エピソード
暗闇の中、濁りに濁った川に、一つの橋が掛かっていた。
腐った匂いが生暖かい風に運ばれる中、その橋を渡ろうと白装束の行列が在った。私はいつのまにかその中に紛れ込んでいて、白装束を纏いながら、一歩ずつ歩んでいた。
「次の方、どうぞ」
橋の前にはリストを持った男が事務的で無愛想な声で行軍を促している。そうして、私の番がやってきた。
「お名前は?」
「あ、阿藤美代です」
「苗字は亜種の『亜』に熱湯の『湯』?」
「あ、いえ、阿修羅の『阿』に、その......」
「よく見る『藤』?」
「あ、はい、そうです」
仏頂面に鋭い眼光を併せ持ち、ファッションが黒一色のその男は、それを聞くと難しい顔をして、しばらくすると
「ちょっと待っててください」
と、近くの河川敷へ下った。
「おら!起きろ!毎度毎度サボりやがって!」
という声が聞こえた後、黒の男と、脇腹を押さえた、少し若い男が戻ってきた。
「いくらなんでも脇腹を蹴りまくるのはダメでしょ先輩!訴えますよ!」
「はい、これ持って」
黒男が若い男を無視して無理やりリストを持たせる。
「俺は面倒ごとを処理してくるから、その間仕事してろ、はい阿藤さん、ちょっと着いてきて」
駄々をこねる若者を尻目に、私は黒男に引っ張られるように行列から外れた。
「阿藤さん、あなたはなぜあの行列に並んでいたか覚えてますか?」
「え?いや、いつの間にか並んでたというか、そのーー」
「じゃあ質問を変えます」
「あの行列はなんだと思いますか?」
歩きながら問いかけられたその質問は、どれも私を悩ますもので、当然答えられるわけがなかった。
いや違う、信じられないのだ。白装束の行列、川を渡る橋、生暖かい風、腐ったような匂い。
「その顔から察するに、予想はついてるようですね」
「もしかして、この場所は....」
「ええ、死後の世界です」
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「いつの間にか行列に並んでたとすると、あなたは事故死、もしくは生死の境を彷徨ってる状態になります」
男が進む先には、ぽつんと1つの小屋が建っていた。
「今からどっちなのかをここで確認します」
扉がギイイと鳴き声をあげて中身を見せる。
壁一面に広がるのは、蝋燭、蝋燭、蝋燭。
棚の中、机の上、椅子の上にさえも蝋燭が灯っていた。
「直感でどれか1つ選んでください」
蝋燭だらけの床をおずおずと踏み出し、適当な蝋燭を選ぶ。
「....じゃあ、これで」
棚の中にある、長くも短くも無い、隅っこにぽつんと佇む地味な蝋燭。それを男は慎重に取り出し私に告げる。
「これがあなたの命の蝋燭です。手に持ってみてください」
持ってみると、火の温もりが蝋を通して伝わってくる。しばらくすると火が揺らめき、何かが陽炎のように映し出された。
それは私がこの世にいた頃の光景。
私が睡眠薬を過剰摂取する瞬間だった。
「ハッ....!」
私は驚き、蝋燭を落とす。蝋燭は火を揺らめかせはしたものの消えはしなかった。
「何が見えました?」
男は蝋燭を元の位置に戻しながら尋ねる。
「私が....睡眠薬を過剰摂取する瞬間です」
「ああ、やっぱりそうでしたか」
男は私を手招き、小屋から出た。生暖かい風は今もなお吹いている。
「自殺するならもうちょっと確実な方法で死んでもらいたいものですよ、首を吊るなり飛び降りるなり....」
男は愚痴をこぼしながら、元の行列のある場所へ向かう。そこには黒塗りのタクシーがエンジンを吹かしていた。
「あなたはまだ死んではいないので、これに乗って現世に帰ってください」
「じゃ、ありがとうございました」
男はそれだけ言って橋へと戻ろうとする。
「あの!」
私は黒男を呼び止め、近くに駆け寄る。
「私、死にたいんです....このままずっと孤独なまま生きていくのはもうウンザリなんです....」
「そう言う人は大勢見てきました」
男はキッパリと告げ、私を突き放す。
「けどこれは仕事、それも人の命に関わるものです。1人の死神が勝手に決められるものではーー」
「先輩!連絡が来てましたよ!」
男の話を遮るように、後ろから若者が呼びかける。右手には赤い便箋が握られていた。
「なあ、今大事な話をしてるーー」
男が振り向いて若者の面に向かった瞬間、おそらく赤い便箋が目に入ったのだろう、舌打ちして黙って若者から便箋を受け取った。
「あ、あの....」
男は一通り手紙を読み終えるとため息をつき、頭を抱え、再度舌打ちをした。ところが、男は何か思いついたのか私の方へ向き直した。男の顔はどこかにこやかだった。
「阿藤さん、良いアイデアがあります」
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目が覚めた時、最初に目に入ったのは見慣れた天井だった。ベランダからの夏の日差しが私を苦しめる。
薬の飲み過ぎか、太陽の光線か、私の体はびっしょりと汗をかき、枕やシートにもしみがあった。
「はぁ....」
やはりあれは夢だったのだろうか。コップ1杯の水道水を飲み干しながら思う。その時、ある鳥の鳴き声がした。
「カァ、カァ」
ベランダの手すりに居座るようにして、1羽のカラスがこちらを見つめていた。
そのくちばしに咥えられたものを見た瞬間、あれが夢でないことを実感した。
玩具屋に行けばあるような、持ち手の中に刃が収まる手品用のナイフ。カラスは私がナイフを受け取るや否や、すぐに飛び立っていった。
「ミャァ....」
ベランダの隅に日向ぼっこをしている野良猫がいた。それは私が数ヶ月前に餌をあげて懐いた三毛猫だった。
「....お前はいつも1人だね」
しゃがみ込んで猫の頭を撫でる。
「私はこれから大変なことをしなきゃいけないんだ」
「....殺さなきゃ、いけないんだ」
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