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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Troisième mission 「進退す身辺」
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第九章 陰日向の円舞曲・後編

第九章 陰日向の円舞曲・後編


          1


 昼休みの時間が終了し、すでに授業が開始したと言うのに関わらず鍵森(カギモリ)恭介(キョウスケ)は中庭の一角に佇んでいた。授業に出なければならないだろう、と言う思惑は当然あるが、生憎とそれに出ているヒマと余裕は無かった。

 更に言ってしまえば出ない事に意味があるのだ。

 現在保護観察の様な状態にある三人が共に姿を消す――そうなれば風紀師団や先生が表向き行動する事となるのは明白。即ち混乱が生まれやすい。今はまさにその前兆だ。

 仕掛け終えた罠を前にして佇む恭介の前に不意にこちらへやってくる足音が聞えた。

「おーい、せんぱーい」

秀樹(ヒデキ)か。首尾はどうだ?」

 やってきたのは秀樹であった。彼は肩を上下しながらドヤ顔と共にサムズアップする。

「万全だぜ! 録画の動画がある事を上手く流してきた。これで誰かがひっかかってくれると思うからよ」

「そうか。よくやった。なら後は弦巻だが……まだ来ないか」

「十二学区はそこそこ距離あるわけだしもうちょいかかるんじゃないすか?」

 秀樹の言う通りである。十二学区までは距離があるし、何より本人が恥ずかしがって躊躇している場合もある。

(しばらく待つことになりそうだな)

 として、秀樹と40分近くその場で待機してから、ようやく遠くから大急ぎで走ってくる影が見えた。日向だ。

「遅いぞ弦巻(ツルマキ)―!」

「すいませーん! 途中何度かトラブルがあって……!」

「不運だなぁ……」

 秀樹がそういう事か、とばかりに呟きを零した。

 日向(ヒナタ)は二人の場所まで辿り着くとおもむろに紙袋を差し出す。恭介が慎重な手つきで中を確認し取り出したところ中には鮮やかな青の下着が入っていた。

「恭介先輩」

「ん、なんだ?」

「僕、恥ずかしくて死にそうでした……」

「そっか。よく頑張ったな。偉いよ本当お前は」

 しくしく泣く日向の双肩をぽんぽんと叩いて労う。

「店員さんには『お客様はこちらがお似合いになると思いますよ、ええ! ほら、ほらほらぁ!』って興奮した様子でお奨めされました……」

「……そっか。本当によく頑張ったと思うよお前は」

 思わず肩を掴みながら諭す様に告げる恭介である。

 予測はしていたがやはりそんな事を言われたりしたらしい。

「だがこれで餌は手に入った。後は設置するだけだ!」

 そうして恭介はいよいよもって罠に餌を設置した。この間三秒にも満たない。

 罠完成である!

「……先輩」

「何だ秀樹」

「……傍目見ててこれでかかってくれる気が全くしないんだけど」

「ああ。俺もだ。実物にしてみると予想以上にアホっぽいなこの罠」

 ならやるなよ、とは言えない現状が悲し過ぎて仕方が無かった。

 目の前の下着の上に籠を設置したトラップを見ながら秀樹は何とも言えない感慨にふける。

「これで本当に引っかかる奴がいるのかね……」

「俺の運に任せておけ」

「その妙な自信満々ぶりに頼るっきゃねぇな」

 秀樹は嘆息を浮かべた後に「神様、仏様、鍵森様頼みましたー」と一応手合せして告げる。御利益など微塵も無いが、それでも最後は神頼みだ。

 そうして日向と共に軽く茂みの裏へ隠れて恭介の動向を見守る秀樹。

 二人の友人に見守られながら恭介は大きく息を吸って――、

「はっ!? ど、どうしてこんなところに女性のものと思しき下着があるんだー!」

 と、茶番要素満々の声を張り上げた。

 無駄に高らかな声であった為に校舎内から数名反応の声が伺えるが如何せん校舎の壁に阻まれて詳細はわからない。だが恐らくは恭介達がいなくなって探しにでた教師陣が今の声を訊いて駆け付ける事となるだろうか。

 だが肝心の相手が来るのかどうか、と日向が少し不安そうにする中。

 そんな時に事態はまさかの形となる。

「オパパ……この辺りにて下着と言うフレーズが聞えたのう」

 ――何か来た。

(来るんかい!)

 恭介は内心で盛大に叫ぶ。やっておいて何だが本人が一番失敗すると思っていた作戦であった事実は言うまでもなかった。そんな中でカゴまでの距離が近づくキューピットが不意に足を止めて眉をひそめた。

「……む。新品じゃな、コレ」

 何故遠目でそこまでわかるのだろうか。

 いや、案外わかるものなのかもしれない――そう、想いながらも恭介はこれ以上は難しそうだと直感的に理解した。故に動く!

 草葉の陰から瞬時に身を踊り出した。

「よう」

 不敵に笑みを浮かべ、挨拶を発し恭介はキューピットと対峙した。

「ふむ」

 キューピットは特別驚いた様子は浮かべずに、

「……新品と言う時点で何らかの可能性は考慮したがやはりそんなところか。まんまと誘き出された様じゃな――って、なにぃ!? よう見れば相手をバカにしてるとしか思えないトラップじゃとぉ!?」

「今更気付いたのかよ!」

 呆れ半分に溜息をつく恭介。

 そこまで下着に集中していた事実を褒めるべきなのか実に難しい。

「おのれ、嵌らねば笑いを逸するトラップを……今更引っかかれないではないか!」

「芸人魂を光らせなくていいけどな今更!」

 トラップに対してバカにされたなのか、はたまた引っかかって笑いを取りにかかりたかったかは不明だが地団太を踏むキューピットに苦笑を零しながらも、恭介は冷静な表情で相手の前に立ちはだかる。

「さて、要件は一つだ。大人しく捕まってもらって、今回の騒動の一件に片をつけさせてほしいってのが本音だな」

「今回の……ああ、ああ。風のうわさに聞いておるわい。何やら大変らしーのー」

「おかげさまでな。だからその分の迷惑料払って欲しいんだが、どうかな?」

「御断りだのう。さすればワシの自由が利かなくなりそう故に。なによりもヌシ達が困ってしまったとはいえ適度に良い想いもしたのではないか?」

「ふむ、男としてそこは確かに、と認めよう。だがな――今後の学院生活もかかってんだ。はい、ありがとうございましたエロ先生、で済ますわけにはいかないんだよ」

「オパパパ、ま、であろうな。さすればどうする?」

「力技で蹴りをつける――そうなっちまうかな」

「おお、怖い怖い。反射的に蹴りを打ち出した者なだけあるわい」

 静かに構えを取る恭介とは裏腹に何とも自然体で余裕な振る舞いを見せるキューピット。

 両者による緊張感の空気を感じながらも日向は声を上げた。

「先輩、あの人只者じゃないですよ。気を付けてください!」

「わかってるさ。俺も片鱗程度は見た。だから――」

 皮切りとなったのはチャイムの音が鳴った瞬間であった。

 恭介その言葉を置き去りにし一瞬にしてキューピットの背後へと瞬時に移動する。途端に凄まじい音が土煙と共に炸裂した。

「え?」

 日向は一瞬、恭介が何をしたのかわからなかった。

 まさしく一瞬。文字通りに瞬時。鍵森恭介はさながら瞬間移動の如く二メートル前後の距離を飛躍したのだ。

(――なんと跳刻(ちょうこく)か! オパパパ、使えるか若造!)

「だが、まだ……」

 背後へ回った恭介が両腕で羽交い絞めにしようとした行動をキューピットは下へ屈み回避しそのまま「荒いのう!」と叫びながら前方へ疾走する。

「速ぇ!」

 秀樹が逃げる速度に驚きの声を発した。

「逃がすわけにはいかない! 追うぞ!」

 恭介がすぐさま発令した。

 その声にすぐさま反応し日向と秀樹が全速力で追走を始める。キューピットはそんな三人を一瞥しニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべた。

「オパパパパ、頑張るのう、無駄な努力とはいえ。さて、ワシはいかにするかな。ただただ罠に嵌って帰っていったでは情けない。とすれば――ボーナスタイムを満喫するも一興よな」

 そう呟きながらキューピットは後者の方へ足を運んでいく。

「にゃろう! 校舎の中へ!」

「普通に逃げれば逃げ切れるだろうとこを校舎の中へって事は……舐められてるな」

「とにかく見失わない様にしないとです!」

「恭介先輩! さっきの何か超速い移動とか出来ないんすか!?」

「跳刻の事か? 出来なくは無いが、連発厳しいんだよなアレ。それにさっき反応されちまった辺り追いつけるかどうかも怪しいしな……」

「なら仕方ありませんね……!」

 そう、呟きながら日向はおもむろに懐からあるものを取り出した。

「……なんだそれ弦巻?」

「洋服屋へ行った帰りに防犯グッズ専門店で見つけた『とりもちボール』です! 投げると爆発してくっついちゃうらしいです! 秀樹君もどうぞ!」

「ナイス、弦巻! それだ!」

 日向から『とりもちボール』を二個手渡されポケットにしまいながら秀樹は叫ぶ。

「了解です! ていやっ!」

 日向は威勢のいい掛け声と共に真っ白なボールをキューピット目掛けて放り投げた。

 キューピットは後方からくる何かの気配を察したのか「おお?」と不思議そうにしながらもボールを認識すると空中で見事な回転をみせてボールを回避する。回避されたボールは勢いのままに飛んで行き、校舎の壁にベチャっという音と共に着弾した。

「外れたか……けど効力はありそうだな」

「ですね。不良品じゃないだけ良かったです!」

「よし、弦巻。もう一発だ!」

「はい――って、とと……!?」

 日向は投げようとした腕を思わず引っ込める。

 何故かと言うと近くの部屋の扉が開いて数名の生徒が姿を現した為だ。

「何の音かしら、騒がしいわね?」、「男子の声みたいだけど」、「えー、今授業中だよ?」

 と、言う女生徒の声が次々に。その声は丁度更衣室の方から――と、恭介が認識したところで彼は「しくじった」と舌打ちを発する。日向が来るまでの間の時間ロスが授業終了間際まで追い込んでしまったのだ。つまりは、彼女たちは体育の授業を終えて戻って来た生徒という事になる。出てきたのは着替え終わった生徒達だ。

「とりあえず投げずに突っ切るぞ!」

「はい!」

 全速力で走ってくる三人に女生徒達は「ええ、なにあの鬼気迫る連中!?」、「先頭の人凄いイケメンじゃない?」、「いや、アレって確か……」と事態が呑み込めないままに動揺した様子を見せる。後はそのまま素通りさせてくれればそれでいい――と恭介は考えていたのだが。

「オパパパパッ! これは重畳! 体育の後! 汗に満たされた肢体が残す女生徒のかぐわしく匂いが染み入った下着が手に入るチャンスではないか! これぞ天の差配よ!」

「拙い! 俺達はともかくアイツが何かする気配満々だ!」

「でも止めようがないぞ!?」

「って言うか何をする気でしょうか?」

 三人が追走する前を駆け抜けるキューピット――奴は、恭介らから見て実に恐ろしい技を体現してみせた。それはまさしく素通り――見えないと言う点を活かした完璧な素通りと共に――女生徒達のスカートをめくってせしめた。ギリギリ、恭介たちの位置からは見えない視点であるがめくられた女生徒達は突然の風にスカートを抑えながらも「え、あ、嘘、下着がー!?」と言う甲高い悲鳴を上げる。

「野郎まさか……!」

「オパパパ」

 ドヤ顔を浮かべる変態の手には二枚の下着が舞っていた。

(あの一瞬で下着盗った――――!?)

 何だその無駄な絶技は! と三人が内心で声を揃える。

 そもそも直立状態にあった女子生徒からどうやって下着を抜き取れると言うのか原理として意味が分からない。

「オパパ、これぞ性天使の絶技よ!」

「誇れる事じゃねぇよ!」

 秀樹がツッコミを入れつつ、すぐさま更衣室へ戻ろうとする少女たちの横を駆け抜けていく。日向と恭介もそれに続く形で追走を続ける。

「しかし、恐ろしいな……あんな妙技を持ってやがるとは……!」

「どういう変態なんだ最早……!」

 物理現象を若干無視している気配すらある荒技に敵ながら感心を覚えてしまいそうになる二人とは裏腹に日向は「うーん……」と難しい表情を浮かべていた。

「どうした弦巻? もしかした今の技の原理見抜いたのか?」

「いえ、そういう事ではないんですが……」

「無いけど……どうしたよ?」

「その……」

 日向は心なしか蒼褪めた表情を浮かべながら、

「さっきの現象って僕らにしか見えてないわけじゃないですか」

「おう」

「あれ、でも陽皐君は見えてるんですね?」

「何でか知らないし反応遅くねって事は今は置いておくがそれで?」

「はい、その……見えてないって事は、彼女たちの目線から見て、丁度同タイミングで通りかかった僕達ってその……」

 ――実行犯みたく見えませんかね? と、日向の口から恐ろしい推論が述べられた。

 おかげで両名冷や汗だくだくである。

 そう言えば、後方から何やら足音がたくさん聞こえ始めたが……。

「まさか……」

「いやいや」

 そんな信じたくない気持ちを抱きながらも彼らは後ろを振り返った。

「いたぞー! 女の敵どもじゃあああああ!」、「よくも下着奪ってってくれやがったなおんどりゅああああああああああああああ!!」、「神妙にしなさい下手人どもぉおおおおおおお!!」、「今ならもれなく無間地獄行きにしてあげるわあああああっ!!」と言う怒号の数々轟いている。

「事態悪化ぁあああああっ!」

 秀樹が、またかよ! と言う表情で叫ぶ。

「クソ、被害広めちまっただけかよ!」

 恭介が悔しげに言葉を発した。

「後悔は後です! それよりも見失わない様に全力で行かないとです! 曲がりますよ!」

 見ればキューピットが校舎内部を左折したところが目に入る。階段に行くか廊下を走るかどちらかを確認しなくては見逃しかねない。恭介は後者の窓から情報を視認する。

「階段じゃない! 廊下だ!」

 丁度、日向たちの1-Dクラスがある棟である。

「絶対に逃がさないです!」

 日向は尚の事奮起する。

 どうしても冤罪を晴らしたいのだ。それで少しでも……改善させたいと言う想いが日向の行動原理だ。何としても拿捕しなくてはならない。そうして彼らは自分達のクラスである1-Dの横を一気に走り過ぎていく。その際に教室から微かに『何か騒がしくね?』、『陽皐(ヒサワ)達でも戻ってきたかな?』、『と言うかどうして五人も消えるかね……そりゃ自習にもなるよなあ』、『弦巻と陽皐はともかく他三人どこいったー!』、『二人は保健室だろ』と言う声が聞こえてきた。やはり騒ぎになっているらしい事が窺い知れる。

 事態鎮静の意味でもなんとしても捉えなくては……!

 そうキューピットを追い掛け、女子軍団から逃げる三名であったが期せずして厄介な事態に直面してしまう。

「いたぞ、鍵森たちだ!」

『おおー!』

 と、言うけたたましい声と共に大勢の生徒及び少数の教師が姿を現した。

「風紀師団だ! 抑えておいてくれるんじゃなかったのかよ土御門先生!」

「無茶言うな。体面上は動かすだろう」

「それと先生方も数名いますね……!」

 三名が渋面を浮かべる中で唯一、見えないキューピットだけは「オパ」と笑んだ。

「どうやらここまでの様子だのう。では、さらばよの」

 と、呟いて見えない事を良い事に風紀師団の合間をすり抜ける様に去って行ってしまう。

「どうする先輩!?」

「前方は風紀師団、後方は女性陣か。となると打開策は混乱起こすっきゃないな! それで騒ぎを起こした奴が囮になるしかない!」

「無茶ですよ恭介先輩! 囮って言ってもどうせ分断するでしょうし! そもそもそんなの無茶すぎますよ……!」

「ああ、そうだな。だから厳密には囮ではない」

「へ?」

 恭介のその言葉に日向が困惑する中で、恭介はおもむろに秀樹と頷き合う。

 そしてそっと静かに日向の双肩を互いに掴んだ。

「え? ふぇ?」

 不思議そうな表情を浮かべ二人を交互に見やる日向に対して恭介と秀樹はこう述べた。

『弦巻……お前の犠牲は忘れんッ!』

「は!? ――って、もぴろっ!?」

 次の瞬間だ! 恭介と秀樹は実に実に容赦なく――日向を後方へ目掛けて蹴り飛ばしたのである。当然の如く日向の体躯は女子勢の方へ目掛けて一気に吹っ飛んだ。

(生憎と俺の運気から言えば、事態は収束に向かいかねない)

(先輩程運気が高いわけじゃねぇが俺はどちらかと言えば巻き込まれるタイプ! 騒ぎの元凶には成り辛い)

 だが日向は違う。

 彼はその不運で――何らかの騒ぎを起こす。そう、彼らは信じたのだ。

 だが生憎と彼らの思惑は外れたかに見えた。後方へ吹き飛びながらもどうにか転ばない様に止まろうと足掻く日向は速力が落ちて女子勢の前へつんのめりながらも近づいていくが、女性勢にとって現在の彼は破廉恥野郎なのか高い悲鳴と共に左右に避けられて道を開けられる始末であった。

(あ、これ何か悲しい……)

 日向が若干目を潤ませたのは言うまでもない。

 何も起きないかに――そう、思われた。しかし、その瞬間に日向は何と信頼にこたえたのである。予期せぬ人物の登場によって。


「あーもー、さっきからやかましいわね。廊下で何走ったりしてんのよっ!」


 綺麗な明るい茶髪を陽光に煌めかせながら凛とした相貌を輝かせる一人の少女が、教室の外の騒ぎに対して注意を喚起する為にか、ガララと扉を開けて廊下に姿を現した。

 と、同時に『ばふっ』と言う柔らかな音と共に少女――新橋(シンバシ)エリカは胸元に昨日と実に類似する衝撃を体感した。

「……」

「あう……あれ、痛くない。っていうか柔らかしい良い匂い……と言うか何か覚えのある触感で凄い落ち着くけど……」

 同時に日向は顔を埋める場所が何か確かめようと手でふにふにとそれを制服越しに触れたわけだが、次第にそれが何であるか気付いて視線を上へ上方修正する。

「……」

「……」

 胸元から覗かせる中性的な顔立ちの少年、日向と視線が合った少女は急速に顔を赤らませていく。対してやはり昨日同様に少年は顔を青に変化させていく。

 そして、そんな日向に対するエリカの判断はやはりなものであった。

「あ、あああああああああ、アンタは……二度も、人の胸で何してんのよバカぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「ごめんなさごふぁっ!」

 見事なストレートパンチが日向の登頂に炸裂する。断末魔を上げて日向は廊下の床に思い切り叩きつけられた。そんな日向を見ながらエリカは胸元を片腕で抑えながら「はぁ……はぁ……何で二日続けて私ばっかぁぁぁぁぁ……!」と顔を真っ赤にしながら羞恥に染まっていた。

 そんなエリカの叫びに刹那固まっていた女子勢であったが、

「またあんな事を……!」、「今がチャンスよ、捕まえるわよ!」、「ええ!」と硬直から抜け出すと一気に日向の方へ歩を進めようとした――だが、

「――悪いんだけど」

 底冷えする様な声――誰が出したのか、と一瞬戸惑ったがそれが眼前のエリカである事を認識すると一同ぴたり足を止める。何やらゆらゆらと怒気の様なものが感じられた――それゆえの畏怖から女子達は思わず足を止めてしまっていた。

 そんな女子達に対して顔を向ける事はせず、実に冷淡な口調に怒気を孕みつつ、エリカはこう告げた。

「コイツとちょっと二人きりで話したいからさ」

 ――静かにしてもらえる? と、言う言葉を一つ残して。

「あう……え、アレ何で僕引き摺られて……あれ、エリカさ――ひっ!?」

 何やらがくがくぶるぶると震えた様子で向こうへと引き摺られていく日向。そして首根っこを押さえてずんずんと歩いて行ってしまうエリカの背中を見ながら女性陣はこう思った。

『……あの男の子……生きて帰ってこれるのかなぁ……?』

 先程とは打って変わった優しさに満ち溢れた想いに恐怖すら抱きながら、弦巻日向は新橋エリカに引きずられていく形で姿を消したのであった。

 そんな中。

 突然の叫び声に驚き、女子生徒の数故に何が起きたかを確認出来なかった風紀師団の面々ははたと気が付いて周囲を見渡して思わず頭を抱えた。

「しまった……! 今の隙に二人が逃げたぞ!」



「いやもう脱帽だわ。弦巻には」

 秀樹は感動すら覚えた様子でうんうんと頷いていた。

「全く同意見だ。まさかあそこまでトラブルを引き起こせるとはな」

 恭介も同様だ。

 まさか適当に蹴り飛ばしたら好きな女の子と衝突とは神がかり的な女運なのか悪運なのか不運なのか――まあどちらでも変わらないが。事態に一石を投じられたのは僥倖であった。

 問題なのは肝心の相手を見失ったと言う事。三階か一階か、そのどちらかであると踏むがどうするべきかと悩む二人の前に足音と共に現れる二人がいた。

「さーて、鍵森。俺を抜けられるかな?」

「陽皐君。これ以上の行動は色々大変だと思いますよ?」

 横の道から現れた二人を見て恭介と秀樹は思わず足を止めた。

沖田(オキタ)先生じゃないか。今回の一件では世話になります」

「ヘルダー先生じゃん。椋梨先生どしたの?」

 気軽な口振りで二人が接するのは恭介の担任教師沖田光弥(ミツヤ)。それに一学年の英語教師の一人である英国人ヴィンセント=デン・ヘルダーであった。ヴィンセントは普段から神父服を着用する教師であり実に目を惹く存在だが、同時に沖田先生もまた本日は目を惹く存在となっていた。何とその手には刀が握られているではないか。

「なんていうか芳城ヶ彩って銃刀法とか無いわけ?」

「安心しろ鍵森。中身はほれ、この通り――竹づくりの刀身だよ」

「椋梨先生は現在、君達絡みで奔走していますからね。友人である私が此処は、と言うところですよ、陽皐君」

「なーるほど。納得しましたよ」

 和やかな会話をやりとりした後に二人は教師二人へ問うた。

『で、そこ通してくれるんですよね?』

『それは教師として出来ないかな』

 声を揃えての返答に秀樹と恭介は即座に動いた。

(――ここで止められたら全部が終わりだ)

(どうにかすり抜ける!)

 行動は明白、二人は左右に分かれて横をすり抜ける様に走った。

 速度自体は足の速い一般人程度に過ぎないが、それでも十分に一般教師の目には速くて対応が間に合わない程度の速度は出している。けれど、

「甘いわ」

 キン――、と言う鍔鳴りが響いたと同時に恭介は肩に軽い衝撃が駆け抜けたのを実感した。同時に秀樹も掴み取られる様な威圧感を感じて一気に後ずさりしてしまう。

「惜しい。もう少しで掴められたんですが」

 そう言いながら伸ばした左手をすぐさま背中へ回すヴィンセント。

 秀樹はその様子に汗を流しながら「……今のなんすか?」と問い掛ける。

「柔術を少々」

 にこやかな笑みを浮かべてそう返すヴィンセント。

「沖田先生も……剣術出来るんすね」

「昔から一通りはな。仮にも伝説の剣士の姉の末孫だ。出来なくちゃ恥じだろ」

 トントン、と肩に刀を弾ませながら嘆息を浮かべてそう呟く。

(藤田と繋がりがあるって時点でもしかしたら程度に考えてはいたんだが沖田って――やっぱ、その沖田か……!)

 道理で剣技の才能溢れる剣閃なはずだ、と恭介は思った。

 同時にどうするかと考える。相手が教師という事もあって下手にこちらを負傷させる様な攻撃はしてこないだろうが、先程の様な剣閃で相手を押し返す妙技をみせられてはたまらない。なによりも時間が無いのだ。すぐに後続の追手が現れるだろうことは明白。

 ともすればここで時間をかけているヒマはない。

 そんな時、秀樹がふと窓の外に視線を向けてニヤリとした笑みを浮かべた。

「予想外だが……手が浮上したぜ先輩!」

「なに?」

 その意味を測り兼ね恭介も彼の視線の先へ一瞥する。

 見ればそこには――高笑いしながら疾走を遂げるキューピットの姿があった。そうキューピットは一階でも三階でもない――校舎の外へ逃げていたのだ。なお、どういうわけか手の中の下着が増量している。被害が拡大している様子である。

 ならばこれ以上は好きにはさせない。

「悪いな、先生方――どうやら行き先が変更になったらしい」

「なに? ――って、おい……」

 秀樹と共に窓枠に手を掛けて身を乗り出す二人を見て光弥は焦った様な表情を浮かべる。

「後先無いんでね――これくらい、やったらぁ!」

「ひやっほーう!」

「アホかぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 光弥の常識的な叫びを背に恭介と秀樹はなんと二階から飛び降りた。

 常人ならば怪我ですむものではない。――というわけで、常人よりも多少頑丈程度の二人は落ちたら唯ではすまない。しかし、そこは恭介と秀樹だ。一人でなく二人ならばやりようはある。恭介が秀樹を壁面へ弾き、弾かれた秀樹が恭介の手を掴みながら壁面に着地しそのまま水平な壁を「うわひゃひゃひゃひゃ!?」と怯えた奇声をあげながらダダダダダ! と、降りていき近くの芝生にダイブして前転を繰り返しすぐさま直立し駆け出す。

「やれば出来るもんだな」

「壁を走らされた俺は怖ろしくて仕方なかったけどな!」

 横の恭介の拍手に秀樹は盛大にツッコミを入れながら爆走するのだった。

 そしてそんな二人を二階から一望しながら、

「あのガキ共……なんちゅう荒技をしやがる」

「今年の学生もまた実に驚かされる限りですね、沖田先生」

「驚くっつーか、肝が冷えるだ。怪我でもされたらたまったもんじゃないぞ」

「それは言えていますね」

 ふふっとヴィンセントはおかしそうに微笑を浮かべた。

「しっかし、あーあー逃がしちまったな。さて、どうしようか」

「またまた。初めから逃がすつもりだったのでしょう? 土御門先生から内密に情報を根回しされていたと言うのに」

「何だ知ってやがったか。……まぁな、とはいえ教師である以上は騒ぎの鎮静化、面目上は果たさにゃならんわけだが……こっから先はアイツら次第よ」

「そうですね。っと、おやおや。皆さん血相変えて現れましたよ?」

「血気盛んだな全員」

 地鳴りの様に走ってくる恭介達の追手を見ながら窓枠に肘を乗せて光弥は嘆息交じりに言葉を発した。恭介達が撒いたはいいが、あの怒涛振りではすぐに追いつかれてしまいそうだが、流石に抑制も無理そうだ。

「では、ここは私が少しだけこっそりと」

 人差し指を口に当てながらヴィンセントは優雅に微笑む。

 なんとなく嫌な予感がしながらも止める理由もないので光弥は傍観する事にした。何をするのかは大方想像つくからだ。そんな事に呆れを零しながら「さーて、どうなっかね」と無責任な態度で光弥は空を見上げるばかりであった。


        2


 弦巻日向が新橋エリカに連れて来られた場所は空き教室の一部屋であった。

 その場所では床に正座させられた日向を上から厳しい眼差しで見下ろすエリカの姿があった。その表情には怒りが如実に見て取れる。

「とりあえず」

 エリカは一拍置いて。

「――何かいう事はあるかしら?」

 そのエリカの言葉に日向はただただしょぼんと沈みながら「……ごめんなさい」と小さく声を発する。その様にエリカは怒りマークを浮かべながらも「はぁ」と嘆息を発した後にぐっと拳を握り緊める。

 そして――、

「歯を食い縛りなさい」

「え――ぎゃふん!」

 ゴン! と、再び頭頂に激しい打撃音が鳴り響く。ぐわんぐわんという衝撃に揺さぶられ、頭にたんこぶが二つ生誕した為に日向は頭を抑えて涙目で呻く。

「……一応、前回の事も今回の事もそれで手打ちって事にしといてあげるわ」

「……え」

 日向はそう言われて一瞬痛みすら忘れながら、

「いーんですか……?」

 と、心配そうに問い掛けた。

「いいの! 延々とそれを謝られたら私の方がたまったもんじゃないんだからっ!」

 エリカは顔を赤らめながらそう叫ぶ。

 そしてそれは本心であった。謝られる度にあの事を思いだすなどとてもではないが恥ずかしくてやっていけるものではない。

「で、でも、それだけじゃ……!」

 それだけで話が終わり、とするにはいくらなんでも根拠が弱いと日向は思った。

 そんな日向の様子にエリカはちらりと一瞥した後にこう語りだした。

「アンタさ。朝に言ってたでしょ?」

「朝……」

「そ、朝一番で私に逢った時に。『変な奴を追い掛けて誤って入ってしまって』ってさ」

 確かに記憶にあった。日向は事件を起こした後に捕縛されたので放課後までその状態が続きエリカに弁明出来たのは朝になってようやくだったのだ。それまでは意識を失っていたのも災いしたと言える。

 しかし、話はしたが……。

「……その事信じてくれるんですか?」

 なにせ相手は『見えなかった』のだ。

 見えているのも日向達三名のみ。それでどうして、と日向は思ったが。

「……見えてたの」

「え?」

「だから。見えてたのよ! 他の子は何でか見えてなかったみたいだけどね。私はあの時扉開けて一気に入ってくる怪しい奴見えてたのよ。なのに皆そっちに意識向けてなくて私だけが目で追ってたみたいね」

「そうだったんですか!?」

「ええ。それで何事よって感じになってたら、次に飛び込んでくる奴がいて、それに気付いて振り向いたら……ああ、もう……!」

 そこまで言い掛けてエリカが急速に真っ赤になっていく。

 そんなエリカを見て思わず可愛い、と思う日向であったが、同時に得心がいく。道理で彼女は振り向き様にこちらを見たはずだ。先に一人入ったのを気付いていたからこその反応であったというわけになるのだろう。

(そう言えば土御門先生、訊いた際に暗に一人だけ見えていた風な事を言っていたけど、もしかしてそれがエリカさんって事か……?)

 話したか話していないかはわからないが、あの先生なら洞察力でそこの判断が出来そうなきもしてくる。何にしてもエリカが見えていた言うのは一縷の希望の光と成り得た。

「ともかく、アンタが悪意なく入ってきたってのは……まあ、認めてあげるわよ」

「エリカさん……!」

 感激で嬉しそうに日向は破顔した。

 その顔を見ながらエリカは一瞬微笑むがすぐに頬を染めつつむっとした表情を浮かべる。

「けどね。私にあんな事したのはまだ許してやらないからね?」

「え?」

「だ、だから……抱き着いた事……!」

 後半にかけて尻すぼみになりながらもエリカは鋭い眼差しでそう告げた。

 日向はそれを訊いて赤くなりながらも「……はい」と小さく頷いて返す。

 確かに下着姿の女子に抱き着いたなんてそうそう簡単に許してもらえる事では無いし、なによりも二度目までしてしまった。怒り再燃である。

「……そう言えばどうして、エリカさん僕を此処へ連れてきたんですか?」

 ふと、そこで日向は気になった事を問い掛けてみた。

 エリカは「それはまあ……」と髪をいじりながらも返答する。

「だって、そりゃ今みたいな話人に聞かれるの恥ずかしいし……」

「あ、で、ですよね」

 しまった、と日向は思った。

 恥ずかしさを再燃させてしまいかねない。けれどその後の言葉を訊いて思わず心打たれる日向であった。

「それと……前日みたく、タコ殴りは可哀そうだからね、流石に」

「え……」

「怪我人とか関係なくよ? あんだけ殴られるのは流石にアレかなって、だけだからね、うん」

 早口でそうまくしたてるとエリカはツンとそっぽむく。

 対する日向はその優しさに思わず笑みを浮かべざる得ない。

 殴られ過ぎは可哀そうだから、で殴られない様に怒気で周囲を怯ませて、ここへ連行してくれた彼女の思いやりであった。それを感じて「やっぱりエリカさん優しいですよね」と嬉しげに呟くとエリカは「知らないわよっ」と反発するも顔が仄かに赤かった。

「ま、ともかくアレね。この更衣室に入った事は水に流すから、それでいいわね? 今後は度々謝らない事。オーケー?」

「オーケーです!」

 その言葉を訊くと満足げに頷いてエリカは踵を返して歩き出す。

「そ、じゃあ私は教室戻るから。ああ、それと――」

 だが、ふと足を止めて軽く振り向いてこう告げた。

「私にした事は忘れなさいよね!  私も忘れてあげるから」

 恥ずかしそうに頬を朱に染めてエリカは語気を強めた。

 しかし、日向の反応は彼女の予想を大きく逸れる。

「あ、えと、それは嫌です。……忘れないとダメなんですか?」

 と。

 その言葉にエリカは「は?」と疑問を浮かべて、

「いや、何でよ、忘れなさいよあんなこと……!」

「忘れたくないですし、忘れるの無理ですよ……!」

 ふるふると顔を真っ赤にしながら首を振るのでエリカは「なんでよ?」と語気を荒げて問い質すが、それが彼女の羞恥を更に煽るとは夢にも思わなかった話である。


「だって……エリカさんの胸、大きくてやわらかくてあたたかくて……その、抱き着けたの嬉しくないかって言われると嬉しい気持ちが大きくて……」


 顔を真っ赤に染めながらそう述べる日向は「あ、でもですね!」と弁明する様に顔を上げると「当然、罪悪感も凄いんです。酷い事したってわかってるんですけど、ああなった事が嬉しくなかったってなると嘘っていうか……ああ、もう、その気持ち良かったと言うか……!」と弁明なんだかなんなんだかわからない事を述べ始めた。

 それを訊いてエリカは羞恥と怒りに顔を染めながら、

「あ、アンタはバカかっ! 普通、感想とか言わないからねこういう時!? 何を語ってんのよ感想とかいらないってば!」

 自分の胸元を思わず抱きかかえながらエリカは顔を真っ赤にする。

「す、すみません……! け、けど、だから忘れられないっていうか――」

「し、知らないわよ、もう!」

 プィッと赤くなった顔を逸らしてエリカは怒鳴る。

 素直だとは知っていた。知っていたが――、

(なにこの辱しめみたいな状況は……ああ、もうこのバカが……!)

 怒鳴ろうにもここで言っても泥沼の如く謝罪と怒り合戦になる気がしてエリカは思わず内心で地団太を踏んだ。忘れさせようにも忘れないだろう。

 と、すれば――、

「なら妥協案よ!」

 ビシッと日向を指でさしてエリカは自棄っぱち気味に告げる。

「忘れなくてもいいからせめて、記憶から掘り起こさないこと! 特に私の前ではね! いい!? それが最大限譲歩なんだからね、わかった!?」

「わ、わかりました!」

 怒涛の勢いでそう告げるエリカの言葉に日向は数回うんうんと頷いて返す。

 エリカは頭を片手で抑えながら「あぁぁぁぁ……」と言う何やら行き場のない呻きを発していたが、流石は1-Dの委員長、少ししてから切り替えたのか頬はまだ若干赤いままであったが日向を見やる。

「じゃ、じゃあ私は行くからね」

「あ、はい。授業頑張ってください」

 ぎこちないながらも互いに挨拶する――が、

「いや、アンタも授業でなさいっての」

 さりげなく送る日向に対してむっと不満をあらわにする。基本真面目な少女だ。

「え、でも僕今は犯人追っていまして……」

「犯人? ……ああ、そういう事だから騒がしかったわけか……へぇ」

 何故かゆらりと怒気がゆらめいた。

 自分が散々被害あった元凶が二度とも同じ相手と知って羞恥と憤怒が再燃した様子だ。

「それで? その犯人を追い掛けるわけ?」

「いえ、状況がエリカさんのおかげで変わりましたから。僕はこのまま別行動を取る事になりそうですね」

「……どういう意味よ?」

 不思議そうな表情を浮かべるエリカに対して日向は「えっとですね」と呟いて、

「この作戦をやる前に決めていたんですよ。『――誰かが捕まってリタイアするみたいな形になったとしたらその時は意地でも奮起してもう片方を攻め落とせ』って恭介に」

 そう。それが恭介が作戦前に告げた一言であった。

 自分達がこの状況を生み出せば、必ず周囲は日向達を追い掛ける。そうすれば周囲の意識は確実に自分達に向けられ身動き取れない形となると。

 だからこそのチャンスだ。

 その状態で一番初めにリタイアした奴が別行動で別働隊を打ち崩す。それが恭介の告げた一言であった。だからこそ日向はマイクを近づけてこう告げる。

「こちら『ホトトギス』、こちら『ホトトギス』。僕を蹴り飛ばしたお二人さんどーぞ」

「こちら『シャイニング』。悪かったよ。どうぞ」

「こちら『ヴァルト』だ。すまなかったな、荒療治で。けど、無事そうじゃないかやっといて何だが安心したぜ。――それで? いけそうなのか?」

「はい。そちらは?」

「順調だ。だからこっちは任せておけ。だからそっちは――任せるぜ『ホトトギス』」

「了解です。『シャイニング』と『ヴァルト』も頑張ってください。では」

 その通話を最後に日向は眼光を鋭くさせる。

 そんな様にエリカは「……なに今の?」と不審そうな表情を見せた。

「うーんと……秘密組織ごっこですかねっ。結構楽しくなってきました!」

「アンタね……」

 キラキラ笑顔で告げる日向にエリカは呆れた様な笑みを零す。

「ま、何にせよそっちに行くってわけね。けど、別の犯人って何なのよ?」

「それはその……」

 日向はしばし沈黙したが、やがて、エリカに向けて語った。エリカは「そっか」と呟いた後に表情を引き締める。

「なら、私も行くわよ。そっちも相当悪質みたいだし――何より、心当たり出てきたしね」


        3


「オパパパパ……、真に驚いたわい。ここまで粘り強く追い掛けてこようとはのう」

 校舎から出たシラヅキのグラウンドの一つ。最もシラヅキの傍にある校庭で多少肩を上下させながらキューピットはしっかりと追い掛けてきた秀樹と恭介に対して称賛を送りながらも不敵な笑みは絶やさずにいた。

 その笑みから受け取れるのは自分が捕まる事は無いと言う自信の表れであろう。

 事実ここへ至るまでに恭介達は一度もキューピットに触れられていないのだから。

 だが、

「いつまでその不遜な態度が出来ていられるのか楽しみな限りだ」

「ふふん、侮るでないわ。ワシは死の間際まで不遜な態度で酒池肉林を志す――そう心に誓いを立てておるでの。我が正義は性技と共にあり!」

「どうしよう、一周廻って格好よく見えてきやがった……!」

「恭介先輩、感化されんなよ!? 捕まえないとなんだからよ!」

「別に捕まえなくてもよいではないか? 周囲からの蔑みの視線を三年間浴びて過ごす学院生活――それはそれでよくはないか?」

「いい笑顔で言ってるんじゃねぇよ! それもう目覚めたか諦観の姿勢だろ!」

「ふむ、それも一興ではあるが……」

「せんぱぁい!?」

 ゴーン、とショックを受ける秀樹を隣に恭介はおもむろに拳を握り緊めた。

 そして視線をしかとキューピットへと定めて彼は告げる。

「悪いが、立場が執事だとか従僕だとかである奴らなんでな――風評が俺だけでない以上はそんな選択肢は許容出来ないんだ」

「なるほど。仕える者の在り方故にか」

「ああ。だからここからは本気で行くぜ?」

「先程の跳刻は本気では無かったと?」

「さて、どうだろうな」

 恭介は不敵に笑ってみせた。

 実際は跳刻と言う瞬間的移動技術に関して言えば先の速度と練度でしかない。その事からアレで捉えるのは難しいだろう。だが、先程と今では違う。

「俺はともかく――お前はさっきと同じでいけるかな?」

「……オパパパ、言いおるわい」

 何故だか楽しげな表情すら浮かべてキューピットはその言葉に返答する。

「確かにワシはとりたてて持久力に優れておるわけではないからの。より厳密には燃費が悪いと言う辺りかの。故に、先までとは明らかに身体性能が落ちている事であろう」

「マジか……!」

「やはりな。そうだと思ったさ」

 冷静にそう認識出来ていた恭介の様子に秀樹は驚いて思わず問い掛けた。

「何でわかったんだ恭介先輩? アイツが持久戦に弱いって」

「持久戦と言うより燃費だが……、そりゃあわかるさ。なんたって……」

 恭介はそこで遠い目をしながら、

「アイツ、俺達に追われながらパンツめくったり、下着奪ったり、高笑いしながらで駆け抜けていったんだぜ? そりゃあ息も切れるさ……」

「オパパ……興奮しすぎたのが仇になった様だのう」

「すっごい訊きたくない真実だったのだけはわかった」

 要は女子の艶姿を見て興奮し体力を使い過ぎただけである。

 そりゃあ恭介も遠い目で話すわけだ、と秀樹は思わざる得なかった。

「まあ過程と理由は下らない感じになったが俺としては好都合だよ。ここで一気に決めてかかる――それだけだ」

「大見栄きるはいいが、果たしてヌシにそれが出来るかのう?」

「やってやるさ。まずはそうだな――」

 瞬間、恭介はあの時同様に足に爆発的な力を込め大地を蹴った。

「――お前のその『見えない』を打ち崩すとしようっ」

(跳刻か!)

 着地点の大きな音と砂埃を背にそれを理解したキューピットは先程同様に身を屈ませて、一気に前へと疾走しようとする。だが、恭介はそれを許さない。

「もういっちょ!」

「むっ……!」

 跳刻二連。

 連続での使用に余裕を浮かべていたキューピットは「やるのう」と不敵な笑みを崩さないまでの今までとは違い躱す形とはならず、両腕で恭介の繰り出した右拳を防ぐ。衝撃が駆け抜け地面を土埃と共に後ずさりするも大したダメージとはならなかった様だ。

「オパパパ……見える奴も稀だが、ワシにパンチを当てたのも愉快だのう!」

「痛快ぶっていていいのか? 今のお前は今までみたく『見えない』わけじゃねぇんだろ?」

「オパ?」

 きょとんとした様子を浮かべ恭介を見る。

 だが次いでキューピットは楽しそうに笑い声を零し始めた。

「おうおう、おうともさ。何と見抜けたかヌシは」

「大方はな。そもそも『見えない』なんて現象が起きている時点で考えうるのは超常の左様ってのが相場だろう? 経験上『定式知らず』って連中の可能性も考慮したが、弦巻の話を聞いてそれは違うとお前が断言している。――となれば、ここはファンタジックに言って何らかの術が絡んでると俺は見た」

「ほほう。その口振りではヌシ、存外色々と関与してきたな?」

「まあな。それでもここ最近は嫌になるくらいで困ってるが」

「オパ、それは仕方ない事よ」

「……なに?」

 恭介は思わず柳眉をしかめた。キューピットはさも当然、と言う様に笑みを浮かべているのが何故だろう何処か胸騒ぎの様に感じられたのだ。

「さて。先の問いに親切心で答えてしんぜよう。その通り、ヌシが先程破ったのはワシの用いる周囲の認識阻害の術式よ。名は『庇護者の抱擁(スクセルプマ・ムリーサ)』。ワシのお気に入りじゃ」

「へぇ、そんなものがあるとは驚いたな。で、解除方法は大方『意識的に使用者へ一定のダメージを叩き込む』ってところか?」

「そういう事になるかのう。認識できぬ者を認識できる者が現れればそれはもう、変化を維持する事は出来ぬと言う事よ」

 故にキューピットは逃走の際に極力攻撃を受ける事を避けてきた。

 日向の繰り出す連撃もいなす形で対処し、その後の恭介の蹴りもひらりと躱した。その行動は一重に認識阻害の恩恵が消えると言う解除条件に合致する為のものである。

「中々聡い小僧よ」

「お褒めに預かり光栄だよ。そして――どうやら後続の方々のお出ましの様だ」

 恭介が軽く視線を向けた先――その方向から多数の人影が現れた。彼がまいてきた風紀師団その他の面々である。彼らは「待て、鍵森――――!」、「陽皐見つけたぞ!」と声だかに叫びながらやってきた。

 そして恭介はそんな面子を視認した後に、

「捕まえようってんなら大人しく捕まってやるさ。だが、そこのソイツ――真犯人も一緒なら、だけどな」

 軽くウインクをしつつ、指でキューピットを示す。

「む」

 キューピットが眉をしかめる様な様子を浮かべながらも「仕方あるまいのう。ヌシの健闘を讃えるとでもしよう」と楽しそうに苦笑を零した。

「サンキュ」

「どういたしましてというとこかの」

 オパパパパ、と独特の笑い声を零した後にキューピットは向けられる視線――「何か怪しい奴がいるぞ!」、「マジだどう見ても怪しい奴だ!」、「って言うか下着持ってるし!」と言った見物客の声を耳にしながら高らかに笑う。

「オーッパッパッパ! 実に痛快と言おうか! ワシをここまで追い込む奴も久方ぶりよ――全力でないにせよ、中々に愉快! なればこそ――」

 その声と共にキューピットはバッと着ているローブを勢いよく脱ぎ捨てた。

「性天使キューピット=アルルの名を威風堂々此処に名乗らん! 我こそは変質者なり!」

 まず恭介が驚いた事――それは口上が何処からツッコミを入れればいいのか――と言う事もそうだが、その容姿であった。

 小柄な体躯とその声から大方の想像は出来ていたがやはりそれは少女だった。

 年齢としてみればおそらくは13かそこら。

 ピンク色の瞳と同色のストレートヘア―を持った日本人離れした容姿。西洋人形の如き愛らしさを持った容貌。桃色のチュニックとロングスカートは余裕が大きい様でゆったりとした印象である。着ている服装の特徴からどことなく古代ローマ人を連想させるものがあった。

「……ふむ、やはり少女か」

「ふむ、気付いておらんわけではなかった様だな」

「当然だ。そして悪いが手加減はしないぜ?」

「しなくてよい。されたならば憤慨に駆られるところでの。だがヌシ――」

 相も変わらずの余裕を浮かべていたキューピットはそこで言葉を区切り、途端眼光に鋭さをを浮かべた。

「全開でないまでも本領を出すワシをどうにか出来るかのう!」

「やってやらぁ……!」

 途端にキューピットから放たれる威圧感。

 ビリビリとした気迫の中で恭介は負けまいと拳を構える。

「行くぞ、皆! 例え相手が少女だからって手を抜くな! 相手は下着泥棒だ!」、「最大限、怪我だけはさせない様に務めろよ!」、『おお!』

 そんな中で、シラヅキ所属の風紀委員達が勇気を出してキューピットへ突撃を開始した。

「お、おい、相手厄介だぞ!」

 秀樹が声を張り上げて止めようとする。

「わかっているさそんな事!」

 メガネをかけた黒髪の少年がその声に応じた。

「鍵森に手古摺った俺達が鍵森を手古摺らせる相手をどうにか出来るわけなんざないって!」

 ぼさぼさ髪の少年が悔しそうに歯噛みしながらも前を駆け抜けていく。

「それでも俺達は学院の治安を守るって決めてやってるんだ!」

 短髪のイケメンが風紀の二文字を背負って走る。

「私達が臆して誰がやるというのですか!」

 長い黒髪を翻しながら優美な顔立ちの少女が前へと踏み出し決意を露わにする。

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』

「なにこいつらの格好よさ!?」

 ドドドド! と、土埃を巻き上げながらキューピットへ進撃する面々の男らしさに秀樹は感激すら覚えた。恭介は「ははは、シラヅキの生徒も舐められねーよなー」と左右を通り抜けていく生徒達を見据えながら楽しそうに微笑を浮かべて破顔する。

 そんな彼ら彼女らを前にキューピットは最高の笑顔で答える。

「天晴れな心意気よ! その勇猛ぶり余喜に計らわずして何が性天使か! よかろう、その気迫に免じてワシも相応の意思を持って相手しんぜようぞ!」

「どうでもいいけどアイツの男前ぶりも何なんだ……」

 秀樹がもう頭を抑え呻く様に言った。

 もう何がどうなっても混乱しない――そう思う程に。だがその意識は次の彼女の行動で一遍に様変わりする事となった。迫る風紀師団の面々を前に厳かにキューピットは言葉を紡いだ。

「さて、何名が逃れられるかのう――ベネディクトゥス・ウルガータ!」

 瞬間に彼女の雰囲気が、気迫が何処となく神聖なものに変わったかの様に恭介は感じた。

 何だ? と、訝しむ恭介を余所にキューピットは迫る生徒の進撃に対して跳躍し回避してみせながら小声で更に言葉を紡ぎ出していく。

真なる意味で闊歩せし(エヒト・エスルオック・)恋路は常道にして(フォー・エルト・イーヴォル・)茨の柵の如くに(レーヴェン・ディド・)獣道と心得よ(ヌル・アッカトゥムス)――」

 紡ぎだされた言葉から恭介はまるで詠唱の様だ――と、そう思ったところで気付く。これは何らかの超常の力であると。それが何なのかまでは流石にわからない。だが、それでも理解しえるのは出されたら拙いと言う事実か。

「お前ら! 何か来るぞ注意しろ――」

 その声が生徒達に届くよりも先にキューピットは最後の文言にて世界を紡ぐ。

「――『愛憎苛みし捕縛の戒め(メーヌフ・シタティラック)』!」

 途端に巻き起こった光景は秀樹の眼にも明らかな驚愕の代物であった。


        4


 校庭が普段とは別種の形で賑わいを見せる最中。

 対照的に静けさを抱く場所があった。そこが何処なのかと言えば教職員室から数部屋離れた資料保管庫の一室であり、普段と変わらずシンとした本や書類に溢れた場所である。

 だが今は何やらガサガサとした物音が響いていた。

「あったか?」

「いや、ない! そ、そっちはどうなんだよ!」

 小声だが聞き取る限りは、明らかに動揺している様で大慌て、大急ぎで何かを探している様子であった。

「どこなんだよ……! ここで視聴するって話じゃなかったのかよ!」

「確かにここで視るって訊いてたんだがな……何故だ」

「何故だ、じゃないよ! どうすんのさ!」

 声は若い。その声の主は地団太を踏む様に焦りを見せながら。

「何時騒ぎが収まるとも知れないんだ! 教員の目が鍵森たちに向く今しか無いんだぞ! 折角、鍵森たちが昼休み何か行動起こそうとしてたから五限目もすっとばしてこうして探ってんのにさ! 何でどこにもないんだよ!」

「わかってんよそんなこと! でもな……」

「でも……なんだよ?」

 不思議そうな声をあげる少年に対してもう一人の人物は何処か震えた声で。

「いや、よく考えると……視聴するって事は、今から視聴するって事でつまりテーブルの上とかに置かれてあって然りなものなわけで……それがこんだけ探して無いって事はひょっとすると……」

「ひょっとすると?」

 未だ事態が呑み込めていない少年に対してその人物は震える声で呟いた。

「……誘導されたんじゃねぇかなって感じに?」

「……え?」

 少年が茫然とした表情を浮かべたその時だ。

 後方のドアが開く音と同時に彼らが姿を現したのは。

「大当たりですよ」

 優しさすら感じる柔和な声。

 だが今の二人はその声を訊きながらビクゥ! と、体を震わせた。

「よーやく、捕えましたよ……。まあ、犯人が犯人なので喜び辛いですけど」

 肩を落として苦笑を浮かべる少年の後ろから「そうね」と冷淡な声を零しながら綺麗な茶髪を煌めかせて少女もまた顔を出し仁王立ちで彼らを睨む。

「盗撮犯――アンタらだったわけね?」

 一拍の隙間を置いて彼女は告げた。

波高島(ハダカジマ)、それに祝島(イワイシマ)

 パチン、と壁際のスイッチが押されて部屋に明るい照明が輝いた。

 するとそこにいたのは二人にとって見覚えのある両名の姿があった。

「まさかクラスメイトと言うオチとは……椋梨先生に凄い迷惑かけそうです」

 そう、彼らは二人のクラスメイトだった。

 波高島紋次郎(モンジロウ)に祝島仁寿(ジンジュ)

「全くよ。教室から急に『腹が痛いから保健室へ』って消えていったのが気がかりで、さっきの弦巻の証言と照らし合わせて嫌な予感はしていたんだけどね。ただ弦巻、冤罪とはいえアンタだって……」

「あう……」

 じろり、とエリカの目に睨まれて「すみません」と縮こまる日向。

「まあ、何にせよ――説教してやんないと、これはいけないでしょうね」

 背後にゴゴゴゴ……! と、仁王の如き怒りのオーラを放ちながらエリカは二人を睨みつける。その様子に「ひぃ!?」と涙を浮かべる二名。心なしか日向も冷や汗を浮かべていた。

「ま、待つんだ! 怒るなら波高島だけにすべきだ! 僕は唆されただけで!」

「なっ!? 裏切んなよ祝島! 俺がやってるところにお前勝手に便乗してきたじゃん!」

「し、知らないな! ぼ、僕はアレさ。盗撮しようとしているお前を見つけて天誅を下してやろうとしたところに偶然陽皐が来て巻き添えにされただけで!」

「嘘つくな! そもそも盗撮じゃなくてだな……ともかく居合わせはしたけど興味津々で来たじゃん! その後、コピーよろしく言ってたじゃんか! 陽皐に関しては助けられたけどさ!」

「ねぇ、アンタたち」

『え?』

 眼前で互いに擦り付け合う様な二人に向かってエリカは一言こう断じた。

「いい加減にしなさい」

 メラメラと怒りに燃える彼女に二人は怯えでがくがくと震えをヒートアップさせていく。

 いったい何が彼女をここまで怒らせているのか――それは後方で「エリカさん凄いなー」と呑気に佇んでいる現在、二度にわたり彼女に事故で抱き着いた経歴を持つ弦巻日向に他ならない。本人が事故だったり、なんか恥ずかしい事言ったりで怒りのやり場がもうどこだかwかあらないエリカの憤怒はいよいよクラスメイト二人が犯人だった、という事実で堪忍袋の緒が切れたと言う形に行きついたのである。

「く、くそう!」

 そんなエリカに対する恐怖からか祝島は涙目で木刀を握り緊めた。

 燃える木刀こと『柳煤竹』である。

「お、おい祝島! それは行き過ぎだって!」

 紋次郎が大声で制止に入ろうとするが、紋次郎は動転しているのか「た、たわぁあああ!」と言う珍妙な掛け声と共に木刀を振り抜こうとする。あんまりにも見え見えな剣閃故にエリカ程の武芸者になれば見切れないわけではないが。

「エリカさん!」

「ちょっ、弦巻!?」

 寸前で前方に滑り込んだ日向の存在で木刀を受け止めると言う選択肢は消滅してしまった。脳内では食堂でラーメンを落とし掛けた際の記憶が連想される中で日向が杖で木刀を阻もうとする最中――。


「御安心を。お手をこれ以上は煩わさせませぬ故に」


 ピン、と一本張った渋い声と共に日向は杖が途中で停止している事に気付いた。

「……え?」

 そして見れば仁寿も同様であった。

 振りかぶった木刀が見事に空中で静止している。まるで何かに停止を余儀なくされたかの様に空中でその躍動は見る影もなく霧散しており、発火も掻き消されている状態だ。

「……なんで?」

 日向が疑問符を浮かべる中で、後方から何やらコツンと言う足音が響く。

「あ」

 仁寿が口元をひくつかせた。

「やれやれなのん。ようやく尻尾みせたのん」

 その人物は小柄な少女――おそらくは中学生程度の年齢。

「うきゅー♪」

 中等部の子供が何故ここに思うのもそうだが、それ以上に隣を浮遊している生物に対して思わず日向は疑問を浮かべた。

(……イルカ?)(イルカ……よね?)

 イルカにしか見えないが空中を漂うその生物を何と捉えればいいのか。

 いや、いまはそれはいい。問題は何故この少女がここに絡んでくるのかだ。

「ロドン」

 少女の声に闇夜に紛れていた声の主が呼応した。

「――ここに」

 その声の在り処に思わず日向は驚いた。

 丁度日向の左側に数歩離れた場所だったのだ。両腕を交差させた状態で薔薇の装飾が施されたマスクを着用した老紳士――否、老執事がそこにはいた。

「何時から……?」

「なに、お気に召されますな」

 柔和な、人が見ていて安らぐ微笑を浮かべながらロドンは日向とエリカを交互に見やり、

「ともあれ、お怪我をさせずして本当に良かった」

 と、優しい言葉を投げ掛けた。

「えーっと……すいません、貴方たちは誰なのかしら……?」

 エリカがそっと日向の背中側から彼の右隣付近へ移動しつつ声を発した。

 その声にイルカをつれた少女が答える。

「私は祝島ベアトリクス。こっちの子は飛び魚のふなずしなのん」

(飛び魚だったのか……!)(いやいや、飛び魚ってないでしょ! 飛び魚ってもっと魚なやつであって、どう見てもイルカなやつが飛び魚なわけないでしょ! と言うかどうしてこのイルカ浮遊してんのよ!? 何があって空中に浮かんでるわけ!? 科学部のロボットか何かなんじゃないわよね!?)

 素直に信じた少年とツッコミ気質な少女を余所にベアトリクスは更に続ける。

「で、そっちの仮面の執事は私の専属なのん。ロドン」

「祝島ベアトリクス様の専属執事――名をマスク・ド・ロドンと申し上げます。どうぞ、お見知りおきくださいませ」

 そのままの姿勢で恭しく首を下げるロドン。

「で、最後に……」

 ベアトリクスはじとーっとした視線を仁寿へと向けた。

「今回の盗撮関係に関与した我が義兄のエロ小僧なのん」

「ベアトリクス! 兄に向って何だその口のきき方は! くそー!」

 涙目で何か身動きとろうとする仁寿だがどうやら完全に動けないらしく、その場でただただ叫ぶしかない醜態を晒している。

「そ、そもそも何でお前達が……!」

「はぁ。仁寿が何かしでかそうとしていると薄が言うから中等部からわざわざ出向いたに決まっているのん。前回も、今回も」

「な……! は、(ハク)のバカぁ!」

(薄?)(薄?)

 日向とエリカが『薄』って何? とばかりに首を傾げるが当然わかるわけもない。

「何にせよここまでなのん。祝島家として仁寿の醜態をこれ以上、野放しにしておくわけにいかないから……大人しくついてくるのん」

「ま、待って……! どうか、父さんには内密に……!」

「生憎とお父様はすでに周知の上なのん」

奉賀(ホウガ)様は『いやっふふふ。じーんじゅくーんも男の子だからねぇ。女子高生の下着姿に興奮しちゃったーんだろーうねーえ』と楽しげに笑っておいででした」

「ロドン、それ本当か!? な、ならお仕置きとかは……!」

「ですが『バレちゃった以上はじーんじゅくーんにもお仕置きしておかないとダーミだよねぇ』と言われており、宮王丸(ミヤオウマル)も『仁寿。帰ったら折檻だ』と般若の如き表情で告げております」

「助けてぇえええええええええええええええええええええええ!」

「見苦しい限りなのん」

 ベアトリクスはそう言いながらロドンに指図する。

 ロドンはかしこまりました、と呟いた後に身動き取れない仁寿を担ぎ上げておもむろに歩き始めた。そして去り際にベアトリクスがこう告げる。

「今回は多大な迷惑をかけて申し訳ない限りだったのん。処分は甘んじて受けさせてもらうと学院側には伝えておくの。当家でも責任もって折檻をするので……どうかしらのん?」

「あ、ええと……」

 日向は迷いながらもちらりと仁寿を一瞥する。

「……」

 涙目でふるふると首を振って返された。

「よろしくお願いします♪」

 笑顔で全て任せた。

「任せておいてなのん」

 同じく笑顔で了承した。

「弦巻ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 人でなしぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 そんなお前が言うなと言う感じの言葉を残して祝島仁寿。

 登場も退場も何とも情けない形で去っていくのであった。

「……しかし祝島君、散々格好つけたりしてましたけど結局何だったんでしょうか?」

「さあね。大方、盗撮に加担してたのバレ無い様に陽皐達を貶める事で株でも上げようって魂胆だったんじゃないかしらね? 食堂でもいやにつっかかってたしね」

 所詮、推論だけどね、とエリカはそう付け加える。

 あり得る気がしないでもないが確かに推論だ。後は他に人に任せるのが賢明だろう。日向はそう考えた。

「さて」

 そして。

「本題は終わってませんからね」

「ええ」

 日向の言葉にエリカが頷いて視線をもう一人の下手人、紋次郎の方へ移す。

「……てへぺろ☆」

「殴られたい?」

「……すいません、許してください、ごめんなさい」

 エリカが冷徹な声でそう告げると物凄く低姿勢で謝罪を述べた。

「……で、どうしてこんな事をしでかしたわけよ? まあ、アンタの事は知ってるからやりそうっちゃやりそうなんだけどさ」

「波高島君ですしね……」

「うっ。し、視線の意味は分かるが、訊いてくれよう……!」

 まるでサルの様な顔立ちの少年、波高島紋次郎。

 通称『スケベザル』とまで呼ばれる彼はその通りにエロに生きる男であった。サービスショットを常日頃に狙うその姿勢はクラスの男子のみならず一学年の男子達のある意味のヒーロー。

 学院の美少女の写真も大量に激写している問題児だ。

 無論、教師勢が注視していないわけもなく、度々ネガを粉砕されている上に指導室送りになった経歴も持つわけだが……。

「それでも盗撮はダメですよ、波高島君」

「アンタね。退学になりたいの?」

「いやいや、だから訊いてくれって! 俺も盗撮まではしようとは思ってないっての! そ、そりゃあパンチラとか? ブラチラとか? そこらへんは狙ってるけどさ――ああ、ごめんなさい委員長その拳を収めて!?」

「それで? 本意じゃないとしたら何がどうしてこうなったのよ?」

「あー……まあ、仕方ないから話すんだけどさ」

 そこからは若干頭の痛くなる話であった。

 何でも上り詰めると学院に存在する特殊な裏組織みたいのがあるらしく、そこで可愛い女生徒や美人教師の写真が人気を博しているらしく(※ただし波高島曰く「教師勢が優秀過ぎるから適度に健全な写真以外は絶対に出回らない」とのこと)、それを買い求める男子生徒も結構いるらしい。しかし今回はそれに我慢できず、盗撮写真を狙った集団がいた様で、それに対して健全な写真でないと大義を失うと言う理念があるらしい派閥により命を受けた波高島が隠したとされるカメラの回収に回されたそうだ。そしてどうにか発見し回収はしたがまさかの壁の中に減り込んでいる代物だった故に穴が目立ってしまい壁と同色のシールで一旦隠そうと足掻くも中々張り付かない素材で出来ていた為に苦難しているところに秀樹が登場したそうだ。

「……で、捕まるとヤバイから思わず逃げ出そうとした、と?」

「大体そんな感じだな!」

 エリカが頭を抑えながら呟いた。

「何でしょうか、その変な組織……」

「犯罪集団か変態集団のどっちかには違いないわよ……」

「ですよね……」

 芳城ヶ彩は広大だ。

 よって通常とは異なる形も多数存在するが……やはり変な輩も点在するらしい。

「まあ、可愛い女の子の写真が欲しいって気持ちはわからなくもないですが……アイドルじゃないんですから写真はどうなんでしょうか?」

「弦巻はわかってねぇな。そう言う写真に燃えるものがあるんだぜ!」

「ただの犯罪を誇るんじゃないわよ!」

 あはは、と苦笑を浮かべる日向であったがふと気になって問い掛けた。

「可愛い女の子で言えば、エリカさんのはあったりしないでしょうね?」

「いや、何で可愛い女の子で言えば私が出てきた!?」

「新橋のは激レアって言うか流通自体してねぇぜ?」

「訊きなさいよ! ああ、でも無いんだ良かった……! ま、当然だけど」

 当然と言うがエリカは至高の美少女だ。

 日向はそう思うから心配になって訊いたのがどうやら無いらしい。

「いやぁ……新橋を狙うともれなく、学院最強のメイドが動くってんで不可能でな……」

「メイド?」

 日向は思わず小首を傾げた。対するエリカはなるほどとばかりに納得の表情を浮かべているがどういう事なのかよくわからない。

 まあ、何にせよ……。

「要は波高島君は盗撮カメラの回収に向かっていたってわけだったんですね」

「そうそう、そゆこと! だから、な? 許してくれてもよくない?」

「そーですねー」

 日向はうーんと考える素振りを見せた後に、

「回収だけですよね?」

「へ?」

「いえ、ですから……」

 日向はにっこり微笑みながら、

「回収した後に何が映ってるかこっそりダビングしたりとかは考えてませんよねーって話なんですけれど♪」

「…………」

 平静を装っているが隠しきれぬ汗がだらだら噴き出てきた。

 こと『スケベザル』で有名な紋次郎だ。エリカも日向もそんなものに興味を示さないかと言われれば示す可能性が高い事くらい容易に想像ついていた。

「ま、それだけじゃなく普段の行いもあるしね」

 エリカは軽く拳を握り緊めながら、

「さ、波高島。――何かいう事はあるかしら?」

 そんなエリカの問い掛けに対して波高島紋次郎はフッと無駄に清々しい笑みを浮かべならいやに格好いいボイスで答えた。

「エロいってさ……そんなにいけないことかな?」

「少なくとも今この瞬間に限っては確実にね!」

 その言葉を最後に波高島紋次郎は頭部のとてつもない衝撃により意識を失った。

 その後、気絶した紋次郎は事態の顛末を見守る土御門天花が回収し「じゃ、コイツの処分は椋梨先生たちと相談してから決めるとしよう」と言い残して去って行った。

 残された二人は互いに息を零しながら、

「まったく……たった二日でえらい疲労感よ私……」

「すいません……僕の所為で」

「別にアンタだけが悪いわけじゃないからアレだけど……ま、まあいいのよ! 何だかんだ言ってこっちの決着はついたわけでしょう? 後は陽皐達の方か……」

「どうなったか心配ですし早く僕はいかないと……!」

「ま、冤罪かかってるもんね。頑張りなさいよ」

「はい……! 冤罪晴らさないとエリカさんとこうして喋りづらくなっちゃいますし頑張りますよ、そりゃあ!」

「……え?」

 エリカはきょとんとした表情を浮かべて、

「いやいや、私がじゃなくてアンタの冤罪がでしょ?」

「冤罪とかはその……昔から何度かあったのでそこまで気にしてはないんです」

 あはは、と諦めにも似た表情を見せられてエリカは思わず押し黙りかけたが、

「……なら何で今回は頑張ってるのよ?」

「それはだって、エリカさんとこーしてお喋りできる間柄に戻りたいからです」

「は、え、いやいや、だからね……?」

「この冤罪かかったままじゃ僕、エリカさんと話してたらエリカさん迷惑かけるの必死ですもん。そりゃあなんとしても晴らして今まで見たいにエリカさんの傍にいたいですし」

 にへらーと素直な本心から日向は語る。

 そのにへらーとした笑顔を見たエリカはうっと息に詰まりかけたが、すぐさま平然とした表情を浮かべて若干早口で言葉を発した・

「あ、ああ、そう。そうなんだ。ふーん、そっか、わかったわ、じゃあ頑張らないとねっ」

「はい♪」

「あああ……もう、コイツといるのヤダぁ……!」

「何でですか!? 応援してくれたのに何で百八十度転回!?」

 ガーン、と日向が涙声で叫ぶ。

 対するエリカは若干頬を染めながら資料室の机の上に手を置いて軽く俯く形になっていた。今にも机の上に突っ伏しそうな気配すらある。

 そんな彼女の脳内には、クラスメイト達の言葉。


 ――いや、だからさ。弦巻君ってエリカしか眼中にない感じじゃん。


 と、言う言葉が反芻してしまい「ああ、だからコイツは懐いてるだけだってのに、何でこんな恥ずかしい想いしないとなのよ……」とぶつくさ文句を言う様に項垂れていた。

 日向がどうしたんだろうか、どうしてなんだろうかと問い掛けようとした時だ。

 彼は窓の外に響く複数の絶叫に意識を一気に奪われたのは――。


        5


 キューピットの詠唱の末に紡ぎだされた現象。

 それは驚きを禁じ得ないものであった。

 校庭が刹那桃色の光に包まれたかと思えば生徒達目掛けて縄と思しきものが大量に襲い掛かる。それは用途の役割を確かに果たす形で生徒達の体を拘束し始めた。何十名かは寸前で逃れたものもいるが、大半が捕縛され『なんだこれぇ!?』と言う驚天動地な悲鳴を上げている。

「マジでなんだこれ……!」

 秀樹も同様に、目の前の捕獲劇を見て唖然とする。

 何もない場所からこれだけの縄が突然出てきたのだ。異常と言わざるを得ない。

「動け……動け俺の体ァッ!」、「こんな程度……ふんじばった程度で私は歩みをとめたりなんかしない!」、「たかが縄――抑えたくば鎖でももってきやがれいっ!」、「動かぬ足など切断してくれるぅ!」、「すまないそこ、変なテンションになってるんで縛りを強くお願い出来ますか!」、「任せよ! ワシもグロはゴメンだしのう!」。

 しかし、そんな異常にもめげず風紀委員の面々は必死にもがいていた。

「同時にアイツら男前精神もマジで何なんだこれ……」

「オパパ、全くよのう。この状況下であそこまで気張るとは天晴れな者どもよ」

「ッ!」

 感心にも似た呆れを浮かべている秀樹の後方に何時の間にかキューピットが降り立っていた。秀樹は背後を振り返ると同時に跳躍し彼女との距離をどうにか開こうとする。

 しかし、キューピットは「残念であったな」と勝利の笑みを浮かべた。

「『愛憎苛みし捕縛の戒め』」

「んなっ!」

 自分が感嘆の様子を浮かべている間にすでに詠唱を終えていたのか。

 彼女は即座に術式を発動した。『愛憎苛みし捕縛の戒め』は桃色の光と共に大地から縄を出現させると秀樹へ向けて一気に襲い掛かる。

「ヌシ達には特別にバージョン『亀甲縛り』を喰らわせてやろう!」

「男が受けるには厳しいバージョン作りやがって! うほほほほほほぉう!?」

 しなる鞭の様に迫る縄を秀樹は身軽な動作でどうにか掻い潜ろうとするが如何せん数が多い。一本に足を絡め捕られてしまった。

「だが諦めん!」

 しかしそこは陽皐秀樹。

 幼少期から鍛え続けた彼はこういう異常事態にも咄嗟の反応を示した。

 例え足が捕まっても手で複数の縄を防ぎどうにか亀甲縛りだけは回避してみせようと足掻きをみせたのである。本来であれば時間稼ぎにしかならない無駄な足掻きであった事は明白だが秀樹は一人で戦っているわけではない。

「うおらぁっ!」

 裂帛の気合いと共に彼の足の縄を切り裂いた者がいた――恭介だ。手刀を構えた彼の手は鋭利な刃物の如く縄を裂いてみせた。

「オパパパパ、やりおるわ。手刀か。――ふむ、型も成っておるし、どこぞの流派と言う事になるのかのう、ヌシの体技は」

「御明察」

 恭介はニッと勇ましい笑みを浮かべながら両手を前方で円を描く様に滑らかに動かした。

「流派は鍵森――武術名は寝殿造庭園(しんでんぞうていえん)流」

 ――俺の家に代々継承される体術だ、と不敵な笑みと共にそう発する。

「なるほどのう」

「ま、長いから寝殿造って呼称しているけどな」

 そうして横腹の近くで拳を固めた恭介は――眼前のキューピット目掛けて一気に躍り出た。

「寝殿造・石の型」

 小声でその名を呟き、

花崗(かこう)!」

 力強く叫びを放つ。

「鋭く速い、か」

 それは一言で言えば右ストレートであった。どこまでも純粋な右パンチ。早さと鋭さそして重さを重要とするひねりのない純粋な一撃だ。小細工なしの技ゆえにキューピットはまずその一撃を評価しながらも鮮やかに回避してみせた。

 だが恭介とて回避される事など織り込み済み。なんのひねりもないこの一撃が圧倒的な実力の差や相手が摩耗している際でなくては通じない事は了承済みだ。故にこの一撃は一連の流れを生み出す一つに過ぎない。その場で回る様に回避した彼女目掛けて恭介は廻り込む形で背中へ回った。そうして生み出した遠心力をそのままに叩きだす一撃『石の型・水石(すいせき)』を持ってして攻め立てる。対するキューピットは後方から勢いに乗って放たれた拳の振り抜きに対して即座に身を屈めて恭介の足目掛けて右足で足払いを試みる。遠心力のついた恭介の体はまず『水石』を終えるまでは遠心力故に止まれない――結果、恭介の足は見事に払われて彼は前のめりにつんのめってしまう。

 しかし、そんな事で終わるわけがない恭介だ。

 彼は即座に判断を下しむしろ勢いよく前へと全体を逸らした。そして両手で大地を掴むと今度は余力として残された遠心力を下半身へ回す。

(寝殿造・花の型――風車(かざぐるまァッ)!)

 それはまるでカポエラの如く。両足は勢いよく円を描く様に回転された。風車の如く展開されたその回し蹴りをキューピットは跳躍と共に回避してみせる。そればかりか恭介の足に蹴りを数発叩き込むおまけつきだ。恭介は「ぐっ」バランスを崩しながらも一矢報いんとする精神で技とも言えぬただの足掻き――足を振り抜くがただ風を切っただけ。倒れ込もうとする体をどうにかバランス保ちながら地面に足を付ける。

「オパパ」

 キューピットは愉快そうに笑んだ。

「中々様になった体技ではないか――よしよし、そうでなくては面白うないからのう」

「そう言ってくれるとありがたいが――本当に厄介な奴だなお前は。中々当たらんか」

「易々とは入れさせぬよ。だがまあ、代わりにもう幾つか面白いものを見せてしんぜようか」

「……!」

 その言葉に恭介は即座に行動を起こした。

 突発的に体は跳躍しキューピット目掛けて猛進する――そこから跳刻を駆使して、一気に彼女の右側へ転移し、わき腹目掛け『花崗』を叩き込もうと放った。

 だがキューピットは「御旗と共に(イネーヴ・)聖霊よ光臨されたし(エチーナス・スティーリプス)」と呟きながら恭介の一撃を易々とその左手で包み込んでいた。防がれた――と彼が感じ入ると同時に、恭介は彼女の眼が一重に『甘い』と告げている事を理解する。だが留まるわけにはいかない。次いで残された左の腕を振り抜いてキューピットの頭部目掛けて平手で迫る。『石の型・(へん)』と言う掌底だ。

天の星々より(テ・エティメ・)御使い達よ燦然と(スティリオ・シークル・)顕現され給え(エアウト・ムイーダー)!」

 後頭から迫り来る一撃を状態を右へ逸らす事でキューピットは回避を試みた。

 厄介な事に彼女の顔が恭介の胸元辺りにやってくる。恭介は舌打ちした。左へ逸れたならそこから振り抜けるが自分の方へ寄って来られては拳を振りようがない。ニヤニヤした意地の悪い笑みと共にキューピットは更に高速で詠唱を続ける。

舞い踊れ性愛の崇拝者(イーネヴ・アタマ・スッチエリード)! 安寧施す抱擁を満たせ(イーネヴ・スックセルプマ)! 御使い達は(イーネヴ・)愛を彩り貫かん(ロマ・ムーイドロック)!」

 その三節と共にキューピットは恭介の胸元に拳を一発叩き込み大きく後ろへ同時に跳躍した。

 どちらかと言えば跳躍の為の動作であったが故にダメージは少ないが、それでも後方へ飛んだと言う事は何かをやるつもりだと理解し恭介は汗を流す。

 そんな彼の表情を見ながら不敵な勝利者の笑みを浮かべながら人差し指で恭介の方向を差しキューピットは最後の言葉を紡いだ。

「『性愛の矢、(ロマ・アチレフ・)解き放て七条(エノイザレービル・メトペス)』!」

 瞬間彼女の周囲に桃色のオーラの塊が七つ浮かび上がったかと思えば一気に恭介目掛けて七条の光の矢として飛来する。その速度は最早弾丸の様なものであった。

「のっ……!」

 焦りを額の汗に、手強さに関する昂揚を不敵な笑みに変えながら恭介は拳に力を込める。

「枯山水ッ!」

 解き放たれたのは『石の型・枯山水(かれさんすい)』と言う技であった。

 一度に数発を同時に叩き込むと言う超人的なこの技を今回、恭介は紐解き、一度に数か所に向けて叩き込む。三連撃の技故に撃ち落とせるのは三発が限度だが残り四発はどうにか回避できる配置にあった。拳が矢と接触し同時に霧散し爆ぜさせる。残り四条は恭介の後方へと飛び散った。

「――オッパパパ! おお、凄いではないか、拳で『聖霊の矢(レグキエレフ)』を撃ち落とすとはのう!」

「刺さるんじゃないかとヒヤヒヤしたがな。……しかし、本当に面白い奴だ、いったい今のは何だったんだって問い詰めたくなるぞ?」

「オパパ、別に教えてやってもよい。『聖霊の矢』と言う、力を矢に変換して飛ばす基礎的な術式に過ぎぬよ――まあ、とはいえこれには破壊力は無いが、特殊な効力があってのう」

「……特殊な効力?」

「うむ。ワシの得手足る『性愛』属性は規則的に愛を厳守する。その効力が付与された矢は破壊効果こそ無いが――」

 その時恭介は同時に二つを察知した。

 一つは秀樹の「恭介先輩、後ろだ!」と言う叫び声。

 もう一つは――足元に増えた影だ。

「――射たものを我が傀儡にすると言う効能よ」

「――ちっ!」

 その言葉を脳内で反芻しながら恭介は右へ飛びのいた。

 すると自分が直前までいた場所に膝かっくんを試みる男子生徒の姿が。

「まさかの膝かっくんだと!?」

「不意打ちの如き事をワシがするものか、バーカ」

『オパパパパ……オパパパパァァァ……』

「何だこの変な意味でゾンビ化しちゃった感じの四人!」

 実にシュールであった。顔を朱に染めながら『オパパパ』言っている男子生徒と女子生徒の姿がそこにはあった。映像に残して置いたら絶対に恥ずかしくなって顔を隠すに違いない程にものかなしい光景である。特に女子生徒が。

「ふふん、面白いであろう?」

 キューピットは自慢げに踏ん反り返った。

 しかし彼女は「だが」と呟いて、

「傀儡と言うのは何ともつまらぬものよの。女子を操って好き勝手出来ると言うのは無性に興奮出来る事だが、それは醍醐味にかける」

 パチン、と指を鳴らしてそうぼやくと途端に生徒四人が意識を失くして地面にゆっくりと崩れ伏した。

「……いいのか?」

「構わん。若人を操って傀儡にし小童と戦うなどどこの悪役と言う話よ。なにより、ワシは嫌がる女子の下着を無理矢理奪いたい派だからのう」

「ったく、厄介な趣味してやがるな」

 呆れを浮かべながら恭介は再び構え直した。

「厄介な趣味でない性犯罪者などおらぬよ」

 にこやかにそう告げながらキューピットもまた口を動かし始める。

 その詠唱が刻まれる中で恭介は思考を加速させた。

(さっきの技は本人があの思考理論じゃ何の攻撃性も無いのに放ったという事は、文字通り面白いものを見せる為だけに放った技――に、対して今度のはわからない。だが、どちらにせよ、このままでは掌の上で遊ばれるだけだ。決め手に欠ける。どうする――考えろ)

 無論、寝殿造庭園流に奥義はある。

 だが、当てられるかで言えば不明。

 なによりも相手の底が知れない。下手に大技放って外したとしたら、逆に危機感をあおらせて逃亡に至る線も無下には出来ない。今回の目的は倒すではなく捕まえる事なのだから。

恭介は軽くマイクに小声を発した。

「秀樹。チャンスを見計らって動け」

 ただ一言彼へ向けて飛ばす。

 その声に攻防を見守っていた秀樹は一瞬驚いた様子を浮かべた後に小さく内心で頷く。

(あの攻防の限りじゃ、多少武術こそかじっちゃいるが俺が間に入るのは難しい――ってなるとやっぱ、これしかないよな弦巻……!)

 秀樹はそっとポケットのふくらみに手をやった。

 今は亡き(※死んでいません)友人、日向が残した『とりもちボール』。これさえ当てればいかにキューピットと言えど行動を妨げられる可能性が高い。

(恭介先輩も暗にこれの事を言ってただろうからな……やってやる!)

 そんな秀樹の意思を恭介は一瞥し確認した後にいざ動き出す。

(とにかくあのボールを当てる隙と状況を作り出す!)

 大地を蹴って砂塵を巻き上げながら再び恭介は突貫した。

(来るか! 良いぞ、良いぞ、来るがいい!)

 キューピットはその果敢さに称賛を送りながら同時に大地から縄を繰り出した。点滅する地面から次から次へ躍り出る縄を恭介は華麗に回避しながら一気に差し迫ってゆく。

 そして後一歩――という所で恭介の前方を縄が飛び出て視界を埋め尽くした。

 しかし、

「枯山水!」

 一度に数発を叩き込む技を縄へ打ち込み弾けさせる。

 そのままの怒涛の勢いを持ってして

「花崗!」

 右の拳に力を込めた振りかぶった。

 対するキューピットは迫る拳に余裕を浮かべたままで、今までよりも更に高速の詠唱を放ってみせた。

愛しき者を悼む(エルバヌ・)月日等私は認めぬ(エラ・エヒト・)断じて認められぬ事だ(デヴォール・オト・エイド)何故かと(ロフ・)問うなら答えよう(エヴォール・シー)――」

 詠唱がある為か。

 術式がある為か。

 しかし、恭介はその思考を瓦解させるべくとっておきの技を披露する――!

 パチンッ!

 と、指から気味の良い音が鳴った。ただの指鳴らし――それを訊いたキューピットは思わず目を見開いてきょとんとした様子を浮かべてしまった。――それがチャンスだ。

「秀樹!」

「――お、おう!」

 即座に発せられた声に陽皐秀樹は反応した。その場で大きく振りかぶるとキューピットの方向へ目掛けて一気にその白球を投擲する。

「っけぇええええええええええええええええええええええええええ!」

 風を突き抜け、一直線に飛来するボールを前にキューピットはハッと気づくと、焦った様子で詠唱を口にしようとした――しかし、眼下では拳を振り抜く恭介の姿も見える。

「ようやく焦ってくれたな……!」

 これで決まりだ、と恭介は力を込めた一撃を解き放つ。

 だが、

「――それは愛が不滅故にだ(イティラトローミー)。『至上に侵し難き愛の巣(アボークラ)』!!」

 寸前で完成された詠唱がそれらを一笑に付す。

 途端、恭介は自分の拳が弾かれた事を実感した。同時に当たるはずであった『とりもちボール』が空中で爆ぜてキューピットに直撃しなかった事も見えた。

(――見えない壁……!?)

 とりもちの形状から壁の様なものに防がれた事を理解する。

(今の詠唱は防御の……!)

 ギリッと恭介は思わず奥歯を噛んだ。

 防御の術式を使用していたとは誤算であった。

「ヒヤヒヤしたのう――だが、これでワシの勝利だの」

 渋面を浮かべる恭介に向けてキューピットは口元に手をあててしたり顔を浮かべた。そして前に身を乗り出すと恭介の意識を刈り取るべく鋭くしなる足技を繰り出すべく放った――。

 そんな勝利者に向けて恭介は言葉を進呈する。


「だが生憎と事は二段構えだぜ?」


 おだやかな微笑を浮かべてそう述べた彼の顔を見てキューピットは刹那にして視線を一気に秀樹の方へと移した。いや、見えない。何故か。

 それは迫る白球が彼の姿を半分隠していたからだ。

(二発、目――!)

 もう一つあったのだ。

 至近距離まで飛来する『とりもちボール』を前にキューピットは体を強張らせ――否、その強張りそうな体を瞬時に解きほぐし、迫るボールを紙一重ながらも回避してみせた! その流麗な動きは称賛たるや。恭介が目を見開き、秀樹があっと口を開く程の華麗であった。

 勝った! そう、キューピットは確信した。


 ――瞬間に空中でボールが弾け飛ぶ。


(な……)

 空中で弾け飛んだボールはその場で、キューピットのすぐそばで勢いよく破裂し、内蔵されたとりもちが大量に広がった。

(に……!?)

 何故、そこで爆発すると言うのか。

 その事と次第は実の所僅か数秒前に遡る。

 それは秀樹が一球目を投げた後の事であった。

 マイクより流れ出た声に恭介と秀樹はひそかに耳を傾けていた。



 それは僅か数分前の事。

「――こちら『ホトトギス』。陽皐君に要請します。二発目を投擲してください」

「こちら『シャイニング』。やってもいいが、さっきの壁ないし普通に防がれて終わりな可能性が濃厚すぎるぞ『ホトトギス』! お前から貰ったのも二発目が最後だ!」

「大丈夫です――僕を信じてください。必ずボールは当たります――いえ、当たりはしないまでも結果は同じに出来ます!」

「何する気かわからんが、しゃあねぇ。お前を信じてみるぞ『ホトトギス』!」

「はい! 『ヴァルト』は視線の誘導を行いします!」

 その日向の寸前の提案を訊いた二人はすかさず動いた。

 作戦でもあるのかどうかそこはわからない。だがジリ貧である以上は賭けに出たってかまわないと頷いたのだ。そして恭介は打つ手が無いかの様に表情を浮かべ、陽皐は渾身の一球のつもりで投擲した。



 そしてその結果、『とりもちボール』は見事に爆ぜた。

 触れていないのに。何故か、と彼女が驚愕を露わにする――しかし考えている合間もなく、放出したとりもちが一気に全身に被弾した。地面に縫うように張り付けられて、彼女の体は白いとりもちによって動きを阻害される事となる。

「むむむ」

 唸る様に声を上げて体を動かすがどうにもぎこちなく。

 そんな彼女を見下ろしながら、恭介は穏やかな笑顔を浮かべて告げた。

「どうだったよ、三段構えは?」

「オパパパ、ぬかったわい。よもや予期せぬ現象がもいっこ来るとはのう」

「だろうな。俺も最後のは予測外だったよ」

「ぬ?」

「ま、俺の予想を超えた行動を取ったアイツには脱帽だ」

「オパパパ、心なしか楽しそうよな」

「……まぁな」

 フッと穏やかに笑みを浮かべた恭介はその後に小さく問い掛けた。

「……一応尋ねるが、お前、どうして俺に下着を寄越した?」

「ん。……おお、あの娘の下着かのう?」

「ああ。何故わざわざアレだけ返しにきたんだ?」

 そこだけが気になっていた。わざわざ恭介を嵌めに来たのではないとすれば、何で自分に託したのかが気がかりであった。

「アレはワシの失策よ。汗まみれ使用済みパンツが手に入って喜んでおったのだが、匂いから察するに使用者が病弱なのかはわからんかったが、体調不良と判断したからのう。下着が盗まれたとあっては精神に不調を来たしかねん。それはワシの欲するところではない故にの」

「優しいんだかなんなんだかわからん奴だな」

「性の為に生きておる……それだけよのっ」

「わかった。とりあえずお前に対する評価は改めようがないということが。まあ、何にせよだ。やらせてもらうぜ、勝鬨って奴をさ」

「よいよ。敗軍の将の前でこそすべき事よ」

 鍵森恭介は眼下の少女を一瞥した後にようやく体の自由を取り戻した風紀師団の面々に向けて高らかに告げる。

「お前ら――俺達の勝利ってやつだ!」

 拳を掲げて力強く。その声に呼応し秀樹が、風紀師団の面々が『よっしゃあ!』とばかりに大きな声を上げて歓喜に渦巻かれた。

 まあ……。

『お、おお~~~~……!!』

 何が起きたのかよくわかっていない風紀委員や女子勢等も大量にいたりしたが。

 校庭で起きた大捕りもののごとき大騒ぎは見事、下手人の逮捕と言う形で幕を閉じたのであった。



 さて、そんな歓喜と困惑に渦巻く校庭の様子を見据えながら少年はホッと息を吐いた。

「良かったですよ……どうにかなったっぽいです」

 胸を撫で下ろす少年は弦巻日向であった。

 そんな少年の傍で同様に外を見張る綺麗な茶髪の少女――新橋エリカは校庭で起こった何やら大激戦の様な光景に眉をひそめながら、

「……で、結局アレなんだったわけ?」

 と、隣の日向に訝しむ様な声を投げ掛けた。

 日向は少し困った。

 説明に困ると言う意味で困った。

 なにせ、

「僕もよくわかんなかったです」

 本人も何か校庭がピンクに輝いたりとかそういうの見ていたわけだが、間近で話を聞いていたわけでもないので首を捻るしかなかったと言えるだろう。その様子に嘘はなく、エリカもしばし「ふーん?」とジト目で見ているが、何故だか反応が顔を赤らめるだけなので、嘘かどうかは判別し辛いが、なんとなく嘘では無いと感じられたので、

「ま、いいわ」

 と話題を打ち切った。

 なにせそれよりも重要な事があるのだから。

 ずずいっと日向に顔を近づけて、エリカは少し怒った様子でちょいちょいと日向の手元のものを指差す。

「そ・れ・よ・り・も!」

「何ですか……!?」

 軽く頬を赤らめて後ずさる日向に対して訝しみながらも、エリカはその事を指摘する。

「アンタ学校になんてもんもってきてんのよ……!」

「え、ああー……」

 その言葉に日向は手元を見ながら納得した。

 そこにあるのは片腕型の杖――のはずであったが、厳密には少し違う。

 迎洋園家特性『杖型狙撃銃「シュピールドーゼ」』。

 まさしくその通りの機能を備える狙撃銃であり、通常時は杖の形状をしているが有事の際には機構を展開する事でトリガーが現れてスナイパーライフルに変化すると言う代物だ。

 そう、弦巻日向は『飛来する「とりもちボール」をキューピット寸前の場所で狙撃して弾けさせた』のである。

 確かに学院に持ってくるには危なっかしい代物であった。

 従僕として日向が護身用に迎洋園側から手渡された代物とはいえ、確かに銃器を持ってくるのはエリカとして怒りもするだろう。

「一応、殺傷能力の低い『ましゅまろ弾』何ですけど……」

「どう言う弾使ってんのよアンタ!? でもね、こういう事は予め言っておきなさいっての!」

 びっくりするでしょうが、とエリカは口にする。

 確かに杖がいきなり狙撃銃になれば誰だって驚愕するに違いない。

「わわわ、す、すいません!」

 ぺこぺこと頭を下げつつも、日向は最後に笑顔でこう述べた。

「でも自己紹介の時に言いましたよちゃんと? この杖は特注ですって」



 その女性は校庭で騒がしくする面々を校舎の窓から見据えながら小さく微笑んだ。

「ふむ。どうやら、上手く事を成したみたいじゃないか」

「でなくては困りますよ、これだけ大騒ぎ起こして」

 女性――土御門天花の隣で藤田刀華は小さく嘆息を零した。

 校舎内での散々な騒ぎっぷり。何もかもが風紀違反だ。自由校舎に回ってくれればまだ助かったのにという気持ちもある。

「……しかし、何だったんですかあの異常事態は? 手品?」

「だろうね。手品か何かだろう」

「……土御門先生ならご存知なのでは?」

「はははっ。私をそんな何でも知っている風に捉えるのはよくないな。私だって人間だとも。何でもは知っていない。知っている事は全て知識の中の産物に過ぎないさ」

 天花はそう楽しそうに語りながら廊下を歩きだす。

「行こう。とりあえずはあの少女を捕まえにね」

「ようやくですからね……。まったく何年かかったのだか」

「ふむ、そうだね。何年だ。その割に歳が若い子だった――外見と年齢はあっていなさそうだなアレはまた」

「今更です」

 苦笑を浮かべて刀華は答える。

「そうだったね。ミカアカのあの先生も似たようなものか」

「本人に言うと怒られるので……」

「無論、ここだけの事にしておくさ」

 刀華の少し嘆願する表情を明るい笑顔に変えて。

 土御門天花は事態の終息を図るべく静かに闊歩していくのだった。


        4


 その日の放課後はいつも通りに活気に溢れたものだった。

 五限、六限に於いて大騒ぎを見せた校庭も今は何事も無かったかの様に体育系の部活動が練習に励んでいる。校舎内にも、また自由校舎では遊び走る生徒の姿や居残りで勉強に励む生徒の姿もちらほら見受けられた。

 だが本日特筆すべきはシラヅキの掲示板かもしれない。

 シラヅキの掲示板は端的に言ってアナログとデジタルの同時活用だ。即刻流すべき情報は電光掲示板で即座にお知らせして、他の長期にわたる内容全般に部活勧誘などは通常の掲示板に用いられる仕組みとなっている。

 その掲示板を見てみると、そこには、

『お手柄!? 自らの冤罪を晴らすべく動いた大騒ぎの張本人達!』

 と、三名の生徒の姿が映し出されていた。

 掲載されている写真には恭介、秀樹、日向の三名がでかでかと載っている。ピースを決めて映る恭介、ドヤ顔で映る秀樹、そういうのが恥ずかしいのか逃走を試みるも首根っこを二人に捕まえられて横顔で映っている日向と言う写真になっていた。

 掲載されている情報を見れば、今回の一件で見事真犯人を捕獲した功績から、学院側の処分も極めて軽微なものになるという事らしい。ただし、全体的に見て最も軽微な下着を持っていただけの恭介に比べると悪意無しとはいえ覗きをしてしまった秀樹と女子に抱き着いてしまった場面を余所のクラスに目撃された日向は処分なしというわけにはいかないらしく、何らかの処分が下されるとのことらしい。

 その事から言って面目上と言うよりも被害にあった女子勢の総意と言うのが正しいのだろう。

 掲載された情報にはまだ記載されていないが、弦巻日向は迷惑かけた女子に対してしっかりお詫びをするという事が教職員側から伝達されており、またクラスメイトの女子からは「借り一つね☆」と合計19個の借りが出来たらしいが、

「皆さん、本当にありがとーございます……!」

 と、素直に頭を下げた事から事態は自ずと終息する事になるだろう。

 無論、よそのクラスの反応は依然不明な部分も大きいが、それでも事態解決には至った様だ。それに対して秀樹の方がある意味厄介である。顔の効かない余所のクラスであっただけに秀樹は下着を見た女子生徒にどう詫びるかと言えばだが、そこは担任教師の采配もあって比較的温情のあるものとなった。

 一言で言えば『二週間の雑用』である。

 しかし女子生徒全員にこの権限を行使すると悪用の恐れもある上にクラスが別なので秀樹の側に負担が大き過ぎるという観点から放課後にちょっと、という形に行きついたのは流石はシラヅキの優しさといったところだろう。

『まあ、見たと言えば見たからな。こんくらいで済んでラッキーってとこだな、ああ』

 と、して秀樹も概ねこの決定に異議はない様だ。

 なお今回の掲示板を見て恭介の顔が堂々と取り上げられているので女子生徒の中には気になっているものもいる模様。流石の恭介である。

 そして――、



「オパパパパ……この学院、色々と本格的過ぎやしないかのう」

 今回の騒動の発端であり最大の元凶とも言うべき少女キューピット。彼女は今、シラヅキ地下一階の地下牢に囚われの身となっていた。流石、シラヅキである。牢獄まで完璧に完備している始末だ。ただしベット含めて衣食住は実に清潔で健康的な辺りにやり過ぎない精神が伺えるのが幸いだ。

 散々にぎわせてくれたこの少女はまず一旦はここの拘留と言う形になったらしい。

 後は調査を終了させてから、警察の手に引き渡す形になるのだが……。

「……む」

 石造りの床を歩いて来る音にぴくりと反応を示したキューピットはふと視線を向けて一言。

「ヌシか。何用かのう?」

「何用と言われたら、とりあえずアンタの解放かな」

 暗がりに誰か人の影がうっすらと見える。若い男性の声が響いた。

「ほう、解放とな。よいのかのう、そんな事をして?」

「他の奴らならともかく、アンタを事情聴取で警察に手渡すとかは拙いだろう? 散々、術式を使っておいて……まあ、生徒達は『すごい手品だったなー』で喜んでいるけれど」

「オパパパパ! そうか、そうか、手品か! まったく愉快な小童どもよ!」

「普段から超常慣れしてるウチの生徒だからこそだぞ? ミョウブにサグジ、それに鼎竜胆と言った面々がいるからこそだ」

「確かにここの奴らは特殊な面々多いようだからのう」

「ま、当然手品なんて信じてない聡い奴もちらほらいるけどな。そこはとりあえずアンタと言う元凶がとんずらこけば調査もしようがないだろう」

「ふむ、確かにのう。物事全て証拠あればだからの」

「……ま、それはそれとしてだ」

 男は指先で鍵の束を弄びながら真剣な声で問い掛けた。

「どうだった? 今日アンタを追い掛けた三人は?」

「ふむ、そうよな……」

 キューピットはその言葉に軽く頷いた後に、

「まだハッキリとは判断下せぬが――、鍵森恭介。あ奴だけは確定であろう」

「鍵森恭介か。だろうな、俺もそう見ている」

 だが、と一拍隙間を置いて。

「他二名はどうだ? アンタが使役した『庇護者の抱擁』が見破られた以上は、弦巻日向と陽皐秀樹の双方にも何か持ってる可能性があるが」

「そこが妙よな。鍵森恭介以外の二人はワシを視認出来ぬと思うておったよ」

「弦巻日向はまだ可能性があるが、そうすると陽皐秀樹は……」

「奴も奴で可能性はゼロではない。だが、確定するにはやはり証拠が足りぬよ」

「……だな。検証段階を過ぎるにはまだまだか」

 男が仕方なさそうに苦笑交じりで首を振る。

 そんな男に対してキューピットはふと問い掛けた。

「ところで何だがの――ワシの起こした事の顛末はどうなった? 下手人がワシ以外にいるというのは察しておったがのう」

「気になるか?」

「オパパパ、何だかんだ最弱体とはいえワシと張り合った面々の成果よ。訊いておかねばならんというものよのう」

「……そっか」

 ふっと笑みを浮かべて男は静かに事務作業の様に語りだした。

 鍵森恭介は処分なし。他二名は雑用等の罰則に留まった形となったと。

「オパパパ、気張った成果はあったようではないか小童共よ」

「まあな。とはいえ悪意的な勘繰りがないかは否定出来ないが――まあ、ウチの生徒共だ。分別弁えてからかう程度に抑えてくれると信じているさ」

「ふむ。して、どうなったのかのうワシらの処分は?」

「アンタに限って言えば渡した後に間違いなく警察の特別班が動くぞ?」

「だよのー。おっそろしいのう、それは。いやだのう、捕まりたくないのう。ちらっ」

「ちらっ、じゃない。ちゃんと解放してやりますから安心しておけ」

「オパパパ、ありがたいのう!」

「アンタな……遥頂の連中が見たらまた頭抱えるぞ? その上に警察のお世話になって裁判沙汰で刑務所入れられてみろ? 絶対に連中、頭抱えて倒れるぞ?」

「オーッパッパッパ! よせ、よせ! 腹がねじれそうになるわ、想像で!」

 大量に爆笑するキューピット。

 男は嘆息を浮かべた。この場に声が秘匿されるように術式を張っておかなかったら今頃上の連中か監守のスタッフに聴かれかねないところだ。

「オパパ、笑ったわ……!」

 して、と一息置いて、

「ワシ以外の処分はどうであった?」

「アンタ以外の二人は当然処分するさ。まあ、学院側から見れば初犯だったり、事情が複雑化したりだった為に温情を加える形になったがな。とりあえず片方は実家に連行されて折檻だそうだ。もう片方は学院側で諸々余罪と一緒に処分するってな」

「ふーむ、後者の奴とは気が合いそうだのう」

「それは俺も思った。だが絶対に組むなよ? 来年度からが更に大変になるからな?」

 冷や汗を伝わせながら男は絶対を強調するのでキューピットは仕方なしに断念した。

「……さて、では要件も訊けた事だしワシはそろそろ行くとするかのう」

「そうだな。何時までも駄弁っているわけにはいかないだろう」

「ふむ、此度の一件も一応の収穫はあった。――鍵森恭介。あ奴は確定的にどちらかを継承していると考えればいいであろう」

「ああ。特性次第だからな」

「まあワシとしては他に動く奴がおると踏んでいただけに、他二名の小童が動いた事が驚きではあったがのう」

「可能性の拡大と考えればそれで今はいいさ」

 そう、呟きながら男は静かに地下牢の門を開錠する。

 そして中にいたキューピットは背を「んん~っ」と伸ばしながらを外へ出た。

「まだまだ舞台の幕開けには程遠いと言う事だのう……困った困った」

「穏便に済んでいる間ならそれが一番なんだがな」

「そういうわけにはいくまいて。次期に波乱は徐々に徐々に起きてくる事だろうの。それに踏まえて今年は色々と催しがあって然りであろう?」

「そうだな……六月にはパーティも始まるだろうし」

「おお、そうであった、そうであった。それもある年であったのう。前回は何とも物悲しい幕引きであっただけに悼まれるが……まあ、ワシらはそれとは別で忙しくなる事であろう」

 キューピットの言葉に対して男は静かに「……ああ」と頷いた。

 そして彼女はその様子を見た後に「ではな。ヌシも気を抜くでないぞ」と言う言葉を発してから周囲をきょろきょろと見回した。

「……何をしているんだ?」

「いや、ワシの戦利品はどこかのうと」

「……ないからな?」

「……え!?」

「いや、生徒の下着を普通に渡すわけがないからな!? と言うかさっさと行ってください!」

「いけずだのう! いいではないか一着くらい! ちぃっ、いいもんいいもん! 帰りがけに適当に奪っていくもん!」

「軽いノリで何を犯罪予告残していくかなアンタは!」

 男が怒声を発しようとする中で、キューピットは「オパパパパ!」と高笑いをしながら、

「ベネディクトゥス・ウルガータ」

 その言葉に続く形で長い詠唱を済ませて彼女は世界に超常を成す。

「『庇護者の抱擁(スクセルプマ・ムリーサ)』」

 その術式と共に彼の眼にも認識できなくなったキューピットは男を残して地下牢を颯爽と去ってゆく最中に小さくこう呟いたのであった。


「――さあ老若男女問わずして観客全てを巻き込む舞台幕が開かれる時を心せよ」














第九章 陰日向の円舞曲・後編

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