第九話『小舟』
鳳郎は女神から得た力で、人間達に残虐な方法で復讐した。しかし、鳳郎の深い悲しみと怒りは、それでおさまることはなかった。
家族を殺した人間達に復讐しても、家族は戻ってこない。人間達を殺したからと言って、家族が殺された事実が無くなる訳ではないのである。
その悲しいまでの現実が、鳳郎に重くのしかかり、鳳郎の心を苛み続けたのだ。
もはや鳳郎に、人間達の区別はつかなかった。
自分の家族が殺された現場を見たわけではない。対象が人間の形をしてさえいれば、それはすべて復讐の対象に見えた。
あの日、鳳郎が炎の力を得た日を境に、女神の加護はなくなってしまったようだった。それまで一度も通りかかることすらなかった人間達の船が、島の近くに現れるようになった。
とはいっても、人間達の船が、鳳郎の住む島に用事があるはずもない。何もしなければ、その船は島の横を通り過ぎただろう。
しかし、鳳郎にはその船をただ見送ることなどできなかった。
人間の作った船が目に入るたび、鳳郎の胸に怒りの炎が灯り、その船を焼こうとして燃え上がるのだ。
鳳郎はその炎を鎮めることはせずに、まっすぐと船に飛んで行って、怒りのままにその船を焼いた。当然、その船に乗っている人間達も焼き殺した。
そんなことを続けていると、鳳郎の島には武器や大砲を乗せた船がやってくるようになった。人間達が何かに気付いたのである。
鳳郎は、そんな船にも恐れずに向かって行った。他の船とは違い、無抵抗に焼き滅ぼすことはできなかったが、『神の炎』と『不老不死』の力を持つ鳳郎は、武装した人間達の船を炎の力で圧倒し、海の藻屑にした。
小競り合いがしばらく続いていると、人間達は船団を組んで鳳郎の島にやってくるようになった。
鳳郎の存在は、完全に人間達に知られるようになったらしい。数えきれない人間達を殺し続ける化物……。
どこかの国……いや、周辺のいくつかの国の王が、鳳郎の存在を危険視し、討伐のために船団を向かわせてきているのだろう。
もしも討伐できれば、国民からの支持も高まるし、化け物を退治した軍を持っていると言って、国の名も上がる。そんな思惑から、化け物退治を指示し、大船団を組んで鳳郎の住む島に押し寄せてきたのだ。
鳳郎は、そんな国の思惑など知らなかった。ただ、自分を殺すために人間達が向かってきているのだけは分かった。反撃し続ける理由としては、それだけで十分だった。
人間達は次々と船団を送り続けたが、神の力を持った鳳郎の前に敗れてしまった。
いくら攻撃しても手ごたえがなく、圧倒的な力を持って反撃される。戦うことには慣れているはずの兵士達は、目の前の赤い鳥は、自分達の理解を越えた存在なのだと思い知らされ、戦意を喪失して敗走して行った。
大きな戦争規模の死者が出るほど、鳳郎と人間達の争いは続いたが、やがて人間達の方が諦めた。
国王は国民達に対して、一定の海域――鳳郎の島の近く――に入ることを禁じる命令を出した。事実上の、人間達の敗北宣言だと言える。
これにより人間達が島の周りに近づくことはほとんどなくなった。
ところで、女神の加護が無くなって変わったことは、人間達が訪れるようになっただけではない。
激しい嵐が島を襲うようになり、日照りによって島の植物が腐り果て、病気が流行って、魚や動物が死に絶えるようなことも起きるようになった。
鳳郎は、嵐が来れば翼を大きく広げて墓を守り、日照りや病気によって食べる物が無くなれば、水だけを飲んで飢えに耐えた。
はじめの頃は、人間達への怒りの感情から、そんなものに対して苦しみを感じることはなかった。
しかし、島に人間達が近づくことが減ってから、厳しい環境の中で考える時間が増え、鳳郎の怒りや悲しみは、次第に小さくなっていった。
そんな時、島の近くを人間達の船が通りかかった。
国がこの近くの海域に入ることを禁じたと言っても、風や潮の流れによってたどり着いてしまうことがあるし、遥か遠くの国からこの近くまで航海に来る船もある。
だから、ごくたまに島の近くを人間達の船が通りかかることがあるのだ。
そんな時鳳郎は、ほとんど義務心からその船に向かって行き、炎を使って海に沈めた。
悲鳴をあげる人間達、わずかな抵抗を見せる人間達、命乞いをする人間達……。
昔はそれに対して、優越感を覚えていた鳳郎だったが、この頃になるとそれを見るのが苦痛に感じるようになっていた。
ある時、一艘の船が島の近くを通りかかった。鳳郎は翼を広げて、その船に向かって行こうとしたが、どうにも飛び立つ気分にはなれず、そのまま見送ることにした。
その船が水平線の向こうに消えるのを見た時、鳳郎はなぜか安堵してしまった。
その後また船は通りかかったが、鳳郎はまたその船を見送ってしまった。
「一艘見逃せば二艘見逃しても同じことだ……」
鳳郎はそう呟いたが、その後三艘、四艘と船が通りかかっても、前のように襲いかかることはしなかった。
ある時、島を巨大な嵐が襲った。
嵐が島に来ることはよくあることだったが、その時はおまけに人間も島にやってきた。どうやら、嵐のせいで船が難破し、小舟に乗って流れついてしまったらしい。
島に上陸されたのでは無視をする訳にもいかない。鳳郎は、島の影に隠れて人間に話しかけることにした。この頃には、鳳郎は人間の言葉を覚え、自在に操ることができるようになっていた。
「そこの人間、聞いているか?」
「な、私に話しかけるのは誰ですか?」
急に聞こえてきた声に怯え、人間は周りを見渡した。声は、人ならざる者の気配がしたからだ。
「私はこの島に住む鳥だ。お前はこの島に何をしにやってきたのだ?」
「鳥……。ま、まさか! 『孤島に住む赤い凶鳥』とは貴方のことですか!?」
人間は取り乱し、より一層怯え始めた。
「凶鳥……? それは、私のことなのか……?」
鳳郎はそう呟き、しばし考え込んだが、確かにそう言われても仕方がないだろうと思った。
自分は一体どれだけの船を海に沈めたことだろう? 一体どれだけの人間を殺したことだろう? 初めは復讐のためだったが、次第にそれはただの暴挙になり果てて……。
いや、そもそも最初の一回。海賊たちを焼き殺した以外は、人間達に罪などなかったではないか。それなのに、自分は殺戮を続けて……。
「ゆ、許してください! 命ばかりはどうかッ! 私は船から振り落とされ、共に投げ出された小舟にしがみついてこの島に流されてきただけでございます! 決して、あなたに危害を加えることはしないと誓います! ですから、どうか……どうかッ!!」
人間は涙をぼろぼろとこぼし、額を砂浜にこすりつけ、顔は鼻水と砂でぐちゃぐちゃになり、何ともみじめな姿だった。
その姿は、鳳郎の心の中にあった凶悪な人間の姿ではなく、何とも情けなく、か弱い存在に見えたのだった。
(人間とは……こんなに弱々しい生き物だったのか……)
「……島の奥には入るな。嵐がやみ、日が昇ったら島を去れ」
鳳郎はそう言い放ち、島の奥へ帰って行った。
人間はそのまま朝になるまでその場を動かず、日が昇ると同時に小舟に乗って海に向かって漕ぎだして行った。
数日後、数十年ぶりに人間達の船団が島に押し寄せてきた。
どうやら、この間逃げ帰った人間の話を聞き、孤島に住む赤い凶鳥の力が弱まったのだと人間達は思い込み、再び討伐のために軍を向かわせてきたらしい。
鳳郎は、そんな人間達に呆れた。しかし、呆れただけで、特に怒りの感情は湧いては来なかった。
力が弱まったと思われてまた来られる訳にもいかなかったから、鳳郎は船団に対しては前と同じように反撃した。
何度か反撃すると、人間達の攻撃は止んだ。
しかし、攻撃は来なくなったが、人間達の船は島の周りを普通に通り過ぎるようになった。
孤島に住む赤い凶鳥は、自分に襲いかかる船に対しては反撃するが、ただ通り過ぎるだけの船には手を出さないと思ったかららしい。
実際、その通りだった。鳳郎は通り過ぎるだけの船は見逃すようになった。何度か島に人間が流れ着くこともあったが、島の奥に入る前に警告し、すぐに島の外に逃げ出す人間に対しては攻撃することはなかった。
鳳郎は、物思いにふけるようになっていた。
自分はなぜ生きているのだろう? そもそも、自分は生きているのだろうか? 機械的に行動するだけで、生きているとはとても言えないのではないか?
『このままでは、あまりに悔しいではありませんか』
「凰子……」
鳳郎はあの場所に来ていた。凰子が死んだあの場所に……。
『このまま死んだのでは、不幸になるためだけに生まれてきたようではありませんか! 子供達はどうして生まれてきたのです? 私達はどうして生まれてきたのです? 幸せに生きるためではないのですか? 嫌われし鳥として生まれ、嫌われし鳥として死ぬ。私はそれが非常に悔しい……だからあなたに託すのです。私達だって幸せに生きる権利があるのだということを証明して欲しいのです!』
凰子はあの日そう言った。しかし鳳郎は、復讐を除いて具体的に何かをした訳ではない。ただ生きているだけ……。
「凰子……私はこれからどうすればいいのだろうか?」
途方もない時間が過ぎてから、今更のように鳳郎はそのことを悩むようになっていた。しかし、結局答えは出せないまま時間は過ぎる……。
気が付けば、百年近い時間が過ぎていた。
そんな時、嵐でもないのに、人間を乗せた小舟が一艘、島に向かってきていた。
ダイジェスト回です。
ほぼ説明だけの100年間。