十八話 (視点クィム)
殿下の質問で静寂が訪れる。お互いの呼吸の音すら聞こえてきそうな静寂を破ったのはナサン殿だった。
「あそこは、あんたらが生きてきた綺麗な世界とは違う。」ナサン殿のその言葉に、ガブリエル殿も俯く。
「そもそも、帝国との戦争中に首都に押し寄せて逃げてきた人らが、廃材使って家の上に家を建てて出来た街だ。
俺も物心ついたころからあの街の路上で生きてて、たまたまじいさんに拾われて生きてこれた。
住んでたところは国境沿いの川の近くだから、雨の日は川のほうから金属油とか、生ごみの腐った匂いが強くなる。道端にだって、ゴミとか金属片が落ちてて……。
ギャングの争いだって、ガキが親に殴られるのだって、女が路地裏に連れ込まれるのだって——日常茶飯事で……。
食いもんの手に入りにくい冬場は特に……。
盗んで、騙して、やばいときは殺しだってするやつがいる……それでも、そうしなきゃ生き残れねぇやつがいる。
お互いに助けていかねぇと生きていけない……生き残れないのに、お互いを完全に信用したら、その時はもういいカモになっちまう、そんな街だ。」そう言ってナサン殿は唇をかみしめた。
殿下は黙ったままガブリエル殿にも目を向ける。
ガブリエル殿は目を伏せてため息をついた。
「はぁ……、ナサンの言うとおりだ。路地裏には幻覚作用のある薬の中毒者が転がってる、気絶してんだか死んでるんだかは知らない。
糞ジジイには散々いろんな意味で使われてきたよ、俺って“かわいい”らしいからさ?
親ってのは自分の身勝手でガキ生んでおいて、さらには自分の身勝手で搾取するんだ。あの街ってのはそういうもんだ。
慣れちまえば、全部どうってことないことなんだって……自分に言い聞かせながら生きないといけないとこだよ。」ガブリエル殿は腕を組んで殿下を睨んだ。
ナサン殿と出会ってから、壁の街を歩いた。しかし歩いただけでは分からないことが多すぎる……そんな現実を一気にたたきつけられた。
殿下は手を組んで「まず、幻覚作用のある薬、それを作るために使われる水はあの川のやつだ。」と告げる。
呆然とする我々にかまわずに殿下は続けた。
「詳しく言えば、病気のための薬を作ろうとしてあの川の水を使ったらあんな薬ができてしまったというわけだ。
そして、バプタイズが解決したかった問題の中には、壁の街のごみ問題もある。」そう告げる殿下に向かってナサン殿は机をたたいて詰め寄った。
「俺は!たまたまじいさんに拾われた、だからあんなクソみてぇな街で生きてこれた!
じいさんが本当に、本当に!王家と関係があるんだったら、そもそもあんな貧民街にじいさんが住む理由はねぇだろ!?
城に住んで、毎日綺麗な服を着て、明日の飯を心配する必要なんてない!
じいさんが、じいさんが本当に王家に関係があるなら!俺はじいさんに会うことなく、とっくの昔に野垂れ死んでたはずなんだよ!!!」とナサン殿はどこか泣きそうな顔をしていた。
殿下はまっすぐにナサン殿の目を黙って見た。
その沈黙が、答えそのもののように重く落ちる。
「バプタイズが壁の街に住むようになった理由は、帝国のスパイの容疑をかけられたからだ。」ナサン殿を無視するように言い放つ。
ナサン殿は言葉を失い呆然と立ち尽くす。自分を育ててくれた人が、スパイだなんて当然受け止めきれないだろう。
「アレンカール王家に仕えた、55年続いた戦争の功労者で尚且つ帝国のスパイである疑いのある男……。それがバプタイズという天才なんだよ、ナサン。」ナサン殿はその言葉を聞いてへなへなとソファに座り込んだ。
俯いたままのナサン殿は力なく「じいさん、じいさんはもしかして……スパイだから王家に殺されたのか?」と聞いた。




