第三話『遭遇』
鳥は発見した島の周りをゆっくりと旋回していた。あまりに都合よく現れたこの島を訝しんでいるからだ。
幻覚から覚めると同時に島を見つけるなど、偶然にしても気持ちが悪いではないか。
(幻覚……あれは幻覚だったのだろうか?)
幻覚にしてははっきりしていたし、他の生き物からは感じられない神々しさが、確かにあった。
とりあえず鳥は、この島に降り立ってみることにした。これ以上飛び続ける体力はない。この島を無視して飛び続ければ、必ず海に落ちることになるだろう。
地面にぶつかって死ぬのを恐れた鳥が、死ぬのが分かっていてこの島を無視できるはずが無い。死ぬ恐怖に襲われても逃げることができないよう、退路を断つために海に飛び立ったが、こうして足場が見つかっては決心も鈍る。
それに……。
『では……お前が静かに暮らし、迫害を受けることのない土地があったとしたなら、お前は生きようと思いますか?』
『当り前だッ!』
女神は鳥の目を見据え、その言葉が嘘ではないことを理解する。
『ならば生きなさい』
あの幻の中の女神の言葉……。あれが嘘でないのならば、この島は鳥が幸せに暮らすことのできる土地だということ……。
幻とはいえ女神の言葉なのだ。縁起が良い島には違いない。
「絶望の淵にある者ほど、なかなか死ぬことはできないらしい」
鳥は一言呟き、島にめがけて降りて行った。
* * *
鳥は島に降り立った後、恐る恐る島の中を探索し始めた。
しばらく調べていると、あることに気が付いた。
他の鳥が一羽も居ないのである。
耳を澄ましてみても、聞こえてくるのは虫や小動物の鳴き声ばかり、この鳥のことをあれだけ口汚く罵倒した他の鳥達の声は全く聞こえない。
あまりにも異常な現象。鳥は虫や他の動物達と違い、翼をもつ。他の動物達よりも、自由に陸地の移動ができるはずなのである。それなのに、今この場所に自分以外の鳥は居ないらしい。
首を傾げながら、鳥はさらに島の中を調べ続けた。
すると、軽く見まわしただけでも、十分すぎるほどの食糧が見つかった。木や花に実った果実、食べ慣れた虫や小動物達、島の中心から湧き出る汚れのない真水。これだけあれば、鳥が暮らしていくのには苦労しない。
しかも、島には鳥の外敵となりそうな動物達は見つからなかった。居るのは、木の実や虫を主食にしている小さな動物達ばかり。無防備に眠っていても、殺されることはまずない。
「はは……あはははははッ!」
あらかた島の中を見て回った後、鳥は歓喜した。
「私はついに理想の地を手に入れた! 女神様、私はあなたに感謝します! 海上で見たあなたの姿は、幻などではなかったのですね? あなたは孤独な私を救うためにこの島を用意してくれました! この島でなら、私は幸せに暮らせるでしょう! これから毎日あなたのために祈ります。島の中央にそびえるあの崖に祠を作り……」
その時鳥は、近くの茂みが揺れる音を聞いた。
その茂みを見ると、一部分だけが大きく揺れていた。今日は風など吹いていない、明らかに何かの動物が揺らしたのだ。
「誰かいるのか?」
鳥はその茂みに向かってそう聞いた。すると返事の代わりに、再び茂みの揺れる音と共に、翼がはためく音が聞こえた。
「羽音……? 鳥が居るのか?」
鳥の気分は一気に下がった。自分以外には居ないと思っていたのに、やはりこの島にも鳥は居たのだ。また迫害の日々が始まる……。
しかし、その羽音はこちらには向かってこず、島の内部に逃げるように消えていった。
「……逃げた?」
羽音が遠ざかったことで、暗い感情が湧きだしていた鳥の思考が冷静になった。
なぜ逃げる? 逃げる必要などないではないか。迫害されるのはいつもこの鳥の方、他の鳥は数にものを言わせて笑っていればいい。しかし、茂みから聞こえた羽音の主はそれをしなかった。
気付くと鳥は、羽音を追いかけて飛び立っていた。羽音の主と会って何をしようと思った訳ではない。単純に気になったのだ。
羽音の主は、鳥が追いかけてきたことに気付き、一層大きく翼をはためかせて森の中を飛んだ。間違いなく鳥の羽音だ。虫はこんなに大きな音を立てて飛んだりしない。
突如始まった鬼ごっこは、数時間にも及んだ。
羽音の主は、けして島の森の中から上空へ出ようとしなかった。見つからないように、木と木の合間を縫うように飛び、鳥の追跡を撒こうとした。
鳥は鳥で、休まず飛び続けることに苦痛を感じなかった。疲労を忘れてしまうほどに、逃げる羽音の主のことが気になるのだ。
日が傾き始めた頃、逃げていた羽音の主が観念したのか、地面に降り立った音がした。
鳥は急いでその場に向かう。するとそこには、息を切らせて跪いている赤い鳥が一羽いた。
「許してください! 許してください! 私は何もできない、できそこないの鳥でございます! 命ばかりはご勘弁をッ!」
跪いていた鳥が、声と体を震わせながらそう叫んだ。あっけにとられた嫌われし鳥は、何も言わず怯えた鳥を見つめた。
怯えた鳥の声を聞くと、雌の鳥であるようだった。風貌も小柄で飾り羽も少ない。
「わ、私は平和に暮らせればそれで良いのです! けして迷惑をかけるようなことはいたしませんので、どうかこの島に置いてくださいッ!」
何も言わずにいると、嫌われし鳥が気分を害したと解釈したのか、雌の鳥はさらに体を震わせながら叫ぶ。この島に置いてくれということは、別の場所から来たのだろうか?
「お主はこの島に来たばかりなのか? なぜこの島に来た?」
「は……はい。私の故郷は、海の向こうにある大陸なのですが、私はそこで虐げられていたのです……」
雌の鳥のその言葉に、嫌われし鳥は一瞬胸が苦しくなった。
* * *
『どうか……どうかお許しください! 私はまだ死にたくありません!』
巨大な大陸の海岸線。その場所で、あまりにも異様な光景が広がっていた。ありとあらゆる鳥が集まり、海岸線を埋め尽くしていたのだ。
黒や白、青や緑、米粒に色を塗り、港の模型に器用に乗せていったかのような光景。それがかすんで見えなくなるくらい遠くの海岸線まで続いていた。
しかしこれは模型などではないし、カラフルな色のつぶつぶは、色を塗った米粒ではなく鳥達だ。
鳥、鳥、鳥……数えることすら馬鹿馬鹿しくなるくらいの鳥達が海岸線に集まり、同じ方向に向かって叫んでいた。
『飛べ! 飛んで行ってしまえ! お前はあまりに汚らしい姿をしている!』
『見よ、この海岸線に集まった我々のお前に対する憎悪を! 皆お前に対する嫌悪感で団結している。なかには、お互いが天敵である者たちでさえ、お前への感情では一致している』
『今すぐに消えろ! さもなくば、俺達がお前を引き裂いてしまうぞ!』
鳥達は声を荒げて、口汚く呪いの言葉を吐く。たった一匹の赤い鳥に向かって……。
『お願いです! 私は死にたくはないのです! お邪魔はしません。姿もお見せしません。ただ、最低限の食事をし、誰の目にも触れない深い森の中で暮らします。なのでどうか命ばかりは……』
赤い鳥は港の海を飛びながら必死に叫び、なんとか陸に戻ろうとして近付く。しかし、何度近づいても、罵声と共に追い返されてしまうのだ。
『目に触れなければいいという訳ではない! お前の体から発生する臭いですら不快感を覚えるのだ。お前はただ存在するだけで害を撒き散らす!』
赤い鳥は追い返されても必死に叫ぶ。
『臭いが気になるというのなら、一日に三度水浴びをします。羽が抜け落ちても気にしません。臭いが落ちるまで水を浴びて、それでも臭いが消えないというのなら、花の蜜を浴びてごまかします。ですから……』
『黙れッ! そういう類の臭いではないわッ! 薄汚い体から発生する、負け犬のような臭いが耐えられないのだ。それはどれだけ洗っても、どれだけ花の蜜で誤魔化してもお前から漂い、我々を不快にする! それを断ち切るには、お前を海の向こうに追いやる他ないのだ!』
海岸の鳥達は、それに同調して鳴き声をあげる。その声は、赤い鳥を排除しようという攻撃的な思いも感じられた。
『そんな……』
赤い鳥は絶望的な声で鳴く。
『早く消えてしまえ! 我々は何もお前に死ねと言っているのではない。この大陸から出て行けと言っているのだ。運が良ければお前にぴったりの島が見つかるかもしれないぞ?』
この大陸から出たことのある鳥などいない。海の向こうに島がある補償などない以上、鳥達は死ねと言っているのと同じこと……。
しかし結局赤い鳥は抗うことができないまま、果てしなく広い海に向かって飛んで行くことになった。
* * *
「そうしてたどり着いたのがこの島でございます……」
自分がこの島にたどり着いたいきさつを語り終え、雌鳥はほろりと涙を零した。
「果てしなく続く海の上を、千切れるほど首を振りながら陸地を探して飛びました。そうしてようやく見つけたのがこの島でございます。やっと平和に暮らせる地が見つかったと思いましたら、貴方様を見つけて……」
雌鳥にとって他の鳥は恐怖の象徴。何もされていなくても恐怖を駆り立てられる存在なのだ。
「朝も昼も夜も貴方様のために働きます! けしてご迷惑をかけません! なのでどうか私もこの島に置いてください! 私は生きたいのです! どれほど絶望的な世界であっても、死後の世界に比べればきっと幸せに違いないのです!」
雌鳥は再び体を震わせる。
「私は今苦しまずにここで息をしていられます。これが死後の世界ならどうでしょう? 空気も無く、永遠にもがき続けなければならない世界かもしれません。私達は飢えますが、食べ物を探せば見つかります。これが死後の世界ならどうでしょう? 食べ物はなく、永遠に飢餓に苦しまなければならない世界かもしれません。私はそれを思うと、堪らなく恐ろしいのですッ!」
それは本心の様であった。雌鳥の口調は、とても嘘を言っているようなものではない。
「……似ている」
嫌われし鳥はすべての話を聞き終わった時、そんなことを呟いていた。
「あ、あの……今なんと?」
「私の境遇とよく似ているのだ。お主が今話してくれたものとな……」
嫌われし鳥は、自分がこの島に来るまでの話をした。すると雌鳥は、すっかり恐怖が薄れ、共感したようだった。
「では……貴方様も故郷を追われた身なのですか?」
「私の方が情けないさ。私は死ぬために海に飛び立った。しかしお主は、厳しい境遇の中でも生きたいと願っていた。お主の方が遥かに強い心を持っている」
「そ、そんなことはありません……」
雌鳥は褒められたことで照れてしまったのか、静かに俯いた。嫌われし鳥はそんな雌鳥のことをもう一度見た。
(本当に……似ている)
嫌われし鳥は心の中でそう呟いた。
境遇もそうだが、体に関しても、自分と目の前の雌鳥はよく似ている。赤い羽根をもち、自分よりは小柄だが、平均的な鳥の大きさよりは巨大だと思う。嘴や尾羽などの細部は異なるが、それは雄と雌の違いだと言ってしまえば納得できる。
もしや……この雌鳥が、自分の探していた仲間なのでは……?
「あの……もしよろしければ名前を窺っても構いませんか?」
嫌われし鳥が考え込んでいると、雌鳥がそんなことを聞いてきた。
嫌われし鳥はそれに答えようと口を開いたが、あいにくと名前は出てこなかった。
「私には名前が無い。親鳥はすぐに居なくなってしまったし、他の鳥が私を呼ぶ時は、『穢らわしい鳥』と呼べばすんでいたからな」
屈辱的な呼び方だ。まさかこの呼び名で呼んでくれとは言えない。
「……聞いておいてなんですが、私も名前と呼べるようなものがありません。貴方様と同じで、悲しい呼び名で呼ばれていたのです」
雌鳥の表情が少しかげる。しかし、その後で明るい表情を作って言った。
「私達で名前を考えませんか?」
「名前をか?」
「はい、これからここで暮らすのですから、一緒に行動することも多いと思います。そんな時に名前が無いのは不便だと思いますので」
「そうか……名前か……。うむむ、急に考えろと言われてもな……」
嫌われし鳥は首をひねって考えたが、なかなか思いつかない。
「実は、私に少し考えがあります。私の故郷の神話に、『鳳凰』という赤い聖鳥が登場します。この聖鳥は二羽の赤い鳥のつがいで、『鳳』が雄。『凰』が雌でございます。この漢字を名前に使うのはどうでしょう? その、私達の姿もよく似ていますし……」
雌鳥はそう言って、はずかしように視線をずらす。雌鳥の方も、自分はもしかしたら仲間の鳥なのではないかと思っていたらしい。
「良い考えだな! しかし、神話に登場する聖鳥か……。私達がそんな漢字を使ってよいのだろうか?」
「この島には文句を言う者はいません。堂々と名乗って胸を張りましょう!」
雌鳥はそう言った。案外、したたかな性格をしているのかもしれない。
「ふーむ、そうだな……。ならば、私の国の風習も取り入れよう。私の故郷では、男が生まれると『郎』。女が生まれると『子』という漢字を使うことがある。どうだろうか?」
「素敵だと思います! 私の国の文化だけでは申し訳ないと思っていましたので」
雌鳥は嫌われし鳥の申し出を喜んでくれた。
「では私は『鳳郎』。お主は『凰子』……か? うーむ、私の方はともかく、お主の方は語呂が悪い気がするな……」
「では、私の方の読み方を変えましょう。凰という字は、『こう』とも読みます。私のことは『凰子』とお呼びください」
「良し決まった! 今から私は鳳郎。そしてお主は凰子だ。これからよろし……うわッ!」
名前が決まった途端、凰子は鳳郎に飛びついた。
「ああ、嬉しい。私は今日から迫害されることも無く。貴方の……鳳郎のような心強い仲間を得て暮らすことができるのですね?」
「……そうとも。私だってお主のような……凰子のような仲間と出会い、幸せに暮らしたいとずっと願っていたのだ……」
自然と二羽の瞳から涙がこぼれおちた。どれほど願っただろう? ともに悲しみや喜びを共有できる仲間と巡り合えることを……。今この瞬間、この赤い鳥達はそれを手に入れることができたのだ。
「今日から……」
「私達は……」
「「二羽で鳳凰!」」
二羽の鳥の赤い羽根は、太陽の光を反射して、燃えるように美しく輝いていた。
ここまでで、第一部完という感じです
大体三~四部構成で考えています