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ト伝 vs 一刀斎  作者: 古河 渚
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▼ 三石山 ▼

▼ 三石山 ▼


 内海 [東京湾] に面した木更津きさらず小櫃川おびつがわの河口に開けた古い街である。その木更津から小櫃川に沿って上流に五里ほどさかのぼり、そこから川をそれて三石山山道に入れば徒歩一刻半くらいで三石山の頂上にある寺に着く。


 典膳と水月は、弥助に教えられた清澄山の先にある峠を越えると、すぐに川筋の小道に出た。素掘りの隧道すいどう [トンネル]を抜けると、左手に巨石を山頂に据える三石山が眼に入ってくる。川幅も広くなり、それは間違いなく小櫃川の支流だった。典膳と水月は沢を登ることに決めていた。そのあたりには、支流に流れ込む沢がいくつかあり迷ったのだが、結局、適当に決めて進むことにした。


 支流の水量は少なくて簡単に沢の入り口に着くことができた。だが、歩きはじめてみると沢歩きはそれほど楽ではないことが解ってきた。

 太陽の光は深い木々の間を流れる沢には届かずに空気はひんやりとしている。ここ何日か雨が降っていないのか、水は透明でカジカの美声を沢山聞くことができたのだが、川底の石には苔が生えていて滑りやすく、大きな石が行く手を何回も塞いだ。水量は全体的に少ないものの、ところどころに深い溜まりがあり、大きな石や溜まりを迂回するのに時間がかかる。険しい場所も在ったが、ところどころに沢に注ぎ込む小さな滝があって眼を楽しませてくれた。二人は休むたびに話し込んだ。


「どうする? 小太刀の『桔梗』を手に入れたら誰が運ぶ?」

 典膳は額の汗を拭いながら横を進む水月に言った。

「俺の腹は決まっている。二人で寺まで持って帰ったら、そこで、一刀斎先生の前で決着をつける。真剣じゃなくて木刀で勝負するんじゃ。もっとも、木刀でも死ぬときゃ死ぬが……、俺はお前に殺されても文句は言わん」

 水月は、胸くらいまである深みを慎重に渡りながら言った。

「じゃあ、それでええ。ワシも文句は言わん」

 典膳は、そう同意しながら、さらに微妙な問いを持ち出した。


「もし、お前が負けて修行に行けなくなったときはどうするんじゃ……。村に残って、桔梗と夫婦めおとになるつもりはあるんか?」

 典膳の声は真剣である。

「負けはせんから答えんでもいいが、まあ、ええよ、答えても……。俺は桔梗と夫婦になろう思うとるんじゃ。だが、百姓や樵や漁師の女房にする気はない。剣の修行を終えて、誰よりも強い武芸者になってから、あいつを迎えに行く。そう決めとるんじゃ」

 水月の声には力がこもっていた。

「桔梗は知っとるのか? お前の気持ち」

「さあな、なんとなく言うとるんじゃが……、だが、先生と修行に出る前には言うつもりじゃ。俺が帰るまで待っていてくれとな。そんなことより、お前こそ桔梗をどう思うとる」

「言うな、水月。桔梗はお前を好いとるようじゃから……、ワシもそのことは知っとるよ。だからこそ、お前に負ける訳にはいかん。試合ではお前を殺すかもしれんが、そのつもりでおれよ」

「ああ、俺も負けはせん。武芸者になれなければ桔梗を諦める覚悟じゃからな。そんときゃ、桔梗はお前にくれてやる」

「馬鹿いうな、桔梗はお前んもんじゃ。じゃがな、一刀斎先生はワシがもらって行くからな、ええな」

「はは、言うたな典膳、帰ったら真剣勝負じゃぞ」

「おう」


 出発して歩き続けると沢は細くなってきた。沢の入り口から一刻半も歩きつづけてきたからか、沢の両脇はかなり切り立った斜面になり木々が鬱蒼うっそうとしてきている


「もうそろそろじゃろうか? この斜面の上に三石山の巨石があるはずじゃが」

 と水月は言った。

「そうだな。だが、どのへんで斜面を登ればいいか解らんな。三石山がどのへんなのか解らん」と典膳も心配そうな声で言う。

 遠方から見えていた山頂の巨石も沢に入ってからはまったく見えなかった。だが、彼等らはまた一刻半かけて沢を戻る気はなかった。もう決断してこの斜面を登るしかない。

「なあ典膳、沢があそこで曲がってるから、あの場所まで行ってからどうするか考えよう」

 水月が前方を指差して言った。


 沢が曲がった場所には衝撃的な光景が広がっていた。そこで沢は二つに分かれており、その間は切り立った斜面で分離され隔絶されている。どちらの沢に行っても沢が終わっていることは明らかだった。前方には大きな垂直に近い断崖絶壁が横たわっていたからだ。


「あの上は、たぶん三石山から元清澄に繋がっている尾根にちげえねえ。弥助さんが言っていたように、どっちの沢もあそこで終わってるから、俺たちはこの右の斜面を登るしかねえんだ。そうじゃろう、典膳……、なあ、俺が先に行くから、お前は後を頼む」

 水月はそう言うと、途中で拾って杖にしていた硬い樫の棒を典膳に渡した。

「俺が先に木や草を伝って上に登るから、足場ができたら俺がお前を棒ごと引っ張るよ。合図をしたら棒を突き出してくれ」


 彼等が登ろうとした切り立った斜面はたぶん二百尺(約六十メートル)くらいであったろうか。その斜面は、沢歩きを始めた頃の両側斜面よりかなり急であった。それまで、沢を囲む斜面はずっと鬱蒼とした木々に覆われていたのだが、そこは鬱蒼とした木々どころか高木もなく、ところどころに生えているのは低木か草が多かった。斜面が急で種が着床しないからだろう。水月はところどころに生えている草をつかみながら慎重に登っていった。どうしても登れないような斜度ではなかったが、斜度は一様ではなく傾斜のきびしいところがあった。それは一箇所だったが、その手前で水月はかなり危ないと感じていた。でも、もう半分ほどは登ってしまい、そして、登るより降りるほうが困難なことを痛感していた。いや、すでに降りる事は不可能だった。


「典膳、ここはかなり危険だぞ」

水月は大声で叫んだ。

「ああ!」

 下から典膳の声がしたが、そっちを見ている余裕はなかった。水月はその危険な斜面の草束をグイとわしずかみにして足を踏み出したが、その草束は体重を支えられずにちぎれていた。水月の体は垂直落下の臨界点まであとわずかだったが、その時、空中に踏み出しそうになった水月の草鞋の裏に、木の棒の先端が突き刺さっていた。典膳に渡した棒を彼が下から足の裏めがけて突き出したのだ。落下寸前の体勢はかろうじて立て直りそうに見えた。だか、無理な体制をささえるには草鞋ぞうり脆弱ぜいじゃくだった。鼻緒はなおがちぎれた瞬間、水月の体は沢へと急降下していった。

「典膳〜〜〜」

「水月っ〜、水月〜〜〜」

 二人の叫び声は空しく山の中に吸収される。鬱蒼うっそうとした密林には蝉の声が響くだけだった。



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