第八章 清か日没の刻、火が灯りては時は移ろう
第八章 清か日没の刻、火が灯りては時は移ろう
1
事態は程無く終了を迎える事だろう。そんな最中であるからこそ、語っておかねばならない事が一つあるわけである。それが何なのかと言えば……単純な事である。
「……」
この薄暗い空間に涙目でぷるぷると筋肉を酷使してる少年の事だ。
正方形型の空間に於いて両手を必死に伸ばし、両足を健気に伸ばす体勢でぎりぎり体勢を保っている本当に涙目で震えている少年の話だ。アララト山内部で『トルコンクエスト』により四苦八苦している面々、次々にチームメイトがリタイアしている現状など知る由もなく、また外部では関わり等ほとんどない男性が現在進行形で麻薬がらみの大変な事態に陥っていたりとか当然ながら知るわけも無い。
それどころか彼自身リタイアしていない事自体、知り得る者はごく僅か。
そんな少年の事だ。
「……」
先程から一言も発せていない少年。
即ち、一言も発せない程に苦境に陥っている――全能力を腕の支えに回している少年の名前は弦巻日向であると言うだけの話なのだが。
(もう本当どうしよう……!)
日向は涙目でそう思った。
何故、日向はこんな事態に陥っているのか……正確には落ち入っている現状なわけだが現状を何時までも嘆いても仕方のない話なのだろうが状況の説明をすれば、彼は第一関門での落とし穴――それも傍目どう見ても落ちるだろうと言うレベルの目視で判断出来てしまう様な場所に落ちたわけである。
日向が何故落ちてしまったのか。それは語ると長いので不運と言う事に集約しておこう。
だが不運にもめげず、少年は現在必死で堪えていた。穴に落ちたと同時に彼は体を限界まで伸ばしてギリギリの状態で体を支えているのである。当初は仲間が助けにきてくれるかなと期待した彼であったが聞こえてくるのは平坦な口ぶりで先へ進む声と離れてゆく足音。
薄情とは思わない。
けれど無情な現実だとは嘆いた。
そしてこの事態をどうにかするには自らで行動を起こさないといけないと言う話になるのだが……生憎と日向の体は現状を支えるのに手一杯であり、手を離して、手詰まりな事態を払拭する程の余力は無い。
落ちた先ですでに登れる高さにはなく。彼に残された未来は落ちて終わりと言う実に何の事も無い未来だ。このまま何時までも耐えていられるわけもないし、それは時間の問題となるだろう。まぁ、そもそもの話、ここへ落ちた時点で彼の敗北は決定していると言えてしまうのかもしれない。
だが彼にはただでは負けられない理由があった。
だからこそ罠に落ちたとしても、なおただでは落ちず、踏ん張って起死回生を狙っているのである。それは単純な理由であった。
(大地離さんに誘われて……ひじきさんや主様に勧められて此処へ来たのに……それなのに、第一の罠でリタイアなんて、そんなの……!)
ぐっと奥歯を噛み締めて、
(絶対、後でお仕置きされる!)
何の事は無い。保身的な理由に他ならなかった。
情けないと日向本人も思うのだが、それでも彼の今までの生い立ち故に不安感は拭えないものがあった。だからこそたたでは負ける事は出来ない。
半分は保身、もう半分はプライドによるもの。流石に第一関門でリタイアする等と言う醜態をさらす事は男としてかなり切ない。
(僕は……大地離さんに誘われて来たってのに……何の役にも立てずにこのまま終わるとかそんなの嫌ですよ……!)
ぐぐぐっと両手に力を込める。
どうにか上へ上がろうと指を立てて上へ登っていく。それでどうにかするしかないと日向は思い、いざ手を上へ少しずつ動かす。
「うみゃぁあああああああああ!!」
途端にズザザザ!! と言う音を上げて一気に二メートルほど下へずり落ちる。
(あ、あぶな……! っていうか、ダメだこれ……! 上がろうとしたら逆に下へ落っこちるよこれ……! それに手がひりひりする……)
擦れた手の皮膚が剥けなかったのが信じられないくらいだ。
刹那の恐怖感に荒い息を吐きつつ、胸元から零れる様に聞こえるチリン、と言う可愛い音が狭い空間の所為で普段聞こえない様な音がいつになく耳に残ったと同時にほぅっと安堵の域を零した。そして改めて自分の体勢を省みる。
腕を僅かにでも動かすと支えが効かなくなる様だ。先ほどの位置より更に下へ下降してしまう羽目になってしまった。落ちた穴が今は更に遠のいてしまっている。
(……どうしましょうか?)
上がれないぞ?
と、日向が思ったのは言うまでもない。脳裏で足を使ってどうにか反動で跳躍して一気にあそこまで行くのはどうかなとか思ったが、正直つま先で支えている生まれたての小鹿の様にぷるぷるしている今の自分では不可能だろう。
もっと体力が残っていれば可能だったかもしれないのが悔やまれてならない。
いや、それどころか……。
(むしろなんていうか……もう手足が限界な気が……)
涙目でぷるぷると震える手、足を頼りない様子で見守るしかない。感覚的に最早麻痺していると言っていい状態故に実感は左程わかないが、体力計算してしまえば、多分もうそろそろ『きゃー』と言う悲鳴を上げて奈落の底へ落下する自分が見えるわけで。
(……)
この情けない醜態のまま敗走を遂げたら自分はどうなるんだろうか?
脳裏に浮かぶのは迎洋園テティスと親不孝通り批自棄の二人。当主と教育係。こんな無様を晒したら説教で済まされるのか……呆れられるのか、それとも……。
(怒りそうな気がする……どっちも!)
失礼な話ね、と脳裏に浮かぶ二名は思った事だろう――が、事実だ。
そんな脱線した思考の日向であったがふと気になった。否、こんなどうにもならない状況だからこそどうでもいい方へ眼が向いたのだろう。
(……しかし、この落とし穴って何処へ続いているんでしょうかね?)
真下を、暗闇の奥を見据えるが見えるものは何もない。
(死亡ゼロって事はこう……剣山とかそういうのは仕組まれていないと思いますし……、そうなるとある種脱出口みたいなものだったりするのかな? 例えば外への……)
そこまで考えてピコーンと頭上に電球が輝いた。
逆転の発想だ。
(上手く落ちれば案外、いけたりするんじゃ……!)
外部へ通じているとして、仮に崖の上やら高台やらであれば落ちた後に気絶や負傷はあり得るかもしれないが日向の場合は予期せず落ちるのではなく、あえて落ちる行為だ。事前に覚悟して落ちたのであれば上手く外へ通じて、更にはまたクエストに挑む事も可能ではないだろうか。日向はそう考える。
「……よしっ」
小さくコクリと頷いて。
日向は徐に手を離す。つま先から指の先へかけて唐突に押し寄せる浮遊感。刹那、ふわっと浮いたかの様な感覚に捉われた――かと思えば急速に風が腹部を叩き込む。落下して下降して、勢いのままに。滑り台を滑るかの様な動きで。
「うひゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?」
弦巻日向は先も見えぬ、素知らぬ場所へと流れてゆく。
それが今から少し前の時間の事であった。
2
さて、一人の少年の行方が明らかとなった一方で。
敗者でもなく、部外者でもない、当事者であり勝者の立ち位置にて現在、進撃を続けているチーム【ウィナー】の面々は今現在何をどうしているのかと言えば。
「ヌッハッハッ! いやぁ、難敵だったなあ!」
「なーにが、難敵だっての。ひじきさんが見ている限り結構余力残す感じで勝利をもぎ取っちまったじゃねーかよ、おっさんよぉ。やるねぇ、ホント」
「ハッハッハ! お褒めの言葉ありがとよ!」
「いやぁ、しかし本当によくぞあんな怪物を倒したものですよね、これは。初めに自らも参加させてくれと申し出た時は失礼ながら正直、あまり期待していませんでしたが今となってはバンガーさんのおかげで攻略出来る勢いですからね、これは」
「まぁ、そりゃ当然だわな。だが、ま。金の分はキッチリ働くぜ、俺様はよ」
ニガッと快活な笑顔を浮かべながら、ディオ=バンガーは巨大な骨付き肉にむしゃむしゃと喰らい付く。そんな光景を本当に良く食べるもんだと感心しながら批自棄はハムとキュウリのサンドイッチを口にした。
「それに全部が全部、俺の力ってわけでもねぇだろう?」
ディオはフッと感心したように口の端を吊り上げながら、疆へ問い掛ける様に告げた。
「オメェさんのとこの不知火の坊主。アイツも相応に踏ん張ってたじゃねぇか」
「ええ……。九十九があの場面で敵の牙を一本へし折った事で痛みに隙を見せた瞬間のバンガーさんの左ストレート。あれは爽快な場面でしたね、これは」
「おお。不知火の坊主の鬼気迫る迫力の奮闘ぶりは感心したもんだ」
「まぁな。ヤコーはあれで不知火だからな。ボディーガードとしての特性が強い不知火の従者としちゃあ及第点の奮闘ぶりだと私も思うよ」
「だな。後、完璧に満点得るにはキッチリ倒して主の傍にってとこだったろうが……、大地離さんよ。オメェさん的にはどんなもんだい?」
骨付き肉をがぶっと強靭な顎で噛み千切り片頬を膨らませながら、答えはわかっているかの様にニヤニヤうざったい笑みを浮かべて問い掛ける。
疆は苦笑しながらも、
「そうですねぇ……。及第点と言うには途中でリタイアしてしまった事も考慮すると何とも言い難いですが。私個人としては上々だと思いますね、これは。逞しく立派にあの化け物と奮闘した彼は娘を任せられる実力を持っていると思います」
「ほほお。何だ、婚約でもしてるのか、お前さんとこの嬢ちゃんと不知火の坊主は」
「いや、そっちの意味で任せるではなくてですね」
「ヌハハハ。わかってんよ」
「からかわないでください、これは」
困った様に苦笑を零す疆に右手で軽く謝罪の意を示すディオ。
「しかし問題なのは、不知火の坊主だわなぁ」
フーンと鼻息荒く腕組みしむむむ、と唸る。
そこに関して批自棄、疆も同意見の様子だ。
「そーさな。まさかあそこであんな事になっちまうとは」
「ですね。私もよもや九十九があんな事になってしまうとは……」
ふぅむ、と神妙な表情で頷きながら三名は『困ったなぁ』と呟いた。
「何だかんだで二人脱落ってのは一気に人数が減った気がしてくるもんだよな」
批自棄がさっと左右に視線を走らせた。
「そりゃあまぁな。元々五人っつー少数精鋭チームではあったが、二人減っちゃ半壊みてーなもんだからな。それでもまぁ、実質的にリタイアは一人だからマシなんだろうがよ」
「果たしてどうでしょうかね、これは。九十九がリタイアしている……とは思いたくもないですし、現実問題安否不明と言うのが現状ですが」
「そこが問題だな。果たしてヤコーの奴は無事なのか否か……」
「それを言ってしまえば、足の一撃を喰らった上に一度爪で切り裂かれる何てダメージを受けたバルケスィルさんの所在も気にかかりますがね、これは。爪で裂かれた勢いのままに突如開いた床の下へ落ちていってしまいましたが……」
「そこはまぁ、無事を祈るっきゃあるめぇ。死亡ゼロっつー不可解な此処をな」
「怪我をしていた場合は治療費を払ってあげないといけませんね、これは」
そう呟きながら疆はカツンと静かな音を鳴らしてティーカップを下へ下ろし、肉入りのサンドイッチを口いっぱいに頬張った。そうしてやりな、と告げてディオは手の骨付き肉をぐんぐん減らしてゆき、批自棄はから揚げをもぐもぐと食す。
さて、今更ながら彼らの現状を説明しよう。
彼らが今何をしているのか。そんな問いが投げ掛けられる必要性があるのかどうかという次元で――彼らはピクニックのごとく、ランチマットを敷いて、籠に綺麗に入れられたサンドイッチ、から揚げ等の肉類、そしてドリンクを飲食していた。クエストも佳境――そんな最中に見事なまでの寛ぎっぷりである。
場所はそう……第十関門の先にある通路の丁度真ん中に当たる場所だ。
第十関門『三首るな!』。名称など知らぬだろう三人は見事、彼の強敵を打倒し、今、此処へ至るのであった。
「しかし改めて考えると今、こうして寛げている事が信じられないくらいですよ、これは」
「まぁ相手が相手であの怪物だったから、トーゼンだろうな」
「ええ。ピンチだったのは初見で恥ずかしながら私が固まってしまった事でしょうね。その関係でバンガーさんには大変迷惑をかけてしまいました」
「ああ、その事まだ気にしてたのか? ガッハハハ、気にすんな、気にすんな!」
「そーだな。あんま気にしてちゃあいけない」
「しかし……その所為で九十九は初手の爪の一撃を喰らってしまったのがありますし……」
「ああ、あのおっさんが疆サンを救出した二秒後に『あぶねぇ、大地離の旦那ぁ!』って叫んで喰らわんでいい攻撃をわざわざ喰らって『おりまっ!?』と言う声と共に吹っ飛んだアレだよな、確か」
「え、ええ……それですね、これは……!」
見事に状況を読めていない――否、読みはしたが対応が遅れた結果、九十九は負傷したと言えてしまうから疆は僅かに額を抑えた。
「まぁ、初めに随分へたっぴな事をやっちまったが、その後の攻撃……そう、腹部に叩き込んだ一撃は中々良かったぜ。あの化け物に吐血させるなんざ中々だ」
「それを言うならリタイアとはいえ、一矢報いた――文字通り、一矢報いたバルケスィルの攻防を評価しておきたい。おっさんに、ヤコーには及ばない様子で、それ故に誰よりも先に狙われた所為でリタイアにはなっちまったが、最後の一撃を喰らった際に最後の力を発揮しての弓矢の一撃はあの怪物の片目を見事、撃ち抜いたからな」
「おお、アレか『射武士銀』っつー銀細工で出来た弓矢!」
「アレは見事でしたよね、これは。一瞬にして瞬時に槍の『白銀の槍』と弓矢『射武士銀』と言う武器を変更する特異な技術。唯の銀細工師ではありませんね」
「実際、唯の銀細工師ではないだろーぜ。あんな奇抜な武芸出来る奴が唯の銀細工師なわけがねぇ。銀細工師ってのは間違いないけどな。まぁ何にせよ中々面白い戦闘技術の奴だったって話だがな」
ぷへーっと麦茶を飲み干してのほほんとした表情を浮かべて批自棄はそう締めくくる。
だが問題はその後だったな、と語りながらディオは遂に骨だけとなった骨付き肉の骨をガジガジとタバコの様に加えながら告げた。
「仲間が一人やられた。その一瞬の出来事に揺らいじまったののが不知火の坊主は致命的でもあったよな」
「でしょうね……。目を閉じるだけで思い浮かびます。九十九が怪物の首の一つに怒りの打撃を喰らわすオーバーヒートと呼んでしまえる様な猛威の発揮」
「流石にヤコーの拳をあんな何発も打ち込まれちゃ結構キツかったろうしな」
「オウ。その後にアイツが拳で牙を砕き折って、そこへ俺が追撃を叩き込んだわけだ」
「あの場面は相当に熱い場面でしたねぇ、これは!」
「そう言ってもらえりゃありがたいってもんだ。問題はその後の怪物が怒り任せに暴れた結果だよな。暴れる怪物と暴れる不知火の坊主とあやかって暴れてみたおっさんの大波乱の戦闘劇は傍目ヤバかったに違いねぇ」
「本当になー。ひじきさん思わず『帰りてー』って思っちまったぜ、ケタケタ。なんだっつーのよ、あの三者三様の暴れっぷりは」
「でしたね。『がるるるるるぁあああああ!!』と言う唸り声と『ガッハッハッハッハッハッ!!』と言う笑い声と『ウォオオオオオオオオオオオオオ!!』と言う雄叫びを上げての拳と爪の押収は傍目見ていて突風が凄かったですよ、ええ、本当に」
「ヌッハハ! まぁ、あいつら根性があったからな。唯、最終的に不知火の坊主が怪物の突進を受けて吹っ飛ばされて、横の壁に空いている通気口みてーな場所にすっぽり入ってどっか言っちまったのは完全に計算外だったが」
「本当ですよ。リタイア扱いにはならないまでも、所在不明ですから……心配です」
「安心しなーって。サカイの旦那。仮にも、不知火の血族だろう。手傷、負傷もそんなじゃなかったんだし、どっかで生き延びてるって」
「それだといいのですが……いえ、今はそう信じておきましょう、これは」
そう神妙な面持ちで頷き、疆はそっとティーカップを手に取り、一口すする。まるで心を落ち着ける為に飲むかの様な――いや、実際そうなのだろう。ラベンダーの仄かな香りが鼻孔をくすぐり心をそっと落ち着ける。疆は口の中に広がる苦味と甘味に何とも言えず感謝した。
また茶会を唐突に開いた――いや、どちらかと言えば現場を見る限りピクニックかハイキングか……まぁ、どちらでも構わないだろう。この場を唐突に設けた。
――そろそろ腹減ったろ。腹ごしらえしよーぜ
と、言い出してランチョンマットを広げだして、サンドイッチやら置き始めた批自棄へ内心でそっと感謝した。
初めこそ、
――いえ、親不孝通り君。今はそんなことを言っている場合では……
――ほう? 私の振る舞う飯は食えない、と
――さて、御伴に預かりましょうか、これは
と言う具合に反対だったが今となっては小休止はいい役割を担ったと思える。
(いえ……、まぁ、親不孝通り君の何時になく容赦ない眼光に負けたと言うのもありますが)
名家の当主として若干情けない。
だが、それ以上に今は感謝していた。無理矢理な形で引き留める批自棄のマイペースぶりにある種の感謝をしていた。
(九十九がリタイア……はしてないまでも、逸れてしまった事で若干、動揺してしまっていましたからね。彼の分も頑張らなくては……と気負い過ぎていた節がありますからね、これは。やれやれ、肩の荷が重くならずに済みましたよ)
ふふっ、と仄かに微笑んで大地離疆は片膝をつけてゆっくり立ち上がった。
「さて、と」
「行くか、雇い主さんよ?」
「ええ」
そっか、と締めの麦茶を一気に飲み干して口元にニンマリと笑みを浮かべディオ=バンガーが静かにその腰を上げた。そして両の拳をぐんっと握り緊める。目に見えてわかる程の筋肉の膨張が力瘤に起きる様は何とも頼り甲斐がある。
そして二人が降りたランチョンマットの上で親不孝通り批自棄は御代わりの麦茶を飲み干したところでそっと立ち上がり、エプロンドレスをぱんぱんと軽く叩く。
頭のカチューシャを手で軽く直してズタボロのメイド服を直して、
「心の準備は大丈夫そーだな」
「お陰様です、これは」
「サンドイッチ美味かったぜ」
大地離に対して無言で頷き返し、隣のディオに対して、
「あたりめーだ。誰が作ったと思ってやがるよ」
強気な発言を持って返す。そんな表情に苦笑を浮かべた後に微笑を浮かべた。
「そっか。それもそうだな」
「ああ、おっさんのとこのシエルとウチの副料理長だからな」
「親不孝通り君が作ったわけじゃなかったのかい、これは!?」
さも当然の様に振る舞っていたのに関わらず実態は別人の料理であった事に若干驚きを覚える疆を余所に、ディオと批自棄は「オメーの料理じゃねぇってのはわかってたが……作れよ、おい」、「ヘッ。そう容易く私の料理を食わせると思うなよ」、「ガハハ! 大きく出やがったなコイツめ! 何時か食ってみせてやらぁ!」、「ハンッ。易々と食えると思うなよ、YA」と言う旨の会話を繰り広げていた。
なおサンドイッチや肉料理は批自棄の唐突な注文に答えた迎洋園家副料理長。麦茶や紅茶、コーヒー等の部類を準備したのは同じく唐突に大口注文した――その結果、店では彼の苦労がより大きくなったりもしたが――ルーク=シエルと言う青年である事を明記しておこう。
疆は胸の前でそっと手を合わせて、
「ごちそうさま」
と安らかな声で呟いた後にそっと二人へ視線を向ける。
「さぁ、御二方。そろそろ我々も参りましょう。第一一関門へと、ね」
その声に反応する形で「さー、批自棄の嬢ちゃんの飯が楽しみだねー。何時か必ず食ってみせるぞテメェ……!」、「あ、こら。頭撫でてるんじゃねぇぞ、おっさん。いいだろう、だが毒殺を覚悟しとけよYA……!」と言う何故か物騒な方向へ移行している二人だが頭の中は冷静な様子で大地離疆の号令に即座に反応してこちらへとやってくる。メンチを切り合いながら。
(ものの数秒で関係悪化……仲がいいのか悪いのかどちらですかね、これは)
とりあえず気苦労が多そうな面子になったものだ。
今、思えば九十九の馬鹿さ加減とサッチの常識人ぶりが上手く中和していたのかもしれないが……今は巨大な個性二つの本領発揮みたいなものだろう。
だが、同時にそれだけの個性がなくては正直、ここから先へ進むことは出来ない。
疆にはそう思えた。
「……さて、行きましょうか御二方」
そう呟いて疆達は進んだ先に悠然と、堂々と、壮大に待ち構える扉だ。巨大な扉だ。
第一一関門への入り口。
小休止も済んだ。腹ごしらえも終えた。
「心の準備は大丈夫ですか、御二方。正直なところ、第一〇関門であんな化け物だったのですから……ここのトラップがランダム制とはいえ、正直ここから先は仕掛けられている――私はそう読んでいます。故に、先ほどの怪物以上の難敵が待ち構えている可能性は極めて高いと思っています。なので、もう一度問い掛けましょう。心の準備は大丈夫ですか?」
疆の真剣な眼差しを受けて。チェーン店『モビーディックバックス』店員にしてアルバイターのディオは、迎洋園家メイドにして現在では教育係を兼任している批自棄は肩をすくめるような気安さで。
適度に緊張感を抱いた程度。責任を見事なまでに適度に背負う自由奔放な二名は答えた。
「心の準備ね。日頃、本来してるべき、アレだろ?」
「ガッハッハッ! そんなもの、生まれてこの方背負って引き摺って気負い続けた生来の相棒みてーなもんだろうが」
緊張しているわけではない。かと言って怯えているわけでもない。
と言う事でもない。
自らの作り上げた境界線を見事に操るからこその精神の安定。双方、どのような人生経験をしてきたのか……疆は感心すると同時に驚嘆すら覚えた。畏怖すらする。
そんな二人が今、この背中を支えてくれる――こんなありがたい事は無い。
(ここにもう一人いてくれれば最高でしたが……望み過ぎですね、これは)
不知火九十九。自分の娘の従者。
教育は、鍛練は失敗に終わったのか、はたまた成功に終わったのか。
どちらでも構わない。ゆっくりと成長してゆけばいい。人生は案外長い。短くも長い。大地離疆は教育者の顔を浮かべて一歩を歩み出す。内面で少しだけ。
不知火九十九が今回の敗北で心が挫けてやしないかと少し不安に思う気持ちを押し殺しながら前へ進む。進んでゆく――。
3
結論から言えば大地離疆の不安は見事なまでに杞憂に終わった。
不知火九十九と言う少年は今、まさに文字通りにピンピンしていたのだから。
「いやー、参ったわ、負けちまうとは。だが俺の筋肉さんはまだ負けを認めねぇ、そう言ってやがるんだ!」
「そっか。相変わらず不知火の筋肉への意気込みはすげぇと感心するしかねぇぜ」
少し呆れ気味の表情を浮かべるのは加古川かがべだ。その隣で「いや、俺達のドーナツ好きも傍目にはそう映ってるだろうけどな」と言う発言を零すのは灘佃煮。そして隣にはギュンター=オーバーザルツベルクが立っている。
佃煮は人差し指を一本立てながら問い掛けた。
「要約するとこういう話か?」
「そうだ」
「いや、まだ何も言ってない。……コホン、つまりお前たちが進んだルートの先ではとんでもない怪物が待ち受けていて、かなりの苦戦を強いられてしまったが、どうにか奮闘した。しかし、不知火お前は戦闘中に突進攻撃を受けて敗走。しかし衝撃で上の通気口に飛ばされてしまい滑り台を滑る様に流されてきた結果、此処へ辿り着いて壁面にダストシュートの様に衝突してしまった、と」
「おお、そうそう! そんな感じだ!」
思わず拍手する九十九。
「驚いたぜ。一方通行かと思えばあの通気口みたいな場所から移動する事も可能だったのか」
「だが試してみるのは止めて置いた方がいいと思うぞ、カコガワ。どこに飛び出るか予測もつかねぇしよ」
「わかってるさ。試す勇気はねーっての。なんせ、もうかなりトラップ潜り抜けてきたんだしな。今更そんなもんに頼るわきゃねぇだろ」
腰に手を当てながら苦笑交じりに呟く加古川。
それもそうだ。様々な関門を突破し、迫る壁面、大量の水、ゴーレムと言う数種類のトラップを潜ってきた結果此処にいるのだ。わざわざ何処へ飛ぶかわからない通気口を利用する必要も無い。
「しかし、人が通れるどころではなく大きな通気口だな。もっと大きなものが通れそうなくらいに大きいぞ」
「ああ、だから滑ってるとき結構快適だったぜ。遊園地のアトラクションみてーだったよ」
九十九の言葉に「そうか」と佃煮は頷いた。
それから通気口をじっと見つめる佃煮は置いておき、九十九はそっとチーム【ルーザー】の面々に目を配った。
(初めは六人だったのに今は三人、か……)
減ったな、と端的に思った。それを言えば【ウィナー】も同様に、サッチの敗走と自らの失踪により二人減っている。両チーム半壊みたいなものだ。大地離の従者、不知火九十九としてはどうにか疆の元へ戻るべきなのだろう。だが生憎と戻る手段が無い。通気口を利用しようにもジャンプではとても届かない高さにある上に次はどうなるかわからない。
謎が多すぎるのだ、この場所は。
そう考えると九十九の選択肢は一つだけだ。【ルーザー】の一員として、共に行動し最終的に合流を果たす。それ以外に道らしい道筋は無い。
「こっちから進んで行くっきゃねぇってことか」
九十九のその言葉に加古川はぐっと拳を握り緊めて答えた。
「不知火が加わるってんなら歓迎するぜ。こっちはまぁ……正直なところ、人数三人減っちまってるからな。戦力が増えるのはありがたいんだよ」
「俺も同感だ。不知火の筋力は当てになるからな」
「戦力じゃなく筋力なのか扱い?」
ギュンターが苦笑を零す。だが強ち間違っていないと加古川、佃煮の両名はそう思い、九十九に至っては間違いにすら気付いていない――間違ってないのだろう。
「しかし、驚きだな」
「何がだ灘?」
「いや、向こうの道にはそんな化け物がいたと言うのが素直に驚きだ。こっちも壁攻め、水攻め、終いにはゴーレムを体験したわけだが……向こうもかなり大変そうだとな」
「そうだな……。うちも半壊だが、実質あっちも半壊か」
「いや、そうは言ってもだカコガワ。向こうの主力っつーかチートみたいな二人はリタイアしてないんだから向こうはそんなに心配する事もねぇんじゃねぇか?」
「それは確かにな」
そう考えると向こう側への心配は左程無いかと考える。
ディオと批自棄と言う敗北が見えない気すらする二名がいるのだ。雇い主の疆の不安はあるがそこは確実にフォローが入るであろうし、心配するよりも自らの心配した方が正しいのではないか。
「ところでよ……、加古川」
「ん。何だ不知火?」
そこで耳に届いた九十九の声に耳を傾けた。
「一応訊くかどうか迷ったんだがよ……あいつら……イズミット、ジレ、海味の三人はどうなたんだよ? リタイアしたんだろうけど……どんな風になのか気になっちまってさ」
九十九が神妙な様子で問うのには理由があった。
存外――仲間が脱落すると言うのは心のくるものがあった。いつの間にか消えた日向に関してはそんな感想を抱く暇も無かったが。
対する加古川は悩んだ。
センチにすらなっている様な気がしなくもない、不知火九十九へ彼らの最後を伝えるべきか否かを。あの三人の最後の……散様を。
(アクバル=イズミットは虫に負けてリタイアで)
佃煮が内心でそう考えると続いて、ギュンターが、
(ジレの奴はティッシュが原因で水に溺れて……)
最後に加古川が三人目の最後を思い浮かべる。
(海味の奴は自滅しましたよ、と……)
そこまで考えて三人は九十九から与えられた情報を思い浮かべる。
(対するバルケスィルの奴は化け物と戦って名誉の敗退、か)
ふむ、と三人は顎に手を添えて小さく頷いた。
(……言えねぇええええええええええええええええええええええええええ!!)
言えない。言えるわけがない。
絶対に九十九のモチベーションを下げる結果しかない気がする。
(傍目見ていて、今の不知火は結構真面目だ。シリアスモードな分が若干入ってる! それなのにこっちの仲間三人の散様がアレだと知ったら……確実に気が抜ける! そんな気がする!)
(言わぬが花、と言う言葉が日本にはある)
(どう言う意味だ、ナダ?)
(単純に言ってしまえば真実は時をとして残酷だからいっそ口を噤んでおいた方が良い結果をもたらしますよと言う感じだな今は!)
(よし、それだ!)
三人の意向は決定した。アイコンタクトの織り成す三人の意見は確定する。
加古川はぽん、と不知火の肩に手を置いて何時にないシリアスな声で呟く様に言った。
「訊くだけ無粋だぜ……不知火。あいつらはさ……あいつらなりの最後を遂げた。それだけさ」
間違った事は言っていない。佃煮は本当にそう思った。
そしてそれを訊いた九十九は目を一瞬見開いた後にふっと微笑を浮かべた。
「そっか。そうだよな。それもそうだ。チーム【プロテイン】の面子だった奴らだ。きっと壮絶な最後を遂げたんだろうな……。大方、海味の奴がいないのも……灘か加古川のどっちかを身を挺して助けただろうし」
「……」
いや、それは深読みのし過ぎだ。
と言うか海味山道の存在に美談が含まれる事に関して実に思いっきり否定したいところで佃煮も加古川も同様に雄叫び上げて否定しようとしたのだが、ギュンターの蔦が口元を覆って喋る事が出来ず「むー! むむー!」と言う声しか上げられない。九十九は背中を向けて感慨深げな様子ばかりだ。
真実を言わない結果、三人の最後が美談になりそうな事に一抹の不安を抱えつつ、いよいよもって四人――九十九を踏まえた四人。
チーム【ルーザー】の四人は目前に聳え立つ扉を見据えた。
これまでの扉と同じく巨大な扉だ。辿ってきた道筋の結果だろう最早第十三関門に至っていた。扉には文字が刻まれている。読む事が全員出来た。
「第一三関門……『士剣官』、か」
ギュンターがゆっくりと読み上げる
「読むだけで何か刃物とか関わって来そうな感じだな、おい」
加古川がうへぇ、と声を洩らした。刃物と言うのは自然と身が強張る内容だ。
「しかし、不思議だな」
「何がだよ?」
呟いた灘に九十九が不思議そうに声をかける。
「いや、今までは結構淡白だったり、紋様があっても何かしら意味があったからな……。この扉に関しては……見てみろ。数字の羅列ばかりあるじゃないか。この羅列が何を意味するのかは生憎わからないがな」
「お、確かに」
九十九が扉に触れてしっかり見てみれば確かに複数の数字があった。壁に順序良く刻まれた数字は『8』、『14』、『15』、『23』、『29』、『30』……何かしら法則性があるのかもしれないが。
「……」
数時間系で知識のない四人は見事なまでに『ぺっぺけぺー』と言う効果音が似合いそうな程にぽけっとしていた。そして数分後に三人は不敵な笑みを浮かべながら「なるほどな」、「簡単すぎて答える程でもねぇや」、「こんな程度何の問題でもない」、「だよな、わかるわかる」、「俺達の明晰な頭脳相手にこんなの何でもねぇや」、「うん、わかってるさ答え。答えるのもばかばかしいくらいわかりやすいってだけで」と汗をたらたら流しながら言っていた。
「っていうか良く見るとそこのだけじゃねぇんだな。こっちにも四つ『1』、『8』、『15』、『23』って数字があるぞ」
別の場所に刻まれた四つの数字を前にギュンターが淡々と読み上げた。
「本当だな。よくよく見りゃあ高い部分にも更にあるし……初めの奴と数はほとんど一緒だけど『1』、『18』、『24』、『28』って数字が……『1』がそっちと被ってんな」
加古川の読み上げた数字は最初の六つの数字に無かった四つが加わった形であった。
「六、四、一〇……。法則性の様なものは感じるが……これは何だ?」
顎に手を添えて佃煮が頭を捻る。
加古川は溜息交じりに、
「いや、考えるだけ無駄じゃねぇか? 暗号にはすでに当たってるけどよ。全部が全部意味不明だぜ何か? 法則性もわからねぇしさ……」
「それに俺は小難しく考えるのも面倒くせぇしよ!」
パァン! と、九十九が右の拳を左の掌に叩きつけて乾いた音を放つ。
小難しく考えるのは苦手。確かに、そうなのだろう。それを言ってしまえば、加古川も佃煮もギュンターも同意見だった。生憎と此処にこの暗号めいたものを解ける者はいない。ならば突撃するだけだ。
難しく考える事も無い。攻略してしまえば結果オーライだ。
「行くぜ、お前らぁっ!」
「おう!!」
九十九の掛け声に合わせて彼の背中越しに三人の威勢のいい声が木霊する。
その声を背に九十九は自慢の怪力を発揮して扉をバァン!! と勢いよく開け放った。静かで、そしてひやっとした冷たい清涼な空気が途端に溢れだした。心を落ち着ける様な清純な空気がゆっくりと広がってゆく。
薄暗い大部屋の中。
シンと静まり返った空気が何とも心地よい。内面の熱さをそのままに、体は心地よく冷えていくかの様であった。罠らしい罠は見受けられない。だが岩石や壁に植物、水と……部屋の中は何とも外と変わらぬ雅な空間であった。今までとはある種異質な場所だ。
「何だここぁ……?」
ギュンターが不思議そうに呟きながら慎重に歩を進める。
九十九も同様だ。緊張感を張り巡らせながらゆっくりと足を進めて、部屋の中へ入ってゆく。丁度、三分の一程度の位置へ歩んだ頃か。そこで唐突に気配が現れた。部屋の奥。岩場の陰から物静かな歩み寄りで近づいてくる姿があった。
「無駄足に成らずに済んだのは此度が初――ぜよ」
冷淡な口振りで草履が地面に擦れる音がザッ、ザッ、と近づいてくる。
薄暗闇の奥で若い男性と思しき声が空間に凛と響いてくる。
誰か、いる。
疑問に思うまでも無く、確信出来る程に明確に。清涼な闘気を放つ何者かが姿を現す。
「四人。初めて此処まで至りし数が意外と多いものぜよ」
現れたのは総髪の少年であった。年の頃は九十九や加古川と離れていないだろう。ベージュ色の瞳に新緑の華やかな色をした頭髪。やせ形だが引き締まった肉体を持つ160センチ程と思しき道着を着用した少年だ。
「なっ……!」
加古川が声を上げた。
無理も無い。
こんな場所で人と出会ったのだ。同い年程と思しき少年が、目の前に現れた。こんな辺鄙な場所で何をしているのか、どうしているのかと言う言葉が口を出ようとして仕方がないのだろう――等と言う平坦な理由で加古川が驚いたので決してないが。
「お前は……」
次いで驚きに声を零したのは灘佃煮であった。
無意識か金剛杖『蟋蟀』に手を添え、構えまで見せた状態で目を見開いている。
その反応に驚いているのはギュンター、そして九十九の二名だった。加古川然り、佃煮然りだが何故二人はこれほど驚いているのか反応に困ったと言うのが明確だ。見ず知らずの相手がこんな場所に現れた事に驚いたと言う様子ではない。
むしろ知っている相手が現れた事に驚いたかの様な反応だ。
「その反応から見て……拙者を知っている様子と見るが?」
淡々と述べられる言葉に対して「へっ」と加古川は嘲笑するかの様に言い放つ。
「知っている様子だぁ? たりめぇだろ、剣の道に踏み入った事がある奴がお前みてーな有名人を知らねぇわけがねぇだろう」
一拍の隙間を置いて――、
「【天下十二刀剣】の一角。斎院寸鉄! 剣の道を志す者なら誰でも知っている様な名だろうがっ!!」
「……」
目を閉じて唯、無言で寸鉄は加古川の言葉を受け止めた。九十九だけ、『え? 誰?』と言う表情を浮かべてはいたが。
彼が何を思って無言であるかは想像するのは難しい。しかし、そんな事はお構いなしで佃煮は不思議そうに問い掛けた。
「俺としては本当にわからないな。どうしてお前の様な男がこんな場所にいるんだ、斎院?」
「何故、拙者が此処にいるのか、か」
すっと静かに目を開き、視線を佃煮に向けて淡々とした口ぶりで寸鉄は言葉を紡ぐ。
「それをおんしらに語った所で何も変わらん話だが……折角だ。此処まで辿り着いた者達を無下にも出来ない。と言っても多くを語るは出来ないが……拙者は唯、此処で試練として立ち塞がる役割を担った。唯、それだけぜよ」
「いや、意味わかんねぇよ」
「生憎、無関係のおんし達には多くを語れんぜよ。許せ――とは言わない。唯、閉ざして逝け、口を、な」
そこまで口にしておもむろに寸鉄は腰のものを引き抜いた。
日本刀。
紅色に近い柄巻による装飾を施された赤系統の色彩をした優美華麗な刀剣であった。同じ色彩の鞘から引き抜かれた刀身も紅色かと思われたが引き抜かれた刀身の色は純粋な鉄の色。玉鋼により鍛え上げられた鈍い光を発する純粋な日本刀の清涼な威圧感が浮かび上がる。
そしてその刀の刃を――自分の方へ向けた。
「……何のつもりだよ、斎院?」
「何のつもりもなにもない。本物の刀だからな。生憎と切れ味が凄まじいのは自明の理と言うだけの話ぜよ。故にこうしたまで。安心しておけ」
「ヘッ。そりゃあありがてぇな」
「死亡率ゼロ。それだけは揺るぎないものぜよ」
逆向きに向けた棟がこちらを向いた状態で寸鉄は刀を構えた。
そんな姿に意気揚々と進み出た男がいた。
「フフン。敗北した後で手加減したから負けたとか泣き言言っても仕方ねぇんだぜ、ユンゲ!」
「……って、おい、バーザル?」
加古川がぽちょーん、と汗を一筋垂らして焦りを見せた。
「ここは俺に任せておけカコガワ。なぁに、圧勝は確実だ」
自信満々な様子で二本の蔦をひゅんひゅんと鞭の様に振るいながら不敵な笑みを浮かべた。
「待て待て待て!」
そんな様子に加古川は汗を掻きながら止めに入る。
「お前、絶対にあいつを舐めてるだろう!?」
「戦士として相手を舐めるなんて事はしてないに決まってるぜ」
「いや、舐めてなかったらもっと別の方法取るって!」
「カコガワ。敬意を払ってるって方なのさ。あんなどうみてもなよっちぃ上に刀の刃を返して切れない状態にした状態の奴なんかにゃあ軽く倒せる。赤子の手を捻る様なもんだとしても経緯を払って正々堂々って奴なのさ」
「いや、その発言は確実に舐めてる奴の発言だよな……!?」
そんな加古川の発言を振り切って、受け流してギュンターは蔦を構えた。
内心、加古川は訝り過ぎだとギュンターは思う。確かに寸鉄は何か尊大な称号の様なものを持っている様子だ。剣士として知名度が高いのだろう。だが切れない状態に返した刀を使うとあっては実力も半減の事だろう。切れないのであれば自分の蔦が切断される恐れはない。そうなれば遠距離から自慢の蔦伝いを行って難なく対処できる事だろう。
勝機は見えている。
(カコガワ、ナダ、シラヌゥイの三人じゃあ近接戦闘を余儀なくされるだろうからアイツとの戦闘は難しいだろうが……俺は違う! 俺だけが遠隔で戦う事が出来るのだから!)
と、ギュンターが大威張りで戦闘意欲を燃やす中、加古川と佃煮は同様に同じ事を持っていた。これは拙い、と。
ギュンターの想像通りに自分達三人には近接戦闘しか出来ない。
近接戦闘はズバリ、斎院寸鉄の領分なのだ。だからこそ。だからこそ、自分達にはギュンター=オーバーザルツベルクと言う中距離を使える男が必要なのだ。
(近接で俺達三人が隙を作り出し、バーザルの蔦で動きを捕縛し、そこを狙ってトドメを刺す……ってのが一番無難だっつーのに肝心のソイツが単独戦闘なんてしてどうする……!)
止めたいところだが、止まる気配が無い。
確実に自分が勝てると思っている者の顔だ。故に危険だ。自信ではなく、慢心の態度。あのままでは斎院寸鉄を前に敗れる未来は確実だ。それだけはさせられない。加古川は佃煮にアイコンタクトを送って互いに頷き合った。
(しょうがねぇ、灘)
(わかっている。危なくなったら助けに入る。そういう事だろう?)
(流石)
意思疎通の通りやすい間柄で助かる限りだ。
背後で二人が緊急時には助けに入る。そう決めた傍では不知火九十九が一人取り残された様に、
「えーっと……つまり、えと……俺は何をすればいいんだ……? つか、【天下十二刀剣】ってそもそも何だよ……?」
と、頭の上にたくさんの疑問符を浮かべる中で――、
「さぁて! サヤとか言ったな! いざ、勝負だぜえ! 俺の名はギュンター! 『獅子王子』のギュンター=オーバーザルツベルク! この名前を胸に刻んでいきな!」
ダン! と、大地を蹴ってギュンターの体躯が前へ一気に躍り出る。両手の蔦をひゅんひゅんとまるで鞭のごとき、それをバツ印を描く様に振るいながら突き進む。
「何か縄跳びしながら走ってるみてーだな」
「言うなよ不知火、緊張感なくなるから」
「生憎、このやり取りですでに無くなってるぞお前ら」
胸の前で何度となく十字に交差し、自在に揺れ動く蔦の動き。
完全な鞭と化した蔦を前に寸鉄は小さく言葉を吐き出した。
「おんしの武器は蔦か。また奇抜なものを獲物としたものぜよ」
そして、と呟きながら逆に持った日本刀を構えて、寸鉄は、
「『獅子王子』――それがおんしの異名であったな。だが、その熟練された蔦の技巧。今よりおんしは、むしろ『蔦伝い王者』の異名を進呈するが?」
「なんでだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
皮肉。実に皮肉な話にも、寸鉄の眼から見ても『獅子王子』よりも『蔦伝い』と言う異名を連想しやすかったと言う事実に他ならなかった。なお、それは約三名も同意見な様子でうんうんと頷きながら、
「まぁ、獅子関係ねぇもんな」
と、正確な評価を下す。
だがその名前が嫌だったからこそ、自称で別名を名乗るギュンターはびゅおっと風を切り裂き、蔦を震わせて彼自身の必殺技とも呼べる代物を放とうと構えた。
「言っておくぜ、サヤ。この技を受けたらシャレじゃ済まねぇってな……。だから事前申告だ。死にたくなきゃあ……避けな、ってな!」
びゅびゅびゅっと蔦が幾度となく振るわれる。風を打ち振るい、打ち払い、打ち抜いて、ギュンターの蔦は緑の線を幾度となく閃かせてゆく。
その光景を。眼前に迫る凶悪な光景を前にして寸鉄は告げた。
「堂々と名乗られた以上は拙者も名乗っておかねば道理が立たんな」
淡々と。
「恐れ多くも【天下十二刀剣】等と言う尊大な称号の一角を預かった――名は寸鉄。字は斎院。ついた異名は誰が呼び始めたか露程にも知らぬ存ぜぬが――」
ギュンターの後方でタン、と物静かに彼は告げた。
「――『輪廻斎』斎院寸鉄」
新緑色の髪をふわりと翻して。
キン、と言う音が響いた。
「拙者が名を刻むか否かは判断し兼ねるが――唐紅に染まりゆけ」
その言葉を最後に蔦が彼の手を離れてまるでつむじ風に巻き上げられたかの様に宙を舞い、天上へ叩きつけられる形であらぬ場所へと落っこちてゆく。
「に……んてんどっはっ!!!?」
そして奇声を上げて血は拭き出さない様子だがその場から突然吹っ飛び地面をゴムまりの様に数度跳ね跳んだ後に仰向けに倒れた。
「ふっ、お前も中々だったが……俺に、は、か、適わない……当然、だ……」
その言葉を最後にガクリと首が横を向く。
そんな彼の最後を見守りながら三名は同様に思った。
(うわぁ……勝利する事しか考えてねぇ……)
(自分の勝ちを疑ってなかったか……)
(勝どきの台詞考えてたのかよ……)
ギュンター=オーバーザルツベルク。リタイア。
その現実に加古川かがべは思わず舌打ちする。
戦力が減った――事もそうだが。
(助ける暇なんて……ねぇじゃねぇか、この野郎がよ……!)
何時、ギュンターが敗れたのかわからなかった。
気付いた時にはすでに、ギュンターの背後に寸鉄は廻っていたのだ。つまりそれだけ早いと言う事だ。それも斬撃を放つとしたらあの蔦の乱舞を潜り抜けなくてはならなかっただろうにそれを難なく突破したのだろう。彼の体に傷は一つも存在していない。
助ける暇が無かったと言う事は。
戦って勝利するのはほとんど不可能ではないかと言う話だ。
(まるっきり見えなかった……おいおい、んなのありかよ……!)
そう感じる加古川とは少し違う形で灘佃煮も同様に焦っていた。
(加古川は……見えなかった様だな)
そう呟く佃煮はどうかと言えば。
(微かにだが見えた)
けれど。
(だからどうしたという次元だ。見えたからどうしたの次元だぞ、アレは。それにアレが本気であるとは見えたからこそ更に思えん。こんな奴を相手取る事が可能なのか……!?)
悔しさに、歯が立たぬ現実に拳をぐぐっと握り緊める。
「流石は【天下十二刀剣】……と、言ったところか……!!」
「一角に数えられてるのは伊達じゃねぇ、って事だよな」
そんな二人を余所に彼――九十九は困惑した様子で問い掛けた。
「なあ、なあ、なあ?」
「何だよ、不知火。今はちょっと焦ってんだけど……!」
「いや、それは見ててわかるんだけどよ? ちょっといいか?」
「手短に頼むぜ?」
余裕が見えない様子ながらも、いや、余裕が見えないからこそ駄弁る事で精神的余裕を取り繕うとしているのだろう。加古川はそんな焦りを浮かべた胸中で耳を傾けた。
「【天下十二刀剣】ってそもそも何よ?」
傾けた耳がそのまま落っこちるかと思った。
「……はぁ!? 知らねぇのかよ、お前は!?」
「お、おう。知らない、んだよな……!」
「何でだよ!」
「何でっつわれても、知らない以上は知らないんだけどな……。とりあえず、何かすまん」
「いや、知っておけって……!」
憤慨した様子の加古川を見るに見かねてか灘佃煮は嘆息交じりに告げた。
「加古川、加古川。知らないのは場合によっては仕方ないだろう? 【天下十二刀剣】なんていうのは剣道や、剣士の世界の話だ。剣に関わる奴でなければあまり知らないかもしれん。一般人でも知っている奴はいるが……線引きは微妙なとこだな」
「まぁ、そりゃあそうかもだが……ああ、でも不知火って見てからに体術専門って感じだもんな。肉弾戦って言うかよ。確かに剣に関しちゃ詳しくねぇのかな」
「そんな感じだと思うぜ、自分でも」
じゃあ仕方ねぇかー、と溜息づく加古川の隣で補足説明する形で佃煮が答えた。
「いいか、不知火。【天下十二刀剣】って言うのはな。文字通り、天下で最も優秀な十二の剣士の事を指しているんだよ。全世界で剣道家や剣士と言ったとにかく刀剣に纏わる者達が声を揃えて認める者達、最強の一二名の事を指している。一人一人が並みの剣士では太刀打ち出来ない程の実力者。平和の祭典のスポーツ選手とは違う、現代に生き残る真正の剣士達だ」
「現代なのに剣士って意外と多いよな本当」
何時の間に最近の社会はそこまで凄まじい事になっているのだろうか。九十九自身言えた事では無いが。全く。全然。
「例を挙げればドイツの政治家『剣の貴公子』リュディガー。『切々舞』闘牛士ゴルディート。姿を見た者がいないと言うロシアの異端の剣士『凶剣』クルイーク。後はインドの『戦刃の益荒男』ヴィカルバルハ。……と言ったところか」
「何か凄そうな連中一杯過ぎやしねぇかなぁ!?」
「その凄そうな連中の一角なんだよ。あの男――斎院寸鉄はな。日本屈指の現代を生きる剣客と言って過言ではない。その強さ、精神は正しく侍だ!」
「今、頬を掻いて照れてるけどな現代の侍!」
長々と解説がされる中で気恥ずかしくなって頬を掻いて視線を逸らす居心地の浮いてるような状態の寸鉄の姿がそこにはあった。
「そして、だからこそだ。わかるだろう?」
俺達の絶望加減が、と佃煮は告げた。
そうか、と九十九にもわかってしまった。
勝てない。
そんな敗北感が全身を包んでいるのだろう。加古川も佃煮も剣士としての修練を積んだ身の上である。加古川は『朴念自念流』、佃煮は『途斬残灯流』と言う流派を其々体得した身の上。その為に、剣の道を歩んだが故にわかるのだろう。
凡人と天才の差が。
天賦の才と言うものを持つ者。斎院寸鉄の技量の程が。
ただ。
「それがどうしたってんだよ」
九十九は吐き出す様に告げた。
「太刀打ち出来ないくらいの相手が目の前にいる。それがどうしたってんだよ、加古川、灘」
「お前……ちゃんと聞いていたのか? 斎院がどれ程の剣客なのかを」
佃煮は責める様に告げた。天下最強の十二名の一人。それが斎院寸鉄だ。
そんな事はわかっている。
「だけど、相手が最強だからどうしたっつってんだよ、お前ら!!」
わかっている。相手が自分達では勝ち目の薄い相手であると言う事を。
「相手が強過ぎる? だから、何だよ、そんなの何度も経験する様な事だろうが! 強い相手と戦うのなんて人生何度だってあるだろうが! むしろ、格下と戦う事自体が少ないくらいにさ! 強い奴に立ち向かう事を怯えるのかよ? ちげーだろ、強い奴に立ち向かう事で燃える奴になれよ!!」
「不知火……お前……」
ズン!! と四股を踏むかの様に右足で地面を踏み締める。
全身の筋肉を稼働させる。
あの男に、斎院寸鉄に立ち向かえる程に強く、鋼く、靭く。勝てないのかもしれない。敗北必須の戦いとなるのかもしれない。だけれど、それで――、
「立ち向かわないで終わるほど……つまんねぇもんはねぇぞ、お前ら!」
怒号を放つ。雄叫びの様な力の鼓動を強く打ち付ける。心臓がバクバク唸る程に。
そして九十九は背中で感じていた。すぐそばの二つの生命。加古川かがべと、灘佃煮の……二人の空気が変わった事を感じ取った。
「ったく、その通りだったぜ、不知火。何もせず終わる無様さを演じるとこだった」
「全くだ。と言うか柄にもなく、テンプレの様なセリフを吐いたのは一生の恥かもしれないな」
加古川。佃煮。二人が互いの獲物を構える姿だ。
そこに先ほどの気弱さはない。
あるのは荒々しいまでの雄姿だ。
「格好いいじゃねーか」
ニカッと快活な笑みを浮かべて九十九は告げる。
「何言ってんだ、俺は何時でも格好いいだろ」
「それもそうだ」
アホか、と佃煮が苦笑交じりにそう告げる。
「さっきまで格好悪かっただろうが俺も、お前も」
「ちげーよ、あれは無様っつーんだ」
「尚、悪いわ」
ははは、と可笑しそうに笑う二人。
もう大丈夫だろう。例え相手が最強の剣客に数えられる一人であるのだとしても、例え最強には遠い一剣客二人であるのだとしようが……負けは覚悟の上として、戦いを逃げる様な姿勢は最早見せていない。斎院寸鉄に向けて弱みはもう見せない。
「行くぞ、『蟋蟀』」
金剛杖『蟋蟀』を構えて灘佃煮が闘気を発した。揺らめく陽炎の様なゆったりとした気迫がゆらゆらと揺蕩う。
「派手に行こうぜ『木賊』!」
木刀『木賊』を構えて加古川かがべは元気よく刀身を振るった。弾ける様な気迫が炸裂するかの様な荒々しい花火の様な気迫であった。
「成程」
そんな様子を見据えながら寸鉄が小さく呟いた。
「木刀『木賊』、それに金剛杖『蟋蟀』、か」
「へぇ……俺らの武器をご存じなのかよ?」
寸鉄は少し間を置いた後に。
「ある程度……ぜよ」
「ヘッ。知ってるなら話は早いぜ」
加古川は何処か嬉しそうに言葉を続けた。
「刀鍛冶・山岡同舟作の一振り木刀『木賊』! 唯の木刀とは比べるまでもねぇぜ!」
「だろうな」
さも当然、とばかりに寸鉄は呟きと共に小さく頷いた。
「だがその言い様では詳細は知っていない、と言う事か」
「あ? 詳細?」
「いや」
ひゅひゅんっと自身の刀剣を振るった後に首を振りながら告げた。
「知らぬ存ぜぬなのであれば知る必要の無い話だ」
何処か愁いをたたえた瞳。ベージュ色の瞳がゆらゆらと揺らぎを放っている。
その意味が何であるのか……当然の事ながら不知火九十九にも加古川にも佃煮にも知れるわけもなく道理も無い話であった。
「何、わけわかんねぇ事を言ってんだか知らねぇが……」
加古川は小さな声で行くぜ、と呟く。
やる気か、と佃煮は頼もしそうな笑みを浮かべた。何だ? と不思議そうな顔を浮かべながら後ろを振り向いた先には――光り輝く木刀『木賊』の姿があった。その異様な光景を斎院寸鉄は唯、冷淡に見据えながら――唐紅色の刀剣を静かに構える。
「見せてやるぜ、とっておきだ! 不知火! 斎院! お前らの眼に折角だからじっくり刻み付けておきな!」
光り輝く木刀『木賊』を――力の限り唐竹に打ち振るった。
「木刀『木賊』――リミッター4まで一気に解放ッ!!」
4
巨大な扉が威風堂々とまでに聳え立つ様。
門前にて相対するだけで心が引き締められる様な感覚に陥る。この扉の奥に待ち受ける者がいるからこその威圧感なのだろうか、と疆は考えた。ごくりと喉を鳴らす。果たしてどれほどの相手がこの門の向こうにいるのか。
開くだけでも相当の覚悟と勇気がいる。そう確信する程の何かが向こう側にはいる。
そんな感覚に浸りながら、疆は合図を出そうと口を開く。
開けてください、と。
「よーしっ、開けるぞ。うぉっしょいっと」
「おー、開いた、開いたー」
そんな疆の内心を全く無視したかの様に僅か数秒で扉をほとんど壊す様な形で開け放った。
流石と言うべきか、何というべきか。複雑に思考を張り巡らせた疆とは真逆の様に何かを考えた上で適当で粗雑で奔放に。眼前の壁を戸惑いも、躊躇も無く開放してしまう豪気ぶりは本当に頼もしいものだ、と額に手を当て、軽く呆れ気味に溜息を零す。
「さって。何が待ちうけているのやら、ってな」
そしてゴキゴキと巨腕を打ち鳴らしながらディオが先陣を切る形で奥へと突き進む。後に続く形で後頭部に手を回しながら欠伸交じりに批自棄が、最後を疆が後続する。
そんな中で。
唐突に声が聞こえた。
三名は初めこそ、先の怪物と同じく化け物の雄叫びかと勘繰ったが――違う。化け物んしては声が小さい方だし、なにより人の声であるのは明白だった。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?」
訊いていて絶対に泣き声と分かるほどに焦っている声だ。
誰だ、と訝るよりも前に。
「……おおう?」
思わず。と、言った様子で批自棄がまず、形のいい眉をしかめた。三名は徒歩の速度を急きょ速めた。聞き覚えがある声であった為だ。初めに気付いたのこそ批自棄であったが、声の質をよくよく耳にすればすぐに気付く声であった。
そして三名はだだっ広いと形容できる空間に躍り出る。
今までの部屋の空間と比べるとやけに障害物の多い空間であった。盾や障害、外壁となるものが随分と多く周囲に配置されている。これならば随分と上手い立ち回りが可能になる事だろう。だが、姿を現したからこそ。相手の姿を目視で確認したからこそ、これが有利に事を運ぶためのものではなく、最低限の配慮である事を理解してしまう。
目の前には一つの巨大な影があった。
その姿を形容するのであれば――一言で言えば大蛇であろうか。だがとんでもないレベルでの大蛇だ。長大な胴体を持つ恐ろしい風貌の形相。蛇と竜の中間辺りのか。蛇とも言えるし、竜とも呼べてしまえそうな姿形だ。全長が果たしてどれ程あるのかはわからないが、八〇メートルを超すのではないかと思しき巨大さだ。
それだけでも洒落にならない。
それだけでも本当に洒落にならないのだが……。
「……」
「……」
批自棄達は思わざるを得なかった。
(……何でお前そんなとこにいんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!)
日向が。
いつの間にかリタイアしていたはずの第一の脱落者、弦巻日向が。
何がどういう流れでそうなったのか全く分からない、推察するしかない話だが。
「……」
涙目で両腕をぷらーんと垂れ下げながら、大蛇の口の中に仰向けで、胴体からすっぽり収まっていると言うヤバイと形容出来てしまう様な状況になっているのだから。水色の頭髪も重力に逆らわず垂れ下がっている事から目元もはっきり見えている。
実に――涙目でぷるぷる震えていた。
そんな日向が涙目で両腕を批自棄達の方向へ伸ばしながら細々と呟いた。
「ひ、ひじきさん……! ――へ、へる」
ごくんっ。
と、言う効果音が大蛇の背後に見えた気がした。
果たして彼は何と言おうとしたのか。大方、助けを求める意味でヘルプとでも告げようとしたのだろうが、今となってはわからない。ただわかる事は大蛇の喉元を通過し下へ下がる塊の辺りから何やら『きゃー』と言う悲鳴が幻聴なのか何なのか知らないが聞こえた気がする程度。
「ユミクロが丸呑みされたぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?」
そしてこの批自棄にしては珍しい程の大絶叫である。
「うぉおおい、結局、何でそうなったんだ日向の坊主――――!? 説明もなく何を再び敗北してんだぁああああああああああああああああああああああ!?」
何故、リタイアしたはずの少年が今になって、こんな終盤も終盤に現れた上で絶体絶命の状況下に陥っていて本当に何かする間もなく絶望へ呑み込まれていったのだろうか。頭脳明晰な三名でも中々に読み取りづらい状況であった。
そんな事の顛末をあっさりと簡単に済ませてしまうとすれば、何の事は無い。
日向が落ちた第一関門。
あそこから繋がっている場所が他ならぬここ第一一関門と言うだけの話なのだ。落ちた先は絶体絶命の場所にて皆が来るまで一人で蛇と相対していた――実にわかりやすい図式である。落ちた先には大蛇との戦闘。落ちる者などそういないからこそ、成し得る荒業めいたものでもあった。
そして、大蛇に仲間が呑まれる光景を見る羽目になった三名は――、
「とにかく弦巻君は丸呑みされただけ! 救出可能です、憶測ですが、これは!」
焦った声音で即座の指示を繰り出す。推察し分析し救出出来る可能性を考慮する。
「明確な推察であると私も思うぜ! って言うか……!」
「とりあえず、アレだな。日向の坊主をその腹の中から出しやがれ、ヴァ……化け物さんよぉおおおおおおおおお!!」
第一一関門攻略開始兼弦巻日向救出作戦。
いざ、開幕である。
初手を取りしは、艱難辛苦をその拳で乗り越えてきた男ディオ=バンガーであった。彼は自慢の身体能力、脚力を発揮し一気に大蛇の近隣まで差し迫った。
「さーて、とりあえずは……一撃ぶち込んでみますかね」
呟くと同時に拳をぐっと握り緊める。
けれど、簡単に近づかせこそすれど、簡単に獲らせはしない。大蛇は口元に禍々しい色合いの紫色の霧状の物体を蓄え始め――、
「! バンガーさん、何か危険そうです! 回避を!」
「ハッ。わかってるよ」
焦った様子の疆とは真逆の余裕綽々と言う表情をこの場面でも浮かべ、ディオは前方へ加えていた力をすっとスムーズな動作で後ろへ変換する。その動作とほぼ同時期に大蛇は明確な攻撃を仕掛けてきた。
バシュゥゥゥゥ……、と煙が洩れだす様な音が音が掠れる様に鳴る。
紫色の禍々しい色が霧状に、雲の様に蔓延しようと広がり始める。
「おっと、こいつぁいけねぇ」
ディオは眼前に迫る霧状の物体を前にすると、徐に握り緊めていた右の拳を前方へ放つ。なんでもないかの様な一撃は周囲の空気を取り込み圧し、空気の塊として激しい音を打ち奏でながら霧状の物体を真横へ分断し、そのままの勢いで、パァン! と言う風船が炸裂するかの様な音を大蛇の腹部に発生する。
「Syulululululu……!」
ビリビリと空気が振動した。鱗が逆立ち、体が凹みそうな一撃に大蛇は難なく耐えて、微かに目を細めるも舌を出しながら牙を剥き、訊いている者が震え上がる様な鳴き声を発しながらずりずりと巨体を揺らめかせた。
「おっほ。耐えるじゃねぇか」
破顔一笑。
強敵と出会って心躍るかの様なにやけた笑みを浮かべながらディオはニィ、と口元に大きな笑みを浮かべた。
そんな様子を見ながら批自棄は何とも呆れた様子で、
「あのおっさん、絶対アルバイターとか嘘だろう、おい」
と、肩をすくめて手を左右に振りながら嘲笑するかの様に呟いた。だが、そんな余裕を見せた批自棄は途端に眼差しに真剣みを帯びさせて、ディオが先程に分断し回避した霧状の物体を見定めた。
(さて、それはそれとしてコレの正体は何かね)
推察する様に眼光を光らせる。
けれど、批自棄としてはその独特な色合いから嫌々ながらもしょうがなく予想をつけていたと言えよう。こんな紫色をした霧状の物体なんてテンプレだが、可能性としてはアレくらいなものだろうと。
周辺に存在する岩石が唐突に――融解した。
「なるほど。やっぱり毒か。ですよねー」
「ですよねー、じゃなくてですね親不孝通り君。これはピンチだと思うのですが」
汗たらたらな様子で疆が小さく言葉を発した。
「まぁ確かに。岩が溶ける様な毒素ってなると……吸い込む必要なく、触れただけで十分に毒殺される事だろーしな」
「では早く回避しないと……と言いたいんですがね」
「霧状って事は空気伝達だろーな。そう考えると逃げ場がねーよ。死にてー」
「死なないでくださいね。参りましたね、これは。ガスマスクをつけても、体を溶かすレベルの毒素では意味がないでしょうし、これは……」
「……」
批自棄はちらりと、疆の腕を見た。
震えている。傍目見てわかる程に震えている。冷静で穏やかな物腰は変わらないが、やはりこの確実な死の危険には彼もまた人間として危機感を抱くと言うのは当然だろうと思った。問題はやはり疆をどうやって助けるか。
(別に私はいい。毒ガス何てそもそも寄ってさえこねーんだろうから。あのおっさんに関しては……特に何もねぇけど、多分どうにかするだろ。そう考えるとなぁ……)
仕方ない、と肩をすくめた。
本来はこの役割は不知火九十九が担うべきことだが、致し方ない。大地離とは何の関係も無い従者である親不孝通りがどうにかするとしよう、と面倒くさそうに息を吐いた。
「拙い……! 近づいてきましたね、これは……!」
特に意味があるでもないに、疆はハンカチで口元を覆った。そんな程度でこの毒煙を防げるわけはないだろうに、やはり毒と言うフレーズでは取る対策はそれが王道なのだろう。
そんな事を何となしに考えながら、批自棄はメイド服のポケットをごそごそ漁った。
「たららたったたたたーん。あーいーくーちーっ」
「ぽけっとした表情で何を物騒なものを入れてたんですか!? と言うか何故にその口調!? と言うか質量的にそれは入るものなんですか!?」
「嫌だなサカイの旦那―。メイドのポケットに入らないものなんてあるわけねーじゃん」
「その言葉を否定する術が思いつかないのが何とも悲しいですね、これは……」
人生経験の中で出会ってきたメイド達は確かにメイド服には収まりきらない様なものをバンバカ出していた記憶が新しい。古くも新しくも、同様だ。
「しかし、匕首等何に使うのですか……?」
「ひじきさんスキル、その一~」
「訊いてませんね」
実際返す気も無い。批自棄は疆の言葉を余所にすらっと匕首を鞘から引き抜いた。
だが、その刀身を見れば……と言うか匕首の鞘にしては丸みを帯びた円柱状の鞘であった事からも予想はついていたが、やはりと言った形で疆は一般の匕首とは違うと思った。
刀身がまるで刀身らしくないからだ。
目に映ったのは確かに白い刃だが、細長い円錐状。匕首かどうかと言われたらとても肯定は出来る様な代物ではない。疆はこんな時なのに興味津々で熟考しようと頭が動き始めたその頃に批自棄は徐に毒霧目掛けてその匕首を振るった。
「〝清掃の白刃〟」
風を纏わせ、振り切って。刺突とも斬撃とも呼べる様な奇天烈な一撃。
それが毒霧に触れた瞬間にまるでどちらが毒なのか。毒素を侵食するかの様にズォッと蝕み紫色の物体が消し飛ばされてゆく。目を疑う様な光景であった。室内に蔓延していた禍々しい気配が次々に消えて行く光景は圧巻と言う他に無かった。
「ほっ。やるねぇ、批自棄の嬢ちゃん」
ニッと口の端に笑みを浮かべて大蛇と相対するディオが小さく呟いた。
まな、と簡素に応えて……この距離感で聞こえていると言う辺り、二人の聴覚はかなりのものなのも間違いないが……、批自棄はキン、と音を立てて匕首を鞘に戻す。
「ま。こんなもんだろ」
凄まじい、と言うべきなのだろうか。
態度を全く崩さず毅然としているこの二人は……、と疆は思わざるを得ない。毒素にへこたれないディオも異常だが、毒素を打ち払う効力を持った刀を持つ、批自棄もまた何者なのやらわからなくなる。
付き合いがそこまで長いと言うわけはないが、それでも彼女には言動にて驚かされてばかりな気がしてくる。――と言うか実際そうだった。
あの所有する匕首は聖剣か何かなのだろうか? と首を捻る。
そんな中で自らの毒を打ち破られた大蛇は、
「Syulalalalalala……!!」
と喉笛を震わせながら――ゆっくりと口の端を吊り上げた。
そしてゆったりと尻尾を持ち上げる。
その意味に気付いたのはディオであった。
「お前ら! 余波が来るから構えておきな!!」
「余波?」
疆が訝しむ様な表情を浮かべたと同時。
巨大な鞭が横一文字に振るわれた。否、鞭ではない、大蛇の尾だ。鞭の如く、しなり、強靭な、武器の域に達した兵器の様な一撃だ。
それを、
「どっせぇいっ!!」
鬼神の様な形相を浮かべたディオが尻尾を体全体で受け止めた。
「バカな!?」
味方相手にこんな発言をするのもアレだが、傍目見ていて信じ難い光景である。人があんな化け物の一撃を受け止めるとは。疆としては執事、メイドでそんな人種も知っているから驚きは左程でもないが、
(今後はアルバイターもカテゴリーしておかなくては……!)
「いや、それは無用だと思うけどな」
呆れ半分の批自棄の視線を受けながらそんな事を思ってしまう。と、同時に批自棄がふっと疆の真横に立った。正確には右側へ。
「おっさんの言う通りだな。余波がくるから身でも屈めてな」
その言葉に「御言葉に甘えて」と早口で呟きながら疆は身を屈める。と、同時に凄まじい轟音が鳴り響いた。岸壁の隙間やビルの上、構造上発生する隙間風の凄まじい――聞いていて耳がびくつく様な風の轟音。先程の尻尾の一撃を無理矢理に防いだ事による衝撃が突風となって襲いかかってくる。打撃そのものがこなかったぶん、マシだがこの余波の一撃だけでも相当な出力だ。
だが批自棄の陰に隠れた疆は衝撃を軽減。
批自棄に至っては呑気に欠伸しているだけだ。メイド服や髪が風に揺れるが、その程度で済んでしまうと言うのもまた親不孝通り批自棄の異質さを露わにしている。
そして尻尾の一撃を防がれた大蛇は次なる攻撃に打って出た。
「Syulalalalalalalala……!!」
ぐぱりと開いた口の中に先ほどと同じく毒素と思しき紫色の物質が蓄えられている――が、先ほどとは質が違う。霧状であった時とは違く、靄のようなものではない。むしろ固形化しており球体上に形成された紫色の塊だ。
何だアレは……、と唖然とした声が零れたと同時に。
ディオの立つ場所目掛けてその一撃は真っ直ぐに放たれた。
ピュンッ!! と。
今までの攻撃とは速度が違う。速い。かなり速い。例えるならば光線ではないか。一直線上に噴出した紫の光線は直線状の物体に衝突し――瞬く間にどろりと変質させた。
「毒のレーザーっ!?」
「ふっへーい……死にてー」
ズゴーンと愕然とした表情を浮かべる疆に影が差した様子でふっとシニカルな微笑を浮かべる批自棄の眼に晒されたものは文字通り毒のレーザーと形容して正しいものだろう。爆発力はない。されど触れれば溶ける。爆発的に溶けてなくなる。
「最早、生物の域ではないでしょう、これは!?」
「いや、こんな大蛇って時点で生物の域を超えてる感はあるけどな初めから」
実際、こんなビルより高い様な大蛇、初めから生物として範疇は如何程なのやら、だ。
「はっ! それよりも、バンガーさんは……? まさか、先の一撃で……!」
「いや、あそこ」
姿が見えない。果たして彼は何処にいるのか。もしやあの一撃を喰らって溶けてしまったのではないのか、と心配し視線を巡らせるが姿形が地上の何処にも見えない。だが、批自棄は淡々と呆れ交じりに指を指した。
「なんつー物騒なもん放ってんだ、馬鹿野郎!!」
そこには無事生存しているディオの姿が……。
より、正確には大蛇の頭上付近に駆け寄って、拳を叩き込んだ直後の姿があった。
「Syulululululu……!!」
大蛇の痛みに目を細めながらも眼光にぶれない強い意志の光を宿すさまが見える。
だが。
「……あの人もあの人で半端無いですねぇ、これは」
「汗すげーけど、平気か?」
だらだらと目の前の光景に汗を拭う疆をふぁぁ、と欠伸と嘆息交じりに批自棄は問い掛けているが、疆としては大蛇もディオも批自棄も揃ってとんでもない面子ばかりだ。普通な自分が弱弱しく思えてしまうのが情けない。
そしてそこからは実に激しい――攻撃VS攻撃であった。
殴打と光線。
ディオが拳を握れば、大蛇はレーザーを放つ。余波を如何にか避けながら――実際には批自棄が壁となる形で疆は隠れるしかない程の状況だったが致し方ない。触れた部分が次々に溶けていく場所で堂々と立っていられるわけもなかった。
立っているのは批自棄くらいなもの。
そんな批自棄としては、少し冷静な観察眼で見越す事があった。
(拙いよな……決定打が欠けてやがら)
先程から白熱する――命がいつ吹き飛ぶのかと言う意味でも白熱する攻防ならぬ攻撃と攻撃の光景を見守りながら批自棄は内心少し困っていた。
大蛇を倒す事に焦っているのではない。
大蛇は倒せないまでも、日向を救出する術がない事に困っていた。
(そもそも毒蛇って時点で中のユミクロは現在、どうなってやがんのかまるでわかんねぇし)
溶けていたらご愛嬌。では、済まされない。
「口元で毒素を構成しているのか、体内で構成しているかで変わってくるよなぁ……」
どっちにせよ、彼は生存しているのだろうか。とても不安だ。
そしてそれ以前に救出以前に決定打が欠ける事が問題だ。
(生憎となぁ……あのレーザー連発されちゃあ近づけねぇし、おっさんに関しても何か力を出し切れてねぇ感じがあるしな……)
と、すると。
批自棄がすべき事は一つだ。批自棄は声を張った。
「なー、おっさんよー! 此処、任せても平気かー?」
「なっ……!?」
後ろに隠れる疆が信じられないと言った様子で声を上げた。
「何を言っているんです、親不孝通り君。彼一人に任せる等……」
見殺しにする気か、と告げているのだあろう。
けれど、批自棄としてはそちらの方がいいと踏んだ。それは当の本人足るディオも同意見だった様子だ。声を張り上げてディオは告げる。
「オウ、構わん!! 此処は俺に任せて先に行きな」
なぁに、この発言でくたばる程弱弱しくはねぇよ、とニヤリとした笑みを浮かべる。
「ですが、バンガーさん……!?」
「間違えるな、雇い主さんよ」
ディオは大蛇の牙を拳で打ち付けて横へずらし、左手で掌底を叩きいれながら告げた。
「目的は大蛇に勝つ事か? 違うだろう?」
「それは……」
「そう。目的はクエスト達成後のパーティーだ」
「それは何か飛躍していますよね!? と言うか訊いていたんですか、これは!?」
正確には目的はクエスト達成である。
「まぁ、何にせよ、だ」
ぐわしっと拳を握り緊めながら背中越しにディオは告げる。
「お前さんはお前さんの目的を達成するこったな。なぁに、安心しときな。この蛇さんは俺様がどうにかしておいてやる。日向の坊主に関しても同様だ。必ず助けておいてやるよ」
だから行きな、と。
ディオ=バンガーの背中は語っている。
この場の全てを背負っている。背負うだけの自信を浮かべて自身の身一つで。その背中に傷を負わせるわけにはいかぬだろう。疆は僅かな間、照準した思考を走らせた結果。
「では……任せましたよ、これは」
「オウ。幸運を祈るぜ」
「ならば我々は武運を祈りましょう」
「え、やだ」
「なぁ、ひじきの嬢ちゃん、こんな時まで捻くれないでくれるか?」
くっくっく、と楽しそうな苦笑を浮かべるディオにこの場所の全てを任せて。
疆と批自棄は共に駆けた。大一一関門の先にあるであろう。第一二関門への道筋を。だが、そんな事は彼の大蛇は許す道理もないだろう。狙いを即座に二人に定める。
が、
「ヌッフッフ。一手遅ぇぜ」
何時の間にか。何時の間にやら、批自棄と疆の背後へ回ったディオが二人の体を両腕でとらえている。両名が驚いた様子で目を見張る刹那、
「俺の屍を越えてゆけぇええええええええええええええええええええええ!!」
そんな元気満々で痛快そうな笑みを浮かべた男が言っても全く説得力が無い台詞を吐きながら二人を放り投げる。まるで大砲の弾の様に吹っ飛んでゆく。
「ちょっとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「後で覚えてろ、おっさん」
風を突き抜けて叫び声と悪態をつきながら突き進む。その勢いは止まる気配も無く、第十二関門へ通じる廊下の扉へ迫り、驚くことに自然と開いた扉は二人を通し、そしてまた自然に閉門してゆく。
そして第一一関門に相対する一匹と一名は。
「さぁて」
ニヤァ、と獰猛な笑みを浮かべて、男は大蛇に立ち向かう。
「第二ラウンドと行こうや。それとさっき食った日向の坊主も……」
激しい跳躍と、逞しい右拳を振り上げて、
「返してもらうとするぜッ!!」
激闘の火蓋は再び開かれる。
5
負けた。
清々しい笑みを浮かべながら三人は綺麗に円を描く様に地面に寝転がって仰向けに横たわっていた。顔の所々が青く腫れている。体の節々に痛みが走っている事だろうし、青痣が所々に見えているのに関わらず――彼らは笑顔だった。
「負けたぜ……! 加古川かがべ破れたり、だ!」
いっそ清々しいまでの笑顔を浮かべながら青年、加古川は倒れ伏している。
彼が所有する愛刀である木刀『木賊』はどういうわけかこの場所の中に生えている一本の樹に枝が生えるかの様な形で突き刺さっている。
「全くだな……。俺達も修行が恐ろしい程に足りないと実感した限りだ!」
ははは、と爆笑しながら灘佃煮も同様に寝転がっている。
愛用する金剛杖『蟋蟀』は何処なのかと視線を走らせれば何故かわからないがこの場所に鎮座している岩石に横から突き刺さり岩を貫通していた。
「なんていうか……盛大に負けたよな、俺ら!!」
最後に快活な笑顔を浮かべて堂々の敗北宣言をするのは不知火九十九だった。
彼は武器は己の体である事から何がどうなると言うわけではないが、全身傷塗れであると言う事は事実であった。恐らく一番の近接戦闘を実行したのが彼であったのだろう。
「しかし、本当に恐ろしいぜ……流石は【天下十二刀剣】の一角だっての!」
「ああ、この身を持って体感した、体験させられた。まさか俺の途斬残灯流の中でも最速を誇る技である〝高捲き〟を、ああも容易くすり抜けるとは……!」
「それくらい当然だろうな、奴なら。その後のお前の隙のない連撃〝獲得豹交叉〟だって全部避けてたじゃねーか」
「ああ、全くだ。昔、噂程度に訊いていた寸鉄の異名の一つ、『鍔迫り不知』と言う話を訊いた事はあったが……今回の件で納得したと言えるな、俺は」
「ああ、全くだ。俺達じゃまだ勝てないってのコイツってレベルでな」
負けた、負けたー、と投槍にすら感じる適当さ加減で、清々しさすら感じ取れる程に乾杯に喫した加古川は手を広げて敗北を再び認める。
そして悔しそうに呟いた。
「信じられねぇや……リミッターを最後まで外したのに傷一つ付けられなかったっての本当に。冗談とかじゃなく、ガチで、ガチで」
「信じるさ。俺も同じだったからな」
佃煮もしょうがない、とばかりに苦笑を浮かべた。
「俺は一撃、肩に当ててやったぜ! ちらっとだけどな!」
そんな中、九十九だけがしてやったりとばかりに満面の笑みを浮かべるが。
「いやいや、嘘は止しとけ不知火」
「そうだぞ、そんな何となく有り得そうな……くらいのダメージを与えたと言う発言は物悲しいだけだぞ?」
「いや、信じろよ! 全く信じてねぇよな、お前ら!?」
「まな」
「当然だ」
「なんでぇ!?」
何故信じていないのかと言えば、速度は遅く、パワーはあるけれど速さが足りないと見た剣士二人にとっては信憑性に足るものではない。それが二人が信じない理由であった。
九十九は不貞腐れた様に唸るが、やがて。
「ま、いっか。俺達は負けた。完璧に、完全に、完敗だ。言い訳も何も出来ねぇくらいに成す術も無く負けちまったってだけの話」
「……」
「そうだな。負けたぜ、本当に」
そう告げる彼らの表情は爽やかなものだった。
今は負けた。
だけど何れ勝って見せる。勝ち星を挙げてみせる。まずは一撃。更に攻めて攻めて互角にたどり着けるくらいに精進して……加古川が、佃煮が次の目標として思い浮かべた。思いがけない場所で思い浮かんだ彼らの次なる目標だ。
だから負けても晴れやかな気分でこうしていられる。
「ただ、まあ……これで肝心の事は【ウィナー】に任せる事になっちまったな」
「だな」
関門の主が斎院寸鉄と言う勝ち目のない相手であった以上。敗北した自分達である以上、此処から先へ進む手立ては加古川達には無くなっていた。だから後を任せられるのは【ウィナー】の面々だけという事だ。
「大丈夫かね……あいつらは。つっても、俺ら以上の猛者だろうし、平気か」
「そうだと願っておこう。託して於こう、こんな場所でこんな形だけれど」
そうだな、と灘の言葉に二人は呟いて。
頑張れよ、と。
負けるんじゃねぇぞ、と僅かな気力で三人は拳をぐっと握り緊めて腕を天へ目掛けて精一杯伸ばした。この場所の、別の場所にいる仲間達へ向けて。
諦めるな。進んで行け、と。
意思を託す。
「……やっべ、すげー眠い」
「加古川もか。……俺もだ」
「すか~……」
「いや、不知火は寝るの早ぇよ」
その何とも言えぬ言葉を最後に。
ばたばたばた、と腕が地面に倒れる音が三つ。力尽きた様に――いや、力尽きた三人は。どこまでもぐっすりと。何処か満足した様な笑みを浮かべながら一時の眠りについた――。
「……」
そんな様を陰で見守りながら少年剣士、斎院寸鉄はふっと小さく笑った。
「やれやれ」
ピリ、と痛む左肩を右手で抑えながら少し満たされた様な静かで、何処か優しげな微笑を浮かべながら呟いた。
「この段階で一撃喰らうとはな。フフッ、まだ届かないかと思っていたが、存外そうでもない様だ。及第点と言った所ぜよ」
まぁ、どちらにせよ――、と呟きながら。
「仮にも――の立ち位置の者だけはある」
小さく聞き取りづらい声量で。
彼は。斎院寸鉄は寸鉄なりの想いを胸に秘めながら、ふわりと軽やかな動きで物静かに気を失った三人の傍に立ち寄った。
「さて」
そして静かに――歩み寄ってゆく。
6
頭を抑えながら疆は「いつつ……」と言う呟きと共に起き上がった。果たして何処まで投げ飛ばされたのだろうか。相当な腕力だ。人間二人、片手で投げ飛ばすとは正直なところ、信じられていなかった大蛇の攻撃を止めた筋力にも納得してしまう。
ふっと後ろを振り返れば第一一関門に通じる扉は遥か向こうだ。
「随分と飛躍したものですよ、まったく、これは」
呆れ交じりに呟いて立ち上がる。
その時、女の子の声が耳に届いた。批自棄の声だ。
「お、目覚めたか」
「数秒気を失っていましたかね私は。親不孝通り君は平気ですかね、これは?」
「問題ねーよ。途中で速度弱まってストップしたし」
「だから君は……本当異質ですよねぇ……」
大方地べたに転がる前に停止して不時着の様に着地したのだろう。
「YAは大変だったみてーでご苦労さん」
ケタケタと不気味な笑い声を零しながらも批自棄はコツン、と傍にあるものを左手の拳でノックする様に叩いた。
「んで、おはよーさん。コイツがどうやら一二番目の関門みてーだぜ?」
「ここが……ですか……」
一二番目。関門として今、どれ程進んできたのかわからないが、随分進んできたものだ。色々と感慨深い気持ちになるのを抑えながら疆は扉の傍へ歩み寄った。中央には何やら『時系会議』と言う単語。これが第一二関門の内容なのか。そして今までの扉と比べれば随分と古びた造りの扉だ。今までとは何処か趣きが異なっている――そう感じる。
同時に何か言い切れない不可思議な感覚にも捉われた。
それが何なのか。考えるまでもない。答えは先に待ち構えている事だろう。そう考えて、疆はそっと批自棄の方へ視線を向けた。
「ひらけごまー」
いや、頷いて欲しかったのが。
緊張感は相変わらず皆無の様だと苦笑を零して何処か緊張感に強張っていた手も脱力している。疆はすっと一呼吸する。
そして――開けた。
踏み込む。踏み締める。一歩、一歩。薄暗い空間が目に飛び込むが恐れずして中へ入ってゆく。そして二名が中へ入った瞬間に。
バタン、と扉が自動的に閉鎖された。だが怯える気配も見せず、二人は次に来る関門を待ち構えた。厄介なのは、相手が先程の大蛇に負けず劣らずの怪物であった時だが……果たして何が来るのか。そんな不安感を抱きながらも希望を忘れずして立ち向かう。
そして唐突に光が満ちた。
眩いばかりの光が部屋中を満たしてゆく。疆は数秒の目の眩みを終えた後に閉じていた目をそっと開いて――その光景に驚かされる事となる。
「これは……!?」
「凝り過ぎじゃねーの、装飾」
批自棄も同じく驚きを示している様だ。
それも当たり前なのかもしれない。今までの大自然を思わせ、はたまた古代遺跡の罠を思わせる光景とは違う。この空間には――数えきれない程の数の時計が満ちていた。二名は時計の文字盤の上に立っている。ドーム状に作られたであろう空間は高く聳えていた。壁面をいくつもの時計が順列良く立ち並んでいる。一つとしてデザインの同じものは無い莫大な数の時計。
チクタク、と。
針の音が途切れなく、いくつも響き渡っている。異空間と感じてしまう様な壮大な景観が広がっていた。否、広すぎる空間だった。
「何なのだ……これは?」
これが第一二関門なのか――? と疑問に思う。
敵らしい敵は見当たらない。トラップを仕掛けようにも、これだけ仕掛けがあるのでは逆にそんなものはないと告げているかの様であった。
「本当に山の中なのかよ、と疑いたくなるっての」
「どうでしょうね。出入口の時点でアレでしたし、本当に異空間な気もしてきます、これは」
「全くだ。だが、此処で見惚れてても仕方ねぇ。何かあるはずだろうし、探索してしてみるとしよーや」
「ええ」
二人は頷き合うと徐に足を進めだした。
批自棄は真っ直ぐに奥の方へ適当な様子で歩いてゆく。目標指針となるものがあるわけではないから当然だ。疆に至っても何を探すべきか不明である以上は適当な道筋を適当に歩くほかにない。
探索してまず目を見張るのが上と下だ。より正確には床と周囲と言えてしまうが。
ゴゥン、ゴゥン、とドーム状に覆う時計が一列事に真逆に左右へ流れてゆく光景。圧巻の光景であった。指針が時を刻みながら次から次へ流れてゆく。
「ここまで来ると壮観なものですね……。一二列程の様ですね、サイズが大きい上に数が多いから一目見て気づきませんでしたが、これは」
綺麗なものだ、と思いながら次いで下の時計盤を見た。
広大な時計盤。文字盤には時計としての機能。一二数字が刻まれて、巨大な秒針がゆっくりと時を刻んでいる。
「これだけなら大きいだけの時計で済むのですが……」
すっと屈んで目を向けると細々とした数字が無数に刻まれていた。
「私が立つ場所が『416』で、隣が『417』と『415』前方が『515』で後方が『315』ですか。似通った番号が近接しているのですね、これは……」
ならば端の番号は何番なのか。
疆がそう思って歩き出そうとしたところで批自棄の遠巻きに呼ぶ声が響いた。
「おーいっ。こっちにちょっと来てみなーっ」
その声に顔を向けて疆は少し駆け足気味で駆け寄ってゆく。距離が相応にある為に時間が少しばかりかかったが辿り着いた先では批自棄がちょいちょい、と指である一点を指している。
それは台であった。
この空間の中で入口から一番、奥の所に設置されている。台に何があるのか――よりも気にかかると言うか、目が付くのは五つの時計だ。疆の眼から見てもかなりの美術品と推察できる様な美しい装飾の時計が五つ。
端から黄色、ピンク色、赤色、紫色、緑色の色彩に彩られた時計が左から順に五つ立ち並んでいる。だが、この空間の時計と比べて、指針が動いていない。
(いえ、確か周囲を流れる時計も一部分壊れてましたっけ……)
年代物、と言うよりもこんな場所の時計なのだし数点壊れていてもおかしくはない。
だが、これは果たして何の意味があるのかと疆は思考した。
そう考える疆に対して指で台を示す批自棄は告げた。
「読んでみな」
「読む? ……これは……!」
台を一瞥して疆はハッと息をのむ。
『御用はこちらから承ります♪』
と言う……背番号『14』のシャツを着たリスのキャラクターがはしゃいでいるイラストと共にそんな一文が記載されていた。
「……」
「な。イラッとくるだろ」
眉間に怒りマークを浮かべている疆だったが、此処でツッコミを入れても体力の無駄とばかりにイラストを無視して、その下に記載されている――恐らくは本題であろう文章を読み取った。不思議なのは読み解く事が出来た、と言う点に疆はこの時気付けずにいたが。
台にはこう明記されていた。
『一日の終わり、黄昏に染まりし時に少女の甲高い声が響き渡った。
新緑の草木が生い茂る、森林の深奥にて。
ペルシアのリンゴの樹の下、永遠の命と称されし花々が咲き誇る傍で悲劇は起きていた。
横たわる亡くなった少女の唇もすっかり変色した惨状。鮮血の赤が少女を彩っている。
九月の最後の日に随分と項垂れる出来事だ。
駆け付けた神父は死別した死体へ向けて、そっと胸元で十に字を切った』
右から左にかけて記載された文章はそう綴られていた。
疆は口元に手を当て、考える。
「間違いなく……暗号文ですね、これは」
「十中八九な」
批自棄は頭の後ろで腕を組みながら淡々と告げた。
「第一二関門の内容は暗号って事だな。ここまで力押しみてーなので来させといて此処にきて趣向が変わったってわけだ」
「嫌な対応ですね、これは」
不知火九十九や加古川かがべではまず解く前に倒れている事だろう。最後の最後に頭脳面と知識が試されると言う事なのか。
「流石に暗号らしく違和感の感じる文面ですが……さて、何を指しているのやら」
「その上、これは……事前知識ねー奴じゃ解けないだろう辺りが嫌な趣向だよ、本当に」
そう呟きながら批自棄は台を離れて歩き出し始める。
「もしや……」
批自棄の迷いなき行動に疆は目を輝かせた。
「解けているのですか、親不孝通り君。これを」
「ああ。さっきな」
だから、と人差し指を空中でくるくる掻き混ざる様に動かしながら余裕を見せる不気味な笑みを浮かべて――告げる。
「立ち止まってねーで、さっさと進むとしようぜYA」
迷いなく。立ち止まらずして。
いよいよ持って、『トルコンクエスト』は最後を迎えようとしていた。
7
さて、アララト山内部でのチーム【プロテイン】……すっかり、この名前も忘れられているやもしれぬ頃合い。彼らの活躍、進撃が進む頃。脱落者も多数、残存勢力は三名と佳境に差し迫った頃に当たる。
外部――即ち、速い話が日常を生きている者達は現在どうしているのか。
街中を歩く華やかな美貌の少女らは和やかに談笑をしていた。
「そりゃまぁ……醜態を晒したら折檻は確実ですが」
言っている内容は全く和やかでは無かったが。
「そ、そうなんだ……」
止めてあげようね、と凄い小声でラナー=ユルギュップは呟いた。
大丈夫ですわ、醜態さえ晒さなければ、と笑顔で告げるのは迎洋園テティスだ。
「何か平和的に送り出した割には容赦ないね、迎洋園君……」
「それはそれです。と言うかですね。仮にも迎洋園家の従者として修行の一環ででも送り出しておりますわ。それがもしも無様な醜態曝したとかであれば、ある程度鍛える必要があって当然と言うものです」
ツカツカ、と街中を歩くドレス姿の美少女は容赦なくそう告げる。
「まぁ、確かにその辺りはあるのかもしれないけれど……。具体的には許容はどれくらいなの?」
「ふむ、そうですわね」
んー、と綺麗なラインの顎に手を添えながら、
「ハードル高めにはしませんわ。確か『トルコンクエスト』は罠が存在していると訊き及びましたから……そうですわね、第四関門程を乗り越えられればそれで及第点ですわ」
「なるほど。まぁ、それくらいならいけそうだもんね」
「第三関門程でしたら軽くほっぺをひねらなくてはなりません」
「そして折檻は思った以上に和むものなんだね……」
帰ってきた日向が和むものを受けられるかどうかは現在不明である事を彼女らは知らない。
「ですが、難攻不落とも呼ばれた関門ですし……クリア出来るかどうか。今頃、皆さんどうしていらっしゃるんでしょうね本当に」
軽く顔を遠くに見える。ぼんやりとした山岳の輪郭を見据えながら土御門睡蓮が小さく言葉を発した。
「大地離さんも付いている事ですから左程問題は無いと思いますが……無事に帰ってきてくれさえすれば私としてはいいですが」
大地離さんとしては攻略したいんでしょうね、と小さくテティスは呟いた。
「大地離さんって言えば、あの従者の人……提さんだっけ」
「? 提の当代がどうかしたのですか?」
睡蓮がラナーの言葉に小首を傾げる。
「いや、街中で訊いたんだけどさ。何かこの近隣で活動してるストリートチルドレンのチームの一つ【血鳩の狼】と行動を共にしてたって情報を訊いたから、何をしてるのかなって気になってね。二人は何か知ってる?」
「提の当代が……子供達と一緒に?」
何で子どもと一緒に行動しているのだろうか、彼がと睡蓮は訝しむ。
(他の当代ならまだしも、提の人が……)
不思議な事があるものだと驚いてしまう。
「と言うか、それは本当に提樹仰さんなんですか? 別人とか……」
「いや、多分間違いないと思うよ。バーミリオンカラーのアフロをした巨漢の人って言ってたし……そんな人はトルコでもそういないからさ」
「それもそうでしたね……」
確かにあの外観のキャラクターはかなり特徴的だろう。一目見れば忘れない程に。
それを考えると目立つだろうし、見つけ易いのも記憶に残るのも頷ける。
「ドレス姿のお嬢様にメイドも闊歩すれば目立つ事ですしね」
「特に迎洋園君のドレスが目立つよね……。青と白の凄い綺麗な衣装だし」
「それなら大丈夫ですわ。今、視線は私よりもあちらのウサ耳つけたサングラスの男性に向いていますし」
「いや、そんな人滅多にいな――いたぁ!?」
確かに顔を向けてみればウサギ耳を着用した体躯のしっかりした男性が子供達やら近隣の住民に物珍しそうな視線を向けられている中で買い物していた。
「……トルコって色々な人がいるんですね」
「睡蓮君。トルコはそんな特殊性の高すぎる場所でも無いんだけどね……!」
確かにビールに関して寛容な為に他の国から結構な視線を注がれてこそいるが、人種がそんな特殊な個性の集まる場所みたいな場所ではない、とラナーは断じる。
「ですがだいぶ前には軍服の女性が鳥を追い掛けてく光景も見ましたし……」
「かなり慌ててた様子の奴ね、覚えてるよ」
「踊り子と思しき女性が路上で踊ってたりもしましたし」
「そこはトルコにもあるかな! ただし路上ではそんな無いけどさ!!」
だが来る最中に見かけた面々と言い、最近関わった面々といい、確かにトルコには特殊な面子と言うか愉快な面子が集まっている気がしなくもない気がしてきて若干頭を抱えた。
それが悪い事も無い。むしろ、口元にちょっと微笑が生まれる類だ。
一緒にて楽しい面々だ。
けれど……。
「『トルコンクエスト』がもし成功したなら……バンガーさんや、シエル君も旅にまた出て行くんだろうな……」
日向達が来る前に来た面々。
このトルコでも有名になってきたモビーディック・アンカラ西店の巨漢店員と、料理上手の店員とも別れを告げる時になるのだろう。今、隣にいるテティスや睡蓮にだって同じことが言える。滞在期を終えたら彼女たちも日本へ帰ってゆく事だろう。今は「睡蓮、見てくださいあそこの娘の子犬凄い可愛いですよ……!」、「いえ、確かに可愛いですが仕事が来ていますし早く帰りませんと……!」と凄い和やかな会話を広げているわけだが。そしてそんな和やかさこそ楽しくて仕方がない。別れが寂しくないと言えば嘘になるけれど。ラナーは、このトルコに辿り着いて、今、頑張っている面々に向けて、このトルコへ訪れた人々へ向けて。空を見上げながら口を動かし小さく呟いた。
「Gayret Et」
そう呟かれた言葉はさらさらと風に乗って静かに流れて風の中へと、とけてゆく。
辺りは静かに日が暮れてゆく時の事であった。
第八章 清か日没の刻、火が灯りては時は移ろう