第十一話『航海』
相崎は鳳郎の意志を確認すると、小さな鈴を取り出してそれを鳴らした。
鈴を鳴らせてからしばらくすると船がやってきた。鈴の音が、沖合に止まっていた船まで届くはずがないのだが、これも呪術の一つだろうか? 呪文を呟く様な仕草は全くなかったのだが……。
鳳郎が首を傾げていると、それを察した相崎が説明してくれた。
「鈴を良く見てください。小さな文字が書いてあるでしょう?」
言われて鈴を良く見ると、針で波線を描いたような字が彫り込んであった。
「これが呪文の代わりです。物体に呪文を書くことによって発動させるものもあるのです。ただ、呪文を書くだけでなく、その物体に気を送り込まなくてはなりませんが……」
鳳郎はそう言うものかと心の中で呟き、深くは気に留めなかった。難しいことは分からないし、原理が分かれば特に考え込むこともない。
相崎が言うには、船に乗っているのはすべて自分の弟子達らしい。弟子達は、相沢の無事を確認すると表情を緩めたが、すぐに鳳郎の存在に気付いて緊張した。
何しろどれだけの人間を焼き殺したかもわからない怪物なのだ。安心だと判断したから呼ばれたのだろうが、そんな危ない鳥の傍にいつまでも居たくはない。急いで梯子を下ろし、手招きして相崎を呼ぶ。
「少し話をしてきます」
相崎はそう言って梯子を登って行った。鳳郎が船に乗ることを話に行くのだろう。いきなり鳳郎が船に乗り込めば、混乱してしまう。
相崎が船に乗り込んでから少しすると、怒鳴るような声が聞こえ始めた。
これは説得するのは難航しそうだなと思い、鳳郎は島を振り返って墓がある方を見つめた。
「凰子……すまない……」
鳳郎は一言謝罪の言葉を口にした。凰子の期待……遺言ともとれる最後の言葉を裏切ってしまったことについて……。
『私達だって幸せに生きる権利があるのだということを証明して欲しいのです!』
「お前達が殺されてしまった時点で、私に幸せな生などあり得なかったんだよ……」
鳳郎の願いとは何だったのか? 仲間を得ることだ。孤独から解放され、共に生を歩む仲間を手に入れ、精一杯生きること。
一度は手に入れることができた。しかしそれはわずかの時間に奪い去られ、鳳郎は悲しみの底に沈んでしまった。
もう一度それを手に入れるために旅立とうとしても、鳳郎は家族の亡骸に縋り、守り、この島に縫い止められてしまった。
幸せな生などあり得るはずもない……。
だが、それなら……。
『このままでは、あまりに悔しいではありませんか。……誰からも認められず、忌み嫌われ、住んでいた故郷を追い出される』
これくらいはできたはずじゃないのか? この言葉は、誰かから認めてもらいたい、好かれないまでも、嫌われることなく生きたかったと鳳郎に訴えたようにも解釈できる。ならば、鳳郎がそのように生きたなら、間接的に凰子や子供達も認められたことになるのではなかったのだろうか?
しかし鳳郎はそのようには生きなかった。それどころか、正反対のことをしてしまったのだ。
数えきれないほどの人間達を、怒りにまかせて焼きつくした。その結果、人間達は鳳郎を恐れ、怯え、距離を取った。そしてしまいには、『孤島に住む赤い凶鳥』と呼んで化け物扱いをしたのだ。
別に認められるなら人間達でなくてもいい。むしろ、認められるというなら、同胞である鳥達に認めてらうのが一番いいのだろう。だが、赤い凶鳥と呼ばれるまでになった鳳郎を、鳥達は迎え入れてくれるだろうか?
圧倒的な力の前に跪き、ゴマをするようにご機嫌伺いをしてくることならあるかもしれないが、それでは凰子が言った『認められる』ということとは違う気がする。
支配ではなく、共生したいのだ。共に生きたい。わずかな時間でもいいから仲間として認められたい……。
しかし、もう何もかも遅すぎる。鳥にも人間にも……その他ありとあらゆる生き物に認められることなどあるものか。
「赤き鳥よ!」
相崎が船の上から鳳郎を呼ぶ。
「話がまとまりました! 乗ってください!」
「……分かった! ありがとう!」
鳳郎は相崎に返事をして、飛び立つ前にもう一度島の方を見た。
「所詮私は嫌われし鳥だ。一体何ができるというのか。……もう、休みたい」
言い訳の様に呟き、鳳郎は飛び立った。
* * *
出発してから数時間がたった。船は海の波に揺られてゆっくりと前に進んでいる。
鳳郎は船尾にとまり、ぼんやりと島の方向を眺め続けていた。
鳳郎が船に乗り込むと、相崎の弟子達は恐れるように鳳郎から距離を取った。
これが百年間の自分の行ってきたことに対する結果か、鳳郎はそう思いながら自嘲し、邪魔にならないように船尾へ移動したのだ。
船が沖に出てから、船員である弟子達が、たまに鳳郎の様子を見に来る。どうやら船が燃えていないかを確認しているらしい。鳳郎は、それは当然だろうと思いながらも少し悲しかった。
島が見えなくなる瞬間、鳳郎は反射的に翼を広げて、飛び立とうとした。無意識のうちに島に戻ろうとしてしまったのだ。
しかしすぐに翼をたたみ、水平線を見つめた。その後もなんだか落ち着かず、翼を広げては閉じるのを繰り返した。
鳳郎は自分の島に帰ろうとしているのだ。だが、寂しさからではない。恐らく……。
「赤き鳥よ」
相崎が声をかけてきた。どうやら鳳郎が落ち着かないのを見てやってきたらしい。
「落ち着かないようですな。これから死のうというのですから当たり前ですが」
「どうにも島に帰ろうとして体がうずくのだ。まあ大したことはない。ここで踊っているだけで本当に帰ったりはしないさ」
「……死ぬのが怖いのですか?」
恐怖、この世で死の恐怖以上のものはそうないだろう。それを考えれば、鳳郎が落ち着かないのも当たり前の話だ。だが、鳳郎は首を振った。
「恐怖ではない。たぶんこれは罪悪感だ……」
「罪悪感……? 家族の墓を放ってきたことですか?」
鳳郎はまた首を振った。
「確かに放ってきたことは忍びない。だがそのことで悩んでいたのではないのだ。……はたして、私は本当に死んでもいいのだろうかと思っていたのだ……」
「……は?」
相崎は、どういうことか分からずに首を傾げる。
「女神は私の永遠の生が……いや、死を奪うことが罰だと言った。ならば私は、償いから逃げ出すことになる。それに対して罪悪感を覚えていたのだ」
「何を言うかと思えば、あなたは十分すぎるほど生きた。普通の鳥は十年生きれば長い方だ。あなたはそれの十倍は生きて苦しんだんですよ?」
「しかし、人間は軽く七十年は生きる。百年生きる人間は珍しいが、ありえない話ではない。なら、永遠の生を苦しむ時間としては、百年は短すぎると思う」
「あなたは鳥だ。何の引け目も感じる必要はない。大体、復讐することが罪だとする女神が間違っている」
「……それはそうだと思うが」
鳳郎は今だって、海賊たちに対して復讐したこと、家族の仇を取ったことを後悔していない。しかしその後の行動はどうだっただろう?
復讐として海賊たちを焼き殺すことが罪なら、罪なき者達を焼き殺すことは重罪のはず。それに対する償いはどうなのだ?
そう言う思考が働き、これから死のうとする自分の行動に対して罪悪感を覚えてしまうのだろう。
「それより赤き鳥、ちょっと来て欲しいのですが?」
「ああ、構わない……」
相崎は鳳郎を船の中に案内した。そして倉庫のような場所まで来ると、木箱を指さした。
「大変申し訳ないのですが、入国してから私の道場に行くまで、この箱の中に入って欲しいのです」
「箱の中に? なぜ?」
「入国するときに、あなたが国の人間に見られるのはまずい。だから、荷物として道場までお連れしたいのです。あなたが現れてから……というと、気を悪くされるかもしれませんが、周辺国の人間は、赤い鳥に対して神経質になっているのです。少しでも体が赤い鳥はすべて捕まえられ、殺処分されてしまうほどです」
「なんだって……?」
自分が国の人間に見られるのがまずいというのはすんなり納得したが、赤い鳥が殺処分されるという話は衝撃だった。
かつては自分を迫害した鳥達、又はその子孫達とは言っても、自分のせいで大きな迷惑をかけているのは申し訳ない。
凶鳥……不幸を運ぶ鳥、不幸を生み出す鳥、存在するだけで周りを不幸にする……。
「心配ですか? 大丈夫ですよ。あなたには鉄をも溶かす無敵の炎があるじゃないですか。こんな木の箱にいくら細工をした所で、あなたを罠になどはめられません」
相崎は、鳳郎がこの箱を怪しんで深刻な表情をしていると思ったようだった。
「相崎……一つ頼みがある……」
鳳郎は声が震えそうになるのを必死でこらえながら口を開いた。
「なんですか?」
「もし私を殺すことができたら、そのことを国に……世界に対して公表してくれないだろうか? そのせいで迷惑をかけるかもしれないが、私は消えなければならない……」
相崎は少し驚いた表情をして鳳郎を見た。
鳳郎は木箱の開いている所から中に入り、相崎を振り返る。死ぬことに対する罪悪感は、すっかり忘れ去ってしまった。
「頼む……」
鳳郎の呟きに対し、相崎は静かに頷いた。