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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Quatrième mission 「ヒーローと休暇」
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第三章 仲篇:エリカとしみじみ

第三章 仲篇:エリカとしみじみ


        1


 新橋(シンバシ)エリカの人生の大きな分岐点の訪れ――それは幼い頃へと遡る。

 少女には信頼の父親がいた。

 なにかにつけて何処か不愛想だが、それでも妻子へ優しさを向けていた父親が。

 少女には大切な母親がいた。

 天真爛漫な笑顔をいつも家族へ向けていて皆を温かく抱擁してくれる母親が。

 少女には自慢の実姉がいた。

 サバサバしていて気さくで立ち振る舞いが何とも憧れる程の頼り甲斐のある姉が。

 家庭としても幸福な事に温かい団欒に恵まれており、心地よい春の日差しの様なぬくもりに包まれながら、新橋エリカと言う少女の人格はとても真っ直ぐな形で育まれていった。それは誰もが羨む様な優しい風景であったのは言うまでもない。

 父の頼もしさに触れながら。

 母の温かさに感じ入りながら。

 姉の優しさに守られながら。

 エリカと言う少女は日々をすくすくと曲がる事無く、夢の様な、優しい家庭の中で生きてきたのだ。


 しかし――、そんな彼女の幸福が瓦解する日が訪れる。


 記憶を辿ればそれは休日の始まりだった事を覚えている。家族団欒に思わず笑顔を浮かべ続けてきた休日の朝方だった。朝九時に鳴り響く、いつも通りの目覚まし時計の音で彼女は普段通りに起床した。

 けれど、その日は毎日の情景とは異なっていた事も克明に記憶している。

 いつもどこか余裕を崩さない格好いい姉が実に珍しい事に余裕の浮かばない、切羽詰まった表情を、蒼褪めた顔つきでエリカの元へ駆け寄ってきた事を。肩を抱く手が小刻みに震えていた事を鮮明に、全て、覚えているのだ。

 そして姉は信じ難い事を呟いた。


 ――お母さんが、死んでる……。


 何を言っているのだろうか姉は。

 茫然と信じたくない気持ちに心が満たされたのを覚えている。母親が死ぬわけなどありはしないのに――けれど、エリカは理解してしまう。何故ならば、姉がそんな冗談の類を言うわけがないし、何よりも彼女の形相が否応なく事実であると物語っていた為だ。

 だからエリカは嫌だ、と思いながらも理解してしまった。

 姉は震える声で「朝、起きてリビング行ったら、血塗れで……」と言う言葉を肯定するかの様に彼女の体にも所々に真っ赤な染みが浮かんでいた。おそらくは母親へ駆け寄った際に付着したのだろう。――そしてそれが現実を更に直視させてしまう。

 そこまで考えが及んでエリカはハッとした表情で呟いた。

「お、おとうさんは……」

 父も死んでしまったのだろうか? 何故一緒にいないのだろうか?

 エリカはこわごわと問い掛けた。

 しかし姉の返答はおおよそ、エリカにとって一番信じ難く――最も信じ難いものだった。

 姉は逡巡の様子を見せ、視線を辛そうに逸らして、

 ――逃げたよ。

 と、零した為にエリカは「え?」と間の抜けた声を洩らす。

「……わかんないけど、テーブルに『じゃあな』って書いてある借用書だけ置いてあった……。私達に借金だけ押し付けて……」

 ――どっか行っちゃったよ……!

 憤怒か哀切か判別しがたい複雑な感情を織り交ぜた声で姉はそう辛そうに告げた。

 借金。

 いくらなのだろう? 小学生のエリカにはわからないが、それでも借金と言うのが大事であると言う事だけは理解出来ていた。そしてそれを小学生の姉妹の双肩に背負わされてしまっていると言う事はとてもではないが理解の及ばない話――荒唐無稽にして滑稽な程、皮肉に塗れた現実を押し付けられた事を実感してしまう。

 小学生がそんな事で悩むなど――なんと無慈悲な事なのか。

 脳内がキャパシティを超えてしまう様にこんがらがるのを感じながらエリカは唯々事態に対応する事が適わずしばし呆然としていた。

 起因は果たしてどちらなのだろうか。

 父が借金を押し付けて蒸発したから母が自殺したのか。

 母を殺して父は借金を我々に押し付けて逃げたのか。

 起因となったものがどちらなのかは今となってはわからない。

 わかったところで得るべき答えなどあまりにも理不尽な気がする。

 そんなエリカだったが一つだけ理解出来る事があった。

 それは――、



「――っていう感じで私達姉妹は最終的に借金取りに追われて、路頭に迷う形になったって感じなのよね……」

 エリカは重々しい溜息を一つ零した後にコップの水を一口煽る。

「それでお姉さんとも……」

「そうね。途中で私を逃がす形で離れ離れになっちゃったな、当時は」

 大まかな話を訊いて弦巻(ツルマキ)日向(ヒナタ)は悲しげに目を伏せる。

 壮絶な人生だと言って過言では無い。

 幼少期に最も身近で、実の父親から手酷い裏切りを被った――幼心にそれはとてつもない痛烈な傷心の痛手となっただろう事は容易に想像も及びつかないものだ。それを考えればエリカにまつわる話の『男が苦手』と言う気持ちになってしまってもなんらおかしくはない。

「……辛い事お話させちゃってすいません、エリカさん」

「別にそんな暗くならなくたっていいっての」

 エリカは小さく頭を左右に振った。

「確かにね。それは辛いことなんだけどね。けどさ――それを拭い去ってくれるくらいに感謝の絶えない出会いがあったから、私は」

「それが――」

「そ、ユウマとの出会いね」

 ――それは寒風吹き荒ぶ寒空の下での出会いであった

「私がさ。『私なんか誰も助けてくれないんだ』なんて思って、世界はなんて冷たいんだろうって途方に暮れて、挙句は死んじゃうのかな私って――そう思った時にユウマは来てくれたのよね」

 ――少女は今でも鮮明に覚えている。

 ――寒空を。寒風を。冷え切った心を。

 ――唯一人の少年がそんなもの吹き飛ぶ程に温めてくれた追憶を。

「身寄りも無く、身元もわからない私を家に招いてくれたのよ。そこが新橋家でね。温かく迎え入れてくれたのよ」

「いい家族の人達なんですね」

「ええ、私が胸を張って言える最高の家族かな新橋家は。だって突然現れた私を面倒みてくれて借金まで肩代わりしてくれた上に、その後は養女として迎えてくれたんだもん。その時の事なんて『うちの子になっちゃいなさいよー♪』ってすっごく気軽な感じでよ? 信じられないくらい優しい人達なのよ」

「凄いですねー……!」

 日向は感激した面持ちを浮かべた。

 彼女を追いこむ借金を払拭し、その上彼女の家族となった。前途多難であったエリカに手を差し伸べてくれた兄のユウマ。そして息子が連れてきた少女を手厚く迎え入れて家族として共にある事を望んだ新橋家のご両親。

 ――なんと幸福な事だろうか。

「だからね、弦巻。私は自信を持って言えるのよ」

 ――だから新橋エリカと言う少女は堂々とこう言えるのだ。

「私は不幸なんかじゃなかった」

 ――愛すべき出会いと家族に培われた日々で逞しく成長し得たエリカと言う少女は瞳に確かな強く明るい皓々とした光を放ちながら輝く笑顔で告げる。


「この上なく最高の幸せに恵まれていたんだって――私は幸せ者だって世界中の人に向けて言えるくらい、私は幸福なのよ」


 家族へと向けられた天晴れな程に美しい笑顔。

 弦巻日向が初めて見る程に素晴らしき笑顔。それをエリカは心の底から浮かべていた。

 ――凄すぎるなぁ。

 日向は目尻に涙を浮かべて内心で思わずそう零してしまった。

 暗く悲観的であるであろう本人にとって最も忌むべき記憶がある。けれど彼女はそれを逃げずに跳ね除けて本心から告げているのだ。

 自分は『幸せ』である、と。

 意地っ張りでも肩肘張っているわけでも張りぼてでも伊達や酔狂でもありはしない!

 エリカは心からそう物語っていた。

 辛い事があれば苦しいだろうに、エリカは強情でもなんでもなく、本心からその言葉を吐いている。そしてその過去の苦しみがあろうとも今へと繋げて至上の笑みを浮かべてさえ見せたのだ。

 ――自分とは大違いだ。

 日向は自嘲気味に眉根を伏せた。

(僕は辛い事が起きても仕方ないんだって諦めてばっかりだったけど……エリカさんは違うんだな。辛い事も受け止めて前へ進んでる……凄く強い)

 凄いと思った。

 彼女自身が紡ぎ出す本当の意味での強さが。心から感動さえ覚える程に。

 同時に――彼女がそうある様になった大きな理由――新橋家の家族を想うと尊敬さえ抱いた。一人の絶望に暮れた少女をここまで強く育んでくれたであろう家族が。

「凄いです、エリカさん」

 日向は優しい笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。

「そんな事があったのに悲嘆に暮れず前向きで――見習わないとです、僕も」

「そう? 見習う程の事は無いと思うけど……」

「いえ、見習いたいです。――そっか、そういう経緯があるからエリカさんはこんなに綺麗で輝いていて見えるんですね……」

「……何かこっぱずかしい言い方だけど、まあ、ありがとね」

 エリカは心底照れ臭そうに頬をかきながら視線を逸らしてそう返す。

「はい、頑張りたいです!」

「何を頑張るかよくわかんないんだけど、まあ頑張るって決めたなら応援してるわよ」

「ありがとーございます♪ 頑張ってエリカさんの傍にいたいです♪」

「本当に何を頑張る気よアンタは!?」

 エリカは真っ赤になって怒鳴るが、日向としては本当に頑張りたかった。

 彼女の様な努力家な少女の傍にいられる様に――努力したかったのだ。

「けど本当に凄いですね、エリカさんの家族。新橋家の皆さん。特に――ユウマは」

「まあね、最高の家族だもの♪」

 それに、とエリカは呟いて、

「両親もそうだけど、ユウマはね。義理の兄だけど本当に大切な兄なのよね。本当の兄以上に兄って言うのかな感覚的には」

 そう零すエリカの表情はとても慈愛に満ちた優しい表情だった。

 家族の事を語るのが心の底から誇りであり、嬉しくてたまらないと言った様子で日向は見ていて心が穏やかな気持ちにもなる程に――。

「エリカさんはゆーまの事が大好きなんですね♪」

「う」

 エリカは恥じらう様に頬を朱に染める。

 学院ではエリカは兄と共にいる事が比較的多いのを日向も知っていた。学食なんかでもそうだ。それでブラコンだなんだと言われている話も耳にしている。

 僅かにもじもじとしながらも最終的に、

「……まあ、大切な兄だからね」

 と小さく零した。

「ゆーまもエリカさん大切にしてる感じしますし、仲良しですよね♪」

「……うあ、恥ずかしいわね、何だか」

 エリカは恥ずかしげに縮こまりながらコップの水を一飲みして落ち着こうとする。

 そんなエリカを見ながら日向は兄妹仲が本当に良いんだな、と思い優しい気持ちになった。


 けれど同時に――一抹の切なさを覚えた。


 それが何なのか日向はよくわからない。

 けれど兄の事を語る時のエリカの表情を見て何故だかチクリと胸が痛んで、どうしてだか微かに仄暗いヤな感じの感情を抱く。それはあまりにも抱いていて恥ずかしい様に思える感覚で日向は何とも自分を殴りたくすら思えてしまう。

(……何だろう、この自分に少しだけ嫌気が差す感覚)

 わからない。

 抱いた覚えもない感触だった。

 エリカがユウマの事を大切な兄と発言した事は素直に穏やかな気持ちになれたと言うのに、どうしてだか若干、微かに醜いとさえ自責する感覚を感じてしまった。

「――羨ましいなあ」

「へ?」

 ぽつりと零れた声にエリカはきょとんとしてしまう。

 羨ましい。そう呟いたのだとわかる。

 ただ何で羨ましい等と言う発言が零れたのか不思議でならない。

 唯、言える事はユウマが格好いいと思うと同時に――羨ましかったと言う羨望だった。

 彼女にここまでの笑顔を浮かべさせるユウマと新橋家の家族が。

 日向は何を変な事を考えているんだろう、と自分で不思議がりながらも思った。


 ――僕も、エリカさんにああいう表情浮かべて貰える相手になれるだろうか?


 と、そこまで考えてそれが何故なのかに疑問を抱いて小首を傾げる。

「何がよ?」

「えと……」

 問われて日向は「うーん」と悩んだ後に、

「よくわかんないんですけど、エリカさんがゆーまの事言ってた時の顔見てたら何だかゆーまが羨ましいなって思っちゃったんです。……何だか少しだけ、自分にヤな感じしました」

「羨ましいって……」

 素直に隠す気配も見せずそう告げられてエリカは少し困惑した素振りを見せる。

 本人が言う通りよくわかってはいないのだろう。ただ、羨ましいと言った以上は自分に連なるのは間違いないのだと理解する。

(えと、どういう意味よ?)

 よくわからずに首を傾げた。

「話すの何だか恥ずかしい気がします……」

「そうなの?」

 小さく「はい」と零す日向にさてどうしたものか、とエリカは逡巡し、

「無理強いはしないけど、何かもやもやしてるなら話した方がすっきりするわよ?」

 と、優しく語りかけた。

 日向は少しだけ恥ずかしそうに縮こまった後に「……変に思わないですか?」と零した声に「思わないわよ」と優しく答えると日向は「そのなんですが……」と前置きを置いて語り始めた。本来であれば胸中に留まっているはずの感情を――素直とエリカへの好感度から容赦なく発露に至る日向であった。

「何だかゆーまを羨ましいなって思ったんです」

「どうしてよ?」

「僕、ゆーま凄く好きですし、今の話で尊敬もしてるんです。なのに羨ましいなって思っちゃって何だか嫌な子な気がして……」

「ん、ユウマを好きってのはありがとだけど尊敬?」

 エリカは小首を傾げた。

 そんなエリカに日向はこう零す。

「正確には新橋家の皆さんにでしょうか? だって、ゆーまがエリカさんを救って、ご家族もエリカさんを迎え入れて、その結果エリカさんこんな素敵な女性に育って、だからこそ今こうして僕はエリカさんに出会えていて、凄く大好きになってるんです」

「……」

 エリカは何をさらりと言っているんだコイツ、と思いながらも「……それで」と切羽詰まった様な声ながら先を促した。

「それでですね。そこまではいいのに、何故かゆーまやご家族の皆さん素敵だなって思いながらも羨ましくなっちゃったんです。皆さんはエリカさんにあんな素敵な笑顔を浮かべさせる様な存在なんだなって意識したら、凄く羨ましくて……」

「…………へ?」

 エリカが思わずぽかんとした表情を浮かべるのだが日向は気付かず話を続けた。

「それで思い至った事が、僕もエリカさんにあんな笑顔を浮かべて貰える様な存在になりたいなーって言う想いで……! そこまで考えたら、そもそも何でそう言う風に思ったのかなってもやってして、それとゆーま達が羨ましいの何でだろうって不思議に思ってしまって。ゆーまたちは純粋な善意からなのに僕は何だか羨ましいってだけで……何か俗物的な気がして凄く恥ずかしくなっちゃったんです――ってエリカさん?」

 そこまで話終えたところで顔を上げるとエリカがゆでだこの様に顔を真っ赤にさせていた。

 どうしてそんなに赤いんだろうか、と考えて日向はハッと気づく。

(やっぱり変な事言って怒らせてしまったんだ……!)

 概ねその通りなのだがニュアンス的に大きな違いがあった。

 日向がそんな事を想い「あう……」としょんぼり気味な表情を浮かべるのに対してエリカは顔中真っ赤にさせながら、

(な――、なによそれ……!?)

 と、動揺の渦中にあった。

(わ、私を笑顔に自分もさせたいとかって何よその発言……!? て、っていうか、弦巻の言ってる事って要はユウマや両親の事を羨ましいって、それ……!)

 要は――拗ねる様な、不貞腐れる様な、小さな感情なのだろう。

 自分もそうありたい、と思ってしまったが故の感情の発露。新橋エリカはさして、そういった感情に機微があるわけではないが、それでも、そこまで面と向かって言われてわからないわけがない。

(それってつまり、嫉――)

 そこまで考えかけたところで、

「や、やっぱりこの話は置いておきます!」

 と、日向が慌てる様子で制止を入れてきてエリカは「え?」と零す。

 そんなエリカに対して目尻に少し涙を浮かべながら、

「だって変な事言ってエリカさんに嫌われたくないです。好きとまでは高望みしませんし普通なんて望みませんけど、嫌いじゃないくらいに思っててもらいたいです……!」

 と、そんな事をまた随分素直に述べてきた。

 それにしても。

(いや、どこまで自己評価低いのよアンタは……!)

 そう思いつつもエリカは顔を更に赤くさせる。

(そんなに――私に嫌われるの、嫌、なんだ……)

 だから変な事を言う奴と思われたくないのだろうと考える。エリカとしては日頃から変な発言してばっかりでこっちを恥ずかしい想いにさせてるじゃない、と零したかったのだが、どうにも空気がそれを許してくれない。

 そうして何やら不思議な空気が漂って、しばらくした時に日向がぽつりと零した。

「けど心配です」

「……え? 何が?」

 話題が変わった空気を実感しながらエリカは何が心配なのかと問い返した。

 それに対して日向は「その」と前置きして、

「お姉さんの方は……無事なんでしょうか?」

「ああ、それね」

 いやに簡素に反応されて日向は訝しむ。

 姉との生き別れと言う辛い事であっただろうはずなのに、と思う日向に対してエリカはあっけらかんと答えた。

「もう再会してる大丈夫よ?」

「そうなんですか……!?」

「ええ。二年くらい前にね」

 エリカは首肯する。

「今はアレなのよ。私が新橋に養女として、とは別に姉の方は徳永家って言う家にメイドとして入っていて無事だったみたいなのよね」

「わー、それは良かったですねー……!」

 心からそう思えた。

 彼女の生き別れの姉が無事再会できたと言うのは実に朗報だ。

「けど、徳永ってなんだか聞き覚えあります」

「そりゃそうでしょうね。シラヅキの理事だもの」

 そう言われて日向は「ああ!」と合点がいった様子を浮かべる。

 確かに何時だったか批自棄から七理事と言う存在を訊いた際にシラヅキの理事長は徳永と言う話を訊いた覚えがある。

「なるほどー……!」

「ま、私も無事だってわかった時は本当良かったーって胸を撫で下ろしたわね」

「エリカさんのお姉さん無事で良かったです♪」

「ん、ありがとね」

「どんなお姉さんなんですかー?」

 その言葉を訊くとエリカは「そうね……」と何故だか遠い目をして、


「――完全無欠のメイド、かしらね」


「……どういうお姉さんなんですか……!?」

 日向は畏怖する。

 エリカだって日向からしてみれば完璧超人みたいな優等生なのにそのエリカが完全無欠とまで言いせしめる姉はいったいどれほどの存在なのか。

「まあ、やる事成す事全部凄いって言うかね」

「そうなんですかー……!」

「学院の敷地面積も半日かからずに掃除し尽くしたって業績もあるらしいし」

「あの学院の規模、東大以上って訊きますけど!?」

「何か警察に強いパイプ持ってて、顔パスで捜査に参加出来るそうだし」

「何でですか!?」

「後は一度も使った事が無いものでも達人なみに操舵出来るのよね、飛行機とかも」

「どんな手腕してるんですか!?」

「それ全部『メイドですから』で片づけちゃうしね」

「メイドってそう言うものでしたっけ……!」

 やはり唖然としている光景に「一度見れば納得すると思うわよ?」とエリカは告げておく。そう一度関わり合いになれば否応なく理解しえるのだ。初めは信じ難いだろうが、純然たる事実であるのでエリカは訂正を入れはしない。日向も何時か理解する時が来るだろうくらいにエリカは「ああ、それと」と最後に一言。

「容姿は私に凄いそっくりで、いつも笑顔がにこにこしてるのよね」

「完全無欠納得しましたっ」

 すると速攻で納得された。真っ赤な顔で頷かれた。

「待ちなさい弦巻、どうしてそこで納得したのよ!? っていうか何で真っ赤なの!?」

「だって、エリカさんが笑顔にこにことか想像したら僕死んじゃいそーですもん……! そんなの絶対美人さんですもん……!」

「はい!?」

 エリカは真っ赤になって仰天する。

 何を想像して日向が真っ赤になっているのか理解して羞恥で肩を震わせた。と言うよりも本人が言っていた発言まんまなのだろうと推察する。

(けど、それはお姉ちゃんだからであって、私の方は別ににこにこしてたって可愛くも何ともないってのに、ああもう……!)

 怒った様に日向を睨むがエリカに見つめられて日向はぽふんっと赤くなる始末。

「……なに、想像してんのよバカっ」

「え!? あ、その……笑顔のエリカさんですけど」

 真っ赤になって恥ずかしそうに零す日向の様子にエリカも赤面しつつ、ムッとした態度でつっけんどんに返答した。

「……想像したら怒るから」

「何でですかぁ!?」

「何でもよ!」

「あう……。でも、その……エリカさん」

「何よ?」

「怒った顔もなんだか可愛いくて好きだから嬉しいんですけど僕――あたっ!」

 デコピンを容赦なく炸裂させてみるエリカ。

 ぷんすかと拗ねた表情を浮かべながら「だからアンタは変な事ばっか言わないのっ!」と日向を叱ると、日向は「ごめんなさい……」としゅんとしていた。

「と、とにかく怒った顔まで好きとか変な事言うんじゃないわよホントに!」

「けど好きなんです……」

「あ、アンタはホントにもう……!」

 そこまで言われたら自分はどんな顔をすればいいのか最早わからなくなってくる。

 どうにか日向がそんな発言を零さない表情は無いかと思うくらいだったのだが、どんな顔しても何か恥ずかしい反応を返される気がしてエリカは考えるのを止めた。

 小さく「エリカさん絶対美人ですもん……」と愚痴る様に零している声など馬耳東風で受け流すしかないエリカである。

 そうして気恥ずかしい時間が数分点々と流れた後に日向は神妙な表情で呟いた。

「……けど本当にエリカさん壮絶な経験があったんですね」

「壮絶とかは大袈裟だけどね」

 エリカは苦笑を浮かべて返す。

 ただその後に少しだけ戸惑う様な仕草を見せて日向に語りかける。

「それに私だけって事もないでしょ?」

「え?」

「アンタもさ――色々大変だったんじゃない?」

 柳眉をひそめながら日向を思い遣る様な表情を見せるエリカに日向は思わず戸惑う様な様子を浮かべた。

「ど、どーして、そう思うんですか?」

 焦る様な日向の様子にエリカは苦笑を浮かべる。

「どうしても何もアンタがさっき自分で言ってたでしょうが」

「あう、それはその……」

「それとまあ……普段のそそっかしいアンタを見てると何か想像つくって言うのかしらね」

「……あう」

 しゅんと日向は縮こまった。

 エリカにそそっかしいと思われているのが少し恥ずかしくて俯く。

「そんな気落ちしなくていいわよ。それに私が少し心配なのは、一番はどっちかって言えばアンタがさっきの話の流れで従僕をやってるってところなのよね」

「……え?」

 日向は驚いた様子で顔を上げた。

 エリカは言葉を吟味する。

「だって、アンタ別に名家の専属執事ってわけじゃなく最近従者になったみたいだからね。それを考慮すると何かあったんじゃないかなーって。違った?」

「あう、違くないです……」

「ま、深くは訊かないし、気を悪くしたなら申し訳ないんだけどね」

「あ、そんな事はないです。エリカさんに言って貰えたのうれしーですし……!」

 日向は少し逡巡を見せた後に、

「……えと、僕のはエリカさんみたいにってわけじゃないんですけどね」

 そう前置きをして日向は語りだした。

 弦巻赤緯によって給金稼ぎに外国へ渡っていた事を。そしてそこで故意では無いといえ迎洋園家の車を破壊してしまった事を。その負債を弁償する為に従僕として迎洋園家で奉仕活動を行っている事など様々な事情を話した。

 エリカは一頻り聞き終えた後に。

「そう。なるほどね、そう言う経緯で従者になってるんだ?」

「はい。要は借金しちゃってと言いますか……」

 日向はしゅんと縮こまった。

 エリカの親に押し付けられた借金と比べれば自己責任の借金だ。なんとも気恥ずかしくなる自分事情であった。

「そんな落ち込まなくていいわよ、別に」

「……軽蔑とかしませんか?」

「しないわよ」

 苦笑を浮かべて優しそうにエリカは答えた。

「別に外国渡らされたのだってアンタの思惑じゃないんでしょ? それに故意じゃなかったんなら私がアンタを責めるわけもないしね」

 そう訊くと日向は「良かったですー……!」と安心した様に息を吐き出した。

 ただエリカは心配そうに柳眉をひそめた。

「けど大変そうね。四億の借金とかシャレになんないわよ?」

「あはは、そーなんですよね……」

「……今日だって洋服代金で結構したじゃない? 大丈夫なわけ?」

 エリカが申し訳なさそうに尋ねかけるが日向は首を振ってこう答えた。

「大丈夫です、エリカさんへのお礼は別代金ですから。気にしないでほしーです」

「そうは言ってもね……」

「あう……でもエリカさんにお礼返ししたいんです……!」

「……しょうがないわね」

 何処か呆れた様にしながらも優しげに困った笑みを浮かべながらも、

「わかったわ。気にしないから、この後もよろしくね」

 と優しく語りかけると、日向は嬉しそうに頷いて返した。

「はいっ♪」

「でも借金返済大変だろうし……頑張りなさいよ?」

「はい、頑張ります……!」

「返す目途はあるの?」

 そう尋ねると日向は何処か複雑そうな表情を浮かべた。

「……無いの?」

 心配げにエリカは尋ねると「――いえ」と日向は頭を振って、

「実際の所、無いわけじゃないんです。やろうと思えば時間はかかりますが一年以内にでも返済は出来るかと」

「え、嘘……!? 四億よ?」

「……ただ、それをやる気がしなくて……」

 やる気がしない。字面では能天気な、という感じであったが直に訊いたエリカはどうにも複雑な声に聞こえた。やれるけれど、それをやりたくない気持ちがある――その独特な感触が伝わってくる。

 日向は「甘えなんですよね」と小さく零した。

「甘え?」

「はい」

「……どういう事?」

 エリカの問い掛けに何処か自嘲を浮かべて日向は答える。

 何処か辛そうに――涙声すら浮かべて、


「返したらもう――僕、どこへ行けばいいのかわかんないです」


 エリカはその言葉を訊いて一瞬意味を測りかけたが、不意に気付く。気付いてしまう。

「もしかして……借金を返した後が怖いって事?」

「……」

 日向は情けなそうに渋面を浮かべた後に「……はい」と頷いた。

「だって僕……父さんにも見放されましたもん」

 ぽつりとそう零した。

「あの日、車を壊して借金して、だから迎洋園家に返済の形で居座らせて頂いて――初めは四億の返済が憂鬱だなって思ったんです」

 けど、と呟き、

「迎洋園家の皆さん、優しいんです。あったかかったんです。特に直属の上司のひじきさんって方は本当やさしーんです。でもそれも全部――借金があるから離れずにいる事が出来るってだけなんです」

 借金があるからこそ自分は迎洋園に留まれていられる。

 弦巻日向が今こうしていられるのは借金をして、それであの家にいられるからだ。――そう日向が思っているのだとエリカは理解して――切なさを感じた。

「僕、従僕としての適性全く無いんですもん。返済したら居場所なんて全部無くなって――あの家に御厄介してる事も出来なくなって、学院もどうなるかわかりませんし――エリカさんにもこーして逢えなくなっちゃうって思ったら何かヤですもん……!」

 情けないな、と思いながら零す声が止められなかった。

 借金で縛られているからこうしていられるんだ、なんて発言全部情けなくて仕方がなかったのだ。特にエリカにこんな恥部を赤裸々に話すなんてどうかしている――そう思って日向は何とも物悲しくなっていく。

(なんて格好悪いんだろう――僕は)

 だけれどもし返済してしまったら――日向に居場所なんて無いのだ。

 父親にも見放されて、迎洋園家の居場所からも離れる事となってしまえば日向に居場所というものはない。従僕として適性の無い自分はただの厄介者にしかならない。

 そんな想いが芽生えていくのは学院での日々と屋敷での日々だった。

「初めは早く返さなくちゃーって思ってたんです。その為の手段もありました、でもそれは僕の大切な誇りみたいなもので、穢しちゃうんじゃないかって悩んでるんですよね」

 そしたら、と日向は呟いて。

「ひじきさんを筆頭に優しくしてくれて、学院に行ったら初めてってくらいに皆の輪っかに入れる様になってて、面倒事ばっかりかけちゃってるのに優しくしてくれるエリカさんの事も大好きになってて」

 そこまで至ったらもうダメだった。

 借金を返済し終えた後は日向には何も残されていないのではという不安に駆られ始めていたのは否定しようもない。友人が出来ていく度に、こんな今を失いたくない、と言う焦燥に駆られて返済しようという意思は早期にではなく長期的にやっていこうという思惑に至っていた。

 ――とことん甘えているのだ自分は。

 返済が長引けば今が続くだなんて妄想にすがりついているのだ。けれど返済し終えた後は八方ふさがりに思えてしまう。最悪の父親だとは理解していた――けれど、その父親の行動に付き合うしか、父親くらいしか頼れる大人がいなかった。

 その結果が放置の限りだとしても、日向はそれくらいしか思い浮かばなかった。

「大好きな場所行けなくなるの……もうヤなんです。昔も一時期大切な丘の場所へ行けなくなった時期もあったけど本当に辛かったから……」

 その言葉にエリカが神妙な表情を浮かべる。

 大切な場所が無くなるのが本当に日向は嫌なのだ。

 前に一度それを経験したことがあるが、切なすぎて仕方が無かった。居場所が無いとダメだし誰かの支えが無いとダメなのも甘えである。だけどやはり日向は辛かった。

 そしてこうやって弱音ばかりなのもまた――、

「……エリカさん、その……軽蔑しちゃいましたか?」

 不安げな日向の言葉にエリカは優しく笑みを浮かべて「何言ってんのよ」と静かに首を振って返した。

「アンタね。そう言うのは誰だって似たようなものよ?」

「そうでしょうか?」

「そうよ。誰だって誰かの支えは必要だし、居場所だって必要なものよ。私だって新橋家って言う居場所が何より大切だしね。――アンタの場合はそれが甘えだって理解している時点で大丈夫よ。そう理解している間はアンタはちゃんとしてるって事だもの」

「……」

「それに、仮に――本当に仮によ? アンタがそのお屋敷って場所を失って、学院って場所すらも失ったとしたってアンタの居場所はゼロになんてならないわよ」

「え……?」

 エリカはニッと素敵な笑顔を浮かべて日向へ告げた。


「居場所ってんならさ――私が失わせたりなんかしないわよ」


 エリカは更に力強い声で語っていく。

「アンタが居場所を失くして辛くて、それでも新しい居場所を求めたいって心があるんなら私は手伝ってあげるし、アンタが悲嘆に暮れてもうダメだとか零すんならひっぱたいてだって立ち上がらせてあげるわよ。――大切なクラスメイトだしね」

 あくまでクラスメイトとしてだからね、と念を押す様に赤い顔でそう付け加えるエリカ。

 日向はそんな彼女を見ながら感激した面持ちで目尻に涙を浮かべていた。

「エリカさん……」

「だからほら――元気だしなさい」

 目尻の涙を軽く拭ってやりながらエリカはにこやかに微笑を浮かべた。

 本当に――本当に強い女性なんだな、と日向は感激した面持ちながら「元気ですもん」と意地を張る様に呟きながら目元を腕で軽く拭った。

「ん、それでよし。折角の快晴日和に陰鬱になってちゃダメだからね?」

「はいっ♪」

 日向は涙を吹き飛ばす様に満開の笑顔を浮かべた。

 エリカは満足げに優しい笑みで頷く。

「エリカさんやっぱりやさしーです♪」

「別に普通よ?」

「普通じゃないです、凄いやさしーです! やっぱり大好きです♪」

「……それはわかったから気恥ずかしい事を言うの止めなさいよ」

 ジト目で恥ずかしそうにエリカは日向を睨む。

 しかし日向は嬉しそうにほわほわとした笑顔を向けながら、

「だって凄い嬉しいんです今。お屋敷の人達にも優しくしてもらって、学院での日々も平穏で大好きですし、何よりエリカさんに出会えた事が僕の人生で一番幸せです♪」

「ぬぁ……!」

 エリカは満開の笑顔でそう言われてしまって真っ赤になる。

「う、嬉しいのは、ま、まあ、ありがとうだけどね? 最後どうして私で締めくくるのよ。そこはお屋敷の誰かにしときなさいよ、ひじきさんとかいるんでしょ!?」

 最後自分になる意味がわからない――エリカは赤くなりながらそう諭す。

 日向は僅かに小首を傾げて逡巡しながらも、

「ひじきさんとの出会いも大切ですけど、出会えて一番嬉しいのも、一緒にいて一番嬉しいのも、一番一緒にいたいのもエリカさんですし!」

 パッと顔を輝かせて満面の笑みで思いのたけをエリカにぶつけた。全て無自覚で。

「だ、だからね……!?」

(ああもう、何でそうなんのよ!)

 エリカはそんな内心の動揺を抱きながらどうにか意識を改めさせようと語りかける。

「私、別にそんな凄い子じゃないわけだし!」

「そんな事ないです、見習うとこ山ほどありますし」

「で、出会ってからまだ一ヶ月くらいでしょうが!」

「エリカさん素敵なところたくさん見れた一ヶ月でした!」

「じゃ、じゃあもうそれで自立しなさいよ!」

「ヤです、まだもっといろいろなとこ見て来たいです!」

「一緒にいても特に何もしてあげられない可能性だってあるわけだし!」

「一緒にいてくれるだけでうれしーです! いてほしいです♪」

「い、一緒にいてほしいとか変な事ばっか言わないの本当にもう!」

「でもお嫁さんに欲しいくらい素敵なんです、エリカさんー♪」

「お、お嫁さんッ!? ――あ、アホバカまた変な事ばっか言うんじゃないっ! なに変な事ばっか言ってんのよアンタは! ああああ、もうッ!」

 エリカはそこまでなってがくりと真っ赤な顔で俯いた。

(ダメだ口論してくともれなく恥ずかしくなってく……!)

 キラキラした目で見つめられてエリカはこれ以上は無理だと悟る。

 そしてしばらくして顔を上げると、その顔は真っ赤な色合いを隠す事も出来ず、そして少し不貞腐れた様な拗ねた様な――あるいはテレを必死で取り繕って隠そうと努力している様な様子で小さな声で語りかけた。

 一応――本当に一応だ。確認する為にエリカは心をしっかり保ちながら、

「――弦巻さ」

「何ですか?」

「……あー、その、えと、さ」

「はい」

 髪の毛の先を指で軽く弄りながら恥じらう様にエリカは声を絞り出してこう尋ねた。


「――そんなに、私と一緒にいるの……嬉しい、わけ?」


 その言葉に。

 弦巻日向は臆面もなく、逡巡もなしに、即座に返す。

「はいっ。今までで一番嬉しい気持ちになるんですエリカさんと一緒にいるの♪」

 少しくらい悩んで欲しかったかもしれない。

 そんな事を思いながらエリカは忌々しいものを見る様な目つきで不貞腐れてるかの様な表情をしながらもばふんっと激しく赤面しながら「……あっそ」と不愛想に返した。

「……あう、エリカさんやっぱり、ご迷惑でしたか?」

「だから別にそんな心配しなくていいっての思ってないから。……ありがとね」

「なら、うれしーです♪ 大好きです♪」

「ふーん……そ、そうなんだ」

 髪の毛を弄りながらエリカは席からすくっと立ち上がった。

「? エリカさん、どーしたんですか?」

「……お手洗いよ」

「あ、い、いってらっしゃいです」

 察せなかった事に少し恥ずかしそうにする日向を余所にエリカは「んー、ちょっと話疲れたわねー」と零しながら店のトイレへと姿を消していく。

 そんな後ろ姿を見つめながら日向はコップの水を一飲みした後に、

「エリカさん、やっぱり優しいし素敵だなー……♪」

 少年はぽーっとした眼差しでその背中を見送った。

 少しずつ少しずつ、仄かに胸がとくんと鼓動を打つ感触に不思議な感慨を覚えつつ、日向は嬉しそうな笑顔を浮かべてエリカが戻ってくるのを楽しみに着席しながら待ち望む。



 さてトイレに駆け込んだエリカはまず花を摘む事すらせずに洗面台に直行した。

「ぶはぁっ!」

 大理石の洗面台にばしんっと手をついて肺から大きく息を吐き出す。

「ああ、もう、あのバカ、あのバカ、あのバカ、あのバカ……!」

 散々好き放題に言ってくれ過ぎではないだろうか。

 何があったらあんなに好意を恥じらいも無くぶちまける事が出来るのか。

(第一アイツ、私に懐き過ぎでしょ……! な、何であんなに好感度高いのよ本当に、私大したした事とかしてないし話したり、一緒に仕事したり、とかくらいなわけで……!)

 特に相談に乗る形にしたら更に勢いが加速した印象がある。

 何があってあんなに自分に好意を示してくるのかまるでエリカにはわからなかった。

 ただ、思える事は――、


「……アイツってやっぱ……私の事――、なの、かな……?」


 言葉にしてしまうと大変な気がしてエリカは思わず言葉を濁す。

 鏡を見ながらエリカはそう零して、自分の顔が真っ赤な事を理解してしまい、「本当アイツと関わると恥ずかしいわね、もう……!」と悔しそうな声を零して顔に水を軽くかけて覚まそうと躍起になる。

 想像した事に気恥ずかしさが漂って「子犬に懐かれたくらいが何よ!」とつっけんどんに叫んで自らに喝を入れる。第一、仮にそうだとしても――、

「私は、きっと……」

 そこまで考えて首を振った。

 陰鬱になるのは良くないと先程日向に説教を垂れたばかりなのだ。水をハンカチで拭って「よし、さっぱり!」と語気強く頷いてからエリカはお手洗いを後にした。

 とりあえず顔の熱さは少しは抜けていったのでこれでどうにか出来ると頷く。

「でもきっとまたなっちゃうんだろなー……」

 諦観じみた嘆息を浮かべながらエリカは座席を戻る。

 こういうところをもっと強靭に出来ないものだろうかと逡巡するエリカだったが、席へ戻る過程で通路曲がったところで軽く人とぶつかりかけた。

「あ、ごめんなさい」

「いえ、こっちこそ不注意だったわ」

 通り過ぎる黒髪の少女と、彼女が手を引く幼い少女を一瞥してエリカは軽く手を振って申し訳なさそうにすると向こうもすまなそうに眉をひそめて軽く会釈した後に「さ、静流(しずる)ちゃん。こっちですよ」と女子の手を引いていく。

 今の人可愛い印象の人だったわねー、とエリカは何となくそう思いながら日向が待つ座席へと戻っていって――そこで思わず目を皿の様に丸くさせ、そして怪訝そうな表情に変える。

「……アンタ何があったの?」

「……」

 何故か頭の上からコップの水を被っている日向がいた。ぽたぽたと雫が垂れており、水を被ったのはわかるが、原因が全くわからない。

 そして日向も涙を浮かべながら、

「……僕もよくわかんないです……」

 と、悲しげに零した。

 エリカは嘆息を浮かべた後に、店から借りたタオルで丹念に日向の濡れた個所を拭いてやったりと甲斐甲斐しく面倒を見るのであった。

 その際に日向から好意的な発言がぽんぽん飛び出てエリカが真っ赤になりながら頭を拭く羽目になったのは言うまでもない事である。



 それから少しして注文した品がテーブルの上に並べられる。

「おまちどうさま」

 聖一の声と同時にテーブルの上に並んだ明太子のパスタ、バジルソースのパスタ、そしてピザ、マルゲリータと言った三品を前に二人は食欲を見事に煽られた。

「へー、凄く美味しそうね……!」

「ですよねっ♪」

 鮮やかな色彩の三品が並んだ為に見た目にも実に華やかであった。

「それじゃいただきましょうか」

「はい!」

 口を揃えて『いただきます』と二人は告げると、フォークでパスタを絡め取ると口へと運び入れた。

 口の中に広がる明太子のふわりとした食感にエリカは「やっぱり美味しいわねー♪」と嬉しげな笑みを浮かべながら食べ進めていく。ピザも同様だ。本格的な石窯焼きなのだろう香ばしさが食欲をそそり、トマトとチーズのアクセントが何とも素晴らしい。

「エリカさん、折角ですからおすそ分けしましょーか?」

 そう言って小皿に軽く盛り付けた日向の頼んだ緑色が映えるバジルパスタの味わいも実に感慨深かった。日向が推薦するお店だけあって、味は本当に美味しく、食欲が進む。

 食べ終わると日向は、

「やっぱり昔と変わらず美味しかったですー♪」

 と嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「ん、確かに本当美味しいわね、ここのパスタ」

 エリカも満足した様子で首肯しながら紙ナプキンで口元を拭きながら頷いた。すると日向を見て近くの紙ナプキンを取って、

「アンタも口元ついてるわよ?」

「え、ホントですか?」

 見れば口元には緑のバジルが少量付着していた。ナポリタン程では無いにしても、やはり口元に付着するものである。

「そりゃジェノヴェーゼソースだもの」

 そう言いながらエリカは口元を拭ってやる。

「ん、取れたわね」

「ありがとーございます、エリカさん♪」

 そう言われて「別に」とそっけなく返答した後にエリカは、

(つい自然な流れで何やってんの私!?)

 と、動揺していた。

 同級生の男子相手に何を口元を拭ってやっているのだとやった後に気付いてカーッと真っ赤になる。何か今日の自分はおかしい――そう思うエリカだった。

「それにしても不思議です」

「え!? な、何が!?」

 また何か言われるのかと思わず身構えるエリカ。

 しかしその発言は今までと違って意味不明の一言に尽きた。

「どーしてエリカさんと一緒だと麺類食べられるんでしょうか?」

「……へ?」

 珍妙な疑問過ぎてエリカが小首を傾げたのは言うまでも無かった。



「ごちそうさまでしたー♪」「ごちそうさまでした」

「おう、ご来店ありがとーございましたーってな。また何時でも来てくれ」

「新橋さんもまた来てくださいねっ♪」

「ええ、ありがとう遊佐さん」

 店を出る際に二人して会釈と共に扉を潜ると、

「ん、美味しいお店だったわねー」

 と、エリカは満足げに笑顔を浮かべた。

「なら、良かったです」

 その言葉を訊いて日向は心底嬉しそうに頷いて返した。

「雰囲気も良かったわね本当」

「本当ですか? なら。嬉しいです♪」

「ええ。ありがとねいいお店教えてくれて」

「はい♪ それじゃあ次の場所へ向かうとしましょうか、エリカさん」

 そう言いながら日向は嬉しそうにエリカの手を握る。

 エリカは「……む」とやはり握るのは恥ずかしい様で多少なり憮然とした表情を浮かべるが、それでも仕方なさそうな顔をしながらも握り返す。

「で、この後はどうするわけ?」

「そうですねー。この後は目的の場所へ行こうと思うので、そこまで行く間に寄り道なんかしながらって形にしてみようかと」

「ふーん。目的地って?」

「ついてからのお楽しみです♪」

「そっか」

 エリカは可笑しそうに微笑を浮かべた。

「はい♪」

 日向は笑顔で嬉しそうに首肯した。

「あ、けど行く前に近くのコインロッカーに寄ってからにしませんか?」

「え? ああ……それもそうね」

 手元のにゃーこを一瞥して納得した表情を浮かべる。

 確かに大きなぬいぐるみを手元に置いたままというのは些か疲れる話になるので、ロッカーに置いてから、という事にするのだろう。それだけではなく他の店で買い物した品も多数あるので丁度いいだろう。

「それじゃロッカー探しましょうか弦巻」

「ですね♪」

 元気よくそう告げて二人は再び歩き出した。


        2


 そうして最寄のコインロッカーに持ち物を預けてから歩く事十数分。

 その過程にも赤面する羽目になる事が多々あったが順調に二人のデートは進んでいった。

 この辺りまで来るとエリカも見知った街並みがちらほらと顔を覗かせる様になってくる。

「大分戻ってきましたね」

「ん、そうみたいね」

 ただ、とエリカは呟いて、

「私この辺りでもお店自体はそんな寄り道した事ないから、わかんないのよね」

「そうなんですか。けど、大丈夫です、この辺りは知識に入れておきましたから」

「そうなの?」

「はい、解説出来ると思います!」

「ならお願いね」

「はいっ♪」

 そう談笑しながら歩くエリカだったが不意に目に留まる景色があった。

「ん。アレ何かしらね?」

 そこでエリカが興味深そうに声を上げた。

 日向はどれどれ、と視線をその方向へ向ける。

「ああ。アレは『アロアロ』ですね」

「『アロアロ?』」

(確かハワイ語で『ハイビスカス』の事だったかしらね?)

 二人の視線の先には真っ白な一代の大型車両が停止していた。その車は側面がオープン状態になっており俗に言う移動販売車と言うものである。アイスクリームやクレープと言ったものを移動しながら販売出来ると言う大きなメリットを持つものだ。ただし、それだけではなくその周囲一帯にはバルコニーの様な解放感に溢れるコテージがあり、テーブルとイスもある事からそこで味を楽しむ事も出来る様子である。

 そしてその店内の装飾はなるほど確かにハワイを連想させた。

「弦巻は知ってるの?」

「はい、この近くで有名なお店という事で調べた時に名前が挙がってたので」

「クレープのお店なわけ?」

「クレープにアイスもありますし、ひんやりスイーツがメイン商品らしいですよ? 外観が少しハワイアンな印象なのも人気の要因らしいです」

「へー」

 確かに見ていて華やかだ。

 列も中々並んでいる事から店の人気が伺えるが、男女両方がお客としている様でパッと見た感じでは女性ばかり男性ばかりといった印象では無い。ただし、気になるのは男性客も多いと言う事だが、

「男って甘いもの好きなんだっけ?」

「好きな人は好きですね」

「そっか。弦巻は?」

「僕は甘すぎるのは流石にアレですが、それほど苦手と言う程でもないでしょうか」

「ん、甘すぎるのは苦手なんだ?」

「はい。昔にアメリカの御菓子を食べた事があるんですが、甘くて甘くて」

 苦笑を浮かべてそう話す日向になるほどね、と相槌を零す。

 確かに米国の御菓子は相当甘いらしいと言う話を聞いた事がある。おそらくは日本人の口に合わせていない本場そのままの品を食べたのだろう。

「でもここのクレープは美味しいんですよ、爽やかで!」

「食べた事あるの?」

「はい、エリカさんのお礼返しの下見で一応見に来たんですよね」

「……悪いけど私甘いものそんな得意じゃないわよ?」

 エリカは甘いものが得意な方では無い。

 少し困った様に柳眉をひそめた。

「はい、それは知っているんですけど『アロアロ』のはおすすめ出来ると思うんです」

「そうなの?」

「ええ。甘さが爽やかと言うかさっぱりと言うか……何だか生クリームが違うんでしょうかね? 何とも言えず後味が良いんです」

「ふーん」

 そうなのか、と視線を店へ向ける。

 エリカは少し逡巡した後に「……なら、試し程度に寄ってみようかしらね」と呟いた。

(わざわざ調べたりしたみたいだし……まあ一回くらいならね)

 そこまで推薦するのであれば吝かでは無い。エリカの言葉を訊くと日向は顔を輝かせて嬉しそうに頷いた。

「じゃあ、さっさと並びましょうか。列も長いし」

「そーですね」

 日向はエリカの手を握りながら嬉しそうに店へ足を運んで行く。

 いざ列に並んでみるとわかったのは店の開店効率が異様に速い事であった。並んでいる間にガンガンお客が捌かれていくのがわかる。それこそ数分の間にさくさくと進んでいた。

「意外と並ばずに済みそうよね?」

「ですね。ありがたいです」

「ね。――それはそれとして何を注文しようかしらね」

 エリカはこの距離から見えるメニュー表と思しき写真を見て悩みを浮かべる。

 中々に種類は豊富な用で定番メニューから少し変わった商品まで数多く取り揃えられている様だ。そして見ていくと『クリーム甘さ控えめも出来ます』と言う一文が目につく。これはまた情報通りに嬉しい話だ。

「弦巻は決めた?」

「はい、フローズンヨーグルトのブルーベリーソースがけにしようかと」

「そっ。じゃあ、私はマンゴー生クリームってのにしておいてみようかしらね」

 生クリームはそんなに好きではないがクリームが美味しいと言うのなら挑戦してみるか、とエリカは考えてなるべく好きな果実であるマンゴーを選択しておく事と決めた。

「わかりました」

 にこやかな表情を浮かべて日向は了承する。

 そうして列は左程時間もかからずに進んでいくと、ついに前の人がいなくなって注文場所へと行きついた。

「いらっしゃいませ♪ ご注文をどうぞ」

 そこで微笑を浮かべて挨拶する店主にエリカは目を見開いた。

 相当の美人――今まで出会ってきた女性の中でも上位に食い込む様な美女だったのだ。清涼感と言うべきか透明感と呼ぶべきかそんな印象を抱かせる白雪の如き頭髪に肌を持ったスタイルの良い女性。

「フローズンヨーグルトのブルーベリー一つににマンゴー生クリームを一つお願いします」

「かしこまりました、少々お待ちくださいね」

 日向がそう言うと手際よく女主人はクレープ生地を焼き始める。

 実に手馴れた手つきだ。流れる様な規則性を持った動きで女主人は一人にも関わらずさくさくと工程を熟していくとあっという間に二人が注文した商品を包んで笑顔で手渡してくれた。

「はい、どうぞ♪」

「ありがとーございます♪」「ありがとうございます」

 お互いに会釈すると女主人は「向こうの席が空いていますからよろしければ」と手で促してくれたのでありがたくその席へと足を運ぶ。中々心地よい座席でエリカは椅子を引いて腰を下ろすと、

「すっごい綺麗な人だったわね、あの人」

「ですよね。僕も前に寄った時は驚いちゃいました」

「でも納得したわよ。道理で男性客がこんなに多いわけね」

 あれだけの清楚な美女がクレープ屋でエプロンを愛用して販売していればそれは大層人気を博す事だろうとエリカは得心がいく。

「凄い美人さんですもんねー……!」

「全くよね」

「でも、その……」

「何よ?」

「僕はエリカさんが一番綺麗で可愛い美人さんだと思います……!」

「……だからアンタは真っ赤な顔で何を注釈入れてんのよッ!」

 相変わらずの度々の好意的な発言にエリカはどうにもこうにも慣れずにぷぃっと赤面しながら顔を背ける。

(どうしてコイツはこうなのかしらね、本当にもう!)

 毎度毎度、話しているだけで恥ずかしい羽目になるのだ。エリカとしては精神的に穏やかになれたものではなかった。そんなエリカに更なる追い打ちがかかってくる。

「……あれ?」

 さっと巡らせた視線の光景にエリカは僅かに眉をひそめた。

 店のテーブルとイスを使っている面子を見たためだ。別に何がどうと言うわけではない、ただ言える事は――カップルが大半を占めていた事だ。

 店の椅子に座る面子は皆大半がカップル、恋人同士の用で和気藹々と和やかに談笑している光景がやたら目につく。

(え、なにこの恋人率……!? 女性だけのグループもいるけど皆綺麗だし……あ、あの二人は何となく真美と初音に背格好似てるわね――じゃない! なによこのカップル率……!?)

 男性客もいるが大半は座らずに食べ歩きへと移行している。

 どうやら意識的にではないようだが、この店内でテーブルを使う面子は恋人同士が大半を占める形に落ち着いてしまっているらしい。確かに男だけのグループがここに座る事は精神的に追い詰められる形になりそうだ。

 だがそんな空間に日向と一緒では自分達もそう見られるんじゃないかと――と言うか散々そう見られてきただけに厄介だった。

 そんなエリカを不思議そうに見ながら日向が呟く。

「エリカさん、どーかしたんですか?」

「え!? や、な、なんでもないわよ!?」

「でも何かに視線を向けてましたけど――」

「気のせいよ!」

 下手に日向が意識し始めるのも困るのでエリカは声を上げて制止をかける。

「でも――」

「でもも何もない!」

「けど、何か見てたみたいでしたし――」

「ああ、もう……!」

 気にしなくていいってのに、と歯がゆそうにエリカは零す。

 それでも気になる様子の日向にエリカは再度制止をかけた。視線を走らせようとする日向の顔を両手で包み込んでグキッと自分の方へ戻して恥ずかしさから大きな声で告げる。


「アンタは他の子の事なんか気にしないで、私の方だけ見てればいいのよ、バカ!」


「……。――え……!?」

 そう言われて日向はぼふんっと顔を真っ赤に染め上げた。

 そんな様子にエリカは怪訝そうに眉をひそめつつ、

「とにかく他の事なんか気にしないの。いい、わかった?」

(周囲のカップル率に気付いたらどんな言動が飛び出すかわかったもんじゃないわよね、コイツの場合は特に……! なんとしてでも私以外の方へ意識させない様にしとかないと……!)

 と、エリカは必死の防衛策に走った。

 その結果日向が極めて真っ赤な顔で縮こまりながら「わ、わかりました……!」とエリカに見惚れる様に頷いてちらちらエリカを窺っているのだが、エリカは気付く様子は無かった。

「とにかく食べるわよ」

 日向は「は、はい……!」と頬を手で軽くパンパンと喝を入れる様に叩いた後頷いて返す。

 その後クレープを軽く手元で揺らしながらほにゃんとした笑みを浮かべる。

「けど、うれしーなー……!」

「何が?」

「いえ、エリカさんとこーしてクレープ屋さんに来れて感激です♪」

「え、何で?」

 不思議そうな表情を浮かべるエリカに対して日向は少し恥ずかしそうにしながら、

「だって何だかデートっぽくってドキドキするんです♪」

 と、零すと「バッ……!?」とエリカは焦燥した様子で真っ赤になる。

「あ、アンタはもう! お礼返しなんでしょーが、お礼返し!」

「はい。でも何となくデートみたいで楽しいなーって思ってしまって。クレープ屋さんで大好きな女の子と一緒って凄くうれしーです♪」

「だいす……!?」

 ぬがぁ……!? と、動揺しかけたエリカだったが発言がどうにも『仲の良い女の子と仲良くデート』みたいな意識が伝わってきて厄介極まりない。――その癖、本質的な部分は無自覚極まりないのがすべからく厄介であった。

 エリカは呼吸を数度繰り返して即座に精神を安定させる。

「本当にアンタはもう変な発言ばっかしないのっ」

「でも、エリカさんと一緒にいるの好きなんです」

「ああ、そう、ありがとね!」

 やけっぱち気味にエリカは返す。

「エリカさんは、その……僕と一緒にいるのやっぱりヤでしょうか……?」

「そ、そんな事は思わないけど――」

「けど僕、迷惑かもしれないけど一緒にいたいです……!」

「あ、ああもう! わかった、わかったから!」

 真っ赤な顔でエリカは逃げたくて仕方ない気持ちで頭をぶんぶん左右に振った。

 エリカはいい加減気恥ずかしくなって「と、とにかく食べましょっ」と声を上げる。

 折角買ったクレープだ味が気になるところである。と言うよりもほとんど食べた記憶すらない代物なのでエリカは興味を少し抱いていた。そうしてぱくりと一口頬張る。

「――ん、美味しいわね……」

 そうして口の中に広がった味わいに舌鼓を打った。

 何が美味しいかと言えばフレッシュなマンゴーの味わいもそうなのだが、生クリームの異様なまでの爽快感に驚きを禁じ得なかった。今まで味わった生クリームとは別次元のさっと吹き抜ける春風の如く、後味がすっきりしていた。

「どーですか?」

「ん、美味しいわよ? へー、生クリームがこんなに後味いいのがあるなんて驚いたわね。どうやって作ってるんだろ……」

 甘すぎない、むしろ清涼さを演出する味にエリカは感心を覚える。

「ここのクリーム美味しいですよね♪ 僕も食べた時驚きました」

「うん、本当いい感じね。これなら私でも食べられる感じかな」

 エリカはほんのり嬉しそうな表情を浮かべながらまた一口また一口と口へ運ぶ。

 他の店のクレープがどうかまでは知らないが、このくらいのさらっとした生クリームなら美味しく頂けるとあってエリカは顔を綻ばせた。

 そんなエリカを見て日向も嬉しそうに笑みを浮かべる。

 そして「あ、そーだ」と閃いた様に呟く。

「エリカさん、エリカさん!」

「何よ?」

 きょとんとするエリカに対して、日向は満開の笑顔を浮かべながら、

「はいっ♪」

 と、クレープを差し出した。

「…………え?」

「いえ、折角だから別のクレープもどうかなって思いまして。美味しかったんですフローズンヨーグルトー♪」

 ほわほわ笑顔でそうは語るが。

 これを――食べて欲しいと言うのだろうか? と、エリカは焦りを浮かべた。

 差し出されたクレープは日向の食べ掛けなわけで。

 率直に言ってしまえば間接キスになってしまうわけであって――。

「や、え、ちょっ、ま、待って……!?」

 何故自分がそんな事態に陥っているのか――人生でおおよそ体験した記憶もなくエリカは目に見えて狼狽した様子になっていた。

 そんなエリカを見ながら日向は少し悲しそうに、

「もしかしてブルーベリー、嫌いでしたかー……?」

 と、見当違いの懸念を示す。

「や、ブルーベリーは好きよ? フレッシュでいいわよね、うん!」

「フローズンヨーグルト苦手でしたか……?」

「ふ、フローズンヨーグルトも悪くないと思うわよ、さっぱりしてるしねっ!」

 そういう事ではないのだ。

 なのに日向はよくわかっていない様子でエリカが食べてくれないので悲しそうな表情を浮かべている。

(ああ、もうどうしてコイツはこう……!)

 故意でないぶん、エリカはなんともはや狼狽えてしまう。

「あ、アンタが全部食べていいから。ね?」

「でもお礼返したいです」

「お、お礼なら他で返してくれればいいわよ……?」

「けどエリカさんに食べてほしーです」

 ああ言えば、こう言う。

 エリカは内心の動揺を隠しながら思案した。とにかく自分にお礼を返したいと言う気持ちで迫ってくる上に完全に善意からやっている様子だ。――変な下心とか微塵も感じないだけに性質が悪すぎていけない。

(何で今日はこんなに私ってば……!)

 ――恥ずかしい想いばっかり味わう羽目になっているのだろうか?

 エリカはそんな事を悩みながら顔に赤みを差していく。しかもキラキラした目で今現在もとても見つめられている始末だ。本当に始末が悪い。後に引けない――そうエリカが断念するまでにはそうは時間はかからなかった。

 と言うより見つめてくるもんだからいい加減耐えるのが辛くなった。

 その上、この状態のままと言うのがよろしくない。

 知り合いに見られでもしたらアウトな構図だ。そこまで考えが及んだところでエリカは「うう」と恥ずかしそうに呻き声を発した後に脱力した。

「……一口だけ貰うわよバカアホスケベ」

「はい♪ ――って、何で罵倒入ったんでしょうか僕……?」

 知らないっ、と小さく零しながらエリカは日向のクレープを凝視する。

(別に問題ないしっ。私、高校生だしっ。間接キスくらいで動揺とかしないしっ。このくらいでへこたれないしっ。意識とか全然まったくしてなんかないしっ)

 とにかく内心でそう色々零しながらエリカは相対する。

「どうぞです♪ あーん、です♪」

「あーん、とか言うなバカ……!」

 尚の事意識してしまうではないか。

「あーん、ダメなんですか……?」

「だ、ダメに決まってるでしょ!」

「でも、あーんだと思いますこういう時」

「そ、それは、そう、なんだけどね……!」

「ですから、エリカさん。あーん、です♪」

「あ、ああ、もうホントにアンタって奴はぁ……!」

 もうどうしようもなくてエリカは目を瞑りながらぱくりと一口頬張った。

 ふわりと生クリームの味わいと酸味の効いたブルーベリーに、なんとも爽やかなフローズンヨーグルトの味が混ざり合って実に冷たくて美味しい味わいだ――と、一瞬だけそう認識する事が出来た。

 だが次の瞬間には下からせり上がる様な熱気が顔を包んでいくのがわかりつつむぐむぐと口を動かしてどうにか完食する。

「ごちそうさま。美味しかったわよ」

「ですよね! 美味しかったんです!」

 ほわほわと嬉しそうに綻ぶ日向をジト目で軽く睨みながら「バカッ」とか細く零す。

 口の中に広がる味がどうにもこうにも爽やかな癖して何故だか熱いし甘い感じがしてエリカはコイツどうしてくれようか、とも思うのだが。

「まあ、誰か知り合いに見られなかっただけマシよね――」

 そう言い掛けてふと何かに気付く。

『……』

「……」

 赤い顔で咳払いして知らんぷりする同級生の刑部(オサカベ)真美(マミ)と赤い顔で感心した様に凝視してくる初音(ハツネ)=クローリクの姿があった。とりあえず必死の形相で一気に弁明に走ったエリカである。

「――違うからね!?」

「いやいや、気にしないでくれエリカ。私は何も気にしてなんかいないぞ、うん」

「そうだよ、エリカっ」

「なら視線合わせなさいよ!?」

 そう真っ赤な顔で叫ぶエリカの後方では「あ、刑部さんにクローリクさんだ」と嬉しそうに挨拶を発する状況を全く関知していない日向の姿がある。真美も「ああ、こんにちは。今日は暑いな弦巻君」、初音は「本当炎天下にいる気分だよねっ」と双方エリカを一瞥した後にそう会釈を交わした。

「こ、これは、その、ホント違くてね……!?」

 同級生――それも仲の良い二人に見られたとあってエリカは真っ赤になって手を振りあわあわとした様子で弁明を試みた。

「いや、二人がデートするのは知っていたがまさかここまで進展してるとは……」

「ねっ。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったよっ」

 飲み物のストローを弄りつつそう談笑する二人に対して「だから違うってばー!」とエリカは必死になって弁解する。

「けれどあそこまで初々しい間接キスを見てしまっては……」

「だよねーっ。しかも二人に気付いた時のエリカの声にもびっくりしたし……っ!」

「違くてっ! か、間接になったのは、コイツがどうしてもって譲らない気配だったからであってね……!?」

 二人が自分に気付いた声と言うフレーズだけわからなかったが、必死に弁明を図る。

 そんな弁明するエリカに対してくすくす可笑しそうに笑いを零す二人。

 おや? と、訝しむエリカに二人はこう告げた。

「すまない、からかい過ぎたよ」

「まあ、相手が弦巻君だもんねっ。天然の相手は大変そうだねって思っちゃったかなっ」

「……」

 流石は普段よくいる二人。

 弦巻日向と自分の関係性をよく存じ上げている様であった。エリカはジト目で睨みつけながら「……アンタらねぇ……!」と肩を震わせる。

「ごめんごめん、謝るよ」

イズヴェニーチェ(ごめんなさい)、エリカ」

 くすくす笑いながら返されても全く心に響かない。絶対楽しまれている――そう断言できるエリカであった。

「さて、私達はもう行くよ。デートの邪魔はよくないからね」

「う、うっさい!」

「あ、エリカ、デートだってわかってるんだ?」

「黙ってなさい初音」

 初音は「はーい」と苦笑を浮かべながらそう答える。

「ああ、それと一応忠告しておくんだがエリカ」

「何よ?」

「もしかしたらクラスメイトが様子見に来る可能性があるかもしれないな、とね」

「……え?」

 エリカはその言葉に硬直する。

 だがその言葉の意味は明晰な彼女にはよくわかった。わかってしまった。よくよく考えれば日向と今日の約束を取り付けたのはクラスメイトの視線が集まる前での事だった。自覚は無かったが確かにデートの相談ととられてもおかしくない。

 つまるところ。

「……」

「エリカ、顔が真っ赤だけど大丈夫……?」

 初音が何とも言い難い様子で呟いた。

「だ、大丈夫に決まってるでしょ、ええ!」

 と強がってみせるが――ヤバイ、とエリカは思った。

 何処かですれ違っていたりするのではないだろうか、と。クラスメイト達に今日の様子を見られていたりするのでは――それはとんでもなく恥ずかしい。そう動揺するエリカに苦笑を零しながら「まあ、邪魔まではしないだろうから」と告げて二人は別の方向へと足を運んでいった。その背中に手を振り終えるとエリカは日向の元へ戻る。

「……」

 何故だか静かな日向を余所にエリカは赤い顔で頭を抱えた。

(ヤバイ、今日絶対見られたりとかしたらヤバイ……! だって、私何か今日恥ずかしい事ばっかだったし……!)

 とにかくこれ以上恥ずかしい場面が起きない様にとエリカは心から祈った。

 先程の間接キスの場面を、日向に『あーん』された場面を二人に見られただけで相当恥ずかしいのだから、ここから先は何も起きるなと切に願う。

「エリカさん」

「……何よ?」

 そこで聞えたか細い声にエリカはふと顔を上げた。

 そう言えば先程からいやに静かだ。そう思いながら顔を上げて――、

「……」

「……」

 真っ赤になった熟した林檎の如き日向の面貌に出会った。

 今日一緒にいただけでわかる――胸を騒がせる厄介な予感だった。

「ど、どうしたら……」

「な、何がよ」

「だって、その――気づきませんでしたけど、コレ」

 クレープに視線を注ぎながら日向は相変わらず真っ赤だ。

 そして小さく声を零す。

「エリカさんと間接キス、になっちゃってて……」

「……」

 もうなんかダメだった。

 相手が悪過ぎた。何も起きるなとか願ってもよくよく考えれば事あるごとに何か起こっていた記憶がしてエリカは真っ赤な顔で肩を震わせた。イチゴの様な赤々しさである。

(どうして今更気付くのよバカ――――ッ!!)

 内心で絶叫してからエリカは、原因は先の会話にあるのだと理解しつつも、とてもではないが動揺は拭えなかった。しかし不屈の精神で表面上は抑え込む。

「そんなの気にしないでさっさと食べちゃいなさいよっ」

 とにかく事を済ませてしまおうと流す。

「でもエリカさんが食べた後って思うと……ドキドキし過ぎて……!」

「ど、ドキドキなんかしないのっ。アンタ高校生でしょ、間接キスくらいで、動揺したりとかしないっ!」

 どうしてこうも心臓に悪いのかコイツは、とエリカは胸中でそう零した。

「……じゃあ、その」

「……ん」

「食べて、いーですか……? エリカさんの……」

「バカ。さっさと食べちゃいなさいよっ」

 ぷぃっと赤い顔を背けながらエリカはどうにかそう零す。

 早く食べてしまった方が気楽と言うものだ。この空気は耐えきれそうになかった。そんなエリカを前にしながら日向は逡巡する様子を見せた後に赤面を浮かべつつ「えと、いただき、ます」と緊張した面持ちでクレープをぱくりと口にした。その瞬間にエリカは真っ赤な顔で目を瞑る。

「~~~~ッ」

 そうして日向の咀嚼を目前にしたエリカは恥ずかしさで声にならない声を上げながら項垂れた。自分が口をつけたものを日向が真っ赤な顔で味わっている光景をとてもではないが見ていられない。

「……エリカさん」

「……な、何よ……」

 互いに狼狽と動揺を赤面に変えながら、

「……何だかクレープ、今まで食べた事ないくらい美味しくて、凄い好きな甘さに感じちゃいました……」

「クリームの甘さよバカァッ!!」

 エリカは頭を振って力の限り否定した。

 対する日向はエリカの顔をまともに見れないのか俯きながら。

「だって、何か凄い好きな甘さでしたー……」

「し、知らないわよっ! わ、私が食べた後ってだけで味が変わるわけないでしょバカじゃないのアンタは!?」

 先程厄介な事に味が変わった感覚を体験したエリカであるが日向の発言は絶対に反論したかった。ここまで恥ずかしくて仕方がない事を言われるなどもってのほかだった。

「甘くて、美味しかったです……」

「な、何度も言わなくていいの! っていうか言うんじゃないわよバカ!」

「ごちそーさま、でした……!」

「私に向けて言わないでよ!? 作ったお姉さんに言いなさいよ!?」

 ぷしゅー、と湯気が昇る様な赤い顔でそう言う日向にエリカは真っ赤になってしまう。

 ぶんぶんと必死に首を振ってエリカはそう頑なに叫ぶ。

「でも――」

「でもじゃないわよ!」

 エリカはそう叫ぶと、そうだ、と天啓が舞い降りたエリカは一気にまくしたてる。

「飲み物!」

「え?」

「そうよ、そうよ、飲み物いるでしょ? 喉乾いたわよね? っていうか乾いたでしょ? 乾いたって言いなさい! 言わないなら殴る! なーぐーるーっ!」

 矢継ぎ早に拳を握りしめながらそうまくしたてるエリカの様子は動転の様子がありありと浮かんでいて日向はそんな姿に可愛いと言う意識を抱いて頬を染めるのだが、殴られるのも困るので動揺しながらも喉元の渇きは事実なのでそのまま返答する事に決めた。

「ええ!? い、一応乾きましたけど――」

「そっか! じゃあ私、自販機で買ってきてあげるわよ、うん! ほら何がいい!?」

「えと、オレンジジュースがいいですが――」

「そっか、柑橘系好きなのね了解!」

「はい、エリカさんの匂いと同じで大好きなんで――」

 そこまで言われかけてエリカはダッシュした。

「――すよね?」

 あれ? と、最後は話すら訊いて貰えなかった事に日向は頭に疑問符を浮かべたのだった。



 新橋エリカは一番近くの自販機に到達すると共に自販機に両手を勢いよく叩き付けた。

 自販機が人ならば『がふっ!』と言わんばかりの衝撃である。そして本来この程度全力疾走したとしても息切れを起こさないはずの体は今は珍しく荒い息を零していた。

「何なのよ、もう……」

 掠れる様なか細い声を発した。

 そうしてぽすんと自販機に頭を軽く押し付ける。傍目には見えないが、仮に下から見上げたならがわかるが――エリカは顔中真っ赤にしていっそ悔しげな表情すら浮かべていた。

「何なのよ本当あのバカは……!」

(間接キスすれば甘くて美味しかっただの、あんな赤い顔で言ったり、人の匂いを散々好きな香りだとか言ったり、もう――素直に言えば何でも許されるわけじゃないんだからね!?)

 だと言うのに、さも全部素直に言わなくてはいけない様に度々言ってくる。

(接してるとわかるけど――もうちょい照れ隠ししたりとかしなさいよ。どんだけ素直に本心語ってるのよ、あのバカは……!)

 言われている側は羞恥でたまったものではない。

 思わず飲み物を買いに行くと言う文言で逃走してしまったくらいだった。逃走、と言う言葉が浮かんだ事でエリカは若干悔しそうにするのだが仕方ないとばかりに首を振った。

(あー、もう! 男子にホントにこんな逐一恥ずかしい想いさせられた試しないわよっ!)

 片手で軽く自分の顔を仰ぎながらエリカは「うぁぁ」と声を零す。

 ノースリーブの服で良かったかもしれないと思うくらいに体が熱かった。

「普通、あそこまで素直に言ったりしないでしょ……!」

 どうにもこうにも素直で――そこは好感が持てると同時に厄介過ぎるとエリカは考えるくらいに。

「本当、何であんな素直なのかしらね」

 呆れた様に嘆息を浮かべる頃には、ようやく火照りが薄まってきたところでエリカは自販機へ目を向けた。

「さっさと買って戻らなきゃ」

 そう呟きかけて「……戻らなきゃだぁ……」と再び顔を赤くさせながら項垂れる。

(絶対この後もこういうの続きそう……ああ、もう!)

 まだ日向と一緒にいる時間がしばし続くのだ。

 憂鬱なんて酷い事は言わない。だがひたすらに厄介だと思って赤くなる。

「あっれー?」

 そこで不意に何か嫌な感じの声がした。

「なな、あの子美人じゃね?」

「お、マジだ背格好ちょー好み」

 そのある種訊き慣れた流れの声にエリカは先程までの顔の赤さをすっと引っ込めて、一気に目に鋭さを微かに込めた。理由は単純――そう言う場面に何度も遭遇した事があったからだ。

「ねーねー、彼女。こっち向いてよ?」

「悪いけど、早く戻らないとだから」

 そう言いながらすっと静かに横を通りかける。

 だがふっと男の手が腕へ伸びてさっと振り払う様に距離を取った。

「なんだよ、つれねーな」

「あ、でも見ろよやっぱしちょー美少女!」

「だな、すげぇ好み好み! 顔ちいせー!」

 エリカの顔を目視して男達は興奮した様な声を上げる。

 そんな様子を見ながらエリカはふと何気なく思った。

(――どうしてかしらね。こういう奴らに言われるとムカッとくるのは)

 日向に言われると恥ずかしくてしょうがないと言うのに、今現れている三人の男に言われても全く動じない。と言うよりイラッとくるくらいだ。

「ねぇ彼女暇? ちょっと俺らと付き合わなーい?」

 顔立ちは整っているが全体的にチャラさが滲むイケメンがエリカの右方に歩み出ながらそう発言した。続いて筋肉質の男が前方に回り込んで不敵に告げる。

「お前くらい美人なら可愛がってやるぜ?」

「悪いけどお断りよ」

「そう言うなって。痛い事はしねぇぜ? むしろ気持ち良かったりしてな」

「ぎゃははは、セクハラかよケツ!」

 ニヤニヤしながらそう言われてエリカは不快な気持ちを抱く。

 左方の目つきが何とも悪い男は「うわ、近くで見るとマジで美少女じゃん。胸もデカいしスタイルいいし、マジ好み。そそる、そそる!」と下卑た視線を送ってくるのでエリカは目つきを鋭くさせた。

「お、なに、彼女怖い目で睨んで? 可愛い顔が台無しだぜ?」

「可愛くないから気にしないわよ。いいから早くそこ退いてくれるかしらね」

「なんだよ、つれねーな。っていうか、状況わかってる?」

 そう言いながら男は腕を伸ばしてエリカの右腕を掴みにかかる。

「触れないでくれるっ」

 苛立ちを浮かべてその手を叩き落とした。

「つっ。いてーな、ほんのり赤くなったらどうする!」

 無駄にリアリティのある事を言った。

「かーのじょっ。大人しくついてきた方が見の為だよー?」

「気の強い女は好みじゃねぇな。躾けてやるよ」

 そう獰猛に告げて男はすっと今までの御遊びとは違う気配を漂わせてエリカへ手を伸ばす。

 エリカは即座に反応を示した。

 今までとは違う気配――加減は無用。故に足に力を込めて得意の蹴りで対応する。――そこまで思考を働かせたところでふと気づいた。

(――あ、スカート)

 日向が。日向が純粋な善意から購入してくれたスカートだ。ロングスカートがそうそう脆いわけではない。だが今の服装は日向が選んでくれたもので汚れてしまうには申し訳なさが微かに脳裏を走った。その一瞬の判断が境となってエリカは右腕を掴まれてしまう。

「しまっ――」

「へへ、つーかまえた」

「誰の何をですか?」

 そこでほぼ同時に三人目の声が響く。

 朝から一緒にいて訊き慣れている少年の怒気が入り混じった低音の声が。

 男が「あん?」と柳眉をしかめると同時にその腕に鋭い手刀がつきつけられた。

「いでぇ!?」

 男の悲鳴が響くとエリカの腕を掴む力は緩み、エリカは即座に腕を引っ込めた。

「な、何だよお前――!」

「何か?」

「あ、あでででで……!」

「これ以上痛い目みたくないなら即刻立ち去って頂けますか?」

「ふ、ふん、この程度の痛みで俺達が引くわけが――」

「さもないと、へし折っちゃいますよ☆」

「ま、待て、明るい割に声が怖いぞ!?」

「なら、さっさと消えて頂けますか?」

 そう零す日向の声は耳にした対象の悪寒をぞっと湧き上がらせる怒気を孕んでおり、男は涙声で「わ、わかったよ!」とそれでもどうにか面目を立てる様に強気な声を発した。

 そして腕を離されると男三人は一目散に駆け出していく。

「くそう、昨日も銀髪に怒られて今日は青髪の年下に負けるとか……!」

「強く生きようぜケツ! いいさ、いいさ、無垢な可愛い系も、強気な美人系も願い下げだー! 明日は絶対、おしとやかな美少女を狙ってやるんだー!」

「ちきしょぉおおおおおおおおおおおおおおうっ!」

 涙を拭う仕草と『三度目の正直舐めんなコンニャローめぇ!』と言う最後の声と共に走っていく男三人の背中を見据えながら日向はホッと胸を撫で下ろす。

 そうしてエリカの方を振り返ると先程までの怒気をなりを潜めて、普段エリカを前にする時の優しい空気に変わっていた。その表情は心配そうに眉をひそめている。

「エリカさん、平気でしたか? 何もされませんでしたか?」

「ええ、大丈夫よ」

「良かったです♪ まあ、エリカさんなら追い払えたでしょうし、僕が出る程の事は無かったかもしれなかったですが……」

「ううん、そうでもないわよ、今スカートだしね。助かったわ、ありがとね」

 エリカは小さく微笑を浮かべてそう零す。

「そーですか?」

「ええ」

「ならうれーしです♪」

「けど何で来たの?」

 エリカが不思議そうに、そう問い掛けると日向は簡潔に答えた。

「いや、エリカさんが戻ってくるの何となく遅いなーって思いまして。だから走ってった方向へ追い掛けてみたら男三人に囲まれてたみたいでしたから」

「そっか。なんにせよ助かったわ」

 けど、とエリカは呟いて、

「アンタ珍しくちょっと怒ってたわよね?」

「あう、それはその……」

 日向は答えに窮す。

 エリカは不思議そうにきょとんとしていると、

「エリカさんが囲まれてる光景見たら何だかムッときちゃって……。自分でも何だか不思議だったんですけど、嫌な感じがして……それで、その……」

 自分でも理解していない様子で何処か困惑を見せる日向。

 そんな日向に対して――日向が自分に対して懐いている事を自覚しているエリカは顔を朱に染めてムッとした表情を浮かべた。

「なによそれっ、本当アンタはもう」

「変な事言ってるのはわかってるんですが……あう」

「本当変な事ばっか言うんだからアンタはもう……」

「ううー」

 しょぼんと項垂れる。

 そんな日向を一瞥しエリカは「……けどまあ、本当ありがとね」と優しい声で感謝を零す。すると日向は柔らかな笑顔を浮かべて「……はい♪」と嬉しそうに頷いたのだった。

 しかしその直後、日向の目が何処か怪訝そうな様子を浮かべて、随分遠くを見る様な視線に切り替わった。それを間近で察して、

「どうかした?」

「あ、いえ、その……あそこなんですが」

 日向が指でさす先には少し離れた位置にあるベンチが見えた。そしてその上に座る人物の姿も確認出来てエリカは神妙な表情を浮かべてみせる。

「アレって……」

「……エリカさん、その」

 日向の言わんとしている事を察してエリカは頷いた。

「行ってみましょ」

「はい」

 そうして二人は行き交う人がどこか気にしながらも対応に困る様に距離を隔てているその場所へと足を運ばせた。

 そこにいるのはベンチの上に座る一人の少女だった。

 足を垂らしながら悲しげにしゃくりあげて、目元を小さな手でこしこし拭っている。黒髪を後ろで縛った可愛らしい容貌の少女であった。しかし、その明らかに漂う悲しみは目を否応なく引きつけてしまう。

 そもそも年の頃がおそらくは小学校低学年――一年生くらいだろうか。

 そんな少女が一人でこんなところにいるのがおかしな話であった。

 気にかからないはずもない。

 傍へ寄った二人はさてどうするかと考えた後でまず日向が優しい声で声をかけた。

「どうかしたんですか?」

 と、日向が目線を合わせる様に屈みこんで尋ねかける。

「……お姉ちゃん達、誰?」

「ん、通りすがりの高校生かしらね」

 エリカは少女が驚かない様に優しい声と笑顔でそう語りかけた。

「お嬢ちゃん、お名前は何て言うのかな?」

「……紗奈(さな)

「紗奈ちゃんか。何で泣いてるのかしらね? 何かあった?」

 そう尋ねると「……うん」と悲しそうに少女が頷く。

「そっか、どうしちゃったのかな?」

「るるがね、いなくなったの」

「るる?」

「飼い猫さん。大切な家族なの」

「そっか、猫さんか」

 エリカは柳眉をひそめながら得心が行った様子で頷いた。

「つまり、大切なペットがいなくなっちゃったってわけですか……」

「そうみたいね」

 日向は少し悩む様子を浮かべた。

 こんな小さな女の子が泣いている場面で『見つかるといいね』と返せる性分ではなかった。『見つけてあげたい』が日向の性分であった。ただ、それをやると言う事は――、

 そこまで考えて日向は申し訳なさそうな表情でエリカを見る。

「あの、エリカさん……その」

 そんな日向の様子にエリカは微笑を浮かべて答えてくれた。

「わかってるわよ。猫、探したいんでしょ?」

「はい。けど多分見つかるまで時間かかりそうだから……お礼返し、中途半端になっちゃう形になるかと思います……」

「いいわよ、別に」

 エリカは優しい表情で首を小さく振る。

「ありがとーございます、エリカさん」

「気にしないで。と言うか、私はこの局面でこの子放置する選択肢を選んだなら、その時点で怒った事だろうしね」

 そんな彼女の発言に日向は穏やかな笑顔を浮かべた。

「エリカさん、やっぱり凄くやさしーです♪」

「だから普通だっての」

 可笑しそうに苦笑を浮かべた後にエリカは再び少女を見やると、優しい声で語りかける。

「猫探し、お姉ちゃん達も手伝ってあげるね」

「……本当?」

「ん、本当」

「……!」

 少女は目尻に涙を溜めた後に「ありがとー……!」と嬉しそうに零した。

 そんな少女の涙を軽くハンカチで拭ってやった後にエリカは問い掛けた。

「それで、そのるるってどんな猫なのかしら?」

「えっと、白くてキレーな猫なの」

「白猫かぁ」

 ふむ、とエリカは考える。

「どのくらい白い子なの?」

「えっと、全部白いの」

 どうやら完全な白猫の様だ。

 斑模様とかではないらしい。しかし、白ネコと言うだけでは候補が大き過ぎる。そこで今度は日向が質問を投げ掛けた。

「じゃあ何歳くらいかわかりますか?」

「わかんないけど……おじさんっておにーちゃん昔言ってたの」

「おじさん……」

 昔、と言う時点でおじさんと言う事は相当歳がいっているはずだ。現在は壮年なのは予測がつく、と日向は断定する。

「わかりました。それじゃあ瞳の色は何色ですか?」

「えっと、赤だった」

「赤、ですか?」

 日向はふむふむと頷く。赤い瞳の猫とは珍しい。そう言う認識であったが隣のエリカは違う反応を見せた。

「そりゃまた随分珍しいわね」

「エリカさん、何か知ってるんですか?」

「一応だけどね――もしかしたらアルビノかもしれないわね」

「アルビノ?」

「ええ、白猫って言うのは遺伝学上の観点から言えば二種類に区分されるのよ。白色遺伝子って呼ばれる優性遺伝子。それと色素を持たないアルビノの場合とでね。その場合はアルビノなら瞳が赤いのが区別の要因になるらしいわ」

「そうなんですか……!」

「猫のアルビノって珍しいって訊くけど――こと、今に限ってはありがたいわね」

 確かにありがたい、と日向も頷いた。

 なにせそれは特徴として作用するからだ。アルビノの猫――それだけ要因が揃ってしまえば後は比較的容易に探し出せるのではないだろうか。

「よし、それじゃあ探しに行きましょう!」

 そうして日向とエリカは本来とは違う筋道――猫探しの幕を開けたのだった。





第三章 仲篇:エリカとしみじみ

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