▼ 武神 ▼
▼ 武神 ▼
神子上典膳が安房の漁村で銛突きの修行をはじめた六ヶ月ほど前、雲林院松軒と神子上水月は将門党が支配する下総台地を通過して、香取•鹿島の地で新たな修行を始めようとしていた。
香取・鹿島の両神宮は、日本の歴史上で最も古く、また重要視されていた神社であろう。平安時代に書かれた延喜式神名帳によれば、当時「神宮」の称号で呼ばれていたのは伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社だけであったことが判明している。その中の二つの神宮が関東の地で、しかも香取海と呼ばれた湖水を挟んで数里の距離に存在しているということは驚くべきことである。
松軒の師匠である塚原卜伝は、常陸の国・鹿島を治めていた鹿島氏の宿老である塚原土佐守の養子である。この塚原土佐守は香取神道流の正統伝承者であり、また卜伝の実父は鹿島古流の名手であった。このように、香取•鹿島の地は、関東に栄えた鹿島七流の源流であり、卜伝はこのような養父や実父から厳しくしこまれると、その環境のもとで天才を開花させたのであった。
卜伝は自らの流に名をつけずに「当流では」という説明を弟子にしたので、やがて弟子たちは卜伝の剣法を神道流とおなじ音である「新当流」とか「新當流」と呼んだが、音が同じでは区別しにくいので「卜伝流」と呼ぶようになった。
卜伝が正統伝承者に伝えたといわれる秘太刀は「一つの太刀」と呼ばれたが、その内容は不明である。一刀に全身全霊を込めよとの精神的な解釈もあり、見切った上での一刀のみで切り捨てよとの解釈もある。松軒が後者であったことは、水月に見切りの重要性をしつこく説いていたことからも明らかである。見切りは五分にてできるようにしなければならぬ、これは松軒の口癖であった。そして、水月は松軒との厳しい鍛錬を経て、いまではなんとか一寸の見切りを会得していた。
解釈とは別に、卜伝がその秘太刀を鹿島神宮での千日 参籠の行にて会得したことを、卜伝の高弟であった松軒は知っていた。千日とまでは行かなくても、百日でも二百日でも鹿島神宮の深い森に籠れば何か得られるはずだと感じていたのは確かであった。
二人が着いた地は、卜伝在世時の面影は無く、鹿島での内乱や、その後に起こった佐竹との合戦などで荒れ果てていた。その理由の一つは、卜伝流を継ぐ優れた伝承者がいなかったことにあるのかもしれない。そのような訳で、卜伝の高弟である雲林院松軒と松軒の弟子である神子上水月の来訪は歓待された。そして鹿島の地とも、神職という仕事とも無関係であった水月について、特別な許可をもって鹿島神宮での参籠の行が許されたのである。ただ、許された日数は二百日であった。
参籠の前、心身を清めるために十日間のみそぎを行った。
「水月、明日からのことじゃが、いぜんお前が山籠りしていたときに行ったように一心不乱に修行すればよい。今回は三日に一度は食材がしかる場所に届けられるのだから、食の心配をせぬ分、修行に励めるじゃろう」
「はい、先生。打ち込み稽古は朝に三千、夕に八千はかかさずに行うつもりです」
「よい心がけじゃ。それと、瞑想を忘れるでないぞ。卜伝先生も瞑想の中で、鹿島の神々から剣の極意を授けられたのじゃからな」
「はい」
そうして冬至の日、水月は鹿島神宮の奥に広がる広大な森の中に消えていった。
神宮の森を進んで行くとやがて路はなくなった。その境界には一軒の祖末な御堂があり、そこが食料を手に入れる場所であった。三日毎に穀類と野菜のみが置かれ、魚鳥やその他の肉類は置かれることは無い。水月はその食材のみを使って水から煮炊きして食べなければならない。路なき森を奥に進むと、湧水をたたえた池や鬱蒼とした葦に覆われた沼や、数十間の高さはあろうかという杉の巨木をたたえた場所などがある。それら全ての場所と自然の造りを用いて修行するのである。
冬の最中から始まった修行は問題なく進んでいく。朝夕の激しい立木打ちの修行はもとより、極寒の中で池の水をかぶる水垢離の行をおこない、巨木にできたウロの中で瞑想をおこなった。
時たま瞑想中に邪念が入ると、神子上村の様子や特に桔梗の様子が気になり、なんで俺はこんなところで修行をしているのだろうか? 早く村へ帰って桔梗と夫婦になりたいと思ったりした。瞑想中に桔梗と見知らぬ男が現れて、水月に向かって手を振りながら去って行った時には、現実か妄想かの区別もつかなくなり地面を転がり回ったりもした。だが、瞑想中の精神は日がたつにつれて落ち着くようになっていった。
やがて春になると修行は過酷になったが、体は楽になっていった。修行は春分を中日としていたから、満願は夏至の日であった。満願の日が近づくと、水月は森の中に作られている小さな御堂に籠り、竹筒の水だけを飲みながら断食と瞑想をおこなった。それは、卜伝も行った修行である。
御堂の前には池があった。断食瞑想を始めてから数日後の深夜、水月はその池から白い龍が現れたのを認めたが、その龍はやがて白い人間の形になり水月の前で剣をかまえていた。龍神だ。気がつくと水月も剣を持ち、それと対峙していた。龍神は上段に構えた形から水月に切り掛かるが、間一髪で見切り、返しの太刀を一閃させると、白い霧のような躯を両断していた。霧はしばらくしてまた現れる。今度は中段青眼の構えから稲妻のような突きが水月を襲う。そうして、考えられるありとあらゆる形の攻撃を受け止めたり躱したりしながら龍を相手に打ち込んでいった。それがどのくらい続いていたのかは判らないが、やがて、意識がなくなると、御堂内に差し込んできた朝日で目覚めたのである。
水月は晴れ晴れしい気分で御堂を出ると、修行をはじめるために通ってきた深い森の路を戻ってゆく。二百日の参籠修行が満願を迎えた日であった。水月が鹿島神宮本殿に現れると、神職やら鹿島七流を引き継ぐ者や各流派の名人•達人がこぞって水月を迎えてくれた。ただ、その中に松軒の顔だけがなかった。
香取神道流の継承者であり卜伝の弟子であった飯篠盛信が沈痛な面持ちで歩み出ると
「水月殿、二百日参籠修行の満願日を迎えたこと祝着至極であるが、一つ悲しい知らせをせにゃならんのです。松軒先生は残念ながら、一月前に帰らぬ旅につかれました」
「松軒先生が!」
「はい、先生はこの冬、病に倒れられて、儂等が水月殿を呼び戻そうとしたところ、それに強く異を唱えられて、修行を続けさせるようにとのことでした」
「松軒先生、俺は鹿島の龍神様より一剣を授かった。それを是非、是非お目にかけたかったのです……」
水月の眼に涙が伝い、言葉は後に続かなかった。
「して、卜伝先生が到達した『一つの太刀』をしかと会得されましたのか?」
鹿島七流の中でも長老格であろう老人が水月に尋ねた。
「それが、一つの太刀と同じものであるかは判りませんが、龍神様より剣の極意を授かりましたことは間違いありませぬ」
「ほう、そうであれば真に目出たいことよ。松軒殿もさぞ喜ばれようぞ」
その後、神宮本殿の前で水月に印可状を渡す儀式が行われた。
「本来ならば、松軒殿と立会った後に、松軒殿より渡されるのだが、生前、松軒殿は水月殿が満願の暁の後に、神剣を得たならば、この巻物を渡すようにと儂に頼んでおった。なんでも卜伝殿からの口伝を松軒殿が解釈して書きしるしたとか、巻物の中身はむろん観ておらんが、水月殿には鹿島祖神より確かに神剣を授かったと認め、松軒殿から預かった巻物一巻をしかとお渡し申す」
香取神道流の長老はそう言いながら巻物を水月に手渡そうとした。
「待たれよ。雲林院殿が卜伝殿より受けたという卜伝流の印可を、口先だけで得ようとはあってはならんことよ」
声を上げたのは、鹿島古流や香取神道流を修めて剣の腕では皆が一目置く男である。だが、日頃の言動や粗暴なおこないから人望がまったくなかった。
「儂が貴様を試してやる」
「真壁殿、ここは貴殿の出るところではなかろう」
声を掛けたのは長老格の老人である。
「卜伝殿から松軒とやらに渡ったという印可を引き継ぐのは、儂の一族を束ねる長で、卜伝殿の高弟であり、その後、霞流を興した鬼真壁こと真壁氏幹こそがふさわしい。儂はそう思う故、貴様の印可などは認めんということじゃ、印可を得よういうなら儂と勝負せよと言うとるだけじゃ」
「分かり申した。俺が卜伝流の印可を引き継ぐに相応しいかどうか、ここに集まった方々に存分に見てもらいましょう。それで、得物は?」
「ふん、太刀こそが相応しい」
真壁は腰に差した太刀の鞘を引き出すようにして示す。
「神聖なる神殿だぞ」「血で汚そうというのか」
周囲にざわめきが沸き起こる。
「俺はそれでもいい……、神殿を汚すのがまずければ神宮を出て、鳥居の外で行えばよい」
水月の目付きは鋭くなっていた。
「弥一様、ご判断を」
皆が長老の言葉を待っていた。
「よし、この場で決着をつけられよ」
「弥一殿、もう一度お考えくだされ……、この場を血で汚せば、必ずや神罰がくだりましょうぞ」
「武神じゃ、血など流れようとも神罰などは落ちまいぞ。誰ぞ、水月殿に預かっていた太刀をお渡しせよ」
水月が所望したのは自らの太刀ではなく、師である松軒が佩いていた刀身二尺七寸五分の刀だった。神殿の前で、人混みが大きく円形に広がっていく。水月は襷を付け、空色の汗止めで額を縛ると、円の中に出る。すでに真壁は用意ができていた。
係られよ、長老の声と同時に二人とも抜刀した。水月は後ろに飛び退いて間をひらく。だが、地を擦りそうな剣先のままで、するすると間を詰めた真壁は横凪ぎに脚を払う。だが、水月はほんの少し移動しただけで剣先をかわしていた。真壁は風車のごとくに体を回転させながら、脚、胴、頭へと刀を打ち回して行く。やがて、回転がぴたりと止まると上段に振りかぶった。
回転は間合いを混乱させる手段よ、この、最後の上段こそが貴様をしとめる技だ、貴様ごときには見切れまいぞ、真壁は微かに笑みを浮かべていた。
ほう、刀の回転は間合いを隠す罠じゃな、そう、こいつは左利きかもしれないぞ。上段から何か仕掛けるつもりじゃろう、左手一本での片手打ちか、なら信じられぬほど刃先が伸びてこよう。水月は剣先を下げ気味にした中段にかまえて待ちの姿勢を取った。不用意に仕掛ければ、罠にはまるやもしれないからだ。
真壁は焦り始めた、相手が踏み込んできた瞬間に落とすつもりの上段からの片手打ち、瞬速の技を避けえた相手はいままでいなかった。だが、待たれている。このままでは体力的に不利になるのは明らかだった。誘いの偽刀を打ち込むか? 打ち込むとしたらどこへ?
水月は真壁の微かな迷いを見逃さなかった、剣先を下げて一瞬のうちに体を寄せる。と烈風のごとくに刃が落ちてきた、だが、迷いは剣の動きを微かに遅らせていた。真壁の間合いの内に入っていた水月は刃筋を外しながら、下げていた剣を上に向って斬り上げた。刃は股間からヘソまでを切り裂いていた。この世のものとは思えない絶叫を上げながら地を転げまわる真壁は、苦悶の表情のまま腰から小太刀を抜くと、自ら首の血脈を切り裂いて絶命した。
「鹿島の武神への奉納試合、しかと見届けましたぞ。松軒殿より託された卜伝流の印可状は水月殿にお渡し申す……。他にだれぞ、異議のある者はおらんか?」
長老の声に、今度は異議を唱える者はいなかった。
「卜伝流の印可を引き継いだこと、ありがたい限りです。松軒先生をはじめ、ここにおられる鹿島七流の方々のお名前を汚さぬように、さらに精進します」
「卜伝先生、松軒先生と受け継がれた剣の極意を磨き、さらなる境地を目指されよ」
「香取神道流の名を再び高めてくれ」
多くの叱咤激励を受けて儀式が終わると、水月は旅支度をして、なるべく早く鹿島を出立しようと考えていた。腰に在るのは松軒が卜伝から授けられたという刃渡り二尺七寸五分の佩刀である。それは上総の密教寺院で不動明王の霊力を授かった刀であった。水月は、さらに研鑽を重ねて剣を極めた後には、松軒が廻国したように、自分も諸国を歩いて弟子を見つけなければならない、そう決心していた。出立の前に松軒が葬られたという墓に出向いた。初夏の日差しの中で新緑は色を濃くしていた。墓のある小さな草原には草花が咲き乱れている。水月は小さく盛り上げられた土盛りの前で深々と頭を下げて、修行の成果を報告した。
鋭い視線を感じて振り向くと、三名の武者だちの姿がある。一人は水月と同じくらいの年齢であろうか。そして一人は年配者で一人は若い少年のようだった。
「神子上水月先生、我らは鹿島にて剣を学ぶ者で、儂は相馬左内、これは池上隼人、そして我が子相馬真人といいます。どうか我らを弟子にしてくだされ」
年配の男がそう言うと、三人は頭を下げる。
「これは丁寧なご挨拶、痛み入ります。相馬殿たちは、先ほどの鹿島神宮境内での儀式にも参加されていたようにお見受けしますが」
「そうでございます。我らは、その席で水月先生が、卜伝先生、松軒先生と受け継がれてきた卜伝流の秘太刀を開眼されたと聞いて、是が非でも、我らを弟子として御受け下されるようにと、お願いに参ったのです」
水月と同じような年恰好の池上隼人が頭を下げたままで言う。
「さあ、頭を上げてください。それで、相談の内容は理解できましたが、拙者もまだ若輩者ゆえ、これから諸国を廻って強者どもを相手に修行を重ねようと考えていたところなのです」
「ならば、いましばらく当地に逗留されて、我らの修行を見てはくだされまいか」
「それは可能なれど、そなた達にはれっきとした剣の師匠がいるはずでありましょう。その方たちをさしおいて、俺のような若輩が修行を見るなどはできんことです」
「その件ならば、鹿島七流を束ねる長老の御一人、小笠原さまの許可を得ておりもうす。小笠原さまも水月殿がこの地で、流派を超えて剣の深みを授けてくれようならば、当鹿島七流にとって何者にも変えられん財産になろうと申しております」
水月は鹿島の地にとどまって、希望する者の修行を見る事にした。相馬左内等三名は長老小笠原義時の孫弟子であり、いずれも鹿島古流の使い手であった。水月は、使われなくなっていた鹿島古流の道場に案内されて、そこを修行の場とすることにした。しばらくすると、水月の剣名を聞きつけて約十名ほどが修行するようになった。なかでも、水月より一つ年若い池上隼人の上達は目覚ましかった。水月は鹿島古流が合戦場向きの介者剣法であり、太刀の振りが大きくて無駄な動きが多いことを看破した。彼は、もう戦場を駆け巡って甲冑武者と切り合う時代ではなく、素肌の武芸者同士が技の優劣を競って命のやり取りをする時代が来ていること話した。だが、それは水月自身が体験して得たものではなくて、多くの合戦に参加し、その後に武芸者となって諸国を回遊した雲林院松軒から聞かされた言葉であった。
水月は、見切りと拍子について毎日説明をし、どんな剣の達人に出会おうとも、見切りを有して、拍子を取れば不敗であると説いた。水月は朝夕には木刀を持って近くの森へ行き数千回の立ち木打ちを欠かさずに行う。そして、弟子たちには見切りの稽古を繰り替えさせた。型に関しては、それまで練習してきた鹿島古流の型を繰り返し練習させる。水月は立ち木打ちで足腰が練れて、見切りで目を養えば、鹿島古流の型は見違えるように鋭くなることを理解していた。そして、実際、池上の剣は見違えるように鋭くなっていった。
夏が過ぎて秋になると、水月は鹿島の地を発つ決心をして、弟子たちに、いまのままで修行を続ければよい結果に繋がるだろうと告げた。池上隼人は水月と一緒に廻国修行に行きたいと言ったが、水月は、この地にとどまって修行を続け、さらに若い者たちを指導できるように精進せよ、と言って思いとどまらせた。




