第十二話『帰郷』
相崎は鳳郎に話しかけた頃には、神林王国まであと少しのところだったらしい。鳳郎が木箱の中に入ってから、いくらもしないうちに港の音が聞こえてきた。
入港したらできるだけ音は出さないように指示を出されたため、鳳郎は息を潜めて木箱の中でじっとしていた。
しばらくは、ゆらりゆらりと波に揺られている感覚しかなかったが、突然木箱が大きな音をたてて揺れた。港に入り、箱を運ぶために台車にでも乗せたのだろう。
「おい! そこの箱まてッ!」
ガヤガヤとした港の中に、大きく叫ぶ声が響いた。
鳳郎は、この声が自分の入っているはこのことを指しているのではないことを祈った。しかし箱の動きが止まったので、相崎達が呼び止められたのだとすぐに察しがついた。
鳳郎は今まで以上に息を潜めて聞き耳を立てる。
「お前達の荷物の中で、その箱だけ異様に大きいな。少し中身を見せてみろ」
「これはこれは、入国審査官殿、今日もお勤めご苦労様です。荷物検査ですかな?」
相崎がやけに説明臭く挨拶をする。鳳郎に状況を伝えようとしているのだろう。どうやらこの木箱は不審に思われたらしい。
「挨拶はいらない。さっさと中身を見せろ」
「できません」
「何?」
相崎はきっぱりと中身を見せることを拒否する。すると、審査官の声色が変わった。余計に怪しまれたようだ。
「……お前達呪術師だな。呪術師の荷物は丁寧に審査するのは常識だし、法律にも優先的に審査するようにという項目がある。確認せずに通す訳にはいかんなぁ」
「この荷物は王宮へのお届け物です。勝手に開封する訳にはいきません」
「……ほう?」
審査員は値踏みするような声を出す。状況はまるでよくなっていないようだ。
「王宮への荷物だと? この何の変哲もない木箱が? 王宮にこんな質素な荷物が届くはずあるまい。この箱のどこに金属がつかわれている? 宝石はどこだ? 最低でも見栄えのいいように模様くらいあるべきだろうが。これが王宮への荷物のはずがない」
審査官は見破ってやったぞと言わんばかりの様子だ。今にも無理やり木箱を開けそうな雰囲気さえ感じる。
相崎も相崎だ。呪術師として何十年も過ごしているなら、呪術師に対する審査が厳しいことくらい知っているはず。それに対して何の対策もしなかったのか? 変装くらいはするべきだったろうに……。
いや……そんなことは相崎も百も承知しているだろう。しかし相崎は、そんな対策をする暇などなかったのだ。なぜなら、鳳郎を連れて帰ることは予定外だったからだ。
初めから鳳郎を連れて帰る予定だったならともかく、鳳郎を連れて帰る予定ではなかったのだから、対策などしているわけがない。船の中にたまたまあった箱の中に鳳郎を押し込めるのが精いっぱいだったのだろう。
だから後は相崎の話術だけが頼りだ。今までの会話を聞く限り、誤魔化しきれそうな雰囲気ではないが。
「どうあっても中身を見せないつもりか? これ以上拒否するつもりなら、法律によってお前を逮捕することになるぞ?」
それまで静かだった弟子達が少しざわめいた。それだけでもかなり緊迫した状況だというのが分かった。
「……では仕方ありません。これで通してもらえませんか?」
「なんだ……? そ、それはッ!」
審査官の様子が変わった。非常に驚いているようで、声を荒げるのを抑えているようでもあった。
「これでもまだ通していただけないというのですか?」
「い……いや、しかし……」
審査官は迷っている様子だった。状況がマシになったのは分かったが、何を迷っているのだろう?
「審査官殿。あなたはマニュアル通りに行動できる優秀な方だ。公務員、特にこういう仕事をするにはそう言う性格の方がいいと思う。ですがね審査官殿……たまにはマニュアルを無視された方が、自分に有益なこともあるのですよ。もしかしたら、ここが人生の分岐点になるかもしれないのです」
(金……かな?)
鳳郎は、相崎の話す内容を聞いてそう思った。鳥である鳳郎には分からないが、人間にとって金は命の次に大切なものらしい。相崎ほどの呪術師になれば、金はたくさんあるのだろう。審査官一人買収できる程度には……。
「……分かった。通っていい」
「ありがとう審査官殿。あなたの判断に感謝します。助言をしますが、このことは誰にも話さない方が良いと思いますよ?」
その後は誰に呼び止められることもなく、港を出ることができた。
港を出ると、海の上とは違うリズムで小箱が揺れる。馬車に木箱を積んで運んでいるらしく、ガタガタと小さく揺れた。
「赤き鳥……気分はどうですか?」
相崎が普通の声の大きさで話しかけてきた。もう周りには自分の弟子しか居ないのだろう。
「気分は問題ない。どんな病原菌に触れても病気になったりしない体なんだ。船酔いなどしないさ。それより、さっきの港でのことだが……」
「ああ、ある程度金を握らせたら通してくれました。使い道がない金がかなりあるので、気にしなくていいですよ」
相崎はそのことはさらっと流した。特に金を払ったことを後悔している様子もない。老人だからか、金に対する執着が薄いのだろう。
「申し訳ありませんが、目的地まで箱の中で我慢してください。他の人間に見られるのはさすがにまずいので……」
「ああ、構わない」
鳳郎はそう答えて緊張を解いた。一年しかいなかった故郷だし、百年も経つうちに見慣れた場所など変わってしまっているだろう。
それでもせっかく帰ってきたというのに、景色すら見られないというのは、寂しい帰郷だった。
* * *
しばらくは山道だったらしい。登っている感覚の次に下っている感覚が長く続いた。時々大きな音がして浮き上がったのは、大きな石でも馬車が踏みつけたのだろう。
下りきった後は長く平面の状況が続いた。そしてしばらくすると、港とは違ったざわめきに包まれた。どうやら街に入ったらしい。相崎が街に入った時、『この町に目的地があります』と声をかけてきた。ならば声を出すのはまずいと思い、鳳郎は軽く返事をした後は沈黙した。
馬車に揺られていると、楽しそうな人の声が聞こえてくる。こういう賑やかな雑音に包まれるのはいつぐらいぶりだろう? この雑音に慣れたものにとっては別段変ったものでもなく、むしろうっとうしく感じるものですらあるだろう。しかし鳳郎は、この雑音に包まれるのが少し心地いいのだった。
しばらくそんな雑音に包まれていると、急に馬車が止まった。誰かが降りる気配がした後、相崎が誰かと話をしているのが聞こえてきた。すると、大きな扉が開く様な音が響いてきた。どうやら、目的地についたらしい。
その後少しだけ馬車に揺られる感覚に包まれた後、木箱が宙に浮いたような気がした。持ち上げられたらしい。
鳳郎はそこで一瞬だけ首をひねった。目的の建物の中に入ったのなら、もう木箱の中から出てもいいはず……。
しかし、その疑問はすぐに解消された。鳳郎を連れて帰るのは予定外のことのなのだから、道場の人間達は当然知らない。そこに鳳郎の姿が現れれば混乱させてしまう。だから、最低限の人間にしか知らせないか、後でゆっくりと伝えるのだろう。そして……その後に鳳郎を殺すことになる……。
どうやらかなり大きな道場らしく、馬車から降ろされた後もなかなか移動が終わらなかった。そして、周りに人の気配はするのだが、不思議と話声が聞こえず静かなのが気になった。道場の人間にとって相崎は師匠のはず。その師匠が返ってきたならもっとざわめいても良いだろうに……。
鳳郎はそう考えて相崎に声をかけようとしたがやめた。鳳郎はまだ声を出してもいいと指示を出されていない。それどころか、全く声をかけられなくなっていた。こんな状況で声を出す訳にはいかないだろう。しばらく何も考えずに大人しくしていることにした。
それからしばらく運ばれ続けた。だがある扉が開く音がして少しすると、箱は止まった。
「着きましたよ……赤き鳥……」
相崎が呟くのと同時に指を鳴らす音がした。すると、木箱が解けるように消え始めた。一瞬鳳郎は驚いたが、『ああ、また呪術か』と思って特に気にしなかった。
それまでずっと暗い箱の中に居たから、光が差し込んできた時部屋の様子が良く見えなかった。だが、この部屋が非常に広く、とても美しい飾り付けをされた部屋だということはかろうじて分かった。それに、甘い花のいい香りもする。
道場というと、狭いうえに汗臭く、シンプルな作りをしているものだと思い込んでいたから、目をこすりながら見たその光景は意外なものだった。相沢ほどの呪術師の道場ともなると、違うものなのだろう。
目が光に慣れてくると、部屋の様子がわかり始めた。
……いや、これはおかしい。いくらなんでもあり得ない……。
まず部屋の広さ。小さな家なら丸ごと一軒入ってしまいそうなほど広い。個人の所有している建物……団体が所有している建物にしてもだ! 一部屋でこの広さはおかしい! この建物はどれほど大きいというのだ!?
さらにおかしいのが、それだけ広い部屋にも関わらず、まったく手を抜かずに美しく飾られているということだ。ここが舞踏会の会場ならともかく、ここは道場のはずなんだろう? 何でこんなに美しく飾る必要がある? この部屋にある物を半分も売り飛ばせば一生遊んで暮らせそうじゃないか!
そして人……。これだけ広い空間なのに、全く空虚な感じがしない。それもそのはずだ、部屋の中には人間達が集まって整列しているのだ。そして皆姿勢を低くして沈黙し、ちらちらと鳳郎の方を盗み見てくる。人間達がこれだけ集まっているのに、これほど静まり返っているのも異常だが、その人間達の格好もまた異常だった。
相崎とその弟子達は、軽くて暗い色の魔術師のような服を着ていた。しかしここに集まっている人間はどうだ!? 鎧をまとい、勲章を胸に付け、腰には剣を携えて、騎士のような……いや、ようなではなく彼らは間違いなく騎士だ。似たような格好をした人間達と何度も戦ったのだから見間違うはずがない。
そして……一番異常だったのが……。
「なん……なんだこの鉄の檻はッ!」
鳳郎はいつの間にか鉄の檻の中に閉じ込められていた。その檻は大きく、今まで鳳郎が入っていたのとほぼ同じ大きさのようだった。
恐らく木の箱はカモフラージュだったのだ。まず鉄の檻を用意し、それを呪術か何か分からないが、木の板でコーティングしたのだろう。木の板が無くなり、本来の姿がこうしてあらわになったという訳だ。
「ようこそ赤き凶鳥さん? あなたに会えて嬉しいわ」
鳳郎が鉄の檻に戸惑っていると、部屋の中に若い女の声が響いた。
女? 女などどこに居る? 相崎達の中には女はいなかったし、部屋をざっと見回しても男の騎士たちがいるだけ……。
しかし、鳳郎はやがて声の主を見つけた。部屋の一番奥、その部分だけ階段で登れるようになっており、その一番上に置かれた巨大な椅子に少女が座っていた。
相崎達の呪術師衣装とも、騎士たちの鎧とも違う。何とも重そうで、豪華で、煌びやかな服を着た少女だった。
「状況が分かってなさそうね? 当然だけど。だってそう言う風に仕組んだんだもの! それじゃあ私直々に色々と教えてあげましょう」
そう言って少女は立ち上がった。そして服を引きずりながらゆっくりとこちらに歩いてくる。付き人らしき者と、護衛兵らしき兵士達も、その後ろに続く。
「この国がどこかについては勘違いしていないと思うわ。ここは神林王国よ。ただ、この建物が何か分かってないのでしょう? この建物は、神林王国の王宮。そして、この部屋は玉座の間……この私、神林王国国王……燗姫様のねッ!」
そう叫び、燗姫と名乗った少女は大きく腕を振りあげた。それと同時に、部屋に居る者達が拍手をして歓声をあげる。
この部屋に居る誰よりも幼く、誰よりも弱く、しかし……誰よりも偉いこの少女に対して忠誠の意を示しているのだ。