第四章 奇抜次いで絡む、嬉々として奇天烈に
第四章 奇抜次いで絡む、嬉々として奇天烈に
1
少年は立つ。
整然と並んだ純白に輝く工芸品の数々。遍く農家の方々が精魂込めて育て上げたであろう有機栽培の果菜の数々。緑や赤と言った色取り取りのレタス、トマト、キュウリと言った品々が自ら輝く様に新鮮さを自己主張している。そしてそんな彼らを自らの身体そのものを用いて最高級の品へと昇格させる銀色の光を煌めかせる調理包丁。
そんな彼らを前に少年は瞼を下ろし、精神を統一しながら佇む。
手が動いた。ゆらりとゆっくりと動かされた右手がそっと包丁の柄を掴み、なかごへ親指を添えてマチに人差し指を平行に添える。
部屋の明かりに反射して煌めく刀身、自らの顔すら鏡の様に映す刀身、その独特の輝きを放つ刃物と言う代物を手に少年は大きく息を吐き出し、そして吸う。
「料理開始です!」
「手を洗えバカモノ」
パコーンと景気のいい音を響かせて弦巻日向の後頭部に痛みが走った。
痛い、と軽く呻いて振り返るとそこに立つのは手でぽんぽんとフライパンを玩ぶ親不孝通り批自棄の呆れた様な様子が待っている。はぁ、と溜息をついて日向の後頭部を殴打したフライパンを傍の流し台の蛇口を捻ってじゃーっと流れる水に晒し始める。
「唐突に痛いですよ、ひじきさん」
「手洗いも無しに料理始めようとする奴を止めてやったんだから感謝しておきなYA」
食器用洗剤を泡立たせながら歯をギラッと煌めかせる。
「むぅ……。ありがとうございます、でも痛いですよ」
「お説教代わりとして受け取っておきな」
付着した大量の泡を水で洗い流し終わるとパッパッと軽く水切りした後に布巾で水を拭き取る。
頭部を殴って付着したであろう汚れが気になるなら初めからフライパンで殴らなくてもよくはないだろうかと言う日向の不満げな思考を読み取った様に、
「フライパンがある以上、使ってやるのが嗜みよ」
と、意味不明な理論を述べてくる。
フライパンにそんな潜在的な意義でも存在しているのだろうかと悩むが、肝心のフライパンをくるくると手の中で玩びながら、トン、と音を立ててコンロの上に設置した。
「さて、と」
批自棄は相変わらずのギラギラとした悍ましい笑みを顔に張り付けながら弦巻の方へ視線を向ける。と、同時にテーブルの上に置かれた卵を二個指先でぴっと跳ね上げると、空中でそれを両方共に手で掴む。
「んじゃあ料理開始っていこーやユミクロ君や」
「はい!」
元気よく挨拶し、いざ包丁を持って魚へと刃を向ける。そんな日向に向けて再び聖なる黒き調理器具フライパンがパコーンと音を立てて日向の側頭部を打ち付けた。ぐおお、と呻き声を上げながらしゃがみ込む。その際に落ちかけた包丁の落下先に手を差し伸べて包丁は磁石に跳ね返された様に壇上へ元通りとなった。
「痛いですよ、ひじきさん!?」
「ハッ。言ってな、従僕。と言うか、まず手を洗え、手を」
再度そう告げられて涙交じりにジャーっという勢いのよい流水に日向は手を晒した。そんな日向の隣ではフライパンをポンポンと肩の上で数度跳ねさせながら、
「っていうかYA。今回の料理の題材をわかってるんだろうな?」
「そりゃ理解してますよ、当然」
えっへんと胸を張りながら日向は元気よく告げた。
「目玉焼きですよね!」
「そうだな。食の定番、朝の御伴、目玉焼きことサニーサイドアップエッグだ」
それで、と呟きながらテーブルの上に置かれている金目鯛の尾を持ちながら、
「何で、目玉焼きで魚の出番になるかね?」
「……目玉焼きって金目鯛焼くんじゃないんですか?」
素でそう返されて批自棄はテーブルの上を数度拳で叩きながら、
「ダメだコイツ、一般常識が所々欠損してやがる……!」
小さな声で呟いた。物凄く頭を抱えたそうな程に呻き声を発しながら。
「第一、どうして目玉焼きイコール、金目鯛焼きになんだよ!?」
「金目って言いますし!」
「うん、不可思議なイメージ映像がごっちゃになってんだな。浅い記憶を頼りにそれっぽいものを作るかの様に。そして想像以上に間違ってるからな!?」
「タイの目玉って健康に良いって訊いたんですけど」
「ああ、それは事実だぜー。食べる奴も普通にいるからな、金目鯛。だけどな。確かに目玉焼きと言う漢字表記を実に体現してる話だぜって大言出来るけどな。だが、目玉焼きの目玉は魚の目玉じゃねぇんだよユミクロ君よ……!」
頭が痛そうに抱える。一般的な知識が妙なところで欠如しているであろう従僕に対してこりゃあ教育係として腕が鳴るぜ、と皮肉じみた事を考えている事だろう。
「じゃあ、目玉焼きって何なんでしょうか……!? 目玉を焼かずに目玉焼きなんてどうやれば……! まさかドーナツのこと……!?」
「今回はよくよくドーナツが絡むトルコ旅行だよ、まったく」
一尾の金目鯛をぷらーんぷらーんと指でぶら提げていたものを包み直して冷凍庫へぶち込むと片方の手に持った卵二個を日向の眼に見える様に捧げた。
「目玉焼きってのは一般的に、使うのはコレ。卵だ」
「……高すぎませんか?」
「卵見て、その反応されちまうと中々に私としても、もの悲しくなるんだけどな」
白い殻を部屋の射光でつるつるとした外観を一段と増している伸びた球体上の食材を見つめながら恐れ多い表情を浮かべている少年に対して、さてどうしたものか、と項垂れそうな気持ちをどうにか押し留めながら批自棄は額の汗を軽く拭う。
「一応確認するが、コレがわかるな? 卵だ。タ・マ・ゴ。おわかり?」
「何かバカにされてる気は凄いするけど否定要素に乏しい自分が実に情けないです。でも平気ですからね? 知ってますよ、卵様くらい」
「様付けされた事にツッコミ入れたいけどな」
「でも高級品過ぎて使った事がないです」
「そっか。とりあえずツッコミしたら長くなりそうだから止めとくけどな。ともかく、だ。目玉焼きには卵使用。これは常識だ。決して、絶対、何があっても、世界が壊れても忘れるな」
「そこまでですか!?」
っていうか何かひじきさんの僕に対する扱いが、何か優しい眼差しに……! と、とても見られたくなさそうな表情を浮かべて少年は頭を抱える。
実際、卵の処方で悩む少年が人様に仕える職業、従僕をこれからやっていく事を考えると親不孝通りの不安は幾分か増加していた。生い立ちが不幸で不運で不憫な事を考えると、目玉焼き以外にも所々一般常識は欠損しているとみていいだろう。
そう考えると……。
脳裏には長髪オールバックの高齢執事の後ろ姿が思い浮かぶ。彼女にとって地位的には上の執事の存在を思い出す。
バトラー執事長と一悶着ありそうだよな……。批自棄は一抹の不安ならぬ、一つの壁を想定する。
やれやれ、と頭を掻きながら批自棄は「まぁいいや」と処断を下す。
迎洋園家の執事長が日向に厳しく当たるだろう事は憶測ながら確定済みにしても、それはそれで彼の試練の一つになる事だろう。とすれば考えるのは日向の仕事。そう結論付けて批自棄は意識を元へ戻した。
「それじゃあ、まぁ、目玉焼きの作り方を軽く教えるから良く訊いておけ」
「わかりました」
「殻を割って焼く。以上だ」
「すっごい簡潔明瞭!?」
「んな驚かれても、目玉焼きの作り方なんて、大方そんなもんだっつーの」
見てな、と小さく呟きながらコンロにセットしたフライパンに火を通す。少ししてからさっと油を鉄板の上に垂らした後に、油が馴染むまでの待ち時間を費やして銀のボウルの中に白い殻を指先を振り切っての手刀で切り裂き中身をボウルの中につるりと落とし込んだ。
銀のボウルの中にキラキラと輝く黄金色の球体、そしてそれを包み込む透明な白身。片手でボウルを持って熱されたフライパンの上へ器用に落とし入れる。
「ってな、具合な」
「すいません、一部とても出来ないものがあったんですけど!?」
涙目の子犬の様に震える殻の斬新な割り方を見た日向はどうしたらいいの、と言わんばかりの様子で卵を見つめていた。批自棄は「やーべー。何か普段通りにやっちまったなー」と適当な眼差しでぽーんぽーんと卵を手で跳ねさせて玩んでいた。
「とりあえず手刀は使わず普通に割ればオッケーだかんな?」
「とりあえず包丁で……!」
訊いていない様子で卵の表面の外殻に対して包丁の刀身を添えていた。
「止せユミクロ君。包丁で殻をぶった切るとか高尚技術過ぎるぜ?」
「つるつるして切れません……!」
「うん、手を切りそうだから止めよーなー」
日向の手からひょいっと包丁を奪い取りシュッと上へ打ち上げて天井に根元深くまで突き刺して放置する。自分が包丁を使うのが危なっかしかったとしても何故天井に突き刺して処理するんだろうか。相変わらずひじきさんの考えはまるで掴めないなぁ、と一人ごちる。
しかし天井に突き刺さるぶん、包丁一本まで名刀じみた切れ味の様だ。
凄いなぁ、とぽわっとした思考で天井に突き刺される包丁をしみじみと、冷や汗交じりに見つめる日向を傍目に批自棄は右手で顔半分隠しながら嘆息を零す。
「ユミクロ……、お前本当に妙なところが知識足りねーよな」
「料理は包丁ですよ?」
「うん、その通りなんだけどな。その通りなんだが、包丁使わずに作れる料理も世の中には五万とあるからな」
「でも良く考えたら僕、石包丁ばっかで本物使った事なかったです」
「だから何でお前、石器時代の様な調理法!?」
「だって……」
日向は実にシニカルな笑みを浮かべて、
「お金無いですもん……」
何この子泣ける、と目じりを抑えた。
どうして苦労人もビックリの生活を行っているのだろうか。せめてナイフとかそう言うものを所持しておけよと言いたい。サバイバルナイフとか便利じゃねーか、とか。にも関わらず、どうして石器を使っているのだろうか。
しかし批自棄にしても石器じみた石包丁を使っているというのはどうしてか、しっくり来てしまうのもまた納得でもある。何故ならば、そもそもな話、この料理の練習に入っている現在。ここに至る過程が日向の実に浮世離れした料理技術を示してくれていた。
「なんせ……」
作れる料理が山菜鍋、猪鍋、とかだしな……、と声を零した。
料理なら少しは出来ると言われて試しに作らせてみたところ出来たのはシチューに鍋や豚の丸焼きに焼き鳥と言う品々であった。金が無いから調理は石包丁、料理も野生から調達するというおそらくは父親の影響にて若干、違法気味にやっていた可能性も高い。そこは境遇を考慮して咎めはしない。正直、批自棄としてはそこどーでもいいと言うだけの話なのだが。
昨今の問題はむしろ調理技術だ。
仮にも、だ。
迎洋園家の従僕ともあろうものが料理技術が未成熟と言うのは、妥協出来ない。主人の朝食、夕食を準備も出来ないのであれば流石に問題だ。料理できる奴がすればいい、と言ってしまえばそれっきりなのだが、基礎技能として必要である。
そこどうにかしねぇとなぁ……、と呟きながら始まったのが現在の調理練習だ。
出来る限りメジャーな料理を現在、監修の元、調理中。
だが……、
「ハンバーグを作らせたら、どう言う原理か肉が爆発するし」
「言われた通りの手順で作ったんですが……」
フライパンの上で焼いていた肉塊が肉飛沫になったのは鮮明な記憶として残っている。
「カレーを調理させてみりゃあ、具材が全部溶解するわのスープ状態だし」
「味は良かったですけどね、まだ……」
ぐつぐつと順調に煮込んでいたはずが途中で断末魔と共にカレースープに溶けて消えた。
「マッシュポテトのサラダを料理すれば、ポテトがまさかのポテトチップス化」
「ちゃんと磨り潰したんですよ、本当です、信じてください」
それは信じている。見ていたのだから。潰されてゆく芋の姿。それが目をふっと放したすきにカラカラに上がったお菓子になってたとか、どんな現象が起きたのか予測もつかない。
「挙句」
批自棄はつい一時間程前に結果として訪れ、そして切り裂くしか無かった食材の無残な姿を一瞥して最早何度目になるかわからない呆れた目をした。
「茹でて簡単。からめて明快。パスタを作らせたら」
手にだらんと下垂れたオレンジ色の寸断された面を何本か手に乗せながら、
「面に体を絡み捕られて身動き取れずとか、どんな神業だっつの」
「麺類は嫌だーって先に言ったじゃないですか……」
しょぼんとした表情で訴えかける。
「いや、普通あんな事になると思わねーだろ、アレ」
クックック、と呆れと共に嘲りの笑みを零す。
批自棄が、そんな諦めに似た呆れに類似した表情を浮かべるにも仕方ない光景が目の前に現れたのだから仕方がない。どこの世界にパスタに体の自由を奪われて敗北する人間がいるというのだろうか。
「だから僕は麺類なんて嫌いなんです……」
「麺類嫌いな人間はいるけど、麺類に嫌われてるような人間初めて見たわ、私も」
むー……、と不貞腐れる少年を余所に、手に持つパスタの麺が本当にどうなって日向に巻きつくのか原理を解明したいくらいだ。
とはいえ一生解明できる謎でもない気がするが。
批自棄がそんな事を考え込む間に日向はいじいじと調理台の上に指でくーるくーるとのの字を書きながら、昔から麺類はいつもいつも僕を襲ってさー、とか食べられた試しもないよあんな飛び散るもの、とかカレーうどんが一番悲劇でしたよねー、とかいじけている。
そんな姿を黙視しながらふっと息を吐き、腰に手を当てながら、
「まー、とりあえずユミクロ君。YAはしばらく下働きしつつの料理研究な」
「……はい」
しょぼんとした様子で頷く。
「まー、安心しろ。監修は私が勤めてやっからよ。それと麺類は勉強しなくていい。お前は麺類に関わると死にそうだ」
「窒息死とか怖いですから、助かります」
さて、この会話は料理の会話だったはずだよな、とか親不孝通り批自棄は少し料理の神秘性に汗を垂らす。
麺類に関わったら人類は死の危険に苛まされるとは中々痛快な教訓となってしまった。ともかく今後、弦巻日向に麺類の調理を任せる事は止めておこう、そういう結論に批自棄はおかしいだろうという気持ちを抑えながら決定付けた。
そして爆発ハンバーグ、煮込みカレー、マッシュポテトチップスと言う様々な失敗と教訓を経て辿り着いた本日最後の料理の練習。題材はオムライス。
「って事で当初の予定通りに、今からオムライスを作る。手順は了承してるな?」
「はい、もちろんですよ」
元気よく頷いた。
確かに飲み込みのレベルは中々良かったのだ。一を聞いて十を知るとまでは言わないレベルだが、それでも基礎知識は与えてやれば水を飲む様にどんどん飲み込んでゆく。
ただ、残念な事に現実の結果に辿り着くには幾分かの時間が要りそうな奴ではある、というのが批自棄の見解だった。
「下ごしらえの玉葱はみじん切りを済ませて、鶏肉にも味付けは完了して塩、コショウで炒めながら味を整えて、飯と完熟トマトを加熱してこした上に低温で煮詰めたトマトピューレを砂糖にシナモン、食塩、オールスパイス、酢にクローブとを一緒に混ぜ合わせた血の様に赤くどろどろとした薄気味悪い調味料を親の仇を相手にする様にこれでもかとふんだんにぶっかけて真っ赤に染まった淡い赤色のライスは完成した。ここまでが現段階だな」
「ええ。ええ、そうなんですけども。ケチャップに何か恨みでもあるんでしょうか、親不孝通りさん?」
べっつにー、とどうでもよさげな返答が返された。
「で、今からが、いよいよオムライス作りとしての一番の問題点。即ち、卵だ」
「卵ですかー……」
天井に未だに刺さる包丁を一瞥し、批自棄をじっと見据えて小さく問うた。
「切るの難しいですけど、頑張ります」
「だから包丁を使うなっつの」
今日はもう使わせる機会も無い事と日向の異様な現象を巻き起こす才能を危惧して天井にぶっ差して放置しているのだから使わせる気は全くと言っていい程にさらさら無いのだ。
これ以上、卵は包丁で切るものですよ、という妙な知識のままにしておくわけにもいくまいと考えて批自棄は随分としばらくぶりに感じながら卵殻を手に取り、片手でコンと響きのいい音を調理台の上に鳴らした。ピシピシと入った亀裂からちょうど半分の位置からかぱっと心地よく割れた。その中から透明な白身に包まれた丸い黄身が銀のボウルにもう一つ加わった。
「やってみな」
と、日向の方を一瞥した後に呟いた。
なるほど普通に割ればいいのか、と思いながら日向は同じように卵を手に取った。そしてテーブルの上でコンコンと二度軽い動作で叩きつけた。ピギィ、と音を立てて卵殻にヒビが刻み込まれた。
「『不』、ねぇ……」
「……」
口に出さないでください、とばかりに涙目で批自棄を睨みつける。
事実をそのまま口に出さないでくださいと祈りかけた。そんな気持ちになるのも十分に理解できる現実の非情さだな、と批自棄は思う。なんせ割った卵のヒビの形が丁度よく『不』の文字の形に見える割れ方なのだから。
何だこの奇跡的な軌跡は、と思いたくもなるだろう。
「で、ですがまぁ、所詮は偶然ですからね。このまま割ってしまえば、文字の意味なんて無くなるも等しいですよ。不吉な事も亀裂入りになるはずです」
「だといいけどなー」
まったく無くなるとは思っていない目つきだ。心外で否定要素が本当に無い為に「ははは……」ともの悲しい苦笑しか零せない日向は内心涙目でいじいじしてる真っ最中である。
だが大丈夫と信じている。割りさえすれば『不』の文字なんてかち割って勝ち誇れる未来が待っているはずだ。ピシッと言う音を響かせて卵を割り銀のボウルの中へ滑り込ませる。
ピューン、と言う音と共に卵の中身が一羽の鳥が黄身を掻っ攫っていった。
そしてゴクン、と言う喉の奥へ滑らせる音を鳴らして扉の向こうへ去ってゆく。
待ってくれ黄身、僕を一人にして置いていかないでくれ、ここにいてくれよ黄身、と言う日向の懇願も 空しく黄身は攫われる様にいなくなってしまった。
「……」
銀のボウルの未だ空っぽの中身を見据えながら、
「何でですかぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
と、絶叫する。
「あー、ありゃあ此処で飼育されてるコウノトリのフルフルだな」
「何でこの場面で現れるんでしょうか!?」
「そんな事言われてもなー」
普段、いい子って奴だし摘まみ食いもそーしねーはずなんだが……、と頭をぽりぽり書きながら呟いた。
つまり普段いい子のはずの飼育動物がたまたま飛来して、たまたまピンポイントでつまみ食いした上に『不』の文字が浮かび上がった卵の中身をコウノトリが通って行った、と言う事なのかと思考して両手をテーブルの上に乗せる。
「オムライス、失敗だぁ……!」
「それもかなり異様な理由で失敗したかんなあ」
これですでに敗戦率は百パーセントみたいな話になってきた。
料理全て、作っても不思議な末路を辿って失敗に至る。とすると本当にもう鍋料理に特化させてやった方がいいのかもしれない、と批自棄は頭を抱えた。
「それも完成間近で大概敗れるから性質がワリィ……」
「完成品見たかったなぁ……」
あはは、と涙を零しながら両腕をだらんと垂れ下げる。
そうだな、せめて味如何関わらず完成品まで辿り着きたかったよな、と批自棄は肯定を示す形でうんうんと頷く。ハンバーグといいオムライスといい、もう少しで完成と言うところで終わりを迎えてしまうのだ。
失ったのは卵だし予備の分を使って再料理……、と言うのも考えるのだが生憎と今日買い出しした分は今後の迎洋園家の食卓に必要なものだし、今日はもうかなりの料理練習を行ったという事もありここまでかな、と小さく呟いた。何時間もやってたからなー、と肩を自分でぐっぐっと揉んだ後に弦巻に向けて「悔しいだろうが今日はここまでな。お疲れさん」と告げると、
「……」
見事なしょんぼり顔である。しょぼーんと言う音が背後に見えそうな程に弦巻日向は落ち込んでいた。まぁ、しょうがねぇんだがな、と小さく内心で呟いて、
「一々気にしてんなユミクロ君や。料理は今後やってけば成長するって。……多分」
「多分になりますよね……」
実際、自信がないのでそうとしか告げられない。
これだけ不可思議な現象起こして料理炸裂な現在を見せられてしまうとなると一概に頷けない。なにせ麺類に至っては完全敗北に喫した程なのだから頷くのも無責任と言う話だった。
「これからしばらくは全面的に面倒みねーといけねーな、おい」
「お手数掛けます……」
手を軽くひらひらと振って、
「いーよ、いーよ。気にすんなって。っつーか面倒見る必要のねー後輩持つよりかはずっとマシだしな。遣り甲斐あっていいってもんだぜYA」
「優しさが五臓六腑に沁み渡ります……!」
「私は粥か何かかよ」
ハハッと苦笑を零した後に「んじゃ後片付けかいしーっ」と軽く右腕を掲げて「片づけは成功させてみろよ、ユミクロ君よ」ニカッと笑いながら切った具材、必要の無くなった食器類を手馴れた動作で片づけ始める。
「一応、作っちゃった料理はどうしましょうか……」
「任せておけユミクロ君。そこらへん、は。迎洋園家二番の料理人兼メイドが一人、今回のトルコ行にくっつけてきたかんな。安心しとけ」
「くっつけてきた……?」
何か言い回しに嫌な予感めいたものが感じられる。何だろうかくっつけてきたって。とりあえずツッコミしておくのはよしておこう、と考えて弦巻は黙々とした様子で一生懸命に片づけをこなしてゆく。
でもパスタが料理に出てきたら危ないなあ……と、彼独自の苦手料理の事を考えながら必要の無い食器類を軽く洗って食器棚へ戻す。
そんな淡々とした所作で後片付けを続ける弦巻日向の背中を一瞥した後、唐突に批自棄は一つの問いかけを寄越した。
「大地離の当主と一緒に行くんだって?」
食器を洗剤で洗いながら事もなげな表情で、
「従僕間もなくえらいものに挑むもんだなユミクロ君も」
「えらいものなんですか……?」
当たり前だ、とばかりに頷く。
「危なっかしく危険しかねーと思うぜ」
「大地離さんも同じ事言ってました」
どんだけ危ない場所なのだろうか?
「大地離の当主は何か言ってたか?」
「ええっと……」
顎に手を添えて記憶を掘り起こす。その最中「って言うかひじきさん、一緒にいたんですから訊いてませんでした?」と逆に問いかけると「コーヒーすすって寛いでたから訊いてねーなー」と一人優雅な返答が返ってきた。
あの波乱の店内でいつの間に寛いでいるのだろうかこの人は、と若干呆れもしたが。図太い精神ですよねー、と感嘆の息も零れた。そうして仕方ない、と考えながら日向は記憶を呼び覚ます。
つい数時間前のカフェテリア『モビーディックバックス』でのやり取りを思い出す。
そこまで時間が経っているわけでもないので思い出す分には支障も無くあっさりと鮮明にカフェで話しかけられた内容を思い出せる。
「男の子が成長するには冒険しかありませんよ、これは。って、言ってました!」
「中々否定し辛い発言してやがったよ、あの野郎」
何か否定し辛い要素らしい。男の子が成長するには冒険は不可欠と言うのは批自棄も納得の理屈か何かなのだろうか。いや、確かに大きな事を乗り越えて少年少女は成長すると言うが批自棄はむしろ否定的な発言とか飛び出すんじゃないだろうかと身構えていた日向にとっては意外に思えた。
「まー、冒険うんぬんはいーんだよ。それより問題は死ぬか死なないかって事だな」
これはまた怖い話が出てきた。大地離疆も言ってはいたが危うく危険しかない場所となるとやはり怖いのだろうか。死の危険が潜んでいるのだろうか。
「生死の問題やっぱり絡むんですか?」
「うんにゃ、存外、お前が行こうとしている場所は絡まない」
「そうなんですか!?」
「ただなあ……」
ポリポリと頭を掻きながら何とも言えない表情を浮かべる。
「例の場所で失敗して戻ってきた奴らは全員洩れなく女装の状態の上に撮影されたと思われる写真がネットにアップされっからさ」
「社会的抹殺ですか!?」
「不安だなぁ」
「本当に今ので無駄に不安になったんですけど!?」
って言うか僕つい数日前にも女装させられた経験あるのに……、と頭を抱えて「ああああ」と呻き声を零しながら床に膝をつく。
「それ以外にもな。『あんな化け物に勝てるわけがねえ!』『二度と行きたくねぇよ!』『信じてくれ、本当なんだ! 信じてくれぇえええええええ!』と言う脱落者多数」
「最後の人何を見たの!?」
「何を見たんだろうなー」
さして気に留めた様子も無く批自棄は両手を頭の後ろで組んでニヤニヤとした愉快そうな笑みを浮かべている。その笑みからそこまで重度ではないならいいのだが、と言う希望を持つが是非は否かわからない。大地離からは『従僕として。と言うより男として一つ冒険に挑んでみるのも手ですよ、これは』と言った後に小さく無理強いはしませんがね、と言っていた。
面子として大地離疆、不知火九十九の両名は当然行く事も訊いており、他にも一〇人近いメンバーで行くと訊いている。それを考えるならば助けあいによる安全性は少しは頼れるかなあ、と希望を抱いている。それに日向としては、
「……個人的に少し興味あります。少しばかり……、どんなところなのか」
冒険と訊いてわくわくするのは男の子な為か。
けれども殺伐とした日常を先日まで送っていた日向としては冒険と言うものに何となしに憧れを抱いた。行ってみたい、と。そんな日向の思考を読み取ったのだろうか、批自棄はしゃーねーな、とばかりに、
「少しでも行きたい気持ちがある時は行っておきな。後から後悔しても切ねーだけだからな」
ただしある程度は情報入手しとけよ、と日向の肩をぽんと軽く叩いた。
はい、と頷いた後、彼女の「ん。それでよし」と優しい顔で頷いた光景を見る。
「でも、どんな場所なんでしょうか。大地離さんが連れてってくれるダンジョンって」
「何だ詳しくは訊いてねーのか?」
「ある程度は尋ねたんですけどね。でもやっぱりどんななのかなーって」
そーさな、と批自棄はメイド服のポケットに手を突っ込みながら、
「某有名映画みてーな危ねー橋渡る具合かな」
「……え、あそこ行くの……?」
ひきつった笑みを零しながら苺の乗った店特製のケーキを零さず口に運びかけた途中の様子でラナー=ユルギュップは信じられないと言った様に呟いた。
そんな言葉に応えるのは現在、厨房で料理と言う名の戦争を行っていた日向の主、迎洋園テティスであり、その隣には土御門睡蓮の姿も見てとれた。
「ええ、どうやらそう言う話に」
銀色の光沢放つフォークですっとブルーベリーやラズベリーがふんだんに乗っているベリー系のタルトを一口サイズに切り、軽やかなサクッという音を鳴らして刺しながらテティスは口を開く。
「先ほど大地離さんが訪れた際に、どうもそう言う話を残して行かれた様ですわね」
「あの時、そんな事になってたんだ」
苦笑交じりに呟く。
「でもなあ……危険じゃないかな、あそこは?」
「私もその様に思ったのですけどね」
あむっと一口大に切ったケーキの味わいを口いっぱいに広がらせる様に転がしながら、
「まぁ、これも経験かしら、と」
経験ね、とラナーは腕組みをして呟いた。
現地人であるラナー=ユルギュップは大地離疆の言っている場所の検討がつく。だからこそ不安に思い心配に考えるのだった。あそこへ向かって凄惨な末路を辿った探検家、冒険家は数知れない事を知っている。そのたびにネットで悲惨な末路がアップされるのだから。
あそこも正直、中で何があるやら見当もつかないからなぁ……、と思い悩む。
その度に周辺の精神科医はてんやわんやするそうだし、と呟く。
「とりあえず無事で帰って来る事を祈るしかないかな」
「ですわね」
「迎洋園さんは随分落ち着いてるんだね」
先ほど、恩人うんぬん言っていた相手が危険地帯に行くのに関わらず随分と冷静な態度をしている。ラナーとしては精神科医にお世話になったり、酷い時は重症で帰ってきたりする人もいるから心配な場所なのだが。
対してテティスはゆっくりとした声音で語りだした。
「まぁ、心配と言えば心配ですわよ。なにせ攻略した者は一人もいない場所ですし。精神障害、骨折などの重症に見舞われた方も大勢いると訊いておりますから。ですが死人は現段階一人もおられないと言う所は少し安心しております。だからでしょうか、ならば日向の養育には打って付けではないかしら、と感じる部分がありますもの」
それに、と呟いて、
「同行するのは大地離さん含めて不知火さんが同行するわけですし、死にはしないでしょうか、と考える次第ですわ」
「攻略出来なかったら多分、女装写真流出だろうけどね」
「大丈夫。日向なら似合いますから」
そう言う問題かなぁ、と若干日向を可哀そうに思う。ただ女装が似合うか否かで問われたら似合うから平気だよ、と答えてしまうだろうラナーなのだが。
「それにこちらの方も御同伴なされるそうですから」
「へ?」
こちらの方って、とばかりに小首を傾げる。
すると不意に自分に影が差した。誰だろうかと思って首をそちらへと向けるとそこにはヌーン、と佇む大柄な男が一人立っていた。褐色の肌に赤い髪の毛、黄色い瞳。全身筋骨隆々とした『モディバ』で見かけて知らぬ者はいないだろう現在のこの辺の有名人。
「バンガーさん!?」
「よっ♪」
音符がつく程、気軽な挨拶で気楽な様子の『モディバ』店員は手を軽く上げる。
「え、貴方も行くんですか!?」
「オウ。何やら面白そうな話になってやがったからな。ここはいっちょ、俺様も手ェ貸してやろうかねぇって事でよ!」
「あの、失礼ですがバンガーさんの女装は見たくないんだけど……」
「ヌハハ!! さり気無くヒデェ事言われてんな俺。だがまー、安心しなユルギュップ。俺様も俺様の女装姿に価値はあると思っちゃいねえ」
それに腕には自信あるしよ、と大きな声で叫びながら自慢の剛腕を見せつける。相変わらず惚れ惚れする程に筋肉な腕の持ち主である。しかしラナーとしては意外な人物が名乗りを挙げたという感想は拭えない。
「本当に……?」
「何度訊いても答えは同じだが」
ヌッフー、と力強い吐息を零しながら盛大に応える。
「どうも昼間にちゃっかり耳に挟んでいた様でして、弦巻君が親不孝通りと一緒に別宅へ戻った後の、テティス様と疆様の会談前に話しかけてこられました」
何故、そう言う経緯に至ったのかではそう言う流れになっていたらしい。あの後に邪魔するといけないからとささっと帰ってしまった後にそんな事になっていたのか、と納得する。
「にしてもバンガーさんがねぇ……、この事、彼は知ってるんだよね?」
「オウ。出発直前には話す気だぜ」
「……うん、そうですか」
相変わらず苦労は厨房の奥でコーヒー、ケーキ含めて一人で何役もこなす羽目になっている旅は道ずれ世は情けな青年に向いている様子だ、と内心頷く。
「でも仕事はどうするんです?」
「あー、そこは坊主頼みだな」
「やっぱり、そうなるんだ……」
ますます同情の念を禁じ得ない。同情の眼差しを厨房の方へ向けると厨房の奥から「はくしゅっ」とクシャミと思しき声が聞こえてきた。
だが大丈夫、とばかりにラナーの肩に大きな手の平を置いてバンガーはグッと拳を作りながら目をキラーンと光らせて告げる。
「財宝見つけりゃ一発よ!」
「何かギャンブラーみたいな一言でボクは一層不安になりましたよ……」
ガクッと項垂れる。そんな光景を見ながら再び口に運んだケーキを堪能し切った迎洋園テティスがフォークを軽く皿の上に戻し手を軽く合わせて口を開いた。
「ところで先ほどから気になっているのですが……、ユルギュップさん。そちらの男性と厨房の方で良く見かける青年はお知り合いかしら? トルコへは何度か来ていますが、まず見かけた事のない顔なのですが」
迎洋園家の娘としてトルコには何度となく訪れた事がある。けれども、見覚えはない。逢ったのは日向と出会い、トルコへ戻った後なのだ。だから前に訪れてから今回の間までと言う期間の間に親交が芽生えたのだと考えるが。
「ああ、その事?」
まぁ、ちょっとあってね、と微笑を零す。その後に腕組みして、
「ただ、話すとすっごい長くなりそうだからまた今度にさせてもらえるかなー?」
と、しばし考え込んだ後に告げる。
それで構いませんわ、とテティスは微笑と共に返した。
「とりあえずこちらの人はディオ=バンガー。見た目で想像つくだろうし、昼間もアレだったから分かるだろうけど凄い強いんだよね。それで、厨房の奥でいつも料理を統括して一括しているのはルーク=シエル君って子だよ。大人びて見えるけど僕と同い年だったと思う」
「そうなのですか」
でも何故ここでアルバイトを、と尋ねると、ふっと笑みを浮かべて、
「旅費稼ぎと弁償代だな」
と、言う事の様だ。弁償代と言うからには何か弁償しなければならないものがあるのだろう。そこは問い詰めない方がいいと感じてテティスは「旅費、と言う事は旅を?」と問いかける。
「ま。そうだな。坊主と二人で結構各地を転々としててな。そして資金が底を付いた」
「旅には当然、先立つものが必要ですものね。それでアルバイトですか」
「そうなんだよなー。ただ弁償代にも結構金かかってな。まぁ、何を壊したかは話が長くなるんですっ飛ばすんだがよ。現在はとにかく金だ、金。次の場所へ行くまで金稼ぎしねーと」
「ボクはちょっと寂しいですけどね」
多分、近隣住民も、と小さく声を零す。
どうやら付近の住民からは随分と好感に見られている好漢な様だ。借金返済で別れが来る日を名残惜しんでいるのだろう。
「そりゃありがとな、ユルギュップ。つってもまー、このままだと一年は留まりそうな事になるっつーんで現在は結構焦ってるけどよ、ガッハッハ! って事で厨房の奥で坊主は日夜、新メニューの考案中って事よ」
「何か毎日忙しそうですわねシエルさんと言う人は」
「なぁに坊主なら平気だろ。っていうか俺としちゃあ……」
顎に手を添えて何かを考え込む様に「ふぅむ」と唸りながら、
「……ここ最近、お前ら入り浸り過ぎじゃね?」
「うっ」
グサリと胸に何かが刺さった様に呻く三名。
そんな三名の一人がコホンと咳を鳴らして、
「た、確かに入り浸ってはいますわ。ですがご安心を。職務は全て全うして此方へ赴いて趣きにしておりますから」
「ボクもちゃんと仕事は済ませてるからね……!」
「テティス様に同じく」
口々に弁明を述べながらぱくぱくとケーキを食べ進める三名。そして一同は同時に思いを吐き出す様に口にした。
「そもそもここのケーキが美味し過ぎるのがいけないです(よ)(ですわ)!!」
単純にケーキが美味しくて足繁く通っているだけと言う実に可愛らしい理由であった。
得心行った様に頷いて、
「まぁ、納得だな。坊主の料理は高評価だからな」
「確かにこれは美味しいんですわ……!」
「明らかにプロ並みですしね」
感心した様子で睡蓮が頷き、ラナーも同様に「ね。この味がここから消えるとなるとここの女性客とか凄い悲しむだろうって言われてるし」と付け加えた。
「そんなアイツだからこそ、この店も一人任せて俺様は悠々自適に冒険へ行けるって話だな」
「いや、そこは理由にならないですよ、バンガーさん」
いやいや、とばかりに首を振って汗をつらっと頬に伝わせる。
「えー。でもなあ、アイツ一人に任せねーと俺、行けねーだろ?」
「それはそうだろうけどさ」
子供のわがままの様に聞こえながらも踏ん反り返ってキュピーンと告げるディオ=バンガーに対して困った表情で頭を抱えた。だが彼は己の道を行く人種と言う事は付き合った日々ですでに理解しているので何も言うまい。
そんな諦めた様子のラナーを見ながらニカッと笑みを浮かべて、
「冒険って訊きゃあ……心躍らせねーと失礼だからな、ヌッハハ!」
と、意味の分からない理屈を並べる。
「まぁ、財宝がありゃあソイツを換金して旅費にするもいーし、成功の暁にはの謝礼金で旅費台にするもいーしって具合で中々良さげなんだよな、こいつが」
「へぇ……」
そうなんだ、と視線をテティスへと向ける。
テティスは「んーっ」と軽く顎に手を添えて考えた後に、
「相変わらず大地離さんは何かを探している様ですわね」
感慨深い表情で呟く。何か、とは何だろうか。そこから先の言葉は睡蓮が憶測ながらも補足する形で言葉にする。
「大地離家は昔から良く各地を旅行しますからね。歴史関係にも深い知識を示す家ですので何か歴史的資料でも探しているのではないかと私は推測します。後は大地離さん自身も結構、冒険好きなところがありますから」
「見た目は凄いインテリ系って感じだけどね」
そう言われて意外に思いながらも確かに過去、トルコにも何度か現れた記憶のある男性は随分と足を色々な地へ運んでいたという記憶がある。
「友人である訓子府家のあの人の影響受けていた部分も大きいと私の父は言っていましたが」
そう睡蓮が呟いたところでテティスが「睡蓮」と嗜める様に名前を呼んだ。睡蓮はすぐに口を噤んでこれ以上は口にしないかの様に口を閉ざした。ディオ=バンガーが奇妙な空気を感じる中で事情を少しばかり聞きかじっているラナーは、まぁ、少し言い辛いよね……、と内心で納得せざるを得なかった。
訓子府家のしがらみ。
それは少し立ち入り辛い話だから。
ただ問題は生まれてしまったこのドヨーンとした空気。ディオは何か重そうな話なので、ムカつく程にぽへーっとした顔で涎を垂らして立ったまま寝ようとしている。一人だけ逃避とは相変わらずこの人は……、と内心羨ましくラナーは思った。
「そう言えば訓子府家と言えば」
そんな空気を壊したのはテティスの一言だった。
「結構、面白い人材が入ったと訊き及びますわね」
頭の中で記憶に刻まれる数人の顔。その顔の中で約一名、関係性としては彼が一番大きいのではないかと言う人材が目に留まったのを迎洋園は覚えていた。困った空気の切り崩しには丁度良いだろう。
土御門睡蓮も重々察した様子で「そうですね」と話題に乗っかると、エプロンドレスのどこからか巨大なカバンを取り出しヒラッと一枚の紙を舞わせた。皺一つなく綺麗だ。そんな所作にユルギュップは相変わらずどこに隠しているんだろうかと思いつつも彼女以上に異常なメイドの存在を知っている為に驚きは少ない。ディオ=バンガーもさして驚いた様子はない。
そんなある意味驚きな面々に見守られる中で睡蓮は一枚の用紙を見つめた。
そこには主である迎洋園家も管理している、ある学校への進学証明書お呼び転入等に於ける必要書類のコピーがあった。個人情報に塗れた書類の上段の隅に青色の背景と共に少年の姿はあった。少年と呼ぶには結構大人びた容姿の格好いい顔立ちをした少年の姿。茶色の少し毛先が長めの頭髪に紅色の瞳をした少年の姿が彩られている。
職業の欄に記された一文が目を引いた。
訓子府家執事。と、言う文面。
「鍵森恭介君、ですか」
2
清らかな朝の涼風が辺りをすっとなびく頃。シン、と静まり返った冷たい空気の中。遠目に見える山岳には霧状の靄がかっており、未だ薄暗い光景はどことなく切なさを、そして期待に胸を膨らませる心地を抱かせる。そんなまだ朝日も昇らぬ朝方の風景を穏やかな表情で見守りながら男性、大地離疆はガラス越し、部屋の中からコーヒーカップを片手に佇んでいた。
そんな疆の座る席の横に佇む巨漢、直垂を召す男は提であった。提樹仰。きっちり整えられたもじゃもじゃのアフロは今日も型崩れする様子は全く見せていない。
「今日は優雅に過ごせるのは朝くらいでしょうな」
薄暗い外を景色をどこか楽しそうに見つめている大地離疆に対し小さく呟きかけた。
「でしょうね、これは」
相槌打つ形で返事を返す。
「命の危険性はどうにも無い場所らしいですが、突入した冒険者、考古学者、トレジャーハンターは尽く敗北に喫した処の様ですからね、これは」
「おかげでネット上には女装写真が山ほどアップされておりますからな」
そう呟きながらテーブルの上で起動しているノートパソコンをカタカタ、と指を走らせて有名な探検家達の名前を打ち込む。画像検索に移行させてみればズラーっと陳列する写真のところどころにコスプレした女装姿が載っている。
不憫に思いながらもこうはなりたくないなぁ、と言う気持ちが生まれてしまうもの。
「ああ。提は心配しなくて構いませんよ、これは」
微笑を口元に浮かべながら言った。
その言葉の意味を察する形には信用されていると考えていいのだろうか。自分ならば、あの場所でも苦労を乗り越えてでも攻略出来るであろうという信用か。仮にそうであるならば、大地離家に仕える家柄の一角として、提家の当代として期待に応えねばならないだろう。
「御期待に応えられる様、全力を尽くしましょう」
森然とした面持ちでゆっくり上体を前へ折った。
そんな提の対応にああ、と呟いてからいえいえとばかりに右手を軽く振る。
「提の事は信頼していますが、提は共に来る必要はありませんよ、これは」
「……そうなのですか?」
きょとんとした面持ちで問い返す。来る必要はない、と言うのは旅路で何度となくあったこと故に驚きは少ないが今回は不知火崇雲もいない為に彼の代わりとして力を貸す所存でいたために少し無念だ。
「ボディーガードとして同行しております為に、若殿に怪我でもされては」
心配な色を含んだ声で告げる。
その言葉に可笑しそうな表情をクスリと一度浮かべた後に、
「怪我の一つ二つも無しで成し遂げられる冒険等ありませんよ、これは」
すっと目を細めて窓の外、目に映る山岳の数々を見据えながら頷く。
「相変わらずの冒険好きですな、若殿は」
「ははっ。なにせ友人の勧めで魅入られましたからね、これは」
友人、か。音を発さず唇の動きだけがそれを呟いた。
当主の友人の事には今更触れるべくもないと考えながら、提樹仰は大地離疆の冒険好き、否、自分たちも詳しく知らない探し物の様な事に関して関心を抱いてはいる。けれど仕える家柄としては踏み込み過ぎるわけにもいかない。その先へ踏み込めるのは不知火家くらいだろう。
それを考えれば自分を此処へ残すのは不知火の存在が関わるだろう。
「私は何も知りませんが」
探し物が見つかればいいですな、と声に出す。
大地離疆は少しの間だけ目を閉じて何かを考え込む様に少しの間、沈黙を作った。
そして「ええ」と哀愁の念が含んだ声を発する。
「あの場所で少しは私の探し物が見つかればいいのですがね、これは」
からからと明るい笑い声を発する。
見つかろうが見つかるまいが、どちらでも構わないかの様な朗らかさに「探す気あるんでしょうな、若殿」と呆れを交えた声で問い掛けると「失礼な、ありますとも、これは」とジトーっとした眼差しで返した。
「ただ親父の代から外れくじばかり引いてきましたからねぇ、これは」
それは大地離疆の前当主の姿を知っている樹仰も十分承知である。大地離家が考古学なんだか宝物でも探しているのか知らぬ分からぬだが目当てのものを探して何代にも渡って旅路を続けてきている事を知っている為に、今まで何度外れを引き当ててきたか知っている。
その為に諦めの感情も随分と抱いてしまっている事も。
果たして今回の目的地が当たりかどうかもわからない事からこんな気楽な態度なのだろう。不知火家の当主を今回は留守番を任せたのも当たりか外れかで考えての事だろう。
それともう一つ考えられるのが、
「それに。九十九が今年で一五歳ですからね。次期不知火家の当主として研鑽を詰むのに、共に連れて来る事も必要ですよ、これは」
「私は不安でなりませんがな。九十九は貫禄がまだ無いですし」
「高校一年生に今年なるばかりですからね」
「将来は父親の様になるのでしょうかなあ?」
それはそれで嫌そうに困った表情を浮かべる。
わからなくはない。九十九の父親の気性の荒さ。不知火崇雲の事を知っている者ならば父親とは性格が似ても似つかない事を提も重々承知である。
「わかりませんよ、これは。まだまだ一五歳。今後どうなるか語るには語るに早いと言うだけの話ですよ、これは」
「そうでしたな」
一五歳に貫禄を求めても仕方がない。それにバカっぽくも明るく好青年な男子として成長した事は実に素晴らしい事だろう。不知火崇雲に厳しく鍛え続けられ、加えてあの環境下でそう育った事は良き事なのだろうな、と思う。
「九十九の奴も今回の目的地で力を発揮出来ればいいのですがな」
「大丈夫ですよ九十九は中々に逞しい子ですからね、これは。目的地でもしっかり役立ってくれる事と考えておりますよ」
「筋肉だけは確実に育ちましたからな」
そう呟くと大地離疆は顔を上げて可笑しそうに笑った。
事実、不知火九十九は随分と立派な筋肉を持つに至っている。一五歳の年齢に似合わない程にガッシリとした筋肉を持っている。そう言う点では年齢に左右されず体格に恵まれる不知火の一族の特徴を色濃く受け継いでいるのだろうが。
「それはそれとしまして」
ピ、と胸元近くまで挙げた左手の人差し指を上へ向けて突き立てながら問いかける。
「不思議に思っているのですが、何故迎洋園家の新しい従僕の少年を同伴させる気に?」
雇うわけでもなく純粋に一緒に行かないか、と。別にそこまで不思議に考える事でもないのやもしれないが、出会ってまだ間もない。と言うか二日程度しか経ってない間柄に関わらず弦巻を招いたのはどういう意図なのだろうか。
「別にそんな大層な考えがあるとかではありませんよ?」
「ですが我々は弦巻少年の事をほとんど存じ上げていない。と、言いますか素性もそこそこしか知らないのですから」
危険が伴ったりはしないのか、と言う事を遠回しに尋ねていた。
実は金持ちに近づいてきた悪質な人間で危険を起こしたりはしないか、と言ったところだろうがそこは問題無いだろう。
「あの子は悪い子ではないよ、むしろ優しい良い子だろう、これは」
「それなら何よりですがな」
どこか疑り深い。子供好きな大地離疆としては少し物悲しくなる発言だ。
「平気ですよ。それに年齢も近い様ですからね。九十九と仲良くなれたりしたなら万々歳ではありませんかな、これは」
「九十九は友人に恵まれない……、と言う事も無いですが」
「元気が良すぎて周りが引いてしまう時も何度かありますからね」
苦笑交じりに答えた。
「何にしても弦巻日向君。彼は迎洋園家の従僕に曲りなりにもなった身の上なのですから。今後の事を考えても少し鍛えられる物事に関わった方がいいでしょう」
余計なお世話、と言うものですよ。と、指を立てて朗らかに告げた。
ははは……、と提樹仰は対照的に苦笑を漏らす。
「ですが、事実ですな。従僕と言う職業に就いた以上は、日常の技量を含めて……、そして主を守れるだけの力は持っておいた方がいいでしょうな。目的地で少し鍛えられれば成功というところですか」
「そうです。従僕、執事と言う職種は全てを主の為に捧げる職業ですからね。まぁ、その覚悟と言うものは後々に身に着けられるか否かなものです。昔からその事を叩きこまれた九十九であれば心配は無いですが、弦巻君は日が浅い、浅過ぎるものですからね。今後はどうなってゆくものか……」
そこは迎洋園家が絡むもので私は気に掛ける程度ですが、と呟いて、
「何にしても前提条件、自分の身を守れる強さ程度は必要ですからね、これは」
「昨日は随分とボロ負けされたのでしたかな?」
「ええ。それはもう完全敗北でしたね。『また役に立てなかった』と嘆いていましたし」
そう言う意味で今回の冒険は少し彼を成長させてくれるだろうか。
前提条件の強さ程度は身に着けておいた方がいいだろう。迎洋園家の従僕を務める以上は偉大な先輩方におんぶに抱っこでは足りないのであろうから。そう考えている間に大地離疆は顔に光が差し始めた事に気づく。
すっと右腕の腕時計を一瞥した。指針が示すのは朝六時。
時間になりますね、と呟いて疆は席から身を立たせた。開いていたパソコンを閉じて、テーブルに置いたまま鮮やかな緑のカーペットの上を歩いて部屋の外へ通じる扉へと。そんな彼の後方を提が続く。
外に吹く風は強風に変わっていた。朝の涼風はそのままに大地離家の別宅【月見流れ】に於いては波紋状に勢いよく広がる風が吹き荒れていた。その中心に存在感を放ちながら陸地に立つヘリコプターが一機存在した。濃い茶色の大型のゴツゴツとした機体。大地離家のヘリコプター『ロンターノテラ』である。
時速660kmの速度を放つ最速ヘリコプターだ。
その巨大な機体から少し離れた場所には数台の車が陳列していた。合計で四台の車体が実にあっちこっちにバラバラに停車している。樹仰はそれを見ながら何であんなに自由奔放に停車しているんだろうかと頭を抱えたくなる。そしてその四台の車に乗っていたであろう男達がそれぞれ車の傍に佇んでいた。
ざっと見たところ三チームと言ったところだろうか。その中の一チームとも呼ぶべき場所へ大地離は足を運ばせた。水色の髪に水色の瞳の少年。弦巻日向。加えて褐色の肌に黄色い瞳と紅蓮の頭髪。大柄な体躯の男は『モディバ』店員のディオ=バンガー。そして黄緑色の髪に黒色の瞳の実にやる気の無さそうな表情でふにゃっとしているメイド、親不孝通り批自棄の姿も見て取れた。
炬燵に入り浸りながら鍋をつっついている姿で。
「……」
提樹仰が痛そうに頭を押さえて呻く。
そんな気配も特に気にした様子も無く三名は炬燵の上でぐつぐつと煮える鍋の中身、肉や野菜に彩られた具材を橋で突っ突いている。口々に「オーオー、やるじゃねえか弦巻の坊主。鍋の味加減が絶妙じゃあねーか」「鍋料理には自信あるんですよ。毎日作ってましたから」「でもユミクロ、お前推測だけど鍋は最後いつも雑炊にしてるだろ」「……うどんとか怖いじゃないですか……」「坊主、オメェどんな経験をしたんだ、うどん相手に……?」と駄弁っていた。
嘆息交じりに炬燵に入る三名に声をかけた。
「お前たちは何をやっているんだ……」
「見てわかんねーのか提の当代。鍋パーティーだ」
「親不孝通り、わかっているからこそ問いかけてるんだけれどな。何でヘリポート間近な場所で炬燵に入って鍋突っ突いているのかという事をな」
電源自発装置にコンセントを繋いでの電気確保も完璧な分、溜息が零れる。
「まー訊いてくれや。話せば短いんだけどな」
「長くない事に感謝すべきかね私は」
「ウチの新人、料理がてんでダメでなー。出来るっつー鍋料理を一度見ておこうかって事で暇つぶしに作らせたら、これだけ絶品でよ。提の当代、あんたも食べる?」
「いや、確かに外は涼しいし時期的に合ってなくもないんだが絵的にシュールだから止しておこう」
なんでコンクリート造りの地面の上で炬燵に鍋を従僕、メイド、モディバ店員が揃っている現状ですでに絵的に異様にシュール以外のなにものでもない。
ここで直垂にアフロの自分が入り込んだら絵はとんでもない結果になるだろう。
「さて、親不孝通り、君が来たのは……」
「語らずとも察せ」
気に掛ける事でもないとばかりに軽く手を振って言葉をいなす。ただ一度だけ日向へ顔を向けた事から弦巻日向の教育係として同伴した形なのだろう。相変わらず悍ましく不気味な風格ながらも面倒見の良いメイドである。
「弦巻君か。今回は若殿、大地離疆をよろしく頼むよ」
くれぐれも、ね。と、呟くと同時に右手を出す。
日向は「あ、は、はい」と緊張した面持ちで提が差し出してきた手を握り返した。大きさの差異が激しい二人の手は弦巻の手がすっぽり隠れる形で握り合わさる。
「そしてもう一人、か」
呟きながら視線を残された一人へと向ける。自分よりも体格がいいのではないだろうか、と感じる程に巨漢の男だ。崇雲当主と同じ程かな、と小さく呟きながら対面する。
「バンガー殿だったか」
「オウよ」
ニカッと笑みを浮かべて勢いよく胸元を拳でバンと叩いた。バンガーは視線を提から大地離疆へと移行させて、
「大地離疆っつったか。今回は雇ってくれて、あんがとよ」
バンバンと背中を大きな手で叩きながら言った。その対応に提樹仰が不服そうな表情を見せるが肝心の大地離疆は「いえいえ、頼り甲斐ありそうな方は大助かりですよ」とニコニコ顔で対応している分には口を挟む気は無い様だ。
「雇われた分はキッチリ働くぜ」
だから金の方よろしくな、と左手の親指と人差し指で丸を作る。がめついと言うか抜け目ないと言うべきか。だが不知火崇雲の代行としてここへ赴いた提の視点から言えばバンガーは中々の戦力になると判別出来る為、大地離の告げた通りに頼り甲斐は確実にあるだろう。
弦巻日向、親不孝通り批自棄、ディオ=バンガーの三人に軽く挨拶した後に視線を残りの面々の方へ向ける。
ざっと七名。
どいつもこいつも個々として実にキャラの濃そうな顔ぶれが揃っている。雇ったのはこちら故に現地で十分に頼りになると考えた面子並びに話を訊きつけて自らやってきた面々だ。目的地でどこまで彼らが頼りになるかは正直わからないがただでは転ぶまいと提は判断する。
「提」
集った面々を見ていたところ、不意に声をかけられた。
「はッ」
即座に背筋を伸ばして返答する。
「では、私たちは気候が悪化しないうちに、そろそろ目的地へ向かうとしますよ、これは。距離もありますからね。今のうちから向かわないと」
「ですな。気候が強風にならないうちに向かいませんと」
「留守の間に少し頼みがありますので、そちらも任せましたよ、提」
そう言いながら提の手にポンと一枚の紙を手渡した。その紙に書かれた内容を見て樹仰は、
「……お使いですかー……」
「大事です、これは」
目をキュピーンと光らせて告げられた。
提樹仰は仕方なくも了解です、と若干げんなりした様子ながらも頷いた。
「では、お気をつけて」
「ええ。無茶し過ぎない程度に、ね」
九十九らもいますから、と呟いて機体『ロンターノテラ』へと近づいてゆく。
ふっと背中を向けて、集った皆に対し大声で呼びかけた。
「では、皆さん。今から目的地へ向かいます。互いに見知らぬ顔もあるでしょうが、自己紹介は機内でよろしくお願いしますよ、これは」
その言葉を耳にすると集った一〇名が体をこちらへ向けて歩いて来る。あるものは奇声を上げて、ある者は地べたを這いずりながら、ある者は手品を行いながら、ある者はお炬燵と鍋を持ちながら。
提樹仰がそんな三人に置いていけ、と告げると三人は残念そうにしょぼしょぼと遠くに放置した後にヘリコプターへと足を運ぶ。外目でわかる通りに乗り込んだ機体の中は実に広々としていた。普通のヘリコプターよりも巨大ながらもこれだけ安定性があるのは大地離家が多額の費用を注ぎ込み作成した代物だからであろう。三名は遅ればせながら先に乗り込んだ七名の後に続く形で騎乗した。
「おっほ。こいつァ快適そうだな」
ディオ=バンガーが機体の広さに感心した様子で呟いた。
そんな呟きに先に席に乗り込んでいた少年が声を発した。
「ヘッ。その余裕、何時まで持つかな?」
「あれ、不知火さん?」
「何だヤコー。早ェな」
親不孝通り批自棄まで、すでに機内に不知火九十九が乗り込んでいた事が意外な様子で声を上げた。遅刻の常習犯の様な九十九が五分前行動の様な行動を行っていた事が驚きでならないのだろう。そんな彼らの顔にしてやったりとばかりに笑みを浮かべて、
「なんたって昨日の夜からココで夜を明かしたからな!」
「寝泊り!?」
日向がツッコミを加える最中、批自棄はそりゃ早ェはずだわ、と呆れた表情で呟く。
どうやら遅刻回避の為に行のヘリコプター機内で寝泊りしていた様だ。それは当然、遅刻するはずもない。むしろ出来る方がおかしいだろう。
「ま。今日は特別だかんな」
遅刻とか出来ねェだろ、と言葉に残す。その言葉に微笑を浮かべながら大地離疆が最後に乗り込んできた。疆は乗り込んだ後にすっと視線を遠くで佇む提に手で合図を示すと提は頷いた後に後方へ離れてゆく。
「では、皆さん。シートベルトをしっかり締めてくださいね」
カチャ、と言う音を鳴らして次々にシートベルトが締められる。
約二名。バンガーと巨漢の男性のみ締める気配を見せなかった。
「締めなくて平気なんですか?」
「シートベルトとか面倒くせェからな。それに個人的に好きじゃねえ」
「典型的に事故死しそうなセリフじゃねぇか」
カッカッ、と可笑しそうに批自棄が嗤う。
「ただまー、経験者の注釈だ。バンガーさんよ。ベルト締めて於いた方がいいぜ」
「ほう?」
それでも腕組みしてがっしりと席に鎮座する巨躯の男はベルトを締める気配は見せなかった。同じく彼と似たような巨体の男性も締める気配を見せていなかった。そんな二人に注意する様にニヤリとした笑みを浮かべてたらたらと顔に汗を大量に流しながら九十九も同様に注意を発した。
「俺からも一応忠告しとくぜ」
ふっと諦観した様な笑みを浮かべて、
「……ベルト締めといた方がいいぜ、マジで。ってな」
「は?」
きょとんとした表情で問い返す。
その言葉が示すものは彼らがベルトを締める前に、事情を詳しく察する前に起きた。大地離疆の呑気な「それでは今より当機は離陸しますよー、これは」と言葉を発する。その声を合図にぱらぱらとまばらに弱い速度で回っていたヘリコプターの上層部の大きな羽、メインローターが勇ましい音を奏でて回転する。ババババ、と周囲の空気が震撼を続ける。
お、動くな、と言う誰かの気楽な声が聞こえた瞬間に。
「テイクオフ!! ヒヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
機体はロケットミサイルの様に上空へ一直線上にブースターエンジンを大噴出させて速度250ノットで上昇して行く。
機内はすでに大混乱であった。
「ごわぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
ディオ=バンガーの席に着席しながら上から来る押しつぶす様な重圧に呻いていた。
「ちょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
日向も同様に上からガンガン頭を叩き殴る様な押し来る様な重さに堪えている。
「きんにぃいいいいいいいいいいいくぅうううううううううううううううう!!」
九十九に関しては己の誇りを叫びながら耐えている様だ。
「ハッハッハー。相変わらず荒っぽい運転だぜ」
批自棄のみ全く何も感じていない様子でけらけら笑いながら足を組んで鎮座していた。
そして上空2000フィートの高さで唐突に、何かに押え付けられたかの様にその場に急停止した。それにより機内に乗るほぼ全員がぐわぁっと驚きの声を発しながら急停止に体の自由を奪われる様に投げ出される様に体をつんのめらせた。
そして一人が体勢が崩れた状態ながらもコクピット席に目掛けて叫ぶ。
「運転が荒いわぁっ!」
「ヒー。荒いんじゃない。荒ぶってるんだヨ。ミーのマイフレンドがっ!」
サムズアップのサインを振り向き様に告げる男性は当然ながらヘリコプター専用ヘルメットを頭に被っている。そんな彼の挨拶の間にも機体はジェットブースターを噴出しながらグングンと一直線に前へ向かっている。その間も機体が大仰に揺れ動く。
「運転怖ェんだけど!?」
「紹介します。大地離家の使用人の一人、パイロットのリア=キングストンです」
「いや、名前はどうでもいいんだが! それよりもこの運転テクニックをどうにか直さねえかなあ!?」
「平気ですよ。彼はハチャメチャな運転技術しか持っていませんが墜落の危険性は一切生み出さない天才でもありますからね、これは」
「何だその奇跡的なテクニック!?」
「体感したくばお任せあレ」
瞬間に機体がジェットブースターを更に加速させ上へ下へ左右へと乱雑に移動した。
「だから何だよ、このデタラメな速度は!? ヘリってこんなに爆走出来るもんなの!?」
「おお、当たりですヨ。この機体に搭載されているジェットエンジンは『出鱈目』の名前を関している日本の技術の結晶でス!」
「じゃあもうセスナ機か何かに組み込めよ! ヘリコプターに取り入れても羽が吹っ飛ぶ結果になるだけだろうがよ、おい!?」
「安心なされヨ。機体の羽はカーボンナノチューブですかラ」
「無駄に最先端に!」
とにかく安全運転心掛けてくれよ、と訴えて死にたくねぇんだからな、と懇願して青年は嘆息交じりに叫びを止めると自分の周囲で若干機体に酔った様子の面々を見ながら「だよなぁ」と同感する様子を見せた。
その中で目についた姿を見て「よっ」と軽く手を振って会釈した。日向がその姿に気付いて、と言うか初めから気づいてはいたのだが会釈を返す。
「三日ぶりくらいですね、加古川さん」
少し人相の悪い不良の様な容姿の男に見覚えはある。黒髪黒目の木刀『木賊』を席の近くに立て掛ける男はドーナツ店『ハムスタードーナツ』で戦い、討論した間柄の男である加古川であった。彼の傍の席には見覚えのある姿が二つある。灘に海味の両名だ。相変わらずぐおんぐおんと気ままに揺れる機内の危なっかしさに最早諦めた表情を皆一様に浮かべている中で加古川は日向へ向けて、
「お前が一緒とは驚いたぜ、弦巻?」
「僕も加古川さんがいた時は驚きました」
ドーナツ店で逢った程度の間柄の相手とこんな場面で出会う事になるとは驚きだ。それを言えば自分がここにいる事も同様に加古川にとって驚きなのだろうが。
「加古川あっ!」
「不知火いっ!」
そして再会して早々に腕をがしっと組み合わせてドーナツの同志を育んでいる不知火にも驚きだが。と言うか不安定な状況の中でよくもまあシートベルトを外して彼の元へ近づけているものだと弦巻は思った。
「それにしても加古川さんだけじゃなくて、海味さんと……えと」
「灘」
と、灘が覚えておけよと言った表情で口を動かす。しかし海味がふと思い出したかの様に声を漏らした。
「そういやぁ、俺達自己紹介なにもしてなくね?」
加古川と灘が「あ」と言う口を作って硬直する。
日向がうろ覚えなのも聊か無理はない。ドーナツ論争の折に互いに何の自己紹介もしていなかったのだから。こちらもあちらも同様に何の自己紹介もしてはいなかった。
「じゃあ丁度いいぜ」
足を組んで相変わらず傲岸不遜に不気味なオーラを漂わせる少女が都合がいいとばかりに口を動かした。
「初顔合わせだかんな。ここで互いに自己紹介しとくのもイイだろ。って事でまずは私。先陣切って私だ。迎洋園家のメイド、親不孝通り。迎洋園家を知らない奴にはお金持ちだよやっはーとだけ伝えておこうか」
迎洋園家のイメージ適当っ、と日向は内心でつるんとコケた。
「んじゃ次は俺様だな」
ガシッと拳を握りしめて不敵な笑みをたたえるのは紅蓮の頭髪に黄色い瞳の巨漢。
「近所の『モディバ』で絶賛、旅費集め中のディオ=バンガーだ。腕っぷしにゃあ自信があるんで安心しとけ坊主ども」
若干名腕に自信のあるだろう者たちがピキリと額に青筋を立てた。
全部任せておきなとばかりな不敵な笑みを浮かべる男に対してコイツには負けられないとばかりの心境なのだろうと予測する。と言うか空気がそれを物語っていた。
その後に赤髪に水色の瞳をしたウェットスーツを着用している青年が頭に着用しているゴーグルをすっと目元に下ろして、
「俺は海味山道。三度の飯よりドーナツが好きなだけの男だ」
「何か全く戦力にならなそうな自己紹介ですね……」
そもそも海味山道がそこまで役立つ人材かどうかも実際に見てみないとわからない、そんな関係の浅い間柄である為に現時点何にも言えはしないが。そういう点では同時に今から自己紹介する気配の彼にも言える事だろう。
「海味達と一緒に行動してる灘だ。灘佃煮。ドーナツに魅入られた登山家だ。登山経験を今回の目的地で活かしたいと考えている!」
「登山スキルは確かに使えそうですね」
目的地がどこか日向は全く知らないが登山家は生き残る術にも精通しているだろうし今回の様な不安な旅には役立つ頼りに出来る人材だ。そして彼の言う内容から、ある程度想定もついていたが海味山道、灘佃煮、加古川の三名は三人一組で良く行動している面子なのだろうと言う事が伺える。
「そんでお次は俺。加古川かがべ。海味と灘たぁ、ま、アレだな。腐れ縁の昔馴染みみてーなもんっすよ。今回は戦力になると思って頼りにしてくれて構わねーぜ。なんつったって俺には木刀『木賊』と師匠直伝の剣術『朴念自念流』の体得者だかんな」
「訊いた事ねーがな、そんな流派」
批自棄がスッパリ言い切ると加古川かがべは「ほほぉ……」ゆらりと立ち上がりながら「俺の最強の流派を知らないたぁ随分じゃあねーかぁ……」と頬をひくつかせながら怪しい目の色で立ち、そのまま体を投げ出されて後部座席に頭を打って失神した。
「加古川ぁああああああああああああああああああああああっ!?」
先ほどから運転が雑だと言うのによくよく色々な人が揺れなんかにゃ負けないぜとばかりに挑戦するものである。失神した加古川かがべをディオ=バンガーが「ありゃ。まーそのうち起きるだろ」と彼の身体を片腕で掴みあげながら呟き、座席にぼすっと戻した。
「んじゃまー加古川、灘、海味っつー日本人組の紹介は終わったんで。よけりゃー、そちらさんも自己紹介してもらえっかい?」
ひらひらと手を振って批自棄が前座席に足を乗っける高慢な対応のまま発言を促す。
周囲はそんな態度にも気にした風はなくディオに近い巨漢ででっぷりとした大男がニンマリとした笑みを浮かべてぼんっと腹を叩いて応えた。
黄色い瞳に金髪のゴツゴツとした顔をした巨漢。年齢は三〇代前期と思えた。
「俺どんはアクバル=イスミットって者だどん。職業はトレジャーハンター。二丁殺虫剤のイスミットっていやぁわかるかい?」
「わからないですよ!?
何ですか二丁殺虫剤って、とばかりに頭に疑問符を浮かべて弦巻が叫ぶ。
「二丁殺虫剤のイスミットか……。ドイツの『魔宮の大森林』クエストを攻略し莫大な富を得たと言うあの……!」
「何で知ってるんですか加古川さん!? って言うか復活早ッ!?」
先程失神したばかりだと言うのにすでに復帰して解説までしていた。存外タフな連中の様である。と言うかドイツにそんな場所があるのだろうかと疑問を問い掛けたい。物凄く問い詰めたい。
そもそも二丁殺虫剤って何ですか、と少し隙間を置いた呟きを小さく零す。
「ふっ。有名な探検家野郎どもにこうも会えるとは僕ちゃん嬉しいぜ。『三川衆』の日本人に会えたのもそうだが、二丁殺虫剤のイスミットとはな……」
「私はお前の一人称にもツッコミしてぇけどな」
相変わらず怖いもの知らずのメイドはポツリと小さく言葉を吐き出す。相手は良く言われるよボクちゃん、と自信に満ちた笑みを浮かべて、
「僕ちゃんはアムジャド=ジレ。『散紙高官』のジレって言ったらわかって頂けると思うけど、ね」
「どなた!?」
年齢はおそらく四〇代程だろうか。フクシャ色の瞳に金髪の、体にまるで防弾スーツの様にポケットティッシュを装着している男は果たして何者なのだろうか。全く訊いた事のない名前に弦巻は当然ながら再度頭に疑問符を浮かべざるを得なかった。
「ティ、『散紙高官』……だと……!? シリアでシリア軍をティッシュオンリーで制圧した元トルコ軍所属の衛士……! 彼が戦闘を行った場所は一面、ティッシュ畑になると言われる、あのアムジャド=ジレだと……!?」
「だから何で知ってるんですか加古川さん!?」
あまりのツッコミどころの多さに日向は反射的に立ち上がりかけた程だ。何なのだろうかトルコ軍とは。軍隊ではティッシュを用いた戦術が確立しているのだろうか。だとしたら日向は軍隊のイメージを一から考え直さなくてはならないんじゃないでしょうかと内心で考えた。
肝心のアムジャド=ジレは現地で見せますよ、とばかりにハンカチを振るごとくティッシュをヒラヒラと手で振っていた。縁起でもない。永遠の別れを経験してしまいそうな光景に弦巻は不幸な身の上故に冗談じゃなくただのティッシュが別れのハンカチに見えて仕方がなかった。
「では次は私が自己紹介を致すと存じ上げましょう」
ぱらぱらと音を立てて左手から右手へと華麗にトランプを移動させる優男の姿がある。
二〇代中程と思しき容姿に紫色の瞳と淡い甘栗色のスポーツ刈り。長袖と袷仕立ての長い前開きのガウン。ゆったりとした特徴的な衣装だ。その服装を見る限り、おそらくはトルコの伝統的な民族衣装カフタンだろうと批自棄は決定づける。
近代的になった現在ではあまり見かけない服装故にそれを着用するこの男もまた特徴的に目に映る。
「私はサッチ=バルケスィルと存じ上げてください。近所で銀細工を加工して生計を立てているものですが体は鍛えている方ですので皆々様の足手まといにはならないかと存じ上げております」
そう告げながらパラパラとトランプを自在に操っている。
周囲の皆が同時に同じ事を想った。手品師とかじゃねぇのかよと内心でツッコミを入れた。
中々にトランプの扱いが上手にも関わらず何故にトランプを持っているんだろうかこの男性はと弦巻は思った。……まさかトランプを武器に使うんだろうかと考えて少しわくわくする。
その後、全員の視線は最後の男へと移った。
まるで山賊の様な風貌の山賊のごとき服装。茶色の瞳にツルテカの輝かしいばかりの頭部。一本の髪の毛も持たない高潔な精神が見て取れた。
「真打は最後に名乗るもん、さ」
低音の重々しい声が唸る様に口から出た。
「ドイツで俺の名を知らねぇ奴はいねえ。『獅子王子』ってやぁ、この俺ギュンター=オーバーザルツベルグに他ならねえ!」
勇ましく自らを告げるとどこに隠し持っていたのか草刈り鎌を右手で二本、左手で二本の合計四本を見せつける。
「……誰?」
「何で知らないんですか加古川さん!?」
誰も知らない様子でお前誰だとばかりに疑問符を頭に浮かべていた。色々名前を知っている風だった加古川かがべも認知していない相手の様だ。そして肝心のギュンターは唖然と口を開けていた後にあたふたとした様子で、
「いや、ちょ、知ってるよな、俺を?」
「いやあ、まったく知らねえ。誰だよ『師子王子』って?」
「ええ!? いや、ほら本当は知ってんだろ? ちょっとからかってみてるだけだよな!?」
「そんな事言われてもな……」
ぽりぽりと頬を掻きながら困った風に呟いた。
その為、各々の視線は今回の雇い主こと大地離疆へと一斉に向けられた。疆はふむと頷いた後に指をくるくると中で渦巻く様に回しながらえー、そうですねー、えーと、と言葉を濁す様に動かしていたが、
「巷では『蔓伝い王者』で呼ばれてますね」
「その名で呼ぶなああああああああああああああああああああああああああ!!」
苦悶の表情で頭を抱えながら悲痛な雄叫びと共に前のめりに項垂れた。
別の異名には覚えがあるのか全員がポンと手を打って、あああの男かとばかりに得心が言った様子でうんうんと頷いていた。日向はそういう海外事情に詳しくはないのでこっそりと隣の批自棄に耳元で囁いて問いかけると「気にすんな。どうせ目的地で分かると思うしよ」と素っ気ない様子で返答した。
そうして日向にとって初見の相手の名前は全て終了したので自分がまだ自己紹介を終えてない事に気付くと小さく笑みを浮かべながら朗らかに挨拶をする。自分は隣の席の批自棄と同じ職場で働いている事を告げて、
「弦巻日向と言います。腕にはダメダメですけど、今回の場所で鍛えたらどうかなって感じで大地離さんに誘われてって形ですね。武器は銃器です」
と、言いながらすっと拳銃を見せる。迎洋園家にて出発前に手渡された小型の自動拳銃。生憎と愛銃は現在修理中の為に持ってきていない。
日向が挨拶を終えると次いで九十九が挨拶を受け継ぎ、締めの形で大地離疆が一同を見渡して挨拶を行った。
「と、言うわけでして……、今回は皆様の勇気ある御同行感謝申し上げますよ、これは」
恭しく頭を下げる。
「いくつか訊きたいんだがいいか?」
手を挙げたのはギュンター=オーバーザルツベルグだ。
「今回の目的地では、もしも攻略達成してもらえたら多額の謝礼金をくれるって話だったよな?」
「その通りですね」
「つまりアンタの目的は、現地にあるんじゃないかって言う財宝が目当てって事でいいんだよな?」
ピシッと人差し指を立てて質問する。
大地離疆はにこやかな笑みを浮かべたまま、
「ええ、その通りですね、これは。私の目的は現地にあるのではないかと言う推測の財宝が目当てになります。当然無い場合もありますが、その場合でも謝礼金一〇〇〇万円はお支払するつもりですからご安心ください」
「そっか。それ訊いて安心したぜ。払われないとか参るしよ」
ほぅっと安心した様子で息を吐いたのは加古川かがべだ。
「なお、私が欲しい宝物はまあ攻略してみなければあるかどうかも分からないのですが……、欲するのはおそらくその場の一つです。ですので、それ以外に金銀財宝などがもしもあった場合は皆様でお分けくださって結構です、これは」
「おいおい、不老不死の薬でも探してんのかどん?」
ぽいんと腹太鼓を打ち鳴らしてアクバル=イスミットが茶化す様に言った。
「不老不死ですか、それもいいですねえ」
くすくすと愉快そうに笑みを零して朗らかに返事を返す。
人類の夢っつーからな、とアクバルは大きな声でニカッと笑いながら言う。加古川が『よせよせ、くだらねえ』と呟きながら手をひらひらと振って人類の夢を否定した。そんな面々を見ながら日向は少し心配そうに、小声で批自棄に語りかけた。
「これ言うの何かいやなんですけど平気でしょうか?」
「何がだ?」
足を組んだまま即座に聞き返した。
「その……」
言葉に罪悪感を含ませながら、
「こういうのって結構、途中で裏切られたりで目当てのものが奪われたりとかありそうじゃないですか?」
現実はどうか知らないが映画や漫画の世界ではよくあると耳にした事がある。
財宝一歩手前で重要人物が裏切りに逢い死亡と言うケースも良くあるパターンだ。だがその点に関して親不孝通り批自棄は頭ごなしに否定するように、鼻で笑って返す様に返答した。
「問題ねーさ。人物を選任したのは大地離疆。人を見る目は確実に養われてる人だからな」
故に、と呟き全員を見定めて彼女は言った。
「多分、集まってんのは全員バカだ」
「何でしょうかねえ、その結論!?」
全く証拠も何もない返答が返ってきた。
「そりゃあ確かにバンガーさんからも、不知火さんからも、僕からもバカオーラは出てますけど面と向かって言わないで欲しいです!」
「待て日向、誰がバカだよ、おい!?」
「ほっほー。日向の坊主、よー言ってくれやがるじゃあねーか……♪」
俺はバカなんかじゃあねえぞとばかりに怒る不知火九十九。カハァ、と口から煙の様な霧を吐き出して阿修羅のごとく迫りくるディオ=バンガーの威圧を感じて日向はダラダラと汗を拭き出していた。
「はっは。中々愉快そうな面子じゃねーか弦巻」
加古川かがべが木刀片手に楽しげにげらげら笑っている。
「そんで弦巻。お前の不安材料を俺が拭ってやるぜ」
ふっと頼もしい笑みを頬にたたえて、
「俺と灘と海味の目的。それは冒険! 男が挑むもの、それは何時だってアドベンチャー! 何故かって、そりゃあ心が、魂が、本能が疼くからさ! なぁ、そうだろう灘ァっ! 海味ぅううううううううううううううううううううう!!」
「当たり前だッ! ドーナツ大好き、でも冒険も大好物!!」
「何故かって、そんな野暮な事を訊くのかい? 尋ねるのかい? じゃあ仕方ないな応えてあげよう。男の子だからさってねっ!」
バーン、と言う効果音が聞こえてきそうな程に三人で戦隊ものの様なポーズを取って叫ぶ。
相変わらず無駄に熱い三人だわー、と批自棄がげんなりした様子で呟いた。
だがそんな三人に対して周囲は『熱い、暑いぜ加古川ァ!』『ガッハッハ、男じゃねーかかがべの坊主!』『加古川さん、僕が間違ってました……!』『僕ちゃんも同感なんだあ!』『俺どんも感激したんだどん!』『盛り上がってきたあ! 獅子王子の俺も盛り上がってきたぜカコガワ!』と熱いエールが送られて照れた様に三人はまーまーと手で熱気を沈める。
「何にしても僕ちゃんも財宝はどうでもいいなあ。冒険第一、報酬第二、財宝論外でいいや」
本当に興味がない様子で目をキラキラと少年の様に輝かせている。
「私も銀細工へのインスピレーション目的での参加ですから財宝は別にいらないです」
彼に至っては財宝なんか文字通り興味すらない様子だ。
「俺どんも! ……って言いたいんやが、一応トレジャーハンターなんで支障に来さない程度は持ち帰らせてくだせえ、お願いしやす」
素直に言っただけ持ち帰ろうとも好感が持てるくらいである。
「フッ。獅子王子足る俺が、ドイツ人足る俺が私欲に走る事はないから安心して頼りにしてくれたまえ凡人どもよ!」
目がドルマークになっていなければ信じられたかもしれない。とはいえ、ここまでわかりやすいならば、むしろ安心であると批自棄は考える。
そして結論から言えば批自棄の告げた通りに不安材料は無いに等しかった。各々が財宝よりもむしろ冒険を望んでいる。まるで少年の様な無垢な心で。裏切りとかで財産を築くよりも楽しい事やろうぜとばかりの和気藹々とした空気が機内には生まれていた。財宝があれば欲しがる者もいるが許容範囲の様なそんな者達。日向はこれなら安心ですね、と疑った事に申し訳なさを感じながら安らいだ笑みを浮かべる。
その空気に巨躯の店員ディオ=バンガーはニヤッと笑みを浮かべて。
良い奴らじゃねえか、と言葉を発した。
みてーだな、と批自棄が気のない返事を返す。
このやり取りを見ていた不知火九十九はニカッと快活な笑みを浮かべると「よっしゃ」と声を上げてスクッと立ち上がった。
「たった数分の間だがお前らの事は何となくわかった!」
だからよ、と拳を握り緊めて叫ぶ様に告げた。
「皆の力で必ず攻略しようぜ! 今回の目的地をな!!」
天へ拳を突き上げて盛大に声高らかに吠えた。
その声に呼応する様に機内の一二名が爆発が起こったかの様な大声で賛同を示した。
「ここで凱旋のハイドリィイイイイイイイイイイイイイッフットゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!」
突然に突飛に突発的にギャルンガルングルンとヘリコプターが絶妙なバランスで人々が絶句する動きを魅せた。
「キングストン忘れてたああああああああああああああああああああああああ!!!?」
そして操縦席の暴れん坊の存在をすっかり忘却の彼方へ追いやっていた一〇数人が悲鳴と断末魔を上げながら叫び声と助けてくれえと言う救援の声を発しながら現地へ目的地へと前途多難な移動をしながらも着実に近づいてゆくのであった。
そして時間にして二時間半。機内で何度も巻き起こるアクシデントを生き抜いてすでに長年の戦友と見紛う程に一致団結を果たせてしまった面々は突入前にも関わらずすでに心身共に疲労困憊ながらも目的地の麓へと降り立った。
「……」
生きている事に感謝しながら加古川かがべが、掠れた声で呟いた。
「……7000メートル上空から自由落下とかシャレになんねえ……」
「良く生きてたよね僕ちゃんたち……」
「ああ。冒険し続けて長いけど真に死にそうだったのは今回が初めてだわ……」
灘の言葉にああ全くだと右手で顔を抑えて海味が同意する。
「俺どん、今なら何でも出来そうだどん」
一人、変な精神の境地に至ってしまった様だが。
「その考え危ないですよー」
と目が若干イってしまっている男に日向は、あはは……、と苦笑を零して注意する。
「んーっ。空気ンメーっ」
「ひじきさんは真逆に爽快そうな表情ですね……」
「山だしな」
相変わらずギラリとした悍ましい笑みを光らせて回答を快答する。相変わらず他の人とは一線を画す様なメイドである。その意味では『おっほ、たっけぇなー』と気持ちよさそうに腕を伸ばしてテンション高めで山を楽しんでいるディオ=バンガーも同様だが。
そんな各々にこの場所の空気を感じている面々の中を通り過ぎる形で大地離疆が娘の執事である九十九を後方に従えて降り積もった真っ白な雪道をサクサクと音を立てて歩き進む。
前方に荘厳に雄大に聳え立つ山岳に小さくお辞儀を示した後に、日向やアクバル=イスミット達の方へ体を向けた。その顔には毅然とした穏やかだが同時に覚悟を感じさせる雰囲気を放っている。
「皆さん、長いフライト。お疲れ様でしたよ、これは」
しかしと言葉に隙間を開けて、
「本題はここからです。あちらをご覧ください」
イランとアルメニアの国境沿いに存在する、この山岳。その山の麓に数本の支柱を頼りに掲げられた紫色のシートには合計八文字の言葉が並んでいた。
「現在、攻略者〇名のトルコ東端に存在する難関ダンジョン。通名」
トルコンクエスト。
そう、記載されていた。
「……凄く名称にツッコミしたいです」
「長くなるから止めとけ坊主」
ディオ=バンガーのガッハッハ、と言う大笑いを合図に雪原の山岳の中、トルコでの忘れられない記憶が始まりの鐘を鳴らし始めていた。
第四章 奇抜次いで絡む、嬉々として奇天烈に