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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Troisième mission 「進退す身辺」
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第八章 無秩序カルネヴァーレ

第八章 無秩序カルネヴァーレ


        1


 弦巻日向が学院へ通いだしてから一週間後の四月二十八日。

 午前の授業を終え、昼休みとなった日向はとある場所へ足を運んでいた。

「この辺でいいだろ」

 隣にいる陽皐秀樹が「うしっ」と決定付ける様に語気を強める。その場所は実に爽やかな空気に満ちた場所であった。深緑色の青々と茂った草原をあたかも光が風と一体となって吹き抜ける様な気持ちの良い草原であった。人の手で整備されているこの場所は適度な高さに切り揃えられており一流サッカーグラウンドの天然芝の様だ。

「相変わらずどこも凄いですね、この学院。色々な意味で」

「だわな。SP何だか清掃員さんなんだか知らねぇけど労苦が如実に伝わってくるぜ」

 その言葉には感嘆と同時に一抹の呆れを匂わせていた。

 確かに苦笑交じりに呟きたくもなるだろう。何せ、この学院の敷地面積は尋常ではないのだから、その分、整備と言う面では莫大な資金と人材がいるだろう。それでもなお、このように美しく整備されているとなれば感動で茫然ともなるものだ。

「ま、とりあえずこの辺りでメシ喰おうぜ」

「ですね。ここならのびのびと食べられそうですしっ」

 そう言いながら日向は秀樹が近場の岩場に腰かけるのを見て同じ様に傍の岩場に腰かけた。易々と座れる辺り、なだらかな平面に整えられた岩場と言う事もアリ、この辺りも職人の手が加わっているのかもしれないと日向は何となしにそう思った。

「あー、風が気持ちいいー」

 くーっと炭酸を一口飲みながらそよそよと吹き抜ける微風に秀樹は目を瞑る。

「たまには外でご飯もいいもんですね」

「だろ?」

 ニッと秀樹は口元を吊り上げてドヤ顔を浮かべてくる。

 そんな彼に苦笑しつつ、日向は購買で購入したお弁当に手を付ける。商品名は『憎々しい肉塗れ弁当』とあり、中身は実に男の子好みの焼き肉弁当であった。しかし焼き肉弁当の上にとんかつがドーンと乗っているとはこれいかに、と思わなくもない日向である。

 そんな日向のお弁当を横目でチラリと秀樹が覗いてくる。

「その弁当も美味そうだよなぁ。俺も今度買ってみるか」

「匂いからもう食欲そそりますよ、かなり! 陽皐君は何買ったんですか?」

「俺か?」

 フフン、と不敵な表情を浮かべて秀樹は告げる。

「よくぞ尋ねたな、弦巻――俺の弁当はこれだ! 『豪華盛り合わせ弁当! 肉! 魚! 野菜! 中華とフレンチにハンバーガーを踏まえた和食街道ご当地の魅惑! ~賞味期限寸前なので早く食べてね♪~』弁当だ!」

「またそう言うのですかっ!」

 この一週間行動を共にしているが、どうにも博打じみたチョイスをする秀樹に対して呆れを込めて日向はツッコミを発した。

 そして思わず中身が気になって覗き込む。

「……そもそも、どういう弁当なんですか、コレ? 容器がさらっと直径六〇センチの時点でただのお弁当じゃないですよ……」

「俺も思った。購買の美人お姉さんにも『え、コレ、買うの?』みたいな目で見られたし」

「明らかにネタで置いているだけな気配がしますよ!?」

「でも俺好きなんだ! ネタじみたメシって!」

「それは一週間でよくわかっています。三日前の『秋刀魚のかば焼き弁当 ―に見せたスイーツ盛り合わせ―』を食べた時なんか、どうですか! アレ中身全部デザートでしたよ? 全体的にティラミスでしたし!」

「なー。アレはやばかったな。メシって感じが無かったぜ」

 豪快に爆笑しながらそう肯定を示す秀樹。

 普段は結構なツッコミ役なのに飯時に限って彼は見事なボケ担当だ。些か常識に欠ける側面のある日向ですら脱力を禁じ得ない。

「ま。ともかくとしてメシ喰おうぜ。時間は有限じゃねぇんだ。この後の授業体育だしな」

「体育と分かっていてなお、そのボリュームを食べる陽皐君は凄いと思いますよ……」

「『憎々しい肉溢れ弁当』を買ったお前に言えた事じゃねぇけどな」

 俺も全く言えた義理じゃないが、と呟きながら秀樹は弁当のプラスチック製の蓋を開けた。途端に香るのは実にうまそうな匂いであった。ただし『混迷』と言う言葉をプラスアルファしなくてはならないだろう。なにせ美味そうな匂いが多数の分野にジャンル分けされているためである。肉の匂いに魚の匂い、中華油の香ばしさ、フレンチのオレンジの香り、無造作に乗っかっている特大ハンバーガー、それと寿司等々――よくもまあ殺し合いが起きていない弁当だと思った。匠の技量である。

「あー、普通に美味いわ」

「何かもう料理人が凄いですね……」

 そう呟きながら日向も弁当に手を付け始める。途端「ほわぁ」と感動した様な面持ちを浮かべ始める。どうやら美味しかった様だ。

「何かもう何もかも素晴らしいな」

「素晴らしいですねー」

「美味い弁当」

「綺麗な自然風景」

「青い空に筆でなぞった様な雲のコントラスト」

「ほのかに髪をそよぐ春の優しいそよ風」

 うんうん、と互いに言葉を重ね合わせながら二人は感動をそのままに口にする。

 そして、そんな穏やかな空気の中で日向はポツリと呟いた。

「……出来れば湖畔の場所で食べたかったですけどね」

「俺だってそうだよ!」

 二人はいまいる場所の風景が素晴らしいものだと理解している。

 だが。

 だが、しかし、だ。

 正直なところ、ここはシラヅキからそこそこ離れた人気の少ない唯の草原――要するにさして人気のないマイナースポットなのである。芳城ヶ彩のシラヅキ周辺でご飯にありつこうとすればそれはもれなく湖畔周辺である。広大かつ美しい景観が望めるあの場所こそメジャースポットだ。けれど問題はあの場所に男二人でいく切なさである。

「ちきしょう……行ってみればどこもかしこもカップル、カップル、カッポゥ!」

「何か最後、アップルの発音じみてましたよ!?」

「何なんだよ! どうしてだよ! 何時の間に、あそこ周辺はリア充どものいちゃラブ空間になりやがったんだ! ずりぃだろ! 適当に見渡せば『はい、あーん』とかあったからな普通に!」

「いられませんでしたよねー……。僕、あの空間で陽皐君とご飯はヤです」

「うっせぇな! 俺だって同意見だよ! 喰うなら恋人連れてくよ! いねぇけど! そんで湖畔周辺の誰もいない場所で喰うのもなんか負けた気がするし!」

「空しくなりそうな気はしましたよね確かに……」

 ご飯を食べながら寂しげに日向も語る。

 いやはや、あの空間を相手取るのは精神的にくるものがある二人であった。湖畔周辺はその美しさから現在、恋人同士の語り場みたいになっているのだ。そんな空間に男友達二人で――などとはとてもではないがいけやしない。いけるとすれば中庭だがすでに行った事があるので少し遠出した結果が此処と言うわけだ。

「あー、彼女欲しーぜー」

 秀樹が唐突にポツリと呟いた。そして傍に弁当を置いて『どすんっ(※比喩では無く本当にこんな音がした)』空を仰ぎ見る。

「何ですか、唐突に」

「いや、あの光景見てたら猛烈に彼女欲しくなったなーってだけだよ」

「陽皐君も彼女とかは欲しいんですね」

「当たり前だろ! 高校生活で彼女が出来るとかなんかもう最高のロマンスじゃねぇか! 弦巻は欲しくないのかよ、彼女?」

「そりゃあ、僕だって彼女欲しいですよ。出来た事ないから憧れますし……でも、年齢=恋人なしですもん」

 そこまで言って盛大に溜息づく日向。

 そうなん? と、秀樹は訝しむ様な表情を浮かべる。

「お前結構顔良いからモテるっちゃモテそうなんだけどな。……いや、でもアレか。全体的に漂う不運っぽさが嫌煙させてるとか……」

「酷い事言わないでくださいよ!?」

「悪い悪い。ああ、でも言ってたら本当に欲しくなってきたぁ……。どっかにいねぇかなこう俺を甘美な世界へ連れだってくれる姉的な人とか、天然癒し系とか、ミステリアスな不思議ちゃんとか、一途に慕う可愛い後輩とか、一緒にいて楽しいとか言う感じの奴!」

「何か結構、誰でもオッケーみたいな感じなんですね」

「うっせぇな! いいだろ、俺だって恋人出来た試しがねぇんだから! そう言う弦巻はどうなんだよ? お前だって恋人の理想像くらいあるだろ? 確か明るくて元気な子とかが好みなんだっけ?」

「そうですね。後は気さくでサバサバしてる感じの人が好き……と言うか、何て言うんでしょうか。僕、自分で言うの情けないですけど結構ふにゃふにゃなのでそこをピシッとしてくれる面倒見のいい女の子とか素敵かなーって思います」

「ふーん、なるほどね」

 と、呟きながら秀樹は思った。

(……それまんまほとんど新橋な気がするんだが……)

 懐いている理由はそこなのかもしれない、と秀樹は考える。ただ反応が如何せん恋愛面なのかよくわかりづらい。素直に好感を表している少年なぶん、そこの境界線が存外判別しにくかった。

「それで陽皐君の方はどんな人が理想なんですか?」

「え、俺?」

「……僕が語ったんだから陽皐君も語るべきですしっ」

 頬を軽く膨らませ不満を零す。

「ま、いいけどな。そうだな……やっぱ年上お姉さんだろ! 年上の甘美な魅力に甘えまくりたいのが男の性よ!」

「ああ、ですから購買のお姉さんにデレデレだったんですね」

「うっせぇな、購買にまで美人起用する学院が悪い!」

 真っ赤な顔でそう怒鳴る秀樹。

 思春期男子の性である。

「第一、デレデレで言えばお前だって新橋相手にはデレデレだろうが! このムッツリ!」

「んなっ! ごほっ――む、ムッツリじゃないですよ! そ、それに仕方ないじゃないですかエリカさん学年で見てもトップレベルに綺麗な人なんですし……! あんな人に話しかけて貰えるってだけで僕だって男ですし多少なり嬉しくはなっちゃいますよ……」

 後半恥ずかしげに赤面しつつ顔を伏せる。

「まあ、確かにな」

 新橋エリカが学院でもトップスの美少女なのは疑いようも無い事だ。

 そもそもとして顔面偏差値が異様に高い学院に於いても、上位に食い込む程の人気と知名度に美貌を持っているのに鼻に掛けない――と言うか、多分気付いてないエリカによくよく接して貰えると言うだけでそれは男名利に尽きると言うものだろう。

「ただまあ――その反動なのかお前、男友達中々出来ないよな」

「あむろっ」

「何処の主人公パイロットだよ」

 胸にグサリと何かが刺さった様に喉を詰まらせる日向。

「き、気にしてるとこを……」

「ああ、やっぱ気にしてたのか」

「そりゃあまあ……一週間経っても友達は陽皐君くらいですもん。他の人は何か『ケッ』みたいな感じであしらわれたりとか後は『夜道に気を付けな』と言う手紙が下駄箱に入ってたりしていますし……」

「クラスの奴も大体がグループ作ってるもんなあ」

「友達作りの運気は最低だったんでしょうか、僕……」

「いやいや」

 秀樹は理解している。

 日向は友達作りの運気で交友関係がピンチなのではなく、新橋エリカの兄以外で最も近しいポジションにいる事での嫉妬やっかみ殺意を向けられているだけなのだと言う事を。これを教えてやれば本人が多少エリカと一緒にいたがる姿勢も改善され、友好関係が改善されるかもしれないが――、

(だが俺ン口からァ言えねぇなぁ! 主に嫉妬やっかみで!)

 秀樹だって若干ムカつくのだ。青春謳歌しやがってと。

 エリカに散々面倒みられるポジションと言うのが傍目に見て、あそこまで殺意を孕むものとは思わなんだ。無論、あてがった側として理不尽極まるので攻撃はしないが、それでも嫉妬くらいは許されよう。

 ただ、少し気になるの事がある。

(新橋の面倒見の良さは知っているけどよ)

 若干ながら日向のみ他とは接し方が違う――様な気がする。

(入学前に一回逢ってるらしいから、そこが原因なのかねぇ……)

 まあ考えても仕方あるまい。嫉妬の一つは向け続けるが、それ以上を秀樹はするつもりはないのだから。そこまで秀樹が感慨にふけっていると日向が「あれ?」と呟いた。

「どうしたよ?」

「あ、いえ、その……お茶が……?」

『おや?』とばかりに首を傾げた日向に対して不思議そうに柳眉をしかめる。

「お茶?」

「はい。あの、僕、飲み物持ってきてましたっけ……?」

「いや? 持ってこねぇからいらないのかなと思ってたけど」

「……え」

 そこまで訊いて日向はガーンと絶望を露わにした。

 秀樹はその表情を見て察し、気まずげに言葉を紡いだ。

「まさか……、もってこなかったんじゃなく忘れただけか?」

「……ミスりました……」

 日向は悲しげに項垂れる。眼下には『憎々しい肉溢れ弁当』が『やぁっ!』とばかりに肉の匂いを放っている。お茶なしはきつそうだ。きっと口に中は芳醇な肉の香りに苛まされているに違いない。

「水ありませんか、陽皐君?」

「生憎と自分のぶんの炭酸しか持ってきてねぇな。それに至ってももう飲み切っちまったし」

 言いながら手で缶を左右に揺する秀樹。確かに水の音は何一つしない。

「雨降らせられませんか陽皐君?」

「難易度すげぇ上がったな! 無理だろ、それ」

「ですよねー」

 仕方ない。買いに行こうか、と日向が考えた時だ。

 不意に頭上から声が発せられたのは。


「『ねっとり濃厚ピーチ』ならない事もないぜ」


 唐突にして発せられた何とも格好いいと形容して遜色ない声色に日向は一瞬「へ?」と不思議そうな声を上げる。そうしてすぐさま声の方向へと顔を向けた。確実に上から向けられた事実に視線を上げていけば、日向達の座る岩場の近くに存在する巨木の逞しい枝の一本の上に誰かが背中を預ける形で横たわっていた。その手にはちらほらとピンク色の缶らしきものが見えている。

「よっ」

 実に気軽。いっそ気楽なまでに放たれた声。

 その声に日向とは別の意味で驚いて反応を示した秀樹が視線を上げながら呆れた様に苦笑した。

「いや、何してんだよ恭介先輩。んなとこで」

「恭介先輩?」

 秀樹の言葉に不思議そうに日向が反応を示す。

「ああ。弦巻は知らねぇよな。二年の鍵森恭介って人だ。入学式で逢ってから何かと世話になったりしてな」

「先輩さんですか!」

 ほー、と感心した様に呟く。

 恭介は樹の上で「いやいや」と軽く手を振った後に鋭く、キレのある動きで枝から跳躍したかと思えば体を回転させながら地面に音も無く着地する。

「忍者ですかっ!」

「いや、忍者程じゃないさ。同じ学年に忍者はいるが、あいつはもっと静かだからな」

「忍者いるんですか!?」

 目の前で忍者さながらなキレでおおよそ八メートルはある高さから音も無く着地した恭介にも、彼から発せられた『忍者? 学院にいますけど何か?』的な事実にも日向は驚きを禁じ得ない。なお恭介からは「『無音衆(よばらずしゅう)』の軽鴨(かるがも)って奴だ」と言う尚の事信憑性を生む発言まで飛び出した。

(あれ無音ってなんだかどっかで聞き覚えある様な……)

 何か耳にした記憶が脳裏を掠める。

 どこだっけな、と考える日向だが今は恭介の言葉に耳を傾ける。

「ま、それはともかく。初めましてだな。俺は鍵森恭介――まあ書類上、二年生でお前よか先輩だが編入生だ――だからこの学院での生活は一年生と大差ねぇよ。気軽に鍵森先輩でも恭介君でもキー君でもおにーたんでも好きに呼んでくれていい」

「後半二つ、ハーレムの為に奮闘する主人公と妙な呼称になってますけどね!」

「はは。まあ、要するに先輩って言われる程の事はないって事だ。ってわけで、よろしくな弦巻」

 そう告げて右手を差し出してくる恭介。

 そんな恭介を見ながら日向は内心若干の羨望を抱いていた。

(凄いイケメンだなあ、この人……!)

 女顔の自分とは比較にならない正統派なイケメンだった事に嫉妬を僅かに込めて何とも羨ましく思ってしまう。

(イケメンで言えば陽皐君も実は結構イケメンだけどこの人、溢れ出るオーラみたいのがあるし……! 後は鎧潟君に前にちらっと見た程度だけどエリカさんのお兄さんもすっごいイケメンさんだったし……)

 何故こうも周囲の美男美女率は高いのか。

 男としては少し羨ましいものだ。

 そんな事を淡く考えつつ差し出された手を握り返す日向であったがふと訝しむ様な表情を浮かべてこう問い掛けた。

「えと、よろしくお願いします。弦巻日向です――って、アレ? そう言えばどーして僕の名前知ってるんですか?」

 ああ、それな、と恭介はポツリと呟く。

「そんな大した事じゃないぜ? そこにいる秀樹から事前に訊いていたってのと――」

 チラリと一瞥すれば『まぁな』とばかりに片目を瞑って肩をすくめる形で秀樹が肯定を示している。どうやら二人は多少交友関係があるらしいのは疑いようも無いと日向は考える。

「――それと、今年の『新入生美少女ランキング』で上位に食い込んでる上に男からの告白を容赦なく叩き折っている鉄壁の美少女こと新橋エリカに面倒みてもらってる実に羨ましいポジションって事で殺意を向けられている事でも有名になってるからな!」

「さらりと凄く厄介そうな事実を吐露されました!?」

 しかも恭介は二年生と言っていた。つまり二年生側の事情という事になる。

「まあ、その事はいいんだ」

「僕としては事細かに尋ねたいんですが……」

「わからなくもない。俺も結構似たり寄ったりだからな……」

 その若干哀愁漂う様子に何故だか共感を覚える日向。どうしてだろうか、親近感を覚えてしまう――その裏にあるのは日向がエリカである様に、恭介は淡路島姫海と関係性を築いているからと言う事情がある。違うのは立ち回りの巧さの有無と言うものに集約されるが。

「それで?」

 そんな美少女と関わり持ってるから若干労苦を伴うと言う傍目に見てとても羨ましい現状でしかない二人に対して秀樹はこめかみに青筋を立てながら先を促した。

「この場所に何の用事で来たんだよ、恭介先輩」

「おっと、そうだったな。本題に入らなくちゃ本末転倒になっちまうとこだ」

「本題?」

 日向が小首を傾げる。横目で秀樹を一瞥する限り秀樹も詳細は知らない様子だ。

 そもそもここに恭介が現れた段階で秀樹自身が驚嘆していたのだから秀樹自身あずかり知らぬ事なのかもしれない。とすると、どうして恭介が今日急遽場所変更し適当に散策して流れ着いた結果であるこの場所へ恭介がいるのか、と言う疑問が残るのだが日向個人としては彼が執事服に身を包んでいる事からそれほどの驚きを抱いていない。周囲の面々の超人ぶりのおかげで鍛えられている。

「んじゃ、まあ単刀直入に言おうか」

 恭介はっもったいぶる様に間を開けた後にピシッと日向を指差して高らかに告げる。


「弦巻――俺達の部活に入るつもりは無いか?」


「へ?」

 これはあれだろうか? 部活勧誘と言う奴なのだろうか?

 てっきり流れ的にもっと突拍子のない内容が来るかと思っていただけに――樹の上何て言う奇をてらった場所から現れた人物の本題である事からも――部活動勧誘と言う実に学生らしい振る舞いに思わず間の抜けた声が零れ出る。

 そんな日向とは別に秀樹はなるほどとばかりに数回頷いて。

「確かに、それはいいかもしれないっすね。俺ももう少ししたら誘おうか考えてたところだったし」

「秀樹も考えていたのか。なら好都合だな」

「いや、あの誘ってくれたのはありがたいんですが、まだ事態が良くわからないんですが……」

 二人して得心が言った様子を振る舞われても困る話だ。

 肝心なのは勧誘されたというだけで『どんな部活か』わからないのだから。

 それに、

「それと僕、美術部に入部予定ですから入部できるかどうか……」

「ああ、そうなのか。それなら別に掛け持ちで構わないぜ? 時間が空いた時にでも顔を出してくれればそれでいい」

「ああ、それならどうにか」

 幸いにして美術部はそもそも活動が実に曖昧だ。

 やっている日は実の所マチマチらしい。見学に赴いた日はたまたま空いていたが、そもそもインスピレーション便りな部員達はどうにもひらめきが起きた時に部室にいるらしく、あるいは部屋にこもっていたりで活動能力は実に不明瞭に尽きるとのこと。

 そう考えると空いている日に参加と言うのは日向としてはありがたかった。

 とりあえず話だけでも訊いてみようと考える日向の傍では秀樹が岩場から離れて校舎の方へ足を運び始めていた。

「んじゃ、恭介先輩の説明訊いてみてくれや、弦巻」

「あれ、陽皐君どこに行くんですか?」

「飲み物切れたから一番近い自販機で買ってくるわ。――そうだ、借り一つでお茶買ってきてやってもいいぜ? 弦巻じゃ迷子りそうだしな」

「迷子になんて……な、ならんぞよ」

「声が裏返ってるぞ弦巻。あと口調」

 苦笑を発する恭介に対して秀樹はからからと笑みを浮かべながら「強がんなって。そもそも足怪我してんだからさ」と告げて空き缶片手に道を戻ってゆく。その背中に「ありがとうございます、頼みますねー!」と声を発する。秀樹は「あいよー。ただ、混んでて時間関係でとか戻って来なかったらそのまま教室行ってるかもしれん」と言い残して走り出す。

「さて」

 と、恭介は岩場に腰を下ろして、

「んじゃ、秀樹が戻ってくるまでの間にちゃっちゃと話を進めるか。改めて言うが俺達の部活に入らないかと言う勧誘だが――どうする?」

「話だけは訊いてみますけど……どんな部活なんですか?」

「よくぞ訊いてくれたっ!」

 恭介はさっと前髪を掻き揚げて自負を浮かべながら告げた。

「闇鍋部さあ!」

「カオスですね!?」

 なんだそれはと戦慄する。闇鍋――聞いた事はある。実践した事は無いが。

 確か各々が持ち込んだ食材をいっしょくたにした大よそ料理とは呼べない料理。鍋料理には神経を注ぐ日向としては絶対に出来ない料理である。

「まあ、当然嘘だがな」

「ですよね!」

 大真面目にそれに勧誘されたなら確実に断っているところだ。

「じゃ、真面目に語らせてもらおうか。弦巻、俺が誘う部活のチーム名は――」

 言葉をそこで一旦区切り、刹那恭介は瞳に僅かな哀愁の様なものを滲ませた。その何処か儚げな雰囲気に日向は思わずどうしてそんな瞳の色を浮かべるのかと――不可解に感じもした。

 けれど次の瞬間にはその色は奥へ潜み、代わりに浮かんだのは少年の様な輝きだった。


「――『ユーストレジャーズ』だッ!」


ユース(青春の)……トレジャーズ(冒険者達)、ですか?」

「ああ」

 力強く首肯を返す。

 部活動の名前を尋ねて訊いた事のない固有名詞と思しきものが出てくるのは芳城ヶ彩では特段珍しい事では無いと日向は前にエリカから訊いている。それは学院での部活動がほぼ大学のサークルじみた側面を持つために、部活にも名称が生まれていると言う理由――及び、けんか別れや競争によりサッカー部が二つあると言う事態も起きた結果、名称が必要となってしまったという過去の事例によるものらしい。

 そう言う意味で恭介が『ユーストレジャーズ』と言う名称を出した事はここでは普通だ。

「これは前に秀樹にも言った事なんだが――」

 恭介は微笑を浮かべながら言葉を紡いでいく。

「俺はさ、この舞台を満喫したいんだよ。面白い事を、愉快な事を、楽しくてたまらない日常を。こんなバカげたくらいデカい学院でなら相当痛快な事が出来そうな気がしてな――だから設立する事に決めたんだ。面白可笑しい毎日を探し求めて、追い求めていく為の部活動――トレジャー部を再建しようってな!」

「面白い日常を、ですか……!」

 その言葉は何とも日向に光り輝いて映った。

 学生時代を順風満帆に生きてゆこう――そう言う事の為の部活動なのだろう。それは何とも心揺さぶられる内容であった。今までの学生時代がつまらなかったとは言わない。けれど新鮮な毎日を求めてゆくと言うのならば――それはとても楽しそうだ、と。

「で、だ。実の所、今メンバーが足りなくてな」

「部員ですか?」

「そう。この学院の部活設立規定人数はどうにも四人かららしくてな。俺に、秀樹、それにあと一人で現在三人なんだよ。だから弦巻に入って貰えると助かってさ」

「なるほど、でも……」

 日向は不思議そうに。

「何で僕なんですか?」

 と、問い返す。

 部員が足りないのであれば他の人物でも良さそうな気がするのだ。何も自分でなくても他に面子は揃いそうな気がする。特に恭介の様な仁徳ありそうな青年に限って言えば友人は多くいそうに思えて仕方ない。

「誘ったわけか?」

 恭介は「もっともな質問だな」と頷いた後に。

「俺は見惚れたのさ。一目ぼれさ――『ルポゼ』でのお前のラーメン回し芸に」

「何恥ずかしい場面を理由に勧誘してんですかあっ!」

 思わず赤面して怒鳴る。

 杖を使ったあの曲芸じみた――おおよそ誰の好感度も上げられない様を見て――変な意味で好感度が上がった男が一人いようとは。日向は耐えきれず四つん這いで地面に伏す。

「そんな落ち込む事はない。女の子助けようとしたんだろ? 格好良かったぜ?」

「欲を言えば足が怪我してなければもう少し格好いい救出したかったです……」

「はは、欲張りめ」

 楽しそうに破顔する恭介だが、日向としてはもう少しどうにかならなかったのかと思うのである。無論、助けられたのだから恥じる事はないのかもしれないが……。

「さて、冗談はここまでとして」

「これも冗談だったんですか!?」

 しれっと告げる恭介にガーンと鐘で打たれた様な顔を上げてツッコミを入れる。

 悪い悪い、と恭介は手で軽くジェスチャーで返すが、何と容赦なくボケを連発するのだろうかと怒鳴るか迷った日向であった。

「ま、本音を語ればな理由はいくつかある。まずは先に告げた女の子を庇ったって奴だ。結構あんまできるものじゃないんだぜ、咄嗟にってのはさ。その時点でお前には行動力がある――そう感じた」

 それと、と間を置いて。

「親近感――みてぇなもんだろうな。俺が編入生ってのは言っただろう? 弦巻の事情は秀樹に幾分訊いていてな。お前もある意味怪我で編入生みたいなものだから――何か他人には思えなかったんだよな」

鍵介(けんすけ)先輩……」

「うん、呼び方何でもいいって言ったけどそれは予想外だな。――まあ、それとは別に秀樹から訊いててお前は結構面白そうな奴に思えてな。だからピンときたのさ。ユーストレジャーズの№4はお前だ! ってさ」

 ピシィッと指を突き付ける恭介。

 その言葉を訊いて、彼の心中を語られて日向は何とも嬉しくなった。

「凄い嬉しいです。入りたいです。ただ――」

「ふむ。ただ、何だ?」

「今日は保留でいいでしょうか? 上司と相談しないとかもしれませんし」

「そうだな。迎洋園家の従僕ともなれば色々都合ありそうだしな」

「それを言えば先輩も執事なんですし、大変そーですけど」

 その言葉に恭介はニッと笑顔を浮かべて手をひらひら振る。

「そうでもないさ。俺はチビジョ――ああ、フルネームはチビジョ=チッコリーノ=訓子府と言うんだが――仕えている奴からは『きょーすけはきょーすけらしくきょーすけしてろよな! あるじめーれーだっ!』と言われているからな」

 さり気無く主を貶める執事はそう告げた。

「何か凄い抽象的ですけど何となくわかりますね!」

(にしてもイタリア系の主なのかな?)

 と、見事に日向が間違った情報をうのみしつつ。

「まあ僕の上司に当たるメイドさんもアレで大概の事は許容してくれる人なので大丈夫とは思うんですが……」

「へぇ、そうなのか。お互い理解のある奴が上役で良かったよな」

 ふわりと穏やかな表情で呟く様に告げた言葉。

 ですね、と日向も笑顔で首肯する。

「さて」

 恭介は徐に岩場から立ち上がると樹の上から降りた時の様な華麗な動きで草原に降り立つ。

「そろそろ戻らないとな。合馬とかにどやされちまう」

「え、ああ、確かに……時間結構経っちゃってますね」

「……それで言えば、秀樹もどうしたんだ? とっくに戻ってきても良さそうな気がするんだが……こねぇな」

「校舎までそこそこ距離あるし遅れてるんでしょうか?」

「遅れているって言ってもアイツ、存外体力あるしな……もう戻ってきててもおかしくはないんだが……何かあったのかもしれないな。時間喰う何かが。――とすると、弦巻。お前ももう教室へ戻った方がいいんじゃないか? 確か、お前のクラスこの後、体育だろう? 遅れるんじゃないか?」

「あ、そうでした……!」

「秀樹なら大丈夫だろう。遅れそうなら教室へ戻ると先程言っていたしな」

「でしたよね。うん……じゃあ僕はこのまま教室に向かうとします!」

 日向はそこまで告げると弁当の残りを一気にかきこみ、秀樹の分の弁当箱もビニール袋と一緒に仕舞い込む。恭介が「ほれ、飲み物」と『ねっとり濃厚ピーチ』を放り投げた。

「ありがとうございます」

 飲み物だー、と嬉しそうにしつつ口に流し込む。

 すると『ねっとぅぉぉぉおおおおおりぃ~!』と言う最早ヘドロの如き流体物が口内を蹂躙し始める。なのに味わいは爽やか白桃味だ。なんだろうかこの究極の組み合わせは。だが言えるのはとてもではないが弁当には合わない相性の悪さ――!

「何ですか、これ……」

 うげぇ、と呟きながら日向は飲み干す。

「いや、自販機で見かけたからネタ程度に購入してな。秀樹にも同じもの買って置いたんだが渡しそびれたな……飲むか?」

「二つは勘弁です!」

「そうか。まあ、午後の授業に遅刻しない程度に急げよ」

「はい、ありがとーございます!」

「ああ、じゃあな。それともし入部する気になったんならお前も部員探してみてくれよ。一緒にいて楽しいと思える奴がいいだろうな」

「あ、はい。誰かいないか考えてみます。じゃあ!」

 と、告げて駆け出しかけた日向はハタと止まって後方を一度くるりと振り向き、

「恭介さんも遅れたら大変ですから急いだ方がいいんじゃ――」

 と、言い掛けて気付く。

 ――すでにそこには姿形も無く風が吹き抜けていた――。

「やっぱり忍者か何かですよねぇ!?」

 日向の精一杯のツッコミは空しく風に紛れて消えたのだった。


        2


 さて、時間を少しばかり巻き戻り。

 二人に一言残して天然の芝生に彩られた草原を早足で駆ける青年は考えていた。

「さーて、弦巻の奴は入部するかね」

 陽皐秀樹は飲み物を買いに疾走する。そんな彼の脳裏には弦巻日向に関する事案――自身が所属しようと考えている部活動『トレジャー部』の事で占めていた。

 秀樹がトレジャー部に勧誘されたのは日向よりも大分前である。

 それこそ日向がようやく登校できる様になった日よりも前であり、その頃に勧誘されていた。ただし恭介が四人目でどうするかを悩んでいたので発足はしばらく経っており、何時になるかと思っていたものだ。最近になって日向を誘うのはどうかと考えていたのだが、怪我の事もありトレジャー部には平気かで迷っていたが――おりしも恭介が代弁してくれた。

 新鮮な毎日を探そうとする活動――実に漠然ではないか。

 だが、

「探そうって気概だけで十分。楽しもうって心意気だけで存分に好感持てるからな」

 日々を怠惰に過ごすより余程いい。

「しかしまあ……恭介先輩もまた妙な場所から出てきたよなぁ」

 樹の上からとは。

 そもそもあの場所へ辿り着いたのはかなり偶然なのだが――よくもまあ場所が分かったものである。加えて言えば木の上からだ――狙っているとしか思えない。

(俺の時はくさむらから飛び出してきたからな)

『ヒト〇ゲを捨てるのは負けフラグだぜ!』と、叫びながらヒ〇カゲの格好で登場した奇想天外な振る舞いはそのインパクトから忘れられようもない。何でヒ〇カゲだったのかとかも意味不明に尽きる。

「イケメンだけど三枚目的な役柄も堂々とこなすって辺りがすげぇよなぁ……」

 秀樹はあの行動力には目を見張るものがあると頷きながら走る。

 と、その時だ。考え事をしていたのがいけなかったのか秀樹の足が草場に隠れていた地面のでっぱりに触れて、前のめりにこけた。

「とっ。――あぶねっ」

 だが、そこで秀樹は右手で地面を掴むと空中で一回転し見事に体勢を持ち直す。

あまれにもこなれた動作――その事からこの場に一般人が一人でもいたならば、彼が中々に常人離れの身体能力を持っていると言う事が見て取れた。

(この程度で転んでちゃ親父にどやされちまうぜ)

 ははは、と内心で苦笑を浮かべる秀樹であったがふと右手を一瞥して。

「あ、やべ。空き缶がねぇ」

 何処かに放ってしまったか――。周囲に人影がないのを瞬時に確認しほっと一息つく。もし満タンの缶で逢ったらぶつかったら相当痛いだろう。とはいえ空き缶は元々炭酸飲料水と言う事もあり、中身が僅かに残っている事を考えればそれはそれでたちが悪いが、傍に人影が見えない事が救いである。

「遠くには投げてねぇだろ」

 どこかねー、と視線を彷徨わせる秀樹。

 その時だ。ふと、向けた視線の先に見覚えのある空き缶のパッケージが映ったのは。

「うっきゅ、うきゅー」

「おお、こりゃどうも。すいません、転びかけた時に放っちまったもので」

 眼前で小さな二つのヒレで空き缶を挟んで秀樹に差し出す生物を前に秀樹は「ありがとうな」と声を出す。どうやら拾ってきてくれたらしい。なんと賢い良い子なのだろうか。


 ――このイルカは。


「待て待て待てぇいっ!」

 そこまで認識した処で思いがけず大きな声でストップをかけた。

「うきゅー?」

 びくっと体を震わせてイルカが空中で身をたじろがせた。

 いや、おかしい。これはおかしい。

「この学院の事だ――前に純白の蛇を視たり、二股に分かれた尻尾の猫を視たり、近いところではまんじゅうじみたいなウサギも見ている。それはまだいい。まだありえそうだ。あるいは見間違いだ」

 うんうんと頷きながら、

「だがこれはおかしいだろう、どう考えても! どうして、イルカが陸地で活動してんだよ! しかも浮いてるし! 浮遊してるし! ホワイ!?」

「うきゅ?」

 何言ってるのかわからないよ? と、ばかりに口元に右ヒレを当てつつ小首を傾げる。

「先輩も学院でたまに珍妙な生物目撃したって訊くけど……どうなってんだ、この学院……」

「うきゅー」

 まあ元気だしなよ、とばかりに肩を叩くイルカ。優しい子である。

「……ま、まあアレか……否定してもしょうがねぇよな。目の前にいるし。それにゴミも拾ってもらったわけだし……サンキューな」

「うきゅきゅーい♪」

 秀樹は何かこう釈然としない気持ちも多分にあったが、目の前のイルカが何か悪さをしたわけでもない。むしろ偉い子だ。ここはとりあえず褒めておこうと頭を撫でる。すると嬉しそうに空中で尻尾を左右に振った。

(何で浮いてるんだよだから……!)

 最早イルカなのかもわからない。もしかしたらイルカに酷似した別の生命体なのかもしれないという疑惑すら浮上する。かといって調べる知識は秀樹には無いが……。

「で、結局何なんだろうな、お前? 学院の研究動物か何かとかなのか?」

「うきゅ? きゅきゅ」

「違うと。じゃあ誰かのペットとかか?」

「うきゅ? きゅきゅきゅ」

「違うのか? じゃあいったい――」

 そこまで問い掛けたところで遠くから「ふなずしー!」と大きな高い声が響いた。高く少女的な声質。おおよそその声から秀樹は自分よりも年下の声だという事を判断しつつ、その声の方へ視線を向けた。

「ふなずし、そこにいたの!」

 声と共に姿を現したのは一人の少女だった。秀樹より背の高い壮年の男性の肩越しにひょっこり顔を出しており。見た所中学生程の容姿。いくつか年下くらいだろうが、そのあどけない顔立ちから実年齢よりも年下に感じられる豪華な赤いドレス型の制服に身を包む少女であった。

(ミカアカの生徒……じゃねぇな。中等部の子かね?)

 制服はミカアカに似通っているが全体的に違う装飾が施されたものだ。とすれば中等部の制服である可能性を秀樹は考えた。

「あ、あなた……!」

「ん?」

 何故だか警戒心に満ちた視線に眉を潜める秀樹。

「わたしのふなずしをどうするつもりなのん……!」

「え、いや、お前のふなずしに手出しはしないけど……」

「嘘をおっしゃいな。愛らしいふなずしを先程まで愛でていたくせに!」

「ふなずしなんぞ誰が愛でるかよ。そもそもアレ苦手だし」

 どうにも鯖寿司やらフナずしは得意になれない秀樹だ。

「ふなずしを愚弄するつもり?」

「そんな怒気を孕んだ表情されてもな! っていうか、そもそも何か会話がおかしい気がするんだがふなずしってそもそも何の事――」

「うきゅい」

「お前かよ!」

 隣で『はーい』とばかりに右ヒレを掲げるイルカに対して盛大にツッコミを叩き込む。

「え、なに、お前の名前ふなずしって言うのか?」

「うきゅー」

「マジか。……マジ、かぁ……」

「何なのん、あなたのその残念なものを見る視線は……」

「いや、だってお前……。ふなずしって……名前にふなずしって……」

 ネーミングセンスが実にわかりづらい名前であった。非常食的なニュアンスでも含んでいるのかと思えば先程の愛情ぶりからそうではない気もする秀樹である。

「もう、わたしをバカにするのは腹立たしい事よ。それよりもふなずしを早く返しなさいな」

「返せって言われても取ってきたわけでもないしな」

「なら、どうしてふなずしが私の前から唐突に消えたと言うの!」

「迷子じゃね?」

「うきゅー? きゅきゅ」

「首振って否定しようとしてるけど、視線逸らしてるよなお前!?」

「意地っ張りなふなずしってばかわゆいの……!」

「そしてお前は親バカか!」

 そんな言葉を余所にふなずしは空中をすぃ~っと泳ぎながら少女の胸元に抱き締められる形で収まった。もうほとんどぬいぐるみみたいなイルカである。

「まあ、ペットが見つかって良かった……的な感じでいいのかね?」

 話の顛末は迷子になったペットの捜索でいいのだろうかな、と思いつつ秀樹は頷く。

「そう言う事になりますかな」

 そこで先程まで口を閉じていた壮年の男性――実の所、秀樹は彼が気にかかっていた。なにせ空中を飛ぶイルカも、この少女もインパクトとしては相応だが、この執事服に身を包む男性もまたインパクトで言えば負けていなかったからだ。

 その最大の特徴は仮面であろう。複雑な紋様が描かれた純白の仮面で顔の上半分を覆った真紅の薔薇の如き頭髪を後ろで一括りにした老人と思しき男性――だが、その佇まい、空気から言って相当な腕前を持つのではないかと感じさせる人物だ。

 執事服で言えば日向に恭介とみているが彼らとは比べるまでもない熟練の気配が滲み出ている人物。気にしないと言うわけにはいくまいだろう。

「さて、この度は私めの主の喧噪に巻き込んでしまい、申し訳ございませぬ」

「む。ロドン、別に謝罪する様な事は――」

「ベアトリクスお嬢様。あらぬ疑いを吹っかけた事に関しては謝罪して然るべき事と考えますが如何でしょうな?」

「うむっ。……そ、その事はわるかったのよ。ふなずしいなくて動転してたのよ。ごめんなさいなの……」

 しょぼんと少し項垂れるベアトリクスと言う少女。

 秀樹はここで意地を張らずに素直に謝った精神にある種感動を覚え「いや、いいって。大した事とか考えてないからさ」と水に流す事とした。そもそもそこまで謝られる程の事ではないのだから。

「そう言って頂けると恐縮でございます」

 ロドン、と呼ばれた老執事が恭しく首を垂れる。

「何のこっちゃないって。ああ、でも一つだけ尋ねていいか?」

「何なりと」

「じゃあ、訊くんだけどさ」

 秀樹はベアトリクスに対してその知的好奇心のままに問いをぶつけた。

「そのイルカって何者なんだ?」


「――飛び魚に決まっているのん」


 間髪入れずに返答が返ってきた。

 妙に強い言い含める様な語調に思わずたじろいでしまう。

「と、飛び魚、なのか……?」

「当然よ。無知蒙昧でなくば飛び魚は知っているでしょう? 海を自在に飛ぶ実に珍しい生命体よ。そしてふなずしもまた空中を飛んでいる――ほら、飛び魚じゃない」

「いや、理論がおかしい! どう見てもイルカだし! そもそも飛び魚の跳躍じゃなくてあっからさまに浮遊しているし! 絶対、それ違うだろう!? なぁ、執事さん?」

「お嬢様が飛び魚と言うからには飛び魚なのでしょうな」

「アンタ匙を投げただろ! 顔こっちに向けろ!」

 ロドンは『HAHAHAHA』と笑い声を零しつつ視線を向ける気配がない。

 なお肝心のふなずし自身はふるふると首を左右に振っていた。

「ま。ふなずしはふなずしという事になるわ。訊きたいことは話したもの――これでいいでしょう? 悪いけれどわたしはもう行くのよ」

「あ、ああ、まあ釈然としないけどな……。けど、そんなに急いだ風でどうしたんだ? 何かあるのかよ?」

「何か無い事を願っているのよ。――さ、行くわよロドン」

 その言葉を置き残して、ベアトリクスは現れた時と同じ様にロドンの背中へと担がれた。ふなずしはベアトリクスに掴まれながら彼女の頭上に乗っかっている形となる。

 そうしてロドンは「では、これにて。謝罪はまた後ほど、行いますので」と告げると次の瞬間には勢いよく疾走し草原を吹き抜けて行った。思わず口から「すげぇ」と言う言葉が零れる。秀樹も走りには自信がある方だが、秀樹よりも更に速い。

「あなどれねぇな、芳城ヶ彩……!」

 そして気になってしまった。

 わざわざシラヅキの方へ何故あれだけの執事が中等部からやってきたのか。気にかかってしまった。胸の中で日向に悪い、と呟きながらも秀樹はジュースを購入すると言う目的を一旦保留して彼らの後を追う形で走ってゆく。


        3


 休み時間が残り少ない時刻となってきた頃に。

 彼、鍵森恭介は日向よりも秀樹よりも早く校舎へと戻っていた。純粋な身体能力の差が成せる技である。恭介は歩きながら次の授業の予習を軽く脳内で行いながらも、口元には微かな微笑を浮かべている。

 その最たる理由が四人目のユーストレジャーズの候補だ。

 ここ一か月間で初めての仲間、それこそ恭介が理想像とする傍迷惑さを発揮出来るだろう彼にとって騒ぎの相棒と成り得る人材を発掘し、次に入学式で出会った秀樹を勧誘し、そして四番目の仲間として親近感を覚える日向を誘った。

 実際に話してみて思った。

(話していて面白い奴だったな)

 純真無垢な感じに何ともいい。恭介はせっかくならばと気に入った奴を勧誘する事にした。急がずに一緒にいて楽しそうだと感じた相手を気ままに招く。破天荒、曲者、純朴。さてさて、これで部活を設立出来るかが気がかりだ――もとい、再建可能かが論点だ。

「入ってくれると嬉しいが――さてどうなるかね」

 日々よどうか楽しくあれ――、恭介の行動原理なんて基本そんなものだ。

「ま、そこらへんは個々人次第か。とりあえず目下の方、授業に集中するかね」

 そうして階段の踊り場へ足を向かわせた時に恭介は唐突に腹部へ衝撃が駆けた。

「わわわ……っ」

「とと……!」

 何だ? と、感じつつもぶつかった衝撃で後方へぐらりと傾いた目の前の少女を識別した恭介は即座に手を伸ばして彼女の体躯を抱き留める。

「あぶな……!」

 抱き締める女生徒の感触を感じながら恭介は安心から息を吐き出した。

 そして視線を下げると、そこに抱き締められて赤くなっている少女に対して「おいこら」と説教をかます事とした。

「走ってくるな淡路島。危ないだろう?」

 腕の中にすっぽりと収まっているシラヅキの制服を纏う恭介のクラスでは一位、二位を競う様な美少女――淡路島姫海。突然に衝突したのは他ならぬ彼女であった。

「あ、か、鍵森君……キミだったのか。ぶつかってしまって、すまない。た、ただこうして抱き締めているのは助けてくれた手前ありがたいんだけれど気恥ずかしいので放して貰えると助かるかな……」

「ああ、そこに関しては悪いな。後、ぶつかった事に関しては気にするな。結構起こり得る事だから俺も五分だよ。――ただ俺が言っているのはそう言う事じゃない」

 そう呟き、姫海の体を解放した後に指先で軽く彼女の額を小突く。

「――その分だと珍しく走っただろう、お前? 大丈夫なのか?」

「あ、ああ、うん。そっちだったのか。そうだね、大丈夫……とまでは言わないけど、そこまでじゃない。走ったって言っても駆け足程度だよ?」

「駆け足だって問題だろうが、お前は」

「あはは……それを言われてしまうと否定要素が無いかな」

 困った様に微笑む姫海に対して恭介は「たく」と呆れた様な表情を浮かべる。

 淡路島姫海は体が弱い。

 その事を一か月間の間に十分恭介は知っている。体育の授業なんかは出られないし、授業中に吐き気を催す事だってあるし、保健室へ送り届けた事だってある。こと今日に限ってだって二限前に送り届けたばかりだ。そんな彼女が駆け足で階段を下りてきたのだから――、

「……何かあったのか?」

「え? い、いや、そんな大した事じゃないんだけれどね……」

 もじもじとスカートを抑えながら姫海は言いよどむ。

「……そうか」

 恭介は何故だか渋面を刹那浮かべた後にそう相槌を返す。

「うん、本当に大した事じゃないんだ」

「ならいいが……何処へ行く気だ? 授業始まる前には戻ってこいよ?」

「わかっているとも。ぼくだって授業前には戻るさ」

 それだけ告げて姫海はとことこと歩き出す。恭介の忠告を訊いて歩く事に変えた様だ。だが如何せんどこか早歩きくさい。気持ちが焦っている様に見えた。

 対して恭介は彼女の背中を見送りつつ「ふぅ」と息を吐き出して。

「……厄介な……!」

 思わず汗を噴出した。それだけ事態は切迫していると彼の脳が計算を弾きだした。

「淡路島の奴……」


 ――下着、盗まれたな?


 仮に口に出していれば『急に何を言っているんだ?』と言う内容な為に恭介は内心でそう呟いた。変人に見られかねないので当然の配慮だ。

(あの急ぎ様は確実に何らかの危機が差し迫っていると言う推論から成り立つ――言ってしまえばどうにか事態を早くに収束させたいという意思の表れ。で、何があってそうなっているかと考えれば淡路島が先程無意識的に行ったスカートをもどかしげに触る動作――無論、それだけならただ恥じらう所作に過ぎないわけだが厄介な事にアイツ二限前に保健室行だ。体調不良で寝込んだとすれば汗で下着を替えたと言う可能性は結構高い。何よりあの場面で恥じらう理由が何もないんだから何かおかしい。唯一の救いはノーパンですとかそんな事は無く下着を替えた後と言う可能性――)

 厄介だ、と恭介は零す。

 あの様子では確実に探している。それはつまりあずかり知らぬ形で所在不明になったという可能性の表れ。そして問題は淡路島姫海が学院でも目立つ美少女の一人と言う事だ。とすれば下着泥棒が現れる可能性は無下に出来ない。

(ただそういうのは大概四人衆が看破しそうなもんなんだがな)

 ああやって姫海が行動していると言う事はすり抜けたと言う事か。

 何やら厄介そうな事態になっているのではないかと訝しむ。そして同時に『あれ、俺、この推理なんだか変態くさくね?』と若干気落ちすると言えばする恭介なのだが、かと言って『お前今、パンツ履いてるよな?』とか言えばそれはそれでアウトだ。故に本人知らぬ間に事を成すのが賢明。探すに対して女性の誰かに協力を仰げればいいが、生憎と個人的推理に過ぎない現状で話しても最悪内容から引かれる気がしてならない。若干の躊躇いがないわけでもないが姫海に対して危険性が一つ推測された以上は恥じらいはそこらへんに投げ捨てる事で決断する。

 だが如何せん、情報は乏しい。

 まずは教室へ戻るべきだろう。そう考えて恭介は早足で自らのクラスへと足を運んで行く。



「あー、くそ」

 見失ったなー、と秀樹は悔しげに呻く。

 あの老執事がどうしてシラヅキに主と共に姿を現したのか好奇心から追い掛けてみていた秀樹であったが残念ながらあっさりと見失う形となってしまっていた。あの年齢であそこまで俊敏な動きが出来るとはつくづく執事とは恐ろしい仕事の者である。

「結構気になってたんだけどなー……無念だ。っていうか本当何で、シラヅキに来てたんだろうなこんな休み時間後半に。中学も午後の授業始まると思うんだが……」

 想像しようにも理由が全く見えてこない。

「しゃあないか。見失った以上はなー……それに、午後の授業体育だし、そんな時間裂けねぇよな。さっさと教室戻らねぇと……」

 午後になれば体育の授業があるのだ。必然、体育着に着替えなくてはならない。教室に戻って体操着に着替えよう――そう考えながら自分の教室を目指す秀樹であったが、教室へ辿り着く少し前にして不意に足を止めた。

「……?」

 何やら喋り声――それもコソコソとした酷く陰鬱なくぐもるものだ。加え得てカチャカチャと言う金属音らしきものが耳に届く。おおよそ耳の良い一般人が不意に気付く程度の音量だったが秀樹には苦も無く伝わった。

 そしてそれは『1-I』と言うクラスの真向かいの部屋から届いていた。

 シラヅキ学院に於いてその学院施設は有り余るほどに充実している。故に各教室の相向かいに存在する部屋の一つがこの女子更衣室であり、女子生徒の為のロッカールームが完備されている。男子は当然ながら入ろうものならばさらし首だ。

 ――が、現在その部屋の中から男子の声と思しきものが聞えてくる。

 秀樹は一瞬躊躇ったが、まず扉を静かに微かに開けた。もしも自分の判断が間違っていたらもれなく死罪確定――下手は打てない。開けたら女子の着替えが待っていると言うのならばそれはそれで安心だ。安心して天寿を全うしよう、と秀樹は結論付ける。

 だが、予想に反して――否、予想通りに秀樹はある光景を目撃する。

『くそう、ヤベェな……参ったぜ、ここの壁とか張り付け難い素材みたいだ……!』

 部屋の中には見慣れない黒い影がいた。何やら天井付近に機材らしきものを張り付けて隠そうとしている。

 そこまで見ていれば十分だった。

 秀樹は扉を掴む。そして、

「おい、何やってんだお前ッ!」

 怒号と共に室内へ身を乗り出した。

 瞬間に『うぉわほほ!?』と言う奇声が上がる。

「そこで何やってやがる黒ずくめ!」

 まさしく黒ずくめ。ゴミ袋を被ったような黒ずくめが一人いた。

「やべぇ、見つかった!」

 変声器でも使用しているのかいやに機械的な声質の焦りを孕んだ声を発しながら黒ずくめが逃げようともがく。

「逃がすか!」

 だが秀樹は逃がすわけなどない。

黒ずくめの服装の端を掴み、正体を見極めんと迫る秀樹。

 けれど、

「だが甘ァい!」

 と、黒ずくめが意地の悪い様なしてやったりとした声を発した。

(何……?)

 と訝しむ秀樹に次の瞬間、ゴンッ! と痛烈な衝撃が後頭部を襲った。

「うご……!」

 思わず白目剥きそうになる気持ちを抑える秀樹であったが、

「ソイヤ!」

「何だソイヤってげぶふうっ!!」

 と言う掛け声と共に秀樹は横っ腹を蹴り飛ばされて横のロッカールームに叩き込まれる。そう、叩き込まれたのだ。扉を開けたロッカールームへ一人分丸ごと入ってしまう様なスペースに叩き込まれたのだ。

「悪いな! 捕まるわけにゃいかないんでな!」

 そして勢いよく音を立てて閉まるロッカー。

「おい! くそ、痛ェ……!」

 何たる醜態か。思わず渋面を浮かべる秀樹は唯々自分を情けなく思った。

 だがまだ間に合うはずだ。痛み走る後頭部を抑えながらも、秀樹は内側を蹴って扉を開けるべく奮闘しようとする。

「ねぇ今何か変な音がしなかった?」

「変な音って言うか何か叫び声みたいのだったわよね? それに大きな音もしたし」

「論点を述べる。おいこら、みたいな声がしたのは確実」

(うぇ!?)

 だが悲しくも一歩遅かったのだ。

 思わず蹴り飛ばそうとした足を引っ込めてしまう秀樹。ここで彼が目撃覚悟で蹴破らなかった事が遺憾ながら彼を天国への道のりへ歩ませる事へなる。二重の意味で天国へと。

 更衣室に訪れた生徒達は皆、女子――1-Iの女生徒たちに他ならない。

 体育の授業で言えば秀樹達のクラスも行うが、当然ながら他のクラスも同時刻に体育の授業がある。問題は行われる場所の違いと言うだけだ。

 そうして秀樹が、

(しまったー! 今、出ておくべきだった……!)

 と滝の様な汗を流す間に時間が差し迫る為、どんどんと更衣室に女生徒が入ってくる。そして次々に制服を脱いで行く光景が目に映る。焼き付いてゆく。

(くそ……! 何だこれ、天国か……!? 下着姿の女子が大勢……!)

 ヤバイ、と言うのはわかるのだがロッカーの小さな穴から見える光景に何とも言えぬ背徳感を抱いてしまう。悔しいながら思春期男子の性と言うしかないだろう。どんどんと魅惑的になっていく光景に思わず目を見張ってしまう。

 その上、この学院はクラスに一人は美少女級が存在するのだ。その関係もあって、秀樹は思わずゴクリと生唾を呑み込んだ。その美少女が合い向かいの場所故に背中姿だけ――故にこそ興奮が溢れて辛い現状である。

(やべぇ、見てるだけで今生に未練が無くなりそうだ――って、違う! 本当に亡くなるぞ、俺の人生このままじゃ! どうにかして脱出の術を見出さないとガチで死ぬぞ、俺!)

 いっそ死んでもいいかな! と言う想いと。

 嫌だ死にたくない! と言う感情との板挟みだ。

 幸いにしてこのロッカーの持ち主は休みなのか何なのか、手に掛けるものはいない様子。

(いけるか……? 俺は楽園を垣間見たまま生きていけるのか……?)

 脱出への希望が一筋見えてきた事に秀樹は感涙に咽び泣く。

 ガパッ。

「……」

 ――まあすぐにそんな淡い期待も潰えたが。

 秀樹のいるロッカールームの扉が開かれた。

「……」

 ですよねぇ、とばかりの笑顔を浮かべる秀樹。

「……」

 対して目の前にいる少女――こんな場面でなければ目を見張る程の美少女であった。何処かぼうっとした印象の強い表情をしている長い髪を持つ綺麗な少女――それが丁度、制服を半分脱ぎ掛けた状態で扉に手を掛けていた。

 そして開口一番。

「あなたは、どなた?」

「今訊く事じゃないよなあ!?」

 まさかの平和な問い掛けに思わずツッコミを入れる秀樹。

 慌てず騒がず動じずに発せられた平坦な声に思わず口を挟んでしまう。だがもっと驚きの叫びやら思わず手が出るとかがあると思っていただけに秀樹は浅慮な振る舞いを発してしまったのである。――当然ながら致命的だ。

『……え』

 カチン、と時が硬直したかの様に周囲が目を見張り体を強張らせる。

 唐突にロッカールームから現れた男に対して思考が追い付いていないのだ。だがそんなある種平穏な時は続くわけもない。数秒後にして――誰か一人が悲鳴を上げた。

「き、きゃぁああああああああああああああああ!?」

 甲高い少女特有の声と共に恥じらう様に服で体を隠しながら身じろぐ女性陣。

 同時に急転直下で血の気が下がる秀樹は精一杯に叫んだ。

「俺の人生詰んだぁああああああああああああああああ!?」

 おそらく心からの叫びだったに相違ない。

「誰か来て――――! ロッカールームに男子がぁあああああああああああ! 覗きよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「違うんだぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 そんな言葉を残して一目散に女子の荒波を掻き分けて陽皐秀樹は更衣室を飛び出した。女子達が口々に「漫画みたいな変質者がいたもんね!」、「許せない。絶対捕まえようよ!」、「それより明日香(あすか)さん大丈夫だった? 変な事されてない?」と言う怯えの声が飛び交っている。

 そして女子達の悲鳴を訊きつけたのか廊下には大勢の生徒達に、教師数名が姿を見せた。

「何だ今度はあっちでもか!?」

「女子更衣室に覗きだと!」

「誰だその羨ま――許せない奴は!」

「いい度胸ではないか。女子の着替えを覗く等と言う下劣ぶり……同じ女子足るそれがしが打ちのめして進ぜよう……!」

「何々何があったの?」

「覗きみたいよ?」

 口々に声が連鎖して何名もの言葉が飛び交うのが僅かな間にも確認出来てしまう。

 ――絶望的だ。

 そして秀樹は逃げても意味が無い――とわかりつつも。

 その恐怖から逃げ延びたい一心で一心不乱に背後からの怒号と殺意を受けつつも逃走劇を開幕したのである。



「結局、陽皐君は教室へ戻ったんでしょうか?」

 秀樹が窮地となる、その少し前。

 弦巻日向は秀樹と遭遇する事も無かったので大人しく自分のクラスへと足を運んでいた。秀樹はどうしているだろうか。まあ授業に間に合えばいいでしょうし、と呟きながら日向は教室へと足を運んでいく。

 と、そこで不意に彼は足取りを止めた。

 丁度1-Hと言うクラスの傍である。そこで足を止めた彼は訝しむ様にその不自然な場所へと視線を投げ掛けざるを得なかったのだ。

「オパ、オパパパパパ……♪」

 顔を隠してこそいるが妙ににやついた様な笑い声。比較的小柄な体躯の何やら怪しい人物を前に思わず凝視してしまう。なにせ壁に顔面を張り付けているのだ。不自然極まりない。

(……何してるんでしょう?)

 柳眉をしかめ、声を発するべきか悩みを見せる。

 なにかこう今声掛けるべきではない気がした為だ。端的に言って日向はこの人物の動向を怪しんでいたといっていいだろう。

 そして何やら熱中している様子なので傍で耳を立ててみる事にした。

「オパパパ……くぅぅ、何という光景か! 丁度、人が少ない時間帯も相まって、女子同士の乳揉みを見れるとは……初いのう! 初いのう! その上何たる魅惑の肉体(ダイナマイト・コルポ)か! はぁぁ……たまらん! やはり、この学院の女子はレベルが高い限りよ!」

「何してんですか」

 しばらく様子見しようと思っていた日向だったが次の瞬間には杖を怪しい人物の後頭部に思わず突き付けていた。だが確証は得れた――変態だ。

「ん?」

 件の人物はふと小首を傾げた後に「ぬぁああ!?」と杖の先端に驚いて後ずさる。

「再度問い掛けます――何してんですか」

 チャキ、と杖を銃口の如く突き付けながら尋問を開始する。

「お、おお……驚いた限りよ。よもや声掛けてくる奴がおろうとはな――些か以上に驚きよ。人間含めて相当の生物の視認を潜り抜ける術式を用いておったというに――」

 オパパ、と愉しげに小柄な人物は笑う。

「……何の話ですか?」

 訝しむ様に柳眉をしかめる日向に対してからからと笑いで返す。

「いやさ、大した話ではないし関わりない話よ。多分に驚きは禁じ得なかったがな――ヌシ、何者じゃ? ワシに気付くとは相当に思えるがのう」

「そりゃああんだけ堂々と壁に目ありみたいな事されてれば誰でも気付きますよ!」

「む? いやさ、そう言う問いかけでは無いのだがの――ま、よいか」

「何かややこしい事を言っていますけど、問い掛けに答えて頂いていませんよ? 何をしていたんですか? 返答次第では、幾分容赦出来ない事になりそうですが」

「オパパ。物騒な事を言うではない。なに、そこまで驚く事では無い――女子更衣室を覗いておった! ただそれだけの事よのう!」

「それだけでアウトですからね! っていうか、覗いていたって……」

 壁に張り付いていただけではないか、と日向は視線で訴えかける。

 この人物は壁に顔を張り付けていただけ――なのだが、それにしては嫌に詳しい事を述べていた様に思える。一概に否定は出来ない程度に。

「オパパ、造作ない、他愛ない事よ。透視を用いれば何という事は無い」

「透視……?」

 そんな超能力みたいな事があり得るのかと日向は訝しむ。

 だが日向は事前にある存在に遭遇している。『定式知らず』と言う異端の能力に。

「まさか『定式知らず』……?」

 あの異端の力ならば――透視もあり得なくはない――そう思えた。

 だが存外相手の反応は意外なものであった。

「『定式知らず』? 知っておる事は存外意外であるが――ぬかすなよ、小童。あのような汚物に塗れた力と一緒にするではないわ」

「……え?」

 嫌悪感を露わに発せられた言葉に日向は思わず眉をしかめた。

 だが、その事に対して疑問を投げ掛けるよりも前に、

「そして生憎とヌシに関わっているヒマはないのだ! 何故ならば、ワシは今より女子更衣室のムフフな光景を堪能せしめねばならぬのだからな! 女顔とはいえ男に過ぎぬ貴様に興味など欠片もないと知れぇ!」

「そこまで清々しく路傍の雑草みたく言われるといっそスッキリしますね!」

 完全な邪魔者扱いに清々しさを感じる開き直りだ。

「ですが逃がしませんよ。女子更衣室を覗こうなんて破廉恥な目的を遂行させるつもりは欠片もありませんからね。大人しく捕まってもらいますよ、覗き魔さん」

「覗き魔ではないわ! 公然猥褻物と言わぬか!」

「そこ修正するとこ!?」

「当然よ! ワシは存在そのもの性欲に生きる者――自他共にこう呼ばれておる。覚えておくがよいわ。ワシの名前は『性天使(バスト・ハンター)』キューピット=アルルとのう!」

「まったくもって誇る名前じゃないですよ!?」

「あるいは『性の伝道使(セクハラ・マイスター)』とも呼ばれておる。オパパッ」

「何照れ気味に言ってるんですか!?」

「誇るとも。なにせこれは我が生涯の街道故に!」

 ダメだ、逃がしちゃダメだ――。

 そんな言葉が一気に脳内を駆け巡った。

「申し訳ないですが御同行願いますよ。学院のSPの方々に引き渡させて頂きます」

「フム。すでに捕まえた前提で語るとは多少なり腕に覚えあり、か。なるほど、その執事服。ご主人様としっぽりむふふな関係を築く事で有名な執事かヌシ」

「何か最低な認識されてる!? 失敬ですね! 主様とどうなりたいとか何て微塵も思ってませんよ!」

「もったいないのう」

 本当にもったいなさそうに呟くので何とも反応に困る相手だと日向は思った。

「御託はそこまでにして頂きます。さくっとお縄について頂きますよ!」

 次の瞬間に日向は俊足を活用し一気に捕えにかかった。

「オパ――出来うるならばな」

「――!」

 だが相手は日向の予想を超えてくる。捕まえようと振った右腕は空振り。キューピットと名乗る人物はふわりと風にそよぐ木葉の様にゆるやかに日向の捕縛を回避した。

(なんて柔らかな動き……! ――けど!)

 杖を壁に突き付けてその衝撃でキューピットを追走する様に跳躍する。そしてそのまま手を伸ばして捉えんを足掻く。対してキューピットは感心した様子を浮かべながら、捉えようとする日向の手を見事な手さばきで裁ききってみせたのであった。

 そして両者互いに地面に着地する。

「オパパ、やりおるわい。よもや、杖つきながらあそこまで見事に躍動するとはの」

「……貴方の方もなんか無駄に強いご様子で」

「でなくば性犯罪者などやっておられんわ。オパパ」

「何でしょうその格好いいんだか悪いんだかわかんない強者的な台詞!」

 いやきっと格好悪いのだろう――そう思わないとやっていられない日向である。

「だがヌシと戯れる気は無いのだよ。先に言ったが男に興味は無い。ワシがあるのは唯一重に女子の裸体! 故に悪いが下策をもって抗おう! ていやっ」

 そう告げながら着用しているコートをはためかせると、そのコートが布として日向の杖を絡め取った。そしてそのまま廊下に転がしてしまう。すれば必然支えを失くした日向は「とわっ」と小さな呻き声を上げて廊下に突っ伏す形となった。

「オパパパ、悪いが先の奴らに先越されるも我慢ならぬでな! チャオ! オーパッパッパッパッパッパッパッパ!!」

 高らかに、小憎たらしい笑い声を発しながら逃げるキューピッド。

 何とも腹立たしい。

 日向は転がる杖に手を伸ばして掴むとすぐさま立ち上がる。

「逃がしません!」

 弦巻日向は必死に追走を続けた。ここで取り逃がしては誰がどんな被害を受けるかわかったものではないからだ――その上で、今の時間に着替えを行っているクラスと考えると思い浮かぶのは自分のクラスだ。午後の授業が体育と言う事もあって、現在日向のクラスが準備を行っている最中だろう。

 だとすれば――日向の知人も被害候補に挙げられる。

 その時、彼の脳裏に一番早く思い浮かんだのは新橋エリカであった。彼女がこんな盗撮まがいの憂き目に遭うなどと言う事は断固許容できる事では無かった。

 故に日向は必死に追い掛けるのだ。

 逃亡者は中々に速い。だが見失うわけにはいかない。決してだ。

「オパッ」

 愉しげにキューピットは口元をにやつかせた。

「中々どうして頑張るではないか。ワシに引き離されんとはやりおるわい」

「速さには自信がありますからねっ!」

「オパパパパ、左様か。さてはヌシ、アレよな? うだうだ言いながらも実はワシと一緒に覗きをしたい口であるな?」

「止めようとしてんですよ!」

「なんじゃ、つれないのう」

 まぁよい、とキューピットは呟いて。

「悪いがヌシとは此処でお別れよ、本当にチャオよのう、小童」

 軽やかなステップを刻んだかと思えば、キューピットは傍の扉をガララ、と開いてそこへ飛び込んだ。教室に立て籠もるつもりなのだろうか――? あるいは、窓から逃走か。どちらにせよ見失うわけにはいかない。

 日向は「絶対逃がしません!」と力強く発しながら、キューピットに続く形でその部屋へとその身を跳びこませる――。


 ――刹那、目に映り込んだのは目に焼き付いて離れない綺麗な茶髪の美少女だった。


(へ?)

 一瞬だけ日向の脳内に間抜けな声が零れ落ちる。

 目の前の光景に理解が追い付かず、ただ唖然が零れ出ただけの話だ。日向はそんな心境のままに、だが同時に目の前に広がった光景に対して恐らくまず間違いなく、目に残る光景であると確信を抱いてしまう気持ちが百パーセント存在した。

 目に飛び込んできたのは――新橋エリカの下着姿だったからだ。

 エリカもまた唖然とした様子を浮かべていた。

 突然の乱入者の存在に驚いている為か――だがエリカは日向の方へ顔を振り向けながら驚いている様だ。そこに何か違和感を抱きながらも日向は悟る。

 誤って自分が1-Dの更衣室の中へ入ってしまったのだと――だが、生憎と日向はそこに対して罪悪感や緊張感に事態の最悪さを感じ入る事は出来ずにいた。

 彼女の輝くプロポーションが目に映り込む。

 目の前にいる茶髪の美少女の艶姿を前に思わず思考が停止してしまったからだ。

 丁度制服を脱ぎ掛けな場面であった為か、彼女の豊満な肢体が大気に晒されていた。大きく形のいい胸、細くくびれた腰、美しいヒップライン――文字通り、下着姿としか形容できないさまが日向の眼にこれ以上なく刺激的に魅惑的に焼き付いてしまう。

 そして、それだけならばまだしも――日向は、止まる事が出来なかった。

 キューピットを追う為に勢いづけたその速さはそのままに止まる事出来ず、前のめりに突き進んで行ってしまう。ほぼ反射的に停止を試みるも「とっ、とっ、と……!」と、小刻みに足が微々たる歯止めをする程度で止まるわけもなく。

 日向は勢いのままに――飛び込んだ。

「わぷっ」

 たゆんっ。

 と、柔らかな感触が鼻先から顔にかけてふわりと広まった。

「――ッ!?」

 エリカはただただ声も無く硬直する。

 突如、胸の谷間に襲った衝撃にシンと静まり返る。

 そもそも彼女は何がどうなっているのかすらもわかっていなかった。突然過ぎる訪問者の唐突過ぎる展開に対して理性が追い付かず、あるがまま事態を受け入れる羽目となった事は疑いようも無い。

「ちょ――きゃっ!?」

 そしてエリカは日向の衝突の衝撃で彼ともつれこむ形でその部屋の床にゆっくりと腰から落ちる。そうして「いたぁ……」と小さな呻き声を発する彼女であったが、その数秒後に眼下に広がる光景を前に思わず赤面しながら絶句する。

(……う?)

 エリカが事態を理解した最中、日向はその不思議な感覚に疑問符を浮かべていた。

 顔を、頬を両側から優しく包み込む温かで柔らかな感触――仄かに芳る新鮮なミルクの様な芳醇な芳香。匂いを感じているだけで心から安らぐような温かで優しい匂いだった。思わずもっとそうしていたくなる程の魅惑的な芳香であった。そして頬を包む温かなふかふかの炊き立てパンの様な感触に至っても手放したくないくらい魅力的で――思わず何なのだろうかと右に触れる感触を手で鷲掴み確認する――それが悪魔のささやきであると気付かないままに。

「ひゃあぅっ!?」

 そこで高く恥じらう様な、思わず口をついて出た様な声が聞こえて日向はハッと我に返る。そして、

「……? 何だろう、このやわらかいの……」

 むにっと指先で無造作に掴みながら不思議そうに柳眉をしかめた日向であったが、その物体を包むもの――衣服と思しきもののデザインを徐々に思考が理解し始めて、

「あ、あん、ああああ、あ、あん、アンタはぁ……!!」

 ふるふると震える声と体。

 その訊き慣れた――おおよそ、日向が人生で一番心地よいと感じている、忘れるわけもない美声を耳にしつつ、そして自分が埋まっている場所を視線を上へ向けた事で識別してしまった日向はその瞬間に全てを理解してサーッと顔を蒼褪めさせた。

 新橋エリカの胸の谷間――丁度、そこに日向は顔を埋めていたのだ。

 そして傍目に見て、日向は今まさに、下着姿の新橋エリカを半ば押し倒す様な形で抱き着いており、その上豊満な乳房を下着越しに手で触れてしまっていた。

 全てを理解した日向は最早絶句であった。

 と言うか、顔が真っ青である。汗が引いて体温が下がった気分だ。

 先程まで顔を埋めていた場所がエリカの胸元だった、胸を触った上に下着姿に抱き着いてしまったという何とも悩ましい艶めかしい事態――同時にこれから先に怒るだろう絶望が先程までの幸福感を見事に蹂躙しきっており、日向は弁明の言葉も浮かんでこない。

「あ、あの……え、エリカさん……その、これは――」

 釈明しようと声を発した。

 だが如何せん、それがいけなかったのかもしれない。胸元に顔を埋めたままで動かした唇からは吐息が零れて結果、エリカの柔肌を刺激し彼女は更に一段階顔を朱に染めながら、羞恥と怒気を入り混ぜた表情を浮かべた。

 そして爆発寸前であった感情は、その刺激により発露される事となったのだ。

「アンタは――人の胸で何時までも――なに、してんのよバカぁああああああああああ!!」

 鈍器が突風で吹っ飛んできて、それが顔面に直撃した――感覚としては最早殴られたと言うよりも台風の余波を受けた様な容赦ない破壊力が日向の腹部を鋭く穿った。意識的なのか無意識的なのかひねりさえ加えられたスクリューパンチは見事に日向の腹部に直撃し、彼の体を錐揉み上に吹き飛ばす。

「のぶそぽみぇんすっ!?」

 奇声を発しながら無様に吹き飛ぶ日向であったが、壁までの距離はとても短く女子更衣室から廊下へと吹き飛ばされた体は隣の教室の壁に激しい衝撃を打ち付けたのであった。

 その衝撃と共に事態を静観気味であった女性陣が金切声をあげ始める。

 怒声。怒号。轟々と。

「今のって……弦巻君よね?」、「嘘……女子更衣室を覗きにくるような人じゃないと思ってたのに……」、「男なんて基本スケベって事でしょ! それよか逃げる前に捕まえとこうって!」、「いや、覗くにしてもなんか変だった様な気が……」、「そんな討論後後! とにかく今は新橋さん襲った事に対して処罰すべきっしょ!」。

 衝撃で痛む体を抑えながら日向は、

(アレ、これヤバイかも……!)

 と、汗があふれ出すのを止められなかった。何としても現状を改善したいところだが目に焼き付いてしまったエリカの姿と、彼女の拳による影響でくらくらしてしまい若干思考がまともに働かない。

 いっそ、大人しく殴られてしまおうか――。

 その気ではなかったにしてもエリカの下着姿を見てしまった――だけではなく、抱き着いた上に胸に触れてしまった事実は消えようも無い。罪を償う意味でもここは男らしく、名売られて制裁されるべきではないか、と日向は考えた。

 けれど、

「弦巻……とりあえず、アンタ……覚悟、出来てんのよね……?」

 目を爛々と輝かせて拳を握り緊めるエリカの背後に仁王が見えた様な気がして――弦巻日向は思わず考えた。

(……殴られた後……僕、どれくらい無事なのかなぁ……)

 それを踏まえて、

 ゴゴゴゴ……! と、地鳴りの様な音が聞こえてきそうな掃除用具やら鞄やらを持った女性陣を視界の端に捉える。他の子の下着姿は視界に捕えてもいないのだが――その理由が信憑性を全く持てない事くらい日向のわかるので言い訳する意味もなく、またする気も起きない。だが、しかし日向は思う。

(あ、これ、やっぱりダメかもしれないです)

 ――ああ、これ死ぬな、と。



 鍵森恭介は少しばかり眉をひそめていた。

「いやに下の階が騒がしい気がするんだが……」

 何やら大騒ぎみたいな声が窓から聞こえてくる辺り気のせいという事には出来ないだろう。とすれば何か騒ぎになる様な出来事でもあったのだろうか?

(……いや、流石に淡路島の下着一枚でこんな下の階が大混乱にはならないか)

 と、すれば何が起きたのか。

 恭介は窓越しに身を乗り出して耳に意識を集中した。

 とぎれとぎれに聞こえてくるのは『女子更衣室に突貫した奴がいるらしいぞ!』、『女生徒が一人襲われたらしい!』、『いや、ロッカーに隠れてた変態がいるっても訊くぞ!』、『俺は盗撮犯が出たって訊いてるんだが!』、『違うわよ下着ドロボーよ!』、『どちらにせよ女の敵に代わりはないでしょ!』、『追え、追え! 絶対に逃がすなぁあああああああああああああ!』。

 そこまで聞こえたところで恭介は体勢を元の位置へ戻す。

「ふむ」

 そして、

(何が起こってんだぁああああああああああああああ!?)

 いや、大まかに想像はつく。

 どうやら下着泥棒なんだか盗撮犯なんだか女子更衣室突貫野郎なんだかが出現したらしいと言う事だ。道理で下が騒がしいわけだ。

「てんで大騒ぎじゃねぇか……」

 一年生の方でのことゆえに自身が干渉するのはどうかと思うので恭介は自分の目的の方に専念しよう。そう考える。だが待てよ、と口元を抑えた。

「下着泥棒……?」

 そのキーワードにピンときた。

 もしや淡路島の下着を盗んだのはソイツではなかろうか?

 そこまで考えた時に不意に窓の方へ視線を戻す。

「オーパッパッとっ」

 そしたら何やら変な掛け声と共に人影が曲芸じみた動きで窓枠に下からひょいっと出没した。

(誰だ!?)

 恭介が思わず内心で叫ぶ――と、同時に反射的に蹴りを繰り出していた。

「オパッ!? ま、待て待て、何か待て! 唐突過ぎるのではないか!」

「いや、外見七割説を信じて反射神経で行動を起こした。今現在、下の騒ぎで原因になる様なキャラクターお前しか想像つかねぇとな!」

「中々豪胆な意見を発する奴もいたものよな! その上ヌシもか」

 驚いた様子で距離を取る謎の人物は恭介は知る由無いが、日向をあしらったキューピットなる人物だ。キューピットは思い切りの良さ、怪しさのみで自己判断をもってして蹴りを放った――ほぼ不意を突かれたに等しい程に反射的行動に感嘆の息を零していた。

「だが、先の小童にも言ったが男に要は無い――されどまあ、一つだけ用があるか。ほれ、これを手際よく元の位置へ戻して置いてほしい。受け取れ」

 そう告げながらぽいっとビニール袋に入った何かを恭介へと放るキューピット。

 ここでそれを受け取るかどうかで判断を決めかねた恭介であったが袋の軌道から機械類や危険物では無さそうな様子を一瞥し、パシッと手に取った。

 そして中を確かめる。

「何だこれ?」

 何かこう綺麗な真っ白とした布の様で――、

「って、待て待て待て……!」

 柄にもなく焦りを募らせる。

 自分が手で広げたものの正体を認識して内心拙い、と感じたのだ。

 だって、これはどう見ても――。


「廊下で何をしているんだい、鍵森君? 授業すぐ始まってしまうよ?」


 そこで不意に後方から響いた声に恭介は思わず強張った。

 淡路島姫海――見目麗しい病弱の乙女がそこにいた。少し疲れた様な表情はおそらく目当てのものを探し当てられなかった事による不安と動いた為の労苦の積み重ねによる結果なのだろう。労ってやりたいところだ――元来ならば。

 だが困った事に今の恭介は姫海の方へ視線を向ける事は出来ない。

 おそらく今手で広げているものを見てしまうだろう。

(どうする?)

 手が汗ばみ、緊張感が喉を走る。

「……どうかしたのかい?」

「ん。ああ、いや、ちょっとな。まあ、大した事じゃあないんだが」

 だがそんな気配はおくびも見せずに恭介は表面上取り繕った。

 全く普段と変わらない様子に姫海もいつも通りの態度で苦笑を零して対応する。

「そうなんだ。良かったよ、てっきり立ちくらみとかなのかなって思ってしまったよ。何もないならいいんだ。……病人だから悪い考えしてしまうなぁ、ぼくって奴は」

「そうか? 心配してくれる辺り優しい奴だと思うけどな」

「そんな優しいって言われる程の事じゃないと思うんだけどな」

 いや、優しいよお前は、と恭介は思う。

 一ヶ月ほど付き合ってみてその事は結構理解していると思っている。

 故に。

 故に、だ。

(心が痛ぇえええええええええええええええ!!)

 何故パンツをこっそり後ろ手に回してこんな状況になっているのか。元凶たる人物へ怒りの視線を贈ろうにも忽然と消えており何処にもいない。

 と、そこまで考えて不意に不可解な事実に直面する。

(いや、待て。そもそもどうして淡路島はただ俺に話しかけただけなんだ?)

 思わず考察しそうになるが恭介はすぐさま首を振った。今は現状を打破する事が適切だ。

 この事態を打開する為の妙案は何かないのか――。

「よし、わかった。やはりこの時期に現れたと言う事か――上々だ。鼎君、頑張っていてくれ。私もすぐにそちらへ足を運ぶ!」

 ガラッ。

 教室の後方扉を開きながら唐突に電子端末片手にし恭介のクラスメイト――藤田刀華が姿を現した。その手には何やら日本刀の様なものが握られている。竹刀でも木刀でもなくどう見ても日本刀の拵えであった。

 同時に恭介は敗北を悟る。

「あれ、藤田さん? 急にどうしたの?」

 前方の姫海が不思議そうに言った。

「ああ、淡路島か。なぁに、ちょっと因縁深い相手が現れてね――故に風紀師団第三班隊長を務める私としては今から駆り出され――狩りに行ってくる事になってね」

 後方の刀華に対して何故だろう――炎を放つ様なオーラを感じてしまう。

「因縁……? まあ、要は風紀師団の仕事って事かい?」

「そうなるね。少しばかりとっ捕まえてくるとも――、その上どうも共犯なんだか同時刻の別々の実行犯なんだか知らないが犯人は複数いるらしい――下着泥棒含めた女の敵がな」

「下着泥棒……!? それ、ホントかい?」

 その言葉に思わず身を乗り出す様に前に出る姫海。

「ああ、まあね。けど、どうしてそんな切羽詰まった様子で――って、まさか淡路島さんも被害を受けているんじゃないだろうね?」

「あ。……あぅ」

 その言葉に姫海は思わずと言った様子で顔を朱に赤らめる。

 やはり、下着を盗まれた事が恥ずかしくて単独で捜索していたらしい。あるいは徒労の可能性を考慮してか。兎にも角にも「そうか」と刀華は頷いて力強く「後は任せてくれ。我々の仕事だからな」と述べる。

 そしてそのまま言葉を続けて、不思議そうに問いを発した。

「それで……鍵森君? 君はどうして壁際にいるんだい? 私は今から渦中に身を投じるが、君は授業を受けた方がいいよ?」

「ああ。そうだな。そうするさ」

「授業は大切だからね」

 壁に背を預ける形で事態をやり過ごそうとした恭介は思わず内心舌打ちする。

(拙い……! 淡路島だけならある程度対話になったが、風紀委員の藤田がいたんなら確実にややこしい展開になりかねない……! どうにか藤田が行くまで隠し通して――)

 しかしその願いは淡くも崩れ去った。

「……ねぇ、鍵森君」

「ん。何だ淡路島?」

「その……足元に転がってるそれなんだけれど……」

「ん?」

「……ぼく、そのビニール袋に見覚えがあるというか……」

「……」

 確かに転がっているな、と思う。

 淡路島の下着を入れておいた何やら病院名の書かれたビニール袋が。

「……ふむ」

 ビニール袋は数あれど――とある病院名の明記されたビニール袋を持ってくる人間となると限られてくる。大半はコンビニやそう言った場所で購入したものになるだろう。それこそ通院生活の長い――淡路島やそう言った面々に限られる話だ。

 無論、それだけでは確証無いが――現状では空気を一変させるには十分だった。

「鍵森君」

 いやに冷徹さが滲む声で刀華が言った。

「ゆっくり後ろを向いてくれるかな?」

 やけに明るい声でそう続いて言われた。

 恭介は愛想笑いを浮かべた後に、姫海の方へビニールを拾いつつ近づいて、中身を元に戻した後に彼女へ手渡し、こう述べた。

「淡路島――今度からは恥ずかしくても友達と一緒に探すように。な?」

 その言葉を皮切りに風紀師団第三班隊長が真っ赤な顔で抜刀した。


        4


 かくして事態は混迷を極めた。

 最早授業等関係ないとばかりの逃走劇、大捕りもの、波乱万丈に至りける。

 午後の時間帯に急に巻き起こった大騒ぎ――それは三名の容疑者を追い掛ける事態となったのである。

 容疑者一――『下着泥棒』。

 容疑者二――『覗き魔』。

 容疑者三――『女子更衣室突貫野郎』。

 たった数十分の間にして展開された事態に校舎内は混乱を極めていた。特に一年生の階は当然ながら騒ぎが蔓延している。対して二年生達は自分達の場所まで被害が及んだ事に何やら信じられない様子を浮かべてもいた。そして三年生――そこからも学院の風紀師団と思しき面々が駆り出されて事態の収束に手を貸している形となっている。

 そんな中で第三班隊長の藤田は腰の日本刀――厳密には模造刀を手に眼前を走り逃げていく鍵森恭介の後を追っていた。

「待て、鍵森君! 大人しくお縄を頂戴するがいい!」

「別に捕まるのはいいけどな! 俺自身あの状態で身の潔白を語れる気はないし! だが今のお前達に捕まるとタダじゃ済まなそうな気がするんで少し待て!」

「バカを言うな! さっさと淡路島さんに謝罪をするんだ!」

「無論するが後でな! 今は近づける雰囲気じゃねぇし!」

 二年生の階層をひた走る恭介には後続する様に風紀師団第三班の面々が大勢押し寄せていた。皆目がギラギラしている。どう見ても捕まったらタダじゃ済まない。

 それに、

「鍵森貴様ぁああああああああああああ! どういうつもりで姫海お嬢様の……あ、アレに手を出したのだぁあああああああああああああ!」

「詳細に尋問しなくてはならないようだね」

「生憎と弁明は効かないと思えよ鍵森ぃ! 俺は今、羨――怒っている!」

「ねぇ、今羨ましいって言い掛けなかったぁ?」

 淡路島の四人衆――彼らが怒気を纏って追い掛けてきているのだ。

 何とも拙い――拙い事態だ。

「何にしても大人しく諦めるべきだぞ鍵森君! 共犯者もいずれ捕まる!」

「諦めは良かったり悪かったりするからな――今回は悪い方に寄っているんで。それに共犯者って何の事だよって話だ。俺に共犯なんかいやしないぜ?」

「その言葉の真偽は審議にかけてから考慮するさ。だが、君以外の二人の容疑者、そのうちの一名はすでに女子勢によって袋叩きに遭い、確保済みだ! そう遠くないうちに口を割る事となるぞ!」

「そりゃ不運なこった! 自業自得だがな」

「君も何れそうなる! 残る一人に関しても時間はかからないだろう。なにせ一年にして風紀師団第五班班長となった(かなえ)家の子息だ――並大抵ではないよ」

「だから風紀師団ってどういう面々の集まりなんだよ!?」

 ドヤ顔で語る藤田刀華に盛大にツッコミを入れる恭介。

 何でも全部で十班まで存在しており、シラヅキには三班から六班までが在中しているらしいが藤田を含めてどういう面々なのだろうか?

 そんな思考を挟みながらも鍵森恭介は必死で逃走を続けるのであった。



 陽皐秀樹は窮地に追い込まれていた。

 どうにか校舎内の網を潜り抜け女子勢を引き離した彼であったが、如何せん人がわらわらと集まってきているのだ。このままではジリ貧だ。相手側の戦力が大き過ぎる。

「クソ……! 盗撮犯捕まえようとしただけなのに何でこんな事に……!」

 正義の心に従って行動した結果としては何たる皮肉か。

「いや、確かに、その、着替えシーン見ちゃったけどさ。そこは、ほら、あれよ。男の子だしって言うか何ていうかね」

 独り言の弁明を述べてみるも事態の打開にはならず空しくなるばかり。

 ああ、くそ、と唸り声を発した。

「何なんだよもう、この事態はさぁ……!」

 まさか自分が風紀師団に追い掛けられる羽目になろうとは……!

 しかも逃げるのも無理があると気付いている。顔は知られているのだ。どうやったって逃げ切れない――だが捕まるのは恐怖だ。そんな心境の秀樹の前に不意に現れる人影があった。

「そこまでさ――狼藉者!」

「は?」

 思わず間の抜けた声と共に目の前に現れた人物に目を見張る。

 童顔と言えば童顔で、男子としては平均的な背丈――強いてあげれば無駄に偉そうな振る舞いが目につく少年。

「何してんだ……祝島(いわいしま)?」

 秀樹が知っているのも当然で――彼は秀樹のクラスメイトなのである。

 祝島仁寿(じんじゅ)

 その人物が今まさに目の前に現れていた。――槍片手に馬を持って。

「どんな装備だよ!」

「悪漢を打ち滅ぼす正義の身支度さ!」

 悦に浸った様子でそう語る仁寿。

 そう言えば確か馬上槍術部なる部活に入っていたと訊いているが……。

「その様子だと……俺を捕まえに来たって事か?」

「そうとも。身内の恥は身内が塗ると言うだろう」

「雪ぐだけどな! 身内恥じだらけじゃねーか」

「う、うるさい! とにかく何してんだはこちらの台詞と言うわけさ悪漢、陽皐! お前と言う汚点を今ぼくが打ち滅ぼさん! 行くぞ、愛馬ヒヒーン!」

「え、それ馬の名前なのか!?」

 愛馬ヒヒーンの手綱を打つとヒヒーンは高らかに啼いて地面を蹴り、秀樹の方へと一直線に駆けてくる。何が厄介かと言えば馬の速度に衝突されたら普通にただじゃ済まないと言う事だ。その上仁寿は槍を構えている。

「普通に危険だな……!」

 馬の突進力。槍の攻撃。どう考えても一般人ですら分かる危険度の高さだ。

 秀樹も流石に普通ならば臆す心を隠す事は出来なかっただろう。

 だが相手が仁寿であった事が幸いした。何故ならば。

「うひゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「乗りこなせられないなら初めから乗るなよな!」

 半ば馬の首にしがみついて必死で落ちない様に頑張りながらどうにか槍を前へ向けている状態だ。ヒヒーンなる馬も何処か鬱陶しそうにしながらポニーのごとき軽快さと遅さで主を守っている様に見える。

 見事なヘタレぶりに思わず額を抑えたくなる気持ちを抱きながら秀樹はその横をすり抜けた。

「なぁっ!?」

 まさかスルーされるとは思っていなかったのか仁寿が非難の色を込めた表情を浮かべるが、生憎とまったく整っていない体勢で必死な奴にそんな目をされても怖くは無い。

「悪いな! 下手にかまってる余裕無いからな!」

 少なくとも仁寿にやられるのはプライドが何だか許せない気がした秀樹である。

 かと言ってこのままと言うわけにはいかない。

「――やっぱ探すしかねぇよな。アイツらを」

 秀樹は決断を下す。

 やはり彼らを、あの下手人を捕えるしか道は無いだろう。そこまで考えて、秀樹はふと思い当たる可能性に直面した。携帯端末を取り出してある人物へ連絡を入れる。数回のコールの後に目的の人物の声が鳴った。

「もしもし! 鍵森だが、どうした秀樹!」

「ああ、恭介先輩か! 悪いんだけどちょっくら頼まれてくれないか?」

「頼まれるって言われてもな……俺もあんまり余裕無いぜ?」

 そう言ってくる恭介の形態越しに何やら騒ぎ声がいくつも聴こえてくる。どうなっているんだと訝しみつつも、時間が無い。秀樹は軽い事情と要点だけを伝える事とした。

 その後に聞こえてきたのは「……秀樹……」何故だか切なさを堪えた声だった。

 何故だろうか不思議ではあるが頼むべき事は頼んだ。

「とりあえず返答を返そう。俺は無理だが、頼める奴がいそうだ。そこに関しては任せろ」

「助かるぜ!」

 そう言ったところで不意に感じた気配から秀樹は体を逸らした。その際によけきれなかった手元の携帯が手から勢いよく弾かれる。

「――ッ」

 攻撃の来た方向へ即座に反応を示して体を向き直す。

 誰だ。そう思いながら振り向いたところで秀樹は思わず振り向かなければ良かったかもしれないと思った。目の前にいたのはシラヅキの制服を着用した少年だった。ただし警察官の帽子を軽く被っていると言うあまり見ない特徴の少年。だがただの少年ではない――その顔立ちは美しく正しく美少年であり、オリーブ色のセミロングヘアーを緩く紐で括っていた。帽子の奥から見えるあずき色と黒色の双眸が厳しい色を放っている。

「ヤベェのきた……!」

 秀樹の呟きに対して視線を細めながら眼前の少年は手にした日本刀を日本刀を片手に携帯端末で連絡を取り始める。

「こちら第五班班長、鼎だ。藤田先輩、こちらも標的を発見しました。これより確保に映りたいと思います。また事前に連絡を取った様子が見受けられ、鍵森、と告げていた事から共犯の可能性を匂わせています。ええ、はい」

 何やら情報を伝達している様子。

 しかし恭介を巻き込んだ感があり秀樹は若干申し訳なく思った。

「さて」

 ヒュンッと鞘に納められた日本刀をそのまま振り抜き、

「ここまでだ大人しくしているがいい、覗き魔」

「覗こうと思ってしたわけじゃねぇんだけどな……!」

「往生際が悪いな。お前が覗きを行ったのは純然足る事実として確認捕れている、陽皐。このロッカーマンめ」

「ロッカーマンって……もうちょいマシなネーミングねぇの?」

「う、うるさいなっ。文句垂れるな変質者!」

 刀を秀樹へ突き付けて眼前の美少年は告げる。

「自己紹介はしておこう――風紀師団第五班班長の鼎竜胆(りんどう)だ。いいか、風紀を乱す破廉恥ヤローはオレが許さないからなっ。刀の錆にしてくれるんだから――え、エッチな事は御法度として心得ておくがいい! わかったか!」

 高く少女的な声だが凄まれると何とも威圧感を感じる少年だ。

 鼎竜胆。その名前は風紀師団の中でも知られた名前である為に秀樹も知っている。大まかな情報にはなるが、

(『天才剣士』であり『副総監の息子』って言うハイスペック風紀委員……! その上、容姿がいいから学院で結構人気の高い、王子様みてーな奴って訊いているが……!)

 マジだな、と秀樹は思った。

 男としては日向に負けず劣らず女性的な面立ちだ。その上、スペックは日向の何倍も高いと来ている。それはモテる事だろう。事実今も盛大にモテている。

 彼の遠巻きに何名もの女生徒が黄色い声で『キャー! 鼎くんかわゆかっこいー!』、『その痴漢をやっつけてー!』と叫んでいる。中には野太い声で『やっちまえー!』、『俺も見たかったぞチクショー!』と言う事態を楽しんでたり羨んでたりする声もちらほら。

(好きでやったわけじゃねぇよ!)

 と、内心観衆へ叫ぶ。そして観衆の中にちらりとクラスメイトの顔が数名目について実に悔しい限りだ。誰か弁護したりしないかな、と思うのだが出来るわけもないかと嘆息を浮かべざるえない。せめ恭介や日向がいたら、と無い物ねだりしてしまう。

 そこまで考えてふと思った。

(そう言えば弦巻どうしてっかね? アイツがいてくれりゃあそこそこ頼りに出来たと思うんだがこの騒ぎでどこにも出てきてねぇし……)

「ちなみに大人しく投降する事をお奨めしておこう。共犯と思しきお前の友人である弦巻の方はすでに捕獲済みで尋問の予定も入っている――意識が戻ったらだが」

「弦巻―――――――!? 何があった――――――――!?」

 知らぬ間に日向に何があったと言うのか。

 だが、その言葉は日向が行動不能と言う事を示していた。先の電話越しの状況から恭介へ助けを求めるのも難しい。誰かに助力を乞うにしても誰が味方になると言うのか。

 すると必然、秀樹の選択は絞られた。

(先に頼んだ事が達成できるまでの時間を稼ぐ!)

 竜胆を背に秀樹は再び爆走を開始した。

 遠巻きにシラヅキの門番ミョウブとサグジが「おお、陽皐の子息ではあるまいか。どうした息を切らせて?」、「今日日猛暑であったか? いやさ、猛暑はありえない」と長閑に対話しており事態の深刻さなどまるで感じさせない。

(校門まで逃げてきちまったか……!)

「ふん。逃げるか。本当に悪足掻きする奴だな。そして――」

 一拍間を置いて竜胆は告げる。

「――オレから逃げようなんて尊大じゃないか?」

「な!?」

 速い! 先に駆けたのに関わらずすぐさま並走されていた。残像を残す様な動きだ。

「大人しくしろ」

 その言葉と共に竜胆が秀樹の意識を刈り取るべく剣閃を走らせた。

 回避――出来ない。速い、と秀樹は認識して最後を悟る。

「物騒なもの振るう奴ばっかだな、おい」

 だが、その剣閃は寸前で下からの拳の突き上げに阻まれる。

 竜胆の拳を不意を突いたとはいえ弾きあげたその人物は――、

「恭介先輩……!」

「よぉ、秀樹。お前も大変そうだな、わかるよその苦労」

 頼もしい笑みを浮かべて恭介は破顔する。

「鍵森恭介先輩か。どうやってここまで? 藤田先輩は……?」

「撒いてきたさ。まあ、方向はバレてるからすぐ追手は来るだろうがな」

「なるほど噂通り只者じゃなさそうだ。そして先ほどの連絡を受けて後輩を助けに来たってわけかな?」

「そんなとこだな」

 肩をすくめてそう返す。

 だが秀樹にはわかっていた

 恭介は秀樹と同じく時間稼ぎに回ったのだと。

「なるほど、なら後輩先輩仲良くここで成敗だ。覚悟してもらうぞ」

 無論、悟られてはならない。悪足掻きを演じ切れ。秀樹はそう決意する。

「易々とはお縄は貰わないぜ?」

「言っているがいい! 行くぞ!」

 竜胆はその言葉と共に刀を振るう。恭介は鋭い観察力で剣閃を見切ると、あろう事かその拳を持ってして弾いてゆく。鞘に納められた状態だから可能と言う事では無く、しっかり剥き出しの時に備えて腹に拳を当てている技量に竜胆は思わず感服した。

「素晴らしい技術だな――それだけにこの騒ぎの渦中の人物と言うのが虚しくて仕方ないというものだ。そしてそれだけの技術を持つ故に――容赦はしないぞ」

 途端、竜胆の気配が濃密に膨れ上がる。

 恭介は「こりゃ拙そうだ」と額に汗を浮かべるが、剣舞と拳舞の間に避ける隙はなく、竜胆の剣閃はそのままに解放された。鋭く穿つ様に放たれた剣閃が迫り恭介はそれを横から拳を叩き込む事で粉砕する。

(斬撃が飛ばなかったか今……!?)

 その光景を傍目見ていた秀樹は戦慄した。なんだ今のは、と。

相生天咒流(あいおいてんしゅうりゅう)慟哭斬(どうこくざん)。よく躱したものだな……!」

「まあ、どうにかだけどな」

 二人の間に電撃が走る。強者と強者の戦いだ。

「はてさて、何がどうなっていると言うのか」

「今日は台風であったか。いやさ、空はぽかぽか陽気に違いない」

 そのそばでは門番が意味不明そうに談話している。

 そんな長閑な空気も二人には通じず、いざ竜胆が再びの攻勢を放つ。

「だが次は避けられないと思うがいい――!」

 恭介が身構えた。

 そんな時であった。

 遠くで突然にドゴン! と、大きな爆発音らしきものが鳴り響いたのは。ただ、タイミングが悪かった。疾走する最中であった竜胆が思わずよろけて体勢を崩す。それだけならばいいが崩した方向に二つ分ほどのこぶし大の岩が転がっていた事だ。

 それを見た瞬間に秀樹は動いた。

 ぶつかって怪我をさせるわけにはいかないだろう――岩と竜胆の狭間に滑り込み、竜胆の体躯を抱き着く形で突き飛ばした。幸い、芝生生い茂る場所へ押し飛ばす形となり、二人の体はその上へ転がる。

「おい、大丈夫か秀樹!」

 構えていた体勢を即座に緩めて芝生に転がる二人の元へすぐさま駆け寄る恭介。遠巻きに見える煙に「何かが爆発したのか?」と訝しむ様な視線を投げ掛けたが、すぐにまた二人へ視線を移す。

「秀樹は平気そうか?」

「ちょっと痛いが何て事ねーかな」

「鼎。お前の方は――鼎?」

 そこで恭介が不思議そうな色を浮かべた。

 秀樹がどうしたんだろうかと視線を竜胆へと向けるとそこには赤い顔で怒りに震える様子の鼎竜胆の姿があった。

「――お」

「お?」

「お、おお、おおお……!」

「……」

 何故だろう、嫌な予感がした。

「オレに……オレに……!」

 ゆらりと立ち上がる竜胆。その表情は怒りに染まっており真っ赤だ。

 そして手に持つ刀をカタカタ震わせながら膨大な力を練り込んでいる――目に見える程の何かが刀身に込められている。

「何だこりゃあ!」

「拙い……! かなりの『気』だ……!」

「『気』ぃ!?」

「ま、待たれよ鼎の! ここでそれは我々がヤバイ気がしてならぬ! 鍵森の、陽皐の、おぬしたちここを離れよ!」

「明日は霹靂ではあるまいか。いやさ、霹靂であるに違いない――!」

「いや、何の話してんだよ!」

 と、叫びつつ秀樹はふと鼎竜胆の事でもう一つ思い出していた。

 風紀師団の『王子』やら『天才剣士』やら呼ばれる鼎竜胆。女子にもモテる。だが浮ついた話は全く出てこない――その最たる理由として上げられる内容。


(『潔癖症』の鼎……!)


 誰かに触れられるのが苦手らしい竜胆の逆鱗。

 ミョウブとサグジの後ろに思わず恭介と秀樹は隠れた。ミョウブとサグジが何時になく慌てた様子で口早に言葉を紡いだ。

「ま、待て待て待たぬか! 我等でも鼎のの剣技は拙い! 堪え切れん! 離れるのだ!」

「明日は天の川を渡るのではあるまいか。いやさ、三途の川に違いない――」

 そんなミョウブとサグジの悲鳴を丸呑みに。

「触れるな――――! 相生天咒流奥伝・八幡靂克鳴斬(はちまんれきこくめいざん)!」

 カッ! と光が爆発的に膨張する。

 そして周囲を包み込むドーム状の輝きは男二人の絶叫と門番二体の断末魔と共に燦然とした煌めきをもってして盛大に爆裂するのであった。


        5


 とある部屋。峻厳にして絢爛な装飾が施された室内にて、壮美なデスクの奥で椅子に鎮座する少女は不意に鳴り響く学院専用回線の伝う受話器を手に取りながら明るい声で答えた。

「もしもし♪」

「もしもし、こちら風紀師団三班の藤田です」

「ありゃま。トーカちゃんかー。どうしたのかなん? 先程の爆裂音と何か関係性ありありでござるかねん?」

「ええ、まあ。掻い摘んで話しますと――」

 藤田刀華の説明の声に時折相槌を打ちながら最後まで訊き終えるとその人物は楽しそうに笑い声を発した。電話から「笑いごとではありませんよ!」と言う怒声が聞えるも「ごみんごみんでござるねん♪」と馬耳東風の如く気にする気配も無い。

「それで、三名捕縛したわけでござるかねん♪」

「ええ。二年の鍵森君。一年の陽皐君に弦巻君。以上三名です。ただし鍵森君、陽皐君両名は保健室送り、弦巻君もすでに保健室行きとなっております」

「容赦ないでござるねん」

「やった事がやった事ですからね。これで主犯と思しきアイツに繋がるかどうかですが……」

「ふーむ、そこはお門違いの様にワタシは考えるけどねん」

「……何故です?」

「フフ、まあ、そこは本人達に事情聴取してからでござるかねん♪」

「……まあ、確かにそうですね。それと、門番のミョウブとサグジが五班の鼎の攻撃の巻き添えになって壊れてしまった様なのですが……」

「ありゃりゃ、それはいけないでござるねん。先生に伝達しておく事でござるよん」

「すでに完了しています」

「ならばよし」

 それだけ告げると「まあ役員を誰か送るから状況確認よろしくでござるよん」とその人物は告げてから通話を切る。なにやら中々騒がしい事態が巻き起こった様だ。

 ――素晴らしい。

 微かに口元を歪ませ呟く。

「退屈しないでござるねん。何時の時期も」

 そうしてその人物は長いアッシュブロンドの頭髪をなびかせながら部屋を歩いていき、戸棚に仕舞われた『学生名簿』と言うものに目を通す。先程告げられた三名の名前を瞬時に確認しながらクスリと微笑んだ。

 そしてそのまま他にも数名の名前を見通していく。

「いやあ――今年度の新入生は曲者揃いでござるねん。そしてまず動かされたのはこの三名」

 どうなるか実に楽しみだ。

 何もかも見通す様な雰囲気を纏い愉悦を浮かべてその人物はその部屋を後にした。


第八章 無秩序カルネヴァーレ

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