第十三話『王宮』
燗姫が腕を振り下ろすと、再び部屋は静かになった。
鳳郎はそんな様子をただただ呆然として見ていた。目の前の光景がどうしても信じられない。自分は箱の中で夢でも見ているんじゃないのか?
燗姫はそんな鳳郎を見てクスリと笑うと、相崎の方に向き直った。
「相崎。私の書いてあげた『国王証明書』は役に立った?」
「はい。審査官も始めて見たらしく、戸惑っていましたが」
「滅多に発行するものじゃないものね? お父様も二回しか書いたことが無かったって言ってたわ」
国王証明書。王族が、個人又は団体に対して巨大な権限を与えることを証明するものだ。これ一枚あれば、国の軍隊を率いて他の国と勝手に戦争を始めても許される。
鳥をここまで連れてくるためには国民全員を騙す必要があった。下手にこのことを伝えてパニックにさせるのもまずいし、スパイに情報が漏れるのもまずい。
「国民を全員騙すのは簡単じゃないもの。切り札として国王証明書を渡しておいてよかったぁ……一枚書くだけでも、腕が腱鞘炎になっちゃうかと思ったけど」
「しかし、そのお陰で、赤き鳥は私のことを深く信用してくれたようでした。国に入ってから逃げられる訳にはいきませんでしたから」
実は港で相崎が審査官に見せたのは現金ではなく、国王証明書だったのだ。マニュアルとして、一応国王証明書の項目は存在する。しかし、一生に一度見ることがあるかどうかという代物だ、急に見せられて本物か偽物か判断することは難しい。
しかし、厳正に審査するなどと言ったら、反逆罪で罰せられる可能性すらある。故に審査官は、迷ったのだ。迷い、悩んだ挙句、誰にもこのことを伝えないで勝手に通した。通した後も誰にもそのことを伝えずに胸にしまっておくだろう。
その悩んでいる様子が、鳳郎にはワイロを渡されて悩んでいるように感じられ、そこまで相崎が自分のためにしてくれたのだと解釈して、さらに信用することにもなった。
「さすがお父様の考えた計画! 何もかもうまく行ったわ」
「あの……」
なんとか言葉を口にした鳳郎の声は、非常にか細いものだった。
「私は……死ねると聞いて……」
「っぷッ! クッ! ハハハハハハハハ! この鳥まだこんなこと言ってるわッ! やっぱり長い間生きてると言っても、鳥は所詮鳥ね! まさに鳥頭だわッ! あはははははは!」
燗姫は国王の威厳も風格もない、本当に愉快なように大声で嘲り笑った。その声によって、鳳郎の意識が戻ってくる。
「相崎……ッ! お前、騙したなッ!」
鳳郎は力の限り相崎のことを睨みつけて怒りをあらわにした。
「……騙したなだと?」
「……なに?」
相崎の声は静かだった。しかし、僅かばかり隠しきれない怒気がこもっていた。『どうだ? 罠にはめてやったぞ』という歓喜に震える声ではない。国王の前だから自嘲しているのとも違う雰囲気があった。予想外の態度に、鳳郎の怒りが少しそがれる。
「赤き鳥よ、知っているか? 私の妻……響子の墓には骨がないんだ。墓の中はこまごまとした遺品しか入っていないんだよ。なぜだと思う?」
相崎は突然そんなことを言い出した。まるで関係ない話をされて、鳳郎は混乱する。
確か相崎の妻は、事故で亡くなったと言っていた。だったらその関係で遺体が見つからなかっただけの話じゃないか?
「響子は船に乗って出かけた。大陸に用事があったんだ。そんなに長くない航海のはずだった」
相崎は顔を伏せたまま淡々と語る。感情がこもっているようでこもっていない。不気味な声だった。
「響子が旅立った次の日、海岸に響子の乗った船の破片が流れ着いた。その一部が焦げていた……どういう意味か分かるか?」
鳳郎は嫌な予感がして震えた。
「響子は焼かれたんだ。骨までな。鉄をも溶かす灼熱の炎で骨が無くなるまで焼きつくされた後、乗っていた船と共に海の底に沈んで行った……」
「ま……さか……」
鳳郎は相崎が言わんとしていることを理解して身震いをした。
「響子は……お前に焼き殺されたんだよ赤き鳥……この凶鳥がぁ!」
相崎の顔は怒りの形相に変わり、鳳郎を鳳郎以上に睨みつけた。
「そ、そんな……だがッ! 私は私に襲いかかる人間しか焼き殺していない! お前の妻が私を殺そうとしてやってきた以上、私の行為は……」
「ふざけるなッ! 貴様は見かける船すべてを焼き流行っていた時期があっただろうがぁッ! 響子は近づきたくて近づいたんじゃない! 嵐に巻き込まれ、お前の島の近くまで流されてしまったんだ! お前に危害を加える気があったはずがないだろうが! それなのにお前は殺した……あれほど慈愛に充ちあふれ、誰からも慕われていた響子を……俺の妻をお前は殺したんだッ!」
相崎はそう叫んだかと思うと、鳳郎が入っている檻をガンガンとものすごい勢いで蹴り始めた。玉座の間にはその音が響き渡り、部屋に居る者たちすべての視線がそこに注がれた。
「お、おい! 姫様の前でそんな無礼な!」
「良いじゃない」
燗姫の付き人らしき者が相崎を止めようとすると、燗姫がそれを遮って止める。
「相崎は一番危険な仕事をやってくれたのよ? これくらいの無礼は許されていいはずだわ。それに……」
燗姫の表情が愉快そうに歪む。
「誰かが誰かのことを責める姿を見るのって最高に気分が良くないッ? 責められてしゅんとしている方も馬鹿馬鹿しくて笑えるし、責めてる方は責めてる方で『私怒ってます』ってのを全身でアピールしてて滑稽だわ! みんなどうせ私より地位が低いくせに、下の方でみみっちい背比べをやってて本当に腹がよじれそうになるくらい笑えるわ! ハハハハハッ!」
汚らしい言葉を使って大笑いをし、付き人の方に視線を向けた。
「それから私はもう姫じゃないのよ? 国王様! 呼びにくいなら燗姫様と呼びなさい」
「……はい、失礼いたしました燗姫様」
相崎達にはそんな会話など耳に入っていなかった。相崎はひたすら檻を蹴って鳳郎のことを責める。鳳郎は鳳郎で、そんな相崎から目を背けることができずに震えていた。
「貴様がただ通り過ぎる船には手を出さなくなった頃から、『赤き鳥にも何か理由があるのではないか?』などという言説が世に出回り始めたのが許せなかったッ! 理由がある? 理由があったらあれほど無差別に人間を殺し続けてもいいというのか? そうじゃないだろうッ!」
檻はガンガンと音を鳴らしている。
「家族を海賊に皆殺しにされた? そうか、それはつらかっただろうな。海賊に復讐できてさぞいい気分だっただろう……。だったら、私がお前に復讐するのも理解できるだろうがッ!」
鳳郎は直接蹴られてはいない。蹴られたところでそれほど辛くもないだろう。しかし音が……。
「なぜ怒りをすべての人間にまで広げた!? お前は家族を奪われる痛みが分かるはずだろうが! お前の痛みを他の人間にまで押し付けるんじゃない! お前になど誰が同情するものかッ!」
音が響く。相崎が檻を蹴ってガンガンと音を出す。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
規則的に響くその音が、刃物の様に鳳郎をえぐる。騙された怒りなどとっくに消えた。むしろそんな感情を一度でも浮かべた自分を恥じた。
「お、ま、え、はッ! その名の通り凶鳥だッ! 不幸をばらまく悪魔の鳥だッ!」
そして何より、相崎が自分を責める言葉の音が、深く深く鳳郎を刺した。相崎の言葉はすべてが正当。言い返す隙間もない。完全に相崎が善。絶対的に鳳郎が悪。
「はぁ……はぁ……」
相崎はひとしきり檻を蹴った後、そこから数歩下がってしゃがみこんだ。その周りに弟子達が集まってくる。
「どう? 相崎、これで少しは気が済んだ?」
燗姫がニコニコと場違いな顔をして相崎にそう問いかける。相崎は特に気を悪くした風でもなく燗姫を見た。
「はい、燗姫様。このような機会を与えてくださったことに感謝します」
「あなたには褒美をあげなきゃね? 何が欲しい?」
「……いえ、褒美ならもう十分いただきました。それに……」
そう言って相崎は立ち上がる。
「もう生きる意味もありません」
周りの弟子達が息を飲んだ。燗姫はそれを聞いてにやりと笑う。
「そ! 疲れたでしょう? 今日はゆっくり休んでね?」
燗姫はあくまで軽く答える。相崎は小さく一礼して玉座の間を去ろうとした。
「……相崎ッ」
すっかり気落ちした鳳郎が、相崎の後姿に声をかけた。
「私に言ってくれた言葉は全部……全部嘘だったのか?」
相崎は後ろを振り返ることなく立ち止った。代わりに相崎の弟子達が鳳郎のことを睨んできた。
「すべてが嘘だったわけじゃない。本心からの言葉だってあった。……だが」
相崎は再び部屋の外に向かって歩き出した。
「お前は響子の顔すら覚えていなかったじゃないか……」
「………ッ!」
鳳郎はそれ以上相崎に声をかけることができなかった。
「……何で相崎を使いに出したか分かる?」
相崎が部屋から出て行くと、燗姫が鳳郎に声をかけてきた。
「もちろん自分から志願したっていうのもあるし、この計画を遂行できるだけの人格の持ち主だからって言う理由もあるわ。でも一番の理由は、相崎が老人だったことよ」
「それは……ん」
鳳郎は思った考えをあえて口にはしなかった。燗姫はそれを見破る。
「今あなた、年寄りならいつ死んでも大丈夫だからって理由を考えたわね? 違うのよ。本当の理由はね、相崎がいつ死ぬか分からない状態だから任せたの」
鳳郎には燗姫の言わんとしていることがいまいちわからなかった。結局自分が思いついた理由と変わらない気がする。
「ほんっとに鳥頭ね! いつ死ぬか分からない状態ってことは、あなたが死ねるチャンスはすぐになくなっちゃうってことなのよ!」
「……あ」
鳳郎はそこまで言われて気付いた。
「あなた死にたかったんでしょ? そう言う雰囲気を感じたって報告が入ってきてたもの。だからこそこの作戦が考えだされた。あなたは焦ったのよね? 今後永遠に自分のことをこんなに考えてくれる人間が現れるとは限らない。もし考えてくれる人がいたとしても、あなたを殺せる力を持ったものであると限らない。相崎が死んじゃったら永遠に死ね無くなるってことよね? だからあなたは即座に決断せざるを得なかった!」
燗姫が身を乗り出して鳳郎を見下す。
「あなたは我が身かわいさから罠にはまったってこと! 分かるゥ? あなたがそこに入っているだけで、あんたが意地汚い存在だってことを証明しちゃってるのよ? あはははははッ!」
燗姫は醜悪な笑みを浮かべながら鳳郎を嘲笑った。ここまでされれば鳳郎だって黙ってはいられない。
「ふんッ! 何が罠だ! こんな鉄でできた檻なんて簡単に溶かせる……あれ?」
鳳郎は翼を広げて炎を出そうとしたがうまく行かなかった。炎が出せないと分かると、燗姫はさらに笑いだした。
「あははは! バーカ! この檻がただ鉄を組んだだけのものであるはずがないでしょ!」
「な、どういうことだッ!」
鳳郎は急に焦りだして燗姫に聞き返した。燗姫は余裕の笑みを浮かべながらそれに答える。
「少し歴史の話をしましょう。実はこの神林は、あなたのおかげで大きくなれたのよ」
「……え?」
鳳郎は何のことか分からず、間抜けな声をあげてしまった。
「始まりは百年ほど前……あなたが人間を襲いだした頃のことよ」
燗姫は付き人の持ってきた椅子に座り、ゆっくりと語りだした。
鳳郎が家族を殺され、女神に力を与えられて人間達に復讐しだしたのは百年前。その頃から、ある海域で船が消えるという事件が起こり始める。
この海域は、人間達にとって用のない場所だった。航海するための海路でもなく、豊富な海洋資源がとれる場所でもない。しかもこの場所は、海賊が出ることで有名だった。故に人間達は、鳳郎の存在を知らなくても、めったにこの場所に近づくことはなかった。
しかしたまに、風や波の関係で迷い込んでしまう船もあった。迷い込んだからと言って何があるわけでもない、少し遠回りして目的地に向かうことになるだけ……。そう、百年前まではそうだった。
「あなたが現れたわ、目に入った人間の船は片っぱしから焼きつくす化け物。しかし私達はすぐにその存在に気付くことはなかったの」
その理由として、生存者がいなかったことがあげられる。鳳郎は狙いを付けた人間はすべて殺した。故に、その存在を被害者が伝えることができなかったのだ。
それともう一つ、海賊が出没する海域だったというのも、鳳郎の存在が認知されなかった理由の一つだ。この海域に迷い込んで船が消えれば、それは自然と海賊の仕業ということになった。だから人間達は、鳳郎の存在に気づくことができなかったのだ。
「でも長い時間が経つと、人々は違和感を覚え始めたわ。第一、海賊が船を襲っているという割には、海賊の姿も消えてしまったの。何かある……。人々は気付き始めたってわけ」
周辺国は調査を始めた。初めは小規模に、噂の海域に船を数隻派遣するだけ。しかし、その船も帰ってこなかった。
調査結果が得られず、命の危険が大きいとなると、国は調査を中止し始めた。割に合わないからだ。そもそも立ち入ることが少ない海域で船が消えたところで大した問題はない。そこに近づかなければいいだけの話だ。
しかし、ついに鳳郎は目撃されてしまった。
「あなたに襲われて、偶然逃げのびることができた船が現れたのよ。船員達は国に化け物の存在を伝えて、討伐してくれるように頼んだ」
各国の元首たちは、その化け物を退治、もしくは捕獲しようと考えた。退治できれば自分の支持が向上するし、捕獲できれば軍事利用できるかもしれない。
鳳郎と人間の戦争が始まった。
「でも、我が神林王国は軍を出さなかった。他の国の軍隊が、次々に敗走しているという報告を受けたからよ。当時の国王は、その報告を聞いて自分たちも軍を出せば被害が出る。でも、出兵しなければ、国民に見放されるかもしれないから、形だけ……全く違う海域に向かって軍を出しただけだったわ」
だから、神林王国は全く被害を受けなかった。
しかし他の国はなかなか撤退せず、毎回大きな被害を出しながら出兵し続けた。
「それを見た神林王国は、他の国に向かって軍を出したの。結果は大成功。国土は広がり、資源を大量に得られるようになって、神林王国は強くなったわ。ふふふ……赤き鳥? あなたはこの国にとっては繁栄を手助けしてくれた存在なのよ?」
燗姫はいやらしい笑顔で鳳郎を見た。鳳郎はなぜかとても屈辱的だった。
神林王国の侵略にあい、同じ島に存在する三国はようやく鳳郎に向かって派兵を止めた。
それからしばらくは何もなかったが、ある時凶鳥の島から生きて帰って来たと証言をした男が現れた。
「他の国はそれを聞き、鳥が弱ったのだと考えて再び兵を出したの。その結果また被害を出してるんだから馬鹿みたいよね? でも私の国は違った」
神林王国は、鳥が精神的に弱ったのではないかと考えた。軍の船に対しては無条件に攻撃してくるが、普通の船は見逃すという情報を得たからだ。
ならば、普通の船で近付けば鳥と接触し、捕獲できるのではないかと考え始めた。
「当時の国王……私のおじいちゃんね。あなたのことをゆっくりと時間をかけて調査し始めた。普通の船で通り過ぎるだけなら大丈夫か? 嵐で流されたのを装って上陸するなら大丈夫か? それとも、敵意がなければ普通に上陸しても大丈夫か? 兵士の格好をしてたら? 男なら? 女なら? 細かく細かく、慎重に鳥と接触できる条件を探した」
燗姫の父親に代が変わる頃には、その条件が大体はっきりとした。後は、鳥を捕まえる方法と作戦を考えるだけ。
「作戦は見ての通り。あなたに同情的な考えを伝えて気を引き、こっそりと国に連れてくる。そして方法が……その檻よ」
燗姫は勝ち誇った表情をしながら鳳郎を指さす。鳳郎は自分の力を封じている正体が檻だと知って、改めて檻を見た。
「こんな平凡な形をした檻がなんだと言うんだ?」
「檻を良く見てみなさいよ。あちこちに小さな傷があるでしょ? それは、虫めがねで見なきゃ分からないくらい細かい文字の呪文が彫られてあるの」
言われて檻を良く見て見ると、確かに傷が無数に付いていた。これがすべて呪文。こんなに大きな檻の隅々にまで掘られているというのか……しかし……。
「それだけ力がこもった檻ならそれなりの気配がするはずだ! 今は確かに力を感じるが、少なくとも港まではこんな気配はしなかったはずだぞ!」
鳳郎も、一応木箱に入る時に何か仕掛けがないか軽くは探った。そうでなくても、あれだけ長時間箱の中にいれば、何らかの違和感に気付いたはず。それが全くなかったのはどういう訳だ?
「私は専門外だから詳しくは分からないけど、その檻には強い念が込められてるわけじゃないそうよ。作業時間も数人がかりでせいぜい一日らしいわ。その檻の役割は皿なんですって」
「……皿?」
「そう、皿。受け皿のことね。その檻に書かれてる呪文は、力を呼び寄せる効果がある物。あなたの力を封印する呪縛の呪文は別の場所に彫り込んである」
燗姫の言葉に、鳳郎は部屋中を見まわした。一体どこにその呪文が書いてあるのだ? あの壁の模様か? それとも天井からつるされた布か? 床か? 絨毯か? 知識を持たない鳳郎にとっては、そのすべてがそれっぽくも見え、また違うようにも見えた。
燗姫はそんな鳳郎のことをクスクスと笑う。鳳郎は急に悔しくなり、燗姫に向かって吠えた。
「私の力は神の力だぞッ! すべてを焼き滅ぼす神の炎だ! 人間達がどれだけの呪縛を施そうとしたところで、封じ切れるものかッ!」
鳳郎はそう叫んで再び翼を広げる。今まで呼吸をするように当たり前に出せていた炎が出せない。炎さえ出せればこんな檻など……この部屋の人間達等一瞬で焼きつくせるというのにッ!
鳳郎がバタバタと檻の中で騒ぐのを見て、燗姫はますます愉快そうに笑う。そして椅子から立ち上がり、鳳郎の目の前まで近づいた。
「凶鳥? あなたの炎の力は確かにすごいわ、何千何万という人間を焼き殺せるくらい強大な力よ。あなたが言う様に、それは神の力なのかもしれない。でもね……」
燗姫は怪しい笑顔を浮かべて言った。
「人間の感情というのは……人間の欲望というのは時には神すらも殺すものなのよッ! あははははははッ!」
燗姫は手を顔に当て、周りを憚らずに声を張り上げて笑う。勝利を確信し、自分を讃え、鳳郎を蔑む笑い声だった。
「ねえ凶鳥? あなたの力を封じ込める呪文が何処に書いてあるか知ってる? 呪文はね? この神林王国中央都市のあちこちに彫り込まれているのよ! この巨大な中央都市が、そのまま強力な呪術陣になっているという訳ッ!」
指の間から燗姫の目が見えた。強い負の感情を感じさせる、嫌な目だった。
「国中の呪術師達をかき集めたわ! 裏切られたり、力を抜かれたりされたら困るから、家族や友人をたくさん……たっくさん捕まえたのッ! そして呪術師が失敗したら、呪術師本人では無くて、その人質を痛めつけるのよ。目の前でね? 死なないように手加減なんて一切しないのよ? だって代わりの人質はたくさんいるんだものッ! 死んだらまた別の人質を連れてきて痛めつける! そして二十年かけて町中に呪文をほらせ続けたのよッ!」
鳳郎は戦慄した。目の前の少女から発せられている言葉は本当に人間のものか? 何かもっと別の残酷な生き物、悪魔や魔物のものではないのか?
異常なほどに感情が高まり、実に楽しそうに叫ぶのだ。自分が何を言っているのか理解できているのか怪しい。それくらい、少女が言っているとは思えないくらい異常な雰囲気だった。
「当然呪術師達は苦しいわよね? 暗い感情を抱く者もたくさん居たでしょう。でもね? その感情が向かう先は……私達王族ではないのよ?」
呪術師達は苦しかった。無理やり連れてこられたかと思うと、人質まで取られて働かされ続けている。それはどうやら噂の凶鳥を捕まえるためらしい。
凶鳥は悪だ。小さい頃からそう教え込まれてきた。それに実際、たくさんの人々が殺されているし、自分の友人の中にも凶鳥に殺された者が何人かいる。凶鳥が憎い。
作業は苦しい……。だがこれだけしなければ凶鳥を封じ込められないのだと聞かされれば仕方ないという気もする。それくらい凶鳥は強く、危険な生き物なのだ。
ああ、辛い! でも休めない……休んだら封印の力が落ちてしまう! 凶鳥を封印できない! 絶対的な悪である凶鳥を封印できないんだ! 凶鳥を封じ込めることは正義なのだ!
今日人質が死んでしまった! それは自分が失敗をしたせいだが、元はと言えば凶鳥のせいだ! 凶鳥さえ現れなければこんな目に合わずに済んだんだ!
凶鳥さえいなければ……凶鳥さえいなければ……凶鳥さえいなければ……。
『凶鳥さえいなければッ!』
「呪術師達を極限の状態まで追い込み、負の感情を抱かせる。呪術というのは呪う気持ちが大切なんですって。だから、あなたに負の感情が向くように仕向けながら作業をさせる。町中にお前を封じるための呪文が彫り込まれ、その力は街の中央であるこの城に向かう。すると、その檻が受け皿となって呪いを受け止め、お前をその檻の中に封じ込めるという訳。丁寧に説明してあげたつもりだけど、納得してもらえたかしら?」
燗姫は誇らしげに語り、鳳郎を見下ろした。
鳳郎は、もうどうしようもないことを悟り、うなだれるのだった。
燗姫は鳳郎が諦めたことを察すると、付き人に目で合図をして剣を持ってこさせた。
そして、剣を鞘から抜き放ち、鳳郎の方を見る。
「……何をするつも、グッ!」
燗姫は無言で鳳郎のことを突き刺した。そしてゆっくりと剣を引き抜く。
鳳郎の体は剣が抜けると、すぐに傷が塞がった。
「ああ、良かったわ。不死は死んでないわね。不死まで封じ込められてたら計画倒れだもの」
「……何のことだ?」
燗姫は剣についた鳳郎の血を丁寧に指で取り、小さな器に集めた。
「あなたに関する報告を聞いていて、お父様はあることに気が付いたわ。大陸にある伝説に出てくる赤い鳥の話よ。ただ捕まえるためだけの計画が、その後を見据えた計画に変わったのはその時」
燗姫は器に集めた血を見つめながら話し続ける。
「その鳥はけして死なず、炎を操って自分を捕まえようとする人間を薙ぎ払う。でも、その鳥の血を飲むと、飲んだ人間も不老不死になれるんですって」
「……なに?」
大陸にある不死鳥の伝説というのは、凰子の言っていた鳳凰のことだろう。しかし、炎を操るという話と、不老不死という話は初めて聞いた。特に、その血を飲んだ者は不老不死なるというのは……。
「………んッ!」
鳳郎が考え込んでいると、燗姫は血を一気に飲み干した。部屋の中で小さなどよめきが起こる。
「………」
沈黙。燗姫は血を飲んだ後何も言わなくなった。数分はそんな状況が続いただろうか? 燗姫はおもむろに剣を自分の手のひらに突き立てた。
「! ……燗姫様ッ!」
付き人が慌てて駆け寄った。しかし、燗姫のてのひらの傷は、剣が引き抜かれると同時に塞がってしまった。
「か……燗姫様?」
付き人は様子を窺うように燗姫の表情を見た。燗姫は……笑っていた。
「すごい……すごいわ! 自分の体の中で血が巡っているのが分かるの! 力が満ち溢れてくるのが分かるッ! 見たぁ? 私の手に傷がある? 剣で刺したのに、今は小さな傷一つのこっちゃいないわ! 私は不老不死になったのよッ!」
燗姫がそう叫んだ瞬間、部屋の中は爆発的な歓声に包まれた。みんなが拳を突き上げ、『燗姫様! 燗姫様!』と、不滅の王が誕生したことを祝っている。
「そんな馬鹿な……」
一番驚いたのは鳳郎だった。目の間で起こった現象がどうしても信じられない。不死は罰だと言われた。それが何で、血を飲ませただけで他者にも伝染するのだ?
「お父様は道半ばで病に倒れたわ! でも私が……この私、燗姫がそれを引き継ぐ! 不死身の力を持って島すべてを統一し、やがて大陸にまで進出して神林王国を繁栄させて見せる!」
部屋の中は歓声で満たされている。燗姫の言葉は信頼性があった。先代の国王からの計画だった。不死の力を手に入れ、神林王国を一気に繁栄させる。そのための赤き凶鳥捕獲作戦だった。
「その鳥は地下室に連れて行きなさい。餌はやらなくていいわよ? どうせ死なないからッ!」
運ばれながらも、鳳郎は何が何だか分からず、ずっと混乱し続けていた。
あまり意味のある区分けではないですが、内容的にはここで第三部完。
次回から第四部という感じになると思います。