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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Troisième mission 「進退す身辺」
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第一章 始動する新たな日々 ―ミッション・スタート―

第一章 始動する新たな日々 ―ミッション・スタート―


         1


 それはトルコ帰国後、初めての朝を迎えた日の事だ。

 何度横になっても慣れない限りの白いベットから起床した日向は瞼をこすりながら、軽く欠伸を一つ零した後にそっと起き上がると、迎洋園家従僕の正装に着替えて、部屋を出た。部屋を出て見れば何より目につくのは独特の青いカーペットが敷かれた通路であった。

 本来はレッドカーペットが普通なのに対して、何故だか迎洋園家に敷かれたカーペットは淡い青色や濃い青色と言った爽快な色合いのものが多い。

「何か新鮮ですよね」

 その上を下を見ながらスタスタと日向は歩く。

 テレビでレッドカーペットを見た事はある為、知識としてこういうお金持ちや由緒正しいと言った人達が使うものなのは知っていた。そして自分には縁のないものだとも思っていた。実際今も縁は無く、歩いているのはブルーカーペットなわけだが、相当高級な代物には違いないことだろう。歩む足取りに緊張感を滲ませながら廊下を進んでゆく。

「しかし、やっぱ……実感湧かないですねぇ……」

 チラリと一瞥した窓の外に見える景色を前から後ろへと過ぎ去らせながら日向はぽつりと呟いた。その言葉にこもる感情は信じられない――そう言った感情が如実に出ている。

 それは彼の今までの生活を鑑みれば――否、彼でなくても並大抵の人がその感情を抱く事は間違いないだろう。

 なにせ彼、弦巻日向は今――名家の従僕と言う立場でこの屋敷にいるのだから。

 それも迎洋園家と言う日本に存在する名家ではかなり各上に属する名家に、だ。貧困生活まっしぐらであった少年が急に一家庭飛び越えて名家の従者になったと言うのは飛んだ飛躍っぷりである。

 そして何故、各上の名家等と日向が確信できるのかと言い出せば、それはトルコでの迎洋園家の富豪っぷり。加えて、迎洋園家別宅――即ち日向が現在生活する事となったこの場所の豪華さが物語る。

 何故ならばこの家、外から見れば一目瞭然の通りにデカいのだ。

 広大な敷地面積。加えては、まるで神殿を模したかの様な造りになっているのが、この迎洋園家の屋敷である。白と青で彩られた広大な屋敷は目に見て、とても麗しい造形となっているのだから。

 こんな場所で働ける――以前に寝泊り出来ると言うだけで日向としては感無量だ。

「それに、今日からはこのお屋敷で仕事ですもんね……うん、頑張れ僕っ」

 ぐっと拳を握ってある部屋の扉の前に立つ。

 木製の荘厳な雰囲気さえ感じる大きな扉を前に一呼吸。迎洋園家の居間に当たる部屋だ。日向は心を落ち着けて、静かにその扉を開いて明るい声で挨拶した。

「おはようございます、皆さん。良い朝ですね!」

 よっし、掴みはバッチリなはずだ。下手撃ってないですよね?

 内心でうおっしゃー、とばかりに拳を天に突き上げながら視界に映る景色。その中にいる彼の同僚、そして主達は一様に――、

『……あ、おはよ……』

「くっらぁっ!?」

 とても暗かった。

 否、暗いと言うよりかは困っていると言った様子だ。

「ど、どうしたんですか皆さん!? 何か朝から凄い空気が……!」

「いえ……少し考え事して困り果てましてね……」

「主様、溜息深いんですけど……!」

「はぁ……どうしましょうか、実際……」

「ですよねぇ……」

 額に手を当てて考え込むのは日向の主、迎洋園(ゲイヨウエン)テティス。

 頬に手を当てて考え耽るのは従者の同僚にして先輩、土御門(ツチミカド)睡蓮(スイレン)

 迎洋園家の家督を受け継ぐ少女と、側近中の側近である侍女の二人が同様に困り果てた様子で唸っている姿が、朝からそこにはあったのであった。

 ふむ、と日向は一回唸った後に、

「何をしちゃったんですか、ひじきさん?」

「よーし、いい度胸だユミクロ。朝っぱらから私に喧嘩吹っかけるたぁ、見上げた無謀だぜ、まったくよ」

 批自棄(ヒヤケ)は「ったくよぉ」と呆れ半分で呟くと、元の位置に戻り、最初と同じようにソファーに横に倒れて足を背もたれに乗っけて随分と粗雑な姿勢で寝ころんだ。――頭にタンコブが三つ程できた日向を放って。

「まぁ、着眼点は悪くねェけどよ。だが、残念、私ならもっと巧く最悪に洋園嬢を困らせてみせるってもんさ。それこそ絶望的にな」

「それは確かに……!」

 いてて……、と頭を抑えつつ日向が納得した様に頷くのを「だろ?」と不敵な笑みで返してみせる批自棄の声を訊きながら「何でしょうか、困っているところにプラスアルファで敵が発生していますわね……」、「そこは平常運転ですのでお気になさっても仕方がないですよテティス様♪」、「そうですわね、敵は存外周りにたくさんいましたわ……」と言う項垂れた主の声が聞こえたりもしたが。

「けど、本当何で、主様も睡蓮さんも悩んでいるんでしょうか?」

「見てわかんねーか?」

「見ても……と、言われましても……」

 ふーむ、と顎に手を当てながら視線をテティス達の視線の向こうへと走らせる。そこには今に設置された大ビジョン108型液晶テレビが設置されている。何度見ても映画館のスクリーンの様なテレビだと思いながら電源の入っている画面に映し出された映像を見ると、画面左端には『情報168timesニュースキャスター』と言うニュース番組の字面が明記されていた。

 そして映し出されている映像は飛行機に向かう一人の車椅子に乗る若い女性の姿と、その車椅子を押して進めるタキシード姿の若い男性の姿が映し出されていた。その光景が出ている最中にはスタジオのニュースキャスターの男性と思しき声が同時に聞こえてくる。

『――釧路(クシロ)外務大臣は日本時間明日未明に開催されるTPP――環太平洋戦略的経済連携協定についての話し合いに参加する為、成田空港から出発しました。滞在期間は一週間程度と見込まれており、成田空港では釧路財務大臣のファン達が「行かないで(カム・バァーック)!」と切実な訴えを起こしながら飛行機の出立を見守っている様子で――』

 カオスだ。日向は誰ともなしに内心で呟いた。

 何にせよニュースの内容は海外諸国との連協強化の為に財務大臣が遣わされたと言うもので、政治的意味合いは強いが別にそれと言って特殊な事では無い。――後半の熱狂的なファンと言う文面が語られなければ。

 日向は政治には疎いし、世知にも精通していない。

 だが流石に日本の内閣――特に今季の内閣に関しては話題が大きい為に耳に入っている。その中でも画面に映し出されている車椅子に乗った亜麻色のゆるやかなウェーブがかった頭髪。見目麗しい容貌に翡翠色の瞳をした穏やかな深層の令嬢のごとき女性には見覚えがある。

 第96代靖方(ヤスカタ)内閣に於ける外務大臣、釧路沙織(サオリ)

 政治家としての手腕も然ることながら外交の腕前は歴代でもトップクラスに高いとされ、加えてあの大和撫子の様な雰囲気と美貌にて世の男性に熱烈な支持を受けている、さながら政界のアイドルの様な女性だ。事実、政治の世界に興味は無くても釧路沙織には興味があると言う声も多く訊かれているらしい。

 そんな釧路沙織の後に画面に映ったのは『内閣一の苦労人』と言う不名誉な称号を与えられたとして有名な播磨(はりま)弾銃朗(だんじゅうろう)と言うボサボサな黒髪をした四〇代前後の男性であり、記者陣の質問にキビキビとした速さで答えているのだが、最近の隣国との問題で防衛をどうしてゆくのか――と言う問題へ移った途端に、

『ああ、その件ね。その件で一つ国民の皆様へお願いしたいのですが――誰か、駿河(するが)防衛大臣を見かけましたら至急、希民党(きみんとう)に一報入れて頂きますと助かります』

『またいなくなったんですか、駿河防衛大臣!?』

『ええ、現在進行形で捜索中です! なので是非、見かけましたら! 海外のどっかにいるかもしれないんで、邦人の皆様にもお願いします! ……何処に行きやがった、駿河ァ……!』

『今、マイクに怖い声が入ってましたよ、播磨官房長官!?』

 駿河防衛大臣と訊いて日向が思い出すのは有名な『世界最大の滝への挑戦(グッドラック・ナイアガラ・ダイビング)』の逸話だろうか。某有名な大滝にフンドシ一丁で飛び込んで、奇跡的な生還を果たした後に向こうのわいせつ罪的なもので連行されていったが、途中で逃げた後に面が割れて靖方総理が謝罪を強いられる羽目になったと言う最大級のアメリカンジョーク(で奇跡的に済まされた事が救いだろう)として日本国民で知らない者はいない。

 そこまでニュースを視聴した後に日向は呟いた。

「……今後の日本に対しての愁い、とかでしょうか?」

「いやぁ、それは無きにしも非ず――かもしんねぇな」

 国会と言うものは話題に事欠かないわけだが、批自棄も知る通りに今期の内閣はあまりにも異様だとして知名度が高い。良い意味でも、悪い意味でも。

「まぁ、何だかんだ平気だと思うけどな。靖方内閣は歴代でもかなり評価の高い内閣なわけだしよ。って言うか、そもそも政治の話をしてるわけじゃねーんだよ、ユミクロ」

「え? でも、主様達は政治の事で悩んでる――とかじゃないんですか?」

「いえいえ」

 テティスが頭を振った。

「まぁ、政治に事となりますと迎洋園も一般程度には思考を巡らせますし、そうでなくてもい大地離や龍音寺辺りは確実に目を見張るでしょうけれど……」

 今回は全く違う別件ですわ、と嘆息気味に呟いた。

「別件と言うと……?」

 別件と言われても何があるのだろうかと頭を悩ませる。

 帰国してまだ一日程度しか経っていないにも関わらず何があるのだろうか?

 そう首を傾げる日向の後方。背中越しに渋い男性の声が耳に滑り込んできた。


「端的に言えば一つの問題が浮上した――そういう事になりますな」


 思わずびくっと身を震わせて背後を振り返ると、そこには一人の壮年の老人が佇んでいた。

 否。彼を唯の老人と分類するわけにはいかないだろう。老いて尚衰えず――そんな言葉通りの風貌をした人物だ。白髪の男性で右目を隠す様に切りそろえられた前髪。除く左目は鷹の様に鋭く佇むだけで気品の感じられる燕尾服の老執事であった。何故、従者なのかと日向が考えたかと言い出せば、簡単な話だが迎洋園家の執事服を着用していたからに他ならない。

 だが見覚えが無い。

 しかし若輩は日向自身なわけなのだから、この年配の男性はまず間違いなく自分よりも先輩であり、この迎洋園家に仕える者なのだろう。しかし、突然の衝撃と名も知らない男性に対しての驚きから日向は不思議そうに疑問を投げ掛ける。

「えと、貴方は……?」

「私かね。私はバーガンディ=バトラー。しがない老人だよ。お初にお目にかかるよ、弦巻君」

 と優しさと厳しさ。そんな二つを入り混じった様な複雑な表情ながらも微笑を浮かべて目の前の執事――バーガンディはそう答えた。

「ただし、迎洋園家の執事長――と言う肩書は背負っているがね」

「……へ?」

 一瞬、日向は目の前の老執事が何と言ったのかわからなかった。

 だが、彼は確かにこう言った。

 執事長、と。

 それが意味するところはつまり――、

「え、えぇえええええええええええ!? し、執事長!? 執事長ってことは、そのつまり……! 迎洋園家の執事の長と言う事なんですか!? バトラー・オブ・バトラー的な方と言う事でよろしいんでしょうか!?」

「うむ、別に長と言う単語が出てくる程ではないし、執事の中の執事と言えばむしろ、北海道のあの男が該当するんだが……まぁ、そこはいいんだ。さて、改めて自己紹介すれば私は迎洋園で執事長を任されている者になるな。とはいえ、執事はそんな大量にいるわけではないのだけれどね」

「そ、そうなんですか……!」

 そこまで会話した時点で唐突に日向はハッとした様子で頭を下げる。

「っと、何やってんだ僕! あの、えとですね! 僕は弦巻日向と申しまして、迎洋園テティス様に従僕として召し抱えて頂きましたと言うかその……!」

「別にそんなに慌てふためかなくても構わんよ」

 挙動不審で目をくるくる回してあたふたする少年を前に思わず可笑しそうに破顔するも、すぐに表情を引き締めると何とも言えぬ苦い表情を浮かべてテティスに対峙する。

「……テティス様。こちらが例の?」

「ええ。先程、本人が申し上げた通りに弦巻日向――私の新たな従僕ですわ」

「それはまた随分と……」

 眉をひそめて若干の非難の色を見せる。

「……やはり、貴方は反対ですの、バトラー執事長?」

「反対ですな」

 キッパリと言い切ると、いやいやと頭を振ってバーガンディは応じた。そのシーンを見て日向に嫌な汗が伝うと同時に視界の片隅に映る批自棄がこれ見よがしに『な。わかったろ?』とばかりに首を左右に振った。鈍感な日向でも流石にわかる。

 朝からテティスが、睡蓮が頭を悩ませていたのは政治問題ではない。

 自分と言う存在の立場に関する事で頭を悩ませていたのだ――。

「一応、問い掛けておきますわ。何がいけないのですか?」

「何がと聞かれましたら、まず第一に『彼が何処の誰なのか、そして迎洋園家に害を成す恐れはないのか』と言うのが大前提として成り立ちますな」

「それは問題ありませんわ。確かに超がつくほどにドジですし! 更にはバカっぽさも滲み出ている才能なんかまるで皆無の少年ですが! 迎洋園家に害を成す様な悪意的な子ではありません! だってダメダメですもの全般的に!!」

「何故、そう言い切れるのですかな? それと言葉をもう少し優しくしてあげましょうぞ……」

 視界の片隅で俯せに涙の川を作る少年が映って実に切ない。

 果たして彼の味方はどちらなのだろうか……。

「言い切る理由はあるにはあるのですが……うーん」

「……ふむ、言えないと?」

「そー……なりますわね……」

 難しそうな顔で腕組みするバーガンディであったが日向を一瞥した後に、重々しい溜息を零した後に仕方がないなとばかりに額を抑えた。

「では百歩譲って、弦巻君の事はテティス様が保障される――と言う事で目を瞑るものと致しましょう」

「ふふ、ありがとうバトラー」

 ニコニコとしたしてやったりと言う様な笑みにバーガンディは何とも言えず溜息づく。

 だがテティスはバーガンディのそういう甘いところは好意的だ。

 何故ならば彼は――子供に甘いのだから。

 それもかなり。

 だからこそ本来ならば執事長と言う立場であれば出自の不鮮明な少年の身柄等さっさと爪弾きにするところを身元保証と言う形で認可してしまう。とはいえ、それ以前に事前情報としてテティスから受け取っていた内容に目を通して、従者として認めるかどうかで心が幾分揺れていたと言うのは当然あるのだが。

 だが、子供に甘かろうが曲りなりにも執事長。

 甘いだけで、この屋敷の者として迎え入れる事は出来なかった。

「しかし、テティス様。身元はよしとしても、それだけで従者として認める事は出来ません」

「……」

「それは確かに当然の話――なんですよね……」

 扇子を口元に当てて肯定する様子を見せるテティスと同様に従者として働くからこそ、理解を示す睡蓮が同様にバーガンディの言葉に頷いた。

 そう――従者の仕事はスキルがなくては意味が無い。

 それは当然どの仕事にも言える事になるが従者は複数のスキルが必須な職業だ。

「そこで……彼が迎洋園家の従者に相応しいか否かを確認させて頂きますぞ」

「やはり、そこがきましたか」

 何処か緊張した面持ちをみせる。

 何故なのか――いや、それこそが朝方からテティスが、睡蓮が困っていた理由であるのだった。それは即ち、確実にバーガンディ=バトラーが提案してくるであろう題材――試験。それを日向が合格できるかどうか。それこそが二人の悩みの種であった。

 何故ならば、日向が合格出来るとは露程にも思っていないからだ!

 これっぽっちも!

「何でしょう、お二人から凄い困ったオーラが漂ってるんですが……」

「気にしても無意味だユミクロ。もう手の施す時間がねぇからな」

「そうなんですかー」

「ああ、ぶっつけ本番ってやつさ」

 若干呑気なのは頭が追い付いていないからなのか何なのか。何にせよ、確実にこの後、今日中に試験は開始される事だろう。そうなれば抜き打ちで日向の能力が評価される事になる。吉と出るか凶と出るのか。

 ちなみにこの場にいる約三名は揃って大凶が出ると見越している。

「今、時間は午前七時……そうなると、そうですな……。八時から開始する事と致しましょうか。それで如何ですか、テティス様?」

「そうですわね、来年の八時まで時間があればどうにか……。いえ、難しいですわね。日向がたった一年でスキルアップ出来るかどうか……!」

「難題ですね~……」

 さり気無く猶予期間を一年伸ばそうとする両名。

「いえ、一年間の猶予を与えるつもりはないのですが! と言うかさっきから度々辛辣ですな評価が! 弦巻君、先程から度々涙目で部屋の隅っこに向かっておりますぞ!?」

「仕方ありませんわね……奇跡を信じます。時間は八時開始で構いませんわ」

「奇跡が必要な時点で従者としての資質はあるのか甚だ不安なのですが、了解致しました。という事だ、弦巻君。開始時間は八時。よろしいかね?」

「……はい」

「声に切なさが篭っているなぁ、大丈夫かね!?」

「平気です……。それで、試験って僕は何をやったらいいんでしょうか?」

「そこを言っておかなくてはいけないな。端的に言えば従者としての一般技能。そこを見ようと考えている。何、そんな無理難題を課すつもりはないから安心したまえ」

「そうなんですか。でも一般技能って言うと……」

「そこはズバリ使用人としての技能になるかな。買い物、料理、洗濯、掃除、主を守る行動力並びに戦闘力、気配り……と、そう言った面を確認していく事になると思ってもらって構わない」

「なるほど……!」

 少なくとも五つくらいは失格になりそうだ、と日向は思った。

「思うな……!」

 そんな日向に頭を抱えて批自棄が突っ伏した。

「何とか頑張ってみなさい。失格した場合は申し訳ないが従者として不適合と言う事になる。私個人としては成功する事も願っているがね」

「え、そうなんですか……?」

 それは何というか意外だ。

 試験を課してくる以上は、それに身元不確かな少年と言うのを抱え込む事に関して難色を示すかと思っていた故に成功した場合はちゃんと受け入れてくれると言うのがありがたい話ではあるのだが……。

「平気なんですか、僕みたいな身元不明の子を受け入れちゃって……」

「安心したまえ。身元不確かな子が一人入って問題を起こしたとしても――すぐ片付けるだけだからね――」

「最後が怖いです!」

 付け足された内容に一切の容赦の色は無かった。

 成程、これは確かに害意を抱いて入ってきたとしても呆気なく倒されてしまう未来が如実に見えてくる。それだけバーガンディの威厳はそれを物語っていた。

「それに一応――まぁ君と対して身元は明確だが、資質があれば、試験にある程度合格さえすれば問題ないと言う前例があるからね。今更、そこをどうこう言う気は私には然して無いのだよ」

「前例……?」

「何と言うか君に似た部分があるかな……。私の部下である従僕なのだがね。と言うか遅いな? 昨日のうちに連絡を入れておいたはずだから、もう来てもおかしくないんだが……。ああ、いや、どうやら来た様だ」

 その呟きに日向は少し驚いた表情を浮かべるが同時に日向も理解した。廊下を急いで走ってくる人の足音――日向でさえ今聞こえたのに眼前のバーガンディは日向以上に早く音を聴き分けていた様だ。その事に僅かながら驚きを感じる。

 それも距離があるのに関わらず反応出来たと言うのが恐れ入る。

 そして執事長の言葉通りに、発言から少し遅れて居間の扉が開かれると、そこにはビシッと自衛隊ばりの敬礼を示した精悍な青年が一人直立していた。少しボサボサとした頭髪はツンツン頭の様な金髪で瞳の色は艶やかな濡羽色をしていた。そして着用する服装は当然の事ながら迎洋園家の従僕服。

「遅いぞ、龍之介」

「申し訳ありませんでした、バトラー執事長! テティス様ぁあああああああああああ!! 上杉ウエスギ龍之介リュウノスケ唯今到着致しましたぁああああああああああっ!」

 いきなりの登場でとんでもない声量に思わず度肝を抜かれる日向。

 ハキハキとしている――いや、ハキハキし過ぎていると言ってもいいくらいの明るい青年だ。そんな龍之介に柔和な微笑みを浮かべてテティスが言葉を返す。

「ええ、久方ぶりですわね龍之介」

「ハイッ! テティス様もお元気そうで何よりでございますぅっ! トルコで何かお怪我でもなさっていたならと自分、心配でしたが何よりですッ! 軍に捕らえられたと言う一報を訊いた時、助ける為に行けなかった事が悔やまれるばかりですが……!」

「そこは気にしないでいいですわ。と言うか暑苦しいのですが」

「ハッ!? これは、申し訳ございませぬテティス様ぁっ!」

 声量の大きな声で一気にまくしたてた龍之介はテティスの一言で即座に彼女から二歩分程距離を取った。そしてその様子を見ていた日向は何とも驚かされる気持ちだ。

 てっきり理知整然としたのが執事や従僕かと思っていたのだが目の前の青年に近い風貌の少年、上杉龍之介は一言で言えばとても熱い男であった。

「えっと……こちらの方が……」

「そう。迎洋園家従僕。上杉龍之介だ」

「何と言うか……テンションの高い方ですね」

「真面目なのだがね。如何せん、熱過ぎる部分があるかな」

 まぁ、そこも彼の好ましい点なのだがね、と呟いて龍之介へ近づいてゆく。

「龍之介君」

「ハッ! 何でしょうか、バトラー執事長!」

「早速なのだが挨拶を一つね。こちらが昨晩、君に伝えていた弦巻日向君だ」

「よろしくお願いします、上杉さん……!」

 恭しくお辞儀をする日向。

「これはご丁寧にどうも。自分は迎洋園の従僕、上杉龍之介と申します! ……ただその、さん付は慣れませんので君か、もしくは呼び捨てでお願い出来ますでしょうか? 何だかむず痒くて……!」

 苦笑を浮かべて軽く人差し指で頬を掻く。

 確かに呼び慣れていなさそうだ。日向自身、上杉さん、とは言ったが何というかさん付けは合わない感覚がバリバリであった事からもここは素直に別の呼び方にさせて頂くとしよう。

「それじゃあ上杉君でいいでしょうか?」

「はい。それで構いません。こちらは弦巻君と呼ばせて頂いて構いませんか?」

「はい、オッケーですよー」

 ほにゃんとした笑顔で答える日向。

 何と言うか礼儀正しいし真面目な人だな……! と、言うのが日向の上杉龍之介に対する第一印象であった。

「龍之介は迎洋園家で従僕を務める身の上でね――もしも弦巻君が試験に合格出来れば、必然君に一番近い先輩と言う事になるのかな」

「そんな……自分が先輩など恐縮です、執事長ッ!」

「――とまぁ、かなりこういう感じの子なのだがね。龍之介には予め伝えていたから問題ないと思うが弦巻君――これから迎洋園家の従僕試験を受けてもらう事になる子だ。監督役として私が勤めるから、君にも協力してもらう事になる」

「誠心誠意努めさせて頂く所存ですッ!!」

 何と言うか逐一熱い人だ。

 と言うか体から炎が出ているし近くにいて熱いのだがこれはどういう原理なのだろうか?

「しかし執事長。よろしいのですか?」

「む? 何がかね?」

「いえ……」

 龍之介は周囲を一度見渡した後に、小さく問い掛けた。

「見た所、アキリーズ先輩がいらっしゃらない様子なのですが……」

「ああ、そこか……」

 やれやれと、頭を掻いてバーガンディは嘆息を浮かべる。

「アキリーズは自由人だからな……。もしかしたら来るかもしれんし、来ないかもしれん。どちらにせよ、人員はいるのだ。わざわざ彼を待って時間を喰うのも可笑しな話だろう」

「あははー……僕としては遅れてくれた方がありがたいんですけどね」

「わっはっは。男らしく抜き打ちテストを頑張りたまえ、弦巻君っ」

 期待しているよ、と言う表情だ。皮肉でも何でもなく本当に期待の面持ちなので日向としては期待に応えるべく冷や汗垂らして空笑いの苦笑で返す他にない。

 唯、個人的に気にかかるのは今出てきた名前だ。

「けど、アキリーズさんってどなたなんですか?」

 響き的にはまず間違いなく外国人なのは確かだろう。

「アキリーズ先輩は自分の先輩に当たる執事です、弦巻君」

「上杉君の?」

「ええ。自分が従僕なのに対してアキリーズ先輩はすでに従僕を済ませた迎洋園家の執事になりますね。実質、バトラー執事長の次に偉い執事であり、次期執事長――と言ったところでしょうか。凄い人ですよ、アキリーズ先輩は!」

 喜々として語る龍之介。

 日向はその様子にどんな人なのだろうかと興味がわくものだ。もしかしたら日向にとって批自棄が教育係であった様にアキリーズが龍之介の教育係だったのかな、と憶測を立てる。

「凄い事は認めるのに吝かではないがね。……あの自由人っぷりがもう少し収まれば、私も安心して執事長の座を譲れるのだがなぁ」

 ……ただ、些か問題もありそうな執事だなと日向は思った。

「さて」

 コホン、と咳払いを一つした後におもむろにバーガンディは語りだした。

「自己紹介はこれくらいにしておこうか弦巻君」

「……」

「予め言う事だが私は君を客人として歓迎する事は出来るが、従者として歓迎する事は今は出来ない。――故に。その為に、君が迎洋園家の従者として働くには君自身の技能面をしっかり見て確認し批評しなくてはならない。わかるね?」

「はい」

 重々しい様子で小さく頷いて返す。

「監督役は私が勤める事として、不測の事態――言ってしまえば偶発的事故等に対する支援に関してはこちらの上杉龍之介。並びに、そう――教育係として着任してるんだ。批自棄君、君も任せて平気かね?」

「ハッ、トーゼンだな」

 ぎらぎらとした笑顔を浮かべてソファーに崩した体勢で座る批自棄。

 彼女が関わってくれると言うのは日向としてはありがたい。無論、贔屓等とは遥かに縁遠い存在であるから公平な評価を下す事だろうが、日向としては迎洋園家で一番関係性が長くなっているのが彼女なのだから安心感がほわっと生まれたと言うのが日向の内面だ。

「で、だ」

 まずは何をやらせる気だよ、と批自棄は軽く手振りで促す。

「試験は定例通りに行っていけば構わんだろう」

「てー事は……だ。買い物、料理、洗濯、掃除、主に対しての礼儀、んでもって戦闘力って事で構わねーわけか」

「ああ、それを十段階で評価する形になるね」

「十段階ですか……、あの、ちなみに十段階中どれくらい取れば合格――と言う事になるんでしょうか……?」

「ふむ、大体二割行けば合格になるね」

「二割……四!? それでいいんですか!? 半分も無いですよ!?」

 破格の条件なのではなかろうか?

 十段階中四割を取得すれば合格等随分と楽な様に思えてくる。せめて三割の六が最低条件みたいなものではないだろうか。それともそれだけ試験が難しい代物なのだろうか……。

「ああ、いや平気だよ。それくらいだろうとしごくからね。徹底的に」

「し、しごくんですか。成程……」

「ああ。そりゃあもう徹底的にしごくとも。従者に成れる様にね」

 柔和な笑みで何と恐ろしい威圧感をごく自然に放つ老人なのだろうかと日向は思った。

「ちなみにそこの龍之介が実例だから安心したまえ」

「上杉君が?」

「はい! 自分は買い物4、料理4、洗濯4、掃除4、主に対する礼儀10、戦闘力1です!」

「何ですかそのギリギリな数値は!?」

「反面、主君に対する対応だけはブッチギリなんだよなぁ、ジョースケは……」

「対して戦闘力が凄い事になってるんですが!」

「反面、戦闘能力に関しちゃ迎洋園家でブッチギリに弱いからなぁ、ジョースケは……」

「そこは数値低くてもいいんですか?」

「いいってわけじゃねーよ? 主を守れる様に力はあったほうが当然いい。ただまぁ……」

「ただ?」

「私もいるしバトラー執事長もいるし椥辻メイド長もいるからよ」

 平然と言ってのける批自棄。

 あまりにも自然に言い放つので感心し納得させられてしまう程だ。日向も知るところだが、この親不孝通り批自棄と言う女性は依然底が見えないし、彼女が例に挙げた以上はその二名も同列かそれ以上なのではないだろうか。それを考えると戦闘能力は事足りているから、一人や二人ダメだろうと補う力が十分にあると言う事になるのか……。

「まぁ、それにジョースケは単純に戦闘力で数えられねーってのもあるが……」

「え?」

 ぽそっと批自棄が呟いた意味深な言葉に日向は疑問符を浮かべるが、批自棄は即座に「いや、なんでもねー」と素っ気なく流してしまう。追及するなと言う事か――いや、どちらかと言えば説明がめんどくさいだけだろうなと日向は推察した。

「ところでひじきさんは評価どうだったんですか?」

「私か?」

「はい。何となく気になって……あ、もしかしてやってないんでしょうか?」

「いや、しっかりやったぜ形式的にはな。訊きてーのか?」

「訊かせてもらえるなら折角ですし」

 この業腹なメイドが果たしてどれだけの評価を受けているのか気にかからないと言えば嘘になると言うものだ。

「あ――――……そーさな、確か」

 一拍隙間を置いて批自棄は思い出す様に呟き始める。

「買い物5、料理8、洗濯6、掃除規格外、主に対する礼儀0、戦闘力規格外だったっけ?」

「ええ、間違いないですな。私の記憶によれば」

「どんな評価受けてんですか、貴女は!?」

 さらっと語られた評価内容色々な形でぶっ飛んでいるとしか言えないではないか!

 だが悪びれる様子も無く、気にした素振りも無く、ただただ誤魔化す様に「はっはっは、まーいいじゃねーか」と適当に流そうとしている批自棄であった。

「だがまぁ……教育係として接してきたろうし、得心はいくだろう?」

「それはまぁ……。礼儀とかそっちのけでしたしね……」

「うむ。戦闘力に関しても、戦闘が成り立たない様な子だからな、彼女は……」

「なるほど……。けど、掃除はどうして?」

「掃除しようとしたら汚れが勝手に消えたのだよ」

「……」

 何と言うかもう天変地異に襲われるから逃げたみたいな結果を生み出す人だな……。

 考えるだけ頭が混乱するだけになってきた気がする程だ。

「ああ、ちなみにだが……」

「はい?」

 視線を向ける日向に対してバーガンディは「一応、参考程度だが」と前置きして。

「龍之介君の先輩、アキリーズ……彼は買い物10、料理4、洗濯5、掃除8、主への礼儀7、戦闘力10と言う成果だったから……君も頑張ってくれたまえ」

 それは凄いと素直に感じる。

 戦闘力10と言う事は、純粋にそれだけの強さを誇る執事と言う事か。他の評価も中々に上々ではないだろうか。料理に関しては一般レベルくらいな様だが……。そしてここまで訊いて分かった事は――合格点四割は必ずしも、到達する必要はないと言うのが一つ安心した。

 だが、同時にそれは補えるケースであり、おそらくはその人物の個性。

 即ち、皆に認めてもらえるかどうかが重要なのだ。やはり。

 ……自分は認めてもらえるのだろうか?

 日向は不安に思った。

 取り柄と言うものがほとんど無い自分に彼等の様に出来るのだろうか。だが、やるしかない。雇用の問題も掛かっているがそれ以上に――、日向はこの職場で働きたい気持ちが少しずつ芽生えてきていたのだから……。

 頑張ろう!

 内心で拳をぐっと握り緊めて。

「では、弦巻君。心の準備はいいかね?」

 腕を後ろで組みピシッと直立するバーガンディへ向けてしっかりとした声で日向は答えた。

「――はいっ!」


 そして今へ至る――と言うわけだ。

 都会の大喧噪のど真ん中にいる理由――即ち、バーガンディに与えられた最初の試験である買い物リストに明記された商品の購入。その為に日向はこうして都会のど真ん中に一人ぽつんと佇んでいるのだ。

 そんな肝心の日向の様子はと言えば、

「ふむ。やっぱり見つかりませんね」

 最早、自信満々に日向は自らの迷子を肯定できる段階に来ていた。

 先程とはまた違う場所。

 大都会で目的の店へ辿り着くための術を失った少年の心は諦めではなく、どちらかと言えば混乱の結果ある種冷静な段階へ落ち着いてしまったと言うもの――早い話がわけがわからなくなった事での現実逃避だ。

「だって横浜広いんですもん」

 言い訳がましく一人ぼやく。

 しかし、これは事実問題困ったものだ。

 肝心の紅茶店である『マリアンヌ・フレール』は果たして何処にあるのだろうか……。地図を紛失してしまった日向には生憎と神奈川出身ながら土地勘は無いに等しい。地図さえあればどうにかなったと言うのに……。

「だってまさか輸送トラックの山羊にすれ違いざまに食べられるとか無いじゃないですか……」

 どういう紛失の仕方をしたのだろうか。

「ああ、本当どうしよう……」

 残された道は当初に一瞥した地図の微かな記憶を辿ることくらいしかない。それに迎洋園家の御用達の店であるという事は多分大きな店なのではないだろうか。と、すれば店名もしっかり出ている事だろうし、それでどうにかするしかあるまい。

 当然な話として……日向は人並み程度の記憶力しかない為にうろ覚えとしか言えないものであるし、そもそもそれに頼った結果も今の如く迷子になっているのだからアレな話だが。ただし、それでも大通りから脇道へ逸れていない分は日向も分かっていると言う事だろう。

 けれど、それはこれ以上迷わないと言うだけで目的地に辿り着くと言う保証は無いに等しかった。運が良ければ偶然辿り着けたりするだろうが、そこは不運の申し子、弦巻日向。一パーセントの確率も無いと言い切ってしまって構わない。

 情けないと思いつつも、無い物ねだりで日向はしょんぼりと呟いた。

「地図も無い、店もわからない、情報が少ない……致命的だなぁ、もう。こういう時にひじきさんがいてくれたら心強いんだけどなぁ……」

 自分で言って自分が一番わかっている。

 迎洋園家の従者に頼っても詮無きことだと。それに批自棄はこういう試験では手助け等一切しない事だろう。あくまで傍観に徹して公平に見極めるだけだろう。そしておそらくは今現在どこかで自分を観察しているのはわかっている。

 ならば教育係のメイドを失望させない様に――頑張って目的地へ辿り着く他に無い。

 その為に地図も無くし、場所も知らず、補足的に言ってしまえば携帯電話なんて高価なものを持っているわけがない日向に取れる残された唯一の行動と言えば――、

「あの、すいません。ちょっといいですか?」

 近くの人に尋ねる事であった。

 地味だが効果的な方法であり、有名所であればある程に効果は生まれる単純明快な解決策であると断言出来よう。良識的な人であればほぼ確実に受け答えしてもらえるし、気まぐれで答えてくれる気になるケースも存在すると言う実に明快な方法であった。

 ただし。

「あ?」

 相手がどう見ても不良やチンピラ、極道等の一般人が接するケースが比較的避けておきたいと言う場合でなければ――の話かもしれない。

 あれ? と辺りを見渡せば『何やってるんだあの子、自分から……!』、『何よ、あの堂々とした話しかけ方……!』、『偉いけど……偉いけど勝てるのか、アレ……!?』、『どう見てもよわっちそうなのに三対一を挑むとか……!』と、遠巻きに自分達を見抜く視線、視線、視線。日向は黙考の末にただ適当に近くの人影へ話しかけた。

 だから。

 日向は気付かずに話しかけていたと言う事になる。

 女の子にナンパ目的で言い寄る不良三人に自分から明るく朗らかに語りかけたのだ。

『あの、すいません。ちょっといいですか?』――と。

 ナンパ中の不良男達を相手に、そう語りかけたのだ。

 ……うわぁ。

 目の前で佇む黒い学ランを羽織った三人の不良達を前に、自分から期せずして突撃した事態を前に日向は最早何とも言えずに内心叫び声を発するのであった。そして、そんな日向を囲まれた一人の少女の綺麗な茶色の瞳は物珍しそうに見つめていた――。


        2


「いや、なんつーか大変そうなこって」

 ずるずると細麺を吸い立てながら批自棄は他人事の様に感想を述べていた。

「大丈夫でしょうか? 手を貸した方がいいのではないでしょうか、ひじきさん?」

 その隣ではチャーシューと麺を同時に味わいながら少し心配そうに眉を潜める龍之介の姿が見て取れる。監督役のバーガンディの命により、日向に突発的事故が起こる等の際に手助けをする様に厳命されている監視役の親不孝通り批自棄、上杉龍之介は日向が買い物をしっかり出来るかどうか向かいの道に立つ一件のラーメン店にて食事をしながら監視をしていた。

 此処で何故、食事をしているのかと言えば朝方にバーガンディが一連の行動を起こす為にすっかり朝食の事を忘れていた批自棄が『そーいや、美味いラーメン店あるってある奴に訊いたし、そこにすっか』と言う軽いノリで朝からラーメンを食しているのであった。

 そしてその肝心のラーメン店がこの一階建てのそこそこ広い店内をしたまさしくラーメン店と言わんばかりに洒落っ気よりも食い気を優先した様な店の造りだろうか。大衆食堂と左程変わらない構造をした店内。その窓際、外が見える座席で批自棄が醤油ラーメン、龍之介が塩ラーメンを食べていた。

 店の名前は『冬花火(ふゆはなび)』。

 店名は中々洒落ていると言うか感慨深い気がするものだと龍之介は思った。そして店の造りはとやかくとして、肝心の味は確かに声高々に『美味い!』と断言出来る仕上がりだ。料理は一般程度には出来るが、この味はとても及び付かなそうだなと思いながら塩ラーメンに舌鼓を打つ。そんな店内は昼にはまだ随分遠いにも関わらず繁盛している様子で座席は全て埋まっている。行列もそこそこ出来ている様子で行き当たりばったりで入れた事は偶然の代物だ。

 ……いや、どちらかと言えばこの人のおかげかもしれない。

 そう考えてちらりと横隣りの批自棄を一瞥する。龍之介も知っている、彼女の性質ならば特に待つことなく入店出来たとしても別段おかしくはない。そう、塩ラーメンから残ったチャーシューをひょいと摘まんで口に入れる彼女ならば……。

「って、ああ!? 自分の最後のチャーシューが!?」

「ケラケラ。ケチケチすんなよ、ジョースケ」

 ニヤァ、と悍ましい笑みを浮かべて返す。

 まったくもう……! と、龍之介は思いながら無念とばかりに肩を落とす。

「しかし、この店、チャーシュー結構入れてくれるもんなんだな。三枚もよ」

「ですね。必ず三枚入ってるみたいですよ。見た所ですと」

 店内の客席を見渡しながらそう答える龍之介。

「三枚全部結構デケーから役得感はあるな。ありがてーもんだぜ」

「確かにですね! 味もいいですし!」

 笑顔を向けて答える。そして、この店はどうやら店主が一人で全てのラーメンを熟している様だ。ラーメン屋の親父、と言う表現がドンピシャの様に似合っている風貌をしている為に親近感すら湧いてくる程だ。無論、客席に運ぶ人員は必要な様で店内を忙しなく二名の男女が駆け回っている。一人は外国人な様で店の雰囲気からすれば目立つだろうに、いやに店の制服が似合っている事からもうこの店と馴染んでいるのだろう。

「あ。ガンつけられ始めたな、あれ」

 そんな事を思っていたら、隣の批自棄からそんな声が洩れて、即座に思考を切り替えて龍之介は視線を即座に窓の外に移す。

「ああ、本当ですね。完全に囲まれていますよ!」

「だなー。しかも、見てた感じだとキッチリ正義感も発揮しちまったから、そこも癇に障ったみてーな感じだな――あ、胸倉掴まれた……」

「これは、やはり手助けに行った方がいいのでは……!」

「あん? いや、別にその必要はねぇと思うけどな……」

 批自棄はそう言うが龍之介としては心配でならない。政府軍と戦って生き延びたと言う実績はあるらしいが、ああいう場面でありああいう状況の三対一と言うのは存外、状況が別になってくる上に何より――。

「もしも、『金を出せ』とかの流れになったら拙いのでは……」

「……ああ、それがあるか」

 批自棄がどうにも龍之介が心配する理由がわかった。

 金の問題があるのだ。

 より、正確に言えば日向には買い物代金としてバーガンディ執事長から適当な金額を――名家故にざっと百万円程――手渡されているのだ。それに相手側が感づいた場合、事態がどういう具合に流れるかわからない。たとえば、路地裏に連れて行かれて奪われる――なんていうテンプレなケースも考えられる。

「ン? どうかしたのかよ、お客ら?」

 そこで不意に背中越しに声がかかった。

 ふと見れば店の店員であった。薄く水色がかった金髪に水色の瞳をした中性的な顔立ちをした青年であり、龍之介と同年代くらい――店のアルバイターだろうか。御盆を肩に軽く乗せながら不思議そうに視線を向けてきていた。窓際で何か騒いでいる為に気にかかったのだろう。

「ああ、いえ、なんでもないんです――」

 と、龍之介が申し訳なさそうに謝罪しようとしたところ青年は「……ん?」と眉を潜めた。

「昼間から街中で何やってんだ……カツアゲか? あー……ありゃ羽織ってる学ランの文字を見た感じだと『死塵牙破魔(しちりがはま)』の連中っぽいか……迷惑な奴らだな、真昼間から……」

 嘆息気味に肩を落とすアルバイター。

 しかし、その言葉に出た単語には聞き覚えがあった。

「『死塵牙破魔』……そうか、初めて見ましたけど、アレが暴走族連合『死塵牙破魔』の面子でしたか!!」

「おー、なるほどアレがね……」

 批自棄も納得した様子で頷く。

 暴走族連合『死塵牙破魔』。神奈川県を中心に活動する暴走族の筆頭格に数えられ、青春事態を激しく爆走する少年少女の非行の結果が生み出してしまった五十名は優の超すとされる連合である、と龍之介は記憶している。

「とすると尚更拙いのでは……」

「まぁ、なってない奴らってところかね、アイツらは見た感じ……つーか三人で誰を取り囲んでやがんだか姿見えねーけど……傍に女が見えるから、女絡みか? だとしたらついてねぇ、男だなぁ」

 アルバイターの言葉に同意出来てしまうのが何とも切ない龍之介であった。

 そんなアルバイターだったが一度そう言う光景を見てしまうとわれ関せずは出来ないのかはたまた正義感が強いのか。拳を鳴らして嘆息交じりに呟いた。

「仕方ねぇ、ちょっくら加勢に行ってくっかな」

「いえ、お仕事中邪魔するわけにはいきません。此処は自分が!」

「どっちも待て」

「ですが、ひじきさん!?」

 何故、先程から彼女はこうも手出し無用とばかりにリラックスモードなのだろうか? そう、龍之介が考えていると店の奥から『うぉい、モードぉ! 何時までそこでくっちゃべってんだぁ!? お前がいないと一人じゃ手が回らんだろうが!!』と言う店の親父さんと思しき怒声が飛んでくる。アルバイターは「いっけね!」と慌てた様子で振り向くと、

「本当に平気そうなのか、あそこで絡まれてる奴」

「ああ、私が保障してやるから、さっさと仕事に戻りな店員さんよ」

「そか。んじゃ、アンタの言葉信じておくとしますよ。そいじゃ、ごゆっくりどうぞ!」

 それだけ告げて仕事の方へと戻ってゆく。

 それを確認すると龍之介は不安そうに、

「本当に平気なんですか、ひじきさん?」

「まー。何てこたぁ、ねーだろ。流石に傭兵相手に立ち回ってたやつが不良相手に後れを取るなんて事は滅多にありえねぇし――」

 そこで批自棄は言葉を区切って、視界に映る向かい道路の茶髪の少女の動きに注目し、不敵に笑みを浮かべ、自信満々にこう述べた。

「私の記憶が正しけりゃ、なんてことはねーはずだからな」

 











第一章 始動する新たな日々 ―ミッション・スタート―

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