▼ 下段ツバメ返し ▼
▼ 下段ツバメ返し ▼
伊藤一刀斎は、小野善鬼と神子上典膳の二人の弟子を連れて安房を離れた後、舟で内海[江戸湾]を三浦半島へと渡った。
典膳は鎌倉の中条流道場に預けられた。道場主は一刀斎と共に鐘巻自斉の元で修行した兄弟弟子である。もちろん技前は一刀斎に遥かに及ばないが、理論と教え方は優れていた。一刀斎は道場主に、典膳の素質がいかに優れているかを説いた後で、自分と善鬼は武者修業に出て半年後に戻るから、それまで徹底的に稽古をつけてくれと言い置いて、道場を出ていった。
典膳はすごい早さで上達していったが、元々人並み外れた胆力を有しており、また、強くなりたいとの強い意志で故郷を離れたのであるから、当然のことなのかもしれない。典膳は寸の短い小太刀の修行をする中で、小太刀で長剣に対するには、死中に生を求めなければならないことを悟っていた。
相対した後、長剣が振り下ろされる瞬間に相手の手元まで瞬時に踏み込まなければ打ち倒される。もちろん、相手の繰り出す長剣を捌ききって、手元に付け込まなければならないのだが、そのような技前に簡単に到達できるとは思えなかった。
道場での修行は、最初は型を覚える組み太刀稽古であり、打つ方も受ける方もやることが決まっているから問題ないが、自由に打ちかかる稽古では、相手の木刀の動きを心で観る必要があった。この "観る" ということは凡庸な人間にはできないことである。
ある日、長い木刀を持つ道場主に短い木刀で打ち合った典膳は、練習後に道場主の部屋に呼ばれた。
「典膳、お前は身ごなしが速いし体も柔軟だ。だが、今日の打ち合いでもお前は俺の手元まで入れなかった。よいか。もし真剣で闘えば、踏み込めないお前はいつか必ず斬られることになろう」
「お師匠さま、じゃが、無理に入れば打ちのめされる。さすれば、斬られるのはもっと早くなるのでは」
「よいか。お前に足りんもんは、みる事だ。みて、みて、みることよ」
「みる? いつも真剣に見てるつもりですが」
道場主は紙と筆を用意すると、字を書いた。
「お前のみるは『見る』であろう儂の言うみるは『観る』だ。強くなりたければ両方の みる を会得せにゃならない。剣の動きは見てもよいが、それでは間合いの内に踏み込むことはできん。相手の心の動きを観るのだ。中条流の奥義とは、この観ることに尽きる。だから、剣の長短にとらわれずに短剣にて長剣に勝つことができるのだ」
それから三ヶ月の間、典膳は稽古の合間をぬっては道場の裏山に登り、空を眺め続けた。上空にはいつも数羽の鳶が風に舞っていた。緩やな気流に乗りにふわりふわりと浮いている鳶は、旋回しながら突然上昇したり急下降したりする。典膳はピーヒョロローとのどかに鳴いている鳶を観ながら、その動きを予測する訓練をしていたのである。毎日毎日見続けているうちに、典膳は鳶の動きをなんとなく予測することができるようになっていた。
そんなある日のこと、典膳は久しぶりに長さが一尺七寸ほどの短い木刀を持ち、師匠の持つ三尺の木刀と対峙していた。典膳は剣先を見ながらも師匠の体全体を視野にいれて観ていた。それは、鳶を観るときの眼と同じであった。師匠の剣が青眼から少し上段に動こうとした瞬間に、典膳は師匠の喉元に踏み込んでいた。そのまま突いていれば、師匠の喉は突き破られたにちがいない。
「いいぞ典膳、その拍子だ。お前は俺の動きを完全に観ていたようだな。表情、筋肉、眼の動き、呼吸、それに俺の気持ちまでも全て観られていたようだ。よいか、その拍子を忘れるなよ」
典膳の鳶を見つめる修行と中条流小太刀の組打ち稽古は続けられた。
一刀斎と善鬼は翌年の春に鎌倉に戻ってきた。
典膳は一刀斎に修行の成果を見せたかった。二人が道場に現れたときに、鎌倉の師匠は、典膳が長足の進歩をとげたことを一刀斎に告げたからだ。だが一刀斎は、今夜は旅の話をするから、明日道場で善鬼と立ち会ってみろと典膳と善鬼に告げた。
その日、四人は夕餉を終えると囲炉裏を囲んだ。一刀斎と鎌倉の師匠は酒を飲み始め、ほろ酔いかげんの一刀斎は、善鬼と京を経て西国に足を伸ばした話を始める。
「ワシは巌流を起こした小次郎に会いたくなってのう。大阪から陸と船を使って九州まで足を伸ばしたんじゃ」
「小次郎というと、鐘巻自斉先生のとこで太刀打ち役を務めていた佐々木小次郎ですかな」
「ああ、そうじゃ。あやつの編み出した虎切を見たくなってのう。噂ではかなりの剣客が犠牲になっておるとのことじゃったのでな」
「虎切?」
「ああ、”ツバメ返し” って言ったほうが通りがいいがな。あやつが、どこだかの川の巌で飛回るツバメを斬って修行したからそう言われているが、小次郎自身は虎切と呼んでおる」
「わたしが自斉先生のところにお世話になった時には、小次郎殿はもうおりませんでしたから、小次郎殿も私の兄弟子ということですな。そして弥五郎殿は小次郎殿の兄弟子になるという訳です」
「その通りじゃ。それで、小次郎はワシ等をえらく歓待してくれてのう。ワシが虎切を見せてほしいと所望すると快く引き受けてくれたのよ。ただし、木刀や剣を交えてではなく型のみでよければというので、ワシも型だけでよいと言うたんじゃ。わっはっは、まだ、ツバメのように切られたくはないからのう」
一刀斎は杯を煽ると豪快に笑った。もちろん、実際に遭遇したその場面でも一刀斎は小次郎に負ける気はしなかったのだが、小次郎自身が物干竿と名付けている刀身三尺以上はあろうかという長刀を見て、幾分薄気味が悪かったのも事実であった。だから、型を見せると小次郎が言ったときには、必殺技の型を見せるなんて馬鹿な奴だとも思ったのだが、立会いでお見せしましょう、と言われなかったことに、どこかで安堵していた。ただし、その型でさえ本物のツバメ返しかどうかも分かりはせんと思ったのも確かであった。
「で、いかがでしたかツバメ返しは?」
「いや、なかなか恐ろしい技じゃな、あれは。まず、上段から俊速の一撃が繰り出されるが、あれは受け止めても受け流しても幾分体勢が崩れるじゃろう。その瞬間に方向をかえた刀身が二ノ太刀として襲うのじゃ。あの長刀をあの速さで自在に振るえるとは恐ろしい弟弟子よのう。じゃがワシはあの技を見切ったがのう」
一刀斎は善鬼の方をみて薄笑いを浮かべた。
「それで、小次郎のツバメ返しもいいが、それより面白いものを善鬼が編み出してのう。なあ、善鬼」
「はあ、つまらん技ですが」
善鬼はまったく表情を変えずにぼそっと答えた。
「いや、ワシ等は小次郎のところを出てからは陸路で京を目指したんじゃが、姫路の手前で、陰流の者たちに出会うてのう。ワシを伊藤一刀斎と知って立ちあいたいと言うてきた。三名ほどいたので、まず善鬼に立ちあわせたんじゃ」
一刀斎の話によれば、最初の立ちあい相手は愛洲小七郎の弟子である柳井某という者で、真剣を持っての立ちあいを所望したそうである。身の丈が六尺ほどある善鬼は刀身三尺二寸という、小次郎の物干竿にも引けを取らない業物を使っているが、その立ちあいで、善鬼はそれまで一刀斎には見せたことが無い下段の構えを取ったらしかった。柳井は怪訝そうな表情を浮かべながら青眼に取ったが、二人の距離が二間ほどに詰まると、善鬼は裂帛の気合いと共に剣を下段から股下を狙って切り上げた。その鋭い太刀筋を飛び退いて外した柳井だったが、次の瞬間には何かに弾かれたかのように方向を変えた刃に袈裟懸けに斬られていたという。
その瞬間、見たぞ「下段ツバメ返し」と一刀斎が叫び、それから、その技をそう呼んでいるとのことであった。
その話を聞いた翌朝、典膳は道場で善鬼と立ちあった。木刀ではあったが、もし打ち合うことになれば、必ずどちらかが死んだに違いなかっただろう。一刀斎は事前に立ちあいでは「見切り稽古」にしろと、つまり相手に木刀を当てないようにしろと指示したのだが、始まればどうなるかは分からなかった。
善鬼は長い木刀を下段に取る。典膳は中段青眼であり、二人はまさに昨夜の話に出てきた通りに構えたのである。しかし、善鬼は仕掛けなかった。相手は柳井某などとは異なり、静かな構えながら殺気が桁違いに大きい。それに、善鬼は、彼が知っている以前の典膳とは様子が異なっているような気がして慎重になっていた。だが、それでも新しい必殺の技、下段ツバメ返しで俺が勝つ、貴様の頭が割れて血泡と脳漿が吹き出すのが目に見えるようだ、そう感じた瞬間、一刀斎の「やめい」との声が響いていた。
典膳は動けなかった。典膳は善鬼を観ていたし、動きの予想、つまり初太刀の刃筋までは観えていたのだが、それでも動けなかった。動いて初太刀を外しても、二の太刀に頭を割られるような気がしたからだ。だが勝機が一瞬はあるだろう、善鬼が下段から刀を振り上げようとする、その瞬間に裂帛の気合いで飛び込むしかないと感じていた。来ると感じた瞬間、一刀斎の「やめい」との声が響いていた。気がつくと背筋に冷たい汗が流れていた。
「典膳、ずいぶんと腕を上げたようじゃが、まだ善鬼にはかなわんじゃろう。さらに精進して善鬼に追いつくように修行せよ。そして、これからはワシと一緒に廻国修行に行くことになるから、そのように支度をせい」
そう言うと、一刀斎は鎌倉の師匠と共に道場を出て行った。
「典膳、これで二度目だな、貴様の命を助けたのは。まあいい、だが三度目には必ず貴様を殺してやるから楽しみにしとけよ」
「相変わらず狂った目付きをしとるな、じゃが、あんたが強くなったのは認めざるを得ないようじゃ」
「ふっ、あたりまえだ。貴様と俺との腕の差は開きこそすれ縮むことはない。貴様も修行などは諦めて、安房の田舎に帰るのがいいぜ。分かったら、すぐに失せやがれ」
「善鬼殿、残念じゃがワシは一刀斎先生について行く。いつか、あんたと雌雄を決する日がくるじゃろうが、ワシはその日まで修行を続けるつもりじゃ」
「けっ、勝手にしやがれ。だがな、覚えとけよ。貴様は必ず後悔することになるってことをな」
それから数日後、三人は鎌倉を出立した。それは水月が山ごもりを始めた翌年の晩春であった。