第五章 海辺へ寄り添う勧進木・前篇
第五章 海辺へ寄り添う勧進木・前篇
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5月5日。ゴールデンウィーク三日目。
その日、神奈川県建立の、その建造物の外観は明らかな程に『城』であり、周囲の建造物と比べても異質な邸宅――『黒星城』。訓子府家の別宅の一棟として知名度を誇る、その家の一部屋に於いて訓子府うるきの執事である鍵森恭介は静かに目を覚ました。
時間は午前9時。
普段の仕事の為の時間帯と比べれば、執事の仕事を熟す日々の方が遥かに早く、この時間帯に起きるの、こと最近に於いては休日くらいだ。だがしかし、今日のこの日はその唯の休日とも事情が違っており普段とも違う明確な予定が存在する。その為に主であるうるきに対して休暇を取っているので問題は無い。
「さて軽くサンドイッチでも摘まんで――さっさと行きますかね」
恭介は寝ぼけ頭を起こす様に軽く髪の毛を触れた後に静かにベッドから身を起こす。
そうして部屋のクローゼットから普段の執事服ではない、彼自身の私服を取り出すと小さく考え込む素振りを取った。普段ならば適当にコーディネートして終わらせるところだが、如何せん今日は妥協は許されない。さて、どうするかと考えた後に恭介はとりあえず黒のズボンと黒のTシャツの上に白いワイシャツを羽織る。そこから程よく装飾の施された上着を羽織り、胸元にはキラリと光る梟の細工がされたペンダントをかけた。
「こんなもんかね」
鏡の前で自身の服装を軽く確認した後にふっと柔らかな笑みを浮かべる。それだけで絵になる姿であり、世の女性陣が思わず目を留める様な格好よさが滲み出ていた。
「だが、ウケ狙いでタキシードとバラも捨てがたいな……!」
けれど、こういう場面で絶妙に受け狙いに走るのもまた鍵森恭介の特徴でもある。
そうしてタキシードにするか普通の服装にするかで僅かに悩んだ素振りを見せた恭介だったが、やはり相手が相手であり、初と言う事も踏まえたのか「やっぱこれでいいか」として二カッと笑みを浮かべる。
「さーて、服装も決めたしさっさとメシ貰ってくっかね」
軽く背を伸ばした後に、小腹がすいている事を自覚した恭介は、部屋を出ると大広間の方へと足を運ぶ。相変わらずの城の外観に似合わぬ洋風な廊下を歩いて進んでいき、普段うるき達が食卓を囲む、大広間へと到達した。大広間への扉は相変わらず巨大で荘厳な造りをしていて相変わらず目を見張る装飾の素晴らしさだ。扉を開けると開口一番で「うげ」と言う嫌なものを見たような少女の声が響く。
「よう、おはようさん、双柳」
「何てことだ鍵森恭介じゃないか。嫌な顔を見たぞ」
渋面を浮かべる少女の名前は訓子府家の料理人、双柳刺身と言う。
料理人らしくコック衣装に身を包んでおり、片目を隠れる様にした髪型が特徴的な、どこか勝気と言うか威圧感を与える空気を身に纏った少女だ。そしてこの反応の通りに恭介は刺身にことあるごとに無遠慮な態度を取られている喧嘩腰な間柄であった。
「相変わらずだなお前も。いい加減見慣れろよ。連日言われてるぜー俺?」
くくく、と可笑しそうにしながら恭介はうげーと渋面を浮かべる双柳刺身の横を通り抜けて大広間のテーブルの一席に腰を下ろした。そんな恭介を嫌そうに一瞥しながらも、刺身は席から立ち上がるとおもむろに問い掛けた。
「そう言えば今日だったか。お前が約束した日ってのは」
「おう。なんだ記憶しといてくれたのか」
「料理人として当然の責務だ。お前相手にもというのはムカリとくるが、そこはそこ。仕方がないものとして快刀乱麻するさ」
「そりゃ律儀な事で」
肩をすくめてそう零す刺身に対して、恭介は可笑しそうに微笑を浮かべた。
「うるさい、黙れ。――とにかく、朝食は食べていくんだろ? 何がいい?」
「サンドイッチ系で頼むわ」
「任せておけ」
簡素に返答しながら刺身は料理包丁を軽やかに左手の中で回転させながら厨房へと足を運んでいく。恭介の事を散々愚痴零す様に毛嫌いの態度を示しつつも、そこはプロなのか注文があれば何処か喜々とした態度を隠せずに料理を開始する。
(嫌ってる相手でさえ振る舞う時は楽しそうって辺り、俺もそこまで嫌われてねぇか――まあ嫌われてる理由自体アレっちゃアレだが……、あるいは料理がとことん好きなのか……)
両方の可能性と言うのもあり得る。
罵詈雑言発しながらも一応執事として屋敷で一緒に住み込みの形を許容してくれる辺り、嫌われてはいるがそこまで本気で嫌ってるわけではない――と言うのが恭介の見解だ。無論、自画自賛やら買い被りと言う点も無下には出来ないが。
そんな事を考えていると刺身が不意にこちらを一瞥した。下手に視線を向けていたので訝しまれたかと眉を潜めたが、刺身はそんな素振りはせず、バスケットに入った果菜類と肉類を恭介に対して見せてきた。
「おい、具材は何がいい鍵森恭介」
「お前のオリジナルに任せるよ、刺身ちゃん」
「ちゃん付けするな捌くぞ」
イラッとした視線を恭介に一度放った後に、
「いいのか? とんでもな毒々しいサンドイッチになるかもしれないぞ」
と、危ない感じの笑みを浮かべてくる。
そんな刺身の態度に「まさかまさか」と恭介は朗らかに笑って返す。
「こと他の分野ならともかく料理の一点においてお前が喰う側が困る料理を作るわけがねぇだろうって事くらい実感済みだからな。心配してねーよ」
「……ふん。いらん買い被りだな」
ふっと微笑を口元に浮かべながらトントンと小気味良く調理包丁で具材を切り始める。
その刺身の調理姿を見ながら恭介はニシシと悪戯少年の様な笑顔を浮かべた。わずかだが刺身の頬が紅潮している。おそらくは料理への姿勢を褒められた事に関する照れなのだろう。
双柳刺身は生粋の料理人だと恭介は実感している。
とにかく料理に対する姿勢は崇高なものだろう。
相手の口から『美味しい』の一言を訊くための、相手に対する好き嫌いを見抜く料理人の目にそのあり方。恭介自身も料理は得意であるが刺身には及ばないと実感している。こと料理技術うんぬんではなく純粋に姿勢が眩しいのだ。屋敷に来た初期から料理は彼女が提供してくれたが、その当時は毛嫌いされている事もあり、飯は凄い適当なものでも出されるのではないかと杞憂していたころがあったが、初日にして他の従者と変わらぬ最高の料理を、提供してきてくれたのだから感激の域であった事は明白だ。
本人曰く『料理で相手を冒涜する事は可能だが、それはもれなく食材への冒涜だ』、との事である。
詰まる所、相手が如何に嫌いな相手であれ、刺身は食材に対する姿勢が律儀である為に最高の一皿を提供できると言う事なのだろう。
(その上で俺が創作料理で不味いもの作ったりしても『料理は経験だ。食材の組み合わせは未知への発掘だ。規定にそぐわぬと蹴散らすだけが料理じゃない』とか言って怒鳴り散らしたりとかしないんだから本当に料理に対する精神は感服するよなぁ……)
そう恭介が考えている間にも調理は進み、刺身は真っ白な皿に盛りつけたサンドイッチを食卓へ運び静かに恭介の前に置いた。三角形に切られた白いパンはほのかに焦げ目が出来ており食欲を煽る香りがふわりと鼻を通り抜けていく。間に挟まれているものは実に多彩でなんとも目でも楽しませてくれる。
「具材は昨日の夕餉のローストビーフ。そこにアボカド、レタス、トマト、スパイシーソースに自家製チーズ等を盛り込んだオーソドックスな奴だ」
「お前はどうか知らんがローストビーフの時点で結構高級だぜ?」
「食材に基線は無いから高級とか低級とか知った事では無いさ」
そう言いながら包丁をひゅひゅんっと風切音を鳴らしながらスカートの中のホルダーの中へ仕舞い込む刺身。相変わらず包丁の扱いが手馴れてんなぁ、と恭介は苦笑を浮かべた。
「ま、ともあれ頂くとするよ」
「ん。ご賞味あれ」
ニッと笑みを浮かべる刺身の横で恭介は大きく一口頬張った。
途端に程よく焼かれたパンにローストビーフの肉らしい味わいが特性のスパイシーソースと相まって実に憎々しい美味さとなって口の中で弾けた。シャキシャキとしたレタスが快く触感の違うアボカトがアクセントに楽しませる。
「――ふむ、やっぱお前の作る飯は一味違うな」
「本職を侮るなよ鍵森恭介」
「侮ってやしないさ。軽んじてもいないしな」
美味しそうな笑顔を浮かべながらまた一口。途端に口の中に感じる幸福感――やはり美味い飯はとことん素晴らしいと実感する恭介である。刺身はそんな光景を見ながら満足そうに頷いていた。
「しかし、アレだな」
「アレって?」
おもむろに呟いた刺身の言葉に恭介は食べながら意識を向けた。
そんな恭介を横目で一瞥しながら、
「大した事じゃないが……鍵森恭介をデートに誘うとは数奇な女生徒がいたもんだなぁ、とな」
「全く大した事じゃなくないよな、その認識! 俺にも淡路島に対しても酷い発言しやがるじゃないか」
「いや、純粋に驚きだ。確かに鍵森恭介は顔だけはいい――そこは嫌々ながらも認めてやるところだ。嫌々ながらもな。嫌々ながらもな」
「嫌々ながらでもありがとよ。三度も言われると凹むものはあるがな。けど、そこで『この不細工をねぇ』とでも言われるかと思ってただけに意外性高いわお前本当に」
「事実は事実だ。茶を濁しても仕方がないからな」
「なるほど、そこは何ともお前らしい。後は歯に着せぬ物言いをどうにかすればなぁ」
「ふん、一刀両断にお断りだ」
ぷぃっと顔を背けながら刺身はふてぶてしくそう呟いた。
「不思議だな、しかし。訊けば相手は淡路島家の御令嬢と言うじゃないか」
「ああ。深層の御令嬢と言う奴なんだろうな、アイツは。そこまで典型的ってわけでもないが、まあ可愛いし優しい奴だと思うぜ」
「私も訓子府家主催パーティーで料理人を務めた事があるから、料理を運ぶ際に何度か見かけた事があるが確かにアレは綺麗な女の子だったな」
「刺身ちゃんも美少女だけどな」
「黙れ捌くぞ、それと刺身ちゃん言うな。お前より年上なんだぞ」
眼光鋭く睨んでくるのだが実に恐ろしい威圧感である。
ここで包丁をつきつけてくるとかしない辺りが料理道具にも敬意を払う刺身と言う料理人であり、その結果、相手を威圧する眼光が一際強化された様だ。最も恭介は気にせずスルーしている辺りがやはり逞しいと言えたが。
「まあいい。ともかく、あそこの家の御令嬢がお前とデートを所望するとはな……素直に驚きと言うか何と言うべきか。なんとも快刀乱麻に思えない事案だ」
「そこはまあ俺も少し意外と言う感想だが……、と言うか存外確かに意外とは言えるかな。お礼をするにも付き合い自体はまだ一ヶ月そこらだから何がいいかどうすべきか俺が考えるよりも相手の要望に沿おうと投げ掛けたらまさかの展開に狂喜乱舞な事になったさ」
「周囲は刀光剣影な空気になったろう事は然して詳しくない私にも推察できるがな」
そこでニマニマしたいやらしい笑みを向けてくる刺身。
おのれ貴様、と思いながらも恭介はその言葉を否定出来ない。なにせあの後四人衆は憔悴の様子で『考えを改めください!』とあくせくするは、合馬守善は『鍵森、何故テメェばっか羨ましい事に……!』と嫉妬は買うは、周囲は怨霊になりかけるはそれはもう大変だった。
「さてはて、結論どうなるんだかな」
刺身はスクッと立ち上がりながら呟く。
「鍵森恭介。デートに誘われた以上、相手が一定の好意を持っているのは明白だぞ。もしも告白とかされた時にはどうする気だ?」
「生憎とそこまで進展した色恋話は無いと思うがな」
「そう言い切れるのか?」
「そりゃまあな。少なくともそう言う雰囲気とはまた違ったものだと感じるからさ、アイツの様子から言って」
だから心配はいらねーよ、と恭介はからから笑い声を上げる。
そうしてふっと視線を下に落として恭介はぽつりと小さく呟いた。
「――」
誰にも聞こえない程度の音量で静かに。
刺身は「今何か言ったか?」と小首を傾げたが、恭介は「いんや、大したこっちゃない」と笑顔を浮かべて返答する。「ふむ、そうか」と刺身はさして気にした風も無く頷く。
と、そこへ新たな人影がやってきた。
群青色のロングヘアーに碧眼を持つメイド姿の美少女――跡永賀カナンだ。
「おや、ようやく起床したことのようね鍵森恭介」
「おう、おはよう、跡永賀」
「ええ、おはようのことよ。さーたんもおはよう」
「ああ、おはようカナン」
優雅に微笑を浮かべて静かに一瞬目を伏せる。
「して、久々に遅起きの事ではなくて?」
「まあ、そうだな。屋敷でこんなに遅く起きたのは来た当初くらいなもんだろうからな。後は怒涛だったり事件だったりで基本早起きの習慣だったしな……」
「初日はてんてこ舞いの結果であるからして当然の事よ。アレだけ負傷して早起きしてきたらいよいよオーバースペックでドン引きの事よ」
「今思い出してもテロ騒ぎの後の一日は億劫だったな、本当に」
しみじみと思い出す様に頷く恭介。
訓子府家に来る理由となった、件の一件も今となってはなんとも懐かしい良い思い出だ。
近くの刺身が「お前そんな気軽な感じでいいのか……?」と訴えかける様な視線が向けられてはいるが気にしない恭介である。
「ま。朝に似つかわしくない話題は、ここらにしておくとして……本日のことよね、鍵森恭介。貴方がデートで無垢な美少女を、しっぽりむふふせんと企む日は」
「そうだな」
「そうだな、じゃないから何をさも当然みたくお前が答えているんだ双柳。しないからなそんな事は? 俺はそんな事微塵も考えていないからな?」
間髪入れず頷く刺身に恭介は冷や汗流しながら乾いた笑みを零す。
「屋敷に連れ込まれてはうるきちの情操教育に支障のことよ。はい、三万円」
「ラブホ代金を軍資金みたいに軽く渡さないでくれるか跡永賀?」
冷や汗を垂らす恭介に「冗談の類のことよ」と言いながらお財布にしまうカナン。
「たくっ、お前は本当に……」
「フフフ、いいではないの、からかい弄り嘲りの一つ二つ」
「嘲り以外なら妥協するがな!」
「それはありがとうのこと。――けれど本当によいの? お金いくらか出してもよいことよ?」
「それはありがたいが折角のデートを、軍資金でってのも格好つかないからな。屋敷でなりバイトでなり蓄えはあるんだ。俺の収入でどうにか出来るさ」
「男らしき姿ね。そこは好感持てることよ」
「そりゃありがとよ」
肩をすくめつつも微笑を浮かべて返す恭介。
「じゃあ今日一日は休み貰うわけだが――屋敷の事は平気だよな?」
「気にする必要はなきことよ。屋敷が一日でどうにかなるわけでもなし。何より私がいるのだし、あらかたの仕事は問題なきこと」
「流石だな」
「唯一、うるきちが起きて来ない事が難点だけれど……」
「アイツも普段は早起きなんだが、昨日は『ゴールデンウィークだぞきょーすけ、きょーすけ! 遊ぶぜー!』と、やたらハイテンションだったからな。今頃は爆睡だろう」
「御明察のことよ」
クスクスと楽しそうにカナンは微笑を浮かべる。
土曜日に散々ハイテンションで弾けるごとく色々な遊びに着手したものだから疲労感も凄まじく遊んだ後はベットの上ですぐさま寝てしまった。
「本当、子供っぽいと言うべきか」
「そこが愛いと言うものよ」
「ま、そこは否定しない」
「ええ、うるきちの魅力だもの。まあ、子供っぽいという点では鍵森恭介もあながち……」
「ま、そこも否定しない」
肩をすくめて苦笑交じりにそう返した後に「しかし、なら起こしておいた方がいいかね? アイツどうせ今日も遊びたがるだろ?」と呟く。
「それは然りね。まあ……そこはさーたんにでも任せてしまえばいいというものよ」
「任せてくれカナン。うるきお嬢様の寝顔を堪能してから美味しく頂くとも」
「双柳、お前またうるきちに蹴っ飛ばされるぞ?」
鼻血を垂らしながらサムズアップで反応を示す料理人の姿に嘆息を浮かべる恭介。
(コイツもここが色々問題だよなぁ)
刺身はうるきの事がお気に入りだ。大層お気に入りだ。なにせ訓子府家に仕えているのも大半がうるきの存在に起因しているらしいと恭介は理解している。詳細を訊いた事はないので不明な点は多いがおおよそはそこに集約する様だ。
本人曰くレズではないらしい。
ゆるキャラを可愛がる感じに近いらしいがそれがどうにも過激の域にあるのだが……。
(まあ、そこを今気にしてしょうがない)
恭介はそう結論付けると、
「ともかく今日一日俺は抜けるんでよろしくな跡永賀」
「ん。気にせずゆるりと楽しんでくることよ」
「そのお言葉に甘えさせてもらうとするさ。まあ、アシュメダイ執事長もいるしなんてことはないだろうしな」
特別、カナン一人しか屋敷にいないわけではない。
刺身は専属料理人なので料理以外の家事は一般の域らしく出来て手伝い止まりらしいが執事長のアシュメダイであれば全般熟す彼は十分な戦力として機能するのは間違いない。
「そうね。それに明日はアシュメダイ執事長の方も休みが入ることだから、今日は頑張ってもらう事とすることよ」
「ん、そうなのか?」
「例の用事だそうだ」
「ああー……」
納得がいった様に頷く恭介。
アシュメダイ関係で例の用事と言われれば納得するのが訓子府家従者事情であった。
「まあ、何にせよ一日抜けても問題無さそうなんで安心したぜ」
「ええ。だから言ったでしょう? 気にする旨は無い、とね」
小さく笑うカナンに対して「だな」と首肯を返す恭介。
「さて。じゃあ俺はさっさと用意して出掛けるとしようかね――」
恭介はそう呟きながら椅子から立ち上がった時であった。
「んん……」
扉をギィと開けながらとてとてと寝ぼけ眼で部屋に入ってくる少女の姿が確認できたのは。頭にコウモリの羽の様な飾りがついた何ともファンシーなフード型の寝間着姿。その寝間着が異様に似合う高校生としてはちんまりとした小柄な体躯に幼い面立ち。
従者たちの主である訓子府うるきだ。
「うるきち? いや、驚いたなもう少し寝てるかと思ったぜ」
「ええ、昨日あれだけはっちゃけておいて今日九時に起床するとは……底知れぬスタミナなことよ、うるきち……!」
カナンも驚きに目を見張りながら呟いた。
早起きなのは毎日の事なので驚かないのだが休みの日――特に前日に散々爆走した後の彼女は比較的明日の反動がでかい。例えるならば土曜前の金曜日夜は夜更かししてしまうみたいなところなのだが。その為に九時に起きるのはそこそこ至難の技だと思っていただけに彼女が起きてきたのは些か驚きであった。
「いにゃ、ねみゅいぜ? ねみゅねみゅさかにゃだけどしゃ……」
「そうか、眠いのか。しかしその絵本良く知ってたな」
言葉が物凄く不安定だった。
「ああ……、かわゆいようるきお嬢様ハァハァ……!」
「そして双柳、お前はヨダレを拭け」
さり気無く傍で興奮状態の料理人にティッシュを手渡しながら視線をうるきへ戻す。
「眠いなら寝ててもいいんだぜ? どうしてもってなら起こすが」
「んー……。ねみゅいけどせっかくのやしゅみだからねみゅってばっかはやらなー……」
目元を擦りながら「うみゅー」と声を上げるうるき。
主でなければ思いっきり猫かわいがりしたいところだな、と恭介は思った。
「けどまー、きょうすけに一言あったしな」
「一言?」
なんだろうか、と首を傾げる恭介に対して半眼ながらもビシッとサムズアップを贈りながらうるきは強い語気で告げた。
「デート、ファイト! あたしが執事にと見込んだ程の男なら腑抜けたエスコートすんじゃねーぞきょうすけ!」
「……」
まさか。
その一言のエールの為だけにのそのそ起きてきたという事なのか。恭介は思わず軽く吹き出してしまうも軽く肩を震わせた後に毅然とした表情で返答する。
「――ああ。応援ありがとよ、うるきち。精一杯、淡路島にお礼返ししてくるさ」
「おー♪」
その言葉に対する少女の表情は喜色に溢れていた。
2
午前十時二〇分。
その時刻に鍵森恭介は屋敷を出て、此処待ち合わせの公園に足を運んでいた。デートスポットとしても待ち合わせとしても人気の高い場所であり、特に人魚像の銅像は有名な彫刻家がデザインした定番の待ち合わせスポットであるとのことだ。事実、本日鍵森恭介の待ち合わせ指定場所がここである。
そんな待ち合わせ場所で佇む一人の少女の姿があった。
濃紺とも藍色とも取れる綺麗な色合いの頭髪をボーイッシュにショートに切り揃えた鮮やかな水色の双眸を持つ美少女。全体的に細いが自己主張の激しい胸部を持ち、その穏やかな性格からも学院内で人気を博すシラヅキの二年生――淡路島姫海その人だ。
膝丈までのスカートにラフなTシャツの上から少し大きめのパーカーを着こみ、頭にはキャップ帽子と言う制服姿の時とは違う私服姿で公園に設置されている時計をチラリと一瞥する。
(うん、もうすぐ時間みたいだね)
待ち合わせは十時半。
恭介の事なので時間に遅いという事はあまり考えられない。残り一〇分程度だ。姫海はぽせんと背中を人魚像に預けながらそんな事を考える。
(……あー、どうしようか、困ってしまうな、うん)
帽子を深く被り直しながら姫海は小さく呟いた。
(自分から言っておきながらドキドキするとか、ぼくはバカなのかい?)
嘆息交じりにそんな自嘲を発した。
待ち合わせとして此処に到着して少しはそれはもう『わくわくするなー』と零していた姫海であったがいざ待ち始めてみると何となくデート何だと言う実感が湧きあがって来てしまい恭介が来た時にどう挨拶すればいいのかやらで悩み始めていた。
(『あ、やっと来た! もー、遅いよー』とかなんだろうか、反応すべきは)
いや違うな、と首を振る。
完全に自分のキャラじゃない。そもそも相手が定刻より遅い事前提なので使えない手だ。
ついでに言えば、そんな台詞を吐こうと考えただけで頭が沸騰しそうになったので、恥ずかしさの面から使えるわけがなかった。誰だろうか、このハイテンションの女の子は。姫海は真っ赤になって俯きかけたが首をぶんぶん振って思考を切り替える。
(なら、あれだね。『私も今来た所だから気にしないで』とか良く訊くけど……ううん、違うねこれも)
またも相手が遅れたことが前提だ。
良くそう言うのを耳にするが、大半男性側が遅い事前提だよなぁ、と一人ごちながら『あれ? どう反応すればいいんだろうか?』と悩み始める姫海である。
(普通に『あ、来たね鍵森君』とかでいいのかな、こういう時は……)
うーんと首を捻る。
如何せんこういう事に慣れていないのでどうすべきか姫海は良くわからなかった。こんなことならば鬼一涼子に尋ねておくべきだったかもしれないな、と姫海は反省する。
「考えても仕方ないかな。普段通り、自然体でどうにかしよう」
姫海はそう呟いて小さく頷く。
「お?」
と、そこで不意に若い男性の声がした。
恭介の声ではない――とすると何かな、と姫海は顔を軽く上げた。
そこにいるのは三名の男性であった。一人は何処かチャラチャラとした服装をしているが顔立ち自体は整っている。一人は見るからに筋肉質な男でもう一人は目つきが悪く不良っぽい男であった。その中で顔立ちのいい男が目を輝かせる。
「なぁ、おいおい、見ろよケツ。この子、ちょーマブくね?」
「マブいって表現古くね? でも、マジ可愛いな! 何この子、服装で男かと思ってたけど、すっげ美少女じゃん!」
「なー! 昨日も、一昨日も、散々だったけど、天は俺達を見捨てて無かった! 三日目にして、三度目の正直って奴が舞い降りたぜ!」
勝手に目の前で盛り上がり始める光景に姫海は少し萎縮して「な、なにかな……?」と汗を一筋流しながら小さく声を上げる。
「やべー、声もちょー俺好み」
「胸も結構あるし……ヤベェ、昨日の女に負けず劣らず美少女じゃん!」
「しかも昨日の茶髪の女と比べると大分おしとやかって感じだな……。どっちかってと一昨日の黒髪の娘寄りか……大人しげでいいねぇ、うひひ」
「な、なんだよ……! ぼくに何か用でもあるのかい?」
何か品定めされている様な気配にムッと反感を抱く。
しかしそんな反応も男達にとっては興奮の一材料に過ぎなかった。
「ヤベェ、しかも僕っ子だぜ! 俺こういうのマジ好きだし!」
「だな。こりゃもう天の御恵みだろつっちー」
筋肉質の男が顔立ちのいい男にそう発した後に、姫海を囲む形で三人が展開すると逃がさない様に銅像のところに手を突き立ててくる。なんとも嫌な壁ドンだ。
「な、彼女一人? 俺達とどっか遊びいかね?」
テンプレの様な口説き文句を発する。
本当にこういうセリフあるんんだな、と思いつつも姫海は内心少し困っていた。男三人に、しかも苦手なタイプの雰囲気を纏う三者に言い寄られると言うのは、どうにも圧迫感があった。
その為に口籠りそうになるも姫海は、それではいけないと内心首を振る。
「お断りだね。ぼくは待ち合わせがあるんだから、何処かへ行ってくれないかい?」
「いいじゃん、時間に来ない男とか放っておこーぜ?」
「え? いや、時間は十時半だけど……」
「え、マジで?」
こくりと頷く姫海に三人はそっと公園の時計に視線を移した後に、しばし沈黙し、その後再び視線を姫海に戻すと、
「まあ、いいじゃん。彼氏よか絶対俺達と遊んだ方がおもしれーって。な?」
と、汗を垂らしながらもそう発言を発してきた。
「生憎とそう言うのはお断りだよ。いいから放っておいてくれないか?」
「んだよ、いいじゃんか別に。それよか顔見せてくんね?」
「あ、俺も見たいみたい!」
姫海の顔に興味があるのだろう。
帽子の下に隠れていてもちらりと伺える美貌に、愛らしい声音とスタイルから相当の美少女である事は判明している。姫海は帽子を取られまいと抑えようとするが、一足早く帽子は筋肉質な男の手により宙に浮いてしまう。
途端に湧き出る様に「うおっ」と歓声が上がった。
「マジかわいいじゃん!」
「だな。百点だし! なー、遊びいこーぜー?」
「だからお断りだよ。それよりも帽子を返しておくれってば……!」
手を伸ばして帽子を取り返そうとするも筋肉質な男の背が高い為に高く掲げられた帽子は姫海の背をもってしても届かない。
「一緒に遊び行ってくれるんなら返したっていーぜ?」
ニマニマと笑みを浮かべながら筋肉質な男はそう告げる。
そういうわけにはいかないのだ。基本体が弱い姫海は男三人にところ構わず連れ回される事は危険と言う上に何より――恭介との約束なのだから。
(つくづく今のぼくは情けないなぁ……!)
昔ならもう少しは――と、姫海が思ったその時であった。
「遊びか。楽しそうだな、なら俺が代わりに付き合ってもいいぜ?」
訊くものの耳を魅了する魅惑的な青年の声が聞えたのは。
見れば帽子を掴む男の腕が、がっしりと手首付近で別の手に掴まれており、背後には何やら怒気をゆらめかせた人影が存在した。
「――ただし永久かくれんぼとかだがな」
「痛ァ……ッ」
ミシミシと言う音が鳴り響く程の握力に筋肉質の男が呻き声を上げる。仲間の二人が「テメェ!」と加勢しようと構えるが、無言でギラリと睨んだ恭介の赤い双眸に気圧され萎縮し後ずさる。鍵森恭介の眼光の強さは生半可ではなかった。
そしてその握力も並みでは無い。筋肉質の男は涙目になっていた。
「ダメだ……! コイツの握力尋常じゃねぇ……!」
「そ、そんな……ケツの筋肉が通じねぇなんて……!」
「これで七八回目の敗北じゃねぇか……!」
意外と負け越してんだな……、と恭介が若干同情の眼差しを浮かべていた。
「どうする? さっさと三人で遊びに出掛けるってんなら粉砕骨折はしないぜ?」
「粉砕骨折する気だったのか!?」
「大丈夫、手首だけなら歩いて病院行けるだろう?」
凄絶さの滲み出る恭介の迫力に臆す形で、遂に筋肉質の男・ケツは「わ、わかった!」と声を震わせて告げると恭介はパッと手を放した。握っていたケツの腕は赤くくっきりと跡が浮かんでいる。強い握力に男はぞっと蒼褪めた表情を浮かべながら「ちくせう!」と涙交じりに叫んで、
「くそー! これで三度目かよー!」
「何でもれなく、美少女にはイケメン激強彼氏がついてくんだよー!」
「美少女のバカやろー!」
と、三人それぞれに叫びながら遠くへ遠くへと走り去っていった。そんな光景を『何事だろう?』と言う表情で周囲の人が視線を向け、恭介は後ろ姿を遠くなっていった事を確認すると姫海の方へ視線を戻し、彼女の頭に帽子をぽすっと被せながら、
「さて、悪かったな淡路島。何か厄介事に鉢合わせさせちまってたみたいでさ」
「ううん、鍵森君の所為ではないだろう?」
ふるふると首を振ってから姫海は小さく微笑む。
「――それとありがとう。助かったよ鍵森君」
「そいつは御叮嚀にどうも。そうは言うが、もう少し早く間に合えばって想いは燻ってるんだよな……」
「そんな事は無いよ。助けてくれただけで本当に心強かったからね。自分で振り払えれば良かったのだけどなあ」
情けなさそうに自嘲気味な表情を浮かべる。
確かに彼女の体力を鑑みると無茶な振る舞いはとてもではないが出来ないなと恭介も理解する。無理に抵抗しようとすればどうなるか――本人がよくわかっているのだろう。
「ま、気にすんなよそんなこと」
「……そう言ってくれると助かるよ」
「俺もそう言ってくれるとありがたいさ。ともかく今みたいな事は忘れようぜ、いい思い出にもならんしな」
「そうだね。それは確かに」
だけど、と姫海は呟いて、
「でも全面的に良い思い出にはならないって事はないかな」
と、恭介から顔を背けながらぽつりと呟いた。
不思議そうに「どういう意味だ?」と零す恭介に対して「気にしないで」と恥ずかしげに返してから姫海は「それじゃ、この話はこれでお終い」と話を打ち切る。
意味深な態度だったがな、と訝しむも本人がそれでいいと言うのなら、それ以上言及するのも野暮と言うものだろう。
「まあ、いいか」
気持ちを切り替えて、恭介は話を促す。
「んじゃ、デートなんだから楽しくいくとしようか――っと、そう言えば……」
「? なんだい?」
不思議そうに小首を傾げる姫海に対して恭介は視線を細めて、さっと彼女の服装をしたから上までくまなく見上げていった後に優しく微笑んで告げた。
「私服姿。初めて見たが似合ってるじゃないか。ああ、とても可愛いし好きな感じだぜ」
「……ッ」
その言葉に姫海はしゅぼっと顔を真っ赤にさせた後に帽子を指先で深く被り直しながら、はにかむ様に呟いた。
「――それはその、まあ……ありがとう」
誰かに可愛いと言われる事自体は姫海の人生の中で珍しい事では無い。恭介の様なイケメンな男子からも、そう言われた経験はある。だけれど、恐ろしいくらいに、下心が微塵も、一切も、感じられない純粋な称賛の『可愛い』と言う発言は姫海の心を仄かに沸騰させた。
「あいよ」
ニッと笑みを浮かべて恭介は返答する。
そして満足げな表情のまま彼は静かに右手を差し出した。
「じゃ、行こうぜ」
「……あ」
姫海が恭介の右手を見つめて、その意味を理解し、そうして頬を軽く染めた。
「どうした?」
不敵な笑みを浮かべて恭介は告ぐ。
「デートなら、これくらいは役得に貰って構わないだろう?」
姫海は少しだけ頬を赤くして、照れ隠しの様にムッとしながらも「ま、そうだね」と小さく呟いて、
「ぼくから誘ったデートだしね。これくらいはね」
そう微笑を浮かべながらそっと恭介の手を握り返した。
強く握ればどうにかなってしまいそうな柔らかい手に思わず差し出した恭介の方が驚きを感じてしまう。対する姫海もまた握り緊められた手の平の強さから恭介が男の子なんだな、という実感を抱きながら、
「んじゃ――行くとしますかね」
「うん。よろしく頼むよ」
少女は少年に連れられて鮮やかな紺碧の一日へ向けて、未知の海原へと帆をはためかせる様な気持ちで出航するのだった。
「――で、一応尋ねておくんだが淡路島」
デート開始後に、少し歩いたところで恭介はおもむろに口を開いた。
なんだい? と、小首を傾げる姫海に対してこう問い掛ける。
「俺をデートに誘ったって事は……行きたいところでもあるのか?」
「いや、生憎と特には決まってはいないかな」
あっけらかんと告げられた言葉に恭介は、少しぽかんとした表情を浮かべた。
「そうなのか? てっきりわざわざ俺を誘った辺り、何処か荷物持ちでもしてほしい店に行きたいのかと思ったぜ?」
「そんな事は考えていないよ、失礼だな」
くすくすと表情を綻ばせる姫海。
「ぼくが鍵森君をデートに誘ったのはね――鍵森君なら丁度、気兼ねなくデートに誘えそうかなって思った事が大きいんだ」
「気兼ねなく?」
不思議そうな恭介に対して小さく頷いてから姫海は口を開いた。
「僕が体が弱いのは知っての通りだろう?」
「まあな」
ざっと思い返しても体育で運動している場面は見かけた事は無い。
また授業中でも突然に蒼褪めた表情で吐き気を催す事も度々目撃しているし、手伝って保健室へ付き添いした事もここ一ヶ月で何度かある。
「そんなぼくなものだからね――皆、壊れない様に丁寧に接してくれている、と言う感じなのかな。ガラス細工みたいに――とまでは言わないけれど似たような具合さ。傍目には過保護かもしれないけれど、ぼくとしては涙がこぼれるくらいに温かく接してもらっているんだ」
「なるほど」
確かに恭介が学院に入学して一ヶ月するが、淡路島のクラスメイトは皆優しい。
彼女に無理させない様に一定の優しさでもって接している。仮に一定以上であると言えばそれは近衛四人衆の面々くらいだろうが、何だかんだで彼らも分別弁えている、と恭介は見てきた限りそう感じている。
「ただ、ありがたいんだけれど時々むーってなるのが、どうしても両親でね。特に父親なんだけれどぼくが病弱って事も相まってどうにも過保護過ぎる感じになっていると言うか……」
「それはありえそうだな、確かに」
恭介も思わず納得する。
自分の可愛い娘が病弱となれば父親としては当然のごとく彼女が辛くならない様に気を配りそうだ。特に姫海程に可愛い子となればなおさらに、そうだろう。
けれど姫海本人はそれを少しだけ抑制され過ぎの様に感じてしまうのもまた無理ない事なのかもしれないと恭介は思った。
(で、淡路島本人も自分の体の事もあるから強くは言えない――と言うところか)
「まあ、そんな感じでね。頭の冴える鍵森君なら大体察したと思うんだけどさ」
「おそらくはな。中々縛りが強いから――」
「うん」
あはは、と苦笑気味な表情を浮かべて姫海は答える。
「デートなんか一度もした事が無いんだ、ぼくは。だからしてみたい。普通の女の子のようにデートしたいなーって思ったから今日鍵森君に頼んだんだ」
なるほど、と恭介は小さく頷く。
確かに姫海の身体の容体を考えれば、それは当然の事なのだろう。普段から体が弱い彼女からしてみれば、おいそれと長時間体を動かす付加は並大抵ではない。だから今日までデートらしいデートを経験した覚えも無いと言う事か。
恭介は少しだけ言葉を悩んだ後に小さな声で問い掛けた。
「……俺が初デート相手で良かったのか?」
「十分過ぎるとも。鍵森君は格好いいよ。むしろぼくの方が大丈夫かなって気後れしてしまうじゃないか」
「それだけは逆だと思うぞ?」
肩をすくめてそう返す。
姫海くらい綺麗な女子相手の初デートとなると恭介の方が気後れしそうになる。
「しかし、そう言う理屈になると――四人衆の誰かじゃダメだったのか?」
「うーん、それも考えなかったわけじゃないんだ。けれどね、鍵森君」
眉をひそめて「想像してもごらんよ」と姫海は間を置いた後に、
「鬼一さん以外の三人ってなると――どうなるか」
「ふむ……」
恭介は思案した。
姫海の下で付き従う三人の男の顔を思い浮かべる。
「三つ巴の戦いを繰り広げていそうだな」
「正解」
あはは、と可笑しそうに笑いながら答える。
「前に四人と一緒に街中を歩いた事はあるんだけれどね――それはもう、しっちゃかめっちゃかだったよ。ごごう君は常にボディーガードみたいに控えていたし、都祁村君はルート上の安全面確認で視線を張り巡らせていたし、かりた君は周囲を威圧していたし、鬼一さんには過激な水着とか服装とかおすすめされたなぁ……」
「そりゃまた気苦労多そうなこったな」
「まったくだよ」
あはは、と姫海は苦笑を零したが、その後にふっと笑顔を浮かべて、
「けど楽しかったな。皆しっかりサポートしてくれながらついてきてくれて――ああいう騒がしさも嫌いじゃないって思ったりして……何て言うんだろうね。ただ凄いあったかい気持ちになったのも事実だから楽しかったなぁ」
「……そっか」
騒がしいし過保護気味だけれど。
あの四人が一緒にいてくれる日々を淡路島姫海と言う少女は心から幸福に感じているのだろうと恭介はその表情から感じ取れた。
「けど、やっぱりデートとかは一度もだからね」
「一度くらいしてみたかったと。そういうわけか」
「そういうわけだね、詰まるところは」
だからさ、と姫海は一拍の隙間を置いた後に、恭介をどこか試す様な不敵な雰囲気さえ滲ませる満面の笑顔で述べた。
「今日は最高のデートをエスコートしてくれる事を期待するよ、鍵森君。――それがぼくが君に求めるお礼なんだからさ」
その言葉に。
その笑顔に。
鍵森恭介は一度空を仰ぎ見た後にくくっと苦笑を零した。
「この野郎――お礼としちゃあ法外な程に厄介なものをふっかけやがってからに」
初デートを満喫させろ、と言うのか。
それはなんという難易度の高い要求か。何と言う高難易度のミッションか。
「出来ないかい?」
試す様な視線を向ける姫海に対して恭介は「バカを言え」と確かな声で応答する。
「上等だ――初デートに相応しい最高の一日を提供してみせるさ――それが俺のお礼返しになるんだからな。覚悟しておくがいいさ、淡路島」
デートの幕開けとは思えないさながら挑戦状を叩き付ける様な所作の恭介に対して姫海は表情を綻ばせながら鈴の音の様な挑戦的な声を鳴らす。
「しておくとするよ――それでこそ鍵森君だっ♪」
淡路島姫海と言う少女は実に気まぐれだった。
それが恭介のここ数十分での姫海への印象となっていた。
気まぐれと言うよりも気の向くままに、と言う方が近しい。好奇心旺盛と言うのとは少し違い、けれどなんとも心地よい振り回される感覚――それが姫海と一緒にしばらく歩いた恭介の感想だった。
適当に街中を歩いてはペットショップのガラスの向こうに見える動物たちの和気藹々とした姿に癒された様子で微笑を浮かべていたと思えば、「あ、ここ雑貨屋さんなんだ。可愛いのがあるんだね」と、雑貨屋のショーケースに飾られた品々に目を留めて瞳を輝かせたかと思えばゲームセンターを見つけて「うーん、相変わらず騒がしそうだね」と満面笑顔で可笑しそうに通り過ぎたり路上ライブをしている四人組のグループの音楽を耳にしては立ち止まって、しばらく聞き入ったりと興味の視点はぽこぽこと変わっていくのだ。
一言で言えば『振り回された』と言っていい様な一連の動きであった。
病弱な女の子に振り回されるとは何とも物珍しい事態である。
そして、そんな行動を一通り終えた、当の本人は、
「……」
ぐだっていた。
お前よくそんだけへにゃへにゃになれるなスライムか、と言いたいくらいぐだっていた。
街中に設置されているベンチの上でぐにゃーっと泥の様に脱力している。
そんな力の入ってない姫海が弱弱しい声を発した。
「疲れたよ、鍵森君」
「そりゃそうなるわ」
呆れた様子で苦笑を零す。
体が弱いと言うのに、あれだけ気分気ままに動いたらそうなるだろう。恭介としては病弱な御令嬢と言ったら御淑やかに色々興味を示して行動するんだろうか、と推測していただけに姫海がまさかこんなふうに率先して自分を振り回す様に色々な店舗に興味を示して行動に移すとは中々どうして鮮烈だった。
(コイツ、病弱なのは間違いないんだが、体と心の差が凄ぇな、おい)
例えるならば風邪になった状態なのに普段と同じように行動して全然平気、と自覚ないまま振る舞うのに近い。最終的に付けが来てぶっ倒れてるぶん、ある意味で性質悪かった。
「大丈夫なのか、あんなに歩き回って?」
「ははは、心配かけてしまったよね。ごめんよ」
はしゃぎ過ぎた、と自覚しているのだろう気まずそうな愛想笑いを返してくる。
「けど、大目に見ておくれよ。自由に歩き回れるって、テンション上がるものなんだよ」
そして次には頬を膨らませてジト目で睨んできた。
「そりゃまあ同感だ。だが、はしゃぎ過ぎてぶっ倒れたりすんなよ?」
「それはまあ、ゴメン。否定しようもないね。でも、なんだか久々に心から浮かれてしまっている自分がいてね。おかげで体、力入いんないや」
「浮かれてるのか」
「そう、浮かれてるんだよ」
何故かキリッとした表情で返された。かと思えばすぐにふにゃあと脱力する。
キリッとするのに力入るならしなければいいだろうに、と恭介は思いながら、小さく肩をすくめて呟く。
「ま、浮かれすぎない程度にな」
「デートで浮かれるなって酷じゃないかい、鍵森君」
「それでぶっ倒れられたら困るからな」
「そこを言われると弱いな。確かに鍵森君に迷惑かけちゃうしなあ」
姫海は渋面で苦笑を発した。
「いや、迷惑かけられてもいいけれどな」
「寛大な事を言ってくれるんだね、それはまた?」
「ああ、おんぶすりゃあ淡路島の胸が背中にくっつくし、お姫様抱っこすりゃあ街中を闊歩出来るから、俺としては役得、役得だ」
「……前半は許せるとしても、後半ぼくの羞恥が堪らないから止めてくれないかい!?」
――前半は許してくれる辺り中々心が広いな。
「お姫様抱っこは恥ずいのか?」
「恥ずかしい……かな。いや、嫌いと言うわけじゃないんだ。ぼくだって女の子だし、そう言うのに憧れが無いと言えば嘘になるし……け、けど、闊歩なんかされた日には翌日からどうやって生きていけばいいんだい鍵森君!?」
確かにとてもむず痒い毎日を送れそうである。
真っ赤になって狼狽する姫海を見ながら恭介は可笑しそうに笑いを零す。そんな様子を見ていて姫海は不貞腐れた様にむすっとした。
「まったく。きみは本当に意地悪だね」
「まあな。けど、折角のデートなんだ。はっちゃけて恋人っぽい事やってもバチは当たらないといいなー、と言うのが俺の意見だぜ?」
「そ、それは……むぅ」
姫海はそう言われて何故だか顔を背けて不貞寝を開始する。
「拗ねたのか?」
「拗ねるとか子供扱いは意義申し立てるよ、鍵森君」
じとーっとした視線で射抜きながら姫海が言う。
そんな姫海の態度にますます子供っぽさを感じてしまうのだが、それを言うと再三に渡りどやされそうだ。恭介は肩を竦めて「悪かったよ」と微笑交じりに答えた。
「けどさ。折角のデートなんだし、そこまで、とは言わないが、適度にはっちゃけた方が面白い気がするぜ? 楽しそうじゃないか?」
話題逃れにダメ元気分の発言を零す。
そんな事ないに決まってるだろう!? とか、怒った顔を見せるだろうか、と思いながらの発言だったが、存外にして姫海は検討する様子を見せた。なにやら「確かに言われると……」、「折角なんだし……」等々吟味する言葉を浮かべている。
「何だそんな前向きに検討し出すとは乗り気だな」
「う、うるさいな。いいだろ、別にそのくらい」
わたわたと真っ赤に染まった顔で姫海が反論じみた言葉を発する。デートが楽しみと言う先の発言は本物なのは間違いないのだろう。初めてのデートで浮足立つ気持ちも多分にあると言う事か。そこまで考えて恭介は微笑を浮かべる。
――なら出来うる限りはしてやらねぇと男が廃るよな。
この後何処へ行こうか。どんな場所へ足を運ぼうか。どんな場所に赴く事に価値が生まれるだろうか。恭介は姫海が喜びそうな場所を次々に思い描きながら、隣でふにゃっとしてる彼女へ尋ねかけた。
「もう少し休んだら歩けそうか?」
「ん、そうだね。もう少しすれば――」
と、そこで姫海の言葉が止まる。
どうかしたのだろうか? と、恭介は訝しむ様子で、彼女の視線が向かう先へと目を向けてみた。すると、目に飛び込んでくる店舗が一つ。
「……行ってみるか?」
「へ?」
ぽかんとした様子だったが自分と同じ場所を見ている事に気付いた姫海は少し間を置いた後に小さく「……出来たら」と呟いた。
3
そこは特に変哲無い洋服店だった。
二人が座るベンチから見える距離にある綺麗な洋服店。女子が喜びそうな華やかさを持ったオシャレな外観の店だ。だが、目ざとく目を見張るかと言えば、そう言うわけではない。ともすれば姫海が眼を惹かれた理由は店では無く、別件なのだろう。
恭介の手を握りながら傍まで寄ってきた姫海は、引き寄せられるかの様に視線をそれに吸い寄せられ、静かにその場所へと足を運ばせる。恭介は急にどうしたのか、と心配に思ったが店のショーウィンドウを見て、彼女の視線が何かを凝視しているかを見抜いて「ああ」と声を零す。なるほどこれを見ていたのか、と。
ウィンドウの中に飾られた一つの帽子。
真っ白な縁の広い綺麗な帽子。夏空と海がとても似合いそうな清楚なイメージの帽子であった。姫海はどうやらそれに興味を惹かれたらしい。
中腰になってそれに視線を注ぎキラキラと瞳を輝かせる姫海は何とも愛らしく、思わず恭介は表情を柔く綻ばせながら問い掛けた。
「それ気に入ったのか?」
軽く恭介を一瞥した後に、姫海は柳眉を微かにしかめながら、苦笑を零す。
どう見ても気に入っていそうな様子だったのに、どうしてそんな表情が浮かんだのか恭介は少しだけ気になった。
「どうかな。けど、すごい良いデザインだと思わないかい?」
「確かに。海辺にしっくりきそうな帽子だもんな」
「うん……!」
どうやら大層お気に召した様子だ。
恭介と会話しながらもまったく視線を逸らす様子が無い。そんな様がどこか可笑しくて微笑を浮かべながら尋ねかける。
「淡路島は帽子が好きなんだな?」
「何故そう思うんだい?」
静かに呟かれた問い掛けの声音が何処か複雑な響きを含んでいる事に勘の鋭い恭介はなんとなしに気付くも、ここで踏み込んだ言葉が出せるわけもなく、ある種、在り来たりな返答を返す事にした。
「いや、日光避けってだけの理由もあったかもしれないが、この集中ぶりを見せられちゃな。その帽子も自分で選んだものなんじゃないのか?」
「まぁね。選んだと言えばそうかな」
「中々ボーイッシュな代物を選ぶよなお前も」
姫海が今日愛用している帽子は女子のものとしても使えるが見た限り男子用の代物だ。
一人称が『ぼく』な事もいい、中々にボーイッシュな少女だと恭介は思う。その容姿の愛らしさや女性的な起伏に富んだプロポーションとまたギャップの差が実に魅力的だとも思える。
「ボーイッシュか……。まあ、ことこれとかに関しては多少事情が違うんだけれどね」
しかし姫海は、恭介の言葉に何処か複雑な声色を織り交ぜた。
――帽子は事情が違うのだろうか?
「そうなのか?」
「うん。これは家に置いてあった忘れ物をこっそり拝借して以降、サイズが合わなくなってきたから同じ会社の比較的デザインの似たものを購入したんだよ」
そう言いながら少年的なキャップ帽を指でぴんと弾く。
「後半はいいが、前半何を拝借してるんだよ」
恭介は思わず苦笑を浮かべて返す。
サイズが合わないと言った以上は幼少期の事だろうが、子供の頃に拝借とは姫海もその頃は色々悪戯でもしていたのだろうかと何処か可笑しくなってしまう。
姫海は少しバツが悪そうにしながらも、
「一応返す気はあったんだよ? ぼくの家は何だかんだで名家だからね――当時から父の知り合いとかは大勢出入りしていたし子息の方々なんかも出入りしていたから。だからその帽子も御子息の誰かのものだと思って被ってれば誰か気付いて取りに来る――と、思っていたんだけれどね。結局誰も現れず、ぼくがそのまま愛用する形になっちゃった――というわけさ」
子供の頃と言う事で時効にしておくれよ、と姫海は舌をちろりと出しながら呟いた。
「なるほどな。まあ、淡路島可愛いし男心としちゃあ被ってもらってえへへ、とでもなったんじゃないのか?」
「か、可愛いとか言うなよ、照れるじゃないか!」
恭介の言葉に姫海は、耳まで真っ赤になってあわあわと焦った様な反応する。
「ま、まあ、ぼくがその当時にはもう病弱だった事もあるし、話しかけ辛かったとかも否定しきれないところだけれど……その頃にはガードマンも多かったしなあ」
「ああ、そうなのか? それは確かにあるかもな。寄り付き辛そうだ」
そう言いながら恭介はちらりとキャップ帽子に視線を送る。
(見たところブランド品とかじゃねぇからな。ってなると存外失くしても痛手とかじゃない代物だったのかもしれないな)
まず間違いなく大量生産品。一点ものオーダー等では無いだろう、このデザインを見る限りは。少年期の子供が愛用しそうな活発さが垣間見える帽子だった。
「何にせよ愛用してもらえたんだ。その帽子も幸せだったろうさ」
「……だといいな」
姫海はふわりと微笑を浮かべる。
「その帽子かぶってると妙に落ち着いたのをよく覚えているんだよ。だからサイズが合わなくなった時は思わず泣いてしまったなぁ」
「泣いたのか」
恭介が可笑しそうに相槌を打つ。
「うん、泣いた」
照れ気味に姫海が頷いた。
「お恥ずかしながらね。サイズが合わず被れなくなったってだけで、えんえん泣いたんだよね当時。だけれど、それもあって父が『待っていろ姫海ァ! 同じやつを草の根分けても探し出してやるからなぁ!』って凄い剣幕で手に入れてきたのがこの帽子なんだよね」
「ほー、道理でな。いい親父さんじゃないか」
「うん、自慢の父だよ」
本人に言うと号泣されるから絶対言わないけどね、と舌をちろりと出して悪戯っ子の様に告げる姫海。確かに話通りの父親なら訊いた瞬間に感涙にむせびだすかもしれないな、と恭介は思って肩を震わせながら口元を抑える。
「楽しげな親父さんで何よりだ」
「まぁね。でも笑い過ぎだぞー鍵森君」
「すまんすまん」
いけないんだー、とニヤニヤする姫海に対して恭介は軽く手を合わせて謝罪する。
「まあ、いいけどね。お父さんだし」
「お前の父親への扱いもいけないんだーに属する気がするがな」
「ぼくはいいのさ。娘なんだから」
「こいつめ」
ふてぶてしく言い放つ姫海に可笑しそうにしながら恭介がツッコミを入れる。
ゴメンゴメン、と舌を出して悪びれる気配無く謝った後に姫海は呟く。
「まあ、だからかな。鍵森君のさっきの問い掛けに答えるならイエスだよ。ぼくは帽子が大好きなんだろうね」
「なるほどな。理由ありきか、納得したよ」
過去からくる愛着の様なものなのかもしれない。
それで、と間を置いて姫海に問い掛ける。
「そんな帽子好きのお姫様はコレどうするんだ? 気に入ったなら買った方がいいんじゃないか? 時期もすぐに夏になるだろうし――似合うと思うぜ?」
「そうだね――」
姫海は恭介の言葉にしばし考えに耽る様に沈黙した後に、
「いや。やっぱりいいや」
と、思いのほかサッパリとした決定を下した。
「……いいのか?」
あれほど気に入ったなら購入しておけばいいと恭介は思う。
価格は確かにそこそこするがそれにしたって姫海の手に届かない値段ではないだろう。
しかし姫海は首を振って、
「いいんだ。確かに心から気に入ったんだけど、どうしてかな」
姫海は何故だか物憂げな表情を浮かべながら、
「僕が買って被るには――何でだか戸惑いがあるんだよね」
「戸惑い?」
「うん。珍妙な話だけれどね――けど、いいんだ」
名残惜しそうにしながらもどこか諦観した様な複雑そうな表情を浮かべながらも姫海はそっとショーケースから身を離した。
「だからほら――行こう鍵森君」
そう言って恭介の手を取って歩き出す姫海。
彼女がそう言う以上は強くいう事も無い恭介である。大人しく「わかった。なら次はどこへ行くかねー」と陽気な声を発しながらも恭介は何となしに感じ取っていた。
姫海から微かに薫る――物寂しい様な、そんな切ない雰囲気を。
4
洋服店のショーウインドウを後にした二人はその後も、姫海が恭介を引っ張ると言う形で街中をぶらぶらと歩き回る形となった。
近くのカフェテラスでコーヒードリンクを頼んで、それを片手に様々な店を軽く訪れては談笑を交えながら次の店へと歩いていく。そんな風に和気藹々とじゃれ合う様に言葉を交わす二人だったが、途中姫海が少し苦しそうにした為に恭介は近場のデパートに寄ると姫海の手を引く形でお手洗いへと先導する。
姫海の「ごめん、すぐ落ち着くと思うから」と言う弱弱しい申し訳なさそうな声に「気にするな」と返してから「一緒に行った方がいいか?」、「エッチ」と言うくだらない会話を後にして姫海はどうにかトイレの中へと消えていった。
(……アイツもやっぱ大変なんだな)
病弱。
やはり、病気を常時抱えていると言うのは身体的にも精神的にも厳しい付加がかかっているのだろう。実際、学校でも何度となくこうして付き添う事があった為に理解している。
(後は、アイツが倒れてたりしないかどうか気を張っておかねぇとな)
外で待っていたら何時までも戻って来ずに『遅いな』と間抜けな様を曝し、中へ入ってみれば相手が倒れていた、なんてことになったらシャレにならない。恭介は神経を尖らせておく事としながら、
(……俺もトイレ行っておくか)
張り詰めすぎても仕方ない。
姫海を待つ形で恭介も男子トイレへ入って事を済ませた後に、容体が落ち着いた様子で「心配かけたかな。ごめんね、鍵森君」と申し訳なさそうながらも、大丈夫そうな姫海を見て恭介は良かった、と笑顔を浮かべた。
「んじゃ、疲れが溜まっても仕方ねぇし。どこかで一息つくか」
「それはありがたいね。どこかのカフェにでも寄るのかい?」
「いや、昼時だ。メシにしとこうぜ」
お昼かあ、と嬉しそうに笑みを浮かべる姫海の手を引く形で恭介は近場で自分が知る美味い店へと足を運んだ。
午後一時。
丁度いい空腹感に苛まされた二人が訪れたのは、当然ながら両名知っているわけもないが、奇しくも日曜日に日向とエリカが訪れたイタリア料理店『トラットリア遊佐』であった。
「鍵森君、鍵森君。ぼくここを訪れるのは初めてだけれど美味しいのかい?」
「味は保障するぜ。それに店内の雰囲気も丁度いい塩梅だしな」
姫海の境遇を考えるとまずこういう店には来た事は無いのではないかと恭介は思う。
外食もおそらくは高級料理店とかの可能性はかなり高い。
だからこそ舌の肥えているお嬢様を招くにはどうするか――と考えて恭介は率直に美味しいと評価出来るこの店を選んだ。前々から店の店主とは旧知の間柄という事もあって、彼としては行きやすい店舗だ。
恭介は「んじゃ、入ろうぜ」と促して姫海と共に入店する。
店内へ入るとベルの涼やかな音色が響いて、店内から渋い声で「おう、いらっしゃいませ」と耳に届く。声の主はそこまで言ったところで、恭介であると気付いた様だ。
「って、おお、恭介君じゃねーか。しばらくだな」
「ああ、しばらくぶりだなおじさん。ランチ頂きにきました」
「御贔屓にどうも。それはそれとしてだ恭介君」
笑顔で手招きする店主に姫海は「?」と疑問符を浮かべるも恭介は何となく察している様子で苦笑を浮かべながら近づいていく。そうして傍まで寄って行った恭介の肩を店主は途端ガシッと抱き寄せた!
そして小声で興奮した様子で問い掛ける。
「恭介君、私はまだ自分の息子と同年代付近の子の葬儀には参列したくないんだよ!」
「唐突にして意味がわからねぇ!」
まったくもって意味不明な発言だった。からかわれたりするんだろうなー、と言う推測が飛躍的に外れたくらいである。意味不明だった。
しかし、店の店主である遊佐京一はやれ心外とばかりに渋面を浮かべて告げてくる。
「意味が分からないって呑気だな、恭介君。私は君がここに来るたびに、葬儀の可能性を危惧してしまう羽目になってると言うのに」
「冷やかし飛び越えて何で葬儀に行きつくんすかねえ!」
普通、女の子連れの知り合いが来たら冷やかし入れる程度ではなかろうか。
少なくとも恭介ならば茶々を入れる。容赦なく入れる。
しかし京一は厳かに首を振って否定する。
「いや、他の子ならまだしも、君は別だよ恭介君。昨日も店で前にアルバイトで雇ってた知り合いの子が茶髪の綺麗な子を連れてきて様子を軽くニヤニヤしながら娘共々見ていたが、君は別だ」
「何故っすか」
別枠扱いされて肩を落とす恭介。そんな恭介の肩にぽんと手を置きながら、京一は静かな声音でこう告げた。
「だって君――何時か、刺されそうじゃないか」
「何て嫌な印象だ」
願い下げどころではない。金払ってでも引っぺがしたい印象に唖然とする。
自分のどこにそんな印象が生まれる要素があると言うのか――。
「そうは言うがなあ……。まず手始めに、学校でも可愛い可愛い、癒される、と評判の礼愛ちゃんが妹だろう?」
「そうですね。自慢の妹だと自負しています。将来的に面倒見る所存です」
キリッとそこまで断言した恭介に京一は呆れ交じりの嘆息を発したが、ふるふると諦めた様に首を振ってから、更に言葉を続けた。
「次に、幼馴染って事で同中で有名であり、君にぞっこんの北流君がいるわけだ」
「ええ。言動共に過激なんで大変っすけどね。ここ最近は夜逃げ――距離置いてるんで、どうなったかは知らないですが」
「君なあ、彼女此処に探しに来たりもしたんだぞ?」
「ははは、でしょうねー」
空笑いで返す恭介に対して頭を抱える京一である。
「そして、それだけじゃない。君、ここへ来る時に度々、別の女の子連れてきたりもするじゃないか? あの時点でいったい、何人の女の子と関係があるのか……」
「別にそんな深い関係じゃないっすけどね。大抵何か事件とかに関わってうんぬんってだけで終われば、そのまま別れてますし」
「別れ際、惜しまれたりしたかい?」
「毎回ですかね、それは」
さっと視線を逸らしつつ呟く恭介に対して京一は苦い表情で「何時か嫉妬関係で刺されたりしそうでならないよ君は」と零す。
思わず恭介もそんな気がしてきた。
確かに羅列されてみると致死率高そうだな俺の現状、とぼやいてみる。
(だが大丈夫。きっと大丈夫だ。俺、悪い事やってねーし。もっぱら人助けだったし)
うんうんと頷いて恭介は最悪の想定を振り払う。
「ともかく、淡路島――コイツとはそんな深い関係ってわけじゃなく、クラスメイトって立場ですし心配は不要ですよ」
「そうなのかい? おじさん、葬式参列本当に嫌だよ? 参列した時、何てコメントしたらいいのかわからなそうだし」
「若い身空で葬式うんぬん言われる俺の内心もコメント難題なんですけどね!」
恭介はいいからさっさと会話を切り上げよう、と気持ちを切り替えた。
「とにかく、さっさとメシにしたいんで案内してくださいよ」
「おおっと、それもそうだね。これは失礼したよ。いやあ、本当に不安でね……」
「本気で不安そうな顔止めてくれます?」
怖くなってくるから止めて欲しい限りだ。冷や汗が酷い。
「まあ、席は空いてるからすぐに案内させるよ。蕾―」
声を少し大きめに発すると店内から「はいはい、今行くねー! っと、鍵森さんか。お久しぶりじゃない? それでまた違う美少女連れてるや……何時か刺されたりしないよね?」と、ありがたい心配の声が上がった。
何だ自分はいったい女性関係どう思われているんだ。一回、洗い直すべきか、と思う恭介だった。やはり冷や汗が止まらない。
「大丈夫かい、鍵森君? なんだかよくわからないけど」
「そうだな。俺も大丈夫だと信じたいよ」
隣に寄ってきて不思議そうに見上げてくる姫海に対してそんな強がりを言うのが関の山な恭介であった。
第五章 海辺へ寄り添う勧進木・前篇




