨーロッパのとある国の基地内部で発生している戦闘行為は炎を増す勢いと鎮火の勢いの二つを同時並行で辿っている様子であった。兵士達が集う鉄と石で造られた、基地内部では現在、激しい戦闘が繰り広げられている。当然ながら普段も政府対反政府による運動が日に日に激化を辿っている場所ではあるのだが、本日は反政府関係なしに激化の一途である。

 その理由として述べるならば、まず一つは間違う事なく隣国トルコから誘拐された少女である迎洋園テティスの存在であった。日本で名門一家の一つ足る家柄の御息女が誘拐されたという事で急遽動いた者たちがいるのが理由の一旦である。

 迎洋園家従者部隊。

 端的に表せばメイドだ。詳しく追及するならば執事の存在も混ぜる事となるが、現状この場にはメイドと運転手の存在しかいない為に今は割愛しておこう。

 迎洋園に仕える従者というものは中々に数多く……同時に猛者揃いでもあった。

 その一端が、姿を現す。

 鉄石作りの基地の外壁の違和感に一人の兵士が気付く。

「……?」

 怪訝そうな表情で銃器を背負ったまま、壁際に近づく青年兵士に対して中年兵士が不思議そうに問い掛けた。

「……ん? おい、どうかしたのか?」

「いや……気のせいだとは思うんですけど……」

 青年兵士は訝しげな様子でと呟きながらそっと壁面に手を触れた。

 途端、ぬるっとした感触が伝わる。

 透明で冷たいその物質の正体に兵士は即座に答えに行き着いた様でぽそっと呟いた。

「……水、だよな、コレ」

 茫然という程ではない。だが不思議そうに声を盛らす。それは中年兵士も同じ様でバカ言っちゃいけないとばかりに眉をひそめて意見する。

「水ぅ? バカな事言うなよ、なんでそんなところから水が……」

 しかし唐突にその声が止まった。

「……待てよ……」

 何かを思い出すかの様に。青ざめた表情でがくがくと震えて。その様子に青年兵士は怯えた様子でどうしたんですかと小声で問い掛ける。気付いた時には壁から手が離せなくなっていた。

「いや、な」

 と前置きし唾をゴクンと飲み込んだ後に口を恐々と開いた。

「……昔、訊いた事がある。この基地にはよ。幼女が大好きでいつも戦場から幼女を持ち帰ってはレイプしたっつー趣向がアレなロリコーンがいたって話でよ……。けどな。そのロリコンは犯した後に必ず、撲殺しちまうんだ。そうするとどうなる? わかるよな、部屋中死体だらけになってちまうんだ。そうするとお前も知ってると思うが、腐敗臭ってのはとんでもなく臭いんだ。そんな状態なのにソイツは死体を手放そうとしないんだ。性的倒錯ってやつだな。けど、放置するまんまだから臭いのなんの。部下たちや上司のハマー隊長からも文句を言われたそうだ。けれど、そいつは『俺の死体がここから離れたいわけがない』って滅茶苦茶な会話をしたらしい。そして男は考えた」

 ――そうだ。コンクリートに埋めて匂い防止しよう

 何故そんな発想に至ったのかは本人しか知る由がないだろう。青年兵士は何でと横やりを挟む事をせず……、いや口を開くにも怯えた様子で話を最初から最後まで訊く事しか出来なかった。

「正直、部下達はドン引きだったって話だぜ。その後の会話も酷かったそうだ。一人が『埋めたとして、それどうする気ですか? どこに置いておくんですか?』ってな……」

「……ど……、どこに置いてあるんですか?」

 唾を堪え切れず飲み込みながら青年兵士が促した。

「……おう。それがな。……言ったそうだ、ソイツは『この子達が俺から離れたいわけがない。だから一緒にいようね……』とコンクリート詰めになった少女達に語りかけたんだとさ……」

 そしてな、と呟いて。

「『一緒にいよう』。その詳細でもう部下達涙目だったってよ。なんてったって幼女の遺体入りのコンクリートを使ってだぜ……? 作ったんだとよ、壁を……」

「壁、ですか……?」

 まさか。性質の悪い冗談止めてくださいよ。そんな表情で青年兵士は身を強張らせる。けれど手の平はいつの間にか恐怖心から壁から距離を置いていた。

 しかし嘘じゃないんだと青年兵士からしたら残酷にも彼は首を左右に勢いよく振った。

「そう。壁だ。いくつかの場所に補修のいる部分があったからよ。思い切ってそこに補修工事したんだとよ。つまりだ。もうわかるな? この基地内部のどこかしこに……あるんだよ。幼女の遺体入りの壁がな……」

 そこまで訊いて青年兵士は青ざめた表情でぱくぱくと口を動かしていたが、やがて挙動の不安定な眼差しですぃーっと自分が先程まで触っていた壁を見た。

 壁を見た瞬間に背筋にぞくぞくっとした感触が這う。

「あ、ああ、うああああ……!?」

 濡れている。等と言うものではない。徐々に流れが速くなってきていたのだ。何が起こっているんだ、と思いながらごちゃごちゃになってゆく脳内だが、つい先程手で触れた、という事を思い出してしまい、兵士は濡れた手をズボンでゴシゴシ拭った。

 そして青年と同じくらい青ざめた表情で、

「そんでもってよ。わかるだろ? 強姦された挙句、遺体をコンクリ詰めだぜ? 恨んでいないわけがねぇ……。もしも今、この瞬間ってのが長い間蓄積された幼女たちの恨みの奔流が溢れだしたものなのだとしたら――」

「う、ううう、うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 声の限りといえる程の絶叫が基地内に幾重にも木霊した。

 もうダメだ、終わりだ、と言う悲痛な思いを体全体で表現しながら、青年兵士は絶叫する中で一体何が原因で、と思考を巡らす。もしかして日本人の女の子も混じってて今回の一件で覚醒したとかか、と。そう言えば日本人はユウレイ、というものをよく信じてるって訊く……。そんな事を想い悩みながら混乱の極みの中で遂にバギン、と壁に岩盤が決壊するかの様な音が響いたかと思えば、


「さっきから壁越しに訊いていれば、何なんですか、この展開は……」


 と、いう呆れた声と共に津波の様にドパァッ! っと大きな音を響かせて大量の水が押し寄せてきた。次の瞬間には『がぼがぼごぼ!?』『いちまつにんぎょ!?』というもがく声が聞こえはしたが、それも一分もしない内に四散して消えてゆく。

 そうしてザザーっと水流が引いた頃にはぷかーっと浮かんでくる溺れた男二人。

 本当に私の水で何の会話に花を咲かせているんでしょうねー……。と、思いながら、黒と水色のツーカラーがメインとなっているメイド服をきちっと着こなしスカートをふわりと動きと共に広がらせながら、 その女性はカツン、と鉄製の足場にブーツの足音を響かせる。

 紫色のセミロングヘアーに髪の色よりわずかに濃い紫色の瞳の女性は静かに流麗に足を運んでゆく。そんな女性の名は土御門(ツチミカド)睡蓮(スイレン)という女性である。

 年齢よりも落ち着いた物腰。大人びた風貌を持つスタイルの整った綺麗な女性はテティスの従者であり、専属メイドという側近中の側近であった。

「とりあえず潜入成功ではありますけれど……」

 ちらりと、多量の水。壊れた瓦礫。浮かぶ兵士を見ながら、

「……決壊まで些か時間が掛り過ぎていますよねー……、何故か怪談話に花を咲かせてくれた事から不思議と通信取ったりしなかった様ですが……実践ではまだまだ使えなさそうですね、術式〝水削(みそぎ)〟では……」

 ふぅ、と息を吐き出しながらも「まぁ水は不得手ですしねー」と今後の健闘次第だろうと前向きに考えながら睡蓮は手の平にぴらりと正方形の紙を取り出す。東西南北の描かれているその紙の上に、辺りを流れる水の一滴二滴をぽつりとと零すと、水は不自然にズズズ、と動いてゆき左手を指し示す。水滴は同時にぐぐっと盛り上がっている様子だった。

「左、加えて上、ですか……」

 階段探さないとですね、と呟いて紙をしまうと、次いでエプロンのポケット取り出したのは赤い折り紙で作られた折鶴であった。それを指の間に一匹ずつ挟むと、溺れた兵士達の横を意識が戻らないうちに静かに進んでゆく。

 可能であれば、聴覚障害か視覚障害を発生させる術式を用いた方がこう気付かれない様に動くというのでは便利なのだが、彼女にその才能は無い。そう言った系統は土御門に於いては水に精通している必要があり、彼女には簡易な探索術式〝水取図(みとりず)〟が精々だ。

 目に対しても耳に対しても、他者へそこまで権利執行できる器ではない。初歩の術式が関の山で堰を切れる程の才能は無い為だ。

「まぁ、代わりに火力重視ですし……」

 ポソリと呟いた後に、睡蓮の視界に飛び込んでくる影が生まれる。敵兵だ。

 嫌に多いですねと思い悩む。理由は大体察しが付く。内部が初めからどうにも騒がしかった事から敵兵が巡回し臨戦態勢なのも当然だろう。

 そしてそれならば自分の主は何らかの行動を起こしていると考えるのが妥当だ。

 ならば従者足る自分も役立たなくてはならない。それが務めだ。

 そう思いながら歩みを進める睡蓮に対して三名の兵士の機関銃、散弾といった銃弾の雨が飛び交う。けれど、睡蓮は銃器のトリガーを引かれる以前に自身に仕掛けておいた術式である土の壁……ならぬ鉄製の壁を発動した。靴の裏に張り付けておいた札から発生した力が踏んでいる足場を畳替しの様にバン、と盛り上がらせ防壁と化す。

 金属同士のぶつかり合う冷え冷えとした響きを余所に睡蓮は左手の指に挟んでおいた赤い折鶴を手裏剣の様に相手目掛けて投げつけた。

 敵兵が目でとらえた物の姿に一瞬、唖然となる。

 けれど呆けていては危険だ。その折鶴には土御門睡蓮の霊力が込められており、睡蓮の念じる言葉と共に発火する火炎の塊であるのだから。

「〝火覆(ひおお)い〟」

 呟きが彼女の唇から零れた瞬間にぼわっと炎が爆ぜた。恐らくは鳥を模したであろう形の火が折鶴の紙が突如、紙が火へと性質そのものが変化して現れた。突然の発火に敵兵が『ジャパニーズメイドアンビリーバボー!?』『ヒィイイイイイイイイイイイイイイイトッ!』『熱いなぁ。心が熱い!』という言葉と共に悲鳴を上げて床を転げまわる。

 予め水を敷いておいてあるので痛み半減ではあるが、すぐには消えぬ炎。

「しばらくはそのままでいてくださいね」

 簡素に呟いてから睡蓮はひゅっと風の様に疾く駆けた。

 道中、当然の事ながら何十名もの兵士と遭遇するが、土御門流体技でねじ伏せ、相手の銃器を押収して足を撃ち行動不能にしたり、サインをねだられたのでサインしてあげたら近道を教えてもらったり、土御門の陰陽術の『火』型の初歩〝火覆い〟で軽く燃焼してやったり、と兵士など造作もないとばかりに土御門睡蓮は止まる気配を微塵も見せずして駆けた。

 そんな最中に耳が捉えて仕方のない音と出会う。

 音は音だが轟音だ。爆撃音。

 その音は外から内部へと至っている。即ち、外部から基地外壁近くを砲撃した音に他ならない。砲撃の音とこれだけの事をさらっとやりそうな者と言えば睡蓮の心当たりには連れてきた彼女しかいるまい。そう判断する。

 迎洋園の従者の一人である、我那覇蹂凛こと通称ジュリー。

 自分は苗字で呼んでいますが、と呟いて、

「派手にやりますね、我那覇も……」

 一定の間を置いて轟き渡る音は彼女のバズーカ砲戦闘術だろう。

 普段はある程度、冷静なのだがバズーカを持つとキャラが変わる。日本では決して武装させてはいけないメイドだと睡蓮は思う。銃刀法違反でも何でも彼女は日本とそりが合わなそうだと一人呟きながら、けれど爽快感と豪快感に溢れた蹂凛はこの場で力を発揮するだろうから戦力として保証できる。そう考えた矢先であった。

 次いでの爆音がほぼ自分の頭上で炸裂したのは。

「ちょっ……!?」

 ほぼ真上に直撃したと考えられる。それだけ音は近く響いた。

 ピンポイントでここって……、と睡蓮は若干焦りながら素早い動きで後方へトンッ、と軽快に飛び退いた。理由は明白で、音がしてすぐにビキィ、と頭上に大きな亀裂が入りこんでゆくためだった。その後、僅かな時間も経たずにガラガラと音を立てて天井が崩れゆく。

 蹂凛も私がまだ一階だろうから撃った場所なんでしょうねー……。と、思いながら崩れたら、ここ塞がれる事だろうから別の道探さないとならないだろうと数秒の内に考えた睡蓮。

 けれど彼女も予期せぬ出来事が訪れる。

 人が降ってきた。

 叫び声と共に。

 そしてそれは自分も良く知るお嬢様であった。

「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 どんどん大きくなる叫び声。階層四回相当からなる自由落下である。

 衣服がバタバタと上向きに風に煽られ、長い髪は上を向いてはためいてなびく。典型的な自由落下を披露する少女は間違いなく、睡蓮の主である少女に他ならなかったのだ。

 当然、睡蓮は、

「……え、ええっ!?」

 と、一瞬何が起きているのかわからなかった様子だったが、事態を認識すると即座に落下してくる少女の真下目掛けて、胸ポケットから取り出した赤い折り紙を取り出す。それはクマの形を模したものだった。

「テティスお嬢様! その子に捕まってください!」

 折り紙にしては鋭敏な程に手裏剣の如く舞う、その熊の形をした折り紙はテティスの真下に落下中の岩盤の上に差し掛かったところで、顕現した。その姿形は巨大な熊であった。体の手首や耳元からボゥッと炎を放出する熊……、式神〝火熊(ヒグマ)〟である。

 〝火熊〟は岩盤の上で一度唸った後にドンッ、と岩盤を蹴り、宙へ飛ぶとふさふさの背中にテティスの体を乗せると、傍を落下している瓦礫を足掛かりに跳躍して、睡蓮の元まで舞い戻った。その後、四つん這いで地面に着地する。

「お嬢様っ!」

 ご無事ですか、と駆け寄るとテティスは、

「……何が起きたんでしょうか……?」

 と、若干ふらふら~っと頭を揺らしながら呟いていた。

「とりあえず大丈夫そうですね……」

「なにがれふの~?」

「少し混乱気味の様ではありますが!」

 睡蓮はとりあえず後で我那覇に一言言いましょうかと考えながら、とにかく無事でよかったと思う。もしも怪我でもされていたらとんでもない事だ。

 上で何か『げ、迎洋園さーん! 無事ですかー!?』『お友達の心配よりも自分の心配をした方がいいぜ、ボーイ』『うわっ、しまった!?』『ぬふふ。連行だ……♪』聴こえた気がするが恐らくは聞き覚えにもない声だ。ただしそれ以前の問題でもあった。

「良かったです……。連れ攫われた際にはどうしようかと思いました……」

 感涙というものか。睡蓮は嬉しくて聞こえていない。

「……ん? ……私、生きてます……わね?」

 睡蓮が目に涙を溜める中、そこでようやくテティスは現実へ帰還した。

「ええ、生きていますよ。御無事で何よりです、お嬢様……!」

 主の視線が定まったと同時に睡蓮は頭を下げる。

誘拐の折にみすみす取り逃がした不手際等の後悔の念も入れて精一杯謝罪した。テティスは口元に微笑を浮かべて苦笑交じりに返答した。

「構いませんわ、警備敷いてた上でも悠々と私を拉致れる程の相手では……。……て、あら? 睡蓮ですわよ……ね?」

「どれだけ現実見えてなかったんですか、お嬢様……」

 誰を相手にしているかわからなかった様だ。それでも主然と対応するのに脱帽だが。

「いえ、突然の落下に思わず頭が朦朧となりまして……」

 頭を抱えながらうーっと唸るテティスの姿に睡蓮は本当に無事でよかった……。と、思いながらも、このままここにいても危険という事実から即座に撤退を考える。早期救出が出来た事は棚から牡丹餅だ。後は、テティスを誘拐した相手に出会わなければ、それで万々歳なのだが……、と考えたところで彼女の手にある剣を見て感心した様子で一度頷く。

「……しかし流石はお嬢様ですね。剣までちゃんと……」

 大方、剣とは別々に分離されて保管されているだろうから、テティスが無事で万々歳と考えた後に剣の所在に気付いたので探さねば、と考えていたのだが手間は無い様だ。剣もありお嬢様も奪還した。完璧である。完全にここでの目的は果たし切った。

それ故に睡蓮はテティスへ発言する。

「ではお嬢様、剣もあり、テティス様も無事の様ですし……、即座にここから離脱しますよ、〝火熊〟、前へ」

 ズン、と猛々しい炎を燃やしながら先陣を切るべく前に進む〝火熊〟なのだが、肝心のテティスは剣を見つめた後に、はっと吹き抜けとなってしまった天井の大穴を見つめる。

 睡蓮はどうかしたのでしょうか、と考えて、

「お嬢様、どうかしましたか……?」

「その……」

 睡蓮の言葉を訊くと、テティスは頭上を見上げながら、

「……すみませんが、睡蓮。もう少し、脱出には時間がかかると思ってく欲しいですわ」

 と、凛とした表情で呟くのであった。


 迎洋園テティスが土御門睡蓮へ事のあらましを説明し終えて、今現在、行動に移して疾走中という時に。彼女らが考えている件の少年はと言えば、此処にいた。

「つぁっ……!」

 ズザァッ、と背中から地面へ擦れる音が鳴る。そんな地面は随分と手入の悪い状態で、一目見ればまるで牢屋の様であった。と、言うより実際のところただの牢屋である。

 一言で表せば弦巻日向は捕まって元の場所へリターンしたのであった。

「やれやれ……」

 声が耳に聞こえた。随分と低い男性の声。

「まさか迎洋園の娘には逃げられ、特に利用価値も無い方が戻ってくるとはな……」

 男の名はアルグール=ハマー。この基地の最高責任者である。

 アルグールは右手に愛銃と思しき拳銃のグリップを握りながら特に関心もわかない様子の表情で銃口を鎖で体を縛った日向に向けていた。発する声には日向に対して興味のない響きをこれ以上なく響かせていた。

「捕えた当初は人質か何かで使えるかもしれん、とも思ったのだが……」

 そう言いながら、右手から取り出した数枚の用紙を見ながら、

「三カ月前に雇ったツルマキ=セキーの連れだった、ヒナタとか言う小僧だったか……、とつい数分前に思い出した時はがっくりと失望したものだよ」

「……そんな勝手に失望される言われないんですけど?」

 銃口を向け、勝手に失望した等と言ってくる相手に親しみも何もないだろう。日向は思いっきり威嚇する様に睨みつけながら言葉を返した。

「いやいや、人質としての価値はほとんどなくてね……。あるとすれば、鍛えて兵士に、だがそれを君がするとも思えない。後は臓器売買くらいだよ」

 使えない、と首を振って呆れた様子のアルグール。そんな彼を見据えながら、日向は、

「本当に最悪な事ばっかりですね」

「君は我々を最悪じゃないとでも思っていたかね?」

「まさか」

「だろうな。兵士たちが民衆と戦う光景を見て」

「敵に回ったくらいだからな、ですか?」

「良く理解しているじゃあないか」

「……もしも三カ月前に裏切ってなければ、と思うとぞっとしますよ」

 日向は侮辱する様に鼻でせせら笑った。

「そう言う君の父親であるセキーは随分と諜報活動やら反政府運動撃滅に貢献してくれたけれど、ね」

「……あのバカ父さんめ……」

 雇われたからとはいえ、政府による弾圧の片棒を担ぐ行為は日向には憎しみと嫌悪感しか湧かなかった。人殺しに加担する行為を日向は心の底から疎む。考え方の違いで対立が起こる時があったとしても、そこは変わらないだろうと自身で思う。

 だからこそそういう面で赤緯と相いれる事はないのだと感じるのだ。

「本当に日本人かと思える程に虐殺した時もあったくらいだよ」

「そうですか。まぁ最低な人ですからね、昔から」

 父親を無造作に切り捨てる様に言い放つ日向に対してアルグールは「厳しいな」と嘲笑交じりに言ったが気にする気は全く無かった。

 で? と呟いて、

「その父さんですが……今、どこにいるんですか? 三カ月も罪のない一般市民に矛先を向けた最悪父さんはどこに?」

「……会ってどうする気かね?」

「とりあえず一発ブン殴ろうかと」

 日向がそう発言すると「なるほど」と呟きながらくつくつとアルグールは笑った。

 けれど、笑いを収めると一言。

「生憎だがもういないぞ、セキーは」

「いない?」

「ああ」

「……どういう事ですか?」

「今から六日前にはすでに、この地を離れて何処かへ行ってしまったな。もちろん給料貰って『よーし、次はソマリアだー!』と爽やかな笑みを浮かべて去って行ってしまった事から今頃はソマリアで何かしている頃だろう」

「息子どうしたぁあああああああああああああああああああ!」

 貴方の息子、現地にいるままなんですけどねぇっと大声で叫ぶ。

 日向の脳内では少しくらい父親としての心を持ってないかなーという淡い期待を抱き続けた心が現在刻々と水に流されて消えゆく炎の様であった。

 そんな日向にもう一言。今度はどことなく怒りが篭っている。

「加えて……。倉庫から何品か貴重な宝石の類を盗んでいたよ、あの男め……!」

 何を紛争地でまで盗みを働いているのだろうか。

 日本でも毎日の様に盗みを働いていた記憶があるが、他人から伝え聞くと尚の事空しさが感じられてしまう。本当にあの父親ときたら……。その呆れで済めばまだ良かったのだが、生憎と帳尻合わせは思わぬ方向へ来たのだった。

「そう言ったわけで被害金額の穴埋めとして、一般市民のうちで健康そうな奴らは臓器を摘出させてもらったりもしたがな」

「……!」

 酷い事を、と思いながらも日向は言えなかった。元凶が父親に巡ってきている為だ。本当にどこでも悪辣な事しかしない父親だと内心うんざりしてくる。

「それとな、少年」

「……何ですか?」

 これ以上訊かされても、最早目の前の男に殺意が湧くだけか。あるいは父親を殴り飛ばしてやりたいとしか思えないのだが……、と考えていると。

「先程自分はどうした、と叫んだが……」

 一つ教えておこうかとアルグールの口が動いた。

 ――君は売られたのだよ

 死刑判決を下すかの様に告げた。

 思いのほか衝撃こそ喰らってはいなかったが。

 日向は一瞬、きょとんとした後に問い返す。

「……どういう事ですか?」

「なに。簡単な話だ

「……」

「君自身おかしいと思わなかったかね? 今回にピンポイントで君らの場所へ政府軍が静かに向かっていた事を」

「……」

 素直に言えば思っている。何故ああもピンポイントで……隠れながら探索する気配も無く襲撃を行ったのか。まるで初めから居場所を知っているかの様な行動だったのだから……。

 そんな彼の疑問を氷解する発言が耳に届く。

「アレは全部、事前に通達があったからだよ。あの場所に大人数いる、とね。日本人らしき人物も交じっているから使いどころがあるかもしれないと、さ」

「!?」

 バレていた……は、状況次第で仕方がない。

 だが問題となるはバレていた、ではない。誰が、誰がその所在をバラしていたのかだ。

 その答えは当然ながら……予想通りの相手だった。

「君の父親、即ちセキーだな」

 やはり。

 その三文字が脳内を満ちさせてゆく。

「あの事の情報量も払わされたことだし……本当に君の父親はかなりの下衆と今更ながらに理解するよ。息子を素知らぬふりで使い道があるかもしれぬ、とは平然とよく言えたものだ。日本人の悪意の様な男だな。君の父親は」

 そう告げるアルグールを余所に日向には後半は聞こえていなかった。

 自分を捨てるのはまだいいさ。ずっと前からそんな親だったのだ。何時そうなるかもしれない、と怯えていたのも認める。宝石盗難もどうでもいい。結果、一般市民へ露払いが行われたのは追悼の念を述べるが、それは間接的だ。

 しかしこれは直接的だ。

 人殺しの片棒を担いだとしか言えない。今まで最低な父親と思ってきたが、人命を金の為に捨てるとは思わなかった。そのラインだけは……越えて欲しくなかった。

 そこまで考えて怒りに沸いた。

 殺しはしない。そんな度胸も無い。けれど本気で一発ぶん殴ってやりたい……そう思えた。

 そんな日向を見ながらアルグールは「さて」と呟くと、

「そろそろ君の処遇を決めようか。父親であるセキーには何だかんだで宝石価値以上の働きをしてもらっているが……、君は裏切っているからなぁ雇い主を。うちへ損害を何度も出しているわけだし……臓器全摘出とでも行こうか」

 屈み込みながらニヤッと笑みを浮かべて日向の今後の予定を話してくる。けれど、日向はそれは耳に入っていなかった。臓器摘出など怖くも無い。むしろ怒りで震える。父親がやったバカな行為に対しても……、眼前のコイツに対しても、だ。

「ガァッ!」

 故に喰らい付く。腕も足もマトモに動かせずとも頭一つ、歯の群れで喰らい付く。喰らい付こうとする……だが、アルグールは驚いた様子でと短く呻きながらも日向の喰らい付きを回避する。その間に言い知れない違和感を日向は感じたが理解するより先にどさっと頭から床に崩れ落ち、そこを取り押さえる様にアルグールが部下の一人チャマルティンの名を呼ぶ。

 すると強面で巨体の衛士が現れ、即座に日向の体を取り押さえにかかった。苦虫をかみつぶす様な短い声と共に日向の全身から自由が奪われる。腕には手錠。足には枷をかけられる。

 そんな状態ながらも足掻こうとする日向に対しアルグールはガツン、と銃口を頭部へ押し当てた。黒く硬い物質の質感に、それが与える絶望感に日向はぐっと押し黙る。

 自分を見下す様に、彼へと向けられる複数の視線。

 だけれどそんな視線は別にどうでもよかった。それよりも今の自分を省みて情けないと恥じる気持ちの方が強かった。悲しくて僅かに涙が目じりに浮かぶ程に……。

 そして思う。せめて死ぬのなら日本で死に絶えたかったと。異国のこの場所で死ぬよりも、空しく死ぬよりも日本で寂しく果てたかった。それはそれで悲しい願いを内心で呟きながら、日向は死を覚悟せざるを得なかった。次の瞬間までは。

 その次の発言を訊くまでは本当に。

「さて……この私に二度も歯向かうのだ。殺す前にお仕置きと行こうか」

「……お仕置き……?」

 拷問でもされるのか。

 だとしたら空しい結末だ。残虐な結果だ。拷問された上で殺されるのか。他者であれば憤りを覚えるか恐怖するかであったが、日向は違った。こんな価値のない僕にはお似合いな末路だ、と日向は自嘲する。けれども殺されるにしたって怒りを、恨みを、憎しみを抱きながら死に絶えてやろうと決意する。怨念めいた心を抱き憎悪に塗れた瞳でアルグールたちを射抜いた。

 たとえ、どれ程の拷問だろうが耐えてやろう。そう決意して。

 けれども意外な事にアルグールは身を案じる様な視線を向けていた。

「一つ事前に教えておこう。君をお仕置きするのは私ではない。私の衛士四名だ」

 とアルグールが答えると、衛士四人は背筋の整った姿勢のままザ、ザ、と日向を四方で取り囲む様に佇みながら、佇んだ。何度見ても屈強な肉体の男達……、日向は肉体を見るだけで自分など、小枝を折る様に骨折させられるなと他人事の様に考える。

 だが実際の動作は随分違っていた。

 手が伸びる。

 ただし日向に向かってくるわけではない。その手は代わりに自分へと向いていた。

 そして次の瞬間には自分達のズボンのチャックをずり下げてパンツまで一斉に引き下げる。

「……」

 唖然とする。何でだろうかと首を傾げて果てしなく沈黙した。静寂が日向の脳内を満たす。行動の意味がまるで分からなかったのだ。

 男たちはそんな様子を気に掛ける事も無く、次いでジャケットにTシャツまでも脱いでゆき筋骨隆々の逞しいマッスルバディを披露する。その体はまさに鍛え上げられた芸術品と言えるだろう鍛え方がされていた。しかし問題なのはここまでですでに全裸、という事である。

 そして先程からきょっとーんっとしている日向に背中を向けて牢屋を去りながらアルグールは告げた。

「君には今から、正直私も目を背けたくなる拷問が待っていると思う。だが彼らは間違いなく手を抜かないだろう、プロだから」

 そして左腕を横へ伸ばして親指をビシッ強くと立てた。

 その指がぐるっと真下へ向く。それを合図とばかりに彼らは名乗りを上げた。

「私の名はマリコン=チャマルティン。美少年が大好きだ。喘がせたい! とっても君の喘ぐ声が聴きたぁいッ!」

 自らの筋肉を魅せつける様に両腕を胸元近くに引き締めてマリコンが叫ぶ。

「ぬふふ。俺はブルーボーイ=フッキング。同じく美少年が大好きだ。お前の滑らかな肌を舐め回したい……! 白い肌ぁ……! ああ、美少年の肌ぁぁぁ……!」

 背中の逞しい筋骨を大仰に曝しながらブルーボーイは下唇を軽く舐める。

「二人は過激だけど安心しておくれ。僕は男体山(ナンタイサン)浄夫(ジョウフ)、君と同じ日本人なんだよ? だから……気持ち良いところの共有は同族じゃないとわからないよね!」

 明るく楽しそうな声を軽やかに響かせながら浄夫が無駄に格好いいポーズを取る。

「HAッ! わかってないな、男体山。愛に国境の垣根等ない! このビーシャ=レイリアこそが真の美少年愛好家だ! 親しみを込めてイニシャル略称のBLで呼んでくれて構わないぜ、ボーイ……!」

 それがBLなんだかLBなのだか不明だが嫌な綽名を自ら叫び顔に手を当ててビーシャが叫ぶ様に告げる。

 結果、次の瞬間には日向から滝のような汗が流れ出した。

 数秒の隙もなくまるで地面を掘っていたら温泉に行き当たり、噴き出る如く湧き出るかの様に日向の体からとめどなく汗が流れ出る。彼らは自らこう告げているのだから当然だ。『自分たちは同性愛者ですよ』と。そんな事をこの状況で言われたなら当然の反応であったと言えよう。そうしてそんな日向に更なる追い打ちがかかる。

「泣くな少年よ」

 ブルーボーイは日向の頬を伝う涙を優しく拭いとってやりながら、

「……君は地獄へは行かない。行くのは快楽の楽園なのだから……」

 と、指に伝う涙を舐め取りながら耳元で呟いた。背筋が凍えるなんてレベルではない。。

 日向の精神に何かとんでもないダメージがザグザグと襲い掛かる。

 思わず脳内でアルグールに銃口を突きつけられて傍で衛士四人が威圧的な態度を取って、自分は殺される……、という希望的観測な妄想をするのだが、いかんせん現実のインパクトが強すぎて妄想世界でも屈強な四人の男が恐怖の対象へと化してゆく。

 何でこんな事になったんだっけと言う言葉が頭の端から端までを埋め尽くす勢いだ。

 胸の内で言葉に恐怖を背負わせて。頬に一筋の汗を流す。

 そんな日向を扉の影でアルグール=ハマーはじーっと見つめながら「……せめて安らかにな少年」とガラに逢わない発言をぽそっと呟いた。そんな良心があるなら止めろと叫びたいのだが目の前の男達への恐怖から口が動かない。

 意味不明な流れの恐怖に口がまるで動かせなかったのだった。

 僕は死ぬのか。男に犯されて。男同士なのに。同性愛者にやられて死ぬと言うのか。

 それは死より悲惨ではないだろうか。

 そこまで考えた時点で日向の心を隙間なく埋め尽くさんとする恐怖というよりも深く底が見えない絶望。童貞のまま死ぬくらい当然な自分とは思う。親も親だし、自分も底辺の人間なのだから。だけども、彼は願った。普段、そんな存在を信じた事はないけれどこの場面に於いて彼は本気で祈った・

 神様にお願いだから楽に死なせてくださいと……。

 そこまで考えた時点で天啓の様に舞い降りた答え。


 そうだ。舌を噛もう。


 誰かが訊けばすぐさま制止するであろう発案だ。

 もろに最終手段である。しかし日向に戸惑いはなかった。諦めはあるが戸惑いは無い。

 男に強姦されて挙句、無様に死ぬならばここで命を絶とう。その思いから日向は口を開けて渾身の想いを込めて……歯が柔らかな舌を寸断出来る様に口いっぱいの力を込めて噛み締める。

「むぐっ」

 柔らかいが少し舌にはざらっとした感触が伝った。タオルの柔らかい感触が……。

「……!?」

「死なれたら興ざめだよ、弦巻君」

 見れば浄夫はにこりと笑顔を浮かべている。その手には数枚の黄色のタオルが握られているではないか。用意周到にも自殺防止の準備を済ませていたのだろう。

「ぬふふ。毎度、自殺しようとする輩がいるから俺らとしても困る。気持ちよくしてやろうってのに、気持ちのわからない奴らだ。安心しろ、俺たちはプロだ」

 何を安心しろと言うのだろうか。日向にとっては全くありがたくない申し出をブルーボーイは爽やかな笑みを浮かべながら告げた。

「OH……。安心して身を委ねろ……。目を閉じて、三分待つんだ。すると、どうだ。お前の体は全身が幸福に満ち溢れるのさ……」

 そう日向の頬を軽く一撫でしながら優しく諭すのはビーシャであった。

 とりあえず絶対に目を閉じたくはないと日向は考える。けれど、そんな彼の願いも空しく目は閉じられた……、正確には隠された。唐突に目が見えなくなったのはタオルで目元を隠す様に結ばれてしまった為だ。マリコンの手により、

「ふふふ、視界が見えないのもドキドキしていいものだぞ」

 ぎゅ、と目にもタオルを巻き付けて日向の視界は完全にシャットアウトされる。口にもタオルを巻き付けて、自殺も出来なくさせ、手錠で腕を、枷で足を、体の鎖をジャラジャラと解いてゆくと、

「さて、諸君……」

 マリコン=チャマルティンは手を合わせて小さくお辞儀をした。

 安らぎに満ちた表情だ。まるで神に祈りを捧げるかの様に安らかな表情をみせる。そうしてから、ゆっくりと持ち上がった顔は祈りを捧げる安らぎに満ちた顔ではなく……代わりに笑顔の裏に獰猛な肉食の獣を隠し飼っている男の顔だった。そしてマリコンは叫んだ。

「一枚も残さず剥げぇええええええええええええええええええ!!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 三人の声が重なって強くなって、大きく響いてゆく。

 武骨な手により無造作に脱がされるコート、破かれるシャツの音などが牢屋に響いた。

 そんな男達のにはある別名がある。

 同性愛者として捕虜の男を誰彼構わず喰らうその猛獣の様な荒々しさから、彼らはえてしてこう呼ばれた。『男食四人衆(ダンジキヨニンシュウ)』それが男達の異名である。

 そして弦巻日向のむせぐ様な「ん、んんー!」という呻き声はただただ虚しく牢屋内に虚しく響く虚しい惨響音(ざんきょうおん)であった。


 基地内部にて悲痛なまでの絶叫が響き渡る頃。

 外部では現在、我那覇蹂凛を含めて、迎洋園家のメイド達による交戦活動が勃発していた。傍目には兵士に対してメイドが圧倒的に押し込んでいる。訓練された兵士達がメイド服を着た数人に無様にも次から次へ敗れているという力量差のわかる結果が続いていた。兵士たちはこんなバカな、とでも言いたそうな表情で、ある種怯えの色を見せながら銃器、爆撃と反撃を行っていた。それはまるで来ないでくれとでも叫んでいるかの様な姿だ。

 そんな光景を傍目で見ている三人がいた。

「アハハッ。ちゅどーん、ちゅどーん!」

「ジュリーさんは相変わらず豪快だよねー、サッキー」

 甲高い幼子の声を高く大きく響かせながら爆音を口で再現する様に言い放つ少女に対して同意する様に頷きながら少女と実に似通った顔立ちの少女が同じく楽しげに喋っている。

「だね☆ バズーカでボンボン撃ってバカバカ爽快だよね、ミッキー☆」

 ねーと同意を求める様に促す笑顔で背中合わせにくっついて両手を繋いでぐるぐる回る少女がいた。髪の色は互いに同色の栗色。より正確には毛先が若干クリーム色がかっている、正しく言えば栗の殻色と言うべきか。瞳の色はサッキーと呼ばれた少女が赤。ミッキーと呼ばれた少女が黄色であった。そしてその服装はメイド服。

 二人は巨大型車両の『運船』の屋根上に立ちながらくるくるとその場で円を描く様に回っていた。

「やれやれ……。そんな所で遊んでいては怪我をしますぞ、(ミキ)君、(サキ)君」

 そんな二人を心配する様な呆れる様な――苦笑する渋い声音が聞こえた。

 その声の主は老齢の男性であった。白髪の髪の毛を右の一房垂らす以外はオールバックにして左目に小説などでよく見るモノクルを嵌めこんでいる。一見すると執事の様に見えるこの男性は迎洋園では運転手として働いている男である。即ち饒平名(ヨヘナ)銀次郎(ギンジロウ)であった。

 二人の少女は幼く、銀次郎はかなりの老齢である為に事情も知らぬ第三者がこの三人を見かけたとしたならば孫と祖父の様に見えた事であろう。

「ねーねー、銀さん銀さん」咲の後に続いて幹が「テティスおねーちゃんは平気かなー?」

「そうですな……」

「銀さんも」幹に続いて咲が「心配―?」

「それは当然ですな。大切な御令嬢なのですから」

「だよね、だよね!」咲に続いて幹が「大丈夫かなー本当……!」

 相変わらずくるくると交互に言葉を繋げる双子のメイドに対してこんな場面だと言うのに和やかさすら感じ苦笑しながらも銀次郎は双子を落ち着かせる様に優しく告げた。

「心配めされますな、幹君、咲君。迎洋園の息女であるテティス様が下手を踏む事はないでしょう、睡蓮君も向かった事ですし、今頃は首尾よく合流を果たしている頃ではないかと考えますな」

「だとしたらいーなー♪」幹に続いて咲が「理想的な結末期待だよね、ミッキー♪」

「ですな。……怪我等していなければよいが……」

「ところでさー」咲に続いて幹が「銀さんはー銀さんはー……戦わないのー?」

 幹と咲は不思議そうに問い掛けてくる。

 戦わないのか、と言う問い掛けに。銀次郎は困った様に微笑を浮かべる。運転手足る自分が出張るにはこの場には若人が……、次世代の従者がいるのだから。情けなく思われるかもしれないが彼は苦笑を零しながら仕方なさそうに呟いた。

「いやいや。生憎と私も歳ですし、戦闘は苦手ですからな。老兵はただ去るのみ、の様にここで大人しく車の番でもしておりますよ」

 そう言うと双子は『ふーん?』と面白いものを見る様な目で口元をωの形に作りながら、しばし見つめていたが、やがて、

「ま、いっかー」幹に続いて咲が「だねー☆」咲に続いて幹が「それよりもー今はーッ♪」

 と、くるくると愉快に回りながら交互に話しながら、ピタっと停止すると、双子の少女はピシッと基地周辺で戦闘を繰り広げるメイド達を指さして言った。

「みんなを応援するのでーすっ!!」

 いぇーい、とハイテンションで喜色満面に回りながら少女たちは叫んだ。

 銀次郎は、相変わらず一緒にいると不思議と元気になる子達ですな、と優しげに呟いた。

「ならば邪魔にならない程度で応援しましょうか、我らの同僚を」

「そのとーりー☆」幹に続いて咲が「だよだよー! ジッキーもネーヴェも応援したいけど、ここはやっぱり活気づくジュリーねーさんだよね!」

 だねーっと、くるくる回りながら、本当に楽しそうに明るい声を発しながら二人は互いに同調しながら肯定する。

 そうしてくるくるくるりん、と回った後、彼女たちは盛大に叫んだ。

「ジュリーさん、頑張れぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 まるでこの場の、戦場の空気には合わない可愛らしい声。

 その声は敵兵に妙に温和にさせる様な響きであると、同時に我那覇蹂凛の意識を乱れさせこちらに向けるに相応しい声、声援であった。蹂凛は「あン?」と視線を向けた後にハッ、と力強く微笑み、高らかに拳を挙げて頼もしい声を発する。

「応ッ! 任せておくでありますよ!」

「やる気だねー、ジュリー。じゃ、わっちも頑張るかーわ~い~……!」

「ああ、さーカーニバルはまだまだ始まったばかりでありますなぁああああああ! 玉喪、装弾任せたであります……、YOッ!」

 そこから更に過激になる砲撃。その球数、最早絨毯爆撃に近く。

 光景を見守りながら双子の姉妹、幹と咲はくるくると回りながら『わー! 超、超、ドッハデー☆』と喜びながら……、饒平名銀次郎はそのあまりにも度重なる砲撃のオンパレード。恐らくは四階付近まで届いている激しい情景を見守りながら。

「……テンション上がり過ぎですぞ、我那覇君……」

 最早このままではいつまで持つか怪しい基地を見据えながら主たちの所在を心から不安に思うのであった。


 何が起きたのだろうか。

 弦巻日向の脳内を埋め尽くす言葉として、これ以上なく適切な言葉はソレ一言に限るものであった。一瞬だけ遠のいていた意識を引き戻してみれば、その場は実に開放感溢れる想いが満ちていたのはまず間違い様が無い。心の中にはこの時だけ深い……本当に深い安堵の気持ちが春の到来の如く訪れていた事実に日向は複雑な心地よさを抱く。

 それ以外の問題を述べるのだとしたら、寒いと痛い。これが該当する。

 何故に寒いのか、と問われれば一言返すまでもなく、現状を見て判断しろと言いたくなるものだ。実際には見られたら物凄く困るのだが、説明も億劫なので最早見て判断してもらった方が格段に早い話だ。しかし端的に述べよう。現在、弦巻日向は寸分の狂いなく、裸であった。ここで全裸と言わずしたのには理由がある。

「……」

 死んだ魚の目をする日向の現状が大きな理由だ。彼は諦観の声を発した。

「……何で僕、ニーソックス履かされて、その上、猫耳カチューシャ着けられているんだろうね……ははっ」

 零れたこの声の悲しさの込められたるや。

 日向は頬に幾筋もの透明な、目元から顎へ耳元へ頬を伝って少し固まって硬くなった涙の軌跡を吹き付ける風で否応なしに感じながら、自らの現状を直視するのも嫌になるであろう、その気持ちを抱き、最早どうするべきか。到底、悩みは尽きない。

 何故にニーソックスに猫耳カチューシャか。端的に言えば、それは趣味だ。

 アルグールの近衛兵士こと『男食四人衆』。何故か強者を募ったら、同性愛者が募ったのかはこの基地の最大の不思議と言っても過言では無かった。なお、そんな四名を従えている事で上司のアルグールは自分が同性愛者だと思われていたりする噂もまた知りようは無かった。

 それはともかくとして。

 現在の日向の姿がどうなっているかと言えばトラウマになるくらいには虚しく悲しい現実であると言えた。そんな姿ながらも、突然の好機に日向は心に沸々と湧き上がる『死んだ方がマシかもしれない』という気持ちを抑えつつ、動かない両手両脚ながらも十指二足は動くのだ。加えて腰でまるでミノムシの如く這いずってでも、日向はうんしょうんしょとその場から逃走を図っている最中であった。

 さて何故、日向は逃れているか。それに関しても現状を見た方が早い。

 そう。何時の間にやら部屋は物見事に瓦礫の山と化していた。部屋の一角からは夜明けまで、そう時間も無いながらも黒く深い闇夜に星がちらほらと煌めいている。室内にも風が侵入する他に、床には瓦礫。壁には亀裂が入っている。

 爆撃。それがこの結果だ。

「迎洋園さんも爆撃? で床下崩落して落っこちたし……」

 小さな声で思い返す様に呟いた。

 そうして次は自分である。何だろうか、爆撃の主は自分を狙いすまして攻撃しているのだろうか。それがあり得ないとしたら不幸体質が効力でも発揮しているのか。

「けれど。……爆撃で迎洋園さん、あの状況から脱出出来たわけですし、加えて僕も、そのおかげで闇に乗じて……、ならぬ瓦礫に隠れて難を逃れたわけですし」

 一概に爆撃を否定出来ないなぁ、と小さく呟く。

 事実、この爆撃が……、砲撃が無ければ天井や壁が崩れ落ちて男食四人衆が瓦礫に飲まれて動けなくなり、若干隔絶した状況下に至った事には感謝して止まない。そう考えながら、日向は自分の体に付着している白い汚物をこすこすと地面に擦り付けて汚れを落とし、白い汚物が果たして何なのか等一切考えずにとりあえず這いずってゆく。

 なお、爆撃の主こと我那覇蹂凛からしてみれば、爆撃は実に適当だ。迎洋園の双子姉妹メイドこと幹と双子岬咲の二人に応援され『イェーイ!』と言わんばかりのテンションで絨毯爆撃ならぬ絨毯砲撃を行う、まず初めに四階に被弾した一撃が現状を破壊した。そして今現在も砲撃は止まず、先程から幾度となく爆音は鳴り響いている。

 あまりにも連続する音に、

「……うん、やっぱり危険なものは危険ですよね」

 と、額に冷や汗を流しつつ、這いずりながら逃げていた日向であるが、正直な話、それももう終わりが近いと言ってしまえるだろう。ほぼ裸で動く事で床の小石や鉄により体に負傷があるという点や、爆撃で部屋が瓦礫に埋まる前に日向はある事をされた。それは一言で表せば味見をされた……、とそこまで思考して悪い夢でも見ていたんだとばかりに左右に首を振る。

「……いや、やっぱり思い出すのは止しましょう」

 救いは本当に微かだけ、というのが実に日向にしてみれば悲しい話だ。

「ははは……オカズにされて擦り付けられたくらい忘れてしまえば……」

 悲し過ぎる惨劇に虚ろな瞳を頼りなさげに揺らめかせた。

 死んだ魚の目で動く日向であったが、まだ生への執着は折れていない。けれど、そんな想いを虚しく嘲笑するかの如く、眼前にはあるものがあった。それは……瓦礫だった。別に絶望的な程に行き来も不可能な程に埋もれている、という事ではない。

 量もそれほどでなく、高さも低い。

 だが、しかし日向の現状は立っているのでなく這いずっているのだ。

 どう足掻いても、この乏しい高さを跨げるわけもなく。

 加えて、後方からはガラガラと崩れる音と数名の男達の呻き声。爆撃から数分しか経過していないわけだが、流石に回帰は速かった様だ。

 逃げ延びる為に必死で。本当に速く這いずったのに、体に擦り傷も切り傷もたくさん作ったのに結果はついてきてはくれなかった。

 後方からは男食四人衆の互いに声を掛け合う声が聞こえてくる。諦めたくはない。だが、諦める以外に方法も無く。だからこそ、日向は諦めるより他に道はもうなかった。

 日本での日々やこの地での思い出を振り返りながら、日向は最後の行動へ移る。せめて名誉だけは守りたい一心の自決を覚悟した。

だがその時であった。

 決意の矢先、日向の体がぐんっと抱き抱えられ上げたのは。

「え?」

 途端に体が浮き上がると言う不思議にきょとんとする日向の隣で肩を貸している青年がいた。信じられない想いで彼の顔を見る。涙が微かに滲んだ様に思えた。喉の奥から何か言葉が出ようとするのにつっかえて出てきてくれないのがもどかしい。

 青年は頼り甲斐のある笑みを一つ浮かべると、すぐさま日向を支えながら、その場から離れるべく駆け足で進む。彼は前を見据えたまま精悍な声で尋ねた。

「無事か、フィナタ!」

「……」

 呼んでいいのだろうか、彼の名前を。幻想か夢想の見せる幻ではないのだろうかと言う恐怖が胸を過るが、日向の口からは感謝と感動の色濃い声が彼の名前を紡いで世界へ飛び出す。

「……ハーリス君……!」

「おう!」

「生きてたんですか……?」

 掠れて割れた声が零れる。こんな傍でなければ聞こえてさえくれない様な小さな声。日向の隣で青年、ハーリスは快活な笑みを浮かべて今まで通りの優しい声音で答えた。その表情には夜に会話した時以来変わらないものが健在していた。ただし、頬の数か所に傷跡と思しきものもあれば、腹部から微かに出血が見られた。

「その傷……?」

 明らかにじわっと衣服に染み込んだその跡は明らかに軽傷ではなさそうに見えた。ハーリス=デリゾールは「ああ、これか」と呟くと、

「夜襲受けた時にさ。どうにか生き延びようと思って頑張ったんだがな。撃たれる時に撃たれたフリしてあの場所から下へ落っこちてどうにかって思ったんだけど、な」

 流石に一発喰らったわ、と笑顔で答えるハーリスに日向は軽く顔を伏せた。

 けれどハーリスはそんな日向の表情を察して、

「大丈夫だ、同性に強姦されて殺されそうだったお前よりかはマシだしな!!」

 とんだ背中を刺してくるフォローを言い放った。言葉は凶器だ。

 日向は、げほっと吐血をして、

「……それは、言わ、ないで、ください……」

「あちゃー。大ダメージだな、フィナター?」

「流石に思い出したくないんです、割とマジに……!」

 マジに、と言うより日向の心情的に言えばガチにだった。今日と言う日を日向は生涯、どうやったら忘れられるのであろうかと悩み抜く。何と言う厄介な日なのだろうか今日は。この日、日向は犯される……等と言う事は無かったが穢された。とにかく何時の日か全て忘れてしまいたい話である。それが日向の現状であった。

「誰か好きな人でも出来たら忘れられるのかなあ……」

 その願いは少しばかり遠いという事を日向は知りようも無く、乾いた笑いを零す。

 対して死んだ魚の目にハーリスは苦笑いで、そっか、と呟くと。

「何にしても……悪かったな、フィナタ」

「……?」

 途端、どうしたんだろう彼はと視線を向ける。

「急にどうしたんですか、ハーリス君? 悪いって言われても何が……?」

「……助けるのに遅れた事、に関してだよ」

「ハーリス君……」

 彼が自分を案じてくれた事は素直に嬉しかった。遅れたからと謝罪してくれただけでも十分すぎる程に。こうして来てくれただけで堪らなく嬉しかったのだから……。それより、むしろハーリスの方が日向は心配だった。

「銃撃を受けたからですよね? 見た感じ、手当も応急処置みたいですけど……」

「まぁな。日向が連れてかれたの見たから、簡単な手当だけで済ませた」

 けどな、と呟いて。

「銃撃以上に、ここの兵士達とか、お前らを取り囲んでいる、あの男連中とか見て怖くなってこそこそ動くしか出来なかったんだよ」

「ハーリス君……。でも、悪いなんて言わないでください。実際、ハーリス君がここまで乗り込んでくれていたおかげで僕は助かった様なものですし……!」

「それ以上に、個人的に男連中に犯されるフィナタって構図にどうなるのかなってドキドキしながら見守っていて救出遅れたのに悪かったかなって、さ」

「すいません、謝ってください。心の底から僕に謝ってください、ハーリス君」

 その一言が無ければ日向は彼を恩人と扱えた事だろうか。

 こめかみに怒りマークをビキィ、とつけながら高笑いしながら笑顔で誤魔化す非道な趣味を持ったこの野郎に日向は腕が自由なら殴りつけたい。いや、手錠でどうにか殴れるかな、と考えながらも……、日向は嬉しくて涙が出そうであった。

 生きていてくれた。その事だけで嬉しさが零れ落ちそうなのだから……。

 あの銃撃戦で……否、虐殺で知人友人の全員が殺されたと考えていた。けれど生きている者がいてくれた。そして差別ではないが最も交友関係があったハーリスが生存していた事に心から穏やかになれるものがあった。

 こうして生きていてくれるだけで感謝で胸がいっぱいなのだから……。

 その上助けに来てくれた。

 救出に来てくれたのだ。現地の同胞ではない自分を。生きているならば、そのまま身を潜めてでも生き抜いてくれるだけで良かったと考える。それだけで十分であったが、ハーリスは自分を助けに来てくれた。

 涙が溢れそうになるのを日向は必死に耐え忍ぶ。きっと見られたら何だよフィナタ泣いてんなよと苦笑されてしまう。泣いてませんよと言える自信が無い。嬉しくて泣きそうな気持ちを必死に押え付けた。

 抑え込まねば。そう考えながらも日向はハーリスの姿が眩しく映り続けた。

「さて、ここら辺で……」

 瓦礫と化した室内から逃げて、通路を渡り、そして薄暗い傍の部屋へと二人は潜り込むとハーリスは、おもむろにそう呟くと、ズボンのポケットから何やら鉄製のものを取り出した。

「それって……」

「鍵だよ」

 随分と簡潔に応えるが日向としては驚きだ。

 あの瓦礫に塗れた部屋で、鍵まで見つけ出すとは……と内心で呟く。さり気無く状況打開策をいくつも姑息に掠り取ってきたようだ、と感心しながらも呆れていた。ハーリスは「この世界、スリの技術も入用でな」と苦笑交じりに答える。

 だが、その技術はこの場に於いて大いに役立った。

 ガチャン、と外れる音と共に腕と脚から重さと束縛感が泡の様に消え去り、自由な解放感が生まれた。軽くぐっぱっと握ったり開いたりを繰り返した後に、日向は頭を下げながら何度も何度もお礼を述べた。

「いいって。気にすんな」

 照れくさそうに笑った後にハーリスは顎に手を当てて考える様に呟いた。

「それよりもよ……どうすんだ、服?」

「……」

 なるほど、悪辣な友人だと思った。そこを指摘するとは中々に非道だ。

 確かに手錠は無い。足枷も外れた。

 故に現在の日向の服装はニーソックスと猫耳カチューシャだ。生憎とトランクス等と言う下着めいた代物はない。それに関して、脱がされましたよ、悪いか。ジロジロと物凄くしゃぶりつきそうな目で見られ続けて悪寒が走りましたよ、悪いかと毒付く様に内心で大絶叫しながら日向はガンガン、と拳で壁を殴りつけた。隣でハーリスが「しーっ! しーっ!」と口元に人差し指を当てながら叫んでいるが戦略的意味で凄い大失態であったとしても構わない。今は怒りに任せて大暴れしたいものだ。

「まぁ今の服装一部には需要ありそうだしいいんじゃね?」

 出来る限り憎悪に塗れた目でハーリスを睨みつける。

「あ、いや、悪かった。失言だった。だからその目止めてくれ……」

 とりあえず、と言いながらハーリスはちょうどその部屋にあった、おそらくは毛布のシーツか何かだろうか。布を手で掴むとハーリスは適当に日向にかけてやった。日向は薄い布ながらも肌を隠せる事に感謝しながらも誰かが見たら絶対に女と間違われるだろうなと考えながらしょぼんと俯く。

「何かこう無性に情けなくなってきた……」

「?」

 不思議そうにきょとんとするハーリスに対して日向は「いえ……」と諦観の籠った瞳で呟いた。猫耳カチューシャでニーソックスの足でシーツに体を巻いている……。そこまで考えて日向は、地べたに四つん這いで地の底から響く様な声を発して咽び泣く。

「男の尊厳がぁぁぁぁ……!」

「お、おい、大丈夫かフィナタ? 頭抱えて、どうした!?」

「父さんを殺して僕も死ぬんだあ!」

「また!? どんだけ親父さん憎んでんの、お前!?」

 こうなった元凶は間違いなく実の父親のもので憎んでいるかと問われれば殴り殺したいとでも返答しようか日向は迷った。

 ハーリスは知りようも無いが、ハーリスの知人達を殺された原因が……。

それは弦巻赤緯の行いによる結果であったのは事実。そこまで考えてふと思った。ハーリスがこの事実を知ればどう思うだろうか、そして息子である僕を助けたりした事をどう考えるか日向は少し怖くなった。嫌われてしまうのではないかと言う気持ちで……。

 そこまで考えて、口を開こうとした時にハーリスが言った。

「悪いフィナタ。何か話したいみたいだけど、話してる時間ねぇみたい。ここから逃げるぞ」

 そう呟いて日向の右腕を掴み上げる。

 言われて今更の様に気付くが現在敵陣のど真ん中であった。確かにここで会話に熱中して、兵士に見つかり捕まっては助けられた意味も無い。何よりハーリスを死なせるわけにもいかない。日向は助かった後に話そう。そう考えて立ち上がると、ハーリスと共に部屋から出て通路へ。

 ハーリスの先導を視界に捉えながら日向も通路を走る。

 幸いながらも、どうやらアルグールと部下四人の姿は確認できず。

 逃げ切る事が可能かもしれないと言う淡い期待を胸に抱く。

 そう考えながらハーリスが走る、前方の彼の背中を見ながら共に駆けた。駆け続けた。

 だが、その時ハーリスの動きが不自然にビタッ、と止まると同時に僅かに停止してただただ突っ立っているではないか。どうしてしまったのだろうかと不思議に思い背中を見据える。だがそんな自分の呑気な空気を打ち破る様に大声で、

「別方向から逃げろフィナタっ!」

 突如、叫んだ。

 嫌にくぐもった声で。

 一瞬、前を走っている彼が何を言っているのかわからなかった。しかし理解する。前方通路の右側の脇道からゆらり、と一人の男が現れた。比較的若く、薄暗い茶色の髪の毛に淀んだ碧眼。そんな男の左手はだらんとこちらへぶら下げられていた。

 何故、腕を伸ばしてこちらへ、と考えていた日向の視界に衝撃が映った。

 男の右腕が下から上へと鋭い動作で振り抜かれた。同時に視界にひゅっと銀色の物体がひらめく。それが何なのか、一瞬理解できなかった。けれど理解なんて追い付かないと言うかの様な、ドス、という音に身が強張る。

「……あがっ……」

 ハーリスの口元から堪え切れない様に短く声が零れる。

 その声が日向は目を見開いた。

「……え……?」

 何かが生えている。

 ハーリスの胸元に光を反射する美しい物体が。

 刺さっていた。白銀に輝く刀身が、ナイフが、胸元に突き刺さっていた。右胸付近に生えている刃を中心にじわりと広がってゆく血の波紋。それも一つだけではない。腹部にはもう一刀のナイフが突き刺さっていた。

 初めにハーリスが動きを止めた理由。それは一投目の一撃からであった。

 ナイフに刺されていたという事実が嫌な感触を次第に次第に日向の胸中に広まってゆく。

「ハーリスく……ッ」

 ゆらゆらと儚く揺れる友人の背中を見て日向は思わず手を伸ばして触れようとする。けれどハーリスは日向に顔を見せないまま小さく言葉を発した。

「……逃げ、ろ」

 手で促すハーリスの腹部にまた一本のナイフが突き刺さる。

 がっ、という短い呻きを上げながらもハーリスは日向を庇った。

 血が湧き出て喋るのも辛いのだろう。けれど、そんな状況でもハーリスは口をどうにか動かして呼吸する事を捨てながら吐き出す様に、口から大量の吐血を吐き出しながらも彼の全身が言葉を語っているかの様に感じられた。

 ――逃げろ、フィナタ!

 実際に発した声かどうかはわからない。だが日向にはその声が訊こえた。

 それだけ発して、ハーリスはぐらり、と前方へ力なく倒れ込む。

 友人の死の光景に日向の目は大きく、ただ大きく開かれた。

 死なないで……。

 そう願いながら日向は手を伸ばして彼を掴もうとする。しかし叶わない。その手は悲しくも空を掴むだけの結果に終わった。

 ハーリスの体は掴むより先に真横へと吹き飛ぶ。

 そうして蹴り飛ばされた動かない人形の様なハーリスは壁にゴン、と鈍い音を打ち鳴らしてそのままずるずると崩れる様に壁に背を持たれかけて停止した。男は、

「おお、何かかっくいーポーズ取ったすっげぇっ!!」

 と、嬉しがった後に、

「おーしっ。まずはいっちょ、あっがりーっ♪」

 目の前の出来事をまるでゲームの様な楽しさで語る。

 何が起きたか、と一瞬自分の目を疑った。

 正解は……。この男がハーリスの頭部を蹴り飛ばしたという事実であり、それ故に日向は心の奥からぐつぐつと煮え滾る様な怒りを感じた。蹴り飛ばす、という行為に憎しみを抱いた。

「即殺ってのも爽快感あっていいよなー」

 死体を羨望しながら楽しそうな声で宣う、この男が許せない。

 そんな日向の想いには耳も傾けず、男は日向へ笑顔を向けて問いかけてきた。

「何ていうかさー。話に訊いてた限りじゃ、男の方は殺していいって話だったんだよねー。で、君は殺しちゃいけない。確かに美少女だし、上司とか、たしっかに、レイプとか考えそうかなーって思うわー」

 だからさ、と呟いて。

「まーそういうわけだし? 殺せないから、大人しく俺に付いてきてくれない? ちなみにねー、大丈夫だよー? 俺は性欲とかないし、レイプには加わんないからさっ」

 日向の表情も様子も気に留める様子も無く男は明るい声で大仰に手を振りながら言葉をつらつらと並べてゆく。

「しかし、そうなると暇だよなーこれがさ!」

 楽しげに、しかし時折殺せない事への失意を滲ませながら、ニコニコ笑顔で喋っている。

「んじゃ、この死体でも解剖してみよっかなー。死んでるし悲鳴は訊けないけど、たまには解剖もオツでしょ」

 そんな男に対して日向は口の端を吊り上げて告げる。

「生憎ですが……僕は貴方には付いていきませんよ」

 日向自身でも驚く程に冷たい冷徹な声が……自らの奥から世界に飛び出す。

「え? なんでー?」

 ハーリスの髪を適当に掴み顔を持ち上げて観察している男に対してはっきりと告げる感情を思い切り言葉に乗せて。相手がハーリスの顔立ちを見て明らかに日本人ではないと気付き「……あり? 話だと日本人って」と不思議そうな、彼へ対して。

 突飛に。

 その端正な横顔に蹴りを叩き込んで返答した。

「ごしっぷっ!?」

 奇声を上げて吹き飛ぶ男を余所に目つきを鋭くさせている日向はハーリスの遺体を一瞥した後、優しい声で小さく呟いた。

「本当に……ありがとう」

 今までの彼との思い出に向けて感謝を示す。

 ――そして、さようなら

 それだけ呟いて、日向はシーツを上手く体に巻いて、敵討ち等出来ぬまでもこの男への報復はしなければならない。武器はないが、逃げはしない。相手がナイフを持っていようと関係は無い。手足が動けば戦える。

 怒気の籠った眼光を光らせながらタンッ、と風を切り裂く様に鋭く日向は迫る。

 そんな日向を床から痛ェ……、と呻き声を零しながら上体を起こした後。

「くっそ、手出ししないってからって容赦ないなぁ……。そんなにその子、大切だったのかな?」

 まぁいいや、と呟きながら立ち上がり尻をぱんぱんと叩いて、立ち上がる。

「殺すのはダメって話だし殺しはしないけどさ……俺を蹴った分は返させてもらうよ、可愛いお嬢ちゃん♪」

 右手に鋭い輝きを放つ凶器のサバイバルナイフを携えて青年……、ルディロ=スラヴォンスキ=ブロドは命令を受けてから方向音痴で迷子になりつつ、ようやく見つけた獲物に歓喜し即座に仕留め、そうして次は今まさに迫り来る相手を仕留めんと殺人鬼へと在り方を顕現する。

 そんな殺人鬼だからこそ。ルディロに対して日向に容赦は無かった。問答無用の二撃目の蹴りを雄叫びと共に、耳につんざく痛みの声を手ごたえに感じながら……、見事に日向の一撃は彼の傭兵の右わき腹へ炸裂するのであった。


第二章 戦場に咲くは華々しい景色

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