第一章 連休前の往々とした日々
第一章 連休前の往々とした日々
1
それは時刻にして5月1日の夜九時を回った時の出来事であった。
表通りにざわざわとした人々の行き交い、喧騒が零れる光景から僅かに逸れた場所。横道へと逸れて入る路地裏での事だ。普段であれば何の事は無い。人一人いないか、あるいは不良がタバコでも吸う為にたむろするかと言った事でしかないはずだった。
しかし今日は違う。
その通路の入り口には青い服に身を包んだ法の守護者――警官が整然と並ぶ景観が広がっていた。誰かが好奇心から入り込まない様に黒と黄色のテープが張り巡らされ赤のコーンも路面に設置されている。当然にして、そんな光景が生まれている以上、人々の視線は好奇からおのずとそちらへ向けられており、一瞥して去っていく物や物珍しさから中を覗こうとする姿も各種まばらに存在する。
そんな場所へ向けて二人の男性が歩きながら近づいてきた。
先頭を歩く男の容姿まるでギャング。縦線の入った白のスーツに黄色のワイシャツを着用した顔に古傷のある煙草を吸っている男だ。対して斜め後ろをついてくる男はとりとめて特徴のない普通な男であった。適度な長さに切り揃った頭髪に黒のスーツと模範のごとく際立った個性の様なものはない。
前を歩く男の風貌を見た人々の反応は二つに分かれる。来た事を興味深げに見る視線、対してぎょっとして後ずさりする視線。そんな視線を軽く無視しながら男は「はいはい、ゴメンよゴメンよ。通してくんな」と不作法に告げながら『KEEP OUT』と書かれたテープを下からくぐりぬけて入っていく。そんな男に後方の青年も「あ、す、すいません。通りますねー、はいはい」とぺこぺこと低姿勢で続いていく。
路地裏の道は実に短い。
すぐさま目的の場所へ到達しながら男は近くの警官の一人に声掛けた
「よぉ、どーでい?」
「三刀屋警部。ご足労お疲れ様です」
「まったくだぜ。毎夜毎夜休まる日はねぇのかねえ……」
「ここ最近は事件多発してるっすからねぇ」
嘆息交じりに声を発する警官らしくない風貌の男性は三刀屋軍司。そして隣で苦笑を浮かべる男性は栗林泗水と言った。
「起こり過ぎだろう、にしても。なあ、栗林、おかげで俺今日も恋人の手料理喰い逃す事になったんだぜ?」
「警察なんすから仕方ないと割り切りましょうよ。それで恋人って誰すか?」
「由果子だな」
「前の時はジェニーって言ってた気がするんすけどね……。先輩、僕が訊いてるだけでもう二〇名くらい恋人の名前上がってるんすけど。何時か背中刺されて死んだりとかないっすよね? いやっすよ、上司が痴情の縺れで殺害とか」
「だな。男なら腹上死だ」
「もうやだ、この上司最低! と言うか、警察なんだからもっとそこらへん、堅守しましょうよ、ねえ?」
「わかっていないな、栗林」
やれやれ、と軍司は頭を振った。
「法を守る警察だからこそ――法の傀儡になり過ぎない様に適度に法を破っておくんだよ」
「何か格好いい事言ってますけど、不倫の言い訳にはならないっすからね警部!?」
「バカ野郎、不倫なんざしてねぇよ! どれも健全なおつきあいだ!」
「それが二〇又じゃなきゃ僕も納得したんすけどねぇ!」
そんな口論が続くが現場の鑑識たちの様子は「いつも通りだな」、「ああ、まったくだ」と言う呆れた様なものであった。慣れたものである。
ただこのままではらちが明かないので一人の鑑識が「御二方、そろそろ状況説明させて頂きたいんですが」と声をかけると、二人はすぐさま顔を引き締めて「頼んだぜ」と声を発した。この変わり映えの速さもまたいつも通りである。
現場を見た栗林の第一声は、
「うひゃあ……酷いもんっすね」
と、言う渋面と共にであった。
「だな。全身黒焦げ……服らしきもんも見当たらねぇ。こりゃ強姦された上で黒焦げにされたってわけか。しかし火の焼け方じゃねぇな。こりゃ電線に当たったみてぇなもんだぜ」
「どうしたらこんな事になるんすかね……毎度毎度」
栗林は不思議で仕方ないとばかりに眉をひそめた。
二人の目撃している遺体は実に酷い有様だった。全裸で黒焦げ。鑑識の話では暴行された形跡がある上に強姦された後が見て取れたという事だ。
「……さぞ、辛かったろうなぁ」
軍事は目を細めながら静かに手を合わせた。
少ししてから現場に視線を巡らせる。
「一応、上に電線が通っちゃいるが……ありゃ関係ねぇな」
「他二件と同じでしょうからね。電線に衣服の付着している様子は全くないですし」
「ああ、つまりこの該者は全く別のもので感電死したって事になるな。正体はおそらく毎回痕跡としてあるこの二つの刺し傷だが……」
「なんなんすかね、これ。ちっこいし、わりと」
「わからん。スタンガンとかを差したわけでもねぇだろうしな」
軍司は頭を掻きむしりながら困った様に呟いた。
「ったく、相変わらずどういう理屈なんだこの事件は。犯人の目星は間違いなく奴――ムンジュイックの野郎だろうが、奴がいったいどうしてこんな事を出来てんのか。そしてどうしてここまで逃げられちまうってんだ」
「本当おかしな話っすよね。それで言ったら、脱獄自体おかしな話ですが……」
警察が現在、この可笑しな感電死による殺害事件の犯人として目星をつけている人物が一人いる。それは警察の威信にかけても再逮捕しなくてはならない相手なのだ。
4月28日に護送車から脱走し、現在逃亡中の連続強姦殺人犯。
マクシミリアーノ=ムンジュイック。スペイン人。
その日に隙をついて脱走した後のマクシミリアーノは警察の手から逃れに逃れて、現在多くの女性被害者を出している。どうしてマクシミリアーノの犯行と断定されたかと言えば、被害者の体内から彼のDNAが採取された為である。それだけならばまだ脱獄囚の強姦殺人で片が付くが生憎と不可解な点があるのだ。
それがこの感電死による殺害方法。
どうすれば電気が通っていないこういった場所でこんな殺害が出来るのかが不可解だ。また彼の隠密スキルによる逃走も並みでは無く、警察は行方を現在捜索中と言う事になる。
「せめてコイツの電気の源がわかりゃあな……」
ポツリと零した軍事の声に泗水が小さく呟いた。
「もしかしたら……」
「ん? 何か心当たりでもあるのか?」
「笑わないで訊いてくださいよ警部」
「内容によるな」
「笑わないで訊いてくださいね警部」
「だから内容によるって」
「笑わないで訊いてくださいな警部」
「いいからさっさと話せバカ警部補」
そろそろ殴ろうかと思った頃に泗水はこう告げた。
「ひょっとしまして――超能力、とかじゃないっすかね?」
「よし、鼻を食い縛れ」
「そんなピンポイントに狙わなくたって!?」
はぁ、と溜息交じりに「どうしてそう思ったのか言ってみろ」と呟く。
泗水は「そりゃですね」と前置きして、
「警部だってご存じでしょ? ――署内に存在すると言う超常特別捜査課って言われている部署の存在」
「――」
それは軍司も聞き覚えのある単語であった。
泗水はなおも続ける。
「僕らみたいな一般の警察じゃ対応出来ない犯罪者を取り締まる為の部署――とか、もう漫画みたいな内容ですけど、事実存在する可能性があるって同僚も言う部署です」
「まあ、俺も何度か耳にした事はあるな」
「仮にそうだとすれば――今回みたいな不可解な殺人事件は超能力者って線も否定しきれませんよ警部。そう考えれば脱走出来た事自体納得がいく話です」
「じゃあ、何か? マクシミリアーノが電気人間とでも?」
「有り得なくはないですね。そもそも捕まる前からアイツは異常でしたって訊きます! 実際に逮捕した日の時には殺害した女性二人がその場に倒れていた――だけではなく、血を抜き取られていたっておまけつきですから! おかげで警察関係者は『蛭』って例えてたくらいですからね」
「確かにな。事実――この該者も奴お得意の手法なのかしらんが、血ががっぽり抜かれてやがるんだから。吸血に電気――世にも奇妙な『電気蛭』ってとこか、今の奴は」
軍司が鑑識に手渡された資料には確かに『血が抜かれている』と言う記述が記載されていた。
その行為からまるで『蛭』の様だと。
「しかし、仮に超能力者なら今回の一件は特別捜査課の専売特許ってわけか」
「そうなりますねー。悔しいっすけど。ま、存在してたらの話っすけどね結局」
「いや、存在はしてるだろうな」
いやにキッパリ言う軍司の発言に「へ? 何でですか?」と疑問を浮かべる。
そんな泗水に煙草を吸いながら軍司はこう述べた。
「何でも何も――現場でこんな与太話をしている時点でそいつらの登場フラグだろ」
「先輩も漫画の見過ぎじゃないっすか!?」
そう言う理由で!? と、泗水は愕然とした表情だ。
そんな彼を余所に「だがまあ」と間を置いて、
「超能力犯罪があろうが、何だろうが、俺達は漫画と違ってモブじゃあねぇんだ。そいつらにおんぶに抱っこに知らないうちに解決しときましたなんて言われねぇように――捜査に向かうぜ栗林警部補」
「やー、疲れそうな上に死にそうな事件っすけどね」
「グダグダに疲れて帰るのが大人の職務って奴だ、観念しとけ」
そんな会話を繰り広げながら。
夜の街に潜む狂気の殺人犯を拿捕すべく、三刀屋軍司警部と栗林泗水警部補は己が足で狂気孕む夜の街へと消えていった。
2
目覚まし時計が鳴り響く。
規則的な時間感覚で何とも耳に反響する盛大な音の羅列。明朝にしてこの音を聴けば誰しも自ずと意識をそちらへ傾ける羽目になる。ことこれが自分が設定した時間であっても、いざ訊いてしまえば眠りを邪魔された不快感に柳眉をしかめるのだから難儀なものだ。
『夜だぞっ! ねっむれーっ! 夜だぞっ! ねっむれーっ!』
だが強いて挙げるなら少年が物珍しさから購入した目覚まし時計が通常とは真逆の事を吐く事くらいであろうか。大声で眠れ眠れ言われるのがここまでやかましいものだとは彼は想像打にしなかった。
「眠れねぇよ……」
愚痴る様に呟きながら逆に寝てしまおうかと数秒悩みはしたが仕方なしに目を覚ます。
「あー……。珍妙さから買っちまったけど当たりか外れかわかりゃしねーっての……」
たははー、と苦笑を零しながら少年は目を覚ます。
と、そこへドンドンと壁を叩く音が響いた。
「連―、朝よ早く起きなさーい」
訊き慣れた声。母親の声に「わーったー」と適当な返しを放つ。
「お、早起きじゃない。じゃ、さっさと起きて下来なさいね。ご飯用意しとくから」
「ういー」
その後に階段を降りて行く音を耳にしながら少年は立ちあがる。
そうして着ている黄緑のパジャマを適当に脱ぎ捨てると近場に戸棚にしまってあるTシャツに短パンと言う簡素なものに着替え終わると部屋を出て階段を降りていく。音が聞こえた様で母親からの「顔洗ってきなさいよー」と言う声が聞えたのでさっさと洗面所へと足を運ぶ。
洗面所に着いた少年は寝ぼけ眼でレバーを上へ押し上げて蛇口に手を翳せば、勢いよく流水があふれ出し水を零さない湯に両手で溜めて勢いよく水しぶきを顔に曝す。この瞬間の解放感と言うものな何とも心地よいと思っている。
「って、あー。ねーよ、タオル……」
何でねーの、と文句を零しながら少年は近くからタオルを取って顔を拭う。その際に水滴が廊下に随分垂れたがきっと大丈夫と信じながら少年は鏡を見た。
相変わらず冴えない顔だ――と、少年は心からそう思う。
黒髪黒目。取り立ててイケメンと言う事も無く、不細工とまでは罵られないが特徴と言えるものもない他人評価曰く『影が薄いわけでもないのに一周廻って印象に残らないくらい普通だよな、お前』は伊達では無い。本人も自覚している。
どこにでも見られるような顔というわけではない。
だが見た人が『普通だなぁ』とのほほんと評価を下せそうな顔立ちだ。中の下か、あるいは下の上くらいの顔立ち。はっきり言ってしまえば『冴えない顔』と言う奴に他ならないだろう。
中学時代はイケメンや美少年と言うものに憧れたものだが昨今は憎しみさえ抱いていればそれでいいや、と思う様になった。本心ではなれるならなりたいが顔ばかりは嘆いても仕方がない事くらい重々承知。
かと言って他が飛び抜けているかと言えばそうではない。
勉強も運動も他全般やる事成す事、大した事はない。勉強に至っては赤点の危機に陥った記憶もあるし、運動に関してはやる気も無くだらけた記憶の方が多い。ならば料理はと言えば料理本を一度見たら大匙何杯とか色々あってやる気を失くし、娯楽に勤しむ始末。
でもそんなもんだろ皆、と考えて逃避に及ぶ。
そんな特別語るべき事も無い少年が――身長体重全て平均的なのが彼、休屋連と言う少年であった。
「いいや、さっさとメシ喰おっ」
連は欠伸交じりに居間へと足を運ぶ。
扉の向こうからは訊き慣れた男性の声がハキハキと耳に届く。だが知人と言うわけでは無い。朝に父親が良くつけているテレビ局のニュース番組の総合司会の男性が記事を読み上げている声と言うだけだ。
「はよーっ」
「おお、おはよう」
声を発しながら居間へ踏み入れば返ってくるのは訊き慣れた父の声。
相変わらずの眩しい禿げ頭に『将来こうはなるまいぞ』と密かに決意を浮かべながら最近の育毛技術の進歩に期待を寄せる連である。息子にそんな失礼な事を思われているとは当然思わない――思ってても『お前な』とジト目で睨まれるだけだろうが――父親、休屋錬次郎は呑気に新聞を捲りながらコーヒーに手を伸ばす。
「おはよ。連は朝どうする?」
「何がある?」
「特売で買ったコッペパンと特売で買った納豆と特売だったから試しで買ってみたエネルギードリンクかしらね」
「特売ばっかじゃん」
うへぇー、と嫌そうな声を零す連に最近体重が増えてきて困っているらしい母親の休屋由美子は特にいつも通りな様子で「で、どうする?」と更に声をかけてくる。
「んじゃ、コッペパン。やかないでいいよ、そのまま喰うから」
「あいさー」
はいはい、とばかりの様子で母親は台所にある六つ入りのコッペパンの袋を手に取ってテーブルにストンと放置する。美味しさ安定のトキザキパンのパンだけあって特に何かつけようという程のものはない。このままで十分だ。
(……ま、塗るの面倒なのと挟むものねぇだけだけどな)
テレビで豪華な朝食とかよくあるが一般家庭の朝食何てこんなものだと連は思っている。
寂しいなぁ、とは思うがもうとっくの昔に慣れた話だ。
せめてキュウリがあればハムと挟むが切るのも面倒なら保存も面倒だ。
かと言ってハムだけというのは辛いしチーズを挟もうものならもれなく焼かなくてはならなくなる。従ってこのまま食べると言うのがベストな選択だと自負している。
もふもふもふ。
口の中に覚えのあるバターの風味がふわりと広がる。水が欲しくなる味だった。
連はそんな事を思いながら緑茶で喉を潤してからおもむろに錬次郎へ視線を向ける。
「父さん何か面白い事件あったー?」
「面白い事件なぁ。面白いって言えない事件ならあるが……」
「なになにー?」
だらけながら問い掛ける連に錬次郎は「ちゃんと座れ」と一言吐きながら視線をテレビの画面へ向けた。
「丁度、それだ」
何かな、と思いながら連が注目すると総合司会の男性は少し緊迫した表情で記事を読み始めていた。
『――昨日の夜九時頃に警察へ通報があり、現場へ警察官が駆け付けたところ、その場で女性のものと思しき遺体が発見されたとのことです。発見当初、遺体は黒焦げの状態で放置されており、鑑識の結果暴行された形跡があるとの事から現在脱走中のスペイン人マクシミリアーノ=ムンジュイック受刑者によるものとみられるとの事です』
その後画面は切り替わり、犯行現場周辺の画像が映し出された。
特に変わった様子も無いただの路地裏。そこで事件があったのか、と連は思うが何とも感慨が湧かない話だ。無論、関心がないわけではない。
なにせ、
「この脱獄犯しぶとく逃げるねー……だっせ」
嘲る様に連は呟く。どうせ捕まるだろうに、と。
だが護送車から逃走してもう四日は経過しているらしい。四日間も足取りを捕捉されながらも逃げる足掻き様よ評価してやってもいいかもしれない、と連は思った。
「確かに頑張るな。脱獄してから四日がだしなぁ」
「四日前に脱獄したーってニュースで知った後にネットとか見たらお祭り騒ぎ状態で盛り上がってたし、この事件と前回の二件ですでに三人殺害してるだろ? それも含めて盛り上がってるし俺も近場でヤベェー、とは思うけどさ。警察だって間抜けじゃねぇし、どうせあと二日三日で捕まるだけだろーに。っていうか逃げてまで殺人とかマジ外道」
可笑しそうに連は笑いながらそう告げる。
錬次郎はその様に眉をひそめ苦笑を零す。
「お前な。逃げて潜伏してるの横浜市内周辺って言われているんだぞ? 笑ってる場合か」
「だーって被害者女ばっかだし。俺、男」
「ふむ、それを言えば父さんも男だ」
「やったね。狙われる要因皆無」
腕でバツ印を示しながら他愛ない話の様に会話を続ける。
何とも緊張感のない会話だし危機感のない風景だ。休屋連自身そう思う。だが生まれてこの方何か大きな事件に出くわした覚えもないし、連続殺人犯に居合わせる確率だって天文学的数値だ。実感が湧かないのではない、事実に直面しないだけだ。
「ま。殺された女三人は御冥福くれーは祈るけどさ。俺には関係ないしなぁ……まあ、早く捕まればいいんじゃねってくらいだよ」
「そんなものだな」
父子揃ってうんうんと頷く光景を見ながら母の由美子は「アンタらはいいかもしれないけど、お母さん不安でしょうがないよ。はぁ……はやく逮捕されてくれないかねぇ」と零すので「母さん心配し過ぎ。母さんなんて狙わないって」と笑い交じりに連はそう零す。
ただの普通の母親だ。狙われなんてしないだろう。
「でもね、連。ほらほらほら、見てごらんって」
由美子はそう急くように促して画面を指で示す。
どうやらアナウンサーが周辺住民に意見を求めている様だ。
『そんな危ない奴がうろついてるとか子供危なくて外出せないですよ』
『警察も警察よね。何で脱走させちゃうんだか』
『捕まる前も大量殺人で捕まった殺人犯なんでしょ? 怖いわよ~』
と表情を曇らせながら告げる顔に警察への憤りがみてとれた。
特に今回の件で脱走を許した警察に関してはネット上でも『警察マジ無能』と言う言葉が草を生やしながら何度もスレッドに見受けられたのを覚えている。連も本当だらしないと思う限りだ。その分、躍起になって追っているという事だが、警察は最近重要事件が多いらしくそれだけに的を絞ってもいられないらしいからそれが困りものだ。
「最近は重い事件ばっかでいやんなるよーまったく」
「最近じゃなくても年がら年中嫌な事件ばっかだと思うけどな俺は」
「連ってば取り留めないねぇ」
由美子は嘆息交じりにやれやれと首を振る。
けれど実際ニュースの話題に事欠いた日と言うのは存外来た事が無い気がして。だからこそ連は率直にそんな意見が零れ出たのだと思う。
嫌な事件ばかり起きると言うのはその通りだと首肯しながら。
(その割に遭遇した事なんかねぇんだから……結局そんなもんだよな)
何も変わりはしない。
ニュースの出来事は所詮自分に関わりない出来事で、話のネタ程度の事でしかないと連は思うばかりである。他人の不幸は蜜の味とまでゲスな事は言わないが、それでも話のネタで談笑の元なのだからと。
「お。此花珠樹、主演決まったのか」
「え、マジか」
そこで連の意識が先程までの陰鬱したものから一気に好転した。
此花珠樹。連が注目する芸能人の一人。トップアイドルであり、女優の卵であるとして着目されている美少女だ。その美少女が嬉しそうに笑顔を浮かべながら映画の主演に決まった事に対して報告している映像がテレビに映し出されていた。
「やっぱ、次元違いにかわいーなー此花」
「確かに! 父さんも一押しだ。なんつったって他のアイドルとはオーラが違うって感じだからな。いやぁ、数年前までは不作だったり、やれ最近は多人数なだけのアイドルグループがあったりで業界ダメダメだったが昨今は進撃目覚ましいものがあるなぁ」
「わかる、わかる。新人アイドルに女優に歌手って最近はガチで凄い女の子出まくってると思うもんマジで! しかもスタイル抜群だしさ、ああ逢ってみてぇなぁ……!」
それでお近づきになれたら最高だ、と連は思うばかりだ。
「バカ言ってんじゃないよ、アンタみたいな普通の子に見向きしないだろうにアイドルが」
「うっわ、息子の夢壊して楽しいかよ母さん、うぜー」
「うざくてごめんなさいねー」
「見てろ、こうなれば医者にでもなって将来的にお近づきになってみせるから」
「アンタが医者になってくれれば母さん安心できるんだけどねぇ確かに。けどアンタが医者になったら人命救助に携わるわけか……ああ、どっちにしても安心でき無さそうだねぇ……」
「うわぁ、息子に全く期待寄せてねぇー」
「すまん、父さんフォロー出来ないや」
「出来ないならせめてそこで反応見せない方がありがたかったかな」
拗ねながら連はむくれた様にそう告げる。
とはいえ連自身医者になろうとは思わない。勉強大変そうだからと言う単純な理由で。
「でも本当可愛いよなぁ……どうやったらこんな子に出会えるかなぁ」
「何だモテたい時期か、連」
「男は年中無休でモテたいっての」
「まあ、そうだな」
錬次郎は確かに、と頷く。
「でも、それを言うならアレだ……弓削日比君の幼馴染の安曇野ちゃんとかアイドルに負けないくらい可愛い子いるじゃないか」
「いるけどさー……いるけど、アレ脈ねーって」
わかってないなぁ、と溜息を浮かべる。
関わるにしたって恋人とかそういう色気のあるものに憧れるのであって、完全に脈の無い相手に対してそう言われても嘆くばかりだ。
「脈なぁ……まあ、そう言うのなら頑張らないと無理なんじゃないか?」
「んなのわかってるよ。わかってるけどさ……。あー楽してモテてー」
「考えうる限り最悪の応えだぞ息子よ」
「わかってんよ、んなのー」
背凭れに体重を乗せながら自嘲気味に連はそう呟く。
けれどモテたいとは思えど努力するのもな……と面倒くさがるのもまた連であった。
「さて、そろそろ父さんは用意して行くが……、連も遅れない様に準備するんだぞ?」
「わかってるー」
「っと、ここでタイミング悪くアストルバーグとの会談の様子か……むむむ」
錬次郎は見逃したくなさそうに唸る。
その声に連も反応しニュースをぼーっと見つめ始める。
「アストルバーグ、か……」
このニュースもまた突飛なまでの話だと思いながらも、現実に二ヵ国間の話し合いの風景を見ながら絵空事ではないと理解しつつも、やはりそれは自分には遠い話で。
休屋連の朝はいつもと変わらず平坦なままに流れていくのであった。
「やば、やば、やっばぁ……!」
見事に連は通学路を疾走していた。
何故、疾走しているのかと言えば単純に遅刻しそうだからである。別に何かイレギュラーが起きて遅刻しそうになっているわけではない。単純に朝のんびりしてて母親の「アンタちゃんと間に合うんでしょーねー?」と言う言葉に「へーき、へーきー」とニュース見ながらラノベ読みながらでいたら知らぬ間に切羽詰まっていただけである。これもまた珍しい事では無い。
朝に危なくなる事なんて頻繁にあることで――存外間に合ったりするのもまた多発する出来事なのだから。変わり映え無いと言えば変わらない日常だ。
だが、そんな連にも一つだけ特殊だと思う関係があった。
それは連にとって極めて身近な相手――、
「よー、れんきゅー! お前も遅刻かよー、はは、一緒じゃーん!」
「うわー、やっぱ朧に逢った」
連はおもむろに嫌そうな顔を浮かべる。
すると相手は「つれないぞー、れんきゅー」と唇を尖らせてくねくねと魚か蛇の様な動きで不満を申し出る。その癖して全力疾走の連に余裕な様子で付いてくるのだから、計り知れない男だと連は思っている。
「朧、俺がお前につれないのはな……お前の登下校を見てると殺意が湧くからだボケ!」
「おおう、れんきゅーってば怒髪天を衝くぅ! いや、そんな事言われましてもーなんだけどな俺としては」
「うっせぇよ! ほら、来たよ俺が怒鳴る理由!」
ビシッと連は朧の来た道を指差す。
そこから僅かに遅れてやってくるのは二人の少女――唯の少女ではない、美少女だ。片方は穏やかな目元をした栗色の頭髪の少女。息を切らしながら一生懸命走っており、その度に大きな胸が上下に元気よく揺れており、見ているだけで眼福な気持ちになり、もう片方は対照的に平然と――スケートボードに乗っているのだからそれは当然平然としているだろうが艶やかな黒髪ツインテールが風になびくスタイルの良く眦の凛とした美少女二人。
彼女たちは朧の元へ近づいてきながら、
「つ、つきりゅ君……は、速い、よぉ……!」
「にいさん。スケートボードを易々と追い越さないでください」
巨乳の少女は胸元を抑えながら息を整え始める。
何処かクールな少女は呆れた様子でその場にスケートボードを停止した。
その二人を見ながら、
「……で、瑠依と妹がどうしたって?」
「どうしたじゃねぇし! 登下校で美少女二人と一緒の奴がどうしたじゃねぇし!」
「美少女なんて……やだなぁ、普通だよー休屋君?」
「アイドルじゃないんですし大袈裟です休屋先輩」
美少女と指差された二人は互いに苦笑を交えて可笑しそうに笑みを零した。
それだけでご飯が何杯かいけそうな気すらしてくる程だが、
「いやいや、瑠依も妃奈もちょーかわいいーって」
ウインクしながらサムズアップで朧はそう調子に乗った様子で発言する。
「なな……っ! な、何を言ってるのよ、もーつきりゅ君のバカ!」
「……に、にいさんはすぐ調子に乗ってありもしない事を言いますよね、もぉ……!」
両者カーッと顔を朱に染めて反論を述べ始めるも「え、本心本心☆」と言うちゃらけた感じの返答だけで赤さが増していく。その光景を見ながら連は思う。
(このクソラブコメ野郎……!)
登下校の度に何らかのラブコメ展開が発揮される。
見ている側は胸が穿たれる思いだ。美少女二人に対して明確に好意を寄せられている目の前に親友に対して何度こういう想いを抱いた事か。
そんな主人公スペックさながらなモテっぷりを見せる少年こそ、弓削日比朧。
端正に整った顔立ちに制服の下は驚く程引き締まった肉体をしているメガネをかけたイケメンだ。おそらくは学年でも一番のイケメンだろう。
(なにが中の上だ、上の中は確実な癖して……!)
ハンカチを噛み締めたい気分で唸る。
神は残酷だ。
いったい連と朧の間でどれだけ差が広がっているものなのか。
中学二年生の時に出会って以来、何かと絡んできたが途中で幼少期別れたとかいう幼馴染の安曇野瑠依が転校してきたり、妹が美少女だったりなんだったりでなにかと女子との絡みも多いし、高校生活でもそのリア充っぷりを見せつけている始末だ。
「あー、貧富の差だなくそう」
ぼやくもラブコメしてて朧に反論している三名は訊いていない様子だ。
無性に悲しくなってきた。
「あー、お二人さん。イチャイチャのとこ悪いけど学校遅れんぜ?」
「んなっ。い、いちゃいちゃなんてしてませんよ休屋先輩」
「そうだよ、休屋君!」
二人反論しているが真っ赤なので全く説得力が無い。
「ああ、確かに時間ねぇや。二人とも急ごうぜ」
そしてその様子に気付いた風も無く、朧は腕時計を一瞥して急ぐよう促した。
妃奈は乗ってきたスケートボードに再び乗車し勢いと共に一気に進みだす。その加速力を見ながら連は思わず羨ましくなって叫ぶ。
「くそう、いいなーそれ!」
「休屋先輩も使えばいいじゃないですか。ウチの学校、何故かそう言うとこ緩いですし」
「わかってるよ! でも乗れないんだよ!」
「あちゃあ。それじゃダメですね」
苦笑を零す妃奈。
救いなのは「私と一緒だねー」とにこやか笑顔で賛同する瑠依の顔くらいか。スケートボードは昔挑戦したが運動音痴でからっきしだったのだ。
「連。何事も諦めない事が肝心だぞ?」
「やかましいわ! 後ろ歩きでスケボーと同じスピードの超人に言われたくねぇよ!」
「休屋先輩。兄を比較にするのは大変ですよ?」
「知ってる。大いに知ってる!」
複雑そうな表情で心配げに目を見張る妃奈に対して連は頷いて返す。
誰が100メートル走10秒台何て言う好タイムで済まない記録を打ち立てている益荒男を比較基準にするものか。完璧超人過ぎるのだこの親友は。
「つきりゅ君って昔から本当何て言うか……凄かったもんね」
「よせやい。褒めても何もでやしないんだぜ、ルイルイ」
「何か妙な綽名がついたー!」
ガーンと叫ぶ瑠依。相変わらず何とも飄々とした性格の男であると言うのが連の総評だ。
ちなみに『つきりゅ君』と言うあだ名はどうも『朧』と言う漢字を幼少期読めなかった為に『月』と『龍』で分解して読んだ事に由来するらしい。
(でも羨ましいよなぁ……幼馴染にそんな愛称とかよ……。妹の妃奈ちゃんにも『にいさん』とか呼び親しまれてるわけだし……)
更には中学時代大半の美少女が朧に好意を抱いていた。
確かに朧は正直なところいい奴だと思っている。だがパイプ役の様に紹介してほしいと女子達に頼まれた時も一度や二度では無いので嫉妬やっかみも多少はあるのが現状だ。
(まあ、そこもコイツがイケメンなんで解決しちまったけどな……)
そう言う紆余曲折経て友人やっているのだから、と連は内心で苦笑した。
だが、しかし。
(やっぱ出会いは欲しいよなぁ、くそー……!)
思春期男子高校生なのだ。
美少女の幼馴染と妹に囲まれている奴の傍にいればそう言った思いは更に強くなる。
「あー、朧の五分の一でもいいから女運が欲しいぜ……」
そう呟やきながら交差点を歩いた瞬間だった。
――切羽詰まった朧の表情を間近で目撃したのは。
え、と口から零れるよりも先に「レンキュー!」と固い声が響く。
同時に二人抱き合う形で道路を転がった。
そしてすぐに鳴り響く車のブレーキ音が木霊する。
視界には心配して駆け寄り声を出す瑠依と妃奈の姿。そこまでで連は理解した。危うく車にはねられかけていたのだと。そう認識するとぶわっと体中から汗が噴き出る。
「ぶな……っ」
危なかったと、思う。朧の事で嫉妬じみた考察をしていて気を配ってなかった結果がこれでは洒落にならない。「やー、良かった良かった☆ れんきゅー、無事? 怪我ね? あっぶねーなー」と空気を壊す様に笑う朧の助けが無ければはねられていたかもしれない。
「朧」
「ん?」
「……助かった、マジ感謝」
「……ん。気にすんな」
目を閉じながらフッと微笑む。
相変わらずこういうところがイケメンだよな、と思いつつ車に目を向けながらどうにか立とうとするのだが「うわ、マジか、なさけね、腰ぬけた……」と連は涙ながらに呟く。
それとほぼ同時に車の扉が動いた。
そして出てきたのは――顔中傷だらけの強面黒スーツのおじさんだった。
全員の目が点になる。
そう言えば車も黒塗り高級車だ――と認識したところで。
(何かヤバイのと遭遇したぁ――――!)
三人の意識が見事に合致した瞬間である。
中でも連は怯えた表情でズンズンと迫り来る男に目をやった。背丈は190はあるだろうか。20程の差は何とも相手が巨大に見えて仕方がない。実際相当の巨体だ。そしてこめかみに怒りを浮かべたその男性は大声で怒鳴った。
「おい坊主! 赤信号で止まらないたぁどういう了見しとんのや!」
「ひ! すい、すいませんっす!」
その威圧感に思わず頭を下げる。
赤信号と言われて思わず一瞥してみれば確かにこの場所は小さな交差点なのだ。左横から道路が通じている為に交通事故が起こりやすく鏡と信号が設置されている場所である。車側が悪いと言うわけではない様だ。何か打開策はないかと朧に視線を向けるといい笑顔でサムズアップを返してきた。何なのだろうそのムカつく余裕はと怒鳴りたくなってしまうが、今は平謝りするしかない――、そう考えた時だ。
「ソイツね。車の前に飛びだしたバカは」
人の意識を一気に集める様な鋭さを持った声音が連の意識を惹きこんだ。
そこに佇んでいるのは黒塗りの厳かな杖をつく一人の美少女であった。どうやればあんな色になるのだろうかという鮮やかな新緑の頭髪に不思議な色の瞳。均整のとれた抜群のプロポーションといい瑠依や妃奈にも負けない程の美貌の持ち主。
「……ふん」
眉をひそめジッと睨む様に一瞥しながら、
「……ま。怪我がないのは何よりね」
と、興味無さそうに零すとツンツンと杖で連の体の所々に触れた後に「さ、行くわよ。車を出してくれる驫木」と声を発す。
そんな煌びやかな美少女に驫木と呼ばれた運転手は「お嬢! いいんですかい?」と不服そうな声を上げる。
「いいわよ。だって、貴方怒るでしょう――ソイツに」
「無論怒りますとも! 激おこプンプン丸ですとも!」
「ネットスラングしっかり知ってたんだ貴方……。でも、ダメ。怒ると長いんだもん」
「ですがお嬢!」
ギラリと見る者を怯えさせる眼光で連を睨み「ひぃ!」ながら驫木は叫ぶ。
「この命知らずのバカに教えないとでしょう! お前が死んだらおふくろさんが! おやじさんが! 家族が! どれだけ、涙を流すのかと!」
『……へ?』
四人揃ってポカンとしてしまう。
その中でお嬢と呼ばれる少女は「だからよ!」と強く反応を示した。
「貴方が命談義始めると長いでしょう! そうなったら遅刻確定なの!」
「お嬢は遅刻と命のどっちが大切だとお思いで!」
「命だけど! 命だけどね! 今は遅刻が大事なの! そりゃあ遅刻とは厳密には言わないけどそれでも都合を決めた時間なんだから間に合わないのは失態でしょう!」
「アレは俺が幼い頃の話でござんした――」
「語り始めた!」
お嬢と呼ばれた少女は絶望的な表情を一瞬浮かべるも、連たちを一瞥して何かを確認した後に手裏剣の様に何かを弾いた。連は思わず悲鳴を上げて回避する。なので朧が動じずに人差し指と中指で挟んで取った。
「……とりあえず事情は後で訊くから取っておいて。後始末は後で始末でいいでしょう、驫木。ほら車出して」
「仕方ありやせんね……。わかりました。では」
腕で涙をぬぐい取りながら驫木と言う運転手は美少女を乗せておもむろに車を動かせる。そして去り際に窓からサムズアップの手を出しつつこう大声を放った。
「命は――大事にな少年!」
その後に小さく「いいからはやく」と言う溜息交じりの声を最後に車は小さくなっていく。
そして見えなくなったところで朧の元へ三人が身を寄せた。
「に、にいさん。何をもらったんですか?」
「つきりゅ君、私、何がなんだか……!」
「そうそう、あの偉そうな女何渡したわけよ?」
せっつく三人に対して朧はすっとその紙――名刺を差し出した。
「……アークスティア? 鷹架理枝……?」
「あ。電話番号が記載されてますね」
「なるほど。後でってのは後で連絡入れてくれって事か」
「そういう事だろうな。律儀じゃん。まあ、車に撥ねられるってのは結構内部にダメージ怒ってたりって良く訊くしなー。まあ、れんきゅーの場合、俺が格好よく助けたしー? 大丈夫だと思うんだけどね!」
キラーンと決めポーズで言わなければどれだけ感謝出来ただろうか。
「その後の俺がおじさんで震えてる場面も助けてくれりゃ良かったのによ……」
「えー、いや。アレは別にいいっしょ」
「何でだよ。メッチャ怖かったぜ?」
「いや、だって厳つかったけど目がすげー優しい人だったし」
(お前何でそう言うのわかるんだよ!)
だから場を呼んで口を挟まなかったと言う事なのか。
「しっかし、すっごい美少女ちゃんだったねー理枝ちゃん?」
「お前早々にちゃん付けかよ」
「だってアレかわいくね? スタイルすげー良かったしさーむふふー!」
「むふふーじゃねぇよ」
確かに良かったとは思うが口に出さないでおく連である。
「でも確かにキレーな子だったよね妃奈ちゃん」
「はい」
こくこくと妃奈は瑠依の言葉に賛同する。
それだけ綺麗な女の子であったのだから仕方ない話だ。
ただ……。
「ここで今の事会話してる余裕がねーってのが厄介だよな」
『へ?』
三人がポカンとする中で連はそっと腕時計を示す。
「時間、ヤベェ」
その言葉と同時に女子二人はあわあわしながら走り出して「急いで急いでつきりゅ君も休屋君も!」と駆け出していく。その背中を見ながら呑気に朧は、
「いやぁ、スカート翻るパンツの中身は絶景じゃねれんきゅー?」
「お前本当イケメンだけど三枚目だよな」
「ぬふふ。男だからね」
「っていうかマジ遅刻すんぞ」
「たまには遅刻も青春の醍醐味なんだぜ?」
フッと空を仰ぎながら格好いい感じに告げる。
無駄にイケメンなのが何とも腹立たしく感じながら連は呟いた。
「あと、今日昼飯奢るわ」
「おう、それでチャラな」
やったね、と破顔する朧を見ながら連もつられて微笑を浮かべていた。
――結論としてそんな事があったから皆仲良く遅刻した。
時間としては一限目が始まる時間帯ギリギリであった。担任の代わりに一限目の現代文の先生である乙亥正先生に遅刻を珍しがられた始末だ。朧に関しては「弓削日比、またお前か」と結構頻繁に遅刻する為に先生は軽く叱ったが、生憎と連は遅刻を滅多にしない生徒だったので特にお叱りも受けなかった。ただ『珍しいな』と言われたくらいだ。
そして今も、
「やー、珍しいよなれんきゅーが遅刻とか」
「うっせぇな、朝に色々あったんだよ」
「へー。れんきゅーがね。滅多に何もないれんきゅーがね」
「俺だってたまにそう言う事くらいあるって事だろ」
「でも珍しいもんなー」
一人がそう言うともう一人も「なー」と連呼する。
そう、そんな事くらいでもからかいのネタになるくらいに遅刻なんかした事も無いのが休屋連であった。それで言えば彼の通う学校。ここもまたごく一般の高校である。
横浜西洋高校。
何故、西洋なんてついたのかと言えば、理事長が西洋人だから、と言うごく単純な理由だ。ただその為に語学に関しては力を入れられる様で、そこはこれからの日本情勢から言ってありがたいところだ。
それ以外はとりたてて異色な事などはない――昨年までは。
そう、昨年までは、だ。
近くのクラスメイトの声が聞こえる。
「くそう、弓削日比の奴。また安曇野さんとイチャイチャしやがって……!」
「何故あいつだけ可愛い幼馴染何て言う超レアな存在がいるんだ……!」
「それだけでも許せないのに妹の妃奈ちゃんも可愛いんだぜ……?」
彼らの視線の先にいるのは当然のごとくに――弓削日比朧であった。
どうやら遅刻した事をクラスメイトにして同級生。更に上げてしまえばポニーテールの美少女、清里雅に怒られている様だ。
高校入学直後にイケメンで話題になり、性格で話題に上がり、可愛い幼馴染と妹を持つと言う理由で話題沸騰になるまでにそう長くはかからなかった。
(その上、美人生徒会長にウチの高校に唯一いる珍しい存在、アイドルともじゃれあったりしてるし、美少女風紀委員の清里とも仲が良いっていうな……)
お前はハーレムでも作りたいのか、と罵詈雑言吐きたくなる。
先程まで怒られていたはずなのに今は一転して真っ赤になっている。間違いなく『雅ちゃん可愛いんだから笑顔笑顔☆』とかそんなふざけた事を言われた結果に違いない。
「朧ばっか、くそう、羨ましい……!」
「れんきゅーはまだマシだろ、弓削日比絡みで安曇野とかにも話しかけてもらてんだしさ!」
「脈が無いって分かる分、辛いんだよ!」
連の発言に『ああ、なるほどー』とばかりに同情の眼差しと共に頷きが返ってくる。
なんとムカつく光景だろうか。
「ちっとくらい変わった日常が欲しいっての……」
モテたい心は何時しか変わり映えのある毎日を少しだけ願う様になっていた。
それで言えば近くて遠い存在を連は知っている。
横浜西洋高校近隣に位置する巨大学園――芳城ヶ彩共同高等学院だ。
あの学院内部は実に奇想天外な程のとんでもない設備や個性豊かな風景。
加えて言えば顔面偏差値が常軌を逸しているらしく、美少女美男子がよくよく見かけられる場所だという。そこに入りたいと思った事もある連であったが、偏差値を見て二分で断念した。あんな点数を取れるわけがない。
結果として連は芳城ヶ彩の周辺に等間隔で建立する六つの高校の一つ。
家から近い西洋高校に進学したわけだ。
芳城ヶ彩は上から見ると八角形の形状をしているらしく、西洋高校はその学校の近場に存在する形であり、どうして等間隔で六つの高校が並んでいるかと言えば、どうやら芳城ヶ彩の権力が大きいらしく、影響しない最低限の範囲に学校を建てようとしたら必然的に八角形を取り囲む六角形に行きついたらしい。
と、そんな学校の事を考えていたら不意に肩を叩かれた。
「れんきゅー、れんきゅー」
「ん? 朧?」
ふと顔を上げるとそこには朧の顔があった。
何時の間にかこっちに来ていたらしい。
「どうしたよさっきまで清里とイチャイチャしてたのに」
「していないっ!」
雅がポニーテールを揺らして赤い顔で叫んだ。
「いやぁ、雅ちゃんといちゃつくのも楽しいけどれんきゅー君が実にさびしげーなオーラ漂わせてたからさ! 話しかけた俺ってえらくね?」
「別にえらくねぇよ」
「はは、そっか! けどまー、折角だし駄弁ろうぜ、れんきゅー。雅ちゃんが面白い噂話で怖がってっからさー」
「ちゃん付けで呼ぶな弓削日比!」
雅はぷんすかと怒鳴るとコホンと咳払いして、
「怖がってとかではない。ただ、まあ、珍しく三名揃って遅刻だったから何かあったのかと心配になっただけだ。最近、学校内で噂の話もあるからな……」
「あん? そんなんあるん?」
不意に瑠依へ視線を向けた。こくこく涙目で頷いて首肯している。可愛い。
「ああ、どうもな――化け物が出るらしいぜ?」
「…………。…………。……へっ」
「休屋。今おもむろにバカにしただろう」
そうは言われても。
「そりゃこういう反応にもなるって。化け物って、おま。噂話過ぎんだろ」
口元を覆いながらどうにもならず笑いを発する。
そこまで都市伝説過ぎては困りものだ。朧だって「なー、笑うだろー」と腹を抱えて涙交じりに爆笑している。そんな光景に雅は頬を膨らませていた。
「わ、私が言い出したわけじゃあない。ただ噂程度に耳にしたんだ」
「へー、どんなん?」
連が小馬鹿にしたように問い掛けた。
ムッとする雅の横で瑠依が口を開く。
「何か夜中に目撃者が多数いるらしいよ? こう鳥の羽みたいなのを生やしてて、頭に牛の角みたいのがついてた大柄な化け物なんだって……! 襲われた人もいるらしいって話!」
「安曇野怖がり過ぎだろ、迷信、迷信」
そんなのありえるわけがない。
連は椅子の背もたれに体重を乗せながら全く信じる素振りを見せなかった。事実彼は全く信じていないのだから当然である。対して瑠依は「こわいよぉ~」と言う辺り、信じているのかもしれない。純情な少女だ。そんな瑠依に対して朧は「まー、俺だったらそんなの出てきたら一目散に逃げるしな!」と笑顔で言っている。
「むー、つきりゅ君守ってくれないの?」
「化け物相手は流石にね……。さよなら瑠依、君の事は忘れないぜ!」
「笑顔で最低な事言ってるよつきりゅ君……」
「朧もダメだなぁ。もしもの時はしかたねー俺が守ってやるよ安曇野も!」
「ほらー、休屋君の方が男気見せてるよー?」
「れんきゅー、ついでに俺も守ってぇん☆」
「つきりゅ君プライドないねえっ!?」
ガビーンと失望の声を放つ瑠依。
そんなのおかまいなしで朧は「だーって怖いんですもぉん、奥さん」と泣き崩れる素振りを見せている。
(こりゃ本当にいざって時は俺が頑張らないとダメかぁ……?)
そんな姿にフッと苦笑を零す。
流石に朧もそんな事態に陥ったらヤバイだろう。まあ、当然絵空事なわけだから語っているだけ無駄な妄想みたいなものだろうが。
(でも、仮にそんな場面が来たら安曇野とかも俺を意識しちゃったりしてな。ふへへ)
そう言う場面が来るのも悪くないかもしれない、と内心少しだけ思う連であった。
「でも意外だよな。清里が、こんな与太話信じて心配するなんてさ」
そう言われると雅はカーッと顔を赤らめてそっぽむきながら声を発した。
「勘違いするなっ。私だって別に信じてるわけじゃない。もしもの話だ、もしも!」
「はいはい、もしもね、もしも」
連は笑いながら相槌を打つ。
「くっ、休屋……!」
「まーまー、怒らない怒らない。にしても感激だなぁ」
「弓削日比、貴様な……。……ん? 何が感激なんだ?」
「えー、だって雅ちゃん瑠依ならともかく俺たちの事も心配してくれてるわけじゃん、やっさしーなーって! そう言うとこに……、俺は惚れたのかも、しれないね」
後半無駄にハードボイルドだった。
雅は「んなっ……!」と顔を真っ赤にした後に怒気を放って「弓削日比朧ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! そこに直れ貴様ぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
と、言う学校では恒例となった怒声が鳴り響く。
そんな騒がしい休み時間は二限目の始まりまで続くのだった。
第一章 連休前の往々とした日々




