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ト伝 vs 一刀斎  作者: 古河 渚
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▼ 母 ▼ 

▼ 母 ▼ 


 神子上水月の母お乱は、そのころ神子上村より四里ほど離れた、海沿いの小湊こみなと村にいた。夫である、神子上貴久を小田原出陣での北条勢との小競り合いで亡くし、その同じ年には息子の水月を行方不明として意気消沈していたお乱は、水月の姉が嫁いだ小湊へ、娘を頼って引っ越していったのである。


 娘が嫁いだ先は小湊村では有力な家であり、大きな敷地は裏山から海岸までを含んでいた。その一角、海岸に近い小高い場所にあった小屋で、お乱は一人で暮らしていた。娘が住んでいた母屋まではそれほど離れてはいなかったが、居候として来た身のお乱にとっては、そのほうが気が楽であった。


 その日の午後、日が海岸線にまもなく落ちよう頃に、お乱は二人連れの炭売りに出会った。

「炭売りさんですかな?」

「えっ、ああ、そうですが」

「では、炭を少しと、あと蝋燭ろうそくなんかないでしょうかな」

「炭はあります。蝋燭は売り物じゃないですが、少しならお分けします」

 お乱は、二言三言話すうちに二人が女であることを悟っていた。

「そうですか。ありがたいことです。あのう、この村の方でしょうかな」

「いえ、違います。炭売りの行商でここまで来た者です」

「もう、日が暮れますし、よかったらあたしの小屋へ来ませんか。そぐそこです。一人暮らしで何もありませんが、浜で野宿するよりはいいですよ」

「はい、ではお言葉に甘えることにします」


 二人は、お乱の小屋に入った。桔梗と楓は行李を置いて土間に腰掛ける。

「何もないですが、野菜と魚だけは豊富にありますからね。いま、野菜粥を煮ますから」

 お乱は野菜や魚を切り始めた。

「お二人さんは、どちらから来たんですか?」

「えっ、ええ、南の海沿いにある村で、そこで炭を焼いてから近くの村に売り歩いてるんです」と楓が答える。

「南にある村ですか。あたしもそっちの生まれでしてね。一昨年の秋にここに越してきたんですよ」

「そうですか」


 楓も桔梗もあまり自分たちのことを話したくはなかったが、お乱はそんなことにはかまわずに話始めた。

「神子上村いうんですよ、あたしが生まれた村は」

 桔梗と楓は無言で顔を見合わせる。

「神子上は里見家に仕える家なんです……。あたしの夫もね、里見さまに従軍して小田原の北条との戦に出たんですよ。でも、そこで、城から撃たれた鉄砲に当たって亡くなったんですよ。まだ跡取りの息子が居ればよかったんだけど、息子も行方知れずになってしまってねぇ」

「行方知れず?」

「ええ、なんでも沢の崖を登っておって、落ちたとかで、その後帰ってきません。娘もこの村に嫁いでしまって、一人になりましてねぇ」

「もしかして、神子上水月のことですか?」

「ええ、そうですよ。水月の母でお乱といいます。あんたたちは、神子上村の方ですか? 水月を知っておいでで」

「お乱さまでしたか、気付きませんでした」

「ああ、あんたは、もしかして桔梗さんかい?」

「はっ、はい。わたしは神子上桔梗です。お乱さまには何回かお会いしたことがあるのですが、判りませんでした。それに、わたしたち、こんな格好ですから判りませんよね」

「ああ、桔梗さん。本家の桔梗さんね。ええ、何回か会ってるわね。小さい頃は水月があなたと典膳を連れて家に来たこともよくあった。でも、美しい娘さんになられたと水月から聞いとりましたが……」

「こちらは、小伊勢さまのお弟子の楓さんです」楓が頭を下げる「わたしたち、行方知れずになった水月さんを探す旅に出たところなんです」

「なっ、なんと言われました。水月を探すと?」

「ええ、水月さんが下総で生きてるかもしれないとの噂があって、探しにいこうと一昨日出立したところです」


 三人は土間から祖末な板の間に上がると、掻けた茶碗に野菜粥をよそって、薄くて平たい木でそれを食べ始めた。話は神子上村での出来事や人々の話題などでいろいろな方向に拡大していく。ただ、どんなに拡大しても、目の前のお乱が桔梗の母であり、目の前の女子おなごがお乱の娘であることは出てこなかった。

「桔梗さま、いつだったか水月が、桔梗さまを嫁にもらってもいいのかと、あたしに言いましてね。そのとき、あたしは桔梗さまは御本家の一人娘だから、御本家のご都合や方針に従うことにせにゃいかんと言いました。そしたら、二人で約束してもだめじゃろうか、言うんで、そりゃ、先んことは判らんけどって言いました。あの子はなんでも話してくれる優しい子でした」

「お乱さま、わたし水月さんに会ったら確かめたいんです。まだ、わたしと夫婦になる約束を忘れてないのかどうか。わたしは絶対水月さんに会います。それで、かならず夫婦になって、お乱さまのところに戻ってきます」

「ああ、桔梗さま、なんて嬉しくて有難いお言葉でしょう。久しぶりに、ほんとうに生きる気力が湧いてくるようです。もし、水月を探すのでしたら、是非持って行ってもらいたい物があるんです」

「はい、なんでしょう」

「魔除けのお守りです。小伊勢さまに造っていただいたもので、本人にいつか渡そう思うていたんですが、こんなことになってしまって」


 お乱は部屋の片隅に置いてあった行李の中から小さな桐箱を取り出してきた。

「これは?」

「これは臍の緒なんですよ」

「開けてみてもいいですか」

「ええ、小さな丸い粒のようになってますから、普通の臍の緒とは違って見えるけど、見た目も悪くないんですよ」

 桔梗が箱をあけると、紫の生糸を編んだ紐の両端に茶色の玉が付いている。少し大きめの数珠のように見えた。

「この玉が臍の緒なんですね」

「ええ、小伊勢さまが小さな粒に造ってくれましてね」

「二粒あるのは、臍の緒を二つに分けたのですか?」

 お乱の表情が一瞬曇った。

「いいえ、二人分なんです……。実は、水月は双子でして、それで一人は産まれてすぐに亡くなったんです」

「そうですか。ごめんなさい。つらい話を思い出させて」

「いいんですよ……。そう、昔はつらくて哀しくて誰にも話せませんでした。でも、月日が流れて哀しい想いも減ったんでしょうね。誰かに話すのは初めてなんですけど、でも、話せてよかった、なんだか心が軽くなったみたいです」

「水月さんも知らないんですか」

「はい、知ってるのは、私の他には小伊勢さまと産婆だったお里さんだけでした。男女の双子には不思議な力が在るとかで、小伊勢さまが、亡くなった子の分も合わせて二つの臍の緒があるから、すごい霊力を発揮できると言われましてね。これをもっと早く渡していれば水月が崖から落ちるなんて事なかったと思うんですよ」

「男女の双子?」

「ええ、亡くなったのは女子おなごでした」

 お乱の目には涙があふれていて、それが板の間にこぼれ落ちる。話を聞いていた桔梗と楓の目にも涙が滲んでいた。三人が見つめる臍の緒は、一つはお乱と水月を、そしてもう一つは、お互いの目の前に座っている桔梗とお乱とを繋いでいたものだった。決して分からない親子、永遠に名乗り合うことがない母と娘だった。

「預からせてください。必ず水月さんに渡しますから」

 翌朝、桔梗と楓は日の出と共にお乱の小屋を後にした。



 それから数日後、二人は海岸線の岩場を迂回する山道を経て、九十九里浜の南端に到着した。そこからは歩きやすい砂浜で、二人の歩みは早くなった。ところどころに村が在ったが、どの村も田畑を耕し、漁にも出るという暮らし向きらしい。潮の香りの中で、鰯の干物造りや海苔や海藻を干している場によく出くわした。海岸線から陸に入れば、いくつかの街道があったのだが、地理に不案内な二人は海岸線を北上していけば下総に着くとの話だけを頼りにして海岸線から離れる事をしなかった。その進路には、宿場も宿屋も旅籠もなにもなかったから、古い神社や寺を探して、人気が無ければそこで夜露をしのぐことにしていた。


 日が暮れかかった夕方、海岸線を外れて村はずれの神社に向かう森の中で四人組の男が道を塞いでいた。

「おめえらどこさいく」一番年配に見える男が尋ねてきた。

「……」

「背中ん荷物はなんだ。あんまり重そうにも見えんけど」

「すっ、炭」と楓が一言いう。低音で女だとばれないようにしていた。

「炭? 炭がそんなん軽そうなわけがねえ、おめえら、なんか金んなるもんを運んどるだろ」

 一番背の低い若そうな男が言う。

「違う。炭、炭」

「まあ、いいから荷物をおいて失せろや」

「なあ佐吉。こいつらなんだか変じゃねえか。顔も腕も真っ黒くて汚ねえが、脚がするっとしてて毛も生えとらん」

「ああ、確かになあ」

「おめえら、女じゃろう」

「おうおう、女かもしれんのう。ひん剥いて確かめてみるべえ、へへっ」

「たしかに女じゃ、真っ黒れえ顔もごしごし拭いたら別嬪かもしれんでー、ひひっ」

「顔なんかどうでもいいで、温っけえぼぼにこいつを喰わしてやらいいんじゃけえ」


 男たちは下びた笑いと卑猥な言葉を投げかけながら二人を取り囲んだ。

 桔梗も楓も緊張していたが、こんな場面に出くわすのは予想範囲内であった。いつも打ち合わせていたように、二人はお互いに背を付けて男たちに対峙した。桔梗は杖の持ち手に捻りを加えようと身構える。捻った瞬間に先端から鋭い刃が飛び出すのである。桔梗は仕込み刃があることを悟られないようにして、近づいた男を撫で斬りにするつもりだった。だが、あと三人いる。こうして男たちに囲まれたときにどうするのか、楓と話し合っていた計画を実行に移すしかない。

「楓、行くよ」桔梗が短く声をかけると「はい」と返事がかえった。

「おめえら、おとなしく着物を脱いで丸裸になれや。そんほうが、痛い目に会わんでええんだぞ。どうせ、裸に剥かれちまうんだから、おとなしくしたほうがええ。裸んなったらたっぷり可愛がってやるけえな。へへっ」

 男はそう言いながら自分の下半身をまさぐっている。男たちの輪が縮まってきていた。


 斬れる、桔梗がそう思った瞬間には棒の先端から刃が飛び出していた。桔梗はその刃を下から上へと斬り上げる。刃は丁度男の太腿から股間を切り裂いたようだ。怪鳥のような悲鳴をあげて男が地をゴロゴロと這い回る。なにか喚いているが言葉にはなっていない。太い血管を切られたのか、大量の血が吹き出ている。他の三人の男は雷に打たれたかのように飛び下がった。その瞬間に、楓が森のほうに逃げて行くが、その手には細身の杖のような物が握られていた。


「ちくしょう。やりやがったなぁ」

「佐吉、大丈夫か」

「いや、だめだべえ、佐吉はもう助かんねえ。ええか、こいつらを捕らえて後悔させにゃあ、佐吉が浮かばれんぞ」

 年配の男が距離を取りながら鼓舞するように叫ぶ。

「石を拾え、なんでもいいから、そこらの石を拾うんじゃ。印字打ちにするぞ」

 印字打ち、石を投げて敵の戦闘力を奪う恐ろしい戦法である。たいした武器も持たない暴徒たちでも、複数の人間が石を投げれば、たいていの敵はやられてしまう。一番目に取るべき方法は逃げることである。桔梗が武器を持っていることを知っている男たちは逃げれば追ってはきまい。だが、そうすれば楓とはぐれる可能性は高いし、楓が男たちの餌食になるやもしれなかった。なんとか、一人ずつ倒すしかない。しかし、時間を与えれば石の餌食になる。先に仕掛けなければ、桔梗は刃の付いた棒を振りかざすと男たちの方へ走った。男たちは三方向へと散らばりながら逃げる。だが、一人に追いついた桔梗は、小薙刀を上段から袈裟懸けに斬り降ろした。男はかろうじて刃をよけたがつまずいてひっくり返る。立ち上がろうとした男に横殴りの刃が襲いかかった。刃を受けた男の首からヒューという空気の漏れる音がして、横向きに血が吹き出る。


 そのとき、桔梗の背中に石が当たった。一瞬息ができなくなり倒れこみそうになるが、なんとか踏みとどまって、逃げた男のほうに向きを変えた。一人を追って走りだすと、今度は太腿に石が当たった。

「いたぁ〜」声をあげて倒れこむと、手にしていた棒を離していた。

 気がつくと男が桔梗の腰に馬乗りになってのしかかっていた。顔面を二度三度と張られる。

「うひひ、手こずらせやがって」

 もう一人も桔梗のところまでくると、桔梗が持っていた棒を遠くまで蹴ってから、立ったままで万歳の格好になっている両手首を踏みつける。

「二人もやりやがって、てめえにはたっぷりと後悔させてやるぜ」

「おめえは、侍んとこの女だろ、へへ、侍の娘を犯るのは初めてだぜ。おい、舌を噛まねえように鉢巻き入れとけや」

 馬乗りの男は鉢巻きを外して丸めると桔梗の口に突っ込む。そして、薄汚い男仕立ての着物の胸を左右に開いた。真っ白いさらしが胸に巻かれているのが男たちの目に入る。


「ひっひっ、やっぱり女じゃねえか。こいつを剥がしたら、ぷっくり膨らんだええ乳が在るんだろう。なあ」

 声にならないうめき声をあげて桔梗が頭を振った。

「見せてもらうぜ」

 男はそう言うと、巻かれたサラシをぐいと押し下げる。真っ白な乳房がこぼれでた。

「うっ」

 立っていた男が小さな声を上げると倒れ込んだ。

「どうした。正吉」

「あっ、ああ、虫に刺されたようだ。どっ、毒虫かもしんねえ。右半分が痺れちまって、だめだ、動けねえ」

「毒虫? 大百足おおむかでか。まあいい、しばらくそこで横になって休んでろよ。この女は俺が先にいただくけど悪く思うなよ」


 毒虫ではなかった。そこから十間じゅっけん[十八米]ほど離れた巨木の後ろで楓が身構えていた。逃げたときに持っていた二尺半くらいの長さの細めの棒、いつもは棒の両側には鉄製の覆いが付いていたが、いまは両側とも覆いはなく剥き出しである。片側には吹き矢の吹き口が付いていて、反対側には吹き矢が飛び出す筒口が付いていた。細い棒の中を吹き矢の筒が通っていたのである。細めの棒には毒をしみ込ませた矢を隠す小部屋が造られていて、楓はそこから取り出した毒矢を三本立て続けに吹いたのである。その一本が立っていた男の右脚に命中したのだ。

 激しい痛みをともなう速効性の毒と、徐々に神経を侵す遅効性の毒が塗られている矢である。しばらく動けないどころかへたをすれば命が無くなるかもしれない。楓は桔梗の上に馬乗りになっている男に狙いをつける。だが、躊躇した。この距離でこの暗さ、そして海に向かって吹いている風のせいで、さっきの男に三本も矢を使ったのである。しかも、当たったのは意図した場所からはそれていた。今度は下手をすると、桔梗に刺さるかもしれない。


「うひゃー、いいぜ。こんなに柔らけえ乳は久しぶりだぜ」

 男の両手が桔梗の乳房をこね回している。口に詰められていた鉢巻きを外した桔梗。

「あぁ、いやっ、いやぁ〜〜」

 女の悲鳴が周囲を突き刺した。

 楓は毒矢を込めた吹き矢を携えて、木の影から出る。そして、男を目がけて走り出した。男は桔梗の乳房を蹂躙じゅうりんするのに夢中で、楓が近づいたことに気がつかなかった。二間まで近づいてから吹き矢を構える。吹く瞬間に声をかけた。

「地獄へ堕ちろ」

 男が楓の方を振り向く。楓は吹く瞬間の男の驚愕した表情を冷静に見つめていた。

 男の左目に矢が突き刺さる。ものすごい悲鳴をあげて桔梗から転げ落ちた男は、助けてくれ、助けてくれと喚きながら、地を転げ回る。だが、しばらくすると動かなくなった。

「ありがとう楓」

「桔梗さま、大丈夫ですか」

「ええ、なんとかね。危なかったわ」

 桔梗は乱れたサラシと着物を直しながら言う。

「この二人は死んだのかしら」

「分からないけど、当分は動けないから大丈夫です。さあ、今夜は夜通しで歩きましょう」

 二人は来た時と同じように身支度を整えると出立した。ただ、桔梗の棒は刃が剥き出しのままで、楓の棒も吹き口と筒先が剥き出しで、毒矢が込められていた。


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