表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ト伝 vs 一刀斎  作者: 古河 渚
25/28

▼ 柳生新陰流 ▼

▼ 柳生新陰流 ▼


 小金原を後にした典膳は桔梗を連れて高崎宿にお美乃を訪ねていったが、一刀斎の兄弟子がやっている中条流道場に、お美乃はいなかった。

 十日ほど前にお美乃は、一刀斎を訪ねて下総へ行くから暇をいただきたいと申しでたという。典膳にはここまで来る間にお美乃とすれ違った記憶はなかった。もしかしたら、見逃したのかもしれない、一度しか会ってないから旅姿では判らなかったのかもしれなかった。だが、典膳は小金原に戻ろうとは思わなかった。会えば必ず一刀斎の消息を尋ねられるに決まっているが、嘘をつきとおす自信がなかったからだ。お美乃には二度と会わないほうが、お互いに幸せなのだ。そう心に言い含めると、典膳と桔梗は江戸に向かった。


 江戸の町はごったがえしていた。徳川家康を頂点とする家臣団数万人、その家族や郎党を入れれば数十万人という集団が江戸になだれ込んできたのである。また、関東周辺や全国からも、徳川家に拾ってもらおうとの浪人者や一攫千金を夢見る商人、手に職のある職人、それに女郎や悪党までが大量に入ってきていたのである。まだ、江戸城も改築普請の最中で街割りもできていなかったが、とにかく活気だけはあったのである。

 典膳と桔梗は新開地にできた旅籠はたごに宿を取った。宿の主人には夫婦ではなく兄妹だからといって続きの二間を用意させた。


 典膳が小幡勘兵衛の屋敷を見つけるのはそれほど時間がかからなかった。勘兵衛は甲州流軍学を教える小幡兵学所を開いていたからである。草葺くさぶきも新しい、建ったばかりだと見える勘兵衛の館は木の匂いがしていた。

「その方が伊藤一刀斎どのが推挙しておった者であるか」

 書院造りの奥座敷に通された典膳は、そこで勘兵衛と会った。五十くらいであろうか、壮健な体付きに鋭い目付きが印象的である。元々勘兵衛は武田家家人であったが、武田滅亡の後に長らく野にあったのを家康が見いだして家臣とした。武田流の軍学を、門人を取って教授しているという、家康の信も厚い人物であった。

「はじめてお目にかかります。私は神子上典膳と申します。伊藤一刀斎先生の弟子として、このたび印可を受けましてございます」

「それは祝着でござる。天下に名高い一刀斎どのより印可を受けられるとは、並外れた力量でござろう。実はのう、一刀斎どのが貴殿を徳川家の剣術指南にと推挙すいきょされましてな。ぜひお会いしたいと思うておりました。して、一刀斎どのは息災にしておられような」

「はっ、師はこの度、さらなる剣の工夫を求めて西国への廻国修行に出たところでございます」

「ほう、さらなる精進であるか。道を求める者の姿勢は見習わねばならんな」


 典膳の心内は苦しかった、だが、なんとしても師一刀斎が亡くなったことは隠さねばならない。それだけは誰にも言わずに地獄の底まで持って行かねば、心を鬼にして嘘を突き通さねばと、そう決心していた。

「大変にご無礼ではあるが、印可状と一刀流を継がれる証である甕割刀を拝見したいのだが。……ああ、貴殿を疑うておるのではないが、これもお役目であり、家康公のお側に仕える剣術指南への推挙なれば、是非とも拝見させていただきたい」

 典膳は懐から印可の巻物を取り出すと勘兵衛に差し出す。甕割り刀は部屋の入り口に置いてあった。勘兵衛への礼を取ったのである。典膳は甕割り刀を取って戻ると、それも勘兵衛に差し出した。


 小幡勘兵衛の推挙という形をとって、神子上典膳が徳川家康に仕官したのは一五九三年(文禄二年)のことであったが、それは、柳生石舟斉の子、柳生宗矩が徳川家に仕える少し前のことである。やがて、典膳は家康の子であり、後の二代将軍となる徳川秀忠の剣術指南役となるべく秀忠に謁見した。

「神子上典膳吉明とやら、面を上げよ」

 江戸城二の丸で秀忠と謁見した典膳は平伏していた顔をあげる。江戸城はまだ拡大修築中であったが、新しく完成した二の丸は木の匂いがしていた。襖絵などは、きらびやかな大阪城や伏見城とはちがって侘び寂びの中に重厚な雰囲気のあるものが選ばれている。その部屋の襖絵も眼光鋭い鳥が池の中の魚を狙っているという墨絵風のものであった。


「そちは剣を取っては不敗であったという伊藤一刀斎の弟子で、一刀流の道統を継いだというのは誠であるか」

「はい、一刀斎先生より道統の秘剣である甕割刀を授かりましてございます」

「うむ、その甕割刀での秘技、見たいものよのう」

「はっ、お命じくだされば、いつでも誰とでも立会う所存です」

「良い心掛けじゃ。ところで、みこがみ とは、あまり聞かぬ姓であるが、どのように書くのだ」

「はい、神の子の上と書いて神子上と読みます」

「なるほど、だが、神の上では将軍より上のように聞こえてしまうわな、あははっ」

「申し訳ございません。それで、前々から考えていた姓を変えることに関して、お願いしたいことがございます」

「うむ、申してみよ」 


 典膳は小幡官兵衛から、改姓・改名について考えておくようにとの示唆を受けて、そのことについて考えて来ていた。もちろん、神の上の印象についても官兵衛から聞かされていたからだ。

「名を神子上典膳吉明から、小野次郎右衛門吉明と改名することをお許しください」

「はて、典膳吉明から次郎右衛門吉明はいいとして、姓を小野に変えるのは何故であるか?」

「はいっ、私は師一刀斎の道統を引継ぐにあたり、兄弟子である小野善鬼殿との試合をいたしてございます。その際に落命せし小野善鬼殿のことを忘れたくはないのです。共に師を尊敬し一刀流を世に立てようとした兄弟子を忘れることなく、これからも共に一刀流を支えてほしい故、兄弟子の姓を名乗りたく存じます」

「うむ。自らの姓を捨ててまで、一刀流を世に立てようとの決意あっぱれである。儂の一字を与える故、これからは次郎右衛門吉明ではなく次郎右衛門忠明と名乗るがよい」

「はは、ありがとうございます」


 ここに、徳川秀忠付き剣術指南役、小野次郎右衛門忠明が誕生した。

 次郎右衛門は改修の大工事を行っている江戸城から北方の駿河台下に支度金を使って、住まいと小さな道場を建てた。桔梗には住み込みの女中を付けて一部屋を宛てがった。

 桔梗は江戸に着いてはみたが何もすることはなかった。往来には工事のための牛車や馬車は行き交い砂煙がひどい。それに、周辺各地から大量の人がなだれ込んできていて、喧嘩や騒ぎも耐えなかった。まだ、城下がしっかりと完成した訳ではなくて治安も悪かった。昼間には女中を連れて道場の近所に繰り出してみたが、桔梗が期待していた水月の情報などは皆無であった。


 その頃、京都伏見に滞在していた徳川家康は、大和柳生の庄にいた柳生石舟斉を呼び出していた。石舟斉はやはり剣聖として名高い上泉伊勢守より新陰流の印可を賜った人物であり、柳生新陰流の創始者である。その石舟斉であるが、初めて伊勢守と出会ったときには、伊勢守の弟子であった引田豊後にさえ手玉にとられたほどであった。伊勢守は弟子入りした石舟斉に、無刀にて相手に勝つ方法を考えよとの課題を与えて立ち去ったと言われている。そして、数年後に再会した石舟斉は、柳生無刀取りの秘技を披露して新陰流の印可を得た。家康はその無刀取りの秘技を見たかったのである。


 家康は無刀取りを見ると、その場で、石舟斉を我の剣術指南として迎えたい旨を伝えたが、石舟斉はこれを固辞して息子の柳生宗矩を推薦したので、家康は柳生宗矩を剣術指南に迎えたのであった。

 だが、石舟斉も、たぶん宗矩自身も剣のみであれば、世間にはより強い者がいることを判っていたに違いない。そのような者の最右翼であったのが伊藤一刀斎であった。

 石舟斉は柳生四天王といわれた木村助九郎、庄田喜左衛門、出淵孫兵衛、村田与三をつけて宗矩を江戸へ送りだした。さらに、後世に石舟斉から柳生新陰流の道統を引き継ぎ、柳生史上最強と言われた、このとき十七歳になる柳生兵庫助を見聞を広めるようにと、宗矩に従わせる。石舟斉も宗矩も兵庫助も、江戸には伊藤一刀斎の弟子である小野次郎右衛門が、もう一人の徳川家剣術指南役として召し抱えられていることを知っていた。


 宗矩は小野次郎右衛門を軽く見ていた。次郎右衛門に四天王を立会わせれば、たぶん柳生が勝つのではないかと。江戸に到着した宗矩等一行はしばらくの間、柳生道場の整備などをしていた。が、ついに、駿河台下に建った一刀流小野次郎右衛門の道場に向かったのである。

「頼もう、小野次郎右衛門殿はご在宅か」

 道場門前で柳生の高弟の一人が大音声で叫ぶ。

「はい、どちら様でございましょう」

 出てきたのは、薄桃色の小袖を着けた美しい女だった。だが、結んだ黒髪が肩下くらいまでしかない。桔梗だった。

「これは、小野様の御内儀でありますかな」

「いえ、典膳、いえ次郎右衛門忠明の妹で桔梗と申します」

「ほう、お美しい妹がおられてうらやましい。それで、次郎右衛門殿はおられようか」

「はい」

「我らは、徳川様剣術指南である柳生一門でして、本日は小野様への御挨拶ということでまかり越しました。是非お目にかかりたい旨、お引き継ぎくだされ」

「はい、お待ちくださいませ」


 相手は丁重な物言いで桔梗に取り次ぎを頼んだ。だが、桔梗は、彼らが典膳との試合にきたのだと見破っていた。このような、試合申し込みの輩はこれまでも数名いたからである。典膳は嫌な顔一つせずに会うのであった。そこで、剣術の話などして帰る輩もいれば、どうしても一手と言い張って立会う者もいた。立会った場合、相手は必ず腕とか脚とか肋とかを打ち据えられて、道場の床に這いつくばるのを桔梗は見知っていた。典膳に余裕があり、相手を骨折させることがないように手加減できたのだ。だが、今度の相手はいままでとは桁違いに危険な相手であるということを、桔梗の勘が告げていた。典膳は道場で一人型の稽古をしていた。


「典膳、いま門前に柳生様の方々がお会いしたいと来ているの」

「ほう、ついに来たか。何名かな」

「全部で六人よ。どうする、風邪で臥せっているといって断るほうがいいと思うけど」

「いや、奴らは何回でも来よう。いい機会じゃ、会ってみよう」

「でも、会えば立会うことになるわ」

「それも仕方ないことよ。武芸者になったときから死ぬ覚悟はできている」

「典膳」

「桔梗、万が一のときは、神子上村に帰れ、小幡殿を頼ればなんとかしてくれよう」 

 典膳は面会を拒否しなかった。桔梗は六人を道場に通す。


 宗矩は十年ほど前に父石舟斉を尋ねてきた伊藤一刀斎を見たことがあった。まだ弥五郎景久と名乗っていた一刀斎は、石舟斉とは立会わずに剣術の話などをしただけで柳生の庄を去ったので、一刀流の太刀筋がどのようなものであるのかは知らなかった。もちろん、その後の一刀斎の剣名の高まりや、数々の神話のような秘太刀の話は聞いていたし、一刀斎への恐れは抱いていたが、本人と弟子とは別である。宗矩には次郎右衛門への恐れは一かけらも無かった。


 一方の次郎右衛門のほうは、柳生石舟斉の名前は知っていたが、柳生新陰流の剣士と立会ったことはなかったし、立会いを見た事もなかった。

 小野道場のあまり広くはない稽古場で向かい合い、一通りの挨拶がすむと、柳生側はかねてから打ち合わせてきた通りに、木村らの柳生四天王が是非一手ご教授願いたいと申しでた。次郎右衛門はまったく躊躇することもなく、よろしい、お手合わせいたそうと述べ、互いに道場で支度を整えた。お互いに襷を掛けてから鉢巻を締める。

「では儂からお願い申す」

 木村助九郎が一歩前に歩みでる。手には全長三尺ほどの樫の木刀を手にしていた。

「では、私はこれにて」

 次郎右衛門は全長二尺ほどの小太刀風の木刀である。

「それでよろしいのかな? 小野殿」との助九郎の問いに

「どうぞ。いつなりと御掛りくだされ」と次郎衛門が言う。

「では、行きまする」

 助九郎が青眼にかまえ、裂帛の気合いとともに踏み出すやいなや。目前にせまった次郎右衛門に激しく手元を打たれて木刀を落としていた。完敗であった。

「誰か行かぬか」

 宗矩が言い。残りの高弟三人が立ち上がると

「叔父上、是非、私に立会わせてほしい」と立ったのは、まだ前髪立ちの少年、柳生兵庫助であった。その気迫を感じて宗矩も「立ち会うてみよ」と許可をした。

「柳生兵庫助と申す。まだ若輩なれど、一手ご教授を」


 やはり三尺ほどの木刀を持ち挨拶をするが、次郎右衛門は微かにうなずいただけで無言である。右手に構えた小太刀がすっと兵庫助の前に伸びる。

 兵庫助は、赤樫の木刀を青眼にかまえてから剣先を少し下げた。

 兵庫助は幼いときから祖父である石舟斉に厳しく剣を仕込まれ、また、別の師にもついてわずか十四で印可を受けるほどの技量であった。石舟斉も、あいつは天才よと周囲に漏らしていたほどで、石舟斉が柳生新陰流の剣に関する正統伝承者を、徳川家剣術指南役に推挙した宗矩ではなく、孫の兵庫助に継がせたのは彼の才能があまりにも大きかったからである。


 次郎右衛門と兵庫助は、最初の構えのままでにらみ合ったまま四半刻も動かなかった。だが、兵庫助が汗まみれになっていたのに対して、次郎右衛門は汗ひとつかいてはいなかった。兵庫助は動かなかったのではなく動けなかったのだ。一瞬でも動けば次郎右衛門の小太刀が頭を割るような気がしたのである。

「まいりました。付入る隙が微塵もなく完敗です」

 兵庫助はそう告げると木刀を引き下げた。


 その後、小野道場を辞去した宗矩一行は、江戸に完成した柳生屋敷にもどったが、宗矩に立会いの感想を聞かれた二人は次のように答えたという。

「儂は小野殿の剣先に目付けいたしたはずでしたが、気がついたときには手元まで来られていました。まったく、あの動きの速さは見たことがないような……、腑に落ちませんな」と助九郎。

「私は小野さまの全身を観て目付めづけいたそうとしたのですが、はて、どうしたものか、目付めづけするべき場所が見つかりませんでした。小野さまがどこにいるのかさえあやふやで……、あのまま、目付めづけもできずに踏み込んだならば、どこぞを打たれて完敗したでしょう。小野さまが先手を取って私に打ち込まなかったのは、あくまで柳生に対する礼を守ったからにすぎません」と兵庫助。


「うむ、二人とも言うておることはほぼ同じじゃのう。目付めづけができんとは不思議な剣よのう。いったいどこでどんな修行を積んだのやら。まったくわからんが」と宗矩は腕を組んで考え込んだのであった。もし宗矩が、次郎右衛門がカジキや海豚や鯨の銛突き修行をしていたツキンボ名人•五郎兵衛の話を聞いたならば、なるほどと頷いたに違いない。


 ところで、次郎右衛門は親切心や礼節を重んじて行動したわけではなかった。もし、あの場で柳生を一人でも怪我させたならば、立会いは大きな騒動に発展し、せっかく手にした秀忠付き剣術指南役の任に悪い影響がでるかもと自重しただけであった。本心では、一対一の尋常な勝負であれば全員たたき殺すことができるだろう、と思っていたのである。だが、あの場で柳生六人を相手にすれば勝利はおぼつかない、いや自分が殺されるかもしれないとも考えていた。


 江戸の街では小野次郎右衛門の剣名は上がっていった。街の剣術好きは、一刀流と柳生流のどちらが強いかと噂したが、一刀流の小野次郎右衛門のほうが強いとの意見が多かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ