第七章 旗の下、彼らは進む
第七章 旗の下、彼らは進む
1
「こりゃまた何かありそうな広間だな」
加古川は肩に木刀を乗せながら面倒くさそうに言葉を吐き出した。
「初見で間もなく、その発言か」
苦笑を浮かべて佃煮が相槌を打つ。だが、その表情に避難の色は無く、むしろ賛同する様な色合いが含まれている。
チーム【ルーザー】。
ジャンケンで敗北した結果のチームが辿り着いた場所は、一言で言えばだだっ広い空間であったと言えた。広々とした何か不審なものなど何一つない広い部屋が広がっている。けれど、だからこそであろうか。
加古川も佃煮も同様に難色を示しているのは。
「何もない。見通しをすげぇいいし、怪しい置物とかも何一つありゃしねえ」
だからこそ、と呟いて。
「怪しくてたまんねぇってのこの場所……!!」
何もない。ただ広々としているからこそ、加古川は怪しいとしか感じられなかった。
不気味だ、と。
より厳密には絶対何か仕掛けが存在していると加古川は予測する。何故ならば来る最中にもそう言った場所が何点か存在していた事からくる経験則である為だ。
そんな加古川だからこそ確信できる。此処にも罠が仕掛けられている、と。
「慎重に行くべきか。大胆に走り抜けるべきか。どっちが正解だろうな」
視線を部屋の奥へ、遠く見据える次の通路への扉を見つめてごくりと唾を飲み込む。
「物理的な罠が存在するなら、大胆突破が正解だ」
佃煮がそう呟いた。
佃煮がそう告げる理由はこれまでの弓矢、斧、槍と言った物理的に危険な罠が存在する場面に於いて即座の判断による猪突猛進型が一つの手であったからであり。
「しかし、特殊な罠――何らかの仕組みが整っている場所であれば手順を踏む慎重さも必要だろうな」
その脳裏に浮かぶのは一定の法則性による通路。
あそこでは決められた意義を踏まなければ下へと崩落してしまう様な場所であった。果たしてこの部屋に存在するのはどちらなのか。それを見抜かなければ大失態を演じる可能性はむげには出来ない。
「僕ちゃんが見る限りでは……、多分物理的な罠だと思うんだよね」
そんなとき、ぽそりとアムジャド=ジレが言葉を発した。
「どうしてそう思うんだ、ジレ?」
即座に問いを投げ掛ける。
事態が事態だ。より多くの意見を徴収し、的確な推察な元に状況を突破したい。加古川はその考えの元、アムジャドへと視線を投げ掛ける。
対してアムジャドはぽかんとしながら、
「いや、だってこんだけ何も暗号もなく仕掛けみたいのもなくだだっ広いだけだと矢が降ってきたり、飛んで来たりの方がしっくりくるし」
「んなアホな理由があるかっ!」
「えー。不正解かなあ?」
「いや、不正解と言うか理由がみょうちくりん過ぎるわ! おい、灘も何か言ってやれ――」
「いや、ありえるかもしれない……」
「嘘!?」
加古川は首を勢いよく捻った。灘佃煮の発言が驚きだった様子で目が見開かれている。対し佃煮は加古川に唐突に視線を注がれ、びくっと一瞬怯えた後にコホンと咳払いする。
「いや、『しっくりくる』と言う感覚的な推察もありかもしれないと考えてな……。確かにここは俺達が罠があるかもしれないと訝しめる――何にせよ確かめるしかないわけだが、考えられる場所だ」
だけれど、と呟き周囲を見渡しながら、
「同時にここには恐ろしい程に何もない。言わば情報が何もない場所だ。先ほどの分かれ道の時と一緒。そうなれば最早、取れる道は感覚的な推察の方が正解ではないか、とな」
「それで罠の場面がしっくりくる、と言う可能性か……」
「そうだ。なんなら皆に訊いてみるといい。第一印象としてどんな罠を此処で想像したか、とかな」
なるほど、と加古川は思った。
確かに尋ねてみて返ってきた結果が、皆の想像図が類似しているのであれば感覚的に――と言うよりも本能的な危機サ察知能力による判断が起こり得るかもしれない。
何にせよやらぬよりやった方がいいだろいう。
「んじゃ、お前ら全員に尋ねるが……。この部屋を一目見た瞬間にどんな感想を抱いた?」
「俺の家より広いのが気に食わない」
「よし、バーザル。お前は何でこの場面でそんな関係ない事を考えたんだろうな? って言うか歯ぎしりして血涙垂れ流す程な事なの!? 顔が怖ぇんだけど!?」
「俺どんの見た限り、両サイドの壁がズズズって迫ってきてペシャンコになるんじゃないかなとか思ってしまったどん。考え過ぎどんね」
「てへへって笑いながら言う事かそれは!? と言うかイズミットは考察しっかりしててくれてありがたいわ! だけれど何かお前は発言危ないぞ、その感じは何となく!?」
「どういう意味だどん?」
「いや……! 何と言ったらいいか、なんだが……! 何かが……こう、何かが……!」
「表現が曖昧過ぎるどん!?」
「俺達はすでに死んでいた」
「何だろうなぁ! 唐突に何だろうなぁ、その発言さあ!! 突発的に本当に何なんだろうな海味!? お前と付き合い長ぇけど相変わらずだなって思ったよ! そしてそれじゃあ何か? ここはすでにあの世とでも言いたいのか!? あの世も随分素っ気ない場所だったもんだな!」
「自分を、信じろ」
「ジレさんや。なあ、ジレさんや? さっきの発言に繋がっているんだろうけども、脈絡なく繋げてくるのだけは止めてもらえないだろうかねぇ!?」
何と纏まりのない面々だろうか……、と加古川は項垂れる。
そりゃあ急ごしらえの烏合の衆みたいなものだ。纏まりは無くて当たり前と言う話だろうが一体感を少しは持ってほしいものだ、と内心愚痴を零しながらも罠が潜むであろう領域の先へと目を向ける。
背けるわけにはいかないだろう。向けなくてはならない。
ここに何がした仕掛けられているとしても――蹴り飛ばしてしまえ、目の前の壁を。
佃煮へ向けて、皆へ向けて言い放つ。
「これ以上ウダウダ悩んでてもしょうがねえ。お前ら、良く訊いてくれや」
「加古川……?」
訝しむ様に発せられた自分の名前を背に受けながら加古川かがべは呟いた。
「俺はドーナツ馬鹿だ」
きっと背中越しでは『急に何を言ってるんだろうコイツは?』と言う空気になっているに違いないだろう――現実には『うん、知ってるけど?』と言う様子だが――彼らに背を向けたまま言葉を続けてゆく。
「だから正直、こうやって悩んでるのも俺らしくねえ。だって俺は――」
いつもこういう時、自分はどうしてきたか、と加古川は自身へ問い掛ける。
灘佃煮や海味山道と共に駆け走っていた日々を思い出す。その光景の中に生きる自身の姿は走り続けていた。行き当たりばったりの心臓に悪い走り方をしていた。
だから。
「俺が先陣を切る」
だから。
「お前ら、俺を少しでも信じてくれるんならさ……。後に続いて来い! 俺の走るその後に続いて――猪突猛進で駆け抜けるぞ!! こんな、だだっ広いだけの部屋なんぞよお!」
その掛け声を皮切りに加古川は大地を蹴った。
「う、お、おおお、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
考えている自分なんてもう馬鹿馬鹿しい。
行き当たりばったり。そんな生き様を貫いてきた。それなのに罠がここへ至るまで多種多様であった、それくらいの。たったそれだけの恐怖心で二の足を踏むだなんて愚かしい。
走ってしまえばいいだけなのだ。
前へ進むには――そんな当たり前の事をすればいいだけ。
失敗なんざ恐れねえ! と。
加古川の胸の内は熱く燃え滾っていた。
だからであろうか。
「よっしゃああああああ! 加古川に続けぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
先駆者の後を続々と追い掛ける姿が見てとれた事実は。
背後から聞こえる声、声、声。そしてその倍の数である足音。そんな音の重なり合う出来事が加古川の背筋をぞくぞくと感動として走り抜ける。一緒に馬鹿やってくれる彼らの存在に思わず口元がにやけた。
実質的には集った面々は馬鹿な男達っだからというのも大きな要因だ。
「うっしゃあ! 行くぜ、テメェら!」
バッと背後を振り向き様に彼らへ向けて大声を放つ。木刀を振りかざし、共に突き進もうと声を発する。その声に腕を上げて賛同する声を上げる姿ばかりがそこにはいて……。
烏合の衆でも構わない。
こいつらとなら必ず烏合の衆以上のチームになれる――そう加古川が思った瞬間であった。
「な――っ!?」
グンッ!! と。
驚く程に速く。両サイドの壁が互いに引き寄せあった。左右の壁面が一斉に差し迫る。一気に叩きつけんが程の速さ。拍手を叩くかの様に素早く。ゆっくりとした緩慢な動きではない。唐突に押し寄せる速度であった。
咄嗟に反応出来たのは数名。
加古川もその一人であり、彼は木刀を横に構えてつかえ棒代わりにしようとした。だが、その行動は寸前で意味を成さなくなる。彼の木刀がつかえとなるより早く――つかえが生まれたからであった。
『イズミット!!』
アクバル=イズミット。
『二丁殺虫剤』の異名を誇る男が咄嗟に伸ばして両腕が左右の壁を押し留めていた。
「ぐむむむ……!」
だが、その表情には難色が見える。当然だろう。これだけ大きな部屋の壁だ。それにあの速度を考慮すると相当な重圧が掛かっている事だろう。
「無茶すんな、イズミット!」
加古川が大きな声を張り上げる。
「し、心配は、いらない、んだどん……!」
「そんなわけねぇだろ……!」
額に汗を浮かべ、歯を食い縛る姿を見せるアクバルの吐き出した言葉はやせ我慢にしか感じられない。それだけ切羽詰まっているのだろうと予測がついてしまう。
どうにかして状況を。壁を打破しなくてはならない。
「そうだ誰かギガンテスを呼んで来い! 壁を壊してもらうんだ!」
「錯乱気味何だろうけど、それ人類滅亡になるからよそうな」
「ベルリンの時はあんなに頑張ったじゃねぇか皆!!」
「うん、蓄積し続けた想いが強かっただろうからな! ドイツ人の本願達成だしさ! ただ、今とは状況が随分違うと思うんだよな俺は!」
「くそっ。なら、せめてつかえになる様なものがねぇと……!」
ギリリ、と歯軋りする。
加古川が、皆が無下に時間を流す間にも一人アクバルは壁を支え続けていた。その表情はまだ少し時間を稼げる余裕を感じさせるが、当然ながら残り時間は少ない事を同時に告げるサインでもあった。
無理に笑っている。無理矢理浮かべた強気。
「も、もうちょい……、どうにか、なりそうどんが……長くは持ちそうにない、どんね……」
「イズミット……」
「頼むどん。まだ俺どんもここで脱落は嫌だどん……。だから……頑張るから、その間に打開策を頼むんだどん……!」
「……ああ」
加古川は力強く頷いた。
「わかってるぜ。必ず、助けてみせる。だから――頑張れ、イズミット!」
「あいあいさー!」
その雄叫びと共に両腕に更なる力を込める。押し戻せないまでも、押し込ませないだけのパワーをもってして、打開までの時間を稼ぐ。こんなところで脱落するのはまだ心が許せないでいるのだから……。
そして加古川はその間にまずは木刀『木賊』を壁面目掛けて打ち振るった。手にジンジンとしびれる様な硬さが伝わる。
(硬ェ……! ダメだ、『木賊』じゃ壊せねぇ……! 今のままでは)
加古川は胸中で考えた。果たして今発動していいものなのか。そして、同時に発動したとして壁を破壊出来るものなのかを。
ならば他の仲間の武器ならどうか――?
そう、考えて声を発そうとした加古川だったが、すぐに無意味と知る。無駄と言うわけではない、何故なら今目の前にに広がる光景は仲間たちの壁に向けての各々の攻撃する姿であったからだ。だが誰一人傷一つつけられていない。
「くそ……! 相当硬ぇんだなコレ……!」
「ああ、俺でも切り裂けそうにない」
苦悶の表情を浮かべて灘佃煮が負けを認める様な声を発した。
灘でもダメなのか。
加古川は内心驚きに目を見開いた。灘佃煮を知る加古川だからこその表情であり、そしてそう告げられたからこそ武力での行動は時間の浪費にしかならないと悟らざるを得なかった。
そして事態は無情にも更に加速する。
「ひ、ひぇぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
絶叫。断末魔の様な声。
誰が発したのか――考えるまでもない。今、この状況下で一番ピンチなのは他ならぬアクバル一人。即ち、アクバルの声に他ならない。いったい、どうしたと言うのか。そんな事を考えながら視線は自ずと彼の元へ向かった。
「……」
そこには中々にカオスでありメルヘンな光景が広がっていた。
全員が若干無言に成程に。
「た、助けてくれだどぉおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!」
泣き叫ぶ男の声を余所に……。
チーム【ルーザー】の面々は思っていた。
(何故、コイツは蝶々塗れになっているんだ……!)
可愛い蝶々の群れに群れられている姿だった。
「見てないで、た、助けてくれだどん!!」
まくしたてる様な早口で怒号の様な大声が飛んでくる。しかし目の前の光景に唖然としている加古川たちはついこう訊いてしまった。
「……遊んでんの?」
「冗談も大概にしろだどん!」
凄い怒られた。
やはり、遊んでいるわけではないらしい。
「いや、まぁ、流石にそんだけ舞ってたら不気味かもしれないな……傍目シュールとしか言えないが」
「シュールで済ますなどん! 怖くて死にそうなんだどん!!」
「あ、ああ、そうなんだ……」
どうやら相当怖がっている様子だ。
うざがっているとか面倒くさがっているではなく怖い。それはつまり、蝶々が嫌いと言う事になるのではないか。加古川はそう思っている中でふと思い出した事があった。
「そう言えば……」
「どうしたんだよカコガワ?」
そこで話しかけてきたのはギュンター=オーバーザルツベルグだ。彼も眼前の慌てふためくアクバルの姿に若干動揺しているのだろう。彼の二つ名が二つ名なだけに。
「訊いた事があるんだ。今では『二丁殺虫剤』なんて二つ名を持つイズミットだが……確か初めの頃……シャーウッド・フォレストの森林クエストの時の事だ」
「何か森林関係ばっかりやってるんだなコイツ」
「ああ、ズバリそこだ。確か噂程度だが、当時アクバルは友人に連れられてその初めてとなるクエストに行ったらしい。その時、アクバルはすでに武器が殺虫剤だったと訊く」
「何かおかしいか? 初めから武器を決めてたってだけじゃねーのかよ?」
「いや、違うんだ」
ふるふると首を左右に振って加古川は告げる。
「当時――否、当時からアクバル=イズミットは大の虫嫌いだった、と訊いた事がある」
「……なん、だと……!?」
ギュンターが愕然とした表情を浮かべて半歩後ろへ下がった。
「わかるだろう? つまり、イズミットは殺虫剤を武器にしたんじゃない、殺虫剤を護身用として持って行っただけなんだ。即ち、虫が嫌いだからクエストでは虫を倒してばかりだったというのが事実……!」
「つまり――いや、そうか、だから今イズミットの野郎は……!」
「ああ。蝶々に囲まれて……力を失っているんだ!」
虫が大の苦手だからこそ初めての時、殺虫剤を持ち込んだ。そしてその後も殺虫剤を使い続けて冒険者としての名前を売って行った結果……ついた異名は『二丁殺虫剤』。最小の力で最大の効果を発揮する――少量のガスで多数の虫を殲滅する虫キラー。
それがアクバル=イズミットだ。
しかし、故に。
「ってなると、両腕使ってて殺虫剤持てない今ってピンチだよな」
「だな。蝶々を追い払えもしないからな」
「駄弁ってる暇があったら助けて欲しいんだどんけど!?」
なるほどな、と感心するギュンターの隣でうんうんと頷く加古川に向けて、絶叫しながら終いには涙まだ出てきた様子でアクバルが叫んでいる。
だが、その声は最早風前の灯の様なもので。
「くそぅ……! せめて……せめて、俺どんの必殺技『討虫火葬』を放てさえすれば――」
途中でぶつんと声が途切れた。
見ればアクバルの姿はどこにも見えない。見えるのは壁だけ。左右の壁が重なり、眼前にそびえる巨大な壁となっただけの姿。
それが示す現実は……ただ一つだけ。
そう、アクバルは壁面の餌食になったのだった。
「い、イズミットぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
男達の切なげな、悲しみに、悲嘆にくれた声が反響する。
当然だ。今、目の前で……一人の男が散ったのだから……。仲間が……一人。
「いや、お前ら途中から助けるムード全く無かったけど……」
加古川はドン! と、壁を叩いて泣き叫ぶ。
「忘れねぇ! お前の事を絶対忘れないからな、イズミット!」
俺もだ、と大きな声でギュンターが呼応する。
「アクバル……お前の犠牲は忘れんっ!」
「いや、死んでないと思うよ僕ちゃんは……。……死んで、ないよね?」
どうだろうな。
灘佃煮は結論、妙なところで薄情な面々に対して頭を悩ませて溜息を吐いた。とりあえずは死んでいない事を祈りたいところだ。実際、『トルコンクエスト』は死者を出さない事で有名なクエストなのだし死んでいないだろうと思うが……。
中々ダイナミックにリタイアしてしまった為に果たしてどうなったのか不安……と言う気持ちは幾分かある。だが悩んでいても実態はわからないし、どういった原理が起因しているのか知る由も無い。
自分達に出来る事は進む事だけ。
アクバルが踏ん張った事で一人の犠牲だけで済んだこの関門から……先へと。
「進むしかないな」
佃煮は神妙な声で呟いた。
ああ、と小さな声で加古川が頷き、ギュンターもまた「行くしかねぇよな」と口にして互いに進むことを決意する。この先にどんな難関が待ち受けていたとしても。
アクバルの犠牲は無駄に出来ないのだから。
「でも気を付けるんだね、みんな」
釘を刺す様な語調でアムジャドが全員を一度見渡してから告げた。
「次に脱落するのは……みんなの可能性もあるんだからね」
まず、その空間に何度となく反響する声は加古川の声であった。
「世話ねぇな本当に!」
ジャブジャブ、と言う波紋と共に耳に届く波の音。全身びしょ濡れになった加古川は肌に張り付く黒髪を鬱陶しそうに書き上げながら真下を見据えて溜息交じりに憤り交えての言葉であった。
「まぁ、そう悲観するな加古川」
「いやいや、したくもなるっての」
スィー、と仰向けに浮かぶ山道に対して罵倒の様に言葉を吐く。
そんな様子を気にした風も無く「はははは」と笑いを浮かべつつ。
「そう言ったって、フラグ立てちゃってたし」
「うん、まぁ言ってやるなよ本当!」
加古川達が訪れた次のステージ。それは単純に――どこまでも単純に言ってしまえば水攻めと言う単純かつ絶大な効果を発揮する罠であった。
「しかし、予想していた水攻めとは少し違ったな……」
灘はげんなりした様子で呟く。
「普通は少しずつ水嵩が増えていくというのが大抵なのに、ここには天井が開いて上に蓄積してあった大量の水が一気に落ちてくると言う……精神的に嬲りはしないが、ある意味で絶望感はこっちの方が遥かに高いと思う」
こんな罠を考えた奴は相当に腹黒いぞ……、と佃煮は水浸しな頭髪を拭って面倒くさそうに表情をしかめた。よくあるのは床から水が入ってくるとか、パイプを通じて水が入ってくるという精神的にじわじわ追い込むものだが、此処は一気に攻めてきている。文字通り、水の物量で叩き込み、溺死を促す……。
(本当、これ死なずに良く済んだな……)
死者数ゼロと言うのが本当に信じられない気持ちだ。
その理由の一つ――即ち、水攻めでリタイアしてしまった仲間の存在を鑑みると尚更、なおの事信じられない様なものである。
そう……。仲間は一人すでに犠牲になっていた。
「アムジャド……お前もか」
「いや、ブルータスさんと違って裏切ったわけじゃないから」
水面で背泳ぎしながら通過した山道の発言にツッコミを入れつつ。
「とりあえず……ぶくぶく沈んで行ったあの光景はしばらくトラウマになりそうだな」
「そうさなぁ……見事に沈んでったしな」
ギュンターは水面下を明後日の眼差しで見据え、加古川も似たような眼差しを送っている。
「なんていうかさ……」
「ああ」
「……ティッシュが水を吸水したのが致命的って空しいよな」
「そうだな……」
みんな、頭を抱えたくなる出来事だった。
水が大量に入ってきて。その際にアムジャドを除く面々はどうにか水面の上まで辿り着く事に成功した。高さ20メートルの水は中々に厳しかったが……。そんな中、アムジャドだけは無残にも沈んで行った。ティッシュが水を吸い、重さで身動きが取れなくなり、それでもどうにか軽量化しようと死にもの狂いでティッシュを掻きだしながら沈んで行った彼の姿は中々に緊迫感のある切なさだ。
その最中の絶望の表情を移り変わる彼の表情を思い出せば尚更に。
自らの武器であるティッシュが原因で、水中に散紙をまき散らしながら散った好漢の最後は実に物悲しいものだった。
「これですでに二人か……」
「残り四人、だよな……」
「そうなるな。それも雇った二人とも、本領発揮も出来ずに」
「言うな、山道」
相変わらず一言手酷い奴だと佃煮は思った。
「だが、俺達は進むしかない。この先でまた一人……一人と、犠牲になる可能性も踏まえてになってしまったがな……、それでも」
「ああ」
進もうぜ、と。
拳を強く握りしめて加古川は皆を鼓舞する。
アムジャドにアクバルと言った二人の犠牲は――このクエストを達成することで晴らされるものなのだから。各々様々な胸中で水面を泳ぎ進みながらチーム【ルーザー】は尚を突き進んでゆく。
敗者復活戦等無いとも知らずに。
2
市街地北西部。
人通りの多い街道から離れた路地裏の奥。広々とした何もない空間の広場。壁に遮られた一地帯にはこんなところに誰がいるのだろうか、と言う声が聞こえていた。それも一人、二人ではない。何名もの声がしている。
溌剌とした大きな声が何処か嘲る様な声音で発されている。
「ボハハハ。何だ、何だよ、何ですかぁ、ユルドゥルム君よぉ? 今朝方あーんな、あーんなぁに、あれだけーにっ、大見得切って出かけたクセしてこのザマかよ、笑うしかねぇぞ、おい」
その声に反論するのは怒気の篭った声だ。ただし、不条理な話からの責め苦ではない。失態を犯した者が子供の様に逆切れする。そんな幼稚な怒りの表れであった。
「うっせぇコノヤロウ! そういうお前はビールとソーセージばっかじゃねぇかよ、俺ら未成年だぞ、何をスって来てるんだっつのお前はさあ!」
「ガキだな、ガキ、ガキ。ビールの旨味が分からねぇなんて物悲しいねえ」
「未成年だろう、お前は!?」
「体は未成年でも心は中年だからいいんだよ」
「なにその奇天烈な理論!?」
叫びも空しく……と言うよりもユルドゥルムの言葉など唯の戯言として受け流し、喉の奥へビールを流す青年は実に余裕綽々な態度で不敵な笑みを浮かべるばかりである。そんな彼に対してこめかみに青筋を立てて更に怒鳴りつけようと身を乗り出しかけたユルドゥルムであったが、後方から聞こえる怜悧な言葉に押し黙る。
「喧しいですよ、負け犬」
「唐突に辛辣な一言来たっ!?」
言い合いを続けるユルドゥルムに対して近くの古びた椅子の上でメガネを掛けた少年が煩そうにそう吐き捨てた。心外だとばかりに感情を表情に表して振り返るも、その程度の怒りには慣れた様な表情を。呆れを含んだ色合いを見せて青年は吐き捨てる様に言った。
「妥当な評価だ馬鹿者め」
「何だと……!?」
心外そうに眉をひそめるユルドゥルムに対してメガネの少年は溜息をそっと吐いた後に、近く――自分達のリーダーである少年、ヤウズ=ノーズノロッチの隣に腰を下ろして何となしに視線をこちらへ向けている男性を指差し、今にも頭を抱えて呻きを零してしまいそうな表情でこめかみを抑えて呟く。
「とっ捕まって、基地にまで来させてしまった馬鹿にそれ以外、どういう評価をしろと言うんだ……!」
「うっ」
「挙句、『俺は悪くねぇ』的に強気に出るとは……情けない」
「ぐぬぬ……!」
短い呻きを零しながらも視線を逸らすユルドゥルム。
彼自身も失態なのは理解しているからだ。これ以上も無く理解しているが為に反論が一切できないのが問題だった。彼らの間では暗黙の了解として『捕まったとしても身内の事を明かしてはならない』と言う鉄の掟とまで厳しくは無いが、それに近しいものがある。仲間を危機に曝さない様に。例えスリにミスしたとしても、仲間の安全を守る意味で必要な項目だ。
それなのに。それだと言うのに。
今、彼ら【血鳩の狼】の本拠地には男性が約一名いた。彼――ユルドゥルムがスリにミスして追い掛けられ、最終結果として本拠地に同行してくると言う結果で。これが仲間の裏切りに見えなくて何だと言うのか、と言うのが青年の心中だ。
端的に言えば若干キレていた。
「最早、ユルドゥルムには臓器売買しか無いか……」
「何をさり気無くおっそろしい罰を呟いてんの!? ウソだよね? 流石に冗談だよな、コノヤロウ……!?」
「冗談を吐くしかないくらい動揺しているんだ」
「じゃあ、もっと普通な冗談吐けよ!?」
「お前が言うな! と言うか何だ! 本当に何なんだ! 帰ってきたら大人がいるって事態に驚かないわけあるか! どうして連れてきた!」
「別に俺だって連れて来たくなかったっての!!」
「理解しているなら尚更だ。私らは捕まった場合は一切仲間の事を喋らない。なのに本拠地に連れてくるなんて一段階上を行ってるぞ、これは!?」
「俺だってわかってるよ……! わかってるけどな……!」
拳をギリギリと握り緊める。
そう。ユルドゥルムと呼ばれる少年だって男性――提樹仰を此処へ連れてくるつもりなんて毛頭なかった。なのに。なのに、男性が此処にいる理由は……。
「ヤウズの馬鹿が何か招待しちまったんだから、しょーがねぇだろうがコノヤロウ!」
「貴様かリィイイイイイイイイイイイイダァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「うくくく。そんな揺らすなよイドリー」
「笑ってる場合か、そうしている場合かッ!」
溜めに溜めた後の彼の口から出た問題発言に彼、イドリース=ブルサは即座に【血鳩の狼】リーダーである青年ヤウズの肩を掴んでぐわんぐわんと揺らす。何度も、何度でも、何度だって納得のいく答えが訊けるまで揺らす。そんな光景を未成年でありながら窃盗してきたビール片手にソーセージで舌鼓を打ちながら「ボハハハハ!」と愉快そうに腹を抱えている始末。
日本で言えば未成年飲酒禁止法に抵触する行為を惜しげも無く大っぴらに実行中の青年のそんな笑い声にも血管が切れたかの様に赤い怒気に塗れた顔で――足蹴りを放った。
「お前も笑っている場合か、ベルンハルト!」
「おっと」
ドムッと鈍く伝わった衝撃。微かに缶ビールが揺れて金色の水しぶきが小さく飛び散った中で、怒りを買った青年ことベルンハルト=バイブルトはそれを右手で抑え込みながら小さく呟き文句を唱えた。
「危ねェな。ビールが零れたらどうすんだよ」
「そんなマズいもの。零そうが零さなかろうがどうでもいいわ」
「やーれ、やれ。わかってないねぇ、ブルサ君はよ」
へらへらとした表情を浮かべるベルンハルトの表情にこめかみを引き攣らせながらメガネを定位置に指で直しつつ反論する。
「ハン。酒の味を未成年で理解した風な口を訊いて様が悔しくもなんともないぞ」
「前にちろっと舐めてぐでんぐでんになったもんな、お前」
「あれは酔拳だ」
「うくくく。なーイドリー、その言い訳は若干苦しいとリーダーさん思うぞ」
「だよな、だよなー、ヤウズー。あの日のブールサ君の酔っぱらい方ときたらもう、な!」
「やかましい! と言うか人の名前呼ぶイントネーションにムカつくなお前!」
「まーまー、前回のアレで証明されちまった様なもんだからな、ブールサ君の酒の弱さが。まだまだお子様だよな、お前も。いや、お子様だけど普段も結構」
「言っていろ。悔しくないぞ。悔しくなんかないぞ。本当だぞ? 本当に全く悔しくなんてないんだからな? ホントだぞ? 酒なんて苦くて炭酸に勝てない飲料水でしかないんだ。悔しくなんてないんだからな!」
そこまで言葉を連ねている時点で相当に悔しかったのだろうなと数ヶ月ほど前の一件を思い出しながら彼、ベルンハルトはニマニマした笑みを浮かべたまま「はいはい。そーですか、そーですかー」と手を軽く振りながら適当に流す。
その大層に不満なものがあったのだろう。イドリースは小さな声で呟いた。
「……馬鹿にしてるだろう、貴様ァ……!」
「してない、してない。所信表明、甚だしいぜ、ブールサッ。勘ぐり過ぎだっての」
実際はしていたが。
肯定すると口論が始まって相手取るにも手間取る事だろう故にベルンハルトはどこまでも適当に話をイドリースの怒りの矛先を水に浸して冷ます様に適当な発言をする。
「本当か……?」
訝しげに眉を潜めてイドリースはぼやきながらも、これ以上は言及した所で煙に巻かれるだけというのも理解できる。と言うよりも彼としては今は別の事が気になっていた。
「それはそうとベルンハルト」
「なんだよ?」
ねちっこいねー、とぼやく彼へ対して『いや、その事ではなくてな』と前置いて、
「所信表明甚だしいぜとお前は言ったが、正しくは被害妄想甚だしいぜだと思うが? 何だろうな意味的に大言壮語みたいな事を言ってるぞ、お前」
と。ある意味で――ベルンハルトの教養の無さに逆に頭が冷めてしまったイドリースの指摘により口論は影を潜めて、結果として約一名が近くの壁に両手を預けて湯気を出す様に赤面しながら項垂れると言う結果に至った。
「……発言には気を付けような、ベルンハルト」
「……ああ……」
何か凄く申し訳なさそうな声のイドリースに逆に羞恥が倍増するかの様な心地であった。
遠巻きに『また、馬鹿したもんだねー、ベルンは。うっくっくっく』『しゃーねぇんじゃねぇの? バイブルトの奴は馬鹿だし』『うくくく。ユルドゥルムが言ったらいけないって』『そっか。核心ついちゃ悪いもんな』『……うん、本当に言ったら悪いよ、本当』『……何か凄い神妙な声になったのは何故だ!?』と言う、ベルンハルトの良く知る馬鹿と馬鹿リーダーの会話が聞こえてくる始末。
「くそう、馬鹿二人が馬鹿してるのに俺が馬鹿に思えちまうなんて悲劇だぜ……」
「おい、待てベルンハルト? 誰が馬鹿だ? 何か一括りにしたよな今?」
「まーまー、ユルドゥルム。馬鹿なのは否定出来ないって互いにさ。うくくく」
「馬鹿にされたのに笑ってる場合かよコノヤロウ!?」
ぎゃーぎゃーと。
【血鳩の狼】本拠地にて爆笑し笑い転げるリーダーに、頭を抱えてこれからどうする気なんだと頭を抱える副リーダー。加えてメンバー二名は馬鹿と言う立場を互いに押し付けようと不毛な口論を続ける始末。
そんな空間の中で提樹仰は、
(何なんだろうなぁ……いや、本当に)
と、一人縁側でお茶をすする様な気分で静観していた。
わざわざ関われば何か面倒事に巻き込まれる気がしないでもないと言う感覚と、彼らがどんな立場の存在なのかを見極める意味で唯々、テーブルの上で頬杖をついて呆れ半分に静観するに至っていた。
だが、会話が遂に爆笑と口喧嘩になり始めた様子なので止めに入るべきかどうかで悩んだ最中にまたも別の人物が出現した。
「もー! もーもーもー! 何なのよ、何さってのよ、騒がしいわねーもー!」
可愛らしい女性特有の高い声を発して現れたのは一人の少女だった。
良く焼けた小麦色の肌に少し癖のある黒髪が可愛らしいピンク色の瞳をした少女だ。少女は本拠地と外へ通じる扉を勢いよく横へ開け放つと不機嫌そうに特攻してくる。
「おー、どうしたセレン。不機嫌そうじゃねーか」
ビールを一口飲みながらベルンハルトが問い掛ける。
「不機嫌そう? そりゃーね。そりゃー基地から喧嘩の声が聞こえてきたら『相変わらず仲良くしてないなーまったく!』ってなるわよ! プンプンだよ!」
「いつものこったろ」
「まね!」
元気よくそう肯定してしまえる、この組織は大丈夫だろうか。
「でも、現在進行形でユルドゥと口喧嘩してるベルンが言っても説得力ないかな! そして酒飲むの止めぇっ!」
「べるがもっ!?」
鈍い衝撃をベルンハルトは理解すると同時に口から盛大にビールを吹き出そうと、
「あ。汚いから吐くなよコノヤロウ」
するのを予見したユルドゥルムが近くの雑巾で口を開けない様に押え付ける中でがくりと膝を折り、地面に傅く。何かもごもご口が動いている辺り文句は多そうだ。だが、そんな事は露程にも気を掛けず、彼の腹に膝蹴りを叩き込んだ若き少女は残っているビールを全部、没収する。
「まったくもぉ……。まだ未成年なのにダメだよービール飲んじゃ」
「だからって対応策がバイオレンス過ぎんだろう、テメェ……! 脈絡も無く相変わらず突飛に暴力振るいやがってクソ……!」
「そりゃあ何回言っても飲むんだもん、嫌になっちゃうよ」
「うっせえ。いーだろ、別に。来年になりゃあ飲めるんだし」
「そりゃそうだけどさ……。本数が不安になるよ」
奪われたビールを取り返そうとして手を伸ばす動きをセレンと呼ばれた少女は身軽な動作でひょいひょいと躱していく。その慣れた動き――互いに手馴れた動きを見る限りは日常茶飯事の事なのだろう。
そしてしつこいベルンハルトの動きに対して諦めた様子でセレンは溜息交じりに、
「アル中になっても知らないんだからね?」
と、言いながらビールを全て壁に叩きつけて台無しにしてみた。
「何か諦めて手渡す風な事言いながら何を全部ぶっ壊してくれてんの!?」
「ベルンの為を思ってなんだよ」
まるで天使の様な微笑である。
「だからってテメェ……! ああああ……俺のビールちゃん……ビールちゅあん……」
がっくりと項垂れて壁に垂れる黄金の輝きを切ない眼差しで見つめながらめそめそと泣く青年を余所にセレンはてくてくと駆け寄って、
「でー? 何か喧嘩の声が外にまで聞こえてたけどさー。何があったのよ、ユルドゥ。それにイドリーの声だと思ったけど」
「訊いてくれ、セレン。イドリースの奴がさ……!」
「あ、待てユルドゥルム。お前、自分に都合の良い事で説明しようとしているだろう? いけないんだからな? 説明は私がする!」
「ははーん。させねーよー。させませんよー。セレンと話すのは、俺だからなコノヤロウ!」
「コノヤロウ言いたいのは私の方だぞ貴様……!」
「あー。もー! 喧嘩しないのー! どーしてユルドゥとイドリーはそんな仲が悪いのかなあ本当に……」
「それは十中八九、セレンの所為だと思うがな、うくくく」
目の前で喧嘩を――メンチの切り合いを始めた二人をセレンが宥めようと奮闘するその姿を見守りながらさも楽しげにヤウズは笑った。そしてその声を訊いてパッと明るい笑みを浮かべたセレンは声の主の方へと振り向いて、声を発する。
「あ! 帰ってたんだリーダー!! おっかえりー!」
キラキラと瞳を輝かせて駆け寄るセレンの頭を軽く二度ぽんぽんと撫でると、ヤウズは「ああ、ただいま」と快活な笑みを浮かべながら返す。
その様子を見つめてユルドゥルムとイドリースが不服そうに。恨めしそうに見つめてくるのを軽く冷や汗流して視線を逸らしながら、
「あー……まー……。アレだ。うん、気にすんな」
と、全く意味不明な言葉を紡いで彼らの感情から逃れようとする。
そしてそんな水面下の――否、表面化しているとしか言いようがない光景であり、それが故にベルンハルト等からしてみれば面白い光景らしいが――感じ取る気配のないセレンの発言でピリピリとした空気は払拭される。
ある意味、別種の緊張感が発生したと言えなくもないが。
「それで、リーダー。何か何時になく喧嘩の声が聞こえたんだけど……このおじさん誰?」
「うくく。ま、気になるわな」
それでも好戦的だったり、差別的だったり、閉鎖的であったりするよりかは興味関心半々程度の質問なのがヤウズとして助かる話だ。此処で盛大に騒がれてしまうと対応がつい、数分前と同じ形になるので非常に面倒臭い。
こういう時に彼女は和みと言うべきか、緩和と言う役回りか非常に役に立つ。
ありがたい存在……それが一同の見解だ。
「とりあえずそうだな……積もる話が……と言う程に大げに積もってないけど。見積もる程度の些末な事情だけどな。イドリーも若干キレ気味だし、説明するとしますかね」
「なるべく納得できる説明だと思いたい所だな」
「うくくく。そっか」
「ああ、納得出来なければ殴ってしまうと思えよ、リーダー」
「……どうしよう、殴られちゃうよセレン、僕」
「殴られる可能性高いのか、うぉい!?」
「ヤウズを殴ったらダメなんだからね、イドリー」
「声が冷たい! 声が凄い怖いぞセレぇン!?」
ゆらりと怖い笑みを浮かべながら氷の様に冷えた眼差しを向けられて外観汗だく、内面土下座の域に達しているイドリースは――彼女セレン=オスマニエに対してある感情を抱くが故にやばいと感じながら、
「……ふっ」
目前にて『ドヤァ』とばかりに主導権を握っているであろうリーダーの顔に外観、冷静に勤めながら内面では咆哮を響かせようとばかりに地団太を踏んでいた。
(そしてこの野郎……! セレンを味方につけて殴らせなくしやがったぞ、このクソリーダー……!)
「なんていうか本当に難儀な関係だよなーボハハハ」
そして唯一人、そんな関係を面白おかしく傍観者で眺めるベルンハルトはソーセージを口に咥えながら笑っているばかりだ。くっ、と短く呻き若干赤面しながらイドリースは敗北を認める他にない。
「ああ、もうわかった。殴るのは止そう」
「うわーい、イドリー君、やっさしー、だいすきー! 出会った時から一目できゅんときてたんだよーぼくーっ」
「何でだろうな! 何で何だろうなぁ! どうして貴様は人の心中を逆撫でする天才なんだろうなヤウズ! わざとらしっ!」
「ウチもイドリー優しくて好きだよ?」
「気づいてくれセレン、今のが皮肉なんだと! いや、気づかないセレンも純真な感じで素敵ではあるんだが! と言うかす、好き……!?」
今まで一様に怒鳴ってばかりの不機嫌そうな表情が印象的な青年だったが、ここでハッキリとわかる程に赤面を浮かべた。カァッと赤くなった顔はこれでもかと言う程にわかりやすく、同時に彼ら【血鳩の狼】の面々の会話に口出しするわけにもいかず、傍観に徹していた提としてはものの数分で彼らの人間関係がある程度掴めてきていた。
(ふむ……。推察程度だが、つまり……。ブルサ君とユルドゥルム君はセレン……と言う子が好きで、彼女はまたリーダーのノーズノロッチ君が好印象……そして、バイブルト君は傍観の立場か)
色恋に通じているわけではないが、一般人の域にある感性の持ち主だ。加えて聡い男性でもある提樹仰は断片的ながらもある程度面々の関係を予測付けた。
ともすれば。
「そだよー。お兄ちゃんみたいで♪」
「だよ、な……」
セレンと言う少女の無垢さは容赦ないな、と。
眼前で目に見えて項垂れる青年を見てそう思わざるを得なかった。
「だから私の一生の永遠の友達なユルドゥとも仲良くしてあげてほしいんだけどなー……」
「おい、セレン。今お前の背後でさっきまで勝ち誇る様な笑み浮かべてたユルドゥルムが撃沈したぞ」
「躁鬱激しいよねユルドゥも」
「鬱屈もするかもしれねぇな、そりゃまあ」
溜息半分、楽しさ半分以上と言った表情で傍観者の位置に坐するベルンハルトは本当にいい立場だ……、と思わざるを得ない程に。
さて、そんな憂鬱な空気を打ち破ったのはリーダー・ヤウズであった。
「さーてさって。談笑はこの辺にしといて……本題入るよ、みんなー」
「ああ、このおじさんの説明だよね。訊く訊くー!」
「まぁね。今から話すさ。丁度約二名戻ってきた様だしね」
「ん。一人……欠けるけどいいの?」
「時間が大きく空きそうだからな」
そう苦笑を零してヤウズは軽く首を振った。
そして時間にして数分後。
チーム【血鳩の狼】を構成する面々の顔が粗方出揃う事となった――。
「……こねぇな」
初めに呟いたのはソーセージを食べ尽くしたベルンハルトだった。
「来ないよな」
次いでユルドゥルムが。
「来ないぞ」
更にイドリースが。
「こないね~」
最後に暇を持て余した様にセレンが呟く。
その中で提樹仰は問い掛けた。
「……二名戻ってきた、と言うのは?」
「おかしいっすねー。僕、耳はいいんですけどねー」
「だよねー。ヤウズって凄い遠くの音までわかるし……!」
ほう、そうなのか、と提は頷いた。
此処で短絡的に『定式知らず』の可能性を考慮してしまう辺りが自分でも何ともアレな心地になりはしたが。ただ聴覚が良いと言うだけならば天性のものだろう。そしてその聴覚の良さでもって基地に近づく足音二つを訊きとった……というわけか。
ならば何故来ないのか。
「何かしているのか……?」
「ははは、当たりと言えばあたりっすかなー」
「え、そうなの?」
セレンがきょとんと問い掛ける。耳が良いのであろう、ヤウズは情報を耳で収集している為に来ないわけを承諾済み……と言う事になるのか。
となると……。
「来ない理由はなんだ?」
ポツリと呟いた。
帰ってきたのは確実の様なのだ。ともすればさっさと現れるだろうものを……。不思議そうな表情を浮かべている面々に対して腕組みしあぐらをかいて座る彼らがリーダーはふっと微笑を浮かべてその答えを口にした。
「何かトイレで先に入るのはどっちかって事で揉めてるみたいっすね」
「……」
静寂。
特にどう返答すればいいのやら本当にわからない……と言うか待つしかないじゃないかという答えに対して、先ほどからヤウズが全く動く気配を見せなかった事に対して全員が納得を示す中で一同一様にこう思った。
いや、揉めてないで順番に入れよトイレ……、と。
そうこうして時は過ぎて。
一人は流れる時間の間にコーヒーの味わいに酔いつつ。
一人は花瓶の花の世話をしたりしつつ。
一人は集めてきたエロ本を愛読しつつ。
一人はそんなエロ本を読む青年に怒号を浴びせつつ。
一人はドキドキしながらエロ本のお零れに預かりながら時は過ぎて。
「やー、申し訳ねっす。ワテら客人いるとか思わんでたからにー」
彼らの視界の中にいる一人の少年は面目無さそうに頭を掻いてへこへこ謝っている姿があった。草臥れたジーンズにパーカーを羽織る黄色い頭髪に赤い瞳をした少年の姿。少し言葉に訛りのある何とも普通な少年だった。
腰に短刀を二本持っていなければ日本の少年たちとあまり差が無い程に普通。
「いや、遅いよルトフィー……」
「やー、面目なかっただぁよ。相手が強敵だったんだぁ」
「それ以前に順番で揉めてるのもどうかと思うけどな!」
「にっしっしっし。ごめんなぁ」
力なく溜息を零すユルドゥルムと悪いと思っているのかどうなのかわからない……が、何故だか許しておくか、と言う気持ちになる温かな人柄を空気を纏う少年。名前はルトフィー=チャンクルと言うらしい。
「にしても、そんな覇気が無くなる程に待たせちまっただぁか?」
小首を傾げて不思議そうに呟いた。
彼を。普段のユルドゥルムを知る者からしたら現在の何処か勢力の無い姿はおかしなものに見えたのだろう。実際に先ほどから元気と言うかツッコミと言うか、ともかく元気満々であったユルドゥルムはいつの間にか力を失っていた。
その事に関して呆れを交えて溜息を零しイドリースが述べた。
「エロ本読んで鼻血出して貧血とか世話無いよな本当に」
「うぐっ」
汗ダラダラで視線を逸らすユルドゥルム。
血の上に汗までそんな流したら更に貧血と言うか脱水症状の方向性でも加速しそうだと提は何となく思った。そんな年頃の少年が年上の青年に対して「だってベルンハルトが」、「軽く見えたから何か気になっちまっただけで」等と弁明を測っているのを余所に、基地の壇上にあぐらをかいて座る青年は恒例の様に、
「うくくくっ」
と、愉快そうに笑い。
そして続けざまで手をぱんぱんと叩いた。
「さってっと。お前ら、お喋りはそこまでだぜ。いい加減、そろそろ互いに挨拶しておかないといけないかんね」
「こと此処へ至るまでの経緯が実に馬鹿馬鹿しい気がするがな」
「言わない、言わない、イドリース。うく、うくくっ」
口元を吊り上げ、痛快そうな表情を未だ浮かべたまま。穏やかで気さくな笑みを浮かべながらすくっと立ち上がり、さっと全体を見渡した。
「アミルの奴がまだだが……、まぁ、一人除いて全員集まったんならここらで始めるとしますかね。我ら【血鳩の狼】の定例集会……別名『暇人の宴』!」
それはまた実にやる気の出ない宴である。
「待てや、おい」
一人、イドリースがニコニコ笑顔――ただしこめかみの青筋は除く――で話しかけた。
「何だ、イドリー!」
「何だじゃないわ! 訊いた事ないわ、初耳だわ、『暇人の宴』なんて別名、訊いた事全く無いんだがなあ、リーダー!?」
「今、言ったからな」
「お約束の様に言うんじゃない!」
「だが常々、僕は思っていた。何か別名欲しいなって」
「独断専行かっ!」
「唯我独尊と言ってほしいな」
「どうでもいいよ、そこの違いは!?」
「だが、皆気に入ってくれた様で何よりだ」
「どうしてだろうな! どうして、そんな反応が出来たんだろうかな! 誰一人、その名前には愛着湧けてないと私は思うんだけどな!」
「何を言う、皆感動の眼差しで僕を見守っているじゃないか?」
「驚愕のネーミングセンスに目が点になっていると言え!!」
「え。そーなの?」
きょとんと返してくるリーダーの適当さ加減に毎度の様にイドリースは頭を抱えて呻き声を発した後に手をぱっぱっと払って、発言を促した。
「もういい、続けてくれ。ただし、別名に関しては後でまたな」
「おっけー」
「その軽さが不安でならない……」
そう背中越しに呟きながらとぼとぼとと哀愁漂わせてイドリースが傍から離れた後に、仕切り直しとばかり咳を一つ払って、
「えー。ではでは、まずお前たちに紹介したいお客人がいる。こちらにおわすお方の名前は提ジュゴン」
「樹仰な」
若干似ている語感なのは納得してしまった事を提は内心悔やんだ上で訂正を入れる。
「失礼。ミスりました。というわけでシュゴウさんだ。列記としたジャポンさ!」
「うん、まぁ日本人だけども」
何故にそこを一番強調したのだろうか。別段、トルコ程の都市になれば日本人の旅行者も多いだろうし、珍しいと言うわけでもないだろうに……。
と、提が思う中。
ユルドゥルム以外の面々は一様にこう思っていた。
(ああー、日本の人だったんだぁ……)
と。
何故、そんな思考になっているかと言えば……まず直垂を着ている日本人を見た事が無いし、アフロの人の時点であんま見かけないし、日本人離れした体格の良さからてっきりアフリカなどの中東系に思われていた……と言う次第である。
「まず皆の考えている事はわかる。だがスリーサイズを訊くのは失礼だって事を理解してほしい」
「いや、オレらとしては、そこへ至ったお前の思考回路を一度見直したいんだが」
提も同感だ。
何が悲しくて筋骨隆々の男のスリーサイズを知らなくてはならないのだ。訊いただけで絶対に今後のトラウマになるだけだ。
「だから話題を変える。どうでもいい話題だが……この人を何故一緒に連れてきたのかに関してだ」
「いや、そこ、本題だからな!?」
イドリースが大声を飛ばす。
「これの説明をする前に……まずは諸君らをシュゴゴゴさんにご紹介しようと思う」
「その前に名前が不思議な効果音になった件について説明しようかぁ!?」
「止めとけ、イドリー。訊くだけ長くなるぞ」
若干疲労の色を見せるベルンハルトの言葉に提も同感であった。
「ではシュッコウさん。僕ら【血鳩の狼】の面々を紹介するっす!」
「うん、ただ私はどこか港から出て行くのかなとか思うけどな」
まぁいいや。
訊くだけ本当に長くなりそうだし、名前も増えそうだし、そもそも答えがある気がしないのも含めて諦めと共に提は流れに身を任せた。混迷の海へ出航開始である。
「まずは我が【血鳩の狼】副リーダー兼参謀兼給仕係兼掃除の人ことイドリース=ブルサ! 何か元名家とか自分から痛い事を言っちゃっているのを除けば全面的に役立つ我が片腕!!」
「今日までだがな! 今の紹介訊いたら唐突に暇を頂きたくなったがな! と言うか私、肩書多いなぁ無駄に!? 初めて知ったの三つもあるぞ!?」
「でも間違ってないよね」
こくんこくんと数度頷きながらセレンが納得の表情を浮かべる。
「まぁ否定要素はねぇわな」
「セレン……ベルンハルト……お前ら……いや、そうだけどな」
呟きながら確かにと頷いて項垂れるイドリース。彼自身過去を漁ってもどうやら否定要素が見つからなかった様子だ。
「料理も完璧なんだけどな、イドリーは。後は名家出身とか嘘吐かなければ……」
「完璧なのになぁ」
「ユルドゥルム、ルトフィー!? と言うか揃いも揃ってか! 未だに、お前たちその事嘘だとか思ってたのか、おい!? いや、あったんだぞブルサ家! 名家なんだぞ? 本当だからな? 豪邸に住んでたんだぞ!」
「さて、虚言癖のある残念なイケメン、イドリーは以上として次はお前だ! 我らが【血鳩の狼】の紅一点! 明るい笑顔が大人気で結構他の組織からもオファーの声がかかってるストリートチルドレンでも第一七位の美少女セレン=オスマニエ!」
それは果たして高い方なのだろうかと提は思いもしたが口に出さないでおこうと考えた。そんな思考を余所にリーダーの声を肯定する様にユルドゥルムが拍手を送っていたり、イドリースが『説明を! 説明をさせてくれぇ! ああ、でもセレンの出番か……!』と苦悶した様子を見せていたりもするが。
そんな混沌の中で朗らか笑顔を浮かべてセレンは軽くお辞儀して、
「初めまして、セレン=オスマニエだよ、シュゴーのおじさん!」
「うむ、よろしく」
明るく元気な声に言葉を返す。ここまで裏表のない挨拶を送られると何とも清々しさすら感じる程で嫌な気も無く言葉を返す。
「なお、セレンに関しては僕を含めて実に面倒くさい関係が生まれているが……そこは語るとややこしいので保留とします、まる」
それが正解だろう。
一言で瞬時に嫉妬の炎が二つ上がったし、『面倒くさい関係? なにそれ?』と言う高い可愛い声も上がった程だ。言わぬが花、言わぬ話なだけとして。
「それじゃあ次へ行くぜ、ヘイヘーイ!!」
「どうでもいいが、テンション高いなお前」
「そんなツッコミを寄越す不良全開な青年の名前はベルンハルト=バイブルトぉおおおお! 我がチームの戦闘員として活躍しセレンを狙う別チームとか、捕縛間際になったメンバーを暴力で救った頼れる男っすよ! あ、ただし馬鹿ね」
「その流れで紹介されるとかどうなのオレ!? へへ、まぁ戦闘は俺に任せ――何で最後一気に冷めた様子で付け足した!? なぁ、おい!?」
「ちなみにユルドゥルムと同じで何か変な特殊能力持ってるんすよねー」
「おお、そうなのか」
「そしてほのぼのと何を語ってくれちゃってんの、おっさんに!? 秘密だろう、そこ!? ユルドゥルムの能力と同じで俺達の秘密だろう!?」
「いや、それがおじさん能力に関して詳しいらしくて」
「マジで!?」
「しかも、ユルドゥルムそれ使った上で負けそうな感じあったし」
「ガチで!?」
「いや、負けねぇよ、俺の能力なら!?」
いや、負けると提は内心断言しておく。力は強いが使い方が雑だった事を踏まえると提樹仰でも十分勝てると踏んでいる。使い方が、技巧が巧くなれば別であろうが……。
(しかし、先ほどの少年といい思わぬ収穫があるものだ……)
まさかこんな場所でこんな少年らと出会う事になるとは夢にも思わなかったのだから。
土産話として後で疆にも語っておくとしよう――そう考えた。
「さてベルンハルトの能力はまた後でお披露目として……、お次は先ほどやっと到着! その名もルトフィー=チャンクル! 何かほんわかした雰囲気が特徴で好きな飲み物はチャイで特技はダーツとかそんなん!」
「何かワテの自己紹介から一気に個性が減った気がするなぁ」
「そりゃないと思うがな」
ベルンハルトが隣の独特な雰囲気と口調の少年に対してそう告げておき。
「どちらかと言えば……」
そっと視線をある方向へ向ける。
そこには……実にどんよりした少年が一人佇んでいた。
「お前と一緒に来たのに今まで発言が一つも無く、かつ影が薄いとかじゃなく、ただ発言の機会に恵まれなかったごく普通の少年ことフェルハトの方が個性ねーだろ」
「説明口調でありがとな、ベルン。でもその紹介はヤだわ……」
そう呟いて前に進み出る少年は提から見れば普通では無かった。腰に二丁の拳銃を入れている時点で普通ではない。ただし、全身から滲み出る――いや、別に何も滲み出てないからこそ普通だったと言えてしまうが。
彼の名はフェルハト=リゼ。
一同と同じく【血鳩の狼】のメンバーの一人。そして先ほどまでルトフィーとトイレ争奪戦を繰り広げていて先に用を済ませた少年でもある。
「フェルハト=リゼ。僕たちのメンバーの一人にして手先!」
「諜報員とか言ってほしかったかな、せめて」
「うん……。それ言うとワテも手先だしなぁ」
げんなり気味の二人を見ながら提は理解した。
諜報員やら手先やら発言が出ていると言う事は彼はおそらくある程度情報収集の役割を……いや、端的に言ってしまえば組織でいう所の下っ端なのだろう。それを言えばセレンもその一だろうし、そうなるとイドリースとベルンハルトは役職持ちの様なものか。
「まぁ……」
ヤウズは隙間を一つ置いて、
「こんな感じでうちの面々はこの七人に更にアミル=アルトヴィンって奴を含めて八人っすね」
「なるほどな。紹介感謝するよ」
「いえいえ」
「さて、それでこのチームの目的は何なのだろうかな?」
訊かずとも大体は察している、が。
ヤウズは苦笑を浮かべながらもしっかりとした声でこう答えた。
「生きる事。どんな手段を行使してでも生き抜く事。それだけっすよ。ただし殺人を除くって言うルールは設定してるっすけどね」
「……そうか」
何となく、わかってはいた。
この孤児達と思しき少年らが生きるにはどう行動するべきか。初めから財布をスられての関係なのだから当然とも言えるが……彼らはどんな行為であれ生き抜くために必死と言う事なのだろう。。
無論、そんなものは美談でも何でもない犯罪による人生のあり方の一つ、となるが。
だが提樹仰は彼らを警察に引き渡す気は無かった。擁護する気は正直全くない。他者が彼らを捕まえたいと言うのであれば好きにすればいいと思うし、そうなったらそうなったで関係ない事だ。端的に言ってしまえば提はどうでもいいし、どっちでもいいと考えていると言う事に他ならない。
そこに特殊な理由が挟みさえしなければ……。
「それで? 結局どういう事なんだ、ヤウズ」
「ん?」
「『ん?』ではない」
溜息交じりにイドリースは問い掛けた。
「彼――シュゴーさんを此処へ招き入れたわけだ。何らかの理由があるんだろう?」
「まぁな。たまにゃあ客人もいいかなって」
「よし、そこへ直れ。今から一〇発くらい貴様を殴るから」
いるはずもないのに背後に阿修羅が立ってヤウズを睨んでいるかの様なオーラを爆散させながらイドリースが拳をパキポキと鳴らしてギロリと見据えている。
流石のヤウズも汗をだらだら流しながら弁明する様に「じょ、冗談! 冗談だってイドリー!」と叫ぶ様に発している。そしてヤウズは身の危険からふざけるのを止めて、
「実はな。僕がこの人を連れてきたわけってのはさ――」
そう、告げようとした最中であった。
バンッ!! と。
扉が勢いよく開け放たれる音がした。必然、視線は急速にそちらへ向かう。
一人の少年が立っていた。少し太り気味なふくよかな体躯をした黒色の瞳に一切の毛髪の無い光輝く頭部が眩しい。
「アミル?」
「……」
アミル=アルトヴィン。【血鳩の狼】所属の一人。最後の一人。彼は唐突な登場と共にどしどしと歩いてヤウズの傍へ寄ると、彼へ向けてこう告げた。
「どうしたんだよ?」
とベルンハルトが問い掛けるが、それを訊き流し、
「見つけたぞ、ヤウズさん」
アミルは何処か空虚さすら感じる低い声で喉を震わせながら呟いた。
「……何を、かな?」
ここでヤウズの声がワントーン下がった。
「皆も知ってる奴らだよ。おいら、今回たまたま発見した」
その声にぴりっと周囲の空気が引き締まるのを提は感じ取らざるを得なかった。そしてアミルは提樹仰と言う存在に気付く事も無く、言葉を続けた。
「あいつらのアジト、見つけたんだよ、皆」
その言葉と共に。
一つの出来事が今、動き出す。
3
人生、生きてみれば様々な出会いと言うものがある。
思いがけず思いがけない相手に出会う事だって何時だって可能性として存在しているわけなのだから、人間、未来がまるで見えないと言うのは日常茶飯事な事だ。ドキドキと胸を高鳴らせるもよし、びくびくと緊張感を抱いて生きるもよし。
だが彼らの場合――。
こと、ここに至ってはチーム【ルーザー】の話からしてしまえば。
出会ってしまった事は実に信じ難いものの一つに数えられてしまった事だろう。この目の前で動く……。
「……」
巨大なゴーレム二体を見てしまえば。
(ファンタジぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいック!!!!)
内心声にならない絶叫を大きく放った。
当然と言えば当然だし、当然じゃないとは一言も言えない程に現状が日常からひょいっと逸れているのは明白だった。目の前にズシン、ズシン、と大きな足音を響かせて拳を握るゴーレムと大きな剣を持つ二体のゴーレム。
戦闘意欲満々ではないか。
新たな関門として立ち塞がる文字通りのガーディアン二体は、この妙に傾斜の強い部屋に佇んでいた。滑り台の様に滑るわけではないが独特な足場の不安定さが更に不安感を募らせる様な部屋だ。だがゴーレムはその安定性からか不動のごとく迫ってくる。
対するは木刀持った青年に、金剛杖持った青年に、蔦使う男性に、取り柄って何かあったっけという青年の四人組。
「ダメだ、勝てる気がしない」
「諦めるの早いぞ加古川ァ!?」
「だって土人形が動いてるんだぜ? その時点で詰んだろうこれ」
「冷静に淡々と述べているな! 必ず打開策はあるはずだ!」
「いや、絶対無理だってコレ」
ははは、と光の灯っていない完全に絶望状態の眼をしながら小粋にトークする加古川の肩を掴んで何とか現実に引き戻そうとするが如何せん反応が悪い。
「ともかく動け! 動かないと的にされるぞ!」
「何の?」
「ゴーレムだよ!」
「あ、そっか。死んじゃうなー」
「諦め過ぎだろう!?」
諦めたくなる気持ちはわからなくもないが。
自分だってこんな頑強そうなゴーレムを敵として見据えていれば、確実に負ける気しかしない。だが、それでも逃げはダメだと自らを鼓舞する。何か打開策が――弱点が存在するはず。その一念の元に灘佃煮は駆けた。
「速ぇ!」
ギュンターの驚くような声が聞こえてくる。それだけ佃煮は素早かった。
迅速にゴーレムの懐へ飛び込んだ佃煮は足元を即座に所持する金剛杖で打ち付けた。手が痺れる程の硬度は感じない。だからと言って易々と壊せるような硬度ではない。
「くっ」
短く呻きを洩らして、その場から即座に右へ飛んだ。その一秒にも満たない合間にゴーレムの腕が先程まで灘が立っていた場所を拳で打ち殴る。周囲の空気がぼふんと爆発する様な痛烈な一撃が舞い上がり、体がなぎ倒されそうな風圧をぐっと堪える。緩慢な動作でゆっくりと持ち上がった拳の下にはめこりと凹みがくっきり残っていた。
汗が一筋たらりと流れる。
一撃で持って行かれるな……か細い声でそう零す。
「危ねぇぞ、カコガワ!」
「っ!」
連続的に動く事態。灘佃煮は即座に声の発された方へ視線を走らせると相変わらず諦めムードで立ち尽くすかがべの姿を見つけた。剣を持った方のゴーレムが徐に剣を構えて加古川へと振り下ろそうとしている動作だ。
「何やってんだ馬鹿!」
と、思わず怒号を飛ばした。
やられてしまう、とは思わずに済んだ。咄嗟に反応したギュンターが蔦で加古川の体躯を捕えて一気に後ろへ引いた事で回避に成功したためだ。
「いやー、無理無理勝てっこねーって」
「あんの馬鹿……!」
歯軋りしたくなった。
現実逃避なのだか何だか知らないが致命傷になりそうな攻撃を前に何時までトリップしているのだろうか、リーダー格のあの男は。今こそ、必要なのだ加古川の力が。そうでなくては、とてもではないがこのゴーレムを打破する策は思い浮かばない。
佃煮は戦いが苦手ではない。
だがあくまで対人戦が主流だ。ゴーレム相手でそれが通じるとはあまり思えない。
そんな絶望的な状況の最中。一人の男が動いた。
「やれやれ。絶体絶命の窮地、か。情けないな加古川、灘」
傲岸不敵な笑みを浮かべて剣のゴーレム相手に佇む、男の名は海味山道。
「何やってんのお前!?」
「真打さ」
「死ぬ気!?」
灘の焦った様な非難する様な声に耳もくれず、山道は聳え立つ。
「高々、土人形。こんな奴らに後れを取る様ではまだまだだなあ、加古川、灘、お、オルガン」
「何だとごるぁ!! お前に言われたくねぇぞ海味!!」
「怒りで加古川の精神が戻った!?」
「オルガンって誰だ、もしかして俺の事かってか名前覚えておけよ!? 初めの『オ』しか合ってない様なもんだぞ!?」
「楽器になってるしな!」
海味山道のある種の鼓舞により、結果的に――結末的に精神が通常に戻った加古川に関して良くやったと言う話であるし、場が和んだ点で考えれば海味山道の役割は中々のものだ。本人に全くそんな意思はない偶然でしかないのもまた当たり前だ。
そして必然ながら。
「いざ行かん!」
彼はそんな三人の反応など露程にも気を掛けずに走った。
「海味―っ!」
怒号と心配と呆れの入り混じった声を背中に彼は、海味山道は走って走って、そして勢いよく跳躍した。同時に手を真っ直ぐ伸ばしてまるで空中を泳ぐかの様な姿だ。
「何を……?」
その姿を何で表現すればいいかと考えれば水泳の蹴伸びの様だと思った。
美しい動作で水の流れに逆らわずにただ泳ぐ蹴伸びの自然な姿。
「ありゃあ……海味の秘技じゃねぇか!」
「秘技?」
「ああ、そうだ。海味の秘技……忍術!」
「忍術ぅっ!?」
ギュンターが驚愕を浮かべて叫んだ。
その声の在り処を。その声が発せられた対象に対しての説明をものの数秒間。たった数秒間にして灘佃煮は早口でまくしたてる様に述べて行った。
「だいぶ前だが海味はある時、長野県宝剣岳の麓の町である男性と出会った。年老いたご年配の方で名前は無音鳰。日本の忍者集団の一角、無音衆と呼ばれる一族の逸れ者だそうだ。そこで海味は恐るべきものを見た。鳰さんの――忍法だ。それ以来、その忍法に憧れた海味は毎日必死で頼み込んだ末にようやく、鳰さんの忍法を忍術として会得したと言う話だ」
「そうなのか。ただ、たった五秒で語るお前も凄いけどな!」
「気にするな。そして皆目して見ているがいいさ。あの蹴伸びの様なフォームから繰り出される忍術こそが海味山道の真骨頂っ!!」
山道はゆっくりと大地へ向かう。降り立つのではなく、舞い踊るかの様に。
蹴伸びの様なフォームのままで。
「無音忍術――〝潜水遁〟!」
発言する。忍者が操る忍法の……その模倣程度でしかないとはいえ。
忍術の力が……。
「あ。やばい、ここ水無いっがふぉぺらりて」
奇声を上げて海味山道。ずどーん、と言う拳をハンマーの様に打ち立てる一撃で――大地の元に散る。
「……」
「〝潜水遁の術〟――それは本来の水遁の術とは違い、潜る上に更に呼吸を長続きさせ、加えて自在に水中を移動すると言う魚の動きを模した静かな忍法だそうだ」
ギュンターが無言の元。加古川がまぁそうなるわなと言いたげな表情の元。佃煮は淡々と山道の忍術の特性を述べていく。それはまるで――、
「……唯の潜水じゃね?」
泳法の一種である潜水の動きとまるで大差がない。水が無くても使えるというのであれば忍法と納得できるが、物理的に地面を突破できないのであれば、それは完全に潜水と大差がないものであった。呼吸の持続時間に関しても三分が限度と言う山道しか知らない点を追求すれば最早完全に潜水であった。
「ダメじゃん!?」
ギュンターが愕然とした声を上げる。概ね灘も同意見だ。何度忍術と言って発動しても何度見てもアレはただの潜水だ。ダメじゃん、と叫びたくなる気持ちも十分わかる。
だが、これが。
思いもかけずに加古川かがべの脳裏に一つの案を浮かばせた。
「待てよ……」
この状況を打破する可能性を、明確に浮かび上がらせた。
図らずも――本当に図らずも、海味山道の自滅によって。仲間がやられた事への怒りで覚醒とかではなく、仲間がやられた事での光景そのものが唯の可能性となっての。
「どうかしたか?」
佃煮が問う。その反応に対し頭の中で照準する。果たしてこれをやって大丈夫なのかどうか。はたまた成功できるのか否か等、熟考するが同時にこれくらいしか手が無い。そして同様にこのままでは時間と共にじりじりと消耗し負けるだろう。
ならば。
加古川かがべは迷っている時間すら惜しいと断じる。
「バーザル、灘。ちょっといいか?」
「なんでもござーるだぜ」
「俺も問題ないぞ加古川。何か策が見つかったのか?」
「ああ」
策と言える程の高尚な代物ではない。
突破できるのか、はたまた成功できるのか検証しなくては不可能だが……最早、あの土人形共を倒すにはこれしかないと加古川は思った。
「成功するかどうかわかんねぇけど……訊いてくれ」
「――!!」
二体のゴーレムが声ともならぬ唸り声を上げて立ち塞がる状況下で二人の青年は互いに片方ずつへ目掛けて疾走していた。加古川は剣を持ったゴーレムへ、ギュンターは素手のゴーレムへと走り迫ってゆく。
迫る二人の若者を見定めてゴーレムは暗い中に輝く瞳を光らせて対応する。
剣のゴーレムが上へ構えた巨大な剣を加古川目掛け一気に振り下ろした。だがゴーレムの巨体故かの緩慢な動作に過ぎない。当たれば脅威、当たらなければすべてに言える事だがなんてことはない。加古川はギリギリのタイミングで右へと跳躍する事で避ける。
「隙アリ! 喰らえやゴーレム!」
そして加古川はがら空きとなった懐目掛けて木刀の一閃を叩き込んだ。
「――ちっ」
しかし即座に短い呻きが漏れる。木刀『木賊』は確かに当たった。しかしそれはあくまで当たっただけであり、どちらかと言えば触れた程度の一撃であった。表面は多少も崩れることなく頑強さを保ったまま。
(やっぱ、これじゃダメってことかよ……!)
このままでは倒せない事は確実そんな事を考えながら加古川は後ろへ飛んでいた。そして眼前をぶぉっと風を切りながら巨大な左腕が何かを掴もうと近づいたがすでに背後へ回避した加古川を捕える事は出来ず。
剣のゴーレムの視線は再び加古川を捉え、剣を構え直す。
そんな様を見ながら加古川は不敵に微笑んだ。相手の一撃が一発で自分を沈めるだろう威力で、こちらの攻撃など全く通じないとしても。
「いいぜ、きやがれってんだ土塊ぇっ!」
加古川は強がってでも立ち向かう。
そんな彼の隣で。正確には同じ戦場で拳のゴーレムを相手取るギュンターはと言えば、内心で彼の立てた作戦を思い浮かべながら自らの武器。蔦を使っていた。
「本当、成功すんのかね」
文句を呟いた様に見える。
だが実際には成功すると思っている作戦だ。肝心なのは成功させた後の自分の立ち回り。それを考えると成功させると言うのは最終面で自分にかかってくるものだと理解する為だ。今から数分前、加古川かがべはこう告げた。
――いいか? 俺達の目標はズバリ時間稼ぎだバーザル
――時間稼ぎだと……消耗戦でもやんのかよ?
人差し指を立ててそう説明する加古川の姿にギュンターはそれじゃ負けるんじゃないかと懸念を抱かざるを得なかった。消耗戦なんてやれば敗北するのは間違いなくこちらだからだ。
だが、加古川はこう続けた。
――いや、消耗戦じゃねぇさ。正確には防衛線だ
――ほう? 何を守るんだよ?
――灘だよ
――ナダを?
そうだ、と頷いた加古川は自らの後方を指差した。
――向こうは何がある?
――何ってそりゃあ……ジレの亡骸だろ?
――……おう、まぁそうなんだが……
――いや、死んでないと今は信じようか。そして脱線してるぞお前ら
――悪ぃ悪ぃ。正確に言えばなバーザル。あっちにはジレの離脱原因である大量の水が蓄積してるわけだよ
――水……そうかっ!
気付いたか、とニンマリと不敵な笑みを加古川は浮かべた。
――土人形なら水は……天敵だと思わないか?
――確かに……濡れたらかなりヤバいはず……!
――そう、だから俺達の目的は向こうの壁を壊して大量の水を流れ込ませる事にある
――そしてドロドロになったところを討つってわけか!
――正解だ。そして問題なのは壁を壊す方法だが、それは灘に任せるってこと。そしてその間に俺達はゴーレムの行動をある程度制御する事だ。足止めってわけだな
――なるほどな。でもそれなら三人で一斉に壊した方がよくねぇか?
――それも、考えたけどな。だがゴーレムがどう動くかわからないのと……、この部屋の形状が問題だ。こっちからは低く、向こうへかけて高くなってく傾斜……これじゃあ水が流れ込んでも部屋の奥にいる二体には届かないと思う
――なら、俺達が囮になってゴーレムを引きつけて、あいつらの攻撃で壁を破壊するってのはどうなんだ?
――無理だな。まず近づいてこない。今、この場所で話せてるのがいい証拠だ。あいつらは一定以上近くに行かないと反応しないんだろうぜ
だからこそ――。
(この戦法になったってわけだよな……! 灘が壁を壊す。そして水が流れ込んできた際にしっかりあいつ等が水を喰らう様に戦って、囮になる事で水の当たる場所まで誘導する。その為には――)
戦うっきゃない。
ギュンターは拳を握り緊めて振りかざすゴーレム目掛けて蔦を放射し、その腕に絡ませた。そして蔦の勢いを利用し懐へ潜り込んだかと思えば、胴体を駆けて頭部へと駆け昇る。ゴーレムがそんな彼を掴もうとする様をふっと不敵に笑い頭上から背中側へと飛び降りた。間髪入れず二本の蔦を両足へと放射し巻きつける。
「……!」
その間にゴーレムは背後へ回ったギュンターを捉えようと体を後方へ回らせようとするが、絡まった両足が阻害し前方目掛けてぐらりとおぼついたかと思えば大胆に倒れ伏す。
そのまま声にならない声を上げながらズズズ……、とずり落ちる様な音と共に巨体が下へ向けて動いていく。
「うっし!」
ぐっと拳を握った。瞳に燃える様な色が宿る。
「後はそのまま下へずり落としてやるぜ!」
そんな声を頼もしく訊きながら加古川はゴーレムの攻撃を回避しながら、立ち位置を幾度となく変えて翻弄していた。
「やるじゃねぇか、バーザルの奴も」
自分より早く足を崩すとは評価せざる得ない。
負けてられねぇな、こりゃ、と小さく呟きながら加古川は剣のゴーレムの切り上げを回避した後に自らも足目掛けて斬撃を放とうとする。
「ここだ!」
決める。そう意気込んで加古川は木刀『木賊』を水平に構えた。
「いや、待てカコガワ! 上だ!」
しかし即座にギュンターの鬼気迫る声が耳に届く。
上? と疑問に思うよりも早く――加古川はふっと影になった自分の位置に本能的な危機感を覚えて真横へダイヴする形で「ほまっぴゅぇえ!?」跳んだ。
そして奇声が残響した場所を豪快な音が上書きする。
ズドォォォォン……!! と、言う大きな地鳴りと共に。何が起きたのか――加古川は理解するには早かった。自分が立っていた場所に落下していたのだ。剣のゴーレムの剣が。
(さっきの切り上げの時にあえて上へ放って時間差で自然に落下させたのか……!?)
避けた攻撃が時間差で落ちてくる。攻撃を構えていた自分がもし、ギュンターの指摘がなければ直撃は免れなかったかもしれない。
(あの場面でそんな攻撃に移るとか……このゴーレムやりやがるな……!)
「……ゴ~」
しょぼんとした顔で落っことした愛剣をいそいそ拾うゴーレム。
「落としただけかい!!」
(なんだったんだよ、今の俺の深読み! 何か深読みしちゃったぶんが凄い恥ずかしくなるんだけど!? これ、明らかに落としただけか、切り上げの際に!)
内心頭を抱えて恥ずかしさを払うかの様な形で加古川は思いっきりゴーレムに迫る。狙うか所は左足。その場所目掛けて、
「ええい! 悪ぃがこれでもう終わりだ!」
水平に構えた木刀『木賊』に力を込める。その動きは一直線に――どこまでも美しく一直線上に駆け走る。空を。風を。大気を。
そして、眼前の全てを穿つ討つ。
「朴念自念流奥義――『鈍貫』」
切っ先が鋼鉄の様な足の表面を触れた。罅が、亀裂が、複雑な紋様を描いた。刻み込まれた紋様が間を置かず、音を響かせて広がってゆく。樹の枝が伸びる様に複雑に、紋様が前から後ろへと一周かけて走ってゆく。
そして弾け飛ぶ。砕け散る。粉々な欠片へと。
破壊力満点の曇天を貫く純粋な刺突。
朴念自念流奥義『鈍貫』。
加古川かがべの誇る最強技だ。それは見事に、炸裂した。
ゴーレムが刹那茫然とたたずんでいたが、その巨体は片足で支えきる事が出来る程のものではない。ぐらりと巨体が崩れる。
「え」
前のめりに何か足元にいた青年を押し潰す形だったが、その巨体は倒れ伏した。その動作と共に洞窟内と言う空間に積もった埃が白煙の様に舞った。それを合図にしたかの様にギュンターが大声を打ち鳴らす。
「今だ、ナダぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」
その声を耳にした瞬間に動きを示した男がいた。
灘佃煮。
待っていた。
彼の心境を一言で示すならばその言葉になるだろう。背後では足を崩された二体のゴーレムが傾斜の床により、今までは難なく立っていたところを今は流れのままに下へずり落ちてくる最中だ。音を訊き、下がってくる気配を感じ取る。
それだけで。
彼はまるで居合術の様に構えていた杖を。金剛杖を握った。先程のゴーレムのある種特殊な硬度では太刀打ち出来ずにいた。だがこの壁面程度であれば問題ないと佃煮は感じ取る。
故に。
「ゆくぞ『蟋蟀』」
その声を号令に佃煮は金剛杖『蟋蟀』を振った。七閃。目に見えぬ程に素早く、ひゅんひゅんっと言う細い糸が素早く振るわれたかの様に閃きだ。始まりは何かが外れた様な音だった。次いで瓦解の音が断続的に響き渡る。終いに湧き起こる様な大きな振動が。
津波。否、間欠泉のごとく。
耳に、鼓膜に痛みすら覚える様な轟音が炸裂した。訊いたと同時に身に降りかかった。降りかかると同時に体が捕縛された。捕縛されたと同時に体が宙を舞った。舞ったと同時に雪崩込んだ大質量の水が部屋の半分から下までを呑み込んで離さない。
二体のゴーレム達が水に飲まれ、色を変え、もがき苦しむ姿が目に映る。
そんな光景を見据えながら灘佃煮は小さく言葉を発した。
「助かったぞ、オーバーザルツベルク」
「任された役割熟しただけだって」
ニカカ、と自信満々な笑顔を浮かべながら、部屋の上方にて蔓を使い、灘の体を捕縛しているドイツ人へ向けて。
そう、最後の仕上げ。
それは水を雪崩込ませた後の、救出だった。壁を壊すのはいいとしても、その役割をした灘は窮地に陥り、相打ちの結果になる。そうならない為に、佃煮の役割終了と同時にギュンターが動く手筈であったわけだ。
「しかし、アンタすげぇな。まさか壁を切断たぁ……」
「なんてことないさ」
水に少し濡れた頭部を振りながら金剛杖を手に持ち直す。
「それよりも……まさか加古川がここで犠牲になるとはな……」
「ああ……」
白煙に飲まれて合図を誤ってしまったのかもしれないという事に対しギュンターは僅かに顔をしかめた。目標は達成されたが、加古川の犠牲と引き換えになってしまった事に。
「あいつの最後は……どうだった?」
「ゴーレムが倒れた方向にいたせいで押し潰されると言う無様な散様だったぜ……」
「そうか……あいつらしいな」
「待てや、おどれらぁ!」
そこで水面から見慣れた顔がザパァンと言う音と共に現れる。
「何だ生きてたのかお前」
「すげぇな……、潰された上に水に飲まれたのに……」
「結構タフだからな! そして俺らしい散様がイコール無様ってどういう事だ、おい灘ぁ!?」
「そのままの意味だが」
「……くっ……否定、できねぇ……!」
「否定出来ない場面なのかカコガワ!? お前、過去にどんな散様してきたんだよ!?」
ぐぬぬ、と不愉快そうに顔をしかめて灘に食って掛かる加古川だったがやがて溜息を発しながら「ん」と片手を高く上げた。ふふっと小さな笑みを零しながら佃煮も同様に手を掲げ、その様子に気付いたギュンターもまた。同じように手を上げながら。
「生きてて良かったぜ」
苦笑しながらギュンターは手を前へ。
「誰一人欠ける事なく成功して良かった。お前の策も大成功だったぞ」
賛美する様に笑みを浮かべながら手を振って。
「バーカ、お前らのおかげだよ」
一人じゃ何も出来なかっただけだってと呟きながら手を触れ合わせ。
パァンッ!! と。
乾いた音が三人の手の平から弾かれる様に響き渡った。
「作戦大成功ってなあ!」
そして加古川かがべは白い歯を輝かせ生き生きとした笑顔を浮かべるのであった。誰一人欠けることなく、誰一人のけ者とする事無く、三人の力を合わせて。巨大な土人形を打ち破った雄姿は見ていて輝く様な光景であった。
「さぁ、この勢いのまま行くぜお前ら! 次の関門へなぁ!」
「おう!」
「やるか」
三人は慢心する事も無く、しかし勢いそのままに前へ進む。自信をつけた男達の歩みは早々に止まるものでなどない。
チーム【ルーザー】……敗者であれど、弱者はおらず。
三人は傾斜の部屋を登り上がり、その奥へ。真っ直ぐと続く廊下の奥へと進んでゆく。そしてそんな三人の冒険者の背中を、
「……」
唯一人、散って、唯一人、何か忘れられてる海味山道はぷかーっと浮かびながら見守るのであった……。
4
イスタンブール北西部。都心部からは外れた人通りの少ない郊外の中、特に変哲は無いが辺鄙な場所に県立する多数の倉庫があった。人が行き交うには何処か物静かでとても寄付きそうにはない場所である。
「だけど……人通りはあるっすよねぇ」
地面が露わになっており、その端には草がある程度生い茂る道すがらヤウズは心底嫌そうに呟いた。靴跡はなけれど、靴の踏みしめ続けた事による草木が生えない地帯はある。人が行き交った事による形跡だ。
「人通りがある依然に普通に人がいるかんなコノヤロウ」
何処か語気がスキップする様に楽しげな響きのユルドゥルムが物陰に隠れながら呟いた。
その声に続く形で【血鳩の狼】の面々が次々に言葉を続けていく。
「ね、ね! おいらの言った通りだろう?」
「みたいだね……。しかし、まさかアミルが見つけるとは……」
「にししし。アミルは時々はやる子だからねぇ」
「くそう……何でアミルが目立って俺が目立ててないんだよ……!」
「でも本当、ウチも驚きだよアミルが見つけてくるなんてさー」
「ボハハハ! こりゃあ存外、大手柄じゃねーかよ。なぁヤウズ?」
「僕としては評価したくないけどね……」
リーダー、ヤウズは深々と溜息を吐き出して困った様に腕を組む。不愉快と言うべきか躊躇していると言うべきか……何にせよ、その表情は非を責めるかの様に不貞腐れた表情であった事はまず間違いない。
その様を見据えてベルンハルトが軽く右手をズボンのポケットに突っ込みながら何気ない口調で問い掛けた。
「ボハハ、どーしたよリーダー。乗り気じゃねぇっぽいな、オイ」
「乗り気じゃないっすよ、マジでね」
「何でなのかなぁ、ヤウズ? やっと見つけた奴らじゃないかぁ」
「僕はその話題が出た頃から探すなって再三告げておいたと思うんだけど。なぁ、アミルそうだったっすよね?」
「うっ。で、でも……」
「うっ、じゃないよ全く。これがどれだけ危険な事やってるのかわかってないっすよ皆は」
そう呻く様に呟き、額を鷲掴む様にしながらヤウズは項垂れる。
中々難儀そうな構図だ、と提は思った。
何故、提まで此処へついてきているかで言えば単純だ。気になった為に同行した。それだけに過ぎない。先ほど、アミルが現れて唐突に発言を零したと思えば、皆それぞれの表情を見せながらアミルの指示に従い、ここまでやってきた。
そして今こうして物陰に隠れて偵察しているわけだが……。
明らかにリーダーであるヤウズは浮かない表情だ。先ほどからの発言から推測してしまえば関わりたくもないのだろう。対し、他の面々はむしろやる気満々と言うか積極的に関わりたそうな表情だ。それが何故なのかわかあらない。そこが問題だ。
「なぁ、ノーズノロッチ君」
「大体想像つくっすけど……どうぞっす」
明らかに沈んだ声音だがヤウズはそう返した。
「ありがと。では、幾つか尋ねたいのだが……、『奴ら』とは誰なのかね? そもそもここは何処で、君達は今から何をしようとしているのか……を訊かせてもらえるかな?」
「うくくく。笑えない質問ありがとっす」
笑ってはいるが苦笑いの類だ。
ヤウズは溜息交じり――だが緊張感が伝わる程に何処か冷静な感情を置いた様子で、
「まず一つ目に答えると……あいつらは、この近隣で結構前からいる密売人っすよ」
「密売人?」
「ええ。麻薬っす」
たった二文字。されど、その意味の大きさはズガンと来たと言えるだろう。
麻薬密売人。ヤウズが告げた言葉の意味は文字通りそれだ。
という事は……。
「第二の質問はもう答えわかったっすよね?」
「ここは密売の為の倉庫……いや、麻薬の貯蔵庫の可能性すらあるな……」
「その通りっすよ。ただ、生憎それだけじゃあないと思うっすけどね……」
「それだけではない、とは?」
提の質疑にヤウズはしばし言葉を濁した。だが、それ以上は口にしない。確定材料が無いためか憶測の域を出ないためなのか。なんにせよ麻薬と言う時点で問題だ。そうなるとこの物陰から監視した状態なわけだが、扉……シャルターの前に立つ二人の男性……おそらくはアジア人と思しき二人がいる。
「門番か……」
「ええ。前々から姿だけは確認取れてるっすからね……。ここにいたのかって感じっす」
門の前に立つ二人の姿は片方が赤、片方が緑を基調とした長衫……チャイナドレスと一般的に呼ばれる服装だ。
「そして僕の仲間達が前々から追っていた理由なんすけどね……。【血鳩の狼】と仲良くしてたチームで【ターコイズ】ってチームがいたんすけど……」
「何かあったのかね?」
「ええ。連中の麻薬に手を出しちまったらしく何名か気が触れたみたいになったし、数人は死亡しちまったみたいなんすよ。生きてる奴のが多かったっすけど、今は警察に捕まって治療室行になってるみたいで……チームは解散したも同じっす」
提は唾を呑み込み、真剣な表情を浮かべた。麻薬が関わっていると言う時点でシャレにならない。それもある。だが……。
(服用を間違えたのか、それとも量の問題か……だが、もし一度の服用で死人が出たとすれば麻薬として危険どころではない……毒薬と同じだ……。麻薬は依存させ、それにより次を更に次をと求めさせるのが目的、即ち金稼ぎの側面が強い。それなのに死者が出てははっきり言って儲からない。……強すぎる麻薬だったのか何なのか)
あるいは試作品、と言う線もある。
何にせよ見逃せる事では無い。トルコで流行れば必然、日本でも流行る事だろう。いや、すでに流行っているかもしれない。正義感と呼べる程に大層なものは抱いていないと思うが、それでも提の良心が疼かなかったと言う事は無かった。
だが、問題は。否、問題の発言がすぐそばから飛び出した。
「【ターコイズ】にはセレンの友達もいてな……、死んじまったうちの一人なんだ。良かったじゃねぇか、これで敵討ちが出来るってもんだぜ……!」
「うん……!」
ベルンハルトとセレン。その二人の会話に思わず目を見開いた。
「待ちなさい。君ら、まさか……あそこに突っ込むつもりかね!?」
自分の勘違いであってほしいと願いながらそう、問い掛ける。
しかし二人は無言でコクリと頷いて返した。
「止めなさい。ここは警察に連絡を入れて……!」
「あぅー。それだとワテら逮捕されちまうんすよねぇ……」
そこがあったか、と思わず頭を押さえた。
彼らは無法者【血鳩の狼】。となれば警察に連絡を――もといつながりを持てるわけがない。だからこそ……私情も十分に挟んでいる事だろうが、自らの手でどうにかしようと考えているのだろう。
だが、それは危険だ。
麻薬密売人等と言うものは得てしてマフィアやギャングが絡んでくる。一筋縄では決していかない。そんな敵を相手に子供だけの集まりがどうにか出来るわけがない。
「よし、わかった。連絡は私が入れておくから、君達は離脱して……」
「ボハッ。舐めんなよ、おっさん。俺達を――もとい俺を舐めすぎだぜ。俺があんな奴らに負けるわけがねぇんだからな」
そう自信満々に告げるのはベルンハルトだった。彼は手をバキボキと鳴らして獰猛な獣の様な笑みを浮かべている。
「そうだよ、おじさん。わかってないよー、ウチらの実力! ユルドゥルムとベルンハルトも相当な強さだけど、ウチらだって結構やるんだから!」
ニコッと力強い笑みを浮かべてセレンがぐっと両手の拳を握り緊める。
他の面々も同様に力強い表情、仕草を見せるが提樹仰は不安でならない。それは唯一、この中で初めから否定的であったリーダーも同様であった。
「いや、僕は絶対認めないしおすすめしないっす。相手はどんだけの組織なのかわからないし、僕らがどうこう出来る領域にないと思うっすよ。だから初めの時に皆に『敵討ちとか考えず、彼らに関わらないようにしておけ』と命令を出したんすよ? それなのに……アミル」
「ひっ」
ギラリと睨まれた事に対してアミルが怯えた様子で息を吐く。
その光景に仲間たちは口々に「アミルを責めないでやってくれ」、「そうだよヤウズ、【ターコイズ】の皆の事だし……!」、「私としても縄張りを荒らす奴らには制裁が必要だと感じているからね」、「そうだぜ、それに俺達ならやれるぜコノヤロウ!」、「僕も頑張ってみるからさぁ、許して欲しいんだよねぇ」と全面的にアミルに賛同の様子だ。
だが、それでもヤウズは折れる様子は見せなかった。
そんな様子に溜息を吐いて背を向けたのはベルンハルトであった。
「呆れたぜヤウズ。テメー、そんな腰抜けでどうするよ?」
「ベルンハルト……」
「俺達とライバルでもあり友人でもあった【ターコイズ】のメンバーの事を思い出せよ。あいつらと一緒に強盗やったり、万引きやったり、食い逃げやったり、スリやったり、夜道で人を脅かして楽しんだりした日々をさ……!」
(どうするべきか。天罰な気もしてきたな……)
樹仰は刹那、そう思ったがそれでも死亡は流石に重いか……とも考えて何とも言えぬ心地になった。これが一般人であれば迷わず慰められたと思うのだが……。そこまで考えて何とも言えず首を振る。
提が一人苦悶する最中にも話は進んでゆく。
「覚えているさ。だけどな。今回は相手が悪すぎるっす。だから……!」
「ふざけんなっ!」
怒号を飛ばしてベルンハルトは一喝する。
「あいつら皆もう再会出来ないみてーなもんだろうが。それなのにあいつらをあんなにした連中を見逃せだ? ふざけるんじゃねぇぜ、ヤウズ。オレには無理だね。アジトがやっと見つかったんだ……俺は今から乗り込んで一人残らず爪の餌食にしてやる……!」
それだけ言葉を残すとベルンハルトは駆けだしてしまう。
正面入り口ではなく回り込む様子であるのは激高しながらも理性を働かせている為か。だが突っ込むと言う時点で思慮は欠いている。ヤウズは止めようとするが……。
「よし、ウチもいくんだかんね……!」
「セレン!?」
「ゴメン、ヤウズ。でも私ね。自分で今回の一件は決着つけたいんだ。つけなきゃいけない」
セレンの脳裏には過去の情景が映っていた。よく彼女と一緒にお花畑で花を摘んで遊んでいた時の光景。あそこで何回もお喋りしてた。そして色々な相談事を、悩みを打ち明けていた心許せる友人であった。
――セレンさぁ、いい加減に言っちゃいなよ?
――うぇぇ……!? む、無理だよウチなんかじゃ……!
――出来る、出来るセレンなら! ヤウズさんにさ
――け、けどさ……!
――よし、じゃあ決定。私ら今度の一件が何か長引きそうだから、その仕事が終わったら言うんだよ、セレン!
――どうしてぇ!?
――あ、破れないからコレ。確定事項だから。オッケー?
――全然オッケーじゃないよ!?
そんな会話をした彼女はそれ以来二度と花畑でもう一度語り合う日は来なかった。恥ずかしいけれどあれは彼女と交わした最後の約束だから……。
(今回の事が終わったら……ヤウズに告げよう。私の……!)
そんな強い思いを胸にセレンは猫の様に身軽にその場を後にした。そしてそんなセレンの様子に感化された男の子が二人。
メガネの位置を指で直しつつ、イドリースは告げた。
「ユルドゥルム」
「あんだよ?」
疑問形で訊いているが、その答えはわかっている表情を浮かべている。そんな様子に満足そうに、そして真剣な眼差しでイドリースは告げた。
「勝負だ。敵を倒した数が多い方が……セレンに告白する優先権を得る。どうだ?」
「乗った」
今回の一件。麻薬事件の事でセレンが心を痛めているであろうから、ずっと秘めていた心を熱い血潮に変えてイドリースは、ユルドゥルムはそう告げた。
「僕はこの戦いが終わったらセレンに告白する」
「生憎、その役目は俺のもんだぜコノヤロウ」
ヤウズにだって負けない。二人は口を揃えて、その場を後にする。
次々に離れてゆくメンバーの後ろ姿を見送りながらヤウズが冷や汗を流しながら残ったメンバーであるルトフィー、フェルハト、アミルに向けるも。
「ごめんなさいだぁ、リーダーぁ」
「俺たも敵討ちするチャンスがあるならって決めてたからさ……ワリ」
「お、おいらは……」
「お前もだろ? 一緒に行くぜ。そんで……【ターコイズ】の仇を取ってやろう……!」
「う、う、うん……」
少し青ざめた表情のアミルの腕を引っ張る形でフェルハトとルトフィーまでもが別の方向へと去ってゆく。
「ルトフィー! フェルハト! アミル!」
声に切迫感を浮かべながら叫んでも誰も戻ってはこない。
「ベルンハルト……、イドリース、セレン……ユルドゥルム……!」
唯一人残されたヤウズはぽつんと物陰に立ち尽くす。
「……どうするのかね、今からでも連れ戻せば……」
「難しいっすね……あいつら頑固っすから……」
「……そうか」
散り散りに行動を起こした仲間達。おそらくは別々のルートで侵入を試みるつもりであるのだろう。その策が吉と出るのか凶とでるのか。否、ヤウズはわかっている。凶だ。
「リーダーとしてこのままにはしておけないっすね……。僕も行くっす」
「本気かね……!?」
「こうなった以上は仕方ないっす。ただし、倒すのが目的じゃなく、仲間を連れ戻すのが目的ってところっすかね……。ただ、一つだけ樹仰さんにお願いがあるっすけど……いいっすか?」
お願い。
この局面で出される言葉がどれ程の重みを持つのか。安請け合いはとてもではないが出来ない。だが、それでもこんな真剣な表情から紡がれる言葉を無下には出来ないのもまた事実であった。
「叶えられるかどうかはわからんが……それでも構わなければ」
「感謝するっす」
ぺこりと頭を一度下げた後に、ヤウズは切り出した。
「そのお願いってのはっすね――」
時にして五分が経過した頃合い。
バラバラに散って行動している【血鳩の狼】の面々の中で一番初めに動いたのは何を隠そう、何も隠す必要もなく彼であった。
倉庫のコンテナの陰に隠れていた少年は跳躍と共に唐突に、突然に二人の門番の前に現る。
「ようっ」
「!?」
突如、出現した青年に「誰だ!」と声が発せられたと同時にベルンハルトは拳を握り緊めて赤い長衫を着る男の顔面を殴り飛ばした。
「貴様!」
緑の長衫を着た男がすぐさまナイフの様な刃物を引き抜き切り掛る。だがベルンハルトは怯えた様子も無く、右手を伸ばし――更に爪を伸ばした。
「『寄せ亜爪』」
ズォッ! と、勢いよく一メートル程一気に伸びた爪がナイフの刀身を防ぐと同時にバキンと中腹からへし折れるが、再び伸びたと同時に緑服の男の胴体を切り裂き、血飛沫が軽く舞い上がった。
「き、貴様……!?」
「ボハッ! 生憎だったなチン野郎。俺の凄技『寄せ亜爪』の前にゃあテメェなんか一撃なんだよ!」
そう告げながら連続攻撃を男二人に次々に浴びせてゆくベルンハルト。そして二人が重傷を負った様子を見て痛快そうに笑みを浮かべると、緑服の男の襟元を掴みあげて、問い掛けた、。
「さて、冥土の土産に更に教えてやるぜ……! 俺の恐ろしさをな……!」
ジャギン! と、鳴り響き陽光に輝く爪の威圧感が男達を怯えさせる。彼の内心は蓄積した怒りに溢れていた。今、ここで全ての蹴りをつける。爪痕を残す。
その矛先をまずは彼らに喰らわせる。
そう、考えていた為であろう。
背後の若い中国人の鷲の様に鋭い眼光と静かな佇まいに気付けなかったのは。
外部で次々に動きが起こっている頃。
倉庫の内部では数名の影が動いていた。一人は女性だ。まるで猫を模したかの様な衣装に身を包む中国人女性。その隣を執事の様に理知的に、タキシードに身を包み顔半分に白いマスクをつけた男性が従えている。対するは現地人と思しき男性であった。
三人はくぐもった様な音に警備として配置する男達の微かな声を耳にしながら会談を進めていた。
「これが例の品かね?」
「ああ、その通りじゃよ」
男性からの問い掛けに女性は凛とした、だけれど老婆の様な口調で返した。
「顔馴染のマリファナ等を初めとして、あたしゃらの作り上げた『ドラゴンドリーム』、加えて……」
「コレが希少と言う例の……」
「ああ」
頷く女性の眼前で、男性が掴む二つの麻薬。片方が悍ましいと形容出来てしまう様な色の濃い赤い粉。もう片方は神秘的とすら形容出来てしまいそうな虹色の粉の麻薬であった。
何をどうすればこんな色が生まれるのか。男には想像もつかなかった。
そんな時だ。
「猫糞様」
「なんじゃ。商談中じゃぞ、巧妙」
「申し訳ございません。ですが火急の御様でして」
「下級?」
「いえ、そちらではなくで急務と言う意味の方で」
「先にそう言わぬか。済まんな、ディヤルバクル殿。しばし待たれよ」
わかった、と言う男性の言葉を訊いた後に少し距離を取った後に、彼女、白猫糞は右腕である男性、林巧妙の話に耳を傾けた。
「先ほど、正門前にて粤獲得から連絡がありました。不審者を捕縛したと。並びに浙手低、滬手練の両名が負傷したとのことです」
「使えない奴らじゃな」
まぁ、見張り役程度であったが故に仕方も無いか、と愚痴る様に吐き猫糞は、
「それで? 被害はどの程度のもんじゃ?」
「今、調達した情報の限りでは南側を見張りについていた石容易、袁重荷の両名が敗北ですが電気の様なものが……と言う発言があり、北側の見張り役である万手数、湯投槍の両名は手数の働きにより防衛されており、毛射止により圧倒しているとのこと。裏口に関しては何の問題も無く金毒牙により守られている様です」
そう呟く巧妙は何も見ずに告げた。
目をつむり、頭のこめかみを抑えながら見えていない何かを見ているかの様な様子で猫糞へ向けて新たな情報を次から次へと。相変わらず使える右腕だ、とニンマリ、艶やかな口元を吊り上げて哂う。
「何にせよ馬鹿な奴もいたものじゃ。このあたしゃらに喧嘩をふっかけるなんてのう」
口元に笑みをたたえたまま、様子を訊いていたのか少し不安そうな表情を浮かべる仲介人でもある男性に向けて小さく首を振った。
「何の心配もないぞい、ディヤルバクル殿」
「それならいいのだが……」
「無問題じゃよ」
なんせー、と呟いて、
「あたしゃの同胞はそう容易く打ち破れない奴らじゃからなぁ」
その言葉とほぼ同時に。
ガシャーン! と鳴り響くガラスの割れる様な音。否、実際に窓ガラスが割れた音であるのだろう。即座に警備数名が中国語で『誰やねん!』と声を上げる。そんな中でガラスを割って期せずして中へ入ってしまった人物は、
「イタタタ……! っていうかヤバ……!」
と痛みを訴えながらも同時に自分の立場が危険である事を自覚しながら逃げようと思ったのだ。だが不覚にも逃げ遅れてしまう。目の前に存在する物体の正体。
何であるのか確かめようとした結果、落っこちてガラスを割ってしまうと言う失態を繰り広げた元凶。それに目が喰い付いてしまった。
「これって……?」
茫然と呟く少女に対して猫糞はくすっと笑いながら近寄る。
「こりゃあまた活きのいい奴が棚から牡丹餅の様に振ってきたもんだねぇ」
「ッ!」
びくりと震える少女に眼光を。自らの殺意を蛇のように発して白猫糞は近づいてゆく。
「悪いねぇ。逃さぬよ、お嬢ちゃんも。お仲間も、ね。――巧妙」
「――しばしお眠りください」
巧妙、と。
その言葉が聞こえたと同時に耳元に優しく、同時に冷たい声音が響いたと思った瞬間に少女はふっと意識を手放していた。
それが手放してはいけなかったものであると知る事も出来ぬままに。
5
人外魔境。アララト山内部で繰り広げられる『トルコンクエスト』の異常なまでの安全性と比べて異様なまでに外部では激動が発生している実態。
されど、そんな事実を内部で動く者達は知る由も無い事だろう。
彼らが目指す場所はあくまで深奥。外部とは隔絶されたこの空間の深奥地帯。
道中、仲間たちは散って行った。アクバル=イズミットは虫に敗北し、アムジャド=ジレは水に敗北し、海味山道は自滅に喫して【ルーザー】のチームは文字通り半壊していた。
だが残された三人は苦行を乗り越えて絆を高めた三名。
加古川かがべ。灘佃煮。ギュンター=オーバーザルツベルクの三人であった。三人はゴーレムとの戦いを経て、多少体に傷を負いながらも進んでいた最中。
今までの道と比べて随分と長い廊下を進みに進み、辿り着いた次の関門の手前。
門前にて首を傾げる事となる。
加古川は頭に疑問符を浮かべながらきょとんとした様子で問い掛けた。
「……何で、お前がここにいんだよ、不知火?」
横の壁面に背中から体を逆さの状態で減り込んでいる青年に向けてそう問い掛ける。
赤い髪の青年は黄色い瞳を若干弱弱しく輝かせながら、
「ちょっと色々あったんだぜ……へっ」
腕組みして何故か強気な語気でそう返すのみであった。
第七章 旗の下、彼らは進む