▼ 死闘、小金原 ▼
▼ 死闘、小金原 ▼
善鬼は音もなく抜刀すると、切っ先を下げたままで三人に近づいて行く。だが、不用意な近づきすぎはしなかった。隼人の腕前を見切るまでは用心したのである。隼人も抜刀して青眼につける。桔梗は隼人の後ろ三間ほどに下がり小薙刀を上段に構え、楓はさらにその位置からはなれたところで草に隠れて吹き矢を構えた。
「こんな深夜に何の用だ」善鬼が口を開いた。
「我らは、一刀流の引き継ぎをかけた試合を見ようと来たものだ。お主は何者だ。何故に刀を構えられる」
隼人が構えを解かずに言う。
「ふっ、五月蝿い蠅どもが、一刀流の秘技が見たいのか? ならば見せてやる」
善鬼は隼人の力量を見切っていた。
「ところで、さっき女が典膳とか水月とか喚いていたが、神子上典膳を知っている女か?」
誰も答えなかった。
その瞬間、善鬼は間合の内に入り込むと下段から烈風のような剣を振り上げた。その速度は尋常ではなく、それを押さえ込もうとした隼人の太刀を跳ね飛ばすと、その瞬間に隼人は下から袈裟懸けに切り上げられていた。ほとんど即死であった。あとは余裕があった。善鬼はあっという間に桔梗に近づき、振り下ろされた小薙刀の刃をやり過ごすと、桔梗の腹に拳の一撃を叩き込む。一言も無く桔梗は倒れ込んだ。
「ふっふっふ、やっぱりお前かあ。あん時、神子上を出立する時に居た女だな。お前を見たときから気に入ってたんだ。典膳を殺す前祝いにお前をこってりと犯し抜いてやるぜ」
善鬼は気を失った桔梗の帯を解くと、着物の前を左右に大きく開く。ふっくらとした真っ白い乳房が満月の光で浮かびあがった。乳房に手を伸ばそうとした瞬間、善鬼の顔面すれすれを何かが飛んでいった。羽の風切り音が耳に残る。
「ちっ、吹き矢か?」
善鬼は桔梗から離れて身を地に伏せる。確か、もう一人の女はあの辺りに身を潜めたはずだ。善鬼にはだいたいの場所が判っていたが、簡単に近づこうとはしなかった。吹き矢には毒が塗られている可能性が高く、この暗さでは吹き矢を完全よけることは不可能だからだ。さっきの一の矢からして、女は夜目が効くようだ。善鬼は慎重に思案をめぐらす。たいした距離ではないが、どんなに早く近づいても、ジグザグに移動して的を絞らせないようにして近づいても、近づけば標的である自分の姿は大きくなるし、吹き矢も風で流されなくなる。どう考えても一本は刺さるに違いない、そしてその一本が致命的なのだ。
楓は死を覚悟していた。相手は海岸で仕留めたような軟弱な相手ではない。幾多の修羅場をくぐってきた武芸者なのだ。しかも池上隼人を一刀の元に斬り捨てた腕は尋常ではない。楓はその瞬間を見ていたのである。どうにかしてあいつを突進させたい。自分に突進してくれば、極限まで近づけてからなら毒矢を一本は叩き込めるだろう、その瞬間に斬られても相打ちになる。なんとかして呼び込みたい、そう考えていた。
「おい、そこの女。こそこそ隠れても俺には見えてるぞ」
楓は反応せずにゆっくりと移動する。風を横から受けないように完全な風上に移動しようと動いていた。
「おまえは今、後悔しとるだろう。最初の一の矢を無駄にしたからな。あん時、おまえは俺に近づいて至近距離から吹けば俺を仕留められたはずだ」
思っていたことを指摘されて楓は動揺していた。そう、この距離から吹いたのが失敗だったのだ、もっと近づけば仕留められたのは間違いない。よし、相打ち覚悟で近づいて仕留めるしかない。そんな思いが立ち上がってくる。
善鬼は自分から近づく愚だけは避けたかった。なんとしても、女のほうから自分へと近寄らせる必要がある。それも、激昂して突進してくれば最高で、それならば、なんとかなる。そう考えていた。善鬼は投げつける為に柄に仕込んである小刀を抜く、小太刀に仕込んだ物と二本、左右の手に一本ずつ握った。
楓は懐から毒丸薬の入った小袋を取り出すと中を確認した。村を出るときに小伊勢が持たせてくれたものである。確かに三粒、赤が二粒に黒が一粒入っているようだ。月明かりでの光沢の違いから見分けることができた。黒は一粒しか持たないことになっているからだ。楓は黒の丸薬を取り出した。
楓は村を出るときの小伊勢の言葉を思い出していた。
「よいか、楓、神子上の女子はみな神から使わされた巫女じゃ。嫁に行った者も、子を産んだ者も巫女であったことを忘れることはできん。じゃから、獣に汚されたときにゃあ、浄化せにゃあならんのじゃ」
浄化が死を意味していることは神子上の女には常識であった。
「はい、心得ております」
「持っておろう、この赤の毒丸薬を。桔梗も持っておるようじゃが、全ての汚れはこれで洗い流せる、自らの死でもって消し去ることができるのじゃ。飲めば、苦しまずに直ちに死ねよう」
「はい」
「だが、お前が今回持って行くのは、この赤の他に黒がある。これは、男を呪い殺すときに使うんじゃ」
「呪い殺す?」
「そうじゃ、男を殺すための毒丸じゃ。いいか、事の真っ最中に飲め。そして男が死ぬまで男の身体を両手両足でからめるのじゃ、決して離すではないぞ」
それ以上のことを小伊勢は言わなかった。楓の理解では、男に手込めにされて巫女の純血を散らされたときに、その最中にこれを飲めということだけである。それが、一体何を引き起こすのか、男を呪い殺すとはどういう意味なのか楓に知る由はなかった。
楓は黒い毒丸を右手に握りしめて、吹き矢の筒先を善鬼のいる方向に構え直す。風は真後ろからだ。よし、隙を見て飛び出すのだ。
善鬼は両手の小刀を確認すると大音響で叫ぶ。
「女、出てこないならそれでもいいぜ。だがな、先にこの女を、神子上から来たこの女を切り刻んでやる。お前はそこで、この女が刻まれるのを見てるんだな」
善鬼が予想した通りだった。激昂した影が立ち上げると、草を踏んで素早く近づいてくる。善鬼は二本の小刀を立て続けに投げると、真横の草原に身を投げた。どうやら吹き矢は当たらなかったようである。近くで女の悲鳴が聞こえる。小刀がどこかに当たったのだろう。だが、善鬼は軽卒には立ち上がらなかった。慎重に身を起こして周辺を見渡すと、女は両手で右脚の膝の上あたりを押さえている。どうやら吹き矢の筒は手から離れているようだった。
善鬼は楓に近づくと腹を蹴り上げた。苦痛に耐える呻き声があがる。善鬼は近くに飛んできた吹き矢の筒を掴むと遠方に投げ捨てた。
「へへっ、やっぱり悲鳴をあげるぐらい元気な女のほうが犯しがいがあるぜ。おまえから先にやってやる」
善鬼は楓の太腿から小刀を引き抜いて仕舞込むと、馬乗りになる。
「こん獣がぁ。お前の好きになんかなんねえぞ」
叫んだ楓の頬は平手で何発も張り飛ばされた。ぐったりとした楓をみて、着物の胸元を左右に大きく広げると、巻かれたサラシを剥ぎ取っていく。美しいお椀型の乳房が月の光に白く輝くと、善鬼はそれを両手で揉みしだいていく。
「あっ、やめろ」
悲鳴を聞いた善鬼の顔に醜い笑みが浮かぶと、帯を解いた手は下半身に伸びていった。やがて、乳房を蹂躙しながら割り広げられた両脚の付け根に、善鬼の欲望が埋め込まれていく。
「いやぁ〜〜〜」
ひときわ大きな悲鳴が上がると、後は静かになった。
虫の音の中に善鬼の荒い息と、肉と肉とがぶつかり合う湿った音だけが響く。やがて、楓の両腕が愛おしそうに善鬼の上半身を抱きしめ、そして楓の両足は善鬼の下半身を貪るかのように絡み付いて交差していった。善鬼は楓の姿態を見て有頂天であった。
楓の両方の瞼から涙がこぼれ落ち、涙に濡れた瞳が月明かりにキラキラと輝いていた。右手に握りしめていた黒い丸薬を口に入れると一気に飲み込んだ。
「うぉ〜〜〜」
悲鳴は楓の口からではなく善鬼の口から上がっていた。
見ると、楓は白目を剥いて口からは泡を吹いている。善鬼の体に巻き付いた両手両足が激しく痙攣し、その震えが善鬼に伝わっている。楓はすでに意識がなく、ただ全身を硬直させて痙攣しているだけだった。悲鳴は激しい膣痙攣で善鬼の男根が締め上げられたせいである。善鬼は楓の体から逃れようとするが、絡み付いた両手両足が万力のように体を締め上げている。
駄目だ、振りほどく事が出来ない、俺の意識も無くなりそうだ。だが、もがいた左手が、なんとか横に置いていた短刀の柄にかかると、それを引き抜いてから楓の首筋に突き刺した。血の吹き出る激しい音を立てながら、激しく硬直した楓の筋肉はゆっくりと弛緩していく。善鬼はやっとのことで両手両足を振りほどくと、楓の体から離れる事ができた。
「くっそう、このアマがぁ、こんな女がいたとはな。ちくしょう」
善鬼は息絶えた楓の腹を蹴り上げる。もう少し遅かったら、こっちも死ぬところだった。もし、あのまま締め上げられていれば、俺の男根は潰されていたに違いない。
「ちくしょう」
怒りはいつまでも収まらなかった。
痛む男根を押さえながら乱れた下履きや着物を直していくと、桔梗を犯す気力など失せていた。まあ、しかたがない、あの女は当分目を覚まさねえから、典膳を始末した後でゆっくりとやればいい。今度は下手なことをされねえように、両手両足を縛ってから犯せばいいんだ。そんなことを考えながら小太刀を腰の帯に差して、刀身三尺二寸の長刀を持ってクヌギが見張れる場所に移動する。あと半刻もすれば夜明けだろう。善鬼は長刀を地面に置くと、懐から黒絹の襷を取り出して袖を縛り、額に締めていた黒い鉢巻きを解いてから再び結わえ直した。そして、その場に座り込んで典膳を待つことにした。
善鬼の頭に浮かんでは消えて行く。それは、師、一刀斎を倒したときのことではなく、さっき自分を窮地に陥れた楓のことだった。善鬼にとって、女は、すべて男に犯されて汚されるべき存在だった。
善鬼は少年だったころに海で魚を取って家に戻ったときのことを思い出していた。父は漁に出ていていなかったが、家の中は、上がり込んだ三人の暴漢に母が陵辱されているところだった。着物を脱がされて泣きながら犯されていた母、それを助けようと向かっていった少年は拳で何発も張り飛ばされて気を失うしかなかった。夕方、意識を取り戻すと、母は裸のままで首を吊っていた。
善鬼は、暴漢たちを殺そうと銛を持って外にでたが、もう立ち去ったあとでどこへ行ったかも判らなかった。善鬼は暴漢を呪い、自分を呪い、父を呪い、母を呪い、そして女という存在を呪った。どうしようもなく弱い母が、どうしようもなく弱い女が許せなかった。そして、そんな女たちに復讐するかのように、女を襲い、強姦するようになっていった。
やがて、狂気の少年を見放すかのように父もいなくなった。青年になってからは、女を売り飛ばしたり、陵辱した後で斬り殺したりした。そんな狂気も、師、一刀斎に従えば治ると思っていたが、その呪いは、やはり解き放つことができなかったのだ。
だが、あの女は自分に唯一反抗した。あの女は決して弱くなんかなかった。毒を飲んでまで男を倒そうとした精神力、一体、自分を犠牲にしてまでして何を守ろうとしたのか? あの女は神子上の女の何だというのだろうか? 母にも、娘にも見えないが、もしかして妹なのだろうか? 俺は、女のことを、母のことをまったく理解していなかったのかもしれない。あの女や俺の母は、死んでまでして何を守ろうとしたんだろうか? 体を汚されても残る物? 死ななければ消せない物? いや死んでも消えない物か? 解らない、だが、女は俺が思っていたのよりも、ずっと強いのかもしれない。そんな答えの見えない問いかけが、後から後から浮かんでいった。
典膳はすでに小金原に来ていた。約束のクヌギの巨木から約半町[約五十米]はなれた灌木から物思いにふける善鬼の様子をうかがっていた。クヌギの周辺はゆるい傾斜地である。善鬼を見上げる位置に立つか、見下げる位置がいいのか、典膳は斬り合いの展開を頭に描いてみる。
たぶん善鬼の使う技は下段ツバメ返しに違いない。だとすれば、切り上げる太刀は虚構であり、反転しての打ち降ろしこそが真の恐怖だ。ならば、善鬼を見下げたほうが有利なのか? 確かに防御主体ならそうなろう、だが、雷光の突きにとっては目標が下がり難しくなる。下から見上げればツバメ返しの剣先は加速してこよう。だが、突きの目標は得やすくなる。この場合、奴が飛び上がれば、こっちが決定的に不利になろう。だが、奴は下段からのツバメ返し以外は使わないだろう。ならば、下が有利なのか。だが、その配置を想像すればするほど自分が斬られた姿しか想像できなかった。
典膳は距離をとったまま迂回して、善鬼の上方にでることにした。それから四半刻がすぎて空が明るくなった頃である。
「ふふ、典膳だな、貴様がそこにいることは判っとったぞ」
「善鬼か? まもなく夜明けじゃ、準備はいいじゃろうな」
「馬鹿な奴め。風上で貴様の匂いは俺には筒抜けだったわ」
「善鬼、行くぞ」
二人の距離はまだ五間ほど開いていた。
典膳は二本の太刀を腰にしていた。一振りは刃渡り二尺八寸の相州物で鎌倉の師匠が鎌倉を出立する時にくれたもので、一振りは神子上村を出立するときに持って来たものである。二人は抜刀した。善鬼は刃渡り三尺二寸の長刀を、典膳は二尺八寸の太刀を抜いた。
じりじりと間合いが詰まり、間が二間半ほどになると、二人は完全に静止した。いつの間にか、典膳は太刀の束をまるで銛の柄を持つかのようにしており、その切先は善鬼の胸を狙っていた。
「貴様、どこで何の修行をしてきた。なんだ、その構えはなんだ」
罵声が原野を走った。善鬼は焦っていた。あれはツキンボの眼じゃ、俺が桑名で漁師をしていた時のツキンボ名人権蔵とまったく同じ眼をしとる。動くとやられる。一瞬でも動いたら俺はカジキか海豚のように突き殺されるに違いない。動けない。動かずに奴の隙を狙うしかない。
典膳は銛先に、いや刀の先に集中し、善鬼の問いかけにも無言であった。集中が切れれば逆襲を食らう。この一刀に全てをかける、外れればツバメ返しの餌食は必定だ。狙い澄ました切先は静止したままでピクリとも動かない。そのままどのくらい時が経ったのだろうか。朝日が登り始めていたが、森の陰になっているのか光は到達してこなかった。
「典膳、いいことを教えてやろう。なぜ一刀斎先生はここに現れないんだ?」
善鬼は衝撃的な事実を告げて、典膳が動揺した瞬間に勝負を決しようと決めていた。
「一刀斎はな、俺が必殺のツバメ返しで斬り捨てたのよ」
善鬼も典膳も依然として微動だにしない。典膳はそれを聞いて微塵も動揺することがなかったからだ。
野郎、だが、もう一つ、こっちならどうだ。
「お前の大好きな女も来ているぜ。神子上村の女だ。もう俺がたっぷりと犯し抜いてやったがな。貴様を殺してからもう一度ゆっくりと可愛がってやるぜ」
そう言い終わるのと、朝日が森の木立を抜けて二人の顔を照らすのが同時だった。善鬼は典膳が微かに動揺したのを感じていた。一瞬にして二人の距離が縮まる。善鬼の、下段に構えていた長刀が動いた瞬間、ツキンボに構えていた刀が一線して飛んでいた。下段から振り上げた刀で典膳の放った銛のような剣をなんとか弾き飛ばすしかなかった。そのために善鬼の長刀が、空中での動きを一瞬だけ失う。その瞬間、典膳は腰の太刀を抜きざまに体ごとぶつかるような勢いで飛びかかった。典膳の「雷光の突き」は上段から戻ってきたツバメ返しの刃をくぐり抜けて、善鬼の胸、心臓近くを突き抜いていた。典膳は束を離し、そのまま前に出て善鬼の刃筋をやりすごした。
傾斜地の上からの突きが速度を増したからだろうか。ツキンボの一刀で善鬼の返しが遅れたからだろうか。光が、朝日がワシに味方してくれたからだろうか。その全てが僥倖を支えているような気がした。
ただ、一つだけ典膳には判らなかったこと。それは、善鬼の果てしなき憎しみの心が希薄になっていたことだった。
先生、一刀斎先生、見てくれましたか。雷光で、雷光の突きで善鬼を倒しました。
『 ウォォォ〜〜〜 』
空気を引き裂くような激しい雄叫びが原野を駆け抜けて行った。




