五十二話 (視点クィム)
川の中腹は、むせるほど匂いが強かった。川の底も見えず、濁った水にところどころ黒い油が浮いている悲惨なものだ。……これでは生き物など住めない。
「……深さはどれぐらいだ?」とナサンは近くに落ちていた枯れ枝を水に入れようとする。すると川に身を乗り出したナサンの腕を、イゴールが腕をつかんで制止した。
「この川は上に油が浮いているせいで分かりにくいが、流れが急なことがある。下は場所によってかなり速い。」そう言うと、イゴールは上流の方を見た。
「エルメネジルド、上流は確認したか?」イゴールの問いかけに、エルメネジルドは「今いる地点は第一候補でして、第二候補は上流の……ここから見える、あの巨石の向こう側に地盤の固い地点がございます。そちらが第二候補地です。」と答え、大きな岩を指さした。
ナサンは川岸に立ったまま巨石の方を見て、目を細めた。「そこまで離れてはいねぇな……。」
マルケスは「劇団が用意してくれた支柱はかなり頑丈ですし、急な流れでも耐えられるはずです。」と言って頷いた。
「では、第二候補地を見に行ってから、巡業している劇団員の方々の到着を待ちませんか?」と私の提案に全員が頷いた。
「しかし、今後も計画についての情報を共有するのは、巡業メンバーを仕切っているマルセラとガブリエルの二人にだけだ。それは分かっているな?」とイゴールは再度念を押した。
「つまり、巡業しているメンバーから、マルセラ殿とガブリエル殿は一時離脱してこちらに来るという算段なわけですか。」と第二候補地に向かいながら話す。
「まあそうなるな。巡業の隊列から完全に離れるわけじゃない、合流地点を決めておくだけだ。」
川岸は油混じりの泥でぬかるんでいて、足を置くたびに靴底が重たくなる。
「……この川、本当に元に戻るのでしょうか。」私は川を見ながら呟いた。
前方を歩いていたナサンは少しだけ振り返る。「さぁな。だが、戻らねぇなら戻らねぇで、俺たちが最初に失敗したってだけの話だ。」あまりにも気楽な言い方に、マルケスが苦笑した。
「君はもう少し研究というものに敬意を持ってくれてもいいと思うんだがね。」
ナサンは「だから、こうして泥だらけになってまでやってるんだろうが。」とふてくされる。
「ところでなんだが、クィム……。」とイゴールは振り返り。
「ジョアンは剣術が得意で体力があるはずだと思ったんだが……。」と後ろでふらふらとついてくる兄を見る。
「私は壁の街を数日歩き回って悪い足場に慣れましたが……兄上は悪い足場で剣を振るったことはありませんし、大目に見てください。」とぬかるみに足をとられて尻もちをついた兄に駆け寄った。
川の濁った水が流れていく。
私たちはその流れの先にある巨石へ向かって歩き続けた。




