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ト伝 vs 一刀斎  作者: 古河 渚
19/28

▼ 神子上桔梗 ▼

神子上みこがみ桔梗ききょう


 水月が鹿島の地で、彼よりも一つ年若い池上隼人をはじめとする若者たちに稽古をつけていた真夏のころ、典膳から水月が生きている可能性を聞かされた桔梗は、ある決心をしていた。家を、神子上村を出て、水月に会いに行こうと。


 家の誰にも相談することはできない。桔梗は父親や兄が、神子上の分家であり桔梗の従兄いとこである神子上典膳と夫婦めおとにさせようとしていることを知っていた。それは、武家の娘として生まれた宿命なのかもしれない、おとなしく親の決めた男のもとにとつげばいいのだ。桔梗の知っている村の娘たちも全員そうしていたし、まして、幼なじみの典膳ならば、どういう男か知っているし心配なこともない。典膳は真面目で実直な男であるから、きっと一生わたしを大切にしてくれるに違いない。でも、私は水月を忘れる事ができない、どうしても、水月に遭いたい。逢って話をしなければ、運命を先に進めることはできないような気がしていた。


 桔梗は小さい時から一緒に野山を駆け回った水月が好きだった。明るくて、山道を歩きながら話をする水月、棒をもって桔梗の着物の裾を捲り上げた水月、いつも楽しいことを考えていた水月、そして、あの夜の神社で、もっと強くなりたいと涙を流した水月、全てが愛おしかった。水月と夫婦になりたいと思っていた。

 それは、たぶん小さいときからそうだったにちがいない。ただ、その強い気持ちに気付くのが遅かったのだ。気付いたころには水月はいなくなっていた。いや、いなくなったから気付いたのかもしれない。

 桔梗は、小伊勢こいせさまと呼ばれて、神子上村を束ねている父でさえ一目置いている老婆に会うことにした。村を出る前に自分の決心を聞いてもらいたかったのだ。

 

 日が暮れた後で、桔梗は家を出た。路を照らす満月のせいで歩く事ができる。東の空に登った満月は赤みを帯びて大きく輝いている。それを見ながら歩くうちに、そういえば、次の満月の日に典膳が一刀斎の跡目を掛けて、あの狂った目付きの善鬼とかいう男と命を掛けるのだと言っていたことを思い出す。そして、典膳が自分のことを嫁に迎えたいと言ったことも。


 四半里しはんりの路はすぐだった。村はずれの神社から近いその家へは、小さいときから通い慣れた路でもあった。小伊勢の一族が治めるその場所は、神子上村に生まれた子供たちが古伊勢神流の武闘術を習う場所だったのである。桔梗は小さいときから、水月や典膳と一緒にここに通って武道を習った。男の水月や典膳は、太刀や槍、そして弓や体術などを中心に、そして女は小薙刀や小太刀、そして吹き矢と毒の調合や解毒などについてである。

 毒は吹き矢に塗るためと、もう一つ、男に汚される前に自害するために必要な毒丸薬を造るために必要だと教えられていた。


 小伊勢こいせさまに会うのは何年ぶりだろうか。小伊勢さまは伊勢神宮由来の神に仕える巫女として、ただ一人で、敷地内の別院にいるはずだった。桔梗は、別院の引き戸を押して声を掛けた。奥の間から淡い光が漏れている。

「小伊勢さま、お師匠さまは居られますか。神子上桔梗です。どうしても、お話したいことがありまして来てしまいました。小伊勢さま」

「桔梗か、日が落ちたのにどうしたんじゃ。火急の用向きかえ」

 襖が開くと、背が丸くなった老婆が立っていた。

「小伊勢さま、お久しぶりでございます。このように、突然に来てしまい」

「よいよい、そんな挨拶はもう止めにして、中に入れ」

「はっ、はい、お師匠さま」

 桔梗は奥の部屋に通された、といっても、部屋は二つきりしかない。そこには立派な神棚があり「天照大神」と書かれた木札が置いてある。その前に蝋燭が一本灯されていた。


「桔梗、どうしたんじゃ。日が暮れてから来るとは何事かあるのだろう」

 小伊勢は桔梗を座らせてから向き合うように座る。

「お師匠さまは、神子上水月を知ってますよね?」

 小伊勢の背中がぴくりと動いた。

「ああ、知っとる。行方が知れなくなってどれくらいになるかのう。村のもんは山から落ちて死んだ言うとるようじゃが」

「水月は生きてるんです。わたし、知ってるんです。水月が生きてることを」

 桔梗は山に入ったことは言えなかった。神の大命である女人禁制を犯したことを巫女である小伊勢には伝えられなかった。

「村を出て剣の修行をしている典膳が、しばらく前に家に来て会いました。典膳が、下総で水月に会ったらしい人がいる、と言ったんです」

「のう、桔梗。それで、水月が生きてるかもしれんとして、そなたは何をしようと言うのじゃ?」

「はい、わたしは水月を慕っています。忘れられないのです。水月は死んだって、父上も兄上もそう言って、わたしの縁談を決めようとしています。わたしも水月がいなくなって三年近くたってしまい……、もらってくれる方のところに行こうと考えていたんです。でも、生きてるかもって考えただけで心が震えてしまうんです。どうしても、一度だけでいいから、水月に逢いたいって。会って確かめたいって」

「して」

「はい、家を出て水月を探しに行こうと思っています。もう、支度はできてるんです」

「うーん、お前は一度言い出したら聞かん娘じゃからのう。決めたのなら行くしかないじゃろう。お前の父上には、ここでの話を伝えておく。わしが行け言うたこともじゃ」

「はい、ありがとうございます」


「だが、一人で行かせる訳にはいかん。古伊勢神流を使う娘をつける」

「でも、わたしの我侭わがままにそのようなことをしていただいては」

「お前の我侭を聞く代わりに、わしの我侭も聞いておくれ」

「はっ、はい」

かえでは知っておるか。まだ、十九じゃが、いまは巫女になる修行をしとってなあ。あの娘の毒吹き矢の腕はたいしたもんじゃ。いままで見てきた娘の中じゃ一番じゃよ。ところで、お前の小薙刀の腕もわしは一番じゃと思うとるが、いまでも稽古はしとるのか」

「はい、お師匠さま。小薙刀だけは毎日かかさず鍛練しています」

「ならば、これを持って行け」

 小伊勢は壁に掲げてあった長さが五尺ほどの杖のように見える棒を持ってきた。

「これは?」

「これは、仕込み棒じゃ。杖のようにみえるが、ここを捻れば先から刃が出る。刃は五寸ほどしかないが、小薙刀のように使えばよい。かなりの使い手じゃなければ、お前の技を防ぐことはできんじゃろう」

「ありがとうございます。お師匠さま」

「よいか。村の外には野犬や狼のような男がうろついておる。女子おなごだと判れば、どんな手段を使うかもわからんぞ。最後の薬は持っておるか」

「はい、そのときには死ぬだけです。毒丸はいつも持っています」

「よい心がけじゃ。どんな場面でも心だけは汚すまいぞ」

「はい」

「いつ出立する気じゃ」

「はい、今夜、丑の下刻ころに」

「よし、その時刻にもう一度ここを尋ねるんじゃ。楓を待たせておく。よいか。汚い炭焼きの小僧に化けるんじゃ。そう、髪はもう少し短く切って後ろで縛ってしまうんじゃぞ」

「はい」

 桔梗は、仕込み杖を手にして小伊勢の小屋を後にした。

 

 髪を切り、兄が元服前に着ていた男着物を羽織る。小さめの行李に三日分の干飯を入れた袋を入れた。行李の底には美しい着物を一枚たたんで入れてある。水月に会う前にはそれに着替えたかったのだ。

 夜半に戻った小屋には、小伊勢と楓が待っていた。楓の顔は暗くて良く判らなかったが、桔梗と同じように髪を短くして、行商の小僧のような格好に見える。やはり行李を担いでいた。桔梗と違うのは、手にしていたのが長い棒ではなくて、二尺くらいの細長い筒だったことである。

「よいか、お前たちは山を降りて炭を売り歩く小僧に化けるんじゃで、ほれ、顔と手にこの炭の粉をつけて汚していくんじゃぞ。なるべく歩くのは日の高い時分にして、日が暮れたら、どこぞの村で人の良さそうな老人や女に宿泊を頼むんじゃ。気配の悪い村や家には立ち寄るでない。そんときには、どこぞで野宿したほうがよいじゃろう。社や寺には近づかんほうがええ、土地の浮浪者どもがネグラにしとることがおおいからのう。楓、毒吹き矢の矢はたんまりあるんかい」

「はい、お師匠さま」

「なら、ほれ、すこしは金もいるじゃろう。この袋を持って行け。使えるとも思えんが、気休めにはなろうからな」

 小伊勢は楓に布の巾着を渡した。

「桔梗、どこぞに向かうあてはあるのかい」

「はい、下総から江戸に向かおうと思います。水月に会ったらしい人がいたのは下総ですし、それに、いま、多くの人が江戸に向かっているとのことですから」

「うむ。下総へは海岸線を上がって行けばよい。小湊こみなとから北に向かえば下総に出ると聞いた事がある」

 二人は満月が西に傾きかけた中を出立した。



 二人が出立したその日の昼に、桔梗の兄、神子上兵部が小伊勢の小屋を尋ねていた。

 小伊勢は兵部を数刻前に桔梗がいた部屋に入れると、同じ場所に座らせる。

「兵部殿、久しぶりじゃのう。変わりがなさそうでよさそうじゃ」

 小伊勢は兵部が尋ねてくることを予測していたが、そんな素振りはまったく見せずに、久しぶりに会った教え子と対面した。

「これは、小伊勢さまも息災なようで。我が父も御無沙汰しておりますが、くれぐれもよろしくと申しておりました」

「お父上にも変わりはないかのう?」

「はあ。ですが、家の中に、ちと問題が発生しました」

「うむ、どういうことか申してみよ」


「ここ数日の間に桔梗が小伊勢さまのもとを尋ねませんでしたか?」

「ああ、来たことは来たのう。いろいろと考えてる胸の内を明かしていったわ」

「それは、桔梗と幼なじみだった典膳と水月の話ではなかったでしょうか?」

「兵部、それを聞いてどうするのじゃ」

「はっ、じつは今朝方、桔梗が家を出たようでございます。一筆書き置きが在りましたが、何の経緯でそうするのか、理由も書いてありませんでした。ですが、理由は水月だろうと思うております。儂も父も桔梗を典膳に嫁がせようとしておりましたが、桔梗は水月と一緒になりたがっておりました」


「兵部、お主は桔梗の生まれについて、父殿から何か聞いておろうか?」

「桔梗の生まれ? とは、はて、解りませぬが」

「お主の母、つまり桔梗の母は七年前に亡くなっておろう。口の硬い女子おなごだったから秘密は黄泉にまで持って行ったようじゃな……。すると、秘密を知っとる者は、わしとお主の父殿だけということになる。最も父殿は秘密の半分しか知らんのだが」

「小伊勢さま、何の話かまったく解りません」

「うむ、しかたがない、ここまで来れば話すしかないが、お主もこのことは誰にも口外するではないぞ。まず、そのことを天照大神に誓うのじゃ」

「はい」


 兵部は神棚に掲げられた木札に向き合うと手の平を合わせて平伏した。小伊勢は、その姿のままで聞くようにと兵部に言い、そして話はじめた。


「水月と桔梗は血を分けた兄弟なのじゃ。いや、兄弟どころか、同じ日に畜生腹から生まれた双子だった。二人を生んだのは水月の母で、この場所で、わしと、もう亡くなった産婆のお里とで取り上げたんじゃ。双子じゃと判ったときには水月の母、お乱は取り乱してのう。女の赤子を殺して自分も死ぬと言いおった。目を離したら本当にそうしそうだったから、わしは女子おなごを、女の赤子を山に捨ててくる、誰にも判らんように捨てるから、この事を知る者は、ここにいる女三人しかおらんから大丈夫じゃと言うたんじゃ」

「なんと、にわかには信じられん話です」平伏したまま兵部が言う。

「本当のことじゃ。わしは赤子を抱いて外に飛び出した」

「でも、捨てられなかったのですね」

「ああ、普通の畜生腹ならば捨てられたじゃろう。それまでも、男だけの双子や女だけの双子にはそうしてきたからのう。じゃが、男と女の双子は初めてじゃった。伊勢には、男と女の双子っちゅうのは、前世で添い遂げられずに心中した者たちが生まれ変わった姿じゃ、という古くからの言い伝えがある。わしは赤子を抱いて、教え子じゃった隣村の女の元に届け、桔梗という名を付けて三ヶ月ほど育てさせた。そして、お主の父殿と母殿を呼び、二人の子として育てるようにと申したのじゃ。お主は三歳だったから判らんじゃったろうがのう。それと、そのことは水月の母、つまり桔梗の母には隠しておった。まさか自分が生んだ娘が生きとるなんて露ほども思うたことはないじゃろうて」


「ああ、なんということでしょう。桔梗と水月がお互いを慕い合うなんて。桔梗は典膳に嫁がせたいと、父はいつもそれを言うておりましたが、そういう訳があるとは知りませんでした」

「それは偶然じゃ。わしは赤子を渡すときに、どこの誰が生んだかを言わんかったからな。ただ、二人の娘としてしっかり育ててほしいと頼んだだけじゃ」

「小伊勢さま、桔梗は水月を探しだして夫婦めおとの契りを結ぶつもりです。もとより水月は桔梗と夫婦になる約束をしていたと申しておったほどですから、二人を合わせる訳にはいきませぬ」


「のう、兵部殿。わしは、今回のことは、つまり、桔梗が村を出たのは仕方ないことじゃと思うておる。桔梗も水月もお互いのことは何も知らんはずじゃ。だが、二人は呪いをかけられたかのように惹かれ合うておる。そうじゃ、これは呪いなんじゃ。双子の血を分かった母親やわし、それに全てを隠して育てた村に償いをさせようと呪うておるのじゃ。わしは、桔梗が水月の元に行きたいと言ったときに、何も知らせずに行かせようと思った。反対しても行く娘じゃし、もし、二人が双子の兄妹だと言うたならば、必ず死を選ぶ娘じゃからな。行かせて、もし、二人が出会うて契るのであれば、その罪はすべてを仕組んだわしが黄泉よみまで背負うて行けばよいことじゃ」

「小伊勢さま」

「よいな。桔梗の後を追いかけるのはやめよ。自由にさせて、もし、旅の途中で死ぬ事があれば、それはそれで、しかたがないと考えるのじゃ。よいな、天照大神に誓うたのじゃ。誰にも決して話してはならぬぞ」


 兵部はやりきれない気持ちを内に隠して、自分の屋敷に戻っていった。


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