第七話『埋葬』
遅すぎた雨は、数時間にわたって島を水で包み込んだ。
島の炎は燃えうつる物が無くなり、空から降ってくる雨の力によって完全に鎮火した。
風に吹かれて漂うように空を飛んでいた鳳郎は、翼の向きを変えてゆっくりと巣があった場所に降りて行った。
先ほどは近づくことが難しいくらいだったのに、邪魔な炎が無くなったことにより、あっさりと降りることができた。
巣の場所に来ると、凰子の骨が卵を抱きしめるような形で転がっていた。母親の最後の意地とでも言うのだろうか? その骨の形を見た時、鳳郎にはこみあげてくるものを感じた。
骨の転がっている場所を見ると、卵がほぼ完全な形で転がっていた。
あの炎の中で、あの熱の中で、凰子は最後まで卵を守りきったのだ。
鳳郎はそっとその卵をさするように翼を伸ばす……。
ぽろぽろ……そんな音が聞こえた気がした。
卵は鳳郎が少し触れると、何本ものひびが入り、粉々に崩れ去って風に攫われていってしまった。
「……あぁ……うわぁあああああああ!」
空を飛びながら声がかれるまで泣いたというのに、今再び現実を目の当たりにして、鳳郎は大声で泣いた。その泣き声を聞く者は誰も居ない。
ひとしきり泣き続けた後、鳳郎は再び気力を振り絞って飛び立った。骨を集めるのである。
子供達が死んだ場所は大体分かっている。心配なのは木や灰によって、子供達の骨が隠れてしまっていること。
しかしそれは杞憂に終わった。子供達の骨は、鳳郎が探しに行くと、鳳郎が来てくれるのを待っていたのかのようにそこにあった。さすがに全身すべての骨があるという訳ではなかったが、どこかしら体の一部分の骨は全員見つけることができた。
鳳郎はそれらの骨を一本一本丁寧に集め、巣に運んで行った。そして、見つけた分の骨はすべてを巣に運びこむことができた。
巣には大きなくぼみがある。骨はそこに集めた。
鳳郎はその骨の上に、木の枝や草などを被せて骨を隠した。後は雨や風が吹けば、このくぼみに土が流れ込み、完全に骨を隠してくれる。他の動物が骨を持っていくのだけは避けたい。
骨を隠し終わると、そのすぐそばに石を積み始めた。
ある一定の高さまで来ると、少し間を置いて、隣にまた石を積み始める。
鳳郎が石を運ぶには、二本の足で掴んで運ぶしかない。島中を飛び回り、灰や燃えカスをかき分けながら石を探すのだから、当然鳳郎の体力は失われていく。
しかも、運ぶ石はどれもこれも尖っていて、鳳郎の足を傷つけた。石の塔を三つも作る頃には、鳳郎の足はボロボロになっていた。
しかし鳳郎はそれでも石を運び続けた。何かに取りつかれたように、石が血で濡れるようになっても黙々と運び続ける。
相当な時間がたったころ、石の塔は九個出来上がった。これは墓だ。
とても立派と言えるような代物ではない。それでも、鳳郎が家族のために作ってやった墓だ。こういう感情が伴う建造物は、見てくれは――当然美しい方が良いことには違いないが――問題ではない。思いが重要なのだ。
それを見た時、それを見たものが作った者の意思を確かに感じられたなら、それは他のどんな物にも引けを取らない。鳳郎が血を流しながら石を運び、涙をこらえて必死に積み上げたその墓が、どうして思いが込められていないなどと言えるだろうか?
これで、凰子と子供達の埋葬は終わった。
最後の石を積み上げた瞬間、鳳郎はその場に崩れるように倒れ込んだ。そして今度は静かに泣いた。もう叫ぶ力など残っていない。
「ついに一羽きりになってしまった……」
誰に言うでもない。一言嘆くようにそう呟いた。すると、その呟きに答える者がいた。
「前と同じになっただけではありませんか」
いつだったか聞いた声。鳥は驚いてその声に向かって振り返った。
「お前に直接会うのは二年ぶりですね、鳳郎。あの時にはまだ名前すら持ってなかったのを懐かしく思います」
女神の表情特徴は穏やかなものだった。周りのこれだけの惨状を目にしても、女神の感情はいささかも揺れていないようだった。
鳳郎はしばらく呆けていたが、どうやら目の前の存在は幻ではないらしいことに気付くと、黒い感情が湧きだしてきた。
「女神……お前、どの面下げて会いに来たんだァ!」
鳳郎は吠えた。鳳郎がこの数時間忘れていた『怒る』という感情を、今思い出した。あれほど毎日熱心に祈っていた女神に対して、鳳郎は怒りのままに暴言を吐いた。しかし女神は、相変わらず涼しい顔をしている。
「何を怒っているのです? 今まで悲しみに暮れていたはずではありませんか」
「うるさいッ! 女神、お前は言ったな? 『幸せに暮らせる地があるなら生きたいか?』と、そう言ったな? それに頷いて与えられたのがこの島だ! ところがどうだ? 今私はこれまでにないほどの不幸に見舞われている! お前はこの悲劇が見たくてこの島に私を住まわせたのかッ!」
激しい鳳郎の怒りの声に対して、女神は首を振る。
「お前は勘違いをしていますね。二年前の言葉を良いように変えてしまっています。お前は『迫害にあうのは嫌だ。つつましく暮らしたい』と言ったのです。だから私は、『それが与えられる土地があるなら生きたいか?』と尋ねました。そしてお前は頷いた。その気持ちに嘘はなかったでしょう。お前はあの時それ以上を望まなかった。だから私もお前にこの島をやったのです」
鳳郎があまりに欲張るようなら、女神も助けるつもりなどなかった。鳳郎は些細な願いしか言わなかった。それは本当に追い詰められていたという証明でもある。だからこそ女神は、鳳郎にこの島を与えたのだ。
「しかしお前は凰子と出会ってしまった。『仲間』を得てしまったのです。だからお前は、最低限の生活では満足できず、幸せに暮らしたいと願ってしまった」
それにしても鳳郎の願いは変わらず小さなものだ。だから女神は、それで鳳郎を見捨てるようなことはしなかった。
「しかし私がお前に与えてやるのは、相変わらず『迫害を受けず、静かに暮らす』というものだけ。だからお前がそれ以上の幸福を得ていたのだとしたら、それはお前自身の力で手に入れなければなりません」
「迫害を受けない静かな暮らし……? この惨状を見てどの口でそれが言えるんだッ!」
鳳郎は再び怒る。しかし女神は顔色を変えることはない。
「この島に他の鳥達がやってこなかったのはなぜです? 大きな嵐がやってこなかったのはなぜです? それは私がお前を守っていてやったからですよ? 私はこの二年間、ずっとお前に加護を与えてやっていたのです」
確かにこの島に嵐がやってきたことはない。それが女神のおかげだというのなら、そうなんだろう。だから鳳郎は、女神に感謝することはあっても、不満を言うことなど間違っているのだ。
しかし、理屈が分かってはいても頭には来る。
「ならなぜ私の家族を守ってくれなかったんだ! 今まで守ってきていたくせに……」
「お前を守るということは、必然的にお前の家族達も守らなければなりません。しかしお前は島を離れた。その間に不幸にも人間たちがやってきて、島に火を付けた。それだけのことです」
あくまで淡々と女神は告げる。悪気はないのだろうが、鳳郎にはその口調が家族のことを下に見ているような気がしてならず、さらに怒りをかき立ててしまう。
「私が離れたからと言って、それまで続けていた島の加護をなくした? それで弱いものが食い物にされるのを、指をくわえて見ていたというのか? そんな話があるかッ!」
「加護は続けていましたよ? 私が加護を与えているのは島ではなくお前です。お前が居なくなれば島の加護が消えるのは当たり前でしょう? お前の家族は一度として私に祈りをささげたことなどないではありませんか。信仰しないのを悪いとは言わない。しかし、神の愛というのは、その神を愛する者だけに与えられるものなのです。無差別に、無償の愛など与えられることはありません。ただ祈るだけの行為でも、神にとってみれば自分のために勤めていると見えて、それに見合う恵みを与える。お前の家族達は、どんなに追い詰められても私に助けを求めることはおろか、私を思い出すことすらしませんでしたよ?」
女神の存在を信じていたのは鳳郎だけだ。他の家族達は、むしろ不気味に見えてすらいたのだから、加護が与えられるはずなどない。
鳳郎はまだ不満はいくつもあったが、反論する気力もなくなり、その場に俯いた。
そんな鳳郎に対して、女神は「それに……」と言って口を開いた。
「お前だって、自分を守ってくれとは言いましたが、家族を守ってくれとは一言も言わなかったではありませんか」
「何を言って……あれ?」
鳳郎は思い返した。今日この島を飛び立つときに女神に祈った時のことを……。
あの時確かに鳳郎は祈った。その時鳳郎は何を願った? その時のことを思い返してみれば、『自分が無事に飛びきる』ことしか願っていなかったのではないか? 家族を守ってくれなど一言も言わなかった気がする。では……。
「もしあの時に、私が『家族のことをよろしくお願いします』と願っていたら、家族のことを守ってくれたのか……?」
「過ぎ去った時間について、仮定の話などしても、意味がありません」
誤魔化した。鳳郎は瞬時にそう悟った。
女神は誤魔化したのだ。鳳郎のことを一瞬気遣って、鳳郎が傷つかないように言葉を濁した。
つまり……あの時家族のことを願っていれば、女神は助けてくれたはずだったのだ……。
「ああああああああッ!」
鳳郎は叫んだ。
「救えたのだ! 守ってやれたのだ! 私が自分のことだけでなく、家族のことも思ってやれていたなら、『家族のこともお願いします!』とあの時一言言えたはずなのだ! それが言えなかった……言わなかったのだ私は! 我が身かわゆさで家族のことを忘れたッ! クソ……クソォオオオ!」
鳳郎は大粒の涙を零しながら悔しがった。
助けてやれたのだ。それは自分ではないが、自分が願うことによって救えたはずだったのだ。
別にその方法でなくてもいい。思えば、他にももっと自分が気を付けていれば家族を救えたはずなのだ。
何羽か一緒に連れて行っていれば、もっと早めに帰っていれば、危険に対しては逃げるようによく言い聞かせていれば……。そもそも……出かけさえしなければ……。
そう思えば思うほど、後悔の念から涙が止まらない。自分の爪によって体を引き裂き、殺してしまいたい衝動にかられる。
しかし耐える。まだ鳳郎にはしなければならないことが残っているのだから……。
「女神……いや、女神様。どうか私の願いを聞いてくれませんか?」
「なんでしょう?」
鳳郎の意識は別の所に向き始めていた。女神もそれを察する。
「私は力が欲しいのです」
「何を成す力ですか?」
鳳郎は顔をあげた。その表情には先ほどとは別の怒りの感情が浮かんでいる。
「復讐です。私の家族を殺した人間達に復讐する力をください」
「………」
女神は無表情に鳳郎を見下ろしている。鳳郎はそれには構わずに続けた。
「私は憎い。私達は静かにつつましく暮らしていました。皆心が綺麗な者達で、こんな理不尽な殺され方をするいわれなど全くありませんでした。人間達は残酷な方法で私達のことを引き裂いたのです。私も人間達に同じことをしてやらなければ気がすまない……家族達も同じ気持ちのはずです!」
鳳郎の怒りは、ようやく向かうべき所に向かった。女神をいくら責めてもそれは筋違いだ。
家族を殺したのは女神ではなく、人間達だ。
二年間かけて築き上げてきた幸せな生活。それを一瞬のうちに壊されてしまったのだから、怒りの感情が湧かないはずがない。
感情をあらわにして力を求める鳳郎のことを、女神はしばらく何も言わずに見つめていた。
そして女神は、少し責めるような口調で話し始めた。
「お前に力を与えることは容易です。しかし、お前の力を求める理由がいけません。もし、お前が今考えている目的のために力を求め、それを受け取ったとしたなら、お前は罰を受けなければなりません」
鳳郎は一瞬呆然としたが、すぐに気を取り戻して女神に問うた。
「理由がいけない? 人間達は島に火を付けて私達のことを虐殺したんだぞッ! 本来なら、あなたのような高次元の存在が裁きを加えなければならないはずだッ! それに対して復讐する力を求めることの何がいけないッ!?」
「人間達には罪がありません」
冷たい風が吹いた。その風は鳳郎の羽を揺らし、女神の髪を揺らした。
その風は鳳郎の体に吹き付け、体の芯まで冷やしたように感じられた。
「なに……何を言っているんだ……?」
「人間達には罪がないと言っているのです」
「え……いや、だって……」
鳳郎は周りの惨状を再び見渡す。何もない……。何もかもが燃え尽きてしまっている。もしあるとしたら、瓦礫と人間達の罪の爪後だけだ。
「お前達の視点から見れば、人間達は悪に見えるでしょう。しかし、人間の視点から見れば、人間達には罪がないのです」
「………?」
鳳郎は反論もできず、ただただ女神を見つめる。
「人間達からしてみれば、『立ち寄った島で狩りをして、一羽の鳥を捕まえて料理をした。しかし、その鳥の肉は食べられるものではなかったので、捨ててしまった。すると、鳥達に襲われたため、身を守るために応戦。しかし、鳥達はさらに激しく襲ってきたので、人間は誰も住んでいないこの島に火を付けてさらに自分達の身を守った』だけです」
「だ……け……?」
何もかもが死んでしまったんだぞ? 鳳郎達だけじゃない。虫や他の小動物達。植物たちだって生きていた。鳳郎達だって狩りはするが、それは食べるためであり、生きるためだ。こんな無意味な虐殺行為などしない。
そんなことを考えている鳳郎に対して、女神は淡々と告げて行く。
『この行為に対して、やり過ぎだと非難する者は居るでしょうが、そのことを指して罰を与えようと言いだすものは少ないでしょう。この島を襲った人間達の国には、『動物を殺害する行為』や『自然破壊』に対して罰を与える法律がありません。それにこの島は何処の国にも属していない。発見すらされていない孤立した島。侵略行為でもないのです。つまり、人間達の中で怒りを感じる者がいない。誰も困らない。すべての人間達に対して罪がない」
何なんだ? さっきから目の前の女神は何を言っているのだ?
「私達に……私達に対して罪がありますッ!」
「確かにあるでしょうね。ですがそうすると、世界中すべての生きとし生けるものに罪があることになり、すべての存在が地獄に落ちなければなりません。故に神の審判というのは、その生き物の立場に立って審理しなければならないのです」
「なら私達の立場に立って私の行為を見てくださいッ! 私は家族を殺された! それに対して復讐することの何処に罪があるというのです!」
「自分より強い存在に家族を殺された鳥が、復讐しようなどと考えますか? 鳥の立場から見れば、お前のするべき正当な行為は、自分に命あることを感謝し、子孫を残すために次の相手を探すことです」
神の理論とは、これほど理不尽なものなのか?
「なら……復讐することが許されるのは人間達だけということになるのですか?」
「お前の力だけで復讐するというなら、それは認められるでしょう。しかしお前は私に力を求めている。人間達に復讐することができるだけの強大な力を……。制度無き復讐は秩序を乱します。人間達は秩序を乱さないよう、法律を作り、司法機関を作り、厳正な審理と適当な罰則を……」
「もういいッ!」
鳳郎は女神の言葉を遮って叫んだ。
「もういい! もうたくさんだ! ルールや罰など知ったことか! とにかく私は家族の仇を取らねば気が済まない! 力をくださいッ!」
元々女神と論争をしても何の意味も無かった。この悲しみや怒りを理解できるものが、鳳郎以外に居るものか。鳳郎には一刻も早く力を手に入れて、人間達に罰を与える義務があるのだ。
女神は鳳郎の意思が固まっていることを理解し、それ以上余計なことを言おうとはしなかった。
「では罰として、お前から『死』を奪います」
「……『死』を奪う? どういう意味です?」
「文字どおりです。お前から『死』が無くなり。お前は死ぬことができなくなるのです」
不老不死になるということか。鳳郎はそう理解した。
「しかしそれは罰というよりも……」
「この罰の意味が分からないのですか? 自ら死のうとしたお前が……?」
鳳郎はその言葉にハッとした。
確かに、自分以上にこの罰の重さを分かるものは居ないだろう。二年前、どうしようもなく追い詰められた時に、鳳郎がしようとしたのが『死への逃避』だった。
今だって、これ以上ないくらいの悲しみに襲われて胸が張り裂けそうだ。本当なら、家族達の後を追って、再び自殺したいくらいなのだ。
『死』を奪われるということは、その最後の逃げ道を自ら閉ざすということだ。その重大さは、鳳郎が一番よく分かっている。
「確認します。力を求めますか?」
「……はい。『死』を奪われてでも、人間達に報復する義務があります」
女神は、鳳郎の意思を確認すると、手をかざした。
「ではお前に力を与えます。お前の家族の命を奪った炎の力……それも、何ものをも寄せ付けず、すべてを焼き払う強力な炎……『神の炎』をお前に与えます」