24匹目:幸運の猫とフェーヴ 7
ちょっとだけ間に合わなかった…
手櫛で乱れた髪を直してやりながらため息を吐く。リリアンの味方をするわけではないけれど、あまりにもアンジェリカたちの態度が酷いのでサービスをしたくなった。
汗で張り付いた前髪を掬い、直すついでにべちりとリリアンの額を叩く。
ここに至るまで、ジェマがアンジェリカに『別れた方が良い』と勧めたことは1度もない。
そもそもアンジェリカとエリオットがどうなろうとジェマには知ったこっちゃなかったのだ。2人の婚約が破談になったとしても、おそらくジェマがその影響を自覚する日は来ないだろう。平民にとっては高位貴族の結婚なんてそんなもの。下手を打って平民の生活にまで悪影響が出るような政治的なミスを犯さなければ、興味すら湧かないくらいだ。
婚約者どころか恋人もおらず、ジェマの意思に反して婚約が決まるような家に生まれたわけでもない。ジェマにはそのような環境に生まれたアンジェリカの気持ちなんてまったく理解が及ばない。
けれど固定概念を覆すことが難しいことは知っている。
アンジェリカにとって、これまでずっとエリオットと結婚するという未来が決まっていた。それはきっと2人がマグワイア魔導学園を卒業するかどうかもどれだけ優秀かも関係がなく、ただ様々な条件を検討した結果、エリオットがアンジェリカに婿入りするのが1番ちょうど良いからという理由で。
どうしても別れたいという強い願望もなく結婚することを受け入れていた2人にとって、それはもう考える必要もないほどに決まっていたことだったのだ。
いくらでももっともらしい理由を付けることはできるが、たかが言葉で表現し切れるほど2人の人生は短くない。
アンジェリカとエリオットにとって2人の婚約を覆すというのは、これまでの人生のすべてを否定することになりかねないとても重く苦しい話題だ。自分で聞いておいてなんだとは思うが、こんなところでぽんと訊ねてぱっと答えが出てくるなんてありえない。
「なによそれ……じゃあ何? あたしの1年は何だったわけ……?」
日焼けを知らない白い顔をさらに白くさせて、リリアンがぽつりと呟く。
またヒステリックに騒いでくれることをちょっとだけ期待していたジェマは、目をぱちくりとさせてその顔を見つめた。これまでずっと無視をされてもめげずにジェマの元へ通い続けたリリアンだ。今更現実を突きつけられたくらいで落ち込むとは思わなかった。
「今更何言ってんの、初めからわかってたことでしょ。すでに婚約が成立してるところに割り込んだ分際で、お前の努力が報われるわけがない。いつか何かしらのしっぺ返しを食らうのは決まってたことでしょ」
肩を震わせるリリアンの腕をぐいと引っ張り、無理やりに立たせる。
腹が立つほど図々しいくらいの度胸がなければ、下位貴族が高位貴族の婚約に首を突っ込むなんてできるわけがない。ジェマですら予防線を張り巡らせて自己保身を図ったうえで、大丈夫そうなところでちょっとずつ余計なことを言っただけだと言うのに。リリアンほどがっつり関わっていくならば、人生をかけて一か八かの賭けに出るしかなかったのだ。
それをまさか、謎の物語のヒロインだから大丈夫だと思っていたとでも言うのか。
パンっと乾いた音が響き、誰かが息を呑む音がした。
ジェマは思い切り振りかぶって、いっちょ前に落ち込むリリアンの頬を引っぱたいた。本当に今更だ。なんだか無性に腹が立った。
「なんであんたにぶたれなきゃいけないのよ!」
「なんかムカついたから?」
「はぁ!? ふざけんな!! 悪いのはアンジェリカだって言ってたじゃん!!」
「いやお前たち3人とも悪いよって言ったんだけど。どれだけ都合の良い耳してるんだ」
もう1度すぱんと頭を引っぱたき、軽快なステップでリリアンが伸ばした手を避ける。
「お前は初めからヒロインじゃないんでしょ? 逆にどうしてお前の思い通りに事が進むと思ってるの?」
朱の上った顔をさっと青ざめて、リリアンはぽかんと開けた唇を震わせた。
ジェマはヒロインなんて興味がない。もしリリアンが引っ掻き回さなければルシアンの告白をもう少しきちんと考えたかもしれないが、ジェマはまだまだ恋愛や結婚について考えるには自身の感性が幼いことを理解している。
しかしそれがなくても、ジェマが高位貴族を恋愛対象として見ることはなかったと思う。学園に入学して貴族の面倒臭さや窮屈さを実感させられた。多くの令嬢たちの悩みを聞くことで、物語に抱いた仄かな憧れすら溶けて消えた。
これまの時間の多くを平民として過ごしてきたはずのリリアンが、楽観的に高位貴族に言い寄れる神経が理解できなかった。
しかも謎の物語のヒロインに成りきるという愉快すぎる方法で。
「お前だけに都合の良い現実なんてありうるわけがないでしょ」




