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彼方へのマ・シャンソン  作者: ツマゴイ・E・筆烏
Deuxième mission 「迷宮の究明」
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第六章 走り続ける冒険譚

第六章 走り続ける冒険譚


        1


 結論から言えば。

 詰まる所、非常につまらぬ、つまびらかな事実を述べるならば。親不孝通(オヤフコウドオ)批自棄(ヒヤケ)は、そんなどうしようもない、だけれど何とも身につまされる対象である少年に対して如実に思う所は得てして一つだ。

「早すぎるだろう、ユミクロ君よ」

 溜息吐き捨て頭を押さえながら事の顛末について、ついぞ呆れを吐き出した。

「そーさなぁ……」

 そんな批自棄の声に反応を示すのは加古川(カコガワ)かがべだ。かがべは冷や汗を一つ垂らしながら前方ではなく後方を見据えながら賛同すべきか否か――、非常に滅入った事実に頭を悩ませている最中である。

 知り合って間もないとは言えども――だ。

 さて、彼女たちが何を悩んでいるのかと言えば、それは弦巻(ツルマキ)日向(ヒナタ)と言う少年一名に対しての出来事であると明言しておこう。

 弦巻日向。批自棄にとっては後輩に当たり、かがべにとっては自称ブラザーに当たる少年であって日本の名家の一角、迎洋園(ゲイヨウエン)家の御令嬢、テティスが従僕として執事に添えた少年であり現在進行形でそんな彼の教育期間の様な出来事の真っ最中であったわけだが……、彼は消えていた。知らず知らずのうち――と言うよりも思いがけずと言うべきか。

 何はともあれ、日向は消えた。罠に陥ったと言うよりも落ち入った形で。

 とはいえ、陥った事実はともかく落ち入った事実は到底、推測程度にしか補えない話であって故に一行は困っているとも言えた話である。

「……何時、消えたんでしょうね、これは……?」

「だわな。そこが問題だ」

 (サカイ)の言葉にディオは顎に手を添えながら頷いた。

 正直な話、彼らにはわからないのだ。何時頃、弦巻日向が消えていたのかと言う事を。すでに第六の関門まで行き着いてしまった彼らは、そこで一度改めて周囲を見渡した際に日向がいないと言う事に気が付いたくらいである。トラップ等物ともせず進んできた結果であったがよもや日向が知らない間にリタイアしているとは露程にも思わなかった話だ。

 果たして彼は何時いなくなった?

 それが彼らが足を止めている最大の理由である。

「とりあえずまず、除外すべきは第一関門だろうな」

 (ナダ)佃煮(ツクダニ)が生真面目な様子でそう告げた。

「だろうな」

「ですね、これは」

「第一関門はまー除外だろーな」

「流石にありゃねえさ」

 口々に賛同の意見が発せられる。

 事実を言ってしまえば、その外された項目こそ真実であるわけなのだが、これまでの関門を潜り抜けてきた一一名に於いては『あんなわかりやすい罠には流石にかかってないしなあ』と言う……、実に日向が涙目で落ち込みそうな思考をしているのだ。

「第三関門、第四関門はまず性質的にないだろうしどん?」

 アクバル=イズミットが了承を得る様な形で皆に発言を促す。

 概ね、アクバルの意見は真っ当。全員が頷いた。それは当然な話であって第三関門で起きたのは天井から矢の雨が降り注ぐトラップ、第四関門は横から槍が飛び出してくると言う比較的単純であるが故に危険なトラップなわけだが、それならばやられた際に皆が気づいているはずなのだ。

「さっき通った第六関門は違うしなあ」

 九十九(ツクモ)が首を傾げながら発言した。

「そりゃ第六はな。ヤコーも体験した通りに、あそこは天井から吊り下げられた岩盤が規則的に落下してくる空間だったしよ」

「あそこは僕ちゃん、ちょっと怖かったなあ……!」

 第六関門は落盤地帯であった。とはいえ天井の仕掛けにより吊り下げられた岩盤が規則的なリズムで落ちたり上がったりすると言うトラップであった為に規則性さえ見抜いてしまえば大した事は無いトラップだ。

「と、すると……」

 大地離(オオジバナリ)疆が神妙な表情で言葉に隙間を置いて。

「第五関門か、第二関門のどちらかでしょうねえ、これは……」

「ひじきさん的にもそー考えるぜ」

「マジかよ……! 弦巻の奴、第二関門で落ちてねーと危険なんじゃねぇか?」

 青ざめた表情でかがべは呻く様に言った。

 批自棄も内心でチッと舌打ちする。彼女としても仮にリタイアしているとしても第二関門で落ちている事を推奨したい。教育係としてスリルに走りはしたが、日向をむざむざとやらせはしない――と言う自負の元の行動であったが完全に予想外であったと言えよう。まさか高速でいなくなるとは彼女としても驚きと言う他に無かった。

「ともかく第五関門でのリタイアだけは流石に心配ですね……ここが致死率〇パーセントで有名な場所とは言え、あそこは流石に……」

 心配そうに疆が呻く。日向を誘ったのは疆自身である。安全性も何故だか不可思議な話だが保障されているこの『トルコンクエスト』である以上は死んではいないだろう――けれども、仮に第五関門で脱落しているとなれば死亡はともかくとして、重軽傷を患っている可能性が比較的高いのではないかと日向の身を案じている。

「あの凄まじい第五関門での脱落だけはなりませんね、これは……!」

「そうだぜ……! アレに落ちたとか考えたくもねぇっての……!」

「加古川もそう思うか……! 俺もだ……!」

「ヤコーじゃねぇが私もあそこはちょいユミクロにゃー危険と考えるしな」

 四人が一様に日向の所在を、彼の現在を心配する様子で参った様子で頭を悩ませる。そして数分後、重々しい空気の中批自棄が気だるげに大きく息を吐き出した。

「だが、まー……。心配したって始まらねーな。死んではねーだろうし、私たちの方は先へ進むしか道がねぇんじゃねーのか、大地離さんよお?」

「ですね。崩落現場もありますし後戻りは不可能、でしょうね、これは……」

 後戻りは出来ない。

 下へ崩落したトラップがあったと言う事はつまり。後戻り可能な道が存在しないと言う事への裏返しだ。ここで日向の安否を心配していても時間が流れていくだけ。無駄に、無価値に、無意味に。

 ならば進むしか道は残されていないだろう。

「開始早々、一人リタイアかいな……、『トルクエ』侮り難しだな……!!」

 ぽそりと小さくギュンターが奥歯を深く噛んだ。

 わかっている。致死率〇パーセント等と言うある種ふざけた安心感を持っていても、同時に成功率〇パーセントでも知られた場所なのだ。困難な道のりである事など百も承知だ。重々しい――とまで重苦しさは無い、されど緊張感の増した空気の中で不知火(シラヌイ)九十九はきりっとした表情で言葉を紡いだ。

「日向の形……取ってやんねぇとな」

「……そーさな」

 死んではないと思うけどな、とツッコミを入れるべきか、はたまた『形』じゃなくて『仇』なとツッコミを入れてやるべきか少し迷ったのだが、まぁいいやとツッコミを放棄したまま批自棄は小さな声でぽつりと呟く。

「脱落者、まずは一名、か」

 第一関門にて一名……。

 難関クエスト『トルコンクエスト』はまだまだ始まったばかりだ。


        2


 追う男性、追われる少年。

 文字通りそんな関係性で突き進んでゆく(ヒサゲ)樹仰(シュゴウ)は眼前を疾走し逃走する少年一人の後を息を切らせながらも駆けている最中である。何故、こうなったのかと言う件を改めて顧みてみれば何という事は無い。スーパーで買い物しようと思ってレジで会計を済ませようと思えば、何と会計の最中に大胆にも彼の少年に財布を掏られていたと言うだけの話である。

 それに関しては樹仰としては会計で散々時間を浪費させてくれた会計の女性に対して散々文句言いたい気持ちもあったが今はすでにそれはどうでもいい話だ。

 何故、どうでもいいかと切って捨てられる心境に至ったかと言えば……、それは彼の内面の驚きに起因すると言って差し支えない。

 中々どうして驚いたものだ。

 樹仰はそんな感想を抱きながら走っている最中であった。詳しく追及すればやたらに長くなる為に自らの出自足る家を詳細に語る暇はないが、提家はこれでそこそこの名家の一角である為に幼少期からの英才教育――とまで大袈裟なものではないが、一通りの教育は受けており、加えて提の家は代々、身体能力に恵まれている。

 だからこそ今回のスリ程度――容易く易々と捕まえられると踏んでいた。

 けれど実際は違う。

 土地勘の有無と言うのも当然ながらあるだろう。樹仰は少年を追い掛けてここまでやってきているわけなのだが、参った事に迷路を突き進む様な道筋であって――当然ながら少年があえて面倒な道を進んでいると言って良いだろうが――樹仰はぐねぐねと変化する逃走経路に少しばかり戸惑い、そしてそれを進む力量の彼に関して少しばかり感心をしていた。

 だけれどそれだけながら提の男が負けるわけはない。

 即ち、樹仰がそれ以上に驚いたのは前方の少年の身体能力の高さにだ。置いて行かれる、見失うまではないものの距離を後一歩で詰められない。

「私も鈍ったものだな」

 呻く様に小さく呟く。

 基礎的なトレーニングは欠かさないまでも――やはり年齢か。年齢と言っても老齢と言う程ではないが肉体の重さを考えるとそう実感してしまい少し切なくなる。いやいや、と首を振りそんな事を考えている場合でもないと断じると樹仰はより一層駆け走った。

 見逃さないか、見逃すか――絶妙な距離感だ。

 そんな状況故に舌打ちを打ったのは前方の少年であった。

「くっそ! 何なんだよ、このおっさん速ぇなコノヤロウ!」

 少年はトルコ語でそう呟き、驚きに声を零した。

「この日本人何なんだよ! 今までの奴らと違って諦め悪ぃなあコノヤロウ!」

 忌々しげに言葉を吐き捨てて軽い足取り――、少年としては中々にガタイが良い体躯故に動きは鈍いかと思いそうだが素早い足運びをして少年は逃げ続ける。

 そんな背中を追いながら樹仰はギラリと光る眼で笑った。

「クハハハハ! 逃がさん。絶対に逃がさんぞ、小僧ぉおおおおおおおお!」

「何かメッチャ怒ってらっしゃるう!?」

「当たり前だわヴォゲェ!」

「『ボケ』が訛る程にお怒りかよ!?」

「逃がさない……断じて逃がさぬぞ名も知らぬ小僧ッ!」

「怒り過ぎは体に悪いぜおっちゃあん!」

「そうでもないぞ! 今まさに私の体はヒートアップが心地よい限りだからな!」

「みたいだよな、うん! 財布掏られて怒った連中散々見てきたけどさ! おっちゃんみたく阿修羅みてーな形相の人は初めて見たぜコノヤロウ!」

「財布? そんなものどうでもいい!!」

「いいの!? まさかの!? ならなんで追ってきてんの、おっちゃんさあ!?」

「そんなもの貴様を捕えて、私のストレスを吐き出す為に決まっておるわあ!!」

「それ八つ当たりだよなコノヤロウ!?」

「変な連中に諭す様に絡まれて行き場のない怒りでもなんでもない何かを蓄積して苛々してるわけでもない何かに釈然としない何かを抱いていたところに丁度いい奴が現れてくれたものだと感謝の念は絶えない限りだ」

「わっけわっかんねぇにも程があるんだけど!? 何でもない何かによってなんでもない何かが蓄積された鬱憤吐き出すって話だよな!? 何で、俺そんな何なのか良く分からないものの犠牲者になんなきゃいけねぇの!?」

「財布を盗んだのが運の尽きだ小僧!!」

「財布を盗んでそんな変な形で運の尽きになりたくないってのコノヤロウ!」

 二名は走りながらトルコ語で口々にそんな事を口走った。

 樹仰は『何か良く分からない何か』にまさしく釈然としない何かを感じて少年を捕まえた折には説教をたらたら流して、愚痴をダラダラ流し続ける鬱憤解放の未来を目指して少年を捕える事に意欲を燃やしている――と言うのが簡単な話である。

 単純な話が八つ当たりに過ぎない。即ち、財布を掏った上に八つ当たりの対象になっている少年が必死の逃走を繰り広げているのは至極順当な話で、追われるのは当然のごとく当然な不自然ない陳腐な話だ。だが少年も少年で捕まってたまるかと言う意思は明確であった。

「こんな場所で捕まったら……くっそ、間違いなく警察行きだよなー……!」

 ギリリ、と歯ぎしりし、手に持っていた財布をズボンのポケットの奥へと仕舞い込み少年は駆け走りながら近隣に設置されてある溢れる程にゴミの詰まったゴミ箱を蹴り倒した。トルコの街道には元々、あちらこちらにゴミ屑が捨てられている為に小汚い――と言ってしまえる部分があるがゴミ箱の中身である大量のゴミが道端に溢れかえるのは何とも嫌な光景であった。同時に目の前で唐突に道を遮る形で雪崩込むゴミの山を見て、樹仰は「うっ」と顔をしかめて呻いた。

「なにくそっ!」

 しかし、何処からか塵取りと箒を取り出して二分にしてゴミの山を撤去し見事にゴミ箱へと入れ戻した。

「早ぇよ!?」

「提家当代を舐めるな小僧」

 胸を張って何故だか誇らしげに樹仰は告げた。

「とうだい? 当主の事か? 待て待て待て待て、当主とかエラソーな立場のおっさんが何だよ今の清掃業者みたいな手際……」

 若干呆れた表情で少年は不思議そうに頭を掻いた。

 樹仰はふんっと鼻息荒く対処すると、

「小僧に話す必要はないわ」

「ま。そりゃそだな。正直なところ興味もないし」

「……ないのか?」

「? そりゃまあ他人だし」

「……どうしてもと言うならば話してやらないでもないんだぞ?」

「話したそうだなあ! メッチャ訊いて欲しそうな表情だなあ!?」

「そう。そもそもな話は大地離家でのあの日の事なのだがな。私と崇雲と」

「そして急に凄い感慨深げな表情で語りだした!? 何だよ、そこまで掃除の技術に関して深い件でも存在すんの!?」

 掃除の技術でと言うよりもそこに至る経緯が樹仰にとって実に懐かしき記憶――か否かは少年には当然わかるべくもない為につらつらと語られる内容に混乱しながらも相槌を打ちながら少年はピコーンとばかりに閃いた。

「よっしゃ、今だ逃走チャンスコノヤロウ!」

 そんなもの当たり前の事ながらに……爆走だ。

 当然の様に、それしかない様に逃走である。提樹仰が何故だか自らチャンスを作り出してしまうと言う失態――要約すれば自爆と言う現象に他ならないが――初速による差異をありありと浮かび上がらせて少年はより一層の速度で駆け走った。

 呼吸が乱れてくるし動悸も激しくなってきた。足も正直疲労が来ている。

 だけれど少年は提樹仰に捕まるわけにも、彼の財布を返すわけにもいかない。

「こんだけたんまり入ってんだ……! 捕まってたまるかよ……!」

 掏った後にこっそりと中身を一瞥したのだが中には現金が大量にあるしカードだって存在する。否、カードに関しては停止されてしまえば使いようは無いが、現金がこれだけある財布であれば必死に逃亡しない理由は無い。

 少年には捕まれない理由があった。

 その理由が少年に犯罪を加速させる様に稼がせる様に後の枷となろうとも罪を生み出す。きっと将来、自分は今このときの事を懺悔する時もあるのだろう。だけれど、未来の事で悩むより悩み募る今の方を生きるにはこれしか道は無かった。

 だからこそ、

「ぜってぇに……!!」

 路地裏に入ると同時に少年は近くの壁を蹴り込んだ。

 ぐっと押し寄せる反動を利用して向かいの壁を再び蹴り込む。蹴り上げ、蹴り上げ、蹴り上げ……。壁と壁の間でステップを繰り返し、妙技を繰り広げ、少年は壁伝いにがんがんと上昇し屋根の上へと駆け走ってゆく。

 そんな光景を見ながら樹仰は呆れた様に呟いた。

「……器用な奴だな」

 まさか壁を登れる――否、壁を蹴り上がって行くとは中々の身体能力だ、と思った。

 世の中さらっと見ただけで異様な身体能力の人種を何人も見てきた提樹仰にとってはさして驚くべく程の事では無いが、やはり少年の身体能力は驚きの域にある。

「かと言って、このまま……財布を盗まれたままでいくわけにはいかないな」

 屋根伝いに屋根から屋根へと逃げていく手筈なのだろう。それをされれば大抵の人は諦める他に無いだろうし地味に効果的な手段だ。だけれど、かと言って大地離疆から頼まれた買い物を、加えて財布を失い失敗しました――では話にならない。

「そんなものは提家当代としても――示しがつかない所の話ではないしな」

 そう呟きながら提樹仰は壁面にぐっと右手を押し当てた。


 少年は「いっしっしっ」と景気良さげに高笑いしながら屋根から屋根へと身軽な動きで飛び伝っていた。その表情から読み取れるものは余裕と達成感――。

 余裕に関しては当然の感情であろう。犯罪でしかないがスリを成功させ現在優々と逃走中。本人も感じるところ追い掛けてくる可能性は極めて低い。屋根裏を伝ってくるなどそう万人が出来る方法ではないのだから。逃走経路として少年の心に余裕を抱かせていた。同時に達成感で言えば今回の相手、おっちゃんこと樹仰が意外な程に喰らい付いてきた気概に関して少年は評価をしていた。

「いや、ホントホント。俺の全力ダッシュにああまで追い付いてくるとかすげぇおっさんだったよなー。久々に強敵相手にした気分だったぜコノヤロウ」

 掏られた後に成す術も無く茫然とする人種、怒るだけで追ってこない人種、行動力の無い警察に頼るだけの人種等出会っては掏ってきたがあれほどに喰らい付いてきた壮年の日本人は初めての相手であった。

「おっちゃんよぉ……。名前も知らねぇけどさ。アンタ頑張ったぜコノヤロウ。なよっちぃ日本人にもまだ強者がいたんだって感動しちまったぜ。じゃあアバヨ。この財布はアンタとの出会いの勲章だ!!」

 天高く、太陽煌めく、あの大空へ向けて腕を高く、財布を握るその拳を振り上げて少年は高らかに敵への賛辞を彼は捧げた。

 自分と果敢に鬩ぎ合った一人の男に向けて――。

「ぬぇいりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「うっほほほぉう!?」

 思わず。と言った驚きに声を震わせ体をびくっと震わせて少年は声の聞こえた方向の咆哮である背後を勢いよく振り向いた。勢いよく向かせすぎて首が微かにごきゅっと鈍い音を鳴らしたが聞きしに勝るものはない――聞いて驚いた声以外に興味は無い。

 少年が振り向いた先には何かが空へ、空へと舞っていた。

 仮に高度が高ければ飛行機雲がなびいていたのではないだろうかと思わせんばかりの美しき直線を描きながら遠目に黒い影がぐんぐん空へ向かって伸びてゆく。

「何だ……?」

 ごくりと唾を飲み込む。

 影がぐんぐん伸びていった――かと思えば、その影は方向を弧を描く形で曲がらせ始める。次第に、徐々にと少年目掛けて向かってくる。得も知れぬ恐怖感が身を包みながらも少年はその姿から目を離せずにいた。ギラリ、と何が光ったのだかわからないが全体的に巨大なシルエットが自分の元へ向かって飛来してくる。

「鳥か? 飛行機か?」

 思わずそんな言葉を口走った。

 鳥ではない事は分かっている。鳥は間違ってもあんな咆哮を上げてやってこない。

 飛行機でない事もわかっている。飛行機があんな小さいわけはないし、先ほどまで影も形も無かったのだから。

 だとすればその正体は……!

「逃がさないぞ小僧ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「いや、違う! おっさんだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 空を切り裂き、空を舞い踊り、ぐぐっと迫り来るその姿は提樹仰であった。

 信じられない。

 掠れる様な声で少年は呟いた。どうやったかはわからないが、樹仰は自分と同じく屋根裏へまでわたってきたのだ。それも、明らかに自分より高い跳躍を持ってして、ここまでやってきた。その方法自体どうやったのかツッコミを入れたくて仕方ない程だ。そもそも、どうしてロケットミサイルの様な上昇方法で飛来してきたのだろうかと言う話ではないか。

 悩み、困惑するも舌打ちをして少年は屋根を蹴って駆けだした。

 あのおっさん只者じゃねぇ……!

 脳裏をその感想が過る。今まで屋根上まで追い掛けてきた奴はいない。だが樹仰は自分より遥か上空まで跳んできた。ここまでの追いかけっこの時点で中々骨のある男とわかってはいたがここまで喰らい付いてくるのかよ……!

「だが捕まらねーもんねー!」

 たんっと屋根の端を蹴り別の屋根上へ。

 そう。どう追い掛けられようが捕まらなければいいだけの話だ。幸いにして、先ほどまで自分は樹仰に追い付かれていないと言う事から速度で言えば少年は自分の方が勝っていると踏んでいる。ならばその利点を発揮すれば財布片手に逃げ切る事は容易な話だ。

 だが、当然な話、そんな事は樹仰が許す筈も無い。

「逃がさない。そう告げた筈だぞ小僧」

 眼光を鋭くし、風にアフロヘア―を揺らしながら、直垂の下で盛り上がる筋肉をぐっと引き絞り樹仰は右の拳を握り緊めた。握り緊めた拳を引き締め、そしてズダンッと勇ましい音を響かせ左足が屋根の上にみしっと食い込む。伸ばし切った左腕を引き戻すと同時に、

「加減はした。耐えろよ、小僧!」

「は?」

 何の話だ? と振り返ってきょとんとした表情を浮かべる少年は、樹仰の遠くからのその構えの意味が理解出来ず頭を傾げた。それはそうだろう。あんな遠距離から構えを作っていても当たる距離ではないのだし……。

 そう、思っていた。

「ってぇっ!!」

 轟く様な雄叫びと共に樹仰は右拳をゴンッ!! と前方へ撃ち出した。文字通りに打ちだして、撃ち出した。少年は一瞬何をしてんだ、と不可思議に思ったが――前方に迫る何かを本能的に察したと同時に「ぴぷらぽげへっ!?」と言う奇声を上げながら後方へ仰け反った。

 同時に少年の眼前を空気が。打ち出された拳の作り出した空気の塊が渦巻き、逆巻きながらぎゅるおっと飛び去り過ぎ去った。

 そして通り過ぎた空気はその近くの高い建造物の壁に直撃するとぱぁんっと言う風船が割れる様な音と共に炸裂する。少年は冷や汗をつらっと流しながら声を零した。

「……何、今の……?」

 頭では理解出来る。拳で打ち出した空気の塊が飛んできた――。と言う現象なのだろう。

 だがそれは相当に有り得ない様な話だろう。確かに拳を打ち出す際に風圧は生じるが、それがここまで鮮明な形となって顕現すると言う事は目の前のこの男性の筋力と言うか腕力と言うものはどれだけのものなのだろうか。少なくとも少年の腕の力でこんな現象は起こせない。

 さながら空気の大砲だ。

 大仰に大砲と言うには威力は格段に低い。それこそ眩暈を起こす程度の衝撃程度が限界の威力の技であり、これは提樹仰が古くに不知火家の伝家の宝刀ならぬ伝家の筋肉を教わった結果の一つと言うのが事実だが、当然ながら少年にそんな事が分かるわけも無い。

 そして。

 当然でありながら、今の一撃で生まれた隙を提樹仰が逃すわけもない――。

「捉えたぞ小僧」

 仰け反った体勢、視線の先に獰猛な野獣の様なアフロヘア―の大男が佇んていた。輝く眼光といい威圧感といい思わず土下座で平伏したくなる程だ。普通の常識であれば当然ながら少年は性根を入れ替え、財布を返して謝っている事だろう。

「加減はする。気絶程度は覚悟しておけ――よっ!」

 振り上げた拳を。少年の額へ目掛けて。一直線に振り下ろす。

 だけれど、それは。

 常識のある判断であり……『定式』知らずには伝わりづらい結果であると言えよう。

 少年は口元に笑みを浮かべて呟いた。

「一つ忠告しとくぜおっさん」

 唐突にして少年の前髪が何の前触れもなく風向きの関係なしにはためいた。

「俺に触れると――しびれるぜってな」

 眩く。蛇の様な閃光が幾重にも折り重なり少年の体を走った。バヂィ、と言う耳障りな響きが音として耳へ届くと同時に樹仰は振り下ろした拳を反射的に引き戻す。だがとても間に合わない。何故ならばそういう速度であるからだ。

「ッ!?」

 拳の、指先に走った、駆け巡った刹那の痛みに樹仰は僅かに顔をしかめる。同時にその表情には明確な驚愕が一つ浮かんでいた。だがその驚きに体を強張らせ、留まる暇はない。相手がこの力を有していると言うのであれば。

 距離を取るのが定石!

 だんっと屋根上を蹴って少年との距離を開く。少年はそんな樹仰の行動に自分の優位を感じて口元ににやりと笑みを浮かべた。

「初めてだぜ、コノヤロウ。スリ稼業でこれ使うまで追い込まれたのはさ」

 呟く少年はそっと右手をそっと掲げた。

 その手の平には幾重にも青白く、金色にも輝く光が走っていた。断続的に音を打ち鳴らしながら。触れれば瞬間に意識を刈り取るであろう痛烈な響きを持っている存在。

 その異質さは――否、質の高さは彼なりの『定式』なのだろう。

 樹仰は小さく呟いた。

 定式持ちか、と。

定式知らず(イグノーセンス)』。一流の域へ達した者が人を感動させる事と差異ない些細な才能の結果。突出した才能の結果。ピアノが巧い、料理が上手、それと同じ様な結果が僅かに方向性が異なっているだけの話――。

 そして彼の場合は。この少年の『定式』は……。

「小僧。お前……電気が使えるのか」

「……え? あ、ああ、まぁな……」

「なるほどな」

 とっておき、と言うわけか。

 事実応用性の高い『定式』だろう。電気が扱えると言うのはシンプル故に利便性が高い。樹仰が冷静にそう観察していると少年は不満げにぽつりと呟いた。

「んだよ……。折角、見せたのになんだっつーのその見慣れてますよみてーな反応……。もっとこう驚いてくれたっていいじゃんかよコノヤロウ。『あぽっぴぇあ!?』みたいにさ」

「いや、どこの驚き方だそれは……」

 樹仰は呆れを示すものの――驚いて欲しいと言うのには一定の理解を示せた。実質、『定式知らず』なんていうのは希少な存在である事に間違いはないのだ。事実、一般人なら存在も知らないだろうが、知る人ぞ知る――知っている者はよくよく知っているものだ。大地離家とかかわりのある提家当代であれば当然の事ながら何度か見てきた。故に目の前の少年が電気使いであるとしても、驚きは少なく済ませてしまえた。だがそれはあくまで驚きが少ないのであって、対応をどうすべきかで樹仰は熟考していると言えた。

 電気への対応策は考えるだけでも幾つかある。

 だが途中まで考えて頭を振った。推察依然に電気の出力は果たしてどれほどのものなのか。まずはそこを見極める必要がある。そう考えながら同時に溜息を零して呟いた。

「まったく……どうしてスリを捕まえる為に戦闘を覚悟せねばならんかな」

 簡単に捕まえて捻じ伏せて終わりになるはずだったのに、実際には状況を鑑みて対策を練りそして打開策を発動する本当の戦闘になる気配に項垂れる。

 財布一つで何故こうなったと嘆きたい部分があった。

「ははっ。別に戦う必要ねーんだぜ?」

「それは私が財布を諦めれば、と言う前提条件付きだろう?」

「トーゼン」

 わかってんじゃねぇか、と嬉しそうに言い放つ。

「いやはや」

 それは出来ない相談だなあ、と樹仰は笑顔で返した。

「じゃ、しかたねーよな!」

 それを合図に電光を走らせて、少年は一気に樹仰へと迫る。走りながらすっと左手を胸の前で翳す。その手を手刀の形にし、

「まずは挨拶代りぃっ!!」

 一気に袈裟切りを振り抜いた。手の範囲だけではない。指先から5センチ程の長さ走る電撃が目視出来る電気の刃として存在していた。電気の剣こと文字通り『電剣(スーパーライジングブレード)』と少年自身により名付けられたその技は空気を裂き樹仰の肩からわきへかけて文字通り切り裂こうとした。だが、樹仰はそれを僅かな動作で躱す。

「そいっ」

「ごぼふっ!?」

 そして何気ない動作で腹部へ重い拳を一発叩き込んでみた。

「おふっ、ごへっ、もるぼ……ちょちょちょちょーい……!?」

 腹を抱えて口を阿呆の様に開けっ放しにしながら少年はよたよたとした覚束ない足取りで後方へゆらゆらと下がってゆく。思った以上にクリーンヒットしてしまったらしい様子に樹仰はこめかみをぽりぽりと掻きながら、

「あー、やー、すまんなあ? 何か隙が出たものでつい」

「ついじゃねーよコノヤロウ! ついでこんな痛いパンチ打つなよ! 腹だよ? お腹だよ? 喰らったらめっちゃ痛いに決まってんじゃん!!」

「そりゃまあそうだが……と言うかだからこそ打ち込んだわけだが……我慢してみろ、そのくらいは。男だろう?」

「だって『電剣』躱して逆に返されるとか思わねーじゃん!!」

「そんな逆切れ気味に言われてもなあ……」

 前提条件として掏った側と、掏られた側。加害者と被害者と言う状況なのだからそれくらいは耐えてみろと言いたいところだが、どうやら電気の能力で樹仰は手も足も出せないであろう――と言う過剰意識を抱いていた、といったところだろうか?

 だがどちらにせよ、何にせよ。

 電気の出力を確かめるまでもないだろう。

 あんな程度の速度の素人の体捌きならば何という事はないからな。

 それが提樹仰の出した結論だった。目の前の少年の『定式』は確かに厄介なのだろう――けれども肝心の少年の動きが素人過ぎて力を活かせていない。一般的な一般の速度の袈裟切りだった。あの程度の速度の攻撃であるのならば、力押しで済ませられる。

 文字通りのゴリ押しで事は済む。

 大人と子供の筋力の差で済ませられてしまう。

「悪いがじゃれ合いはここまでにしよう、小僧」

 拳をパキポキと鳴らしながら厳つい笑顔を浮かべながらゆっくりと近づいてゆく。対する、相対する少年の顔がダボダボと汗で染まってゆく。強者は強者を知る――ではない、弱者は強者を謗る結果がこうなっただけの話。

「なあに、悪くて警察に突き出すだけ。死にはせんから安心しておけ小僧……!」

 初めは説教で済ませるつもりだったが、相手が『定式知らず』でスリの常習犯となれば話は別だ。対応できる自分の手で片をつけて於いた方が今後の為であろう。そう思いながら近づいてゆく。

 怯えた――と言うより汗だくだくの顔が目に映る。

 逃げられてばかりであったから顔など良く見れていなかったが、樹仰は瞳に映った顔に僅かばかり眉を潜めた。トルコでのスリの常習犯だからと思っていたが……、この顔立ちはアジア人の……いや、これは……。

「……ん? なぁ、小僧。お前、もしや日――」

 そう言い掛けた最中であった。

「ウチの奴がもうっしわけあーりやせんでーしたぁああああああああああああああああ!!」

 眼前に一人の青年が降ってきた!

 どこから現れたのかはわからない、そもそもどうやって落ちてきたのかは意識していなかった為に判別出来ない。だがそれでも端的な事実を述べるのならば一人の青年が唐突に振ってきた。それだけは言える。そして振ってきたと同時に、彼は謝罪の弁を述べて、尚且つ、振ってきた勢いをそのままに少年の後頭部を鷲掴み、屋根上の硬い板へ土下座の形へと、頭を下げる形へと無理矢理したのだけは僅か一秒の世界ながらも理解出来た。そして突如、現れた少年に後頭部を押え付けられて『どべごぽふんぬらば!?』と奇声を上げた事も耳に入ってきた。

 そんな突発的な突飛な現象に対して樹仰が紡げた言葉は端的にして一つ。

「…………は?」

 唖然の一文字だけであった……。


        3


「全く登れねぇええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 絶叫が響く。

 何事かと思えば、大地離の一行は全速力で駆けていた。文字通りに走り続けていた。止まる事も許されず、留まる事も許されない。右足が左足が続々と前へ出ては後ろへ下がってゆく事の繰り返し。

 何十歩も前へ出ているのに関わらずほぼ一歩進めたかどうかだった。

「何なんだよ今度のトラップはよ……! 切がねぇぞ!」

「ほぉれ。きりきり走れ加古川―」

「そして前方で手をぱんぱん叩いて平然と走ってる奴がすっげぇムカつく! 何がムカつくって無表情ってよかジト目でやってる事がムカつく何か!!」

 渦巻く螺旋階段エスカレーター使用。

 一言で言えばこの場所はそう言う代物であった。中央にそびえる一本の柱を巡る形で螺旋階段が……何処までも上空へと伸びている。何だこの長さはと唖然としたくなる程に。事実、到着の際にほぼ全員がまじまじと凝視する程であった。螺旋階段を登るだけならいざ知らず、螺旋階段は上から下へとベルトコンベアーが作動している始末。

 上がっても上がっても切がない。

 体力には自信のある面々であったがこれには普通であれば労苦を重ねる事となりそうだ。ただしこの場にいる者達は普通では無かった――故に例外的な面々が出てもさして驚く程の事では無い。

「だらしねぇぞ加古川あ! それでもドーナツの戦士かよ!」

 不知火九十九。

 普段から筋肉を自慢しているだけあって白目を剥きながらも汗だくだくになりながらも一歩一歩が半歩ずつではあるが前へと進んでいた。

「いやあ、限界寸前みたいな状況の奴に言われてもなあ!?」

「全くだな。汗一つ掻かずに言ってこそ、信憑性と言うのは出るものだぞ、この場合」

「そういうお前は背中から降りやがれぇええええええええええええ!」

 海味(カイシュウ)山道(サンドウ)

 横槍のトラップの時といい、その他諸々のトラップの最中といい、灘佃煮の背中に捕まっている現在といい、おんぶに抱っこを再現して汗一つ掻かずにその場に生存していた。

「けらけら。本当、海味って奴は意地汚くも残ってるもんだ」

 批自棄は哂う。若干、内心で知らない間に、助けるとかそういう選択肢が浮かぶよりも前に突飛な形で脱落したのであろう少年を思い出しながら自嘲気味に笑う。

「まあ、ああいう形で生き残るのも手ですからね、これは」

「そういう大地離の旦那もさすがーっ」

「棒読みのお褒めの言葉ありがとうございます、これは」

 批自棄は軽く後方を見やりながら先を次第に進んでいく男性を評価した。大地離疆。デスクワークが似合ってしょうがない男性像だが流石の運動能力、身体能力と言うべきか――否、経験と体験であろう。柔和な微笑を崩す事なく螺旋階段を登ってゆく。それでも頬を汗が一筋伝っている点では少しだけ疲労もあるのだろう。

 それに比べて……。

「傭兵達―っ。お前らもシャキッとせーよー」

 再びパンパンと手を叩いて鼓舞する。疆、批自棄、九十九の順で前方を駆け走る先陣組とは遅れを出している加古川かがべ含める傭兵達は皆一様に額に汗してその場にとどまっているのが限界である様子だ。

 その中でアクバル=イズミットは信じられない様に感心した声を発する。

「恐ろしい奴らだどん」

「何がだい、二丁殺虫剤?」

「わかるだろう、ジレ。あの三人の凄さが……!」

 目配せで示される疆達を見据えながらアムジャド=ジレは感慨深げに頷いた。

「わかってるさ、そのくらい僕ちゃんだって」

 スタミナ。身体能力。タフさ。どれを取るべきか……。

 だが数多くの冒険を通してきたり戦闘を生き抜いてきたアムジャドにアクバル、傭兵達は皆わかっていた。こんな無限に続く勢いの螺旋階段に於いて純粋なスタミナで停滞のみならず少しずつにでも進めていられる彼らの存在は……。

「普段から余程の鍛練を行っているはずだどん」

「だろうね。傍目に見てシラヌイ君って少年は相当筋肉質だけれど……、雇い主殿に関して言えば完全インテリ系なのにとんでもないよ……!」

「それを言えば小柄で体力も無さそうな、ひじきさんとやらも相当だどん……! さっきから後ろを向きながら走っているってんだから……とんでもない話だどん」

 凄いと感じる。

 だけれど故に。負けていられないとも思う。

 武勲、名を上げて生きてきた彼らにとってこのままの結果で終わるのは名折れだ。アクバルとアムジャドは互いに頷き合って、更に足を加速させる――!

 その足が二本の蔦によって絡め取られた!

「「……え?」」

 足首にちょうどきゅっと引っかかる蔦。片足に負荷が途端にかかり、転びそうになる事態を先ほど高まった気合でこなそうと、もがきながら、

「「何すんじゃあ、ギュンター!!」」

 後方でぜえぜえと息を荒げさせるギュンターに対して大声で怒鳴り散らす。

 それもそのはず。ギュンターは手元から放った二本の蔦で二人の足首を捕獲し、進む二人を馬車馬代わりに下へ落ちていかない様に楽をしているのだった。

「ふっ。そう声を荒げるな、アの名前の方々」

「アクバルだどん! 確かにアムジャドと同じで『ア』から始まるけど適当に一緒するなと言う話だどん!」

「わかっているさ。さて、そんな二人に朗報だ」

 本人は疲れているだろうに爽やかな笑顔を浮かべて――その際二人はこめかみにブチッと言う音を響かせはしたりしたが――ギュンターは無駄に格好いい表情でこう述べた。

「お前たち二人に『師子王子』を支える役割を与えよう! 光栄に思うといいぞ!」

「なぁ、この蔦ぶち切れるか、二丁殺虫剤?」

「悪いどん、無駄に太い上に自分、武装殺虫剤だから難しいどん」

「訊けよ!?」

「訊いてたどん。……死ねばいいのに」

「訊いてるって。……後で燃やす」

「まぁ、そんな反応をするな二人とも! 『獅子王子』の力になれる事を誉に思うべきだぞ、うん! そして燃やすって何か怖いから止めてほしいかな!」

 そんな情けない様を見せる『師子王子』を後にアクバルとアムジャドは互いに思った。

 そもそも王族でもないのに何でコイツこんなエラそうなんだろう……、と。

「『蔦伝い王者』って方なら知ってるんだけどねー……」

「ああ、そうなのかどん? まぁ、俺どんも『蔦伝い』の二つ名の方が知ってるどんねー。そもそもな話、『獅子王子』は自称の様だし……」

「聞こえているぞ二人とも! ならば疑問解消してやろう。俺が『蔦伝い』から『獅子』へと生まれ変わった際の武勇伝をな――!」

「さて、バルケスィル殿はどうしてるどん?」

「そうだった、そうだった。銀細工師は無事かな?」

「訊いて!?」

 背後でやたら騒がしい声が上がっているがいい加減、対処に面倒くさくなった二人は視界に映る約一名の存在を無視し、その先を見据えた。サッチ=バルケスィル。銀細工を営んでおりアイディアを求めて同行した男、という事だが……。

 無名の存在と言える男。故にだからこそ、アクバルは訝しんでいた。

 長年の経験が物語る。こういう無名に近いケースは何かしら裏がある――、と。

 そしてそれは恐らく、宝物を盗むであろう、その可能性を考慮に入れなくてはならない。故に普段通りの表情で仲間を気遣う様に背後を見据えると――、

「ふへっ、ぜぇっ、はっ、ふへっ……!」

「大丈夫かどぉん!?」

 汗だくだくで、だらんと両腕を揺らしながら走っていた。それはもうマラソン大会で限界寸前に至った体力のない子の様に。

「お、お気にっ、なさ、らずと、存じ、上げてくだ、さい……!」

「いやいや絶え絶えだよね!?」

 本当にキツい様子でふらふら、だらりとしながらも足を動かして追い付いて来るので最早ある種の感動すら覚える始末だ。アクバルは勘ぐった事が申し訳なく思える程にサッチはへろっとした様子で走っていた。

「がんばれー、サッチー殿―!」

「銀細工師だろファイト!」

 いや、銀細工はこの際関係ないのだが。

「御心、配には、存じ、上げな、くて結、構です……! そこの、人と違、い足は、引っ張ら、ないと、存じ、上げま、しょう……!」

「おいこら、サッチ。誰が足を引っ張るだけの存在だって!?」

「「お前以外に誰がいやがる……!」」

 ブチッと血管が浮き出る。言葉通りにも物理的にも足を引っ張っているのだ。懸命に頑張っているサッチと比べたら、けんもほろろに足蹴にしたいであろうギュンター等どうでもいい話である。

 その二人のゆらりとした怒り――否、殺気を感じ取ったギュンターは乾いた笑いを浮かべながら、

「は、ははは! ま、まーいいじゃねーの? 仲間だしー? 一緒に冒険する間柄だしー? 手を取り合っていかないとじゃねっていうか?」

「手を取り合うのはいいけどね! 足を引っ張り合うのはゴメンって話で!」

 ピシッと指先で足首に絡まる蔦を示しながらアムジャドは大声で言い放つ。

 ただし、傭兵仲間と言う点では事実だし手を取り合っていかねば攻略が出来ないであろう事も当然だ。仕方なしとばかりにぐっと足に力を込めて、アクバルはこう言った。

「よし、ギュンター。お前さん、我々がピンチの時は助ければそれでチャラにしてやるどん」

「お、そんなんでいいのか?」

「それ以外何もないどん。と言うかもう呆れ諦めたどん」

「へっへー。やっりー」

 へらへらと嬉しそうに破顔する。その様子を見ながらアムジャドは目で『いいのか?』と語りかけてくるが死んだ魚の眼で『どうでもいい』と返すとうへえ……と言う様子でアムジャドは顔をしかめる。

 そんな二名の心境を全く察していないのであろうギュンターは調子に乗った様子でニカッといい笑顔を浮かべながら、

「よーし、じゃあ新たな一致団結を祝して……チーム名を決めようぜ!」

「は?」

「チーム名……?」

「……」

 サッチが遂に言葉を吐き出す余裕すら無くなった――、言葉を紡ぐ体力も惜しいと判断したのだろうか知らぬが淡々と汗たらたらと走る中、ギュンターは突如そんな申し出をした。

「そうだ! チーム名だ!」

「『大地離御一行』でいいんじゃないのかどん?」

「捻りが足りないな」

 足りないと言われても困る。

「なぁ、獅子王子? チーム名って言っても、我々は雇われの身の上だし、命名権も雇い主のあの人にあるわけだし考えるだけ無意味ではないかね?」

 ちらりと疆の方を見ながらそう諌める。

 そもそもチーム名と言われても、今回限りなのだから必要性もほとんど無いと感じるのだけれど……。

「甘いな。チーム名。それを決める事でテンションと言う名の炎は燃え上がるもんなんだぜジレ!」

 そう言われてもな……、と返そうとした時である。

「確かにその通りだぜ!!」

 九十九が便乗した。

「一理あるな。チーム名、そいつを決めれば……格好よくなるもんな! 何時までも御一行とかじゃ物寂しいしな」

 更にかがべが拳を握り緊めて目をキラキラ輝かせる。

 雇い主がすぐそばにいるのに、よくもまあ物寂しいと言えたなとアムジャドは思ってぶるっと僅かに体を震わせる。だが、生憎と当の本人は気にした風も無く、むしろ乗り気な様子で、

「そー、ですねー。確かに今回一度限りとはいえ、チーム名を考えるのもいいかもしれませんね、これは」

「だよな、疆さん! よぉし、一丁決めようぜ! チーム名って奴をさ!」

 拳を天高く上げてかがべはそう言い切った。

 いいのかそれで!? とアムジャドとアクバルは思ったし、サッチはそんな余裕無さそうだが反論する余裕もないのだろう、無言のまま、時折息をぜえぜえ言っている最中に話はここにきてまさかの『チーム名を決める』と言う――、無限に思える螺旋階段を走る最中に起こった。

 そんな様子を頭の後ろで腕組みしながら、批自棄は暇だねぇ……とジト目を送る。

「さーて、そうなるとまずは候補がいるよな。みんな、どんどん出してくれ!」

「いい名前をお願いしますよ、これは」

 にこにこと笑顔で疆もまた発言を促した。

「よーし、まずは言いだしっぺの俺から言ってやるぜ!」

 まず名乗りを上げたのはギュンターだ。

「ほお。不安しか無いがボツ前提で訊いてやろう。何だ?」

「何か色々ひどくねえ!? 訊いてもらえたと思えたら酷くねぇか加古川さんよお!?」

「訊いてやるだけ感謝しやがれ屑!」

「何かぶち切れ気味に言われた!?」

 だがまあいい、と格好を付けて、キランと目を光らせながらギュンターは告げる。

「チーム『レオパレ――』」

「はい、却下。次ね」

「待ってくれ! 最後の数字は『13』なんだ!」

「そんなもん関係あるかあ! 七、引かれて様が関係あるかあ! そもそも、テメー名称理由はあれ獅子じゃねーんだよ、アホか! って言うか何で日本の不動産会社に詳しいんだよ、お前ドイツ人だろうが!」

「がふぅっ」

 情けない声を上げながらギュンターは崩れ伏す。レオを安直に獅子の意であると考えていた事に対して指摘された事の方が大ダメージの様子だが……。

「ちょっと待つんだどん、重さが増したどん!?」

「脱力してないでくれないかねえ、僕ちゃん凄い重いよ!?」

 約二名も傍迷惑にもダメージを担う羽目になったのは予想外であったが。

「さて、予想以上に使い物にならなかった、オーバーザルツベルグ……長ぇよな、もういいやバーザルで」

「妙な部分を略しましたね、これは……」

「そんなわけでバーザルの命名は却下として……、他誰かあるか? 灘、お前はどーよ?」

「む? そうだな……、RPG等で良く使われるが無難に『パーティー』とかはどうだ?」

「よぉし、却下だ。色々な意味で却下だ」

「何だ色々な意味って!?」

 確かにかがべも良く見る単語だし、RPG等でチーム編成する際に『パーティー編成』とか確かに見ているが却下する。色々な理由から却下せざるを得ないのだ。

「んじゃー、体力が余裕無さそうなバルケスィルは除外しておくとして……、ジレにイズミット、あんたらは何かあるか?」

「何かと言われてもな……俺どんは普通に『大地離御一行』とかで別にいいどん」

「僕ちゃんはそうだなあ……」

 ふむ、と顎に手を添えてしばし唸った後に、

「『アドヴェンチャーズ』!!」

「文字通り探検家達だが、そうくるか!」

「どうかな? シンプルで分かりやすいネーミングだと自負しているよ!」

「確かにシンプルだし適確だと思うわ! 適確過ぎてツッコミも出来ないレベルだわ! ただ、それを俺達が冠するには勇気いるなって話で!」

 文字通り、シンプル過ぎるが故に名前を背負うには恐怖が要る。

 特に烏合の衆とも言えるこの一行に関して言えば尚更に……。

「仕方ねえ! お前が本命を放つって信じてるぜ!」

 ぐぐっと握った拳。強く閉じた瞼。胸元に引き締めた左腕。それらを一斉に解放し、かがべは自らの前を走る男に問い掛けた。

「しらぬぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

「まっかせろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 この二人のテンションは何だろう……、と数名が思う。

「と言うかヤコーに関しちゃ訊くまでもねーと思うけどな」

 沈黙を保っていた批自棄が徐に口を開く。

 不知火九十九と言う人物の十八番を知っているメイドが口を挟む。

 だが、九十九はここにきて額の汗を拭い、したり顔を浮かべて返した。

「へっ。舐めんじゃねぇよ、ひじき。大方、想像はついてるぜ? オメーの事だ。俺がチーム名に『夕日に向かって走り隊』とかつけると踏んでるんだろ?」

「いや、ワリー、ヤコー。予想してなかったぜ、そりゃー。私ら青春ドラマになりそうでひじきさん何時になく背中の汗が止まらねー」

 想定していたチーム『マッスル』では無く、そんな青春の王道みたいなチーム名が来るとは全く持って思っていなかった批自棄である。

「俺の本命は……チーム『マッスル』だ!!」

 想定通りじゃねーかよ。と、批自棄はイラッと来た。

「ただし、『マッスル』を関するにはひじきがなあ……ひじきの筋肉がなあ……全体的に足りねぇにも程があるよなあ……」

「メイドのひじきさんに筋肉求めんなやYA」

 確かに批自棄には筋肉は無い。骨と皮と言うわけでは当然無いが、普通程度にしか筋肉は持っていない。

「だから俺は決めたぜ。今後の成長を願うと言う意味で……チーム『プロテイン』をな!」

「『プロテイン』!?」

 蛋白質等と言うチーム名訊いた事も無い。

 確かに成長と言う意味では成長性のありそうなチーム名だけれど……。

「うーむ、『プロテイン』ですか……妙案かもしれませんねえ、これは……」

 だが、問題は雇い主こと大地離疆が『プロテイン』で決定しそうな勢いだ。

 いや、それもある意味当然なのだろう。命名で素晴らしいものがあれば、そっちになるだろうが、命名権に関して言えば今回はある種出来レースの様なものだ。何せ、今回は不知火九十九を鍛える(・・・・・・・・・・)意味も含めての冒険なのだから。

 彼の命名が第一候補に挙がるのは当然の話だ。無意識にしろ何にしろ。

 だが『プロテイン』……。反論もし難い様な語感のネーミング故に批自棄も何かそうなってもならなくてもどっちでもいい気がする名前だ。

「『プロテイン』ねえ……」

 批自棄がそう考える中、かがべはふむと唸った。

「何だよ、嫌なのか『プロテイン』?」

 不満そうに九十九が口をつく。

「え? ああ、いや、不思議と嫌って感じはねーけども、まー一応他の案を訊いておこーかねーって感じかね?」

「なるほどな。んじゃあ、加古川。お前はどうなんだ?」

「俺か?」

 仕切り役をいつの間にか行っていた加古川かがべに対して、九十九は軽く手で示して意見を促す。かがべはへっとしたり顔を浮かべて、

「チーム『ドーナツ』さっ!」

「いよいよ、関係無くなってきたよな、名称理由がよー」

 予想通り過ぎて批自棄は呆れを通り越して感心する。九十九も筋肉馬鹿だが、かがべはドーナツ馬鹿と言うわけだ。ほほえましくすらある。ただし、良識はかがべの方があった。ドーナツチェーンであれだけ迷惑な客をしていた割には、であるが。

「いや、自分でもわかってるって。ボツになるなって。だから仕切り役やって、意見出さなかったんだって」

 苦笑を零しながらやれやれと手を振る。そして何気ない口調でかがべは意識を九十九から批自棄へと向ける。

「それはそーとよ、親不孝通り。お前はどうだ? 何かいい命名とかねーわけ?」

「私か?」

「そっ」

 発言一つくらいしろよ、と軽く問い掛ける。

 批自棄はしばし沈黙する。自分の発言がどうくるか何て推察してくれた方がいいものなのだが……まあ、促された以上は発言しておくとしよう。どうせボツになるのだし。

「じゃあ『自殺死願隊(じさつしがんたい)』で、よろ」

「『よろ』」

 一拍隙間を開けて、

「じゃねーよ!?」

「だよな。ケラケラ」

「笑ってんなよ!? 俺達、死亡フラグの塊って言うか、死ぬ為に来たとしか思えない奴らになってんじゃねぇか!? やべぇよ、そのチーム! 絶対、攻略とかする気無いだろ!?」

「だから発言しなかったんじゃねーかよ、ボツになるだろうしって」

「俺と同じ発想じゃねぇか! マイナス要素百割増しでさ!」

「ひじきさんは基本、クライシス思考なんだ。わりーな」

「マイナスもネガティブも越えてクライシスかよ……!」

 つーか、暴走族みてーじゃねぇか、とかがべは呟き、額を抑えながら、

「あー、もうこうなるとお前しか残ってねぇのか……。大地離の旦那は、そもそも参加出来ねー感じだろうし……。ってな、わけで最後だ。お前なんかあるか、海味?」

 悪い予感しかしないが、という表情で海味山道へ問い掛けた。

 ここまで悪い予感……と言うよりマトモなネーミング何だか何なのだかカオスなネーミングが続いて来た――結果、最後を締めるはこの男だ。かがべは古くから知っている。海味山道の適当な生き様を。

 そして肝心の海味山道は『よくぞ訊いてくれた』とばかりの姿勢で――、いつの間にか灘の肩に肩車で楽をしていると言う暴挙を行いながら――佃煮が降りろと連呼する中で海味山道はこう告げる。

「このチームは俺のチームの様なものだ」

「やべぇな。いきなり雇い主に喧嘩売ってるわ、コイツ」

 そもそも山道のチームが存在するならかがべは決して参加していないだろう。

「故にチーム名は『海味山道』が相応しいと俺は考えるが、まあ待て。これだけでは俺の名前でしか無いからな!」

「ややこしいな、本当にそれは」

 そして山道どころか我が道を突き進むこの男をどうすればいいのか本当に頭を悩ませる話というものだ。

「だから名前を略す事にしたぞ。訊いてくれ、加古川」

「ああ、略すのか……」

 それなら表向きはまだマシかもしれない。イニシャル取っての『SK』とかであれば表向きは格好いい。実際には『海味山道』と言う良くわからないチーム名だろうとそれくらいであれば格好よさは発揮出来るだろうか。アルファベットは偉大だ。

 だが。

「だからチーム『カイサン(解散)』! の、発足を俺は宣言する!!」

「始まって早々、チーム、バラバラになってんじゃねぇかっつの!」

 ぱこーんと小気味良い音を山道の側頭部にかがべの拳が打ち鳴らした。

 そんな光景を見ながら批自棄は、

「『レオパレ』なんとか、『パーティ』、『アドヴェンチャーズ』、『ドーナツ』、『自殺死願隊』……本当にネーミングとかマトモなんだか何何だかわからねぇ結果になっちまったな……。本当もういっそ『プロテイン』でいい気がしてきたぜ、おい」

 と、諦めの色濃厚な様子で呟いた。

 隣で九十九が『だろ? 「プロテイン」で決定だよな!』と嬉しそうな顔を浮かべているのが実に何とも言えない。

 そんな時だ。

「おっし、まだ生きてたなオメーら」

 ズンッ!! と、大きな音を立てて真上から巨体の影が落ちてきた。

 ディオ=バンガー。

 会話にも、列にも姿形無かった『モディバ』のアルバイターだ。

「本当早かったな。ひじきさんもビックリだ」

「ヌハハハ! そりゃあ、あんがとよ、ひじきの嬢ちゃん!」

 淡々と述べている様だがひじきは内心かなり驚いていた。

 この男、アルバイターとかの次元じゃないだろう、と。

 何故彼が列にいなかったのか。その理由は……、

「如何でしたかバンガーさん首尾の方は?」

「おう、疆の坊主。がっつり見てきたぜ、調べてきたってなもんだ」

 サムズアップをしながら白い歯を覗かせてディオは頼もしくそう返した。

「頂上までいっちょ、爆走してきたが……ヌハハ、こいつぁ謀られたもんだぜってな話だったぜこりゃまたよ」

「と、言いますと?」

「ああ。結論から言えば、天上は天井でしか無かったな」

 頭に疑問符を浮かべる雇い主に対してバンガーは走る疆に合わせて足を進ませながらこう答える。

「結論から言えば、一番上は何も無かった(、、、、、、、、、、)んだよ。いやあ、凝った話だぜ。辺りをぺちぺち触ってみても、なーんも扉もありゃしねえ。そこで俺は考えたんだが」

「考えたとは、何を?」

 神妙な表情で目を光らせる疆に向けてディオは上を指差しながら、

「上へ行ったとしてそれは正しいのかってな」

 言葉に隙間を置いて、

「上ってのはつまり外から見れば山頂を目指してるって事だろう? だが、俺達は下へ道筋ばかりを進んで来し、その上――、上へ目指すって事はもしや、外へ出ちまうって事に繋がるんじゃねぇのかね、とね」

「……なるほどでねぇ、これは」

 納得した様子で数回頷く。

「ともすると、我々がこうして走っている事は……」

「ダミーだな」

「やはりですか」

「おうよ。螺旋階段で上から下へ流れてくるって結果に惑わされてたんだな、こりゃあ。そもそも階段なんだ。上へ上がるだけが能じゃないだろう。つまり、この場所の攻略方法ってもんは」

 そこまで呟くとディオはごろんと寝そべった(、、、、、)

 唖然と驚くかがべやアクバル達を余所に、雇い主である大地離疆までもがふぅ、と息を吐いて腰を下ろす。なるほどね、と呟きながら同様に批自棄が寝転がった。

 何やってんだ、とは言わない。

 代わりに他の面々も理解した様子で腰を下ろす。座る。楽にする。

 諦めるのではない、頑張るのではない。

 唯、楽にする。

 ディオはぽつりと呟いた。

「『流れに身を任せる』ってこったな、要は」

 そして一同は流されるまま、下へ下へと、虚無の闇の様に広がる方向へ恐怖も無く流されてゆく。恐怖と言うのは無い。されどかがべは不思議な感じだと思いながら流されてゆく、その最中にちらりと。最下層へ流される最中に中央の柱に何か文字の様なものを見かけた。何語かは分からない大きな文字だが何故だか読む事は出来た。

「『落』……?」

 文字通り、落ちていると言えば落ちている。巨大な四文字の一字はそう読む事が出来た。

「もしかして、このトラップの事を言ってんのかね……」

 一人ごちる様に呟く。

「どうしたんだよ、加古川?」

「ん? ああ、いや、大した事じゃねえ」

「そっか。それよりも、着くぜ……一番下へ」

「……だな。皮肉なもんだぜ、上を目指して走ってたはずなのに、下へ流されろたあ真逆の道筋示されたもんだっての」

 だがまぁ、兎にも角にも――。

 真っ暗闇な空間に自動的に周囲の松明に明かりがともされてゆく。まるでベルトコンベアに流される様にされて行き着いた先には一つの巨大な扉があった。それが示す事は一つ。

「チーム【プロテイン】第七関門、クリアですね、これは」

 大地離疆の声を合図に、

『よっしゃあ!!!!』

 爽やかな雄叫びが一つ、放たれたのであった。

 ……一時遅れて、チーム名が【プロテイン】になっている事実に『え?』と小首を傾げるまで皆の祝賀ムードは止むことは無かった。


        4


「いやー、半端無いっすね、おじさん。ウチのユルドゥルムがここまで追い込まれるとか感心ものだったっすね。うくくく」

「笑ってなんじゃねーよコノヤロウ! つーか、フレンドリーに接してどうすんだよ、ヤウズ。って話だぜ!?」

「いやさは。無理無理、逃げられっこないって、ユルドゥルム。堪忍して素直に頭下げようぜ、もうさ」

「男が簡単に頭下げてたまるもんかよ!」

「プライド捨ててでも生きていく姿勢ってのもありだと僕は思うんだけどな。うくくく」

「……」

 目の前で話し合う二人の少年――、いや片方はもう青年か。

 そんな二人を見据えながら、提樹仰は近くの広場に来ていた。正確には、目の前で自分の財布を掏った少年、名前はユルドゥルムと言う子だそうだが、彼に話しかけられている、くしゃくしゃの黒髪に緑色の瞳を持った青年ヤウズの向かう先へ来たと言うわけだが。

「……で、君達は私にどう対応する気かね?」

 厳しい語調の声でそう問い掛ける。

「そっすね。まずは……こちらさんはお返ししますっとね」

「あっ!?」

 樹仰の手に返されたのは彼の財布であった。ただし、先ほどまで確かにユルドゥルムと言う少年が持っていたわけだし、それを彼に気付かれないうちにわが物としていたヤウズと言う青年のスリの力も相当なレベルの様だ。

「後は警察に……と言う話になるが、どうする?」

「出来たら、そこは穏便にお願いしたいっすかね。いやまあ、甘い事言ってんなコイツとか言うのは自覚ありますし、無理だってなら諦める次第っすけどね。うくくく」

「いや、笑ってんなよ、絶体絶命じゃん、もう……」

 項垂れるユルドゥルムを余所にヤウズは特徴的な笑い声で笑ってばかりだ。自身の進退がどうでもいいのだろうかと錯覚する程に。そしてその申し出は実に甘い。見返りもなしに見逃してくれと言っているのだから。

 彼らの様な相手でなければ、樹仰も見逃すわけも無かった。

「……まぁいいだろう。財布も戻って来たし、警察への処理も面倒なのも事実だしな」

 財布を直垂の懐へ押し込みながら嘆息交じりにそう呟いた。

「え、いいのかよ、おっちゃん!?」

「構わんさ。と言うか返ってきたのならそれでいい。唯一応、確認させて欲しい事があるのだがな」

「何だ?」

 きょとんとするユルドゥルムを一瞥した後に樹仰はこう述べた。

「まずは自己紹介しておくとするかな。私は提樹仰。まあ、提家と言う日本の名家の一つの課長と言うものだ」

「おや、こりゃ自己紹介どうもっす。ヒサゲですか……!」

「日本人に自己紹介されたのなんざ、何時以来かねー……」

「いや、お前も日本人だろ、ユルドゥルム……」

 呆れた様な眼差しを送った後に「うくくく」と相変わらず笑い声を零してヤウズは告げる。

「僕はヤウズっす。ヤウズ=ノーズノロッチって言うっす。チーム【血鳩の狼】のリーダーを務めている次第っすね!」

 で、コイツは、と肩を抱いて、

「【血鳩の狼】の一員、ユルドゥルムって言いますね。ああ、見ての通り、日本人っす。本名は八代(ヤツシロ)――」

「だぁーっ! 言うなよ、そこ、おい! 俺はもう日本人なんて止めてやるの、トルコ人になってんの、もうね、はい御終い! その話御終い!!」

「自分の血を否定するって結構悲しいんだぜ、ユルドゥルムー?」

「俺の勝手だコノヤロウ」

 それっきりプイッとユルドゥルムはそっぽを向いてしまう。

「まあ、そんな感じでね? 日本人に対して若干の苦手意識―みたいのがあるんすよ。過去にちょいとあったから現在此処にいるって感じで」

「そうか。まあ、深くは詮索せん」

「そりゃどうも。それで、何でしたっけ? 訊きたい事があるって事らしいっすけど何を訊きたいんでしょうかね、ヒサゲさんは?」

「いや、訊きたいと言っておいて何だが……、まあ財布を掏っている理由と言うか……大まかに検討は付くのだが……、訊いていいかどうかが悩ましいな、やはり」

踏み込んではならない領域――なのではないかと。

 今の自分は興味本位ではないかと。

 だが何故だか気にかかるのだ。故に関わっている……自分でも不思議だと思う。そして樹仰の意思を読み取った様子で手をポンと叩いて、ヤウズは笑顔を浮かべた。

「うくくく」

 なるほど、と。

「つまりユルドゥルムが財布を掏った理由――、まあ要は貧困層の孤児でもある自分達の生活が気にかかったって感じっすかね。別に構いませんよ、見ても。しっかし、妙なものを気に掛けるんすね。善人すか?」

「いや、善人とかではないのだがな……うむ」

 それだと興味本位ではないかと申し訳なくも思う。

 だが気にした風も無く、ヤウズ=ノーズノロッチはすっと手を振って笑みを浮かべた。

「うくくく。貧困層だから何か恥じているとでもお思いですか? 甘いっすね、貧困だろうが何であろうが――、底辺まで来た奴は恥じらいなんて持っちゃいねーんすよ」

 うくくく、と楽しそうに笑みを浮かべながら手招きしてヤウズは歩く。

 その背中を樹仰はゆっくりとした足取りで後に続く中で、

「おい待てヤウズ。その説明だと、俺らまるで恥知らずじゃねーかよコノヤロウ!?」

 一人、ユルドゥルムは憤慨した様子で辺りにバチバチと放電していた。


     5


 走っていた。

 飽きる程に走り続けた。それでも尚、彼らは走る事を止めない。止められないだけの理由がある以上は人は走ると言う行為を止める事は無い。知らない間に決定したチーム名【プロテイン】は何時だって駆け続けている。

「潰されてたまるか、こなくそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 何故ならば、大岩が転がってくる為だ!

 呑み込まれたら絶対ひき潰されて虫けらの様に散るであろう後方の悪魔から必死に逃げ続けている為に他ならない!

「走った後に、また走るって容赦ねぇなえげつねっ!」

「ははー、そういうなって加古川―。ランダムが不幸にもランニング寄りに傾いたってだけだろ、死にてー」

「死にたそうな顔で人を鼓舞するな、元気でねぇし全く!」

 メイド服のスカートをはためかせながら疾走する隣人が相変わらず自殺願望をダダ洩れにする中でかがべは皆と同様に、爆走している最中である。

 扉の前に文字で『第八関門・丸石同封』と書かれていた事から予測はしていた。

 悪い予感しかしないと本当に予測していた。

 そんな王道なトラップは望んでいないんだよと大声で叫びたい気持ちを押しのけて、いざ中へ入ってみれば見事に背後の扉は自動的に閉鎖され、皆の期待に応える形で即座に左方向、ずっと暗闇の続く奥から何か巨大なものが転がってくる音が聞こえていた。

 そう。

 巨大な岩石が。

 ご丁寧に丸くて良く転がる奴が。

「走りつかれた体を更に走らせるってもう、悪魔かここのトラップ!」

「大丈夫だって、さっきの奴と比べれば無限じゃないはず、有限だろうしって僕ちゃん推察を述べてみるよ!」

「じゃないと困るわ! 無限に続く道に後ろから岩石とか無理ゲーでしかないわ!」

「ひょっとしてこのトラップで今まで、全員が敗れてきたのかもしれぬと存じ上げましょう」

「知らない癖に存じ上げるな、推察の域でしかねえっていうか、それ本当無理だわ! 推察が怖くて笑えないっての!」

「ヌッハッハッハ! しっかし、参ったなコイツぁ、走りまくりだぜ、ガッハッハ!!」

「そしてアンタはここで爆笑してねーで先に行って道が無いかどうか見てきてくれないかねえ!?」

「あー、お断りだぞ加古川の坊主」

「何で!?」

「さっきのトラップは明らかに謎かけ染みたシステムだったが今回は真っ当。こんな王道みてーなトラップ相手にネタ晴らしやら、先に見て於くやら、保険を作っておくじゃあ……リスクがねえ。ロマンが無いだろうが!」

「くそう! 否定できねえ!!」

「出来ないのかよ」

「男の子だからな! 保身に走る自分を恥じたぜ、今は闇雲に走る時だって気付かされたぜ親不孝通り!」

「そりゃよかったなー」

 男の子って良くわからないや、と批自棄は思った。正直有体に思っただけで、自分にも精通しているものがあるからわかっていないわけではないが。

「何にしてもだ」

 批自棄の言葉を引き継ぐ形で疆が頷いた。

「ええ。唯一の打開策であろう、通路は何処にあるのか、と言う事ですね、これは」

「そーゆーこった」

 問題はそこだ。

 このトラップはその性質上、有限の道のりである事は可能性として高い。ならば肝心なのはどこに次の扉があるのか。そこに逃げ込める、飛び込めるのは果たして何時なのか。体力の配分に注意を配りつつ、【プロテイン】の面々は必死に駆け走るしか道が無いのだから。

「果たして真っ当に走った先にあるのか」

「はたまた、何かしら細工が仕掛けられているか否かってか」

「そうなるのではないですかねえ、これは」

 批自棄は視線を周囲へ走らせる。

 眼前に広がる奥深い前方通路は奥へ行けば行くほどに闇が濃くなっている。果たしてどれほどの距離があるのかはわからない。走って走り続けた先に、肝心の次への扉が存在しているかどうかも不明なのだ。

 と、仮定をした場合。

 ならば何かしらの突破方法が用意されているのではないかと推察する。

「つっても、何か隠し装置みてーなもんがあるかどうか……」

「隠し装置だな、ひじき? つまりはよ?」

「詰まる所、そう言う事だと推察すんだが……いや、待てヤコー君よ、何を……?」

「うっし、任せろ!」

 ぼそりと呟いた言葉を拾い、大岩に追われる真っ最中である九十九が腕を振りながら真っ直ぐに爆走しながら息を大きく吸い込んだ。その反応に批自棄は僅かにしくじったとばかりの表情を浮かべて、

「おい、待てヤコー。YA何をする気――」

「みんなぁああああああああああああああああああああああああああああ!! 何か怪しそうなものがそこらに有ったら起動させろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 止める間もなく、横の壁に反射しぐおんぐおんと頭が揺さ振られる様な爆音が耳に叩き込まれた。不知火九十九の大声。筋肉を鍛え続けてきた大地離家執事の皆に対する大声の炸裂に全員が耳を抑えて呻き声を零す。

「これかあ!」

 そんな中でもう一つの声が響く。

 ギュンターが唯一、壁面の中で窪みを作っていた部分を発見した様子だ。そして彼は即座に『いや、待て、それ何か怪しい……!』と言う数名の声を無視し、拳でガツンと叩き込んだ。

 その瞬間に直線通路に変化が起きた。

 キラリと輝く鈍い光。

 そう――。

 百個はあるであろう斧が天井から飛来した。

「うほほほほほほほべべあらぁあああああああああああああああ!?」

 避ける。弾く。躱す。叩き落とす。掴んで獲物にし叩き壊す。

 飛び交う百個相当の斧を【プロテイン】の面々は己が技巧を発揮して突破する。ここへ来るまでに矢の雨やら横槍と言った地味に危険な複数の刃物と言うものを乗り越えてきた成果であろうか。驚き奇声を上げても、尚且つメンバーは全てを凌ぎきった。

 そして、

「アホかあ! トラップだろう、アレはどう見ても!!」

「あいだあっ!?」

 トラップを諸に発動させたギュンターの頭部を加古川かがべが握った拳で盛大に音を打ち鳴らす。もしかしたら次の扉を開く仕掛けであった可能性もあったやもしれないが、それでも即座に了承も得ずに押したのは危険極まりない。

 成功したのなら、それは棚から牡丹餅かもしれないが。失敗しては事態が悪化するケースにしかならず――そして今回はまさしくそれであった。

 しかし、それでもギュンターは叫んだ。

「だが、だからってこのまま何もせず走ってるだけじゃ事態変わんねーかもじゃねぇかよ!」

 ぐっと言葉を詰まらせる。

 かがべも考えないでもないが確かに走り続けた先に扉があるかどうか分からない――で、あるのだとしたらギュンターの様にリスク覚悟の上での行動も価値あるものであるというのが事実だ。肝心なのはその見極め。

「探すっきゃねえな」

「加古川……」

 呻く様に呟いたかがべの声に山道が神妙な表情を浮かべた。

「探すしか道はねえ。何とかして、この関門の打開策――否、成功への道を見出す他にねえぜ。山道、お前も周囲に目を向けてくれ。きっと、何か仕掛けがあるはずだ……!」

「いや、出口見えたぞ」

「ああ、出口だ。出口を見つけ出せ! 隠し通路とかになってるかもしれねぇし――って、なぬぃいいいいいいいっ!?」

「ほれ、ここ」

 ピシッと海味山道の指差す方向――、そうちょうどすぐ近くの壁際。横道。左手の咆哮に普通に、どこまでも在り来たりに通路が存在しており――、思わず気付かず通り過ぎるのではないかと言う程に近場に存在した。

 そう、認識すると【プロテイン】の判断は早かった。

「全員、飛び込めぇっ!!」

 誰かが叫んだ。

 その声を皮切りに一行がすぐさま横道へ逸れる。次々に、人影が一本道であった道から姿を消して横道へぴたりと張り付いた。そして一本道を唯一つ転がる大岩は横の通路を通り過ぎて僅か二分も経たないうちに大きな轟音を上げる。そして数回、打ち付ける様な音が次第に、次第に小さくなってゆく……。

「近いな」

 かがべが呟いた。

「だな。奥行広そうに見えてたが……、異様に近いって事は先は行き止まりだったみてーだな。あぶねー、あぶねー、あのまま進んでたら行き止まりでぺっちゃんこってわけかよ」

 ひょこっと通路へ頭だけを覗かせて批自棄がジト目で観察する。

「薄暗くて良くわからねーが……。ありゃあ、もしや絵かもしれねーな……」

「絵?」

「ああ、遠近法を用いて奥がずっと続いている様に見せかける絵――、そんなものがあったとしたら妥当なとこだろう」

 岩がぶつかるまでの距離と、自分達が測ってきた距離感が異様に違う。その事から、奥行きを見せる様な壁画により距離感を誤魔化されていたのでは、と言うのが批自棄の推測だ。

 事実を調べるのは面倒くさい上に、どうでもいいから調べる事を放棄する批自棄だが。

「しっかし岩が転がってくるとか本当にあるんだな……」

「僕ちゃんは昔、一度経験した事があるなあ」

「いや、あるのかよ」

 かがべが冷や汗を垂らし苦笑気味にアムジャドを一瞥する。

「まー、この際、岩はもうどーでもいいだろ。それよりも次の関門だろうな……、どーせトラップが山積みになってんだろうが……」

「怖がってても始まりませんよ、これは」

 だな、と批自棄は頷いた。先に何が待っていようが、先へ進む以外に道は無い。悩む意味も無い。疆の言葉は当然の示しであり、そしてその言葉が呟かれたと同時に不知火九十九は前へ進み出て、重量のありそうな厳かな扉をゆっくりと開けてゆく。

 開口一番に呟かれた言葉はこれであった。

「こりゃまた……殺風景な場所だな」

 ギュンターがぽつりと呟く。

「確かに……岩石がたむろしている場所、という光景で存じ上げますね」

 サッチの言葉が示す通りであった。

 明るく光を浴びる、この場所は岩場であった。そこらじゅうに随分と形の複雑な岩が立ち並ぶ。ただ、それだけならば唯の岩場なのだが、ここには差し込むものがあった。

「日差し……。外に繋がっているのでしょうかね、これは?」

 日光。明るい光がこの場所を隠すことなく照らしていた。

「外には繋がっているんだと思うどん。ただ……繋がっているだけで、登れそうな距離では無い、と言う事だけれど……」

 顔を上空へ向けながらアクバルは暗闇からいきなり明るい場所へ出た影響だろう目を細めた。眩い光が何とも懐かしく、そして心を落ち着かせてくれた。

「確かに高いな……。登れる高さではない、な」

 佃煮は目測で高さを測りながら、

「気にかかるのは、高い場所には草木が僅かに生えているのに対して此処が岩しか存在していない、と言う事だが……」

「何かおかしいのか?」

「おかしいさ、不知火。なんせ、他の洞窟にも例があるが、あれだけ裂け目から日光と草木が見えているのであればこの場所にある程度植物が生えていてもおかしくはない。だが、ここにはない。あるのは妙に削られた様な(、、、、、、、、)岩ばっかりと言うのが――」

 佃煮はそこまで呟いてハッと何かに気付いた様に目を見開いた。

 植物が無く、異質な形の岩ばかりのこの場所の性質。

 再度、頭上をバッと見上げた。その動作を取った者は佃煮だけではなく、批自棄、ディオ、疆と数名が同じく見上げている。そしてその瞳が捉えたのは上空の裂け目、その異様なラインであった。

「走れ!」

 言葉と同時にメイド服をはためかせて、駆け出す批自棄の姿があった。同時刻にディオや疆と言った面々も同様だ。動揺した様子で九十九がぼんやりと立ち尽くしたまま、

「おーい、どうしたんだよ、お前らー」

 と、間の抜けた声を漏らす。

「いーから、走れヤコー! ぶっ飛ばされるぞ!!」

「ぶっ飛ばされるって……何に?」

「さっさとこっちへ走って来なさい九十九! わかりませんか? この洞窟内の流線の異様な形状、そこらかしこに出来た様な傷痕。植物が育成される環境は整っているだろうに、草木一つ地面には生えていない。何かに削られた様な岩の数々――」

 つまり、と告げる。

「この場所は裂け目から侵入した風が洞窟内で暴れ狂い、突風となって、岩肌すら削る鎌鼬の様な現象を引き起こすトラップ、と言う事ですよ、これは――!」

 その刹那。

 彼らはこの場所の名など知らぬ話だろうけれど。

 第九関門『殺風刑』が牙を剥く。

 上空から風音が響いてきた。ヒュウウ、ともの悲しそうな風の笛。洞窟内へ風を呼び込めてしまうと言う、その造りが強風を中へと引きずり込む。そして、この場所の螺旋を描く様な独特の形状の流に従って、風が渦を巻いた。突風はそのまま、下へ、下へと舞い降りて。

 次の瞬間には大地で爆発し爆散する様な突風を弾きだした。

「いっ!?」

 先へ走った側も、唖然として佇んでいた側も同様の行動を取った。

 問うまでもなく、その行動は本能的なものだったと言えよう。

 岩の陰に隠れる。

 シンプルでこれ以上も無く、正しい回答だ。情けなくも何ともない、ありふれた誰でも選ぶ回答を選び出し、【プロテイン】のメンバーは全員、即座に影の中へ。風が岩肌を傷つける音が聞こえる。

 ビシビシバシィッ!! と。

 叩きつける音が、破裂する様な音が、亀裂が走る様な音が。しばらくの間、鳴り止むことなく延々と響き続ける。

「つうっ」

「無事ですか、九十九、これは!?」

「へ、平気っす……! ちょい、浅い切り傷程度だから……!」

 おー怖ぇ、と愚痴りながら九十九は軽く切れた頬を手で触れる。たらりと赤い滴が指を蛇の様に伝った。何て切れ味だよ、と呻く様に呟いた。

「こういう時、巨体って不便だと思うんだわな、俺様」

「何言ってやがんだ、隠れ切れて無くて突風浴びてるのに、アンタむしろ突風が力負けして弾かれてるじゃねーか」

「いや、それを言えば、隠れてもないのに風が勝手に避けてく批自棄の嬢ちゃんも異常だけどなあ。その分、余波が俺に向かってくるけどな、ぬがっはっはっ!」

 が。

 そんな九十九の肌を傷つける突風は、約二名にはまるで通じていなかったりもする。

「切り傷で済む不知火も不知火だが、あの二人どうなってんだよ……」

 かがべは呆れた様でもあり頼もしそうでもある。そんな表情を浮かべて苦笑する。

「まあ、あっちが心配ねぇってんならありがてぇけどな。こっちも負けてらんねぇぞ。全員無事かーっ!!」

「安心しろ、加古川。俺は無事だ」

「『俺は無事だ』じゃねぇよ!? 山道、お前何を盾に使ってんの!?」

「佃煮」

「こんな時だけ名前で呼んでんじゃねぇよ!? 無事か。しっかりしろ灘ぁっ!?」

 ズバババ!! と言う音が聞こえ、更に所々から血が舞い上がる灘佃煮を心配する加古川かがべは、佃煮を盾にする海味山道を叱咤しながら。

「ともかく、灘を安全な場所へ移せ馬鹿! で、イズミットは無事か?」

「問題ないんだどん!」

「よっし、ならジレ。お前の方は怪我はねぇか?」

「すまない……。ティッシュが一枚やられたみたいだ……!」

「そんな事報告しなくていいよお!? つーか何だよ、ティッシュどうしたあ!?」

「風に吹かれて」

「飛んでっただけかい!! なら安心だよ、その余裕があればな! バルケスィルの方はどうだ何か変化はあったか?」

「隠れた岩があと少しで崩壊ではと存じ上げます」

「ピンチだなあ!? 普通にピンチだなあ!? え、なに、今にも壊れそうって事!? 隠れ場所ミスったって事か、おい!? 抑えて保つしかねえぜ、そりゃあ……!!」

「時満る。我が人生に。悔いはなし」

「何を辞世の句っぽいもん詠んでんの!? しかも何か適当感すげえし!」

「皆無事だとわかったんなら『獅子王子』を誰か助けてくれぇええええええええええええ!!」

「あれ、お前、さり気無くピンチ?」

「ピンチだよ! 普通にピンチだよ!!」

 どれどれ……、と加古川は声の聞こえる方を見極めると懐から手鏡を取り出した。鏡の向きを操作し、声のした方――ちょうど自分から対極の位置にいるギュンターの姿を映し出す。

 そこには蔦を使って、二つの岩を掴み取り、爆風に耐えるギュンターの姿が映し出された。

 故に必然――鎌鼬現象は防げていない。

「岩に隠れろよ!」

「唯の突風と思っちゃったんだよ、あざしゅうっ!?」

「ぎ、ギュンタぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 二つの岩を蔦で掴む体制で風にのみ踏ん張っていると言う事は必然、岩のない真ん中にギュンターの姿はあるという事で、踏ん張っているギュンターはむしろ鎌鼬の乱舞を進んで受けている様なものである。突風で吹き飛ばされないぶん、なお厄介だ。

 唯一の救いは彼のいる場所が風の影響が一番少ない場所であった――事くらいであろうか。

 そしてその一分後。

 風は止んだ。ゆっくりと。ふんわりと。

 先の暴風が嘘のように静かに、たおやかに。突風は唯の涼風に早変わりする。それと同時に面々は即座に動いた。ディオは佃煮を瞬時に抱えて物陰へ。かがべは風で寸断間近であった蔦を木刀で乱雑に切り捨て、九十九がギュンターを運ぶ。

 そして【プロテイン】の面々の元へ連れてこられた二人を見て疆は悲しげに眼を細める。

「酷い切り傷ですね……」

「傍目はな」

 ディオが感心した様子でそう告げた。疆が疑問を投げ掛ける。

「傍目、と言いますと?」

「灘の坊主は存外タフっつーか……、切り傷には慣れてると言うべきか……かなり喰らっちゃいるが擦り傷程度のダメージしか無いぜ。まあ、それでもこんだけ喰らえばイテー事は間違いねぇがな」

 そう言いながらぽんっと佃煮の頭を叩く。軽く「いてっ」と言う声が零れた。

 切り傷だかれでも擦り傷程度の痛み。灘佃煮は切り傷程度ではへこたれる気配を全く見せなかった。その佇まいに感心した声が投げ掛けられた。

「流石、灘だな」

「ああ、俺も感心する男だからな灘は。ただし、盾にしたお前に言う資格は無いからな海味!?」

 呆れ果てた表情をかがべが浮かべる中で……。

「で。こちらはどうでしょうか、これは?」

「ん。重症」

「……」

体中に見事なまでの傷痕の数々。まとっていた衣服もズタズタだ。声を発する事も無く口から泡を拭き出して白目を剥きながら時折、痙攣で指先、手足が動くその様は正しく。

 ギュンター=オーバーザルツベルグは普通にダメージを負っているのだった。


 約一五分後。

 突風吹き荒れるトラップ地帯を潜り抜け、足を先へ進める【プロテイン】の一行は、次なる場所へ辿り着いた。否、辿り着いたと言うには些か語弊がある。下へ、奥へと続く石造りの階段、高い岩盤の壁、滑り落ちてしまいそうなぬかるんだ足場。洞窟故の足場の悪さを突破し、現在へと至る。

 その場所にて皆は一様に頭を悩ませていた。

 より、正確にはリーダーである、大地離疆が、だ。

「参りましたねえ、これは……」

 顎に手を当てて考え込む。

「今までは一続き……ある意味、トラップを潜り抜ければそれで済む話でしたが、ここにきて分かれ道と来ますか、これは……」

 疆が頭を悩ませているのは目の前の、ある意味トラップより余程厄介な場所の性質にあった。目の前の二手に分かれている道筋。

 ここへ至るまでは、そんなもの一つも無かったのだ。

 一本通路の道を上がったり、下がったり、前へ進んでいく、ただそれだけ。単純な話が罠を掻い潜れば、それで目的地へ続く優しい一本道の、示されたレールの上を歩いて壁を乗り越えてゆくだけの単純な優しい道筋。それがここへきて選択を要求してくる。

 どちらの道が正しいのか、否か。

 答えを示すヒント、となりそうなものはあるにはある。壁面に記載された内容だ。

 だが……。

「これ何の意味があるのかね……?」

「花。みてぇだけどさ……」

 四角形の縁の中に記されたエンブレム。二手に分かれる道筋には花と思われる絵が刻まれていた。

「右手はスミレ。左手はバラ。……の様だが」

 まるで意味がわからない。

 どうして花の印をつけてあるのか。バラとスミレに何の意味があるのか皆目見当も付かない始末だ。これならばまだ、アルファベットやら暗号文が刻まれている方がわかりやすいと言うものではないか。

「もしかして、花言葉とか言う線は無いのかどん?」

「ああ、それかもしれねえな……!」

「いや、ねーな」

 それだ、とばかりに相槌を打つギュンターの言葉を批自棄が切って捨てる。

「バラもスミレも花言葉は『愛』やら『恋』、『小さな誠実』ってな方向性だ。何かしら花言葉にまつわるものだとしても、あんまりにも種子が違う。むしろ好きな女に手渡す様な価値のある花なんだし、花言葉もこの場所じゃそぐわない。その線はねーよ」

「ですね、これは。となるともう一つのヒントに思えるこの一四個のアルファベットの羅列ですが……、これはこれで多すぎてわからない」

 そう呟きながら、疆は丁度中央。

 スミレとバラのエンブレムのきっかり真ん中に存在する一四個のアルファベットを指差した。二文字ずつ寄り添って、合計一四個が立ち並んでいる。左から順に『S,D』『M,I』『T,M』『W,M』『T,G』『F,V』『S,S』と言う羅列が存在した。

「何かを示しているのはまず、間違いないでしょう。ですが、これにどう言った法則性があるのかは不明ですし、何より情報量が少なすぎる」

 此処へ来るまで一切ヒントらしいヒント等なかったのだ。

 何かを暗示する気配も無かった。

 ならばこれが指し示す意味が何であるのか。大地離疆はそれがわからなかった。そんな中、批自棄が呻く様にぽつりと呟いた。

「一応、私としては法則性から一つ可能性を考え出せはするんだが……。いかんせん、だからどーしたって結論になるんだよな、これが……」

「そうなのですか、これは?」

 それならばありがたい話だ。どうやって答えと思しきものへ到達したかが気になるところだが先へ進むためのヒントとなりえるものになる。だが、疆の思惑とは裏腹に批自棄は困った様な様子だ。

「どうしたのですか、これは?」

「いや、仮定の応えとしてもこれはなあってな……。仮定の域を出ねえ。何よりも、それが絡むからどうしたっつー感覚しか無くてな……。ワリーが批自棄さんとしちゃあヒントとして使えそうな気がしねーって奴なんだ。むしろ喋ったら更に困惑させちまいそうな気もする……深読みって意味でな」

 だから、と批自棄は呟いて。

「一番、手っ取り早い方法は初めから一つってなわけなんだろうな」

「……」

 批自棄はバラの印がついている道を見据えながら小さく呟いた。

 それは疆にもわかっている。初めから、そうする事で一番答えを得やすいのだと。だが、それは同時に在り来たりにリスクを伴う。否、リスク等何時だってついて回る話だが……。

「【プロテイン】を二手に分かれさせて行動させる、と言う事ですね、これは?」

 はっきりと。疆は批自棄へ向けてそう問い掛けた。

「そーいうこったな」

「ふむ。兵力を二分する、と言う事になりますね文字通りに、これは」

「無理そうかね、大地離さんよ?」

 けらけら、と苦笑を浮かべて批自棄は問い掛ける。

「いえ」

 頭を振って、

「ヒントが不明のままであれば、私もその選択をする気満々でしたからね、これは。何という事はありません。こうなった以上は二手に分かれて捜索する――それが一番の手でしょうねえ、これは」

 そうすると……、と疆は一一人の面々を振り返った。

「ここから先は二手に別れる――。即ち、六対五に編成する必要がありますね、これは」

「六対五か……」

「死んだギュンターを除けば、実質的には五対五みたいなもんだな」

「いや、死んでねぇぞカイシュウとやらあ!?」

 そこで後方で包帯ぐるぐる巻きの男。ギュンターが山道へと吠えた。

「いや、でも実際大丈夫なのかよ、おっさん? さっきの突風の場所で開放して、背負われながら来る今までの段階でももう、リタイアすべきじゃねって具合だけど……」

 九十九が頭をぼりぼり掻きながら一応、安否を気遣う。

「『獅子王子』がこの程度でくたばるわけがあるか……! 財宝も一千万円も手に入れずして追われるか……! と言うか、リタイアしたらひどい目に遭う結末なんだろうが!?」

「ああ、そう言えば……」

 すっかり忘却していたがそうであった。

 失敗者には死を――ではなく社会的な死を――『トルコンクエスト』は脱落者にはいったい、どこでどのようにやっているのかは不明だが女装コスプレをさせられ写真をネットに流出されると言う悪夢が待っているのだ。

「まあ、オーバーザルツベルグさんも諦めていない様子ですし問題は無いでしょうかね、これは」

「流石、わかってるじゃねぇか雇い主さんよお!」

「風前の灯であるとしても」

「怖いよ!? 笑顔で言う蛇足な一言が怖すぎるよ!?」

 そんな涙目で疆の足元に縋り付く男を皆は一様に無視しながら、二手に別れるべく輪を作る形で集まった。

「まあ、こういう時はお決まりの方法で行くとしましょうか、これは?」

「だな」

 すっと批自棄と疆が互いに右手を前へ出す。

「二人一組でジャンケンといこうぜ。勝ち組負け組に別れて進んでいこーじゃねーかよ」

 意地の悪い笑みを浮かべて批自棄が告げた。

 その瞬間皆が笑顔を浮かべる

『ははは、そうだな♪』

 と。

 その内面では煮えたぎる様な闘志を燃やしながら。勝ち組となって攻略を成功させてやるという意思がメラメラと燃え上がっていた。そして適当に二人へ別れ、互いに拳を握り緊めて彼らは叫んだ。

『じゃーんけーん……!!』


 結果。

「ヌッハッハッハッ!! 勝ち組たあ流石、俺様ってなもんだぜ!」

「あー、あー、あー。大声がうるせーってのバンガーさんよぉ。ひじきさんの鼓膜が破れたら網膜破くぜ、おらー」

「いや、ひじき。それ仕返しとして怖すぎるんだが……」

「ふむ。まあ、九十九と行動を共にするのであれば問題はありませんかね、これは」

「濃い面々の中に紛れ込んだと存じ上げましょう」

 チーム【ウィナー】。ディオ、批自棄、九十九、疆、サッチ。

「なんつーんだろうな。何か嫌なフラグがびんびんに立っている気がするっつーかよ……!」

「何を言っているんだ、加古川は?」

「いや、俺も幾分、不安なんだが……。まあ、お前らと一緒なのはありがたいが……」

「ふん、バンガーがいないからといって不安がるな。『獅子王子』足る俺の存在に頼るがいいぜ!」

「何か残念だな。僕ちゃんのティッシュ捌きを雇い主に見せられなかった事が悔やまれるな」

「なに。また見せる機会もきっと、あるどん」

 チーム【ルーザー】。かがべ、山道、佃煮、ギュンター、アムジャド、アクバル。

「公平にっつーか……綺麗に別れやがった様な作為的なものを感じると言うか……。と言うか二大チートキャラなアンタら二人が同じチームって時点でなんつーか……!」

「まぁ、がんばれー」

「なぁに、かませじゃねぇって気にしてんな加古川の坊主」

「言うな! それを言うんじゃねえ!! ちょっとそんな気がして不安になってた部分を言うもんじゃねぇんだよバッキャロー!!」

 それだけ叫ぶとかがべは目じりに溜まった涙を服の袖で拭い取り、

「まあいいさ。財宝を見つけられるのは、【ルーザー】の方かもしれねえからな! んじゃ、俺達は『バラ』の方を行くぜ」

 悔し紛れの様に木刀でびしっと批自棄の方を突き立てて、威勢のいい声を発して、かがべは仲間を引き連れて通路の奥へと入っていった。

「なら。わたしらは『スミレ』の方だな」

「では、参りましょうか。チーム【ウィナー】の皆さん」

 疆の朗らかな声と共に。

 勝者と敗者は互いの道へと進んで行く。


 チーム【ルーザー】。

 暫定的にまとめ役と言う立ち位置に就いている男、加古川かがべは皆を先導しながら、肩に置いた木刀を握り緊めて発破をかける。

「いいか。お前ら。今回のクエストは別に優劣競うようなもんじゃない。だけれど! 俺達は二手に別れた以上は勝ちを取りに行くぞ! 何故かって? 単純だ、【ウィナー】の野郎どもには決して遅れを取りたくねーからだ! そうだろ、テメェらあ!」

『あたぼうよお!!』

 敗者。じゃんけんに負けた側と言う唯それだけ。

 だが張られたレッテルの悲しさ。それを糧に彼らは勝利を渇望し活動する。

「幸いにして、【ルーザー】には良い面々が揃ってるなって俺は思うんだぜ? 俺達、灘と海味、そんで俺の三人チーム【三川衆(スリーリバーズ)】はもちろんのことって自負してるけどよ。『二丁殺虫剤』に『散紙高官』の二人が一緒ってのは心強いと思ってんだよな」

「照れる事を言わないで欲しいどん」

「まぁ、僕ちゃんを頼りにしてくれて十分に構わないけれどね」

 少し恥ずかしそうにしながらも笑顔でアクバル、アムジャドの両名は誇らしげに胸を張る。そんな様を頼もしそうにかがべは見つめた。

 実際、二人の事を噂程度には知っているかがべは強い二人を味方につけたと考えている。

 殺虫剤とティッシュ。

 そんな実戦では活躍の場等早々無いであろう武具を用いて、武功を築き上げてきた歴戦の猛者とも呼べる様な二人が一緒なのだ。そして自分もそうだ。

 木刀『木賊』が。

 いや、流派『朴念自念流』が容易く負けるとは露程にも思っていない。その自分自身への信頼と同等に、かがべは仲間二人。佃煮と山道に信頼を置いている。普段、山道の方は見る目も当てられないが……。灘佃煮に関しては自分以上の強者でもあるのだ。

「やれるさ、絶対。このメンツなら絶対攻略出来る。俺はそう信じてる」

「加古川……」

 佃煮が顔を僅かに綻ばせて任せておけ、とばかりに加古川の肩を軽く小突いた。

「競争しているわけではない――だが、折角だ。競争してみようじゃないか。敗者が勝者にかつと言うエンドも面白そうだしな」

「だろ?」

 ニヤッとした笑みを浮かべて返す。

 ああ、と肯定する佃煮を隣にかがべは歩く。

「何にしても成功すりゃあ一千万円、か」

 そう呟きながらかがべが胸元から細い銀細工で作られた――ロケットペンダントを取り出した。パカッと言う音と共に開いた、その中には一人の女性の姿が加古川かがべと一緒に写されている。

「……」

「一千万もありゃあ……へへ、一気に金儲けだぜ」

「加古川」

「お。何だ?」

 何故だか佃煮は掠れた様な声で、

「……それは?」

 と、問い掛けた。

「ああ、これな。お前らにゃ見せた事は無かったっけか? まー、逢わせた事もないから知らないんだろうけど……俺の恋人、って奴かな……。へへへ」

 にやけた笑みを浮かべて気恥ずかしそうに頭を掻くかがべ。

「……そっかあ」

 何故だか掠れた声で相槌が返ってきた。

「あ、好きになるんじゃねぇぞ灘? コイツは俺の恋人なんだからな?」

「ああ、それはない。無いが……ないわあ……」

「何かニュアンスが変化しまくったが、どうした!? まぁ、一応ダチだし、近いうちに紹介しようとは思ってたんだぜ? いやな、付き合いだしたのが、二年前のあのクエストで出会ったからって言うのなんだがよ。まぁ、今回のクエスト報奨金でいいもんでもプレゼント出来りゃいいんだがな」

 感慨深げな表情を浮かべてぎゅっと胸元近くでロケットを握り緊め、感情篭った声でかがべは呟いていく。

「俺も冒険好きって事だし、あっちもそうだからさ。すれ違いも多くて色々あるんだけどよ。今回のクエストが成功したら、まー、少しは久々にデートとか色々してやろうかなって思ってな……」

「そ、そうなのかあー……そっかー……」

「何だ、カコガワ。お前も俺と似たようなもんなのか」

「ん? バーザル、テメェもなのか?」

「……!?」

 佃煮の表情に緊張が走る。

 そんな様子は全く気に掛けた様子も無く、ギュンターは包帯ぐるぐる巻きと言うシュールな姿ながらもかがべの傍へ近づいてくる。そして手に握るロケットを一瞥し、彼はこう切り出した。

「一千万円。それだけあればしばらくは大丈夫だ」

 だからな、と呟いて。

「このクエストが成功したら……故郷へ帰るんだ、俺」

「……」

「ギュンター……。そりゃあまた何でなんだ? 『蔦伝い』としてはむしろ故郷から飛び出して来たんじゃないのかよ?」

 頭を抱えている佃煮の存在など目もくれず、かがべは問うた。

「ああ。お前も想像している通りに俺は『蔦伝い』の二つ名を嫌って祖国を飛び出して世界各国を回っている最中なんだがな……。故郷でちょいとした変化があったらしくてな……、家族が困ってるらしいんだ。金の問題もある。詳しくは語れんが……」

「そうか……。お前にも色々あるんだな……」

 それだけ呟くと、加古川かがべはロケットを左胸に仕舞い込む。そうしてぐっと拳を握った。よし、と言う声を上げてかがべは歩く。

「必ず、達成してやろうぜ、お前ら! クエスト達成っつー偉大な成果をな!!」

「おう!」

 その言葉に勢いよく応じたのはギュンター=オーバーザルツベルグ――だけだった。

「おいこら、海味、灘。ジレ、イズミット。お前ら掛け声どした!」

「いやあ……、何か僕ちゃん不安で堪らないんだよね」

「俺どんも……どうくるのか怖くて仕方ないどん……」

「加古川……恋人の事、事前に言って欲しかったよ……」

「なぁ、灘。俺達どうなるのかな?」

 さぁな……、と天を仰ぐ灘佃煮。同様にお通夜ムード漂う空間に。

「???」

 加古川かがべは首を傾げる他に無かった。


 チーム【ウィナー】。

 チーム【プロテイン】の流れのまま、リーダーを務める大地離疆が着任している。じゃんけんの結果と言う些細な勝者とは言えど、流石とも言うべきか。勝者としての貫録漂う面々であると言い切れるだけのメンツが揃っていたと言えよう。

「何とも」

 その中で唯一、唯の気まぐれの様なものが作用してチーム入りをしたのではないかと言う人物が声を発した。

「私は不安に彩られない面々の中にいると存じ上げましょうか」

 サッチ=バルケスィルは特に表情を変える事もなく淡々と事実を述べた。

 これまでのトラップ経緯からなる信頼感――ディオと批自棄と言う、そもそも若干販促気味な力を示している二人。疆の眼から見ても頼れる二人。

 まぁ、ディオに関して言えば九十九よりも鍛えている男として、程度であり。

 異質さの高すぎる批自棄がいる事に頼もしさを感じるのは当然の事とも考えられる。

「ま。雇われの身だからな。雇われた以上は存分に肩化してやっから安心してくれや」

 ボキボキと拳を打ち鳴らしてディオが快活な笑みを浮かべる。全てを包み込む様な頼もしさはここへ至っても陰る事無くいかんなく発揮されている。

「私、興味ないんで。勝手によろ」

「親不孝通りさんは相変わらずですね、これは」

 マイペースなのは変わらず。と言うよりもスリルを楽しむのだ。むしろ仲間を窮地へおいこんでいないだけマシなのだろう。そんな彼女も、おそらくはジャンケン等したらチーム【ルーザー】の方へ行っていたであろう第一関門にて消えた少年の事に関しては監督不行き届きで嘆いていた面もあるが。

「しっかし、二手に別れる事となったって事は……この先は互いに別々のトラップが仕掛けられてるって事になるのかね」

「恐らくはそうではないかと、これは」

 後頭部で手を合わせて、気負いする様子も無いまま批自棄が呟く。

「大地離の旦那的には、どう考えるよ」

「そうですねえ……。別々のトラップが仕組まれている、と言うのは想像出来るところです。困難さも互いに違うのでしょうし……。ですが、目的地は一緒、と言う事は通路としては分かれている、だけれど最終的には合流するのではないか、と言う可能性も考慮しているところですかね、これは」

「したいところ、だろ?」

「はは。確かにそこは希望的観測でしたね、これは」

 二手に別ったメンバーが目的地で合流出来るならばそれに越したことはない。目的となる場所は同じなのだ。で、あるならばトラップを潜り抜けた先が一緒である――と言う希望的観測も一定の可能性を秘めていた。

 問題は、そこに行きつけるのが何人なのか……。

「誰一人欠けることなく……等無いのはわかっていますがね、これは」

「はっはっは。ワリーな。すでに一名欠けててよ」

「死んだ目になってますよ、親不孝通り君、これは……!?」

 一人欠けて一一名。

 その後は誰一人欠けることなくここまで来れた。とはいえ、突風地帯でギュンターは重傷を負っているわけだし、そもそも手傷を負ったメンバーも存在する。無傷で攻略など不可能であろうが、確実に疲労は蓄積されている。

「そんでもって、もうトラップも第九関門は行ってんだ」

「ですね。それを考えると……」

「第十関門はすげぇのが来るって事か」

 疆の相槌を引き継ぐ形で腕組みしながら九十九が真剣な表情で呟く。

「ああ。可能性としちゃあ十分だろう。実際」

 そう呟きながら、批自棄は薄暗い道のりの先、ライトの灯りが要らなくなる程に明るさを持った場所を見据えた。松明の炎がゆらゆらと燃えている空間――。

「見ろっての。まるでボスが出て来そうな場所だぜ、死にてー」

 厳かな作りの宮殿の様な場所であった。

 燃え盛る焔の奥、巨大な扉が一つ異様なまでに威圧感を誇っている。その扉には何か紋様の様なものが飾られていた。十三の数字が円を描く形で立ち並んでいる。その中で何故か数字の一を二つの針が両方指している。

「何だあのマーク?」

 九十九が不思議そうに呟いた。

「何かパッと見時計みてーだけど、数字の『0』と『12』が揃って存在してるのもおかしいし、針の位置も……何か変なマークだな、アレ」

「何らかの意味はあるんでしょうが……。どちらにせよ、情報が足りませんからね。考えるよりもまず行動。の、方が正解でしょう、これは」

「だな」

 そう相槌を打ち、批自棄は九十九へ視線を走らせた。

「よし。開けろ、ヤコー」

「だから何で命令口調なんだよひじきが……。まあ、開けるけどよ。すげえ重そうだな……」

 愚痴を零しつつも当主の為。九十九は扉の傍へと駆け寄ると逞しい両腕で片方の扉に手を置いた。しかし、石造りの所為なのか、古びている為なのか、かなりの重量なのか。ずっしりとした扉は少しずつしか開いていかない。

 いや、開かせられる筋力だけでも相当なものと言えるが。

「ふむ……。九十九一人では時間がかかりますかね……。バンガーさん、申し訳ないのですが、軽く手助けをお願い出来ますか?」

「……」

「バンガーさん?」

 再び名前を呼ぶが返事が返ってこない。後ろを向いたまま、ディオは何故だか身振り手振りが大きいし、何かびくっとしたりと意味不明な行動を取っている。

 何だろうか、と訝しみながら傍へより、軽く腕に手を触れて、

「バンガー殿」

 と、声を掛けると。

「ん? お、おお、何だ?」

 と、何故か少し冷や汗を垂らしながらディオは返答を返してきた。

「いや、扉を開けるのに手間取りそうですので力添えを頼めないかと思いましてね……。それはそうとどうされましたか、これは?」

「ああ、いや、ワリーな。ちょい嫌な予感してメール確認してたとこでよ」

 そう言いながらごそごそと何かをズボンのポケットに戻す様子のディオ。

「メール?」

「おお。電波の関係でここにゃ電話は届かないだろうが、入る前にメールを叩きつける程度は坊主してんじゃねーかなと思って調べてみたらよ……」

 そこまで呟いてディオは冷や汗を流しながら、

「いやあ……お説教とは参ったねえ、ガッハッハ!! つー結末でな、これが! 笑うだろ!」

 途端に大爆笑しながら疆の肩を数度叩く。

「は、はぁ……」

 と、曖昧な相槌を打つしかない。

 初めから思ってはいたが、このディオと言う男はかなり前向きと言うかポジティブな男性の様子だと疆は思った。悪びれる気配も全くない。先ほどの冷や汗もどこへいったのか、笑い話にして済ませている。

「さて、その時が来たらはけねぇとな」

「そして逃げる気満々ですか……」

「だって、めんどくせぇだろ☆」

 そんな不毛な遣り取りを繰り広げる中で――一人手腕を振るっていた――文字通り手腕を発揮していた少年、不知火九十九は高らかに声を上げた。

「うおっしゃ、開いたぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 第十関門の扉が――今、まさに開け放たれた。

 第十番目の試練が始まる……。

「……」

 唸るような声が聞こえた。

「ん?」

 かなり大きな影がゆったりとした動作で姿を現す。

 一つの首が見えた。犬だった。

 二つの首が見えた。やはり犬だった。

 三つの首が見えた。眠っている犬だった。

 ぞわっ!! と。

 疆と九十九は身の毛がよだつ思いをする。批自棄が『うひゃー』と呆れ気味の声を上げて、ディオが『こいつぁ……』と品定めする言葉を述べて、サッチがただただ体を硬直させる中でその怪物(・・)は咆哮を放った。

「ガルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 三つ首で有名過ぎる程の怪物が。

 十番目の試練が。

 声を上げた!

「難易度、上がり過ぎだろ」

 批自棄の嘆息気味の場違いな声が疆達の耳には酷く遠のいて聞こえる様であった。










第六章 走り続ける冒険譚

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