一話 (視点クィム)
聞いてしまった。
王家の書斎は、静けさに満ちた、唯一心落ち着く場所だったのに……その静寂が、音を立てて崩れるのを、確かに感じた。
「伝説の機械技師が残した危険な設計図が壁の街にある。」という官僚たちの噂話。
伝説の機械技師といえば、城に出入りする人間は誰しもが知っている。
バプタイズ・ラファエル・ド・バルボーザ。
アレンカール王家に仕えた、55年続いた戦争の功労者。
そして帝国のスパイ容疑をかけられ、「壁の街」と呼ばれる貧民街へと姿を消した天才機械技師。
そんな人物の噂をしていた官僚たちは第一王子の側近だ。義兄である第一王子ジョアン・ミゲル・アルヴァレス・デ・アレンカールのことは嫌いではない。自分と違って剣術に秀でており、ただの本の虫でいる自分と違って知識を実践してみるだけの応用力もあるし人を従えるカリスマ性だってある。しかし、私には持ち合わせていないものばかりの義兄は、はっきり言ってしまうと傲慢で短気なところがあるのだ。
そんな義兄がこの噂を耳にしてしまえば、王妃の妊娠が明らかになった今、胎児の性別がわからないにせよ、自身の王位継承権を確実なものとするためにすぐにでもあの街に兵を放って家じゅうをひっくり返してでもバプタイズ様も設計図も探し出すのだろう。
もう、悩んでいる時間はないと直感した。
以前からバプタイズ様の記録は見ていたからしっかりと頭に入っている。
側室の子だからと、継承権争いに巻き込まれたくないがために、城では幽霊のように息をひそめて生きてきた。父も母も王妃も義兄も、おかげで自分には無関心だ、数日城を空けたところで気にすることはしないはず。
書斎で偶然見つけてから隠しておいた、バプタイズ様宛の未発送の書簡を持ち、持っている服の中でもなるべく古いものに着替えて城を飛び出した。
自分でもよく分からない、でも、王家に籍を置いているのならば、自分の行動に責任を取らなければならないと、血がつながっているのかわからない父が……国王陛下が言っていた責任を果たそうと、ただそのことだけが自分の脳内をぐるぐると駆け巡っていた。
「というのがここに来るまでの流れです。」と目の前に座っている青年に伝える。
青年はまだこちらを疑っている。
社交界の大人たちよりわかりやすい、こちらに主導権を奪われたくないという目をしている。
「それが俺に何の関係があるっていうんだよ。」とこちらを睨みつけてくる青年に書簡を床に広げて見せる。
「読み書きができないということでしたので、見せながら読み上げさせていただきます。
バプタイズ・ラファエル・ド・バルボーザ殿
王家より下命を受け、現在取り組まれている新規装置について、改めて注意を喚起申し上げます。
本装置は理論上、戦局において画期的な力を発揮することが見込まれております。しかし、未知の力を扱う以上、予期せぬ事態を招く可能性は否定できません。
王家の意図は戦略上の勝利に重きを置かれており、民や国土への影響を十分に考慮しているとは言えません。技師として任務を忠実に遂行いただく一方で、装置の取り扱いには慎重を期すよう、強くお願い申し上げます。
技術顧問ロレンソ・アランテス・デ・マルケス…これはつまり、城の研究職の職員マルケスという者がバプタイズ様に王家の名で、警告という形を取った命令を記した書簡です。」
青年は明らかに動揺している。育ての親が王家に仕えていたという事実を薄々理解したというところだろう。
「で、でも、同じ名前のやつはどこにだっているだろ!?この街でナサンって名前のやつは何十人といるんだ!それに、そのショカンってやつが嘘の可能性だってある!俺が読み書きできないことを利用して、適当に難しい言葉ならべてるだけだろ!?」と青年は立ち上がった。ナサンというのは彼の名だろう。
「そうでしょうね。その可能性だって大いにあり得ます。
ですが、ラファエルというミドルネーム。これが何を意味するのか、あなたにもお分かりでしょう?」と今度はこちらが詰め寄る。
青年は後ずさった。もう否定したくてもできないのだ。
「天使の名前に由来するミドルネームは、王族か、もしくは王家に多大なる貢献をした者にのみ与えられる。
このことは、この王国に住むもの全員がご存じのはずです。」私は立ち上がってゆっくりと青年に近づいた。これで、もう彼も私も引き返すことはできない。
「でもお前、天使の名前がないだろ……?本当に王族か、怪しいじゃねぇか!」と青年は声を震わせる。
彼もなかなか頭が回る。交渉材料としてかなり痛いところを突かれた。
「私は側室の子なので、天使の名前は与えられていません。」
幾度となく噂されても、嫌気がさす。何度噂されたって、からかわれたって平気だと思ってきた、いや、言い聞かせてきただけなのかもしれない。
「お恥ずかしい話、私の母は娼館出身ですから。」と事実を述べた。
どうせこの話は王国中に知れ渡っている話だ。この世に生まれてしまった以上、変えることのない事実。憐みの視線だって、蔑みの視線だって、浴び続けていれば何も感じなくなる。人間というのは、結局のところ慣れてしまえばどうってことないのだ。
「母が“仕事”をしていた娼館、El Paraíso Carmesí(エル・パライソ・カルメシ)に確認をとっていただいてもかまいませんよ?ドロレス、という名前で働いていました。
何度も母に聞かされたので、物覚えはいいのです。」とまっすぐに青年を見据える。
青年は驚いた顔をしている。やはりドロレスという娼婦の噂話を聞いたことがあったか……と確信した。
「…じいさんが城で機械技師をやってたってことは理解した、お前がこの街に来たのはなんでなんだ?その紙の内容と、お前とこの街に何の関係がある?」と青年はどうにか言葉を絞り出すようにしゃべった。
「先ほど申しました通り、偶然ではありますが、バプタイズ様が残した危険な設計図が壁の街に眠っているという噂を聞いたからです。義兄が知ればきっと利用しようとするでしょう。
そして、その設計図は書簡に関係のあることだとすぐに察しました。バプタイズ氏は王家の要望通りには設計をせず、スパイ容疑をかけられた後、この街に身を隠したはずなのです。この書簡を城で見つけて…見ればきっと、バプタイズ様も城の状況を察してくださると思い、噂話を聞いてすぐ城を出ました。
設計図はこの街のどこかにある可能性が高いと私は考えています。
早速弟子であるあなたに遭遇できたのは思わぬ幸運でした。
もし弟子である貴方に設計図が渡されているなら……
見せていただけませんか?」
青年の顔を見る。彼が混乱しているのは明らかだった。
「俺は設計図なんてわからないし、そんなようなものは預かってないんだ。」と俯く青年の反応を見る限り、彼の言っていることに嘘はなさそうだ。
たしかに、私が育ての親だったとして、読み書きを教えていない子供に設計図を預けたりはしない。運よく関係者に会えたというのに、いきなり手詰まりになってしまった。
何とか情報を聞き出さなくては、そう思って「では、バプタイズ氏が信頼なさっていた方はいらっしゃいませんか?
例えば、どこかへよくお出かけになっていたとか?」と聞いてみるも彼は眉間にしわを寄せて首を振るばかりだ。
もう彼から引き出せる話はなさそうだ。しかし疑問は残る。なぜ、機械技師が設計図を見るうえで最も重要な読み書きを大事な弟子に教えていなかったのか…。でもそんなことを気にしている暇はない。時は一刻を争う、義兄よりも先に設計図を見つけなければ、きっとこの街どころか国は取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない。
「では、私はしばらくこの街を手あたり次第探してみます。」と出口に向かって歩き出したが、青年に引き留められた。
「お前、その恰好じゃまたすぐに厄介なことに巻き込まれるだろうが。
さっきのこと、もう忘れたのかよ。お前のその恰好じゃ、おぼっちゃま丸出しなんだよ。」と彼は頭を掻く。
持ってる中でもかなり古びた服を選んできたはずなのに……と思いながらも自分の服と彼の服を見比べてみると、確かにこうしてみると自分の服が綺麗に見えた。
「後、お前の話し方は丁寧すぎるっていうか……ちゃんとお勉強しました、って感じが丸出しだ。
お前みたいな坊ちゃんにはこの街は危険すぎる。」
そう言って、彼は私に一着の作業着を放り投げてきた。
突然の行動に驚いていると、青年は「だから、お前を俺の監視下に置く、生き残りたいなら俺のやり方で動け。
ついでに、俺もじいさんに関して気になってることがある。調べさせろ。」と話した。
「つまり、私はあなたの弟子と身分を偽りこの街を動く、ということですか?」と青年の様子をうかがった。彼の真意が分からない、騙して殺すのか……第二王子である私を誘拐して王家に身代金でもせびるのか、いや、青年ひとりにそんな計画がその場の思いつきで実行出来るはずがない。
彼は続けて「じいさんが抱えてた秘密、弟子の俺にも知る権利があるだろ?
俺はお前にこの街での生き残り方を教える、お前は俺にじいさんの秘密を教える。
これでいいだろ?」と話した。
たしかに、彼のそばにいれば、この街を自由に動き回れる。王家は国民一人一人を見はしない、だからこそ私は自分が生きる国の実態をこの目でしっかりと見てみたかったのかもしれない。私は頷き「改めまして、私は、クィム・フェルナンド・アウグスト・デ・アレンカール、クィムとお呼びください。信用できないのはお互い様、ということで協力と行きましょう。」と名乗る。
この状況では彼の言うとおりにした方がいいと勘が働く、この未知の街で生き残る勝算は彼の行動をマネするほかない。
青年は振り返り、「ナサンだ、ファミリーネームはない。ただのナサン。着替えたら出てこい。」と言い残して家を出た。
ドアが軋む音、それは城では聞いたことのない音だ。
ただその音一つで、自分に関心のない家族と使用人しかいない城が恋しくなるなんて飛び出してきたときは思いもしなかった。
それでも、城に帰ってしまえば、知るべきことも知らずに口の使い方や声の出し方を知らないまま死んでいった幽霊のようになってしまう気がした。




