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ト伝 vs 一刀斎  作者: 古河 渚
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▼ 小金原への路 ▼

▼ 小金原への路 ▼


 典膳は銛突きの極意を会得すると、漁師五郎兵衛のもとを発った。そして、神子上村で弥助に預けていた太刀を受け取ると、桔梗に声をかけることも無く足早に村を立ち去った。もっとも、この時、桔梗は屋敷から出奔(しゅっぽんして居なかったのではあるが。


 約束の満月まであと三日である。何が何でも善鬼を倒さねば、そうでなければ一刀流の印可も桔梗との夫婦めおとの件も、そして命までもが無くなるに違いない。だが、善鬼を倒せるのだろうか? いままで身近で見てきた善鬼の技、何者をも斬り倒してきた下段ツバメ返しの威力は圧倒的で、師一刀斎とても、一目置いているような気がしてならない。

 典膳は不安な気持ちを抱えたままで清澄山の峠を越えていた。小櫃川沿いに進み木更津に出たら海沿いを北上して行こう。そんなことを考えながら歩いていると、金剛杖をつきながら歩いてくる修験者とすれちがった。


「もし、そこの武芸者殿。ちと路を失いまして難儀しとります。路を教えてくれるとありがたいのじゃが」

 修験者は竹籠のようなおいを置くと、ひげだらけの浅黒い顔を典膳の方に向けた。年齢はよく判らなかった。

「はい、どちらへ行かれたいので」

「三石山で修行したいと思って来たのじゃが、どうも不案内でのう」

「そうですか。ほら、あそこに見えている山頂が三石山ですよ」

 典膳は山の方角を指差し「山頂が巨大な三つの石でできているからすぐ判ります。ですが山道の入り口は判りづらい。どうやら行過ぎてしまったようですね。よかったら、そこまでご一緒しましょう」と言う。

「おう、それはありがたい。人の未来を見通せる飯綱いづなの修行をしてきたのじゃが、いつも自分の歩く路さえ見失ってしまう」

 修験者が笑いながら言うと、それから二人は川に沿って歩き始めた。

「ところで武芸者殿、よかったらお主も一緒に山で修行してみんかのう。なんでも、見晴らしのよい、とてもいいところじゃと聞いておるが」

 お互いあまり会話もなく歩いていたのだが、修験者は突然そう切り出した。


「はあ、三石山には以前一度だけ行ったことがありますが、たしかにいい眺めでした。ですが、なんでまた、そのようなお誘いを」

「うむ、そのことですがな。どうやら、あなたには何か大きな悩みがあるようじゃ。さっきからお顔を見ているがどうも顔色が冴えない。ならば、山でその悩みを軽うされるのがよいかと」

「なるほど、飯綱いづなの修行とはすごいですな。何でもお見通しのようじゃ。修験者殿、さっき人の未来を見通せると言っていたような気がしたのですが、ずばり、ワシの将来に何が見えますか?」

「うーむ、言い難いことじゃが、そなたの為になるかもしれないと思うて申してみよう。実は、さっきから死相が見えておる。酷い死に様がのう」


 典膳は立ち止まると目を閉じて考え込む。しばらくしてから、やはりそう見えますか、と返答した。よかったらお主の悩みを儂に話してみんかのう、という修験者の言葉で、二人は川べりの石に腰掛けて話をした。

 典膳は、まもなくとてつもなく強い兄弟子と生死を掛けての果し合いに望むこと、果し合いに勝てば、流派の印可状に、好きな女子おなごと夫婦になれることを話し、そのために、ここ一月半ほど銛突きの修行をしていたことなどを打ち明けた。ただ、流の師匠が伊藤一刀斎で、兄弟子が小野善鬼であることは言わなかった。この二人の名は全国の剣客のみでなく津々浦々に知れ渡っていたからである。


「そうであったか。それで死相が出ていたのだな」

 修験者は一通り典膳の話を聞くとそう答え、さらに続けた。

「すべてのことが、まだ起こってもいないのに、人間はいつも先を勝手に予測して思い悩むものじゃ。無の境地に徹して、ただ試練に立ち向かうときにこそ、生命力は最大になるのじゃよ。結果は不明じゃ。お主が勝つかもしれんし、斬られて死ぬかもしれん。じゃが、大切なことは、その一瞬に最大の生命力を燃やせということじゃ。そのように、思い悩んでおるから生命いのちの火が燃え立たずに、やる前から負けが決まってしまう。それが、儂の見た死相の正体じゃよ」

「修験者殿、ありがとうございます。お話をさせていただいて、なんか少し楽になったような気がします」

「そうそう、さっきよりずっと生気が出ておる。死相も弱まってきておるようじゃ。よいかな、女子おなごのことは特によう注意じゃ。その女子おなごを好きであるという気持ちはまことのことじゃからよいが、夫婦めおとになろうとか、二人でどこそこに住もうとか、今より先のことは考えぬことじゃ。とにかく、成ってもよし成らなくてもよしの気持ちで行くことじゃな。お主はやるべき修行をやったようじゃから、とにかくその気持ちを忘れずに全力をつくすことじゃ。また、いつか会えるように祈っておるよ」

「どうかお名前をお聞かせください」

「名前か。それも聞かんでいいんじゃよ。すべては縁で繋がっておるからのう」


 二人は三石山登山道の入り口で別れた。

 典膳に迷いは無かった。一刀斎が教えてくれた「雷光」の突きをどう決めるのか。あのカジキを相手にした銛突き修行をどう生かせばいいのか? まもなく日が暮れようとする上総の原野で刀を抜くと、突きの練習を一刻ほど行った。気づくと東の空に満月から少し欠けている大きな月が上がっていた。



 善鬼はあの日、一刀斎や典膳と別れたのち、再び小金原に現われるまでの約二ヶ月をどのように過ごしていたのだろうか。

 善鬼は小金原を出立すると北東に進路を取った。その路を進んで行けば下総を抜けて常陸に入り、やがて佐竹領に入る。そこには、鬼佐竹と呼ばれた佐竹義重が遠国から呼び寄せたという陰流の使い手がいた。善鬼は陰流を相手に剣技に磨きをかけて小金原に戻ろうと考えていた。いや、うまくゆけば小金原などに帰る必要さえない、と。

 陰流の開祖である愛洲移香斎の後を継いだ愛州小七郎は、常陸の佐竹氏の元で剣術指南をしていると聞いていた。機会があれば、小七郎とやってみたい。俺には倒す自信があるのだ。そうすれば廻国修行ともおさらばで、俺は佐竹藩で剣術指南になれるだろう。それには、佐竹領で陰流の者を二・三人は切り倒さねばならん。暗い決意を秘めて善鬼は街道を進んでいった。


 そのころ剣の技だけならば、善鬼はすでに一刀斎と互角であったかもしれない。だが生来の性癖はやはり変えようがなかったのである。若い女を強姦して殺すのが楽しいという性癖は一刀斎と出会う前からのものであった。さすがに一刀斎に弟子入りした後、三年間は悪癖を押さえつけており、一時期、一刀斎は善鬼を後継者にしても良いと考えていたのだが、一刀斎が女をかくまっていることに気づいた頃から、またぞろ悪い性癖が頭を出し始めた。それは、善鬼の強さが伸張して世間を渡り歩く武芸者の間にも名が知れるようになった頃でもある。


 一刀斎がお美乃を愛してしまったこと、それこそが武芸者一刀斎としての最大の不覚だったのかもしれない。それまで武芸者に女は必要ない、女を近づけると強くはなれないと信じていた善鬼には、一刀斎が女をかくまい密かに会っていることは、裏切りであり、そして、かつてのように女を強姦してもよいとの口実にもなった。一刀斎がお美乃に逢っている時には、善鬼はどこかで女を強姦しそして切り刻んだ。どんなに血の匂いと女の匂いを消したつもりでも、一刀斎はすべてを見抜いていたが、しかし善鬼を破門するどころか何も言わなかった。それは、善鬼の生い立ちを不憫に思っていたことにも原因があるのであった。


 善鬼は幼いころに母に捨てられたことを恨んでいて、女への仕打ちはその復讐なのだろうと。そして、自分がお美乃と密会している後ろめたさも絡んでいたのである。一刀斎は善鬼を破門する代わりに、善鬼を倒せる剣技を備えた別の弟子を育てる決心をした。そして、神子上典膳に出会ったのである。

 善鬼の性癖が以前のようにエスカレートし始めたのは、善鬼が下段ツバメ返しを開眼した頃からであった。善鬼は自らの実力を一刀斎と互角になったと感じており、もし仮にとがめられて一刀斎と斬りあうことになっても簡単には負けないとの意識が芽生えていた。その自信が悪い性癖を蘇らせたのである。


 小金原より東北に進路を取った善鬼は常陸の佐竹領へ到着すると、その地で隆盛を誇る陰流に勝負をいどんだ。佐竹城下で影流と思われる剣士に因縁をつけて、河原での決闘で三人を切り倒した。見物人に取り囲まれる中で、わざわざ下段からのツバメ返しまで披露してみせたのである。

 善鬼は、これで自分の顔と鋭い技が城下に広まるだろうと考えていた。そうして、現われた影流の総帥、愛洲小七郎か、あるいは、その子孫を討ち滅ぼせば、剣名は高まり、もしかすれば佐竹の剣術指南という目も出るかもしれないと。

 だが、高齢の愛州小七郎はもとより、子七郎の子孫や高弟たちも自分等が出てくるどころか、鉄砲隊をくりだして善鬼の居所を探索し始めたのである。善鬼は影流を倒すどころか早々に佐竹領を逃げ出さなければならなかった。その後、筑波山周辺の村を襲い女子を二人かどわかすと、山麓の打ち捨てられた山小屋で女たちと淫らで怠惰な日々を過ごしていた。そして、善鬼も典膳が上総の原で見た同じ月を見て、筑波山中を出立した。



 九十九里で男四人の暴漢に襲われ、それを小薙刀と吹き矢で切り抜けた桔梗と楓は、そのまま海岸を数日ほど歩いて下総に入った。浜が途切れた後でも海岸に沿って歩いて行くと、当時は巨大な海であった、いまの利根川河口で出た。川の流れに沿って上流に向かうと香取神宮に着いていた。朱色の屋根が鮮やかで、桔梗も楓もこんなに立派な神社があることが信じられないほどだった。


「武芸を極める者たちが集う有名な神社だそうよ」と桔梗が言う。

 香取神宮には周辺住民の参拝者に混じって明らかに武芸者であるといういでたちの者がいた。桔梗と楓が参道の茶屋で水月に関する情報を集めようと茶菓子を前に暇をつぶしていると、偶然に通りかかった侍二人が水月の話をしていた。

「隼人は香取に戻ってきたのか」年配の侍が若い侍に問いかけた。

「はい、なんでも神子上水月殿に付いて廻国修行に出たかったらしいのですが、今度にしろと止められたらしいです」

「では、水月殿は一人で鹿島を立たれたのじゃな」

「はい、そうらしいです」


「あっ、あのう、失礼ですが、神子上水月さまをご存知で」

 桔梗は立ち上がると、二人の前で大きな声をあげていた。二人は立ち止まると、

「あっ、ああ……、そちは何者であるかのう」と年配の侍が驚いた様子で桔梗に尋ねる。

「これは大変失礼しました。わたしどもは安房の国、神子上村の出身で、水月さまに会いたいと思うてやってきた者です」

「ほう、神子上村というと、水月殿が産まれたのもその地であろうか」

「はい、同じ村です。水月さまが村を出られて数年経ちますが、一昨年、水月さまの御父上が亡くなり、また、母上さまより水月さまへの届け物を預かりまして、水月さまを探しておりました」

「こちらは」

「はい、同じ神子上村の出身でわたしの従者です」

「大変失礼じゃが、お二人は女子であろう。なにか故あってこのような格好をしていると見たが」

「はい、女二人の旅故、このように炭売りに化けて参ったところです」

「なるほど、それほどまでにして水月殿に会わねばならんのじゃな……。うーん、残念じゃが一足違いだったようじゃ。水月殿は数日前までは香取海を挟んで反対側にある鹿島神宮という近所に居られたのじゃが、どうやら、そこを出立されたようじゃ」

「では、その鹿島神宮にはどのように行けばよいでしょうか」

「海を渡れば行けるが、さすれば、お主らの身はさらに危険になるじゃろう。水月殿は鹿島の地を立ち去ったということじゃし、どうじゃろう、儂のところに、水月殿に剣の修行を付けてもろうた若者がおる。しばらく儂の道場ですごされてはいかがかな」


 香取神道流の道場に逗留してから二日がたっていた。あの日、案内された道場で炭にまみれた汚れを落とし、用意された女物の着物を着ると、見ていた者はみな驚嘆の声をあげた。その前の汚い小僧姿との落差が激しかったせいもあるだろうが、桔梗も楓も本当に匂い立つように美しかったからである。その夜、数名の剣士たちに混じって、水月と数ヶ月のあいだ修行をしたという池上隼人から話を聞いた。水月の剣に心酔しきっていた彼は、水月の様子を桔梗と楓に伝えながら、心の底から、水月先生に付いて修行の旅に出たかった、と何度も言った。


 間もなく中秋だろうか、桔梗は香取にある神道流道場の庭に出て夜空を見上げていた。まもなく満月になりそうな月を見ながら、桔梗の脳裏に約二月ほど前、桔梗の元を尋ねてきた典膳の言葉がよみがえっていた。たしか、典膳は、いまから二回目の満月の日に、その満月が西に沈む時刻つまり明け方に、下総の小金原というところで兄弟子である善鬼殿と一刀流の秘伝書をかけて決闘をしなければならない、と言っていた。それは、今度の中秋の満月に間違いない。


 典膳の身を案じながらも、その月を見ていた桔梗の脳裏に別のことが思い浮かぶ。水月のことだった。水月はどこに向かったのだろうか? 水月は小金原での典膳と善鬼との決闘のことを知っているのだろうか? もしそうならば、小金原に行けば、水月に会えるかもしれない。桔梗は早く水月に会いたかった。だから、頭の中で自分に都合のいいように物事が組み上がっていく。水月は典膳と善鬼との決闘のことを知っているに違いない、武芸者の間では有名なことなのだろうから。小金原に行きたい。小金原に行けば水月に会える。桔梗は小金原に向かう決心をしていた。



 水月は同じ月明かりの下で、亡き師である松軒が水月に渡した印可状を開くことにした。鹿島で長老より、松軒が書いたという印可状を受けたときから、それは開かれることはなかった。水月が印可状の中に何が書いてあるのかを確かめようとしなかったからだ。普通ならば、松軒先生と手合わせをして、松軒自らが水月の会得した心技を確認し、そして印可状を下賜かしされるのであろう。だが、先生の突然の死でそれも叶わず、水月本人が「一つノ太刀」を得たというのであれば印可状を手渡すように、それが病床での松軒の意志であったのだ。であるから、水月は手強い武芸者との斬りあいの中で「一つノ太刀」を感じ得たときにこそ、印可状を開き、天上の松軒先生から印可を受けたいと思っていたのである。 


 そして、今日この近くの草原で天流を使う武芸者たちを斬り倒したことで、手にした巻物を開くことにしたのである。

 どこぞの村はずれにある阿弥陀堂である。その建物の外、微風の中で周囲に立林する巨木の間をぬって、真上から月明かりが差し込んでいた。満月の近い月の南中は深夜のことであった。

「ほう、月は満月の手前か、明日は満月であろうが、これは目出度きことだ」

 独り言をつぶやいた水月は松軒先生がかつて言っていた言葉を思い出した。

「月は満月よりも一日前こそが最上だ。それは明日完全になることを夢見て精進する姿じゃからな。満月になってしまえばあとは欠けるばかりじゃからのう」


 桔梗と別れてから三年になる。俺はひとかどの武芸者になって桔梗を迎えに行くと決めとった。この印可状があれば、本家の桔梗の親父様も、俺を認めなかった桔梗の兄である兵部様も考えを変えるにちがいない。俺は明日こそ、桔梗に会いに行こう。水月はそんな決心をしながら、懐から紫の袱紗ふくさに包まれた巻物を取り出した。袱紗の中、巻物表書きには、印可、神子上水月殿と書かれている。

 水月は紐を解くと巻物を広げた。


 それは、何も書かれていない白紙だった。

「馬鹿な。何も書かれていないのか? そんな馬鹿な」

 水月の声が森の中に響いた。

 巻物をすべて開ききった水月は地に突っ伏していた。これは、松軒先生が病床の中で筆を取ることができなかったからに違いない。

「先生、なんてことなのでしょうか。これでは、これでは……」

 これでは神子上村へは帰れない、それは言葉にはならなかった。水月の眼から涙が落ち、それは地に広げた巻物の上に点々として、月明かりを受けてキラキラと輝いている。

 どのくらい時間がたったのであろうか。水月はそのとき、巻物の最後に黒い点が一つ輝いているのを認めた。それは間違いなく墨で書かれた力強い点だった。松軒が命をとして打ち込んだ、ただ一点である。


「無であること。それこそが無限であるぞ。水月」

 

 その声が聞こえたとき、水月の眼から涙があふれ続けていった。


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