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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Quatrième mission 「ヒーローと休暇」
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第二章 少年少女の休日前線

第二章 少年少女の休日前線


        1


 それは神奈川県横浜市内に存在する県境を跨ぐ巨大学園『芳城ヶ彩(さいじょうがあや)共同高等学院(きょうどうこうとうがくいん)』における三校の一角、真白月(マナシラヅキ)こと通称シラヅキでのある授業中の一幕から始まった事である。

 金曜日の三時限目。体育の授業中に青髪青目で女顔と言う日本人離れした目立つ容姿を持つ少年、弦巻(ツルマキ)日向(ヒナタ)は折れていた足も治ったので杖をつく必要も無くなり、現在は体育館の壁際近くにちょこんと座りながら、ぽけーっと視線をいつもの様に一人の少女に向けていた。

 明るい綺麗な茶髪に同色の瞳を持つツンとした目元が印象的な美少女、新橋(シンバシ)エリカ。

 容姿端麗な上に気さくでサバサバしていると言う一学年でも人気の高い美少女のジャージ姿が体育館をバスケットボールと一緒に駆け巡る姿に視線は惹きつけられてしまっている。綺麗なフォームでボールをゴールに決めた姿を見てほわぁっとした笑顔を浮かべていた。

 そんなエリカが「よしっ」とポニーテールに結った髪をなびかせながら振り向いた最中に不意に視線が合った。軽く小首を傾げながら笑顔で手を小さく振るとむっと軽く頬を赤くしながらツンっとそっぽむいてまた駆け出す。

(……僕何かミスったかな?)

 自分なんかに手を振られたくなかったのだろうか? そうだとすると悲しい気持ちが出てくる日向である。こと数日前に散々あんな騒動が起きた事もあるので否定しきれないのが辛いところである。

「けど、解決した後は今まで通りに話してくれてるし……?」

 不思議だなぁ、と日向は小首を傾げて唸った。

 原因は度々笑顔を向けられるものだから気恥ずかしくて仕方ないと言うエリカの心中があるわけだが基本鈍感な少年はそこに気付けずにいた。

「うーん……それで言えばやっぱり……」

 日向が目を瞑りながら少しある事を考え始めた時に不意に「よっ」と声がかかる。

陽皐(ヒサワ)君」

 声の方へ顔を向けてみればそこにはクラスメイトであり、友人の陽皐秀樹(ヒデキ)が立っていた。何故だか顔が赤い。ひりひりしてそう、と言う意味で赤い。

「どーしたんですか?」

「ダンクしようとしたら勢い付き過ぎてネットにぶつかっちまってな……フ」

 それはジャンプ力が凄すぎるのではないだろうか? と、日向が思ったところで後方から別の生徒が「格好つけるなよ陽皐。お前、ダンクしようと飛んだときにボール落として顔面ぶつけた自爆なだけだったじゃねぇか」と笑いながら過ぎていった。「バラすなよ!」と大声で怒鳴るももう遅い。

「うわぁ……」

 格好悪い、と思わず想ってしまう。

「なんだよ……そんな目で見るなよ弦巻まで。俺がそのミスした際に肩を震わせて必死に笑いを堪える奴らと懸命に見て見ぬふりする奴らの仲間入りなんか止してくれ!」

 秀樹は床に四つん這いで嘆きの声を発した。

「そ、それは何と言うか……すみません」

「ちくしょう……! 次回こそ決めてやる……!」

 どうやらリベンジには燃えている様だ。

 そうして落ち着いたのか秀樹は日向の隣に腰を下ろして、

「で、お前はいつも通り、新橋見てたわけか? 好きだねぇーこのムッツリ」

「む、ムッツリじゃないですもん! ……エリカさんを見てたのは、そうですけど……」

 頬を朱に染めながら日向は小さな声でそう答えた。

「体育の授業中とかいつもそんな感じだもんな。見ろ、おかげであんな感じだ」

「あんな感じ?」

 秀樹に言われて日向が視線を向けるとエリカに対してクラスメイトが「委員長、相変わらず弦巻君に見つめられてるよねー愛されてるぅー♪」とひやかされていた。対するエリカは「だー! うるさいわね! 知らないわよそんなのバカ!」と赤い顔でクラスメイトにボールを叩き付ける勢いでパスしていた。そのクラスメイトは「うひゃーパス強っ!」とどうにか受け止めている場面である。

 その光景を見ながら日向は、

「凄い怒られそうな気配がします、僕……!」

 戦慄していた。確かに後で怒られそうであった。

 そうして軽く縮こまりながら、

「これでどうにか出来るのかな……ううん」

 と、困った様に唸る。

「どうした?」

 秀樹は何を悩んでいるのかと疑問を浮かべた。

 いえ……、と間を置いてから日向は告げる。

「実は考えてる事がありまして……」

「考えてる事?」

「はい。その……エリカさんにこの前の一件でお礼を、と思いまして」

「お礼? お詫びじゃなく?」

 秀樹は不思議そうに呟いた。何故『お詫び』と考えたかと言えば、弦巻日向が新橋エリカに数日前にある事件で一悶着起こしてしまったのが原因だ。それは解決に至っているので現在は問題ないとして、その際にエリカに何か申し訳ない事をしてしまったと言うのが秀樹の見解な為に『お礼』と言うのがどうにも違和感がある。

 と、そこで一つ思い当たる節があるのに気づいた。

「ああ――、そう言えばお前の言葉を信じてくれて放免してくれたんだよな」

「はい。そこもそうですし、他にも救われた点があるので……」

 なるほど。そういう事かと理解を示す。

 つまりは騒動の際に本来怒って口きかない形になってもおかしくないのに、日向の言葉を理解してその上、色々気を回してくれたことへの感謝の念なのだろう。

「だから、お礼、か」

「はい♪」

 笑顔を浮かべて日向は頷く。

 だがふっと眉をひそめて、

「でも、わかんないんですよね」

「どんなお詫びがいいかって事か?」

「ええ。一応、お礼の仕方に関しては目途はつけているんですが、そこに細かな内容を入れるとするとどうしたもんかなーって……」

「ふーん?」

 思い浮かんでいるのならまだ良い方だろう。

「そう言う話、実は恭介先輩も言ってんだよな」

「先輩もですか?」

「ああ。淡路島先輩に世話になったからどうにかーってな」

「そうなんですか……。先輩に意見でも訊こうかと思ってたんですけどね」

「まあ、思考してるっぽいからな。それに弦巻。そういう事なら多分、恭介先輩よか適任者がいると思うぜ?」

「適任者?」

 不思議そうに首を傾げる日向に対して秀樹はそっと指でその人物を示した。

 丁度、その人物は体育館のコートでバスケットボールを自在に操り流れる様な動作でゴールを決める瞬間であった。その折に遠巻きに見ていた女子達が黄色い声を上げている。

 日向は「――ああ」と納得した。

 黒髪に鮮やかな青色寄りの藍色の瞳。端正に整った顔立ちに、180はあるであろう高身長。おおよそイケメンと形容して十分過ぎる程の容姿に運動神経も抜群で勉強も得意であったりする彼の名前は新橋(シンバシ)ユウマ。

 新橋エリカの兄に当たる男子生徒であった。



 お昼休み。

 授業を終えた日向は1-Dを出て隣のクラスである1-Eに足を向けていた。理由は、相談したい同級生であるユウマに逢いに行くためである。隣のクラスと言うだけでクラスの雰囲気は当然のごとく様変わりするもので1-Dの性質が『騒がしさ』だとすると、1-Eは『ほのぼの』とした空気が生まれている。その為に比較的入りやすいクラスであった。

 日向はそっと後ろのドアから中を覗く。

 お昼時なだけあって生徒はまばらだ。ただユウマの姿が見えない。四限目が数学で四苦八苦する形でノートのまとめをしていたので時間を取られたのが災いしたか。出遅れてしまったらしい。

「いないですねー……」

 こうしていても仕方がない。日向は少し悩んだ後に近くの生徒に声をかけてユウマが何処にいったのかを質問する。

「新橋? なら、天道(テンドウ)と一緒に学食行ったぜ?」

 と、言うありがたい情報を貰ったので日向は即座に学食を目指した。

 学食と言えば大半はルポゼであるので校舎から出て、ルポゼへと足を運ぶ。



 到着したルポゼはやはりと言うか大盛況であった。

 人がごった返している。何度来ても大勢の人に溢れている場所だ。

「けど、とりあえずはユウマを……!」

 捜し人を探すべく視線を巡らせる。けれど生憎とユウマらしき人影は見られなかった。日向の視力は割とかなり高い方なので見られないとなると小首を傾げた。もしかすると今日は別の学食なのだろうか?

「……ううん、とりあえずごはん食べてから別の所捜そうかな」

 お昼時なので流石に日向もお腹が減った。

 戦地の時は平気だったのだが、如何せん、平時に戻ると腹が減るものだ。とりあえず簡単に食べられるものを買おうと考えた。それに時間が経てば教室にユウマも戻るだろうしと思ったので一先ずはご飯にありつこうと食券の自販機へ足を運ぶ。

 そうして自販機の列に並んで財布からお金を取り出した時だ。

 どんっと背中に衝撃が走った。「あ、わり」と言う事がして、ちらりと視線を向けると暗視生徒がトレーのうどんを零さない様に歩いていく姿が見て取れた。時々は仕方ない事なので特に気にせず日向は視線を戻す。

 五百円玉が消失していた。

「……あれ?」

 おかしい。五百円がない。

 そう認識した瞬間に日向は視線を走らせる。何処だ――と加速した思考は瞬時に五百円玉の行方を捕えた。見事なまでの速度でコロコロと転がっていってしまう五百円玉の姿がそこにはあった。逃がすわけにはいかない。日向は即座に駆けだそうとした――だが、そこはドジの日向である。

 なんとこの場面で盛大にコケた!

「みゃふ!」

 ベチンと突っ伏しながらも「まだまだ……!」と起き上がろうとするが、そこでまた厄介な事に気付いた。今度はお財布が手にない。代わりに視界の端に『空を飛んでるぜー!』とばかりに弧を描きながら空を舞うお財布の姿があった。

 そして着地点は丁度――食器洗い場だった。

「うぇ……!?」

 ついでに言えば五百円玉は飲み物自販機の奥へ転がっていき二度と戻ってはこなかった。

「ふぇ……!?」

 日向は涙目にすぐさま切り替わった。

 まさかの一瞬にして全財産喪失である。五百円玉もそうだが、食器洗い場は食べた後の食器を洗うスペースだ。そんな場所に財布を落とせば――見るも無残としか言えないだろう。

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 目から涙をぽろぽろ零しながら日向は少し泣いた。

 道行く生徒達が『なんだ、何があったんだ』と言う視線を向けてくるが、もうお財布もお金もダメである。財布の中には五千円と言う大金もあったというのに。

 ご飯ももれなく喪失した為に日向のショックは結構大きかった。

 そんな時である。

「……えーっと、何、床で泣き崩れてるの弦巻は?」

「……あ」

 ふと顔を上げてみると何があったんだろうと屈んでこちらを窺うエリカの兄――新橋ユウマの姿があったのは。



「……」

 目の前にはほかほか湯気の美味しそうなから揚げ定食があった。

「……食べれば?」

 そう促す眼前のイケメンな少年、ユウマに対して日向は少し迷った後に「いーんですか?」と声を発した。

「いや、凄い食べたさそうだし、何より食べて貰わないと買った意味もないしね」

「エリカさんのおにーさん、優しいです……!」

「優しいって程の事かな……?」

 ユウマは苦笑を浮かべて小さく笑った。

 なにせ――、目の前で泣く妹のクラスメイトがいたのだ。何事かと話を聞いてみれば、よくわからない流れで全財産が失われないまでも悲劇的末路を辿ったらしい。確かに回収してはみたが財布の方は壊滅的であった。乾かしても難しいだろうから、一応後で銀行で交換してみればと意見を出して置いたのでいいが、生憎とお昼には間に合わない。

 という事で現在、日向が食べているから揚げ定食はユウマが奢ってあげたものだ。

「えと、代金は休み明けに必ずお返しします……!」

「うん。けど、まあとりあえず冷めないうちに食べたら?」

「はい♪」

 いただきます、と告げて日向はガンガン食べていく。お腹が減っていると言うのももちろんあるのだろうが、それ以上に目的として相談したい事がある為に、早くたいらげてユウマに相談をもちかけたい様子だ。

 ちなみにそう言う事なので一緒に訪れたユウマの友人、天道(カケル)と言う少年がいるのだが「話終えるまでちょっと席外しておくね」と気を利かせて少し遠くでこちらの様子を窺いながら食事していた。そう言う事も含めて日向はさっさとたいらげるのが一番なのだ。

 そうしてぱくぱくと箸を進めて五分程度で平らげた日向は喉が渇いた事に気付かされてしまい軽く視線を近くの飲料用の水道に向けた。

「ほら」

 と、そこでユウマが緑茶のパックジュースを差し出す。

「え?」

「いや、飲み物ないのって地味に辛いでしょ? だから弦巻のぶんも買っておいたんだよ。緑茶はダメだった?」

「や、そんな事ないです、好きです。けど、いーんですか飲み物まで……」

「いいよ、別にそんな気にしなくて。高いものでもないし、俺のおごりかな」

 そう言われて差し出された緑茶を持ちながら日向は思った。

「おにーさん、凄い優しいですね……!」

 なんだこの優しい対応はと。床に突っ伏して泣いている意味不明な状況にあったのを助けてもらってお札の交換も教えてもらってご飯の代金立て替えてくれた上にドリンクまでおごってくれたのである。

(エリカさんも面倒見いい人だけど、おにーさんは何か凄い頼り甲斐あります……!)

 何だろうかこの頼もしさは。

 ちなみに対面するユウマとしてはトイレに一度行って出てきてみれば知り合いが絶望的な表情を浮かべているのでどうにも見過ごせなくなったと言うものである。案の定訊いてみれば凄い顛末だっただけに妹から訊いていた『不運』だし『ドジを踏む』と言う情報は間違いではなかった。

(何度か顔合わせた時も妙に危なっかしい感じしたもんな)

 予感的中だ。

「あの、それで何ですけど……」

 ふと、そこでジュースを少し飲んだ日向が声を発した。

 どうやら相談事の様子だ。ユウマは「ん、なに?」と訊く体勢を取る。

「えと、エリカさんのおにーさんに訊きたいんですけど……」

「まあ、内容によるけど……とりあえず、その『エリカさんのおにーさん』って長いからもっと普通でいいよ?」

「ユウマおにーさんですか?」

「いやいや」

 苦笑を浮かべながら「ユウマでいいよ」と優しく告げた。

 そうなんですか? と日向は小首を傾げながらも嬉しそうに彼の名前を呼んだ。

「じゃあ、ゆーまって呼びますねっ」

「オッケー」

 小さく頷いて首肯する。

 流石に『エリカさんのおにーさん』は些か長いのだ。

(……にしても子犬と接している気分だな、なんか)

 何故か嬉しそうに名前を呼ぶ少年の頭に犬耳が見えてくる様だ。

 それはそれとして。

「それで、弦巻が俺に尋ねたいってのは何の事なのかな?」

 そう疑問符を浮かべるユウマに対して日向は「えっとですね」と前置きした後に大まかな事情を伏せるべきところは伏せて語り始めた。



「――つまり弦巻はお礼がしたいって事でいいわけ?」

 あらましを説明し終えた日向に対して箸で焼肉を一切れ掴みながら目の前で「はい」と首肯する日向に「なるほどね」と返す。

「まあ、お詫びも兼ねてなんですけどね……」

「お詫びか……。この前に騒動に関してはそんな詳しく訊いたわけじゃないからな俺は。当時はエリカも雰囲気で『訊くな』って感じのオーラ出してたし」

「そ、そうなんですか……」

 怒気に違いない。日向に向けたものに違いない。

 若干蒼褪めながらも首をふるふる振って会話を続ける。

「まあ、その事からエリカが騒動に関わったのはわかるとして……なるほど、弦巻が何かしちゃったわけだね?」

「はい、真に申し訳ないながら……」

「ま、何をやったかは尋ねないでおくよ。エリカも弦巻も話さないだろうし、なにより一応は決着したみたいだしね。俺が今更口に出す事じゃないと思うから」

「ありがとうございます。けど、その……ゆーまは怒らないんですか?」

「ま、本人がもう水に流したり何なりしたならね。それに弦巻も申し訳ないと思ってるならなおの事って感じかな。だからまあ、その事に関してはこれ以上は言及しないでおくとして……」

 ユウマは一拍間を置いて、

「つまり、弦巻はエリカにお礼とお詫びを兼ねて、休み期間中にお礼返しに誘いたいって感じなわけか」

「はい。お昼とか御馳走したり、たのしめそーな場所に連れていけば喜ぶかなって想いまして」

「ふーん、なるほどね」

 ユウマは小さく頷く。

 それは俗に言うデートと言うジャンルではないだろうか――と、彼は思うのだがどうにもお礼に連れて行きたいと言う想いが日向からは感じ取れて少し考え込む。

 まあ、なにはともあれ。

「エリカを連れ出すのは弦巻自身が頑張るとして……問題は、何処がいいのかってわけか」

「はい。僕、まだエリカさんが何処に行けば喜ぶのかとかわからなくって……。ゆーまならそう言うの詳しいかなーって想いまして……!」

「本人が活動的な奴だから結構遊園地とか楽しみそうだけど、その期間混んでるだろうし、そう考えると……意外と街中をぶらぶらとかいいかもしれないな」

「そーなんですか?」

「エリカはね、あんまり放課後とか遊ばずにすぐ家に帰って来るタイプなんだ。買い物とかあれば別だけど、基本学校帰りに何処かで暇つぶししたりしない奴だからさ」

「なるほど……!」

「だから結構色々なとこ連れてけば喜ぶとは思うんだ」

 ユウマは焼肉を口に運びながら実に妹を理解した明朗な提案を発する。

 流石はエリカの兄である、と日向は感心するばかりだ。

「ただ、俺から言えるのはここまでかな。こういう事は、後は弦巻自身が考えるべき事だと思うしさ」

「……あう、そうですよね。僕がお礼するわけですし……」

 ユウマの意見におんぶに抱っこでは何の意味もなくなってしまう。

 日向はユウマの発言の意図を理解して「わかりました、後は自分で色々考えてみます……!」と力強く答えた。「うん、がんばりな」とユウマは穏やかな表情で目を伏せてエールを送る。

「色々ありがとーございました♪ そだ、今度の時には僕、ご飯奢りますね、ゆーまっ!」

「ん、そっか。楽しみにしてるよ」

「はい♪」

 ぽへーっと笑顔を浮かべながら日向は席を立つと頭を下げて感謝を示してから、その場を去ろうと歩き出す。だが不意にユウマが声を発した。

「それはそれとしてなんだけどさ弦巻。一つだけ訊かせてくれるかな?」

「? なんですか?」

 不思議そうな表情を浮かべる日向に頬杖をつきながら穏やかな表情でユウマは問い掛けた。


「――弦巻ってエリカの事が好きなわけ?」


 静かだがハッキリと耳に届くその声に。

 弦巻日向は少しきょとんとした後に、

「はいっ♪ 僕はエリカさん大好きですよー♪」

 と、天真爛漫な笑顔をもって答えた。ユウマは「そっか」と呟いて「それが訊きたかっただけだからもう行っていいよ」と手を振って送り出す。日向は「じゃまた!」と元気よく声を上げながら何やら携帯電話を取り出して何処かへ通話しながら、学食から去って行った。

 その背中を見送りながらユウマは思う。

(友愛と恋愛の感情がゴッチャと言うか……いや、アレは本人自覚がないタイプかな?)

 あの即座に出せた笑顔の意味は何となくそう感じられた。

「まあ、間違いなく友愛ではないとして……」

 クスリと微笑を浮かべてユウマは小さく呟く。

「なるほど。アレはエリカも苦労するなぁ」

 その声は何とも可笑しそうでいて、どこか楽しげな色を含んでいた。



 ちなみに。

 丁度友人達と一緒に学食へ来ていた際にユウマを見かけたので近づこうとした彼の妹は、途中で聞こえてきた少年の言葉を訊いて直立不動で顔を真っ赤にして全身を震えさせていたと言う目撃談が寄せられていた。彼女はとにかくその後以下の様に叫んだと言う。

「事情も経緯もわかりゃしないけど何を明るい声で言ってんのよ、あのバカは――――ッ!」


        2


 陽皐秀樹はこき使われていた。

 彼の一日が如何なものなのか――それを軽く覗いてみればこんなところだ。

「陽皐―。昼食の席確保しといてよねー♪」

「はいはい、昼食の席なわかりましたよ」

 例えばある女生徒からは学食の席確保要員にされたり。

「陽皐っち陽皐っち! お昼休み後でテニスやるから諸々の準備よろしく!」

「道具用意しとくから勝手にやっててくれや」

 例えばある女生徒からはテニスの準備全般を命じられたり。

「玉拾いもするんだからな?」

「なるべく零さない様に上手くやってくれ」

 例えばある女生徒からは雑用を付加されたり。

「陽皐君、陽皐君。お昼にまた彼氏の話訊いて訊いて~」

「絶対嫌だ! 延々と語られる惚気なんて訊いてられっかぁ! おい、誰か藤生(トウニュウ)の話訊ける猛者ぁ!」

 例えばある女生徒からは他の友達に訊いてもらえない惚気を語られたり。

「コホン……陽皐殿。お時間頂きたい」

夕凪(ユウナギ)お前何をする気だ! もしやまた剣道の練習つき合わされんの!? もういいじゃん決着つけたじゃん!」

 例えばある女生徒からは数日前に起きた一件で色々あったり。

「ひーにゃん、ひーにゃん。煙草の事、秘密にしとくから安心してね!」

「おいこら、そこぉ! 流れに紛れて俺に新たな罪状追加にかかってくんじゃねぇよ冤罪ですから睨まないで先生! 千疋(センビキ)の悪い癖なだけっすから!」

 例えばある女生徒は厄介な行動で追い込もうと悪戯してきたり。

「陽皐君、勉強教えてくれないかなー?」

「あー、まあわかる範囲でならな……くっ、ようやくマトモなのが……!」

 そして順当に勉強を見てもらうと言う内容であったりだ。

 数日前に起きた大波乱の事件。破廉恥騒動と言い換えても構わない『下着泥棒』、『覗き魔』、『女子更衣室突貫野郎』と言う三名の容疑者が容疑を晴らしてその後のお騒がせ分の贖罪と言う形で行きついた妥協点――それが秀樹の現状だ。結果として昼休みや放課後に見事なまでの雑用係として働かされていた。

 比較的ピンチだったはずの日向と恭介が平穏なのに対して何か一番楽に片付きそうだった自分が一番面倒事に巻き込まれている気がするも、裸を見たのは事実なので強く言う気もない。とりあえず甘んじて二週間、こうして奉仕活動するのみだ。

 そうして数日が立って現在の5月2日なわけだが、そこで秀樹はようやく前々から抱いていた違和感に気付く。

「なあ、千疋?」

「んー。なんだいどしたい、ひーにゃん」

 フリルのついたカチューシャをつけた可愛らしい印象の少女が秀樹の不思議そうな声に首を傾げながら反応する。

「いや、ちょいと聞きたいんだけどよ」

「いやん、ひーにゃんってば女子の生理時期が訊きたいとかいけないんだー」

「お前大声で俺をとことん貶めようとする遊び止めてくれるか!? そうじゃなくて、お前、このクラスにいるはずの女子何処だよって話!」

「幽霊じゃない?」

「さりげなく自分のクラスに幽霊いるよって感じでお前はそれでいいのか!? いや、いただろこう儚げっていうか妙に大人しそうな印象の女の子!」

「むー? もしかしてひーにゃんが入ってたロッカーの子?」

「その思い出し方されるの辛いけどまあいいや。そう、その子。俺昼と放課後に来るけど見かけた試しが無いんだが……」

「あー、あの子は基本昼休みと放課後すぐ消えちゃうからなー」

「消えるっておい」

 秀樹は苦笑するが千疋はこう楽しそうに答えた。

「いやいや、本当に消えたみたいなんだよね。なんと、休み時間になるとあら不思議で教室からふっと消えてるからね!」

「どんな神業だそれは! 第一それだとお前も場所わかんないだろ!」

「いんや。千疋屋さんに不可能はないんよ」

「ここにもハイスペックが一人いたか……!」

 どうにも学院には随所に妙に高いスペックの生徒がいる様だ。

「だからまあ、ひーにゃんとはすれ違いになってるんだろねー」

「おお、そうなのか……」

「そそそ。なになに、ひーにゃん。彼女が気になるってかい? まあ、大人しげだけど胸部は全く大人しくない女の子だもんねぇ」

「お前は親父か! って、ダメだこのままだとツッコミで終わる」

 どうにもボケをこなしまくる千疋とは相性がいいのか悪いのかと言う話になる。

「それでさ。あの子どこいるんだよ?」

「んー、何でそんなに気になるのかな?」

「いや。だって俺が一番迷惑かけたの一応あの子だしな。まあ、色々お詫びも込めて気になるっていうかさ……」

「んふふー。律儀だねーひーにゃんは」

 何故か楽しそうにも、そして嬉しそうにも見える表情を浮かべながら千疋は「仕方ないなぁ教えてやろっしゃい」と言う妙なノリで秀樹の質問に千疋はこう答えた。

「あの子はね――」



「相変わらずでっけぇなぁ……」

 秀樹はその足で第四学区『大図書館(マグナ・ビブリオテーケー)』まで訪れていた。

 千疋曰く明日香(アスカ)羽叶(ハカナ)は度々ここで目撃されていると言う話な為だ。しかし、何度訪れても感嘆の息は無くならないと秀樹はこの景観を見ながらそう思った。

 芳城ヶ彩の大図書館と言うのは文字通りに巨大すぎる場所なのだ。

 第四学区と言う巨大な敷地面積全てを使ったこの建造物はその全てが書庫として機能している。無論、内部に何か所かカフェスペース等の飲食施設が施されているが、その大半以上は全てが蔵書の為の場所だ。そしてその余りある大きさは正直な話、一日で全ての場所を巡る事は不可能な広大さを持っている上に、入り組んだ本棚の列はある意味迷路と化しており、入ったら出られずに彷徨う者もいると訊く程である。

 しかし、その蔵書の豊かさから爆発的な人気を誇っている。

 また大図書館はシラヅキの学生だけのものではなく。中央入口付近にシラヅキが存在するが、左入口からはミカアカの生徒が、右入口からはセイゼンの生徒が入ってくる為に普段で合わない人との出会いもあると言う場所だ。割と距離のある三校の生徒がすぐに入れる場所に出入口があると言う時点でこの建造物の巨大さがわかるというものだろう。

 そして身長の七倍はあるであろう高さの雄大な扉が自動でゆったりと開き、足を踏み入れる秀樹はまたも「うひゃあ……」と感嘆を吐く。

 何度見てもやはり荘厳の二文字が似合う場所だと感じる為だ。

 入ってすぐ目に飛び込むのは上から見て円形に造られたカウンタースペースでありスタッフや図書委員が本の貸し出し、案内を行う等の対応をしてくれる。

 だがすぐに左右に目を向ければまるで鏡合わせしたかの様に奥の見えない本棚がずらっと並んでおり眩暈がしそうな程の光景が広がってくる。かと言って上に目を向ければ、五階建ての高さが視界に飛び込み、所せましと並ぶ本の大群が押し寄せてくるかの様だ。天井のステンドグラスが光を差し込ませて何とも神々しく図書館を越えて最早教会を思わせた。

「さて、問題はここからどうやって明日香の奴を探すか、だよな」

 ううむ、と唸りながら秀樹は適当に歩きはじめる。

 なにせこの大図書館はおおよそ人探しには向かない。隠れようと潜む者がいれば見つけられないんじゃないかと思わせる程の大規模な建築物なのだ。単純に探したのではどうにもならないだろう。

「かと言って図書委員に訊くにしたってな……」

 ちらりと視線をやればお昼時始まったばかりだと言うのに大人数が本の貸し借りでカウンターに集まっている。中には生徒以外に教師や一般客もいる様だ。それは当然混むだろう。

「……まずは自力で探してみますかね」

 うむ、と頷いて秀樹は歩き出す。

 そして近場にあった図書館内部の構造を記載したパンフレットを一つ拝借した。

 パンフレットがあるのに迷う奴が出てくるのだから恐ろしいな、と思いつつ中身を確認してみれば折り畳み式でどんどん長さが増えていく。なのにまだ図書館の端と端が出てこない。

「そりゃ迷うわ!」

 思わず大声でツッコミを入れてしまい、周囲の生徒達から注意が入るかと視線を巡らすが反応が皆揃って『だよねぇー』と言う穏やかな首肯の表情だった。これが返ってきたのはある意味致命的にすら思えてくる。

「ダメだ、この学院本当に何かおかしい」

 何度も思うのだがやはりまた何らかの理由で思わざるを得ない。

 先の破廉恥騒動でのキューピットと言う妙な変態含めて最早ツッコミが追い付かない気しかしてこない。

「先輩が、それに親父が『ここヤバイぜ』って言うわけだわな」

 先人達の言葉が正しい事を再認識しながら秀樹はある場所に目をとめた。

「中庭か……意外とこういうところにいたりするかね?」

 興味を惹かれた場所は中庭であった。

 大図書館はその規模と書物の宝庫と言う観点から休憩スペースとして中庭を解放している。無論、巨大なだけあって中庭となっているスペースは合計一〇点は所在している様だ。そのうちの一つ。シラヅキの玄関から一番近い中庭へと向けて足を運ぶ事とした。

 無数に並ぶ本棚の壮観な列の隙間、赤いカーペットの上を静かに歩いていく間にも大勢の読書家の姿を見かける。熱中し読み耽るもの、探し物をするもの、本の整理をする図書委員の姿など様々見受けられる。

 図書館の空気と言うのは何とも森然としていると秀樹は思う。

 まるで森の中の様に静寂さが心地よく漂う空間だ。

(最近は電子書籍とか普及目覚ましいけど、やっぱ本の方が落ち着くってか、いい感じがするよな)

 利便性で言えば電子書籍なのだろうが、やはり紙の束と言うのは何とも風流な感じがすると秀樹は思っている。それがこれだけ膨大に揃ってしまえば読書にそこまで興味を抱いているわけでもない秀樹ですら感じるものがある。圧巻この上ないものだ。

 そうして光景を楽しみながら秀樹はしばらくして目的地へ辿り着いた。

 一番近場の中庭だけあって辿り着けたが、それでも少しばかり歩いた感覚がするのだから本当に広い場所である。そうして光が一際強く差し込む空間へ秀樹は足を踏み入れた。

 途端にふわっと風が舞った心地がしたと同時に抱いた感想は感動にも近かった。

 中庭を埋め尽くす深緑の木々。花壇に咲き誇る色取り取りの花々。

 だが中でも目を惹いたのは――中央の一本の巨木であった。

 巨木だっただけならばそれはそれで圧巻の一言だっただろうが、秀樹は別の意味で驚く。

 桜。

 それは見目麗しい一本の大きな桜の木であったからだ。

「……遅咲きかね」

 そよそよと風に揺れて花を散らす舞風を堪能しながら、秀樹は中央の桜の木の元へと足を進めていく。現在は五月。時期としては桜が満開と言うには遅いが、あり得ない話では無い。

「あるいは……科学部が何かやったとかかね?」

 うーむ、と唸りながら秀樹はそんな事を考える。

 芳城ヶ彩の科学部ははっきり言って異常だ。

 世界と渡り合える程の天才が世界最先端の様な発明品をバンバン創り出しているのだから尋常では無い者達の集団と言えるだろう。おおよそ、秀樹には理解の及ばない知識の世界――それが科学部の世界と言うものになる。

 そんな彼らだからこそ桜を一年中咲き誇らせる技術と言うのもあり得なくはない気がしてくるのだから恐ろしくなってきそうだ。

「――無粋ですね」

「へ?」

 そう考えている秀樹の耳に不意に何とも格好いい男の声が届く。

 だがどこから、と思っていると、

「この桜に科学の技術など使われてはいませんよ。桜に留まらず、花は四季折々に咲き誇り、春夏秋冬に儚く散りゆく――それが一番あるべき形なのですから」

 嘆きと共に何処か暖かさを込めた声――それはどうにも桜の木から聞こえてきた。

「だからこそ、散り時を逃した花に価値はない――そう思いませんか?」

 物憂げな話だ――と感じながら、秀樹はその声の主を見た。

 丁度桜の木の向こう側にいたらしく、向こう側から姿を現したその人物を見て秀樹はむっと柳眉をひそめる。率直に言ってイケメンだった。どうしてこの学院はこんなに顔面偏差値がトップ高なのかと壁を殴りたくなってくる。

 しかし何とも目を惹く容姿だと思えた。

 その服装がシラヅキの制服の上に桜の紋様が彩られた羽織を羽織っていると言う点は特徴的だが、そこはまだいい。頭髪はまるで雪景色の様な銀色とも白色ともとれるもので、瞳の色は桜色。おおよそ日本人に出てくる特徴では無い。

(まあ、弦巻が青髪青目って言う先祖がえりっぽい日本人もいるんだし、可能性はゼロじゃあねぇんだろうけど……)

 そんな事を考えながら黙っていては仕方ないと口を開く。

「何だ驚いたぜ。向こう側にいたんすね? 桜の木が喋ったかと思ったっすよ」

「それは驚かせてしまって申し訳ない。まさか桜の木が喋るなんて思う頭の悪い生徒がいようとは思わなかったよ。本当にすまない」

「何かさり気無く罵倒されてませんか、俺?」

「気のせいでしょう。しかし桜の木が喋る……喋る、桜の木がね……ぶふっ」

「吹き出したよな!? 今、あからさまに吹き出したよな!?」

「そんな事は思っておりませんとも。ただ『夢見る少年だなぁ』、と」

「絶対に嘲笑されてる気がしてならないなぁ!」

 ツッコミをしながらも秀樹はこれ以上はからかわれるだけと言う気配を敏感に察知して首を振ってまず流れを寸断する。

「とにかく。アンタ誰なんですか? それとこの木が科学部は関係ないってなると……単純に遅咲きとかなんでしょうか?」

「そうですね……私の事などは些細な事として質問にはお答え致しましょう」

 微笑を浮かべ桜の木を見やると青年は告げた。

「この桜は千年桜(ミレニアム・ケラスス)と言う品種でしてね――名の通りに幾千年、長い長い時を咲き誇り続ける桜の王様の様なものなのですよ」

「……なんかすげぇファンタスティックな事をさりげ言いますね」

「おや。信じていない顔ですね。殴りたくなる」

「そりゃまあ――じゃないよ!? ナチュラルな流れと笑顔で何を言ってんの!?」

「いやぁ、説明したのに信じて貰えないものの気持ちと言うやつですよ」

「桜が千年間咲き誇りますよーみたく急に言われても信じられないって普通!」

「そう言うものですかね」

 そう言いつつ確かに、とばかりの笑いを零しながら青年は告げる。

「では、まあ信じるにしろ信じないにしろ貴方次第として――君は中庭へ何をしに来たのですか? お花見ですか?」

「お花見って事はないけど……それを言えば、先輩? 先輩、ですよね?」

「三年生ですから先輩ですよ一応」

「そっか、何か落ち着いてるもんな物腰……。で、先輩こそここで何してんすか?」

「私は桜の木を見に来ただけに過ぎませんよ」

 君は? と視線で問い掛けてくるのに対して秀樹は頭を数回掻いた後に答える。

「俺はまあ、なんつーか……人捜しっていいますか」

「それはまた。お悔み申し上げます」

「帰結がおかしい! 人捜しだけでそれがくる理屈がおかしい!」

「いやはや、ことそういう大図書館の構造は侮れませんからねぇ」

 可笑しそうに笑うが笑えた話では無い。

 どんだけ行方不明者が頻発しているというのか。もとい、迷ったらどれだけ窮地に陥るというのかこの大図書館は?

「ですがまあ、図書館に携わる者として力は貸しましょう。嫌々ですが」

「ありがとうございます、最後の一言さえなければだけどな!」

「それで?」

 秀樹のツッコミを華麗にスルーしつつ問い掛ける。

「どう言った方をお探しで?」

「ええっと……名前は明日香羽叶って子で、こうボーっとしてるって言うか、不思議な感じのする女の子で髪とか凄い薄い色に肌がすげー白い……何て言うか儚い印象の不思議少女ってところなんですけど見たことあります?」

「ありますよ。と言うか大図書館では有名です」

「マジですか!?」

 有名、と言う言葉が付く程ここに入り浸っていると言う事なのか。

「彼女でしたら我々は『図書館の妖精』と呼んでいるくらいですからね」

「妖精……確かに」

 あの日ロッカーから見た彼女は確かに妖精と言われてもおかしくないくらいの不思議な美貌を持っている少女だった。どことなくその評価はしっくりくると秀樹は感じた。

「まあ他にも『図書館の悪魔』、『図書館の吸血鬼』、『図書館のミノタウロス』、『図書館のちっこいおじさん』、『図書館の女神』等々様々にいますがね」

「大図書館内部何がどうなってんだー!?」

 果たして『図書館の〇〇』にはどんな連中がいるのか。特に悪魔だとかミノタウロスだとかが普通に怖かった。

「まあ、『図書館の妖精』と呼ばれる彼女は大人しいですから。ご案内しましょう」

「大人しくない奴がいるみたいに言わないでくださいよ……。けど、え? 案内ってどこにいるのかがわかるんですか?」

「当然です」

 青年は優雅に微笑を浮かべてそう返した。



 おそるべきかな。

 青年は有言実行せしめたのである。静かな音と共に階段がずれ動いて別の場所へ連結すると言う学院独自の移動システムを経由して辿り着いた先には確かにその少女がいた。周囲に何十冊もの本を積み上げて本の城に囲まれるどこか儚げで不思議な美少女、羽叶。

 その場所まで辿り着くと青年は「何かあったら警察呼びますからご安心を」と言う言葉を残して去っていった。当然「なに不埒な事するみたいな前提で言ってんだよ、しねぇよ!?」と反論も忘れない秀樹である。

 なにはともあれ、目的地へは到着した。

 秀樹は目の前で床にぺたんと座り床の上に広げた本をぽけーっとみている少女をしばし観察する。可愛い少女だと言うのは一目瞭然だ。学院にはどこかしらに美少女がいて、彼女もその中の一人と言っていいくらいの容姿を持っている。

 だが、今はそれよりも……。

「気づかねぇ……」

 時折ぺらりとページをめくりながら羽叶は無言の姿勢だ。

 これはおそらく秀樹の存在にも気付いていないのだろう。

「仕方ない」

 近場で声を零しても気付かないなら強硬手段だ。

 秀樹はそっと彼女と本の間に手を翳してぶらぶら振った。

「……」

 反応なし。

 もしや振っているから読むのに支障が無いのではないか、と危惧して秀樹は両手を広げて本と彼女の視線の間を隠す様に差し込んだ。

「……」

 またも反応なし。

 読めなくなってまでも脳内で読み耽っているのだろうかと懸念する秀樹であったが。

「生命線がない……かわいそう、そう遠くないうちに死んじゃうのかな……」

「手相を読まれてた上に不吉な事実判明!?」

 思わず秀樹は手を引っ込めた。

 生命線が無いと言われて怯えた様子で見るのだが手相に詳しくないのでどれが生命線だか皆目見当つかない。どれだ、と苦悶する秀樹にいい加減、羽叶は気付いたのか声を発した。

「……あなた、見覚え、ある」

「え、あ、おお。気付いてくれたか。よ、よぉ……その改めまして的な?」

「私のロッカーにいた、精霊」

「そんな特殊なもんに思われてたの俺!? 俺は別にお前と違って『図書館の妖精』的な感じで『ロッカーの妖精』とかじゃないからな!?」

「では、人間?」

「逆に人間以外にどんなチョイスがあるんだ……」

「じゃあ私は下着姿を覗かれたという事になる。それはとてもハンカチだと思う」

「ハンカチって何だよそれ絶対破廉恥だよな!? っていうか、なに、あの時騒がなかった理由って俺が妖精と思われてた所為なの!?」

「……」

「そんな無表情でこくこく頷かれてもな……」

 ただしその後に少し残念そうにしょぼんとした表情を浮かべるので困った。

 まさか妖精か何かに思われていようとは……。秀樹は気まずそうに頬をかく。

(ってなると、コイツとしては覗かれた事自体を自覚していなかったという事になっちまうわけであって……)

 そうすると気付かせないままの方が良かっただろうか。

 いや、そういうわけにもいくまい。秀樹は雑念を払う様に首をぶんぶん振る。

「ま、まあ何にせよアレなんだ。今日こうしてお前に会いに来たのは理由があってだな」

「理由?」

「ああ、読書中に話しかけてわりーなーとは思ってるんだぜ、ホント。たださっきも言ったけどその……ま、アレだ。覗いちまったぶんを改めて謝りたくってさ……」

「そう」

「おう、そうだ。お前に不快な思いさせちまっただろ?」

「妖精じゃなかったのは、残念」

「うん、そこはちょっと俺の責任意識からはみ出してるんだけどさ」

「気にしなくていい。私の、勘違い」

「そうか、サンキュな」

「それと不快な思いは別に、して、いない」

「……そうなの?」

 あれ? と小首を傾げる秀樹に対してこくりと頷いて羽叶は告げた。

「水着と、いっしょっ」

「まさかの気にしないタイプかっ!」

 いや、確かに片鱗は見えていた。

 ここまでの流れでもとにかくぽけっとしている上にぽわんとしている少女だ。そのキャラのままに下着と水着で大差がないと言う理論を打ち出してくる可能性はゼロではなかった。

「これで寝るときは裸ワイシャツとかだったらある意味王道的だぜ、ちくしょう」

「……なんで、わかったの?」

「ダメだ、コイツ。男を殺しにかかってきてやがる……!」

 そんな苦悶の秀樹を不思議そうにぺけーっとした表情で見やる羽叶。

 何とも無防備な気配漂う少女である。言いたくはないがこのまま担いで走っても楽に誘拐出来てしまいそうな気配が濃厚であった。だが、今はキャラがうんぬん言っている時ではないので秀樹はすっと彼女の前に正座する。

「……?」

 何で正座して向かい合っているのだろうか、と少女は小首を傾げた。

 そんな彼女に対して静かに頭を下げて周囲に聞こえない程度の声量で秀樹は告げる。

「この前の件はほんっとーに申し訳なかった! この通りだ!」

 土下座、ではない。だがしかし膝に手を置きながらなるべく深く首を下げた。

 羽叶はそんな秀樹の様子にしばらくきょとんとした表情を浮かべていたが、不意にくすりと微笑を浮かべて、

「気にして、ない。気にしなくて、いーのに」

 と、優しい声でそう呟く。

 思いのほか、予想外な反応に思えて秀樹は軽く顔を上げながら、

「お前変わった奴だよなぁ。もっと、こう……怒ったり、殴ったりしていいんだぜ? 事実俺のクラスメイトの男の委員長は怒られたし殴られたからな」

「怒られたい、の?」

「いやぁ、なるべく勘弁だけど」

「殴られたい、の?」

「それはもっと勘弁かな」

「おしり、ぺんぺーんって?」

「どうでもいいけど妙に和むなお前!」

 喋りが遅いと言う程では無いが何というかゆるやかなスピードをしている上に本人が異様にふわっふわな印象なので喋っていると妙に落ち着いてきそうになる。もっと言ってしまえば真面目な話が出来ない空気を生み出す少女だった。

「うんとね」

 羽叶はむー、と頬杖をつきながらむんむんと唸った後に。

「怒る、疲れる。殴る、疲れちゃう。それと、あんまり、気にしてない」

「要約すると『怒るのも殴るのも大変そうだし、そもそもあんまり怒ってないからウダウダ言われても困っちゃうなー』と言う事でオーケー?」

「トー♪」

「そっか。いやぁ、本当ありがてぇよ。ありがとな」

 そう言いながら秀樹は何度も拝み倒す勢いで頭を下げた。

 正直『トー』と言うのが何だったのかわからないのだが、ニュアンス的に『その通り』と言う感じがしたので多分合っているという事にしておこうと思った。

「んじゃ、次になんだけどさ」

「?」

「俺に何かしてほしい事とかあるか?」

「して、ほしいこと?」

「そそ。いや、実は今、お前のとこんクラスで雑用みたいの二週間やっててさ。今のとこ色々手伝いとかしてんのよ。だからお前も何かあれば手伝うから、よろしくなーって感じで」

「そう、なんだ」

 ほへー、と無表情ながらも理解した様子を浮かべる。

 ただその後に小首を傾げて、心配げな表情を浮かべる。

「でも、それなら、私に言わない方が、負担、減らない……?」

「…………そう、言われるとそうだな」

 秀樹は目から鱗の心地でそう反応を示していた。

 確かに羽叶に言わないままの方が負担は減ってるわけである。彼女は休み時間大図書館にこもってしまうわけだから遭遇率も極めて低いのだから言わないままで二週間過ぎさせてしまえば一人分空いたわけだ。

「ぐおお……! ミスしたぜ、おおい……!」

「凡、ミス」

 くすくすとはにかむ様な表情で羽叶は可笑しそうに呟いた。

「……」

 その表情を見ながら秀樹は思う。

 無表情な子かと思えば感情表現が存外豊かだ。ころころ変わると言うわけではないが、それでも決して無表情なだけの子じゃないんだな、と実感して口元に微笑を浮かべた。

「それ、じゃあ……折角、だし」

「おお。まあお前だけ何にもってのもアレだしな。出来る範囲の事なら何でも言ってくれ」

 再び頬杖をつきながら羽叶は少し悩んだ後に、こう切り出した。


「今度の、火曜日――買い物、付き合って、ほしい」


「……買い物?」

 秀樹は結構意外なところがきたな、と思いながら言葉を繰り返す。

「トー。買い物。新しい、本が出る。楽しみ」

「なるなる。そういう事か」

 新刊が出るから買いに行きたいと言う事なのだろう。

「でも、その日、一緒の人の、都合が、つかない」

「で、俺に一緒に来てほしい、と」

「欲しいのが、結構、多くて……」

「なるほど。持ちきれないから荷物持ちが欲しいってか?」

「……ダメ?」

 心配そうに上目使いで見やる羽叶。

 男心を何ともくすぐる少女であると秀樹は思いながら、

「ダメって事はねーよ。荷物持ちくらいお安い御用だって!」

「良かった」

 羽叶は目を瞑りながら嬉しそうに微笑を浮かべる。

「お礼に、ご飯、とか、奢る」

「おいおい。いいって、そんくらいでお礼とか。と言うかそれじゃ意味ないって。お礼は、もといお詫びはこっちがする形何だからよ。気にしなくていいさ。けど、ありがとな」

 そう告げながら秀樹は羽叶の頭を撫でた。

 妹の頭を撫でる時と同じような感覚で。彼女の髪もさらさらだったが、目の前の羽叶の髪の毛は更にさらさらとしたもので風に触れているかの様に、水に触れているかの様な何とも不思議な感触だった。

「さって。んじゃ、火曜日だな。何時くらいだ?」

「午後、六時、くらいが、いい」

「へー、そんくらいだと夜だけどいいのか? 親御さんとか心配しねぇ?」

「ん、だいじょう、ぶ」

「そっか。なら、いいんだけどさ」

 夜に買い物に出掛けたがるとは何とも物珍しいな、と秀樹は思った。

 だが夜に出かけるのが好きなのかもしれないし、日差しが苦手とかそういう理由があるのかもしれない。特に羽叶は驚く程白い肌の少女だし日光が苦手とかそんなオチかもしれない。ひょっとすればアルビノと言う可能性も無下には出来ない。

「じゃ、火曜の午後六時な。待ち合わせとかは後で決めるとして……携帯持ってるか? 持ってるならアドレス交換してくれると助かるんだが」

「……ん」

羽叶は秀樹にそう言われると制服のポケットから電子端末を取り出した。

 そして秀樹の携帯と手馴れた手つきで電波によるアドレス交換を執り行う。機械類苦手そうなイメージがあっただけに手馴れた動作に思わず感心してしまった。そうして送られてきた情報を見ながら羽叶は少し興味深そうな表情を浮かべる。

「陽皐、秀樹……?」

「おう、俺の名前。そう言えばまだ名乗ってなかったっけ? 1-Dの陽皐秀樹な。よろしく」

「ん、よろ、しく」

 ぎこちない様子ながらも軽く手を握り返す羽叶。

 華奢な印象通りに手も少し力を入れればどうにかなってしまいそうだ。

「けど、珍しい。陽皐……初めて見る、名字」

「よく言われるっちゃ言われるかな。高校入ってそうでもなくなったけど」

「……なんて、呼べば、いい?」

「何でもいいぜ? まあ普通は陽皐とかだろうけどな女子なら」

「陽皐……ううん……」

 羽叶はしばらく頬杖ついて唸った後に、


「――ひでき、と呼ぶ事に、した」


「がふっ」

 思わず吐血しかけた秀樹である。

「どうした、の? ダメ……?」

「いや、ダメじゃねーぜ。ばっちりバチバチさ!」

 ばっちりバチバチって何だと自分で想いながらも秀樹は感激していた。名前呼びだ。それも美少女にだ。無論、子猫を拾ったら懐いてくれたくらいの感じなのだが、それでも嬉しい限りである。感動と言わずしてなんと言おうか。

「んじゃ、ひできで構わないぜ。俺はとりあえず明日香って呼ぶからよ」

「ん。おけー」

 無表情ながらも小さく頷いて返す羽叶。

 そんな彼女の表情を確認した後に秀樹は立ち上がると、静かにその場を後にする。

「じゃ、火曜にな明日香」

「トー♪」

 その日に出かける事が余程嬉しいのか小さく笑みを浮かべながら手を振ってばいばいする羽叶の表情を見ながら自分に僅かに訪れたモテ期に打ち震えつつも、秀樹は思った。こうして愛に来て良かったと。休日まで雑用する羽目になるとは予想外だが、こういう雑用ならば万々歳で引き受けようではないか。

「また、優しい、いい奴に出会えたもんだぜ……まったくさ」

 ニッと嬉しそうに笑いながら陽皐秀樹はその場を後にする。


        3


「お詫びかい?」

 左隣の席の美少女である淡路島(アワジシマ)姫海(ヒメカ)はその麗しい面貌をきょとんとさせながら、そう聞き返してきた。

 そんな少女に鍵森恭介は「そうそう、お詫び」と再度そう告げる。

「ううん……いきなりそう言われてもな」

 姫海は小さく唸る。

 昼休みの終わりごろに学食から教室へ戻ったところ、恭介から告げられた内容にさてどうしたものかと考え込む表情を浮かべた。

「思い浮かばないか?」

「仕方ないじゃないか。お詫びだなんて思ってもみなかったんだから。第一、ぼくとしては鍵森君にお詫びされる様な事はないと思っていたからね」

「そうなのか? 一応お前のビショビショのアレを手でアレして目でしっかりアレしちゃった男だぜ?」

「詳細がわからない様にしようとしたんだろうけど余計卑猥に思えてしまうじゃないか!」

「大丈夫だ。お前以外には聞こえない様に声を絞って話したからな」

「君はどこの無敵超人なんだい鍵森君?」

「無敵なんて恐れ多いもんじゃねぇよ。それで、やっぱ何もないか? お詫びって言うのがアレならお礼って形でもいいぜ? お前にはあの騒動で散々お世話になったと思っているからな。なんかしないと気が収まらない感じなんだよな」

「そうは言われてもな……」

 姫海は少し唸った後に「そうだ」と呟いて。

「何だ何か浮かんだのか?」

「いや、生憎とまだだよ。ただ意見を訊いてみようかと思ってね」

「意見か。なるほど」

 恭介が納得する中で姫海は恭介の右隣からの四人――淡路島近衛四人衆に向けて問うた。

「ごごう君。仮になんだけれど、こうぼくにしてほしいお礼とか浮かぶかい?」

「姫海お嬢様にしてほしいお礼ですか。そうですね――『家の扉になってほしい』と言われる事でしょうか」

「ごごう君、意味がよくわからないんだけれど、どういう事なんだい!?」

 姫海が愕然とした表情で詳細を求めた。

 恭介もとても知りたいお礼だ。と言うか命令になっている気がしてならない。対する五郷海老済(ゴゴウエビスクイ)智實(トモサネ)は実に堂々とした様子で。

「この五郷海老済智實! ただ一重に淡路島姫海お嬢様の守護者! なればこそ、我が生涯の果ては彼女を守るべき場所――玄関の扉になる事を所望する次第!」

「人権とかもう色々無視だ!?」

「と言うかそれ気持ち悪そうだなぁ……」

「何を言うか、鍵森。最後に人を守るのは道具ではない。人を守るのは人の意思だ! なればこそこの五郷海老済人権など捨てる所存!」

「捨てたら絶交するけどね」

「我が生涯はまた別の形を模索しなくてはならんようだ」

「決意すぐに折れたな、おい」

 ジト目でそんなことさせてあげないよ、とばかりの表情を浮かべる姫海の発言に対して智實はフッと何故か格好いい感じに諦めた。ただ「ならば窓……あるいは、屋根か……」と呟いている辺りが救えそうにない。と言うか家から離れろよ、と恭介は思った。

「ごごう君は参考にならなそうだけど……鬼一(キイチ)さんはどうなのかな?」

「あら私ぃ?」

 姫海はうんうんと頷く。

 確かに鬼一涼子(リョウコ)――彼女の意見なら参考になるやもしれない。少なくとも人間の扉になりたいなんてどんな性癖なのか危ぶまれる事にはなるまい。そうして涼子は長い髪を軽く掻き上げながら笑顔を浮かべて告げた。

「とりあえずぅ姫海ちゃんをたーくさんお着替えさせたいなぁってとこかしらねぇ」

「着せ替え人形!?」

 姫海がまた愕然とした。

「だって姫海ちゃん可愛いのに普段の服装妙にぶかぶかで顔隠したりするじゃない?」

「それはだってぼく厚着にしとかないといけない時があるし……帽子は被っておかないと困るんだよ? なんだか妙に視線を感じるっていうか……」

 前者の理由は納得出来た。

 確かに彼女の様な病弱な子が下手に薄着でいるわけにはいかないだろう。後者は単純に彼女の美貌によるものだろう。

「だから猫のキグルミとか着せちゃおうかなーってねぇ♪」

「ぼく、そういうファンシーなのは着れないよ恥ずかしいよ!」

 赤い顔で首を振る。着れば可愛いだろうが本人は恥ずかしい様だ。

 そうして姫海は「鬼一さんの意見も参考にならないね」と話を切る。

 涼子が「いけずねぇ」と楽しそうに朗らかな笑みを浮かべていた。

(ありゃからかっただけだな……)

 そう言いながらも確かに意見は参考にならないなと思う恭介だ。

 仮に自分が着せ替えされても誰が得をすると言うのか。

「えと、じゃあ都祁村(ツゲムラ)君はどうかな? なにかないかい?」

「僕ですか。そうですね……」

 さて都祁村勇三九(ユウサク)はどうなのか。

 緊張と共に姫海と恭介は返答を待つ。

 なにせここまでで参考にならない意見二つだ。この少年はどうくるのか……!

「ああ、コレなんかいいかな」

「これ?」

 ええ、と頷いた勇三九は告げた。


「――一日、『ダーリン』と呼んでもらう」


 瞬間教室中がざわっとざわめいた。

 ついでに姫海がまた愕然とした。ただし今度は頬が赤い。恥ずかしい様だ。

「つ、都祁村君! それはぼくとしては恥ずかしいしキャラじゃないと思うよ!」

「ええ、わかっております。――だからこそそれがいい」

「え、ええ……!?」

(ダメだコイツ)

 恭介はこめかみを抑えつつ苦笑した。

 都祁村勇三九。彼は生粋のゲーマーだ。厳密には恋愛シュミレーション限定のゲーマー。要するには二次元好きと言う事になる。だからこその意見だろう。

 ちなみに教室内部ではその場面を想像しているのか男子生徒たちが興奮した様子で地団太を踏んでいる。何と言う姫海効果か。

「と、とにかくそんなのはダメだよ。恥ずかしいし却下してしまう事案だよ!」

「そうだな。しかし、困った事にいい例が浮かばないなハニー」

「鍵森君も調子に乗ってそんな事言わないでよ恥ずかしいよ、ぼくが!」

「そうだな。ついでに言えば言ったら皆の視線すげぇ怖かった」

 まさか洒落で言った内容でここまで殺気を向けられるとは。

 前方の合馬(おうま)守善(しゅぜん)が涙目だった。頑張れバリアー、とだけ内心でエールを送っておく恭介である。

「と、ともかくだね。そういうのはいけないよ、都祁村君。というわけで次、かりた君はどうかな?」

 不安そうに問い掛ける。

 確かにここまで言い意見は無かっただけに心配にもなるだろう。特に雁多尾畑(カリンドオバタ)眉白(マユジロ)は端的に言ってそういう部分で言い意見が出せるかと言えば疑問だった。

 そんな不安をかけられてるとは気付いていない眉白は「ハッハァ! いよいよ、俺の番という事だな、淡路島! 任せろ! 心が唸る程の妙案を出すぜ!」とハキハキ唱えている。

「ズバリ、静養の為の音楽だ!」

『……』

 やはり姫海が愕然とした。

 ついでに恭介も唖然とした。

(何かまともな案出てきた!!)

 クラスの総意見はそんな感じであった。予想外にいい意見過ぎて下手な事も言えない。

「認めるのは癪だが鍵森。お前は音楽の才能もあるようだからな。俺も又聞き程度だが病床の人に音楽は治癒的効果が望めると言うのを訊いた事がある。だから淡路島にそういうのを訊かせてやるのはどうかと――ん? 何だ、みんなどうした? 俺、変な事言ったかな……?」

 きょとんとする眉白に対してまず智實が巨体を立ち上がらせて強く肩を叩き、都祁村が腹に一発いい一撃を叩き込み、涼子がわき腹を軽く小突く。

「いい意見ではないか」

「おかげで僕の酷さが際立って癪に触るけどね」

「けど、妙案じゃあなぁい?」

 三者三様に嬉しそうに呟く。

 確かにいい意見だった。お礼としても素敵なものに思える。

 だが問題は――、

「……病人向けの演奏ってどんなのだ?」

 鍵森恭介本人がそう言った選曲がわからない事だ。

「何だ鍵森普段のスペックはどうした。貴様ならすぐに何らかの曲が浮かぶだろう?」

「え、ああ、いやそうだと思うんだが、何だろうな……そう言う曲が全く思い浮かばないっていうか……自分でも不思議な感覚何だが」

「そりゃまた不思議だな」

 眉白が眉をひそめて不思議そうに呟く。

 恭介自身も不思議だ。すぐに思い浮かびそうなものなのに……。

「いや、でもそれなら鍵森が演奏に拘らなくてもいいんじゃねぇか?」

「どういう事かな、合馬君?」

 恭介の前の席の守善に思わず目を向けて姫海は問い掛けた。

「いや、演奏なら単純にプロがいいだろうし、もうすぐ休みなら近くのコンサート会場とかで音楽の催しとかありそうじゃん? それなら休日に出掛ければよくないかーって……」

 その瞬間に姫海は何か閃いた様に目を見開く。

 同時に何故だか四人衆が旋律と言うべきか全身を強張らせた。

「そっか……そういうのもアリなんだね」

「何か思い浮かんだのか淡路島?」

「うん」

 ほんのりとした嬉しそうな笑顔を浮かべながら姫海は――、


「今度の月曜日にデートしておくれよ、鍵森君」


 ――盛大に爆弾を投下してくれた。



        4


 二学年で爆弾が投下された頃から時間が進み、それは1-Dが帰りのホームルームを控えた頃であった。事件は唐突にして波紋を呼ぶ。

 全ての発端は日向のある言葉であった。

「エリカさん、エリカさん」

「……なによ?」

 教卓付近で佇む二人。横から不意に声をかけてくる日向に対してエリカは素っ気なく反応を示す。なにせ自分の名前を呼ぶ際にどうにも嬉しそうに呼ぶのだ。毎回。それは恥ずかしくもなるというもの。

 そんなエリカの心中を察せない少年はこう切り出した。

「その今度の日曜日、空いてませんか?」

「今度の日曜? 空いてるっちゃ空いてるけど、それがどうしたのよ?」

 不思議そうにエリカは首を傾げる。

(また唐突に何かしらね?)

 そう思うエリカは気付いていない。

 クラスメイトたちが『今度の日曜』と言う単語でさも雑談の素振りを見せながら意識を全集中している匠振りを見せている事に。そんな中で話は進む。

「その……この前の事でお詫びしたいと言うか……」

「この前の事って……」

 エリカはそこで一瞬頬を朱に染めるもすぐにムッとした表情でつっけんどんに言い放つ。

「アンタね。アレはあの形でおしまいって言ったわよね、私? 蒸し返す気?」

「すいません、それはわかってるんです。だから正確にはそのお礼としてなんですけど」

「お礼?」

 私なんかお礼される様な事したかしらね、と小声で呟く。

 日向は頷いて、

「だってあの時、エリカさんには色々お世話になりましたから。なりっぱなしと言うのは何か申し訳ないですし、何よりその……あれだけしてもらって何も返さずにこのまま――っていうのは何か嫌で……!」

「む……」

 日向の言いたいことはエリカにも分かった。

 確かに何も返せないまま、に甘んじるのは何となく居心地悪いのだろう。

「だからお礼ってわけ?」

「はい。……ダメですか?」

「別にダメとは言わないわよ。ただ、どういうお礼する気なのかなーって思ってね」

「特に綿密に予定とかは組まずに大まかな感じで行こうかなーって思うんです。お昼御馳走したり、色々なお店入ったりとかしてエリカさんを楽しませられたら嬉しいなーって♪」

「そ、そう」

 純真無垢な笑顔を向けてくる日向を間近で見てエリカは何とも気恥ずかしくて少し染まった頬を指でかき照れを紛らわせようとする。

 さて問題なのはどうするかと言う事だ。

 ことここで断るのも厄介だろう。日向の中でお礼したい気持ちがくすぶり続ける事になるのだから、だとすればいっそここで日向にその気持ちを発散させてやるのがお互い一番ベストと言う形ではないだろうか――エリカはそう考えた。

「わかったわよ。今度の日曜ね?」

「はい! 待ち合わせは後でメールして送りますね♪」

 エリカが了承してくれたのが嬉しいのかほわーっとした笑みを浮かべる。

「だから一々そんな嬉しそうな顔しないのっ」

 ツンとエリカはそう言い放ち、その後に続く形で「それとその後は本当この話題はもう蒸し返さない事。いいわね?」とジト目で告げる。日向は「はい♪」と嬉しそうに頷いた。

 丁度その時、クラスの扉が開いて担任の椋梨(ムクナシ)六義(リクギ)が荷物片手に入ってきた。

「おお、遅くなったなお前達。ほら、さっさと席につけ。帰りのホームルームを始めるからな――って何でニヤニヤしてたり、無線機使ってたり、怒気を撒き散らしてたりするんだお前ら!? 何があった!?」

 だが、部屋には教卓前でデートの相談を堂々と執り行う委員長二人の姿を目撃したクラスメイト達の様々な思惑が絡み合った結果のカオスが溢れており六義は思わず後ずさる。

 そうしてその元凶足る二名は、

「……え、いや、何があったのよ弦巻と話してる間に、このクラス!?」

「何か僕、男性陣に睨まれてて、女性陣にニヤニヤ見守られているんですけど、何なんですかこのきしょい感じ!?」

 ことそう言う分野において見事なまでの鈍さを発揮していたのだった。


        5


 そして時間は進んで授業が終わった後の放課後の事だ。

 相も変わらず学校の放課後と言うのは得てして騒がしい。グラウンドからの元気のいい声に教室に残り雑談する生徒の声。職員室では教師たちが残業になるまいと仕事を熟している事だろう。そんな放課後、シラヅキ周辺にある武道場での事だ。

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 颯爽と床を蹴って疾走する一人の少年、名前は迎洋園家従僕――上杉(ウエスギ)龍之介(リュウノスケ)だ。シラヅキの1-Cに配属されている弦巻日向の同僚であり、テティスに仕える忠義者である。

「かかってきやがれ、オルァ!!」

 そんな彼を待ち受けるのは鳴り響く太鼓の様な声量と共に向かい来る不知火(シラヌイ)九十九(ツクモ)。大地離家の従者であり執事。1-D所属の日向のクラスメイトである。

「ストレイト――」

 助走をつけた勢いをそのままに龍之介は爆発的加速の足蹴りを放つ。

「ドラゴン・フーット!」

 九十九の腹部に目掛けて撃ち込まれる一撃。しかし、九十九はそれを右手で防ぎ、そのまま掴んでぐんっと引き寄せた。龍之介は「くっ」と呻くが、足を掴まれているので逃れる事は出来ない。そんな彼の眉間目掛けて九十九は盛大に拳を叩き込む。

 彼の発達し卓越した筋力を前に龍之介の体は容赦なく吹っ飛んだ。

 しかし、そこはタフさが売りの龍之介。地面を転げ落ちながらも体勢を立て直して再び九十九目掛けて猪突猛進する。

「ストライク――ドラゴン・ヘッド!」

「なんぬぉ!」

 頭突き。

 全体重をかけた破壊力突貫力に秀でた頭突きを前にするも九十九は「へっ」と不敵な笑みを浮かべて悠然と耐えて見せる。そして抑えた龍之介の体を見事にひねって一気に放り投げた。しかし龍之介は諦める気配を見せず再び果敢に挑みこむ――。

 そんな龍之介のタフさと、九十九のタフネスの戦いがしばらく交錯してから二〇分後。

「いや、いい汗をかきました!」

 汗だくだくで道場の壁に背をもたれかけさせながら龍之介は嬉しそうな声を上げる。

 そんな龍之介に「お互い様だぜ!」と声をかけつつタオルを放る。龍之介はありがとうございます、と受け取ると汗だくになった顔をさっぱりと拭った。

「しかし不知火さんは相変わらず半端無いですね!」

「いやぁ、俺結構タフなんだけどそれについてくるドラゴンだって相当だろ?」

「自分などまだまだです!」

「そんなもんかもな。ま、俺もまだまだだけどな」

 タオルで汗を拭いながら九十九はふと呟いた。

「それで言えば二年に転入したっつー鍵森先輩か……お前見たかよドラゴン?」

「鍵森先輩ですか。ええ、この間の騒ぎでも有名になっていましたからね。アレは相当にやると自分も思っています。それで言えば1-Eの新橋ユウマさんも凄そうですが……!」

「ああ。それだけじゃねぇ、他のクラスにも手強そうな奴がいるからな」

 うんうんと頷く筋肉体力馬鹿二名。

 互いに特に武の側面で生きている事もあってその興味関心は自ずとそこに行きつく様だ。

「そう言えばよ。ドラゴンはどうすんだよ3日から?」

「3日……ああ、その事ですか。特にこれと言ってあるわけではありませんから、比較的のんびりと過ごす形となると思います。まあ、テティス様はお忙しいご様子ですが」

「迎洋園の奴もかー。俺んとこもなんだよなー、疆の大旦那も主もちょっと海外へ行くらしくてよ。まあ、予定が入っちまったから丁度いいと言えば丁度いいんだが……」

「予定ですか?」

 龍之介は不思議そうに呟く。

 こう言っては何だが九十九は予定とか言う言葉がおおよそ似合わないタイプである。そもそも大半が筋トレだ。どうやら、期間中は主も大地離疆も海外へ旅立つ様だが、確かにあの家の者はよくよく諸国へ飛ぶ事を知っているので今更な話である。そうすると九十九は本当に筋トレしかないだけに何をやるのかと気にかかる。

 そして口に出された言葉は龍之介の想像を一気に飛び越えるものであった。


「今度の日曜にある女子二人と昼間から遊ぶ事になっててな!」


 しばし呆然とした後に龍之介は「……え? …………え?」と茫然とした声を上げる。

 そうして理解が追い付いた頃に、

「どぇええええええええええええええええ!? 女性二人と、日曜の昼間から、あ、遊びに出掛けると……? 不知火さんが!?」

「おう! って、どしたそんな立ち上がって震えながら? 座れよ疲れるぜ?」

「いや、そう言いますが……! まさかの人が……!」

 信じられない気持ちであった。

 なにせ恋愛関係など全く気にも留めないタイプの人である事を龍之介は知っていただけに彼の口からそんな発言が飛び出したのが驚き以外の何者でもない。その上、女子二人である。何故そんな展開になっているのかわからない。だがどこか大人びて見えてきてしまう。

「い、いったい、どこでお知り合いに……?」

「やー、それはまあ色々あんだけどよ」

 ガハハ、と笑みを浮かべながら、

「――見せてやりてぇ風景があんだよ。だから日曜は色々あんのよ」

 快活な笑みを浮かべながら不知火九十九は静かにそれだけを告げた。

 果たして彼の周囲にどんな事があったのかはわからない。ただ、そんな優しい表情で笑う九十九に述べるべき言葉は一つだ。

「なら頑張って相手を満足させてあげないといけませんね、不知火さん」

「おう!」

 コツン、と男同士拳を軽く小突き合い、そして芳城ヶ彩での一日は終わりに向かっていく。


        6


 芳城ヶ彩校外。

 西洋高校から自宅への帰り道を休屋(ヤスミヤ)(レン)は歩いていた。特に部活等に関わっているわけではない純然たる帰宅部の彼にとって放課後と言うのは何ともつまらないものである。

(時々は部活もいいなーって想うんだけどな。けど、実際やったら色々大変そうだし、運動部ならレギュラーとか難しそうだし、文化部に入ったとしてもな……そもそも娯楽の時間減っちまうのがダメだよな)

 しかし時々無性に入りたくなるジレンマ。

 単純にだらけるだけではなく、頑張ろうかなと思ったりするのが連であった。ただし近場で視ようものなら入部希望者に思われて勧誘されるのも面倒なので遠巻きにいいなーと羨望を送るくらいがやっとである。

 そんな連は帰り道でふと思い悩んでいた。

 それは帰りのホームルームの事である。



「あー、お前ら。早く帰りたいなら、静かにな。静かに」

 帰りに向けて掃除を終えた連たちの前、教卓に立つのは特にイケメンでもなく、かといって不細工でもない髪型も結構普通などこか『色あせた』とか『草臥れた』なんて言葉が似合いそうな中年の男性――連達の担任教師、禿山(はげやま)一平太(いっぺいた)であった。

 名前通りに禿げてない事が大いに救いだろう我等が担任教師であり、愛称は『まったいら先生』と言うけなしてるんだかなんなんだかわからない愛称を持つ。

「まず学校側から何点か注意事項な。皆知っているたぁ思うんだが脱獄囚のマクシミリアーノ受刑者が未だ逃亡中だ。ないたぁ思うが万が一って可能性がある。気を付けて寄り道しないで帰る様にな。それと、最近妙な噂話だったり事件だったりが増えているからあんまり面白おかしさから変な場所へ近づかない様に」

 一平太はそこでコホンと咳払いをして。

「最後に皆わかってると思うが、明日からはゴールデンウィークだ。連休が続くからって羽目外し過ぎないようにしろよ? 先生の評価にも関わって来るんだかな?」

「まったいら先生、もしもの時は庇ってくれますかー?」

「うんにゃ、斬り捨てる。さよなら可愛い教え子よ」

「まったいら先生、あんまりだー」

 ひでー、と周囲の生徒達が可笑しそうに声を上げる。

 一平太は「だからやらないのが一番なんだよってぇ」と、笑いながら答えた。

「ああ、それとGW中に各教科から課題も出ると思うから、それもしっかりこなせよ?」

『うへー』

 と、クラスメイト達が一様に嫌そうな声を発した。

 夏休みでもない短い休み期間に出されるのが嫌で嫌でたまらないといった様子だ。

「お前らね。古典の鬼怒川(キヌガワ)先生に怒られてもいいならやらんでもかまわんが」

「鬼怒川だー、やべー」

 誰かがそう嘆くのに対して似たような反応が随所から零れ出た。

(まあ、古典の鬼怒川はほんと怒ると怖い……普段から怖いからな)

 どうして普段からああ何処か苛立ったと言うか、眼力が強いと言うのかわからないがあの先生を得意と言う生徒は中々いない。下手に美人なだけあって妙に胃が縮こまる想いをする先生である。

「こりゃ、課題忘れらんねーな、れんきゅ」

「かったるいけどなー。(オボロ)、お前頭いいんだし答え教えてくれよー」

「それでもいいけど、学食一ヶ月分な」

「うっわ、見せる気ねー」

「あるよ、いちお?」

 ぷすす、と笑みを浮かべながら朧は手にノートを持ってひらひら動かす。

 要約すれば『見せる気は一応あるけど自分で頑張れよ』という事だ。奢れば本当に見せてくれるだろうが、暗にそう促している。

「めんでぇー……。もう古典だけやって、後は放っておこっかな俺」

「うっわ、妥協案きたねー。怒られる決意表明ですかい、れんきゅー君」

「生物の畑守(はたもり)先生なら許してくれそうだ」

「あの人菩薩ですからなぁ」

 からからと笑いながら朧は確かに、と首肯する。

 そんな朧と連の会話を訊いていた様子で朧の隣の席の幼馴染、瑠依(ルイ)が頬を膨らませた。

「休屋君、そういうのはダメだよー?」

「わりーな、安曇野(アヅミノ)。俺は苦難な道を行く男なんだ」

「苦難じゃないよ楽な道だよー!?」

「れんきゅーが、連休で死す展開がくるんかねぇ」

「ダジャレつまらなっ」

「ええー。れんきゅーの名前をネタに出来る絶好の機会なのになー」

「連休の度に似たような事言われるから慣れたっつの」

 やれやれと首を振って連は呟く。

 何とも難儀な愛称を昔から呼ばれるものだ。

「ま、何にせよ課題忘れると大変だからなー。れんきゅーも忘れない様にしねーとだぞ? 特に学校に置き忘れたりしたら見るも無残に……ぶふふっ」

「お前絶対俺が怒られてる光景想像してんだろ! 心配されなくとも、学校に課題忘れるバカなんかいやしねーよ!」



 そんな午後のホームルームを終えた後の連は学校での光景とは裏腹に一人さびしく帰宅していた。普段なら朧や安曇野達と途中まで一緒になるし、友人数名と帰ったりもあるのだが、今日に限っては一人だ。

 朧は生徒会の手伝いとやらで遅れるとの話だし、朧が一緒でなければ瑠依や妃奈もついてはこないだろう。そもそも部活だってある。

「早く帰って漫画でも読むか」

 こういう日はさっさと帰って娯楽に耽るのが一番だ。

 ただ考えるのは――。

(GWか……どうすっかね)

 短い休みの期間。

 生憎と何処かへ出かける予定も無い。精々、友人とどっかへぶらぶら出かけたり程度というものだろう。それだって駅周辺で遊んだり、ファミレスで喰っちゃべったりだ。折角の期間もったいないとは思う。最悪、家から一歩も出ないもあり得る。

「つくづく朧との差がなぁ……」

 彼の場合、家に居ても何らかの事情で騒ぎに巻き込まれるのだ。

 それに対して連は特に何もない。普通だ。もう普通過ぎて特にこれという感情も湧かない。

「何か変わり映えある事ねーかな」

 そう愚痴を零しながら歩く連の前にふと視界に入るものがあった。

 僧侶である。

(およ、めっずらしー)

 思わず目を見張った。道中で僧侶を見かけるとは何とも珍しい。ただしロングヘアーでありイケメンでもあるのでコスプレかもしれないと連は少しだけ訝しんだ。ただ、視線が一瞬絡むと睨みつける様な糸目で思わずささっと目を逸らす。

(あーもー、びくるって。こういう怖いのなんて求めてねーっての)

 そうして僧侶が見えなくなるまで歩いていくのを確認すると一息零す。

 変わり映えと言ったってもう少し穏やかで楽ちんなのが望ましい。そう考えていると連の視界に今度はあるものが映った。

「るるー。るる、どこにいるのー? るるー……!」

 そこにいたのは小さな女の子だった。

 見た所小学校低学年くらいだろうか。黒髪を後ろで縛った可愛らしい顔立ちの女の子が一人てくてくと何やら探し物をしながら歩いている。連はそれを認識するとなんとなく視線を外しながら歩き始めた。

(関わると大変そうだよな……)

 自分でも情けないと思うし、何があったのだろうと心配する気持ちもあるのだが、関わるとこう面倒な気がして思わず気付かないふりをしてしまう。

 帰ったら早く娯楽に興じたと言う気持ちもあって女の子と関わり合いになりたくない気持ちがあったというのが正直なところだ。

 そんな連であったが、幸か不幸か少女が声をかけてくる。

「あの、すいません」

 うっと呻きながらも無下に扱う事も出来ず「へ、へぇ、はい? なん、なに?」と後ろ頭をかきながら中腰になって耳を貸す。

「その、この辺りでこれくらいの白い猫みませんでしたか……? 名前はるるって言うんですけど……」

「白い猫?」

 白い猫などたくさんいる。

 これくらいと言う腕の手振りでサイズは把握できるが、それだけでは何とも言えない。連は何とも言えず「ゴメン、みてねぇや」と返すしか出来ない。

「そうですか……」

 しょぼんと少女は落ち込んだ表情を見せる。

 ここで朧ならば『飼い猫? ならお兄ちゃんが一緒に探してあげるぜ☆ だってお兄ちゃんは実は探偵さんだからねーっ!』とどこからか探偵コスプレを出して言うところだろう。

 だが連は。

 全てが普通な休屋連と言う少年がとる行動は!

「ゴメンなー、力になれなくて」

 すたすたと少女を残して軽く手を振りながら歩き出すというものだった。

 心配もするし、可哀そうだとは無論思うのだが、どこの誰とも知れない少女の為に何かしようかと思うかと言われればノーだ。

(そもそも猫探しとかヤベェ。絶対、長くかかりそうだし)

 関わるべきではない。面倒くさい。

 連は後方から聞こえる「あ、あの、ありがとうございましたー」と言う声に幾何の罪悪感と言うか心地悪さを感じながらも少女がまた猫の名前を呼びながら駆けて行く足音と一緒に罪悪感も遠ざけていく。

 ただ本心から心配なのはあんな小さな女の子が一人で行動していて不審者の目につかないかという事だが……。

「まあ、そう遠くなく陽も落ちるし、それまでには帰るだろ」

 自分をそう納得させて連は歩き出す。

 なによりも――自分が関わるまでも無く物事なんて上手く回って行くだろうと言う認識から休屋連はいつも通りの帰り道をいつも通りの内心で帰っていくのだった。

 そうして自宅へ着いた頃にはそんな少女の事などすっかり忘れていた。

 同時に忘れていると言う意味でその日、置き忘れたある事実が存在するのだがそれに休屋連が気付くのはもう少し後の事であった。


        7


 陽移ろいて夕闇が更ける。

 夕焼けが沈み切り、街全体を薄らぼんやりとした黒が覆い尽くす頃。それはとてもいつも通りの風景だ。昼が終わり、夜がくる。何という事のない自然な流れに他ならない。

 けれど、そんないつも通りの風景の中にはいつも通りではない異端が紛れ込んでいた。

 夜が更ければ更ける程に街灯りは輝きを照らし出す。

 そんな街灯の明るさとは無縁と思う路地裏での一幕だ。

「如何です? 如何でございます? 心地よいでしょう、気持ちよいでしょう、体の奥から快楽が湧き上がって仕方無い事でございましょう?」

 それは男の愉悦に満ちた声であった。

 同時に聞こえてくるのは掠れる様な叫び声。必死に大声を出したい、いや本人的には叫んでいるのだろう――だが、その口から零れるのは声にもならぬ掠れた叫びであった。しかし断続的に声が聞き取れる。

「もっ、ゆる、ゆるひぃて……!」

 命乞いするかの様な嘆きの嗚咽。

 それは女性の姿であり、彼女の表情は涙と絶望で彩られていた。

「許して? 許して――おかしなことを仰いますな、申し上げられますな。ここはこれほどに悦んでおいでと言うのに何が許してなのか――甚だ疑問でございますっ!」

 途端、女性が歯を食い縛りながら絶叫を堪える様に苦渋を浮かべた。

 薄暗闇の所為で確認はし難い――だが、彼女の首から下を見れば衣服と言えるようなものは何も見て取れなかった。いや、厳密には形を成していなかったと言うべきだろうか。ボロボロに引き千切られた衣服の残骸と言うものが肌に軽く付着しているだけの様であった。

「さて、そろそろ仕上げと行きましょうか」

 にっこりと笑顔を浮かべながら女性を甚振る何処か礼儀正しい口調の男はそっと何かを懐から取り出した。女性はそれを見て「な、なに、え……?」と表情をひくつかせて戸惑う。

 それは二又の何か――と女性には見えた。それほど大きいものではない。

 むしろ見覚えがあるかと聞かれればあると答えられる様な、どこにでもあるものだったと思うのだが肉体的に、精神的に限界間近であった彼女にはそれの正体が掴めない。むしろ、金属の鈍い輝きを放つそれは――凶器に思えて仕方が無かった。

 事実――それはその通りに実行される。

「では、ラストスパートにございます!」

 その歓喜に彩られた声と共に女性はズブン! と言う衝撃を腹部に感じた。

「あ、う……?」

 おぼろげな視界の中で何が起きたのかを朦朧とする意識をどうにか取り集めて確認する。

 ――しない方が良かった。

 ――腹部には二又の何かが柔らかな皮膚を見事に突き刺している光景があった。

 それを認識した瞬間に女性の口からは絶叫が放たれる。『痛い』と言う言葉をひたすらに連呼した。喉が張り裂けそうになる程に口にした。しかし、それは男を喜ばせるだけのものであり更には無慈悲にも男は腹部に刺さったそれを手で何度もこねくり回して、痛みを倍増させ、更には後いくつも持っていたのか複数のそれを何本も何本も突き立てていく。

 その惨劇から数十分が経過した後。

 その場には無惨な女性の屍が転がっていた。度重なる暴虐の痕跡は見えない。表面的には最早確認出来ない――何故ならばその死体はまるで雷に打たれた様に黒焦げとなり、蒸気すら薄くぼんやりとだが発していたからだ。

 先程までの絶叫はまるでもう聞こえてきはしない。

 シンと静まり返ったその場所で、黒焦げの彼女を見つめながら、男はふるふると――感激に打ち震えていた。

何と素晴らしい(ケ・ボニート)!」

 そして唐突に両手を天高らかに掲げて叫びを上げた。

「ああ、ああ――うら若き乙女の清純さが冒涜され、その軽やかな声色が絶望の絵筆に塗りたくられ、惨劇の海原に沈められ逝く、その時の顔! 表情! 何と言う美しさなのでございましょうね、ええ! やはり飽きない! 抱き飽きない!」

 自らの体を強く抱きしめながら涎を口元に垂らし男は「嗚呼」と感嘆の息を吐き零す。

「いけませんな、いけませんな――。今宵の夜伽は終わりだと言うのに、関わらず――求めて止まぬ感情が沸々とぉッ!」

 まだ足りない――。

「渇望はとてもではありませんが、抑え切れるものに非ず……!」

 ぎょろりと飛び出た眼球を動かしながら男の体は打ち震えた。

 そして男の体から信じられぬ事に電気と思しきものが弾ける。

 しかし、そんな街中の一幕は街の喧噪には打ち勝つ事は無く――やはり、今宵のこの事件もまた夜の闇へと紛れ込んでいくのだった。



 夜が唯一幕で終わる道理はない。

 人知れず起こった惨劇が明るみとなるのはまだ少しだけ先の事。その事件の事を知る者等は女を殺した加害者の男一人と言うのが通常であろう。ならば、異常な者は得てしてそれを理解すると言う可能性を無下には出来ない。

 ここにまさしくそう言った者達がいた。

「ンー……グレイト。まさしくグレイトなディスピアだったぜ!」

 両手でサムズアップしながらいっそお気楽とさえ言える口調でそう呟く影があった。

 そしてそんな気楽そうな口調の男に答える影がもう一つ。

 そちらの影は右手の指先をトンと額につけながらやけにキザったらしいと言うべきか何処かナルシズムを感じる立ち方で優美な声を発していた。

「ええ、そうであろうとも。流石は連続婦女強姦魔として捕まっていた男なだけあって、実に素晴らしい働きをしたと言えるでしょう。――まあ、一番称賛されるべくはそんな男を世に解き放つと言うファーストクラスな働きをしたこの私に他なりませんがねッ」

「げげげ――まあ、上等な働きぶりじゃあないんすか、コスタルデアの旦那」

「ふふ、ファーストクラスな私をビジネスクラスな貴方が褒めると言うのは不遜甚だしいですがよろしい、受け取って差し上げましょう、感謝しなさい」

「コスタルデアの旦那グレイト! マジ、グーレイット!」

「ふふ、うふふふ……ふはーっはっはっはっは! 褒めよ讃えよ称賛するのです!」

 両手を広げて高らかに声を上げる男に対して「わー」とまばらな拍手を贈る。あからさまに嘲った褒め讃え方だがどうにも気分が高揚しているのか男が気付く素振りはない。

 そうして少しした後に「さーて」と前置きして、静かに腕を伸ばして体を解し始める。

「行くのですかね、オクゼンフルト」

 お気楽な口調の男――オクゼンフルトと呼ばれた男は「まぁーねぇ」と陽気な声を上げ、

「チンタラしてるわけにもナッシングっすからねぇ」

「それは然り――ですね」

「まぁ、クライムは感じるけどねーぇ。そんな事を言っていてもしょうがないのも事実。悪いが彼らには――サクリファイスになってもらうほかにゃーよって話なわけですよ」

「ふふ、気にする方が愚行と言うものだけれどね。我々が人に害を成す事はある種当然の様なものでしょう。ならば本分を果たすのみ、と言う奴ですよ」

 片目を閉じながらコスタルデアは何処か狂喜を帯びた表情でそう答えた。

 オクゼンフルトは軽く肩をすくめながらも屋上から端の手すりがある方向へ歩きはじめる。

「ああ、それと行く前に訊いておきたいのですが――ラマト・ガン。奴は見つかりましたか?」

「生憎と」

 困った様な表情を浮かべてオクゼンフルトは静かに頭を振った。

「そうですか。ちっ、やはり隠れるのが上手い男ですね……。ファーストクラスな私を相手によくも……!」

「そりゃああのラマト・ガンだからねーぇ。げげげ――、まあ俺達以外にも動いてる奴らは大勢だ。前までならハイド出来たかもしれないがナウな昨今ではディフィカルトでしょ」

 げげげ、と濁音交じりの笑い声を零しながら音も無く跳躍して手すりの上に着地する。

「オクゼンフルト。前々からだが君の英語交じりの喋り方もう少しどうにかならんのかい? ファーストクラスな私には耳障りな発音だ」

 一々交えてくるので思わず柳眉をしかめるが、オクゼンフルトは「げげげ、それをアンタにゃあ言われたくナッシングよなぁ」と面白可笑しそうに笑った後に、男はメキメキと言う音を鳴り響かせながら、静かに告げる。

「――さあ、遍く諸人よ絶望に感化されなベイベー」



 同時刻。

 千葉県木更津市某所。

 東京湾を神奈川とで挟むこの県内に存在する有数の巨大な家の一角。その中でも際立って巨大な家が月夜の光に照らし出されていた。黒塗りの厳かな風格漂う巨大な家――いや、それは最早『城』と形容して遜色ないだろう。通天閣と言って過言ではない。

 その城の頂上付近にて月夜を見上げる誰かの姿があった。

ガスパージャ(婦人)・カノープス」

 そして、その誰かに声を掛ける男の姿が一つ。

 カノープスと呼ばれた女性はしわがれた声で答える。

「なんだい、フォーマルハウト。何かあったのかい?」

 女性は軽く後ろに視線を送った。

 そこにいるのは若い執事服の男であった。柔和な微笑を浮かべる優しげな風貌を持つ男。だが宵闇の所為なのか、月光に淡く照らし出された笑みは何故だか怪しい雰囲気を漂わせる。

「ええ。一応のご連絡を入れようと思いまして」

「ふん、そうかい。それで? 何があったんだい?」

 何とも興味無さそうに婦人は問い掛けた。

「あのちびっ子が何かしたーってんなら訊く気はないよ」

「これはまた辛辣な。うるき様が悲しまれてしまいますよ?」

「わたしゃが知った事かい」

 鼻息荒く切って捨てる婦人に対して「そうですか」と簡素に相槌を打ってから「ですが」と前置きして、フォーマルハウトはこう切り出した。

「カイ様が行動を起こした、と聞かれてはいかがですか?」

「カイが……? ケェッ、あいつめ。何でまたこの時期に……!」

「恐らくは鍵森君が執事に着任した事。加えて言えば、三月の事件が伝わった可能性も否定できないかと考えますが」

「なるほど。確かに、それなら行動も起こすだろうねぇ」

 顎に手を添えながら忌々しそうに婦人は呟く。

「だが、生憎とアンタはお呼びじゃあないんだよ、カイ」

「まあ、そもそも彼は来れないでしょうから――別の誰かを派遣する形と言う可能性が高いかと思われます」

「だろうね。来れるなら自分で来るだろうが……まあ、アイツの部下程度なら例の奴でどうにかしてみるのも一興かもしれんねぇ。フォーマルハウト、あそこのヤツに連絡を入れて依頼しておきな。任せたよ」

「ヤツ、と申されますと――『ヴェネルディ』でございますね?」

「ふふ、そうさ。丁度いいだろうしねぇ」

「確かに。パーフェクトでございます」

 そう恭しく頭を下げながら告げるとフォーマルハウトは静かに立ち上がり部屋を去っていく。件の場所へ連絡を入れる事だろう。

「ま、精々力を見せてもらうとしようかね」

 婦人はニヤリと不敵な笑みを浮かべて静かに怒気を込めて何かを呟いた。しかしその言葉は聞こえる事は無く――夜風に紛れて静かにそよいでいった。


        8


 そうして二日が過ぎ、宵の闇は日輪に払われ、大気は橙色に彩られる。

 5月3日。ゴールデンウィークはすでに開幕している。

 故にこれより始まるのは――少年少女の休日の騒がしく彩に満ち溢れたストーリーだ。














第二章 少年少女の休日前線

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