第六話『雨島』
それこそ蜃気楼か何かであって欲しかった。しかし現実は、その願いを裏切って残酷だった。
近づけば近づくほどその煙は巨大になり、ぼやけて消えてしまうどころか、ますます鮮明にその漆黒の姿を見せつけてきた。
炎はすでに何時間も前についたものらしく、すでに島中が真っ赤な炎に包まれていた。
もくもくと立ち上る煙の中で、荒々しい炎が混ざって踊る。その炎と煙は、まるで生き物のように島中を暴れ回っていた。
「凰子ぉーー!」
鳳郎は壮絶な島の状況を目の当たりにして愕然としていたが、やがて我に帰って最も愛すべき者の名前を叫んだ。
「どこだぁー!? どこにいるーー!」
鳳郎は島の上空を旋回しながら鳥の姿が無いかを探す。
島はすべて炎と煙に包まれている。避難する所などどこにもない。だから愛すべき家族達は、島に居るはずが無いのだ。必ず島の中から逃れて、空に待機し、島が落ち着くのを待っているはずなのだ。
「私だ! 鳳郎だ! 誰でもいいから返事をしてくれぇ――!」
鳳郎はひたすら空に向かって叫んだ。しかし、誰からも返事が返ってこない。
空に避難したからと言って、島の近くから離れる理由はないはずだ。だって、自分達には逃げるあてが無い。
鳳郎の故郷に行ったのか? 凰子の故郷に行ったのか? いや、そんなはずはない。家族の中には特別空を飛び続ける体力が低いものもいる。これから徐々に訓練を積んで行く予定だったが、そんな暇はなかった。
だから目の前の足場を見捨てて、何時間飛ぶことになるかも分からない親の故郷に飛んで行く判断をしたとは思えないのだ。
それならば……家族の姿が空に見当たらないのであれば、家族が居る場所は一つしかない……・
「まさか……まだ島の中に居るとでも言うのか……?」
最悪な想像が頭をよぎり、鳳郎は大慌てで島に向かって降りて行った。
いざ島に降りようとすると、島に近づくことさえなかなか困難だった。何しろ島中が燃えて、熱を放っているのだ。降りようと思っても、焼けるような風に吹かれて上陸することができない。
「こんな島の中に居るはずが……」
そうは言っても空には家族の姿はなかった。何が何でも島に上陸しなければならない。
鳳郎ははじめ、自分達の巣に降り立とうとしていた。しかしそれはすぐに断念した。巣はかなり島の中央に位置している。いきなりそこに降りようとしても、熱風が邪魔をして降りることができない。
だから鳳郎は、島の横から上陸し、巣に向かって進もうとしていた。
それに、島の端は炎が比較的少ない。もしかしたら、そこに家族達は避難しているのかもしれない。
「おーい! 誰かいるかー!?」
島に降りたって、すぐに声をあげる。しかし返事は聞こえてこず、木がパチパチと焼ける音や、枝が焼け落ちて地面に落ちる音だけがむなしく響いた。
「クソッ!」
鳳郎は急いで飛び上がり、巣に向かってはばたき始めた。
巣に向かう途中も声を張り上げ、家族達を呼ぶ。体力を消耗してしまうが、そんなことを気にしている暇はない。
「ん? なんだあれは……」
木と木の間から何かが見えたような気がした。返事が返ってこないのだから、家族ではないようだが、なんだかその正体が気になった。
鳳郎は方向転換をして、その場所に向かった。
「たしかこのあたりに……。!? こ、これは……」
そこにあったのは焚火の後だった。故郷に暮らしていた時に何度も見たことがある。人間達が石を組み、そこに空気が良く通るように木の枝をさらに組んで火を付ける。
無論、鳳郎達は焚火などしない。炎を使うことなどないし、そもそも扱えるはずが無い。だからこの焚火の後は、ここに人間達が来たという証だった。
「クソ……人間達がやってきてここで火を焚いたのだ! 間抜けどもめ……居眠りでもしている間に火が島に燃え移ったに違いない! ろくに火が扱えないというなら、猿のままでいればいいものを……」
島が燃えた原因を知って、鳳郎は激しく憤った。さっき島の周りを見たが、船の姿はどこにもなかった。島に火が燃え移ったのに驚き、早々に逃げ出したのだろう。
しかし人間が来るとは珍しい。二年間ここで過ごしていたが、人間が来たことなど今まで一度もなかった。まあ、今まで人間が来なかった方が逆に不自然ではあるが……。
「それにしても……」
鳳郎はたき火跡を見下ろして首をひねった。人間達はなぜ焚火をしたのだろう? 今は焚火を起こして暖を取る必要などない季節だ。
他に人間が焚火をする理由があるとすれば、川に落ちて濡れた服を乾かすためか……。
「……そんな……嘘だ……」
他の生き物を焼いて食べるためだ。
魚やキノコ……そして、鳥などを……。
「うわぁああああああああッ!」
鳳郎は叫び声をあげて自分の目に飛び飛んできたものに抱きついた。
それは地面に転がっていた。体中の羽をむしり取られ、首と翼を切り落とされ、その切り落とした首の部分から串が刺されて尻まで貫通していた。
「ああ……ああ!」
その無残な姿を晒している死体は、地面に投げ出されていた。体中が黄金色になるように焼かれていて、その体には明らかに少しかじった跡があった。
その死体の様子から、とりあえず焼いて食べてはみたが、口にあわなかったので地面に投げ捨てたというのが良く分かった。
その死体は明らかに鳥のものだ。そして、この島には鳥は一種類しか居ない……。
「こんなことあるはずが無い! どうして……どうしてこんなことが……」
体の大きさから言って、その鳥は一番目に生まれた子供、敬介であることが分かった。昨日まであれほど自信に溢れて生きていたというのに、今は何も言わずただそこに転がっていた。
「まさか……まさかッ!」
鳳郎は敬介をどうにかしてやりたいという思いをなんとか抑え込み、その場を飛び立った。
敬介がこうなっているということは、他の家族達にも危険が迫ったということだ!
それから間もなく別の死体を見つけた。今度は誰の死体かすぐに判別できた。その死体は羽をむしられてもいなければ、首を落とされてもいなかったからだ。
「博! 文哉!」
二羽の死体は、重なるようにして転がっていた。体中に弓矢が刺さっている。
「狩り……人間達は狩りをしたのか……?」
それも、食べるために狩りをしたのではない。ただ殺すために狩りをしたのだ。食べるために狩りをしたのなら、こんなに体中に矢を打ち込むはずが無いのだ。
娯楽のためだけに狩りをした。鳳郎達は、その狩りの対象に選ばれたのだ……。
「こんな……こんなことがぁあああああ!」
鳳郎は半狂乱になって島を飛び始めた。今まで以上に声を張り上げ、遠くからでもよく見えるように大きく動きながら飛んだ。
しかし、家族達は鳳郎の姿を見つけてはくれなかった。見つけるのはいつも鳳郎の方だ。
鳳郎は巣に向かって飛んだ。その途中に、まるでそこから先に進ませまいとして戦い、そして敗れて戦死したかのように、子供達の死体が転がっていた。
菜穂、茜、周、智一、澄乃の順番にその死体を見つけた。早く生まれた順に戦ったのだろう。死体を見つけた順番からそう考えることができた。
鳳郎はある意味運が良い。この広い島の中、子供達全員の死体を見つけることは相当難しかったはずだ。それをたった数分のうちにすべて見つけることが出来たのだから、運が良いと言って間違いないだろう。
だが、当然。数時間のうちに、自分の子供達すべてが死んでしまったという不幸は変わらない。
「凰子ォーー!」
子供たちすべての死体を見つけ、鳳郎に残されたのは凰子だけだった。
鳳郎はようやく巣の場所まで戻ってくることができ、炎が燃え盛る中、必死に声をあげた。
「何処だー! 何処に居るー!?」
「……こ……です」
消え入りそうな小さな声。だが鳳郎は確かに聞いた。
「凰子! 何処だ! 私はここに居るぞ!」
「……ここですよ……鳳郎……」
今度ははっきりと聞こえた。
鳳郎は声のした方に急いで飛んで行った。すると、凰子は巣の中に座り込み、最後に会った時と同じように卵を温めていた。
「鳳郎……ああ、こうしてまた会えるなんて……」
凰子は諦めていたらしい。鳳郎の姿を認めた瞬間、その瞳から一筋の涙がこぼれおちた。
「凰子、一体何が起きたのだ!?」
「人間……人間が来たのです……」
「それは分かっている。……子供達を見たからな」
鳳郎のその言葉に、凰子は頭を下げて泣いた。
「申し訳ありません! せっかく鳳郎から頂いた……」
「言うな!」
鳳郎は凰子の体を翼で包み込み、慰めるようにさすった。それで凰子は少し落ち着いたらしい。
「ゆっくりと落ち着いて話すのだ。人間達は何をした?」
鳳郎の諭されるような口調を聞き、凰子はつっかえながらも話し始めた。
「あなたが出かけてからすぐに、人間達の船がやってきたのです。荒々しい……見るからに乱暴そうな人間達でした」
人間達は上陸して、島を探索するようにしながら島の中央に向かって歩き始めた。
この人間達は何かを探しているようで、島を荒らしながらゆっくりと進んだ。
このままでは巣まで荒らされてしまう。そう考えた敬介は、人間達を追い返そうと提案した。
「私は反対しました。しかし、逃げだせば卵が割られてしまうと主張して、敬介は一羽飛び立って行きました」
すぐ後を博と文哉が追いかけた。もちろん敬介をつれ戻すためだ。人間達と争って鳥が勝てるはずが無い。しかし間に合わなかった。
人間達は、珍しい大きな鳥の姿を見つけると、躊躇することなく弓矢を構え、矢を放った。
敬介は体を打ち抜かれ、人間達めがけてまっすぐに落ちて行った。
「そして人間達は……人間達は……」
「その先は言わなくていい。……私も見てきた」
敬介は人間達に調理され、焚火の炎で焼かれた。そして、ゴミの様に捨てられたのだ。
「私達は憤りました。目の前で家族が殺されて、屈辱的なことまでされたんですよ? 黙っていろという方が無理ではありませんか!」
気持ちは分かる。鳳郎も実際その場に立ち会えば……いや、立ち会わずとも、その無残な息子の死体を見ただけで人間達に対する怒りでいっぱいだった。
「家族全員で攻撃に出ました。崖まで誘い込み、石を落として崖の下付き落とす。森の中に彷徨いこませて、底なし沼にはめ込む。これらは非常にうまく行って、人間達はかなりの被害が出ているように思えました」
実際は思えただけかもしれない。八羽程度の鳥が集まったからと言って、たくさんの人間達に被害を与えられるとは思えない。
しかし、実際人間達に被害は出た。そして人間達は理解した。「ああ、あの鳥は意思を持って自分達を攻撃してきているんだな」と……。
そうなれば例え鳥といえども、反撃しない訳にはいかない。鳥を殺すことを決定した人間達は、迷わず島に火を付けた。
「思いもしなかった反撃でした。私達は炎に全く慣れていません。あたふたとしているうちにあっという間に人間達にやられてしまったのです」
しかし、島に火を付ければ当然自分達の身も危なくなる。結局人間達は島の中央にたどり着けないまま、海に逃げ出してしまった。
鳥達は自分達の巣を人間に犯されることだけは守ったのである。
「うぅ……」
凰子が苦しむようにその場に倒れ込んだ。
「凰子! 無理に話させるようなことをしてすまなかった! とりあえずここから逃げ出そう!」
しかし凰子は、鳳郎のその言葉に静かに首を振った。
「鳳郎だけで逃げてください」
「なぜだッ!? もう生きることをあきらめてしまうくらいに絶望したのか? むしろお前の方が生きることに前向きで、死を恐れていたはずではないか! 共に逃げよう……私達はいくらでもやり直せるはずだろう……?」
しかし凰子は再び首を振った。
「駄目です……私は翼が折れてしまいましたから……」
鳳郎はそこで初めて、凰子の翼が折れていることに気付いた。こんな翼では当然飛べない……。
「人間達と戦っている時に折れてしまったのです。ここに戻ってくるのにもかなり体力を消耗してしまいました……。もう……無理です……」
凰子はそう呟いて儚げに微笑んだ。すべてを悟ったように鳳郎には見えた。
「ならば……ならば私も死のう! 何処までも離れぬ! いつまでも離さぬ! お前が死ぬというのなら、私もその隣で死ぬ!」
凰子は表情を崩さなかった。鳳郎がそう言うのをなんとなく予想していたのかもしれない。
「生き物は皆、いつでも死ぬことができます。どう仕様もなく行き詰った時、生きることが苦痛でしかなくなった時、そんな時生き物は、自ら死を選ぶ権利を持っているのです。……ですが、あなたのその権利を、私に奪わせてください」
「……なぜだ? お前や子供達を失った私に、なぜ生きろというのだ?」
凰子は悲しい表情を作って鳳郎を見る。そして、涙を零しながら訴えかけた。
「このままでは、あまりに悔しいではありませんか。……誰からも認められず、忌み嫌われ、住んでいた故郷を追い出される。そしてなんとか安息の地にたどり着き、ささやかな幸せの日々を手に入れられたかと思ったら、これ以上ないくらい悲惨な方法で奪い取られる」
凰子は頭を鳳郎の胸にうずめた。
「このまま死んだのでは、不幸になるためだけに生まれてきたようではありませんか! 子供達はどうして生まれてきたのです? 私達はどうして生まれてきたのです? 幸せに生きるためではないのですか? 嫌われし鳥として生まれ、嫌われし鳥として死ぬ。私はそれが非常に悔しい……だからあなたに託すのです。私達だって幸せに生きる権利があるのだということを証明して欲しいのです!」
「凰子……」
鳳郎は何も言うことができなかった。凰子のその声には思いが込められていた。凰子は単純に鳳郎に生きて欲しいと言っているのではない。子供達のために……自分達のために生きて欲しいと言っているのだ。
ここで鳳郎も死ねば、それで鳳郎や凰子、子供達の存在は確定してしまう。暗く、悲しいだけの存在として……。
しかし鳳郎が生きればまだ可能性はある。まだ可能性は残るのだ。
「最後に……一言だけ言わせてください」
凰子は表情を緩めて鳳郎を見た。
「あなたと出会ってからの毎日は、嘘偽りなく、楽しいものでありました」
その時強い風が吹いた。
その風は、なぜか鳳郎の体だけを攫い、一気に鳳郎の体を上空にまで押し上げた。
「凰子! 凰子! 私も……私もッ!」
鳳郎は必死に翼をはためかせたが風の勢いに勝つことはできず、ぐんぐん空高く押し上げられていく。同じ場所に居たはずなのに、凰子の体は少しも浮き上がらない。まるで、凰子が風を操って鳳郎のことを上空に逃がしたようであった。
「さあ、お前達……ごめんなさいね。あなた達だけは、お母さんが守るからね……?」
凰子は卵をしっかりと抱きしめ、優しい母親の声で声をかける。
実は凰子には罪がある。子供達は皆死んでしまった。怒りに囚われることなく、子供達の命を第一に考えていれば、きっと救うことができたはずだ。他の子供達が怒りで我を失ってしまったとしても、凰子だけはグッと自分を抑えるべきだったのだ。そして鳳郎の帰りを待ち、その胸の中で泣けばいい。しかし、凰子はそれができなかった。
母親失格。そう言われても仕方あるまい。だからこそ、この卵……この子供達だけは守って見せる。自分の命が尽き果てるその瞬間まで……ッ!
「凰子ォーー! あッ!」
鳳郎は上空に押し上げられていく途中で見た。凰子と、その凰子が守っている卵に向かって、燃え盛る大木が倒れ込んで行くのを……。
「うわぁああああああああああッ!」
鳳郎のその叫び声は、島に、海に、空にこだました。
島中を焼いた炎により、強力な上昇気流が生まれ、島の上に雨雲が発生した。
やがてその雨雲は、雷鳴と共に大雨を降らせ、島を雨と嵐で包み込んだ。
そして、島中を焼き払った炎は、その雨によってようやく鎮火したのだった。
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