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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Premier mission 「戦場大車輪」
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第一章 陽向に遠いセンチな日常

第一章 陽向に遠いセンチな日常


        1


 薄暗い部屋にいた。周囲を鉄製の柵で覆われた、この場所で。

 暖かな意味の名を持つ少年の体は凍えていた。

 身体には厄介な事に鎖を巻き付けられて、腕には手錠。脚には枷。どこの囚人だろうかと自虐したくもなるこの状況下。悔しさにギリリと歯軋りしたくなるものだ。

 そんな自分を見下す様に、彼へと向けられる複数の視線。

 そして黒い銃口。

 殺されるのか、と内心で悔しさを滲ませる。だが、しかし、それは彼にとって、真の恐怖足りえるものではなかった。それよりもこの――四人の屈強の男達の方が遥かに恐怖であったのだから。

 何で。どうして、こんな事態に陥っているのだろうか。

 胸の内で言葉に恐怖を背負わせて。頬に一筋の汗を流し。心臓は嫌な脈拍を刻む。

 彼は身に降りかからんとする火の粉よりも厄介な現状を嘆きながら。

 少し前の記憶を思い返していた。

 あれはそう……乾いた晴天の眩しい、昨日の景色だった。


 まるで絶望の雨にも似た無機質な音声が聞こえていた。

 爆薬や砲撃で瓦礫と化した、この場所は土埃に塗れて当の昔に壊れている。草木などパッと見では見えない程で小動物の鳴き声も小鳥の囀りすら、ありはしない。少年の胸に聞こえるのは自分の吐息と心拍音であった。

 傍の大きめの、人一人分程度であれば隠れられる瓦礫の壁に身を潜めながら少年は息を潜めながら愛用の拳銃を構えた。咽返る様な硝煙の匂いが心を引き締める。

 足音はまだ遠い。

 もっと、もっと、もう少し……、と彼は焦って飛び出しそうになる心を必死に諌める。

 何度も似たような経験をしているに関わらず胸中にはドグンドグンと脈打つ緊張感。

 ああ、本当に場違いだ、と自嘲気味に考えながら少年は黒色単色に染まったロングコートを風に翻し、背もたれの壁から姿を現す。手馴れた動作で少年の両手は前方を向いて、手に握る漆黒の殺人道具。自分の愛銃コンバットコマンダー。

 まだ明るい青空の奥、焼き焦がす様な陽光を銃口が反射した事で相手が気付いた時にはすでに遅く。鋭い銃声と鉛弾の鈍い衝撃が一寸の狂いなく相手の足に命中する。一人が声にならない声を上げながらゆっくりと崩れ落ちる様に彼には見える視界の中で相手の仲間であるだろう、もう一人目掛けて即座に射出、被弾させる。

 風の様に素早く動き、相手の持っている機関銃二丁を足で遠方へ蹴り飛ばすと同時に拳銃で頭部を殴打する。鈍くて生々しい重みを手のひらに感じながら、倒れ伏した二名から蛇の様に流れ出る赤い滴を視界に捉えながら、微かに歯軋りをした。

 それから少年は軽く空を仰いで小さく息を吐き出す。

「……どうにかなった。今日も生きてるよ……」

 助かった、と内心吐露する。本当に弱い心だと実感し続ける毎日である。

 死ぬのは怖いし、人を殺すのは怖い。おおよそ戦場に向いてない気がする自分に自嘲する。故に倒れた二人も同軍の仲間が発見すれば助かるだろう。殺しを嫌煙する彼にとって殺害は御法度。だから助かる事が出来る程度に相手を制圧する。

 足元に倒れる二人を一瞥した後にコートの中から布きれを取り出して血の流れる足を、頭部を止血する。

 相手を殺す覚悟も無く何で自分、ここにいるんだろうとか考えながらも視線を横に向けて、

「もう出てきても大丈夫ですよ」

 と、大き過ぎず、けれどはっきりと伝わる声量で喋る。

 すると近くの廃屋からは数人の小さな子供が現れた。

 子供達は少年の傍へ近寄ると倒れた兵士達を見ながら淡白な語調でぽつりと呟く。

「殺した?」

「……」

 その一言に少年は子供達と自分との間にある明確な差を実感し何とも言い切れぬ苦々しさを噛み締めながら内面を悟られぬ様に表情を変えぬまま呟いた。

「……ううん、殺してませんよ。生きています」

「……死んでないんだ……」

 その言葉には不快感が露わになっていた。

 憎悪し、帳恨し、怨毒している者の目と表情である。実際、彼らは憎んでいるだろう事は明白である。この場所は政府軍により圧政を強いられており、一日に何百人もが虐殺されて死んでいった無念の邦人はどれほどいるかわからない。

 今この場にいる者たちも家族を失った者たちばかりであり、倒れている者たちはそれを行った加害者だ。

 殺したい気持ちがないわけもない。

 けれど子供らは誰一人として殺そうとする者はいなかった。理由は明白。そんな事をしようとしても彼に止められるからであり、彼の主義を貶めるからだった。

 少年の名は弦巻(ツルマキ)日向(ヒナタ)

 女性に見紛う程の女性的顔立ちに華奢な体躯。深い鮮やかな青色の長髪が特徴的であった。面貌も特徴的で名前に対してどこか異国の血が混じった様な面立ちをしている。子供達含めて地元民からは「フィナター」と若干、変質した綽名で慕われる。酷い時には『フィルター』と呼ばれた。濾過機かレンズか何かか。

 そんな事を思いながら、子供たちがせめてもの報復に兵士の頭部に石を積み上げてゆく光景を諦観しながら、随分と嫌がらせな報復をしているなあと何故だか苦笑が込み上がる。

「……さ。そんな事してないで、さっさと戻るよ、みんな?」

 死者への冒涜ではなく敗者への嫌がらせを諌める意味で軽く背を向け歩き出そうとする。

 少年達は口を尖がらせて不満げだ。

「ちょっと待ってフィナター。今、耳に芋虫入れてるところだから……!」

「地味に嫌すぎる嫌がらせしないし!」

「爪、剥ぐの難しい……」

「そっちは拷問クラスの事してないの!」

「……」

 少女が事務作業の様に淡々と鼻孔に黒い軟体の物質を詰め込んでゆく。

「無言で鼻の孔に泥を詰めない!」

「……」

 訊く耳持たず、とばかりに手に持っている数輪の花を鼻に刺した。

「詰めた場所に花を刺さない!」

 子供らのせめてもの報復を諌めながら、ぱっと見、笑いを堪えねばならない光景の兵士を視界から外して、日向は子供達を進ませる。

 澄み渡った晴天の空の下、蒸し暑い日光を背に日向は拳銃片手に退路を駆けた。


 戦場の中の隠れ家。負傷した人物も少なくはない。だが大半はすでに殺されていた。

 けれど、それでも逃げ延びて生き残った人々。

 そんな人々の中で草臥れたロングコートを着込んで黙々と銃の手入を日向はしていた。連れ戻った子供達は、少し離れた場所で殴られた後に泣いていたりしている。

 過程を言えば、負傷した人たちの為に花を取ってきてあげよう、という流れで子供たちがこっそり花が咲く地帯へ。親たちが子供たちがいないのに気づく。その頃、子供達、兵士に発見され銃撃されるも辛くも逃げて隠れる。親たちに頼まれた日向は捜索に向かい、囮となり引きつけて銃撃合戦うんぬん……となって現在は、心配かけてごめんなさい、と子供たちが泣いており、無事でよかったと母親たちが抱き締めて涙を頬に伝わせていた。

 子供心にそう思ったのは仕方ない。日本でだってある和やかな風景だ。だがここは戦地。

 無謀ではあるよね、と日向はため息を吐き出した。。

 そんな日向に対して彼と年齢が同じ青年が陽気な声で声かけてきた。

「よぅっ」

 明るいその声の方へ振り返ると笑顔の似合う好青年の姿を見ると、青年はスタスタと軽い足取りでやって来て日向の隣に腰かけた。そうして一言。

「お勤めご苦労さんっしたー」

 と、頭をぺこりと下げて、パンッと小気味良く肩を叩く。

 背中の衝撃にけほっと軽く咽ながらも微笑で返す。

「あ、うん。ありがとうございますハーリス君」

「大変だったろ? ガキ共を保護しながら兵士ぶっ殺すなんてよ?」

 労いの言葉を寄越す浅黒い肌に少しパーマがかった黒髪、そして黒色の瞳の青年の名はハーリス=デリゾール。現地で親しくなった同年代の青年であった。この土地で日向にとって同年代はハーリスくらいであった為に比較的良好な間柄であり、日向としては安心して会話出来る相手である。

 日向は少し悩んだ後に小さな声で、

「そりゃそこそこはね。それと殺してはないよ、一応」

「なんだ、そうなのか」

「そりゃあね」

「って事はー……」

 と、背筋を反らしながら伸ばして崩した座り方しながらちらっと横目に日向を見る。

「いつもみたいに脚撃って戦力削ぐってやつかよ?」

「……そうー……なりますね」

「相変わらず甘ちゃんだなーフィナタはよ」

 やれやれ、と言った様子で首を振るハーリスに対して日向はあはは、と申し訳ない様に苦笑を洩らした後に、

「……君らから見たらやっぱりやるせないですよね」

 日向の口からポツリと呟かれた。

「そりゃ……」

 どう返すべきか吟味する。しかし嘘を吐いても仕方がないかとハーリスは思ったから。

 一瞬視線を彷徨わせた後に小さく愚痴を零す様に。

「……ま、そだな」

 瞼を閉じながら独り言の様にハーリスは言った。

「なんたってよ。紛争なんだぜ? そんで一方的に理不尽に殺されてってるのに俺たちに手は無くて。けどそんな俺たちに味方してくれるお前は殺しはせずに無力化だけ。何で殺さないんだよって、あいつらは俺達の同胞を何百人も無慈悲に殺したんだぞって、殺してしまえって俺たち誰もが一度は思ったし、今も思ってる奴はいるさ」

 でも、な。と呟いて。

「俺たち守ってもらってんだからさ。文句言うのはお門違いだろ? それに、殺さないのがお前でもあるんだから……、やるせない気持ち以上に感謝くらいしてやるさ。どうだ、参ったか!!」

 ビシッと日向を指差して叫ぶ。

「いやいや、何が参ったんですか」

 苦笑を洩らしながらも隣の青年ハーリスの言葉に軽く感謝した。

 ハーリスはニカッと快活な笑みを浮かべる。

「おう。自分でも意味不明だっ!」

 胸を叩いて宣言までしてくるのだから面白可笑しくて口元に笑みが零れる。

 してやったりと言った顔でハーリスはからから楽しげな笑みを浮かべた。そして穏やかな表情。だけれど何処か羨望の眼差しを瞳に揺らしながら問いかけてきた。

「……フィナタの生まれ故郷と比べるとやっぱ、段違いなんだろうなー戦争とか、よ」

「まぁね」

 言葉に隙間を置いて、

「少なくとも戦争はないですし」

 と、周囲を見渡して悲しげな表情を浮かべた。

 紛争地帯では戦うべく理由や独裁などあるのだろうが……。そんなもの望まない無辜の民はいったいどうすればいいんですか、と内心で呟く。

 日本が懐かしいな、と考える日向に対してハーリスが、元気付ける様な明るい声を発する。

「……フィナタも何時か日本に帰れるといいよな」

「帰れるものなら帰りたいですよ」

 僕、戦闘合わないっぽいし、と両手をやれやればかりに広げて小さく呟く

 唯、本心を述べるのであれば違う。日向が合わないのは戦闘以前に人殺しなのだ。日本で生まれ育った自分とこの地で生まれ育った彼らでは価値観は共有出来ないであろう。けれど日向は人殺しだけは絶対したくない。

そもそもな話……。

「……何で、僕、紛争地で傭兵やってるんだし……」

「……」

 どよーんっとした日向に対してハーリスは苦笑を浮かべて、どう声をかけるか思考をあれやこれやと照準しながらも真実は一つである為に突きつける。

「え~っと……、お前のおやっさんが出稼ぎに出したんだろ?」

 日向は苦笑いしながら「ええ」と頷く。

「日本で出稼ぎかと思ったら外国で傭兵ってどんな出稼ぎですか、父さん……」

 仄暗く座った目で拳銃の安全装置を外す日向。

 そしてすくっと立ち上がると拳銃片手に何処かへ歩き出そうとする。たまらずハーリスが冷や汗垂らしながらも脇をホールドして押し留める。

「落ち着け。目が危ないぜ、フィナタ!?」

「放してくださいハーリス君。僕は父さんを射殺しなきゃいけないんです、この法の及ばない世界にいるうちに」

「割とマジに危険な発言してんぞ、おい!?」

「日本なら御法度でも、ここなら誰にも何も言われないし……!」

「うっし、落ち着けフィナタ!」

「父さんを打倒して僕は生きる……!」

「止せって、うぉい!?」

 隣で汗だくで慌てる様子のハーリスを置いておいて、日向は現在進行形で銃器に込めた弾数を確認していた。

 本来、日本で高校生でもやっている方が遥かに普通である。

 そんな彼が何故に、現在紛争地帯にて拳銃片手にプロの兵士達と戦闘を繰り広げねばならない傭兵と化しているかと言えば彼の父親である弦巻(ツルマキ)赤緯(セキイ)によって『出稼ぎに向かうよ、日向君♪』と言われた事が始まりだった。彼の不運の始まりであった。。

 朝っぱらから何だろうか思っていた日向の脳内の混乱は未だに忘れられない感覚だ。何がなんだかわからぬまま。にべもなく無理矢理に赤緯の手に引かれるままに連れ回された。

そしてある意味予想通り。いつも通りに自分の親は犯罪一色だった。犯罪行為のオンパレードであった。

 まず足を得るために新幹線の上にしがみ付き移動。前から後ろへと吹き荒ぶ烈風の厳しさは忘れられない。

 途中、発見されて警察に追われる中で近場の乗用車に乗って逃亡。明らかに極道としか思えない人々から奪っていた分、恨みを買ったとしか思えなくて恐ろしいのも覚えている。

 海岸まで上手く逃れた結果、貿易船に乗り込み見つからない様に渡航。

 途中、食べ物絡みで父親と喧嘩。

 到着後、空腹の自分に対して現地の子が食べ物を恵んでくれた事に感謝。……それも父親に半分以上食べられてしまったが。

 そうして最後、依頼主の元へ行って傭兵として雇われるも、やり方が気に食わなくて、離反。

 現在は現地の子たちを守るために奮闘中と言うのが日向の大まかな経緯である。

「……僕の父さん……」

 頭を抱えながら沈痛な表情で日向は叫んだ。

「どーして、来るまでに犯罪しかしてないじゃないですかあっ!」

「まぁ完全密航だわなあ」

 何処か楽しそうにすら……、いや確実に楽しんでいる様子でハーリスは破顔していた。

「……笑いごとじゃないですよハーリス君……?」

「はははっ。悪い悪い。でも何か破天荒で面白くてよ」

 相変わらずけらけらと身をよじって笑っている。そんな親の元で生きてきた自分としては本気で笑いごとではないのだが、戦地慣れしているハーリスに破天荒と言わせる程になると赤緯に対して日向は呆れと感動を覚えてしまう程であった。

 厄介なな親父持って大変だな、とばかりに叩かれる背中。殴って構わないだろうかと日向は考えるが、最終的には口から「はぁ」と出る溜息と共に霧散させるだけであった。

 父親の迷惑ぶりにはもう諦めが付いてきている辺りに何とも言えぬ空しさを覚える。だからだろうか怒りが呆れへ至ってしまうのは……。しかし本心としては自分の不運よりも、戦地で生きる彼らの辛さの方が日向には大きく感じられた。

 日向の運気は低い。

 けれど、戦地で戦う人民に比べたら自分の不幸が些細に思えるもので。

 彼の口ぶりからわかる様に、父親が周囲に迷惑ばかり掛けるはた迷惑な人種である為に不運も加速しているのだが、ここに生きる人たちの前で言える言葉など一つもない。何一つも。だからこそか。現地で傭兵の出稼ぎとして他の傭兵と共に行動していた折に見た光景から、日向は彼らの下で自分なりの(ちから)を振るっている。

感慨深げに拳銃を軽く撫でる。金属の冷たい質感が何とも言えぬ感情を内に溢れさせた。

「僕は……」

「ん?」

ハーリスが何だろうかと不思議そうな表情を浮かべた。

 けれど誰かに問い掛けるでも肯定してほしいでもなく日向は自らに問い掛けた。自分はしっかり彼らの力になれているのだろうかと。

 深い情念の込められた眼差しで拳銃を見つめる日向を隣で見守っていたハーリスは小さく息を吐き出すとすくっと立ち上がって、軽くぽんぽんと日向の肩を叩いて、

「明日もはえーぞ。もう寝とけ」

 と、促した。コクンと軽く頷き返す。

「それとな」

「はい?」

 きょとんとした日向にハーリスは横を向いたまま優しい微笑を浮かべている。

「……あんま、俺たちの為に気負いすぎるなよな」

 労いの言葉。自分たちの事をそんな心配しなくていいからな、と言う彼の言葉。そんなに思い詰めている様に見えてしまったのか、心配をかけさせてしまったのか。だけれどすみませんと言う言葉よりも先に日向の口から零れたのは誰にも聞こえない程度の小さな感謝の五文字だった。

 そして彼の言葉で日向は強く思いを馳せた。自分には特別な力なんてない一般兵より少し強い程度……戦況を逆転出来る勇者ではない。だから皆を守りきるなんて大言吐けないけれど……。

 少しくらい力になりたいな、と彼は思った。

 日本でもない他国だけれど。来た理由も話にならないものだけれど。弦巻日向は夜空の淡い光の欠片へ思いを寄せながら、異国の地の絆を尊く思う。

 だけれど、それから数時間後。

 この場所に於いて、銃撃戦が勃発。寝静まっていた民間人三十名以上が死亡。銃撃戦後、その場には誰一人の姿も残らなかった。人っ子一人も残っては、いなかった。


 同時刻、某所にて。

 砂利、瓦礫に塗れた道なき道を疾走する一台の大型車両があった。漆塗りの車体にシャープでもありゴツゴツとした部分的装備も見られる大型トラック越えの巨大車両。

 その内部では数名の女性がいた。不安げな者もいれば、殺意に溢れた者もおり、どこまでも冷静な者もいれば、自らを責める者もいた。

 そしてそんな彼女らの服装は白と黒の勝負服を着用している。メイド服と言う名の服を。

 代表的な一名が静かに闊歩し、運転席に座る者に声かけていた。

「まだ到着には遠い様子ですね」

 理知的な声でそう問いかけた女性に対して燕尾服を着こむ老齢の男性は「相手側に行動を予測され無い様に道を選ぶのも中々に厄介でね、睡蓮(スイレン)君」と渋い声音で答える。

 睡蓮。蓮の花の名を持つ女性はそう呼ばれた。女性と言えども、見た目大人びて見えてもまだ若い。二十歳にも届いてはいないだろう。そんな彼女の名前は土御門(ツチミカド)睡蓮と言った。

「わかっておりますよ。あまり大袈裟に動いてあの方に危害があってはなりませんからね……」

 そう言いながらも唇を噛み締める睡蓮。

自嘲する様に深くため息づいて

「……私ともあろうものが、とんだ抜作っぷりを披露してしまったものですね……」

「それ程に自責をしない方が良いだろう、睡蓮君。まだ追い付ける段階なのだからね」

 前方を獅子の様な眼光で見据えて走行しながらフォローを出してくれた老齢の運転手に対して睡蓮は小さく頭を下げて感謝を示した。自分達の仕える家柄で、長年にわたり運転手を務め続けてる男性へ向けて。

「ありがとうございます、饒平名(よへな)さん」

 老齢の運転手は運転の最中、軽く口髭を一度だけさすった後に、

「何、構いませぬよ」

 と、優しく声を返す。そんな運転手の名前は饒平名銀次郎(ギンジロウ)

 銀次郎はそれよりも気にかかる事があった。運転をしながら気になる事。自分達が追っている対象との方向が正しいか否かを。睡蓮は問題ありませんとばかりに手の平をかざす。

 その手の平の上に青白く輝く円陣の記された式紙があった。その上には僅かばかりの水滴が車の揺れでもないし、睡蓮が揺らすわけでもなくずりずりと紙面上を這いずって一つの方向へ集まっている。

「……問題ありません、順調にあの方の痕跡を辿れております」

 そう訊いて運転手は「ふむ」と頷くとと感心した様子で頷いた。流石だと思う。ある家に代々仕え続けた家柄。土御門家の子女である睡蓮に対して流石とばかり心の中で称賛を送った。

 と、そこで後方から冷静な印象の声。されど何処となく刺々しい声で一人のメイドが呟いた。

「場所判明。追跡可能。であるならば……」

彼女はニンマリと不敵な笑みを浮かべて呟く。

「……到着次第、殲滅実行でありますね……!」

 過激な発言である。

 眼帯をつけ、ギラっとした雰囲気を放つメイド服の女性。その背には巨大で無骨な物体を背負っている……。背に背負う物体を手に持てばガチャンと激しい金属音が鳴った。日頃から……いやこういう時は加えて過激なこの女性の牽制役も兼ねている周囲の人物の一人である睡蓮は諌める様に、

「ええ、我那覇(がなは)。到着次第……、完全に殲滅しましょう♪」

 どうやら諌める気は無かった様だ。

「いやいやいや、睡蓮君? 普段温厚な君がストッパーにならないでどうする!? 流石にやり過ぎない様にしなさい!」

 睡蓮と我那覇と呼ばれた女性二人は互いに目配せした後に銀次郎へ視線を向けると、とても不思議そうに……まるでまたまたご冗談を、とばかりにきょとんとした顔つきでこう述べた。

「……努力できますかね……?」

 二人仲良く声を揃えて。

「『します』でもなく疑問形なのかい?!」

 思わずバッと背後を振り向いた。

 そして少し心配になって振り向いた事を後悔した。運転中に余所見とかの意味ではなく。

 ちらりと向いた最中に見えた後方の景色。そちらでも蓄えた殺意を放出せんとした様子の複数のメイドたち。運転手である饒平名はたらりと汗を流しながら、こう思う。

やり過ぎなければいいのだが、と思いながら彼は運転手の役割を全うすべくハンドルを握り、前へ前へと車を進ませるのであった。


        2


 弦巻日向は鉄製の牢屋の中で自嘲気味に苦笑を洩らしていた。

 薄暗い世界の金属の檻。

 閉じ込められたものに精神的に絶望感を味わわせるには打って付けですね、と皮肉めいた発言を内心零した後に自らの状況を監獄の中で鑑みる。鉄格子の檻の中、太い縄で見事に体躯は自由を失っていた。

「……完全に……捕まってますよね、僕」

 くそう、と憤りを零して背後の壁に後頭部を軽くガツンとぶつける。

 痛いと言えば少し痛いのだが、現在の状況に混乱するわけにもいかない。頭を冷やす意味でも日向は軽く二度、三度とコツンと頭部を背後へぶつけた。そんな他愛のない足掻きをしながら日向は何となしに自問自答する。

 誰かに仮に、何故こんな場所にいるのか。

 そう問い掛けられたとしたのなら、何と答えるべきかと日向は顔を俯かせてギリっと歯を食い縛った。頭に血が上るのを感じるので軽く息を吸って心を落ち着けた。

 少し安定したところで日向は参りましたと言う様に小さく声を零した。

「……所在がバレると思わなかったですしね……」

 そして脳裏に響く断末魔の叫び声と舞い散る血しぶき。次々に増えてゆく言葉の発せぬ命の脈動打たなくなった人々の姿が思い起こされた。考えてしまう、その光景を。

 ――皆、死んだ

 自らの考えた事実に思わず息をハッと飲み込んだ。

そうして奥底からぶわりと吹き出る炎の様な感情を感じ、どうしようもなく身を震わせた。

「くそ……っ! 何やってんだし僕は……!」

 噛み締めた唇から一筋の赤い滴がツーっと滴り落ちた。

 涙は出ず。代わりに懺悔の雨が心の中で降り出した。それはまるで尽きる事のない悲しみの様に幾度となく地面へ。自分と言う名の存在へ降り注ぐようであった。

 何時だって危険と隣り合わせと知っていた。日本以上に、この地では今日日、平和に過ぎ去って行くわけでもないことも、常に危険と隣り合わせと言う事も知っていた。あの瞬間に平和だから今日も無事に過ぎてゆくだろう。

「……そんな淡い幻想抱いて腑抜けてたらしょうがないじゃないですか、僕……!」

 日向が自責の念に駆られる意味とは何か。

 それは誰が示すでもなく彼自身が身を持って体感した後である。死んだのだ。彼がこの場所で、戦地で交流を持った普通の……本当に普通の人々の全員が屍と化した。

 嗤らってしまう。

 さっきまで和むくらい平和であり、日向はハーリスと本当に普通に会話までしていたというのにだ。少し気を抜いたら、この結果。惨々足る結果だ。自らを嗤わずしてなんとする。

「でも」

 信じられないと言う様に呟いた。

 あの談笑の後に日向は警戒を怠りはしなかった。普段よりも少し穏やかな気分であったがそれでも怠りはしなかったはずだ。

 仮に突如の爆撃等があったとしても、あの場所に第一陣が投下される可能性自体が少ない方である。しかし、今回に至っては突如そこに現れた。

「確実に……狙ってきてた、と考える方が早いですね」

 爆撃で蹂躙という戦法では無かった。

 兵士、傭兵はみな、機関銃や手榴弾――ともかく銃器を手にして攻め込んできた。そうして寝ていた人々を蹂躙。その間に足音を聞き逃す等と言う失態を犯した自分が悔やまれる。聴覚は人より良い方だから気付けたはずだったのに聞き逃した。

 その結果、気づいた瞬間にはすでに人の命を散らすにはあまりに虚しい乾いた連続音。

 突如の事に反応できたのは数名であり、僅かに逃げ続けられた人もいたが、最後には殺された。眠ったまま自分が死んだことも知らぬまま逝った人もいた。

 その中自分はまず迫りくる弾雨の中を愛銃を盾代わりに数発防ぎ撤退しか出来ず。

 残された多くの知人を見殺しにした。

 飛び交う血飛沫。弾け飛ぶ血肉。耳が弾け飛んだかと思えばそのまま頭部が抉れた穴の様なものへと変貌して横たわる姿。銃声が聞こえたと思えば小刻みに断続的に震えて骨が見える程にボロボロな塊へとなった腕。生々しい人が肉塊になる光景が目に浮かぶ。

 思い返すだけで思わず吐き出しそうになる。

 だが、その死への嫌悪感を抱いた気持ちを諌めて。

 その想いから小さく呟いた。

 ――ごめんなさい

 みんなを守れる等と大層な事は言えなかった。けれど、一人だけでも守れるくらいにはしっかりしていると考えていた。実際には誰一人守れずに見殺し。自分は突然の状況に逃げで手一杯の末路だったが……。

 自虐の一つでもしたくなる。

 そして朧げな、あやふやなまま視線を鉄の檻……金属製の柵へと向けた。

 日向は誰も守れず死なせたことを悔いる気持ちは山ほどある。

 けれど。だからと言ってこのまま死ぬつもりはさらさらなかった。報い一つでも、行わなければ気が収まらない。他に生きたい理由、叶えたい出会い、そう言ったものもいくつかありはしたが、今は唯々一矢報いてやりたかった。

 若干、無謀な気持ちだと理解しながらも日向は決行する意思をすでに固めている。。

 しかし問題はこの檻だ。自分を縛る束縛の現実だ。鉄格子の檻はさぞ硬い事だろう。如何に打ち破るべきなのか。そしてもう一つが自らを縛る縄の存在、これをどうにかしなくては何も成し得ないのだから。

「……地味に手も足も出せないって……!」

 情けなくなる。あまりの情けなさに不貞寝しそうになる。愛銃があればある程度何とかなったかもしれないが、生憎と愛銃は深夜の銃撃防御の折に盾代わりで破損。十中八九、使えば暴発するくらいに凹んでいたりすると思う。それ以前に相手側に没収されてしまっているのでこの案は初めから却下だが。

「……ともすると……」

 日向はふむ、と一つ思考した後に自らの袖口をごそごそ漁る。愛銃は没収されてしまい、現在何処にあるんだろうか。と言う話だが、ないならないで別の策を、緊急手段をとるに限る。

「常套みたいな手法になりますが……」

 がさごそと自分の袖を探った。すると薄暗い場所に微かな煌めきが発光する。小さな刃物。袖口に隠せる程度のナイフであった。

「効果的ですよね、こういうの」

 僅かに笑みを浮かべながら、

「まぁ、実際に使う機会が本当に来るとは思いませんでしたが」

 と、呟きながら器用に刃物を動かして縄に切れ目を帯びせてゆく。どうにか切ることは可能の様で、縄で良かったと安堵を示す。

「仮に鎖だったりしたら、もう完全アウトだったでしょうからねー……」

 けど初めてだと難しいですね、と愚痴を零しながら切り続けてゆく。

 そうこうしている内に、ようやっとバラッと縄が頼りなく周囲へバラけた。日向は軽く手首の様子を確認すると、不調は感じなかった様子で小さく「よし」と頷いた。

「さて、後は……!」

 視線を鋭くしてキッと鉄の柵を睨む。実に頑強そうな檻だ。だが、しかしこんな場所で命散らせるつもりは欠片もない。死にたくない気持ちがこんなに胸の中にあるのだから。

 だからこそ日向は柵の一つを腕で掴み、ゆらっと片足を僅かに浮かせて、

「――せっ、らぁああああああああああああああああああああッ!!」

 稲光が鳴り響く様に錯覚する程に痛烈な蹴りを一撃を見舞った。

 鉄の柵全体に波紋が浸透するように打ち震えて衝撃という衝撃が駆け巡る。この一撃で壊せる気はしない。けれど、この一撃を何度も打ち込めばどうなるのか。

 そんな思いで叩き込んだ日向の体が全体的に前のめりでどしゃっと倒れた。

 そして即座に立ち上がり、信じ難い気持ちで叫ぶ。

「牢屋、もろっ!?」

 案外、硬くなかった様だ。いや、鉄の柵そのものは硬い。しかし、それらを支えて繋げている牢屋の壁自体がが老朽化していた事に今更ながらに気付かされる。

 何か自分の一つ目の決意が穢された様な心地になりつつも、出られたことは事実。

 とりあえずこの簡素ながらも幹部一人くらいはいるだろう基地を散策して、盛大に彼らに一矢報いてやろう、と考えながら日向は老朽化した鉄の柵の一本を取り外して頂戴する。

「鉄パイプとして使えますかね……」

 そう考えながら、軽く肩に乗せておもむろに走り出す。

「とにかく隠密を心掛けて……監視とかに見つからない様に上手く行動しなくちゃですね……」

 小さく呟きながら日向は黒いコートをはためかせて、そっと通路に出る。

 隣のトイレから手を拭きながら強面の兵士が現れた。

「どわらぁああああああああああああああああああああああああああっいっ!?」

「のぼるぴぇん!?」

 そして即座に横一線に閃く鉄の棒がメゴン、と鈍い音を鳴らす。

 どさぁっと地面に平伏す兵士。

 日向は壁に手をついてぜーぜーと荒い息をしながら冷や汗を流しつつ、呟いた。

「……あ、危なかったあ……! 牢屋の横にトイレとか考えてませんでしたよ……!」

 まさかこんな早くに窮地に立つとは思わなかっただけに心臓がバクバクと脈打っている。

「ともかくっ」

 失態を隠すように力強く拳を握る。

「今後はちゃんと隠密行動を心掛けないとですねー……」

 よし、という思いで足を進ませて、曲がり角を細心の注意を払って曲がる。

 そこには誰の姿も確認できなかった。

「うん、いませんね」

 後は上手く闇に紛れて、行動するだけなのだが、

「おい、牢屋が壊れてるぞ!?」

「あの青髪のジャップがいねぇっ!」

「どこいったあの日本人!」

「俺、狙ってたのに!」

「臓器売り捌く計画が破綻するぞ!?」

「身売りが出来ねぇじゃねぇか!?」

「探せぇっ! まだそう遠くには逃げてないはずだ!」

「その前にトイレ……」

「日本風に言えば草の根を分けても探しだせぇっ!」

 次々に……、本当に次から次へと聞えてくる声、声、声。

 反対方向から日向にとって実に迷惑な団体が現れた。特徴的な衣服……軍服だ。九人もの兵士が現れる。皆屈強な肉体であり流石に戦闘は願い下げしたい。トイレに行く過程で見られたらしい。何故九人揃ってトイレなのだろうか、仲良しなのか何なのか熟考したい気持ちもあるがそこは放っておくとしよう。

 何よりも肝心なのは逃げる事の他ない。

 と言うか発見が早過ぎる。せめて一〇分程度時間があれば良かったのに……。タイミングが悪いと言うべきなのか否か。されど内心絶叫しながら日向は打開策を冷静に練る他にはない。

 こうしてはいられない。

 日向は鉄棒を握り直すと道を一直線に駆け抜ける。

 おそらくは彼らもすぐにこちらへ来るだろう。時間がない。そんな日向の視界に捉えるものは天井の通気口。通気口の構造上、基地全体へ繋がる通路があるはずだ。

 そこへ侵入する。日向は即座に鉄棒でガツンっと天井の金具を突いて外した。

 偉く簡単に外れる実態に思わず、

()めておこうよ……」

 と、全体的に嫌に脆い実態に言葉を零す。

 などと思いながら、自慢の脚力からなる跳躍力で跳び上がり、天井の上へと侵入すると、そこには頭に女性物の下着を被ったエロ漫画を読み耽る兵士が楽しげに寝転がっていた。

「ほらわばぁああああああああああああああああああああああああああ!!」

「もびえんふっ!?」

 そして即座に縦一直線に振り下ろされる鉄の棒がドゴン、と鳴り響く。

 吹き出す断末魔と共に男がぐったり横たわる。

「何をしてんですか、こんな屋根裏みたいな場所で……!?」

 簡易ライトの光に照らされる男性をよくよく見たら下半身丸出しだ。日向は思わず嘆く。もうなんか色々考えたくもない。なにこの基地。いや、兵士が変な人もいるよ……というかタイミング最悪じゃないですかー……。と、嘆きつつ金具を元の位置へずらして、這いずる形で一段と暗い道を進んでゆくのであった。


 牢屋から弦巻日向が脱走を行っている最中。兵士達が脱走者の行方を捜す頃。

 抗議団体弾圧を行っている、この支部とも呼ぶべき基地の一室。

 そこでは複数名の男性達が、あるものは壁に背を預けて、あるものは粗雑なソファーに寝っ転がりながら軽い談笑を続けていた。

 一人は簡素なジーンズに分厚いジャケットを羽織る、腰に一振りの日本刀を持つ日本人と思しき男性。もう一人は欧州人と思しき風貌の男性で薄黒い茶髪に淀んだ碧眼のナイフを手で弄ぶ男性であった。

 ナイフを所有する男性の声が聞こえた。実に気さくな好青年といった風貌……、彼の名前はルディロ=スラヴォンスキ=ブロド。

「なぁなぁなぁ? どうだったっすかねぇ、今宵の俺の惨殺の出来上がり具合は?」

 くるくるくるとナイフを回しながら何気ない様子でルディロは問い掛けた。

「上出来ではあるぞな? ナイフで子供の眼球を抉りとり、耳を削ぎ落とし、指を切り落とした最中の悲鳴などGREAT(グレート)と呼んで然るべきぞな」

 穏やかな微笑を浮かべて相槌を打つ日本人男性、魚切(ウオキリ)剣呑(ケンノン)はルディロの所業の数々を愉悦に満ちた表情で語った。

「だわなぁ!! あのやわっこいスベスベの頬をこう削ぐっていうか、剥ぐっていう方かな? ぺりーって剥いてやった時なんか口から(あぶく)吹いてたぜ! そんで下の筋肉の赤さが見えた時なんか俺、綺麗過ぎて感動しちまった! アレだな。やっぱり純真無垢な子供って()り甲斐あってたまらねぇよな!」

 ルディロは今宵の殺人を最高の芸術の様に自ら感動し称賛し歓喜しながらたまらずと言った調子で自分の膝を両拳でドン、と叩いて身を震わす。

「なぁ、アレかな?

「アレと言われても私には分からぬぞな」

「ま、だよね~」

 何が可笑しいのかルディロは何度か笑った後に。

「前々から思ってたけど俺、子供好きじゃん?」

 仮にこの場に彼の所業を知る一般的な感覚の人物がいたのなら思わず強張ってしまう様な発言である。けれどこの場にいるのは一般的な感覚とはズレた男達だけだった。

「そうぞな……確かに貴殿は子供好きぞな」

「だっよなーっ!」

 嬉しそうに彼は満開の笑顔を浮かべた。

「そう思うぞな。私は知っているぞな。子供達を貴殿がじっくり時間をかけて殺している事くらい重々承知ぞな」

「すると、アレかなー? 俺、教育免許とか取っちゃったりして学校の先生とか天職じゃね? 子供好きだし……」

「フー。それもありやもしれぬぞな」

「だろー? 俺さぁ、今回の傭兵仕事てっきとーに済ませたらさー。本国戻って教鞭でも握っちゃったりしようかなー? そんで教え子相手に教鞭で優しく眼を抉ってさ。黒板消しで歯を何本も叩き割るって最高じゃね?」

「それは名案ぞな。ブロドの将来を応援しておくとするぞな」

「イェーイ、あんがと魚切さん!」

 名案のごとく提示された話題に難色を示す気配も無く肯定する。

 価値観の共有、そして肯定は良くも悪くも人にとっての力、支えとなる。

「って事で俺はてきとーにここで仕事済ませたら本国戻って日夜、子供たちの為に頑張るって話なんだけどさー。魚切さんはどうすんだい、仕事適当に済ませたら」

「そうぞな……」

「うんうん」

 興味津々と言った明るい様子で何度か頷く。

「と言うか言っていなかったが、私はこの後もうすぐにここから引き上げるぞな。早々にこの地を立ち去る事に決めているぞな」

 剣呑は刀に手を掛けながら呟きを洩らすと、片方の青年は「ええーっ!?」と意外そうに悲鳴を上げる。そしてわたわたとした様子で続けざまに叫んだ。

「ちょっ、初耳過ぎるんだけど!? え、もうすぐにになるんすか!? なにそれ超寂しいんじゃないっすかねぇ、俺?!」

「言わずに悪かったぞな。とはいえ決めたのはつい数時間前ぞな」

 そう呟きながら腰の日本刀をすらりと引き抜く。乱れの刃紋を持つ刀身がゆらりと怪しい鈍い輝きを放った。その刀身の美しさに思わず青年は感激した様子で声を発した。

「うっわ~~~~……! 女の足とか切ったりしてみてぇ~~~~……!」

「この場所で狙っていたあの男が消えた事――。それではならんぞなよな」

「あの男……」

 しばらく悩んだ様子だったがすぐに該当の応えが思い浮かんだ様でパチンと指を鳴らす。

「ああ、あの人かぁ! って事はなに? あの人殺したくてたまらないんすけどねぇ! って話なんすか!?」

「その通りぞな。私はあの男を殺してみたいぞな。故に! 私も愛刀『紅鬱金(べにうこん)』も彼奴の血を求めているぞなぁぁぁぁ……♪」

「なっるへそー!」

 そういう事なら止められないねとばかりにうんうんと頷いて了承の意を示した。

「そういう事ならお勤め頑張って来てくださいっすね! このルディロ、この地から精一杯応援させていただきやーす、魚切さぁん!」

「フー。貴殿は本当に爽やかな好青年ぞな。この地で貴殿と共に殺人活動できた事は私にとって素晴らしい記憶ぞな」

「へへへっ。照れるから、止めてくださいってんで!」

 右手をぱたぱたと振って照れるなあ、もうとばかりに振る舞った。

「……さて」

 剣呑はそこまで話した後におもむろに刀を手に取るとルディロへ対してこう言い放った。

「今から出立しないと遠方の飛行機の時間にも間に合わぬぞな。私はもうこの地を去るが……貴殿の武勲を願っているぞな」

「へーい、任せなんし! 俺、頑張って子供達に眼球抉るとこんなに血が出るよ、腕を切り落とすだけで痛みスゲェよ、腹に刃物突き刺してグリグリする気持ちよさを教授するのに誠心誠意務めまっす!」

 ナイフをひゅんひゅんっと空で切り付けながらルディロという青年は朗らかな笑みを浮かべて答える。剣呑は振るうナイフを愛刀『紅鬱金』を刹那引き抜いた。切っ先がナイフを捕え弾き空を舞わせる。ルディロは動じた様子も無く指先で自分の獲物の刀身を白刃取りし、最後に一言。

「んじゃバイバイっす、魚切さん」

「貴殿がこの地にいる事はこの地にいる者たちの栄誉ぞな。応援しているぞなよ、ブロド」

 剣呑は丁重に告げて、扉を開けるとその場所から静か、けれど迅速に去って行く。

 その背に狂気と狂喜を背負わせて、彼はこの地を去ってゆく。

 それを見守り、数分の経過後にルディロ=スラヴォンスキ=ブロドは「あ~~……」とぐったりして暇を持て余し始めた。

「魚切さん、居なくなっちまったなあ……」

 この場所では一番親交があったのが魚切剣呑であったが為に僅かに淋しく感じてしまう。ナイフの切っ先を口で咥えながら、さあさあ新たに誰かを惨殺したいなと感慨深く思い悩みながらルディロはソファーに寝転がる。

 その矢先耳に覚えのある様な声が聞こえた。覚えがある様なと言うのは対象に興味関心が薄いだろう為に誰だったかサクッと思い出せなかった為だ。

「ブロド、いるか?」

 ザ、と足音を鳴らして無骨な顔立ちの五〇代と思しき男性が姿を現す。

 若い衛士四名を連れて魚切が去った場所とは逆方向の扉から現れた。その姿を見て一言。

「……誰?」

 素直に告げる。殺害した者の顔なら覚えているし魚切みたく共感出来る相手であれば覚えていられるのだがルディロには彼が思い出せない始末だ。そこまで考えた所で思い至る。つまり自分が殺しちゃいけない相手なのだろうと。

 その思考は正解であった。

「雇い主だ、馬鹿者」

 呆れた表情を浮かべて息を吐いている。

「やーとーいーぬーしー……」

「そう。雇い主だ」

「そっだ。俺の雇い主様だ。そーそーそーだよ、上司様じゃん、何忘れてるんだよ、いけねーなー」

「本当にな! 何度目だお前は……」

 こめかみ付近を指で抑えて男が呻く。

 そんな様子を悪びれる気配も無くルディロは笑った。

「はははっ。俺、殺した相手の最後の顔しか覚えられないもんなー。そーだ、殺せば覚えられるじゃん、殺していいですかねぇ、雇い主様ぁ?」

 キラキラと子供の様な無邪気な眼差しで男を見据える。されど男は呆れた目をしたまま、

「断る。ふざけるな」

「しょ~んにゃ~……」

 と、要望を真っ二つにされたルディロはへろへろとソファーに崩れ落ちた。

 そんな光景に若干ムカッときながらも上司の男性であるアルグール=ハマーは咳を一つしてから、本題を語り始めた。

「単刀直入に言わせてもらうが……」

「誰を殺せばいいんだ!?」

 相変わらずの反応速度の速さに少し呆れる。何という喰い付きの良さだろうか。とはいえ、アルグール自身もルディロへ話題を持ってくる時はこう言う時くらいという事を理解している為に何も言う事はない。

 雇い主と傭兵。

 その関係性さえ樹立していれば十分だった。

「……実は今、牢屋に監禁していた者が二名脱獄してな。両者日本人だ。つい先ほどに命令を受けた部隊が弾圧を敢行したところ現地人の中に一人、日本人がいて、利用価値があるかもしれないと監禁して置いたのだが逃げられた」

「で、もう一人は?」

「日本で重大な利用価値のある娘なのだが、近隣の地域に仕事で赴いていた様だな。現地の者がそれを見越して拉致してきたのだが……こちらも脱獄されたよ。この施設で一番整っている牢屋へぶち込んでやったのだがな」

「へー♪」

 脱獄者と言う事で嬉しげな笑みを浮かべるルディロであったが唐突に不快感を露わにする。

「……あん?」

「どうかしたか」

「ねぇ、待ってくんない?」

 顎に手を添えて唸りつつ信じ難い事を言われた様に目を見開きながら残念でならないと言った様子で身を乗り出す様にに問い掛けた。

「それって何か殺したらダメーって感じの話じゃないよね? だとしたら冗談キッツイっしょーハマーさんやあ?」

 ルディロが憤慨した様子で訪ねてくるとアルグールは

「女の方はそうなるな。利用価値が随分と高いから殺す事は出来ん。だがしかし私も見たが相当な上玉――後で慰み者くらいにはしてもいいだろう」

 仕置きの意味も込めてな、と目が物語っている。

「へー美人なんだ、楽しめそうだねー♪」

 会話だけ見れば実に下卑た会話をしているのだが生憎とルディロは女を性的にいたぶる趣味は持ち合わせていない。快感を、快楽を得るとするならば殺す事だけ。

 性欲を満たすよりも殺害欲望を満たす方が彼の全身を刺激する。

 その為に殺してはいけない女の方へ興味なんてものはその実無かった。

 あるのはむしろ少年の方。

「つーまーり……男の方は殺しちゃっても、オッケイってことかな?」

「状況次第だな。実際、その少年にも少女にも衛士が数名倒されている。日本人故に利用価値は捨てきれないが……だがまぁどうしてもというならば」

 殺して構わん、と虫けらでも扱うような声でアルグールは呟いた。

「オッケッ」

 喜色満面の笑みで呟くと、手で弄んでいたナイフをくるくると円を描くように操った後にポーチの中にストンと滑り落とす。

「じゃあ、アレだよね――……。宝探死(たからさがし)の始まりじゃないっすかー♪」

 にこやかな狂気を滲ませて、ルディロ=スラヴォンスキ=ブロドは動き出す。

 そんな背中を見届けるアルグール氏の耳元で、警護の衛士のうちの一人がボソボソと耳打った。その言葉を訊いてアルグールは難色を……意味的には複雑なのだがとある難色を示し、

「……しょうのないやつらだ」

 と、自分とは本当に感性の合わない彼らに頭を悩ませる。

「お前たちが先ならば、先で好きにして構わん。チャマルティン」

 チャマルティンと呼ばれた衛士含めて四名。彼らはその言葉と共に。

 不敵な笑みをぞわっと浮かべるのであった。


 そんな事とは露知らず。知らず這いずる次第の彼はと言えば。

 天井の上の通路を這いずる形で移動中の少年、弦巻日向は見取り図のわからぬ通路に悪戦苦闘しながらどうにか正しいと思える道を進んでいた。

 そんな最中に辿り着いたのが、この場所なのだが……そこには衛士二人が動かずに配置されていた。他の場所へ足を運ぶ気配もない。

 何故だろうかと思ってよくよく見てみればここが武器倉庫という事が判断できる。

 銃器、銃器、銃器、爆薬、砲台……破壊の為の殺戮兵器が五万と貯蔵されていた。

 鉄の匂い、火薬の匂いが天井にいながらも鼻につく。

 道理で兵士が離れないわけだ。ここだけは死守して置きたいところだろう。なにせ脱獄されて武器を入手されてはたまらないだろうから。武器を奪われない為にここの見張りは離れる気配が無いのだろう。

 そんな事を思いながら見ていれば、日向の視力四,〇の瞳にグーンと映るものがあった。それは彼の愛銃であるコンバットコマンダー。見慣れた馴染のある相棒の姿が妙に懐かしく感じられた。自分にとって戦闘に於ける最高のパートナーの姿がそこにあった。

 何故だか知らぬが……ゴミ箱の中に、あった。

 胸中、愛銃の悲し過ぎる扱いに日向は号泣して仕方がない。心の中が涙の渦で満ちていきそうな程に悲しい。悲し過ぎる。物悲し過ぎた。紙屑、食べ掛けの食べ物と一緒に玩具を捨てるかの様な扱いに四つん這いで項垂れてしまう程だ。

 確かに防ぐのに使ってボロボロになっていただろうが、その扱いはないだろう。

 内心で涙ぐみながらゴミ箱に収まる拳銃は語っているかの様だった。まるで『俺……もういらない子ちゃんなんだね……』と、悲壮感漂わせる愛銃を見ながら憎悪を膨らませる日向の耳にふと会話が入った。

 片方の兵士がどうしたものかと言った様子で呟いた。

「なぁ、俺達も脱獄者探すべきなんじゃね? ここいてもつまんねーし……」

「馬鹿言うな。持ち場を離れた事でそいつらにここの武器が手に渡ったら俺達、絶対に御咎め何て生易しいものじゃないもの喰らうぞ?」

 それにな、と呟いて。

「なんでも脱獄者たちの武器もここに入れてあるから奪還に来るケースが高いらしい」

「へー、そうなんだ……」

「ああ、髪の長い女みたいな容姿していた男の方の武器はボロボロだし、そこのゴミ箱に衛士がぶち込んだが」

「ああ、アレ俺も見てたけど、それだったんだ……」

 とりあえずその衛士が誰なのか後で問い詰める必要があるなと日向は考える。

 さて、そんな日向に気付く気配も無く男たちは会話を続けるが、片方の男性が口を「え」の形にして唖然とした様子で言った。

「アレ……、男なの? 見てたけど女にしか……」

「ああ、俺もそう思ってたけど強姦しようとした衛士がそれに気付いてしょぼんとしてたよ」

 という気さくな会話を訊きながら上層の日向は、寝ている間にとんでもないピンチに至っていたという事実に全身からドッと嫌な汗が噴き出ているのを実感する。同時にその相手に対して殴り殺してしまおうかという程に怒りと恐怖が沸々と湧き上がっていた。

 実際は殺すまではしないが半殺し程度には殴って倒したい程である。

 天井裏で拳を叩きつけて怒りを発散したいところなのだが物音を立てては気取られる事が確実故に殴れない事が本当腹立たしい。

「で、もう片方の日本人の女ってのが持ってた鞘に収まったままの剣みたいのが、何か後生大事に持ってたらしいから重要なんじゃないかって話でな」

「だから、取戻しに来るだろうってか」

 そゆこと、と簡素に返す男性。

「しかし……」

「どうした?」

 自分の説明に疑問点があたのだろうかともう一人の男性が不思議そうな表情を浮かべる。

 いやそれはないんだけどさと言った様子で手を振り、男性は何となしに呟いた。

「武器なんて滅多に持たない日本人が持ってたって珍しいよなー……ってさ。拉致ってきたって訊くし……何かこう重要人物?」

「日本相手に金でもふんだくれると思ってるんじゃねーの? 何だっけな……確か、ゲイヨウエン家とか家名だったっぽいんだが……」

 うーんと首を捻る。そんな中で日向はその会話内容を訊きながら、さっと視線を走らせた瞳が捉える。銃器の保管庫の中で異彩を放つ、その純白の(つるぎ)

 暗がりの中でも神々しく輝く美しさを放つ刀剣。十字架を模した華やかな聖剣のごとき衣裳の御剣。

 それは今、孤高に淡い光を鈍く弱く輝かせている。

 儚くも、美しく、煌めいていた。


        3


 その少女は駆けていた。

 少女は仙姿玉質(せんしぎょくしつ)の容姿をしていた。(あで)やかに動き一つ一つからゆらめく長い金髪を持ち、奥深い色彩の真紅(しんく)の瞳。その身を包むのは白と青を基調としたドレスであった。

 見目麗しい少女の両腕には一本の鉄の棒が握られていた。恐らくは日向同様に鉄格子の柵の一本を拝借してきたのだろうか。

 前方から迫り来る二人の男性兵士を鋭い眼光で睨み、迫り来るのを確認し、少女は機関銃が放たれるより素早く並立する男性の右側へ音も無くゆるやかに忍び寄り、持っている鉄の棒で機関銃を軽い動作で見事に弾く。

 その銃器から思わず放たれた銃弾は別の兵士の膝を無情に数一〇発が着弾し、血飛沫が耐え切れず跳ね上がった。

 兵士の一人が悲鳴を上げ、撃ってしまった兵士が動揺を示した瞬間にくるんっと鉄棒を回転させて棒の尻の部分で後頭部をガツン、と鈍く響かせる。そして遠心力の勢いそのままに鉄棒の先端でもう一人の兵士の腹部目掛けて一閃を叩き込む。

 短い呻き声と共にふらっと揺れた体はそのまま、ドサッと崩れ落ちた。

 確実に失神した事を確認すると少女は息を零す。

「……ふぅ、後何名いますことやら」

 ひゅんひゅんっと右手でたやすく扱いこなして少女はすーっと視線を道の前方へと走らせる。複雑な通路ではあるのだが、少女にとってなんて事はない。

「見通し不明な道ではありますが……、脱出口への道筋に関しては把握していましてよ」。

 不敵な笑みを浮かべると、高いヒールをカツンカツンと鳴らしながら歩み出す。

 ヒールを履いていてもなお、少女の実力に燻りは見えず。

 僅かなブレも見せずに兵士を圧倒する技量は中々に目を見張るものがあった。

「……とはいえ些かチャチな兵士にしか当たっていませんけれど、ね」

 ぽそっと呟く。

 彼女の技量からしてみると物足りないという相手である事を示唆する発言。大胆不敵とも言えるが、彼女にとっては差し当たった相手はみな、弱く映った。

 銃器があるからこちらが有利。

 皆、そんな顔をして自分に戦いを挑んできた。けれど少女から言わせればそれは慢心でしかない。銃器であろうと対銃器の技術を自分の流派は体得しているのだから。

 扱う程度の腕前では私には勝てませんよとばかりに。

 ちらり、と地面に崩れ伏す兵士を見ながら少女は内心で皮肉を言った。

「さて、コレはコレと致しまして……」

 どうしたものかしら、と少女は軽くため息交じりに呟いた。

 見目麗しい少女が悩む原因等無い様に思えるが生憎と一つだけ存在するのだ。

 脱出ルートが把握できていないわけではない。

 少女の脳内で明確な脱走への道筋が光の道筋となって形成されていた。その理由は捕縛から搬送までの間に辿らされてきた道筋を覚えている為である。

 自分を舐めた行動の結果だ。

 こんな年端のいかない少女に道筋を記憶等出来ないだろうという……相手に舐めた判断ではある。少女は不満げに小さく呟いた。

「平和の国の日本人という事で随分と甘く見られたものね」

 確かに名家の御令嬢と言う事で従者である土御門睡蓮を初めとして複数人の護衛に守られているけれど……自分を唯のお嬢様と考えてこの程度の拉致を図るとは随分と手緩い事だ。思わず口元から失笑が零れる程に。冷たい冷笑が零れ落ちる程度に。

 ただし、一つだけ評価出来る事がある。

 それは彼女自身が理解している事。誘拐される最中にも自分はしっかりと従者に守られていた。幾分の隙を射抜く形で行動したとしても、有能な従者を掻い潜り自分を拉致する事に成功した……それだけの技量を持ったその人物。あの人物だけは油断がならないと判断出来る。

 睡蓮の他数名の彼女の家のメイド達が従っていたというのにも関わらず、自分を攫う事が出来たあの男性……。

 否、男性かどうかは分からない。顔の判別は残念ながら出来なかった為だ。

 いや、ちらりと顔を見る事は出来たのだ。けれど、それが致命的な隙を生んだ。

 犯人は実に特徴的な容姿をしていた。

「……まさか鼻眼鏡つけたアフロのアロハシャツの不審者に連れ攫われるとは露程も思いませんでしたわ……」

 外見だけで言えば一〇〇%不審者だと今ならば断言できる。

 あんな場所で何故にアロハと鼻眼鏡なのだ。見た瞬間に吹いたではありませんか、と少女はぼやき、それが致命的な隙となってしまい、しばし昏倒させられた間抜けさに僅かに嘆く。

 見事に隙を作ってしまった。だが本当に僅か。

 その僅かな時間だけで事を成した人物の技量は恐るべしものがある。

 私がむざむざ気絶を強いられた程ですし、と呟いた後に

「ええ、別に相手の容姿がおかしすぎて気が緩んだとかはありませんわ、絶対にありませんわね、断じてありえませんもの」

 誰か訊いていたら言い訳にしか聞えない事をと早口で呟く。

 そんなどこか余裕を残した雰囲気が僅かに陰りを見せた。

「……けれど、もしも、あの男性が……」

 恐怖の存在である可能性を否定し切れない。

自分も良く知る存在……、『定式知らず(イグノーセンス)』である可能性も無下には出来なかった。

「……仮に」

 仮にそうなのだとしたらと考えると、

「……多少厄介かしらね」

 と、少女は緊張感のある面持ちのままに呟いた。

 確証こそないし、その素振りを見せた形跡も無いが、ああいった一歩先へ進んでいる気配のある者には、その可能性を考えないでもない。

 特にこういった歴戦の地に身を寄せる類の人種には、その可能性が否定出来ないから……。

 少女はそこまで考えてから、考えを改めるかの様に小さく首を振った。

「いえ。今はこの場所に『|定式知らず』がいるかどうか等と悩み耽る暇は私にはありませんわね……」

 脱獄中にその事実が存在するか否かで頭を悩ませている時間は彼女には無かった。

 それを考えるよりも、むしろやるべき事をやらねばならない。

「昨今の課題は……奪われてしまった、あの『剣』の方にある……」

 その言葉と共に少女は頭を抱えた。

「ああああああ、もう……! ほんっとうに失態ですわ……!」

 とある『剣』を奪われた。

 その事実は彼女にとっては本当に大失態に他ならなかったのである。その事実は克明に少女の心に動揺の波紋を浮かばせていた。

「……我が家の家宝足る、『剣』を奪われるとか……」

 おじい様に知られたら怒られますわね……と若干、涙目で呟いた。

 その爺様に関しては現在遠く異国の地へ渡ってしまっている為に知られる事もないとは思いたいが、所詮願望でしかない。

「とにかくっ」

 足を静かに迅速に進めて通路を奥へ右へと進みながら、少女はなるべく人に見つからない様に、そして目的地の所在を知っていそうな者を捜してひたすらに駆けていくのであった。


 一人の少女が基地内部を駆け走る時より時間を進ませて。

 この場所。基地の中の銃器、火薬が大量に収まっている武器庫では、日向が行動を起こしている頃であった。

 逃げるだけには無理があり、否応なく戦いになった時に丸腰で勝ち目はなく。

 だからこそ、日向は天井裏の道から下へと降りるべく、信愛する父親殿から『もしも大切そうに保管されてあるものがあったら、この万能キットに入れてある工具でこじ開けて、盗んでくるんだよ、日向君♪』と書かれた張り紙つき万能キットから取り出したドライバーで手早くネジをクルクルっと外した。

 この時だけ日向は父親に素直に感謝する。

 これが無ければここを開ける際に力技になってしまい気付かれる危険性が高い事からドライバーという王道ネジ外しアイテムの存在に深く感謝を示した。

 とりあえずおの感謝から来るお礼は次に再会した時にでも果たそうと思った。

「頭のネジを外して頭部がドバーって血塗れになる感じにねっ」

 明るくリズム良く小さな声で呟く内容がやたら物騒である。

 なにせ傭兵として活動した日々には彼に囮代わりに使われた時があるのだから。憎悪の念の一塩であった。親愛なる父親相手に日向は容赦が無くなってきていた。

 さて、そうこうして金具を外し終えた日向は天井裏に指先をひっかけて捉まりながら軽快な動作で兵士二人の顔がこちらに向いていない事を知覚しながらひゅっと下の地面へと飛び降りた。

 その瞬間に微かにカン、と金属音が響く。

「ッ!」

 嫌な汗が走った。よもやここまで音が響く床とは……。

 けれど、それと同時に日向の腕は近くにある機関銃二丁を掴むと、力の限りに兵士の胴体目掛けて放り投げる。ほぼ同じ瞬間、金属音に気付いた兵士二名の振り返る姿を確認するのだが、突如迫り来る鉄の塊二丁に思わず初期動作を見誤る。

 対して日向は放り投げた腕を即座に引き戻して傍にある拳銃を掴むと、安全装置を解除し銃弾の詰まった箱の中から適した弾丸を選び取り装填を済ませると、有無を言わさぬ速さで四発の弾丸を淡々と放ち、的確に相手の太ももに着弾させた。

「ぐぁぁぁ……!?」

 兵士二名がくぐもった様な声を洩らす。

 そして体勢が崩れた瞬間を見計らい、

「申し訳ないですが」

 と、いう呟きと共に素早く相手の横を突っ切り、背後へ回ると、拳銃でガッ、ゴッ、と鈍い打撃音を二人の頭部に打ち鳴らした。

 兵士二名は途切れる声と共に床へ倒れた所で即座に彼らが手に所持している銃器を足で払って遠くへと弾き飛ばす。

 意識はある様で呻き声を洩らす二人を余所に日向は手に持った銃器を懐に仕舞うと速足でゴミ箱へと近づいて『日向ぁ……俺ちゃんは……俺ちゃんは、まだいらない子ちゃんじゃないんだね……!?』と感動の雰囲気漂う愛銃を拾い上げて軽く手で埃をぱっぱと払って、大切な愛用ポケットへ仕舞い込む。

 また武器庫から適当な機関銃を肩からかけて、戦闘準備もとい逃亡準備を終了させる。

「ここまでで……まぁ個人的に十分なんですけど」

 日向は所有している機関銃、拳銃二丁、ついでにスタングレネード二個をちろりと確認した後に、視線をすーっと武器庫に貯蔵されている純白の十字架を模した剣を見る。

 とても美しい装飾の剣だ。美術品の様に美しいのに実戦でもその存在を否応なく発揮させる本物であると頭でなく感覚的に理解して感嘆の息を零す。

 そして同時に先ほどの会話の内容を思い返して頭を少し掻き毟る。

「……実際にやったら生存率、すっごい低下する気しかありませんけど……」

 けれど放って置けなかった。

「……十分を十二分にして、どうにかするとしましょうか……」

 ひょっとしたら五分になるかも知れないですが、と強い語調でぼやきながら、日向は鞘に納められた剣を手に持った。ずっしりと重い剣の感触が手を通じて体全身に力強く伝道した。

 その瞬間だ。

 心臓が、胸の奥が、心なのか魂なのかわからないが。

 ドグンと勢いよく何かが脈打ったのを実感した。

「っ!?」

 思わず手放しそうになる手をどうにか押し止めて日向は不可解なものを見る目で純白の剣をじろじろと見続けた。……けれど、剣になにかあるとか御伽噺でしかないですよね、と苦笑を浮かべて。

 とにかくこのまま持っていては銃器を持つ身としては邪魔になる。

 日向は懐から刀袋を取り出す。仮に誰かから『何であるの?』という質疑が来た際には『昔、色々ありまして~』で思い出話に花が咲くので今は保留としておこう、と日向は独りごちる。そうして刀袋に純白の剣を収めると、

「……さて、行きましょうか」

 真剣な瞳でそっと歩を進める。

 行く先に転がる二名が痛みを堪えて、

「ここに不審者がいるぞぉおおおおおお!!」

 叫び声を上げるものだからつい、

「もぎゃぺひゅん!?」

「べったらじ!?」

 と、いう奇声と共に刀袋に収まっている剣の鞘による硬度でで殴り気絶させてから、さっと背負い直して、武器庫から外の通路へと躍り出る。

 ぞろぞろぞろ。そんな擬音が聞こえるかの様な光景が横目に映った。

「……」

「……」

 日向は飛び出た通路の視界右側からかったるげに歩いてやってきた五名の兵士の姿を収めて左ほほに冷や汗をつぃーっと流す。

 相手側も突然湧いて出た目的の人物に刹那、茫然となる。

「でやらぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

「とわぁああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 雄叫びと叫びが反響し合う。今この場所は騒がしさで満ちている。

「もう何かこんなんばっかですか僕!」

 悲しみの声による嘆きを叫びながら拝借した機関銃からパララララ……と鳴り響く銃撃。

 対して相手は足元付近へ放たれる銃撃にあたふたとした様子で両足をこれでもかと交互に上げたり下げたりしてその場から後退しようとした瞬間に日向は空いている片手でスタングレネードのピンと引き抜くと、相手の足元目掛けて放り投げる。

 その直後すぐさま相手に背を向けて全力疾走によりその場を離れた。

 その行動と同時刻、辺り全体を埋め尽くす様な盛大な光の炸裂が起こった。

「眼がっ……!」

 兵士の一人が目を覆いながら呻き声を上げる。

「ちきしょう、やられた……!」

「スタングレネード初めて食らった! 感動!」

「アホか!」

 効果があった事を認識しながら日向は通路奥へと走る。一人何か感動すら覚えている様で本当なんなのだろうかこの基地の面々はと思いながらも走り去る。

 しかし、彼には問題が一つあった。

「出口は何処だろう……?」

 それは出口が分からない事。

 連れてこられる際に記憶出来れば良かったのだろうが生憎日向にそこまでの力は無い。

 ヤバイ、どうしよう、と頬を伝う汗の感触を感じながら日向は苦笑いする。実際問題かなりデタラメな逃走経路ではある。投獄の際に連れてこられた……と思うルートを走ってはみているのだが、実際に正解かどうかは日向には判断出来なかった。

 一言で言えば曖昧な記憶を辿っているだけに他ならない。

 けれど、それでも何もせずに突っ立っていては結末は一つだけ。

 だからこそ、若干無謀でこそあれ逃げないわけにはいかなかった。何もせずに死ぬか利用されるか等耐えられないのだから。そんな彼の耳にある音声が飛び込んだ。

 何だろうかと興味を抱いた日向は機関銃を携えながらなるべく音を立てずに、左手の通路へ歩いて進み、その更に左手の方を視界に収めた。

 そこには一人の少女がいた。

 ドレスに身を包んだ見目麗しい少女がいたのだ。

 手には自分が先程まで世話になっていたと思しき鉄棒と同系統のもの。おそらく素材は似たり寄ったりだろう。けれど自分とは全く違う華麗な動きと技巧の数々であった。

 日向が唯棒を振り回すだけの滅多打ちであったのに比べて、彼女の技術は武芸だった。日向の適当な攻撃とは異なる、華麗さすら伴う攻撃。武の美しさと言うものがそこにはある。

 あの動きを見ていたら途端に自分の技術に嘆きそうになる程の力。

 自分など敵を発見したら即座に『どわらぁああああああああああああああああああああああああああっいっ!!』とか『ほらわばぁああああああああああああああああああああああああああ!!!』とか奇声を発して一閃薙ぎ倒ししかしてないのだから彼女との差を痛感せざるを得ない程だった。

 彼女を戦場に咲く一輪の花と捉えるならば自分は戦場で地味に生きているかいつの間にか死んでいるモブ兵士でしかないだろう。

 日向は自分との差を雲泥の差の様に思えてきてならなかった。

 問題の少女の位置はここから随分と遠いのだが、日向の視力なら存分に捉えられていた。その少女は鉄棒をまるで槍の如く扱いこなし、左右に払っては、前方へ凄まじい速度で連続突きし、縦一直線に振り下ろし等と華やかな技巧。ただの鉄棒がまるで本物の槍の様な威圧感を放っていた。

 そしてある程度距離が詰まった頃に日向の目がグン、と彼女自身に惹き付けられた。

「うわ……っ」

 思わず声が出てしまう。無意識に賛美を送ってしまいそうになる。

 その容貌を見て思わず戦場でありながらハッと息を飲む程に。

 長く美しい金髪に思慮深い光を放つ真紅の瞳。白と青でバランス取られたドレスは彼女の抜群のスタイルを一目で見て取らせた。

 日向はあんな綺麗な子がいるものなのか、と目を見開いた。

 過去にとても可愛い顔立ちや綺麗な年上の女性に幸運にも出会えたり、一人だけ子供心に本当に意識してしまうくらいに可愛い笑顔の少女に出会ったりもした事一五年間の人生で幸運にも一度も無い等と言う事もなかった日向であるがこの年齢で同い年であんな美少女を見たのは初めてじゃないだろうか、と思った。

 そして件の少女は鉄棒の攻撃を一閃また一閃と閃かせて次々に圧倒する。

 特に突き技という槍の十八番に至っては速過ぎて対応出来そうになかった。

「あんな綺麗な娘がこんな所にいるのも衝撃的ですが……。……同時に、あんなに強いって言うのも凄い驚かされますね……」

 小声で賛美を送る。

 次々に集まる兵士を銃器が火を噴く前に蹂躙する少女の武功は爽快感すら湧く程の光景であった。その光景に日向は思わず出会えたら協力して脱出しようかと考えていた自分が足手まといになるのではないかとすら思える程であった。自分が加わるより彼女一人の方が生存率が高いのではないかと考えてしまう。

「なら僕は僕で自分の身を守る事だけ考えて行動すべき、かな……」

 そう思い悩みながらやってきた通路を逆走して別ルートに入ろうと考えて振り向くのだが、そこでふと銃器とは別に肩から掛けてある紐に付属する刀袋の存在を認識し直す。

 中身に入っているのは、あの少女所縁の純白の十字架の剣だ。

 そこでしまったと思い返す。

 共闘は断られるにしても、これだけは渡しておかないといけないだろう。

 何か大切なものの可能性が高いのだ。そう思った日向は、ここで一度だけ顔を合わせておくべきだろうと考え直して即座に彼女の方を振り向いた。

 兵士達を薙ぎ倒してもう後数メートルの位置まで自分と彼女の距離は縮まっていた。

 とんでもない技量ですね、と感心しながら見つめていた。

 その彼女の後方、右通路から銃器を持った男がぬっと現れた。

 ぞくっと全身が身震いする。

 音も無く気取られる気配も無く現れた様に感じる。

 敏感で周囲に気を配っている自分でも姿を見るまで気付けなかった。

 彼女の位置ではおそらく気付き難いだろう場所から現れた男性の手に握る銃器の照準が合わさられる様に下腹部へと向いてゆく。おそらくは彼女の足を狙う気なのだろう。

 そこまで考えた僅か〇,一秒程度の世界で日向は瞬時に通路へ出でて、拳銃一丁を彼女の奥へ即座に狙いつける。

 鉄棒を持った少女が突如現れた上に自分を狙い澄ます様に銃を向けた少年に思わず動きをゆるやかに鈍らせる。

 その目は驚愕の意識を感じさせて、おかしなものを見る様な目だった。同時に何かを信じられない様に唇が動く。

 だが、それに気を取られている時間などあろうはずもなく。

 そんな彼女を横目に逸らして、弦巻日向は容赦なく銃弾を放った。空気を切り裂き突き進む弾道が日向の突如の出現に虚を突かれた男の眉間に炸裂した。

 瞬間、日向は自分の手の中の重みに打ちのめされ、同時に男の体が後方へ弾かれた。

 どさっという音と共に日向は撃った弾丸が眉間に命中した瞬間の映像を幾度となく脳内でリピート再生していた。眉間に銃弾が当たって無事でいるはずがない。

 殺して、しまった。

 そう考えた時に日向は全身からどっと嫌な汗が噴き出るのを感じた。

 殺人には覚悟がいて、その覚悟を持たない日向は相手の無力化のみに重点を置いた戦闘方法で戦っていたが、あの位置からでは足を狙えるはずは通常ありえず、また咄嗟の判断だった故にこの結果に至った。

 しかしいざ起きた結果からは予想以上の疲労感が生まれてしまった。

「……僕は……ッ」

 そう心を衰弱させてしまいそうな瞬間である。

 ぶわっと日向の体が浮遊感に包まれた。曖昧な視界の世界に黄金色の輝きがキラキラと輝いている世界。その世界の少女が声高らかに告げた。

「何をぼさっとしているのですかっ!」

 お説教だった。

 日向は「え?」と言葉を零しながら、同時に背中にズザザーっと床と衣服がこすれ合う音と感触を浴びた。

 何事だろうか、と思う日向の視界では少女が所持している鉄棒で鋭い金属音と共に何かを弾いた。何だと訝しむ。

 それは人の腕だった。

 しかし異変に気付く。

 スローモーションの様な世界で、鉄棒は腕に負けてぐにゃりと形を軽く歪ませたのだ。

 内心に驚愕が広がる。何で人の腕に鉄棒が負けるのだ。

 それも彼女程の腕前の人が振るう一撃を、だ。

 その事実に曖昧な世界へ侵入していた日向の精神が叩き起こされる様に覚醒した。はたと見れば、その腕の持ち主は先程自分が眉間を撃ち抜いたはずの男性であった。

「……何で……!?」

 生きているんですか、と問いかけたくなった。確かに眉間に着弾したと思ったのに生存して尚且つ、鉄棒相手に逆に凹ませるという強度。確かに自分も鉄に少しダメージを蓄積させる蹴りを放てはするが……あれだけ鋭く振り抜かれた彼女の攻撃相手に逆に手傷を負わせる……というのは想像に難しかった。

 対して相手の男性は

「ああん? ぬふふ……驚いた表情だな、いい表情だぜ」

 と、自慢げな表情を浮かべた。

 驚きの色濃い日向に対して少女は特に驚いた様子もなく佇みながら、

「……ま。一人や二人は、こんな場所にいてもおかしくはありませんわね」

 歪んだ鉄棒をぽんぽんと手の平の上に乗せたりを繰り返しながら呟いた。

「おお? ぬっふふふ、流石はお金持ちのお嬢様ってやつか。世間の裏側事情にも詳しいって事なのかい?」

「別に、ですわ。むしろ一部は認知もしているくらいでしょう」

 と気だるげな様子で答える少女に対して男は不満げに舌打ちする。

「……ちっ。可愛くねぇ女だ。俺の力を見ても、全く動じてねぇって、アホなのか……」

「いいえ」

 少女は簡素に否定する。

「今のでさらっと貴方のスキルの性質が見えましたから、恐怖には値しませんわねー、という話ですわ」

 実に傲岸不遜とも思えるほどに相手を下に見据え明るい声で朗らかな口調で何てことはないとばかりに言い放つ。

「んなっ……!」

 日向にはわからない会話だが、どうやら男性の方は随分と気に食わない発言の様で怒りでこめかみをぴくぴく痙攣させると「いいだろう」と怒気の籠った声で呟き、

「後悔させてやんぜ、女ァ……。ブチ倒して裸に引ん剥いて俺を侮辱した事を際限なく後悔しちまうくらい嬲ってやらぁ……!」

 そう唸ると同時に、男性の体に微かに揺らめく様な気配を感じた。

 体が揺らめくとかではなく、何か未知の力というか気の様なものが実際に揺らめいた。良くも分からず理解もままならない、けれども日向にはそのように感じられた。そして男性は叫び声を上げて少女へ拳を振り抜く。

「岩石みてぇに硬くて重い拳ってのを食らった事はあるかよ、女ァ!」

 その途端に日向は見た。男の振り抜く拳が外見的に変化してゆく光景を……。まるで岩の様に茶褐色と 灰色の織り交ざった様な色彩を浮かべてゆく。筋骨隆々とした腕が文字通り岩石にしか思えない物質へ変貌してゆく。

 目の前の光景がまるでわからない。信じられないとばかりに驚愕する日向を余所に、男は己の力を誇示する。

 それがまるで自分の常識であるかの様に自然に。

 けれど世界は知らない定式である投げ付けられた水面の波紋だった。

「こいつが、俺の『定式(センス)』! 自分を岩石に化す『硬身了(クラギドギド)』だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 岩石と化した拳。その拳の事実は否応にも信じにくい内容でこそあれど、されど日向の瞳に映る光景から茶褐色の拳を見たら、その事実はこの僅か数秒単位の世界でも信じられる様な出来事であった。

 そしてそれが事実であれば少女の進退は如何に。

 日向は少女を庇おうとほぼ反射的に両足が動き出し、咄嗟に少女を自分の背に庇うべく動いた。そこから有無を言わさぬ連続射撃。拳銃のホルダーの限りに銃弾が飛び交う。

「ぬっふふーー!」けれど、そんなもの屁でもないと言わんばかりに「無駄無駄、無駄だァ! んなもん軽く俺の肌を擦る程度の威力しかねぇぞ、おい!」

 石化系センス『硬身了』相手に普通の銃弾は腕の一振り、盾代わりの防御で呆気なく散り、男はその太い腕で横一閃。日向の体が鈍い衝撃と共に吹き飛ぶ。後方から微かな息を飲む声が聞こえたかと思えば、背中に通路の壁の固さが伝わったと同時背中から激痛が伝わる。

「大丈夫ですの!?」

 聞こえる少女の声。同時に拳銃から漂う『俺ちゃんやっぱりいらない子ちゃんだぁ、うわーん!』と泣き叫ぶ雰囲気もあったりするが。

 だが、とにかく日向はまずい、と感じた。

 事情こそ不鮮明。事態こそ不可解。けれど、この現実であの女の子を守らないわけにもいかない現状で自分が情けなくも倒れるわけに等いかず。

 そして実際に男は石化と思しき腕の皮膚のままに少女へぐんっと詰め寄って、

「そんなチャチな鉄棒風情じゃあ俺に傷はつけられんぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 痛快そうな大声で叫びながら硬い拳を振り抜く。しかし、だ。けれどそれに僅かな恐怖心も抱かず少女はぐるんっと手元で回転させた鉄棒。そして鋭い眼光。

 その眼光が日向の姿を捉える最中、瞬時にキッと表情が引き締まると同時に少女は言い放つ。

「尊大な物言い大変結構ですわね」

 ですがー、と呟き、少女は大胆不敵に思える程に強気な声を放った。

「岩石程度の硬度で私の槍を防ぎ切れまして?」

 その言葉と共にゴンッと鉄の塊を打ち付ける様な勢い、加えて激しい空気の振動をソニックブームの様に弾かせて正確無比の一直線。情け容赦ない突きが寸分違わず押し込む様に深く男の腕に叩き当り、その腕を弾き飛ばして腹部へ轟く様に鳴り響いた……一撃。

「ゴっ……?!」

 ビリビリビリ、と布を引き裂く様に走る衝撃。

 風が渦巻く様な音を鳴り響かせてただの鉄棒が抉る様な激痛を男に襲わせた。そして同時に少女の唇が小さく言葉を紡ぐ。


 ――海槍術広大恩(かいそうじゅつこうだいおん)薙扠(なぎさ)


 まるで津波が岩盤に打ち当たる様な激しい音が奏でられた。

 男は何とも信じきれない様な様子でぐらっと後方へ倒れ行く。

 岩石相手と言うにはあまりにも脆い物体を突いた様にすら錯覚するレベルの攻撃。日向は些か信じられない思いで前方に悠然と佇む少女を茫然と見つめた。

 後方から見つめられている少女は悠然と佇む中でしばしの静寂の後にぽつりと呟いた。

「……突いたらいけない場所を、突いてしまいましたわね」

 汗だくの表情でぽつり、と。

「ええっ!?」

 何が、と驚愕する日向に対して

「……いえ、その……」

 歯切れの悪い声を発しながらぽりぽりと頬を掻く。

「……石化の届いていない部分を思いっきり突いてしまいまして……」

「マジですか……!」

「いえ、てっきり全身石化のスキルだと思っていましたので、七割の力で放ったのですが……」

 少女の顔に汗が一筋垂れている。『この人、死んでないですわよね?』とばかりにズーンと落ち込んだ様子で少女は呟いた。

「いやいやいやいや、不安になる様な発言しないでくださいよ!」

「殺人犯とかなりたくないですわね……」

「ああ、その気持ちは僕もわかりますけど……!」

 なら突き技やめときましょうよ、と言いたいが目の前で硬化だうんぬん言ってきた相手に貫通力重視の突き技をお見舞いした判断は間違っていない。

 しかし、それにより結果が殺人になったりしたらいやである。硬化はどうした硬化は。そうなると仕方がない。日向は倒れ伏す男性の腹部の若干エグイくらいの突き痕を見て「ご愁傷様です」と呟いた後にそっと胸元に耳を近づける。そうして少しして、

「……うん、生きてます。死んでませんよ」

「それならば良かったですわ……!」

 日向の発した小さな声にホッと安堵と共にと胸に手を当て文字通り胸を撫で下ろした。一五歳の少年少女としては人殺しにはなりたくないだろう気持ちは本当理解出来る。

 少女は「全く」と呆れた様子で、

「岩石化するスキルというから貫通力重視の〝薙扠〟を放ったは良しとしましても……件の体が脆いとは、どういう訳ですか……」

「えーっと……脆かったんですか?」

「ええ、弾いた瞬間にも一欠片程が欠損しましたし。それならまだしも、てっきり全身硬化程度するものと……。ああ、ですが全身硬化だと心臓も止まる危険性とかあるのかしら? 硬化系の『定式知らず』でないと判断つきかねますわね……」

「はぁ……」

 日向ではそう言われても何とも良くわからない話だ。

「どちらにしましても小石程度の硬化スキル……。あんなに力を込めた私が馬鹿みたいじゃありませんか……。というか……あ、銃弾の当たった部分掠り傷出来てますし……」

 これは〝薙扠〟よりむしろ〝快鳴(かいめい)〟で事足りましたわ……と若干落ち込み気味の少女を後方で汗たらーっと流して苦笑する日向である。

 しかしなるほどよく見れば。

「確かに突然の事で混乱してましたけど……よくよく見てみれば確かに僕の銃撃、掠り傷程度与えてますね……」

 眉間に命中した部分に関しては今になってぷにゃ~と柔らかに血が溜まり出す。

 予想するならばおそらくは極微小にダメージを負ったがバレたくないので、眉間の内側を石化したか何かなのだろうと予測する日向である。

 しかし、それはそれとして、だ。

「……何者だったんでしょうか……この男は……石化なんて、普通じゃないですよ……?」

 到底信じられるものではないに該当する方の光景。日向にはそう感じられた。

 だが、少女の方は即座に受け入れている。否、当に受け入れている口ぶりで、

「別に、そこまで驚くほどの事ではありませんわ。こういった場所に一人や二人、こういう者がいる事自体驚くほどでは……」

 と、喋り出した途中で少女はハッと気づいた様に日向へ視線を移した。

「……どうしたんですか?」

 きょとんとした様子の日向に対して少女はジト目で呆れた様に、

「いえ……その口ぶりからして、この事に関して詳しくない様子ですわねー……と思いましてね。というか会って間もない相手と何を呑気に話し込んでいるのかしら、と自分に若干呆れの感情が生まれただけですわ……」

「そ、そうですか……」

 思わず苦笑を洩らす日向。

 その様に言われても日向としては、そんな非常識みたいな現実を突きつけられても知らぬ存ぜぬである。とはいえ少女としては、このような宗教的紛争地域にいるのだから何かしら見聞きしたものがあるのではないか、と勘繰った話。

 少女がそんな呆れの眼差しを浮かべる最中に日向は問い掛けた。

「……と言うか、その定式がどうこう以前に何で君みたいな可愛い女の子がこんな戦地にいるんですか?」

 とても戦地ではなく舞踏会か何かに参加している方が似合いそうな容姿だった為に思わず問いかけた言葉だが相手は一瞬きょとんとした後に、

「それを言いましたら、私だって貴方の様な子がこんな戦地にいる事自体驚きですわ」

 呆れた表情で返してきた。

 それもそうですねと意外な事の様に気付かされた日向。確かに戦地に高校一年背頃の日本人がいるという事自体中々にないだろう。戦争孤児か何かでない限り。加えて、日向はふと気付く。何でこの子、僕を怖がったりしないんだろうか……、と。

「あの、ところで……」

「何ですの?」

 ごく自然な対応で返す。恐らく誰に対しても分け隔ての少ない少女なのだろうが日向としては一応確認しておきたい気持ちがあった。

「……僕、君と全く知り合いでもない全くの赤の他人なわけですけど……こんな場所で出会った男に対して何か警戒心を僅かにしか感じないんですが……?」

 微かには感じていた。警戒心の様なものを……最低限の警戒という奴だろう。

 対して少女は一瞬こめかみをぴくりを動かした後に「……ああ」と静かな声で頷くいてから、軽く呼吸して、

「別に、ですわ。一応少しは警戒していますが、先程見事に助けて頂いた具合ですし警戒するのも失礼ですわ」

「ですが少しは『そうやって油断させて~』的な事を考えるべきじゃないでしょうか?」

「ただのお人よしか何かみたいですもの貴方」

「ぐふぅっ!?」

「そもそも、そんな会話内容取り上げた時点で『ああ、この子ここにいるだけの方ですわね』と判断つきましたわ。雰囲気的にも」

 何かおバカな子みたいな扱いじゃないでしょうか……とぼやく日向は『天国のハーリス君、僕はただのお人よしなんでしょうか……?』と胸の内で問いかける。

 そんな涙目で若干、明後日の方向を見ている少年に少女は問い掛けた。

「ところで貴方――名前は何と申しますのかしら?」

「へ?」

「で・す・か・ら」

 一文字一文字はっきり告げた後に改めて問い掛ける。

「貴方の名前、ですわ。見た感じ、私と同じ……。ああ、いえ私は一応クォーターでしたわね……ともかくですわ。見たところ日本人と考えますが名前は?」

「名前……ですか?」

「ええ。……一応お聞かせ願えますかしら? 無い何てことも無さそうですし」

 ひらっと軽く手を振って問いかける少女に対して日向はしかと聞こえる声で、

「日向です。弦巻日向」

「……弦巻……日向」

 少女は確かめる様に日向の名前を噛み締める様に呟いた。

「……」

 まるで難癖つけるかのようなジト目を送ってきた。日向は内心、何故こんな視線が送られてくるのだろうかと不可思議そうな表情をするが相手の少女は、

「日向。太陽の恩恵の象徴であるいい名前ですわね」

 すると今度はふわりと穏やかで優しい微笑みを浮かべてくるので日向は思わずドキッと心臓が高鳴るのを感じた。年頃の少年故と言うよりも、流石にこれだけの美少女が笑みを浮かべたなら日向でなくてもこういった反応を取るものだろう。

 よもや戦地で。いや、戦地だからこそ更に映える光景の様にも思える。日向としても、こんな場所でこれほどの美少女に会う事になるとは夢にも思わない話であった。

「さて、日本人二人、合縁奇縁ながらも出会ったのですから、存外目的めいたものは偶然にも似たり寄ったり……かもしれませんわね」

 少し悪戯っぽく少女は笑う。

 そして鉄棒を手で軽く弄び、ぱしっとしっかり掴み直して、豊かな胸元に右手を当てて少女はしっかりとした自信と惹きこまれる様な魅惑の笑みで凛と告げた。

「今度は私の自己紹介の番ですわね。私はテティス」

 テティスは呟く。日向が記憶に刻む、その名前を。

「――迎洋園(ゲイヨウエン)テティスと申しますわ」

 迎洋園テティスは煌びやかな微笑みを浮かべて自信に満ちた佇まいで弦巻日向との出会いを祝賀するのだった。


 日向、加えてテティスの話し声に近寄る者達がいた。

 聞えてくる喋り声。人と人の会話。こんな戦地には似つかわしくない実に若さあふれる少年少女の会話である。その声を頼りに近づく者達がいた。

 規則正しい足並みでザッ、ザッ、と歩む者たちの数は四人。

 一人一人がとても屈強な肉体の男達であった。人種は見たところ応酬人もいれば、日本人と思しき人物も見受けられた。

 彼らは普段、アルグール=ハマーに付き従う衛士である。

 だが、今回の一件では中々に楽しい想いが出来そうではないか、と踏んだ彼らは一様に厳つい表情……。けれどどこか下心含んだものを感じる表情で歩いて来ていた。

「脱獄者とはいえ丁重に扱えよ、君達?」

 一人が呟いた。チャマルティンとアルグールに呼ばれた男であった。その男性の声に三人は『当然ですよ』と返答する。捕まった者にも人権はありますからね、と一人が呟いた。そしてまた一人が「けれど」と促して、チャマルティンと呼ばれる男が答える。

「そう。けれど……」

ニヤリといやらしい笑みを浮かべて舌なめずりする。

「逃走はお仕置きが必要ですからなぁ……♪」

 頭の中では、その妄想がこれから現実化すると思うとくつくつとやらしい声が洩れる。

 声は基地内を反響して遠いが、さしたる距離ではなく……。

 男達は逃亡者という実に不埒な輩に制裁を与えるべく淫らな考えを抱きながら乱れる事なき歩みで、彼らの元へ一歩また一歩と近づいてゆく。

 そんな危険な足音は着実に日向達へと迫っているのであった。

 波乱は確実に歩み寄っている。

 彼らの元へと……。


第一章 陽向に遠いセンチな日常

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