三話 (視点クィム)
「おめぇ何もんだ?」と睨まれて思わず後ずさりそうになる。
しかし、一刻も早く情報を得るためには手段を選んでいられない。ナサン殿も警戒態勢に入っているのが分かる。声に震えを出さないように身体に力を入れる。
「ナサンの弟子です。クィムといいます。
バプタイズという人から、何か預かったりしてはいないかと聞いています。心当たりがあるなら、答えてください。」彼の気迫に押されてはいけない、この街はきっと弱肉強食なのだ。
「チッ…ついてこい。」とネリオという男は歩き出す。
ナサン殿は警戒しながらも少し離れてネリオに続いて歩きだした。
しばらく歩いていると、路地裏に無気力に座り込む人や、幼い子供を抱えたやせ細った若い女性が多く目に入る地域に進んでいくのがわかった。この街は、こんなにも…と思わず目を背けてしまいたくなる。王妃が慈善事業をしていることは知っていたが、もしかしたらこの壁の街にまでは行き届いていないのだな…といやでも実感してしまう。
「おい、南側に近づいてるじゃねぇか、どこに向かってる?」とナサン殿も警戒を強める。
「うるせぇな、おめぇらがあのじいさんのこと聞くから、案内してやってんじゃねぇか。ありがたく思えってんだよ。」と怒りながら突き進んでいく。
「せめてどこに向かっているのかくらい言ってくれてもいいじゃないですか?」と私も口を出した。
ネリオは頭を掻きながら「Café Hogar (カフェ・オガル)、これでいいだろ。」とだけ言ってまた黙り込んでしまった。
ナサン殿は、ついていきながらも少し考えこみながらぶつぶつと「南側との境界付近にある店だ……。じいさんとは、行ったことないはずだぞ……?」と呟いている。
家庭のぬくもりを意味する名を持つ店。
どんなところなのだろうかという興味はあったが、今は――
自分とナサン殿の安全が、本当に守られているのかという不安の方が勝っていた。これからナサン殿にも心当たりがない所へ行く、ということがいちばんの不安要素だった。
古びた看板が目立つ店の前に来た頃には明け方になっていた。西側に比べて、路地に立ち並ぶ家の壁の落書きや汚れが多いのが目につく。どこからか小麦の焼ける匂いも漂ってくる。
壁の街の中でも広い通りに面した店の前には何やら人だかりができていて、ナサン殿もネリオも何事かと警戒している。
ナサン殿と目を見合わせ、人だかりに近づくと女性が泣いていて、その向かい側には男性二人が困惑した様子で立っていた。
女性は泣きながら「なんで…なんであんな人なの!?男じゃない!!どうして私じゃダメなの…!?」と騒いでいる。
「私だって…私だってロドリゴのこと、好きなのに…!どうして男のそいつを…私じゃなくて…!」と言っているところで私は何となく状況を察してしまった。
兄の婚約者が決まったときに似ていたからだ。どういうわけか放っておけず、私は人を押しのけるようにして間に入る。
「貴方が今悲しむのは自然なことです。
ですが、それでもこのお二人を傷つけていい理由にはなりません。
お二人を責めたことで、心は少しでも満たされましたか?
ただ虚しさが増しただけなのではないですか?」
緊張して声が震える。もし、これで余所者とバレてしまったら…でも、口は止まってくれない。
「この世界には、何もかもを善と悪に分けたがる人が多い。あなたは、二人の関係を悪だと思っているのかもしれません。
しかし、たとえ本当にあなたが善であったとしても、他人を決めつけ、否定することは害になります。
彼らの関係も、あなたの想いも、どちらも尊重されるべきです。」
女性はハッとした顔をしている、周囲の声が遠い。
「正しいとか間違いとかではなく、見かけや性別、立場で人を判断することはやめるべきです。
本質は、誰かを想う心そのものにあります。それを否定する権利は、誰にもないのです。
まずは、今の貴方自身の気持ちを整理してください。
そして、誰も傷つけずに進む方法を探すことを、大切にしてほしいと思います。」
緊張で息が詰まる。声は震えていたが、それでも止められなかった。天使の名を持っていないながらも、王族として、目の前で起きていることを無視できなかったのかもしれない。
女性は俯いたまま舌打ちをして、足早に去っていった。
それにつられるように、人だかりも自然と散り散りになった。人々の中には「でもやっぱり……」「男同士で……」「気持ち悪い……」などという声が聞こえた。
やっぱり、私の話では何の役に立たなかったか……とぼんやりしていると、ナサン殿に胸ぐらを掴まれて意識を引き戻される。
「余計なことしやがって、おめぇは正論言ってねぇと死ぬのか?いい加減に分かれってんだ、正論じゃ!きれいごとじゃ!この街は生き残れねぇし、だれ一人だって救えねぇんだよ!」とナサン殿に怒鳴りつけられ、つい言い返そうとした。
すると「エンリケス!ロドリゴ!何があった?」と声が聞こえてきたので、そちらへ目を向けると、カフェ・オガルの前に頬を叩かれたのか片方の頬を抑える男性と、その男性に寄り添うもう一人の男性がいた。
恐る恐る三人に近づく、声を絞り出し「あの、余計なことを…」と言いかけたところ、寄り添っていた男性が「ありがとう。」と声をかけてきた。
意外な反応に拍子抜けしていると、ネリオが「この店、あのじいさんに教えられたんだ。」と話し始めた。
少しだけ、ほんの少しだけではあるが、ほしいと思える情報が得られるような気がした




