第五章 芳城ヶ彩共同高等学院・後篇
第五章 芳城ヶ彩共同高等学院・後篇
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生徒達の前に出現した六角形の柱型の茶褐色の物体。
名称は御神籤箱。
それはまず間違いなく、おみくじで使われる事で有名な代物であった。まず席替えの場面で出てくるようなものではない。だが沖田先生は何か不満でも? と、ばかりの笑みを浮かべて返してくる。
「お前らな。コレ、いいんだぞ? ロマンがあるだろ、何か? それに一々、紙じゃなく棒で出てくる――数字も限られてるからな。結構いいチョイスだと思わんか?」
確かに――確かに資源の無駄も無いしそれを振るのは楽しい気もするが。
コイツどっから持ってきやがった……、と言う意識を生徒たちは共有しつつも、所詮くじ引きだ。この際、箱がどうとかは関係ないだろう。
「さて、それじゃあ引く順番だが――」
沖田先生は一拍隙間を置いた後に。
「淡路島、シュリュッセルヴァルト、藤田、花良治――お前らさっさと引け」
その言葉に四名の女子生徒――そう、女子生徒だ。
それもクラスの中で飛び抜けて容姿の優れた女子生徒達を名指ししている。
先程の淡路島姫海だけではない。
北欧系の容姿を持った鮮やかな深紅のロングヘアーを持った異国の姫君を連想する様な優美な容姿を持った女子生徒。先程、姫海に助けを求められていた凛として華やかな色香を持つ、和風美人と言った様子の美少女。最後に長い黒髪の持ち主で何処か鳥の翼を思い起こす様な髪の毛の広がりが特徴的な頭に模造だろう花飾りを被った明るい印象の美少女。
その四名が明確に反応を示した。
まず初めに手を上げたのは赤い髪の美少女であった。
「……えっと、何故私達なのでしょうか、先生?」
「何故か? それはなシュリュッセルヴァルト――お前達を先に決めた方が面白い事になりそうだからだ」
「……相変わらず嫌な御決断をされますね……!」
ニヤリ、とあくどい笑みを浮かべる沖田にシュリュッセルヴァルトと言う異国の名を冠する少女は冷や汗を浮かべて乾いた笑いを零す。
「なんでぼくたちが最初なのさ……」
「安心するといい、淡路島。四人を指名したが、一番はお前だ」
「なんでぼくだけが一番なのさ……」
声のトーンが一つ明確に下がっていた。
「それはな。お前を決めれば必然、後はわかりやすいと言うだけだ」
沖田先生はそう告げながら教室を見渡した。
そこには修羅が数名いた。自らの利き腕をパキポキと鳴らし、業火の様なオーラを発している見慣れた顔ぶれがまるで殿を務める如き気迫で鎮座している。静寂にして獰猛なこの気配が何を意味するかわからない者はこのクラスにはいない。
「……比較的、平和な席がいいな……」
小さく呟かれた少女の言葉には切々とした願いがこもっていた。
思わず合掌する恭介である。
この後、自分がどういう命運を辿るかわかっていない彼はまるで他人事の様な心地であったに違いない。
「まあ、とにかく人気所にまず引かせて、その後、席を狙う兵達の夢の跡って感じになるわけだな」
「合馬。言っている意味目茶苦茶だぜ? 言いたいことはそこはかとなくわかるが」
そして決戦の舞台を整える為の戦支度が行われた。
先生は黒板に白いチョークで簡易的な教室の席順を描く。
この教室の人数は36名。席は縦六。横六。と言う平均的なものだ。ただ途中で転入生も多い芳城ヶ彩は常に教室に空きを残しておくとも訊いている。さて、そうして図形に番号を振り終えると沖田先生は手招きで姫海を呼んだ。
文句を零しながらも、淡路島姫海は御神籤箱を両手で支え持った。
その顔が少し明るいものになっている。何と言うかウキウキした印象だ。もしかしたら籤箱を振るのが初めてなのかもしれない、と恭介は考えた。
そうして姫海は籤箱を上下に振った。
すると中から細長い棒きれが一本飛び出す。御神籤箱の中に多数入っている棒、世にみくじ棒と呼ばれる代物だ。そして棒の先には番号がふられているはず。姫海は棒を沖田先生に手渡した。すると先生の顔が驚愕に染まる。
生徒達が何だ、とばかりに緊迫の空気を生んだ。
切迫した気配の中、沖田先生は震える声で、
「淡路島……お前、俺の予想以上に事態を深刻化させる気だったのか……!」
「何か、凄い心外なんですけど」
「淡路島! 何番だ! 何番を引いたんだ!」
雁多尾畑が奮える声で答えを求めて叫んだ。
姫海は軽く振り返りながら何とも言えない気まずげな表情でぽつりと呟く。
「36番」
その一声で教室中に衝撃が駆け抜けた。
『36番……だと……!?』
その数字は黒板のある一点を凝視させるのに十分過ぎる言霊を含んでいた。36番。それは教室の席で言えば六の川・最後尾――端っこだ。前の席と隣の席、ついで右斜め上の席しか空きは存在しない。
まさしく、三人にしか囲まれぬ激戦地に他ならない。
沖田先生が唸ったのも当然だ。仮にこれが他の席であれば最低、両隣二つについで席三つの五席。中央ならば最高九つが見込めたと言うのに現実には三つが限度。
誰かが呻いた。
これが……神の悪戯か……! ――と。
今回の戦はただではすまない。誰もがそう確信した。
その空気の中で沖田先生は「あー……とりあえず、アレだ。次、藤田。引いてくれ」と話を進行させる。
藤田と言う名字の少女は綺麗に背筋を伸ばしながら教卓へ足を運ぶ。
そうして中で棒がぶつかり合う何とも心地のいい響きを鳴らした後に、一本の棒を手に取って軽く冷や汗を一つ流しつつも、沖田先生へ棒を手渡した。
沖田先生は不審そうに思いながら棒を受け取り――額を抑えて天を仰いだ。「ジーザス」と言う言葉が無意識なのか呟かれる。生徒達が『今度はどうした!?』とばかりに目を見開いた。
藤田は軽く苦笑を浮かべつつも元の席へ戻っていく。
その背を見送った後に、沖田先生はチョークを持って信じられない行動に出た。
「え、ちょっと……」、「せ、先生? 何で、そんな場所にチョークを……?」、「お、おいおいおいい待てって! そこに書いちゃ、え、ええ?」、「ウッソだろ、おい……!」。
ほぼ一筆で書かれた場所――そこは35番とあった。
35番。それは、36番の上。
即ち、淡路島姫海のひとつ前であった。
姫海が仄かに嬉しそうに「藤田さんか……知っている人で良かったよ」と呟いている。だが周囲は騒然であった。特に内心狙っていた男子は愕然であった。淡路島姫海の三つのスペースのうち一つがクラス四台美少女の一人で埋められたのだ。これで愕然としないわけがない。
沖田先生が「激戦地が聖域になっていくだと……!」と驚愕に震えながらも次の少女を呼んだ。その少女は赤い髪の少女だ。一目でヨーロッパ系の外国人だと識別できる。
「さて、シュリュッセルヴァルト。――下手な場所を引き当てないことだな」
「……難しい事を言わないでほしいものです」
嘆息を浮かべながらシュリュッセルヴァルトと呼ばれた美少女は籤箱を振る。どこか動きんぎこちなさが見えて恭介には彼女も初めて振っているな、と何となしに思った。外国人のようだし日本文化に慣れがないのやもしれない。
そうして籤箱から一本の棒が飛び出す。
シュリュッセルヴァルトは数字を一瞥し、読み上げながら先生へ手渡した。
「……7番です」
「チッ」
「……あからさまな舌打ち……!?」
間違いなく、口で戦慄した風を装いつつ、面白い事を望んでいた沖田先生である。不服そうに「7番ねー。ラッキーセブンねー。よかったねー」と棒読みしながらシュリュッセルヴァルトの名前を記載していく。肝心の彼女は「……理不尽です!」と憤りを覚えていたが。
だが反対に周囲の反応は『ほおおおお……』と言う、安堵のものであった。
もしもまた席が埋まったら一大事だ。対して、これで人気の席が五席増えた事になるので願ったりかなったりな生徒達である。
そうして最後の美少女が軽やかな足取りで教卓へ躍り出た。
「うっし! さ、そんじゃ私の番だね、沖田先生!」
「そうだな。そして相変わらず無駄にテンション高いな、お前」
「そんな、私なんて。良く店に来る紅茶専門店で働くお客さんの方が遥かにテンション高いんだよねん☆」
「誰の真似だ、それは? いいから、さっさと引け」
「オッケ」
ウインクを一つ軽やかに発しながら籤箱を片手で器用に玩ぶ。
そんな光景を見ながら恭介は呆れた様に苦笑を浮かべた。
「相変わらずだな、アイツ」
そんな恭介の言葉に合馬守善が不思議そうな反応を見せた。
「ん。何だよ、鍵森。お前、花良治の奴と面識あんの?」
「ま、な」
軽く対応する。面識があるかないかで言えば十分ある。と言うか、この学院にいる事自体恭介は知っていた。知っていたし連絡も取っていた間柄だ。
花良治つばめ。
彼女の事は良く――までは言わないまでもそこそこ知っている。
そしてそんな恭介にとっての顔馴染は籤箱を頭上に勢いよく跳ね上げた。どう言う動作で放ったのか中から棒の上下に振れる音が幾度となく響く。そしてやがて一本が下へ勢いよく飛び出したかと思うとつばめはそれを鮮やかな動きで捉えた。そしてシャープペンシルを指で回すかのような自在さで玩んだ後に、沖田先生の眼前に棒を差し出す。それとほぼ同時に空いている左手にぽすんっと籤箱が収まった。
「――34番おめでとうございまーすっ」
まるで商店街のくじ引きで一等賞が当たった時の様な口調だと恭介は思う。
だが、同時に戦慄した。
つばめは先ほど、34番と言った。言わずもがな――言わずもがな、その席は彼女。藤田のひとつ前である。生徒達の嘆きのごとき声が聞えた。
「サーティフォー……ohh、サーティフォー! サーティフォー!!」、「嘘だろ……、34番ってそんなの……そんなのってねぇよ……! ありえねぇよ……!」、「って、事はアレか? 肝心の席がガンガン減ってってるってわけだよな、コレ!?」、「皆の者、落ち着くのじゃ。思考を変えるべきじゃよ。逆に考えるのじゃ――オアシスがあると」、「倍率いくつだよ!」。
そう。今や、激戦地はオアシスとなっていた。
限られた住人にしか許されない禁止区域へと――。
唯一は聖域に至っていない事だけが救いか。もしもシュリュッセルヴァルトが近場にいたならば尚更事態は深刻化を図っていた事だろう。
美少女の近場になれる席は合計一〇個。
これを逃せば後はどうなるか――それがわからない者等いない。皆が皆、一様に修羅のごとき気迫を腕に宿らせていた。高校の席順――それでテンションあがる座席を確保してこそナンボと言うものなのだ。
そんな空気の中、恭介はぽつりと疑問が浮上したので呟いた。
「……ところで、コレ。他の面々は引く順番どうするんだ?」
その言葉に一同がピシリと硬直した。だが瞬時に復帰すると、一同揃った動きで沖田先生を注視する。あまりの統率の取れた動きに沖田先生が僅かに怯む。
「ま、まあ、そうだな。流石に右から順に引かせるのは何か不和生みそうだし……なら、ここは俺が順番を決めよう。この道具でな!」
そう呟いて取り出したのは網目の球体状の物体だった。手回しのレバーがついた外観に見覚えがないと言えば嘘になる。そのファンシーな外観の道具を見て誰かが呟いた。
「今度はビンゴかよ……」
かくして命運は定められた。
先生が生徒人数引く四人の三二名を機械で選定する形を取ったのである。流石に、完全な運の結果と言う事で生徒達は不満を零さず、従う形となった。嘆くもの。歓喜に吼える者。人それぞれ様々であった。
そうして色々な顔ぶれがくじを引いていく。
シュリュッセルヴァルトは右隣が小茅野優樹菜と言う比較的、仲の良い少女であった様で温和な表情を浮かべていた。その左隣には岩神冬虎と言う少年になったのだが、これが新参者で周囲の目が中々に厳しく憐憫を誘う結果となった。
――頑張れよ少年。
恭介は教卓に足を運びながら内心で黙祷する。流石にああいう事態にはなりたくないな、と思いながら恭介は籤箱に向き合った。そう、今度は恭介の番であった。
――さて、鬼が出るか蛇が出るか。
頼むから適度な席が出てくれよ、と願いながら恭介は籤箱を振る。
だが恭介は自分を甘く見ていた。
こと運命を手繰り寄せる事に関しては相応の実績を持つ恭介は見事に――。
「お、出た出た。へぇ、30番――」
………………………………………………………………30番?
その席を恭介は知っていた。理解していた。
いやさ、していないわけがない。あるわけがない。何故ならば、それはおそらくは恭介以外の誰もが狙っていた席であろう為だ。30番。それはある女子生徒の唯一の隣座席を意味する番号だ。そして口にした瞬間に後方から凄まじい裂帛の気合いが伝わってくる事を自覚してしまうのが何とも辛く苦しい。
ぽん、と肩に手が置かれた。
担任教師、沖田光弥の手だ。
彼は恭介の顔を見ながら、こう告げた。
「……生きろよ?」
「不吉な事を言わないでくれるか先生さんよぉ!」
中々どうして。
この席は畏怖に値すると思う。全員が引き終えて、席を交換し終えてから恭介は真面目にそう思った。右半分からくる威圧感に苛まされながらも恭介は気さくにいこうと考えて隣の席の美少女――淡路島姫海に挨拶した。
「あー、よろしくな、淡路島。鍵森恭介だ」
「あ、う、うん。……こ、こちらこそよろしくね……?」
――結構、びくびくしてんなあ、と恭介は苦笑する。
まあ仕方ないと思った。人付き合いが苦手そうとは思わない。だが際立って得意とも感じられない。まあ、若干苦手寄り――程度ではないだろうか。
緊張しなくていい、と言っても委縮するのが人と言うものだろう。
――さて、どう切り出したものか。
そう思いながら恭介は姫海の顔を見つめた。
――なるほど、美人だな。
改めて間近で見ていて思わず感激すら覚えた。クラスが騒ぐのも分かる綺麗な顔立ちの少女だった。スタイルもかなりいいだろう。ただ、何故だろうか。
――……何で、コイツ見てると胸が疼くんだろうか?
恭介は不可思議だった。言い知れぬ不快感があると同時に安心感の様なものの同居。美貌に対して気おくれでもしているのだろうか。そんな風に思っていると。
「……あの、そんなにジッと見られてると何となく気まずいんだけど」
恥じらう様な声が聞こえてきてハッとする。
ついでに右方からの威圧にぞっとする。
「ああ、悪ぃ、悪ぃ。いや、ホント綺麗な顔しているなって思ってな」
「いきなり何を言うんだいキミは……? ぼくにそんなお世辞言ってもしょうがないよ?」
「お世辞ってわけじゃねぇけどな。クラスだって大はしゃぎじゃないか」
「それはそうだけど……ぼくとしてはぼくの何処にそんなはしゃぐ要素があるんだかわからないから困ったものなんだ」
「そうなのか?」
「そうとも。特にぼくみたいな迷惑者じゃね」
――迷惑者?
その言葉に一瞬、迷ったが恭介は白い肌の色を見ていてそこはかとなく思った。健康的よりかは悪く言えば病的な白さ。そしてどこか儚い印象の佇まい。
「ひょっとしてお前……」
「ああ、うん。大体、想像通りだよ」
あはは、と力なく苦笑を浮かべる。
「ぼくは体があまり丈夫とは言えなくてね。五歳ぐらいの頃から入退院を結構繰り返しているんだ。高校生になってからは結構安定してるけれど……学院で一念の頃、何回か吐き気を催す事もあったから相当大変だったんだよ」
「なるほどな」
恭介は相槌を打った後に小さく陳謝した。
「それとすまないな。あまり話したくないだろうし、めんどくさい説明させちまって」
「ううん、構わないさ。周囲の人に理解を求めておけば後々都合いいぞってお医者さんも言ってたしね」
「あくどい奴め」
思わず顔を綻ばせる。
なるほど、確かに下手に熱かったら罪悪感の酷いだろう事が思い浮かぶ。姫海は「ふふっ」と不敵に笑った後に「いいだろう、別に。それくらいの事は許しておくれよ」と小悪魔的な微笑でもって返す。
「まあ、そう言うわけだからぼくの隣に価値はあまりないと思うんだけどね」
「そんな事もないだろう。可愛い女の子の隣ってだけで男は嬉しくなるもんだぞ?」
「……そうは言うけど……なら、鍵森君は嬉しくなってるのかい?」
「ウキウキだとも」
「とてもそうは見えないよ」
くすくすと笑いながら姫海は楽しげな表情を見せる。
恭介は不敵な笑みを浮かべて、こう返す。
「存外ノリいいじゃないか、淡路島」
「いや、この場合、鍵森君の手腕だと思うけどね。ぼく、初対面の男の子相手こんなに気安く話せる事あんまりないし」
「ははっ、お褒めに預かり光栄だよ」
ニッと快活な笑みを浮かべる恭介に「調子いいね」と破顔する姫海。
「転校早々、いい御身分だな、転校生――!」
「あ、おう。お前らのご主人独占してゴメンな。ワリーワリー」
「誠意無き謝罪などいらぬ!」
血涙を流す巨漢の生徒に「まあ、落ち込めって」と言葉を投げ掛けるが「喧嘩売っているな貴様?」とジロリと睨まれた。
「血涙流さなくてもいいんじゃ……」
「いいや、淡路島! 血涙でもまだ足りぬのだ! 骨涙しても足りぬのだ!」
「骨まで流したらそれもうホラーだよ……」
お通夜と前線の戦場が混合したかのような場所。それが鍵森恭介の右方であった。
現在、鍵森恭介の隣座席。番号にして24番を取った男の名前は五郷海老済智實。更に智實の隣の席には鬼一涼子。続けて都祁村勇三九に雁多尾畑眉白と言う面々が順序良く並んでいたのだ。何だこの奇跡はと思わざる得ない。
いや、引く際の憤怒の如き、阿修羅の如き表情から考えるとむしろ、執念の結果と言った方がしっくりくるかもしれない――その思いは微妙に実を結んだ形になったが。
結果、姫海と四人の間に恭介は挟まれている形になる。
右方からの威圧感は半端なものではない。その上、姫海の前には別の美少女もいるのだから大変極まりない――まあ、そちらに関しては半端で済むのでありがたいが。
「何とも大変だな、鍵森君は……」
凛とした声音。女性の美しい声に耳を傾ける。
姫海の前座席の美少女。名前は藤田刀華と言うそうだ。
「なに。プラマイゼロだと思えば何てことないさ」
「とんでもないメンタルだな」
「そうか?」
「そうだとも。淡路近衛四人衆を相手に平然としていられるとは大物だと思うよ、私は」
「……何だその名称?」
恭介が眉根をひそめて疑問を呈すと、隣の姫海が渇いた笑いと共に。
「その……五郷海老済君達が何か僕に色々手助けしてくれる関係でいつの間にか、そんな名前がついていたって言うか……」
「ああ、そうなのか」
――道理で右側四人が背筋伸ばしてキリッとしているわけだな。
どうも姫海はこの四人によくよく見守られているらしい。近衛四人衆なんて名づけが付く程ならばよっぽどなのだろう。
――そう、考えると淡路島って名字はつまりあの淡路島家って事なんだろうか?
だとするとこの右方四名は彼女の従者か何かなのだろうか、と訝しむも別段執事服もメイド服も着用していない。まあ、単純に着用していないだけと言う線もあるかと考えて恭介は思考を終了する。
「まあ、隣の席なのも何かの縁だ。何か体調不良になったら合図出してくれれば俺も少しは手助けするぞ、淡路島」
「え? けど……」
申し訳なさそうに言葉を濁す。
そんな姫海にニマッと不敵な笑顔を浮かべながら恭介は押し通す。
「気にしなくていい。これは俺個人の勝手な善意の押しつけだよ、淡路島。隣で女の子が困ってたら手、伸ばさないと何とも言えず後味悪いだろう? だから、困ってる様子だったら勝手に助ける。――それだけだ」
実際、押し付けの様なものだと恭介は思う。
「いや、だって想像してみろよ。隣で女の子が体調不良の最中、何もせず淡々と……とかしてみたら周囲の目絶対ヤベェって。罪悪感半端無いぞきっと」
肩をすくめて蒼褪めた様な表情を演技する。
姫海は口元に手を当てながら、くすくすと笑いながら「確かに――きっとみんなに怒られてしまいそうだね」と可笑しそうに口元を綻ばせる。
「だろう? だから仕方ないんだ。人助けと思って助けさせてくれ。出ないと村八分になっちまうぞ、俺?」
「あははっ、そっか。それじゃあ仕方ないね。村八分にクラスメイトをさせるわけにはいかないし――もしもの時は迷惑かけるね、鍵森君」
「ああ。タイタニックに乗ったつもりでいてくれ」
「その場合、生き残るのはぼくだけになりそうだね」
タイタニックじゃ沈んじゃうよ、と愉快そうに姫海は呟いた。
そうかもな、と恭介は小さく返す。
そしてふと右方を見るとてっきり嫉妬の殺意でも叩き込まれているかと思ったが意外な反応で思わず感心した。四人は一様に穏やかな表情を浮かべていた。まるで和やかな光景でも見た様な優しい表情――淡路島姫海の笑顔を見ながらふわりと笑んでいた。
そして隣の五郷海老済が軽く肩を小突いてくる。
「……なんだよ?」
柔らかな声で軽く問い掛けた。
「――フ、好きに解釈してくれればそれで構わん」
「――そうか」
ならばとばかりに短い言葉で返す。
その内心は勘違いでなければ想像つくもので。故に、恭介は深く問い掛けなかった。
――何だかんだで気のいい奴らだな。
恭介がそんな印象を抱いた時である。
「打ち解けるの早ぇな、鍵森ぃ……」
前方から情けない声が聞こえてきた。
思わず顔をしかめる恭介。
軽く溜息が零れたが仕方ないとばかりに話を訊く事とした。
「どうした、合馬」
「どうしたじゃねぇよ、この席への威圧感ぱねぇんだよぉ……」
早くもヘタレている。
「貴様。合馬守善! 淡路島の前でその腑抜けた振る舞いは許されぬものと知れ!」
「うっせぇ! 五郷海老済にはわかんねぇよ、このポジの恐怖!」
「確かになー」
「棒読みうぜぇ鍵森! お前にだってわかんねぇよ、このポジのきつさ!」
自棄に荒れた声を発する守善。
当然ながらそれには理由がある。まずは合馬守善の座席を見てみよう。番号は29番だ。
つまり、鍵森恭介のひとつ前の座席である。そうなった際に恭介は思わず「……お前なに? そんなに俺のそばがよかったの?」と気持ち悪いものを見る目で返したら「よし、覚えてろ鍵森。後で絶対殴るからな」と喧嘩宣言を頂いたくらいだ。
それはともかくとして。
そうなると必然、合馬守善の席は注目の席『藤田刀華の隣の席』と言う事になる。おわかりいただけただろうか? この時点である程度の殺意が彼を襲った事を。次いで、クラスの人気美女四人には選ばれないまでも結構な美少女モニタ=アスンシオン――彼女に票が集まらない理由は明確に守善の存在があるためだと恭介は読むが――くじ引きの結果、彼女の席はなんと守善の右隣。つまり、合馬守善は美少女二人に挟まれる形となっているのである。
おわかりいただけただろうか?
そう。即ち、合馬守善は現在進行形でクラスメイト(主に男子)から歯軋りと共に殺意が送られているのである。
「南無」
「南無じゃねーよ! くそう! お前らその射殺す様な視線止めろ! 特にそこ! 藁人形どっから出した! しまえ!」
――大変だなあ。
曰く、他人事の様な気楽さである。
「チキショウ、不条理だ! 何でだ! 何で鍵森じゃなく、俺に熱中してんだ!?」
合馬守善は喚きながら理不尽を訴えてくる。
その気持ちはわからなくはない。なにせ恭介だって、クラスで人気な淡路島姫海の隣、唯一の隣を確保しているのだ。それを考慮すれば相応に殺意の視線がくるはずだ。
だが残念な話。
ただこのままの状態ではそんなものはあまり意味が無かったのである。
恭介はピンチこそ招きよせはすれ、不運を引き起こすわけではない。
その集大成がこの座席であった。
後ろに席が無い為に姫海関連の嫉妬で背中を刺されるわけもない。右方に厄介者がいれば大変だろうが隣は義を重んじる五郷海老済智實。仮に不埒者がいても理不尽に目を瞑るわけもない。加えて更に横には近衛四人衆そろい踏み。皆、何だかんだで気さくな奴らだ。
そして極めつけは前方の座席構成。左斜め上は藤田刀華。右斜め上はモニタ=アスンシオン。更に前方には人身御供こと合馬守善。
そう、恭介へ向けて殺意を孕む視線は前方からしか来ない。
だが両翼には美少女故に殺意の視線は大幅に緩和され届かない。
唯一開いていた前方を美少女で両手に花状態の守善が座る事で前から恭介を見ようとしても守善が邪魔になってどうしても目につく。
美少女に囲まれている守善にどうしても目が行く。
結果、鍵森恭介はほとんど守善の背中に隠れて見えないのだ。右方が大男の五郷海老済であったのも大きく幸いしたと言えよう。故に通常の状態で鍵森恭介に来る視線はほぼカット状態というわけだ。
その為ほとんどが結果的に守善に集中する形となったのである
「いや、いい席だなあ」
「のほほんと語ってないでくれるか!? って言うか、お前もお茶どっから出した!?」
「執事だぜ? 湯呑くらい常備してて当然だろうが」
「一言言ってやろうか、鍵森。お前、執事のオーラ全くねぇからな?」
――何を今更。
のほほんとした安らいだ表情のままその言葉を受け止める恭介。
全くへこたれた気配も無い恭介に守善は、
「お前、自覚あるぶん全く動じないな!」
と、声を張り上げた。
自覚は当然ある。なにせ執事服に身を包みこそすれ、その振る舞いは執事とはかけ離れているのが恭介なのだから。仮に振る舞うとしても重要な場面くらいだろう――日常で畏まった佇まいをする気はさらさら無い恭介であった。
「何と言うか、変わった執事だな鍵森君は」
そこで凛とした少女の声――藤田の声が再び恭介に向けられた。
恭介はすぐそば――左斜め上の座席を一瞥し反応する。
「そうかもしれないな。――で、改めまして何だが藤田――でいいんだったよな?」
「ああ。初めまして、だな。藤田刀華だ。席も近い事だしよろしくお願いするよ、鍵森君」
「ああ、こちらこそ」
「転校生と言う事で何か困った事があればその時は遠慮なく、言ってくれ。学校の案内などは出来る方だからな」
ニコッと笑顔を浮かべながら刀華は恭介と握手を交わす。
恭介は不思議そうに、
「いいのか? そんな面倒事を」
席が近いだけでこんな発言はまず出ないだろう。
とすれば、何かしら理由がある様に恭介は感じた。
さて、その問いに関しては丁度隣、姫海が語ってくれた。
「鍵森君。藤田さんは風紀師団の第三班の隊長なんだよ」
「ほう」
感心した様に頷きながら。
「――すまん、流石に説明求められるか?」
何を言い出すんだこの子は、と言った表情で問いを投げ掛ける。
姫海が「……その眼差しは失礼じゃないかな」と不服そうにジト目になる。右方から「貴様、鍵森! 淡路島の言葉に疑問を呈する等とは!」、「全くよぉ。――って言うか、なんで転校生の鍵森が容赦なく席を掻っ攫うのよぉ……」、「運――としか言いようがないね。残念ながら」と嫉妬と怒気が伝わってくるが気にせず受け流す恭介である。
と、そんな中で一人だけ。
「それは俺の口から語ってやろう、鍵森ぃ!」
「うわ、びくった。唐突に大声出すなよ、雁多尾畑」
「ハッハァ、それはすまないな!」
溌剌とした声でそう謝罪しながらも相変わらず妙に良く通る声で雁多尾畑眉白は恭介の疑問である『風紀師団』と言うものに関して説明を始めた。
「見て見ろ、俺の制服の袖口に腕章があるだろう?」
「ああ、確かに――『風紀師団第五班』?」
「そう。そしてそちらの藤田は『風紀師団第三班隊長』とあるだろう?」
「本当にそうだな」
ピッ、と指で腕章を摘まんで良く見える様に藤田刀華は引き延ばして見せた。
確かにそこには『風紀師団』と言う訊き慣れぬ名称が記載されている。
「これは他校言うところの風紀委員の証なのさぁ!」
「へぇ。風紀委員、この学院なんか只者じゃない感がすでに漂い始めてんな」
――もう何だろうなこの学院?
「風紀師団には全部で第十班まで存在している。この広い学院で風紀を守るためには、如何せん数が必要になっているのさ。故にミカアカ、セイゼンも含めた三校生徒合同の委員会。それが『風紀師団』だ! また困った者に手を差し伸べるのも風紀師団のモットーだ!」
「お前ら何と戦ってるんだよ……。後半はありがたいがな」
「その反応は当然だろうな。だが信じ難いかもしれないが訊いてくれ――時々、この学院とんでもない猛者な変態とかとてつもない武道家とか侵入してくるし、話題が尽きないんだよ。だからまあ――この師団は決して無駄じゃあないんだ」
と、嘆息交じりに刀華がそう唱えた。
本当にどんな学院なのやら、と言う気分である。恭介は何とも言えぬ感慨を抱きつつ、
「――お前が毎日飽きないって言っているわけだな、つばめ」
苦笑を零しながら恭介は二つ前の席に座る少女に声掛けた。
その声に対して件の少女にニマッと怪しい笑みを浮かべて楽しそうに、
「――でしょ、でしょ? この学院――厄介だよん、すごーく」
と答えた。
それに驚いたのは刀華な様で「え?」と連呼しつつ花良治つばめと鍵森恭介を見比べた後に「……知り合いなのか鍵森君?」と疑問を投げ掛ける。
まあな、と簡単に応えて。
「お前の言ってた事が少しずつわかってきたよ」
「なら、よかった」
ニシシ、と悪戯好きな笑顔を浮かべて相槌を打つつばめ。
「ったく。交通手段といい。クラスメイトの濃さといい、『風紀師団』とかいうとんでも組織といい話のネタに尽きない学院だな、本当にここは」
「とんでも組織は酷いぞ鍵森君」
「そうだ、風紀師団をバカにする事は許さんぞ鍵森!」
すまんすまん、と手で謝罪を藤田刀華、雁多尾畑眉白に対して示しつつ、
「本当ここは――」
教室中に視線を走らせて愉快そうにカラカラとした微笑を発して彼は呟いた。
「――なんつうか、面白そうな学院だよな」
その言葉に花良治つばめはニンマリとした表情を浮かべると、こんな事を告げてくる。
「――どっちかって言うと『厄介で痛快で愉快な学校』だからね」
2
「――さ、席が決まった所でHRを始めようと思うが何か問題――あるいは聞きたい事等はあるか? あったら遠慮せず言ってくれて構わない」
教卓の上に学生簿をパタンと置いた音と共に快活にして精悍な声が教室に浸透する。
黒板の前には一人の教師が佇んでいた。肩までの長さの黒髪はサラリと流れる男性としては随分綺麗な黒髪だ。切れ長の目に光る瞳もまるで黒曜石を思わせる。身長も190と申し分なく高い上にかなりの美形。教師の服装に身を包むよりも芸能人ではないかと訝しむ程の容姿を持っている。
ただ一つ、特筆すべき点があるとすればそれは右目を覆い隠す眼帯だろう。
黒曜石の様な瞳は左のみに光り輝いており、右側は黒い布で覆われてしまっている。パッと見で驚く外見なのだが、彼の雰囲気が何ともそれすらを格好よさへと転じていた。
このクラス。1-Dの担任教師。名前は椋梨六義と言った。
――この学院、教師も何か格好いい人多いよなあ……。
陽皐秀樹は感嘆と共に内心で呟きを零す。
彼の在籍するクラスは1-D。
入学式、始業式を終了させた新入生達で現在この教室は溢れていた。
入学式で紹介された担当教師の後に付いてきた結果、今このクラスにいるわけだが、入学式で紹介された教師陣は皆一様に大人らしさが滲み出ていたと思う。仙人の様な老人もいれば理知的な美女もいたし、山男の様な峻厳な男もいたし、ジャージ姿だったけど美人の女性教師もいたし、何故か知らないが子供みたいな教師もいたし、ロボットもいたと思う。
――それに忍者もいたけど……いや、思い出さないでおこう。
確か入学前に学校の話してくれた先輩が『芳城ヶ彩はな……そうだな……考えたら負けって節があるから気ままに過ごすんだぞ。真面目ちゃんほど、馬鹿を見るからな』と元は真面目だったのにいつの間にか物怖じする気配すら見せなくなった先輩の達観した姿を思い出す。
――何か、先輩の気持ちがわかりそうな気がするぜ、ハハハ……。
そんな事を考えながら陽皐秀樹は何とも言えぬ感情から苦笑を浮かべた。
秀樹がそんな苦笑いを浮かべる中で彼から見て右に二つ隣の席に座る少女が何を乾いた笑いをしているのか怪訝に思いつつも、椋梨先生に対して挙手をした。
おや、と驚きを示しながらも六義は学生簿を確認しながら優しい声音で反応を示した。
「ん。えーと、お前は、と……ふむ、新橋か……。何だ新橋、何か問題でもあるのか?」
「まぁ、一応なんですけど」
それに対応する綺麗な声をした少女を見て秀樹は思わず「おおっ!」とばかりに感動すら覚えた。
何故ならば美少女であったからだ。
それも超絶な美少女だ。
入学前に学校の話をしてくれた先輩は確かこう語っていた。
『いいか、秀樹。芳城ヶ彩はな……何故か美男美女率が半端じゃねぇんだ……。目の保養って意味じゃあダントツだぜ……』と、感涙すら浮かべながら彼は事実を述べていた。それが秀樹にもようやく理解出来た。
新橋、と呼ばれた綺麗な茶髪と茶色だか亜麻色だかの瞳を持った少女は相当の美少女であると断言出来よう。服の上からでも分かるほどスタイルもいい。高一としては何処か大人びた容姿も相まってかなりの美貌と言えた。後で声をかけてみよう。人知れずそう思った。――無論、秀樹だけがそう考えたわけではないが。
だが先輩の言う通り、一概にそれだけではない様だ。
見れば彼女の隣の席にいる少女も美人だ。和風美人と言うのが似合う黒髪でキリッとした印象の少女である。美少女二人が並んでいると言うだけでこうも華やかなものなのかとドギマギしてしまう程だ。更に新橋の後ろに座る明るい金髪の持ち主も溌溂とした印象の美少女ではないか。それに所々に目を惹く美少女が点在している。
――なんだこのクラス……いや、この学院は……!
とても三月までいた中学とは比べ物にならないレベルの美男美女ばかりではないかと絶句する始末だ。朝にもミスラと言うミカアカの少女にも出会ったばかりである。救いはこのクラスの美男率がそこまで高くはないだろう事くらいか。一人、和風美人な女子生徒の前の席の青年が相当整っている容姿の持ち主だった為に歯を食い縛ってぐぬぬと呻く秀樹ではあったが持って生まれたものだろうしな、と嘆息も浮かべる。
――俺もそこそこだけど、アイツの方が女受けしそうって言うか……クールって感じだよな。それに朝に出会った先輩も気さくで好印象のイケメンだったし。
凄ぇなこの学校、と内心で呟いた。
秀樹が一人そんな物思いに耽る中で、新橋は左手で軽く右隣の座席を指差しながら不思議そうな表情で問い掛けた。
「あの、先生。この席ってどうなってるんですか? ……人いないんですけど」
そう発言する新橋の発言通りに彼女の右横の席は見事に空白だった。
それは秀樹も不思議に思っている事だった。なにせ席決めの結果、見事にこの座席がぽっかりと浮かんだのだから気にならないわけがない。
「そう言えば、ここだけじゃなくて端っこの方の席も空いてるな」
左上片隅。その場所も空きが出来ていた。
新学期早々、席が二つ開いている事に軽く驚きを覚えたのは言うまでもない。席が一つ空いていると言うのは結構、印象に強く残るものなのだ。
「ああ、それがな……」
そして新橋から寄せられた質問に頭を軽く掻きながら六義は答えた。
「お前ら――四月一日に近所で起きた爆発事件知っているか? 五階建てビルが倒壊したって言うものなんだが」
「ああ……アレね。そんなに離れてないから記憶に新しいわね」
「私も知っているな、ソレは」
新橋の呟きに隣の女子生徒も相槌打つ形で頷いた。
秀樹も同様だ。事件から一週間程度と言う事もあって今もニュースに取沙汰されている一件なのだからテレビかネットさえ見ていれば知っているし何より近場だから大概の人は知っている話である。
「確か――幸い廃墟ビルだったから中に人はいなかったけど、近くを歩いていた三人が倒壊に巻き込まれてうち二人が重傷なんでした……っけ?」
確認を求める形で新橋が疑問符を浮かべた。
それに対して「ああ」と六義は頷いて返す。そして何処か悲哀に滲む表情に新橋はもしかして、と言う懸念に駆られてしまう。
「――まさか、その二人って……」
「想像の通りだ。ただ一つ違う。そんな都合よく、二人じゃなく一人だけだ」
その言葉の意味するところは秀樹にも理解出来た。クラスメイト達もそうである。
「そいつはちょっと事情があってな……。四月一日に編入試験受けに来たんだよ、芳城ヶ彩にな。それで結果は合格。そこまではいい。ただ、どうも帰り道にな……」
「……事件現場に居たって事ですか?」
新橋がうわぁ、と言う流石に不憫に思っているであろう表情で後を引き継いだ。
六義が神妙な表情で頷いて返す。
――そりゃあキツイな。
秀樹もそう思わざる得ない。試験を終えて色々と不安や緊張感に期待を抱いている最中に帰り道で事故に遭う。しかも崩落事故と言う唐突な出来事だ。逃げようも無かったのだろう。結果、新学期に間に合わなかった――とすれば憐憫も浮かべるというもの。
「まあ、詳しい事は訊けたら本人に訊くべきかな。本人が嫌がったら無理に訊く事はダメだからそこは頭に置いて於く様に。わかったな?」
「先生、それでソイツはいつ学校来るんですか?」
秀樹は疑問に思って問い掛けた。
事故で重傷と訊いているし、そうなると学校復帰は何時になるのか。
「先方から訊いた話では、現在、全身殴打で包帯ぐるぐる巻きとのことらしいな」
「メチャクチャ重傷っすね!」
簡単に漫画ちっくな風景が浮かんでくる程だ。
「ただ本人自体は結構ぴんぴんしてるらしい」
「すげぇタフ!?」
「ベットの上で『あははははっ、わーい綺麗な蝶々だー♪ あ、人食い熊―♪』と眠っている間にはしゃいでいた様だ」
「精神的にヤバイんじゃないっすか、それ!? 逃げよう!?」」
「ただどうも右足の骨折が酷かったらしく、復帰だとしても右足はしばらくギプスらしいからな。他は目が覚めた本人曰く『一ヶ月で直します!』とのことらしいから――まあ、一ヶ月で復帰すると思ってくれていい」
――一ヶ月か。
本人が果たしてどんな思いで一ヶ月と言ったのやら。新学期、入学式に出席出来ず皆から一歩遅れてスタートだ。色々複雑な心境であろう事は予測付く。
「本人頑張って直す気らしいし、まあ復帰したら少し気にかけてやってくれ。特に新橋」
「……え、私!?」
「そうだ。席近いしな」
「……あの、その生徒って男と女どっち……?」
「男子生徒だ」
「う、ううん~……」
あからさまに何処か困った様な表情を浮かべる新橋。
「何だ。新橋、男苦手か? けどまあ、一番に気にかけた辺り、お前面倒見良さそうだしなあ。別に四六時中お世話しろって話じゃない、何かあったら気にかけてくれ程度なんだが――ダメか?」
「ダメってことは……ないけど……」
それでも何とも言えず口籠る様子を見せた。
やはり男子生徒と言う事もあって拒否感の様なものが感じられていた。
「まあまあ、怪我してテンションダウンしてるかもしれないし、女子が少し気にかけてくれるならきっと好感度アップだぞ、アイツの中で」
「私、好感度とかいらないんだけどね……」
そうして新橋は不服そうな声を零して抗議した。
周囲から零れ零れに「くそう、俺も怪我してりゃ美少女に……!」、「不運なら不運で野郎に囲まれた席になってろよまだ見ぬクラスメイトぉ……!」、「俺今からちょっと怪我してくる」、「あ、俺も俺も」、「学級閉鎖になるから止めろ、そこ」と、ゾロゾロと何処かへ向かおうとする七人が出現したため先生は苦笑しつつも最終的に生徒達を諌めた。
「――で、お願い出来るか新橋?」
「……そっちの奴じゃダメなわけ?」
新橋が軽く視線で秀樹を一瞥する。
六義は「そうだな」と頷いて。
「野郎が野郎をお世話とかどっちも需要ねぇかなと思ってな」
「どんな理由よ!」
――くそ、この先公わかってやがる!
不満を零す新橋に対して男性陣は総じて悔しいながらも理解を示していた。いや、確かに困ってるとこを助けてくれる友人はありがたい。ありがたいよ? けれど。けれど男なら憧れてしまうものだ。怪我した自分を看護してくれる女の子のシチュエーションを! だがそれが他者であるからこそ悔しさに歯噛みする。同時に理解出来てしまい地団太を踏む。
「ちなみに結構中性的な顔立ちの美少年だったぞ。あとおそらくだが純粋な日本人じゃないな。何となく英国の血が混じってる感じがあったし」
「いや、その情報はあんまいらないんだけど……」
新橋はそう言うところは興味が無い様だ。
対して男性陣はすでに意識だけで会話を成し遂げて復帰した暁には一服持ってやってもいいのではないか、と言う思考が交叉していた。こういう時の連帯感は何時でも恐ろしいものである。
そんな中、新橋はしばし黙考している様で唸っていたが、最終的には溜息交じりにではあるが肩をすくめた後に、
「わかったわよ。少し気に掛けるくらいでいいんですよね?」
と、最終確認をしつつ事案に了承する意を見せた。
六義は「おう。ありがとな」と破顔で首を縦に振る。
「――それはそれとしてですけど」
「ん?」
「一応、ついでに尋ねておくんだけど、もう一つの席は……」
「ああ、それな。……そっちはちょっと事情が違うんだ。だから今は気にしないでいい。次期がくればまあ、な……」
そこまで言って言葉を濁す六義。
暗に訊くなと言う様子だ。正確には今はまだ話せないなのか。何にせよ、そっちに関して情報は手に入る様子はない。新橋は「そうですか」と呟いてそれ以後、口を閉ざす。
「さて。席の事は以上でいいな? 自己紹介に関しては――また後にしよう。まずはHRとして学院に関係する事を説明させてもらう。入学式でもあったと思うが、改めて、だ」
その言葉を皮切りに椋梨六義はこの学院に関しての説明を始めた。
まずこの学院。
略称は『サイジョウ』又は『ホウサイ』とも呼ばれている。
正式名称は『芳城ヶ彩共同高等学院』。
生徒総数4000人強を誇る巨大学院だ。
加えて教師等の学院スタッフも1000人を超えていると聞き及ぶ。
元々存在したとされる三校。
従来共学である『真白月共学高校』。
名門女子高として名を馳せている『美花赤女学院』。
同じく名門男子校として知名度の高い『青善雪男子校』。
それぞれが『シラヅキ』、『ミカアカ』、『セイゼン』の愛称で呼び親しまれている。
その三校が三角形を作る形で立ち並び、中央には巨大時計塔――通称『クロック・バベル』と呼ばれる塔が存在しており一塔、三校を中心とした形で巨大な学園都市とも言うべき地域が構成された結果――この芳城ヶ彩共同高等学院が設立されているのである。
校舎内ですら端から端へは二〇分規模を要するケースすらある巨大学園。
それが芳城ヶ彩だ。
そしてそのあまりの巨大さ広大さから学院側は学区を制定する事で区分を示した。
「えー、では大まかにこの学院に於ける学区の説明を行う。これを見てくれ。上空から撮影した芳城ヶ彩の写真だ」
黒板に張られた巨大写真に思わず身を引く一同。
――どんな規模だよ……。
秀樹は思わず口元をひくつかせる。
写真に写る光景は壮観と言う他にないだろう。神奈川の県境を跨ぐ形で建立しているとは訊いていたが、それでも周辺の構造と考えると相当に市街を呑み込んでいる。問題なのは三校ではない。確かにそもそもこの三校は相当巨大な高校で元々が大きいと訊く。
だが、それ以上に周辺の森林地域及び商店街に都心部を呑み込んだ事で都市としての機能を十全に果たせる様になっているのだ。
「順に説明していこう。まずこの学院は上から見ると大まかには八角形の形を成している。その一番上の場所にある森林地帯の向こう側が第一学区と呼ばれる場所だ。この学区には皆も知っている通り、芳城の理事長七名が議題決定、会議を行う為の議事堂である建物――通称『宗源』が建っている。ま、警備厳重だからあまり近づかない事をおすすめする」
当初からすでに次元の違う説明だ、と思わざる得ない。
芳城ヶ彩の七理事。
そこに関しては流石に秀樹も知っている。なにせこの学校の立役者だ。七名の理事長がそれぞれ指揮を執る事でこの巨大な学院は成し得ていると言える。知名度の高さはどの理事長も相応に高い。なにせどれも日本の歴史に名を刻む名家。ことシラヅキに関しては名家・徳永の家柄が理事を務めている。特殊なのは施設関係の理事長である訓子府家であろうか。
――あれ……?
そこまで考えて首を捻る。朝に出会ったあの少女も確か『訓子府』ではなかったか――と言う疑心が浮かんでくる。滅多にいない名字故に可能性は――特に執事も居た事からかなり高い気がしてくる。
――よ、よぉし、考えない様にしよう!
朝にした振る舞いを振り払うべく頭を左右に振った。乾いた笑いが出るが気にしない。必死で気にしない事にした。何か結構ご無体な振る舞いをした記憶があるが一生懸命無かった事にして気にしない秀樹である。
「次に第一学区の隣に隣接している第二学区。ここがやっている事はもっぱら航空開発及び宇宙開発事業であり、科学部、航空部等の科学的部活動の場所でもある」
「どんな場所なのよ!」
思わず、と言った様子で新橋が声を上げた。否、新橋だけではない。秀樹含めて数名が声を上げた。ことここに関しては六義も苦笑を浮かべる。
「や、やぁ~……ここに関してはそうだな……元々は飛行機場だけだったんだが、いつの間にか科学部が陣取って来て結果、宇宙開発も進行し始めたと言うか……」
――か、科学部のスペックが恐ろし過ぎる……!
先生曰く。
元々は航空専門の学区だったらしい。いや、その時点ですでにツッコミを入れて問題ないのだが従来は『理事長の移動用』であったらしく、第一学区の理事長がすぐに移動できる様に整えられたらしい。だがそれだけでは余りが大きい為に科学部が進行していき、結果宇宙開発と言う壮大な規模が実現され始めたと言う事らしい。
「けどまあアレだ。――夢があるだろ?」
キランとしたサムズアップのポーズに思わず『壮大過ぎるがな!』と言うツッコミを入れる面々である。
「コホン。では次だ。写真を見てわかる通りに緑が多い場所があるだろう? それに中央付近には湖も見えているな? ここが第三学区。山岳自然保護地帯に当たる。端的に言って――山がある。自然がいっぱい。和気藹々だ」
「だから何で山があるのよ、都会のど真ん中に!」
新橋がツッコミを再び発する。何と言うツッコミ気質かと感心すら覚えた。
――まあ、俺らもだけどな!
そしてやはり意思は統一されていた。他の面々も都会のど真ん中に山岳地帯が存在する事に関しては驚きを隠せない。そんな某猫型ロボットにお世話になっている少年が通う学校に裏山があるみたいに言われても困るものだ。
ちなみにこの第三学区かなりの規模である。上から映した写真だからこそわかるが、並みの山岳に負けないだけの規模があった。元々存在した場所を当時の理事が山ごと買い取った結果現存していると訊くが、改めてみるとやはり凄い。
「山岳部、ロッククライミング部、遭難同好会なんかがキャンプに使うが一般生徒も当然足を踏み入れてオッケーだ。ただし山は舐めるな。準備をしっかりしていく様にな」
(遭難同好会って何だ……!)
先生は淡々と語るが生徒達は不安でならない。何だろうか、その同好会は。わざわざ遭難しに山へ訪れていると言う事なのだろうか。
「あ、ちなみに山岳に存在する『カガミの館』には近づくなよ? 現役陰陽師でも憑り殺された超危険な心霊スポットあるから絶対中入るなよ?」
(さらっと一番聞き流せない事言った!)
やはり生徒達の意識は統一されていた。
「さて次は目玉の第四学区。ここを目当てに進学した奴も多いんじゃねぇかな? 芳城ヶ彩大図書館。世界全土から集めた書物がここにほぼ集っていると言って過言じゃあない。第四学区と言う第三学区にも負けない規模の敷地面積を誇る図書館だ。迷路じみたところもあるから一応気を付けろよ? 年に何人か行方不明になるからなあ」
(また聞き逃せない事言ったッ!)
だがこれに関しては有名だ。
芳城ヶ彩の中でも断トツの知名度こそこの大図書館だろう。街と言う規模で作られたのではないかという図書館。都市伝説では『年に一度確実に行方不明者が出る。いや、参ったわ、広いわ迷うわで死ぬかと思った』と言う最早、実体験じゃないか――と言う都市伝説だ。
だがその広さに見合うだけの質を持った施設であるのは確実。
世界有数の図書館にまで至った程だ。最早一学園とは言い難い規模に。
「さて大図書館に関しては近いうちに実物を見に行けばいいだろう。一見の価値ある場所だから是非行ってほしいものだ。そして次に第五学区、ついでに第七学区、第九学区の三つについて語っておこう。ここは正しく学院の本場。第五学区にはシラヅキ、第七学区にはセイゼン、第九学区にはミカアカが建立している。それに加えて主だった施設は食堂、レストラン、カフェテリア、コンビニ、売店と――まあ、一般的な施設が併設されている形だな」
芳城ヶ彩の高校三区に関してはそれぞれの高校の中間地点等に食堂などの食事施設が建立している形になる。
他にも学院に於ける部活動の施設も多数存在するそうだ。
――俺としては先輩が言っていた『自由校舎』ってもんが気にかかってもくるけど。
生憎その説明は無い様子で先生は簡単に三校を指差して説明していく。
上空写真もそうだが、秀樹が遠巻きに見た光景も同じく――シラヅキは見事なまでに一般的な校舎――いや、それより幾分、いや、相当に豪華な造形にもなっているがある程度豪華な校舎と言う点以外は一般的な部類だ。
だが問題なのはミカアカ及びセイゼンである。
なにせミカアカはシラヅキとは別方向に飛躍した校舎――西洋や北欧の王城の如き、絢爛豪華さを誇る赤を主調とした建造物。まさしく西洋の城だ。
対しセイゼンは正反対に和風な趣きがある。横長な建造物で和風邸宅を連想させるが、その雅な造形から厳かな空気が漂ってくる様な気配すら感じる。校舎と言うべきか学び舎と言うべきか。
「んじゃ学校はこれでいいな。次にセイゼンの右奥を見てくれ。ここにも校舎が複数点在しているんだが――まあ、ここには小学校や幼稚園、中学校が存在している。三校の生徒の親戚も結構在籍している場所だな。後、変態が出やすい『変態通り』があるから気を付けてくれ」
「対応しなさいよ……」
新橋が呆れた様に力ないツッコミを加えた。
――同意見だよ俺も。何だよ、変態通りって。しらねぇよ。
ともかく平たく行ってしまえば芳城ヶ彩なりの小中一貫校――と言うものに該当するのだろうと言う事がわかる。親類がいなければそこまで関わり合いはないから秀樹的にはそんなに問題は無いのだが変態通りと言うのが無性に気になったのが悔しい。
「そして本学院の中枢――第八学区。学区って言っても、ここは一番小さいと言えるな。学院の象徴とも言えるもう一つの場所である時計塔。通称『クロック・バベル』。ここに関して今はあまり語れないが、一つだけ。――ここには芳城ヶ彩の生徒会が集合する生徒会議室がある場所だ。生徒の意思の反映地点であり重要な拠点と言って過言じゃあない」
そう告げる六義先生の表情は真剣そのものだった。
秀樹にもわかる。
なにせこの場所には、芳城ヶ彩の中でも選りすぐりの学生が在籍しているのだから。この広大な学園の中で選出された三校の代表的存在――彼ら彼女らが覇を競い合うとされている崇高な重要機関であり、故に選別された生徒は正しく一般生徒とは格が違う。
「『飛翼』と言う名の付いた黄金で縁取られた白い肩掛け布――それが生徒会役員の称号だから覚えておくといい」
六義先生はそう語った。
そしてそれだけ告げると、六義先生はトン、と指で今度が第九学区ミカアカの左奥へ指差した。そこには今までとは随分様式の異なる風景が映し出されている。
「んで、ここは第十学区、娯楽施設地帯だ。俺の知る限り、美術館、博物館、映画館、水族館、ゲームセンター、ミュージアムホールと娯楽に徹底した施設が点在している。美術科の生徒や体育科の生徒も運動場に美術館がある事からよく足を運んでいる場所だ」
はっはっは、と高笑いした後に、
「――気を抜き過ぎて問題起こすなよ、お前ら頼むから――!」
切実な願いを零した。
(――あるんだろうなあ……厄介事起きた事……)
やはり一致団結の意識である。
娯楽施設――そんな場所があれば遊び呆ける奴も出てくるだろう。
だが気になる場所と言えば気になる場所。主に男子生徒は後で行ってみよう! と、ばかりに目の中に火を灯した。その視線に『はっちゃけすぎんなよテメェら!』とばかりに視線を注ぐ六義に対して『わかってんよ!』とばかりの視線を返す秀樹たち男子生徒である。
コホン、と咳払いをして場を整えてから再び六義は語りだす。
「いよいよ終わりが見えてきたから助かるぜ……。第十一学区、ここは簡単に言ってしまえば繁華街だ。別名巨大購買部とも言われている場所だ。働けばバイト代も出る。まあ巨大ショッピングモールって感じかね」
先程が娯楽施設とすれば、第十一学区はまさしくショッピングモールもしくは繁華街と言う様な場所だ。通称、学院故に『巨大購買部』とまで言われている。
「さて最後に第十二学区――ここに関してはお前達も見たと思うが、学院が誇る巨大な校門が綺麗だっただろう? それに加えて各種交通機関、それに学生寮が存在する」
ここに関しては素直にヤバイと秀樹は感じた。
凄い、と言う印象では無い。
ヤバイ、だ。
何故ならば、芳城ヶ彩の交通機関はその実尋常ではないスペックを誇っている為だ。
モノレール、タクシー、バス、ヘリコプターと言う陸と空を利用した移動機関が存在している。変わり種ではハングライダーと言う『何が起こっても自己責任』と言う名目の上で成り立つ移動方法も貸している始末。
それだけでは飽き足らず、この学院には地下鉄があるのだ。
地下に線路を通しており、空と陸、果ては地下からの移動も可能としているわけだ。そこまで知った時点ですでに感想は『ヤベェだろ』と言う感想にならざる得ない。
「まあ、速度は見込めないが人気の高い遊覧船に、やはり『自己責任』がつくターボエンジン搭載モーターボート『エンドレスヘル』と言うのもあるから水上から行く手段もあるな」
――そんでアレ、そんな怖いモンだったのかよ!
果てに水も網羅済みと言うわけだ。
なにせ秀樹はそれで来る羽目になったのだから、その存在を知っている。アレはガチでやばかった。半端無い速度で尋常じゃない風を感じたのだから。思い出しても背筋が凍る。
交通手段に於いても隙は無い――と、言う事なのか。
そこに至って秀樹は思わず内心爆笑してしまう。
額を軽く押さえていっそ晴れやかな気分すらしてくる感覚が秀樹を包む。
ここまで――ここまで突飛にぶっ飛んでしまったら、もう驚き通り越して呆れながら、この壮大さに身をゆだねてしまった方が気楽であり――痛快そうだ。。
日向に芳城ヶ彩を少し語ってくれた先輩の言葉が思い起こされる。
『真面目ちゃんほどバカを見るんだよ。――いや、バカになれるんだよ、芳城ヶ彩はさ』
そう。彼は最後は笑顔で語っていた。
げんなりしたり歓喜したり一喜一憂であった先輩は最後にはそう言いながら破顔一笑した事をよく覚えている。忘れられないくらい清々しく明朗な笑顔であった事を良く知っている。
――どんな気持ちで俺に語ってたのかねぇ……芳城ヶ彩のこと。
そう考えて思わず微笑が浮かんでくる。
「さ。堅苦しい学院説明は以上だ。付け加えるとしたら、クラスメイトの事件もあるし、最近物騒だから気を付けろよって事と、学院の四方にある自然保護地区には原則立ち入り禁止って事くらいかね」
それを告げた後に担任教師、椋梨六義は皆をサーッと見渡して六義は告げる。
「じゃあここからはお前達の事を訊かせてもらおうか。お前らがどんな奴らなのか――そういうのを一年かけて知っていこうぜ。な?」
ニカッと快活な笑みを浮かべて椋梨六義はそう促した。
「んじゃあ、右端から自己紹介してもらおうかね。そうだな――名前に出身中学、後は特技なんか語ってくれりゃあいい。好きな異性のタイプとか言い出しても構わんぞ」
そう最後に付け加えると教室の所々からくすくすと言う笑い声が零れた。
和やかな空気にふっと微笑を浮かべながら「じゃ、右端から行くか。いいか?」と語りかける。その言葉に廊下側最前列の童顔の少年が「…………ん」と呟きながら起立する。
「…………佐良土影朗。出身中学は――」
少年の自己紹介の声が淡々と述べられてゆく。一人が終われば、次が始めてゆく。
そうして穏やかに時間は進んで行く。
クラスメイト達の簡易的な自己紹介をBGMの様に耳に残しながら、秀樹はゆっくりとした流れの中で過ごしていく。窓の外を見れば春色に染められた自然の情景、爽快さに彩られた警官が風にそよぎながら、生徒達の声を風に舞い上がらせながら時は進んでいく。
芳城ヶ彩共同高等学院。
この場所を舞台に少年少女らの様々な想いは今、この瞬間、この一刻から時計の針が小さな音を奏でながら交錯を始めようとしていた。
第五章 芳城ヶ彩共同高等学院・後篇




